アフタリオンの管理貨幣論

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アフタリオンの管理貨幣論
酒井, 一夫
北海道大學 經濟學研究 = THE ECONOMIC STUDIES,
19: 37-52
1961
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http://hdl.handle.net/2115/31072
Right
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bulletin
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19_P37-52.pdf
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Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
アフタリオ ンの管理貨幣論
え
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お
き
I
酉
井
夫
J10
ロロに立脚しながらも、
経済における貨幣価値﹂の研究に捧げられるものとしている。
ア ブ タ リ オ シ の 貨 幣 心 理 説 は 、 所 得 説SFgユ白骨一円。
を重視する乙とによって所得説を修正したものである。 こ の 立 場 は で 貨 幣 ・ 物 価 ・ 為 替 ﹂ と ﹁ 貨 幣 と 統 制 経 済 ﹂ と を
貨幣価値決定における心理的要素
における貨幣を、 そ し て 新 ら し く 刊 行 さ れ た 後 著 書 が 統 制 経 済 に お け る 貨 幣 を 対 象 と し つ つ 、 両 書 一 体 と し て ﹁ 現 代
σ
.
4
2∞ を 右 と 前 後 し て 公 刊 し た 。 か れ に よ れ ば 面 白 を 一 新 し た 前 著 書 が 自 由 経 済
研究ご富。ロg-020BEg-m佳 江 志
つけ加えて、 旧 著 書 を 増 補 改 訂 し た 第 三 版 を 一 九 四 八 年 に 刊 行 し た 。 他 方 か れ は 一 九 四O年 以 降 の 事 実 を 基 礎 に し た
お い て 、 第 一 次 大 戦 後 か ら 一 九 二 六 年 ま で の 事 実 を 基 に し て 貨 幣 心 理 説SFgユσ官官
mX5含FESEぽ を 唱
。
︼
え た 。 そ の 為 替 へ の 適 用 で あ る 為 替 心 理 説 は わ が 国 で も 広 く 知 ら れ て い る 。 そ の 後 か れ は 一 九 四O年 ま で の 新 事 実 を
Z
02kr片山口oロ(出足 lH80)は z富。ロSF耳
ア フ タ リ オ シ ﹀5
目M2ny白口問。 35hw
斗(松岡孝児訳、貨幣・物価・為替論)に
ま
通じて貫かれる。しかし自由経済における貨幣価値の決定と統制経済における貨幣価値の決定とは同じではない。自
- 37-
一
、
由経済においては貨幣の個人的価値から社会的価値が形成されるのに反して、統制経済においては公権により貨幣の
経済学研究
九
ア フ タPオンの管理貨幣論湖沼弁
ハ
1v
社会的価値が決定せられる。そこには自ら異った法則が作用するはずである。もっとも
ζれは両経済を型として観察
ζの統制によって
したばあいであって、現実に存在するのは﹁混合経済﹂である。したがって統制経済においても自由経済の貨幣価値
の法則が作用する余地もある。けれどもそこでは貨幣当局による貨幣価値の統制が特徴的である。
成立する貨幣価値を、修正所得説の立場から根拠づけようとしたのが﹁貨幣と統制経済﹂である。
﹁貨幣と統制経済﹂は占領下および解放直後のブラシスの経験を基にして書かれている。しかしそれから導きださ
れた教訓は一般的に適用され得るものであろう。アフタp オシはこの著書において、貨幣価値を統制する政策をニつ
主m
b
o
(統制貨幣)の政策であり、他はEgosmぽ宮山55S(誘導貨幣)の
に分類している。一つは ZEgg-o己
他方は
- 38-
政策である。何れも貨幣価値を統制する点においては同じであるが、前者は﹁霞接に統制する政策﹂であり、後者は
一方は強権的な統制経済の一部をなす政策であるのに反して、
一ー間接に統制する政策﹂である。換言すれば前者は公権が直接物価を決定するものであり、後者は貨幣流通量を通じ
て間接に物価に作用せんとするものである。
統制経済に用いられはするが自由経済に位置を占める政策である。 こうして見るとアフ夕刊 yオシの言う Z50口口出ぽ
宮
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H
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wロのふσは、一般に理解されている管理通貨にほかならぬことに気がつく。かれの用語によれば、zgoロロωぽ仏Emt
PHgn宮 の 方 が 管 理 貨 幣
が言葉の意味から言って管理(統制﹀貨幣であるけれども、内容から見ると E B。ロロ同町山口
に相当するのである。かれは英・米等で主張されかっ実践され来った管理貨幣の政策は EBODEぽ山口出
55bo(誘導
貨幣﹀の政策と呼ぶ方が適当であるとしているが、)わたくしは乙こで耳慣れない言葉を避けて、わが国における通常
の用法に従ってこれを暫らく管理貨幣と訳しておく。わたくしがここにとり上げて見たいと思うのは、 乙の意味にお
けるアフタ Hノオシの管理貨幣論である。けだし現実的意味から言って深い関心をもつのはこの方であるからである。
宮
BE-目 立 2SOB-目丸山氏ぬbpu5
・ ・
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町
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二、管理貨幣と心理説
ζと に よ っ て 、 流 通 に 投 げ 入 れ ら れ た 追 加 購 買 力 が 物 価
アフタ H
ノオシによれば管理貨幣の政策は貨幣価値を維持する乙と、少くともその下落を租止する乙とを目的とする。
それは発行された紙幣の全部または大部分を国障に回収する
ζとによって需要の大きさを制限しようとするのである。
ζれ は 一 般 に 国 家 支 出 を 賄 う た め の 紙 幣 増 発 か ら 生 ず る 所 得 で あ る 。 管 理 貨 幣 の 政 策 は こ の 過 剰 所 得
騰貴即ち貨幣価値下落の作用を与えないようにするのである。 こ の ば あ い 対 象 と な る の は 生 産 増 加 に 基 づ か な い 所 得
の過剰である。
を吸い上げる
さて管理貨幣の政策は通常貨幣数量説に立脚せしめられている。 しかしアブ夕日ノオシは数量説の批判者である。か
その詳しい乙とは避けるが、要するに
ov
ζと で あ る 。 貨 幣 数 量 説 は 貨 幣 を 金 属 貨 幣 だ け と す る も の か ら 、 銀 行 券 お よ び
れはすでに﹁貨幣・物価・為替﹂において貨幣数量説を克明に論駁している
貨幣数量説は事実に一致しないという
銀行予金を含めるもの、 さらには流通速度を質幣的要因とするもの等種々な形態に分類されるが、 そのいずれをとっ
ても貨幣的要因の変動が原因となって、 比例的な物価変動を結果すると主張される。 しかし第一次大戦後の事実を検
す る に 、 為 替 が 物 価 変 動 の 主 要 な 原 因 と な っ て い る 。 為 替 は 数 量 説 の 貨 幣 側 に な い 要 因 で あ る 。 つぎに通費変動と物
価変動とのあいだに比例性が見られないばかりでなく、しばしば逆の方向に変動している。 さ い ど に 通 貨 で は な く 物
価の方に原因を認めねばならぬばあいがある。 こ の よ う に 貨 幣 数 量 説 は 事 実 に 一 致 せ ざ る も の と し て 退 け ら れ る 。 し
ζで 数 量 説 に 代 る 理 論 を 求 め ね ば な ら な い 。 か れ が 深 い 信 頼 を お く の は 所 得 説 で あ る 。
それは貨幣数量説の説明
たがってアアタリオシは管理貨幣の政策も貨幣数回一一息説を根拠にしては脆弱な基礎に立たされることになると言、っ。
そ
経済学研究
九
- 39-
(
2
)
アフタリオンの管理貨幣論
酒井
できない事実をよりよく説明する
Q
重要な例は為替変動に基づく物価変動である。 乙れは貨幣数量一説をもっては解き
得ない事実であったが、所得説によれば容易に解明される。たとえば為替騰貴(邦貨建)したとすれば、騰貴前にすで
に輸入した商品ストックをもっ輸入業者の所得、外国証券保有者の所得、本国から収入を得ている在留外国人の所得
等は園内貨幣額で直ちに増加する。なお米越者の増加、輸出伸展による園内所得の増加も生ずるであろう。 こ,っして
ζう考
般化され得る。すなわち物価変動を左右するのは所得の大
為替股貿は貨幣所得を増大せしめ、 その結果国内物価を騰貴させる。 乙のばあいの貨幣所得の増大は貨幣量の増加に
因るものではない。 乙の為替に基づく物価変動の観察怯
さであって貨幣量ではないということである。貨幣量の増減は所得の変化を通じてはじめて物価に作用する。
Q)
えれば貨幣数量説の困惑した通貨と物価との不一致も困難なしに説明され得る。 アフ夕日ノオシは同 HMMC(R貨幣所
NUCの変化(主として
NUCから独立して変化することがある。
得
、 P 商品の平均価格、 Q 生産総量)なる式によって所得説の原理を説明している。 R は
に応じてのみ変動する。 これがもっとも普通のばあいである。 しかし R は
このように所得説では通
たとえばさきの為替騰貴に基づく所得増加がそうであったし、 また国家需要を充たすための通貨増発による所得増加
もそうである。 このばあい R の増加は Q に変化ないものとすれば P の騰貴を惹起する。
貨の変動は必ず所得の変化を通じてのみ効果をもち、 しかも所得変化と物価変動との関係はつねに一方的な因果関係
にあるものではないとされるのである。
しかしアアタリオシはこれに止まらない。右に述べた限りでは所得説は物価と所得との数量的関係を規定している
一九一八年以後中央ヨーロッパとくにドイツでは、為替
にすぎず、 いわば量的要因として所得を見ているにすぎない。 乙れにたいしてかれは質的要因を補って所得説を修正
せねばならぬと考える。修正の動機は事実の教訓からくる。
の物価への影響が所得の媒介を認める余地のない程の早さであった。 こ こ で は 物 価 は 通 貨 の み な ら ず 、 所 得 か ら も 独
- 40ー
立して﹁純心理的要因﹂の作用で変動したと見られる。かかる心理的要国による物価への直接の作用が説明されねば
Q
市場における貨幣価値は貨幣の社会的価値であって、 その表
ならない。それをかれは貨幣価値決定における量的要因と並んで質的要因を認めることによって果そうとする。
かれの貨幣価値論は主観的価値理論ピ立脚している
現は商品価格の総体に見いだされる。ところでこの貨幣の社会的価値は貨幣の個人的価値即ち貨幣にかんする個人的
評価に依存している。貨幣にかんする評価は所得の最終単位に与えられる重要度に従って決定される。 それ故乙の評
- 41-
価において所得は量的要素として重要な役割を果す。けれども貨幣単位にたいする評価は心理的な質的要素によって
も大きく影響される。宅-目的。吋の所得説では乙の貨幣単位の評価における質的要素が見落されている。それというの
、
.
、
.
、
.
、
,
、
,
がグィ lザーは貨幣にかんする樹人的評価は所得の最終単位の与える満足(交換によって)に依存するとするからで
、
.
、
.
、
.
、
,
、
.
、
.
、
,
あって、 そこでは質的要素としては商品の効用が入り得るだけである。それを所得の最終単位から期待される満足と
いう風に修正すれば、商品から独立した貨幣そのものに帰する質的要素が参加し得ることとなる。 こうして貨幣にか
一}
ζ のように心理的、質的要素を補
んする評価は所得という量的要素のみならず、貯蓄や予測というような質的要素によっても左右されることとなり、
ハ3
貨幣価値変動のさいきんにおける経験を説明する根拠が得られる。アアタリオシは
うことによって所得説を修正し、 それを自ら質幣心理説または貨幣の実証理論と称したのであった。
さて管理貨幣の政策はこのような所得説あるいは心理説に照らして検討されねばならない。この理論によれば、国
家需要を充たす通貨増発の離に、生産増加によらざる貨幣所得の増大が物価騰貨の原因となる。また所得から独立し
それが貨幣価値に不吉な作用を及ぼすのである。貨幣価値の擁護を目的
た純心理的な物価勝賞が起ると、この騰貴は販売者の利益を高めることによって所得を増大させる。このように生産
増加に基づかない貨幣所得の過剰があって
とする管理貨幣政策は、 かかる作用を弱め、無効にするために過剰所得を目標とせねばならない。政策の及ぶ範囲を
経済学研究
ブ
し
アフタリオンの管理貨幣論
ζれ ら の 所 得 が 何K充用されるかを区別して観察することが重要である。
特定の所得に限定するのは困難であろうが、管理貨幣の政策が狙うのは生産増加に由来しない過剰所得である。
管理貨幣の効果を探求するに当つては、
け だ し 所 得 は そ の 充 用 ご と に 必 ず し も 貨 幣 価 値 に た い す る 作 用 を 同 じ く し な い か ら で あ る 。 ア フ タ Hノ才シはブラシス
ζとにする。
u
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∞
品
白門戸 w ] F U
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℃司・白iH、刊。・
の経験を基にして所得のいくつかの充用について考察し、 心理説の立場からこれに吟味を加えている。 つぎにそれを
見る
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岡山同四件口}戸山口問印
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三、管理貨幣と所得の諸充用
v・口紅 -u 匂匂・ NAHCtωcuw・
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賞の一大要因であった
はつぎの三つである。
}mW4円} H A
それ以外の充用についてはどうか。かれがとくに考察を加えているの
山田山口江田白色。ロ
ζとは言うまでもない。
退
蔵
O 年以後には不本意的退蔵が促進された。流動性の要求増加
四
たのである。不本意的退蔵は購入すべき商品を見いだし得ないか、または要求された高価格で買うことを拒否するこ
は不安な時期における物資欠乏に備えたためで、将来の支出を目的としていたが、 と も か く 商 品 よ り 貨 幣 が 撰 好 さ れ
九三九t 四O年 に 流 動 性 要 求 の 著 し い 増 加 が 見 ら れ
過剰所得の向けられるものとして退蔵がある。ブラシスでは大戦の初め頃二つの要因による退蔵が行なわれた。
(
1
)
- 42 ー
酒
井
過剰所得の充用のうち主要なものは支出、即ち商品および千ノービスの購入である。 そ れ が 一 九 三 九 年 以 後 の 物 価 騰
目
。
(
3
)(
2
)(
1
)
とによって生じた。 ヤ ミ 債 の よ う な 法 外 な 価 格 で は 買 わ な い と い う の は 不 本 意 的 と は 言 え な い が 、 人 が 購 入 す る 商 品
ζとが、
なぜ投資に向わずして退蔵されたか。それ
を見い出し得ないというのも多くは合理的な価格で買うものが見当らないのである。だからそこには務品より貨幣へ
の撰択が働いているのである。 この時期に商品への支出を止めた
アプタリオ γ はそれを心理説の立場から根拠づけようとする。
は一般に有価註券とくに国債にたいする不信の念が強かったからである。
さて退蔵は貨幣価値にいかなる影響を与えるか。
グィ I ず 1 の 所 得 説 で は 、 貨 幣 の 価 値 は 所 得 の 最 終 単 位 の 購 入 す る 商 品 の 効 用 に 依 存 し て お り 、 商 品 の 購 入 す な わ ち
支出される所得だけが貨幣価値の形成に参加する。支出される以外の所得部分は貨幣価値の決定においては、所得の
- 43-
中に存在しないかのごとくである。 こうして退蔵は貨幣価値形成の要因とならず、 したがって退蔵のなされる割合に
応じて過剰所得による物価騰貴は制限される。 このように退蔵される額は物価勝賞要国から除外され、貨幣価値の支
持に寄与する。 こ の 点 貨 幣 数 量 説 に 拠 つ で も 同 じ 効 果 が 結 論 さ れ る 。 退 蔵 の 除 外 さ れ る の が 通 貨 量 か ら で あ る と い う
違いを除けば。
ところで心理説によれば、 商 品 欲 望 と 並 ん で 退 践 や 投 資 の よ う な 欲 望 が 貨 幣 価 値 を 支 配 す る 。 と い う の は そ れ ら も
人は支出するより退蔵する。 支出される貨幣単位数の減少は支出される最終単位の評価を高める。
また貨幣にたいする評価を含むからである。退蔵される新単位から期待される満足が支出される新単位のそれより大
きいとすれば、
﹁退蔵される単位にたいする高評価は、支出される貨幣単位の価値を支持するに寄与し、支出性向を弱め、かくして
支出額を減少させる。そこからそれは貨幣の社会的価値を支持し、物価騰貴を緩和するに役立つよけれどもこのよう
ζとからくるのである。
な退蔵の作用にかんして、 か れ が 退 蔵 の 大 き さ と 物 価 変 動 と の あ い だ に 数 量 的 関 係 の 定 立 を 避 け て い る と と は 注 意 す
べきである。 それは貨幣の評価に関係する諸要因が必ずしも量的なものばかりではない
経済学研究
九
アフタpオンの管理貨幣論
ζ の退蔵の貨幣価値にたいする有利な作用は
この評価は貨幣価値を支持する方向に働く。高価格での購入拒苔もやはり高価な商
通貨花たいする例外措置
一般に心理説では退蔵の効果を数量説や所得説ほど
一時的でさえあるとする。退蔵された所得は所有
ζの措置は銀
一九四五年にブラシスは新旧銀行券の交換を行なった。この交換はたんなる等価の交換であっ
それではこの措置によって貨幣価値の強化が達成されたかと言うと、通貨の著しい削減にも拘らず物価下落はまっ
ブラシあったものが、 八月二日には四四四四億ブラシに減少している。
よび銀行預金に振向けさせたのであった。 乙の結果銀行券の流通量は大いに縮小された。 四五年五月末に五四八九億
たが、貨幣流通を収縮させるための手段を伴っていた。即ち交換額の一部を優遇したりまたは強制によって、国債お
う銀行券の交換など。
行券の全価値額を強制的に縮小させることにある。たとえば額面価値の切捨を示す捺印、全部または一部の封鎖を伴
つが通貨にたいする例外措置である。
者の処分に任かされており、 いつ支出されるかも解らず、新らしい物価騰責務}助長するかも知れないのである。
高く評価しない。 その貨幣価値支持の作用が強力でないばかりか、
の下落を緩和するささやかな要因たるにすぎなかったのである。
常に高い価格を排したにすぎないからである。それ故退蔵は貨幣価値を支持する作用をなしたとはいえ、たかだかそ
退職のように貨幣価値上昇に強く寄与するものでなかった。流動性要求は将来の支出のためであり、高価格拒否も異
それ程強力なものではなかった。 このときの退蔵は商品価格上昇の時期になされたもので、不況期の物価下落の際の
品より貨幣を撰好するのであるから貨幣価値の下落を支える。けれども
貨幣にたいするある評価を含み
ブラシスにおいて一九一一一九年以後に行なわれた退蔵は貨幣価値の下落を幾分か緩和するに寄与した。流動性要求は
井
た く 認 め ら れ な か っ た 。 通 貨 の 削 減 は 貨 幣 価 値 の 維 持 ! と れ が 重 要 な の で あ る がl!の点では失敗であった。その
ーー
一
-44
酒
管理貨幣政策が貨幣流通量一を減少させるばあいに採る方法の
(
2
)
ζとを示した。所得の増大が存続しているときに流通量に働きかけて
理由についてアアタリオシは述べている。﹁ブラシスの経験は、 こ 乙 で も ま た 物 価 変 動 の 一 大 要 因 を 見 ね ば な ら な い
のは、貨幣流通よりもむしろ所得においてである
も無駄である。︺じっさいこの時期には賃銀が騰貴しているばかりでなく、俸給、諸手当、補助金、さらにはヤミ利潤
等の所得が増大していた。だから物価騰貴は阻止され得なかったというのである。それにしても通貨の縮小は物価騰
この間物価は終始激しい勢で上昇し続けたのであった。
貴を遅らせる程度の効果はなかったか。乙の点についても答えは否である。通貨は一時減少した後再び増加しはじめ、
数カ月にして元の水準を超えるに至ったが
なおアフタp オシはもう一つの通貨措置、一九四八年一月における五、000ブラシ札の通用停止に触れている。通
- 45-
用停止された銀行券は一定期間封鎖された後償還されたが、封鎖額にたいして強制借入と租税賦課が行なわれ、結局
発行額の一部吸収となった。ただこの措置については結果を充分見きわめる時聞がなかったためか、 かれは一定の結
論をひきだしていない。 しかしその後の通貨および物価の趨勢を見たならば、 お そ ら く か れ は 四 五 年 の 措 置 と あ ま り
異ならない結論を下したであろう。
国家借入 -gmBH)EDZ 円円開仲間門
経常的な操作として見たばあい、管理貨幣政策の重要部分をなす。
税であれば所得の増加を完全に奪われるから、各個人は以前より富裕になったと感じないし、貨幣にたいする評価は
んする効果はそれほど絶対的でもなく有利でもないとする。国家への貸付は租税とは異なる。超過所得にたいする租
ヨシがなかったかのような効果をもつものとされる。 し か し 心 理 説 に よ れ ば そ う は 見 な い 。 国 家 骨 入 の 貨 幣 価 値 に か
この操作は数量説に立脚すれば、発行された銀行券が国庫に還流することによって貨幣価値にかんしてイシプレ1ジ
国家借入または国家への貸付は例外的でない
(
3
)
同じであろう。しかし国家への貸付は、 そ れ が 増 税 と 間 じ 額 を 国 障 に 回 収 さ せ る と し て も 、 貨 幣 価 値 に か ん し て 租 税
経済学研究
九
アフタリオンの管現貨幣論
と同じ効果をもたらさない。 その理由をアブ夕日ノオシによれば
ζうである。﹁国家への貸付のばあい、イシプレ
l Vヨ
γに 基 づ く 所 得 の 増 加 は 存 続 す る 。 所 得 は た だ 処 分 不 可 能 に な る だ け で あ る 。 租 税 の ば あ い に は 納 税 者 に と っ て 過 剰
所得は全く失われ、 以 後 存 在 し な い 。 と こ ろ が 処 分 不 可 能 は 所 得 の 無 い こ と で は な い 。 貸 付 け ら れ た 所 得 は や は り 全
所得の一部をなしている。貨幣にたいする評価はとの所得全体に依存しているのであって、所得の処分可能な部分に
依 存 し て い る の で は な い 。 イ シ プ レ l v ヨ シ に よ り 所 得 の 増 加 し た 人 -ji--は 以 前 よ り 富 裕 に な っ た と 思 い こ ん で い
ζと が で き る 。 必 要 な と き
る。かれは貨幣をより低く評価し、より高い価格で買おうとする。﹂のみならず貸付けられた所得の処分不可能は決定
的なものではない。政府短期証券については言うまでもなく、 国 家 債 券 で も 取 引 所 で 売 る
にこれらの支出する手段をもっているという意識が、貨幣単位にたいする評価をより低くさせるという。
このように国家借入は租税に比しては貨幣価値の支持作用が劣る。けれどもそれはやはり貨幣価値に大きな影響を
及ぼす。というのは国家への貸付額の処分不可能は、不完全とは言いながら支出にたいする障害をなすからである。
貸付の回収に伴ういろいろの手数および損失が回収を諦めさせ、長い間支出を尚棄させるであろう。乙の支出の馳棄
は退蔵のときのように一時的ではない。商品市場から遠ざける距離は、 国 家 へ の 貸 付 の 方 が 退 蔵 よ り ず っ と 速 い の で
ある。それ故国家への貸付によって生ずる処分不可能は、過剰所得が物価に作用するのを防止し、所得イシプレlv
ヨシの効果を減殺する。 それは貨幣価値の下落を緩和するのである。
フランスでは大戦中から戦後の時期にかけて産業投資は少なかった。 ア フ タ リ オ ン に よ れ ば 投 資 は 貨 幣 価 値 に た い
する支持となり得るものである。資本家が投資に感ずる魅力は貨幣単位を高く評価させる。資本家はそのために所得
の多くの部分を割いて退蔵し、 よ り 少 な く 支 出 す る 。 資 木 家 の 投 資 さ れ る 貨 幣 単 位 に た い す る 高 評 価 は 、 支 出 さ れ る
貨幣単位の評価を高める。 乙 の 二 つ の 充 用 に お け る 貨 幣 単 位 の 評 価 の あ い だ に は U 字管の法則が作用する。ところで
- 46
酒
井
ζ のような投資が少なかった時期に、
国家への貸付が主として貨幣価値に有利な作用を果し得たのであった。
以上アアタリオシは過剰所得の一一一つの主要な充用にかんして心理説の立場から位置づけを行なった。その際かれは
行
金
蔵
高工会社の投資
κ貸 付 け ら れ る か ら 、 貨
時に応じて他の充用にも言及しているが、 さ い ど に そ れ ら を 一 括 し て 貨 幣 価 値 支 持 の 順 序 づ け を 行 な っ て い る 。 か れ
の挙げている序列は次のとおりである。
入
超過所得にたいする租税
家
貨幣流通の例外的な一部吸収
イ
昔
T
賞
幣価値にとって国家借入と同じ影響が認められるであろう。預金者が預託する貨幣単位にたいする評価は、近い将来
諸会社が国家へ貸付ける
ζと が あ り
との部分は処分不可能とな
の支出のための預金と投資を準備する預金のばあいとでは異なる。前者は一時的退蔵に近いが、後者はそれよりも貨
幣価値の支持が強い。 諸 会 社 の 投 資 に つ い て も
ζれ ら 所 得 の 充 用 ご と に 貨 幣 価 値 に た い す る 影 響 の 異 な る こ と を 明 ら か
る。会社が自ら産業投資をするばあいには投資される貨幣単位の評価を行なうととになり、 それが貨幣価値の下落を
緩和する効果をもつことはすでに述べた。
管理貨幣の政策を実効あらしめるために
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九
- 47ー
国
室
長
退
右のうち説明を要するのは紛と伺であろう。銀行預金のかなりの部分は銀行により国庫
(
6
) (
2
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アフタヲオンの管理貨幣論
酒
アアタリオシはそ乙
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ζとを、
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忠-
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心理説の適用により立証せんとしたことにあるもののごとくである。
アブタリオン管理貨幣論の特徴
円
︼
同
氏 mbmwH品
ZDロロ田町自由円台oロOBH四
U
∞
・
匂
・
て貨幣価値にたいする効果を異にする
ぎない。それをどう政策的に誘導するかについてはなんら述べられていない。思うにかれの関心は所得の充用に応じ
紛はそのまま管理貨弊政策の乎段となり得るにしても
t刷 は そ れ 自 身 政 策 で は な く 自 由 な 経 済 活 動 の 結 果 に す
κまで説き及んでいない。過剰所得の向けられる諸充用を提示するに止まっている。ことにω
t
もないであろう。しからばこれらを考慮して管理貨幣政策はどのような手段の組合わせにおいて行なわれるべきか。
にしておくのは確かに重要であろう。管理貨幣の運用に当って各謹の所得充用を考慮せねばならないことは言うまで
井
グロ・サクソシ派の管理通貨論では、貨幣価値はもっぱら通貨信用量の増減を通じて管理されるものとしている。
ζの
ばあい管理通貨政策の指向する目標は通貨信用の流通量である。 こ れ に 反 し て ア ア タ リ オ シ の 管 理 貨 幣 政 策 は 、 通 貨
ζの評価は所得の大小に左右され、通貨の多寡に左右されない。それ故貨幣の管理価値即ち管理貨幣
でなしに貨幣所得を目標とする。かれによれば貨幣価値は所得を支出する際の各個人の貨幣単位にたいする評価に依
存する。 そして
は所得に働きかけねばならないのである。所得をそのままにして通貨の縮減を断行しても、物価を下落させ得ないの
- 48ー
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四
アフタP オ γの 管 理 貨 幣 論 の 特 徴 は 、 第 一 に 貨 幣 の 管 理 価 値 を 貨 幣 数 量 の 増 減 に 依 存 さ せ な か っ た 点 に あ る 。 ア シ
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ζれ を か れ は 修 正 さ れ た 所 得 読 の
ぃ。管理貨幣の
でに n
ノストなどが指搭しているところであ
に置き代えた
たのセあった。
は ζ の た め で あ る 。 遥 貨 取 締 措 霊 が 物 額 下 落 の 効 果 安 も た な い ζとは、
怠
一v
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るが、
けれども C の限りでは管
である。アフタ Hノ オ ジ の 特 色 は さ ら に 進 ん で 所 得 変 犯 と 物 価 変 動 と
は鈴幣単位の評価げ札所得という量的要患が作用するほかに、 心理的な
についてその箱還を見た。認じ所得であっても ζ
の作用は、所得が何に充用されるかに従って裁幣締僚にたいす
ζろ に あ る 。 心
するところの物艇と所持との関係はや
の同一思的欝係を認めないと
繋的要因が作用する。との
投資
のいずれに向けら
れるかにより物艇変動そ題じくしない。所得と物価とのあいだには単純な数愛関係はないのマある。
その
イ γプレ 1γ
ζと
じっちいには物館総賞、貨幣価値引下の
層識しいとし
ζれ そ 避 け る
るケイシ
一次大戦後における金本位制再穀、半額後帰
シよりも
が脚光を浴びたのは一九一一一0 年代の不況摘においてであった。
せるから
立
める。かれは租税、
し
静ずれ誌、街口出および手ノービスへ支出される所得以外は物価にたいして無作用であるはずである。しかし心理説では
そうではない。支出以外の所得の詩充用が鎧幣価敏に異なって作用問ずる。菅強襲蹴mは一説得の総識のみならず、
充用における相違に探い考惑を払わねばならぬのである。
が考えられているとはいうもの
けに注意が向けられているのである。アシグロ・タクソシ
第 二 に ア ブ タ PJAY管猿箆幣議の特徴は、 イシプレ ? v g y期 に お け る 黄 幣 額 憶 の 維 持 に 重 点 が お か れ て い る
でおる。つまり議幣翻綴引上の方舟へ
一九
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り
に深い関心を示していたのである。だから管理遺質製はつねに選袋増発、物価総貨の方向に運用され
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ってよい。管理遜費制約が創唱されたの
舗では、物館水準の騰港謁方向へ
に傾いてい
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に反対してのことであったし、
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め
アフタリオンの管理貨幣論
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がちであった。じっさいそれが通貨数量の増減に依存する限りでは、 そ の 縮 小 に よ っ て 物 価 下 落 を 導 く こ と は 困 難 で
あったのである。
ζれ に 反 し て ア ブ 夕 日 オ シ の 管 理 貨 幣 は 物 価 下 落 の 方 向 へ の 誘 導 で あ る 。 と い っ て も か れ が 主 張 し て い る の は 物 価
ζれ を ど の よ う に 処 理 し て も 新 た な 物 価 騰
勝賞の阻止であって、物価を積極的に引下げる方途について何も述べているわけではない。かれが管理貨幣政策の対
象としたものは過剰所得であり、新たな物価騰貴の要因たるものである。
寅を坦止するだけであって、従来の物価水準を下落させる効果をもつものではない。かれの管理貨幣はただ下落しつ
つある貨幣価値の今後の下落を防止せんとするもので、 その意味における貨幣価値の維持政策である。 こうして見る
とアジグロ・ナクソシ派の管理通貨はデフレ l Vヨシ期における政策で、アブタリオシの管理貨幣はイシプレ I Vヨシ
期における政策であるという対照的な特徴をもっている。
第三にアブタP オン管理貨幣論の特徴は、信用統制をあまり重視してないということである。アジグロ・ナクソシ派
の管理通貨制にあっては信用規制は通貨管理の重要部分をなしている。ケイシズは、イギリス国内の物価は五大銀行
の与える信用額によって決まるとし、 そしてこの信用額は貨幣当局の政策によって左右し得るものとして信用統制の
重要性を説いている。さらにかれは通貨の発行を監視して信用額をこれに従わせるというより、むしろ信用額を監視
して通貨の発行ぞ乙れに従わせるべきであるとさえ述べている。
しかるにアアタリオシは信用の物価にたいする影響について考えを異にする。数量説のように信用が増加すれば必
ず物価が騰貴するとは考えない。心理説では﹁原則として、銀行信用は物価にほとんど作用しない。なぜなら信用は
直接所得を増加させないからである。信用は購買資源を与えるが、 そ れ は 自 分 自 身 の た め で な く 、 再 販 売 の た め の も
の で あ る 。 信 用 を 利 用 す る 人 は 所 得 の 増 加 が な い か ら 、 ま た 貸 付 を 受 け た 資 本 を 返 済 せ ね ば な ら な い か ら 、 より富裕
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になったと感ずる理由はないし、したがって購入する商品により高く支払おうとする理由はない。﹂ただしかれは信用
の物価への作用を全然認めないのではない。 その作用はあり得るとする。しかし信用はすでに始まっている物価変動
を促進するのであって、﹁信用は物価勝賞を創り出しはしない﹂のである。このようにアフタリオシは信用の物価への
作用を否定するから、 かれの管理貨幣において信用統制が主要予段として考察されないのも当然である。通常管理通
一つはブラシスのある時期の経験に拘束されたというとともあるが、他は右のよ
貨制の枢軸をなすとされる金利政策、政府証券売買、支払準備法定制度のうち、国債売買を除いて他の量的規制方法
に言及するところがなかったのも
うな理論的基礎から出たものと思われる。
ωかれは物価変動と貨幣価値の騰落と
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さいどに、 アブ夕日ノオシの所説中私見と一致せざる点を指摘しておきたい。
を全く同一視している。上述ではかれの用語に従ったが、そしてそれは通説に近いかも知れないが、私見はこの点に
ついて異なった考えをもっ。貨幣価値の変化は物価変動に表現されるに違いないが、すべての物価変動は貨幣価値の
変化を反映しているわけではない。貨幣価値に関係ない商品価値の変化や商品市場価格の変動も物価に影響する。物
ζれ は 所 得 説 に 立 脚 す れ ば 当 然 の 帰 結 で あ ろ う が 、 消 費 財 物 価 の み が 貨 幣
価変動の諸要国を区別せねばならない。これが私見であるが、そのことはすでに他で述べたことがある。同かれのい
う物価は消費財の価格で構成されている。
ζとを否定するものではない。制かれの貨幣価値論は主観
ζれはもちろん貨幣価値を表現するものとして見たばあいであっ
価値を表現するのではないと思う。貨幣価値の表現は全商品物価に見るを本則とすべきで、特定商品グループの物価
は全商品を代表する限りにおいてのみ意味をもっ。
て、各商品グループの物価が別種の測定目的に役立ち得る
的価値学説によって基礎づけられている。かれが実証的に、事象に忠実に理論を構成した態度、 およびそれから導き
だされた諸結論には共鳴するところ少なくないのであるが、私見によればかれの重要命題の多くは客観的価値学説に
経済学研究
ブ
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アフタリオンの管理貨幣論
ζと、通貨または所得と物価とのあいだに比例関係のない乙となどは、客観的価値学説に立脚した貨幣理
依拠してよりよく説明され得るものと信ずる。 たとえば為替から物価への直接的作用、通貨収縮の物価を下落させる
効果のない
拙稿﹁インフレ・デフレの非対称性﹂金融経済一九六0年四月号。
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前掲拙稿論文参照。
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拙稿﹁貨幣数量説の一批判﹂北大経済学研究十五号。
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論をもって容易に解明され得るものであり、すでに成しとげられているところである。
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