SEGレポート 2−C 35番 蛭田龍之介 私は、SEGのメンバーの一員として春休みにアメリカを訪問した。ニューヨーク、ボ ストン、ワシントンDC、オーランドと、東海岸の主要都市を訪れ、その中でも色々な事 柄に触れた中で考えたこと、感じたことをこのレポートに書きたいと思う。 主に見学した場所は、ニューヨークのグランド・ゼロとメトロポリタン美術館、ボスト ンのハーバード大学・マサチューセッツ工科大学とボストン美術館、ワシントンのスミソ ニアン博物館群と日本国大使館、オーランドのNASA ケネディスペースセンターとディズ ニーワールドであった。まずはマサチューセッツ工科大学とハーバード大学について触れ たいと思う。 MIT・ハーバード大学 私はMITで、生物系の研究室を見学した。そこでは小鳥を用いた学習についての研究 や、猿を用いた心理的な病の為の研究、高性能の顕微鏡を用いた神経に関しての研究など、 現在の最先端を行く研究を直に見せていただくことができた。また、ハーバード大学では そこで研究を行っている方に、研究するということについて貴重な話を聞かせていただき、 実際にハーバード大学での研究現場を見ることができた。これらは言うまでもなく凄い経 験であり、様々な人のおかげで本当に大切な体験をさせてもらったと感じている。 私自身が何を考えてMIT及びハーバード大学の見学に臨んだか。 今、世界の最先端ではどんな研究が行われているのか、という具体的な内容は勿論興味 深いことである。しかし、私にとってそれ以上に大切だと思ったことは、 “世界のトップレ ベル”という環境、状況自体をそのままに捉えるということだった。それは、 “最先端”と いう状況に至るプロセス、背景、必要な能力を感じ取ることである。そのことは、例えば 見学した生物系の研究内容に特化してMITやハーバード大学を見ることよりも、将来を 考えると役に立つように思える。 “現在の最先端”も、時間の経過とともに“最先端”ではなくなる。ボストンで会うこ とができた研究者のような方々が、これからも日々研究を積み重ねていくからだ。私が研 究者になるとしても、そのころにはまた違った内容が最先端となっているに違いない。 また、いま世界でどんな研究が行われているのかをただ知るだけなら、日本にいてもで きると思う。私の住んでいるつくば市には様々な分野の研究所が集まっていて、親が研究 者だという友達も多い。そうでなくてもインターネットや科学雑誌などで情報を得ること を可能だ。 そういったことを考えると、現在MITやハーバード大学で行われている具体的な研究 内容自体を知ることより(それも大切だが)、現在世界の最前線に立っている人々のプロセス、 思考、背景、能力といったものを彼らが行っている研究を通して感じることが自分のこれ からにつながるだろうと思う。 “現在の最先端”ではなく、もっと普遍的な“最先端”を知 る。最先端に立つ人に実際に会って、話を聞いて、そのプロセス、背景、必要な能力を察 知し、自分自身がそれに近づくための指針とする。それが、今回の見学で私が得たかった ものである。 MITの研究者の話を聞き、研究内容を見せてもらって一番に感じたことは、最先端に 立ち先を切り拓くには、ジェネラルな知識、能力が必要だということだ。今までに人類が 積み上げてきた知恵の上に立つのだから、当然と言えば当然のことかもしれない。だが、 研究のテーマに関する専門的な知識だけで研究できるものではないということを切実に感 じた。テーマ、疑問を解決するための方向性を持ち、仮説を立てる。それを証明する方法 を考える。その実験に必要なツールを考え、必要とあれば実験装置を作る。そして実験を 行う。実際に猿の「アメとムチ」の研究を行っている方は自分で装置を作ったそうだ。生 物系のテーマであっても、物理や数学、そして勿論英語などの知識も必要不可欠と言う。 しかしだからといって、これぞという専門的な分野もなければならないとおっしゃってい た。専門的な、他の人には負けないと自信を持てる分野+総合的な知識が必要不可欠であ るということだ。学校で理系・文系といった枠に捉われずに全部が必要な科目であると認 識して勉強に取り組むことが、一番はじめにできることではないかと思う。 大学見学の合間に昼食会もあり、何人かの学生、研究者の方にMITやハーバード大学 に至る経緯を聞くことができた。臨床医をやめて病気の研究にきた、大学卒業後に一旦社 会人として会社で働いてからビジネススクールに通いに来た、製薬会社に勤めていたが脳 卒中の原因を明らかにしようとアメリカに渡ってきたなど、様々な過程を経てMITやハ ーバード大学に来ているということが分かった。日本での生活を捨ててアメリカにくると いうのは、そう簡単にはできない決断だと思う。そのような大きな決断を促したものは何 だろうか。 どうしてアメリカに来たのか? というのは私にとって最も知りたいことの1つであっ た。話を聞くと、皆が明確な目的を持っていた。何となくアメリカに来た訳ではない。― 脳卒中の薬を作るためにはまず原因を突き止めなければならない。だからアメリカにきて 最前線で研究する。会社に勤めているがもっとビジネスを勉強したい。数あるビジネスス クールの中で、MITが一番自分に適している。だからMITで勉強する。―そのような 明確な目的意識が、話を聞いた人には共通してあった。それも、日本での不自由のないは ずの生活を断念してまでアメリカに向かわせる程の強い目的意識だ。これを成し遂げたい、 という強い想いは、最先端に立って先を切り拓くためには絶対的に必要なものとなる。そ う思った。 果たして自分に、そのような目的意識があるだろうか。考えてみると、将来に対する何 となくのイメージはあるが、人生を変える動機付けになるようなものではないことに気付 いた。将来つきたい職業は決めていない。ただ、外国に行きたいと思っていた。そう思っ ていた背景には、小学生、中学生のころに何度か数週間の短期留学を経験したことにある。 アメリカ、イギリス、オーストラリアの3ヶ国でホームステイを体験したが、英語圏とは いえ全く違う雰囲気を現地の人々の気風に感じた。190以上ある国の中のたった3ヶ国、 しかもその中のほんの一地域を訪れただけでも世界は広い、としみじみ思った。その後、 イギリスで70ヶ国もの子どもたちが集まる中で2週間の寮生活をして、さらにそれを強 く感じ、外国に出ることへの憧れを持つようになった。その時にケンブリッジ大学、オッ クスフォード大学を見学し、大学生になったら外国の大学に留学できたらいいな、と思う ようになった。それが今の自分自身のビジョンの全てである。 それが、大きな変化を受け入れられるような動機付けにならないのはなぜか。 自分の持っているビジョンと、実際に第一線で活躍されている研究者たちとの違いを考 えると、その具体性に差があると思った。皆がただアメリカに憧れて、何となくトップレ ベルのMIT・ハーバード大学に辿り着けたのではない。何を研究したいのか、どんなこ とを学びたいのかというはっきりとしたビジョンがあるのだ。それに比べて私は、外国に 留学して何を学びたいのかもわからない。それでは方向性の定めようもなく、特にMIT などの世界のトップレベルに近づくことなど出来やしない。だから私は、まずは自分のビ ジョンにもっと具体性を持たせることが必要だという結論に達した。私がMIT・ハーバ ード大学を訪れて世界の最先端に必要だと感じたこと、それは、明確で具体的な目的意識 を持つこと、それを実現するための方法を知ることだ。 私が今、うっすらとした興味を抱いている分野は、経済学、脳科学、都市工学である。 分野もばらばらで、今はどれか1つに絞ることはできない。それから、世界中の人々、文 化、社会、常識に触れてみたいとも思う。本当に興味のある分野を見つけ、それを活かし て留学し、世界と関われる職業に就く。その為にまずできることは、勉強をしっかりする こと、日常のあちこちに目を光らせて本当にやりたいことを明確にすることではないか。 私も研究に限定せず、何かで世界の第一線に立てる人間になりたいと思う。一番上にい るのと中腹にいるのでは、見える世界も得ることが出来るものも異なる。MITとハーバ ード大学を訪問して、昼食会での懇談などを通してある分野のトップレベルに触れて、実 際の距離を測って、自分がどうなりたいのか、何をすべきなのかを把握できたのが本当に よかった。 「こんなものを得てきたい」というものを得ることが出来て、本当に実りのある ものとなった。 日本国大使館 日本国大使館では、藤崎大使と直接に対談するという貴重な体験をした。大使からは、 いくつもの興味深い、為になる言葉を聞くことが出来た。 まずは、何を見るのか、ということについてだ。大使は、熱狂的に盛り上がったオバマ 大統領の就任に関して、 「どんなアイディアを持っているのか?」「どんな企みを持ってい るのか」 「オバマ氏の目指す政治は日本にとってはどうなのか?」「果たして発言は実現さ れるのか」といった大切なことを、熱狂に惑わされずにクールな視点で見ることが大切だ とおっしゃっていた。また、生きる上で何を見ていかに目標を設定するかが大切というこ とも伺った。政治においても人生においても、どこに視点を置くのかが非常に重要という ことだと思う。言われてみれば、視点の置き方一つで見える世界は大きく変わるはずだ。 世界をなるべく正確に捉えようとするのなら、色々な立場に視点をおいて考察することは 必要不可欠なことだ。 そして、その言葉から何が良いことで何が悪いことなのか、ということについても考え させられた。ある政策は、立場によって善にも悪にも成り得る場合があるだろう。つまり それは、その政策自体に善悪は存在しないということだ。それが善となるか悪となるかは、 どの視点から見るか? という一点に尽きる。事象に対して様々な見解が存在する中で、 自分は何を善とし、悪とするか。これは本当に難しい問題だ。確固たる信念がなければ、 一貫した善悪の判断を下すことはできない。その為にも様々な考えに触れて、自分なりの、 一貫したぶれない価値観を身に着けたい。 日本の行く末ということについても興味深い言葉がある。「政府はどうしたいのか?」と いう問いに対し、大使は「政府がどうしたいのかではなく国民がどうしたいのかだ」とい う趣旨の言葉を述べられた。私は新聞等に目を通す時、政府の行う政策について「結局何 がしたいのか」という風なことを思っていた。しかし、その言葉で私が何となく抱いてし まっていた政府、政治家への不信感が根本からあるべきではなかったことに気付いた。勿 論不正献金など、信頼するに値しないような政治家が存在するのも事実だ。だが、その他 の面に関して言えば、 「政治は政府がやるもの」という誤った思い込みが政府への不信感に 繋がっていたのだと思う。自分自身に日本をどうしたいか、という意見がない限り、政府 の行う政策はどんなことであっても何をしたいのかがわからないようにしか見えないので はないか。ちょっといいな、と思った政策があったとしても、それはそれでちょっといい な、という感覚で終わってしまうだろう。政策の本質を捉えるには、まず一国民である自 分自身が自分なりの政治観を持つ必要がある。理想を言えば、全国民がしっかりとした国 の理想を持ち、議論し、日本という国をどういった方向に向かわせるかがはっきりとすれ ば、本当に良い政治が行われるに違いない。あと4年で私も参政権を持つこととなる。正 直今までの政府任せの考えでいたら、「どうせ俺の一票なんて・・・」というような政治へ の現代型無関心に陥っていただろう。大使からは他にも拉致問題など具体的な話も色々と 伺ったが、この大使の言葉は、今後の政治観を大きく変える重要な一言だった。 まとめ 私はこの海外研修に、私なりの目的を持って臨んだ。自分自身の進むべき方向性を定め る手助けにするということだ。 中学生のころは、日々の生活に何の迷いもなかった。土浦一高を目指すと、中学に入学 した時から何の疑問も感じずに思っていたし、サッカーがうまくなりたいという強い願い もあった。毎日を過ごす中で、それらの揺るぎない指針があったから、自分が何をすべき か、本当に迷う必要がなく過ごしていた。 しかし高校生になり、その指針が揺らいだ。確かだったのは高校でもサッカーをしたい ということ、留学したいということぐらいで、その留学もどこから手をつけるべきかわか らずにいた。一年間、何をしたらいいのかと考え、考えても結論は出ず、何も行動を起こ せずにいた。何の迷いもなくとにかく行動して生きてきたから、それは本当に無駄な気が した。だが、何をすべきかが分からなかったのだ。とりあえず勉強しとこう、と思わなく もなかったが、自分としては勉強するならするなりの、しないならしないなりの“理由” を手にしたかった。これが、 「方向性を定めよう」と思った理由だ。 そして迎えた海外研修。私は「進むべき方向性」という観点で様々な事柄に接した。M ITでは何を研究しているのかということよりも、どうしてMITで研究するに至ったの か、どのような指針を持ってすればMITのようなトップレベルで研究できるようになる のか。現在の政治について政府は、外交官はどう思っているのかということよりも、私た ちがどう見るべきか。ホームステイやワシントンの自由観光などでアメリカの人々と接す る機会が沢山あったが、どのようなアイデンティティを持っているのか。それは私がこれ から生きてく上で参考にするべきことか。このレポートでは触れなかったが、アメリカに 滞在している間、沢山の温かさ、想いやり、見習うべき積極性などを目の当たりにするこ とができた。それらのことを、単なる思い出、通過点として捉えるのではなく、目的を持 って接したことで今後の人生観、価値観に活きる体験とすることが出来たと思う。 結果として、今何すべきかという方向性、私にとっての勉強する意味、一種の魅力的な 人間性について、確かな感触を得た。 あとは、すべきことをこれから実行できるかどうかの一点にかかっている。この研修で 得たことを確実に自分の糧として、残りの高校生活を送りたい。
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