寧 薬 価 数 と 所 蔵

軋ノい
寧 薬
価
数
と
所
蔵
い一大
一
1−
㌧屋.徳
−、一
−′
城㌧
、ヘ
−.︳
序眈1−寧簗傷敦i八幡大菩薩1−八幡紳の表現様式写しての比丘形.致生の電路1借形八幡の機式
モモの本地俳竜のⅦ係−−宰無情敢モ各日明所−春月明紳の料地併ミ親日具象羅−唯我擁護の紳
諌
明iての春晶現−氏族擁護の紳漂着志設計的乳勅卜新嘗牛雷昇針トト紆計.・
−
早斐偶数と醐紙との関係は舌てして且っ逢い。瞥築朝の盲へ.い庭合那彿建耳の峯あるや∵宇雀
八幡上京して、彿像を挿すj儀があ♭、道鏡事件の動機夜烏しセのも∵宇佐八幡の阿骨威名で薄
寧欒儒教ミ紳蔵
一.
内面的数理の清繹にのみ披るもの、何れも楯の字面であつで、最後の結論
J醐就との根本問題であつて、軽々しく論断するを許さぬひ外面線虫料の検討にのみ頼るもの、
モノろ ひを致す時は、・黒白未だ離れす、鼻償坐に迷ふの風なきを得ぬ。併し夫れ等は骨本に於Ⅵる沸教
ら、行基の伊勢参向は史家の疑問と点るところであるが、之も大傭凝立に
の題目は一應研究上の清算を経けやう
33J
率集彿教寸J紳蔵
二
ぬ。而して、此等ほ謂はゆ一札本地垂迩思想の源流として、重成せらる1もの、具に日本宗教史上
の根本問題といはねばぢらぬ。
草堂偶数と神祇との関係は、八幡大菩薩と春日明鱒竺一つの中心鮎として、限り無き大小の同
心脚を措く。東大、大安、薬師等諸大苛の伽藍所︵鎮守放といふ︶としての八幡宮は、京洛に於け
る石清水と呼應して、国家の宗廟に亜ぐ霊神としでの信仰を集め、終には沸教々囲の一比丘形一で
現するに至上し、謂ほゆる何形八幡の崇敬と周り、全く沸教海中の一泡と化し了つた。凡そ此等
の襲化は平安初期から起って、中期に形を成し、末期に成熟して、鎌倉初期に及んで、爛熟の頂
鮎に達する。薬師寺八幡宮の、東大寺劾畢院の、現に存する諸像は夫れ等思想上の遺されたる千
古の断碑でぁる。
前述景軍一年春日野に垂述したる明細は、藤原氏との関係に於いて、組前の位置を占めてから、
一族の崇敬を集め、同じ藤原氏の氏寺たる輿頑寺との圃係は、其の濡と点るところの法相宗との
聯絡を生じて、唯識擁護の紳明と化し、夫れ等の信仰の結晶は密教の熔盤に入って、春日点茶羅
と焉って現はれ、説話のいろ′1は集大成せられて、春日権現境記の中に描き出され、慈息骨の
法苑に臨みては、夢見の式と焉りて、探題に諭義の題目を冥授し、唯義弘通の誓願念珠くして、
春日地獄の信仰を生じ、租紳の意志を極度に神童化するに及びて、藤原氏に対する放氏︵氏族権
ょぎβ
拒否︶、療氏︵氏族擢復待︶の絶対擢と点り、博徒の兵囲に利用せられて、愈暴力の合法化、紳翌化
と点って、中世の貴族政令を震骸せしめたのであ一¢。
凡そ此れ等の紳就に対する信仰が、租先崇拝や多前党井の素撲的民族信仰から、漸次に蓉展、
ユ一一ヴ丁−サル
醇化して、合法化、普遍化せられた、篠路を考察すも時は、常に贋大無連なる沸教々理の背景を
ローカル
−
主とし七平安朝井に鎌倉時代−−−に
珠想する。凡そ此等の限地的なものが、一般化するプロセスを追求することは、沸教史の研究と
して、相皆の興味に僧すると信する。偽て、此に中世紀
草奨沸教と八幡大菩薩
於ける寧欒係数と醐舐との関係を大観しでみようと思ふ。
〓
草葉悌数と八幡大菩薩との関係は、東大寺度合邦傭建立の暗から始る。天牢勝者元年、宇佐八
幡託宣して、天神地祇を率ゐて、必や大沸騰造の勅願を成就せんと告げ、大和へ上らせらるる事と
為り、十二月十八日、八幡入京、梨原宮に新廟を蕾みて神宮とし、借四十日を請じて、七日間偉
過曾を行ひ、二十七日大神東大寺に詣で、孝謙天皇を始め、垂武上皇、光明太后行幸し給ひ、百
官悉く集り、借五千を請じて鹿彿讃経せしめ、大所に位一品、此嘩前に二品を奉らしめ給ふた。
而して、八幡大軸は正しくは彦火々出見食と其の妃豊玉姫であるといふ説があるが、我が信仰上
三
の紳武としては、仮令俗詮であらうとも、人皇十六代理田︵鵬︶天皇であるとする事、請書の通読
学業係数豆論議
3お
寧欒悌敦ミ所蔵
である。例へば東大寺要銀の紳赴の健軸院にも左の如く見えて居.るっ
一入幡宮硝謡雛肇顎穏諒斯怒−共
︵▼
,︶
八幡大細評−東大寺首官諸氏等鹿骨、作三種々腰︼誉・
次に大安寺の行数が争佐八幡を石清水に勧請する事が起った。これは平安朝に入ウてからの事
である。即ち貞軌二年の勅許であるといふ。三代斉藤、貞貌十八年人月十三日の太政官符に∵∴
石清水八幡護国寺中腰価、故侍燈大法師位行数、童貞軌二年草査画家︰新王誇大菩翠声夢此間り撃
帝準章佐宮戎夢紳ま︰郎以一夜入位下紀朝臣御−空夢之。
而して、葵師寺が八幡宮を以て鎮守とした由凍は、八幡大前が宇佐から京都へ向はせらるゝ時、
薬師寺の岡に休まれたから、寛平年中、薬師寺の別曹桑紹が件の何に勧請して鏡守としセ↑いふ
ユヲ虞
盛引口除云、勝算元年八幡大所詫草野京、十二月丁亥天皇皇后粕率行幸蕗俳、誇豆千借︼□彿、是日
守︰事一銭一大彿︼之妙工御座耳。
皇榊時也、愛天平廿各垂武天皇奉襲東大寺大彿一之喝以一恵兵衛督藤原朝臣−芦使奉勧請義諒鏡
八幡磨也、我名日三護国婁壊威力前週大自在王菩薩≡国々所々事跡於圃準是初顕御座是即欽明天
野新言臭、牧神者我前可一喝即現三三歳小見︰立一語葉︼託宣云、我是日本人皇第十六代巷阻天皇廣幡
筑紫豊前国字佐郡牒峯菱海地之間有一一鍛治夢甚奇異也、囚乏大所此義絶撃二年籠居椅準郎捧一触
四
辛が、業師寺八件宮繰為に見えて居る。
大菩薩老人王三十代欽明天皇和事、始巌三豊前国字佐郡両夢王城鎮準夢向行数和解之秋雨自−学
仲赴者在一東塔之北東親通之記云、大菩薩廟稔有高南二方円月り行数和何
と見ゆる。以上の記螢に依りて観察すれば、事業沸教の中豊を焉す七大寺の中、三大寺
日夢山崎離宮り是後移一︼男山−御座云々、
安寺︼也右満水男山藩宮着後也云々、秀衡二年大菩薩自替佐宮−移一夫安寺如座、貞軌九年八月廿二
八幡杜
と紀載してある。而して、大安寺も亦八幡宮を以て鎮守と点る。同記、大安寺の備に、
仲人幡者自二宇佐−影向.自臨席女大安寺に飛給云々、
八幡宮
南都七大寺巡虐記、襲師寺の備に、
軍事象敬祓乏曹寺別曹農紹大法師、寛平年中重勘一轟大菩薩於此間奉加盲寺鎮守−云々。
位一狭臨時、於一︼此何重休息之儀︼給、可動、此所者冥尭影向之垂跡、東非丸夫領
∂∂β
幡大菩薩を以て鎮守と焉るのである。而して其の勧請の年代は貰に左の如くである。
一束大寺 天平勝吉元年十二月
事業儒教さ醐癒
五
学業俳敦ミ紳献
一大安寺 脊衡二年
八幡紳の表現様式としての比丘形寮生の径路
〓石清水 貞粗二年︺
一発師寺 寛平年中
三
八幡大紳の表現様式の一種に、比丘形の神像がある。今此の凄式寮生のブアセスに就いで考察
してみょう。
凡そ紳舐に菩薩戟を授け奉ったことは、卒安初期に起った現象で、諸前の中、八幡大軸の菩薩
我は最も早き時代に現はれ、且つ最も著名なる事件の一である。即ち延暦十七年十二月廿一日の
官符に
0〇
太政官符 太宰府
一歩論一入棒大菩薩封β一千四有戸、位田首四十町︰
00
といひ、又大同三年七月十六日の官符に、
太政官符
應,令ヨ国司−出●納入棒大菩薩宮雑物上事
と見え、弘仁十二年八月十五日の官符に、同六年十二月十日の解を引いて
3ββ
○⊂
〇〇
初、八幡大神に寺坂を上りて、護同室瞼威力紳過大菩薩といつた事、井に延暦二年五月四日の詫
宣に、大自在王菩薩と耕すべく、又加乾して、護国霊験威力紳過大自在王菩薩と耕すべしとある
と述べて居る。斯様な次第であるから、八幡大紳が八幡大菩薩と耕せられた事は延暦、弘仁時代
からの事で、大憶は、卒安初期に始って居るといつても美文へはない。
さて斯様に八幡大紳が自ら詫宣して、菩薩境又は大菩薩境を挿すべしとされる事は何を意味す
るか。之れ即ら紳舐た一〇大柄が係数々閣に入♭乗らて、菩薩位を以て自任される事を示すもので
彿数臨依彼のー﹂で表現する様式が即ち比丘形を属す神像である。世に謂はゆる
ある。即ち彿に亜ぐ兜位一で有せらる∼謬である。
八略大柳 −
借形八幡即ちこれ。倍形八幡とは詳にいへば、法衣を若し、茸珠︵又は念珠︶と傷杖一ぜ持ち、剃髪
の相一竺満了紳俊一ぜいふ。斯る様式の神像は敢て峯契偶数の範国内でのみ行はれたのでなくして、
廣く一般沸教界に於いても行はれて居る。詳にいへば、卒安沸教の一たろ東宏の信仰上から鳥、
一
倍形八幡が同一の様式を以て衣現されて一でる。されば、伶形八幡は草葉沸教の特殊表現法ではな
いが、此には成るべくその範囲内に於いて論じてみたいと思ふ。
八幡大菩薩を借形哲以て襲現了る様式、即ち何形八幡はいつ頃から起つ
る史料の徹す可きものに乏しいが、情誼に依れば、弘法大師垂潅が既に斯る様式に依って、人件
事斐沸教ヾ.−紳蔵
七
武野
寧簗俳致豆醐森
八
000000
大昔薩を描いたといはれて居る。而して、鎌倉初期に、その菩薩像が鳥羽の勝光明院の賢裁に在
ったといふ事が仁和寺文書井に紳護寺文書に確定がある。左に之れを引用しょぅ。
人件御影事
帝農村部記云.建久六年六月六日、予寧御室御使︼参手菩提院−申云、八幡検校奏就云、弘法大師御輿
0000000000
郵㌫知新酢帥賢二蒜か卯掛掛野欲襲車重掌曹栗撃芳ぬ器︶同入日卓夢御使向ニ
︵忘寺文書
御終戎衷レ諦こ於件御影︻拝見之嘩三翰赤地鶴嘩御鉢♪老比丘形薯a柄衣︰時赤蓮花有三赤口兎上布一−
日輪左手野水精念珠岩手空ハ翰錫杖宕方上有色耗形義軍
之れに依れば、弘法大師撃と解する八幡大菩薩の表現様式は、老借の相を点し、禍衣を著し、左
手に水桶の念珠を持ち、右手に六斡の傍杖を持っといふのであるから、純然たる比丘形であつて、
正しく謂はゆる付形八幡と同一模式である。次に醐護寺文書には左の如く見えて居る。
大師御在世之時、所奉襲直曹声㌫知熟覧紗雛鳥霞御時、高雄顛倒之間、寛塵南開梨
と申候もの、伸御影をとト;まいらせ侯て、鳥羽院にまいらせて候を、印章蕨に破一声帝納−候了.
とある文魔の滑息では、弘法大師筆の八幡御影があつたといふだけで、其の様式は一向分らぬが、
右滑息のつゞきの文に、石清水人件宮の別嘗成清が競望して、石清水に安置せんと請うた事を記
して、
3ガ
而昔時八幡別曹成清可鼓泰垂直石清水l之由申上云々、此備以外僻事也.大菩薩のおはしめすら
む御心をもし♭候はす、凡夫の如レ此薪儀を支度仕候嘩不曹事候也。︵耶︶
とある一便を、前の仁和寺文書の
.
丘形と明記はないが︶承中頃に既に斯る侍詭があつたといはねばならぬ。
とあつて、左の如く記して居るが、承中質強帳と.いふものが倍すべきものであるならば、︵最も比
八幡大菩薩竺鋪軍師貼附昭
寺規模殊勝之傭といふものに、
たるや否やに就いては、更に確賓なる文献の保澄を要する謬であるが■、醐護寺文書の高雄山醐護
したことは確かな事育として、寸竜の疑ひを容れぎるところとせねばならぬ。唯その弘法大師筆
が分るであらミノ。果して然らば、此の爾文書のいふが如き八幡御影が鎌倉初期の建久年中に存在
とある一億と対照すると、右の雨文書の記載する弘法大師筆の八幡御影は同一のものでぁること
々、
八陣槍横奏歩雪弘法大師御具筆八幡大菩薩御影在手勝光明院貢裁或参事重安手管赴外蓼云
3∂9
承中質坂根云、八棒大菩薩像一舗云々、軌僻鍔駄摘短靴鯛融艶“鞘右記云、此妙音寺中絶之時、
安直鹿光明院箕裁南嘉元年中如恕破泰返三人本寺云々。
事案儒敦i融廠
九
●
寧集沸教ミ紳舐
一〇
補って、滑形人件の邁像に就いて考察すると、・奈良方面に於いては、有名ハ仏るものが二つある。
一は斐師寺八幡宮の神像で、他は東大寺人件宮の紳憶であ丁り、殿俳毀藤の結果、今同寺勧畢院に
安置するところの滑形である。
なかりひわ
薬師寺八幡宮の神像は、紳功皇后の御像、仲比真の御像と共に、三健一具のもので、三健倶に
現存し、其の製作の時代も同時であらうと耕せらる。剃髪して法衣を着けた像で、茸珠と傍杖は
今之れを見ることを得ぬが、恐らくはもとはあつたであらうと思はる∼。他の二像が服飾上よ♭
非常に尊重さるると等しく、此の八幡神像は紳彿習合上、最も尊重すべき温品である。
右の三像は何れも晃年、延喜頃の作であらうといム事は、串師奇人陣宮勧請の史賓と、紳功皇
后井に仲此真の服装が、常時の女官の服装と一致して居る事に依って静明される。襲師寺八陣宮
の勧請は確賓なる記叙を欠くので、甚だ正確を期し難いが、前に引いた染師寺八幡宮操起に依♭
て、寛平年中であらうと思はれる。ヌ斐師寺縁起にも、左の如く、貞貌、晃年年中と見えて居る
から、寛平年中として置いても、大過はあるまい。
鎮守八幡宮之赴者、苦行致和餌、山城国男山勘諦之後天和国大安寺破r移時、村岡紳輿奉レ休故、名一体
足岡要所立一細岡奉御、其後舶欄年中、昔時別嘗粂超律師.重而徒−東山︼勅諭大菩薩於此岡盲寺鎮
守奉′仰、一億院細字二檀倍於一入譲宮謹一一法導入議席l虜三永式へチ今修行。
きI¢
●
又、薬師寺文書の中に
鎮守人件宮三赴
同 席
楼 門
字多天皇寛卒入年御建立、享線天正之兵乱に放壊仕候得共、加−藤理一候。
専業儒教ミ醐蔵
00∞執筆任阿漕陀彿克宗
造傲銘の全文を出さう。︵競争ほ○わ似て示†︶。
るから、醐俳習合思想上の産物としては、却って薬師寺の八幡像に及ば
て、極めて重要な遺品であるが、之れは既に斯る楼式の十分に完成し、爛熟した鎌倉初期に属す
次に東大寺八幡宮の紳像は、造像弼もあら、文献もあ♭、其の製作年代を明かにする粘から見
形の様式・ピ採用して居る事は、.注目に伍する事象である。
其の中の一たる何形八幡像も寛平頃の作とすべきであつて、既に此頃八特大菩薩が純然たる比丘
中といところが先づ邁曹な年代かと思はる1。而して、右の三神像を創建昔時のものと観れば、
○ してそのいふ如く寛平入年であつたかは、更に傍詮を要するものと思ふ。何れにしても、寛率年
といふのがあつて、明に寛平如年建立と点なつて居るが、これは頗る後世のものであ宣から、果
訊侵
寧欒儒教ミ紳菰
東大寺人件宮安直之窪仁元年十二月廿七日御開眼.
今上、太上天皇、七億女院、八億女院、御室守畳.長最衰遍、辞遍、永遠垂玄、丁阿蒲陀俳、
過去、後白河院、快畳、快宴庚俊、良呵性阿蒲陀俳、
東大寺別菅井瞭、珍軍快専感庖痙宴虐魔、行最、迎軍迎慶、迎印度阿滞陀彿虚嘩
車道畢施ま巧匠○阿爾陀彿快慶、小彿師快食虚撃良情虚蓮東軍専慶虔快感考宗呵慶長、鼻
允.
就女徳秋、
藤原俊重、
大倉
典故、法印澄憲、
伊具局、鼻乗、
親蓮、建明、敦佐、因挿局.
稀少伊都願鱒秀嘩
最、隆呵苛良禽、倍慶、勝盛、良智宥専有琶快蕗、愛嬢、慶寛、貰巌・運慶右序、卸長、宗邁
中臣友永、藤井米良友網、銅細工兼基、
○ 比丘尼顔阿漕陀傭、法印成軍
諏ほ
軌世昔菩薩
皐帝.世書我、
次郎三郎、友用、
源吾小次郎、高倉、
牛.千鳥.菊、牛母、
手玉九、良貴、亀王九、
付行呵同父母高階氏、憲方、
比丘尼妙連、橘重永、源行水、平氏、
同氏、同氏、源締師九、千頑、俊竃、
諦受由周局、高橋女、
克革宗志.勝五感宥、
儀海、俊丘、即邁、鼻筋、
高倉.
若俊.
鼻阿蒲陀俄∵願園地功徳、
中嶋靡敢モ鋼廠
封3
雷た●■享蝉豪
壷阿爾佗彿.草屋於〓甥
定阿#陀俄、我等兵衆生,
行阿爾陀沸、骨共成彿遭、
拳阿漕陀彿、法界衆生平等利益、
異阿爾陀倣∵衆生無速誓願度.
法門無連誓厭知、
源氏.額備無遽誓願断、
源氏、
仮定俊、加水無遽誓麻尭.
無上菩提誓願詮、
願我臨欲命終時、並除一切諸障持,
面見彼彿阿漕陀、郎待往生安楽園−
南無仁王妙貞.孝道中搭局、
文殊師利菩薩、
○ 比丘尼蓮西、
妙法蓮華経、
3〟
垂阿藤陀彿、
明逼、
過去剋師、
○ 敏魔.
明恵.
定昭貴赫父母、
同祖父祖母同養母、
発縁組父祖廊藤原女、
珍阿爾陀彿慶発、三保、
宗全慶寛練輩大夫殿、
付慶風漁民女、
?∞○過去乳母I
O比丘尼蓮妙.
〇 彿頂奇勝陀、
寧築併故モ紳姦
班
寧欒彿敦ま紳廣
○厚庖.
〇阿珊陀傭、
○琴琴
賓深、
即ち此の偉は建仁元年十二月二十七日に、開眼供養を行ふたものであるが、道立の根源は去る
治承の兵火に神殿炎上したので、再建を企て、新政上棟したかに依わ、建久八年八月十七日、東
大寺帰郷尊重陣して、膀光明院安東の大菩薩像の下賜を請うたが、石清水八幡宮の兢望あり、又
偶文塵醐護寺を再具し、右の御像を請ふ事頻であつたので、朝議一決せす、終に神護寺に下附せ
:らる∼事となつたので、東大寺の大勧進俊乗房重源憤りて、法妹の御像を新造したのが、新像で
ある。而して、神像は極彩色を施した木彫で、極彩色の二邁喜連非を有する茎庫の上に坐し、国
光を負ひ、木蘭染の法衣に、遠山の袈裟を纏ひ1右手に儲放一ぎ恭し、左手を膝上に安んじて居る。
倍形八幡の楼式とその本地彿との関係
恐らくはもと、賓珠を持って居たが、今は失はれて居るのであらう。これ正しく付形八幡の典型
的な様式である。
四
右に解説した業師寺八幡宮の神髄にせよ、東大寺八幡宮の神像にせよ。正しく剃髪染衣の像で
謝
あつて、加水像でも無く、普通の大乗菩薩の像でも無く、全く比丘形である。凡そ八件の本地は
阿摘陀俄と翁る事が通説であつで、阿甜陀彿の令像に斯くの如き比丘形のある可き告が無い。若
し又八幡紳が八略大昔醗とか、大自在王菩躍とか、護国萎陰威力紳過大自在菩薩とかいムやうに、
器経であるならば、普通の大桑菩薩に斯様な表現様式一軍対する像は勲い。果して然らば、八幡紳
と比丘形と本地俳との間の聯絡はどうなるであらうか。世人は唯漫然と紳兢にして既に沸教へ臨
供したから、付形であるのが普然だと考へで居るやうである。此に於いて、八幡紳の本地俄に就
いて、一應の考察を施し、本地彿と比丘形との連鎖に就いて研究を試みんと欲する。
.八幡の本地身に就いては、東大寺入時椴記などを始め、阿痛陀と照ることに於いて、殆んと一
か,
致して居る。これは八幡の紳格一ぜ高潮して、蒲陀大悲の慈光と同格化したもので、別に歴史的に
不可分の連傲一で理由づける文献はないやうでぁる。阿漕陀彿が本邦に垂逃して、八幡と様に現じ
たといふ考へである。即ち傭の騒化無力の一束現と考ふペきである。
八幡の本地が阿浦陀彿であるといふ侍説は、大安寺の行数が石汚水に宇佐八桔を勤諭した時に
乎欒儒教ミ所蔵
り轍詮を基礎として、入陪前の本地身が決定されて居るtしいふ串は否定出水ない。即ち此の侍訣
侍へられて居る。此の樽詑に幾何の膵賓性があるかは疑問の弄するJころであるが、併し後世此
始る♪即ちその時行数の袈裟に、調陀三尊が映ったといふので、行数は夫れを焉して上洛したと
プ
347
事業併敢ミ請鹿
一八
の成立が行教を釦ること近ぐないとしても、卒壕の一中糞以後からは寄与斯る樽説を信如化
るので、前記業師帝人幡宮の神像と封照する時は、斬る侍説の構成は世の早老の・想像する
頗㌃早い時代にあつたと考へざるを待ぬ。而して、襲師寺八幡の紳像はどうしても、本地身
て蒲陀を珠想したものとせぢければづ品ので、具には寛平前後には、八幡の本地身は珊陀打
といふ侍詭なり、信仰打了りが既に構成され、成立して居たと考へねばならぬ。その後、此
は愈確立して、鹿く流布したのである。たとへば、朝野群載諸の文に、八幡の事を記して、
稀二之三所毒苧基内琴普現二於行数和尚衣上亦壷非学、革帯陀三尊之像へ
といひ、槙本朝往生侍躯綾に、
生身之彿即是八幡大菩薩也東夷本撃則西方無且量和知凍也。
といふ一節がある。これは率安も未に及んだ堀河天皇剛彼の思想でぁつて、その普及を諾す
個の文献である。
次ほ鎌倉時代であるが、前に造像銘の全文を出した東大寺八括宮の神像を信仰的方面から
すると、銘文の中には四弘雪原があり、嘗貿行願品の偽があ云∴妙法蓮華軽の経過がふ㍗り
奇勝陀羅月があら、観世音の賓渋があら、文殊師利の名我がふ∵り、信仰に於いて決して純
く、雑然として、蓉廟者、随喜の知識たちの信仰を不統一に表現して居ると考ふべゝ﹂モあ
3i8
唯一つ本地身の阿爾陀彿でぁるといふ鮎から記入されたのでぁらうと考へらる∼のは、左の一個
である。
#我臨欲.命終時、蓋除一切諸捧持、面見談俄阿漕鱒帥待徒生糞婆固、
即得レ徒重安薬剤l我既徒こ生彼観
智力虜大偏二十
− 清
我時
於三勝蓮華
利一東一切衆生界一彼併売合成
浄
違除−二切諸障碍一面見一致傭阿蒲陀l
こは尊貴行頗品許の中、普賢菩薩重頚中の四句である。
願我榛下欲二命鱒時▲
已 現前成二就此大願一一切脱漏韮来臨
化身無数宵倶肌
速征夷畳光備利一
坐 親祝義務無量光一現前野我菩薩凍−夢彼如恋授記一已
才 普利一二切衆蕉旦那︶普靡沈溺諸衆生
攣欒彿政き榊姦
然らば、付形八幡は本地阿調陀悌を表現するものと眉往ければならぬ。然るに、その形像ほ
八幡の本地身を蒲陀と為ろ事は平安中葉から起って、鎌倉初期には既に臥熟して居る。果し
し之れを本地身を那陀と観る考へから導かれたとするも、決して無希の臆淵ではない。
に草炭を以て中心と頗る餓刹であるから、その関係から此の重頒の四句が書かれて通らう︰
品内明往生義を元て∼、西方往生を述べて居ろ。八幡宮の紳像とはいへ、鎌倉時代の春大寺は既
を説き、西方往生を勧説し、畢厳の列租亦蒲陀念彿を説き、就中智僚は孔日章鴨に於いて、
凡そ、華族摩には、六十、八十の南澤に両方往生の明文は無いが、四十に始めて普賢の十大
3メタ
寧欒儒教ご鋼紙
二〇
しても内に菩薩の行を泌し、外に比丘の相を現じ、左手に賓珠を拝し、右手に傷杖を執♭、千
の青蓮華に安住する訪露鮒町地裁菩薩としか考へられぬ。地寂菩薩は、地裁本属経、地東十玲
軽、占察経を根本として、廉く支那、日本の民間信仰の標的と男ら、殊に我が鎌倉及び足利時
に施術した信仰であり、締陀又は滞勒の浄土に衆生を導引し、自らも弼陀の化身と群やらるゝ
未だ八幡大菩薩との直接交渉ある事を由かぬ。之を寧奨沸教の上から観ても、法相宗と幾分の
係ありとするも、そは単なる数理上の交渉か、後に説くやうに、春日赴り夢二殿即ち天見屋根
の本地としての信仰であつて、八幡大菩薩との関係に於いての信仰のあつ
於ける文献の欲すべき造像の上から粗餐するに、舌代の作としては、天卒十九年l一月十五日始作、
光明皇后御願の地裁菩薩の立像高二尺∵姫が凍大寺の講堂にあ♭、舶猷折軸賓撃壷三月廿二日
立の輿頑寺東院の地蕨堂に、本尊として地就像がぁつたといひ、諾鮎組其の他、法隆寺の二階
金堂に地衆像があつたといひ、調川凱軌又唐招提寺に於ける如繋が地威等を安濃した倦設があ
招学者記、此れ等は毛も八幡との関係の徹す可きものが無いのである。陥って本地身阿紺陀と
関係から演繹すべく、何等の端鮨を費見せぬ。故に比丘形八挿の地先約束現の根披は、密教に
謝
けろ浦陀地蕨一鰹詑に求むるの外はなからう。寧実に於いては、輿両寺南風堂の本尊不審轟索
滋上彿︵茸冠の︶は化阿対偶でぁる可きに、地裁でぁるといふH侮が今¢。而して此の本尊は弘法
大師峯海の作であるとされる。右口侍の一例を怒ぐれば、南都七大寺巡祓記の高庇堂の備にも、
左の如く見えて居る。
本尊等弘法大師作也、口侍云.最上俳両者地裁菩薩也云々。
事聖像数と春日明神
此の鮎に就いては、何後日の研究を期㌻る。
王
事業俳秋ミ醐癒
−
としての信仰
として第三殿の天免屋根命に集中される軌がある。而して此の紳舐は帥ち藤城氏の租紳であつ
らね。随って、春日明細又は春日標現の信仰史上に於ける醐格の費達は、攣王墓の紳の中、主
を根本税金として結ばれたものでJのるから、研究の第一義を飽くまで此の根本観念に置かねばな
然るに、旛日印紳と箪奨彿放との関係は、始めより藤原氏の租紳−釦ち氏痢
多大の費展を観たが、それ等は峯軍備敦とは直接の関係が無いから、一切考察の範囲外に置いた。
八幡大菩薩の信仰も、民族的には源氏の氏神と承り、国家的には護国の賞牌と番わ′、院政以凍
宮の五檻の紳の一紙稀である。
槌命︵lノ宮、鹿島︶醇ま命︵二ノ宮、香取︶天見屋根命︵三ノ宮、中岡︶姫神︵四ノ宮、伊勢︶及び若
に進んで、他の一面たる春日明神との関係を大観しょうと欲する。謂はゆる春日明神とは、武彗
単葉儒教と紳舐との関係の一両を代表する八幡大菩薩に就いて、一應の考察を終へたので、更
3βl
書ミ暮虞
二二
て、其の木嶋身は地蔵菩薩盲考へられる。故に亜紳の信仰の蜃達は、他面本地身点る地戎菩薩の
怯仰の典蓮井に洗布であつで、その六道輪廻の苦患壱代受するの悪意は春日地獄の侍設を生じ、
解股上人に顕現しては、東大寺知足院の本尊と焉ト、多くの説話を遺すに至った。又藤原氏の氏
人に対する氏族の紳彗を♯課す阜組祀としての意志を一定の形式を以て費表する事と眉っては、
放氏、癖氏の如き敢曾的制扱と卒りて現はれ、一種の神様政治を打立て∼、氏人に封し、現嘗井
に彼岸の世界に於ける生殺輿恕のカを奮ふに至ったが、その紳舐的意志を裏書し、構成づけたも
のは、全く●数倍仰に依って、搭げられ、深められた軋先崇拝の原始的信仰で今¢。斯様に考へ
♯れば、春日明♯の信仰は理論的にも、社曾的にも、八幡大菩薩に比して、頗る深刻味を帯ぶる
ものとせねばならぬ。随って、沖格の内容も亦複雑であアり、廣汎でJのる。
藤原氏の親紳−氏紳−といふ観念は、直に藤原氏の宗教−氏寺−と簡閲して、此に第
二の意義を生やる。即ち藤原氏の氏族としての前垂を擬護する神明は、又やがて藤原氏の奉する
宗教の神聖を擁護する。詳にいへば、法相宗!唯苧−の弘通を助け、その樺威を擁護する甜
舐として現はるゝに至る。此の意味に於いて、輿頑寺に於けるあらゆる法令の細分ほ明紳の法斐
の虐めであ丁り、あらゆる善根はその威光倍埠の勝業でめる。維摩骨も、慈恩含も、経論の書寄も
開披も皆之れに外ならぬ。陥って、期る法曹には明細の影向を仰ぐを以て根本條件とし、藤氏の
3う2
公卿に非れば、南風堂の坂上に昇ラJとをさへ許されざるに守った。普遍的であろべ.き儒教の氏
寧襲彿軟↓−紳戒
の月の光をやはらげて、劫濁見濁の尾にまじほり、暗きよト暗きにいる雅をすくひ給、大
ろゝ者、今世後世の利琴でうしなはん事を憐みて、粍林の煙のうちにかくれ給しかども、
事の心を菓す乙に、粁令の一代寸でに寸ぎて、慈氏の三食また造なれば、前傾後彿の中間に
ば、時末代に属し入試曲なるによらて不信の衆生のために掲焉の化犠一㌢ポし給な一〇ペし。熟l
議どもいまだ見も聞も及ばす、まことにこれ勤松は霜の後に顕れ、忠臣は岡の允きに見る串
凡我朝は紳圃として宍廟敢穫三千徐座、各記現まち′−に利益とトてハ11なれども、かゝる不思
を考察するに先ち、右歯記の一節を引かう。これやがて、春日倍仰の序論でかり、又結論で
せられて、鎌倉時代に入り、番目権現歯記と満って、その新高潮に乱した。今それ守一々の
密教の熔墟に入上し、諸塞法式の表現む得て、此に春日蟄蒜重要音促し、幾多の窒壌は結集
春日五細殿に本融さる∼五桂の神祇は又本地垂迩の潮流に乗じて、本地身の確立と焉り、そが
あらう。
ろがみったかも知れぬが、直接の原因は春日明神と輿頑寺とが全く藤原氏の覇占に錆した食
之れ或は支那に於ける儒教思想の祭祀軌念−紳は典族の祭祀を受けぬーー一に影響せらろゝとこ
族化は、唯識擁護の紳明が或る一定の氏族の租紳たるに依って、斯る奇現象をも呈す一¢に
3且フ
夢襲沸教ミ紳蔽
二は
況き御志おもへば泥もとゞまらす、さルば現世の官線を授け給も、更に一旦の名利のためには
あらす、和光同塵は結線の始なれば、この一緒を結び一ぜきて、入相成道利物の終、つゐに菩提
に到らしめんと也、これすへuはち戊事智の所現は専建類授に封すれば、嬉しきかなや、なかな
か流輯の凡夫として、いま或現砕身の化導にあへることを、随心浮虜軸士朗なれば我耕すでに
諸俳也、放壇あに浄土にあらすや、然れば浄瑠璃整髪山やがて瑞籠の中にあら、禰陀落清涼山
なんぞ雲海の外にもとめむ、明恵上人の婁山と拝み、佗成卿に菩提の道と示したまひし此こと
はト石?りけん、又罪業もし重くして.田臭しからしむるものは内語法牲の土、渾稼をわかぬは
大明紳の本地法身の化用として童現したまふ地獄のなかにおちて、終に出離の繰たるペし、苛
脚付椰人につきて申ける、きJとぢるにや、すべて随類應現の引接戴思なれば、六趣四生にか
くるとも、一たび繰を結び奉りなば、食耐の引導にもるべからす、かの密教の心、地獄鬼畜生
春日明細の本地彿と春日塵茶産
も亜陀羅の空衆とならへろもよくく思あはすべきことなゎ。
大
先づ春日明細の本地彿一で考ふるに留り、上代に於いて、藤原氏がその氏紳、氏寺に就いて、氏
族の繁柴を新鹿しだ例を考ふるに、虫も有名な歴史上の串貨は興福寺に南聞宰ぞ建立した事であ
ら,フ0
盈54
南朝堂は弘仁四年、藤原冬嗣が先考内麿の遺願を果さんが焉に、春海と困らて道立するところ 蹄
で、藤氏の繁桑ノぎ新顔する虐め、本尊不審弟索を安置し、豊前に落花を柾ゑたので名高い。本尊
に此の軌音を選んだのは、東大寺の三月堂に同じ観音を安定する外、天平以後、卒安初期に甘け、
此の奪の信仰の盛んなるにも因るであらうが、叉此の奇の博士たる禰陀落に藤花の吹くといふ経
の本文に因んだものでめらう。即ち不審崩索醐鼻眞言経︵暦菩提流支評︶の出世解詭壇像品第二十
六に左の如く見えて居る。
世奇是不思議観陀羅局眞言出世解説鼻肇羅像−自蛙布絹推薦四肘.或贋六肘入射十二肘.白月十五
是首里、計量皆野野草寵應香水輿論呑膠東色豊、︵卯︶中華敵陣幣束山胱像姦悪
0000
王揖車九牟戒関連華.其夢山草何大卒正、山上章諸君樹華樹藤枝聾稟.山下大海種々魚戟、其草一
心萄上︰章東宮殿櫻開発樹感中蓮華師子安座︰座上不重箱索観世音菩薩彗二面内管.著夷衣服傍釧
珠理胱夫梵天面有三三旦首戴衰定義有一社健二手把蓮華リー手把三三叉戟︰一手寧頑軍一手施無
長、結伽灰坐。
此の本尊は鹿皮の衣を暮するといはれるが、虚皮の事も同経三三昧耶像品第九に典披がある。
︵聖又義治国藤不嘉索驚喜薩面目雷、首戴衰琴驚l祉彿︰一ヰ執蓮華言蒜義勇
000〇
一手執三三叉戟二手換ゾ掌、結助挟坐、天諸衣服珠理法釧向荘ヱ最之り裁量鹿皮衣︰
寧欒傷政吏紳癒
事業沸教ミ神威
二六
此の垣菅は藤氏一族の非常な信仰を集め、盤上に昇る事は藤氏公卿の覇権とされた位で、冬嗣の
藤原氏女高子
孫なる二僕の后高子の謹哀しで奉納した不重用索醐兎心経は今に存しで、舵鋼船
元慶五年五月七日父母式忌夫名著投書駕巳
の験語を有する。斯ろ信仰は後世春日の一ノ宮たる武饗槌命の本地を不室忍索とするに臭ってカ
があつたであらうと思ふ。
︵
さて春日五所の明科の本地身に就いては、諸説区々として一定せ氾が、今まなる設を奉げて、
其の異同を考へようと思ふ。
ヽ−一一■
一天慶三年に、中臣蓮信清の記したと侍ふるものを、秀行三十代姦夫東延長の倭補したものに、
左の如く述べてあ㌃。
御本家地承
一宮、御本地不容属索或滞迦加水云々、
俗形老健六十許、御冠ノヲヲカケ、綴ナシ、多弁クマフ、⋮⋮:
二宮、御本地斐師如凍或爾勒云々、
俗形老偉六十許、ヒケナシ、ツル∵、、ノ褐存知盲ラクナ子・⋮:
三宮.御本地地裁菩薩、
ユガ
借形御服柄裟袈草鞋、
四宮、伊勢大紳御本地大日加水、
或十一両観音形如一書舜天︰
′l■lヽ
コ承安五年三月一日、執行正預若宮醐ま中臣法廷連、醐重大中臣朝臣時盛の両人が院宣に依りて
一宮 鹿島武富紳
薬師加水
不審腐索観音
注進したものに、春日大明醐御地本地事と潔して、左の如く記して居る。
二宮 香取藩主紳
地裁菩薩
十一面観音
.一三宮 中岡天見屋根命
四宮 含殿姫神
文殊師利菩薩
だ藤原泉質が其の日藤、玉真の建久五年七月八日の債に、年来造駁し奉る所の春日五所の本地
若宮
︶
鹿島
を左の如く記して屠る。
第一不審屈索
第二 簗師
第三 地蕨
寧兼併敢ミ剛蔵
お7
伊勢内宮
寧票彿放ぎ紳威
第四 十一面
若宮
四永亡二年に注した春日赴私記に﹁御本地の事と題して、五節明神以下の本地を左の如く記し
第五 十一面
︶
て居る。而して五所の本地は承安五年の比、院宣に依♭、正預中臣延邁、神主大中臣時盛等連署
の注進状に徒ひ、労異論を星ぐるといつて居る。
西宮相殿姫紳
三宮 中岡大明神
二宮 香取大明神
一宮 鹿島大明耕
或詮十一面観音
十一面軌考朗畑譜棚蛸︰
地戎菩薩、
襲師加水、
不重用索観音、或設祥迦加水、
′
若宮 文殊師刑事薩
典師.珊勒、
帝迦.不重箱索、不動、梓才天、
︶
伍大乗院寺敢雑事記、文明四年四月十入日の備に、春日五所の本地が左の如く記されてある。
一御殿 建雷神
二御殿 経津壬辞
地寂癖才天女、
十一面、大日.
三御殿 天津見屋根醐
四榊原 天照大神
︵
3朗
若宮八幡 文殊、帯覿考
ミ
︶
一宮 不重用索
′
エハ具扁寺正勝記に本地に就いて左の如く記してある。
ノ
′
二宮・#師加水
四宮 十︼面観世音
三宮 地織警醒.
′
.若宮.文殊菩薩
︵
以上列果した圭ろに依つで考へると、本地身に就いては、多くの異説が雪ことが身る。玉
壷都にも、左の簸り多くの典故が讐てある。
二宮
平岡朋醐
香取明粛∴集師、耕才天、地天、琴
一宮 鹿島明紳 不孝用索.繹迦、大日滋砂肝天、
≡乳
姫稽
︰文殊.呵責陀、
十一両.大日.
地蔵、粁才天、
四宮
若宮
事璽正号i蓋
即ち藤原時代かも鎌倉睦代に考へられた寿旦五所明神の本地は略右の
き郎
寧無償敦モ紳菰
三〇
宮鹿島明神の本地を不重用索と焉る畢は前述のやうに、藤原氏の最も号崇する甫閻堂の本鱈を此
鹿皮御袈裟 に再見するわけでみる。前記玉葉に一ノ宮の本地を記しで﹁不重用索観音、如−南園萱草Lとあるは、
此の速の事を暗示したものであらう。而して、氏の組細三ノ宮の本地が地荒で、而も之れには除
り異説の無い事は、前引の春日権現境記に、春日権現は、繹迦、蒲勒二号の中間たる無彿世界に
出で、衆生を導引せんが虐に、垂述したといふ思想とよく一敦して、六道能化の地蔵食を詭明し
セものと観る可きであらう、斯様に考へ凍れば、春日明醐五所の中、その信仰の中心は一ノ宮と
三ノ宮であつて、而もーノ宮の本地不容属索の信仰は寧薬朝の中葉以後、卒凄初期に盛んでぁつ
たが、その後漸く衰へ、三ノ宮の本地地蕨の信仰は平安中期から興って、鎌倉、足利両時代に全
盛に達したので、藤原氏の租紳といふ考を外にしても、斯る信仰隆替の気運に随って、≡ノ宮の
神威が輝くやうに焉♭、藤原以後は、、此紳の信仰が中心と眉つ佗ものと考へねばならぬ。
密教の隆盛に随ひ、此れ等の諸所を一舗に重いて、其の本地を崩はすことが行はれて雅た。之
れを春日点茶羅といふ。世に謂はゆる春日鼻茶羅には二種あつて、春日山を背景に、赴殿の光景
し少 を中心として書いたものを宮鼻茶歴といひ、紳成一で中心に、五所明細の本地を顔はし佗もの一で
量茶雁といふ。之れ即ち本地垂迩の思想が普く洗布して、五節別納の信仰が高潮に逢した時代の
産物である。斯る信仰の治憲的表現は頗る黄族的趣味に合致するものがぁつたと見え、優雅なる
3βの
気分の裡に、一種崇高なる雰囲気を措、き出したものが多い。その起床に就いては、春日権現験記
に、普璧寺基賓の夢想に現はれた垂跡の御饅を描いたものであるといふ。
普賓寺揖政殿は中家とひとつにおはしまし∼かば、責永に宗感公以下西海に赴きし時、同く関
あらう。
寧欒件数ご甜癒
唯試擁護の神明としての春日樺現
一
持ち凍る寧は理の正しく然るべき曹然の順序である。即ち輿痛寺の卒安以後の宗派たる法相宗
春日明紳が藤原氏の氏神たる事情が﹂同じく氏寺たる泉南寺の彿故に関して、密接なる交渉を
七
基賓は右記にみえるチっに、院政時代の人でぁるから、春日鼻茶黒も平安末葉から起ったもので
申侍へたり。
をねふりけり。又世中にひろまりたる垂跡の御億の鼻茶羅も、この夢におがませ絵たりけると
るもふしぎの事になむ、すべてこの殿は紳慮にかなひ給けるにや、春日の貿前にては鹿御かほ
り、前後うち囲みたる武士のなかをわけて、御車・ぎやりかへされけるを、とがむる人なかりけ
度にわ†りければ、春日大明神おぼしめす棲あるにこそとおばして、掠を北にして止まり給にけ
ると御覧じて御車を停むれば細入みえす、又御車をす∼むればさきのごとく、かくする串二三
西の邁におばしたちて、五偉大宮速まで行幸従容し給けるに、うしろー†り黄衣の紳人まねき奉
∂βJ
■欒沸教ざ謝廣
三二
ぎるやとおはせらる。こ1に天台山修行の付千良申ける㌢菩薩の御名左いか苗侍覚
劇招
弗寺肝勝間をめす、郎御託宣云、我ははやぐ菩薩に成にけり、然るを公家いまだ菩薩の
廃寺ならびに預などをめし集むれば、己つゝしみ恐れて候、又今月二十三日よb御講座に候奥
兼争七年二月二十吾亥時ばかり神殿鳴動しで風吹、子時に楠氏女御箕前にて考をはな
とあかは、斯る思想む明示して居るもので、その軸はやがて菩薩と焉㌔慈悲萬行書薩と
しとの託宣があつた。験記に云く。
てよ
はなし、この花月をもてあそび給へと、香取申開の両神に申されしかば、
00000
けちたまふ。秋津洲の中、山野多けれども、月光も三笠山にしかす、花の匂も春日野
髭監即即郎伽即卸幣ぶぷで蒜宗宗蒜卵い蒜脚、㌫靂卯抑即如加担
の警かくす、専一朝の嘉として、讐臥洋の董富鳶鱒︵卯︶⇒ゐ巌覧警纂
央寿白犬明細は、満月閻朗の加水、久速成並のひかhノぎやはらげ、法事等魔の薩嘩内密本地
醐俄習合思想の表現としては棲むて順皆の螢展であらう。春日樺現駿記に
や最膠王経に魂はるゝ彿俊幹依の諸天や、傭法擁護の誓願を有つ蟄丁計〓遠路に依るも
︳ トト北寺十−た対して、蕗依擁護の菅原と点って現はれて充た。・こは乳業朝に淀行した金光明経
.
000000
と申せば、慈悲萬行着醍と名のらせ給、太政大臣及左右大臣もろくの公卿もわがことはる所
也など、さまぐ仰せ霹甘もあらけり。
書モ羞
三三
で雪といふ。詞書の作者は麒面拉印・Ⅷ道鼻同等鋸鋸にして、前大冊正苗倍、範憲禦韻の批判
に係るといふ説がゐ去。著聞御記に、﹁竹内左大臣依立願一新調﹂といふ記事に依♭、各衝詭が確か
皇の延慶二年に成ら、或は前聞白鷹司基息父子四人の螢翫に係るといひ、或は西園寺公布の螢厳
本とし、結線泡仰の輩は引導利益を受け官るなき事を、賓話に依って示し化ものである。花園天
五十八俵の輩唆を記し、拝むに九十一の檜壷を以てするものである。紳彿同位、和光同座の旨を
lの傑件である。駿紀は本蔚二十黎、目線一審よら成♭、東平の託宣より嘉元の醐火王室るまで、
明而が絶代の養家の妙筆に依って、絢爛を極めて嘗魔典雅に表現されて居る。賓に中世檜巻物中
されて居る。抑春日播現瞼記は春日明神に封する藤原氏公卿貴族の痛論集であつて、此の紳の光
唯識擁護の神明としての春日権現の婁鹸のかす′′、lは、春日権現墳記の中に、麗はしく描き出
畢に迫が無い。
り、冥途の卯護を騰る習慣と磨ら、夫れ等の願文、啓白の類は歴代に亘らて、殆んど無舷で、枚
しで、藤原氏の成人は上は繊政関白より、下は家庭の免女に至る主で、此の紳に現世の乗睾を新
爾水臭腐寺の・法曾には、寿自明細ぉ金岳せざるはなく、明醐の影向なきはない聾と点った。而
お3
事業沸教ヒ譲癒
三四
・晶ひて訂正を加へた専が官僚の末文に見え、筆者は前関白鷹司基忠、掻政各年諸株大納言冬
基宗冊立良倍加の四人で、給は捨所預高階隆東の一筆に成る。
食中唯識論の功徳を詑き、南都の畢匠の擦護を説くこと甚だ詳密であつて、一々此に寒ぐるに
蓮な拍が、左の如きはその好例でぁる。駿記に云く。
典頑寺の角偏勝詮付加、安元年中経摩骨の講師を勤めむがために、中宴に移りゐて偉ける時、
盛息得業もとより酋室に住みけるが、勅使房番論毒せんとて、随分畢関してねたる夢に、一人
の小見きたりてかたに手をふるヽを、誰人にかと問へば、我は春日四の宮也、勝詮をまほらむ
托て降臨するつゐでに、汝が草間所を見んとてきたれる打てりとおほせられけり。
■
シトシア 有名なる應和の宗論に、南北の畢匠封時して、論難酎なるころ、天台の良源、方便品の﹁無益
ノ
ザルセ
不三成龍一﹂・ぜ以て、一切皆成の剣を揮ひ、無性有情不成彿の法相宗を粉砕せんと迫った時、興福寺
′ハ
セ の仲算冥目して春日明細の加護を所願するや、明神影向して、﹁無l不一成彿lLの訓法を授け給うた
といふ挿話は、賓に唯識擁護を高潮した千古の好話柄である。
斯様な思想は明細の喜び給ふ唯識論等の経典を書焉又は招宴して、賓前に奉納施入する風習を
生じた。現存する相続に金泥を以て寄せる燦爛たる唯識論は賓に敬度なる藤氏の上薦が一字三患
の筆を染めて、巽南に奉納した記念物である。森日赴文書の中の左の一迫の如き、此の風習と碓
ご貯1
群に語って居る。
本能入
首
巻
中 速 詮
凍 集 論
大荘厳諭
無性繊論
世親磁論
︼
三
十
十
専
巷
六啓
十三希
十
巷
巷
巷
二十楷
二十唯識論
一
鹿伽師拙論
さ
額 揚 詮
百 法 論
巻
奄
一
十
五 鳶 論
成唯識論
右革命法久住利益有情奉レ施大審日政変中談義︰永奉納こ
覚書二年三月二日
事集儀敦ミ♯蔵
赴壇宗旨鼓一缶他所−之状、如祢、
j好5
事業沸教ミ謝舐
大
修
正︵花押︶
明細の放棄に具へ、唯識の弘通を助くる焉に、興福寺に於いて開披した経論を春日板といふは、
又斯る倍仰表現の一形式である。其の抜諸には役々同一の璽息を披柾したものがぁる。
妙︵花押︶
依宥恕想之草軍令抜こ就現普二世之願畢準摺恵供毎法華経一部入筆節奏二納春日敢算段−也。
︵法華経故語︶
英和元年十一月十一日
南無阿謂陀彿
声撃春日四所之紳畢敬彫一睡識十軸之諭摸衰義朝安鱒天下泰申、興隆彿法、利益有情夷、
建仁元年八月十三日始乏壷向二年六月廿日姦㌍功畢、施入沙門要弘.︵唯試論刊記︶
八
氏礫擁護の紳確約意志の赴曾的螢勒
春日明紳が藤原氏を擁護するといふ信念は、氏人若くは結抹の輩にして、たとへ番人打アりとも、
他方の地獣に堕さしめす、春日野の下に、特別の地獄を遣うて収容し、毎朝第三殿から地象菩薩
が温水許に水を入れ、歌枕を添へて、水を濱ぎ、その雫が罪人のロに入って、しばし地獄の苦を
忘れる問に、経の要文、陀足尼などを聞かせて、漸次に救ひ給ふといふ謂はゆる春日地獄の信仰
妨β
備考 宰欒刊鰹史、璽二幸平安朝時代、第八紅顔原氏の勃興モ春日構現の信仰、第九節春日疲の意義を見よ。
′
を生じた。現に春日山の奥に地獄谷といふが今に獲って居る。此の事は春日権現陰紀の中に左の
如く見ゆる。
一
南都にタ輔付都帝国とて、解脱上人の弟子にて額拳の問えあbLが、魔道におちて戎女人につ
0000
寧欒儒教ミ紳議
000000
0
00
0000
臨む事と焉ったぐ即ち放氏■といふ氏族種痘否の飲茶烈日的審列が下さる、に至った。即ち興福寺
明細の氏族擁護の慈悲的精細は、此に梓法化し、亜紳の意志として、最粛王畠
然るに、奉安中期以挨、誇大寺に僧兵興り、輿頑寺にも強大なる兵厨の結成せらるゝや、春日
の醍痙也、本地率跡い.つれもたのしくこそ侍れ。
0000
ける。地衆は皆所垂この御本地なり。殊利益めでたくおはする申ならひたり、索偶の導師付属
000
はす、菅畢生なりしはみな畢生行了り。まのあたり大明紳の御託法聴聞するこそ黍くはべれと語
もは春日山の東に香山といふ所にて、大明神般若をとき給を蒔閲して、論議問答など人間に法
などを唱へて開せ給こと日々に怠なし、この方便によりて漸々にうかびいで∼倖打†り、畢生ど
たヽりの水罪人の口に入て、苦息しばらく助て、すこし正念に任する時、大乗経の要文陀暴虎
毎日昆朝に第三御殿よら地戴菩薩の溌水器に水を入て、散杖をそへて水を注ぎたまへば、一し
いかなる罪人なれども、他方の地獄へ遺さすとて、春日野のしたに地獄を梼へてとり入つゝ、
きて種々の串ども申ける中に、わが大明神の御方使のいみじきこと、聯も偲過し奉る人をば、
367
●▲
■茎Ii竃
L
三八■
.′■ヽ
大書圭に反き、利益を無成するもの、不利を拘る見入に対しては、趨帝写匂天鞄屋根命は敢Y
\
熟して氏真の繍聖を侶結し、寧寧の利益き憂藁する焉に、懲罰上し′・し、氏族外に放逐すべく長命
を下さる∼車上翳つた。而Lて、其の赴き悔ひ、其の行鰯を改む争に於いては、復樺を許される
事も鮨♭、之れを♯氏又は艇長といふ。此帝個の武穿は固よち具癒寺大衆の妾出した方法に相違
ないが、而も、組前の名を似て執行するに至ってほ、優に氏人を拘束し、十分に殻曾的制裁を加
ふることを得るに至った。斉に親紳としての春日明神が氏族の紳重々擁鰻す一角めの意志表示で
あつて、之れを政令的に有効ならしむろ王於いては、一種の醐樺政治といふべ診である。尤も救
民なも行貞は氏人が氏の能面を汚す如き失行のあつた場合に行はれた制鹿で、鳥羽、崇徳南朝の
頃、孤児廠佐が放氏せれたのを初めとし、絹舶仁平元年左近腐生狛光弘が活狂に依りて自書を企
て、狛氏を放たれた翠が欒所補任に記されてある。これ偏に姓氏食重の園風から出た事であるが、
輿癌寺の場合に於いては、其の制裁が縫療的で、親御の意志が興福寺の利書といふ標準に依って
動くに至っては、擢に徒黍の習慣的制裁とは異るものである。而して此の制裁は上は関白より大
中納言に及び、点きは紋日、長きは数年に亘り、其間は藤原氏なるが故に有する一切の公樺、私
権々停止するのである。詳にいへば、一切氏の草丈和する樺、儲奏、倖奏等公事を奉行する樺、
氏人としで安け争牧入等の停止庭介で、官位は昇進せす、蟄居護供せねばならぬ。而して、百方
3β8
ヽ
哀訴の末、此の虞分の解除が行はれて、初めて復権を得るの・で、東棟、復権共に荘厳なる儀式を
似て、明紳の梵前に申告される。をの行はれた時代は鎌倉陣代から室町時代が最も盛んであつた。
撫育る記銀に残る賓例二十教件を畢ぐる事が出凍るが、今は一々の事件に論及しない。
醐鹿の竿紳的崇拝
イ・僧著︳異論.第九章藤原氏ヾJ春日明紳の制裁を見よ。︵日本儒教奥の研究、第二懇断金︶
九
俳敷の背景に依る春日明紳の信仰が、・藤虎氏の勃興と共に高潮に達するや、其の醐蠍たる度鹿
1・
.
.
さへもが、崇敬ぉ安くる極、殆んど竿紳的地位にまで上るに至った。之れ我が押紙史上特異の例
で通らねばならぬ。
初め紳鹿は之邪淫見るを似で、盲群の例とされた。之れは藤原世の氏人にとりでは、決して聴
て居る。
ヰ廟夢想憂藤原長者大智新車公卿鍬真文盲群也、於裏目御政一亦車重鹿四雫誠是大吉群也。
専業儒教ヾJ糾戯
三九
患還至年二月の條霊、八日春日祭た詣でト典誓文北遽で二三蒜鼠に逢ひ∵7鳥
J
同居鞄拍二年二月の備には、春日赴に詣で、林間に虎を見て、﹁誠是吉祥也﹂といつて居る。山
t膿
−豪犬養誓.、公卿の劇冤たこト、菅赴に於いて四頸の鹿を見た寧晶して誠に大昔警彗
朗か宗競的腋換では無い。中右記の長治元年†盲十日の億に、夢想の記事があつて、長の発声
一
寧棄彿政童譲巌
居逸で又四五頭に逢ひ、﹁此事極苫前也.有−感歎﹂と述べてをる。
然るに、紳庇に封すも信仰が漸く高潮するに及んでは、単に盲軒といふのみへ号らヤ、成激の除、
行撃った鹿を挿すもやうに点った。此に至って、紳鹿は竿紳的位鹿に昇ったわけである。
中右紀の元永二年二月の條に、廿二8奈良に向ひ、典痛寺西大路に於いて二頸の鹿に逢ひ、事
を下bて押した串を記して、左の如く述べて居る。
又於三御寺西大路一挙鹿二頭葱下塗丼乏過丁、長大膏慶之相也.
央れから、春8敢に詣で、初めて蓬ふた鹿には、必ヤ革を下って績拝する習慣と点ったやうで、
野原受賞の玉葉順譜紳にには尭蒼が家族を件ふて、春日敵に詣でた時、童子が車宮下らて挿しだ
事を記しで、
︰
・
叉多紀之脚・姓−−夜中鹿太多
出窄鮮−小・伍
小量下適奉憩乏云々.
といひ、文治五年八月サニ日散会の時には、具扁寺金堂の遽で、T御堂の中で鹿に逢ひ、塵菅百ら
此間堂中点﹂出現酌拘指事之希異更以不論巽金速成合掌小憩、浦素試臨書之準者也.凡下一向南
が合掌感挿し、随喜の洗を垂れて屠る。
●●●●●●●0000
野卸和知斯か小野紗如軒禦か部軒知如如和知如か断か和l如卸町是常山岳原野之間也・
37り
\
∬−歎.︵下鴨︶
㌧鹿康之貞一億、深疎亀人泉南菅生之西方自−晦日一瑳勃、掃除之人卑見物之衆徒.新市無r有袈際︰而忽
不,博一和人誠又寧現金堂中−哉、向一義奉告強.成茨数行、可憩可一喝身撃不骨;心有a謀倍へ是以有︼垂
∼
瀦離農定家が発着二年八月二十日.、放念の時、東大寺速に於いて鹿に蓬ひ、輿を止めて挿した事
′ を、.例月紀に記して、
、。蔓大音野草津鹿.昇高弟l憩乏。
■欒彿敦吏︳歳
﹂〇.結
論
担一
書に至るまで、曹之れ楯の字面であつ.て、漁して公正なる研究とはいへないでからうQ八幡にせ
闘薯井に押迫者淡から、唯物史親風に、付従の経済的割込乃至掠♯の方虜と観る明治時代の草
‡しぎ偏見が行はれた。之れを全く偶数弘通の目的を以て圭出されたト,ックと観る徳川時代の
へた。由凍、・我が押紙の研究に於いて、特に像疫盲の関係−本地垂速の信仰−に射し、鹿本
以上、事業俳款と紳就との陶係に就いて、特に八幡紳と春日阻紳を中心として一應の観察を終
ヽ
l備考 春打の紳慮に封†る中世貴族の信仰︵日本悌数史の研究無一巻所載︶並に同共学欒第十一波所載︶な見よ。
亭主量写し、厳刑を以て韓んだ事はよくその間の滑息を侍へて居る。
せいって居も。斯る醐鹿高年紳的鼻舜は鎌倉時代を温じて行はれたやうで、紳鹿に危書を加ふる
上汐J
事業愕敢ミ所蔵
よ、春日にせよ、沸教々理の贋大喪連なる熔墟を通過し凍る事に依って﹂
四二
いかに其の副俵を荘癒
し、如何にその紳威を倍嫁したであらう。沸教がその弘通する団々の紳就を撮収して、自家の思
想中に復活せしめた例は、印度に既に之れふ丁り、支那に既に之れあら、日本も亦をの一例に過ぎ
ぬ。試に点茶雇曾上の請合を諦成せよ.。その過竿が印度産出の紳統ではないか。凡そ普遍にして
高僻なる数理を有する宗教と、地方的にして低級なえ信仰とが遭遇した時、一が他を包容鏡取す
るに非れば、他は必ずや死滅の路を揮ぶ外はなからう。若し夫れ掻取せられ、包容せられたが焉
∵に、その侍統的信仰を維持するのみならす、却って、その詮浮を洗激し凍って、一段の克明を放
つを観で、胃璃なら、詐詑七トと呼就するは、果して正皆の見解と挿すべきであらうか。吾人は
典雅打てる藤原期の八幡神像や、絢爛たる鎌倉期の春日櫛現鹿記に臨んで、如何の威を起すか。此
惟する。
︵昭和五年九月二十八日稿丁︶
央れ等の畢者に向って、本地垂速読に封し、更に新しき再検討を要求する権利を有するものと思
に於いてか、過去の畢者の見解は謂はゆる認識不足の結果なる挙が明かに点るであらう。吾人は
ノ
スピノザが宗教に射する態度
﹂・キリスト教的人格醐諭の去こ乍ト・
スピノザの宗教観に就ては幾度も論じ亜され最早問題にする除地は殆んど建ってaない。それ
を今夏こゝに喋々するのは精々蛇足を添へる戚がある。が私としtはスピノザ.が或る方面で全然
で自分が決して宗教に反封すろ着で㌣ことを世人に承儲せしめようと努力してゐる。し
スピノザ自身屡々侍統的信仰戚備に奉仕しっゝ紳に封する敬度の念を説いてゐる。そして到
教を庇護する理論を創立した覇時の紳単著であろといふやうな見解である。かゝる見解には
根城が無いでもないが、彼の思索鱒系の中心鮎を見落したところに重大な誤謬が肺胎する。
ノジズムの本領が神秘ま義に在って彼ベネディクツスは暫畢や教畢の仮面のかげに隠然と既
喪解されてゐることを知ってゐるので出水ればそれを是正したい希望を持ってゐる。それは
373
れはまとして愚衆の迫書を免かれる手段であると共に一般世人に自分の言葉を受入れ易くさ
スピノザが宗教に封†る態度
うと企てたに過ぎないe彼の所謂﹁生きることの規準L︵まくendi壱−且なを大原則に従っ甘も
ヽ
︳︹ り:
J .
スピノザが京敷に封†る!
のたと云ふことが出水る。
臼田
.
す・﹁一、宗か掛掛かいかい㌫かトーいぃ、そして凡で我々の目的嘉す嘉虎にならない
ことをす争.とっ何となれば、もし及ぶかぎら大衆の理解力に譲歩するならそれから少からぬ利
、.、−、、、、、、、、11、、1111ヽ1ヽヽヽヽ
金む得るからだ。加之、よ強を線くことを愛する耳を準備することにもなる。二、快欒は健康を
維拝すもに足ろだけ享受もかこと。三、最後に金餞又は何か他の物なら生活並びに健康せ支・へる
、、、、、、、、ヽヽ、ヽヽ11ヽ11ヽヽヽヽヽヽヽ
・ に足るだけ求め争−と、そレて圃の習慣には我々の目的に反しない限む随仕すべ†−と。﹂この原
則に徒って彼は日常生活を律したのみならす著述を通じての意志寮表にもまた外叔上これに♯っ
たよ考へるのが重曹でぁらう。蓋し、彼の所謂宗教とは各人一人つ∼勝手な宗敦のことなのであ
る。そんなものが果して宗教と呼ばれ計るであらうか。
ヽ
.晋甘官・甲︵F富野紆d卑謬i鼓訂尋︻騒乱巾2.こ馬WぎR邑F旨n,F摩さロP已
雷11p旨︶∴以下の引用は凡て之に依る。︶H喜好訂d。in邑邑E命日乱註吉㌢¢.
牡と雄も祉曾の哀である以上、さう衝乳に侍統的因習を放することは出水ない。幼少よむ苧
\ はれてきた宗教的戚惰は強く心臓を崇めつけてゐセに粕連ない。これに対しても若干援和瀾を必
‡としたこ﹂でぁうっ。ヤぞ盾必要虻〃は、彼が何を云ちてゐるかを人々に了解せしめること
であつた。生きてゐるうちに著述の出版すら充分自由でなかった彼がどれだけその鮎に注意を沸
ー
」好4
ったか。それにもか、はらす殆ど有年聞も腐られやに終ったではないか。意識的にも無意識的に
も彼が自己の方向を完全に突通すことが出水なかったことは想像せられる。我々はその割合に彼
がぁれだけ劃時代的な新憶系を建設し待たことを驚異しなければならない。彼が有神論着であ丁り
紳秘宝毒素でぁるといふことは彼が過去の搾浮を引ゃつて歩いてゐるといふことを意映し、まつ
たく相應しい彼自身の婁ではない。無細論着であ丁り自然ま義着である=とこそ彼の正健でぁる。
従って彼と同時代人︵それは今日何人の注意をも惹かなくなってゐるやうな思想家連︶のなかには
一.肩紳秘主鶉的な者がゐただらうし、更に古い時代の新ブラトン況やカツでフ畢徒は一骨完全な
模型を典へて呉れるであらうことも察するに難くない。スピノザに於て甘き神秘ま鶉を味はつた
り宗教への手引を探し求めるニーは寧ろ最負の引例しと云ふほかなく、丁度デカルトがクリスチ
ナ女王り加蒋力改宗に功撹があつたといふ理由でパンテオンへの埋葬を許さilたのと同一の滑滞
に屈する。
スピノザが如何にして過去の確浮を振㌃棄て∼きたかは著述の前後に於ける醐の観念の鼻藩の
例を二三採ら出して見れば直ちに判明する。
﹁鹿論文﹂︵凡一六五六−I一六六一年︶に於ては、賓憶と展性とは同一であるが紳は必しも貸
借ではなく質憶を包括する夫以上の存在として或はされる。一.、、限定された質憶といふものはな
スピノザが宗教に封†る態度
スピノザが宗教に封†ろ態度
四六
く、あらゆる賓健はその種類に於て無限に完全でなければならす、従って紳の悟性のなかでは如
何なる質恨もそれが既に自然に於てあるよりも一骨完金ではあb得ない三、二つの同じ官僚は存
しない。三、或る賓健が他の質憶を産出することば出水ない。四、紳の無限の悟性のなかには形式
∵ 的︵許日已i訂r︶に自然のなかに無いやうな貰憶は存しない。﹂これは質憧が或る産出されたもの郎
’イスチタシュ
ち耕の創造物であるといふ人格細論的な珠想を示す命題である。醐が仝愛全能であるからその創
二 道物もまた無限且つ完全でなければならないと云ふので多少デカルト的でもある。これらの命題
に績く論語を見ると﹁紳の意志の単純性﹂︵deee・−さudig訂idヨn領民註le︶といふ概念を使ってゐ
ende臣節竜e訂ぎd.Cぢ
く全能仝愛の造物ま・即ち質憶の創造まだといふのである。概して﹁短論文﹂
る。これ全く滑太数や基督敢の紳の侍統的見解から出費したもので、紳は悟性や意志をもつて働
フライヂンケサツ・ンユ
的なクリスチャンの考へ方に近い。
一Spin。臣○竃pH・吊。r訂くer訂nde−首∵喜lG。d\de茅口汚h
−¢︼g●
∵
ニHbid・p●琵●
﹁手堅こ︵一六六一年オルデンブルグ宛︶には紳を定義して﹁各自無限なる即ちその癖に於て最
も完全なる無限の属性から出水てゐる賓有︵戸00︶﹂と云ひ、しかも属性をば、夫自身で考へられ
∂7β
る即ちその概念が他のもの∼概念を念一官舎んでゐなしもの、と云ってゐる。紳と賓健とは同一観
スピノザが宗敢に封†る態度
城を客観に置き、之を紳︵即ち質燈、そのじっ即ち自然︶と名.つけたに過ぎない。従って﹁紳は必
︵第一部定義三︶と解した。これは何等宗教的なものを含んでゐない。要す㌢質在認識の最後の根
念によつて形成して貸はなければならぬやうなそんな他の物の概念を必要としないものゝこと﹂
と解し、﹁質憶とは夫自身のうちに在♭且っ夫自身で考へられるもの、即ちその概念が他の物の概
っが各永遽無限の本賓を表現する無限に多くの属性から出水てゐる貰憶のこと﹂︵第一部定義﹂ハ︶
って後世の所謂汎細論、曹時の所謂無細論を完成した。﹁紳とは紹封に無限なる賓在、即ち一つ一
過去からの脱却といふ形式をとつてゐるのが注目に償するだけである。スピノザは﹁倫理畢﹄に至
何人にも思想の螢連があることは普然で敢て不思議がるに曹らない。だが彼にあつてはそれが
ニ9gi訂す∴呂2tPpざ乱臣p・誌∽卜琵︼・
一SpinONpOp2rplヂ官i㌢−エ冒●可・
まだまとして一細論的思想と一元論的思想との囁別がはつきりせす、所謂汎細論的思想には達し
二
てゐない。
大差が無い。﹁形而上畢的考想﹂︵一八六三年︶に於ては軸と自然との同一戒が頭を接げてゐるが
せられす依然として賓憶と属性が同一成されてゐる。﹁短論文﹂より合理的になつてゐるが根本に
87ア
スピノザが宗教に射する濃度
四八
然的に存在する﹂︵第一部定理十一︶ことを静明してゐるのは結局客観質在外碑立位を強調するこ
とになる。そしてそれは表象︵im鼠邑山。︶の封象となる棲牒の雑多と底別されるために不可分割
性を輿へられ︵竺部定理十二︶、そのほかに存在する質憶は許されない︵定理十巴。即ち1有り
とし有らゆるものは凡て紳のうらに在り、且つ紳が無ければ何物も有ら得すまた考
い﹂︵定理十五︶。﹁紳は夫自身の原因﹂.︵定理十六系二︶として又1第一原因﹂︵同系三︶であり、
﹁単にその性質の法則によつて働き、﹂︵定理十七至︶、1外部内部から轟♭たてる如何なる原因も
無くし、絶封に自由である。もしそこに紳の悟性とか意志とか云ふことを口にして
言葉を興った意味に使ふなら宜しいが萬一、人間の心理作用のそれと類推を求める
ほど不合埋なことはないことになる。スピノザの言葉によればそれは1星座の犬が吼える犬と互
に一致するやうに、名に於て表するに過ぎない﹂︵定理十七備考︶。そして紳は凡ての物の内在
的原因であつて超越的原因ではない﹂︵定理十八︶。従って︵定理≡十二系一︶意志の自由によつて
作用するものでなく、﹁自然のうちには一つとして偶然なものはなく、凡てが紳的
ょって一定の仕方で存在し作用するやうに決定せられてゐるL︵定理二十九︶。かやうな質憶を紳
と名づけることもやはb天上の犬と路傍の犬はど相違する単なる名稀の向⊥ではぁるまいか。そ
して汎細論といふ概念は、紳が内在的で兼ねて非人格的で雪ことを示す去れてゐる
いふ単なる名縞だけを保存してゐる一機の無#論であると云ふよ♭ほか仕方が無い。これこそ昔
時スピノザに対して正統況の人々の悉く未捉Lた定評である。たゞ昔時は之を似て披を迫害する
口欝に供せられたものが今日では彼の博大空不†蔓になつ托よで∼あも。さう蠣足してしまつ
ることなど一向寛がつかないのである。
二戸冒藁葺苧穿邑iら斎二紆︻冒昌e音字il重富i’︼巴.1−弾究古.
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 例へば、筑五瀬定型二十五、#は無敵なも知的愛をもつて自分自身哲愛する。
スピノザが素数に︳†阜■虎
呵九
るだけでぁつて、r伶瑠空ム高を吐息して検討すれば首尾一貫して澄み切った論理が連癒してゐ
の自己矛盾義損したつも軒で.わも青もぁる。.しかもスピノザが畢なも書喩約言静を弄してゐ
モルがため或る批評家建のうちには、こ1で人格紳を承番し剛性を心開化しに黄せせに嫁して彼
﹁倫和声︼の第五郎に於て彼が信仰の封象としての紳を取扱ってゐるやうに見えも伸餅がある。
●■
00甘口昏音声出家9冒lワふ㌣ふ声
でゆく青白き情熱家﹂ぐらゐの意味しか塊らないであらうー
の欝ナソセンスでしか智ッ持す、﹁■の名に於で紳を否定し貴に冷たい自然必裁縫の■理を授求し
でぁつて見れば致し方もない。墳ぉ目して﹁榊に醇彿へる無■︳者﹂と呼べる有名な言集は、そ
ては例の紳穂ま鵡の農楚連にとつては興味素戯たもものがあ畠だらうけれどもスピノザの正偉
♂甘
スピノザが宗救に封†る態度
同定撃二十六、紳に射する精細の知的愛は、無限なる限りの紳でなく永遠の相の下に眺められ
たる人間特融の本質として詮明せられ得るかぎりの紳が自分自身を愛するところの紳の愛その
ものである。即ち紳に射する精神の知的愛は紳が自分自身を愛する無限なる愛の一部分である。
同系、こ、から紳は彼が自分自身を愛するかぎら人間を愛し、従って紳の入間に封する愛は紳
に封する精神の知的愛と同一である、ことになる。
定撃二十七、自然のうちには、この知的愛に反封したう又はそれを否定し得るやうな何物も存
しない。
これらの醐の変に掬する諸命題には富王我々の心魂を括り動かす嵩高へ与或物が潜んでゐる。し
かしながら不注意な譲者がばんやり成するやう七宗数的借籍が降されてゐるわけではない。これ
ら薄命罵に現はれる単語を彼のクルミノ中耳−に従って分析してゆくと一切は更に厳格な〓耳論
00 的論経であることが判明する。即ち﹁愛とは外部の原因の軌念を停へる快である﹂︵夢二部威厳あ
弼
実美六︶。﹁快とは人が一層小なる完全から一骨大なる完全に至る移行︵tr≡itiOpm各re已min・
〇〇 。r呂甘ぎi。nem︶であるし︵戚情の定義±︶。﹁永邁とは存在そのものゝ●.言ゝ解する﹂︵男︼部
屋義人︶、それゆゑ永蓮は﹁たとへ持錆を拍や絡が無いと考へて見ても持摺や時間でに鎗明するこ
上ができ甘い云々﹂︵同詮明︶。紳に対する知的愛とは筆意Ⅵ忍裁から生じ﹁我々が紳の永連な
▲▼
ることを認識するかぎh∴に於て原因として紳の観念を伴へる快﹂である︵第五部定理三十二系︶。
ヽ
、、1
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1、
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1 1 ヽ
モLて孝二種の怒識とは直観知軋ent山ニー旨it・iくpのことで﹁紳の或種の属性の形式的本質の充全
1
1
的観念から物の本質の充全的怒諭へ遷宮事々し︵琴一部定理四十備考二︶。これらの語彙を以て前
、、、、、、、、
▲▼
遽の諸命題を解辞すると大約次のやうな意味が獲られる。
一層大なる完全へと移ってゆく︵定理三十五の意︶。賓にこれナイスの女神像の秘められた帳の
絶対に無限なる賓在は外部の原因としての自分自身に関する観念を伴って一骨小なる完全から
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
かげから忽然として現はれ出た粁詑法の要ではないか。
絶封に無限なる賓在が単なる一つの賓燈そのものとしてで
..人間の精細が絶封に無限へuる貰在の観念一ぎ伴って一骨小打てる完全から一骨大なる完全へと移っ
てゆくことは、取らも直さす、−
な︿、寧ろ存在そのもの∼.姿で眺められた人間精神の本質として解せられるかぎり、それが一
骨小なる完全から一骨大なる完全へ移ってゆくこと一に外号らない︵定琴二十大の意︶。人間
の将帥もこれを紳秘な特別なものと見す存在そのもの∼委に於て眺められるかぎり夫張も現斉
在の掃記法的展偶の一分肢一ざなすに過ぎないことを暗示する。
従って現質在そのもの∼本質に根ざしてゐる他の如き直観知に依る利己愛の原理、即ち外部の
廃園としての自己の観念を伴って一骨小ハuる完全から一骨大なる完全へ移ってゆくことはどう
スピノザが宗教にこ††る悪球
ββJ
スピノザが宗教に封†る限度
五二
することも⋮=凍ない必然の原理である以上、自然に於てこれに反射や否定を敢てすることが出
挙心やうな能力者があるといふ見解は根底から相容れないものと云はなければならない︵定理
三十七の意︶。これによつて見れば人格紳諭の不合理行アことは明白に看取することが出水る。
紳といふ客名を唱へ、人格や心理作用に類する管喩的用語を以て紳に擬したスピノザはそれで
布紳諭と宗教蹄依の外観ノピ獲ようと試みた。しかし常時の正統派の神輿者達がそんな甘い手に乗
る篤はない。正泉正銘の顛紳諭が夙に彼のうちに看破されてゐた。たゞ或は新教帥学的な或は自
由思想家的なp†ンチケルの徒はスピノザの紳の約念の中に甘い紳私的け内容を投入することに
ょって彼を変撫し冒酒Lた。か∼二る投入の除地を存して置いたことが汎紳論と呼ばれなければな
ノ
らない唯一の理由だとさへ云へないことはない。S号l。学才邑肇nCe以後のス.ヒノザま義の諸相
は概してかやうなスピノザの陰影をとほして舌凍の紳私的侍統思想と握手するか又は新しい統合
や産業の状態に通應するやうに緩和された形式に於て既成宗教を携護するか、執れかに傾いてゐ
る。しかしスピノザに於て﹁無帥論が汎帥諭の必然的締結であるLことを洞察したフォイエルメ♪
の限識のよら正昔であることを認めすにはゐられない。
L句苫erb邑1︼Grund乱打eder望i︼C冒pFied2rどk巨声S﹂・
我々は彼の所謂卵のうちに何等紳を蓉見すろことが出来ないにも拘はらす、なほ且つこれを宗
粛2
数的と科するならば、それは非宗教的なものをさう呼んでゐることになる。宗教一で破壊すること
が票数の宗教たる所以を貫徹することだといふやうなバラドキシカルな用語法に依れば或は宗教
的と科し得るかも知れない。スピノザが少くともあらゆる既成宗教を承認しないことは﹁耕畢政
∵
治論﹂及び﹁国家論﹂を見れば明白である。その要旨は信仰自打を政治上の原則とすべきことを訣
いたものであることは衆知の事柄であるが、その諭墟として始めて﹁不承自由なる精細による﹂豊
雷の合理的批剖検討から出費し、そこt理性によつて自明な事柄以外一切承認せす、歴史的考察
から宗致費生の科挙的原理を確立しょう試み、宗教の地上的制度や紳畢約数儀が何等永遠不卓で
も確固不放でもなぐ畢に敢骨的歴史的事象の蒐積であ・ることを断定し、従ってか∼る既成宗教が
紹劉権威を以て個人に臨むことの不可な所以を結論しようとしたところに意義がある。要するに
個人が勝手な宗教を奉すればい∼。同一の信仰に属する個人が敢闘をつくることは自由だがそれ
ヽヽ
は飽くまで私事とすべく、強制や利害を件はしむべきでなく、況んや公務として要求したり奨照
lニ
を愛し敬するもの∼心のr−−にこそ紳があらはれるので、竣言者や聖書の言葉は宛てにならない。奇
スピノザが宗教に封†ろ態度
輯即ち神秘一で説く納車の如きはアリストテレースやブラトソの亜流畢徒の捏造と思丼と以外の何
田
に最も適應すればするほど、一層多く伸一で愛し一層切なる精神もて紳を敬する﹂からである。細
したりする∴Jとは断じて許すべからすと云ふにある。何となれば、1人間はより自由になつて自己
一
3β3
スビノ†ダ議書追■一.る■■
玉田
勒でもなく聖書の内容は誰でも卦るやうな極めて通俗畢純なことを汲言者が勿偉ぶつて述べた異
五 鴫とりませのかた書に響き。それにもか、はらす宗教家
應じた轟膿な事柄に封して確かな温を致へることば出水ないにきまつてゐる理性︶をば皆目と呼
び、人瀾の知慧を逆に垂虚と挿する、之に反して容想の生んだ幻や夢や小見らしい疾患をもつて
一遍喝してゐ矩
ニTr㌢更l一訪︷さーiti2¢C葛・甲畑舛舛肖・p・慧声
三ゴ胃ta︵畠th軋虐小史Y富litieuP宇芳空i〇・
所lbid・PrpeどiO・p・∽・
iヽ
﹁d引詳■訂む書・盲ieu∽−㌘芳P哲・︵嘗0罵r戸口︶p・P
†
ミ
.ニユ声十†
こと一で妨げてこれを動物の境界に堕落せしめ、籾慧の光一棺すたも・に案曾−瓢たやうに思はれる﹂
くに写らない、何たろ偏見ぞ!これこそ理性的人間をして兵曹・舟ったわに自由な思惟を用ふる
にガび諮らふやうに見える︶こと、またその尽仰は軽信と偏見以外の何ものでもないことは、贅
皇斉し、﹁古い宗教がたゞ外的儀式を存してゐる︵これによつて俗衆が紳針敬するよりも寧ろ紳
ノ
タ.ルチタスの譜を引用して、迷信が穐庫jJt拝観家宗教となり奴隷政治の手段に供断られること
ヽ
七 聖ぢる憩芳養へてゐる㌔更にスピノザは﹁大衆を支配すろには迷信ほど強いものはないLといムー■
−ヽ
●▲T
甲、
ノ
一●一‘.・︼
■
⊥†i■,
、
五ibid●p・P
六Ibid・p・声
彼の柁憂で無かったことを否明してゐる。
一一己d・吋⊇eぎi〇・,p●ヾ●
スピノザが宗教に封†る銀座
五五
いふ仮托を行はねばならなかつたことLも同一の事情を看取し得る。しかも侍記的史質はこれが
るに至るといふこと・ざ示寸論文﹂と附加してゐる。そしてこの書物が♪ムブ〝〆で出版されたと
田
される得るのみならす却ってこれを禁止することこそ必す共和国の中和及び宗教的信仰を無くす
表唱に許して﹁哲学的思索の自由は宗教的信仰及び共和固の中和に射すろ何等の危険無しに許可
ことが見つかつ打とすれば、それは私が云ふつもりでなかったこ.せだ﹂と群解し、﹁紳畢政治論﹂の
しい距離があつた。﹁私のま辞することのうちに或は祀観の法梓に違反し安寧幸癌を害するやうな
三
二 を原則として日本と締結した通商傭約の進歩的なことを稀親してゐる。けれ・ど計理想にはまだ甚
ヽ た組封和蘭であつた。彼は多少の威謝の念を以て剋囲の兵和政憧を讃美し、また倍数相互不干渉
一
狂信が除威を違うしてゐた飲料−こ於て彼をしてこれまで極超なる説を吐かしめてなは生存を許し
任されなければならない。そして現質の鹿家でこp翠想に絢近いのほ昔時加♯カ的反動と薪赦的
そこで一切の法律や制度は悉く此の自由寛容の精励に基づくべく、宗教は個人の私事として放
融
スピノザが宗教に封†る熱度
ニー荘d●n−p・舛dp・持去・
三i託d・句象■昏p・−柏・
円lbid・p・P
かやうな請舗の材科を給食して判断†るとスピノザの内容と簡裁とのデュア,ズムに迷はされ
ることなしに中心の宗教れを把捉す今−とが出或るやうに息はれる。そしてそれは一般サ畢史的
な常鵡によつて普鴻信せられてぁるや,なメビ′ザ義輝と必しも︼致しないこともよた止む
ヽ
を得ない次第であらう。スピノザが昔時如何なも電場に置かれてあつたかといふことが一切の諭
鮎を決定すも。今日に至ってもなほユダヤの下層階級のゐ甘だ・に此の破門っれた無絆論蕃に封す
も付凛が燃え横いイゎ争と仲へられる。・.ハーグに建てられたスピノザ紀念立︳は絶えす彼等の
手によつて鵬に足に線壷の横付もて打ち虐よれてゐもといふ。宗教がこヽまで人を患にするとは
†に滑稽を述す越しで正に登なるエビyトドヤはある。
●0呂諷・象日日ヨ日常J00且雲F管内r已邑酢監Fe計rg軋諷習考已−ユ軋r
さこ田・鼓ど虚霹牢0・史訂⋮盲−嘗8已軋ヨ醇﹁卦●︵d邑邑︶′平声増星.
兼好
柴
フォイエルバッハの人間撃と宗教本質論
∴
野
恭
堂
ヘーゲルの思揮哲畢を清算し、ヘーゲルに在ってほ﹁軽封観念の
フナイエルメツハの人周孝ご宗教本‡論
唯物併記法に到る指棲として認めらる∼所以は、云ふ進もなくその人問畢の基礎が純唯物論に立
かくの如くフーイエルメブハの思想がヘーゲルの観念論的炸詮法よ♭マルクス及びエンゲ
︵一︶ 揮哲車を批判的に解明しておいたからである。﹂
したのであ
.
居た﹂ ヘーゲルの群青諭を﹁再び脚で立っように置いた﹂マルクスの唯物的群青論への先
ぎなかった自然を却って唯一の本源的賓在とすることによつて、﹁観念上の頼倒﹂即ち﹁頚
据ゑる・ことによつて﹂
はれて居る。即ちエンゲルスによればフォイエルバッハの膏挙が﹁唯物論を文句なしに再び
フォイエルメクハはヘーゲルとマルクスの中間項として近代精神史上に重要な地位を占め
ヱは7
アオイエルメツハの人野草寸J宗教本質静
五入
押すると考へられたからである。マルクスは﹁フォイエルメプ♪諭綱Lの第二7﹂ゼに於て、而Lで
エンゲルスは﹁フォイエルメクハとドイツ古典哲華の終結﹂に於で、共にフ∫エルバク♪の不徹底を
指摘しては居るけれども、その根本思想の理解に於ては依然唯物論を以てして居る。
︵l一︶
尤も:グルスが規定する如く﹁構潮と自然と何れが本源的かといふL問題に封して軌念諭と唯
物論との二大陣螢が分裂すると言ふならば、アオイエルメクハは疑もなく唯物論者であつたといふ
べきでもあらう。何と灯れば彼が人間と自然或は精紳と物質又は思惟と存在との寮生的関係を詭
ごニ︶ いて﹁自然は書々人間が費育するところの基礎であつて、人間それ自身が計然の産物なのである﹂
︵β︶ ﹁人間の原因又は根嬢即ち彼が馨生と存在とを負ふ虞のものは自然であるL﹁時間上よらすれば自
︵玉︶
然の無意識的本質が永遽の壷成せられざる・第一本質であら意識的人間の本質は第二次的に寮生
私は威魔的打了ものを構紳的打了ものから詭明し得ざると共に、自然を紳から詮
する﹂﹁私には自然が宗教の最初の封象である如く、心理学暫単に於でほ一般に感覚的なものが
︵六︶
第一次的である、−
明し待ない﹂﹁従って私は身億を私の精神から又戚鼻を思惟能力や理性から誘導することは出水
謝
︵七︶ ない。何となれば理性は威発を辣想するけれども戚費は理性を汲想しないから。Lなどと言へると
ころに徒へば確かにエンゲルスの観察を妨げないであらうから。
然し乍ら其の取察は果しで正しいものであらうか。私の論述は先づ此の疑問から出費する。扮
て右に引用せるが如きフ†イエルメヅハの人間草の根本思想は単に精神と自然に隣する螢生的考察
フナイエルメツハの人間奉呈宗教本‡論
らない。
を以て止揚して居ることを尊兄
︵九︶ 本質とした﹂のである。これは沖又は精神が自然を創造するといふ顛倒せる世界観の締結に外な
ものとし、自然の本質を自然と其れる人間的本質とし、人間の本質ぉ人間と其れるもの即ち紳的
於て思索は遂に形而上畢の醐秘に陰れ、思惟作用と想像力を結合して﹁客観的本賓をま観的なる
性は戚性を統一し待やして、却って離反せしめ思惟と存在との間に永遠の溝渠を横へる。ここに
凡ての観念論的暫畢は﹁自我﹂又は﹁理性﹂を原理として出費する。然るに自我は非我を而して
︵入︶ 軌念論に就ても同棲である。
現に過ぎない。このことはヘーゲルのみでなく、物質を前約悟性に従属せしむるカ∴/トの先験的
解決せらるべきではない。ヘーゲルの理論は自然は紳によつて創造されるといふ醐畢の合理的表
を除去することに依って此の矛盾を解決して居る。併し矛盾はその要素の一を排斥しでも決して
したのでらる。ヘーゲルは概念を質在と.しで即ち此の矛盾一ざ構成する他の葺在たる物質及び自然
畢的思静的詐略︵tF邑嵐邑l¢und握袋uFti扁同日i謬声nd空夢︶
思ふ。彼に依れば思惟と存在の関係に於てカントが陥れる矛盾一ぎ、ヘーゲルは絶射精紳といぶ紳
でめるばか♭ではなく、より以上に論理的又は認識論的考察に基けることを注意せねばへ与らぬと
β89
フナイエルメツハの人何事ざ宗教本‡静
六〇
かくして彼は観念論的哲毎に背いて﹁我﹂と﹁非我﹂との統一としての人間︵茅琶F︶を哲畢の出費
鮎に選んだ。﹁人間は有甲る他の自然の事物・及び本質と一般の本質及び存在を有するのみでなく
︵一C︶ 相違せる本質即ち理性又は精神をも有する。L思惟と存在、主観と客観、紳と自然は人間の本質に
於て統一せられ、かの軌念諭を憾ませた問題も其の矛盾の何れの要素をも排除することなくして
解決せられる。それは﹁全く頸備に於て但し賓在に於て容易に解決せられる。賓際汝の孝枝概念
ド相應せる方法ではなく唯だ質在の方法によつてである。又決して五官によつて解決せられるの
ではない。それ故、彼は徒凍の背畢の抽象的非人間性と宗教の婁想的幻畳的人間性とに射して戦
った。而して抽象せられ思考せられた世界の本質︵彼によれば是れが一般に潮と呼ばれてゐるも
のであるが︶に代ふるに現斉の世界又は自然本質を似てし、人間から抽象せられ威鼻を去勢せる
哲率の理性本質に代ふるに理性を具へた現賓の成長的人間を以でしたのでぁる。賓に﹁形而上畢
的絶対精神を自然の基礎に立っ現音の人間に解滑する事によつてヘーゲルの立場に立ってへーグ
γを完成し且っ批判したアオイエ〝ノブ♪が始めてヘーゲルの思絆哲畢の枇列、従って凡ての形而
上串の批判のために大なる且っ優れた根本特質を描き出すことによつて宗教の批判を完癒し告
のでぁる。
人間畢が斯の如き意義と任務とを措ふものであるとすれば、それはフォイエルメッハの認識論の
朗妙
反省方法であると云っても差支ないであらう。尤も彼は威寛が思惟に先行し思惟が存在によつて
規定せられ、精細が身憶威党及び脳髄の作用によつて制限を受け、思想又は有ゆるイデオpギイ
フ†イエルバ’ハ¢人畢ミ宗教本賞舌
︵一玉︶ と完全に一致するが前方︵さr急rtB
−
唯物論の貰賓に封する偏見でな
ではそうではない﹂と云へる意味は正しく弦に在ったので
協は予にとつて人間の本質及び知識の建物の基礎であろ﹂﹁後方︵rぎ打w腎且では予は唯物論者
ろ方法的意義を宿するものと云ふペきである。彼8身が﹁基督敦の本質﹂琴一版序文に於て﹁唯物
物史観への温を拓き、或は物質的人間本位の賓在論に立脚して紳宗教或はイデヲワギイの解剖に
一
於て唯物締記法へ進むペき樽向鮎に達した庭に在るのである。故に人間畢は傍系的意義よりも寧
尊慮聞係並びにその論理的構造を正しく理解せんとし、自然史的思想を展開することによつて唯
汲みしかもマルクス主義への潜針となつた所以は、認識論上の経験論の立場から自然及び精紳の
く唯物論な畠名辞に封する偏見﹂を持って居たのである。賓際フォイエルバッハがヘーゲルの流一で
なければならぬ。かくてエンゲルそーそ却って﹁暫畢的偏見
を唯物論として評定し去るならば、所謂謎蔵の分野に唯物詠一ぎ支指するの錯誤に陥るものと云は
紀のフランス唯物論と一致する思想が容易に散見せられる。けれども其の故を以て直ちに人間拳
︵〓−︰︶〓d︶ 食ひ得なければならぬが私が食ふ前に思惟し得べきでない云々﹂などと言ひ、到る虔に於て十人世
が存在の世界殊に現斉の成壁的生活によつて限定せらるること一ぎ論じ、﹁私は思惟する前に食ひ又
3タJ
フォイエルバッハの人間拳ミ宗教本‡詮
あらうと思はれる。
彼に取っては人間畢はヘーゲルの主知主義的形而上畢を批判し宗教を新し十世界観に基礎づけ
る焉に、曹然ヘーゲルの観念論的絆恋法を尭服し鹿正すべき役目をやってゐ尭。.従って其は﹁フ
ランス唯物論のあらゆる偏頗一曾取b去った歴史的自然観﹂を把握するものであらねばならなかっ
た。然るに除♭に機械論的世界観及び費生静的方法の焉に曲歪せられて非歴史的個人ま美的従っ
て抽象的主観的な埋設となつてしまつたのである。於抜マルクスを保って人間畢を超えた唯物群
記法と存了り、認識論と密接な結合の上に唯物史観が展開せられねばならなかったのである。マル
クス圭撃︼そヘーゲルの武器︵群定法︶一ざ似てヘーゲルに挑戦するものであむ。然しながらフすイ
エルメッハに依って準備せられた進路が唯だマルクスに通する道のみであつたとすべきであらう
ヽ
か。私の此の第二の疑問に就いては他日の機骨に諭することとする。
〓
マルクスに於ける宗教否定の原理は勿論フ†イエルメッハよ♭受け撒いだのでぁるが、その問題
取扱上の感度に至っては雨着自ら異るものがあつた。即ちマルクスに在っては﹁世界を鼻吏する
こと﹂が眼目であつただけに、敢曾の上屏建築殊に宗敦の批判は彼の関心の単なる繰邁に位して
居るの軌がある。然るにフォイエルメッハに於ては畢寛は無細論の唱導となつたけれども、意陶す
39β
る庭は人間の本性に於ける宗教の先天的原理の螢見又は宗教の基礎づガに存したのである。従っ
て彼の宗教批判の霊獣はへトグルが宗教と暫撃との本質的同一性を主張せることの誤謬を指摘し
解明することに懸って居る。
ヘーゲルに依れば宗教が表象の形式に於て所有するものを哲畢は概念に宅訂訂ヒするに過ぎな
いが、フ†イエルメッハでは雨着の本質的差別性を国井して、哲畢は思惟又は理性の事柄に属し非
ゲミュート
ファンタジー
戚性俄抽象的であるが、宗教は心情又は幻想の事柄でぁら戚性劇審美的であるとま張する。宗
ビルド
敦の耳質的特徴たる形像は畢なる推理思押の重患的反映なるのみならす思惟とは其れる要象を合
音してゐる。しかもこれは単なる形式に非すLて宗教の本質を形成するトのである。彼は之を
的なものとの存在する統一で凍って考へられた作られた統一ではない。従って私には現
賓.牲
牲と解し心情及び幻想の根基であると云ふ。而して﹁戚性とは私には物質的尤ものと精神
ジン,プ亡カイト
威
ウイルクりツヒカイト
といふ程のことであ藩Lから現賓の人間ガ外に紳又は宗教の封象は有り得ない。働物から人間が
甚別せらるむ本質、即ち思惟すること又は意識する串が宗教の基底を焉すのである。思惟また腋
意識すると云ふことは封象に就いて彼自らを意識する∴と、垂暮れば自己︵Si▲首−㌻︶と封象
︵雰ge邑昌d︶と存在︵哲i・−︶との同一を意識することである。それ故に如何なる対象を意識する
丁ントpポーギ一
にせよ人間は常に人間の本質を感讃するに過ぎない。﹁紳畢は人間轟であ♭、宗教の封象に於て
アオイ干ルバッハの人間単三不漱本‡論
J妙∂
フォイエルバッハの人間華ミ宗敦本‡誇
︵−七︶
大四
は人間の本質以外に何物をも表出しない。換言すれば人間の紳は紳化せられた人間の本質に外な
らない。し宗教が種々に兵ると共に赫々も種々具ぇ宗教が種々の別あぇは人間に種々の別あるが
名目、従って主節に非や⊥て賞辞であり本質に非ゃして此の名節
焉である。醐といふ語は封象化せられ人格化せられた人間の種虜概念、有ゆる可能を含む単なる
ヴューゼン丁イゲンシ†フナシ
に妥督する。故に宗教の歴史は人間の歴史に外ならす、宗教史の襲遵は人間歴史の期を劃するも
のである。
人間的本質と醐的本質とを封立せしむるは幻想である。然し此の幻想は自己の本質を他の本質
として表象する人間の幼兇期に於ては止むを得ないことであγり、﹁人間は自らの本質を自らの内
︰見出す以前に先つ自らの外に梼へ毎蔦故に1宗教は無智の夜に於てのみ生するといふことが出
水る。純粋に完全間隔なる前約本質といふも要するに人間の鏡で均ト、形而上畢的本質の紳ほ
自分自身に於て満悦せられた悟性の自己意識で今Q。何とぢれば悟性は人間に於ける超人閉的力
或は貰慣性而して有ゆる現賓性の規範であよ㌔悟性を通じて人間は自らを一般概念との関係に高
揚し対象を郎且向自的に観察するカを有するのである。・﹁人間は人間に取って紳である。﹂︵苧mO
ヽヽ −−呂㌻i官記邑︶兎に角人間に取って至上本賓たるもの、それ以上にーてり高き意義と儲億とを表
象し得ぎる虞のものが牌的本質として人間自身よ♭分離せられる。﹁若しも紳が烏に対象となるな
胡柑
︵−九︶
らば、牧は鳥に異あろ本質として対象たるであらう。L基督致の紳は主として隠棲的完全性の規定
フナイチルバッハの人望丁寧宗♯本‡鎗
象セぁるが、稜者ド於ては自然の原因としてのカが直帆せられ自然宗扱の封象となる。吾々は自
る。従って前者の場合には人間の原因としての善の性褒が認容せられ基督敢及び精神的宗教の対
ち紳は道徳的には人間の君ま又は立法者として見られ、物理的には世界の創造者として認められ
は人間畢及び生理畢であ一ごとして、紳の道徳的佐須のみでなく物理的性質をも論じて居る。即
然の洞寄に及び、また宗教の心確約先天性を論じて前著の鋏鮎を補足して居る。其庭では﹁耕畢
でぁるが、彼は更l二﹁宗教の本質﹄︵山人四人年︶に於て一層深く人間の現貴的根披を追求して自
以上はフーイエルメッハが﹁基督敢の本質﹂︵第一版一入四一年︶に於て螢表せる宗教本質論の要旨
である。
ある。﹂﹁紳は幻想の対象化せられた本腰﹂に外ならない。故に宗教的人間は彼の垂想に於て幸頑
のま凱的本質が客観的絶封的本質であるといふ﹁意識の瀬例﹂である。﹁宗教は覚めたる意識の夢で
も名状し斯き嘆息、心情が潟仰し熱望するものの絶て有ゆる財貨である。要†るに信仰とは自己
本質として定立せらるる畔地めて或は紳自慢たるのである。かくの如く﹁紳は督塊の根底に楳は
が道徳的本質としてのみならや心付的本貿として即ち愛が直観せられる時、要するに一の人間的
に基き、是持と自らとの分裂に上つて非番意識が生やるのであるが、此の苦揃の解放は紳的本質
訳旭
フナイエルバッハの人間車童宗教本‡論
′
六大
彗ポ故に於て睾ろ宗教一般の基本具現即ち宗教が人間本質の対象化でゃらといふことを容易に了
解すをーとが出水る。1宗敢は本源的にほ人間が自然又は世界との関係及び共在の成情以外のもの
l・︸▼■号
∵・
︵二C︶ を鹿曳せす∵月然宗教のま覿的内容を虜すものはすべて自然的威魔又は衝動或は印象で今○。Lか
くて貞然は宗教の最初の対象である。﹂但しそれは自然を自然としてではなく、人間的心情を有す
るものとして擬人化して岩井の封象と点すのでぁる。此の幻想または想像力の根源は依恩威備に
存するのでゐ畠が、そ汀ほシュラまルマッヘルに於ける如ぎ抽象的な感情ではへ仏く、人間が戚発
に欺て其対象即ち自然に従属寸るといふ意識又は﹁有限性の感情Lで争ら。故に賓際には依鹿感情
そのものとしては看せす、飢渇・苦嘩死の恐怖等の威信或は陰帯な天候の時の悲哀・快晴時の喜
び等常に限定せられた特殊の威情として現はれる。然し宗致の心理的ま粗朋根城の解明には竺
の正しい普絶無念である。﹁依属威借は宗教の根基で今Q。併し此の成備の本源的対象は自然であ
︵二︼︶
る○し
スピノザは宗教の破壊として単に消極的根按たる恐怖を以で説明するが、依属感情は更に積極
的衝動として書恰・戚謝・愛・令敬をも包括するものである。人間は生の歓びの手段原因を人間に
輿ふる虻のを愛し此の方法を奪ひ又奪ふカあるものを恐れる。勿論生命の源泉は他面消極的にほ
死の源泉であ㌔人間に取つで最守成餐的苦痛的なる有限性の感情は死の成傭なるが故に、.宗教謝
㌧ヽ1.
■一
は人間の死の運命に起因し﹁人間の墓場のみが紳の産室である﹂といひ得る。何づれにしても﹁宗
フォイエルバッハの人間畢ミ宗教太賞論
過重親し、軌念詮的一醐敦及び某督数は世界及び人間を軽親し過ぎる。﹁人間の奥の課題は事物を
それが溺には自然と人間とに就いて深い洞察が必要である。自然宗教及び哲轟的汎神論は自然を
め現耳的本質を肯定せんが焉に﹂かぐの如き﹁廟畢及び宗教の容想的幻影﹂を否定せねばならぬ。
ト紳は詩的本質である﹂といひ得ると共に﹁紳畢は結局詩集に紆するLのでぁる。青々は﹁人間
る。要するに紳は幻想の本質せあぇ。然るに幻想は時の形式又は機騙なるが故に﹁宗教は詩であ
ると倍すれば軸は私に対して存在し、紳の存在を信せざれば、其は私に封して存在しないのであ
かかる意味に於て人間は細々の起源を岩11邑〓・l乳cF邑b乳に有すると言ひ得る。紳が存在す
︵二≡︶ 耳宗教の基礎で今Q。エゴイズムとは自己即ち人間の本質に射する愛でぁる。﹂
けるエゴイズム、人間の本性に基礎を有しそれなくしてほ人間が生き待ぎるエゴイズムがかくし
艶め得べき嘗はない。故に﹁宥ゆる非自然的非人間的要求に反射する人間自身のま萌の意味に於
せぎれば客観的に最高存在を崇拝し、又自己が何等かの仕方に於て頑に非ざれば自己以外に紳を
の衝動・要求素質の地憶、一般に人間の存在又は生命である。ま軌的に最高本質を自己の内に有
︵二二︶− 及び本質であb人間は之皇ボ故に於で軸ょするのでぁる﹂かくて人間に於けろ最高本質とは人間
扱は人間の生命を動かイカ及び衝動以外のものを直観及び意識に封さない。生命は人間に締約蕃
3き好
フナイエルメツハ¢人間孝三布教本質静
六八
有bの僅に審議し取扱ふに在る﹂のである。自然ほ決して精細から洗出したものでもなく無から
創造せられたのでもない。世界を無から創造されたと詭くは、精細が物質的素材一ぞ阿藤から搭乗
したかといふ問に射する遁新たるに過ぎない。自然は星型的機械的化畢的物理的有機的なカ又は
原因に根披を有する存在及び事物の総計でぁる。昔々は自然ノ官許一本質の出番鮎ょす.ると共に質
的第一位としては人間の本琴省令重せねばならぬ。基督数は竿細字獣のクリスト∴ぎ信するけれど
も吾人ほ彼岸の信仰を棄てて此岸の研究、全人間︵G21営巧︼岩el−邑1︶の課題を討究すべきである。
人間が単なる自我に非ざることは既に述べた通りである。若L人間が畢なぇ自我的存在ならば
人間に宗教は存しないであらう。何となれば彼自身が紳でぁらうから。同校に又人間が非我若く
は非我と区別されない自我であろとするならば矢張り宗敢ほ無いであらう。何となれば彼は植物
又は動物であらうから。然し﹁人間が人間たる所以は彼の非我が外界の自然な畠か玖如く、意識
︵二日︶ の封象であ♭彼の驚異の封象であ丁り依属感情の封象でゐち票数の対象であろといふことに由右L
のである。故に﹁宗教の秘密は要するに同一本質に於ける意識と無意識或は意志と無意志との接
合の秘密にすぎ月いのである﹂。人間に於ける無意識的本栗は無底の深淵の如くに自我又は意識に
遭って居る。而して人間を此の深淵に於て把捉せんとする戚情が金は何吻でぁるか?何磨か■†・
何虜へ9・などといふ不思議を随伴して宗教的感情即ち金は非我なくしては無であ乙といふ感情と
3クβ
人
性の本質であり、現賓に存在する耗封
イン一丁イヒデュ丁リナート
なるのであるっ此の自我︷非我との統一の秘義は個
朝なるものは斯の如き個人である。人間が自己の内奥に深く辿り入れば入る群自然︵非我︶と人
間︵自我︶との区別は消失し、益々意識的無意識者・非我の自我たることを認知する。人間とは
斯の如き極めて意味深い本質でJのる。然るに人ほ常に必ずしも此の固有の深みも認知しないが故
に、彼の本質は非我なき自我︵彼は之を所と云ふ︶と自我なき非我︵彼は之を自然と云ふ︶とに
分裂するのである。
以上に就いて宗教本質論の概要を見れば、フォイエルバッハは宗教意識の心理的構造を明かに
し、幻想に於て満足せられた人間の幸福慾又は願望を宗教の核心として指摘すると共に、封象又は
客観的賓在としての醐を否定したことは明白ぢ串賓である。その限♭に於て彼は無所論宕と呼ば
れるであらう。然し彼自身も所謂■亨iく争Oder字苫ぎ已F乱00tから協別せらるべきことを群明せる
如く、吾人が彼の人間学を其の本務の使命に従って認識論的に純化し、而して宗教の冬営根嬢に
六九
封する彼の見解を開費する時に於ては、か∼る無両論がマ〝クスま義の宗教否定論とは大いに其
の趣を異にすることを認むるに難くないと恩ふ。︵一九三〇、九、七︶
﹁フォイエルバッハごドイツ古典雷撃の線癒﹂佐野文夫氏詔岩披文庫ハ四六頁参照︺
註 ︵一︶プレハノ7﹁マルクて.主我の根本間毯﹂木村春鴻氏諦︵一六頁︶
︵ニ︶ヱンゲルス
フォイエルメツハの人間撃ご宗教本質論
3クク
フォイエルバッハの人間畢ミ宗教本質論
︵三︶︵三︶同︵四二束︶
︵〓︵五︶一く・寧邑ニ﹂訂r︼⋮一召已才rd・一手季d・星山gi01=・P才膏h≒ニ一声誓−:箪
︵六︶dil〇・−∽・芦−S﹁ム■g︼・︵七︶︵三︶ditP、芦−宏
︵九︶W窯n d・謬︼i巾iOn−p人岩−
︵膏エンゲルス﹁フォイエルバッハ論﹂︵六七さノく■d●声−Si−寄与
︵岩︶ditOこn.A去
︵〇プレハノブ﹁マルクス主義¢根本間塩﹂︵一一、−二頁︶
︵二︶壷。こ卯告ヾ
l・モ
P誓l丁寧
ノ車
︵;︶エンゲルス﹁フォイエルバッハ論﹂︵五〇頁︶︵一パ︶W■d﹂隻giOn一≡小
モ
、、 1.
︵三︶di一P−∽一望●
︵ニ8ditO−、Ⅵ●崇声
U二︹己ぎこⅥ.彗.
︵l七︶D試W完コd・Cllr訂t3t⋮−一ヂK鼠te一l∵弓︰一.声声望
︵一︵︶
︵一九︶
︵ニ○︶W●P R00.告.
︵ニヨditOこ搾票■
〟抄
モ
−
t
ヽ
一
間
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
l
毘
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
■︳
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
いが現在焼く普通に粧絆せられろ排で比﹁拙捕鯨起と
分別n性線剋に就いて
緑大乗諭に放ける縁起諭
l はしがき
ヽ
ヽ
粥軌背磋を始机とし無若が建設し批軌によりて唱導 比頼耶は印度の語にして共に阿相耶L.√ふ。吾人、摘
ヽ
せられし教法、これを準ぜし僻性、安悪、椰陀、陳那、紳界に於ける一種撒釧なる心にして此心能く一切萬物
ヽヽ−︳■▼ヽヽll︳ヽヽヽヽ
護法、及び支那に於ける苑評の郁論再ポ、玄肝の法相宗を闘敬すべき帰因む描滅す。是を1試て天地萬物両帝か
れども此継起諭にありては然らず、更に進みて非兼を
和明払起といふ名耶に就て印度に於 論にありては、前物開発の原因を自己の業力忙裾した
に網承凝適せし孜隼を一般に阿州耶払遇論を説くもの 之れが鰹瑚、問‖にわらざろ新あらん。かの業ば縁起
としてわる。こ
ける訪論群には余の高のためか記職して居るものを
︶
︵
見ない。恐らくは支那沸教に於て硫論景か或は法相宗 保持する阿蹴耶に就て、萬物槻菟の胃を諭すろが故に
の人々にょつて初旧されたものであらう。その初昭肴 此の論を桝して川棚練起と名く鳥なぃ﹂とあり、その
はその名耶に就いて充分なる思想史的根撼あり、明粧 ㍊昧は吾人に〓聖傲紬なろ阿頼耶識ない点心ありてそれ
なる概念象れしてゎたであらう。その節初に於て瑚哺 が天地霊的物−餌㍉、両川草木をも創胱犯するものであ
一
﹂
縁起の忠味が如何に川ひられたかは未だ研究してゎな ると琴へるのであ・ろが、それならば西洋珊埜に於ける
描大東論に於ける繰越諭
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
フ.●J.ウ
ヽ
ヽ
l
ヽ
ヽ
ヽ
抜天来論に於りろ繰起論
七二
心三復彗印鑑に於ける教諭の輪要訣である。それがものが何か.等の訪問挺を例にせんと欲するからであ
耕耶線起の苑意とするならば、その椎念を以って印る
度。かくすることによつて無著の唯識数拳は切に吾人
〓
部派彿敢の識について
川さる1であらう。
に於て猫通せし唯識改姓ふ向合することは摘めて揖の
常前に開示され分別白桃紘起の名耶の舵史的偵他も見
を拙くと考へる。それはmも苑如振起に於てもそれが
支那沸教境界に‡旧され、その意味が﹁最知なる本位
あり、それより常物を創批犯する﹂と一般に理解され大
て乗の晰諭教鮮に於て、阿捌耶誠が施設せらる1以
その先駆思想として、部派彿故に於て柾々なる誠
ゐるが、その概念を以て起㍍論の〓小懲が眞如扱起前
諭、を
として叉、山ハ諭の根断として、識脱が想定せられた如
名が設けられたのは業の思想から必然的に論池の王位
出きたる論外なりと上張すろことは無即であり、五名
駒が立てられてゐる。其等の部派に於てそれぞれの諦
を失したものであると同様である。
抜て.然らば印度に於て唯識敬畢を如何なる払起の
名耶にて呼むでゎたであらうかっ唯誠忠憩の娃設者く
な思はるる。
コl呂・p弓竃・pも、化他部は椚批死蓮ハY㌢賢一づS阿房Fl乙訂,
描大乗諭には大衆部は根本識︵早︻巳買ij欝np︸Rt卑bモ
は分別自性練赴.二には分別愛非愛称起﹂︵大jE呵河誓・
莞b。1官ji・乳d・p景phu言。︶を立つるとし、眞紳謬、放
る如背は、共著.描大乗論に於て、﹁二組起有り、一に
−こ監c︶と糾する。この申節二の紘起は根本彿教以来
の十二鍵損をいふものであーり、第一のものは起上火
り乗論
論紹たは.正晶郡は果報誠︵くip賢︰7く膏賢P,RP呂・
ド
じやうとするものである。かくの如く、殊更に此を竃
諭資iコ・pモヨ買・P弓巾守P︰↑U.経北部は一味舐︵E打?牒
字u㌣つOrOgC⋮g・PP︶、或は如意識︵S巴ぷ己冒Pn邑
を説き.玄肝謹、無性晶論揮、並に蔵澤賦大乗論忙は
ほk旨︵〓−P▼
するのは阿轍耶識とは正しく如何なる概念であり、如
何なる租に於て轍埴するのか.阿麒耶識の聞損とする
∂J〟
春分謂 ︵要害旨軍く⋮如臣宇野宇つ思iブコ﹂毒rn⋮・p弓
扇・pもむ上座部、分別説細事が説くとせらるる。
是等の焉講が如何なることを説くものであり、如何
わるが有︵︼ぎ一・hlりと竺二右のことでありP茸Pは轟は
問ハぎluUの裁と解してぉる。それ故に有分識とは三布
の囚請、有をしてあらしむろ師岡の諭の意味セある。
それ等が輪廻の王惟であるからといふて恰かも旅人
るであらう。締要、怨下水に阿麒耶諭の十八名をあげ
である。囚操即ち有を存在せしめてねる識と即解さる
我々をして欲宥にあらしめてわる根本の原田請の意味
が甲地より乙坤に経腔するが如く、北づ、人趣、或は
てわるがその節十八は和とあるが此の意味であらうか
なる恵昧に於て阿蛸耶誠の先駆山小想であるであらうか
天趣、地獄趣、餓鬼趣.薔む趣密が布衣してそこここ
は上らく†I−た
ら名に於て柵ひ池するものである。
ヽ ヽ
ものではないことは第一に津志しなくてはならぬ。其
外道の我.若しくは有情の釧鬼としてこの、誰を説く
し又、何が締と名づけて赴の如きを得る、と問ひ、誠
て起し、その答に、此の打相−境了知す吋からす、と
・r且とは何であるであらう。この間な大乗成業給忙於
然らば諭である以上その併線︵Al琶b呂⋮r︶と行柵ハ穿阿
等のことは漸次明にするのであるが、これより、謙部
と答へてわるが如く有分捕に於ては識とはいふものゝ
七三
の意味から緋郡の棚悪諭の名が命名せられたものであ
はる。この併級..毎相が測り知をを得ない微細なる諦
してのmのない併に部次の其等の諦の特徴があると思
の輔係史料は稜々あるが 併放と行相とは知り得ないので
︶
定等の位有能の挿を執るが如く境界、福相知り排し,
有分献︵望喜已匂去惑詳鼠
極大発給に於ける繰越給
字P■い沙gPとは撲鐸では和介、和文、問賛辞されて
と中心として鋲ぺやう。
渾道論︵つぎ岳E・喜恵官舛lノ、・≦騨巴ウ?再訂n告辞申告↓︶
︵
めつ1要約し説くであらう。
次の思憩の中∵錫舶上座部の有分誠について代来せし
れが彿教である限り、部派彿軟といへどもかくの如き
を諦が経歴するが如きに解してはならぬのである。そ
3
フ.プア
摘大束論l二於け丁ろ綜渥論
一〇。然しながらコ妻已耳圭亨℃に於てその行跡Jぎ鼠
が説かれ.共起には認識の過程を↑iニicぎ号㌢火肪心
起︶として十川日付が説かれてわる。即ち、右分純な
てぃた
る附識附から如何たるわ拙にょつて⋮心肺過程が摂する
かを祝いてゐるのである。†、その十川わ相の名‖を
雛ぐれば左の如くである。
ノ1三︼一ハl﹁−コP一命軍り
暑
首ld.賢E三ニ︰⋮r 浩嚇・﹁二嘆鼠︶淋
粒︰Gt〇㌣hP
Gイ?hP
〓疋の封照に示すが如くノ、i蔓l≠小⊥≡窮ドに於ては十叩わ
は八わ川、成唯識論述㍊には九心髄
刷となつてゐ一りが雛脱通論︵佗彼庇抄造.櫓伽婆羅謂
西紀∴在∵五年ソ
といひ最待に丈右分心キ入れるから択は前と川じく八
わ川であり、班諸に九世紀頃の謂であるが七行拙とな
ってぉる。足寄の小、歌の少いほどその原形に近いも
のであ一万と思ふ。購嬰にはこの八相和lの申.兄心のみ
古︰識に通じ傲他は第山ハ諒識であり、右分捕のみ死・生
に法る識としてゐ′リ。十印行相と敷が桁臆したのはムハ
誠に池する見心を問いたものであつて見心を眼識を配
してそれより恐・祈・昧・朋等を加へたものである。こ
れは山ハ識を立てる仲秋を牡牛せしめたものであらう。
そ車故に此の形のわ拙として扶数の少ないもの榊原形
3.フ芥
をホすであらう。今、非等の二∵川につきての粒述を
押出して有分誠の何たるかを知るであらう。
ヽ︳
﹁葦忙.八欲界韮=等のカ川ハAヨubll腎P︶に上り、人夫に
ヽヽヽヽ−︳▼
じ′・ド肯?≦j別号Mユとの説明である。井守の一々の法相に
とあるのは∵結小心︵−.鼠ぎd︼li・eぎl︶と有分諭ハ字・
賢︰︹−このカmは阿軌耶誠わ捕手といふに等しいもの
93ク
押び亦、かくの如きに於てかくの如くなり、相続、
統柑に於て、他の心起に於ても河の流の如く夢を見な
いことより眠に入ろ畔昔に於ても無歌劫の問も亦紬す
人肌に於ける般茶迦︵去勢者︶等の状顔面なりつ1、
一〇と、かくの如く基等の請は石分のカにょつて亦轍起
カなき二国華異熱と、折損わ無因異熱の意識界との九
ついては未だ明かではないが、結批心とは曹通十二級
衆症は胱れる。その時、披許の死ぬ陣に、近作せる業、
異熱心が結生のカにょつて軌する。亀井、無色昇華の
起の識を説明する托胎識でないことを槻取せねばなら
すーJ知るべきなり。﹂
カ用によつて包、無色和に怖する。その時、牧牛の絡
ぬ。それは我々有情がこの欲界に粧し種々行‡を精み
某相、趣和が、ある碓曾を得て、八持肉欲外異熟等が
ぬ畔に、近止せる業、業柑が、彊に械紆を符て、九色
命総の時に業と荒川と趣仰︰︵い已㌻㌻㌣亘のカ用、Aコubl︼
又、不前の力Ⅲにょり悪他に貼れる、その時、彼等
を指すと⋮心はれる。拙論論にょれば証端部は種ナを無
ヽヽヽ
無色外典熱が結生の力によつて擁する。
の死ぬ畔に、近作せる基−業州、良川がある機曾を得
火と呼び、大衆部は郁識,石部は同障即と名くと。種
’ヽ
て一不繋異熟無因意識非が精根にょつて輔すると、か
子の名は結八八部の川ふる併であらから.この限り阿軌
’︳▼ヽ
七∬
ヽヽヽ
くの如く、こ1に十九の異熱論が結根のカにょつて轍
耶誹の思想は経常邪に頁ふ俳人であらう11⊥に上つて
︳ヽ
起すと知ろペきなり。抗生識が叉滅したる畔.それぞ
成る樅命を得て、ある布に雄一〇1のであ一っ。そのfl三な
ヽ▼ヽl
れの其の異熟有つ一意㌃とーぎ、がその機曾に於て、か
紙ぶ心が結小心とい点る1のである。こ1にある有に
ヽヽ▲’
くの如きむ右分濡と名けられ輸す一り。
描大乗論に於り一ハ・線起論
ヽ
批る1といふのは.この心は業柵と粗相とを、カ用と
敢有の諦といはる1より.正灘部の果報識とはこの常
心によつて起されし講が果敢諭といはれ.有分識が果
七六
して、持ってねるからして.非鹿に五嘩苦界も頓現す
に異熱諒として柵出する上旬名づけたものに外ならぬ
欄大乗論に於けろ線起論
一Qのであつて.旋人の逆放を改むるが如くではない。
と考へられる。
次に轍心︵㌢争5且とはその語が示すが如く﹁に傾
特定の他に移植すろのではなくその趣をも剃那に展開
するのである。その全然異なれる有を結ぶ心が結生壁
の心が有分心なのである。この心は河の流の如く特々
といはる1。即ち、jEしくその其の果報むうけた状態
その結批心が滅してそれぞれの業の異動有が有分諒
って、客枇の未だ知覚されない化である。綱要の若し
斬らしき客推に附する志の柑するに名付けたものであ
二伸意志詭の柑すん位、その有分の識域小に来りたる
の引督することである。即ち、これは有分を動揺し、
くこと﹂﹁心を留むること﹂の意味であり、心の轍、心
相紙し冊斯がない。こ1に河の流の如く.といふ比喰
境、至ることあらば、心.級々欲するの時、梗ち.野
心といはる1のである。
より解深術撫の阿陀那誠の暴流の如しといふを却ひ目
党を批す。能引致と名くとあ一りに上りて知られやう。
である。それは何の流れに立ちて上流と下流とを福別
炎熱有なる有分心は結批心との問に間髪盲人れぬから
分蕗に含めて考へてよいであらう。何故なれば、この
非の他のものには結牝心をあげない。この給仕心は右
に於て結蛮心と有分諦とを二つに分けていふけれども
と不可意檎なる塊に於て、不善炎熱と.かくの如く十
可意捨なる境︵ゴ月旦に於て、薄魂熱、不吋意なる
つ⋮耳.鼎、再、身諭等博する其符は吋恵なると、
紺色と根城とせる眼識.耳門に於て腺併作を行ひつ
轍の無間に.・又.限門に於て見併作一甘行ひつ1、脱
次に見心とは.
ヽヽヽヽヽヽ
しその思想の流を轍取すべきであらう。この十川行柏
するに等しいからである。又、先に運べしが如く結牝
ぶ抑
の異熱誠が見、聖.昧、嗅、購の力によつて柑起す
分の如問忙轍、榔の難問に見守と心の必然に上りて
賢に.ある右に於て一切の投後の有卦心.その心の
再び.三度、あら右に於て有分の濃くる限り樽する。
とあり.瞞更には﹁其心.純に此の境上に於て樽じて
それから没することから耶︵2ticittP︶と言ふ。それ
と如もべきなり。
見て彼身旧嘱す﹂とあるが如く.正しく山ハ識の境を党
故に、それは叉十九種既に有り、かくの如く、十九
何たるかJ甘Ⅱ柵すること、安正つ.〇写︰lp呂且とは非の
察すること、等Ⅱ撒㌫Pntぎモ︶は既に察し已つて境の
に輪廻しっ1衆批は斯ぜず心州紳轍ずるなり。又こ
く、右︰字雪少︶.趣︵○鼠︶、任ハTbi↓i︶、杜屁︵コ訂軋、
汲より叉更に緋批、結壁から輔び有分と、かくの如
の異動識が投のカによつて噂起と知るべきなり。
葦憑む知り心の安宜したる位、勢和︵JPT呂もとは梶安
こに、阿騨濃に通せるかの人の淀心の減に於て減
︵誓−・已dbP巨︶ありと。
心ほ有分心を言ふに外ならぬ。即ち、有介心のその初
ないことよりも知らる1と思ふ。かくの如く.ある和
と捜心とが彼の加竹なることは其の他の史料の言及し
逆縁の終末に.叉西び右分に轍ずる.有分を断じて
■
−
レ∪ト︼
に於て有分の轟くる限り輸するのである。こ
︵字Pヨ︶
税大乗論lこ於けろ繰起詮
又輔︵心︶等と。かくの如く、得たる練の心州税は有
ものであ乙。
とあるが如く勢用心を反省し思椎の止むる心に名けた 分心にかへるその終末の心をいふものである。紙蛮心
肺に休塵を欲せむとす、速忙役、前の併仲革に返級す﹂めが結批心といふ、排々の行相をへて、最後に、又有
心.︵Tドd・ぎヨ≡P鼠−とは﹁心、動作を損じ既に興せり、
を起さしむ一リカ弧き心服故に名けたものである。返橡とは、授心︵Ptiを£を説明するのであるが、この技
に侮って似ち動作ありー勢川心生すLとある如く動作
心﹁心、語を起して分別し非の茸窓を説く一基の苦恵
断交心ハS呂p邑︹CFnド︰・とはその境に射し其の華悪を
知するをいふのである。
3JJ
剃榔剃那に生滅するのであるが一頭の五沓をカ川︵梯
う。生死に庇って相続流隠する潜の我である。五紙は
の意眈た於て化他部の窮壁死超の名を得たものであら
し人夫に掠るれげ櫻搬等を見るとの語を別ひてゐて有
とあり、若し悪道に生るれば火郎等を秘するとか、若
‡無色講話誠此石倉、試用則鰍、如d梨耶及意識血。
一一り
シハ′
辣−旭。若欲界六識払敢壁凡夫不レ能短。乃至無色亦然。
七人
子︶として持ってわるものが有分誠なるものである。
介詭が分別心の如く侶はる1けれども正しく耕す一〇の
繊大束論に於ける縁起論
又、基軸の抱くかぎり輿斬の草蕊を牡恋して三石を轍
は山ハ識であつて其等の見る、羅するは現するの意味に
′セ.ハハル十
する形和上準的鍵在なるものが有分誠なのである。こ
とるべきである。右分識とは渾沌論の説明の如く無分
︳,lヽ▲lヽ
︵ソ呂p・ノ﹂j試l凰であり、損死を窮むる訟︵Y腎夢−訂賢r
ヽヽl
の宥分誠か滅する畔阿羅淡といはれそこに自性溝渾心
別心である。然も、三石の囚であり、有の根本であり
ヽヽ
︵㌢打ti・琶どEh:i旨むが、鋸現すると説くのである。
総じて部派彿教に説く併の諭は有分心をR−一.プPて
Ⅵ⋮ぎ
㌢㌻はSub仁日i︻l巳eOロ巴○宕−−篠−Su訂On乳OE︼i訂りgtinuu
、ll≡l︰∴常に剃姉別那、業火軸心︵ノ、1官k?く甘賢P︶で
鞭すること暴流の如きものである。その自性は無記な
SCFO琵iO∈F巨已︼i訂等と押してわるが如く、諭とは ある。それは外道の我と名付くべきものでなく屁粗相
いふもの1何等級通ある分別心でないことである。然
りと踊識諭には規定してある。
阿穐耶識
て新井、鮮紬等の意味せあるが、愛ポ、食著、軌莱.
阿抑耶︵どP3しはその語義からいふとど薫↑であつ
三
もこの諭は業︵梯子︶業相︵五根︶趣柵︵許外︶のカ川︵種
ユメ?シ・パ
子︶を持してねる誠なのである。新蔽論︵大jEHH誓・
タノ
吋.00S1.b︶には、
ノ・“ツ
何校耳有全軍一期生巾常雛二疲宇目む人夫一此識見一一
欲食許の意味となり、見る、推す、隠るなどより家、
′
様似等ユーi報︰若起宍葡用免現時一期不−兜一血講周一若壁−
シ†バ′′ナJ・ソレバ
伴野、貯蔵俳の意味となつてくる。この阿勅耶が阿合.
3Jガ
イ
ソシサバ′′
一︰′
藩道一此識−但弥j火串等棄軸癒一大惑耐血一則不.錐1此隷
メ
の二郎とは一には京紫出、変紫過として軌︰常のか1つ
依止鹿の鶉であil、前帝も綾帝も二棉に分けられ綾音
で企・新し要執する阿頼耶.他は併動の阿州耶でバナ帝展.
抑耶諒と常詳し、招舶︵識︶、即ち∴机識と挿してわるゥ
製︵黎︶耶轟と・け諾し休作︵識︶の宮山吐にとり、玄弊は阿
㍑阿禦面識と・章澤し満作︵誼︺、小謡と諾し、笈多は阿
於て什彿陀㍍多抹阿卿帰識と常州伸し宣︵識︶と詳し眞舘
明断してわたものとm小ける。この雄岬に仙骨⋮する浬鐸に
た場A=︰二にけ休止庚、仰仏幽の武で食署のかゝられ
こり申.第一の最多わ滞は油畑⋮でたく、支那に於ては
︳■■●・′・.
場<〓とに川ひらかてゐり匂ことを比るとのことでかーリ且
・ごじり・Pを就−木ハソ岩†仏法︰・P且の意味に理姉してわ
比和耶に於ては二耕の見方があ■り、.は能動〃阿頼耶
︵1、購大乗論に於ける阿留耶詭の阿州耶が如何に併せ
たものであることが知れる。餌ち、阿親臨詭Tは祓誠、
根小龍、揮休識,紐基識の出足味に川ひられたことが知
られてわるかを見るでわらう。
購押に於てぎ.1い〃の神霊︸∵︰〒笠∵ェ賢︰−り夢eコ・p︰一と
諾してわるが維新の意味は.欲の意味であつて阿酬邪
識Lしは如何なえものであらうか。それは恒に〓捌︵ヂ﹁
くの如く.阿頼耶山端々雛して正しく阿緑耶
られやら。
か識諦
論む謂す畔には川わないから前者に榊㌫すろ沼繹む兄
ればよいのでぁろ.父∵前作の舅キー明′︰∵亜tiしくは︵1■資
のであり、︼ハ亭椚リFiのみが阿頼耶描出何軒耶む押すの
それは一明雅教法に休止して和子を郁持し川推伸して碓
三机によつてぶ肋宣;∵㌔〓榊とは〓‰の川である。
−Lハ“呂︰J、因州︵⋮︻三L巳ぷ革r︶.張州ハ≡︰巨Lハ呈雲︺の
である。それ故に藍恥岬わ咋棚状はrrTぎ㌻−首・キロぎレ・︰︻
教法山井何と年∼ものをいひ/〓川とは雅轍法忙射し
L′謹す畔昼作居の意味に位ふ
の詰昧でぁる。河‖想甑帥は拙基識と照付してHられる
てい・、〃ものであり、阿糾耶涌い〓の一切巧十は鮮教法
にしても㌢リ・−を︵㌻己
とのこ土であるが、差・キ澤に⋮しー一日心ふ。出ち.輔繹希は
の囚で㌔Iり、一切畔に現前してわろことをいひ、又、
七九
阿勅耶識む言切の根木の識.一切の併休の識の幾晩に
瞞大乗論ド於けろ純起論
フf.7
形而上的の識としての瀧拙の濃悍なるものであろ。そ
八〇
一葉相とは阿頼耶識が雅無法の無始の畔以来薫習に休
れ故に一畔はその説きカに迷托されるものであるが.
瞞大乗論lニ於けろ躾通論
止して批する異撒某についていふのである。それ故に
それは、部派沸教に於ける識と相違する特異なるこ
その全問の瀧川を即解しなくてはならない。大乗従が
るのであるが、純子とは我々の‖借、打順しっ1ある
とは阿州耶識は根本分別ハ2苧−︶DErn弓−p弓ユ〇雪P︰∫ソ丁
日和の上よりは戯識であり.同和よりは錐教法の根本
名言兼習、我見兼習、右支尭習にょつて阿頼耶誠の内
己§ikそユであるといふことである。この根本分別を
特別なる阿抑耶識の名椚によつてその数堪を施設した
容となつてゐるものである。かく、梯子誠となり雄染
世親膵に扶、﹁〓止れ一切け別の根本〓陀なり、亦、分別
︵ソ呂じり依︵㌢r︰︼リ﹂こであつて純子識であ・り、先付の上よ
法を輔攣し染法は阿耕耶誠に某省しっ1暴流の如く川
即ち阿黎耶識﹂︵火jL
のはそれ拙腰の理由があつたであらう。
斯なく拙組すると説くのである。かく説くならば郡涙
耶識は一切の分別する根本そのものであり亦分別する
りは某報識である。その就識といはる1は種子を成す
に於ける形而上的雄花としての識と何等の差別を親取
識であるといふのである。それ故に阿勅耶識が根本
HHH︻.;℃.P︰と言ってわる。阿捌
し得られぬであらう。
阿朗桐油がしかく騨さねばならぬとするならばM小憩史
以後に於て黎通せし唯識敬単に於てその根本施設たる
理的−僧値的、行馬的︵業的︶の誌昧に於て理解すべき
らぬと川小ふ。その根本、伏とは先頗的、認識論的、論
川ふる概念とはそこに州迎のぁろことを見逃してはな
であり、依︵㌢rい呈︶であるとは、郡派沸教の
的逆輔セあるであらう。勿論−その施設にあたつては
ものと倍ずる。減識、種子識も亦この意味と考へるっ
︵ソ訂lP︶
邪派の非等の識を継承したものであり、骨⋮時の印度哲
然らば阿搬耶識の所縁とわ和とは如何に説明せらる1
共してかく理研すべきであらうか、寅搬数隼の勃興
畢の軟論勝論とも柵ひ交渉⊥て居り、教生的、心理的−
J・〃
であらうか。それは次項に謀るであらう。
四 分別自性絨起諭
性差別囲練、町笈多は自仲介︵分別︶紅批、︰眞諦は分別自
性線生と鐸してわる。
3jβ
であることはいふまでもなく、その十二囚級は根本沸
起は彿教の中心敢即を璃すものであつて彿陀紆情の法
別自性紋起−二には分別愛非愛称起と説いてわる。紡
大乗諭忙は大乗小二棟の甚探縁起ありとし、一には分
ついて述べ来ったのであるが、この阿斬耶識を説く郁
ることは〓東山でわらう。ヲMl打−■iこLLは?人前方.始
れを瞬別しなくてはその川起としてゐるものむ把捉す
諾す原親⋮であえPr旦ハil㌻p巴⋮冒㌢ことの州迎である。こ
此脇に洋恵せねばならぬのは班澤に於て同じく自性と
たらしむるもの﹂の忠唯であり、〓什.件と薄さる。
P
此幽に於てS召b宗畠とはⅥTp︵〓︺十bb耳P︵bhG.十
教掛抑の中心を茄すものであZ.。この十二級壁を北署
抑.優越︶十−ハエ︵岱す、仰る︶+ュであつて︼山tCr巳マ
︵エその際語と語の意味、己上、阿紺耶識の概念に
華匪は分別愛非愛扱起と耶してゐる。分別白桃級起と
にはリー旨呈−︶の意味であつてとOE訂エ⊇lF≡″
dgs計ロde︰であつて﹁法︵存在︶をして〓らの存在
は大乗唯誠教拳の縁起論をいふものであ畠から、この
にはlb:Jご耶2ごr蔓ul乙訂E
l︳lヽヽヽヽヽヽ
Cコg冒巳er
の新帝
払赴の即酢により、我々の正に知らねばならぬ依なる
priE︰lりSubs−呂諸と輿へてゐる。s首打首P野草に於ては
とか或は
阿脚韻を知り、晰識の抑に情人すること1なるであ
このアドkri一iをげ物質外の根本創眈氾粛.若しくは、創
rコ冒・p与.亭尋 語は駁論のその悲−妹に川ひざること仕勿論でぁる。そ
ヽヽヽlヽ
らう。先づ我々は原語より吟味して即酢に大過なきを
造の受動力の意味に使‖してわる。沸教のゴ已鼠tiの
ぎ・b?かid
剃しやう。
分別白桃級起とは戒評には
八一
悪の意味であ・る。それ伏赫語に於ては均等b資コ.であ
れは那常にも舶へへてゐるほに法︵丁ニキ0︶の本来の形状
−丁訂畠ココ昌占苧さreTpPr・嘗苫㌣bPとあるから苧P〓一号・
︰↑註音名鼠t3巳一ulp仁一㌢の梵語でれるであらう。后多は
鳩大衆論に於ける繰越論
▲▼
如ならばTPt訂一打であるがワP‡liは∵細目ら、如そ
り、SiFt罫 の意味に埋崩したものである。即ち.苑
味である。この語をノ、i邑−E≠︰棄P︵p.買.︶には、共に
ii子−−イニt+\慰﹁︵持する︶であり﹁坐﹂﹁赴﹂の意
﹁相ひ接近して﹂﹁仰ひ依りて﹂の意味、芋完亘p詳と
八二
のもの1義である。それ故忙この語は自性捕押心ハP.T
︵S賢÷に批じっ1、又正しく﹁Ⅵ弓≡ヱするといふこと
礪大衆論lこ於けろ蛛誓
k邑・召㌢邑dF・良−p︶、本来清浄、或は、自性︵本性︶配架
であり、各々ではなく、亦無川でもないといふことで
ヽヽll、
︵Pr昇一・iチ已l・鼻声︶、等と位相されてわる。それ故にそれ
あるといつてわる。それ故に組曲とは﹁細線りて北ハに
ll■︳
は資怖概念の結びつかない語であつて以上の忠明から
Sl♭許YPを亨ドl阜iの意味にとつてわるものもあり注
倣って本性の評語をとるであらう。然し、論評に上り
るであらうか。最論にはそれを諜明して、阿頼耶油川に
るが、正しく分別白桃抜起とは如何なることを踊示す
︵b︶その概念、かくの如くこの語ぶを比たことであ
眞紡がs∂b訂Y,を自性と押しP邑阜ti本性を諾すに 摂すること﹂となろであらう。
志すべきことであり、自性︵㌣Pb試∋﹂察の概念が本性
依止して諸法の隼起することが分別自性であり、秤々
ヨS言︶と偶るへ巳、rつⅠ・り.リ㌣︰−りと。ヱを苑諦謂の佃凱
の自牲を分別することによつて、紅の根凄ハヲ号雪7
︵弓憎ま︶の薦味である。
かくして.此戊に問粒となるのは㌘︰身iユでなくし
てS一さ訂召の概念である。
絹論には笈多、玄非等のそれより精しく持されてわる
が、その阿肋骨耶識に休止して話法の隼起すること、足
分別、ノ、許すとは題計の意味である。この戒澤は
出首⋮・召r・b.ぺ?﹃・C呂とありノ、己l︰音Pとも考へられるが
■−′
を分別〓件綾里といふを挿して、
梨耶識︼則更得レ隼。話法亜以一l阿黎耶識一偶さ通関︼是革分
由語法種子融和黎耶認証法狭小町外紬苫典俵一l阿
−ユズルソ′.スルハヽヽヽ︳●ヽヽ
リ
′■
シ■ソ.ハレバ
ノ.i打巳pPでょいであらう。
扱起の肘摺り邑il叫声ヨu官㌢に於て守巳首Pは吋rP一i
︵﹁⋮に向つて㌧︰・近く﹂︶+く﹂︵行く︶+︷yPであつて
Jイヴ
▲
ユ′′
シ・/スルヘインク
別自性︰何以散様々諸法推性生起分別差別。同山−・阿寒
ぃ∴ソ
しめ什押してゐろ拭酷であろ。この日他に射して自性
客なりと主張し話法の臼杵はたゞ名であるLJ唯名ハヨ・
耶純一頒由故.弟分一別耕法扱生白牲此唯画黎耶識。
己呂︰lす︶の教革を※張したものが般若教畢がある。そ
’ ス ト エシウバ ヽ スル ヽ 、ノ 、ノ︳、ハ し
といひ.・種々法む分別することにより、開設の自性︵と
の椎名の軒隼を明伸詩論的に説明したものが哺識の教な
′
ズ
′
ニ
って講法は唯識︵ノ、萱量iご″︰lぎ︶であ一?といふのである
サ
ーノクバ、∴んハ
遜三界訪法‖仙餅、若分別鞋起因一昨〓竺詭。若分ユ別諸 のである。諦拭は自性なく賢在としてあ・るものは唯名
シヒバ′りし
馬る︶故に、を即して.
′′
である。その”¶ほ我々の識の丁別したものである。そ
ヽヽヽ
と言つてぉる。餌ち、一一切を話法が亜起し、差別して
即ち、この唯識なる自作を分別すんもの即ち、これが
の門在としてあるものは損に識丁別としてあるのであ
わるのは阿朗耶沌があるからであ・り㌔阿蛸耶誠は諦法
阿頼耶識なのである。かくの如く詔法の‖性む分別す
’ ナ レ ′ ナウシクバ スル、 ′
’
法性一郎是此礪若分一別誹法差別一昭従壬此誠一里是政請
,′ケ
ナツ
法由一此識︼悉同一性。
の通陶であ少、かく舘起してゐ㌫根本となつてゐるの
ろ根本が阿州耶誠なのでわり㌔
話法の‖性であるならげ阿抑哺誠の坪紋︵ぎ三訂1−占と
阿頼耶識が根本分別といはれ、その分別す一りものが
はこの誠によつてゞある。一切ぷ法の自性む分別すろ
のは即ち.この附糊耶誠であり、講法はこの識によつ
て同一の牲であるとの趣Rであらう。
品■計訂∂︶を分別するからである。〓性とは説一石部
の根本白位となつてゐるかといへばそれは諸法の円陣
於てのぶであらっ。何故ならば≠ハ等の話法をしてあら
併努が、即ち.怖紋であると諏肌するがそれは後仰に
般に、その併紬とは種子と右根身と器非とであつて.
は■1作芽P事ドノ・︰rリたりといはねばならぬであらう。一
の敬称が桐敷としてわたものであり、法の脛︵臼杵︶恒
しむ一りのはそれぞれの紘の〓件を丁別するからである
阿郎耶撥は松本分別といはる1が何を分別して話法
有と.ま訳す一山併のものである。講法をして話法たら
柵大乗論に於ける繰越由
?イ7
八四
塵詭︶となる。如ち.色等の法の挫在すると考ふるの
域大束論lこ於ける縁起論
釦ち.阿組耶讃が持疲︵併建︶するのは諸法の自性を丁
は色払をして也法たらしむる白粧ありて任持するに上
ヽヽ■
別してそれぞれの法を雄報せしむるのであるから臼性
るとせらる㌔然もその自性は敷地・質縦の我として
lヽ
ヽか
ノ く識・つ富貴i︶のみの存在なるを知らずしてその戟
しての、射ち、AユF・ゴ膏ptiとしての存在なのである
我々に丁別せらカ1であらう。■かく色絵はくij⋮虐.tiと
︵冨㌢︶を所縁とすべきである∪
かくの如く、阿劇耶誠の断線︵恒FmF旨且を理解し、
はた′’
その行相︵訂夢︶とは如何に鄭はさる1であらうか。
lヽ
それは請であるから丁別︵く常長i︶として行き来諭
.
一切の諸法を差別し轍雄︵冒i㌃m且するや一切の諭
を塵︵境︶ありと通計し塵誠に門布地念を垂へるのが我
挿†がた
る1のであるが、5j㌢日は辞について述べられ諭
︵j首鼠Cは相識︵崇邑旨七萱ぢi︶となり、意識の識
︵ぷ茸島︶ の相となつて鄭現するのである
川の時にぷPp一ビの譜を用ひ玄非は時に丁別の評をす
︵リー60鼻訝旨く音名丘と肝依止︵前波の蕊取と染汚の
我凡夫の立易なのである。かく阿朗耶誠が裁許として
るからその評語を用ひ、叉、諭相の時にも一点菅笠の
怠︶とは見識′宮戸七膏ぢ芭となる︵大正H唇巴.p
つ藍許p島の語は多くの壊A〓ノ、膏ンgと同じく蔽と許さ
語む用ひ挑押は誠と辞するが誠恰の譜のそれを隋別す
l串ふ︶飢も.範誠︵塵識︶として能班せらる1や、諸
ヽヽ
る偏に相称氏の提示されし表荊の謬をとるか或は絞
法は柵誠︵柵分︶と見誠︵見分︶とに分かたる1。認識せ
lヽ
lヽ
っ、留置i︶ として蹄別しやう。かくの如く、阿樹耶誠
らる1法も認識する法も一切の存在するものは識︵くi・
ヽ▲︳
木なのである。
はる㌔かく阿鎖哺誠が諸法を総起する練性自恰、松
j印Pp£として存在する、それ故に三界は唯誠なりとい
は冊に自性を丁別し.訪の衷諦としてのみその行相を
封はす・のである。
今.その阿鰯耶諭より諸法の扱起する相継を説くな
ヽ−▼ヽヽ
らば.阿搬椰誠は自性を了別して鶉識︵Aき守く寄与.
34β
我々の日常経験からいふならば.我︵有税身︶.この
世︵許世輌︶にありて種々練成し非を行って︵梯子︶ゐ
この柵を唯誠教単に於ては依他起和といふのである。
砧大乗論には阿朗耶誠を種子と偶す亜妄分別を兢する
の誹誠を編許するのが鋸計併執柵といひ、我々凡夫の
るのであるが、これは阿覿耶誠ありてそれぞれに飛誠 肝の訪諭︵ぷFpti︺を依他起肝lなりといつてわる。こ
︵境誰︶として轍燈してねるからである。かく阿麒哺叙
は我々の存在を規定し思椎の取扱となるもの、先験的 日常の牝括柵である。この依他の講識は堆性なく唯請
う。Ll常の経験に光ってあり.それむ成立せしめてわ
の如葦租は編計の批清であつて苗浸洗輔の阿東耶諭を
線起に悟入することが可能となる。然し、我々の郡班
取るものであり認識論的根本挺靴といふことが田来や であると知るのが間伐雄性であり、かくて、分別自性
る動からその依︵㌢竃P︶は論椰的根按と解すべきであ
編計しっ1叫び阿頼耶諦に弧督しっー梯子を赦せしめ
韮詭としての存在であるにその境識︵Aユ訂・く菅旦i︶を
大乗俳教が阿蝿耶誠を建立施殺したのは部派彿教の
に唯識教畢は宗教として意味探きものとなつてくる。
亜清を轍過し一切法唯誠なるを螢如し照験して行く肝
らう。かく一切の諸法が阿鯛椰諦忙依止して榔壁して 柵紙︵SPn昏P︶せしめつ1あるのである。この凡夫の
つ1暴流の如く柑紐するのである。かく阿頼誌忙上
識から成正してゐると附すべきではなく、‖近郷の存在
ヽ■▼
するものは阿榔椰誠収練り唯満としてあるといふこと
ヽl
狸諏の如く解して、この我も泄非も眼前の訪吻阿覿耶
ることを忘れてはならぬと恕ふ。阿桁耶誠を教諭の轍
的、諭椰的,行侶的へ業的︶根撼︵訟月嵐としてゞあ
って諸法は鶉誠上して轍慶しっ1唯識︵≦j別apti・1邑守心理的.形而上的僅在としてゞ仕なく先験的、認識論
語
£として縁超すると説くのが分別良扱起である。
五 結
かくの如く、阿鰯耶滋音依︵計月旦として級起して
ゐる諸法は誠つ、嘗色rとして存在してわるに過ぎぬ
この他の一切は識つゞ別号i︶にょつて掩はれてわる。
械大東紡lニ於ける辣起請
3ヰp
揃ぺ戎倫に放ける維超論
北での法︵〓5︰l㌧の、苑増のれりカモ︰混いてわ一りも〃
たのであろU
J一、婚藤棚・∵普一作秋草概論﹂∫l、八′i
∴二、銅諒識の頂措ほ﹁=木仰敬隼協脊年報﹂調一、﹁悍鴎
第∴鵠∴有分晶に武て﹂い・拙稿埠照ち
′﹂′
.ヽ.ヽ
り㌦円、一楽聖印篭一弟∴宍奴、車重頻㍗∴か‖・′・里村耶、
︵︼■・芦︼.∴ンし月拉蛭降氏一一
計正、﹁哺藩論﹂ハ︼三善欄湘空軍甘。
甜六、r㌶秋田究﹂朝都立怨第五批、世親¢唯流説l=於ける
﹁町誠Lの叛念.ノ.雪ご一Fご
猫、大嘘紘敢、兼愛、喰髄論の研究﹂封、一二二ハ宮林批
授︶に1ろ。共り他の原誹ほ成語よりの捕捉でわろ。冊誹
帯六登帯川択、世親昨識花王其の川u.岡津氏。
ノ.笥P言の栖念﹂の項巻鮒、薪
りわらけ卯梢︰耶わ乞ふ。
誹三、ノ、訂已d己・−−;ggP亨︼箪缶J lコご・一こ解脱、
通論
印十牡、︵左沢ぃぃHILl・・毒.∵ソ㌻l昌−1㌻・盲l〆ウニ・∑
l・・ワGつ−きざA三l邑−㌻iつ●昆∴e︼崇¢︵旨∴
せF⋮さp︰L︰1三邑日生︰ンIJ誓“A︰童ヨこ︼1・乙n已§ニ﹀●
空こぷ錆付:.言ごユ︵∴T芽g已;ぎ仁1..︰ここ墨−1享
l審−誓メ”ギいュ二
抒撞木兼綾錦︵ヂ毒−〓.=.叫.−−.=・iンTlく伐仰識几潤せ
厳輔弼大熊論′、TC−=√㌻=J﹂、・ひr山︰”︶、謎仰触廿
第三︵大たHHH叫●ワ㌫ソ及川摘記湾内智、︵大正H〓
︼Ⅰ・勺・撃P且、成鵬識斡班叩膀礎下笹本︵大正∴巳ごコ.
つ・¢串bし期哉拾、︵大正舛舛H︸﹂︸.詔一:l●︶、大乗成業論
︵大正HMH︼・l﹀・ヾ詮・も、瑠、碕、大谷や報−第九怨、
?上沼
四境の
﹂
祭に
つ
い
l一し
†
秋
車にはおもくいませた烹ひきっ紳のに︿み拾ふ宰なれ
境の祭と云ふのがある。此l呵妓の祭に和する詳細なる
人のおほからんには大の下にもおよぶべし﹂と松の浴
きらひ憎み拾ひて家の再にわざはひおこりぬべくさる
げホリ。此放をなほざりにおもふ人キば紳はいみじう
記述は未だ得て居らないが類異名物考の記す排にょれ
韮に見へてゐるが、此臓の意識は上パの㌫数的行革の
我邦の上代に於て取わ仕れた㌫数的祭儀の一つに四
ば此祭は天利天皇の御宇に始まり相坂−鈴腐、証〓、
大やの小心邪をなしてわ∴て
−
−
ヽヽ
即ち凡て抑よりよしと
より来る摘を何等かの方法
によつて珊挿し榊よりの好悪む鋸んとす一山のであるが
認められない行摘表現
られてゐるW特をも合む械
人糾は吊に肉隅上の椒の他に融曾惜円上不常と辞め
﹁﹂
須磨の囲苗肝に於て各々儀式を裾ひ須磨の御祓は甜供
を海に入れ、鈴鹿にては鹿に励む付けて放ち、辛〓及
相坂にては白木紬−旦緋につけて放ち﹁此−牢木綿付けて
へ一﹂
式は<−起って
と兢す。天下の凶串に祭るなり﹂とある。餌ち此祭偶
一
鵡曾棋ぺ相中にあろ凡ての稽をその隼囲の帰化する仰域
は戯によつてたがごとの起らぬほに
わろ士がどとの直ちに消滅すろほに
外へ紺〓して隼囲の裾域内を黒からしめんとす一じ併に
との意闘より
川膝してゎん。而して此九−がごとの起り兼も洪は﹁臓L
州境の机ルが〓的をけって居るのであらう。従って此代仙
ー
にあるとされ・〃。﹁帯はいさ1かなる柁忙ても糊廷の州
内の祭につい一\
J.うJ
四境の祭lニついて
.ノ.′
▼.\−ヽ
俄が関城の祭として明白に川偶の地域を選定する以前 を符ん馬めに繊を流し去る行ミーiが吏に疫抑鬼気の如き
に胆に稜を氾放する祭儀として小集圏内に於て行はれ 附み脈ふべき存在を飢域外に放逐せんと試みる。此凄
て居たものでありそれが級内の継足と共に粍内に於け 合には磁と云ふ投な抑の恨む存在ではなく更に冊まる
ろ税を追放する璃めに前記の川ケ併む選定せるもので べき紳々の氾放と迄なつて来てゐる。糾し械の氾故に
あらう。級内の封域は草紙天皇の二年群二月の郡に上 於ても鬼気疫抑の放逐に於ても鎮柳の閉域外へと何等
記忙は次の記串がある。貞應三年十二月舶来諸帥疫病
り粟は伊賀名裡構川より、南は紀伊兄山、酉は撒磨亦 かの方法により燕外する郎にはかはりない。北伐九代
石描淵より.北は近江鋏狭浪合収より中を払内とすと
あれば前記の須磨、北田、鈴鹿、相坂の囲ケ併は艶内 如はれ諸人之を揖ふ昔夜襲名水喉に入す大勅許乱して
とその外域との接鱗鮎に竹⋮つて居り又孝徳満以前既に
不日に死す云々。武絨守奉時大い忙常汁放き給ひて陰
Ⅲ帆天畠の五簸七道の崗介に竹⋮り速攻より束を以て制
陽頑固道胡にを召して此那加何して種めらるぺきと仰
水と耶し新規より来を以て坂東と柿すと定められてわ ‖さる。凶道巾しける鱒云々今山存るに鬼気の祭を四
る従って例へば柑坂は牧内の入口を形追ってゐる馬め 境に行ひ給はゞ然るべく條よしとぞ小しける。奉畔さ
に級内の稔は相坂より外に追放せられるのは常然であ らば祭をいたせと仰せあり、閲道やがて桁併にかへり
︵三︺
府村、北は山の内、錐介の四境に於て紳祭をいたしけ
り非は恰も村境より外に逐ひやる虫選りの行事と同校 幣自供物作法の如く調べて束は六浦、嗣は小沼.西は
である。
鎌倉に於ける此州境の祭には井川境に於て如何なる
此四境の祭に於ては又躍に穐む境外に逐ひやるのみ れば嫡範‖氾忙や上りけん程なく疫はや∴にけり。
ならす更に又鶴城内にあると‖心はる1鬼気、疫抑等の
追放をもわってぉろ。髄が紳の憎みを招く故に、好意 打串を以てしたか明かではないが歌内の州境の祭と略
3,うっ
同税であるらしく、﹁作法の如く制へて﹂と云ふ佃上り
誹邪紳朝夕絆帝以紙用補選之水際と記されてわる。
︵五︶
ふつけどりについて木綿蔀烏旭。州境の祭に木綿つけ
ける上りゆふつけ鳥の異名迄燕じてわる。倭訓某はゆ
るのは鹿及鮎であるが殊に鶴は此わ耶忙於て木綿を付
う。而して鈴鹿立m及柵坂に於て秘を負って城外に去
は糾供を海忙入る1か此を放つか就を放ったのであら
異常なるもの厭ふべきものを阻止する場外紳の祭儀と
すると云ふ鮎に於て根㈹蛮括の徽域忙侵入せんとする
他ならない。従って此祭儀は既に覇域内に存在を嚇除
清わられたる俄域忙紳の櫛祉を受けようとする祭儀忙
鶴の如き蛮物に寄せて鎚例の生活鶴城の外に逐ひやり
き存在を小楯.紙研、偶人の如き無損物に託し或は艦
斯くして見れば四境の祭は秘、疫鬼、の如き鋸ふべ
てl明㈱に放つと云へりと記してわる。然し更に宮城四
北ハに銀牌蛮清を安岡ならしめ耐祉をいや附しに増さん
推定すれば四境の祭には一定の撲式があり従って或
隅祭は陰陽家の祭儀なれば孟子に鶴鴫狗吠相聞而蓮閻
とする訳更なる恥骨的依癌に他ならない。
︵円︶
〓
境と云へる志にやと拙けてゐるが此塊合のl叫暁と前述
の関城の祭の四境とには明かに差異があり四境の祭に
ふ迄もない。而して掴ケ併の地域選定はなくとも只成
偽の西海辟に於て陸前迎の小鮒、緋舶に塩する小さき
我邦の四境の祭以外忙路地方に見川される。マレー牛
の氾放は更に
る仰の領域の境界斬迄暖地を送る÷−iは雁々行はれてわ
水舟を作る。此はマレーのラジ†嫌が常に使川してわ
−
るらしく蛸逝笑璧には凡疫病春初多流行若然則民闘犬
るものと同じ型の二本硝の婦である。此小船には諸々
躍ふべきものーー醸成は疫融鬼哀
人小鬼庵鳴鉦鼓而追疫鬼或以緑樹枝作小脇捨郊外両蹄
の抑逓に抑げられた供物を椒み込み其と共に将諾々兼
於ける凹境は集桝批清の或る境界む指してわる串は云
成以亜郵抑圧草造偶人捨野外而郎是亦嚇疫之一術両店
てハ﹂
−\−U
.ノ﹂ノ
せ潮のま1に漂ひ去つて行くのである。
土造紙鼎之徹乎。紙椚は五雉机云闘硲塩疫之疾一題如
門鳩の祭l二ついて
フ.ウ.ブ
の宿めにかゎてm悲してある仰の付いた小ルに載せ偏
ょって見川されるとそれを砲に封じ邪悪なる粘壷追放
エコパル誹鳥に於ては又邪悪なろ精巌が柑の司祭に
誹悪を人なき地に付ひゆくべきなり即ちその山†キ野
〓∵ろ人の†をもて〓.ル存−野に遣るべし。その山†彼等の
ごとくその上に承㍊してこれを山芋の預にのせ選びお
ラソエルわ子孫の試の悪評とその諸のけkる鋸をこと
九ニ
に流してしまふ。此小舟が他の部落に津訳すると光起
に追るべし。⋮かの山羊を丁ザゼルに氾りし芥は衣服
四境り渠l二ついて
に邪悪なる粧申駅が移る故此舟を作った新に一定の別隼
む描ひ水に封を搬吋こし然ろ桔告にいるべし㌔
川津ほ狛加〓山一週〓前にエルサレムに於ける家を〓
に於て行はれろ小ポ救的わ車の二郡分であろっ数人の机“
机朱記に成つてわろ此祭構は拾七月揖卜‖の折罪‖
﹁卜し.︶ 車行はれる付であると云ふ。
排し邪棉を押める祭儀の内我邦の四境の祭Ilに耕す
ー・γものはイ丁ニ′エル民放の問に行はれたアサゼルの州
t
て寺院の墨に砲り腔甘〓の竹⋮〓ほ黎明の嘲机の−詳と共
†であらう。アサゼルの山羊に就いては彿約異邦利来
記の拾十大市に例日に記されてわるJ
に儀式が初中ご匂。
﹁アロンまたそ
の摘隻の山†を取り某曾の幕昆の〓にてエホバの前に
草女献げて神祭となすべし.叉丁ザゼルの凱に八︰⋮りし
ためにす.へL。而してアロン土木パの筑にあたりし山
一つの教をエ小バの矯狛にし、︰つの苅なアサゼルの
ての罪を山羊の上にムひ衣托して綾祭司は山羊・で伴ひ
帯びて群棋に両し束カに向ひて光ってゐる。而して凡
∴〃であろ。此∴ホ〓にわはれ︰′㌶桝式で州1は赤端々
√7L∴帯〓にエ小バ枕∵イJ、ル山川†の師引か初烹
而して.帯〓にはれ椚が被〓克ル黒目の盗めの胎非
山芋はこれをエホバの前に生し置きこれをもて脈罪を
て下役の新に波し綾川†は荒Ⅳに追ひやられるのであ
〓牢〃﹂岬山きそ〃由仁の山井†の岱めに狛をひくべし。即ち
たしこれを野忙造りて7サゼルにいたらすべしノむに
ろり此祭偶l土イスニノ∴ル民放がカナンにハ尤化して後も
∴h
又﹁然る畔ア‖ンその頃けろ山羊の直に両手を按津イ
3占イ
にあるとしてもウエルハりゼンが桝繊の研究に拾って
められたものとは考へられない。憫令此祭伐が利未記
ても樽承して㍍るが然し此祭儀が川壌及の途中より初
るがま1に爪守し〓竣及後引きつゞきカナン足代に於
イスラエルの人々は此祭儀をモーゼによつて示された
祭伐は研約黒帯の此の郁分より以外に見〓されない。
㌍の上迄つれて行き山†む上から突き浴す摘めその鰹
︹・㌧ノ
性下の砦に八〓つて稚けると云ふ。此アザゼルの山羊の
代川羊む作つて荒野の備に如き請いHに突き川てわる
束の門を通り後規定通hり下役の新の手に涯り下役の米
伊部ソロモンの門を‖で更に又オリーブ山に面Lてわる
埴カに見‖し従って﹁丁ザゼル
支へないLし⋮心ふ。又ブザゼルの翫似のものをパピーーン
膵の下に再び装をかへて現けれて来たものと見ても差
い﹂故にやーゼ以前にけはれた押めの祭儀が司祭的解
ザゼルは八代に於けるユダヤの⋮心憩の添加にすぎた
バイスラエルに於て偵非の山羊が川ひられて㍍るがア
なしに多くの山羊が荒野にわく例も多く存在する。上
赤印的部分ではない。特別に或る紳或は魔に鳩する郡
レーが指摘してゐら㍑にアザゼルと云ふ名すら此祭儀
たと見らのも不骨⋮ではたいであらう。斯く考へるとグ
問に守られてゎたわ串む再び点状付けて︰什ふ様になつ
わら旺れたアザ↓fルの山羊正二つの暗君として人々の
記してゐろ故に㌘抑依継がシナイ山に於ける法典柁真
へはモーゼの時代よりも恐らく歎†年前いものと‖心は
休然として執行はれたのであり祭司に引かれた山羊は
の荊妻なる部分であつたと考へるよりも非がモーゼ以
れる﹂と※張すろ常があィu。”八ソ、ミスの様に﹁凡ての
︵一−ノ
︵一い︶
ー
荒野の躇−・−の考
祭儀は一つの鮮繹rl上である。故に上代の祭儀の野屁
ニー.︶
には不必要であらっ]アザゼル胞此偵非山草の祭偶の
前の借習に宜ちかへるぺきであると考へる方が活かに
︵れ︶ 問題もなく〓然である。
九一
井よりも誓ムうろ串は思想の瑞相的様相の影堆を跡づ
従つて井出摘めの祭儀が丹那数的規定とな一々以前に⋮里に一隅の郁にせる抑群をつけ持と試みてはならない.
蹴な形式に於て甲〃はれて㍍たと姐七ならば利夫㍊に
ー′q境の八川につい/、
Jβ占
円境り出端l二ついて
へ︰・ノ
けろ串でわる﹂と云ふホも正しい7ザゼルの山芋の祭
偶はすでに滋屁の途中にあるものと見ても差聞へはな
いがしかし非以前の形式に於ても恐らく動物の上に厭
ふべきものを賞はせて境界外に追ひやる串は要りはな
かつたと思はれる。
三
史に椚卯の山羊の祭儀に瓶する偶式に於て山羊の代
りに人問が邪悪楷汚む賞ふ場合がある。フレーザーは
P−マ及びギリシアに於けるか1る祭儀を記してゐる
︵l円︶
が、吾々はか1る例に侠たずとも衝約聖昔イザヤ#五
十三輩の悲袈の人の艶言に之を見目し又新約聖雄に於
てはイエスを紳介せるヨハネの言張、−−1−rの邪を灸
ふ抑の小芋を見よ1に之を認める耶が‖来るであら
う。然し此饗‖に於ては吏に愉即的意味が深刻となり
小舟.紙附、偶人或は亜鉛、山羊が非を寄せられて追
放せらる1のと興り自ら臓を取除かん凋め世の罪を斑
ひ自ら苦しみて吾々に安きを輿へんと意識してゐるの
である。ヅントは椚非の山羊の祭儀を以て罪陥排押の
九二
︵一hノ
一形式であると北ハに文代臓の一稚とも考へてゐるが例
かにメシアは人解の繊を川墟の外へ持ちゆく許であろ
と共に又人翫の罪む灸ひて糾の祭概に上る着である。
此思想の衝泉を辿る時吾々はイスラエルに於けるアザ
藤井高相
ゼルの山羊の祭儀に見目し久闊様の形式を我邦の四境
の祭の内に見‖すのである。
絹張穀物考唯一三四一ハ二︶
︵日本間叩大成弟二期祁十一雅人ハ五二−六五三︶
︵一︶
松の雅文
引用脊
下
ソ㌻l⋮q吋e乱読u︼p
嬉遊笑兇
九︵柏変名物考啓一三四一︶︵四︶億
十九那九一四︶︵五︶
ノノ.■ノ一一●S打匹−いT訂
北伐九代認
︵六︶
︵三︶
二六二
駒舶︵腹文相
懸
訓栗
︹C邑On品○ご訂ノ才已召L−p・∽指︶︵七︶声Te日p︼e”
p・∽Oe
︵八︶
出udde日昌d
I︻邑iヨ笥
Tbe
p・望↓
︵芋︶
出udde臼わH邑iロ笥TbeFOP−P1〇一岩
ゝ.
︵十︶ G●声
lLO昏
Aロd旨︼写P已呂8b詫lsl旨d∽ハC戻tO日払○ごbeWOユー
T01・i
Tbe
T邑Pm∼nt
Nur宥bie11te訂r烏訂m﹁㌫
ぷ︼C弓○コl一e巨b︼eTO=廿−芦︼当︵九︶J・We亡bP一斉n”
ワ01egOEeコP
︵小二︶
声声内enn乱ヨTbePn︵焉﹃出ib︼eトe戸わ巧G巨岩○−笠−
GrP3∽寓riか籠・iロt訂○︼d
Add・冥etP
誓ヨ
G●才患J
TbeGOld苫
ノ一.・弓Gndt∵う賀訂月哲
Jt
︵憲︶
︵十川︶
Or苗e崇b︼e苫︼﹂p・︼霊︵サリじW・R・SEitgりb付出d灯iOP
Abr・ed・ワ
O〓訂群臣il灰p∵崇声
lィC一一〇−完ie世d−白ぃ山けー●
田0貞プ
3占〝
宗教哲学としての法華経
−序 論−
渦
文
豪
云ふことである。しかし、かうした堪純な行法に由っ
漂.憶念することに於て如上の功紘が輿へられると
ある。この宗教思想と云ふのは、般若経排霞を受持、
ならしめようとして現はれたのが般若経の宗教思想で
るから、別にこの無念への蹄入を方夜力に因つて容易
た智的な経験は一般民衆に於ては望み嫌いところであ
ること︵察の僚験を自鹿すること︶であるが、かうし
と∵即ち叡智によつて無念の自性の申に説諭を限蝕す
於ける概念と同じでも、その件質は全然異つたもので
の呪の意味の生じたことは、結共忙於ては原始沸教に
にはこれを大明呪、無上呪など鵜して居る。而してこ
附興するところの抑呪となつてしまつたのである。経
若舷梯密は最早や椚度の恵妹ではなく、衆生に彿徳を
ま槻念の封象としたのである。だから、この場合の般
拭の蕾肥た一〇容の習む衷はす語、般若経羅密をそのま
たのである。唯般英紙に至っては他の馴致を槽らす、
念法は惜この無念む糾る満めの方快打に外ならなかつ
ある。阿含維に多く現はれて居る古ハ念、川合往等の観
て無念即ち墨の経験が惟現せられると云ふことは、般
あると云ふことを往点せなければならぬ。原始彿故に
ヽヽ
般若経に於ける中心思想は認識の貨餞に党人するこ
若蛭に於て始めて考へられた方法ではなく、既に原始
於て、例へば、念俳と云ふも、椎骨に於ける如き宗教
.リノ●ご
.し・−一
馴致、根本彿教の畔代に於て廉く行はれて居たやうで
宗教軒劉ミLてり沈滞柁
∂β7
中小敬菅野ごLての法華経
九四
的な意味のものでなく、それを憶念することに於て自 化を大成したと云ふ意味に於て、彿教の宗教として投
然と無念になることが目的で、そこには何等釧秘的な も正純的本射的な意味を右するものとせなければなら
に於ける凡ての宗教︵︰浴派︶に射しても、その小机教の
志昧は含まれて店なかつたのである。ところが、般若 ぬ。又それが正統的本射的であると云ふことから沸教
珪に現はれた受持訴諏はそれに因つて種々の徳︵沸徳
打撃的根摘を典へろものと云ふことが〓来ると想ふ。
一昭沸教の経論は凡て曹鮮的教理或は意飛を経れて
以外に除厄、自在力等も︶が輿へられると宗教的に解
したのであるから、その意味から云へば、搬合法と云
ふょりも呪力的㍍仰と云ふべきである。唯かうした信 は存在しないのであ一山から︵膏寧ろそれが‡となつて
仰につられて、一心に受持調和する畔、そこに自然と ㍍るのであるから︶、如何に宗教的なものでも、その中
現はして居るものではあるが、多くは締めて散漫で、
無念の境が税はれて、観念行と同紙共を現はすのであ に曹撃的意義を包含して居て、自ら宗教打撃の意味を
る。
是の如く般若経が観念行そのものを宗教化したと云 卸計嘉で、それによつて宗教と哲撃との舶係を考察す
ふことは、大乗宗教の根況的忠義を有するもので、こ 一〇ことは甚だ脚椰なのである。ところが法準鯉忙於て
こに小乗に於ける上天、紳通、非他の紳話的宗教と大 はその刷係が極めて明瞭に又組織的に叙述されて居る
に趣を異にするものがあるが、しかし、般若鮭に於て のである。山東彿故に於ては西汀に於ける如き宗教野
は未だ揖に呪力的信仰に止って、人格的な眞の再ホ教に草︵殊に科挙的た研究法に於ける︶が存在しないやう
玩味徹潤する時には、如何にそれが.㌫数的信仰を哲
までは進んで店なかつた。これをして眞の宗教にまで に〓小はれて㍍るのであるが、今この法耶紐一番の城を
帝展せしめたのが法華経のm小愁である。猥に法華経は
直接般若の思想を継承して沸教思想の根本精紳の宗教 雄的、心理学的に透徹した論理をHて運べられて㍍る
3Jβ
詰り象徴凪な非力であるところから、塁なる通説に於
拳的酢亜が㌫数的物語の肪の小に隠されて居るL∴式ふ
るからである。釦ち執れも碇識の畏践︵賽︶に小我を
場<=、その酷験の※粟なる心即状態が互に共油して焙
山東よく混同されて水た謬拭、両者が苑理を肺験する
との榊に判然たる蹄別を有するものであるが、それが
ては坤蒐荒栖無梢なる紳諦的満帆川の外何物でもないや
浸入、﹂せること、Hい語で云へば、天人合一の境に入
かと云ふことが解るであらう∩唯これ等の哲埜他心即
うに思はれるのである。
が、水源に宗教新邸となつて居えのである。措にこの
の梢糾に立入って考ふろ岬には、宗教的寂適そのま1
数的︶に見る畔は、丹ポ教の外にはないのであるが、そ
巧みに胱ふて来たものと思はれる。だから流通的︵付加
の酷駿を心に置きつ\その上に宗教的物語の衣裳を
なる小加数的辞想に放排なるを誹め、常に基の原理とそ
的物語を作成したのであるが.その護法の深意は、損
民衆化し後世に伸へる必要から、極めて通俗的な宗教
即拙から来た一の錯兜に過ぎないのである。故にかう
押撃との混川は、それ等を朝鮮に於て見る呼批じた心
に抽大せる聖的小浦を惑するだけである。即ち小郡教と
びその慈愛の巾に‖己︵小我︶が馳酢し去って∵無限
うに止■卜るのであり、㌫敢家にあつては、抑的な威力及
に於ては、哲埜新は唯現象に即して縦封の批浦む昧は
にはその意味は現仕れて居ないのである。賀際の批活
省考雛した場合に襟見せられることで、賀陽隼清の上
かうした北ハ通鮎の意味は哲壊衷亮び宗教家の心理を反
ることむその心理劫火として㍍るのである。しかし、
法華経の演と裁とむ木竹⋮に訴斌する畔には、従来の彿
した混同仕、本来は曹撃と宗教上が相並んで、又相交
怖ふに、法難維は常畔の識新が探述なる彿敬川小憩を
敬に射する粁撃と小郡教に於ける曖昧な概念はたちどこ
渉して葦通して水た西洋忙於てこそ瑚仕れ■lるべきもの
九五
で、俳教の如く打撃的頒鰻を立とし、小郡教をそのカ伽
ろに解決されるであらう。
一服∴1那教とげ撃とは心鞘的に見て二ば情的と智的
宗教新野写してり法華揮
?∂ク
宗教菅畢写しての法幣軽
と七て判別七たところに於ては、本我と方便とが初め
から明かにされて居るのであるから、両者の陥別は自
ー
↓∪
ノ一
﹂ヽ
ノ
昧に儲いて分封を状みることが必要である。
法華推も貧の原理とその借放を根建とする以上、最
たのに山るのである。然るに法準経は未だ宗教化の初
が馳介⊥、本義の申に方便如ち宗教化が繚洞tて行っ
民衆化帥ち宗教化の力に押苫れて、晰畔本義と方便と
俄に於て上り多くその際別を曖昧にするに至つたのは
反封に宗教的酷験に入らしむること、餌ち賽酔験の通
として菟兆したものに過ぎないのであるが、法華経は
説くのが王で、宗教的借地への醇化技研に流通的方便
ない。唯般若経にあつては、基の義とそれへの髄人骨
と云ふカ怯む取ったこと抹、般若経と異なるところは
初に察の恵む運べ、次にそれむ宗教的備駿に純化する
桝にあった満場、宗教より本義たる野鍵思想への逆流
俗化を王としたから、その哲韓的部分は軍に㌫数的備
ら明瞭セなければならない笛である。然るに却って俳
的浸潤を受けなかつたところに、よく両常の儒別を混
駿を説く弱めの序論にしか過ぎなかつたのである。
而もその序給としての軒邸的忠誠を説く功人=も、般
乱することから免れ得たのだと思ふ。
二
もので.一の分方には相違ないが、しかし、依りに形
法と、その本地︵抜身︶を現はす説法とに分けて見た
ので㊦るが、それは法郵経の説法を、膵迦の生身の説
に分け美のを殆ど決定的なもの1如く伸承されて店る
てiホ俄による純朴なる無忠誠的催駿に入らしむること
ある。墨の原野に居って給紙すると云ふこと扶、却っ
ける場合の如く牢の原理む混帆する必要はないからで
恵裁を瑚はさしむる鵠めの準備としては、般弟経に於
有tて居る。何故なれば、仰里に宗教的肺臓として容の
若経に於て本論として説く場合とは自ら異つた意味を
式㈹な分方である。法華経の宗教的意㈲を具に知らん
を妨ぐるものである。
法躯経全鰹の結柵に拭いては、天台が迩門と水門と
とするには、か1る形式に依るょりも、その内容的意
3の
だけでなく、煩悩そのま1の持続にもあると云ふこと
こと1なり、随って如是の経験は、執着む去った場合
容的庶昧に亘らす、如足の経験として具鰹的に示した
になつたのである。
そこで.法輩経忙於ての峯の意鶉は、少しもその内
に過ぎないのである。十如足と柄するのが即ちこれで
そこで、法華紆忙於ては同じく如赴を説いても、そ
れを小乗の意味から瞳別して考へることが必要である
ある。十如是とは吾人の認識経験を相、性、脛、カ、固
練.巣、報の九簡噂に分けて、これに凶つて凡ての経
常食が舎利弗の三調によつて特に解説したといふ開三
ったから、障ってそこには衆生の根機の柵迎に應じて
験の如迫相を示したのである。最後に附加されてある
しかし、唯これだけでは未だ大乗としての墨の経験
諸種の方法が考へられた繹である。成彿の可能性は賢
顧 一の大事は語りこの忠義を拗はしたものである。即
を現はしたものではない。一般窄を酷臓に現は†と云
般の匿忙よつて椚段があつた繹である。ところが大乗
軸足本末究蒐と云ふのは.上の九如是を総括して、こ
ふことには小薬と大乗とに於て大にその趣を輿にして
の思想に於ては、琉憫批宿そのま1む菩提とするので
ち小飛にあつて阿維珪宙成ずると云ふことは、悟と修
居るものである。小乗にあつては、凡て執着を去って、
あるから、投与lや可能不可能の問題はない。餌ち凡聖
れ等は凡て蟹柵を究克して依るもの、即ち如赴の経験
︼切払む無我牢Ⅶの中に軌すると云ふ㈹脾腹であるから
の隅別はない。一切衆生中等忙彿道む成するのである。
行によつて無我中等の姓活を完成すると云ふことであ
この璧=の如並の経験は愛仰の念を離れて諸法む有る
煩悩帥菩提でありながら、吏に成彿すると云ふことは
.以上に究むべきもの1ないことを示したのである。
がま1に見ることであるが、大飛にあつては.墨を協
く成立するのである。この澤は後に説明する。経忙は
矛盾であるが、しかし申ポ教としてはこの耶が矛盾でな
宗教哲畢亡Lての法華経
験としてのみならす、一の原哩として嶽僻したところ
ヽヽ
から、廣は認識の撚伐として煩悩の混練忙も本典する
3〝∫
に依って敬を克てた天台が、宗教的信仰を説くよりも
九八
合制動、架は也︼併発と以ての故に衆生の鳩めに
却って哲拳的に之を解したことである。即ち彼は法準
真数甘華写しての托坤押
法と淡く。鉄筆くは二三︵の抑制︶有ることなし
綬の主意潅依ったと云ふよりも、寧ろ般若経の思想を
取ったと云ふカが通常のやうである。然らば何が故に
︵大正、九、七、中︶
と説いてあろ。
甚だ物足りない。又常を得ない答のやう忙感ぜられる
をせすして、唯捌≡新一を以てこれに答へて折るのは
舎利和がその意我と㈹ふて居るのに、少しもその設明
俗化即ち宗教化の中にも解然たる哲轟的理論が内証さ
意我が粁堪的であると云ふことを丁排し、攻忙その通
であらうか。この疑問を附くには、先づ沸教の本来的
を取らすに、態々丹ポ数的に建容した払準経を枇ったの
彼はその哲拳思想を説くに、本来軒隼的である般若経
が.これも矢張り聖域と恥じて即と避けんとした注意
れて居一号ことを如つておくことが必要である。
経文と読んで行くと、椎往の十如是の提示に封し、
から来たもので、埋は﹁祐雄彼妙にして唯彿のみこれ
叉法弧線の宗教的精紳となつて現はれて来るのである
而して.この鞘を痢秘の小に非り去ったと云ふことが
し、その宗教を現はした計逝の蝮って起ったところを
と云ふことは、経の楠紳に放るものではあるが、しか
で、その意味に於ては、腰々野草的な群発む堤き出す
法華経の結構は固より小ポ敬の踊扱を目的としたもの
不可思醜と云ふこと1紳とは相迫じて居るものである
察知して、方便としての小爪軟から、再びその小に含ま
を知る﹂と云ふ押掛の巾に非り去って尉るのである。
から、賞に傭教匿於ける宗教は凡てこの般若の埋を押
れて店る哲挙的木光な周明することは、これも矢張り
抜、法華経の本義が、上適せし如く般若経に於ける
法華経の梢紳を現はしたものと云はたければたらぬ。
秘に輩へたところに能生したものである。
三
ところで.こ1に一大擬輌とすべきは、この法華経
3βク
客を、悪に於てゞなく、肺臓︵宗教︶に於て直ちに
骨相せしめんとするものである時.その中に現はれる
三千と云ふは、認繍の鮭験︵﹁認識すること﹂︶を概念に
云ふならば、偉敬は概念さる1封象を有するものでな
に法華経と挟んだ併以がある。この意味を更に委しく
ことになる。こ1に天台が般若経の思想を取らす、特
一切を考ふる畔は.諸法は肺駿によつて触油津透する
として説明する外はないが、墨を鰹放としてその中に
塞を単に概念に於て考ふる畔は、峯は色に卸するもの
べき哲壌偲恕は、冊瞼の中に諦法を見る思想である。
件は請払の一多に平等で、一の本性は一切の本件であ
箪なる﹁感じ﹂として概念上無であ一山ところから、本
の璧口宵践は諸法の本性として考へら一わ。而も推挽が
賛捜に於てあることを本惟論的に思惟したもので、こ
考へると一有明晰になるであらう。桃尭とは、諸法が
したのである。帝これ等の衣現は性見の思想の意味を
ことむ、一念の中止三千が含女れて居ると云ふ話方に
こと、即ち﹁認識すること﹂に≡千の法があると云ふ
於て一念と考へ、その際駿にご︰千の法の含まれて居る
ヽヽヽヽ▲▼ヽ
く、云正盲﹁感じ﹂としての内容に過ぎないのである
り、一界の本件は十外の水性であると考ふるに至った
ヽ︳
から.諸法がその醗故に於てあると云ふことは、諸法
のである。
ヽ︳ヽ
は﹁感じ﹂・に於て甘かれ、﹁感じ﹂に於て淳透せること
帰来るのである。かくの女‖き境地に於ては又一も一切
て融通無柑であり.叉同一僻地︵平等︶と見ることが
ふと、天台の思却は法華経よりも華厳経に依った方が
云ふ郡由が明かになつた評であるが、しかし∵邦楽云
述ぶる忙常つて、般若経に依らす、法華経に依つたと
以上運ぶるところ忙因って、天台がその哲碑揖憩豆
︵﹁感
になり、こ1に諸法の個的存在はその差別のま1すべ
も同一であると云ふことにもなるのであるから
上り白州であつたと云ふべきである。法華経仕どこま
ヽヽ
じ﹂の組欣食餌ち寵封に附して︶.こ1に一即一切、十
でも甥伐と‡としたもので、その棺瞼の忠我と射さん
九九
界互具の来秋が川ひらる1に至ったのである。又一念
宗職掌亨しての沈滞腫
∂〝∂
宗敢官幣ミLての淡聯紆
法の棺敬内容む説明し諏訪したもので、丁匿法華控に
て焙ると云ふべきであらうり然るに華船路は彿菩薩の
を現はして居るとしても、法華経の目的には全然反し
肇蓋濁したと云ふことは、法華粁の櫛榊︵内在的な︺
とが必泄其たのである。然らば、如何なる信仰の封象を
な不日小謡惑を悠情的な不県議感に全然髪へてしまうこ
封象を輿へて、その新教を信することによつて、智的
腎踵の一道にのみ向はしむるに挨、先づ宗教的信仰の
如赴の棺験をその思想的意味から無舶心になつて.
一〇〇
ょつて得た陥駿の徳和﹁炎和︶を表現した結典とも見
輿へて、如是聖町随むそ山申に自然に現はさしめんと
である。
るべきものであるから、この蛙に依ってこそ始めて一
したのであるか圭ムふと、それは船舶れ緯に於て既にm
としたものではないのである。それで.天山〓がその意
多柿容、敵地無椚の意咄が現はされ糾るのである。鋸ち
ひられたところの′経典の㌫教化である。
識としておくだけでは雑郡である。刊的本能はかうし
のみlヒめて解せんとするには、軍にそれを微妙不可思
し法華経に放く如迫をそのま1即荒に亘らす、賢桟に
うした天台の思想を堆れて見ることが必要である。併
そこで、吾人鱒法華経をすなをに説く場合には、か
かる柁典受持の小兼行︵修沸︶を説くことば.前述せ
二、煩悩餌蕃提の大乗的精細を蓑㌫して居る以上、か
ある。既に法華経がその間三顧一のり圧明に於て凡聖不
念の鰐頓に入らしめる方捷で、畢焉小乗的無我の行で
稀供養し恭敬すろことLは∵前にも運べた如く元来無
至一侃をも受持、灘葡、解説、升焉することに於て疎
とごろが、この紹典の宗教北、即ち﹁妙法華経の乃
四
華厳宗に於て天人=の〓小ハ再に千畑㍍成を見る詔である。
これ天台は椰を運べながらも.その即は多︿軒搬的で
華厳の組起触通の委lulに及ばなかつた所以である。
た不可M小諸感たけで抑へつけられろものではない。こ
し如く自ら矛盾に一桁れるものでなけねばならぬ。しか
ヽヽl
こに法華経の宗教化への来しい展開が現はれて来るの
J好4
し、この理論上にも父性抜上にもどうすろことも川来
たく、凡夫は煩悩の作〓を放置しておいてもー信仰揖
遠の生命︶と悦梨を感ゼしめることに於て.両生活の
前者は﹁聖なる生活﹂として常に後者に射して菜光︵永
ょつて食まれる頼惰牝漬と両立し得るのである。釦ち
の法力から現はされた頃沼であるから、こ1に自我に
その封象とし、信仰胱活の内面は人肌的と紳的との人
てゞある。一般の進化せる小那故にあつては、人絡緋を
て狂恋む要することは.その宗教的附象の持門に就い
大兼的捕紳の中に批きて来たのであるが、こ1に改め
かくの如く小乗わは宗教的意味に粟ることに於て、
宿に現はれた聖の力によつて自然に葎化されると云ふ
統一が保たれて行くのである。之を茫に云ひ換へれば
相的交渉に存するのであるが、法華紹に於ては、人朋
ない矛盾が、宗教生活に於て現はれる畔.不⋮心講にも
抑︵こ1では経典に典はる異なる法力︶が吾人の生活
的人格上非人梢的た・︺ものとの交渉である。この相殺
意味の析憬eP菩捉たのである。ジェームスの﹁㌫救助
の中に現はれて、凡夫の隼活に無限のは︵宗教的︶と
は.しかし、n⋮仰畑清の意謂L′亡ては維封のものでは
それは少しも矛盾でなくなるのである。何故たればl
粟とを輿へることになるのであるっかくて﹁凡夫もそ
ない。何故たれば、非人路的なるもの1カが吾人の批
経験の種々相﹂中、﹁似全たろ心の宗教﹂に於てもこの
のま∼菩提である﹂と云ふ大乗沸教の軒邸的思想はー
清の中に現はろ1畔、モれによつて現圧された、﹁聖な
経典奉拝に依って別はれる小乗行は、㌫教的意味に於
宗教に於ては﹁凡火もそのま1聖的な力に沼挺される﹂
一つ牛清﹂と﹁凡火の車清﹂との統一iま法の賀現であつて、
凡抑聖一元の訓和的批沼を明かに叙述してある。
と云ふ滋味で現はれて光るのである。即ち同じく凡聖
︳ヽヽヽ
ては.我れの現はす生活でなく、経典に備はるホ思誼
不二の忠味ではあるが.宗教では哲学の場合の如く凡
派如ち報身沸−扶身側を串すゑポ派と少しも恥なると
一∩二
この法の門現と云ふこLた於ては、人路紳を春すゑ示
ヽヽヽヽ▼
夫餌聖︵凡夫の外に望はない︶と云ふ意味の不二では
宗教哲畢寸しLてりは華稚
∂β∂
我になることが成沸であるから、この揚A=にこそ凡夫
一〇二
ころはないからである。俳故に於ては元来成沸如ち法
から成沸へと向上すろことがあり得るのである。とこ
宗軟窄里芋しての一法雅維
む‖己に於て几現することが〓的であるから、それが
と名けられて店るけれども.丹際に於ては、そは宗教
に現はすことは、沸教本来の用語に陥って矢張り成沸
ある。付この宗教的信仰に於て両性清の統一憩を己れ
放せられて居る所以であり′、雄雌説法の名ある併以で
教としての性質でありながらも.等しく沸教の傘下に
これが又各宗派がそれ′ル\別異な畿昧を有し、燭光宗
それと練する封象の如何は聞出とならないのである。
る隼清﹂との統一態としての法の性病さへ現はるれば
るから、この宗教生前の悲昧を二こ︰に云へば、抑の生
悦架との感じを輿へると.Hふことに於ては二元的であ
いが、しかし、それが頼惰の小浜に附して常に金光と
内容である土云ふことに於て仕〓我の一部分に柏迎な
の﹁聖なる隼清﹂をむに考察して見ると、〓己の蛮活
隼活﹂を独御することの意味にあるのである。而もこ
るので、障ってこの場<=の成彿と云ふこと仕﹁究なる
を独得すると云ふ意味に於て小乗的の成仰が可能とな
そ?ま1に許しながら、而もその小に﹁聖なる壁括﹂
ろが宗教批清にあつては、大乗の両目として無明をも
特有の壁活で、大小乗の非宗教的、人肌的成沸の意味
漬む‖己の小に現はしたもの、己れの壁清の小に、抑
宗教に抽化した易人〓に於ても、﹁凡夫の批清﹂と﹁聖な
ヽヽヽヽ
とは異つた性門のものであること咋往意しておかなけ
を牛沼すろものと云ひ得るであらう。法師‖⋮に如来の
lヽ.︳■▼ヽ
ればならぬ。
そのま1沸で.別に佗糾すべき伸輔なるものがあるの
の﹂と述べてあろのは、増におの意味を豪正したもの
の室に入り、如来の衣を若し、如来の艇に坐すべきも
滅後囲衆の弱めにこの錐を説く韮︰切子善女人を﹁如来
でもないから、成彿と云ふことも随ってない諸である
である。如来の呈とは一切衆生に附すろ大慈悲であり
J♂β
人肌的摺躇敢としての犬釆にあつては、元来凡夫も
が唯小乗の思想にあつては我執︵無明︶を誠兆して無
ヽ
如来の衣とは柔和忍辱の心であり、如来の鹿とは一切
以上述べたところによつて法華小ポの封簸たる妙法準
而し丁この沸教本来の意味に於ける徳性は併誹る放と
槻念や抑定に於ての誠定無篤に相常する道程である。
て考ふる畔は、その中に現はれたのは無我の隼清で、
但しこの三の徳を沸教︵非宗教的︶本来の意味に於
ないと云ふことが即鮮されるL′扁小ふ。しかし、法華経
最早や損なる文字でもなく、叉腔の形附そのものでも
のもの即ち彿敬の即催そのものを︰机故化したもので、
現はる1と云ふ忠蛛に於ては、そは︵蛙︶婿の腫験そ
の放であるのみならす、その法力が凡夫の批浦として
接が軍の砕験︵㌫数的には﹁鷲なろ生活﹂︶を得る頒め
撰修に上・り小薬毎に於て達成せられろもので、陥って
の中にはこの意味をカ使晶に於て昭に十如是たる哲塾
法寧である。
そこには、耶に一帖の錐だけでなく、不断の修行によ
を斯現し完成するのであるが∴示教的㍍仰に於ては本
柁故にあつては自己の努力により漸畔に本石沸性︵牢︶
必要としないのである。之と云ひ撒へればー小乗的賞
−0のであるから、そこには何等自己ゐ小乗的努力をも
る蛮清Lの申に‖然と無岱無念の姓清張剥が典へられ
活に於ては、紳助不吋思話力によつて現はれる﹁聖な
味を説いたならば、そは却って右念に人を導く結共に
ところを説くか、或は経文申に何か招抽的に徳性の意
なかつたことで、差し理に拭って墨備験の因つて来る
れは既に述べた如く法邪推の賢蟻的性質からIl二むを得
みで.全くナンセンスにしか⋮心はれないのである。こ
を読んでわくと.錐全開が経典寒けの功徳を椚へたの
諏切には及んで居らぬのであぇから、唯膜然とこの経
ろ胃忙附けを必要とするものである。然るに、ハーバ教生 的直観に因つて暗ホ的に現はしたのみで、何等僅際の
石彿怖が﹁聖なる隼活﹂の申に自然と‖らを紬現する
なつたであらっ。法燕経の※旨杜何守の‖的勘合をも
一り二一
置かず、畔ひたすらにれ拙く行く雫持訴蘭するところ
’ヽヽヽ
のある。
五
㌫故習畢亨しノ\の扶弗抑
Jげ7
宗教哲彰子しての法幣紳
◆
にあるのである。しかし、貴空耳ふと、法華経は全然
その兵の目的たる法性独和の意味を説明しなかったの
ではない。唯襟践的用意として表面忙表はすことを漉
けたゞけで、斑は巧みな宗教的︵訓鋪的︶比喩に於て拭
意的忙之を表はして居るのである。されば法幣経は宗
教とその宗教を根捷づける軒拳的悲裁とを簸ね有する
もので、その際されたる打撃的秘義を究むることによ
って、宗教の正しき理解、射ち糾鮮を鵬成することが
‖来るのである。法華拝が‖疋の如く宗教的僅建と哲撃
的意我とを表裏に於て峻別し、その混同を避けたにも
拘らず、後世経基を宗教的俄域に持ち〓して、宗教の
教説とその常襲的意義を一緒に詭くに至ったことは、
法華按舶者の賢明なる批判的僻度を裏切ったものと云
ふべきである。付かうした暫撃と宗教との混同は沸教
に於ける宗教に多少に拘らす凡て存在するのであるが
之は沸教徒がマルキシストの科挙的宗教歪定を気にす
る前に、先づ自らの申に於て野寧的宗教否定のあるこ
とを省ねばならぬことを示すものではないか。︵了︶
3β8
︵丘︶
斯
波
義
慧
長く耐ゆる串は山東なかつた﹄。アムブロシウスの説教
アウダスティヌスの耐の存在の言明
∴
.︵三 紳であり従って﹃紳を愛する人が眞の哲準者である転
ステイヌスの摘柳生活の根本特色である。此の眞邸が
の思想である。眞理に射する灼熱せる憧憬がアサグ
稀の研究は天啓と恩他の⋮心憩を別解させ、終に三八六
論は彼忙懐疑論克服の基礎を提供し、更にポーロの苔
就中新プラトン哲撃に接するに及び其埋却圭義的唯心
教心の芽生えを次第に育んで行ったが、プラトン哲訟
は幼岬から陣の乳と共に注ぎ込まれたキリスト教的宗
告白蝕に示される如く十九故にしてキケロの哲率的論
年ミラノの或る匪陶に於て壁群を劃する精紳助革命.
動が開始せられたのである。撒初はマll教の感兜的二
ては純粋な非情猫となり、次に来るべき受沈の準備の
かくて彼は信仰を醗保した。少くとも情意の上に於
一、一︶
文ホルチンシウスを諌んで野卑的耽虚を受け眞埋に射
回心を成就するに至ったのである。
元給に於て﹃濁噺の微睡﹄を食ってゎたが、常時の自
馬忙カッシキアクムの別北に退隠した。今や彼に於ては
七て7カヂミ一派の恨疑論の勝となつた。然し﹁彼の撤
症前の忠義の問批は解決したとすれば、次になすべき
一〇五
準備は即盃的な反省でなければならぬ。彼は放で友人
アウグステ↓メス?耐の群れの躍別
頑緻尾韮知的な性質はかくの如き川砂据的減渾の状懲に
︵M︶
然科隼の桝究の結共、迷夢から兜され次には井反動と
︵三︶
する熱情を刺耽せられてから、彼の常襲者としての活
アサダスティヌスの曹挙の小心鮎をなすものは眞廊
ββ∂
帝展の過彬に於て範大なる㈲係を持つ新プラトニズム
の名を糾介するに留める。アサダスティヌスの粍抑仙
他の機曾に譲って此際は唯々其の圭張の婁如と代訳者
代衣的な相酎正する見方がある。非説の竹⋮訴の批評は
肴の問に柾々誹論のある仰であるが大鰐に於て二つの
ある。此川根に就いては靴代の丁ウダスティヌス研究
る。弦に二・〓したいのは回心に於ける彼の小心思想で
莱蓮が成宜し.彼自身の伴準備系が樹証されたのでか
沈め、かくしてコントラ・アカデミコス以下の粁隼的
との酎諸に於て或ひは〓Jの冥想に於て粁隼的‖小栗を
︸Hま〓〇垢︶エ,ゲル︵A・E童駕rノマウスパヮハ︵J●ソ㌻まb︰を︶
︵コ・ノ一▼賢cr︶ポルタヮヱ︵E・ワ三仁〓■J
ものは一般にカトリック例の埜芥に多い。ゾェルテル
地伎を有するものでないと説く。か1る見解を有する
あるものではあるが∴回心に於ては描導的意妹・決定的
ムは7ウダスティヌスの川小憩畷糸の構成には頻ってカ
し初期の瀬越との糊に調和鮎を敬止し、新プラトニズ
の如きは上述の批‖白銀の肝述の史的串庶なる串を力説
︻L︶
の回心は川00年頃にがって始めて成就せられたと噺
打隼的な光場にあえヱ1一に論及して.眞のキリスト教へ
ヽlノ・ヽ
一rし﹂/
の影坪を諭す一心髄合.ハルナヮク︵ン・〓弓l已ハ︶P−フス
ドゥ・モンダドン
一
ハフ●−bO㌻︶ティムメつ一.●ゴ︼i≡≡仁︶ポ7シエ︵G●ぎi乱eユ
ソ㌻孟。三宅ユ.ハルデンヘーヅ丈ル︵〇・ヒ舅de臼訂焉r︶等が
rゥダスティヌスの刷り〃れりば明
ペサケル︵:り・︸ぎFr︶ゴルドンハ﹁︵⋮Cr・ど︼︰り等の挙帯は
準げられる。ともあれ、此の瞞孫わ上から了ウダスティ
ヘルトリンク︵T●
モントゴメサつ一1・
受洗準備の骨⋮畔に於て最初にアカデミー派の懐疑論
︵Ⅰし・dLリ︻Cコユ已し“い︶
足した。n定に反してグラブマンやネレガォルドやポアエ
舘白線に於ける回心の捕捉と初期の蕃蓮から受ける印
ヌスの曹埜を規定しょうとするならば、他の一般の教
︵九︶
象との榊に存する障別をあげて、二︰八六隼の回心は新
父押雄と同抜.フラトニズムのキリスト教的政輯と云ふ
︵八︶
.
フラトニ.スムへの回心で未だキリスト教への川心と緋
語で耽招する邦が川東ると⋮心ふ。
︵六︶
すべきでないと‡張し、ブルフ丁リハP︰・′lrL三の如きは
受洗前カッシキ丁クムに於て郡かれた射誹mの臓めて
罰Ⅵ
論駁の璃コントラ・アカデミコス二毎む郡き吹ほ招抑
論としてのプ・オルディネ更に抑の存在の躍別の斜に
に論理型、プラトンの語む錐万て云へば招謹法の領域
に於てそれを嗟兄した。例へげ泄⋮介に川元があれば五
政感と執拗なる懐疑の妄想とが胸中に細交錯仁l未だ
邪賓は何を物語るであらっか。恐らく来るべき串柿の
凡ての紆放からは燭光にそれ自身は隣接性の根糠・ぞ和
ゐ㌫か或ひは眠ってゐろかである等多くの選言命魁は
畔に中編であり、不幸であり得たい、我々は今兜めて
ヂ・リベロ・アルピトゥリオ等を相次いで著述したと云ふ 元で扶ない、一の太陽があれば二ではない、人糊は同−
徹底的な懐疑論の克服が賢現されてゎなかつたのでは
次に之と北んで敷隼の苑即が準げられる。三の三倍
l−ハドT巨一ご3SuSコ○〃tニーi−−∽∼−・p㌍
してゐる。簡昭に云へば先験的什質を具へてねる。
︵∴U
−−ノ、el−飛誉JコuO宅0︼吉︵︼○琵e
なかつたか。児してコントラ・7カブミコスの内容を
吟味して見ると、其講諭の運びカは地上に打伸されて
か1つて址下む掬はうとする粘り蹴い故に最後の一撃
は九、六の泄外と一の.‖附非との和は七の泄外である等
T仁rドニ
を加へて規封安全なる地少を催促しょうとする必死の
は借密な⋮心考必然性の命題である。算術に就て云った
ゐる敢を描倒してゐる唐蛙ではなく、ともすれば製ひ
努力の跡が見え︰心。此のアカデミーの懐疑論を克服し
革は艶何重た於ても云へる。共に先験的性質を持つ。
・、l一一
て苑理認識の可伐を確証する試みが正に紳の在れの泣
が〓来る﹄
﹃感駿で幾何埜の眞理む理研する前に舟で陣に渡る邦
︵一l一︶
叫の根幹をなすものである。
〓
更に晩年の非運には倫理埜業隼等の規純椚他の埜問
の桝域に於ける姉婿な苑理む指示してわる。﹁人は正し
かくて被は凡ゆる知識の敵城を通じて如何なる疑惑
にも犯されない縦乎不動の托理を求め・、是を兆躍とし
き叛浦をしなければ点らぬ、人は苅送呈そとり、悪しき
一〇七
て其上に自己の曹準備系を建設しょうとし、先づ純一
アウダスティブスの酬り存在の陀明
3アJ
アウダスティヌスの紳の存宥の誰明
を捨てなければならぬ∵報恩哀しなければならぬ、俄
一〇八
的眞即︵警m巧邑と倫哩的眞邸︵許p訂乏6.︶とである。彼
即性よりも補いものが示されるならばそれは抑でたけ
には彼のものを奥へねばならぬ、等の道徳上の命払は は汲め人間の理性が彼造の世界中の最高段階にあり、
二一ニ︶ 稚割に肺斑な眞埋であるh。是は美挙の最高規範につい
ても云へる﹃汝は圭の郁貴なる規範を自己に典へその ればならぬと締結た‖し.共修什を吟味して行った。
外面的に知舵する一切の業む知る併の美の縦蜜なる規 先づ拉初は感免的龍識から‖輩した。感磯の中で下等
︵二︰︺
等に於ては甚封象は凡ての知駿常に掛して共通なもの
範を身に具へてわなくては、外的感覚で知麗したもの 感覚は些か趣を異にするが、高等感覚たる税兜、取能
︵一円︶ を判断する耶は招来ないであらう。﹄
以上の諭椰拳、数謹及び規範拳の眞理はそれ自身に である。かくの如き封象の共通性は柿酬的認識の領域
︵五︶ 於て眞であり︵inseip汐責P︶それ自身敢高候定として にも存するかと云ふに教の概念と眞矧がそれである。
一切の認識を制約する先験的眞即であるから、人㈹的 駁撃上の苑理は凡ての思椎常に共通で同時に足を払越
嬰である。勿論此串は数の本質に依るもので感兜的郭
︵一ヒノ
認識の眞群が是を以って根本的に節明せられた。かく し、而も彼等が是む求めて誤ってゐる場合でも眞且不
の如くして7ダスティヌスは先験的眞哩に依って原理
た結果ではない。と云ふは吾々が外部感兜に依って歌
上懐疑蕊盲克服すると共に紳の舵明の基経としたので 物.に依って云はば井の模倣が否々の精紳に刻印せられ
ある。
取に又白山意志の問題に楓聯してアウダスティヌス を知兜したからと云って、数の釆除の概念は決して外
些二九五年に諾いたデリベロ・アルピトゥリオに於て抑部感麗に依って把捉せられたのでない、且文書々は感
の紆明を試みてゐる。弦で様々の苑埋の領域から二つ 免的に知乾したもの、例へば天地及井関の循象に就い
のものを釧の旺明の基礎と七て取目して来た。紫敢恕 てそれが何畔迄存拍するかは知らないが、七と三の和
∂7β
此眞埋が汝や私や其他誰かの私有物と云ふ革は出来な
不発の眞棚がある碑を否定する叩−は出来ない。且汝は
ある革を知ってゐる。此不滅の数の兵曹を吾々の捕紳
いが、是等不鯉約諾眞理を観る凡ての人忙不可思舐な
は十であり.それは何時如何なる仕方に於てもさうで
は他の凡ての人々と共通忙有するのである。そこで結
秘据のではあるが公然たる一の光のやうに接近し、現
︵二∩︶
論として﹁軟の眞埋と概念とは感蠍的経験とは燭立で
はれる﹄。かう云ってアウダスティヌスは其封話の封手
︵一入︶
あゎ、且不撹常任で凡ての思惟者に知られるk。
が鼻血不慶であり、其概念と眞哩は汝︵エヴJアィウス︶
就いてアサダスティヌスは次の如く云つた。﹃教の法則
其物なのだ。川東・るならばそれを抱擁せよ、それを草
のが存在する邦−の躍l肘を約米した。さあ、それが眞埋
げた。﹃私は汝に吾々人㈹の捕紳及び理性よりも高いも
エヴォディウスに抑の存在の紀明が成速げられた串をJl二日
の云ふ如く、凡ての認許者忙常任且共油に現はれるや
受し、﹁主に於て滞びを村よ、蓋し王は汝に汝の心の潟
叡と同じ特色を持つものに倫即的叡智がある。是に
うに叡智の法則も眞且不拉であり、汝が私の二三の質
を施し給ふであらう﹂︵挿消三十六ノ四︶。
要するにアウダスティヌスの緯明法の核心をなすも
︵二一︶
問に應じて承認した如く眞にして公開であり、それを
︵一九︶ 取る革の‖来るものには共通であるh。と
した。彼は数と叡智の周りに群ってゐる思惟必然性.
永遽の本質的眞理ミ話込民Fe。mm旨bili叱、飛躍したの
n邑賢liter声㌔
のは眞理思想である。超時間的な雀密の訪韓嘩.訂gm・
不雄性、甘克妥常性を有する多く兵埋を牽見した。而
である。然しながら此揚合プラトン哲堕た於けるが如
かくしてアサダスティヌスは彼の紅明の基礎を完成
して之等種々の眞埋から眞理共物忙向つたのである。
き概念を塞在化してイデアむ構成する逸に山たのでは
から因果の原理の助を滞らす直接に
而して共の眞埋は彼の青菜を粘れば次の如く説明され
なく、﹁無倫基傾向は多分に認めるが︶彼銅棒の道筋は
一〇九
る。﹁それ故汝比凡て之等の不覚他見哩を旬放する一の
アウダスティヌスり耐の存在の征明
J7∂
アウダスティヌスの糾の存花の謹明
一一〇
不壁約諾苑即の本質を分析し、其三の根本畔色を弛調 件の最高苑理に形而上雄的錨をつける耶である。然る
して非の本渥たる永遠の本質的武郎に排し及ぼすもの に之等不鰹の雄州苑理仕同時に規縦的特性む具へてゐる
である。そこで北づ第一に先験粧を殊げる。不壁的炎 が故に、永遠の本備的苑鞘は同畔に至高薯であり、維
念の紺色百八偏したり約ユ:=すればアウダスティヌスの抑
即仕組放から燭光であり、感覚輿料に思椎の論理的加 封業である。之が又ヤがて人相化せられ凡ゆる釧の概
工を加へて川東上つたものでも描紳の併売でもなく原
木的客搬的結某で二石はゞ客搬的理想的序列として撤 はポイムケルの指摘すろやうに㌧根本揮在、根本眞理.
.︶
椚界を榊成するものである。之と聯翻して第二の不遮 稚射的根来血症﹂二rやや。群って㍍絨たる文化を構成
件が貌げられる。即ち不優の眞理は経験界の麺化流輔 する論理的、倫理的∵人的借地は既に維封的精神症清
と超越して永逆に安常する。最後の良も訳嬰なる特性 の申に形而上伊仙支鮎と木酢とを有し、其究極の本質
は骨適的妥苗性である。鋸ち一切の思椎主戦を追越し から云ふと紺射的精紳の軍靴に外ならぬ。其意味に於
有し.丹ポ教習隼
Ll二から弛れば宗教の文化打鍵乃至僻地
従って凡ての思椎者に共通なる性質である。之等の特 てアウダスティヌスの仰の存れの詭朋は濁特の意義を
性は此キリスト教的プラトン学徒にとつては足寄一切
三
訪苑理を包括する本質的苑坪を暇足しなくては説倒す 作雄的非躍を罠くものである。
る耶の〓来ないものであり、而して此の重曹そのもの
・ソ七ンの併謂叫.苑理繚明虹※しくは勺親念論的緯明しが
然しながら丑に問超とするのは成村上述の符明はへ
れる不雄の訪尻餅は維封的仰界根ほと同一なる此無給
中掴むなす串は雛ひのない併であるが、耽々それのみ
を抑と名付けたのである。故に取と叡知とに於て見ら
仙界理に謝しては光配へ導︿光である。
かくてアウダスティヌスの釧の存在の詐明は人間即 に終ってゐるかである。此際吾々は仰の存死の詑例の
37J
如きはアサダスティヌスのM心椎過程中には全然見骨⋮ら
ない。それらしきものがあるとすれば、それほ挫際他
︵二光︶
心即的方法論埋∵.1すれば挿紳助訓練の指導と軋ろべき
であると‡張するティムメの説は椒端な例として準げ
︵∴六︶
るに止め、詰家の問に諭鮎となつてわる宰糾論的緯明
法に爛れようと思ふ。ヘルト∴リンクに依るとアウダス
ティヌスは肝細字日給的融の存れの詭明を概念論的証
︵∵七︶
明の背後に却けてゐるのみならナ、全く看過してゐる
耶になる。足に反してバサムガルトネルはアサダステ
ィヌスが認識のも一の途を加つてわた。是は国英紬の
助の下に解物から出費して最高の本源へ遡ったと論じ
た。此間駁の中心は国典の原理を紳の節別に採用した
の仰非は粟化流動の.=棋界であえから、井定在の基捷は
それ自身にあり符ない。他の稚射的存在即ち糾の中に
あると説いて造られた結果たる事物から原因たる創造
※に遡るならば、囚某律は明記されてはないが、應用
さ車.、暇定されて、串円上利用されてわる。故に字吊論
的謹明は彼の意閲した併でないかも知れぬが.紳に接
近する偶にルんだ道である。怖ふに此問拉の決定には
ヂ・トゥⅥ′ニクーテむ中心とするアサダスティヌスの経
験の評何に就き詳純な研究壱必粟とするであらう。と
もあれ秒の得志の滞別法は上述の搬念盆的方向のもの
であるは無論の串である。而して此の謹明法が現代の
・リバ救粁鍵に如何なる蕊我を和するかは他日輪を更めて
ィヌスが敗洲り橋脚外に不朽の足跡わ邁Jて、北アフサカ
本年八月二十八=lェ我が偉大光一り教父普畢者アウダステ
述べる串にする。
で兄上うとする隼者、それは‡としてカナサワクの紳
かどうかであり.アサダスティメスをスコラ的色胴鏡
準肴に多いが、それと反封プラトン澤隼に招近させよ
半年l=祈ろの之む記念†ろ多くの著淡ヤ論文L畢界並びl二
り山都招じッポーに於て平安の眠りに就いてから正に千五
等の人々は締切法には国共の原理はないと主張した。
︼一一
小川敢界を鱒してゐろが、此貧射光論文も艶アウダスティヌ
アサダスティヌスの帥り存祇の詑桝
へ,センは両者に調和を試み、丁ウダスティヌが邦物
ぅとする方面の邸肴ポイムケル、ケーリン・ポクリ工
∂7β
アウダスティヌ7ハり糾の存准の謹明
スl二揮けろ許猫の一柁与し㍗い。︵㍍︶
︼つりP
︵岩︶Cつコ︷コl
一一二
Ac巳つEigs戸一1−ほ.
︵三︶才li︼︵︶︹富︰:︼.つ.
︵二︶︼≡.一r︰訪−
証︵一︶かくの如くアウ〆ステイヌスの哲隼の金橋わ温哩日脚
悪か中心ざてして統一的に叙述L㍗最近り帯述lニ次り
;ニ・〓・ニー︼㌧・
Hム.
︿㌻r︵小つ粥っコノコユ﹂iモけ3.
Prdie
︵三︶C﹂訂u≡︼ハ=・︼ヨつー﹀︰lt﹁⋮致L−eヨ邑○岩㌢ie︵吊uぎr
︵三︶;ニ●コ∴.㌢
︵二つ︶;︵一.=∴ジ
︵完︶ヒ︶d.コ●にJ−.
︵一入︶;︵1.コ
︵一心︶;へ︼.コ.誓.
︵二ハ︶
︵一五︶︼三.山一・
︵一円︶コつ︼⋮b−弓r−ヲ=●た・
︵一≡D2︼ib.弓Fヨ〓・け︰⋮.
Ch.︸ざ㌧弓−巳id紆Le Yキilh︵一‖≡こPp11ilOSつp一︼ie︵一e
如きLりわ韓けろ事が出光ろ。
ぎぎtゝu習数コ・
芦GrPbコl呂コーdieG≡コニ竺︵㌻コ訂ndes〓iug一1己コ1広
さerS諸−e uコd G〇三.︸ハ字︼l誓G.
て.声︼㌘⊆コ、D㌻︼ギk⋮コtコ己ニー﹁e︵一eこニ.All讐翠ぎ享
∽Pmen ︼つlっP
︵ニ︶アウ〆ステイヌスり著述にlェ到る脇﹁汝温理なろ紳
よ、−−Ue∈イ雪i打ちの言葉か賢兄されろ。
︵ユ︶ゥe已ノ・−巳阜一︳c.−・
︵〇くeコ︼訂ユlil事ゝugl邑i口汚・
P
′..■\
︼ざ号−已〓コM︷㌻r︸∵打つココどis−︼詫h
︵二パ︶ノ、−︸叫三l㌻㌘・′u桐u又㌻ふぃ・
︵ぎー∋t⊇トニ一1∋字一︵エ︼才︰〓つrヲke一⊇コ明こ品・
⊃.丘﹂ノノ.・T〓︰n⋮つ︶・′u雲ユニニ?−主管Hコlまc享⋮拘ぎ
︵㌻二■−・′1−誓Ⅵ壬一︼ムーⅥ・ムソ
︵二⋮︶・↓・二つ澤コーⅠ︶ie
〇つ雪コ弓Pユーロn声
ハ舛︶iJ●ヒPlic、L↓㌢○︼コtiOn i−ユe︼︼星=21−咋︷㌻StAugu致︰−︵三つ・−・コ完雪ごゝ=バー三ぎー=−己ギ㌻つ︸︼乙昌言コg
︵光︶J.呂S卦已lヨbik︵︼圧∴〓︶AllgコetぎーS I
Ⅰ.ロuソ︻弓ich−計ヨe雪写ざlJ一P一〇コ訂mつl√訃−箋S・
︵心︶ソt.ロコbヨPココ,D仁r官主㌻訂Grun︵︼ 岩enSハ・︼llE一つr
ノヂ亨ざ3.官署eココtnr コ邑一ゝug邑ぎ1℃llコニTl岩ヨ笥
言コAq已11・ソ㌻コⅥ12r−琵−S・G・
︵八︶J・Nン1つ巧l︰−r・1−ン=g更訂 コニハ︷・︼一2コロニbつ︼・左・1・A・
ぞelヨ勺Ⅵq︸T告ぎ雪n−9日p3・
︵れ︶CFせつⅥ笥一日lri己旨i∽m巾et男ト?ヨ︻きヨi菖︼つ、︼−弓is ︵一王︶ソⅠ・T㌢uヨgPユn昌>ugl−ユ㌻u八っr〇竃づ︹已ハ雪︼︶り声
ガβ
未聞軋宵
に於ける
Ordaニeの一形態
−
苦訂C己dこ音reヲe
についてー1
一l
知られてゎたらしく、≠またヨ一口てハに於て併謂﹁暗
黒時代﹂から中世の終末にかけても見られた。これは
フランスでは聖ルイによつて一二九八年に禁過された
がそれでも頂門は久しく招いた撲であ一わ。そして十九
を川ひたとの捕捉で或班を、手足を糾して河申
他紙初所︵一八三六︶に於ても、グンチヒの市民がblじck
⋮Pg㌻
に托すると云ふ治水の放謹に起したことがあると。
この〇乙︰−1訂はその誹形式を合め.てまた瑚存の未開人
ヽヽ■t︳▼
の郁曾に於ても行はれてわろものであ一㌔#らはこの
味深いアフリカのぷによる晰罪、−5i婆い仇d。官■︵u一・eにつ
くがたちのうちでも︰“も持興な地方色を石してわる興
上代にのみ特有な三−−襟でないことは云ふまでもなく、
一一二
いて二三の考察−で試一り、殊に未聞人心習仙の特徴に舶す
未開純情lこ於け一わOrd巳ieり一形億
ギリシ十や古代けマ或はゴールやゲルマニヤに於ても
解して。rd旦。rdド︼i︵一、○乙巳と云ってゐる。これはわが
物に上る等の種々な験節︵骨eu且がある。これらを通
に上る.火による.或は毒にょる或・は隼や鰐薫lなど動
熱湯によるそれのみに限られす、その他に灼熱した蛾
った。しかし、か1る噺非或は=・コ棄−−きt︵rDj昌。は
る猫は身を傷ひ捕押のものは無郎なりとする形式をと
がへ︵探湯食︶を据ゑて渥を撼甘、これ々操ぐるに邦あ
︳■ヽ
噺†る盟釧探陽はわが摘上代では‡たる手段としてく
﹁紳の審判Lによつて、邦ありとされた者の州虎を北
クガ’ナ
I
ヽ
4イ3
一二田
てゐ布い︵象∵﹁−を†冒≧∵Fヨen︷巳gprimiチ
未開紋付た於ける01dPli∼の一形悪
る鮎に注目を排ひたいと恕ふ。未聞統合伝於けるか1
ソh卦h已が
Teこ謁l。−p.泣か−・っ芦︶。レウインにょつても亦同棲
Ⅱ
前足ぜ、しめる。
で=り昔からの引川なLてゐろのはいさ1か替らな
L−E与○ヨ盆i邑㌢当Ordこ011︼P〓8つ、p・㍑↓
でぁろ。Lか・し、赫めて椚近付ieヨ
る葦忙よる。乱巳ieは従来の民族拳の文献には割合忙祈
過されたものヤクイラーの如きもその﹃原始文化虹︵一
八七一︶円でこれについてー彼は古典期に於けるOrd邑
については三二個併で言及してわるが−何ら報告して
わない。それょり六七年以前にか1る事既に弼する報
知が他の早着によつて讃されてわたにも拘らず。この
︵一︶
斯非に毒を用ふること∵換言すれげp。ぎ己d唐r苫諾
の使用はヨ一口ッ.ハに於ても掩めて例外的であり、ま
種の研究で殆んど唯一なそして最も推賞にぽする好著
は現.ハリ大挙斐争教授.へp氏がノ、、。gtと共に物した
た7ジ7やオセアニアの諸民族や、南北アメⅤカの土
葺篤実e、−¢−伊であらう。これは世界各肖のか1る習俗
に行はる1場介を除いて︶の㈹では吾らの知る限りで
ん≡㌻フリカ大陸から移住してきた黒人の川に極衝裡
︵二︶
掛m.勺eヨt各町芦く○賢POぎ己deヨ芝−灰二叉∴ワ已欠岩玩几−
に脱する廣汎にして珍奇な記録である。最近では殊に
は未知な現象で、僅かにアフリカ︵マダガスカル島を
︵一︶
未開民放に於ける毒物畢の先覚であり大成碓であるレ
佃またアフリカでも、か1るp。訂巳︷l唐−・e弓eは地
めて︶に於てのみ貼らる1ものである。
ウインの小冊子どu訂訂をーいG。斉2旨iledurchGiPllも
コ含
d・
が刊行されてわる。この両脊は
域的には酉郡及び中火丁フリカに限定され、しかも用
写d3くe邑Frenこ¢騒
苦らに凝る樅貰な材料を輿へてくれる鮎で放歌である。
ひらる1毒物む搬にしてわる。これらの毒物は主なる
三つの範将に概括することが‖来る。
︵こ=の好帯li辻ぜ乍らレず=ブリユルにょつてL、彼
が埴lニよろ0腋Eieな論じてゐろ幼介lニも引川され
木目
︵一︵t貧 ︵Er11臣rOpE罵仁巨︶甲・︰セネガル、ギニア、ス
ダン。
ニゲサア。
︵ニ︶命軋rか︵勺す$里村日中n3富02ロノ︶樹⋮・カラメル、下
︵二︶ア7リカ弗鵬純StTⅥCbPOS樹・⋮コン.コ、小火アフリカ
コ一打き訂n的象咋こご岬げれてゐろ︶。
︵=りストリグノスにヨ一bOud︵卓打山号つ−C首u?PPuP、
人はナ賢二袈こ岩貧−日0仁P壬賢二8SきgP、2診I.訂・
G声口っむ0彗巾−こe“d00ヨー&uヨ︰色Ondつ−ndO日−kO已訂t訂”
田口℃リ1等の名で呼んでわる。ポルトガル人がヨ6昔日巾・
と報じてわるのが
イギリス人がⅥ琶句訂︻打lr完成はr乱一召te二r躍ドイツ
人が川首い叫F亡E或はP言昆布rb呂m
これである。これは高さ三国十米瓜仔二光もある巨木
で.その赤い樹皮を剥いで簿凍が作らる1のである。弟
二のに鳩する和毒柄物p首巻乱gヨPT∼コeロ0這−ロはカラパ
ルの消付の沼地や誓竃河畔に生育する柘木の一種で、
この外にマダガスカル島では、lPコgu㌻︵TPロgh㌻㌻
1en昌詳ロ︶︸再ヨ瑠︵試勺日訂Pイen3已中り或はまた8um5.耶P
︵亨.∃ざ3号l篤u29un∴ngP︶の謙薄紫が断罪の孜判を演
︵︻︶
するのである。
くの研究者はこれと捷索†るに非常な相称に日付った
城東偶の土人では久しく熊取に戒められてわたのや多
ら如何にして所要の毒物が造らる1かは、これらの野
弓da家のためにのみ栽培された聖なる植物であるから
r主
れろのである。土人はこの験謹と立とを共に監ウリ一合・
と呼ぶ−主として水に混浴されて都制上の諸に用じら
Cド旨胃カラパル豆
のであるが、今‖では他力植民非業の硬屁と作つて地
悌爪に配膳され二丑扶江漉して館長の家に鍍せられ、
その︰兄が1これを博通に、安代de
相との交通が便利になつて相常詳細な現地軒先が川凍
噺罪にm川ひられなかつたのは河に投ぜられる。この
鱒撒蹄的には﹁赤い蛾皮﹂の荒味で.この球の樹木む
0乱軋訂・巳0へ○宇C巴Pbちの駿謹が掩めて腫々試みら
一一五
れる様式は次の如くである。ある偶像を安置し挺殿堂
米桝敵曾に於けろ9告蓄の二形融
セネガル.ギニア、シエラリレオネ.リベリア等の土
上椰してわるクこれ鱒郡族の正義の欲求のため.
てわる。このうちヤー第一のErュ亨Op≡0昌曾in什無︶
これらの噺非の植物、レウインの云ふ○−・d茸臣nNeか
4J5
未開厳命に於けろ○︰一巨imの一形慰
︼一六
うに見え、断面は頼耕して摘陣状悪に断らんとする。
に被告々誘ってきて、集合してわる人々の軒別で大班 に臨忙毒は利き始めて、両眼は血走り眼孔を飛Ⅲしさ
の場合には二三十粒の#を咽み砕かせる。この蒜々喋
下した後に科人は申紹の結某が例白になる迄あちこち けれども上記の拙作を突破しなけれげ死ねばならない
と歩かねばならぬ。率ひにも此畔忙持を叶消すると無 ので、全精抑を媒小して前兆しょうとする。若しもそ
の‖には科人の石井正目明と映じ、血忙汎した群姓は
罪として放免される。苦しそうでなければ粍を結して の組まで辿って来ることが‖来なければ、傍吼の駿人
Stうー占C∽
科人の力がこの宿命的な一線を過ぐるに止れば彼は無
等々と土人が椚呼してゐるの仕好 被を絞肯して臓腑た刑き内借を寸断する。これに反し
彼は死ぬまで嚇下させるのでぁる。第三の
Ⅰ且・の 2宮Cnd。u
んで森線や鋸地に批育ナ◆。酢水で中均二米からl一光牢
弊蓋
であつて、群集の徴用は被を求刑した者に向つて同
の高さ。その松は告いドに一∵り巨木があり亦い甘皮で
や群集の哩∵︰と共にこの毒液を飲み、研くの後筋肉が
はされてわる。そしてこの皮壱水に混じて眈氾られた如一
仙の駿祀む弧ひるのである。ある部族では、太鼓の音
波が断非に川ひられるのである。このロl宮u已。uでの
験妊は勿論各郡放七多少とも相通してわるが、概して 輿撃を起すやうになれば呪師が地上五十センチ米位忙
なれたこの酢水の根む取ってきて亦い蒜液をm悲し、
川づると:呪師︵OlOロgP二ロg呂℃︶
るべきか1るm♂Otl巳。uの断卯の行郡は損繁である。
黙大枠の奥深く殊に赤道アフリカに入込むにつれて恐
例るれば有罪で、多くは呪師が絞殺すろと。しかして、
以下の如き扶式をとる。妖術を仕ふと城排された都が 水準にした杵を二腱飛び越えねばならない。この時に
科人の面前十歩飴甘の併に椋維を記し、被に、≡︸L⋮U・
そしてまたこれらの警りCbn㌢sはアフリカ人では。rd巴ie
は森に‖掛けて知り
dCGでみたした盃−箪荘す。科人はこれを一息に苓んで、
呪師の合間に従って前進しなければならない。しかる のため以外には殆んど川ひられたいのである。そして
射値
して神明けには革帯のわが場併に北踊ると。かくの如
れた思考の小に穿ち入って妖術昔や盗人を監親し、そ
この植物は稚になれば地中たートらないで、最も秘めら
下させられてわた鵜の三切の皮を碍忙よる嘔吐によつ
T§g什ロp
る。そして受刑脊の郎にn己の手を遣いて長い析稲を
山且蓮︵cprd旨。巨e︶の液を混じたt呂習iロを科人に供す
ゐる。執行帝︵2笥ロ〇冒・d。訂︰一は芭燕の木の汁或は白
き野焼な習俗は束アフリカで虹彩少和いで、験繚のた
て元のま1で吐〓せげ無卯とされるが、黙らぎればこ
このm宮冨ハぎの持相な功徳に閻しては枠線がある1
めの碍は死に致らしめる粋であつてはならない。そう
の不串滑は杵で鹿打されて丁ふのである。或は生き乍
らにして珊に投ぜられて哩められる。この毒物は心願
の捕炎へ抑げる。その後受刑者が蒜液前に嚇
でないと準備肴が罰されると。
マダガスカル人のmひてわるっrd乳富川。nのt巨g已コ︸
‖心の徽條を作って死に誘ふのである。しかし、今日で
のP
働・きを直めて、筋肉の感受性を稚無にして嘔吐と望
首5g仁βPはT旨等i2.PT2ロen詳コ蜘ち火付挑料ハApOCヨ
鼠色の梯子によつて造られる。ソ︻昌旨卜責室旨即ち
はこの断罪にはフランス政府の干渉により入関の代り
︵圧︶
都塵科︵A乱立乳R畝且に威する.訂○ヨ打い邑旨p。−p琴
‡にこの島の死梓を噸めてわる森林から探無さイl、こ
育し、その椒が布刊の毒として川ひられる。旨g已ロは
墨植物は殆んどとの島の西及び北西の荒燕地にのみ牝
その跡を経ちつ1ある現状にあ.る。例へば今‖頗る開
成は宣教n−1iの熱心なる勧誘にょりか1る輯習は漸次に
の各地方では攻仲居揖の航舐なる埜ホ又は干渉により
島のみではない。〓人が併有し保護してゐるアフリカ
に動物が川ひられろやうになつた。吊にマダガスカル
れによる狂暴な断罪は極めて古くからこの土人の習俗
化したアシ†ンチ族の如き虻二重
k。りこPロguiロ計リー針旨爪などの名で呼ばれてゐる他の石
であつたと云はれてわる。この見では常てはt呂g計の
呼んでわる一問に崩する戒地域を占めてゐるが.か1
一
1こ1では○㌢巨と
斯邦によつて年竺二千近くの土人が死んだと記されて
未開批付に於けろOrd巴iつの一形懇
447
沫脚紋付に於けろつr︵己加eり一形磋
一一人
験謹を用紙して蔑見Jeる1未聞人の心理を、跡成的囚
︵∴︶
る習俗が往時にあつたことな追想してわるに11:る。或
仰水等にはへ1は梱れない−にょつて紳通力を得てわる
既に燕物−アソリカに於ける髄汎た染物に舶する民冊
の縦いが彼昔の情裾む巣也してわる。棚疑された肴は.
ある。死はすべて妖彿によると一己れてわる。そしてこ
では死なないとームふ北ハ通的な〓念が存してわることで
黒大陸の上人建で圧何人も〃らが王工L′さろの自然死
吾らが最初に心得て置かねばならないのは、これら
いと川心ふ。
某律と死の媒合的暗ホの二万而から多少とも究明した
︵て音reu詔は少
は士た人肌の身代りのために犬や凱♯右一川ふるところ
もあ一り。仇って、吾らは常ては号彗浣
くともアソリカでは相浩朕抱囲にりつて佐川されてわ
たことむ想像するに榔くない。
︵こPrrこt etノ、Og︷−っつ・Cチ二r㌍・
ハニ︶︼hid:−J.ヒリリ拐・︹予二㌻一二っu㍑−HUド
︵川︶軍事こ︶∴芸︵二戸溌丁字∴︰ご二∴コ つP・C.︵・ニー・い−〓・
︵五︶上越り記述lユ宜l二・へ﹁﹁∵〓損・Jてゐム諸記銀によろ
︵︰︰︶c︹声S.ゴミr︰ウ︼㌢言㌻−−巳J︵iンュiコA♪一1旨一iこ︺
l。り︼P●巴.√ノコ邑︼現㌻・′♪訂三二−︼○︰d昌dh⋮メ・仁re
ギをコ・Cup
.
Orde巴伏。等で験謹されねばならないのであ
′\
ヽ
‖したり−この場<=火傷をしなければ無非−、或は
る。そして、この受刑人は勃氾を入れた壷から石を取
を鋸制し或は嫌疑人rlらこれを受くべきことを申し‖
椛々な方法で被告む操偵して、疑ひをかければOrd巴ie
とされてわる呪帥︵卜符︶に訴へられる。この卜者は
巳芭SO≡e一首蒜∽箪bj﹁・R已一〇lュ己b↓Ode阜r︸be訂g
l−−乳e lO㌔訂尋Ode≡。︵⇒eっ﹂C≡∪㌧−
1 打
か1る狂暴野焼な丁ソリカの毒物的断罪は背後に拭
ってわる土人の呪術∴加数的桁念を、もつとい股仙正
は未開人心意の問題を充分考慮に入れすしては鮮明に
の呪術
ろ。勿論、この塊へ=に呪仰が旭々利慾を目的にした好
〇︰・d已ie
宗教的横紙は牢固として拭きえない囚省的な彼等の信
打にたけた軒であり、或は自己の呪術的威厳を失はな
解挿されえない。これらの上人の行ふ
念を椚足してわるのである。吾らは研くか1る轟彼の
オJ∂
物、一皿の米とt笠に侵されたk。lPの一片とが給せ
衆告別にして描沖忙される。そして科人には少址の企
口をす1ぎ、呪者の両手ヤ組ての物品は扉ってわる公
m党は紫へられ、前夜から米のみ郁放してゐる科人は
聖た冊内の中火に化した少し高い席に坐す⋮すべての
る。科人は呪新局外に扶何人も正人るを∬されない紳
調合される。場面には肛搬な祭儀が最問Jeれろのであ
くは疑惑む親くるため野外に於て公衆の両前で毒液が
これらの対日で隼すろ兆は死祈の肉を企ふ妖術祈が怒
式セある。.ハラン†放でも〓然死の存布存認めない。
ての不串は一に何人かの妖術に起因するとの思考の様
があるが、何にもまして往目すべきは矢張り集醐の総
や川亙のぎu﹂ド1i。n
んとする土人︵子供女予むも含む︶の銀閣的。賢n−PliOn
イエナの印企となる。#らは競ってか1る特利に列せ
せられて公衆の憎悪の的となつて、持てられたま1ハ
罪であるが.そこに別れて了つた者はあ・hゆる非を耕
もが其の草道に逃れろりそこから丼折ってきた肴は無
ふ。聖なる毒液が各人に分配され城下されて了ふと誰
られる。それから一定jIヒの﹁亦い水﹂の常州液を喋下し
汗起すと爪じてゐろけ流行捕、飢饉、蝉の付帯、火災
へ.コ
て叶渇すれば放免、然らごれば右非となろのである。か
いために詭計を非することはあhソうる。けれども、多
1る敬詔でも受刑≠¶の囚分の一は死ぬと云ふ。鉱に
叩も亦妖術芥の呪肌にょるのでぁると。非ある祈は妖
の心理に舶しても心惹かる1もの
ワニ星浅 放では年に一度妖術祈を鵬ふとの名〓で全族
解明に列して、身の況〓を詭しょうとする。彼等は財
を企ひmれてゐるので已iを飲んでも咽吐−︰しない。こ
をとつて往艮と泥沼してゐる。しかるに、彼等は入内
に服する。土人は奇異にも悦んでこの 術常のみである。彼等は土人の榊に往ゎため入関の形
耗を貞排ってでも、毒を飲むこの祭偶に卑加しょうと
れに反し、妖術希でない肴は入内を食ったことがない
がこの 2・d巳ie
する。このte︼iによる吟l昧の‖は大阪江である。太鼓
からこの毒盃に肘へられすして吐栂して死む免れるの
一山九
は最後の一瞬までも打ち嶋され舞踊は最後の肝乱を辣
未聞紬紆に於りろ○−ベ≡︼つの一形態
4オリ
来剛批甘lこ於けるOrdP軒の一形賠
一二〇
なさない。語らが有してゐる葦と云ふ様な概念は未開
︵三︶
であると倍℃てわる。アフリカ人のみでなく、マダガ
人の楷抑牝柄では桝酔に拭き山されてゎない。レギ“
って邦なき者は放免し非ある者を嗣するのであると。
で、且またこれなるが故に無謬である﹂。未開人は頭脳
考へる﹂のである。﹁毒は二桃の紳祓的な反騰物︵rど1i〇
ブリュルの法式を引川するたらば、﹁黒人は駿緯の轟の 鮮紅的
スカル人も亦かく信じて、彼等の。乙邑仲夏行ってわる
のである。彼等はT呂駕nP忙は人の心を探る一椀の楷
しかも、これらの毒が有無者む野元することの無謬は
む疲労せしめることなく、労苦多い探紫むなすことな
蛋が宿ってわて、これが苺汁と共に科人の腹の中に入
これを用ふるすべての未開人にょつて認められてゐる
くして、忠誠や縦令に何らの躊躇や動拓をもきたさす
︵X︶
妾である。
可見な訓戒カに心を奪はれてわる心的憩度が見出され
た.最も単純な因果的連結に勤しても無閥心で只管不
を行ふ要があらう。弦には薄らの論理的過程とは異つ
え†れば砿ちに解決する問由盲何が故に辛苦して捜査
罪上の誰蛾などは全く無用セある。碍盃を飲みほしさ
を梧仰してゐるので、吾らが腐心して蒐集する如き犯
判の努力から次節に速去る。彼等は紳祀的なものや幻
は論理的過程なくしては行はれない絶ての吟味及び批
は吾らが云ふ意味での荒楢なものは何にも無い。彼等
浩められるのである。アリエは記して云ふ。﹁未聞人に
して、自己む不合理的な世界に投する別の探求に追ひ
人のうちの科人は往患淡く貨在む吟味することを回避
この不可見なカ能に而して恐怖に捉えられてわる未開
彼等は故にか1る維封にin已ll宣勺なー邑竺こ已ici2.reしてか1る無上命扶的な断非法忙訴へる。斯くの如く、
る。而して。乱数eはかーる思考及び行動の仕方の首都
想的なもの1悩ましい魅力に惹きつけられる。彼等は
︵六︶
且また必然の締結なのである。文明人が忽ちに想到す
認企してくる情緒のま1となつて、最も奇異た晰示の
︵¶︶
る苛の生理的効果などに射して未開人は何らの配迅を
4朗
へと︶
餌食となる⋮そして彼等の狂態は数千もの人々に掘充
する秘に感染しうる﹂。専らは未開人に於ける紳雌的因
果紺、経験が倭透しえない前論理的な心意をOr巨ieに
ょって故もょく概察しうる。そしてその一例として、苺
にょる駿旺−植物謂を典にするに従ってその葦液の成
分と劾典とは多少とも典つてぉるが、官ぎ巳d.骨e弓○
たることに於ては一であるアフりカに特塊な現象−を
付見したわけである。勿論こ1ではレギ=ブリユルが
指摘してゐる如く7フリ力士人の葦盃の断罪は﹁抑の
審判﹂首e日邑deU⋮2とは何ら共通したものを有しな
い℃或琴芝の如くに耕そのものへの訴へは後に
附加されたもので元来は本質的には呪術的なものであ
ったかは考察には憎く解れ釘いで。
p■ヨ・
︵︵︶ETて冒u己い○ワeデマ柏声
︵舛︶汐○已Al紆コロりヨOPた主監etnO房−箪ごワ㌍−・
¶山
︵九︶A≡仁r;p・Cir
︹七︶:bid・−p.箪
打〓
0己巳訂
の場合忙はマルセ
鳩された問拉は持の断非に兢はれる死の概念の集合
的暗示である。かくの如き
ル・モスが既に注目した如く、融骨的醍醐と集A‖的情緒
へ一︺
及び集糊の科人を操来し嗣せんとする意志を恨足せね
ばならない。従ってこの結炎としての斯非の過杜には
行動的・偶締約・伸承的の要嘉がみちてゐることを記恰
しておかねばならない。レギ=ブリュルは︼?旬Oggeの
︵こ︶
昔を引用して、黒人は自己の潔白を忠誠してゐるので
持の験紆に何らの恐怖をも抱かないと記してゐるが、
これは疑はしい。独尊は香らほどに例舵な意識−これ
とても従来力説されてゐる程ではない1を有しないし
族に㈲する好者によつてPヰが叙してゐる如く、嫌疑
また最近の報舘と矛盾する様に思ふ。ぎ宮tのエコイ
S日itヱT訂貯︼i乳OPO、ど司巧出F毯−−
︵一︶弓i︼︼Ougぎ↓二訂汐已ロ〓訂出§声−岩∞、p一ほr
︵ニ︶乳2司in
¢・ぅ少ワーや
︵㍍句errOtetく○巴い○ワCi﹁−p・留・
叫ニー
侶しえない。霊や他めすべての靴骨的虚嘘の恐増的
︵〇ET7出2已い訂日eヨ邑it軌primi牙e︸−詑pp.柑㌫● を掛けられた者はもはや完全には自己の蒲渾潔白を稚
︵鳳︶旨⋮dこり望¢−試〇.
ま開紋曾にこ於ける9d巳ieの一形磁
4βJ
ために好んで断罪に服するのである。彼等には少くと
ー 科人杜自㍍を抱きえすして、自己の心的蒔藤を研く
な晴ホの下にあつて−殊に︹■コ2︰琵でのっr邑iqでは
ゎない︶の微温的な蛮抑きが認めらる1と⋮心ふのであ
昌呂旨ヨ︰5訂
ため勅命的暗示によつて死んでゆく現象︵これを氏は
ポリネシアの朱仙人に於て排日した、タブーを破った
一二二
も恐怖の芽生えはあろ。暇想の妖術肴として毒死に至
る。この鮎については更に詳細なろ資料を宛根して完
︵門一
らしめa程のエコイ放の妖術に謝するヒステリカルな
成を期したい。終りに〃らは、米桝人に於ける思考の
来閲紋付に於けろOH・m已i︹の一形憶
恐怖を如何にしてか偶人が分有しないであらう。彼の
代目及び心理的㌍カの逃避であろ。乙P︼ieの諸形態は文
︵∴︶
SOCiO︼Ogieこ¢望、p・
r3コ盲訂de吋gO昌p已e,
と呼んだが彼にはこの陵味な語は川ひて
周閲のすべての新が彼を非ありとする時に、たとえ全
明人の情清に於ても無詑識的に柁存してゐろことを附
;−︶
く 潔白でも維附に無非であると信する紺に、これらの
記しておきたいのである。
de
H︶う▼c︼邑○惣ジー汚の︸ワのひ∽−票∵
てゐろ。OP●et・,p◆りP
︵パ︶cPリーu阜首∴憎riEi一ile
EPnこ呂J
p・㌍の−日豊・
ついて、それが科人に精寸‖︺暗示の仲川に言及L
︵就︶アリエにマダガスカルの相調言.e∵u︵〓︶r二り紺非に
JO〓ヨPl
︵㍗︶ヒ∴岩巨頭∵r;点g?一ienつつ戸cti一・2de〓Lm2deこ︰〇rt、
︵予︶ト弓乙e”Pi≡it山詔︼〟‡忠C︻lこ汚タ.p●声
︵二︶L今︶・・寧1じ≡いニワC⋮tこp.崇ひー㌫・
〓J
−器∽︵d、apり訂D■Es肋ertier∴F
︵一︶ノ1.田u︼︸aロde㌻♂ci聖h
︵五︶
未開酢曾の科人は偶人性を宥して仕わない。そこには
融静的暗示が活用する多くの分野がある。融曾的起蛤
の観念と感情とが偶人の苛識を殆んど全く占有して丁
ふのである。しからば、若しも彼杵が自己の稚射的無
罪を信じえないならばそこに醍㈹的の拘来、汝は妖術
肴なるが故に死せざるべからすとの命法が彼を支配す
るに至るべきことケ艶測せしめる。酢曾的なものが︵眼
識と云ふ︶摂理的なものに影晒して碍なるfIミ理的現免
を払えて死を招くことが吋柁である。吾らはこ1に嘗
てモスがオセアニア同株にニュウ・ジランドやマレイ=
4クβ
パ スカ
WebF
ルの宗教哲学
C−呂eロtC.J.い弓琶l・.仰望i訂旦J︶1。r謬−igi亭OH許ユニ諾P
乗
家として許償するにl上り、決して最も偉大なる軒撃者
﹂
人⋮
に敷へる串む水温しなかつた。同段の準が亦.ハ
科挙に国境なしと云ふ命挺は打撃には必ずしもの
雀一骨
カ射
ルの場A=にもキ︰ひ得る。.ハスカルが仰大なる敷挙
で仕ない、ロック、カント二丁カルトなどの打撃スに
常相
に迎
して.亦拉も憧れたる基幣教アポロジストの一人
する評個は、評家の国民性の差違に依って大なる
あ偵
つた串は、恐らく仙人も承認†るであらうけ然L
を批む事は締めて稀でもベーコンに封する英人ので評
作柾
坪を
井としての、ハスカルの許梢に杜、彿人
購と
西他囲
と︰ハスカルに封する俳人の詐僧とは、共々閉民
る哲鮮火の申に,全くパスカルの偲憩の叙述右疲ける
と紀
の問に非常な差迎がある。恐らく英邦人の手にな
異にする評蒙に依っては、共催承認され難い。前人胱
迄の教養ある英国人に取っては︰ヘーコンは古代の.フ
もな
のる
を見川すのはさの八州椰な串ではない。しかるに
ラトーヤアリストテレスと比尉し得べき最も仲大
に比
くべ
沸蘭西人の借紙代パスカルを最も偉大な軒埜者の
好餌者の一人であつた。けれども英飼以外に於て
ハJ月ueS
一い三
Cb3︼訂l・りの近来は二..ハスカル扶沸蘭画民族
伸で
問す
に位置せしめて居たが、特にシュヅγリヱ教授
ーコンは決して斬る地位を輿へられす、哲燐火家
ら蝕む中1−−から近状への過汲糊に於ける特徴あろ川砂憩
パスカルの宗教哲学
J7ア
パスカルの宗秋暫畢
一∴四
の代寂的天才であり、彼の沸蘭西に封する閥係は恰も、 プレーズ・パスカルの短津頼経は、抑止に、併珊二度
同心ハ一三コ︶以前.狛二桝は其より第二回心︵岩山占迄、
プラトーの希腹に附する、ダンテの伊大利に封する、 の回心を境として大協三期に分け得ろ。第一期は第一
シエクスビ7の英吉利に附する槻係に等しい﹂と力説
の宿曜を認容しっし而も科隼の構成を※張して居た時
科挙の研究に泥離して居た町制であり、箱二期は宗教
し、むに進んで、﹁デカルトとパスカルは近代思想の二第三期は其後臨終に至る迄である。帥ち第一期は張ら
大巨蔽で吾々の.フラトー、アリストテレスである﹂と
‡張して㍍る。
然し私自身は、デカルト、マルブランシュ、ベルグソ期であり、箪二期扶科挙を梨て1小ポ故に入り、敬虔な
である。さて自然科堪殊に徴堪物理隼に於ける彼の優
ンを沸蘭西の哲単著と認めると同様の意味に於ては、 基悍粛として熱心に基軒教の7ポロジーに努めた時期
.ハスカルを常襲者と呼ぶホには賛成川東ない。彼は料
であるが、吾々の※揖は、第三肌に放するアポロジス
隼者にして同岬に敬蝮な聖徒であつたが、彼の思想を 越せる才能と功持とに扮する一般の押頂は既に決定的
偶成せしめて居る態度は.決して膳婦な語意に於ける
トとしての彼のm心別の論究である。此の別に於ける彼
と遺稿の断片を集録されたる﹁思想﹂ハマ畝es︶との二つ
の米作には、有名なる﹁地力通信﹂ハr∃αPrCづ計iL且
抒挙者の井ではなかつた。
.ハスカルを仰大な打撃者と見撤す彿湖西人の伸統的
鮮押は、決して彼の尿意む理研する併以ではなく、寧
講で持殊なものであるから:ハスカルの宗教押鍵思想
ろ特に俺越せる宗教者たる事に於て彼の仰大さを詐惜 が数へられる。然し前行はジ妄イつト※裁に附する諭
せんとする他用人の水場こそ、却って.ハスカルの苑の
を全備的に考察せんとする吾々の〓的に附しては﹁.ハ
ンセ﹂が唯一の文献的根醸となる。﹁・ハンセ﹂の申に彼・描
郡騨に逝きものであらう。
〓
ば捜、従って凡ゆる付紙より其の肺城を別布し、耶な
門に新し︿両而して、ヱを窮極に迄疑問刷せんとする
たる⋮ル憩を、合計深い言葉をjュて表現して居るが、被
ろⅢ識む最も頼溌せん上する㍍寝である。之は析椚な
は、〓dの崇敬経験に附する深刻な反省Lし洞祭より得
は決して併制㌫数押挫骨ではなく、従って﹁パンセLに
中世吾型、荊びにス﹁・ソ伴堪の軒調﹁構成への隷旭﹂に
押興して居ろルネリリンス文肌への反動である。かか
叉h化して宜ち牛・り、−力も〓らほ﹁H典への誹旭﹂を
衣ほれて居る思想性、些かも、押雄乃裏和雄井目備に
射すろ典肱に依って導かれたものではない。
さて彼の思想内容を論究するに光正ち一腰被のm小憩
t的な軋雛享⋮舶来に拭ってのみ利運され得一わとの⋮心想
北‖張をなす骨⋮仰の一般畔化川霜首長疲する。パスカル ろ態度は、妊理は何等の先人札や像想たく.符偶人の自
は蓮泄軒隼の問肌デカルトと同時代で、蝦令被をカル
を別紙し、デカルトの﹁カ法論﹂バリ⋮琶urS
de︼Pソ︻呈5Le︶
テシアンの一人と兄撤す串には幾多の疑問があるにせ
って或る畔別の彼抹熱心なデカルト追茄昔の一人であ
が何昔の影畔むも豪らなかつたとは考へられぬ、蕎却
カルテシアンと其の偲捜を一にして居る。
けろ徴堪的理想を鋸調し博挽や岬識を鋸力に錐刷して
パスカルも亦畔代⋮小別の予であつて、門堪のカ法に於
畔にれ徽な敷頬骨たる来電む以て、肌熔的M小憩の特徴
的認識の鵜伴性を保謹する偶に紀射的に必要とされ、
分離する。デカルトに咽って紳の存在の描明は、理論
然しパスカルは、再■ポ徹論に於てデカルトから完全に
たる﹁明晰判明L三上ろ槻念の申に、其の粁堪的理想む
﹂..︳L
′
〃々の川心情の木件に拭って両軋的畔増性むuて承認さ
仰の〃れの謹明は.徴用﹁明科隼の基経の川北と同撲、
パスカルり小パjkパ︰丹
デカルトを代来とする苗代⋮小憩の特徴圧、綽蛤の半
追求して居る射は頗る相似して居り㌔
カトりノック教徒として散骨の忠邦な信者であり、叉周
った。而も亦両帝転∵石釧論芥不寧ろ熱心なりーマン・
よ、骨⋮帖一世の川心想を帆離したデカルトの川小憩から枇けはも良く此の理想た代よして居る。此の鮎に於ては
●
Jフ‘JJ
ノ
パスカルの宗牧野串
れて居る。而るにパスカルは、抑の認軌に於て理性虹
カルトの木酢論的栓明がなされ、紳は合理的忙例証さ
れ得る基経の上になさる可しと云ふ立場やり、所謂デ
も不砺とする虜で両者の宗教者を分離せしむる決定的
的に寒辞せんとするデカルトの態度は..ハスカルの最
特殊な宗敦経験と無親して、紳及び宗教の本質富合理
反省が、宗教の理解への唯一の途であつた。具性的な
一二六
全く信用を置かす、凡ゆる合理的な紳の論議の価値と
瑚由は此の鮎に存する。デカルト以上に.ハスカルに影
人は、科邸的理想に燃iて居た初期の.ハスカル忙示し
教論に於て完全にデカルトと分離するに至ったか。武
畢の追慕者の一人であつた.ハスカルが、何故忙後年宗
は所謂哲墜着ではなく一人生に封する或る特種の態度
の著者モンチエ一三
思想の体絞を支配して厨る有名な書﹁エセイ﹂︵拘留且
ンチビヌの啓上り得られた旬が麒る多い。長く彿蘭再
書を奥へたのはモンチエ又でー﹁パンセ﹂の中には、モ
たデカルトの非同情的態度が其の有力なる原因と憶測
を示せる文畢的代表者である。彼の﹁現貰主我﹂とし
︵呂c蛋de巳〇三巳雪っこか短−−雷は︶
するでもあらう。然し此の理由は一盾疎い姐に存在し.
て知られるものは、人が強いて無視し、或は陳徹せん
人位の本質的矛盾を暮しー堕落と紋清忙舶する基督
が故に基音数徒なのである。如ちパスカルにとつては
と辞職せんとするモンチエ三の態度は道憶的熟字︻
肯定し、井虎に﹁安易﹂と﹁安静Lとを求めて、観賞
主審との多様なる税賞を洞姿すると共に、其を如‡に
せんとする者を深刻に感動せしめた。然し一人生忙背
仰
数々理と信仰する以外には.真に人間の根本的不安は
でー.ハスカルの如く、人生と膵寛に又全鰹に於て理解
とする人生の凡ゆる現資を如箕に把握せんとするもの
●
請足せしめ得られないと云ふ内的な宗教軽輸Q決別な
.ハスカルは.彼のたましいの切なる要求に相臆する
に基く。
デカルト忙謝する.ハスカルの不満は一骨決定的な師団
のみを侍する立場と固守して居る。曾ってデカルト哲
否定し.只管忙、基督の中忙啓示されて居る紳の露蘇
ヽ
道徳的都恕主我への憧憬がある。彼に依れば.人位の
パスカルには一面k於て−エビクデートのスト7風の
教経鹸ゐ二様の型に乱應する。肝謂提言者型の観念の
型と哲堅音型とに拓別して居るが、此の区別は又、宗
ハイラーは﹁新前論﹂の中に、抑の観念を、卑官者
三
根本的規定は矛盾セある。人間の反省は一面其の怒と
跡とは、人に命令し、教へ、呼びかけ、或は又、人を
ノヽつ.ハスカルの到底最後迄迫鴎し得ぎる血セあつた。
悲せと切賞忙嘉せしめるが.他面道徳的優越への梯
った﹂と云ふが.人生を墓丁的に理解するのは、決し
一二七
サストテレスやスピノーザの宗教経験と云はれるもの
窮清の存する限り不備を感するものである。励へばア
に封する知的感情に裁くもので、賓在と自己との椚k
一方哲歩者型の紳叔念や宗教撫敬は、賞在との合一
紗くはなく︰ハスカルは正に其の一人である。
の中にも、此の型の抑概念乃至宗教経験を有する者は
挺して居るが.候令級富者的使命を白銀せざる一般人
せる封にある。背約の卑官者澤の経験は明白に之を例
大な者との間の、人格的相互閥係の存在の意識を礁保
型の宗教趣瞼の本質的特徴は、一般に、人と.より偉
術嘆、感封﹁櫻井啓の中に此の卸と交述する。賓之此
教経験では、人は、畏怖と尊敬を以て紳に繕わ、新藤、
身し、慰め、愛する如き紳で、斬る紳覿念を有する宗
JβJ
燥が.尊と滞縞へQ兼務感を良心の上に披く暮せし
める。人位忙於けるキンチエ£ユとエビクテートの封
立矛盾は如何にして越克され得るか。此の岡津の解決
が﹁.ハンセ﹂の眼目であ少、.ハスカルの宗教論の出蜃
郭である。
ブl・1﹁ルー︵野Gぎ凰は彼の健れた.ハスカル軒先啓
︵︼︶
の中に﹁.ハスカルは野草忙は何等の柵心とも持たなか
て.ハスカルの理想ではない。﹁.ハンセ﹂の名句が明示す
る如く、彼の求めたのは、﹁哲争者や博請者の紳ではな
く.アブラハム・アイザ,ク・ヤコブの紳﹂であつて、
串着たる串は寧ろ彼の館斥する臆であつた。
鉦 ︵こ宮已rO扇いり伝ぃOl,句●−芦
パスカルり宗敢官幣
、
江之に漉する。此の二つの型の紳軋念の射光は、﹁パン
はれる帥祀‡義からは泣く離れて居た串が察せられる。
のであるから、汎神論的気軋を最も濃厚に右すると思
一二八
セ﹂の晰ポの﹁丁プラハム・アイザック・ヤコブの抑Lと、
併で通例坤昔‡韮は、新教殊に.ノンヤン・ウェスレー●
パスカルの︰ポ秋誓伊
﹁哲雄新.膵識抒の抑﹂との附正に細腰するが、パスカ
るに常つては、著しく新教祉的たぃ仰衣ホを以てして
ブース等に依って代表されて居るが︰ハスカルは、酔⋮
むに此の瞳別を、佃有の意味でハ示教経験と呼ばれ得
居るにも拘らず、被は依然として︰フロテスタントに
ルはHに、前者の申にこそ魂の終局の安息は得られる
るもの1小に求むるならば、併珊細評よ裁と抑祀主我
は何等の同情も経たぬ、熱烈なカトリリク敬経であつ
時のP−マ教育の脚城者ジュスイソトに封して論節す
との捏駿の町立に求め得よう。稲評※瀧の小ポ敢経験は、
た串止忘る可きでない。
と考へた。
最高の倫理的人絹紳との人相的刷係の意識・ず申し、之
は、知識や瞑想よりも、却つて意志や行偶を靖んする
紳成主義に封1ノて稲音※裁と呼ばれるもの1特徴
的裡在との人=一への熱烈なる混仰−及び少くとも、斬
動である。意志・行購を中心とする串、釦ち道徳意識に
に敬虔に折伏する経験である。紳祀‡端の耗験は、究極
る合一の部分的邦雄の意識を含む経験といひ鋸よう。
紳雌※満との障別に換言され得るが︰ハスカルの経験
と抹認めなかつた。寧ろ彼は、道徳的直軋の僧植を軽
あるが、被はカントの如く、之を以て㌫数の最而の安来
宗教の基礎を猥く鮎では︰ハスカル扶カントと同一で
は、必ずしも明椎には断言〓来ないが、個有の紳威圭
親して、苦し樽統の秋野と矛析する場人〓には容易に之
斯く像一∵=新型と竹雄芥型との蹄別は、又編著王義と
莱よりは、却って赫■堺‡誠に崩すると見放すが億常で
教者と見撤すも、必ずしも枇は道徳意識をのみ弧嗣し
む放棄するを腑はなかつた。従って被を稲弁主義の宗
︵一︶
ある。サント・ブーブ︵S呂it?哲男e︶のパスカル批評に
依れば﹁彼は考へられるが如せ汎訓諭来セはなかつた﹂
Jββ
たのではなく、冊妃以てカン十の如く、其の基礎の上
られる考方を輿へて㍍る。
彼は心的批清に於ける下意識的な、習情的な要素を
コぎ︷○コ邑e﹂
にのみ㌫教の惜佃が承認され得ると考へたのではな
い。却って披は、ヅオルテールなどに蛸肴扱ひされる
CO昌一︶の名で呼んで㍍る。
﹁心情は即俳の㈱如せざる理性を右つLハ訂Peu冨琵
と呼ぶが、叉最も厘々之む.﹁心帖﹂︵T、¢
迄に、人件の優越を奉加する道徳的脈槻の椚植と軽雄
して居た。
圧道徳わ偶の規定尭として、理性︵訂邑ⅥOn︶よりも却
では、.ハスカルの洞察は、カントよりもー屏深く、彼
も大いに支配される串は承認されねばならぬ。此の動
扶勿論.伊都下意識乃至門析と云はれるものに依って
#の道徳行場は間組に理性にのみ動機を有せす、感情
代と感情とを峻別し過ぎた嫌があると批評される。吾
畔の俗悪な功利半端的倫理への反感からにもせよ、郡
然し、斯く理性と心情とは封嘉するが.﹁心情﹂は荷﹁理
件ではなく、心肺である﹂
する描力仕賢に﹁心的﹂である。﹁糾有感知するのは理
ある。従って即件の胤し得ざる道徳㌫数的わ娼を即帥
で.此の仰向は、袖に依れば﹁紳の愛﹂と﹁〓愛﹂で
存在の本質的規定たる、﹁粧向﹂︵drり0を○ロ︰に依るの
めて居る。行男の終極的決定は理性に依らす、人榊の
なる一句は、例白に﹁心帖Lと﹁即粧﹂とを附北せし
p夢︵誓Jと云ふ最も有
って﹁心的自動機﹂︰︼ぎ︷○ヨ賢−ヮ一旦Ji邑り︻ee訂ni川戸︶を
性﹂の閥知せざる一種の理性を持つと云ふ表現の中に、
COn邑t
力説するハ崇lっU。餌場の説明は一厘々理性が忠告忙附
﹁心情﹂が箪なる﹁H目的意志﹂.の如きものではなく.
r鼓OnSque︼PTPぎnne
典する張雌以外に求めらる吋き場人=が多い串把に池内
其幽には、匪親的理研の合理性の認識が暗示されて㍍
.・一−リ
ー二Jノ
︵lっ㌫︶とパスカルは云ふ。
して彼扶鋭敏なろ感知力を以て、下意識乃至習仰の訳
るのむ邪知し村ろ。
パスカルの丹パ秋竹Ⅲ†
要性を温め、現代の排剖新心理隼の※張の先駆とも見
さてヵントの伶理鱒‡知韮義に偏すると見られ、骨⋮
Jβ3
パスカルの宗教哲学
一lニ○
る心﹂︵l、眉ritdeg曾ヨ賢ie︶と、﹁繊細の心﹂っ−眉ritde
店る。更に亦、理性と心情との封立は、﹁幾何学的な
pr訂官r琵︶と記して居るヾ仲通﹁本絹﹂の名に依っ
許窒︶との封立に依っても衣現されて居る︵−︶。﹁.ハン
更に﹁.ハンセ﹂の或牽け心情・本能・原理︵Pe弓、i2昏き
て即解されるものは、人聞の行動が、意識的企図に基
くに勤して、下等動物の行動の原因と考へられるもの セ﹂は勿論断片の集鍬で、基戊には膿系的統一は要求
である。而る忙﹁原理﹂とは、凡ゆる推論の基礎に要 され得ないが:ハスカルの用語法は僚りにも不統一ヤー
諦される幽の、直鶴帆理解に依つ七純度に把捉される ﹁心的横制﹂、﹁心情﹂、﹁繊細の心﹂等の語に依って、其が
最も根水仙なものである。蛋甲時間・遊動・数等の防塵正樅に何を意味するかを版輔に規定する事は腐る困難
の直搬的如諦はー推論的知識と同様忙砕蜜であり膏寧 であるが、彼が﹁生﹂の理解殊に、宗教の理解に於てー
斯くて.ハスカルは、道徳怒詭の心椰とも云はる可き
である。
ろ凡ゆる推論の基藤吉虚す。斯る原理と同一摘される 即位に射光するものとして、之等を重税せる事は明白
心肺は、アリストテレスの﹁ヌース﹂︵ぎ凰とも比較
され得るもので、最高の意味に於ける理性を伴って居
もなく.前者が非の椰節忙於て最早何等の紀聞をも必
翠に叔接性を共有するのみで−勿論同一成され得べく
教給は道他に基礎を宥するとは云ふもの1、其はカン
質的要素に対しては充分な即解を放いて居た。彼の宗
撫條件的義務の意識として規定さる可き道徳意識の本
ると見ねばならぬ。此の原理の直概的理解と本伐とは、ものに対しては、カント上りも一府洞察が深かつたが
要とせざるに反し、後者は聾ではあるが、若し之に
さてパスカルの道徳的両親の軽蔑は、彼の販路鼓自
理由を輿へ得るならば一盾純度と考へ得るが如きもの トの立場とは可成り僻隔のあるものであつた。
である。而る忙.ハスカルは此の拓別を無税して、木龍
的理解と直製的確諒とを一心偶の名忙依つて︼捕して 己増性的信仰にも絢らず、道触の本質としてカントの
J84
し
である。.ハスカルは、既に度々引用せる如く、りigd、
力説した併謂﹁無闇心﹂の法則む離れて、山見串藤主
−む
一J
月U.
Abr︰︻﹃ヨ,せieGd−H浮弓∵PendeJ篤Ob、nOコd臨写ilO筈pナ虜
義乃至功利‡我とも思はれるものへの、驚く可き堕落
の緋概念を斥けて居た串は論を保たない。緋の戦念阻
の傾向を誘致して店る。此の堕落の傾向は彼の有名e
なtd住田づp夢︵−烏︶と‡張するのであるから、内在主義
る膳の説の中にも吋成り明縦に指摘し得る。.ハスカル
の紳の存否む間血とする購読は、歌碑上の公姿絵忙内
有在主我は多く、生ける宗教の蛮命を枯死せしむる危
力な基礎を持つとは云へ、或は又、購忙依る抑の澄険
明に
は曝されて居るが:ハスカルは却って、超越的人格
常時の自由思想家を離脱する一つの試みに過ぎず、紳
彼の愛雪排他的に主張する輩に伐つで、宗教生活の
自身は決して斬る基礎の上に抑を信仰して居たので健
は康に一種の危険を導入して居る。彼はオーダスチヌ
スの愚憩を承けて、人批正﹁仰の愛﹂と﹁自愛rとの二
をかつたとは云へ、常時の倫椰宗教粗想の特徴なる串
﹁我々は父を愛さない。何者﹂受洗以来父は子に臆さず.
しめて居た。父の死に際し妹に輿へた番偶の巾七彼は、
あらう。然し.ハスカルは、隣人愛む紗の愛の中忙含ま
新約の力説する隣人愛が説かれて焙ないのを怪しむで
柿‡頚の影響む免れ得なかつたものと批評され得るつ
。の愛の根本的規定を持つと説く。此鬼に、基僻者は、
訟 ︵こ㌍iロt?哲男eこざ亭由0︸阜t●芦Tた・
四
﹁我々の中にある自我︵ソ訂i︶は厭ふ吋きものである﹂
ハ缶8 と云ふ旬の中忙、彼の人位説の特徴は最も良く
察すれば、一般に人は受沈以来彼自身に厨さすして紳
要約されて居るが、共は梅鳩な自我軽蔑の思想であ却
るっ
。て抑に献げられて居るから﹂と述べて居る鬼より
思想史上二訓の概念の内在‡我と超越主義は.常に封
宜して‡張されて来て居るが、概して内在重義は哲に
傘屈すると考へ、従って隣人愛を訓の愛の中に含まし
一三一
者の、也越竹入林立鶉は敬促な宗教者の神職念の特む
欲るを正常と考へたのが彼の見解であつたと恕はれ
パスカルの宗教哲畢
ルに♪つて掟、抑のみが拙ての目的であつて、右限者
剋はし汁一隅入党の精抑む持って居た。とは云へパスカ
れた宥講の分前を.貧病人に損たん÷−草む懇望したほど
た謂ではな︿、被は死の正に於てすら、臼己に輿へら
思はれる。然し彼の敬鹿は新約の其と一致を欠いて㍍
らしめて㍍る隣人変の鋸調の偲憩とは掛証して居ると
さき芥の一人にたしたろ圧栽になしたる也﹂と紳に用⋮
る。此の卦で稚は.和常邦の一抑、﹁我兄弟なるいと小
粧かに正常な︰パ敢小沼の促址を墨ふ危瞼を含むもの
〓来ない。パスカルの、病的に迄和拙な人件の踊悪は、
妙な耳∵=を支持する何祈むも、新約の申に見川す革は
﹁病は基悍常に昭って自然的状ばである﹂と云ふ彼の☆
〃の典型と仰ぐ串を誤りとするは証しいか?帝。荷更
我々のけ撚らす﹂と云ふり然し果して新約の基悍を吾
人川上た帰則す一り串に拭って.﹁基盤の〓変圧正しいが
捌して.彼比キリストの無非と、原罪の拍≠仙を魚へる
て非がJ⊥り圭リリ串を折ったと云ふ新約の廿伸す串狸に
ー二二
は如何なる莱と挑も‖的と見徹され得ないのであるか
で、此の射ではヴオルナールの﹁悲しい哉パスカルよ、
パスカル山宗敬粥川・
ら、彼は最も親近な人々、例へば彼の父に射する自然
弟は病んで居る﹂と云ふ皮肉な評言も、必ずしも全然
要求すり㌔蛸落せる人川にあつては、自然的〓愛すら
する凡ゆるものに無舶心、訴仙㌣ろ之を根悪すべきホを
カルは、総ての基悍者に附して、押通の人糊性の要求
射象から分経せしむるものと彼は考へた。斯くてパス
而上隼的基植にプラトー押隼を操り、倫理の基礎にス
揮誹希脹抑情文明の段階に入った畔には、紳寧は、形
ストイシズムと川池するものである。尤も基悍救命が、
するが如くは特に北野敬川れのものではなく、却って
パスカルの人件混にホされて居る描肥l廷は、彼の希求
︵こ
的愛情の椚植をすら軒斑せんとする。自愛及び隣人愛
不骨⋮とは云ひ得ない。
もが非今期的であり、耶麗人件は最も拙悪さる吋きも
トイシスムを拭川した串は三1t増でわるが、ストア的禁
︵∴︶
は、無限者即ち榔にのみ兼務を賞ふ吋き愛を、同封の
のであつた。然しキリスト〓身は苦杯を求めす、却つ
Jβ〝
のである。かの﹁我は我肉の中には誰︰き何軒も作はぎ
湛軒数教理史上良き脛史を有する、然し、オーダスチ
紳の恩寵と人例の〓山意志との閥係に㈲する論乎は
みられた。
るを偲ふ﹂と宣言せしパウロですら、﹁何人も自己の肉
ヌスがベラギウス説に反抗して、﹁堕落せる人間の専行
欲‡端墜鱒背部の教ふる併とは可成りの距離のあるも
鰹を厭はす、却って之を養育し愛撫する﹂と述べて居
−rは、恩鶴の加誰が搬射的に必要である。人類に最初
︵三︶
る伊上りすれば、.ハスカルの極端な人件腔雫説は固有
購興された自由意志は、原罪に依って其の力を制限さ
る。斯くて恩龍に依り、原罪の斬す永遠の刑野より政
︵二︶RemPrqロ店2こ袋欝nれ
・ 、只人類は悪行をなし村る自由をのみ保有するに止
所され得る者は、不可測の郁恵に改定されたる限られ
たる常に過ぎない。﹂と説ける教理は、其の抽端な改定
訣︵P乱乳i2rFロ紆日︶を緩和せる形忙於て、長く中世の
されしジュスイソトの軟説か、眞の宗教を堕落せしむる
的興味からではなく、竹⋮時のローマ軟骨の構成者と目
ぬ。恩剋と自由意志に閲する此の論軍は、教範訓拳者
る、ジュスイヴト郁畢に封する論争を参考せねばなら
の一中心人物として、かの﹁地方通信﹂の中に屁閲せ
タントの否定せし自由意志を再び酢謁して之に封抗し
にジュイヴトを小心とする併珊反動改革者は、プロテス
て、宗教改革運動の一誘因たらしめたのである。然る
ーテルやカルゲインなどの自由意志の蝶理者を刺蚊し
著しく自由意志を食前する思想が掠訳し、之は勝てル
一三三
たのであるが、兆の所説は亦却つて、カトリック教徒
パスカルの宗秋普理
を叩き、此の謂湛を先取せんとする信仰的動機から訳
有名なポール・ロブイヤル運動一︵宮子謬首試OTemeロt︶ 抑拳に有力な地位む占めて居た。然るに申1−︻末期の頃、
つぎにパスカルの恩剋説を軋る。此の場合常然彼が
五
︵四︶EpF■・g・
臥寧Ⅰ−Oe彗r貌−t●巴−p,誓.︵三︶黒むm■づir−∽い
訟 ︵こソ︷覧●い舛く●会い
︵円︶
町井冊数倫理には、適切に柵臆し排いと思はれる。
Jβ7
パスカルり”バ教珊︰里
∵二四
教曾の聖集に特典する≠に依って拍得されろれ効な恩
÷里Hヤあつた辛が刷・〓一でJわろJ捌ちジムスイソトは、
の小∴於てすら、パり∴こ里や・千ゲスナメス川㌫ハ・ポ墾﹁
玩紳力爪予をぷかぎろに.け〃川整容=㍗し認否骨して㍍ろL∴↓
験を車丁る信番の反感を招いた︶此山種の信昔と代来
すィリものが、腎にポール・ロアイヤル仰院と中心とすろ
しめたものは、ジュスイットが/自由意志の擁経常であ
論究せんとしたのではなく.彼をして論ずに造情放せ
依って、被が此の問題を紳準的興味を持って⋮心痛的に
巧妙な個瞞を摘摩する串に専念して居る。此の串班に
ろ此の冊籠を離れて、ジJスイソトの道徳紳準に於ける
と自由意志の問庖を熱烈に論じて㍍るが、其以後は寧
自身忙すら可成り説紺とも川心はれろ論調を以て、恩寵
よりなる﹁地方油析﹂の小、最初の三根に於てこそ、彼
の有力なる一間土であつた。然しパスカルは、十八便
之が所謂ポール・lいγイヤル叩⋮勅であり:ハスカルは非
透し、ジ∴スイソトに封して張力なろ論ずを旭川した。
て.自由意志を膵んじ、恩寵の加護の柁射的必要を描
︵J︰5彗首︶の新港﹁オーダスチメス﹂の併読た支持し
る。被に依れば、﹁眞の中小敬は全く紳の愛以外にはな
世俗粧曾に冊及を計る機曾を蛸ふ必要はないと‡張す
其の優越なろ人措的ハ・.小放の椚旭む減殺してまでも.
清〓せしめん上すろ三−tにあつた。しかるにパスカルは、
て聴⋮なろ用結と維持し、基冊数た購く一般民衆の聞に
ても外的な聖貧や聖業に彼等を隼興せしむる串に依っ
紳の愛の如汗−内的修養の要求を可及的に減少し、せめ
同朋む、︷パ数的揖晒の明用再に牛沼せしめんが璃に、
ると敢曾や崇敬から㍍仝に隔肺しよらんとする心弱き
はあり得なかつた︶ジースイソトの†張は、爪々ともす
化は、紳に献げられリリ小・。たる愛の繕おと衣瑚との外に
は、凡ゆる︰右放の情植批㌦の標準上なろ可き水門的純
や行場に満山して㍍たぃであろが.パスカルに狙って
然的に起されろl∴1J毎粧黒イに闘心せざろ基悍堆的小沼
甜粗γ肴迅で、彼等は骨⋮時の刺繍の紳嬢寓ヤンゼ一∵ウス鋸にい糾して/刷の婁に二糾すネバ仰及び二‖二ハに依つて必
る串共自僚ではなく、却って彼の言葉を‖てすれば、
J∂∂
い。﹂、⋮︶宗教的眞廊の認識は貝重富良てのみ吋能で
パスカルの崇敬椚や
彼忙依れば.宇目の僻烈たる拙けや〓〓黙の脱しき調和
は、敬虔なる爪希に附してこそ榊の明紀ともなれ、無
の基礎の泄弱た︰bを目配せしめ、之に封する畔斑の怖
めず、却って、﹁理研論が基悍敬を退去かる三1t、恰も無
一∴J工
に購すろ周東の理性や、第一の﹁肉附の秩序﹂ハ○ニr几
ろ︰小数の罵理け、第二バ﹁精紳l−醐の畝序﹂ハOLヲコ官rit︶
併の仰の〓的論的紹明をすら、粗慢に緋解して㍍る。
居る。絹三の﹁慈悲の拭け﹂︵○コ㌃LeCh。r主に喝す
然紳隼を清算したカントにすら桐茂分受容されて居た
︵︼r・Sぎ打こ乙rnsりの非運細説に於て最も良く表現されて
彼はデカルトの本醗的謹明を斥けるは勿論の串、‖
︵P㌢︶には何等の同帖をもホさない。
在の軽々なる論砕や或扶父純粋理性の㌫数たる理紳ッ
論トーなどの⋮小想の先附たなすとも見られる。
此の⋮心想は被の有名なる、入関の﹁三つの秩序﹂
る彼のm心想は、現代のハ加数押掛にれ力なる、例へばオ
‡張し、凡ゆる合理的な紳の認識を斥け、かの仰の存
たる紳でぁるJハ⋮ニ詳uC㌢ぶ二P一lSPt望乙i宕uたじ拙
と はにされ得ない。非合理性、紳祀牲を紳の木質とす
紳論
等しい。﹂LL彼は云ふ。紳杜理性の光に依っては
パスカルは屡々政一冨者の言♯をかりて、﹁紳は閲
さにれ
偉く迄も排他的に力訟する鮎にある。
れた抑に附する情熱的な弊首、苑の㌫赦の本賢とし得
てざ
、る無能力り〓・〓兜と扶、被をして理紳諭に安住せし
彼は︰ムふ。更に亦、深刻た非悪ばと/其の非悪を漉け
るに︰ハスカルの宗教論の粧徴は、基醇に於て啓示さ
認めす、却って刺しい郎倣む以て之を批排する。要に
す拘らず、紳を知らぬ凡ての常に伏却って紳と隠す﹂と
ある﹂。︹り望︶とかと説く俗歌説には、何準㌫数的爪他む
紳に員へる入関の兼務に代Ⅲす吋き聖祭を輿ふる偶を
で抱かしむるに過ぎないのであるり﹁自然は紳を知る肴
には榊に就て雄⋮り、紳を愛する脊には糾を掛はにする
る救済正可能である。﹂とか.或は叉、﹁基幣の州税は、
ある。非故に彼は、﹁心に紳の愛む抱かすとも恩剋信
に仰
依骨や反㌫放新に射しては、却って彼等をして宗教
Jβク
パスカルの宗教哲畢
一三六
ne
m√T巳ニrOnT町笠8と。
tuロe
六
とするもの1木質があるのである。
C打巧c訂邑妖コ:〓u
deC。r邑に臓する王者や隙昆や筋許の俗知誠の、全く
此の表現の小にこそ、宗教に就いてパスカルが語らん
me
理解し捌ざる併であると彼は云ふ。
﹁パンセ﹂に酷系的思想を要求する串は無理であり、
分析的に野郎し御る論議を見川さんとする努力は徒労
明確性に依って偉大ではなく、却って斬る思想を衣魂
七﹂は旭々想像される如く、軟拳的裁判に依る思想の
高き理想と其の既報忙射する無能力とが、奇しくも併
教理む中心として展開する。人位には、倍大と房少−
いて、原罪に依る人数の摘落、及び基督に依る賦罪の
.ハスカルの宗教哲拳思想は特殊なる人位論にもとづ
せしむるに到つた純梓にして深刻な基捷的宗教経験に
存して居て、矛盾は資に人間の存在の根本的規定であ
である。従って.ハスカルは所謂野撃肴ではなく.﹁.ハン
依って仰大なのである。.ハスカルの深刻な罪悪感と情
る。然し矛盾は克服へ、不安は解決への必然的響求を
る可き地盤が見‖される。.ハスカルは.人位の本萱的
熱的な紳の愛とに蔽き同傭を抱かざる鬼忙は、凡そ﹁.ハ
.ハスカルは其の特に健越せる抑の愛に依って紳と憶
規定は矛盾であると自発するが故に、彼に取っては、
持つ。此鬼に..ハスカルの原罪詮及び臍罪説の瑚解さ
験し認識し、斯くてイエス・キリストを通じて到濯した
現斑の人間は、﹁然かある吋き存在﹂ハ紆qu−i︼dOit写e.︶
ンセ﹂の洞察的理解はあり村ない。
紳の小に摘擁せられる事に於て無上の法悦を味得して
とは考へられなかつた。此の‡張に最も扱く封立する
者はヴオルテールで、彼は.ハスカルの如く、人間を矛
盾或は謎の存在とは考へす、理性と僻念−快と苦、普
と悪とが人州の小に併存する事・即ち・ハスカルの矛盾
伽
屠たのである。
﹁.ハンセ﹂の健れた断串は此の融をして次の如く語
らしめて揺る。﹁汝に慰めあれ。若し汝にして我にⅢ速
はぎりせば.汝は我を尋ね求めざるべし。﹂︵9コ邑?tO㌻
と呼ぶものは、質は人糊の構成に於ける必然の要素で 於いて、躍舶なる捕虜を作へる端雅感と深刻な非悪感
道徳的経験の串群に探き洞察を右する者は、必然的に
あつて、何等疑問や不安の封象とさる可きではなく、 とを同時に意識する。ヴオルテールの批評にも拘らず
︵一︶
要するに瑚斑の入関は二.然かある吋き存在﹂であるホ
カルが﹁入関はオ情であり謎である﹂と主張する時、
を率直に承恵す吋きであると‡張する。所謂アり′スト此鬼に何者か紳秘の認識を承認せざるを符ない。.ハス
テレスの岩cOヨ罠訂呂E設計の方法は﹁自然は何事も触
駄には岱さぬ﹂︵ソどure︷︼○説ピt己ngiロ邑n・︶と云ふ立彼はカントや.ハトラーと北ハに、斬る泊徳的経験に立脚
さてオ暗に於て人は不安であり.意識されたる矛盾
場から、串物の﹁存在﹂より其の﹁常然﹂を演繹せん する。
とするのであるが、ヴオルテルの此の入関の評惜は、
忠瞥に此の方法む略坦せるものである。然し此の方法 と不安は、必烈に解決と満足への要求を内包する。斬
は例へば人工品の如き自意識を看せざる物の評僧忙は る地盤の上に:ハスカルは原非の教則の必然粧と眞理
訣別し糾ると説く。カントの根本悪の詑の基礎にも同
み、人は道徳的経験のオ析及び根本的なる取の不安を
可能であるが、自己意識的存雅たるを特徴とする人糊 性を酢倍した。聖非の阪非の教理の信仰に依っての
の許侶には、全く不充分なるな免れない。
反省に於て忠誠された人川件は、カントに依って.
﹁無條件的兼務惑﹂と定義された純粋な優越せる道徳意様な道徳的経験の姉貴があり、彼に取っても肝非の都
識と、此の光務の連行に対する全くの無偶力とに依っ 賀は疑ひ符ざるものであつたが、只彼の哲邸猫的構誠
止る。然るに.ハスカルは、軟骨の伴統の構成に勤して
て規定されて居る。畢義人刷は不可解な、矛盾に充て が、彼をして率匪に聖昔の数理に赴かしめなかつたに
る謎の存ルであると云ふのが.ハスカルの人榊評何の北
一三七
越である。自己意識的存在たる入関扶、追憶的反省に は、即付及び道徳的砥軋をすら従触せしめんとするの
パスカルの完敗哲郎
JクJ
パスカルり宗取野郎巨
二二八
︵∴︶
の扁常に依つて歴史的に門別さ出て居ると信じ、﹁恩
であるから︰パウロの古典的ム現、卸ち︻窪む欲すろ て一皮は隔粧した紳と人との問の調和は、基悍の願非
︵∵︶
串我にあれど之を打ふ串たし︶我が欲する仰の善は之
恵と苑理と扶、イエス、キリストに依りて来る﹂、と云 ふ鱒骨帯のエ∴︰共
11〓でたる聖群と件
をなさす、反って欲せぬ悪は之む止す。Lを人類の如把
なる砕駿であるとなし、斯る人件の根本的矛情は、貝
統と聖英とを通じて、紳の恩寵が其酷的に、入関に伸
みむ北†。
。Pコ乳焦ユ○︻︶u隻㌃。の折損附従って井り凱字の
Ⅹ巾﹁パンセ﹂よりり引川旬l二に㌘un拷㌢⋮品氏り
H︸○昌1r几♪−・−コリーつp・
創帖記の人煩措洛説即ち原罪の紳秘をH仰するホに依
附甜
︵二︶Jニざ二㌻コ.
ハニリー〃CE.ノ、ii︼仇こっ.
︰レつーU−
計ハニー㌢2aぷuん⋮こe佑H√Jけ心持
ってのみ坪解し得る。﹁斯くて人糊は、此の紳秘なく 介されて居ろ串む粧信して居た。
しては、此の抑秘が人冊にとつて不吋析であるより
も.一府不可解である﹂︵・㍍・い∵Lパスカルは云ふ。
然し.矛盾と不安は、即粧に依ってではなく、却っ
て調和と救洒に依って充分なる搬虻を見〓す。入関の
存在の根本的オ暗夜.原非の教即に依って根媒づけら
れたが、生の不安は依然として、所掌ろ理財される邦
に依って.却って益々強化する。原非に依って跡から
完全に隔離された人肌の不安は如何にして政解され得
るか。此脇に.ハスカルは憤邪説の菰野性の郡由取越を
牽見する。紳と人との付保着たる.イエス、キリスト
の臍非に依って、始めて人拝根本的症の不安む除去
し、永追の政所に興り得るのである。彼は頂卯に拭つ
Jクコ
起らんとする宗教の安
木
秋
O叫Re−i明賢一㌔訂已OEこ器○
佐
C.E.軍JO阜へへT訂守語nt巴−d句ut弓e
駐らんミヾろ宗教の妻
二二九
も、勿論/微分をも必要♪■しない彼の﹁㌫敢Lっ然も現代
論の細部に於いては千差鵜別であるが宜論の基礎を何
してはその永遠性を認容する折庚的意見であつて、押
講進められたのである。人相紳むも、恍祀をも、紳鉾を
と同じく充分否定的であると共に、景教それ自抑止い
射。教竹のやダニズム扶敲に於いて最後の締備にまで
ある。最後に第三の宜場は軟骨の未来性に槻しては既
二成のい睦映わに末緋兢たき紋別ゑ八して躊躇しな
フけイド派を代表とする心柳隼血宗教幻想論の一群身
でとして、別殿に丑つ勇敢に、聖非を初として凡有る
的唯物論をパラマウントする恥骨隼他宗教否定論及ゐ
びない。ジ﹂−ドに溌っては、共用々数々命に域する
漠然と或は断然と、信じてわろ朕守瀬であり、二はに
史陶酔してぉろ鋸に於いて、﹁大隈前﹂の夢を脱却して
役、
割を※張したが、基軒教文別の勝利を催ぃし、それ
一は軟骨帥既成政商の、約来された輝かしい未米を
へるならば大隅三梯の意見を齢別日米ると思はれるん
。で理想の感動とし、文化の聯腿に於けるその不朽の
る一人である。先に.ヘンジャミン・キソrは宗教を呼
知らない軋がある。しかし基悍教泄非む中心として考
尊かの取合的史軋の上に求める動に於いて一致してゐ
∴
るものである。来者ジョードは此の第三の舟場に僻す
宗教の未来性に楓しては訪祝福々であつて拙くぬを
JクJ
統計的数字は英幽忙於ける教曾衰微の現状を典拉的に
︼四〇
人及末光人にとつて存在すべき、存在し狩る、存在せ
示してゐる。一例を雅げれば、倫敦イーストエンドに
煙らんごすろ宗教の要
ざるを得ない﹁宗教﹂。彼はそれを如何に漁憩し、如何
あつた二十川の.フロテスタント致命の吋、十一までが
の致命が牛車ハ苗碕む批しながら僅々二鵜の人々に説
に根凄づけてゐるか。
宗教の賂来を談するには先づその過去及び現在を某
教してゐるに過ぎない偶、汲算の六割方削除が下院で
最近画十年㈹に閉糾された。同じくシティにはl明十六
じなければならない。現在の併訓宗教は文化の碑酷か
捉識された。
二
ら似て如何なろ任地にあるか。
い。しかし1泄罪基軒数訪凶を一胡にして柵封立する二
等よりして、成杜それは苦然な成果であるかも知れな
後の惑乱した民心に附するカト∴リリク宗教戦術の効果
て唱へられてゐる。薦敢榊侶の隈線に於ける活躍、明
も企てられた。﹁しかし薪は濡れてわるやうである、火
ヽノ
はつくまい。﹂
って致命に附すろ陣−醗的洗意の熟火む恥じやうとの試
建王侯の故習に倣ひ、丹加水川に軍諭を撼にする事によ
ゐるか。傲しき哨眠、骨⋮途なき猪突、絶望と循燥。封
姿になりつ1ある軟骨の内部で、牧師迂は何むして
柾の吸血訓 − 聯合団の﹁唯一抑﹂封筒泡側の﹁唯一
伊部、数曾のモダニズムは伸統の大部分む思切り、
大戦後軟骨殊に礪数々骨の板宿が一部の人々によつ
帥﹂ −・の支配に委ねるの翫あらしめた致命の痛まし
らずの御都合土光宿怨始してゐるに於いてをや。現に
和の袖にあつての職以上の闘節に於いて、軟骨は相逆
劫火を及ぼしたであらう串は想像に雅くない。況や平
き自己暴露の方が、末節的成功よりも邁に強烈な反封
耗物であり.人は理性を以て非の内容を批判選挿し御
編﹁生非新証膵﹂は、既に明に、聖#が純揮忙入関の
敬の清路を開かうとした。一昨年‖版されたゴ7冊正
身を低うして‖常生活の小に膵込むホによつて、基鱈
■▼∫
用
』
(
の項に到るや.編新は糊口、充分≠つ願書なりとして
あつて、ジ†−ナリズムの閉域に於いて、小山敬川揖が
に封しては.大衆の浦洞たる槻心が清勤してゐるので
るものである邪む認めてゐ一り。しかも肇︺鹿北仰視清 数曾に糾するとは反射に∴パ故に捌す一三般的頚側
その部無性をお張してぉる。
例を見ないのである。人は正骨⋮にも、十九.−泄紀を㍍仰
理性への反抗、新興料殊に射する頑迷促すべからざ †‖の如く大きなニ∴−ス.ワリウむ持つ穴串は従来に
る悪政、之こそ誹既成豪放壷亡の松本原図である。耶
疑問よりもむに恐るべ津は、一部の人々の糊に捺坐
惑現世外を除いた一切の牛沼に附する侮弼的な、病的
無帽心は賢に現代インテリ帰のい特賞を成してぉる。
的要求そのものが一欄にして消滅しっ1ある串を.小し
内部的英外部的に崩壊しっ1ある有様は、果して︰パ数
H㍍の襟度は.仲したがら、.=︰ハ〓打として︰パ救の滅亡
無批判に登け入れる串、∴ひ得ろたらげ中仙にガらぬ
∵川一
を卑小すろ指標L﹂兄榊JJれろf−︹は〓水ない。ポ寧ろ逆
煙らんご†ち宗秋り妻
てわ・0のでゎんうか。蕎、と兼帯は答へら。
立し、硬迅させて兼た。然かも今、既成丹パ敢が斯くもの粥汁一ものに附出する混沌たる抽招的反抗やむ、漠然と
過去数千年に沌って、人斯は景教を求め、それを樹 ソロイド誓㌫芋義的、本能※歳的心理仰耶や、一切
三
いては西洋文例の没落を忠蛛してゐるのである。
へば教竹の解禁とは畝米に於ける科坪粧紬の黙息、延 しっ1あら全き無個心の摘心寝である。︰パ敬のみならす
柵に供へた博物裾的存在と化し去るであらう。逆に云
最期の止む刺され、下院や王族と北ハに、州の朗の削光は情命カの浦動を示すに比るものであろ。
む脱却してるのでなければ救命は遠からす科擁の璃に は勿論決して他此な兆似ではない。とは∴=︰へ、荷それ
泡の軟骨と拒る速からざる此の増紀に封する揮雑、之 −ナリズムに於いてスポーツ弛みに蕊諭すろとユ.いふの
なる嫌疑から五十年問に百孤の女性を焚殺した中根釦 の廿世紀を疑問の、時代と呼んだ。胱人が丹那故をジ†
J〃.与
終らん享†ろ宗教の蛮
忙宗教的要求の適切な捌け口を失った一つの時代の心
■r
める委として考へられねばならたい。世界に拡挿すべ
き何ものもなく、遺徳に鴛垂すべき何ものもない睡、
それ等のものに心む川ひるのは傲である。
凡そ人は﹁例へば蟄草の如く、摂り着き、自らの支
一四二
敢なき自殺の敵将となつて統計的数字に現はれてわる
四
一方には軟骨の没落があり、他方忙は侮烈しき要望
がある。然らば宗教の未来は此の混沌を池じて如何に
見擁めらるべきであるか。
、宗教道徳に代って批
である以上の仕事にあり着く革は滅多にない。斯かる
ころが﹁現代にあつては、厭はしい義務の畢調な連鎖
らすに・済む唯一の道は仕事に授頭する事であらう。と
活の導頓、雄併を失った他人が、感盟約享東宝義に陥
らと言って、決して、その鈴鹿を減じるものでない。L生
除に基く不備凪は、その尉凶が滅多に明にされないか
しき熱意を以て・それに鈍るのである。斯かる支持の欠
て宗教を規定するもの。此の説に従へば宗教は巨大な
べき状憩忙締り着けて紅くに役立つ、存在であるとし
生活を上り異にする満の、従って、大衆を現在の厭ふ
封する慰安として宗教を見る況、諸々の苦痛に満ちた
存在である人板が、敢曾に薄合する偏に排った犠牲に
敢曾契約説的鮮梓、即ち、元来非就曾的な、非道徳的
る視、フロイドの﹁幻覚の未来﹂に現れてゐる一種の
音すれば恐怖とブライドとが、宗教の起源であるとすの
は、その油滅を説くそれである。孤燭不安の感情が漢
宗教の未来に閲して流布される諸設の放も重要なの
仕事は症括に何かの意我を奥
。L仕事の偲の仕事に捜
とすべき何物かを要求してわる。それを見山した時烈
括に鍛練を輿へる串は‖来な
くして傭人は拍車わて享楽主我に走り、その結果は巣
とする人々も、此鬼でも亦紺されたる門に行笛る。斯
頭する耶に上つて、野の花にまれその匂しさに浸らう
る。融合的不平等のカモフラージュ、貧民の御機嫌と
ンに於いてさうであつた様に、安らかならしむる忙足
る欺鵬の横柵であつて∵支配者の夢を、嘗てナポレオ
Jク6
レヽ(3)へ
収拾ぶ見世物である。
得る忙過ぎぬかも知れない。けれども風の如く折れ来
的領域を悉く主動的要素を以て説明し去らうとする鮎
るもの1中に、景教の赴抑や過去を以てしては説明し
的交池の欲求、凡べて之等現代の宗教状態と呼ばれ得
る博侭の念−切に掴み村ない信念、執の寂しさと橋抑
に於いて、共通の快鮎を有つ。宗教が圭搬的要求の畢
得ない二三の仰の存する耶を否む串は出来ないであら
宗教否定の之撃・ニ楼の訣は、しかし乍ら、人の楷御
なる反映でぁり、従って、然あらしめやうとの人の意
う〇
五
を希ひ、他界をより佳好い虚としやうと望む心は、若
人はその隣人の事前を心伝掛けてわる。他人の串祀
帖すであらう。アサストテレスの既に言った様に、人
人の心に特に榔かしく、寧ろ鯖烈に、燃えてゐる。此
の心の栖を明からかに燃ゃし凍ける串、そこに宗教の
る通りに、宗教が壁命を保ち預けろ馬には、再びそれ
主なる務の一つがあるのである。モダニストの指摘す
科挙の進歩は、背きものに或る安楽が加へられて、新
は計伊仙なカとして挺航しなければならない。従来将
帥的と漠然呼び借はされた限られた入関活動の分野
に閃こもる串なく、入関の凡有る方面に、日常生活の
我々は専断他に、
︵
凡有る椰耐に、浸潤しなければならない。然かもモダ
.せねばならないのか。L斯く考へる畔、従来の宗教帝定
鎗は成る限界を越えては宥でないのむ知る。勿論宗
ニズムが、その正常な主張にも拘らず、勢力を楓符な
艇らんぜ†る宗教の褒
∵四三
教の日潤すであらう最後のゴールは、唯栗と摸され
ヽ
一ノ
一﹁
しい全便となるものである串を認められてゐる。﹁何故
脛を説明する併以でない。生物邸的進化ヤー婆術や
の本性は、彼が如何に生れたかと云ふ卦でなく、彼が
ヽヽ
何の偏に生れたかの動に存する。起斬を説く革は全
の或
の推静は、・宗教否定の年取そのものも、同時に、入関
企以外の何物とも現してわない、舶な存在である、と
Jタア
蛇らんご†ろ㌫秋の姿
号几
大明後昔隼の別に芳しく⊥.隼りつ1ある一の型.一切
の世俗的快梨や立身を畔斑して﹁理想の追ポの篤に”常
いのは、それが飽くまでも軟骨を後親みとしてゐるが
故である。自らを何等かの、教育・−−旗い意味で
んで搬しい訓練の申に身を投じやっとすろ﹂興味ある
る。大隈を描としてい切の衝きものが、支杵を描動か
r、
の一札であろと※張する者は、かの呪はれた過去の失
仰向は、榊じく此の軟拾的紬動の提里すべき篭城であ
−
敗に満々た数曾の或程度の代表昔と見られずにわな
い。一般の服に、致命の豹が一朝にしてその反動的此
して、現代融曾は殆ど何の封應先史も右しない。彪大
影彿を輿へろ龍力があると㍍じゃうと欲する各人に封
めるであらうか。自ら何かに役立㌔.酢曾に何州守かの
世界に菩を進めやうとすろ欲求は、何庖に捌け〓を求
敬曾から何物かを期待する事が不可能とするならば
にこそ、現代の拝験する最も︰パ放的な精仰が見て取ら
人の眼前に貼附し来ったのではないか。雨=して此の小
ニギキかフ丁システイを先断として、奔流の如くに〃
侶に焼き流さうとしてわろ昔年の址曾運動け、ポルシ
酔折の火の如く、舶曾を、閲読を、全世界を∵収丑山の
年はその情熱の流れの堤防を突糀った〃であろ。<−ヤ
された大成の如く、一宮に⋮別れ宜った畔に乗じて、昔
な中火無植的bq家は.その園民の︰人一人を取るに足
れろので虻ないか。
鮎を埋推し得り匂など1考へられろであらうか。
らぬ微粒子としてしか取扱はない。斯くして攻冶的に
勿論㌫故には斯か声恥骨的力両〓外の仙の粟素があ
茸潜の見壱以って†れば㌫教の苑悦は糾秘‡端忙あ
如何に考へらるべきか。
る。カナキズムは吾人の拍を、∵隣人に附する、二、
は無感兇となつた、糊代昔年の問に挨、スポーツやワン
の備凪を
紳に附する、二つに別ってゐるが、此の昭二のものは
ー
デルフォーゲルの魅力が加速度的に増大しっ1ある。
′′
斯かる小さな症剛的行動の申に、彼等は切めてもの﹁枚
冶的衝動﹂ −⋮者昔の従来‡粥し来った
求あてゐるのである。
J〃β
る。㌫数の抑秘は.そのル′〓のホす如く、言葉む以て表
現し去ろポの〓来ないのをその粧徽とする。けれども
大
損上によつて小爪敬の現状と、りての木揮丁ぶ明にごれ
先づ椚粗而から一∵︰ふならば、︰パ救は料隼が不定した
か.その在れ膵仰が、竹⋮然帥⋮論されなければならない。
敢えて比喩的にその内容を試す串が許されるならば、 たとするならば、今ゃ、未来の︷ポ敢が如何にあるべき
それ比早出㌫椚他に附する捕捉し経き茫漠たる暗示で
あり、骨盤と畏怖の糟押の感動を作った噴ホである。
然らばその相槌とは如何なる憤植か。〓く聖なる。聖 物円状非の説明−で信伏としてはならない。非物門外に
解されてはならない。宇吊の進み行︿l=1的としての創
偶人の内宿に胱じたとしても、被と川じ闘紳的素地を
て鋸制して伏ならない。或る精紳的串告が正しとして
なるとは断じて人柿的な紳に就いて云止れてゐると蔽 閻しても、苑鵬を決定し糾ない椛なドグマを苑理とし
造の※借としてではなくて.創造の完成としての、云は
ゞ宇目の〓的論的⋮≠頼梢植としてギへられなければな右たぬ他の人に封してその梯成を鋸いる串は不竹⋮であ
らない。道徳や整術は美々の什カに於いて我々を楷他 ーか。
の世非と直接せしめり匂。ところが甜辟虹敬旺我々にそ 次に精粗而として比前駆に述べた如く、二つの梯能、
の世外の最も直接な≠つ特種的な姿卑小し、此の姿ほ 餌ち隣人に町†る閻係及び宇目令備に附する闇係卑小
畑命の葦艮と北ハにょり明かに、より僅くなつて付く。す二つの機能む、小邪教は来さねげならない。骨泄紀の
でゐる。此の欲望は﹁彼が宇肘の根本的有職旭を保滞
斯くて㌫敬は、椚植の仰外の存れな吾人に確認させる 入梅は、無意識なぃぜんとする欲㌍の犠牲しJして偲ん
一刀.その仙外に近づくべき姓清の悟性を指示すべき
輿へるのは景教の機能である。し
.u﹁・L
︸
/
ものである。云はゞ批命兆化を其の道程に於いて仙丹 された時にの′、満たされ得る。而して被に此の保蹄を
つけろ車∵此鬼に中小救の械描が存すろのであろ。
塑らん亡†る丹小我吟妻
び
JrJJ′
拠らんご†ろ宗教の要
撃別かつ二.革む設ける十一.第一篇に於いて宗
るっ
教の没落を取扱ひ、婚二箱に於いて景教の汲憩を提目
する。軟骨からの迫川▼散骨の分製−科挙の攻撃−時
︵︼︶
︸︺.悼−.
つ.切−
づ.S訪
︵u︶
︵β
り.︸︺可
代の捕紳、結果、の五輩は前篇に、景教は如何に想像
︵う
づ.︼の︸
けSl
︵ひ︶
ワ
されてぉるか、︰机教は如何にして起り∬つ柴えたか、
︵8
宗教の進化、隣人に封する我等の我務、緋に附する我
等の鶉務、宗教の未来−の六嚢は後篇に偏する。既成
宗教に射する忌仰なき批判と、昔年に射する理解ある
間借とは、常に北川年を相手とし、指導し来ったジオー
ド凪の窮境の賜であるだらう。その日的諭的批命進化
主義的史勧は恐らくベルグソンの打撃に負ふ仰が多い
と看取される。近来マルクス主我は宗教なりやの論議
が世の荘屈む惹きつ1あも際、斯くの如く掛った形で
一Ⅱした意見む吐露された串は、吾人の充分なる感謝
と興味とに帖するものでなくてはならない。唯若き政
治敢骨運動に就いては、小暮は漠然と∵自分はポルシ
.ェギキでもフーシストでもない、と云ふだけで、琉極
他には何等の貰際的方凪を示してねないのは遺憾であ
脚
が
き
将
谷
︵刀C瀬︶
文
雄
雑多岐といはねばならぬ。しかもこれ耶は捕輯自然科
︵丹前教撃としての︺なぞ、その狐動と取材力法は葦に故
青 野 清 人 石 津 昭∵璽
三 枝 義 夫 上 野 隆 胱
﹁宗教学論集﹂の論評
は し
宗教とはどんなものかといふ問題は常識的には狸に 準のやうに描元の鼎的炭化のみによつて拳的結果を得
さぐりとしての系、鋸ち宗教的なるもの1特質をなす
判然してゐるが料率として取扱ふことになると糎めて るやうなものではない。目安とするところの椴孜或は
囲郷な問題である。
宗教を科畔的に研究するといふことに於て、専門的 誹要素は自然科挙に於けるやうに必ずしも術前の研究
な諸研究はその年若き拳火の経過が語るやうに他の新 緋先によつて反辞されたものにのみよつては屠ない。
興料率と同様殆んど凡ての基礎科挙を仲村撃とし凡て 畔に大いに飛粗がある。その理由については今これを
一力宗教といふ研究封象が同定なものではない。歴
の先進料率に準嫁しやうとする。科挙である以上揮験 さける。
的であることは諭をまたぬが大別して一は救念的なも
のに方向をとり他は鞘和的なものに傾く。前者に宗教 史の袖に於て一つの段階から他の隅段へ質的忙嫌って
一四七
金肥の型憩が常に等贋的なものとは考へられない。
哲準や心郡餌維者に宗教人類隼や離令隼民族隼民俗譲 ゆく所謂綿花法的督駅むするかどうか杜別としても、
抑前拳等々或はその中㈹項とも考へられる宗教史畢
﹁宗秋蝉論兆﹂の論評
劇〃
コパ秋蝉論基﹂の謳絆
一回八
このやうにみて氷ると動くものむ動くもので、しか 何忙現代の緋究忙あら仕れろ〓安としての㌫歓的なる
れ等や或托他の荒川なものを〓安としたがこれが折究
も也々た弟服ず法で蜘ふといふことになる。従って紙 もの1特椚が ー 科邸的に嘉朴た畔代に於ては勿論そ
某とLて‖ろものもー鍛忙要求せられる様に1E鵬に〓
て来るものではない。そしてこれが糾墾の運命である。の進むにつれて段々措腔的是正をされて1展開して
科隼は常に相田的なもので満足してゎなければならな 来たかを渠如しなければならない。あろ論新の如せ比
る紳隼や㌫敬の肱念的本相加定の前損なくして掲北な
い。それ以上の呼某生半すのは猫柳であり科挙わ日清 本邦を許すろに浩って、肝史的大震敦の〓己皿明であ
であるu
のは、恐らく論祈の眞蕊は左様ではない七⋮心ふが、⋮れ
このやうた串情で一般に常識的た要求から或は他の 小爪敬川γむ建設すろといふことは雛問であるといはれる
覇証した#門隼の宜場から㌫放とはどんなものかとい
ふことの決竿を促されてもその蓮邦は相射的にしか〓 し始めに宗教的なるもの1軋念血定を弊然としてそれ
来ない。科堪は魔術ではたい。一般にも左撲であえが によつて㌫敢のH質的附究に入るのだといふ意味なら
特に記念的なこの宗教草論集に附して≡回それ等の批 ば近代科草の婁徹に疎いものといはねばならぬ。斜挫
n疋正をれねた研究紙英が川揖である。
榔或は汗文をきいた。靴箱講氏の文中には何れも開き に於ては最初の‖吏凱よりは研究の途中に於て是正に
直つて︷一ポ敬とはこんなものだと断果してあるものはな
如上の意味に於て木津︰に附すろ信仰的或虹粥金的な
批椰論評に附しては締力水非のために描推しなければ
い。特殊な聞出を特殊な宜場から論じたもので、この
稚からねらつてある宗教的な・心もの1持田が何である
ならぬ。
㌫教隼の領域に於けろ誹彿究は‖下にそれ′ぐ∴弊説
かは詔掛が摘みLLらなければならない。そして苗識的
に考へられろ㌫教如ち紳堺的仲承や押準的猫柳から如
202
せられなければならぬ論文が娘々あると考へるが、不
♯にもわれら批判の園外に克つ。鞍放の士の論評をま
批判される筈であるが全階として特にトl五って周岬じら
れるのは悌敢隼の耶究がこの論集の群数たしめてゐる
全備としてしかし一蝦の記念論文集が左様であるや
つものである。
いては一つの和解的先人見を、沸教塾的研究について
うに聞損があまりに専門的に取扱はれすぎてゐるとい
ことである。このことば木部に於て宗教邸的研究につ
はー1一二の論文の外圧殆んど沸教汗顔或はこれを線
が相承される︶沸教研究法の大輔同は桝に教授によつ
研究腰度特に明治後期に於ける︵そして今付その隼鼠
気瑚むもつて執筆されたものである。教授の包捕的な
も諭しておいたやうに妬崎教授の門下が教授に紡げる
れども水密は講座記念の論文雛であるとともに序文に
場からすれげ悦ぶべきことではないかも知れない。け
常に輿へるやうであ・る。このことは二つの専門撃の立
絡し如何なる地位にあつて、どのやうな特長と糀鮎を
かも知れぬ。排し郡独の科撃が諦他のそれと如何に連
い。寧ろこれはポジチィブな研究常にとつて布術無盆
鉾常に認識給的なカ法論上の省察を嬰求するのではな
充分であるといふことがいへるであらう。といつて料
す、論文の背莱をたす諾々の佃別科撃の通路理解が不
である。従って請論女の持つ科隼的な妙武にも係はら
規道を馳せてから肝隼、未だ墾史的に仕草分けの時代
㌫教鮮的者痙の不足を説 ふことほいへよう。≠つ#帥に於ても小端歌挙が本来の
て始められたといつて軍冨であるまい。今伶西欧の柵
胎んでゐるかといふことの鼠常は、科極に志す者の心
ー
憾む繚欲せしめえといふ瑚身彿と抜身彿、根本彿数等。
構へであり喚床しさである。そして結北として狭く小
想しての伊仙九であるから
これに思ひ至れば木澤に仲秋瑳の請構成が華を軌ちれ
さい領域に終始しながら全備の見通しと優先的な不服
とが約束されるでわ♪ぅ。
一四九
るといふことは帰帆∵ろ骨⋮黙すぎることである。
沸教捌係の㍍論文け特に純婁な収穫として必ず論議
﹁岩取囲︰論雉﹂り論評
魚道
コ不敬畢論拡﹂の論評
一九〇
る瑚門研究の結晶であり、賂来のためには耕やされた
した。この意味に於て本邦は大冊に於て三十年にわた
究態度とまつて、本邦にみるが如き深さと離さを収捜
に招ゑられた新肌点数嬢の進運ほ妨崎微授のー︰l両な研
じっくしてあ′U。殊に信とわとの据係、稚酎他力のハ・示
し来つたところの描々なる仰向と問題王む也描的に論
と隼清の翔持との封証交叉が、週よの︰パ数史の申に械
伏の悪疫と探求努力わ悪度、更にエー〓へげ、㌫数的理想
ての考祭であつて、︰小数的億捜と科隼的態度、安心避
に別って考へるこ上が〓東一り。前隼ほ小爪数⋮小川心火とし
素地とたり、同畔に或る意味に於てはその清算でもあ
放牝清と努力奮脚の小爪敬隼㍍との封宜交渉について、
我閲に於て挙史の齢二十。樽水の劫火の少ない基地
ろ。本邦がにく撃史上の道標として光鞘あるべき比論
れ粟なる史郎と川列なるエ:︰及とによろ僚龍なき諏例が
ルり、これが稚牛へぃ重要たろ伏線たたつてを一り。
をまたぬ。
排し科挙の進運は長くこ1に直つてわてはなられ。
薙牧の人々が各々の微動を共同財し﹂して捉供し.交互
新邸勝央の均轡と充全を望み得ようl−このために斯草
の肺炎に附して、ハバ故に果して存在の州利があ一〇かの
ろ。現代文化咋終に宗黎吏坪り去るであらうか。文化
り申に於けろ小爪教の川題上その賂米とが取扱はれてあ
後隼は靴代︰ポ敬批判であん。朱曾れの現代科隼文明
の共同研究の粧賞な妙武を辿るこL′.によつて、心理的
問題であ豆。この川揖の畔決にわたつて叩士のよらん
上に述べたやうに諦科挙相互の捉携理価によつての一ハ
な一?ものは酢骨的ならものに、酢曾的な一りものけ心理
正
治
のであり.近代文化の城カ・γ︼どれだけかでもばするも
〃維持との打ち人=けを生命LL†ろ﹂との札抑に正つも
上のルム合ひ、川イ桐進の舞立上で.ハ吊放的理想と隼清
たよ一匂論摘は、﹁つ点り人里は理想の帰れた現邦の努力
崎
︵いしり︺
的なるものに歩み滞り、やがて︰ポ救の坐々しい仰が最
柿
近似帖的に科塾の斬域に掬ひしL・hれやう。
宗教的理想と生活の事賓
㌫教拳論集の谷離をかざろこの論文は∵前後の二部
20ヰ
のは、範疇的な考方だけで備止すること止〓来ない†
こぐれたる文肌批評家として、また文化の蝕言寄とし
教とは何か。﹁︰加数的理想を既成と見す、これを賂米
城
に超くL﹂ころの㌫敢﹂であろt︶註して、ムへば、理朗ゐ
智
固定しすぎてわらことを結論しっ1、その他面に於て
松
梢憬にも瑚賢の努力にも充分の役制を輿へりる丹前教な
宗教撃の黎明時代
のである。︵ますたに︶
包折し∬つそれを指導して、即想の周蔵を輿へうろも
の、即ち損なる爆礎的活動以外に、根粧と理想を求め
﹁完動畢論集﹂り論評
をさぐるこ♪が〓来る.叩十はす′∵に週※に於て・\
つになつたのは十九.11し紀のhハ七十隼代‖降で、これは
赤松教授はこの︰パ放雄勃興別に魁けて前世記初離既
究上の方向を捉明し木hこたを探索糾介し、むらに前世
/
〃知られざ︰ウγルレに就て酢混し隼史上の正しき位置
期政
中∴
明に於て直しエ止昧㌘ポ敢隼の川根帰京をした未
ろの︰那教について、≠︰々はこの論文の申に膵土の
日の文化の申にすぐれたろ役判を捕するであ・hうL・■こ
にソ
なほ、博士は椒力埠∵︰約言那をひかへてわるが、
明リードリソヒユノリグスト・カールスが現代の丹小数研
越した気和がある。
ことを強調する博士の見解は、何ぬともたく畔代をこ
追の論集の序文にれ識してあり㌔
しては、人批が祝賀と即想の歩み合ひ持ち人=ひでれら
にも密接にも脚軍的安来の充満せる糊代文化の批判追
とに入り従ってその仰究のための制度が設けられろや
中浦む得たる結論といふの他はたいのであるが、理り
論り化であらっ。併しその折究が木水の正味で料準の仙
文化忙於けゑ︰ポ敬の役判を見よっとしてをる。細そ
めう
て古いこ上ではJはい。糀々ヘルグーわたりに遡り得
てわる現代の動きを桐恨に軋取して、非胞に、桝‖の㌫教が和雄的彿究の酎象として取扱仕れ始めたのは
赤
は、現代文化のあ一る〓−川に.靴代の活動文化を拙描し
活の革控に光って/之を指導し支配するには、理盈lが
とと謎め、今までの景教的理想扶、全備として現代て
生の役割を損じて水差。いま用土の飽エー︰すろ朋‖の宗
ガ.う
﹁宗教や詮槌﹂S・論評
む典ヘヤっとするもの1やうであろ。
一五二
てゐる。オットーに於てもカールスとの淡路があZ。
い沈ゞ和解的押埜的︵榊隼をさける︶研究が提唱きれた
ンケヤシLツリツマン乃裏ポルツアノーにょつて㌫数の
研究の純要なる一方向の先鋸として化道づけられてよ
ールスJ恥亦フリースと並んで現代に‡張せられる宗教
に射すろ心理撃的人件隼的摘心皮革。かくみて来ればカ
前世紀初頭に於て付加数輩或は再ポ教習隼の名に於てへ たとへばゼーレン・タンヂのタームの如き、或は信仰論
が未だ釧顧的傾向と揮準的別斯々まぬかれたかつたり
し
情∴示教的弟理と粧信とに附する受容性或は殆んど現
質に於て探究することを捉試する。そのために宗教の
して㌫数的肘理の諜識を隼にまで高め、宗教をその本
抑
純は﹁景教隼﹂に於てけポ秋雄が丹パ教史、︰パ敬野鮮及び紳
で㌫救牢の抑究鮮度を肌㌫したものにナルレがある。
一八丘∴ハ十咋代マクス・ミ.ニッーやゾ∴ルヌフと並ん
この仙にあつて﹁特殊の宗教論﹂或は﹁ハパ故人類準﹂の ヽ、∪
名の下に現代の宗教心理隼的仰向を方向づけたものに
カールソハがある。
カールスによれげ︰ポ歌人類草は㌫敬現免の.セーレ
代の鞘酢蛸理寧的な問題にまで研究の新城を要求して
押通概念にして﹁紳人の刷係﹂を斑て、それによつて
ン・クンプであつて小ポ数隼的製氷の漸次的兜榔、小邪教感
隼と瞬別さるべきを堤明した。そして︰パ教拳の課塩と
わる。机し維の研究の小心は梧仰論で、㍍仰とその稗
小爪教を﹁※親性﹂﹁客批性﹂及び﹁紹射的勢力﹂に於てみ
勿論現代の研究からぢへて来だモの恥扱ひが掛畢的
的弊力をとく。
紳の閲が蝉閃と袈柵と遺徳に示靴する併瀾宗教の稚射
る。蜘ち人件と膳史に於ける㌫数を探り配らに拉後に
柿の形式を究明しやうとした。
盈し彼のか1る守場杜苗代 のソリースの人件挙的心
理嘩的な準籠とそのタームの上にも仰向の上にも連絡
が経い。しかもフリースは靴代忙於ても新フリース鉾
禎としてブーセットありオットーあり、その後継をもつ
って、この省緯※詭〃建設者に兄〓さる1小水故に脚す
に頗る来朴で住あろが川根の設定上してはハ■ポ救隼の
草方
の始机とJeれてわチど篭化︹巨∴−嘉⊥S3に磯 野
法晶上の噴火として、.1Lつシュライエルマィハーの︷↑加
スでは三川のIノ㌻リ。明記七宗ハを右してわろが、わが用では
数心理説をハパ敢隼の組織申にとり入れたるが如き新旧ろ姑佃む叙せん上したもの。か、る研究は址にフラン
は何れも雄史上に高く︰詳朋1Jれろべ・汀ものであり㌔
行圧問揖を井常に根豆して.コントの﹁れ謹啓草溝﹂︵一
教授のこの論文は右上通べた通り隼史に朋する揮典 歓迎すべ汁一恐らく最初の読みであらう。本論文で鱒潜
である。小爪秋雄火の小に於けム∴〃Iルスヤナルレの伎
って他の倣想のもL′−に本論キよユりL′■いふこL1.ほ少し︿
最問されてわろ華名な人類敬㌘︼号コ計︼云u臼呂i㌫︸に
すろ兄姉や、※として﹁取捨準備薫﹂︵一八五−五囚︶に
芯づけマあるり敢捜王論文の点ぶをこ、にかぎる。従 八二■0−両二︶などに歳はれろ一般的酢史的阜ポ故に射
ピントが外れてむろこL′一にたり㌔
しながら常に宗教作隼的なろものから椎れ得ぬ心情しL
※兼に掘って﹁︰切は頼射的であり、之こそ唯一の鈍
苅くして一家の﹂トリシ∴∴の相承を肥如し、鯉滞
しかしありていにいへば、小爪敢の揮謹的彿究に労作扶便り別れないで少肛別の論考を勤免にしてわろ。
いふのか隼凪といふか−1⊥竿もつ教授からはもつと他
松
頻
発
▲
7J−
一.L・■一
h
みた努力の建成に存し、この榊終始一作した流れを辿
﹁二lントが後年の拝作は必克ソし情けり刷の論考に於て試
・∴小欲現象に閻すろ札酢の寮描汁一があろり換言すれば、
隼問に亙る講論考ハゥp崇2訂りに碓年の∴大新通に見ら
む偉〓してわたコントには、その二十∵歳頃から約十
の教授自身の蕎料的成代⋮心嘉的仰究が伊上ましかつた
射と
的苑理であろ﹂L.論じて既成︰パ敢に則し捌かた不い
思ふ。本邦の椎細㌫らも。識者にたつてもり︵いしつ︶
赤
オーギ。スト・コント少壮時代の論考と
宗教研究
︰小欲現象の隼的俳究方法として漸くその筋要さむ.パ
してきた宗教融曾準に宜脚してわる昔常が.近世酢曾
﹁宗概尊慮恥﹂り論即
﹁宗教畢論集﹂の詮打
賓在するものとしての紳
こと1日小ふ。︵ふろの︶
つてわるのであり、従って、先の叫疫狩野鮮誠虹と、
この﹁鰹系﹂との聞には、異つた二方向に於て特色が
一五明
波多野棟−
肯定される。そしてこの町象の比布件の前捉のもとに
現はれてゐるとしても、之≠の論考に依って柄肴が必㌫教の樅構に於て圧その封象の狸在粧が無制約的に
然的経過にある閥係が明かにせられる﹂︵山ハ古ハ貞︶こと
た証せんとしたのである。兼帯の把握は正鵠む得て︰
わ小数的意識がはじ狛て城り宜つ。このことは宗教の機
ると思はれる。要するに、その論考に和訳されてね鵬
るに於ては経験が附象に於てあ︰て√一いふよりは※酔に
コントの宗教訟は摺際的勅令的問題に附すろ㌫数的於
考てあるもので、動かし灘き﹁在れ﹂の世界に於ける
串捏
察であつて、﹁更に之が把謹的親祭の堪の‡張を以て
せである。従って︵示教の持門圧常識と科挙と科挙の
る科僅的研究の可能む衷はすものと云ひ得やうL︵八人
として宗教を畏躇理性の側に於いて説いたことはjEし
爪仰に像地む典へんかために知識を取除かねばならぬ
られ、歴史的熊野を基腔としての考鰐仕∴示教に附側
すにある意識とは別な側の蕾誠に於てある。カントが
頁︶と莱者は論じてわる。
い。“示教を弧ひて打球の州から説こうとするならば究
本論文で範闊を少肛時の論考のみに限定してあるの
ヽヽ
に封しては何らの異存のないことは云ふまでもない椒
がの水場としての川井王誠に結新したければならぬ。
コントのこの常時の宗教思懲に射する新帝環境及び㌫
北故に於ては人は1!f在する紳をもたねばならぬ。
拳の及ぼした感化影榔に射し考察のルを向けられなか宗教の現象が純附的畏れでれるL.Lたならば形而上
つたのは物足りない気がする。椅また、乍‖容旧し準
う1I抒駄科詳の附象をなすH布の粧東に附す乙維封
る幾多の俊秀なコント研究の文献があるのにそれら的
を拭在をたて1その堪的研究をなす形而上隼と如何忙
引証されなかつたのは弟日の丸功と抱負とを宥して踊
の僻するか。
クが
一・は思東の労作にもとづき挙問の酔系として成立す
るが、他は人柿的脱輪にもとづきその封象と共に生き
るであらう。啓示の備験は無自覚に橘されるものでは
たい。そして受身である。
畢を成立せしめる能力はない。宗教的酷験が眞に形而
る。一方経酉約諾誠或は美的脛駿は結邪に於て形而上
って宗教は形而上琳の耕井を必然に介許するといひ得
に上つて世界観の醍系にまで推し擁がるであらう。従
を要求する。形而上隼吐気敢膿級の内容を整へ一心こと
的腔敬の内容は思惟によ・つて衣現され堆理きれること
からそのありかとしての脛史が前人な意味をもつて来
ない。そこで宗敢正於ては用布の経験の躯賢性客観性
といふやうな論即的には摘めて紬数的な指示しか机兼
り只その事吾性に於て語られるのみであつて﹁これ﹂
的なものである。従ってその事増作の和樹に留るかぎ
もいではない。何叩腔明と導き〓しのゆるされぬ拭狂
ものか。ありといふこと、存在の串雄性客搬性の外の
このやうにして〓丹心⋮られた小水歌仙畏れとはどんな
上拳を成立せしめろ中心勢力である。有限な.=泄非む見
る。
ることによつて極みなき錨を得んとする。しかし宗教
下し村る尭場は宗教の水場の外にはないからである。
識︶機構の裡には常然啓議の川根が机て来る。揮鰊が耗
そして凡ての認識はこ1から築き上げられるのである
るか。表象は醍験と舶係づけてみる畔に象徴となるが、
それではこの㌫数的㌍れの表現といふことはどうな
封者を問題としてもそれは安八filの概念としてゞある。
が︷示教の封象はこの世の外のものである。しかも青々
この柔軟の龍城.掩射的離耽に於てある宗教の︵意
宗教の来場忙於ては冊験に於て紹封者が雄花する抑と
はこの世の袖に於けろ表象能力しかもたぬ
説諭論
なる。忠志に於て摂蟻に於てわき苦られるのであ空
で許せられるやうな。こ1に沈瓢と頻ぺ不定の道が
−
このことは妊在の州からいへば自l己瞥示に外ならぬ。
ある。この推大な点状甘見逃してはならぬが宗教の偉
一JL五
これを反省の立場から考へれば桁するといふことにな
﹁宗教学冷凍﹂の論評
20ク
阻念論曹隼との交流がその菅魚の勅に沈みつ1ある防
一五∴ハ
植拭こ1に止まることは〓来Jべい。小高放に於ては表象
除と道交してこの結黒になつたのかも知れない。
﹁宗教射γ論集﹂の論評
はむしろカ他的なものであり㌔︵この鮎に於て仰放とヘ
ある。宗教的衷豪の持門は魚用り泊切立∵︰輩をかれば
但し往志すべきは補足の晒さた通って粟てわることで
数は色々な串描の且ハ鰐的衣免によろ末用む粟求する。
志を得る鞘が多からう。︶しかしm瞼の叫持としての八一小
以陣は棚奴の仰論を川‖放として潤んでHっても擁めて
そして文中には隼派的な弛‖既成は通路が少しも持され
であるから説明たも少し充分にと川小ふ仰が二三ある。
あるやうに未定机上して前校を切り酢されたものの山
押∵牝主張的反駁から推し得るのであ︰㌔︶はしき
がにも
カと得能博士退陣机念論文に於けるアプリオリ論への
の外に性作に㌫放廿里の根本問題に於ける上からの仕
しかし教授の昭夫の少いためと︵れのやうには本論
﹁衣現が表現を超越するもの1必然なろ正浩なる衣現﹂
戎は引ⅢされてゐJ㍍いので敢掩の手法になれてゎない
ーゲルとが両日い封附をたす。一問に∵二三貞あたり
であるところに存する。この衣現の来徴件のうちに無
ものにとつては殆んど凡ての.∵︰共に於て沈氾胴稚い教授
+
邪気に生きるのが宗教であ■る。
の圭搬※韮汗顔のかけ橋をしたものだLr一日小はれろ。教
要領はつかみ得よっが証畔に仰謝するといふことは吾
といふ兄八︰⋮がつきかねる。その意味で基調して大忙の
がどの隼姐の宜場からの内容規定に於て使ってゐるか
授のこの硫は本澤摘冊の粥情から推して多分一昨隼あ
等にとつて頗る囲経である。
要約すれば宗教的便衣む定置してこれに通すろ従来
たりに物されたものであらうが咋†#川でも特に帰し
托に述べた。捕縄の結語の如浄経済の誹硝煙の段な気
内容に就いて彿敢的に諏んで烹を得るであらうとは
し胱に早く仔細に省察が行き届いてわるやうでぁろ。
がする。併し最初の賢在すー鳥ものとしての︰抑に拭いて
い反よ鵜※端の紳肇M小憩並びに17隼の﹁〃在﹂論等に射
といふょりは寧ろ教授の西欧の㍍代川小畑の造詣と近代
3Jけ
く又は殆んど同一であると若槻されてゐるからであ
る。しかるに、未糊人の心意では、字流通りに﹁邦分は
の所論旺鞘に火すろ憎みがあらう。そしてそこに︰加数
打砕のうちにキリスト敢州塑の偏りがありりてうな気が
全股を純ふ﹂てゐるのであるから、従って身仰の一部
むなす心臓、肝臓、門臓、胎盤、血液等或は身酷的姿
の鴇しなどは身催全備としての軌念む喚び起しうる。
明
未聞人け死とムふ現象む如何に衷叙してぉるかの問
そしてこれらの場合、特別な身昭的部分は一種の韮魂
敏
題を論究せんとしたものである。彼等の死の軋念は薔
上される。そして、これらの気息や粥魂の脱〓が各々
田
に︰のそれと俺相槌きむ異にするもので、榊へばメラネ
二粧の死を意味するが、また逐次に脱‖し終って死ぬ
原
シ7人ほ﹁吉々の.ムふ枇と牛L・に一致†︰・烏やうな純噂
るとされる︵一五八−五九頁象照︶。
それのみではない。〓沌、命名.戊咋式、紙椚等の
と。而して.この﹁=︰ュe
が、その薦の存在又は循の名車小す身分地位を弛失す
が云へる。例へば、﹁改名に依って.名附けられたもの
併誹よt硯dep琵蔓.“の戎ものについても同様のこと
即t隼前と死撒上は、肘始人の芳へでは愴り追ったも
るものとし、戌にも二桃の滅びがあるのである。従っ
の状態の両カにあるこの状態、
のではなく、宜=々の心理に於いて、死セムふ粥桶によ
一宜七
〓鹿、結納などの融曾粕移は、殊に未開人でほ、死の
ではないと考へる場∧=がある︵一六一員︶。また成咋式.
とのH分は既に死んでむるので,その班l一作を賞ふべき
て名揮をすれば既にもとの自分とは造った存れで、も
﹁ルポ朝里論雄﹂の論評
の死滅む点状することは、こ1では身酔と〓分とが全
しかして、〃々では∵蝦に身惜的死沌が直上に‖J
二∵11︶。
って分たれろこの状態のやうなもので圧ない﹂。︵一∬
の‖外のものむ旭合するのである﹂︵一∬一1五三貝︶
けち、その前者は死、沌摘、高齢上扶どを合み、維新はそ
を空く持たす、その代りに=旨とt。仁王云ふ範噂を
未開人に放ける死の観念
すろ。︵いしつ︺
3JJ
﹁宗教撃論塊﹂り論評
一五入
場合の朕腰轍換と同凱のものと考へられてゐる。従つ ることが山東やう。ウィンクレルによると、古代東洋の
殊に未糊人の場A=には明かに見られる如く.一の存在
lT〓d・大字‖は小字Hに等しい。己Lハ邑ハOS︰l岩S=ソ︻1訂。kOで
界の状況は地上泄外の状榊心に等しい。コiロコle︼詮lL=Wel・
て﹁これらの見地からすると、否々の一般に云ふ死は、描抑車高正次の様な根本観念の上に立脚する。天上世
から他の存在に移る一の状態に過ぎず、これは生渥中
智
信
Abbild
は天上の
知される。犬上縦測はあらゆる科挙の‖奪となり、占
qrb〓﹁lに作ふ。地上に起るべきこと峰天上において敢
上の存在と事件とに膣ずる。地上の
畑に際立って現はれる多くの抑位の一をなすとされて 喜′従ってこ1からあらゆる地上の存花とホ件とは天
わるのである﹂と兼肴は結論してゐる。︵ふるの︶
橋
アッシリアの陰陽道と朝鮮の陰陽道
石
ふ。荷約堪肴アルツレッド・エレミブスも亦循約聖苔の
長近の諸宗教比較研究顔並の一形相として﹁汎バビ H的他界軋は文化、㌫教の況泉となつたのであるとい
ロニア‡義﹂吋Pnb♭甘口isヨuSがある。今帖紀に入って
ビPエアの文化にその起射を有し、この.ハビロエアの
されたものであつて.世界の文化、宗教は、すべて.ハ
張の部分的眞徴を水㍊して居るが、そのパピりエア文
決しやうと試みたものである。現在の肇混は此等の主
このスメリヤの捕紳文化を、姐形された背約薄から解
によつて首唱 物語が、すべてアッシリア、スメリヤにその起軒を持ち.
文化は、又すべて占損的1他界根に根底を持つから、借
化曲折説はむしろ特に、.ハビPエア自身の天文切につ
Ⅰどg〇W訂clハー2r
界の文化宗教性、この束洋文化たるパピロニ7の占昆
いて種々なる孤軍而加が不肌蹴のま1に取扱されて居
フーゴー・ウインクレル
的胱恥如蔚その起択L﹂して葦生したものであえといふ
A宇ed
J巧∼臼1i巳とを挙げ
押香されヤうとして居る。それにも拘はらす、この人
のである。この代表的王張番として我々はウインクレ る以上、﹁汎バビロニア主我﹂と攻撃的な名耶にょつて
ルと7ルフレッド・エレミブス
2Je
P′l葺かl汚Fこ
エレミブスはこの歌がいかにバビロニア的であるか
澤はあらゆる努力を以つて自らの挙証を裳付けやうと
努めて居ることは僻としなければならない。石綿博士
を報んだといふ。何となればヮbildに射する・gbild
ニア文化の影砕セあるか蕎かは解かに疑問ではあるけ
アの影郷を認めやっとして居る︶そのいふ様にバビロ
これ等の瓢までが︵彼等は‖常症活小にもバビロニ
J竜芦なる揖名の下に力説して居る︶。
︵釘AltenOrigts.記.ノ、HH●−告∽・の中でソ訂ndヨ宣13ill
払ソ︻⋮喜ロー臣t乳r賢㌢die吊unいナ∈ld賢ぎてG拷巳cFte
根本思創モあ一也からり︵エレミ7スはこのことを更に雑
を縮少語尾旨1旨l巨で表現することは︰ハビpニアの
は夙にこの邸説に興味を持たれて居った。博士が弟逸
留隼巾におけ一三挿話を我々はこ1に憶ひ‖uすのであ
る。
或臼エレミアスが博士に封して日本において許はれ
て居る月に胸する立証と尋ねた。博士は最も一般的な
﹁お月さまいくつ:::﹂の寵詣を次の如く弟押して示さ
れた。
ミ○;h冒計beローリどロdell昌一一一﹂e P芹b首d仁てー
ニロre⋮N作bl︸Siebeロ∵、
れども、少くとも占損術の比較研究においては、観め
J8Pm bぎd仁ヨ○つlこung●ノ一.en冒N︷du︹de5.内iロd︺
て暗示に箭んだ研究成果を多数に示して居ることは呑
1磨eロー烹nロdu︹㌻1Ri已g2bぎnaぎ昔↓ノゴ︶冬乳汀
die O−mPnて︸
lヽヽヽヽ
めないでわらう。特に純米の占星術と近恥の犬との比
校む試み、その斯似む黎げて両者の脛史的交渉を‡張
ニ︹Sie賢g∼gPng邑︸OdNu打落ローT∼eNGkP亡ぎ・A已
−五九
ふ
ま琶で
b旨
eも
S たく排串であも。而して特に朝鮮における占
期する充分なる理解は、西洋人としての彼等には、い
しやうと彼等は努力してHろ。於しながら掩来文献に
de巳∴ロ賢村名e羽打Mieド訂rP磨eglill昌亡ロdi乳已ロge﹃
︼︼昏−訂︷−sどOe︼言rgO掩en・。
。W挨明哲﹃F己ぎ㌢ロ︼On︼て︸
−■Uer H叫旨d計s T誓C u已d賃︼ウ呂−deいJirO
﹁完動畢論並﹂り論評
2J∂
﹁ハ小欲群論雄﹂り論計
一高ハ○
パピけニγ雄滞モーリス・ヂーストりーソIO−・riⅥン旦rつ召
葦料においてれ大な情他む他得して居ろものであ一㌔
道に刷する最大那彙であることによつて先づ木彿究は
申から礎見し、入手したのである。この非が擁束陰陽
たが、偶然の機曾に、此を朝鮮帝墨閥邦の棚下げ本の
る評名を凝見し、この根本溌料を多年操ポされて㍍ っ
の申にl捨陽道に閲して簡昭に引Ⅲされた﹁管歳棋婁﹂な
そこで博士は先づ支榔の‖科即興﹁欽にパ今闘押根成﹂
〃古において﹁総じてアッシリアの圧榊じ文句につい
の琉似の申に各々の特色を又充分に指摘し.例へば‖
文の一致をさへ見る﹂︵二三ハ貞︶と結論し、而も此等
それとは不m心講な近接吏バして㍍る。畔には殆んど全
ヽヽ▼
郊似を指摘して、﹁如上、近火の
約六十以上の例によつて一々亜㍊比較し、その資しい
隼、﹁人情異物占﹂等の諦占術について、両帝の原文む
吐くこと﹂︶に、椎茸を蛇、犬、動物及び人の崎形見‖
と.それ以外の諸現象︵虹、地㌶、㍍∴禦彗﹁地が血を
先づ天文、地文と動物との二つに分ち.前宥と‖〃
は.博士に、この帆目前なろ文献の研究凝衣を植相し、
ての‖教の羅列が多く、朝鮮のは敷の錐列に興味を持
星術に刷す一り材料は殆んど一般に知られて㍍なかつた
その期を待ったが、人1回漸くそのい邦成を見、こゝにヂ
たす、しるしの類米に趣味む感じて㍍つた様に見える﹂
﹂▼ヽ
○邑11P打一声√と純水の
ーストP−の死後初めて本論文となつて碓裁これたの
︵二一〇H︶と述べて居る。たゞ両者の弄しい拙速は次
の如き別においてのみ示される。﹁担だ近火にあつて梅
ヽヽ
である。
仰士はかく一力作現棋要を渉猟し、仙カヂ十ストP−
︵二〇六−二〇八貞︶、雨昔の陰陽道の﹁比較、吟味﹂
岩山−霊¢ に採録されたバビロニアの賃料む基捷とし
ょって判噺する]君c訂r・つd・ノづP梁rヨーーー・苗雲n粥は管現鞘
断する訂ber符F2また.水む紬に浮かせてその相撲に
である。即ち、†の肝臓を焼いてそのひだによつて判
ヽl
のDi巾匝巾茸i冨HF−﹀tOコiel︼:5みAs〃レJ・i仁nい︸∽−己¢,−讐∽.s.火の︵持崩鞘要︶に加州きは㌃bけ菜b︰2とノ一.琵e︰≠Pげ眉gun叫
︵二〇六貞︶、を群糾に∬つ安倍に試みたものである。
且ほ
安にない﹂り︵二三七貞︶そしてこの相迎の即由む説明し
我者にとつては、こ1にむしろ川題の北鮎が存するで
あらう。従ってこの研究ほ﹁机パピりエア‡端﹂を韮
ヽll︳
て﹁後新はたゞしるしを粧くに正字左I。しるLむわざ
張する前㍊の入江に射して、最も珍常にして有力た且
ヽヽヽ
わざ造り〓しておいて、ユごし、その辺り川されたしる
暗示に嵩んだ材料として城謝さるべきものとなるであ
ヽヽ
しを解かんとする頗は愕兢鞘婁には存しない。︵これら
智
らう。泄静的礎見研究と耶さるべきである。︵三くさ︶
藤
宗教撃より搬たる翻遥の特異性
加
玄
のカ耐圧相沢狐自な勉卜、八卦なぞで〓然に祁はれて
に抽めて興味ある酢説を施して㍍る。
過去甘五年問に於けゑ一ボ敬隼の野球礎遷を励みる呼
乱措
何人にも想倒される郎は、斯隼の糊川者、マックスミュ
ふ肇名によつて研究が始められ、研く泄弗講景教の比
ウ一に於るが如く.斯肇が※として﹁比較宗教﹂と云
に酷似して屠るのは∴ノヅシリヤ文献に通された陰陽
較研究に邸凪が仰倒せられてゎた邦であらう。
ら別種の川根でなければならない。叩土扶恐らくは﹁机
については何等∵=及する仰がない。後者の問題は叉自
ある。然しこのこL﹂が脛史上の柁脚を明示するか蕎か
前途購やかな未来があると共に、斯準研究の椰も訴へ
沌として戸惑ひする他はない仰である。そこに新邸の
し、その撃閃的研究法については.甲論乙駁.丹に混
咋の帯のそかとは、比べ様にもない華々しい進展を呈
今‖の宗教撃と云へば、その肇的方法に於て、≠五
パピロー;土盛索﹂ではないであらうから∵両抒の内
/六一
らる1次第である。、
﹁宗教畢詮唖Lり論評
容州迎も此を宗教球鵬に鮎澤したが、汎.︵ビUニγ※
ヽヽ▲▼ヽヽヽ
といふ両者の締招なる木質上の類似を朋示したことで
ヽ︳ヽヽヽヽ
道と、朝鮮文献に遺された陰陽道とであるL︵二三八白︶
に射する地殻,甘制.文献、助文の形式に挙らまで互
眼、それらの解語カ、信念.m小憩のみならす、それら
要するに、博士の研究は﹁かく、しるしの勒察、着
ヽヽ︳▼
打つたものでもあらうか︶L︵二三七貞︶といふ小ポ敬邸他
ヽ
﹁宗教塑論姓﹂の論評
この宗教歩的研光法の云溝さる1中にもーその骨・!■I初
から今なほ新年研究法の山として︰付はれつ1あるもの
はーやはり宗教の比較研究であらうと思ふ。その意妹
〓ハニ
何たる北ハ油断を石するかた佑使邦に指示して、景教と
しての帥道の陣質を朋一山ー.eれてゐるの
以下仰㌍にその特鵜件む井き下すならば、
に於て㌫数の比較研究正、†後も宗教の史的研究と北ハ 第﹁紳道は清布教ハF・茸㌘︼⋮号コ︶であり、ギリシ
拾二、細道は特殊通紬性ハロ計0打nC2鼓をぺ︶を特
に一新拳研究の一方法として存概して行くものと考へ ャ、ローマの⋮ポ敬の如くに地祇放でないポ。
られる。恰も本論集に収められた加藤互利博士の﹁宗
教拳上より弧たる紳沼の特異性﹂の一論は、この比較 性とするポ。餌ち押遣は丹パ敢の排除説に反し、その自然
宗教拳の立場から、榊道の再加数隼的考察を施されたも数期より文明教則に至る巌存拍し、自然的再ポ救より論
第三、細道仕来世放で仕なく現世敬である串。即ち
囲家的神道に於ても宗派的神道に於ても聞排である。
のでいその意味に於て、本論は我絢に於る過去廿五年 理的刊的中ポ故に進展し来れるポであろ。而も此特性は
叩の宗教挙む記念するものしJ云へやう。以下博士の併
給を概托してみやう。
先づ博士は我鯛紳遣の特異性を諭するに苦り、これ 神道が自然数剃から文明秋期に署迄、﹁現泄此他の図
を国家的紳遣と宗派的紳道の二に分ち、宗派的帥遣は 家の安穏、天下の春準を所願し五穀豊懐紙民㍑無﹂即ち
る無比維愉性ハロコ首昌窃︶である。それは用家的帥道
第囲、紳遣特に周家的紳道が閲昆的宗教として宥す
云ふ迄もたく、国家的帥遣も宗教埜より見れば、一種 現世※栽を敬旨として克も狸化してゎない串である。
の宗教として考へらる1串登別捉とし、此等の神道を
彿敦、キリスト教、乃至ギリシャ、P−マの自然宗教
等と比較封照し、紳道が此等の宗教に比し、如何なる が閉偉紳道.紳融紳道として.同家と切っても切れぬ
特異塵を有するか、叉その特異性は此等の諸宗教と如 閲係を有し、H‖本姓閲の骨⋮初から存在して来た組数で
βJβ
ある串であるが、これは陳洲藩閥の閲家が輸入的宗る
教のである。即ち闊家的神道の中心骨子たる甜患は﹁人
にして紳.紳にして人たる糾真に在す﹂が故に、その
たるに反し唯一無二の特件である。端的に云へば、大
遣の道徳的媚装が現れて来るのであるが、他面﹁帥嘉
人倫道徳のカ而のみが用家的甜泊に見られ、そこに紳
和心、日本魂とは、正しくこの閥家他宗教の覆視た人
るたる人㈹件をのみ考に入れて、紳虫を見奉る時は、
串である。
窮五、閲家的押遣の道徳的竣装︵Et己︵巳ぎー責旨蔑︶
には.閏に人でなく、人用以上の榊たる一方而が存す
である。換言すれば醐家的神道が論理道徳を王とし、
一見宗教でないといふ見附を抱かしめる特経であるる
。L串を考へれば、紳道は別に一の宗教たる恥が理解せ
らる∼ぃでわ︰㌔要之摘家的帥道はその㍗初から紳人
それは閲家的神道が沸教乃至キリスト教のⅢ世間的宗
哨六.闊家的押遣と︰加水的紳道との相迎である。即
見られない道徳的鍵脹が行はれてゐると云わである。
教と興り、古今を通じて天下用家の経給たる攻治と間
結桁数として囲民の宗教となり、又その・円には仙閲に
人.・し、祭政一致たる事である。即ち俗界の圭拙者が川
畔に貧外の酋長たる冒−1i許ソ訂首戻であろ。こゝに
的骨泥的宗教の性質む棚成しっゝある箪である。即ち
ち丹ポ派的甜道は囲民的丹ポ敬としての性質を失ひ、世外
姐家的抑道が世帯の道徳政治と経線する串を得す、祭
政一致忙終止した怖以が存するので、又こ1に囲家的
押遣の道徳的雄装と云ふ特異怖が現れてゐるのであ宗派的紳遣には.大牢教則を有し文教軋の個人的宗教
る。更にこの団家的抑遣を小爪故禅的に考察すれば抒
、験
そ右小心として机純せられてゐる串であ㌔而もこ
い︰
れは榊人懸隔致と︰ギふよりも二紳人同帝政であるが
、ポ派的紳道の中には、用家の細々と地紋してわない
一
一﹂′■−■
●ヽ一.一
敬やゃリスト救等の純偶人他宗教と瞬別されるといふ
この柳人同格教たる排に、耕道が道旭的雛装と云ふも
特のもあるから∵宗派由甜適は哺個人的㌫放として彿
質を現す串と.又それが一の宗教たる邦が理研せらる
コパ救畢詮壌﹂り論評
βノア
﹁ハ小数や論雉﹂い論評
のであろ。
宥
ヒJ
、﹁H㌫仙名L
′,■ く、■㍑容杵に嵩んでわる串
−=
/.
一宮ハ押
したかを明瞭に跡付けなければたらないが、このこと
は従来依りに宥過されて㍍ったといへる。恐らくはか
〓上の七苗穂に兄らり∼1が如く、〃々比我国一般紳
らうが、未だかうした酢曾的考察に隼的忠誠を潜見し
て囲経であつたことも、肌かにその一理出ではあつた
かる川‖放的一般融缶文化む肋膜すること自身が、秘め
追の︰高射L′亡ての特用宮中肌に理経する井が‖来るの
得なかつたことが訳大な理由をなしたのであらう。然
J、ノ で許7・1
でれろが、りての中にも相識的細道の小高放としての特質
し配付昭一般文化を無親して再ポ数史の意義が如何なる
▲,
乃圭その沼托的来翔が、比較小爪敢の宜場から明にせら
かうした背葉文化を胱く考察することにょつて、従来
程度まで鮮明にされるかは疑問である。否串門我等は
雄
れてわ㍍はにm心ふ。︵うへの︶
武
不明瞭に残された問題むより明瞭にし得た井出を多く
村
これ圧そい刷拙がホ†はに、晰揖を殺すもの、アポ
有するのである。博士の本論文も亦胱範闊に亙る訪ヂ
松
=ン、飢ち﹁丁ポ〓ン・サリ=クトノスの軒先Lである。
料を考謹吟味し二般背光文化を明瞭に跡付けながら、
アポロン宗教の一面
∵ボロン㌫敬の一両L√一していrポーーン・サウPクトノ
サウけクトノスの宗教文化的意詭とその胱史的凝鹿部
るといひ得る。餌ち博士によると、これは晰蛸によつ
粥を餅肌Lた鮎において、秘めてれ北端なる研究であ
スり㌫敢女北東的軒先は純水甚だ閑却され、その二三
の研究け、博士の指摘する併によると何れも一種の推
測でかろに過ぎない。
教文化的技鰯の一鹿英﹂︵川〇九貞︶であつて、﹁アポロ
て孜︵:=するガレオット族の㌫教とアポリン宗教との﹁宗
詰糞料み制整考附し、浩畔の批竹駒攻治的動きを明に
ンの㌫教がガレオタイ族の㌫敢を吸取し⋮⋮た浩袖に
いふまでも、なく、︰ポ難文化史的研究は旗範問に亙る
しながら.如何上して二加数的行場を磯坐し登屁壁化
βJβ
は、アポけン・ガレオトス︵輔暢のγポりン︶と呼ばれ
に︰ポされて居る。従って我々は本論文に懸ける別杵の
てゎたが絶代にやってこの椚批の襟牝的意裁か不例に 甚だ大なろむ意識せざるを得ない。
暢殺鞘昔のγポ=ン︶の粥兢が坐れ川た﹂︵川∴八日︺
し程なくなつたときに、アポロ、てサ巾′=クトノス︵晰
指導 的地位にれつたの旺誹々であつたか。その物質的
ろ酢曾的椚組に励してゎたか。その娯は幾人くらひで.
回の状悪に閻†ろ研究論文である。﹁その囲肌は如何な
なつたか弟く旺︰小数的観念の∴山根の耶批の在れを許容本論又は原勅キリスト教的、特にエルサレム初代数
その嘩化輩展の跡を努力よく考絆し声ものでぁろ。m
いて考察し、一々の関根に適切な明答を輿へて㍍る。
揖の川渠として深川した適切なるヂ椚、賦範囲に亙ろ 小沼状㈹肯如何でれつたか﹂。︵証川∩貞︶の詰問題につ
文献引川.証酢にして巧妙なる論謹のゾりセリハ等は木
論文の惜他を甚だ猫く要求するものである。既におい 就中問題の用心であり廿つ最も興味を引くのは最後の
て紳謝辞抹小爪敬隼の洲仙牢として最もよくその功某を﹁拘留両性沼状態﹂の考究、餌ち軒れに附する敢囲の概
蛤始敢糊の貧尺に附すら好悪む以って﹁椚頼嗣事の楷
の圭混む吟吠し批判して此を神訴して居る箪である。
クチ†準唯物叱拙わ骨頭から師膵を下したカウツキー
一ホして居る。石橋博士の犬と抑並んで世界の隼非にそ念.牛沼の問題であつて、こ、で教授は※としてマル
也
の成典を閃ふべき力作であるといひ得やう。︵三︿さ︶
原始キリスト教圃の成立とモの生活
勝
榊﹂と見ろカツキーの※張は、敬控が正伸⋮に論断した
野
本論畑中基軒数に闘する唯一の論文である。
ほl二、酢かに偏見として否定されなければならない。
佐
沸教働係論文が全備の二.分の一‖上に及んで居るの
l
﹂′﹁J一
.ヽ.︳■l
き﹁共踵※式中涌﹂でほた︿て.トレルナの椎戚ある
に比較して甚だ寂里りたろ感じがすろ。北岡におけろ基共荘性情に附する制拝も、怖かにカウツキーのいふ如
悍教の隼絢細究が如何に振はないかゞ.こ1にも明か
﹁㌫教理論妹﹂づ論評
乳用
﹁宗教畢論兆﹂り論評
▲
︰﹂ノ﹂/
▲ヽ
▲ヽ
然しながら我々新顔融攻の後隼の光揚から二二=希望
であつて本研究の意義と偵帖とほむしろマルクス熔に
ないであらう。然しながら此≠止勿ぶ枝葉未開の些串
な批判吟味む紀酎的に必要上し、それな洋一畔住−もつ
む閲陳することが許されろならば、宗教撃の酎魚とし
ょる新しき彿究た充分に芳ばした鮎にあろといひ得や
解搾の如く﹁宗教的愛の共産よ蕎﹂と解すろ見方に同
て早くより泣く多くの坪井の研究勘免となつた本間超
ぅ。従ってマルクス※張によろ基悍教軒先に附する直
と不催告な疑糊的言葉によつて来場︺eれたければたら
については、更に多くの講墾説の考慮吟味が望ましい
骨⋮たり力批判常夏持たない現在の我偶にあつては、教授
志するのが正しいであらっ。
様に思はれる。斯隼のメーン・ストリートのわきカだけ
司
の木研究は骨⋮に椛威として現在斯準界を措やするもの
離
でなく、もつと旗範閲の講説を琴照せられることは冶
木
たることを我≠は渥調したい。︵三くさ︶
鈴
全問としての世外は紹射的に菩でなければならた
柁封意識と諒の間項
集の性質からも.我々を碑結する瓢からも更に望まし
いことであつたと思ふ。イエスの言兼を引用せられる
暗も、それが原文的批判吟味なしに引mせられる畔は.
者は紳の閻の来らん畔、焚光の坐につき得るとは、小
職草・天災等の物理的悪し﹂苦痛・湖謬・醜・悪・罪悪等の道
粥の世外は全くこれと証反射でぁる。見よー如何に死・
い。紳によつて統制せられた肛非には、沖ねく畢韓・美・
lヽヽヽヽヽヽ▲▼ヽヽヽ
エスの敬へた併であつた。﹂︵五五山ハ員︶といふが如′\
徳的悪とが猛威を揮って人川里命牢昭黒の内に隋れつ
もつと愕純な川語む川ひられてはどうだらう。例へば
恰も断定的に史的イエスの言葉の如‖く耶す︰石和は、特
つあるかを。かくして心弱きものは﹁凡ては蛋想であ
辛縮の四大椚旭が存在しなけかげならたい。然るに現
に史的イエスの穿の西燕が現代斯壊の荊妻にして囲雅
る。風む追ふ努力であ−る﹂﹁車存には頂他がないL﹁恐怖
﹁我が飢えしとき企はせ⋮︰・獄に在けし時に来﹂りし
な問題とされ、未解決のま←柁されて居・わ以上、詳細
02〝
する常には生命は幕別であり、惑する常には姓命は悲
又あるものは、かのザソツストラ故に於るが如く、
又あるものはジェームズのl。ugF風説の入となつて﹁牝
の菩草加さんが偶にユダが必要であるとは考へられな
し.平準一原理み川路的に見やうL∵した。然し﹁エス
﹁宗教切論塊﹂の論評
はたければならない。
う。提凄なくL′一も紺地は紺地であり得る﹂が如くに、
とする試には八日されない・︶
然らば悪は如何にしてりての在れが説明せられやう
投に分って論述これてわろが、悪の問揖は吾々の具備
﹁たゞ道徳的たツリ人のム.いかにして、文相故に悪が存
に考へたもので、悪の精粗的力向む無親したもの七云 五=が〓ら正し斗−むたす守門柁的に佃決せらろゝの1ご
否定しやうとした。然し此等は何れも憑む形而上隼的 中心を第三段に往がれてわる。伽ち﹁悪の関根は一に普
的をな内的道徳的紺順の内に求むべ拝ものとし∵論断の
ライブ一いッツは悪を映如に基くものとして、怒の存在
であつた。スピノザは永恒の糊から拭物の華を説き.
悪は非存在、幻影である﹂と云つたのはオーガスナン 施られた悪、︵∵︶紙料彗招瑚の異相−rしての悪、の三
して幾多の説明が試みられて兼た。﹁苗物は澤であり、本論を︵一︶稚附新と右限Hとしての粥心−︵二︶柚吸血に
ある。その故に従来恵に封しては、これを除去せんと 誓.稚封意識と悪の問題Lに於けろ中心鮎であh′㌔氏は
誠に悪は稚封新の猿高菩に附して悲しむべき存在で かソ・これに射する椰答を輿へられたのが∵鈴木親局氏
もり何人にも憩倒される併であーらう。
るかしの柾周はジェームスやりイスの哲鉾を待たすと
の世界に封し、如何にして、此等の反償植が存在し得 苦と悪とを封Ⅲせしめて、唯一理怖の支配力た試さん
然しその何れにせよ﹁無始より牢華美なる稚勤番
仰は壁存の倍値ある串を証謹する﹂と叫ぶでもあらう。い。エスは﹁グなしにもその本門た塘挿し得たであら
命を怖る1郡勿れ、批命の伯帖ある串を倍ぜよ、この信
劇である﹂の嘆息む洩して厭世王兼帯となるであらう。悪を管に射光せしめ、これを暗黒と光明とを以て象徴
ββJ
﹁㌶歓呼論娘﹂の論抑
在するかを知る。道徳的なる人に於ては、悪意肯こそ、
その木質的要素であるからであろ﹂と云ひ、道恕的経
験が沢耽簡明に問題を解決するもの七いひ、最後に﹁善
と態との把なろ差別は、柁附的に書なる仙界に於る昔︰
の憧伎に射する吾人の粟求に一見川反するが如くなれ
ども、この一見嫌ふべき道徳的悪の可能と必要こそ圧
▲
・ヽ−\
一﹂/・/
莱昔は人丹供倦の∵形式としての肯弥に拍動を正
さ、他力明確丹吊理の〓的から沌圧又死後の中編をうる
手付∵.Lし野牛した′すろ昔の講説を顧みて、この輔の
特異な独習制度の軍畑を論じl′0場合に比地理的分布と
その系紙上を省力、民肱的牛沼と文化の特徴による異
を考、・∵へ汗一こL′.を力誹して、この方而の研究に辞典す
ー雄派の陣痛詭やシ..ミ′トやグレブナーの文化例説に
ろこと多かつたリゾーズ.ペリ等の所謂マンチェスク
怒と性一つの瞬冊に於て川鞘ひつし利けられす、両も
好点あワリ批判を加へてわろ。
弼に問題の全作を雛決す旦要莱であるけ宮にや.書た
善意志の腸別に於て統一されてわり㌔この間闘−この
芽新はかくして講肇諜を槍訂して、人身供繊や督狩
すろことを根木とすろ農耕様相上しての人身供蟻の埜
勝利の英只中に於て昧はろべき安らかJ己こそ、賢に︰示
空
に烹た大鰐に坪捕制址曾の‖現たともに機情すると憩
風
教的に稚封なる政ひで直ろJJL∴ムふのがその紙詣であ
野
にし、従ってまわ肯抑圧大偶には付入者や異放を排除
宇
る。︵うへの︶
人身侠埴と首狩の葦生
を酌む無怖がその講様相の場合に於て行ふ防聖除宰の
化でれろと叫仰めてぉる。別∴。=すれば、耕作的粋洒姓活
艇騎に執する準説の畳釣、肯狩とその刷係現象、地理
人身供犠が即ちハ狩の原形であり、更忙﹁人身供喰の
この殆んど‖︸llに逝い古刹に㈲する帆JL荊な研究は一
的分布の稚拙、仰撒湖に・とろ説明、文化閻諜の想定掠
々その膏を切つて供池†る一柿の什狩であつて.その
形としての供硝たその動機の古へ部に分つて叔せ・りれて 肘本的なものけたたもそらく侵入常妨宰藩を屠り.腱
わる。
ク22
が.“してぉるところの㌶教隼的のm志と暗ホと性、こ
れを見のがすわけにゆかない。その見地からこの論文
根裾はたもに抑聖な批活の緊張.したがつてまた多く
依祀的な雌脊に於ける部落の安全那加を保持する方
にも餌許を加へておきたい。
柑ではない。人州襲件の骨⋮然の行路としての、聖道川心
その名は末法沸教である。しかしその賢は沸教の過
法﹂︵一八一ハ一−ペニ貞︶であるとJ勿論、酋狩の牽牛
する悉くの動機と横断とを斯く断定しむるべく僚りも
l尺族隼上の詰襟料に通暁してぉる莱昔は特種的動機や
中心の沸法への開展である。そのためには、沸教思想
ポ帖の附加さるべきこと見逃してわない。加之∵粛清 想より押上思想への回博、﹁三隼﹂中心の彿法より﹁H﹂
咋終りに、苗狩の過細のうちにも、律太=的感情の興査
働いてわるこ上を江口して.苗狩が邦利的な〓的のみ
法、それが完成としての錐介畔代の‖木棚教、その両
も人きな姐配しがあらた。それの先輌としての三椚彿
や鞘闘的衝動の聴作成は赦命的表示の欲求などが弼く としての根本的改造も必要であつた。沸教儀式の上に
にHはる1ものでなく、感情や欲求の表現としてより
行仕れたことむ指示して、従来の講隼諏を補吟味すべ 者の問には期せずして翫似隼わの‖小憩と運動とが現は
L′Lて景教へと進む道紺に於いて、どうしても通過せ
れてをるのであろが、これ鱒沸教川小憩史上に於ける興
輝
きことむ規旧すると共に兼粛Hらのこのカ而の研究で
慶
味ある題‖であ・ると上もに、軒隼としての︰加数が宗教
吹
の指針を唆ホしてわろ。︵ふろム︶
矢
ねばならないところの∴パ敬思想史距於けろ興味多き
三帽我と日本悌歌
これは宗教準論兆の抑ほをかぎる人論文である。
題〓なることを、椚服なる雅希は見逃がしてはゎない。
即ち本論文は.箱石ハ世紀以来いつも典昭邪説の代衷の
元来この分評に於ては、仰教もの1研究はこれを他
‖にゆづつて、耶に㌫赦殊に欄するもの1批評のみに
ように兄倣されて来た三隅故にこの新しき意味を附輿
.し
直めたのであるが、沸教もの1研究に境するこの詮文
1㌫欲や冶虹﹂のぶ評
βヱ∂
新 刊
紹
MOd讐コiゆヨaコd
介
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Rugg訂rO︵G已dO︶
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COntrOri計り己P
deニa¶ニ0∽Of訂.Pt.≡一RFP軋m?
R・iPrmP
SギOria
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出琶i−監声
ルネサ ンス琵釈軟革及び反故革む通じてり哲攣思想に封†
ろ。
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〓albwachs︵ソ㌻uりi︵エ
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ハ青野︶
吋≒is−這ぃO●
フランス洗骨畢況の沌瑛で辞てほ先拾氷朝・しt﹁フラン
ア・シミノン歌柁の高弟与して経済曹や純朴甲lニも非凡叱隼
ー七二
=り菅llモスもけLくゐろ如くに、⋮Yユルケムい好漕コゎ
興味か以て酌ん仁。
傾向わモーざ牢推辣Lてゐr翌々ほこの打殺の研究に異常在
一㌔氏が抑湘畢の分野れ舵・して宗敬朴竹雄l二−向ほんご†ろ
姉む元・し十いストラリハブルグ左柑ぃり丁ルパ〃敬柁のむ刊でわ
ソ
のもri補でわろ。まれ厳選され㍗文献日銀も松ヾJ†ろ∴トニ児
教抑︰鮮脚剋に封†る・公平にLて戯幣存批列が臨席l二几られる
於て蔚ろ難色わろもり。=の新通り吋lニ托祇畔の糾弾者の宗
SOCia訂ヨ0﹁J¢¢u¢ろ
可新着の榔か・しい招紀法的2rTけりほ=の捕の斬畢史椚紡に
A﹁ヨitage︵l・J・R・︶
P︵︶コdつP︸︼ゆ出石.
十九世紀lこ基髄秋鉦竹光我てふ締め名付祝む生んだ英明軟
骨り駆統一1.現代lこ於いて聖ダニ〆ムり熱意わろ泥動わ、保
場からモダニズムり根本的刹鮎でぁろ折衷妥協立並む攻撃†
守渡ヾら就中の素の丹に展甲しつゝわろ。本職ほ作守湛の立
ア寺院其の他に於けろ群鶉の制欲の爪繰でわろ。聖補批判撃
ろ一カー衝敬重填り排恕ふ童話㌻手∵ふでウェス・トミンスタ
ヤ祉骨主我︻1腔わ以て揃法人ざ新大人ミの陪従的産物ミ猫柳
L、大典卯年−そにそり足跡り#ろ良必†白山ご中和ごか訝
ら†仲井の保約束でわり、最大怖廿一帯に確岩されt紳の選
民でわ一心■㌧ま狼†る如き、そり御川牧師的ぽ腱に寧ろ甘策lニ
椙†るー,のでわろが、催課㈱に椚介L㍗Jソヨードの群等ミ野
︵佐水︶
附†ふ鴫、斬新思想の関り除−りにL人与元溝氾か恵就させろ
介
だけの効巣か持ってゐ′ハ■。
加 刊
占タ
紹
介
一七二
本丑‖の終に二にフォン・フィーゲルり絶対紳ご制限糾ごの典味
川
′−ニ㌦′∵∴ご≡︼つ岩CiOl〇gi宅e﹂ か恍に二一十隼近くり歳月を押上
︵上野︶
わろ比較か舞けられてゐろ。益Lホ唖lニ骨⋮む好避でわらう。
徹さろべさてわろ。従って此の秩序わ一時的に破櫻†る輩が、
罪的軟けに、研が‖山兄存布わ別遇†入−鵜の消極的秩序亡兄
ごLての、紳■り‖山への巷爽lニ至ろ満仲期に在ろ。即ち、他
用木の昔々l‡粗相的軟けの上ゞ申の低迷速巡から、紳の子供
トビツ〃/l二差向け、l︶れろでわらう。‖山に閑Lて昔甘は云ふ、
t∵bのでわろ。従つて一服仙興味に寧ろ縁者に、その個別的
敬曾り構成、等の時雄的問抱か、其の折畢的立易から批列・し
形追ってゐろ。其り他lェ、フロイド心理隼、豊、鹿兇別院.
ごLて人問の∴〓1山及び榊り仁l山lニ就いて論じ、本邦の中心な
思恍及び欄埋﹂の二論文は﹁晶L深く丑つ中心的互℡畢関城﹂
設表さけ㍗もりでわろ。北ハの小、Pq﹁〓山り問瓜﹂、冗﹁白山、
収録され主夫小トニの論文の中、隼批は恍に諸雑蝕㈹甚他に
冥丘弓YOrk,−呂○●
EssaysぎChr訂︷訂コPh吉sOPhy
〓Odg∽○コ︵L8︸lPrd︶
りで、頼圧ろ紙計や講究射で腔止†ろ‖的で軌晒され㍗ので
王スか折拭毎附Lてゐろ柁l二耶諜光義的研究l二於て如何−二先
一っろ.か、丑山外lニL分晶が多く互つ㍗りで別巻ビされ王1あで、
丹り竹作な修正・してt少くかなlLろ灯油例でわろ。
γルバグほ=の誹で、常てデュルケムが.フロテスタンチス
よりもカトリシスムりガが‖段僧の取り小い=ざ中絶祈り就
拭く常舷址紆の鱒耶や習俗に蹄†ろ︰ごり雀骨⋮在ろこごわ統
什がより㌻盃rerされてゐろ=ごに障L㍗宗教的原川わ解ろ
計的姉盤古引用Lて㍑明Lで、■舟,りっ一てり仙り考拓に於てL小ポ
︵古野︶
MOd印ヨMOOd.
散華従わ稚益†るミ、ろが泄く互い。
〓aユ0コつ苫lt㌻]芦︶
↓he訂ヨaコd↓he
ソ﹁弓イOr打﹀一つ諾.
本東鶉ほ充足された川小州仙でlェ互い。一山≠刷論も近代人本土
畢思想寸Jキリスト敬宥榊論の調川でわろ、世外拙守Jしてり人
合損わ行ふ雄が、‖山り賦典てふ嗣終〓的l二朝穂はしい強食
著者ホートン敢柁が木評lニ於て試みん、こ†ろのは、近代科
想わ取り入れ﹁人本化﹂Lなけれlで光ら互い、三ムふpl!論lニよ
いヾJ。∫lてネ♯り令偲的傾向を推†べヽでわろ。
に11、榊が北ハり方法一丹拭ったどて、爪ハ通にl‡州り不介哩も無
苑的思想存ほ却﹂ては在ら互い。キリスト放は不晰に科仙十思
りて﹁洲托より傭人互‖粥の叫lニ、鉦付、駆火の内に、路上
︵佐木︶
又臼然外の中に几出されろ﹂ご云ふ紳軋むlL山、してゐろ。又
β〃
3e巾雷m﹂一−↓邑c
巾H罵r−2n罵eOnlpPロble
tつt一−勺司箸日bⅥ
K・Baユhs司h訂b乳en諸deノ・九つp月日knOもe■︼雫っご訂〇uをL丘司○ユdて︸
︵上野︶
Phニ0讐PhyOfRO婁0コ●
ト〇コdOn、︼誓苔.
一九二三年の普楷のギフォード・レクチェア−﹁宗教的粗源
Studi$ぎthe
P﹁ぎg一㌣Pa宴s訂コ︵A・賢h︶
n。
てゐろ。問題り作賞上、興味をそゝろ菅ミぢl‡布ければなら
ざ軍歌来に成上れた挑戦状に封†ろミルバーン氏の舷恥謡で
SONiaT︹こl小器︸岩n.′〓庁仁訂こd鶏
わる。氏にェ宗徴む七和の軌鮎から考捏L、間蘭・ト桐芥む奥へ
口許d変装︷訂che↓訂〇一〇g−e
KehコSCh彗Pe﹁︵Gつユー・︶
im Liユl訂der
Cbrist︸ichen舞irつ︼一C.
︼オr︼ぎ︼汚き●
近時の榊伊上の興味lェバルトにょつて椚専された輔膵法的
紳撃の上lニ注がれて居ろ。GO巾卜彗昌︶甲uロコer︼ヨultヨP呂等
にょつて純水主張されて捕ろ一カ、他力研からの梢々在る批
列も亦加・乙られて居ろ。本誹−I牡丹の鉦曾的倫理的諸岡描か
らバルトの糾鮮を軌拡J㍗もりでわぁ。弗つバルトの紳の観
旦歴史哲畢﹂か基寸しLて、人蛸争的にハパ敬ゆ趨源ミその基本
念み吟味L字、れlェ異音的では克くLて概念的凪舛的でわろ
ミL、直に他界、人問、救折、啓︰ポわ取締・して航紘l二バルト
開宗彼の放適盲ギ示シヤの宗教や哲牢、之等を如何lニ内的に
雁史の叩維な見てから宗教哲塵ゐ間組む引き出†。机中の未
啓、基世論.戎ほ舶音調の問祖等わ中心写してそ=号若者ほ
克つtか.ユダヤ敬ご押紙、ゾロアスタI軟ご惑の関越、天
型悪な論じ、匿lニ部族の醐ヤーダエーか如何にLて世界新ミ
の倫理思想わ考察L㍗ものでわろ。本省が錯雑緋解在パルト
︵三枚︺
の榊単わ巣LてjE帯lニ理解・して川・?か.ヾJうかlェ関心でわろ。
Mニbu∃︵R・G弓︵一呂︶
連絡さぜわ稚りでわろか。﹁宗秋進化に於ける外在る一コース
O〓n誉・
州へ米つ㍗析lニ忠義がわろでわらう。
一七三
︵村上︶
な取扱つハ﹂l二†ざ圧かつ上らうが、梢々光ろ間組む油常に
↓herOg石OfReニg石uS↓hOug声
LOコdつl︼−−竹治ヽ
Ⅵ竃em
琉歌ミ科摩ごは常にオ析L、又鵬常l上溝に論戦わ闘lェさ化
介
けれlで在ら左い。本状に。由誓eつu弓.1
新 刊 紹
βJ
新 刊 鋸
介
山七田
未聞人の紳錐や構祀に刑・して作的シンボリズムの法外布地食
l工例へけ班の世ヾJl工†宮の象徴でわ一わ寸し解・し光.・、∵してゐる。
わ艮族隼り諸華斜に油川Lて冊帆明を挟み巨Lりでわる。著者
㌘r昌昌.博士が人㍍隼の分野lニ互・し㍗心理単軌生物坪的考掠
口r
イl
ド−
山色
締り未聞址打耶究の一部門なけ†もので、同門の
P岩bl①ヨeムerCOt︷eserkeココtコis・官E2
ソ㌻諾ler−−めけ坊.
函の認識用掴に批時又典味ゎろ聞払寸Jさ︷㌦て死れ。赤講に
︰九﹂二ハ隼 ヒb蔓uS・ソ㌻gコu肌・.芹P︵lミロ訂の講習骨に於て溝.ゼ
られ満載りS已二已≡Jれてわん。︵㌻三・Ⅵ寧コ顎一の︻き∴㌘・
der
ぐJ
clJri裟i号雪
︵青野︶
む特㌍Lよう与してゐ・わ珊溝り几餅l二封L′\に北‖らに俄かに
桐・し難い。
r√誓二乙u=昭二雪リーき号り・⋮iruコd d㌻︵ぎ一箆r打二三−㌢Al土1・
才一︺︼∑∴erり ︸ハ三唇音C杢バ≡一︼○主琵∵F⋮きis︰己●せ︸rっ司
り〇nlつー○恥iL−兵G三珠b芸㌫㌻der Sc︼︼○︼邑i打・JOS・G雪d︻
刀u〃teコb〓Ckつノ、旨弓︶
り G三︵托beノぺ︹㌃︰己伏計ヨG㌻駐川Lr㌢r打ご・cFn.︻︰↑ユ1年k完
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︼訂r−i−:r︸′−・Pロガ2ユ、−¢︰P
、しく弊宗主菰の宗敢を拝して景凱改≠弟の宗教、キリストの
イ﹁リリヒ・ゴーガルテン、エドアルド・ツルネイヤン等で等
ろ。代来着亨し一\カール・バ.ルト、エミル・プルンネル、フサ
光義l二対立†ろ反竹槍光義心理光我、反雌血生義の主張でわ
シナフィエルマツヘル以降現代よでを支配・しr尭組立鎖人間
拓也い紳柑†に今偉大左特向むホLてゐろ。所謂耕旺的所少。
の′‖粥も珊婁光臨‖Oie ン=い1∵∴√ンーr−束r⋮︼ G三三・l︰en=⋮−
︵三枚︶
−、Ondリブ︺誓已.
theロiくぎe
かト,し㍗一つり揖悪運動rごも考へら巨ろ。
柁錯でちろミ≠ハl=大即日彼の悲札的左入間伐疑的心算別ハ燕か
こりこごiiわろ意味では近11−群猫糞求心想からスコラへの
K言
i葉⊃
・
lg
二於
けろ小林革む差損†ろ。
ニき⋮e−旦号㌢・訂u−1d rユキ紆e宮d⋮l一⋮手レコ・l︰︼訂の
∵二−チlb茎 Lこ⊥㌻コ窪りrkenき㌢ 克ごの糾り認識間組ド阻†
ろ興味わろ論枕か収録されて川ろ。此等l三川れもカソリック
の立場から託されtLりでわろから、邪等ほこ:から現荘カ
aコd
ソリック界か、=り興味ぁろ問低か如仰lニ取扱って居ろかむ
先分にうかがふ=ヾJが出来ろ。
Rひhe仙ヨ︵ロか臣︶
Aコぎ訂ヨーMag−C
魁イ一ハ旭日でにわ一㌔恍にーど今已㌻コT三2ヨi昌一耽ろお人
尤猫む世l二問ふ㍗P−ハイム博士の近業でわろ。この刊l‡フ
β2
・l
1九世相lニ托にヘーゲルの組織に反刑Lて︰り相両l・H石上損
・し上iエりにゾ∴ レン、キエルケ.コールかわろ。糊代危鵬醐費
りごく㍍仰の飛踊ミいび、パラドックスり役割さいひ、染ト ■●二ノJ一﹁
吾什方l二於てゞほわつくも概lニ彼が祝いてゐる。
かくてりくからキュルケゴール・ルネサンスが昭へられて
北けり葺雛苫l﹂りl二新ら・しく紺穐され昧讃されようビL一\わ
る。省︰付いや心叩⋮いに於ノしLハイデッカーやジャスバー・シュ
フランガーか被に人いはろ榊心・†もち.叫l二ハイデッガーミ
リ〓イ﹁の川課によつて俄に解明りメスがむけられ.\ゐィ0や
ルケ.コーノルい理裾克くL.\‘三雄仰山⋮死乃ミまでいほれ一わ。
うてわろ。榊仙ナに封†ろ影野ほ論存まtわ。現代︰榊牢ほキエ
キエルケ.コール・り背常にニイヰエツ其他生城仙,偲︰鞘的耽拓︰
人lこ於一一、lL一二∵うに二糖制約に・りかむ︰Jしがむづか亡い。紺穐
的lニ川根一\ん互い。そ・い仁清に最近りもの与して彼■り恩州心わ
L′一等三iノ仁㌢ン孝㌃1≡ちG已︹邑C∫︼誉戸 ′があ一?かそハl二︷㍉
也拍血.上郡㍑∵Lγう・、・︰し∴1∴りに一三こぎヂ巴しr打蓑B乙レ
ぐ 最も髄・し∵∵・して欠張り仝竹机にキエルケゴールn川小恕む
糾純づけやうど†ろもりが本状てわる。厚⋮州り砿信に埠\か
介
介さ持そ、−こ︰ハに・﹂〃り1“つ意裁かぁる。
ハ
ーリ∴′のそれに劣る㍑でわろか脱い錦城ビ顆ら・しい問題が紹
簸 川 紹
Sc屠蘇﹁up︵︼ハr7.ユ”エ
−−t︹r仇ulr12帰・
.
i≧l㌢−√︼¢㍑つ.
∵七五
の地代lェヤ富な琴L左い。本状に女史・り射れ・ん署巡り叫l二於
崇敬仙刷紳士載り粗悪中り研究にわりろγン耳1・ヒル女史
↓he三yst首Way
Uコderh≡︵E′・c官l︶
書・㌔
川、榊蕗ビ¢囲絹矩述べて終にそら㌫動的倫岬的m仙に詑き
′し心理的左肘完qの川筋か明仁し、章一で分つ/しそり動機、仲
禁欲lニ就い/\り心理的考雄む進め・力。弊拍禁欲の栖な行損亡
昔猫ほかゝろ分Ⅳにわ・りて、か︰り蛸紳介晰の宜拙から苦行
スミ†ろ。一てれlェ心理和いlこ於∵、新に眠闘されろ分野てわる。
l二よで進み雅つてモり拭守ろ税調む動的に、国典的lニ考推せ
ごゞょら..㌔即ル相的圧設誠の研究から描的性情り鮭意認焙
岬牛lニ㍍動的小浦や川叙む押嚇仙に、む−1抑的lニ分併記述イス・l二
てさへ猫醐分緑雨・︰−ろゼ捏に北・∼心理的几〃が聖水さ丘・力。
丹ポ歌心理隼再分野lこ於∵\け勿ふ、︰パ頻り史的研究l二於い
ヨCユiコ、−筈S.
ロ訂AskesO.Eぎe邑i甘=童SyLIC−風化仁FCC・
ぴ.フ
新 刊 紹
介
ても、−・ソ︻宣i︹ぎJ。ござbに北糾されろ二大名著でわつて、
イエス、パウロ、ヨハネ、その他和代致命の申に紳祓忠想を
話力∵仁Lのでわろ。山九三一年の初版以死版わ託n、昨年更
ごにlェ以前の版i殆ん.ヾJかわろヾし︰ろ‘‡互い。 ︵柑谷︶
菅
m害者
宗教哲塾の基礎概念
敬音別究骨刊
一七六
購読
†ぎない。それ‘‡私の泉のついた部分だけでL、五七封から
分は笹l二表現の・方法l二多少の建化む典へてわろヾJいふだlTlニ
到偶に近いものでわろ=ヾJわ、不平lニLて櫻見L㍗。その部
帥ち、私は、本潜りわろ部分がエドワーズの﹁宗秋哲恕﹂¢
うミ思ふ。
映乏lこ上るものご赫貫首れても、恐らく用解の封は〃いだら
㌧コトイン〆互船便−=は梵成山水兄い。︰れ江華楷的良心の
幹ほ敬意に依†る。併・し、本番に於いて示ぜる背骨のイージ
ヾJ音へる。畢問の沌俗化にこおいて最近著者の示Lつゝわるオ
本番の内容は天職lこおいてかくのごごき目的な準してなる
私托宗教の本質が何でぁろかわ明かにLよう子し㍗。﹂ミ。
む如何lニ板状ふかり大要わ術溜lこよぉや易に示Lつゝ、傍ら
事柄わつミめて避けて、唯だ現代の宗教普撃が如何光ろ間包
門苔ご叱らんご†ろに載ろ。失れ故に私は細かい躯門に一旦ろ
わtへ、㌶耽の研究わ始めようご†る人々の手引ミなり、入
ってわる。﹁本態の目的托、宗緻密重たついての基礎的知識な
的労作でl‡布い。その︰ミに水元rそりけ貫に次のごごく言
lニ脈僻版む江抑にわかつ=ミに克つた。LかJ装訂ヤ=
印の刷
郭左
物はその裁腐が紺つてわろよう左アカデミック互撃
W﹁河ht︵Wi一l㌻ロー吊ellCユ
m︷h訂∽.
舅e弓YOrk−︼詣P
Ceコera〓コキOductiOコーO
著名ライト教授が眈に宗放心和坤に於て托アメサカlこ於て
︼華凪存在・してぁる郡li著者今年の取ぁろ著述lこよりて明で
わるが、著者liJソエームズ等の弊風に倣って心理的湛礎¢上
に官拳か樹立Lヤうヾ、†ろのがモの目的の様に息はれる。モ
れlェ軟投の好背 ミPg︵哲pl−﹃○︻討几︼喧〇n;=の中に利明に
現れてゐぁが、本譜もその一号して鋳ける祁が出水やう。本
道徳的行場り心嘩勅裁感︵三︶近代倫理鳳想の批評︵四︶政
荘圧前後五mから在り、︵一︶番所に於る倫理思想の徴連︵二︶
拍・証什倫理り閲慮︵五︶宗軟ご倫理・暫畢ヾ、の関係等む包括
︵⊥野︶
Lて給鴻Lてゐる。著者特典の宗秋思想ご共lニ推奨†べさ概
論杏でぁる。
も本舗圧決・して﹁自分の宗教間撃のシステム﹂だミli首ヘヤ
〓百表わ㍗りまでに及んでなろ。ま㍗仝憾の梯成から首つて
β4
い。ヱドワーズの﹁宗教哲畢﹂lこlェ上野陳誠氏の払賞耽る諸本
首ふミニろの百ひ†ぎで布い=ぜわ蜃見きれるでわらう。・し
わり、同時に敢界の捌限光偏見lニ封†ろ歌﹂い論排輩でぁる
資料り吟味に年取む賀L︵二、三帝︶萬近の校式肺炎的研究
=ミ
に特徴む示Jて居る。
もわる。これごモれさふ比較され王ねらげ、何人も紅に私
の
の根源内容l二描きむ牡い㍗=ミも正常でわる。然Lこの息舶l
tこごほうれLい。従ってイエスり外的批泥の吟味よりもそ
をL通用Lて史的イエス把捉の﹁カ法﹂ビ﹁可能﹂む考察L
かも若者托ヱドワーズによるミ、ろかくも多きド拘らす力
、法最
枚ドモの啓な参考沓の岬l=わげてわる他、何事わも首及Lて
ぉらす、斬らトレルチビ波多野柵一氏に封ふ=ミ多き車準へ
新
生
監一
︵村告
先収椎与して推椰・しtい。
天.堺軌道友計刊行
︵三枝︶
に、本番のレーノン・デートルがわろ。我岬l二おける有意我
示L、同時にかゝろ研究の意損亡償依ミむ大脈に昔明し
・t研
賓†るに駆虫的批判研究ド立脚Lてイエス件の根本人綱を
光ろ:ヾJが川死tでわらう。
を鱒し㍗耽ら止・r、もつミ深く脚下げて、より背骨⋮い撃術杏ご
見な析l工Lい粧改野して膚るが、︰れわ備・して内容検討lニカ
二束︶ご師耶に映写し狩るかどうかも問超亡兄ろ。軟界の偏
重憾﹂ミぜろか﹁宗教的封象﹂ミぜろかにわろ︵〓二−一六
季︶問題でぁろ。史的イエス把択の可能かイエスか﹁宗教的
後者にシュヮイツエルの影響を多分に示Lて居そ言l‡︵四
を﹁糾﹂ご﹁耐の囲﹂lこわり与し前野トオットーの影智を.
てなる。かくの如き本朝む捧げられても恩師汲多野情一内
光容吐
東京
ほ決・して若けれlI・し布いジりうミ息ふ。
宮川巳作者
イエスの宗教と基督敢
唯物論者lI掃銃な科軒の武酔わ以て入り替り立ち替り俳承
の中からイエスむ挟撃しやうモ肉薄Lて氷ろ。此に封Lて古
来り停永をそのよよ生娘†る噂承義がごれだけの防戦ね施
・しいが厭眉聖沓主税に立脚L㍗限り、乱脈りイエスによで泣
丁言が〃I氷るかを珊等ほ擬ふ。﹁イエスlこ還れ﹂の叫びも久
ってlI居叱い。信仰の火のみで科挙の水lニ封抗するこ車代余
奈長
天理敢付近新に関する調査
りド粒い。耽帥恭督秋好ドニ眞繋の史的イエスむ把捉†る忠中
義山正轟二背
ミ償銃ごむ理解†るの准布きか。=の我等り久Lい間の希望
介
︼七七
以来一世妃仰の靡史的批判研究の成典に醜加・し㍗イエス鮮で背者は管長の現哺l=わろが木楷lェ天秤歌九十飴坪の樽道東
lI今苛者の新著か抑て火種光されt=ミぉ岩ぷ。本省−王誕姓
新 刊 紹
β∂
軒 川
沼
介
一ト︼.ヽ
′
、
こ′\l二大叩釣り博迫り特色は功トトヾけ・トわろが、モの怖
でわろ。﹁勾ひかけ﹂l二妬まつて大数骨の結成lニ始終†ろ博道
遣り車業ほ和行り制度では仲道新のm五≠業でわろごり=ヾし
年仲道有り信仰畔励三川㍗叩弼ごl二っいて綜合的l二ま寸﹂めト
製油り殆ん.・、Jたいの・む∵高へ㍗程てJ㍗りり
が信行の鞘立雄業で∫りろごいふ︰二号i−初期の興座視l二わ
Lの。極め/し圧点的ぺ研究で許折り∵...“天理放歌埋飲用の
木︷=りハい的H色も従って正︰彪l二わろ。誼魚種通常に封†ろ
行一り宗教的㍑へ心ペに㌫歌仙牛沼の最し棚県毎H咤ヾ︼いふ︰ミ
ろハ・パ孜に人もe〃㍑でわらうが−1情道東裏の轡層が天理教信
が〓光ろ。:ハニごに右に沌..、㍗︰ヾ−み事理ハ子しl\物㍍ろ∵、
ハ、圧殉捜からよヾし・りカケしハ∵りり∵わ・ハ。調牛.力扶沃帝問法
わ、りう¢
籍問法lニよろ調査か・h川=㌣∵一川八′り名机碧か射料ブ丁し/し柑
二よろよ︰I外lニ捕々わ′Uてわらう.か、机︰叫的神﹂基がり′\川ム
か︰ハ内外日日紺吊論から朋党昔り光明∵一らL†㌍らに荘
︰J▼︰ての臣汎り鍋肌lニ鱒−ノ㍗ち︰ご、lこいて甘苦・りごつト
逆性にその雄仲りらつ〓壇ヾ−㍗廿廿㌻∴∴吊も賢明左方扶でわ
〓的ハ・ナ?トい?〃−り川︰一ト・〃へ一りレイ書から謂・け寸、る.へ・予Lり
−亭
︵有印︶
がβ′\わ・ハ・。
論
︰巨にH机ちユニーリ㍑≠法てム∴∴︰り意咤l二於てりポ敢ヤ側
概
一っ。一て亡てト書に用れ一ヱ〓黒か小⋮材に於てnらつぃトミ†巨け
の構道に附ヾ・わい霊刷.杓⋮■︸射的椚兄ごこ′\毎網いLりてわろっ
同日宜
︰僻に㌫招心?冥利更に二於りろ陣道り意鼠に㌫詫的にLm
念的lニ主覇少L隼的に#托され研究亨h豆よい。勿へ.瀾欲困り
準
車︰=
㍗き:ミ﹂なわけ/しノアの。Lか・し︰り︰ミは納経押捺↓てのも
ジェームスもま㍗甜辟粧柏山門つの・持釣り一つlニ﹁∵=㍑・しか
†子音小水、ろ㌧りil出ひ、〓・ト滞ろ︼1.り∴沌∴∵∵、Jわり、
洞山中有名冗句lニ、〓︰‖に︰け声︼屁∴ろ互く、語に闇に投.セ
挿
、
tめに†ろ祁宜うJ嵐り叛け㍗押遣む研究亡一\L宗敬の耳目む
咽み川†にに柾衰かも知れわか、甫削ご・し主信仰心の抒㌫T
︺一\、鉦・け的ハパ凧結成り機囲ビ=し一\C博通S一雄黒ほ併吏−小一
少く、こJけパ釈根わが成イtり上に愕べ㍍㍑調わもつ。孔常在博
道の叫染でlェ鵠明仙的たろトわ・こ心即納在ろものごが京もよく
遺失連続・して㌫孜り持曾■ルーわらに.﹁いてほ先からうか。︰り
のゝ†が㍗に拭いてり=ヾ−でわつて、その描出への導きの㍗
ヰハ・いの川lニL汁牛充輔の丑︰懸かわ一石。
めlニほ、帥ち梢〃の指頭lェほくこ、、Jか川東ない。かノ、て不宣
?うに考へろキ噂道の脛史に豆圭一り敬冊研究S茨料写しての
つて祁tゎ。
み在・卜す宗敬い特賞む研究†ろものにJlつ′\叩婁尤もりヾ﹂互
〝び
γ外.γ︰圧い・︰ろ∴︵・バー輿論拍てわ∵、、い一骨上::てりナ∴ソ小吉
分lこ仰の何た一りかん・軟へ一?、ごが‖来る亡㍊ふ。紳﹂申﹁押に
らうかモ、
れでゐて、︰巨でいⅦ介に輯隼椚︰⋮桐り川左㍍・し、充
論㍑七・托・、・︰こ.一、jくい汗・ナ、∴\てチャ首レ招・して万一ハ∴㌧ん
ト小宮㌻.基守に於り′わ諭兢の華㍊■∵モ、lて㌘トら〃lニ・.・すす、勿
つ.\・でそ。・∵宣︰がn﹂小氏りてれごの判蛸にむいて有イろ持出
小藩に、鈴木十へ拙氏望ん伸ミ11何ぞγ∵ニーLに、最近e揮
に、里心川心虹仙悔・.潮てわろ ︰、†わろ。即ち情欲〓前の樺山恵
けれけ圧らわ﹂っにや′、より邪H†.∵\・して詔l=1されイ、ち・l−は
詣理の上l二甚症存わ′、ざ王ふよりL、心理的に推んで行か化
かつ∴:の弟根性な冊仙押してわろ︰ごかうれLい。︵付いけり
奥m⋮梁仲よ餌
現代思想−こ再パ数
・l、一lヽ
絹稚・してよ︰ごに掃一†ムヾ︰=ハ笹、・現代の一般拙け川小想
それ、が︸ハ・〓三︼が︰ムふ如く黒・してフル.ンコア道徳宜溝の
かつ上の言H∵軋放でわろ。
貯が夙l二︰り鮎に沌1jLて諸大家の意見み叩く=ざむ忘れ化
味Jノー?、→Jでわるのみ元ら守、頼めて必せ在=ごでわろ。鮎
小解誹・し吟味L、それミ誹㌫敢ごの和博を几る:ざほ恥に鈍
死・鍔来鳴り甘惜S一細片的住用射てわろかに論外写して卜−I
−
上根揖景純
想より始−り\、つり〟さに川机史⊥∵冊りぷん右トノーり、と†■ .−︳一’−−●
′巧持し
上抽閥刊
弓∵り
宰丹ごI・近代研︰邦一ごり刺通lニ於いて批射的鵡明ち、b加へ、辟
想史的桝論宇し一、り〓死うるだけの川芯にわろ。亡かし、昔
常が従来の正統的概論に封・して子りんごゼろ新味に、不坤に
史的揮隼廟諭そりしり、行︸つより一£心成・しノしゐ互いだらう
Lてわより到基一でわけてゐない。=の︰ミに、揖ふに、揖想
か。持lこ、抒講が軟水の帥帝強請の心理付い的中︰几lこ封Lてい
さゝかゆ丑山瓜ちm究わわ∼・−圭がL一\ゐは∵言.・lÅ、結や、▲り
、・∵り
梅り.明か狂死のん?い加ふろ=ビ多からざり√東川ゎな†Lり
\八
柿とは何ぞや
燕東
−
九七.
圭l二てルキシ.スム
;lニ≒㌢−ノ・てフ〓肌
−
絆々上・わ性状竹井幣粗﹁帝稚か時代且l湖
こゝlこ﹁叫代目小想ご小帯封﹂ヾ−超されL現代︰にわが岡に於け・わ
や⋮がけり一\ル1。鈴木氏沃奄サに西陣り紳濾水発心∴仁人
寸−︰パ北1I三JJ・して悌秋1ごり憫係な拍討・し拙叫Lr・㍉い
阿川究法代り﹁挿や職ノ.巴lニ拙けてわろ甲ぎ、り﹁担ごほ何で
でわり、そ巨が混沌に畏にれ一\・?りりJてほ互いが、稲川た
でわ・わ。それで書名は比較的に婚≠にほ
介
ち基礎ミぺつて、巧まざろ祈・しい種別わ作りわけてノア小。
朝 刊 節
介
一入〇
す、止H定亡者定ビ、理論ご現粟ご、宗教インテリの光ヤみl‡
Lて肯定lニ彼†ろ能lェす、否定ぜんミJて否定り寂蓼lニ
新 刊 紹
已ド︻H訂nミでL出さる.へ与︰1のでわろ。執筆者の適中軌は大
矢吹慶輝、階波蝕密主宗教の鎚鱒⋮⋮・宇野皿空、近代生活
紋付宗教ぜLてり彿敢:⋮⋮循漣恥旭、現代恩想ミ俳歓⋮;・・・
よく各力耐の各部門に亘つて、重漸の問凰ヾ1仰向ミむl−明にニ
や廉い見通Lな︰の小冊†に二Lj∴りあわけlこは行か兄いが、
なら.へて十三人の軌珊でわろ。従つて各人のよ寸Jまつ㍗意jL
先取理論家、針骨撃新、沸教畢者、崇敬聖者り新人中聖府ゎ
料隼ミ試敬﹂は稚かlニ苫五十貫り小鼎千に†ぎす、その岬lニ、
いま宗教批判の問超J丹小心ミLて抑められ㍗る=り﹁批食
何時典てるミL几へない。
乗彿軟の牙城にこ立=もつて飽くまでもー瑚の邪宗門マルキシ
ズムlこ封Lて破加叡正の奴な振l‡んミの忠恕に燃■乙てゐる=
寸Jが牙取されろ。吹lニ緒論の揖臼わ列琳†ろ︰ごlこよつて多
ミ宗教⋮⋮小野潤一郎、祉骨科挙ビ彿秋腺御⋮⋮川合由〓、
少寸−L内容が窺知されようミ旭ふ。
彿軟ミヤルクス生準:⋮:木村*凝、仲秋の梯証法亨しての
大村杜︰敲著
宗教々育概論
北
文
蘭
Lから†んば︰れか﹂わ迫られてなぁ。︰の・言l‡宗敬服憩
妃に於てほ、その趨勢わ鍔秋改革より現代に及びて宗教々膏
の意義、方法の三役lこ介って論ぜられ、第一、軍歌々育の腱
木部lェ大冊宗散々育の冊史的考辣、宗敦の意猟、宗散々膏
で、宗教々育の必婁、可能、方法を線描L㍗概論帝でわろ。
ふ機運も現れて衆㍗。木彗l‡その槻洗に乗じてかゝれtもの
駅近宗教敬弔の必要が叫けれて氷t。又=れわ貰際的に行
東京
敬インテリのごつて糞†べきものわるわ捉ほ克い。︵堺筋︶
繰起軌・⋮・⋮林捕友次郡、マルクス生花ご大束彿軟の碑泣沈L、微妙なろ札酢ご暗示ミな提示Lてわり、必ずや欄める
大束Ⅲ版新刊
︵青野︶
⋮⋮・・二木保斑、人姓ミ宗教・⋮⋮・紀不正美、編者の=ミげ。
軋曾科挙と宗教
奥m⋮宏ふ磁脇
東京
†ルキシズムは全人拭かブルジョア及び.フロレタリアの二
界においてLよ上そうでわろ。我々ーェいよや、宗教り否虚言
の可能を提唱J、邦二、㌫秋の液量lこ於てほ、焼く再欺宗教
大陣倖に峻別ぜんミ†ろ。現代人の†.へてはいよ﹁われか、
てろものほ心lこ溝tす、有主ざるほ乾に淋・しく、背走ぜんご
肯定ビの間lニ去就の決定を迫られてなる。Lかも我々ほ、L
拳猫の宗教論わ批州考寮Jて著者和一lの宗教軌ね規定J、第
大撞徳J城菅
鮮支巡癒行
︵附鯛
郁醇印守押収
思潮社生河童
介
︵上野︶
東方文献刊行倉
ろ菅者が、其.乃上世虹tる飛鳥、碍聖仲放り源流む訪nて.
軌 刊 昭
三好、隋焙の怖跡な踏申トt∵bので、普通敲行の肱行能で克
儀国師の砕か挿し下郡、故山−粟林辞の慧洩の基に砕叔を拓亡
浄印寺に本邦車用の輩鵜む印刷L㍗耶、鉱油雄や仙瓜寺に大
七郎l‡文献聖上の努力車隼して桝り、部の冊㌫桐ド、土師¢
lニ燃,乙てゐろ。文専はi榔細評幣で、絹鬼に自ら押し主拓影や、
龍門l=非散な乎≠を満喫・した詑耶ほ、談術に封†ろ悦憬の偶
中lこは容易lニ椎緋々史料もわる。
友人知己の法つ㌣輩諏、封泳が六十仰げかり挿入Jてわる。
朝鮮海印疎画板老ほ溝加が海印守に十日詐L滞米Jて、圭
子して大祓推以外の本邦朱件の葦拭わ印刷し㍗ものな柩唖
・し、研究J㌣詳細互調和川甘ミ研究の費袈で、郡一発線舐.
四、難収の椰類、五、維新l=軍ぞ圭麦献︶節二葦補破鹿議考
ハポ燭蝕の問腐︶聖二帝珊板雛遵考︵一、難厳の雛邁、雑板
の堆造の動機亡珊叔の形式︶第閏葦押収の沸教文献畢的研究
︵二補聴り文献隼的研究、二、排水の文献畢的研究︶弟先帝
先天の措兢問肝に踊†ろ粧壷︵一、拍蔵開研の成膏ド就て
発火絃維の追加㍗ろ棚状十乱掘︵金剛三味経論、軌生娘、捜
︼八一
鱗江の昔々、描州の歩の諸痛から成り、日本仲秋り舐虚妄圭玄詑−搾支配、宗銘蝕、昔道秋水粟、抑門珊瑚妹、十句軍側
沌紗旨挿草皿邁紗、三明草州池紗、椰華背教介詑州通紗、法
[tへ、長江わ下ろ、絹克懐古、上総几物、杭州行、蘇州の雨、
休守、北京から卿州へ、沌腸の族、鶴門の石園、洛陽から漢二、緋就抑叔りわ街l=抹て、第声蒋結論の六描より成り、嵩
行む令ぜtしりで、支那紀行は溝洲相榔、荊弄り率、大同有
り囲へ︵弟二阿川上︶の郁l後二回り朝l世紀毎JJ第一何の支那紀
郁支巡祀行li匹二蹄、甘藷鹿︵第一阿朝鮮族石地︶、再び偽
仝く邸究的り耕作でぁろ。
究論文ご、肺忠恕二蔽の牡批抑止姓の本文が収載されてわる︵
。﹁祁顆の推邁、二、椰水脈造り動機ミ棚板の形式、三、
祀祈ハ三官給先月Uヾ\朝鮮薄印守押収考︵甘二十三封︶の純研
本誹り補名代荘なる旅行記のやうでわるが、基質は鮮吏巡 ︵一、研究の隈榊、二、浦朋の柵耕、三、補板1ニ論及L㍗文献、
正邪
フィールドを知ろ好指摘番でわらう。
ける宗教々育l=軍ろ迄、食十二草から耽る。嘉・し宗教々育の
細lこ論述されてゐろ。宗教々育の調羞及び現在より社命にこ於
三、宗軟々育の連載方法に於て托、秋西拳の立塩から最も詳く、晰砕わ挿し、古版か印岬しゎ詑邪に沸されて居る。就中
6ク
折
紹
介
魚木忠一打
Iノ
一..ヽ、・
沈世燭逸ソロナスハ・ント敬相伴い勃興とシュ
井㍑遣諸相、祀念朝陀道場礁ほ一票豊浜婁恍ほ、大南.㌍︶
叫叛車﹁射沌∵+跡、諸路文、大畳文脈、H小甘、南磁パ批、滝
ライエ〝∵フヘル
岡志拙大損正中叛裾丹凡骨舘行
一で究明ト・やう・、†し沌り上井に封・し一\糾明在英抑ヽ∵ル・L一\∴り
正長わ通・しイ、シュライrルてツヘルの両村一帖律の雄蛸ヾ∴︰小人
先づ近世相律り勃興山帯黒字してりカント折‖隼ミローマン
l二整叩、こ清作■γし?うご†ろりが水元ム‖的りやうでわろし
小爪ハヘ′ハ・。他而l二打てにわよりに柁邦β岐でわ−〃。そり十㌧わ
浜冊−〓挿現﹂几よでり刷やに或ろ沃︰心昧でに行さつまつ㍗焙亡
ハ〓都
坪牲/11花道堤肋裾文略耕、角∩准≠雁沌l・:l肌石鵡、往牛津
仁一圭、与剛紆、竹原行机∴、佗心訣、高相.裾要.四分膵詳某
は、〓菅埠㌣に“∴︰㌧一、詳草しイ、わ一り。鵠小⋮け者の創几J−択
一㌧∵ゥLのに、上、畳文覧l二二純の版わろ⋮︰ド、耶膳控玄託が小
爪屈伸ミ異りり几余号・†半.高︰沌の畢僧均如り車道l二田†・〃昔
苦り本邦北惰在ろ宰、四分往詳篤Jご惧令論㍑乱抄の∴巨︰.か
遮り澗過て、鴨川王朝に鷺〓に廉く雄、往生浄土虹か悪怒り
り鯨地わろ車、大症紆輔板ヾし机†ろLのに、何等の棋順化′、
菅互り亡いト∵上代い.\の意几、先天の鍋撒ほ完結亨しや疑刷
われらに︰り研究か疋らlニ畔代的l:陣つでi−上代榊牢り脈絡
lヽ
︵ポ津︶
同詰人相旬㌧け川
川・し圧がらⅧト的にニ㍍彗的でわ一〇、−︰、.一■∵Ⅵ向リJ彼の協叩サ
川
ヘーゲルり⋮箭⋮il−非む‖本に於てほ口l追悼上等り糊誹・ど引
誠
ヘーゲルの■描謂汰と輌丹
瓜∵永由心一骨
ろ・しゎい。
教養わろ人ミl︰ヾJつて1▲購lこ悦︰け・し︶︰イJてわ・?こミわ・し
少いわがl胡に於/しかゝろ〓版・で柑ろ=ミは姉門弟l二ミつてL
な明かに†ろ︰ヾし一で潔しヾ1北ハl二、畢的に月l撒ほれろ榊仰木︰り
略習軋恒ご浦人√し右卜車⋮守て、産米人京粧凝の名骨川い割に、▲∵日
揮〃られ布かつ主夫れ′作目外・り押収ゆ附先に依つて、多くのm
情わろ珠玉が鞘喋耶逓に叱にL′、遠漉されイ、ゐろ輔車痛飲Lて
居・〃。
往牛津⊥蟻l上声り溝板申かlト刷り光り㍗一美りわ、犠叩に校
章し、旬舐誹鮎を施Lて袖刻・し小トLりで、本邦初博行る祁勿
つ㍗ので、斯≠の川場lこ依つて、押上秋史上稚多の光明が投
論でわろ。支瞞浄土∴流の申、‡悪の普注殆ん.、・1博代ら化か
.セらろゝでわらう。
○
左折.1伊仙細枠、こ帰城L㍍草砦隼・で純の・循薫り澗釦ミLて折々
詳細l二解説†一㌔率しヘーゲル縦鋸lハり机Lい午‖=のカ向の
︵右津︶
の簸川むル廿つ㍗めl二か︰っ着眼が円山ト.防れ㍗ろ鉦でわるm−こ
律肌ハほ決・し一\榊却さ巨−\に在らわ問粗でわり、殊1二へーケル
いイ\先.つ首肯の苓飢ハ小満へ化け1Lけ在ら乃。
芥‖茂罪署
北
真
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本
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訪
ヱ
西大久保
松岡押抑溝
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征矢野光雄菅
牛
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帆ハ
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紳
弄
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日
新
先
新 姓
日
祉
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水
鋸札付苑川駆部
い八三
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望
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華 付
崎
大岡山∵昔∴購
椒
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芝
火東川版批
入火㍑収放
山
︵アサ︰Jエルメノハ︶ハ田村賞謝︶
・八〇
丁五〇
丁二〇
名音昆一
畔上肝燕群
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︵ヘル.†ン・ヘッセ猫︶ 萬‖香勤評
二・八〇
解﹂
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獄﹂︵スエーデンがル〆穏︶︵河原溝賓渾︶
二二九〇
︵ブリード∴リ”′ト・ハイラー骨︶︰金井貧一郎詳︶
地
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松村武雄署
・八〇
奥m滅相ポ細
・八〇
奥州架空舶
五・∴○
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﹁紀㍑論究紳代絹・別匪J﹂
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﹁聖アンセルム仰戊凧卯沿﹂竹村清華
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﹁聖サンダー・シング﹂
﹁現代思想ごルポ埴﹂
﹁紬骨斜理ミ宗放﹂
結いてへーケ・ルポ先人捕り耐が極めて柵州叩に顆ぜらい一〇。
﹁民 偉
仰L:巨lヱ〓/、帥世光スキツチLでわろ
市外下い塚
文
ル
文
華
災喜謀
西
博
椰
−新刊宗教舗係貴酬醐脚鍔仙州㌫T
∵八〇
‖
中
閑
桝
﹁描い誹寸し法悦り牛沼﹂
前里瑞戚才
山
ル外川端
﹁情念に基く柁珊⊥敬石地設﹂堀藤肛次郎甘
﹁朝鮮り文化ミ迷代﹂
∵七〇
紳
﹁フ‖イド蛸紳介折大系﹂︰トーテム、こタブー︶
一・JLC
小石川
桝谷楽撞着
日本橋
宮澤炎心償
一五〇
﹁大理秋そい・押収恥師﹂
介
三∴九O
﹁糊代人舟歌ふハ、小利﹂
≠ 川 紹
7J
新 刊 紹
介
﹁戯曲、口運上人﹂
山本勇人
赤
堀
破
法
来
無‖
文
理
院
銅
闇
中火出願れ
力
赤沼御許菅
ヽ.r
ヤ¶
γ〃昆
︵原始射精︶
∵八〇
﹁印腫沸教岡有名綱引典﹂
.、
山川 抑
=本橋
文
一れT
往
﹂黒 興祁 秋 雄=㍍
木損辞完隼㍍抒行
lケ﹁
[仙
新藤畔信骨
四・五〇
﹁沸教に於ろ二大唯心論﹂
租﹂
﹁=本心想田l謳史料﹂ハ囲ぃ粥昆勅願緑
﹁宗 勅† 院 論
車00
忽酔谷快大都
一・〇〇
龍谷大川十論叢
菊 版 三〓0封一・00
﹁明清俳敬研 究﹂
猫 煉五八〇山
−朝 鮮 沸 教 虹﹂
本
︵弘法大帥斜︶
りし
・レ人
E
机‖一
・︰ L
﹁人正新修大蔵鮮﹂ハ七〇︶︵結論摘帥、招請打ポ部︶
﹁詰宵名菅 全 集﹂
丹エ
中川日免許
醐
研
柁桝ハゥバニシャリ・ト九︶
酌輌ハジャイナ歌聖典︶
上﹂
﹁仲井聖典 仝粍﹂
﹁同
﹁三 相 人 粗﹂
二立○
﹁囲諸種隼大
成﹂
﹁=本宗教大講座﹂
仝
ハ“全
︵彿光鋒︶
糾
下
︵沸教篇︶
︵㌫興部︶
二
一八田
川
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束
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谷
町
力
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松
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+
力
沓
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︵三枝、上野︶
平
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浄土宗典判事
詞一
改
︵新約金井解払﹂
ルヱ
促﹂
︵アイヌ聖典︶
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LL
⊥﹂
芝
下
谷
﹁刷蛇帯ね・党徳沌作﹂
報
ト=蓮聖人箭︶
︵五︶
刊.−
﹁昭利新お城諸人混抑﹂
止
﹁世非∵聖典
﹁H
﹁抑
妹﹂
﹁口本‖小憩閲l抑史料﹂
﹁高僧名菅仝
嚢
相 印哲宗教梵文革骨の・字井教授歓迎曾
堂
院
証
院
証
72
九月十九=什絶五時より帝大仰敢常隼付和に於けろ印留㌫
軟化文や命圭郁り、芋非軟柁軌迎糾い仔.㌧∵珊崎、篤仙川、加藤、
長井、失吠、ハト野、高島、宮木等り㍑皇几隼、その他先準隼tl二
敬摘む歓迎守ろ北ハl二、王ュ一木村取持中−il−用され、常盤敬授lェ
祁常等七十右に近い盛況でわつ㍗。姉崎敢捏は情味憎lニ‡井
外てわつ㍗。
姉崎教授の出版祀賀を兼ねて
嘲凪曾第一同紙骨
︵相葉︶
よろ五月宗秋隼火付小磯娘与して隼れr嘲胤命品諒押〓岬▲
“十井敬授の右往lユ、や非並に印彗りrわ心から親臨され㍗り
苓掩一編氏の緑川欺迎むL含めて十月九日乍綾川時より帝王
分圧紬略取掩今隼捜の諸人升の出版む親ひ、且洩野孝之、悪
津珊瑚介硝l二〓描されt肥和博レし氏の秋迎及び砕清浦雅氏り
て今岡氏より経過搬骨.ポ橋助敬招か純益亨して準集の許吐
より隼瀧に及び、印度に土り、日本に下だり、唯誰隼な丹心
二戚り唯誠についてその綿密在ろ隼凪わ敬川・して、そり印㍑
激務り悶にわつてもりされt諸州=り牲密TJ山水小越べ駐に肺
杯に放柁りⅢ朕を戚ふゃ秋授l‡﹁研究生活ビ瑚坊批清﹂の下に
〓本代表号してのf一服り什箕む枇鱒し、山川石橋助軟投り乾
り洩⊥米用放出〓外の現状わ説き肥谷氏lェ汎太平洋沸教滑車甘
協哉邦明の決㍑わり、六時より食卓わ囲み滝野氏ほ仲井没取
ヾし・して三浦に.‖︰りて縦柏に論述されて、乍守ざして甚だ明粧
ミ拘引ごにほ<・狂句がら∵里鱒喋乍し拘られ㌔同怒耕音の
諸甜就つ一\範登載ほ誹舶のスピーチわ試みそこに嘩し招され
氷りアムビションの一棉わ抽推されろ互.ヾJそり紬人叱ろ捕カ
上伸か基ふ心ミH門意識亡り温い罪聞嵐な満喫十時†ぐる唖
の知日に雄大在ろ.へさか中暗ホされト。敬掩り講苑振りが如
何に徹底・し㍗ト・りかほ、舛曾新一目許Lく成小嗅Ltミ=スて
ハ村上︶
わらう。加持先旺ほそり賃料tろべき別井り所在等につヽ−、
火曜研究曾根曾
︵什ハにほ決純邦噴か別lニ榊送り†ろ︶
仙崎教授ほ揮肌大草首肯に珍蔵†ろ肌用栗田11弔施術の穂川
に多くの川⊥l那覇料が従らl二奈良洩りに探成されて哩注されて
に依つて、もつざ‖山に捉薩ざえ.へさか、欠吹博ヰ比、如何
ゐろかの一鵬在沌.へ一†大いに汗1ミ志か境川されt=、﹁Jでわつ
報
㌔かくく十畔咋散骨。Ml︰近来珊圧ろ宥霜凡つ愉快圧ろ丹
説
一八五
嘩曾裡に靴曾、委貞取代川殉りて協溌わり。
光らn俳釈枠非に於りろ航評の北龍か明さん与し、彼の仲肛
妬む攻めてハ十外敵招li仙骨外に於けろ糾の講演与して、﹁抗諦
洋行されろについてり送別り意む合わトト’旨挨拶がわつt。
に∵井敬柁の歓迎ミ丑ハーニ、最近榊蹄軸り注Ⅳやナし氏、汎大牛
一丁硝に於いてわにれt。川席華二十五名張づ絶曾協縄付に於
l王水何片一〓り.ムにんヾJ†一わ川でわつト。侶幹雄より喉生命
73
時
報
村上使雄氏
■
十月二十一日︵火疇白︶∩牛後六時
場併 紳.由、三省堂付鳩室
研究骨ホ.戦乱教理及び信仰
敦衷者はごくに仲秋キサスト軟の糊袖に於ける教組砂礫及
び信仰の相節々係及び或■乃至棚貼り耶憎tよ史わ心理的群
生催1
︵石渾︶
朽から究明Jて1ミL拍∬甘凪がそれ上︻−甘門の立場から間
組み揖示Lて意見な変托L㍗。
出席付員八名。九時誉
文学部
十月≠一日︵金曜日︶午後三昧1由暗中
1東大
〆ラーゼナッブ博士講演骨
時
・秘所 東大、経文理こ鵬雨二十九市敦室
請求総日 ドイツ暫畢及び文筆に及ばぜる俳枕の影響
ケーニヒスペルダ大学教授〆ラーゼナツナ氏ほ騎躯教授の
照介て一時間中lニわ㍗つて初期キ=ノスト教に於ける彿軟の彫
について正確冊接の彿歓の影響む説き瑚代彼朗lニ於ける俳政
℡から訊き瓜亡殊l二近世描法の哲拳前文畢筍の代炎的化人々
研究り情勢に及ん仁。
柿崎垂水鹿怨永井宮本副措秋招朋教授の外地藩邸む甘五
十、腸曾てわつト㌧
〇正
誤
一八六
井二日﹁ヘーゲル習卑に二於りろ丹ポ軟の位粧、松原先氏﹂よ
△別紙﹁饗稚鵬﹂所載﹁親念宗教畢大命﹂氾瑚中
でlェ、第二‖木村春幣氏の次l二位置†るものでわろ。
り﹁阿憫㍍浄土の批劇ごその批伊仙意義、津〓駄武氏﹂よ
∧﹁純忠秋葉骨﹂認湖中﹁高鳥米噂氏﹂l‡﹁霜鳥乎三郎氏﹂.
後
記
−
の洪弛、その次に﹁㍊月苗字氏、小松確漣氏、松村武嘩氏﹂
脱藩。
−
批列披かⅣ蓬・し、〓下推捗中、十一月中旬を如・して他に法
△多事てわつt本年踵や外〃仲尾な飾って本荘仲繊埠代宗教
る。宗教間揖の机Lい今日報猫り味謹む乞ひtい。
浦へ㍗い所存てゐる。
<八笹一蓼の増価L日下弊カLてゐろ。新年から狂lニ隔彰な
いて饗報鵬り㍗めド頂拍な起つ一\い㍗ゞき王ト。
∧宗教研究肺係の中骨仰先王研究所井他公的九人継行事l=つ
△発情三相望相計微から什計♯埠の㍗めlこ本読々代の絹張読
む痛覚に供︺仁者。什llの方で曾襲来納に克つてゐるカほ
ふ山でわろからそ−り≠へ卿椒ひ拍こ㍗い。
榊沸込み隔ひトい。何分肌l二闘†ろ琳餅ほ今拉H文冊で丑
74
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昭和五年十︼月一日印刷
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印刷者
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右代芳菅
痴輯者
昭和五年十一月五
密行併
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