英雄崇拝の宗教 その既成型と常楽聖

\/ペ、?−L
英雄崇拝の宗教
その既成型と常楽聖
治
先に特棉耽で﹁現代的と㌫数的Lといふ小論文で、椰想H仰といふ鮎に就きを都いて宗教的の一
時栗■で教へた。そこには理想化仰の性蛮については説かす、概括に留めたが、此の問題の内容を
明にするのは、或る意味では㌫致の井命公膿む説明することにもなるから、何 れにしても一畢で
果し得ない。そこで今こ∼には、その説糊の一端として英雄豊邦を租然して見る。
大衆的とか中民約とかいふ恥骨気風が勢力む加へるに従ひ、世は中等になつて英雄は少く㍍る
といふのも一軌察であるが、基は恥璽の字面に過音ない。桝珊⋮る大衆的気風と機運とが螢通し
て、人が並く超人にでもなれば、敦高の意味での中等が野現する詣でめらうが、然しその時には又
又その超人の水中を披く祖々人が侶て英雄になる郡は決してないと、何人が保和し符やう。一婿
功成って萌冊触るといふ柁な職場の英雄は、〓る横倉が覧くなつても、満人の希塁㍊想を轡窮し
大成して、一婿功成ると共l二、その人のカに依って仰靭人が漸な住命を符一心といふ獅の基経があつ
て㌦らぬといふ鞘があ・hうか。英雄の紺血豆、今までの人類脛史にも随分椰難が多く又唾遷して
其胡川パ仰の宗敬
一
J.う
英雄崇拝の宗教
水た。封雄軋骨で見た如き類の英雄が現れる機骨がへ仏くなつたからとて、今後め人効に英雄は出
ハ甘い、又出てならぬといふのは、人間円らを知らね知見ではなからうか。
之が
を盟卸するや否や、即
但し、英雄が何かの意味で何かの似きを人佳に寸るとしても、人間
ち英雄盤邦が今後に続くや否やといふことは、やはり問題にな∴。但し此の問題も、英雄の種類
と刷様に、祭邦といふきーiの内容l二も㈲係す一じ問超であつて、今までにも出“井に柿々の別があつた
如く、今後も必しもー柁たること一里要せす、而して如何なる椰如の整邦が今後の人文に滋も和カ
にならうかといふ和も亦大朝の関越として考慮丁べき輿でぁる。而して濁り英雄蟄邦に限らや、
盤邦といふ串の意義内容に慶漣があり、その正眼凱が㌫政文化の特質に腺じて鵜色一望撃坪寸る所
に宗教山珪命が現れる詣でみるから、英雄費祥に於ても、如何なる英雄が如何なろ戚汲を意逸し、
如何なる意味の崇拝を受けるかといふ凱に於て、↓での宗政文化史上の意義が伺はれら次第である。
さて英雄崇拝の起源について、天神や地産との聯紡などいふ隼は一切邪略する。︵但し、此等の
鮎も今後の宗故に無関係といふ謬には行かぬが︶。而して一般に㌫致が超自然上端盲一で躍く抜に
進むで華たに対して、現郵の人間同志の仲間の中に英雄を蓉東し、殆ど紳小駁の位翫に之ノア奇祭す
一じといふ恥賓を以て、英雄出“邦を観察す乙端納Jで闘いて見やう。即ち豊押といヰ瑚の中に人間的
要素が韮きをなすに至ったのが英椎柴邦の一つの‖じるしであ㌫が、その人間的要素の中でも亦
イ6
階級や職務の功徳に基いての人間骨張でな︿、恥別な人格に萩盲・竺躍き、その人栴の何れ
葉に超人的要素の螢現を認め、その人Jで榊小⋮芋川格ド年嵩し告知寸る、此が英雄盟知で一項り、帥
ち一般に云はゞ宗教信仰に於ける人格瑠韮の発露である。
英雄珪押の㌶秋
彿敢やキリスト教にも、人格骨箱の先駆のめつた粥は、今邪略して、二敢共に、その信仰
する信仰とが特殊の様式内容を取って人雄の大勢力王∵つたもSであろ。
兼といふ購い正味での英雄盟邦の宗数が極めて特別な人格に鉱申し、J−の人格の扶命とそれに対
に射す一〇戚激、令敬、渇仰、折伏、信頼、乃至腫邦、盟邦を葎命としたものである。即ち
ては、超絶御室に射して︵或は封抗、或は対立、或は対照︶、人桁本位の信仰、一定の典醗的人格
とする宗教でぁつた。この二大宗教共に、その後の謄建はどうあつたにしても、その興起に
って、通常の意味での英雄豊邦でなくとも、今までの紳嘉と趣扇鹿王すを現賢人物の人格を
ロマ人から見れば、伸雄の紳小鼓を否定して、奇妙な十字架上の人物を盟邦すろ無翻
でも、
にした新宗教であトト。〆ノ竜ン等から見れば、俳従は無紳従︵又虚無論者︶でぁつたりキリスト教
に封抗して起った場合もあ云∴彿敢の興起の如きは:ハラモンの紳小⋮姦に対して彿陀の人格を策動
邦は宗教ではないことになる。又或る郁独の英雄磐井は、革質その鹿畔如はれた紳㌫偏禿の
それ故、若し御釜を幾邦するのが㍍放たと定義し、而して人と榊とを峻別する㍍らば、英
イ㌻
英雄雄押の宗教
Jβ
名ける偶のないものが多い。それにしても、所謂一〇大衆趣味の世の中にも、帖々いくらかの英雄
軽洒な超で、特に近年の大衆向の英雄と凍ては、あはれはかないもので、殆ど基経とも盤如とも
土に委せられ陀者が多い。それはその﹁紳撲﹂がやくざであろと北ハに、それを刷ほとかつぐ比衆
使な英雄鷺邦が時々塵々に現れ、何々の如ほなどいふ鶉が明くの川だけ人気者になつて、後は泥
意味での英雄、極めて二世的の喘釆尊敬に終ることも少くない。畔に日本には古来、かういふ咋
英雄相加邦は必しも右に云ふ如き沌大な㌫数的忠率で以てのみ現れるものでなく、締めて陣後な
り、而して此の縁者が∬ハ醗的に現れろのが英雄川パ邦の㌫放であ一〇。
界に結び若けて、切賓に我々人糊自らの中に紳定む認戻しやうとする努力の抑えないしるしであ
運動は、宗教信仰が、一方天土超絶の霊界ぉ目指して飛掬しやうとすると北ハに、他力此分地上人
った。此等については、後に桐ほ少し粗暴しやうが、兎に列、此の二大㍍放の小に起った此等の
何れも紳嘉の天上に飛び去るのを多少とも地上人川に引留めようとする人格−い心の︰小数運動であ
け争闘山肌師の川“邦、又キリスト教での繋舟や雅ポ、若くは改革ポやリノイメリストの令黒など
ける努力が、時代毎に柿々の形で珪じた。印姥彿故に於けろ数多いがサツの費井、〓本体故に於
げられると共に、その信仰には又々人間的要素の必要を戚じ、現宮基醗的の人格に信仰イピ結び附
長植熟と北ハに、その小心人格が捜々現書からかけ経れて、人川中超絶した榊嘉の車ムの上に祭り
四
がかつがれる串のあるのは、人間の精神に何か成心すべきものがみれば、それに戚動し、少しで
も秀でた新、勝れたと思はれる者があれば、小理論や小我執七棄て∼、二岬でもそれを律盗して
かつぐといムー椰の戚倣性のめるしるしであるP如何にデモクラチクでも、又如何にブリレクリ
二者の聯紡一箪考へて鬼ら満であム。即もネくの場介に、カ而り如何に附せす、一般人が英雄を螢
には二つい大別をなし得る。然し甚に此の二つJで帖別して見る山に、その差別を指摘す一〇よhソ・。、
勿論、雨着如跨った新や、境界線の明でない新が多いに泣ないが、英雄と仰がれ乙ヰなる苅服飾
そこで先つ英雄の種類について軌一心に、締着大別して、串功の英雄と性徳の基経とに別け得る
るしの一つであらう。
野になりつ∼あるものがめり、而して現代の大衆向基経黒如︵大小色々あるが︶の如きも、そのし
く、現代気風は絶ての別に於て反宗教的であるかの如く見えても、その.中に㌫数的要求が却て初
そり申に亡びないといふことを和明するものであろ。先に﹁現代的と宗教的Lの中に指摘した如
ヤ気風でも、その小に北ぶべき者を敬見して之をかつがうとする英雄貼ポ邦、㌫数倍仰の一師けが
イク
︵悲劇の英雄といふもの
見するのは、その串功を讃嘆するに始まる一で常と守る。兵隼、政泊、鱈某などり基経といふのは
その事功S見るべきものがあるといふ串を緋れてu殆r意味イでなさハ甘い
も、その悲劇の前に串功がある︶。然し、それに対して、燕彿、徳H、爪仰ハ廿どのカ面では、ラーi功
英椰拙祁邦の宗教
五
英雄浅井の宗教
は必しも英雄たる必至要件でハ甘いかの如く思はれる場合もめらが、それは通常世俗的意味での成
功でないといふにけの串で、暇令ひその時には失敗であつても、その人の串功が段々に光イで放っ
て、後世を戚化すちといふ様な意味での串功はやはり性祇の英雄にも必然の要素である。
此等の瓢について一々の好例なぃじは略して、兎に角、公然何等かS串功なLの英雄といふもい
はない。然るに、如何に粥功の燦爛たる成功に飾られた英雄でも、その人の性徳に何か串功に伍
する勝れた鮎があると静めら、れなければ、英雄にはなれへ甘い。暇令ひ、如何なろ他の映鮎がある
にしても、その串功に舶成した何か性徳の美瓢、長所、又ほカ晶、気宇の見ろべきものがある、
又はあると信せられて、始めて英雄となィ0。糾うでの鹿徳の長所といふのが必しも所謂る斐人で
なくとも、又場合によつては通常の遺徳とかけ経れた超人的気宇であるにしても、串功と北ハに性
徳に何物か英傑的herOieなものを必要とする。如何なる器が︼−害ieと卑られろかといふ内容は、
場合によつて千喜茂別を呈すろが、人間の性紙として而かも常人の企て及ばない踏な何物かを要
一一 やlとする。
そこで英雄は一人自で英雄であるのでなく︵各日のn信抱負とい÷−とほ円く別し﹂して︶、何か
伽
の意味で之を仰ぐ人がふ∵ク、此の如く仰がれる人としての英雄が珪れム。此はわか♭切った準を
述べるに似てゐるが、英雄が人問に珪れて氷るとい∴雄−準塞よhソ←b、基経があれば之■ざ糾仰し豊邦
する人川があb、此の糾仰の心、黒井の熱が人珪の一大事華たることを指摘したい承に云ふので
は無塩で業はしいが、之を反射して光彩を放つ牢気山川草木萌物も非業はしいに違ひない。英雄
連ひないが、そのえらいのを認め、之を黒井してそこにカを得る人数全焼五亦えらい。太陽の光
に絆し、英雄を英雄として祭押す一り多故の一民衆があるに依る。約して云はゞ、英雄はえらい人に
但し英雄が此の如き役自を痕じ得るのは、一面英雄自らの成化カに費源す㌫が、他面その戚化
連ね一ん︸fI三命の楯であ∵り、血の脈絡である。
のはなく、宗教信仰の城化に於ては、英雄、即ち預一∵りポ、頚者、改革者ほ、異に紳盛と人間とを
の英雄盟邦論位で撥き一山ものでない。文化り大運勒で、英雄のインスビレーションに負はないも
の大運劫に、先達なしに人類が効くものでない。人珪に於ける英雄の意義、城化力はカーライル
雄に引卒せられて効く。モッブのデモにでもやはり粥導の英雄がゐる、況や代々に互るべき文化
何な云大衆文化の他にへuつても、大衆の中にやはり英雄が出て凍る、大衆はやは︰何かの形で英
英傑が現れるといふきIiは、人間にとつてS光でふ∵りカであり、又希望と戚劫とい源泉でぁる。如
ある。石の小に玉がある如く、米債の人々が同じ様な酢踵夢死を維返す問に、帖々に人小稀々の
βJ
を太陽とすれば、之を捗⋮押する人間は太陽の光彩を反射して莱粗を虫する荷物でぁる。ラヂオの
電波は大容を脹ふて蔽ってゐるが、それを捕へて膏波に現はす受訴器の如何によつて結果が速
英雌頚邦の宗敦
七
英雄崇拝の㌫軟
心に昧ふことが深くなるに徒ひ、その人に射する揖甚パは段々に柿脚的交池の奥に進む。精細的交
栗を珊びるといふ串は経である。即ち英雄の郎功な諏歎し、その性徳の勝れたに戚如して、之を
少とも身心哲打込むでの英雄川“邦について軋察寸れば、眞畢熱誠のこもるだけそれだけ㌫数的性
.度があ♭、軽少一峠の成月−i椎他にも幾分英雄出吊邦の端を認め得るが、それ等は問題外として、多
別すれば、心に昧ふのと身に術ふのと二つの櫨度にな一㌔此の∴つとも、その沌深には郁々の程
栴にし過ぎて、却て人情に速かったものである。その小関、盟邦の程腔内容は色々になるが、大
し、唯一の叔上輌に射すろ紙柿の如月1i碓井の外にあるべからすとするのほ、盟邦といふことを駿
その反対の梅たるセム的畔︼紳数で、出“邦といへば、出川敬、靭仰、信勅、それ等と全然獅を異
ないなどいふ様な、円木r‖巨▼川代道徳論新の形式的附膵でも、やにり裡小郡とい′二端には梱れてゐる。
出弄には勿論色々の和銅がJのる。利光叫小邦といひながー㌧それは小⋮瓜に封寸ろ㍍仰む要件とはし
見る要がある。
動力も無忠為に終る。此に於て英雄出バ邦について考へ乙常には、貴邦とい・意義輿警品還して
威化の敵動力が㍍けれは入関ほ戚動し㌧い、然し成功の嘉男が∩山に教執しハ仏ければ、析列の折
ぁる。然しその鴛を猫に小判にするか、拝命の雄として浦川すろかほ、人間公醗の問揖である。
ふ。同じ英雄でも、その出小郡新の抑動によつて、野際の戚化に差述を′−ミヤろ。非雉は人間の許で
八
き2
池といふのは、つまり桐人的差別︵肺葉に於ても又品位に於ても︶はあつても、それを越えて任命
の一聯紡む戚持し、この聯紡を冊験する矩に依って、弱小な個人珪命を深沌購大ぢ丑命に結びつけ
る。而して蛍卸の的たる英雄は、此の場合には、此の如き大丑命の一表現として、具慨的感化の
源泉となる。此の窓味での楠紳交通即ち珪命の聯紡は即ち㌫数的嶽井の変動であつて、その梯的
が超絶の紳麗たると具膿的の入関英雄たるとに依って、根本性質を共にするものでない。
心に昧ふ、戚化を受ける、渦仰の誠を注ぐ、珪命の聯紡を概廃する、此は柴邦の静的方而、彿
敦でいふ軌心の方而り属する。然し此の静的柴邦は、その概喩の深さ強さを加へると共に、生命
の動力と打Tり、動的方面に迂るを常とする。動的といふのは珪命の行動に現れること、頚邦の熱
誠をどれだけかでも身に術ふことで、小枝倣に始まり、佳死を油じての努力翳わに及ぶ。心に味
ふ押軌と相井んで、此は戚窓力扁の一雄術でぁるが、弊行でも必しも一々の細部を模倣するのでな
く、将帥の聯紡を生命のき1i華に現はすにふツり、盟邦の心を身に椚祝するにある。似し、多くの英
雄州⋮邦に於て、その英雄の心む身に毎ふといふ串が、外形末節の模倣に走り、却て精神の元を没
却する膵な場介も少くない。時に串功一でまとした英雄鷺邦、政柄や武功の英雄セ㍑邦する場合に
は、この弊が多く、英雄盟邦が英雄のカリケチエ︰アを作るに止享ヤーともJのる。又性偲の英雄に
封しても、その精油一宮汲むことのほい均分には、同様の紡異に終ることも少くない。而して今ま
英雑用紆の宗秋
九
5∂
英雄崇押の崇敬
一
でり用語惜例でも、英雄磐井といへば、寧ろ此の如き外面的英雄柴邦を指し、之に反Lて精神の
奥に入乙岩井にウ∼を英雄祭邦と呼ばないで、或は空新の盤敬とか救まの鷺郵といふ様に別の名一で
つけることもある。然し本務の暫貿から云にゞ、豊新も人界の経であり、件数で悠鱒陀を世雄性
令と呼むでゐる油ト、人身を塞けた姉別の生前、常人に勝れて紳憲を醐現す一句人格としては、英
雄であり、而して之ヤ岩井する所以の根株に於ては別種のも山ではないのである。〓ハ此の如きカ
リケチエγ的英雄費邦が世に多いのは、党葬する側の一般人頗が、英雄の縮闘を再現寸るにだに
力が及ばないで、局部外形の模倣、カリケチユアに走るに外㍍らね。目し、暇命ひ、カリケチJ
アでも、欣求の心はぁ∵り、崇敬の誠は存在守るので、つまり泉の崇邦の初歩入門と見るべく、そ
の初歩に於て踏みはづす者の少′∴㌧いのは、狗り英雄黒井たけでなく、人ホ薔端に多く現れる人
間の窮鮎に外ならね。
暇命ひ出凍損や、滑稽、誇張、軽薄の混交が時に依って珪す乙にしても、英雄費井は、その本
性に於ては、天上の露光を地上に澄見す一り人心の自然の要求から出る。﹁天の如く高いが、地面
からも層き得る﹂といつたのは、英雄に閥してカーライルの明言であるっチャプリンやググに封す
一三稲の英雄紫輝から、桃太郎、曾我兄弟、清正公と段々に天階一で上っては聖者乃至救まに封す
る令信楽拝も、弘い意味での英雄盈卸の天宮を飾る。先に述べた如く、法よりも彿陀の人格を中
占ヰ
■
心とする宗教としての偶数、天上の父よらも泥接に十字架上の﹁人の子Lに信仰を基申するキリ
英雄豊押の完動
いふ標準を定め待ないことも同様でや0。此等は常芋抽入珪の原造的勢力文串賓である。
我々
と刷じである。叉如川なる椰如叉程度の英雄が出れば、その川パ邦が必す祥久的戚化力む及ば寸と
度英雄そのもの∼糾現と同じで、いつ如何山号る犠遇には英雄が必や起るといlふ原則を立て得ない
といふ問題になると、一紳の論断を容れないものがめり、法則又ほ煙準を立て符ない。それは丁
但し、此の視野のカが如何にして井久的に戚化を及ばし、又波及費漣を蒔けて成長するや否や
て現耳のカである。
の存在する限り並盲る事はハ甘い。英雄磐井は埋の信仰でなくてき拝の宗教であト一、超絶の敢で
して、その人林を盟邦する郎によつて、各自臼らの北さと強さとをn発するといふ一郎は、人間
人生に無意義になつたにしても、此の如く人間が入明自らの中に発く浮く、強く輝くものを澄見
情が樽慶しても、如何に草民約の世になって、張族気風が磨徹しても、又如何に今までの宗教が
此が英雄紫邦の宗教である。科挙の澄遽で如何に世界観が鼻化しても、経紡鼻勒で如何に軋骨叫
救まに倍新し、それに対する信仰に依って我等自らの中にも同棲の麗性を澄挿せうと守ろ欣求、
人間である、而かも我等凡人の企て及ばぬ定性一ざ僚揮した人格﹂として英傑、世碓、壮令、蟄者
スト教、此等は英雄渋井の最高階段で又甚深の根樵から出た宗教である。つまり﹁我等と同じく
占占
英雄揉押の宗教
の、研究や考慮は串彼の認識をな寸カはあつても、矩前の濠晰を容れない。
勿論、知識、特に科邸的知識は或程度の預測一ですろといふ事をその職能の一としてゐる
るから、入関に閻寸る知識の進歩に依って、此等信仰の串賓についてもどれだけか辣測し得
違ひない、#今口でも宗教畢の範囲で幾分は侶凍てゐる。然し如何なる科草でち紙括的法血の上
に立つ概縮約敦測むなすもので、その紙革的法則の要件が機械的に軒一な場令には、珠洲が機械■∵.ド
的に適用出水ろのみである。即ち物理的謙科単に於てほ此の具醗的池川が比較的朋称に出水
が、生物準に至ってはそう行かない。珪物畢では生命の慶蓮澄娃については、法則的に総括
辣晰が出来るが、一々の場合を具櫓的に隷師は出来ない。例へば追伸の法lIリが明になるに徒ひ、
貌と子との㈲係について、総括独断の範囲は弘くなるが、如何に追伸邸が完全になつても、
の次に次郎が珪まれるか、お花になるかお蝶になるか、又は太郎の日は父に似て次郎の目は
母に似るといふ様な具慨的辣晰は出水ない。ヌ生物の進化合冊についても、進化の跡を郎後
にし得ても、此次の時代にほ脊椎動物に此々の漸榔、民政に此々の漸榔が山水るといふきーi前の定
則はどうしても成立たない。心椰的軌骨的諦科挙についても亦同様であるが、今一々詳論し
一派の敢骨科挙説が﹁過程Lといふ軌念に基いて全知仝傭の科挙の如く自ら考へてゐィり如きほ、或
種郵紋の螢珪期に於ける幼稚な自己過信に外ならね。況やその恥骨率説は、入関の井折を鮮
傍、敢骨環境の産物に外ならすとする機械的︵此を彼等自らは﹁科学的しと捕する︶観念に基いて、
箕郷黒井の宗秋
に似て、恍に現はれた英雄字Jそ川⋮邦すれ、まだ出ない英雄をどうして盟邦糊凍るかと問ひ得る。
邦と共に、脾成の英雄に対する盟邦又は快傑といふものが存しないか。此の隊題は一見して奇問
れた英雄に向つて敬端するのみであるや再やといふ問題。云ひ換ふれば、既成の英雄に対する盟
そこで最後に一つ嘲れておく問題がある。即ち、英雄地心邦は過去の英雄、即ち串功効果の顕は
である塀介もあらうし、新澄見もあらうし、又薪英雄の出現となることもあらう。
命一曾聯紡して生命のカにする焉の英雄盟邦の宗教は断じて消滅しない。をれが在寮の英雄の復活
雄には境遇に誰鼻輔があつても、人間が人間の中に現はれる基いものを得盟し、それと己れの生
までの部署を観測する中から出て氷る自然の推論である。人川の天性が全然埠吏しない限り、人
は宗教的隆運を遂げる、此等の難は総柄的に漁師し得る串で、それは人間の宗教心を研究し、今
出水ない。然し、今後といへども人間には英雄が出て凍る、又英雄川叫邦が行はれる、又その或者
して如何なる宗教になるかといふ串を辣断し得ないといふ一郎にある。此等は一々具慨的に疎断
今技に強めて言ふのは、今後どこにどの様な英雄が出て凍て、その英雄盟邦が如何なる詮議扇
その過程のま人公はどこかにおき去りになつてしまつてゐるに於て哲や。
肝心の人間その物を逸して軌察してゐるのであるから、﹁過程﹂は幾分明にすることは出水ても、
ァ唾
英雄崇拝の宗教
然し、他の事で見ても、人間は父母として既に出水空丁哲可変がろのは勿諭のき1iながら、何れの
男女も措成3訂n−iPlの父確として肺成来生の子を可愛がってゐ一品である。知識に於ても、義術
に対する愛着、怯橿、欣
に於ても、又経折その他の活動に於ても、人間は既成の成果を牛苅し、をこに幸痛の材料を有し
てゐるが、此と同校に、又場合によつては基以上に、牌成号e已P言1
求、希望、確信の小に車軸の源泉む射してゐ一心。過去のもの、恢成のカは、現在に二も躍動してゐ
るが、時間の経過と共に泣かり去る力である。之に反して撒水はま仁兄えす、つかめハ与いながら
に、別々に泣き凍るカであり、その歩遊の近よりを賂々として成じ得る活き′1と押寄せつヽJり
る生命の波動である。
此の如き意味での措成官e邑已の英雄紫邦は、賓は今までの宗教にもいつも大勢力であつたの
である。簡翠に云へば、ヘブライの預言者等は彼等自らが英雄であつた︵目し督時には豊邦せら
itない、又追啓を受けだ︶が、又同時に購雑出現の救草で欣求し疎音し経信した購
着であつて、その川“丼の熱誠ほ、眈成の英雄に射するより・も造に蛾烈であつた。而し/﹂此等撃..‖
の大成者、︼さすーtiplityの郵税者とへ与つたキリスト自らは、その信従からして一種時加な英雄磐井
の的になり、その信仰が一大宗教になつた。然るに此の宗教は過去に十字架上に過ぎ逝いた救詫
英雄を晩成の経として盟邦するだけでなく、世界の終末には天の一カに現れて一切人間を審判す
つ9
る大男の判官として祭邦した一、いで、此鮎に於てはキリスト教も、ペルシャ放とーiilじく婿成約英雄
黒井であつて、キリスト再臨といふ強烈な信朋を右してゐん。
菜種豊押の憲政
む、近代に定るに従って∴jI;致は既成同定の紳麗に射すじ信仰主共に、又はそれ以上に、肺成常
此等は既に現はれた野例一二一軍ホ寸に過ぎへ甘いが、規模の・犬小、熱信の渡深は色々あ一り
的信仰である。
殊に対する信仰が到る桝lこ躍動してゐるか、その㌫数は、此の意味での購成約英雄碧邦たる汲云
数の血涌ポサツは‖泣に頂いて目視すべき奮聞のⅤ禦ハでJ山一〇。目迎上人の∴∵=訣には、此の如き未
て現れたが、〓逆上人の㌫放では、口述自身が地涌ボナツの最後でなくて、その先駆であり、無
箔の彿。此の購死の勇衷、末法の弘法者に封す定信仰が口述上人の一生に於て血肉の和栗と定っ
地涌のボナツでぁる罪塔品の二彿は過去の彿而してそれに続く涌出品の地桶ポサツは質に未
て亦た。此の如き購成約英雄に脚する撃一ij的熱情が奇妙な形で現れたのは、賓に法華経に於け↓。
婿き
成一
英柑
雄の
余罪の戚故に活き
サツの如きもあろが、それよ・りも一切の彿従署嘉サツた乙べ
。、
てその▲ボナツは皆指成の仰陀壮語でふアり、その中には、泣い婿凍ながら出現の撃一誓の乙ミロ
澤令中心の宗教たると共に又豆サツた井の宗教、ぷサツ迫の賓行を目標とする宗忽である。而し
彿故に於ては、澤食餌現り放言王面癒でハて、叉紐牢謳現り信仰も稀薄である。然し、沸教は
うり
英甜菜押の宗教
凍の紳登を人間の中に求め一り、又尊兄して之に信明し、之が戚奮に涌きえといふ方面に向つて米
た。理想を過去に躍き、信仰ぉ園足した宗教は、過去の宗教と仁つて如くに対して、過去とは経線
しないま∼に、而かも結氷溝成の︻さt2nti已iti現に苅鮎を置く㌫教は、現代と基に溝水を支配する
カにならう。即ち決定的に既知︵大の啓示でも教骨の宗義でも︶の異理に信仰Jで安立するのは既成
型の宗教といふペく、之に封して開拓的に描成の展理に欣求戚政の性命を費排するのは節水型の
宗教である。その常雄が最後審判になろか地涌ボナツの出現になるか、何れにしても㌫敢の珪命
は葛訂註已iti謡に充満してゐる。人類の澗雑は、鱈に此の如き無数の肺成的基経の中に潜在し、凡
人も平民も慣此の如き英雄の竹臓一ピ仰いで、その告知に依って、n分自らにも覚知せすにゐるカ
¢ 甜
を蓉推すペき天職に活きてゐるのでなからうか。
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研究
−⊥将に醗城用滅両論の批判!−
三世貨有論の
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‘
義
痕えて輝絆静的に見鑑さんとするのでなくとも、此の一切法れの思想が、凡ゆる大小衆論軍の■
蹄み菅な↓∵日常断となつ化ことは、年はれない虹鱈であるからである。北〓雄、支那、日本の
、−、 働き大勢の廃油拘に放ても、ネ思想の研究が、決して守旧にされなかったのみならや、寧ろ一般
三葺有毒の研光
﹂一・ヽ い桝でゐ鼻徒.つで此の・法石風貌の研兜成果には可なりに経口すべきものがある。我が岡に於け
.■︼ ︳
故知邸者の粁討とし又は基礎蝉とLて必輩欠くべからざりしものなることも、亦、多ヤ=を要しな
一
.ヽ l
る眈一切有哲郎の根本ま覗たる一切法賓有諭であるといつて池言でない。俳数々埋の螢展経過を、
謙諭の出教鮎として、寵妾威さるべき‖心想中、最も注意すべきものヽ一つは、部派係数の随一な
●
於てはオ′オでも㊦ると考へらる∼が故に
ーl
根本彿.数ヌは原始彿政の研究は、少くとも軍術的俳敬研究のアル7丁でぁると共に、或る意味に
ヽ−■▼
一 −■
−t
﹁本研究の問罵の所在
l
ヽ
三世‡有論の研究
一入
る、甫寺北寺雨悌の論年と、旭雅師垢の快食名所雑記中の渥應師の三世磐石認印倣の如きは、澱
︵一︶
も著しきものである。それにも拘らす、私の見る所を以てすれば、本思想の考察は、未だ必ずし
も充仝に達した♭とは云ひ難いと恩ふ。新邸に於ける専門準者の聞に、今仰、三世野市論に就さ
て濃淡か用淡かの如き論軍の放り返される所以がそこに祈ると共に、こは亦、一申Jの研究の困
難なぇこと一宮も物語ぅものである。
然らば、如何なる鮎に於て、此の困難は存在するのであ・らうか?。
さて改一切布部宗︵以下、単に布部宗と略耕す︶に於ける、一朝法の分如には種々ある中、政和
︵二︶
畢上、特に理論的考察に於て最も多く使用されるものは、有名、郵袋の二分茹である。和栗︵等
−竃k甘︶の法とは、その語意の示す通り、又婆沙椚七十六幕に定義するが如く、法の因緩和合作
用に依度し、生有り波布り、因有ら、発布る有馬舶︵生、什、典、淡︶を碍し、洗博し、三世︵過
去未凍現在︶に堕するもの等と表現せらるるもの二般の組榊にして、之れに対する無燭︵蔓壱?
k甘︶ の法とは、足れ等凡ての條件と反し相違するものヽ紙桝である。
元務、石部宗としては、その宗名たるS宅急邑adP︵一切布なりとのま張︶の語義か示す如く、
此の有馬奴鰯一切の法︵勿論、こ∼に一切と云ふも、見るもの間くものそのま∼凡ての窓ではな
∈〇 い︶が質有すると言ふに有るけれども、俳も近時一般に政和準上の術語としては、この石部宗の
〝か
︵円︶ 法有説を、特に三世賓有法健恒有諭と通糾す一〇に至って居る。併し斯く呼糾する限り、それは、
和名無筆一法中の有馬法のみの賓有に限られたるものな一?主を注意しなければならぬ。何んと
︵菰︶
なれば、こゝに三世といふは即
●
◆
二伸粁有給の研究
へ七︶ こと、既に放水村泰祭教授に依bても睦∴几明にされた桝でJのるが、此論.1.に於て以上の如圭一
宗の教養中、特に三世欝有法槽恒有諭研究の根本的発料として第一に韓ぐペきは大比婆沙諭
と説き、又他の腱には和焉の法偲は恒右にしてその一作川等にのみ葎滅あトと説くのである
その憶と作用等との雨着に於て別々に井波ありと説く。即−ち或る握には、利用法の偶に珪滅あり
︵drPj:一r買註F腎P︶と、その法の作用︵k冒itrエ又は位︵︰∋賢笹︶等の状鰻柁柵をも論じ、更に
ば、問題は甚だ限定されるのであるが、石部宗は、石基扶を分別して、法の標、又は自性自
して能く矛盾すること塞きを得るや否やは付人にも正ちに起る疑問であらう。併しこれ吐な
語の持つ現象論的意義と、﹁野市すL、﹁冊、恒に和行り﹂と云ふが如き野在諭的な声音義と、果
は恒有なりとま張し栂るや、換言せば、珪石り滅有り、輔慶し麗流するといふが如き有頒と
を具するとまで主張さるゝ宥璃法の、その三世なるものが、如何にして野市すと言ひ、亦、
ハ六︶ 三世に賓宥にして、其の法憶は恒有なりとする別にある。然るに一利耶に雄、什、典、滅の同和
惟常任と耕すべき性質のものであるからである。卸ち石部㍍の法石諭の特徴は、有馬なる法
〝β
三傭賞ね盆面研究
二〇
掠の明文が幾多存するのであ一¢。此に依・りて先の疑問は、右調法そのもの、醗に生滅あら乍らは
憤は恒宥ならとするが布部再ポの異音なるか、措、作川の生滅はあるが俄に珪滅なしと説くのが其
晃恵の存する所なるかといふ鮎に移されてくる。然も、彿放たる限り、教諭︵S萱lハh﹃エ学派が
本問題に対する古本よりの典解に就きて
とは説くも
切開庖に何れかの決定を興へんとした越にウQと思ふ。総じて我が同党隼のこの問題に射する研
究成果は、これを大憤三伏に分けて見ることが出水る。第一、請父有馬法︶は無常なbとは彿敢
β4
の根本怯印の一なるが故に、叉、橋と用とは不即不離なるが故に、用の如く法悦にも津城有らと
ヽ
十巻である。併し、我が閥に於ける布部研究の興味の中心は、寧ろ、布部宗の立場に立ちて、こ
る桐威は四五に止らないが、此の瓢を揃解して鋭く有部数養お難詰したのは、世親の快食諭琴一
本桐過に就きては、噂沙諭申已にその疑問を騒げ、且つ綿々に曾通せんとの努力の痕跡の存す
〓
ければならねのでぁる。
ふ布部宗自憶の根本ま張にも抵触せざる範陶に於て、e−1ちこの限界内に於て問題は僻挿せられな
耳憬︵d⊇耳p︶に生滅みらとは説かないのとも典なり、それかとて、亦、三世欝宥法醸恒有とい
しと主張するのにも陥らす、勝諭︵ゴたe音戸︶単板が、合︵s竃yOgp︶維︵きh首︶
鼻異︵日露す︶としての自性︵守乱b剛11ヂっrPr計宣︶を輔建無常とは捕するも、その倍に生滅な
ヽ
重鎮する所謂る慨滅家︵これは北苛の倦︶と、第二、有兼法の偲には珪減無ぐ、桂城は作用の上に
のみこれ至芸ふとま駁する桝謂用滅家︵これは南寺の倍︶と、第三、此の両説の詔文を食通せんと
する渥應師の如、き諒とである。以下且らく醗滅用城南家の北総が一般に、とりて以てそのま張諭
ヽヽ
︵以下評文小、描線を附せろは.意を閃かにせん偶めに祁へるもの︶。
披なb得ペしとせる澄文と、その鞘山根械ト≠りとする氾埋の弐なるものとを摘記して見やう。
回憬強請者の詮文
︵第一︶撃喩希と分別論者とは是の如き証左伸す.﹁ヨ肝の酔狂是れ常なるも.釣行の恰は無常なり:⋮Lと。閻矧
1′l
笥う絶叫の鑑を止め、世と行とは、催に差別無きことを期さんが弱めなり、聞く、枇は即ち行.行は
帥ち足れ聴なるが故に﹂と。︵以上の文中の泄は、一切の石鯛法を‖−怖とす︶。︵婆七古ハ、三九三真土︶
︵第二︶復次に、有馬法は、唯.榔発し隈紬するも、而も砕に根城無しと執するむ止め、†掟、未森仕損じ.現在
は誠すと就くが故に。即ち、右娼法は、但だ、輔要するのみに非ゃして、耐も禦に根誠有ることを耕さんが岱
めの故に、斯の論を作せり。︵婆、一八三.九一九頁、下︶
︵第三︶問ふ。話の色・心等町甜仕、何故忙常に非ざるや。芥ふ∵誹抽は輯努して恒に非す。韮に足れ常任ならん
や。閏ふ、邸ぞ樽獲は隠誠に山らすと知りJ面も牝矧の法腫に牝滅ありと執するや。サ肴≠友足の如き説を作
す、﹁若し姐御の樽強が、但lだ随拗にのみ巾るとせば.則ち脈戯に脱すると切抜と童ナと少と小と毛との位は、
常應に頓超すぺけん。然も筍m蒜l樹漸次にして起るなり.。故に知る柑焚の備忙根城有ることを。⋮⋮︵婆.
二首巻二〇〇三−囲頁︶
二伸贋祈論の研究
6β
三世封宥詮の研究
′ll
ヽ■/
︳
●一一
∴
︵第囲︶ イ間ふ、請の右璃法の圧する畔、忙推すろ法たろが故に咋すと靖んや、咋拙と合するが故に坐すと靖ん
や・⋮・。没し締らば何の失ありやといふに、苦し附‖足れ畑する扶なるが故に畑ずとせば、里州比州ち腔忙瀬川
ヽlヽ
となるべく.若し里親と合するが故に脱すとせば、則ち無娼法も牝相と合すろが故に、亦、腰に可牝なるぺけ
ん。答ふ、應に是の詑を作†べし∵酷はn足れ坐すろ法なるが故に隼ずLL。冊ふ.若し銅らば、牝糾は則ち無用王
い間ふ、訪の有馬法の滅する畔、忙は乱れ無常の法なるが故に滅すと矯んや、無常打と合するが故に滅すL一
なるべけん。答ふ、鰹は走れ生する法たり.と排も.若し叛州と<‖すろこと無くんば、則ち牝す可からず⋮︰。
︶
宿んや。詑し︰⋮・。答、か、應に是の茂み−作すべし、拾は〓疋れ無帝の法なろが故に滅す土。川ふ、若し術らば、
無常租は則ち無mとなるべけん。答ふ、算は〓足れ無常法定けL・−錐も−苦し無常刷上合†ろこと無くんば、則ち
滅すべからす⋮︰・。︵婆、∴九、二〇二真下−∴〇三貞上︶
︵節五︶石偏法の酔は恒存すと挑も、而も位の差別には賂異中りむ以ての故に。此の位の差別は練より牝すろをも
て、一利那の後には必ず任すること有ること漉し。此に‖りて法酷も亦、足れ無常なり。差別と醍と果無きを
以ての故に。要す法有るに於て班輿成ずべきも、無の巾に於ては、攣輿石るべきに非ざるなり、︵晰止群論蛮五
十二、大正即山ハ三三頁上︶。
回次に棺減家がその坪山根はとする純なる道理に就きて越ぶれば、
ヽ﹂▼
︵第一︶若し有岱の法酷に生滅なしとせば、法は如何にして有馬の川相と介し糾るか。訳し人=しなければ即ち有盛
の位は無超法と同一となり、有満と弼することは不可絶とならう。若し法にして有璃なる法に兢すと云ふなら
βヴ
ば、何故に醍に生滅有りと許し得ないか。許さざるを得ないではないか。
︵第二︶掃滅論者は生じ滅すといふと、有り無しと云ふとは同意語なりとの佗定の下に、損とは本撫今有なるをい
ひ.汝とは有已還無なるをいふと解し.この上に尭諭して、﹁若し有馬法の股に壁誠有りとせば.紘位は木︵本
来︶無きものが今︵現在︶壁じ存在するも、暫てそは再び滅して撫となると音ふ我となるを以て、三世鞋有とは
云ひ難い﹂と論鎌するに封し、生滅と有無とは根本的に異つてねるから、何等差支へないのみならず、牝減と
有無と同一とせば反って、﹁未来に液相あり、過去に鋸相あり﹂等といふ論文を解し符ないであらう。
といひ、更に哩沙第七十六谷に、﹁作用と冊と定んで一行7りとも異ならとも説くべからすLとの碓
丈を援用して、
三世‡有論の軒先
て類ハb罫丁且、相︵匡雀卓モ位︵・■旦罫︶、待ハ蔓雷︶に依りて、鴨宮宣蔓丁巴づ︶ありとするも.然も法の
回︵第一︶和名なる婆沖節七十七怨初頭の.石部山大論仰の三世の典別に㈲する併説の中、何れも三状の話法は、夫
もの一室邸げて見やう。光づ、
之に対する用滅家の和文は甚だ多いけれども、論述土必要なるを以て、析を撤はすその韮なる
説を地元し、又、迫理に依りて﹁髄は不珪城なトLといふ川滅家の説を破斥するのでぁる。
と云ふ。以上の符文に依りて機械家は﹁右翁の法醗に生滅有りとするが石部宗の鼎悪なbLとの
︵第三︶仲川に生滅ありと許せば.仲川と膝とは不異とも説く吋きを以て.備にも胱誠有りと許し得べきであらう。
▲V
〝7
三世鷺有給の研究
鰐には異無し︵き・訂Y首lリ・已賢‡︶とするが如きは、m誠家に取りて苦き紆文なり得る。
︵妨二︶⋮:然も法の位と忙とは非餌非離なれげ、麓は恒右なりと挑も、而も位は恒に非ず⋮⋮︵同斯、過行両国
の通報は有るも、未来は無なる郡山としての一説︶︵婆一七、八七貞.小︶。
︵節三︶許の因は作糊を以て巣と作す鼠別の賢醗を以て葉と作さす。請の某は、作用を以て閃と作すも、腎陀を以
て囚と伸さす。諸法の蜜僚は侶にして、樽橙無し、囚共に非ざるが故に⋮⋮。︵婆.∴一、一〇五貞.下︶
︵節豊新行の自性には椿姫有ることなきなゎ。咄引因縁有るが故に柑建無く.囚投石云が故に輪礎石りと説く。
︵
内払有るが故に坪鰹無しとは、一切法が、各々n防、〓我、目的、‖作、〓和に化すろときに拍夏無きをいひ.
因縁祈るが故忙椿姫右・−′とは、有馬法が、勢力を得し畔損じ、勢を失せし畔漉し⋮:・、和A‖の畔損じ、離散の
︵節五︶︵肺帯川の穣文を要記せば︶、持場に種々の二綿布り。↑Ⅵ鰐柑鯉と作Ⅲ柑壁.后棺輪廻と功柁柑攣三
時滅するを謂ふ。︵婆、三九、二〇〇貞、上︶
ヽl一一.︶ヽ1.
︶
︶
′l
物轍雄と雅称経となり。此の中、日限又は物轍壁に依れげ、肝に試行には轍建無しと∴・.=ふべし。枇の自推に改
易無きを以ての故に。仲川・功能・伸輔登忙依れば、前行にも轍粟射りと言ふべし。一法の未来なるは未だ作川
有らサ、若し現在に至れば使ち件用あり、若し過去に入れば作m已に息むが故に。二弦は兼仰に壁等の功脂
︶
有り、現在世に汝等の功硝石り、過去に輿晃年の功能有るが故に。ニ或は未来.現在・過去と改易布るが故に、
樽欒有わ・⋮・・。
︵弟六︶牒忙是の詑を作すべし、絃壊の故に及び轍壁の故に、異相と名くるに非す。然も詔行の作mを旧放し、作 腑
糊と放牧にし、作mを温渦にし、作用を衰挿にし、仲川む慢窮ならしむるが故に.囁月lと名くと。和るが是の
諒恕伸す・﹃樽雄せしむるが故にー異相と名く。・⋮:綽燈外道が﹁訪わは相鎖すろ畔は、前作減せすして輪鰹して
後と漏る﹂と執すると笥、今は誹行が銅銭して輸するpl㌢、前佃滅し後付根じて轍姫有ると説くなり.開く和
栗法の損する時は勢撼にしてー⋮⋮仲川む得し、・:⋮未熟と名け、又、誠する畔は勢滋へ、⋮⋮作用を失し.
⋮・・已熱と名くるが故に畔地と名くればなり㌧と︵婆.三九、二〇一、下︶
︵算七︶新和は作Ⅲを以ての故に、ニ融の別む立つ⋮・︰。訊く、市場法の未だ仲川和らざるを未来と名け、正に仲川
11t
布るを現在と名け、仲川已に滅せしを過去と名く。:⋮・︵婆.七六、三九〓、下︶
︵婚八︶酢嘲の隈.襟に恒右にして柑無く、減無し。但だ、作用に依りてのみ、或は有と説き、或は無と説く。
⋮⋮︵婆、七六、三九五、下︶
︵第九︶⋮︰・新馬法の僻は佃和なりと挑も、而もmは非常たり。︵入阿良雄聯論.谷下、大正二八、九八七.下︶
︵節十︶仲川に約して三肛の融に興和りと立つ。開く、一切の行の、未だ作Ⅲ有らざるを名づけて未来と馬し、仲
用布も畔む名づけて和布と購し、作m已に滅するを名づけて過去と窮すも、冊に殊り和るに非ず︵正群、室﹁
大正二九.六三一、中︶
︵節十一︶和が執す、﹁⋮⋮講の鴨鍋因は草す過去に入るとき、カに非の共を爪ハふ。渦去は已滅なるが故に自照無し
∴世†有給の和衷
節、伐ち壌†るなり︰︰・﹂し√一。此⋮井の執を過し.鴨灘川は、基已に熱すと挑も.其の酷桁有ることを損さんが
⋮⋮﹂と。欣光邪は執す、﹁訪の異糾問は、黒岩し未だ熟せずんげ、北総恒有なるも、彼の英知し己れば、其の
β9
三世賞有給の研究
茄めに⋮︰斯の論を作す。︵婆、一九、丸山ハ員、中.婆.一閃四、七川一頁、中︶
︵算十二︶右偶法は自性恒有なるも−生相に申品故に作用の起る有り、滅相に由るが故に撃作用無し。こl山釘
名づけて取壊.破淫、亡過と悠す。︵婆.≡∵一六一員、上︺
両次にm減家の理由的根はとしての多くの道理の中、良も注意す.へきものを撃ぐれば、
法の生じ波するといふと.有b無しといふはー全く同一義なるを以ての故に、苦し、麓に隼滅あゎとせば、一
法に就きていへば、週末無位なりと言はぎるを得ぎるべく、又、相栢に就きていへば、酷に去来有ることゝな
りて∵婆沙評豪の正義とする世友の諸行に去来なしとの所説と迎ふこと1なるであらっJ
といふ。以上の詑文に伏卜七、用滅家は、﹁法憶は恒有にして作用にの一け桂城有りとするが、石
部宗の奥意打7り﹂との説を建立し、亦、道理を似て、倍は不生不滅なりとし、慨にも生滅有りと
冊滅用城南諒の批判
は許可からやとて、健滅家のま張を破斥せんとするのでJの一つ。
三
先.つ醗滅家のま張に就きて検討しやう。燈油家の引許する詮文は、稚かに、有馬法に生滅有b
を鵜承してゐることを
と云ひ符ることを示すものであつて、此に由って、教諭又は勝諭の学説と根本的の初速を鱒ポし、
構って布部の思想も亦、根本彿数以東の諸行無常︵S已︶訂空色−k腎到−1i邑︶
立記して除ゎある。
7β
然し凍って考ふるに、唯、かく憾も蕉滅すといへば、石部宗の特設たる三世筋石法憶恒有のま
張を如何なる意味に於て建立せんとするかは明かでれ号い。詳しく云へば、膿滅家の立瘍から、︵第
一︶汝の作用と健との駆係を如何に理解すべきなのであ了?っか。之に射して第三の道理を使用し
て、他用不興門から之を骨通し得るかも知れぬ。併し準抄第七十六谷には、﹁鰭と用とは定んで一
なトとも説くべからす、亦異なりとも説く可からやLと言ってゐるのでJりるから、慣用不一汁アリと
の立言も同時に可能であ一〇。即ち惜滅家が不異門に約しての解椰なり食油ならば畢覚相対的立言
に過ぎざるを以て、反対説の詰問を食通し得るとしても、彼のま張を破斥し狩一′?ものではない。
恨命、一歩渡って慨と川との不典門に立ちて用滅家の誰文なり道理なりを食通した所で、自ら用
の生滅と櫓の亘滅との脚係を如何に解辞せんとするか、即ち用は機と異ならなければ用の生滅は
、、、、、
■t一、11、 即ち憬の珪滅となろでめらう。然らば未だ法の作用有らざ乙を未来の利矧甜と名け、正に作用有
ヽヽヽヽヽ
るを現在矧と名け、作川已に滅せし↓で過去と名く︵用滅家の第七詭文︶上いふが如き婆沙の到る桝
に澄見し得る作用︵又は因果︶の本無今宥石已遠無の説明法に於て、その中の作用の言を憶と撒
き換へることも論理土可能であノウう■。若し然らば、有用洩の健も亦、本無今村、右已遠無となる
べしとり所謂世親沈の難問にnら逢着するのでめ一〇。ヌ、訳し桝らば、週末の法は賓布なりとの
ま破七如何にして建立し得るかり又、冊と用との別を韮んじないと寸れば彼の四大諭師の三世別
三11−僻有論の研究
㌻J
二糖賞有論の研究
二八
泡などは、全く従串に過ぎないではないか。若し又、作用と惟との不一門に立つとせば、法髄の
珪滅は法の作用を離れて狗立に起ると需はぎるを待まい。結局、醗に対して作用を特没するが如
きは、この漬場に立つ限b無用と考へぎるを縛ないと思はる∼。︵第二︶横波家の第二の法理の如
さは、用滅家が珪滅と有無と同一打アりといヰ耳冨を預想しての細雨であるから、租極的の意味は
︵九︶
存しない。唯、こ∼に注意すべきは、過去未来に四舶あbといふ文意に就きてゞあろ。即ち﹁過
去は已淡にしで、未凍は未珪なb﹂とは用滅家のよく川ひる言であるが、それかとて過去に生和
あb未殊に滅相あトといふこととは、何等矛盾するものではない。生和といひ滅加と十ふは、不
和康行法中の有馬法としての意味内界一で和すろので、生じ滅すといひ、未だ費ゃす已に滅すとい
ふの忠とは、大の四祁、小の閤如とさえ院別する石部宗に取りては非常に建った内容を有するので
ある。一
存する桝によりて丁節することを得るであらう。叔後に︵節三︶櫓滅家が、第一の道理とする、﹁有
乗法の醗に生滅なしとせば、如何にして四舶と令するか、若し合Lなければ東鶉法と冊ぶ研がな
からう﹂といふ。この道理の諭披は、醗滅家の餌四許文に韮くのであらう。併し、第四諏文にて
有馬法の冊は走れ生やる法又は東常なる法なるが故に、生じ又は滅すといふ場合は、こ∼と同じ
く無賃法と有馬洩の憶との和違に親鮎を沿いてゐること哲注意すべきである。この無名怯と射す
7β
る場合の有須法ほ、有須法内にて分別すべき醸と作用との院別を決Lて念頭に置いてゐないので
指
あつて、前述の布焉無照の分赦に際して有馬法とは生ぁり滅ぁり⋮・⋮ふゃりと云へる時の有馬と
完P。位のものと骨姐し狩るのでぁる。即ち若しこの概と用との精別がその親野の中にあるなら
ば、白から典りたる衷現がなされなければならぬであらう。このことほ何れ後に諭やる筈である
が、有馬法のみに於て、その法の慨と川とを院別せる立場からその憶にほ珪滅なしと言ったから
とて、作用等を全く論じない無釆法と鑑ちに同じなりと断やるは軽率なる断定来るを免れない。
︵範囲︶況して或る慨滅論者の如く過去兼務の有馬法の髄が、愈々遮洗の影替を蒙りて柏結し、そ
の相拇には前後差別が自然に存在すると言ふが如き常識的三世賓有諭の説明は、決して布部の眞
意に過ふものとは考へられない。少くとも、漫々永々たる兼務にも前後が有るなどと言ふは、有
部宗が、未本に同茹、遍行雨因も丑です、等無閃線も有りと許さゞる所以に就きての理解の欠乏
に師岡する鐸解であらう。
華蒐するに櫓城論者が、用地家の引紀文の意味・で考艦せゃして、遽二些一に惜滅をま張する限
りに於ては禰々不可決の難問に、遭遇せぎるを柑ないであらう。
次に川滅家の弐張に就きて考へやう。その引祀する和文を見るに、三世野有又は法醗桓有の思
想は、退城なき迄に、衣示さる∼と共に、石部の隼者が如何に口説を織成せしむる璃めに努力し
三世‡有詮の研究
三世f有卦の研究
三〇
たかゞ此に依り看取される。︵第こ、然し慨淡家の棟臓たる﹁石基法の俄に珪沸石りLとヤ︰ふを、用
滅家のま張すろ如くに正而より否定するに足る明文としての﹁和栗法の膿に珪滅なしLとの紆文
は之れを澄見すろを行ない。昂言せば因緩和合とか作用とかに悌説せすして、棋だ﹁有馬法の髄
は恒有なbLとの澄文は存しないのである。︵野一︶、暇りに、﹁醗は恒和なりLとの意味ほ﹁醍に生
滅無し﹂といふと同意なりと説き得とせば、珪滅祈りと†る用と、恒石なる概とが不一不異なb
とか、.又は怖と位とが不即不離ならと縦ひて惟と用との脚係を曖昧ならしむるが如き立言は必要
ないの.ではなからうか。︵箪ニ︶その温翔なヰ、壁滅と有搬とは同意なりとすろ耳∵=に於て、若し井
こは正に横波家にとりでは致命的な道理たりうるであらう。俄に生滅あれば法醗恒有
波といふも有無と言ふも、凡て一義のみより布せゃして而も同一に∵りとの紆明が成就するならば、
ヽヽヽヽヽヽヽ㊦
∧U からである。然し、F和♭﹂といふに、名有、華有、和合有、加持有等あトとするが如く、これに
、、
◎ 対する無にも亦、多哉ある鷺であるが、技に用沸家が意味せんとする有無は、鱈有賓如の意に取
らねば、その意義が無からう。次に生滅といふ語鶉もー必ずしも決して一義的で有るとは云ひ難
い。特に憬と川との不一なる一で以て髄の恒布にして生滅杖き義を童麗せんと用減家の旗揚として
は、一概に生滅といつたからとて、所謂健としての生注油法と、用としての蕉滅との二義を許さ
︵︰一︶C ゞるを得ないであらう。而して憶としての死滅二法は、生細波加の如く又已佳にして珪や﹂の已
7rl
0 生の如く三世質有なるべき不和應行蕊中の二法たるべく、これ等に射しT生ほ右なら滅は無とは
三世英和音り研究
は必ずしも醗滅を詐取した意味ではない。多く何れかの立場を威せば、その執するを戒める、は
又、﹁近水の講抄、多く川滅の訪文に迷ひ、未だ惜滅の論文を考へす云云Lとも言ってゐるが、こ
又、偏に慨滅を執して、達文を顧みす、亦、不可なりと栗すLと言ってゐるからである。勿論、
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ、ヽヽヽ、ヽヽヽ1ヽヽヽヽ
食通せんが凋め行丁り。畢者、多分に此の鶉′で了せす、妄りに用滅に執す、豊に教理に解せんや。
謙譲前後の加速を食油す一?哲用ひす。噂沙等の中た、不一不興二門を建託するは、前後の細道を
海應価は、概用の不一不興門を提げて、﹁若し卑溜が、この不一不英二門一で了知せば、緋を労して
るが、私ほ必ゃしも左様ではないと解する。剋雅和仰の戯言は、成程慣用根城■で取ってゐるが、
論者の中にほ、名閉経記︵第四谷︶巾の海應仰の所説は、倍滅相を詐取せるものと右傾す人もあ
甲海應師の立場とその所説の批判
をも否定せんとするが故に、綿々の難問を珪するのではなからうか。
要之、この用波家のま張も、亦、憶滅家の引経文の意義を考慮せす、一向に低減の埋のある所
の滅と質無の無と等しいといはぎるを得覧くなるであらう。
いであらうし、自己子爵に偶人るからである。かく諭し雑れば終に作川の生と黒有の右と、作用
簸じ柑ない管である。若し爾らざれば、過去に庄和有り未殊に滅相有りとの文意を通する一で得な
7占
三相粟有茄の研究
三一
詐家本務の立場であ・り。これ私が先に我が囲の北軍の研究成来生二様に分け持ると説いた所以で
・りあ。併し、海應帥も、
かく︵バつに丈では唯、畢に﹁何ルが阿れし智頭㍊せんとするも、倶に一片
︵二.︶
に偏マ﹂との消極的批評にのみ繕鮪して、決してこの問題lニ附すろ柏極的、解緑′で掴へ托こと∼
はならぬ。そこで海底帥は、法冊常住と法醗惰力と∽両句中、常と桓と霊山義⋮融通に留意して、
問題レ︶展開を試みてハ∵る。彼に従へば、﹁常右の常とは、法が因紹に従はぎるに言ひ、法は囚線に
従ふも始終異存らざる・・の忠一ど法値幅石といふと言ふ﹂にや匂。この常恒二語り郁別の諭捕は法非玄
︵一三︶ 義銅入下︵骨本芝b︶り常無鹿恒非恒門に於ける註紀にあるのである。この恒と常との暗別は、入阿
二﹁︶
毘漣腱諭下に、﹁法の生田に二椰有り、一に内二に外、内とは珪州にして、外とは六因同線なb﹂
といひ、又、快食諭窮五に﹁珪伽の 能く色心等の所仕訪坤で焦するは国縫を糀る∼に非すL等の話
文に照らして見ても、又、一方政論等の常住説に倒する沸教の組惜的立場といふ描からも頗
︵一茶︶ 深味きものあらと考へられる。又、斯く雨語を解すろに依りて、慨滅家の詮文第三中の常と恒と
の使ひ別け等も明かと行アると‖心ふ。然
係し
らそ
すれ
、に
醗も
城川減両文の令油に明か写解決を輿
へ得たかと言ふ鮎となれば、然りと糊するに、仰、絹賭せざるむ得ない。殊に川滅家の箪二
の証文及び、噂沙第七十六谷の﹁一切汰は已に自性有ら。本来各々自膿胸に化するが故に。
位有るが故に説きて已珪と名く。囚維に徒ひて自惜一ざ隼するに非ざるが故にLの如きを、この恒
7¢
︵−六︶
と常の別から如何に解せんとするかも明かでない。亦、些細の問題ではあるが、堰沙、倶介等の
︵一七︶
評語の上から見ても、恒と常とが、毎もか∼一志芸首附して薄されてゐるとは立推し得へ㌧いし亦、
噂沙中にても常と恒との柘別む必すしも、何握でも擢密に精別して用ひたりとも考へられぬ。併
しかかる就拍義はともかくとして、似りに、この渥應の提唱に依りて、多少本問題に食油の契機を
本問題に封する私の丑場と解群
見出し得るとしても、榊、隔靴描控の哩あるは、敢えて私濁りのみではなからうと‖心ふ。
五
以上に於て私は、此の三世鱈右盆串の鰹城川城南他に於て諭絆された所の中心問題には略々閥
証し得たと倍やる。而して本間遇検討の結果として櫓滅用波面倦ま張の難鮎は、自己の露文を楯
に、他の詑文の志の存する桝を常客せやして、あくまで他説を排して、自説を固執せんとする所
に在ることを指摘し、これ等に対する渥應師の不一不典門を携げての提言には、根命、何等稿極的
証明を求め得ない迄も、少くとも其の態度としては、批評的のもののあること一で認めたのである。
然らば私自身、是等の呉線文を如何に取扱はんとするかを述するに先ち、次の如き疑問から説
き超したいと思ふ。
第一、若し南紀文が、冊城川波面家のま張する如く、同等の肝利を以て、全然矛宿する意味内
二﹂:一
l・■
容をま萌せんとす・0に在りとせば、何が故に、惜と川との不一小異、又は、経と位との不即不離
三世耳有脊の研究
77
三世‡有論の研究
等を説けるや、その理由は如何であらうか。
第一﹁四大諭師は何が故に、三世法の別を苦労して説明せんとし、嬰沙評家は、世友の位説を
採用するに至ったか。
箪二、緻密な法相迄も婆抄争一面穿首尾一班せるを諮らんとする程、論理的なる婆沙垢輯者達
が、自己の根本的ま張たる三世繁用法憶恒有の法の解滞に限‘て、その態度を三にし、食油の造
無き程の手落ちをしてゐると解する理由があらうか。
第囲、果して是れ等の許文は、全く和才爪せる意味のものであり、その底意に於ても和独すろ
能はぎるが如きものであらうか?。
以上の中、第一第二の疑問は、前歴々述べた所であるが。第三の疑問に就きてほ、少くとも婆
沙諭上に於ては、法相の意味ぉ庭に依わ七二三するが如きことは有り得ない筈であるとの確信を、
私は最近準沙諭の通諌と、逐字的図繹との終隙から得たのである。勿論、他宗の立場から見れば、
不合理もあるし、説明不足の所、思索不充分なる鮎等のある主は、世親の供公論上に於て、已に
詰問せられる研から、又唯識始め諸大乗経論の所蔵と成ってゐる主からも否定し縛ないが、併し
m
少くも婆沙許家の立場からは、般密に思想の一軍で期せんとしたものなることが推論され得ると
思ふ。又、この典籍文に就きての重心をなす、倍といふ評語上の考察も、こ∼にして見なければ
なるまい。即ち前引の玄炎謬供介諭頚︵証記第十六参照︶に於て決櫻と云ふはヨbrぎ性はb−−㌣
三1−−蔵相論の研究
先づ憤激家の引証文を考察寸ると、大鵬二荊に分つことが出水鳶第一難に屁寺えは、即ち第
ても吟味し、その上に結合的に、此等を見れほすことから光誰一Jれると〓心ふ。
是の叔后の私の辣想は、此等の紀文を外的に前後の文勢上より考察すると北ハに、その内容に於
恰も全然典りたるま張をなすかの如く衣ホされてゐるに過ぎないと偲ふのである。
は脈絡相通するものがあ一心のであつて、具衣而上、その場令と個々の立場の相違に依る㈱係から
即ち斯く公憤的の立場から見る限b、彼の偶々燭丑の如き紀文の一一は、何れもその底意に於て
沙論文に於ては、その婆沙評家の全醗的丑場から一校にこれを考察すべき筈のものであると思ふ。
l■■■ヽ
第画の疑問に於て、私ほ此等の露文は、偶々利春れぎるもの見るべきでなくして、少くとも喀
根本思想の意味迄も、左右せんとす一〇が如きは、甚だ胃険と云はぎるを行ないのでほなからうか
ひてあるからとて、直ちに前後共に同一なる洗概の意と解して立論し、耶、これ丈で、郭要なる
繹中論に於て、bFぎをも屡々法と詳してゐる。期る例紆、
がじ
あく
ると
以い
上ふ
同槽評語が用
る。勿論かゝる評語の不整噺不抜寧㌦る、とは覇り玄牡又は晃諦の場合のみではない。那什もその
くdrPjPの謂であり、状勝又は楼和をホすと‖心はる決救の類説の類︵衝では有︶はbh冒。であ
蔓 の評語でぁるに対して、四大諭仙め三世分別に於ける惜に異無しの醗は、肪諭の賓慨と同じ
7ク
三世栗邪論の研究
一、二、三、四の詮文であつて、第一行文ほ、隼喩者の如き仙㌫の、世醗常なりとする新に射し、
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
第二箪こは外道の、法鰭に繹拙文は拍軽石るも法は常住ならといふに射し、第川は、無鶉汰の法惟
常任なりとするに封し、何れも彿教の、市部宗の、石焉法の、特長たる法に珪滅あることを示さん
とするものであつて、従ってそこには、有名法自膿に於ての法の醗と汰の川又は位との捕別なぞ
はしてゐないのである。併し同じ第一布に於ても‖宗所説の無栗はに射する帖は、醗に珪滅あり
土石ひつ∼も、生和文は無常柵と合すること舶⋮ければ、醗は生滅す可からすとり限定を附してゐ
ることは、注意すろに債するものでめらう。即ち有名法は、有馬の講和と常に介すべきか、正に合
すろか、又は甘て合せしか、滞、合すべき性質のものかなのである。第二獅のは即ち第茄詑文であ
朗
るが、これでは、外道、他部又は他翫と対立して認くことなく専らn宗内に於ける和名法日照の分
析的紋別なのであつて、従って法の恨に対して、法の位の差別を併読してゐる。而も、その閥心
地鮎を布袋法の生滅に舵くが焉めに、法盤は無常ならとはいふもの∼、それの先輿催件として、
﹁法の位の差別の経典有るを以て﹂、と断ってゐるのである。即ち醗滅家の霹文の小、第一新は、
対地的綜憶的の立場に立っての有馬法の性貿を明かにせしものであつて、第二難は、対内的では
あるが、説鮎を法の壁滅といふに置いての講諭である。
同じ粗布鮎に立ちて、用滅家の誰文を考察するに、こは何れも何等対外的封他的の立場に立ち
概減安藤文の第︰頗ハ㌧ど∼は全く異
て説けろものではなく、全く対内的分析的丑場に立ちて、而もれ常山法惟の恒右、三世邦有なぇ
鮎に掘りを砥いての試論なることが右放し得らて.。従って、
り、有馬法の決醗と、法の作用、又は位、又は因果尊と、細かく分析して論じてゐるのである。
畢韮するに、少くも噂沙諭の詔文のみから考ふれば醗滅家の引和文は、珪として、此の有名法
を、対外逝、封他宗、封典叡として説ける場合の戦沙中の文句を集めしものなるに、用滅家の引
証文は、封内的分析的文句のみを、蒐鉱せしものなりと言ひ得るのでJのる。随って醗滅家の法醗
に銀波ありとは、・婆抄のー綜合的立場から云へば、そは全然、封他的総醗的立場に光っての有馬法
の柿酢を明せろものでふ∵り、用滅家の醗は恒有なるも作用にのみ什減ありとす乙は、公然封内的
分析的式場に立てるもので、即ち有名法白身に於て酷と用等との別を設け、惜は恒れの方面を表
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文にある桓和ハ≠りとする冊の内容とは全く異る。前者は仲川をも色合すろ滋味の廣義の冊にして、
し、用は珪滅の方面を抽出して考察せんとす一〇にありて、醗減の謹文にJのろ醗の内容と川滅の符
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00COO000000000C000000
nJ O O C
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横幕は作劇を抽出したる狭義の膿なりと催すべきであり、荘に惜を常とせす恒右とする所以があ
00
る。従って用滅家引かの文意に於ては元水、典醗仙なる有馬汰を二方而工柚象したものであるか
ら、その榊係は、典糟的方而から云へば、不異と云はぎるを得す、抽象的分析した上からいへば、
00
不一な
言り
はと
ぎるを得ないし、かくして得たろ析右なぇ津南T∵、如何上して三世の別を認め
三世井村詮の研究
βJ
三世貰有論の研究
ヽヽヽヽヽヽヽヽ
ぅるかとの反省の土に、円諭帥聖二世英別諭が要求されるので一のィ0。併しか︿分析した復行†りと
雄も、一度、対地的紙慨的立場に託つ限り、又、石基法の惜にクー三城ありとも言ふJで得乙のは勿論
であらう。以上少くとも婆沙詐家の意の有る桝は、そり衣現に於ては、説示不足の鮎あり、全く
別興の稟張一で作すが如くM心はるゝ■b、その場介と個々の立場の相過とい÷−と′で念頭に帯いて公
憤的立場から考ふろ峠は、決して、は恍の意味内容を、虔によ・りて矛眉ならし竺Lゐるが如きこ
とは無い。他の比和山内小竹に於けると同様、菅尾一Ⅱして説け一?ものと考ふペきであらう。
要之、鯉城用滅両小水の滞文は、内容オ盾の設文、又は舶殺的文意と克乙べきには非すして、寧
ろ凡て並記し、和棚ふて、其の説かんとする異意を把捉寸べきものであつて、斯く解し考察寸ろ
計Pく竃で
限り、石部宗の法に対する考察が、原始又は槻木彿教の法の和合に反せすして、其よりも造かに
澄雄し、深刻になつてゐるといひ得るのであり、又期く解せば、冊といふ文字の原語が
あらうと写さ︼−ざこ二焉b︼−ぎpでJのらうと、立論上に大仁る支障を水たさないと⋮心ふので∴∵ろ。
拉 ︵一︶ 近時本論畢に非常に有益在一わ軟式をされ㍗のに、川滅詣にこ宜叩して立論され㍗加藤蛸醐教授ご、=れに封Lて昭
減給か立論さろゝ荻原⋮ポ光秋和︵尤L教授の憶雌l‡、必†しL関城論猫ヾJ依られ尤い鮎∼lわろがリミ、祭式の件伯
良識師宣がわろ。大正大牢学報の邦四、五、八葦冊。
︵一︰︶ 大正祓37三九二封、下、.︵以下の埠沖の対戦ほ凡て人正成によろ∪。
︵三︶一般、歌相野上の常戴l、しLては、宥部の賞有法ごlェ、一■1に正伸七十五弦光りヾJ芥ふろわ棋王†ろ。侶L、此り
82
歎ほ必ずLも厳密では互い。
、に=れを論じてゐ
︵〇=の三廿賞有法憶併有ミいふ銘柄特−ニ恨和ご耶了炭山に雄三しも研究1へき鮎がわろが今
ろ暇がないから、=に後口に譲ろ。
︵吉斯く兄弟乍しほ、光の籠の畔無別冊.依法而立説に依ろハ人正毅11一Pqぺ上︶
︵パ︶ 婆沙三十八巻、一九入京.上。
︵心︶有部宗の根本炸依の論ヾトへけ、古米六足敬智三根に答へられろのが棺でわろが、=り∵−扁知有沫憾恨有曹1
いふ生娘わ構究ぜん↓与ろには、大地婆沙論か槻木資料写し、=れに似合正椰等を祁ミぜざろみ持互い。桐、こ
の資料論l=就きてほ、大東川版址の囲諸大路尊沙詮の木村教授の解脱登用ぜられ㍗・し。
︵八︶ 壕沙七六、二九四東金柑。
尊抄第七十声懸、三九七京中、下参掴。
︵九︶ 過去の凶棚ぁり、未来の川棚わり寸しに、敬智詣非二懸ハ大正邪九二六封上じにu−こ舐かろゝ文でわろ。
︵一〇︶ 嘩沙第九笹、四二東上、ハ︰一︶
ハ6.冠導併合罪四巷、十七
ト。
︵完︶
婆沙墾音容.一〇〇三M下。
︵三︶ 勿論、旭雅邦駒ト=り鮎lミ戯言吋に言っ一\ゐろが、彼托明瞭に鴨川仙波を基張†ろが故に†ほ、海脆師に就与
てのみ論†ろ。
︵三︶ ﹂会生成二八、九八七束中、
−◎
︵二ハ︶ 快食脊要一十聡lニ世親が布部の蕾ご伍ミを拓別せん軍†ろを椰姶ぜんが強めに川ひ七嘲文。
︶
◎
一計沈憾侶有
︵
︶
′■.1ヽ
二面耽性非常
︶ll
三性能維無別
︵
︶
′−1ヽ
四此軋rl荘作
三世篇有諭の研究
β.フ
三世∫有論の研究
﹂︶
lェ、稀友の快食許︵・∈ELF−・ヒー︰い一J▼賢ざ古歌厘氏魅、三有六十拭ト、に依れけ、
●′.1ヽ.くノー,・一.、.−
S↓pbざp■Pbぎr∃d かハ市︶cP箆∵
E︼︸甲︰︰︰′′√
bg召 コi︷叫臥︵韓︶clコぷでte⋮⋮・︷u︰−
己注■ 叫⊇bF阿↓㌣−bbP↓〇ヽ:ノ
↓句︰をP﹂−1㌻≡ ︵長−−il巳?⋮∴ゼ
ミわるlニ同じく惧令論邦二審lニ、
︵玄基︶ 見放檀名何分、ハ温誹︶見放法外恒‖揖等分、
寸・・わろな栴友朽︵rTi∴ン∴ハ.ノ..1、∴ゼ︶に二lユ、
門○
niウlの謂㍍≡己れてゐ一石からでぁろ。
基の旨わ巾⊥けた桝丁弟−i応臼の署法で其の扁結わ得㍗のだから、何かり騰他に畢準し㍗らよか・りう﹂ミの榊批準もわつ㍗
の大正大草■報にその旨わ‡き加へわいとご林つ㌔然!ての卯考へが、栽り辻Lt結論三竿してゐろご恩つトトので一
†ろこぞを裡㍗のでわろが、御試り申に、僧正から尊沖論⊥り椙減論の誌文に阻†ろ解柁の什力む印jTLl=考へtので、次回
加へtものでわる。先‖、私の歌仙撃の師光る加藤瑞紳肘正をお誹りしt際、偶々僧正竺高野宥論に封†る御意見み押拉
本稿は、私が昭和三年の秋、人草院の耶究鋸皆の一郎写してトのデわ考へ一で竹子与して、それに昨隼十一月多少の佗j−︰を
の開閉諦の誰lこ有り。
︵一︿︶ 巾論額の到ろ慮に費旦し得ろ。申諒鞘の楽所封洞は、芋井軟投のハ用尺寸−峠刊行曾︶、羽環教授の︵火束∼11版祉︶
︵一心︶ 例ぜば、串沖第六十九準∵二五九れ下、第七十撃二六一封上等わJLよ。
ミわり。棋にモハ■栂−ェハJrl已勘の謂なるも、ゃわ帖ほ、祭主咋しtろ
■l、ノ蔓
t︰lぺ己き︰5⋮︹ごごuコit.3・て‖だb︼︸おP
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ので、今、=ゝ︰トニ敢えて公衷†る次第でわろ。諸先徳、諸賢友の御叱正わ琴わむ往け耽り串非ミ︰わ桝てわィハ・。
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我民族の蛋魂観愈
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静
紳道家の常用語にヰギミクマ︵和魂︶、アラミク†︵荒魂︶といふ言葉があぇ。一般には和穆なる
耽民族の鮮純利念
った筈であるから、脛史的考察を等閃に寸ることは出水ぬり時代の新宥に留意せす
︵イ︶我開比の憲魂軌念は、外郭宗教基他の影明智フけ、時代によつて多少の槌避を免かれなか
な問題に対しては、少くとも左記の講鮎を考慮にいれねばならぬ。
至敢鴻諭的見地に偏寸る嫌があるからではあるまいか。我民族の宗教軌念に大冊係のあ
議があり、傾聴に舵する説も少くは小甘いが、椅未だ率界の背走を得たものがないのは
べきもの■かといふ根本為についてすら意見が一致して居らぬ。之に榊しては現代講家
については、後低率索の解説が隅々で︹古事顆苑紳舐離一︺、同一紳婁の異相か、或は
紳魂、剛健なる帥魂の謂とし、一紳塞が之を東泉するものと了解せられて居るが、其作
β占
北民族の捕魂祝
ろ串例を車面的に羅列して、北ハに共油す乙やうぢ解澤む考案し、諭叩に窮するに及びては、
紳業左↓0が故に凡勢の克ひ知るべき所にあ、卜すと籍目するが如きは、準術的膿度でほない。
︵こ教室は神代であり、登場者は押紙であるとしても、紳の言行む見聞したものほない賃であ
乙から、脚色新に人問であらゎばハ㌧らす、人間の意識も如像も及ばぬ串がらが話題に上り、
人刊を以て埋僻し符ぬ謂が語りつがれたとは考へられぬことである。されば輌の心理は我々
の追別の心和で、現代の我々に不可解な鮎があるとすれば、基は上代人の意識な再現するカ
が乏しい焉とせねばならね。さりながら古付設を通じて観測する桝によると、上代人と現代
の吾々との間に心理上雲泥の差は存せぬやうであるから、縦ひ若干の課解説傾があつたとし
ても、基因は心理畢的考察によつて明かにせらるべき管で、之を無税しては蛋魂取念の如き
微妙の問題を説くことは出水ぬ。
︵こ印度偶数の輪姐輪生軌が我青侍説中に少しもあらはれて居らぬやうに、民族には基々固有
の㌫政信念がある。其は民族の構成と敢骨組織とに関するものであるから、我々は常に民族
蝉、配合率的見地をはなれぬやうにせねばならぬ。普‖は此方而の準問が蓉達して居なかっ
たから、先畢は外水思想のカセかりて梓明を試みるか、然らざれば之に反抗することを以て
・1’一一プり
皇陶風としたもの∼やうであるが、類推が極めて危険なることであると同時に、文化の侍播
ββ
を無税せんとするのも固晒である。ことに我氏族の如く、多くの異禰放から混成したものに
あ■つては、原禰族の宗教軌念をも念頭に番いて考察すユニこと一で必要とする。
︵ニ︶我々の租先が残してくれた思想上の遺産は言語である。いかな一〇恩想も軌念も言葉のカぜ
借らゃしては我々に侍へられなかった笠で、物質的遣物から吾々が畢び得る所ほ極めて少く
且甚不精確である。然るに捷字を似て寸ろ記述法が費述してから、言語の研究を球にして文
字によつて秤明を試みんとするものが多く、荒魂︵ァラミクこ一で﹁荒ぶる嘉魂Lと解するが如
きは其濾蒼なも一例で、宣長の如き大挙若すら此弊を免かれなかった。ことに紳耽の意鶉の
如きは、殆ど願んられなかったやうであるが、此鰻度を以て民族固有の宗教信念を説かんと
するのは、水に練って魚を究めるやうなものであ一〇。
私ほ此見地から、従妹の解説に捉はれ一Qことなく、〓巾なる膳腔を以て我比族の憲魂軌念就中和
魂茄魂について考察を試み、世の識者の敢を仰ぎたいと思ふ。
〓
吾人の有する文献ヤ絞首のものは古琳記、‖本紀及訪風土記の一部分で、いづれも奈良胡初期
の舶遁であるが、此等の古典中和魂蒐塊といふ譜の川例は左記の救條に過ぎぬ。
0
︹記榊射︺故是以新羅陶鶉,定知将甘l⋮:耐以永御杖︰衝立新羅剛豆之賢帥以︼毎江大神之荒
花代族の托魂観念
β7
御魂︼粟二組守紳論祭銘近津也、
洗民族ゆ旺親風念
00
︺サ・−ノ丁ヒコブタリ,−
チギ00
0000 ︹組功︺︵伸長九年九月︶耽而紳有知日、和魂服立身論守逸品ぺ荒魂夢先鱒而野師射り抑蜘此琴
タモミ
荒魂令レ野於大門山田︰比−也、帖火門直之剋成立、抑守迎之瀧田裳鬼宿硝、寧子息
ホんタチ
鮮∵碍︰和魂喪主鍛鉄一⋮室人十二月︶於是従軍舶来借英、中間部、底筒型二紳.諏訪后自、我
棚襲−∴即得加数︰而邦融之由以1敢聖屋胡垂畢乗数紳苧⋮耽而刑野菜魂∵軍乗先
CO
00
廻こ於海中㌣.以不一能レ進−史学務肯水門−而卜之、於是天照大輌和
ムコ
00
則以由耳焉紘一兎魂乏ま仇耐立一放火円山m︰㌣⋮⋮・︵元年二月︶皇后之船、
千払虫后之呵
〇〇
之地必坪野軍
紅指一難準
之日、我之荒魂、不レ可訪言責竺野房︼軸心贋田閉り即以l山背根子之女東山姓有レ窄⋮⋮・亦衣筒
00
男、中筒彗底筒里二紳、諏之日、吾和魂宜レ居1大津停車倉之長峡︰依田軍政凍解り於是随一−
神教一以銀座焉
子輩疎略惑毎週私邸研触不敵、爾時父猪麻均
桝誠女子叙由要埼基大挙慧眼批矢
︹田富風土盈料轡北面布由吏埼へ飛鳥渾柳原御宇天鼻御代.甲戌七月十三口、語臣猪搬昌之女
軍事鋭か
印如、行吟居囁.意柁辛苦、触⋮迦−叡所∵㌍是之閉経一鹿軟且然佐野悌慨志り麻呂箭銘鉾撰、
之和魂者静而、克魂者個悉依論猪脇昌之桝▼乞、良か赫麗坐衰.吾桝レ備助給、以レ此知㍉紳麗
便所居.帥桧訴云、天紳千五首蕎、地舐千五宵萌.並常例静坐三高九十九軋、及渥若等大紳
0000
ββ
之桝▼神君.爾姉弟褒嬰而和爾百除.静圃嶽一和爾−.徐準依衆徒ヨ於屑下∵否進不レ蓮.狗親授
耳.聞時麗&器里¶ダ中火一和爾一穀捕.已詑然役僧怜和研解散、殺割者、女子之一脛骨屑叫
仇和爾老親割、而抹.申立芸格之垂血
石によれば和魂荒魂共に油壷を意味することは明白で、ニギ及アラは修飾又は限定語であるか
春さらば
奈良の都に
羽上たまはね
ノナゲ
ら、ミクマに其の意がぁるものとせねばならぬ。然るに茜兼処第五幕にのせた山上憶良の作に
000
あが韮の 美多脇たまひて
タイート
とめるは天平二年十二月大宰帥大伴宿備政人が大納言に耕作して締涼する伐別の宴後、筑前の守
なる憶良が私憤を布ペた歌と争匂から、﹁御心にかけられて雄藩には奈良の京に召上げて下さい﹂
といふ意で、ミは美禰、クマは心魂の謂でめらねばならぬ。されば太玉、前玉、活玉、言妥の如く
我民族り櫨魂粒食
、ノ+、ノ
000
いふが如く、非僻のものにも嘉魂が布するといふアニミズム的軌念が存したのは串野で、或は之
存在すると考へられたからである。さト∴はが与烹空
人の嘉魂軌念に基くもので、苑線内冊を離れた魂塊は輔珪することなく、破く紳となつて永遽に
此の如くミクマ又はクマといふ語が御室の鶉にも人問の心魂をいふにも用ひられるのは、上代
︹磁束拘史七八︺もあるのである。
00 ミを省いても紳耽として用ひられ、心の東しい婦人といふこと,で﹁ニギクマのたわ
βジ
我民族の暮丸観念
0
円六
をま宰すろ和宣があるとせられたが、其は凝ろ二次的展開で、本初は自然物やrJ⋮物の紳秘カを認
チはチカラ︵カ︶の掠語である
ー
古伸説にクマ又はミクマとあ
0000 めながら、木の醐をククノチ、火の紳をカグツチといふやうに、チ又はその愚語ツチを以て呼耕
したものゝやうであるから、−
るのは、生物就中人間の心魂若くは基調格化したものを意味したと思はれる。基故に若しミクマ
に和克両種がぁろとすれば、生人の心魂にも同様の笛別があると考へられたものとせねばならぬ
が、我民族固有の信念には基痕跡はなく、漢籍に見える陽魂陰吸殻が昔も今も吾人の軌念中には
存在せね桝を見ると、ニギミクマ、アラミクマは徒水の了解とは別個の意味を宥したのであるか
000000 も知れぬ。私は先づ其類語サキミクマ︵串魂︶、クシミクマ︵奇魂︶から攻究して
三
番紀和代巷には大三斡之紳︵大物ま︶の出現を次の如く叙述して居る。
日抜国中伊東扱者、大己澄明狗経巡造、落到ユ出雲固︰乃輿言日、夫葦原中国、本白荒喪
章及磐石草木︰成傭強暴.然吾巳継伏、異議和仰り蓬田言、今翠此困唯吾一身而已−基可l
輿盲共翠天下哀感有乏乎、干誌南光照海、忽然有海凍老自、如吾不撫者.汝何能中嶋此
汝之幸魂奇功也、大己食前日.唯、然殖知二汝是吾之串魂奇魂︰今欲一向腱化−
国華、由一喜在故、汝得レ率其大造之鱒奏、是特大己強紳閉口、然則汝是誰耶、封日・吾是
0000
βの
††ト
ク シ ・− タ †
ナキ・−タ†
祉ヨ於日本国之三謙山︰故即螢宮彼些位読而居へ此大三輪之紳也、1畢魂此云夜耕珊多摩︰
奇魂此声倶斯業柁磨︼
雅代族り嬬魂軌念
之を摘要すると、︵一︶別個燭光の紳定繋私記︺、︵二︶陽魂除他説冠紀︺︹寡往︺及︵三︶二覗雨化説
諦山︰是蓋大三輪明細也
締魂︰世塵由一弛魂術︰今非此準大己英之幸魂化和船蝉一照渥之異蓬緑化二大和国之三
馳強、是以有緬爽奉於紳明り兼房易云▼六十四卦瓦世之稜、川黍攣琴迩魂︰三重哀鐘声
壷疏去︺串魂奇魂華魂晩之名也、左樽日・人件始化日独、欧亜馳陽日額用吻精1多刑魂
ま也
0000 ︹目撃一︺幸魂奇魂華一魂両化之名−串魂者念而光臨而就、奇魂者不葱而鱒是帥天命一身之
葬欺、文事老術之栽、奇老貯が之義欺
夢鬼云々・今変事魂薪是魂紳也−奇魂者是塊鬼也.以レ之謂乏奇魂若用・醜字乏條可計本
城術之鶉也・言此魂筆箱宮門l之魂也・私案、五行大義日、死者魂気警天声紳、吸気下降
︹輝紀七︺私記日、開基鶉如何、答串魂是左支久阿良之尤留魂也.行英者是久速之怠也、奇魂者
OCOO 奇魂彿魂之醐也とある串魂奇魂については鎌倉室町帖代の誰群書には次の如く説明してある。
古事記にも同様の記事があるが、串魂奇魂に言及せす、之に反して懲串本紀には前足汝之
9J
我民族の晃魂粗食
四八
︹口訣︺とに類別せられるが、︵一︶は言語準的根掠の互い課で、サキはサカ︵菓︶、ナチ︵串︶、サガ
︵邪︶、サキ︵吹︶等の原語サの形容詞形であるから、幸クアラシムルといふ動詞に代用寸ろことは
把来す、奇魂を城衛の義としたの・はクシに時の窓があるから㈹に油すると考へた秀でぁらうが、
同一紆ではなく、クシアカ〝クマ︵櫛明玉︶、クシミケ具備御東野︶、クシナ
と説いたが︹記伴︺、此サキに助詞的忠義のないことは上述の油トで、クシも亦クシビ︵奇竪︶とは
0000000
憲妙の意を以て修飾語に用ひら、れるのである。基故に潟東基第玉谷鋏懐石の歌には同じクシミク
92
名行アり
名作アり、奇魂も字の如くにて奇麗徳を以て萬恥を知識耕別て椰々の覇業ぉもなさしむる故の
さて拳魂とは私記に是左支久阿良之尤留魂也と云て、字の如く基身を守らて畢あらする故の
皐魂奇魂共に和魂の名なりとし、
分化訣は此場合には皆らぬことで、若し二魂ならば二榊となつて現はれた筈であるから、宣長は
とするが如きは、字音を以て古語を解かんとするもので、窮したりと謂ひつペきであろ。︵三︶の
がなく、サキを前の志と解して行之義としたのは、仰多少の線があるけれども、クンを久止の我
記の如く我民族の固有信念でないのみへ与らす、魂をサキミクマ、塊をクシミクマと祁ふべき理由
例のないことでぁる。︵二︶は上代支那人の塞魂観念を以て説明せんとしたものであろが、共は上
.千
他の人に
萬代lこ
紳㍍がさ
ら 紳
いひつぐがねと
然しけらしも
吼l・Lかし給ひて
示したまひて
マといふ語を次の如く逼った意昧にも用ひて居るのでぁる。
二つの石を
み手.つから
此クシミクマ
丑きろかも
いひつげと
クシミク†
今
のをつゝに
子負の原に
コフ
0 0 0
またまなす
0
ともに久しく
0
︹八一三︺⋮こ=・・・・
0
海上の
0
沖つ深江の
0
わたの底
びいます
視界揆の∫鶉観念
かといふことを一考せねばならぬ。上代人の観念によれば人糊り魂槻抜群中に遊廓守一?Jとがあ
段の物語は犬飼まの生時を叙したものでぁるから、基やうな小骨揖が∬兄し得∴るペきものである
香是汝之幸魂奇魂也とある併を見ると、基は逝軋魂でぁつたかのやうに了解せられ一りが、此一
語法でぁる。
く、拘︼名詞一竺一つ︵三つ︶重ねセのは生口之足日ない︹のやぅに、上代人の好んで用ひた荘韮なる
クシ︵奇︶と同じく修飾語である。されば串魂奇魂︵術魂︶は、辛く奇しき︵押き︶和魂といふに等し
らうっスベはスメ︵皇︶の音便で、舵鶉は渾︵又は渾身︶でぁるから︹古語大酢典︺、此も亦サキ︵串︶、
さで、前日本には備虚妄ュケクルミクマと訓したが、意をなさぬから、スべミクマと誹むのであ
の用法は奇魂の場合と鼻りはない。加之葡串本紅に事魂、奇魂、術魂とあること一でも考へ合はすべ
こ∼のミクマは宣長も論じたやうにマタマ︵眞玉︶と榊義で、此二つの石をいふのでめ一?が、クシ
︹八一巴 天地の
93
我見族の監魂観念
ウッソ
るとしたものゝやうであるが、現賓に於ても基まから離れて、本人の興り知らぬ閉に、別個の紳
︵又は人︶として出現することがあると信じたものがあらとすれば、其は幻成幻兜の所有者であら
う。宣長は之空調産泉日和の御免とし︹記伴十二︺、守部は﹁凡人とは際ことなる憲異ならLというた
が︹道別七︺、棍に醐界の現象には入関の測り知るべからぎろものがあるとしても、人R口が北盲威如
して言ひ伸へた告がないことは既に述べた通りである。
右の如く論究すると、此間超の解決は唯一つあるのみで、其は事魂奇魂云々の句一で以て、大三
〇〇 翰神永の錬紳が大己丑命の紳聾であるといふ俗説が流布した後に追加せられたものと見ることで
ある。大三輪紳敢の祭紳が大物まの紳なることば費紳紀︵記︶の明記する所であり、且この朝に於
ては出雲撮根が抗命服諌の故を以て出雲臣寄食みて大紳︵大己黄命︶の祭祀を厳した程であるから
︹紀︺、大和朝廷に於て之を準脊せられた誓はなく、三輪山の大物ま醐は大己英命とは全く別耕で
あつたとせねばならぬ。然るに後世大国壷侶仰が勃興するに及び、両紳同一偲詭が起♭、御代紀
一書には大己丑命の数ある別杯の一として大物ま紳といふ名恍をあげ、葛串本紀︵節四谷系譜︶及古
語拾追には右の外に大和固地上郡大三輪細なりと詳記し、姓氏磁にも賀茂、大所等記紀に倭大物
両神共にキ︵木︶萩中のカモ︵賀茂︶系に属すゥりことは近刊拙著紀紀論究第四
まの醐育とある諸民族を菰く大国ま命之後也として居る。恐らくは賀茂、大柳氏等の家侍によつ
たのであらうが、−
β1
巻に評論する通りでぁるから、全然無根であるとはいへぬー僻世上一般には承認せられて屑
大穴特命力申給久、金御孫命乃静坐中火偉観恒夫、己付和魂平八樽鮎財取託大、倭大物ま櫛
耽l竜族の媒魂軋念
べ︵渾︶−ニギ︵和︶は美禰として接萌せられたものであらねばハけらぬ。されば茄魂のアラも亦一椰
・一夕† 右によれば串魂、奇魂︵術魂︶、和魂はいづれも御霊といふ忠に外ならす、サキ︵串︶、クシ︵奇︶、ス
伐異是神宮都道先剰也
旦麗廠於大三崎班∵準膏足‖命−令レ鮮麗大己堂命︰大物ま命詔議足‖命へ自今已後可衰衷
収一死八爬鋸り名目偉大物ま櫛墟玉命∵碗一座大三輪榊奈師云云、令レ造観梅泰瘡喝随
耽上細心宮御字︵孝喝︶天畠御世.糾明攣請足‖命日、再開批氾大己基命也.大初己命之和魂、
箱後他の著作で除り信用のおけぬ審であるが、大三輪三軋銭座次第にも同様の記和がある。
00
坐文
壊玉命萱名平群ほ、大御和力紳奈備博学⋮皇御孫命乃近守紳‡貢常夫、八百升杵築官財
00
書式所載の担雲観造赫怒詞には次の如く表現して居る。
術魂設が生まれたものゝやうである。之を大観ま紳の和魂としたのもM一租念に基くもので、延
て居るのである。其外に大物ま紳ほ大己其の紳壷怒らとす一り仲もあつたので、上記串魂奇
かったと見えて、古事記の如きは大凶まの別名中に大物まをあげす、全く別仰の・紳として
ク占
我民族の雲観念
立二
の業稀で、荒は借字と見るべきであ㌢フ。此軋守部も既に注意したことで、﹁荒魂は損珪魂の義に
して仁享⋮和荒などの先にはぁらぎるぞかし﹂と説いたが︹稜威道別川︺、﹁本定よりさらに別れ給ふを
00 こそ耕せLといひ、出現した分室の謂としたのは同意の出水ぬことで、こ∼のアラは拙論の義で
00
はなく、顕蛍を意味し、後世のアラタカにあたる美稀とおもはれる。基故に古串記には墨江大紳
の克典のみをぁげて、其和魂に言及して居らねのである。
四
繍功紀及出書見土記の紀恥も率爾に読むと、和魂と茄魂とが各別の師宣であるかのやうに⋮仙は
0 れるが、和魂夢玉身−而守一毎争克魂宰兎鱒撃師触h紀︺、和魂者静而、茄魂新暦悉依給︹鼠︺とある
丁†
のは官業の文で、紳塞が御舟に御伴すといふこ−と又は講師宣は皆冥助一宮垂れたまへといふことで
︹六奮おきつしま
潮干浦ち
白雪庭に降らしきにつゝ
あらその玉藻
ふので、二人の女性のことではない。又萬糞集に
.〇〇〇
しかすがに
おもはえむかも
ノ
とある潮干浦は単に潮が満ちて港がかくれるといふことで、吹散過も吹過ぎ且散過ぎたといふの 妬
︹十善梅の花妙齢過ぎぬ
いかくりいなば
らと何かして、くはし女◆ぎあbと問こして﹂とあるサカシメ及クハシメは、いづれも沼河比貞一でい
ある。此やうな表現法は古語にはめづらしからねことで、例へば八千矛紳の歌に﹁さかし女,であ
ノ
ではなく、吹は言葉の丈として添加せられたのである。
裁農真の暮︳れ禽
0
月積雪院軸顎報
0
0
詳夫醐宮荒魂宮︰御形銘坐
0︼0 0 0
道草克祭竺院枇轟北
紳宮嘩院行叫巾に次の如く記述せられで漏る。
月讃紳軋に配癒せられた荒御玉命以
下三細を官祉に列したといふ二つの弔項を意味するもので、此所軌については皇太紳営儀式帳
〇 これは荒祭紳に准じて月讃帥に馬を奉納したといふこと∼、
.唯麗希神事喝文部和知釦l伊佐奈使命伊佐衆蒲命入一致常軌一
甲質草灘波内親王軍此日典常風雨.故知費畠、ト≒伊勢月諏帥野川ペ於違和年九月
で、光仁天奥の茸亀巳年八月の催下に次の如き記轟かある。
して、和魂荒魂を原調笠とは別個の醐格的存在と了解す一匂やうになった。史上の初見は縛
降るに徒ひ、人間のクマシヒ︵魂︶と紳のミクマ︵紳巾警とが、同一租念に裁くものなることを閏却
他にも例の多いことであろが、こゝでは騒別上和魂荒魂の稀呼を用ひたのであらう。然るに世
に祭ったとあるのは升窟の珊で、同一紳寧竺一ケ所以上に於て祭祀すろことは少しも妨はな
天緊大御紳の克魂を廃山に奉落し、筒塑一紳の茄魂を長門山田杭仁、和魂を大津汚小倉之長
ク7
我民族の‡魂粒食
御衣−金作帝大刀侃之、次郁恵魂へ
已上内人物忌定供米
っ
此一部−伊井諾野次麟︰伊野尊箕已⊥奈良朝廷御枇定純、次桝力薄命︰御形▲!毒.爽月形、翠紫
00
〇〇〇〇
00
右の外度骨の高宮も守山束大神宮之茄御玉帥也とあり、同︰ilr年中行串月識舞の催下にほ東方二紳
00
厳在之中、二塀坐月讃紳、一殿坐同軸荒魂とあるから、此宮の荒魂は月識命の一荒魂とせられたの
00
であらう。荒療宮の祭紳は遮音式︵訓紙面︶にほ大柳荒魂とあ一りのムであるが、倭姫命世記には畠
太前売魂、伊井郵伎大前所生面、名人十柾津日紳也とふ∵り、多賀宮の館紳をも削劇受光魂也、名伊吹
月ま、亦名Hq紳蔽‖大正比紳︼是也と記され、御銭座倦記には次の如き奇怪な説があげてあ乙。
0000000
荒祭宮一座
皇大醐荒魂紳也、伊井諾令到こ筑紫日向小月橘之相原而、祓除之時耽一元服∵因り輩‖天子﹁
荒祭榊也、謂∴祓月刷湖織津比畔紳恵也
多賀宮是也
止由東急大畑荒塊也.伊非誰瑠到∴筑親日向小♪橘之嘩坪而、祓除之
大日尊貴也.天下化姓名目夷照大神荒魂へ
多賀宮一座
000000000
月天子︰天御中ま整骨也.天下化而名〓エ丑巾気大和之荒魂り
○つ
右の外延書式以下に蒐魂又は和魂を燭立翻格として取扱うた左記の例があ↓り。
︹式九︺大和隣城上郡奴非坐大帥荒魂紳軋
りβ
カムーキ0000
︹式∴〓琴謹醐祭の催下に祭料及解除料にあげたる後、右茄魂和魂申分、並煮レ粥而祭、若潮対日
罪業卵者.依r件鏡祭.移ユ東山野
元年秋七月甲局剃、蓮如於倭囲満城へ天皇夢
︹繹紀十二︺一事ま甜の催下
00
高野天皇賓字八年、徒五位上高賀茂朝臣田守等奏而準迎州境於菊城山兼下高宮岡圭其和魂
着物財政国︵土佐︶、千レ今祭祀而云々
家牒日、股上地心宮御宇天畢
有;二月入り対立殿月へ自稀夫己貴命自、我和魂申神代由一≒翰山繭助細蕗之昌雄l也、茄魂
︹大倭紳鉦鼓進状︺
0000
服玉身−在二大殿内而畢−貨基之術準帥得軸放論天照夫叫倍大闘魂畑並祭=於天皇大殿之内1
︹同︺博聞園紳老犬己骨命之和魂大物ま抑止
た記串がある。
︵イ︶ 荒祭如t略式祭儀を行ふ祉廊の祭神はま祭紳の克塊と椰する。
現鱒族の饗塊観念
7一..一
一l叫■l●
上溝によれば平安朝以降には和魂克魂に閲し次の如き概念が存したものヽやうでみる。
♯終始濾︶、逮排熱座少貴名命︵紙価︶
常軌古雅革質倉︰唯石工三筒鳥居繭已、奥津解座大物弐命︵紳名帳︶、中沖鰐雌犬己韮命︵背事本紀
0000
大三給油杜は上記の如く大己蓑命の和魂を祭るといふに拘はらす、銭座次第には次の▼如き矛盾し
00
クク
我民族の疲魂観念
︵こ 此場合蒐魂は鼓舞紳とは全然別個の紳㍍ることもあり得ク∼︹掩旋命仰記︺︹御鈎匪l伸胤︺。
カ▲ト†
︵.こ.和魂兼魂は本副審と同一軋に配配せられ乙こともある︹式月詣融︺︹火三輪鎖匪次第︺。
︵lこ 落留︵辟稟紳︶は和光二魂を具備する︹式︺。
右の概念化相互矛盾抵触する所があるから、此仲代の定塊根念′r代来す乙らのと見ることは出奔
ぬ。庭脊式紳名峡所載二千八百六十一秋−−γ荒魂︵又は和魂︶を祭配†るもの折損々新開に過ぎねの
も其放であらう。さりながら之を似て陽魂除塊説の磁化至宝けた一部神道家の作鶉と断定す一号J
とは早計で、同一紳格に諺と姐、天と観、活と列、又はぃい㌫・庶の如き侶別郡一でそへて二杜乃至数
社とした例は青侍詮にも少くはハ几・いから、和魂又は荒魂とい′小郡軍で連ねた碑名が別個の紳と了
解せられるやうになつたこともあり得ペきであ乙。加之上代に於ては大和文化に同化せざる民衆
も此陶土内に多く棲息し、各基禰族の固有宗教信念を保持したもの∼やうであ一〇から、民放の融
合に伴ひ、信仰上にも折衷的軌念があらはれたことは絶無とはいへぬ。華族小−蓑も多き中古め、
アマ︵海人︶族の血が多く混入して屠るやうであ乙けれども!−
且勢力を有した.のはと︵火︶又はヒナ︵夷︶と耕した椰放で、エミシ︵蝦夷︶しLも呼ばれ、今のアイヌ
族に基名残一曾留めて居るが、−
基先はアジア大陸より出で、満蒙シベリアのシヤー†ン放と同様の信仰を右したことは、現在の
アイヌの研究によつてもほゞ疑のないことであろから、北ハ崇敬に弊判り黒自二塊税が、大和民放
∫仰
の思想に影響を及ばしたものと見ろことも可能である。
大
荒魂、和魂といふ語ほ近枇の民間付設には殆ど川ひられ克が、人間に崇をする京釜、死蛋がある
延弄式の迫饗祭及遊却豊紳の祀詞も之を表明するもの
此個説が出雲迦痕のものと推定せられることは近刊
といふ枇念は平及して居るやうで、基源に遡れば川じ泉に通するのではなからうかと思はれる。
−●l
ー
此思想は古くは韮泉佃説にもあらはれ、−
拙著紀紀論究第二幕に詳論して置いた
で、平安朝山降の榊薮信仰の出所はこ∼にある。さらながーし之を我比族固有の霜塊粗念と泥同す
べからざることは勿倫で、言語の定義は時代によつて担迩のあるものでJ・りるから、後世の用例な
和魂荒魂二者.批氾化異人耶各市焉.紳功配所ト調夫間男
中筒男、底筒
以て手相課を布推し、時代を無税して一柑に解椰を下さうとした江声暗代の同型者の訳に二は友和
沌按●
することが出水ぬ。参照の鶉に基代衷的の二訳を左に描げる。
︹帥興研疑仙川︺
墾二紳、基和魂駆︰玉身而守藩命表立傭錦夷、野構津間作竃郡代宕珊就及西遊大津停車倉
之長峡尭也,荒魂華北錦商学輔卵焉.野長門同豊浦郡代勇〓照茄魂紳址一差也、此三帥潰化
渥湖之呵耐力和魂荒肇草加融汐隼翻り新弼和魂滴汐洪清ポ卵荒城い惜醐之作用而不和レ稚
軍人惜亦有一和魂荒魂−研1.野天照大棚於構津囲武相即横川此東研之荒魂如、所振放伊勢
花代族の羅魂杓念
JOl
雅代族の銀塊軌念
所レ野犬己韮命於二大和団塊上郡大細大物ま紳融東和魂也、
研レ準同郡狭非坐大和荒魂紳軋衰其荒魂也、和紙令帯云、荻非新大紳た免御魂也、散而行短
内宮︼者、不旨日面革新魂屯明考
00つつ
ギ
ア
ラ ムカヘイフ
エヾク
ヘ
アブタ
ヘ
ニギ・ン千丁ラシ†
ニ
ギ
ノ
ア
う
ノ
提唱 凡和魂者格旨三和妙︰和中之意也、荒魂者野誇︼茄妙∵讐苦憲也、又接こ延府内宮儀
二
式幌一石二別宵発砲敢︰然狗レ裁こ五部撃附骨之読而不レ可レ信焉
︹記伸王十︺ 凡て耐岐と阿経とを封言こと多し、和多聞荒多聞、新補先箱.和布布荒海布、毛柔
モ′ナノ丁ラモノ
ックリササノ
物毛放物︵爾非は閑暇と同言行でり︶行ことの如し。此和先に椰々の蕊ありて、荒分捕玉などの類
一一ギタヅ
は、物の生れるま∼にて、未グ修治を加へぬ一で云、共に封へて修治たる物を和其と云︵右の光
桁和婿なども是なゎ。此は生熟の字の意なり。耐岐多豆と云地名を熟〓津と邦り︶、文物の鹿
一﹁卜一
ナゴ
きと精きとをも云、戴きと東なるとをも云。又人家号どの荒る∼と餞ふと︵此俺も同言ぞ︶、
ヌ狼風の騒ぐを荒るといひ、静まるを和ぐと云。紳の心なども荒ると云、和むと云︵邪見、那
1.ホ†丁ラコ
岐、郵碁牟なども、爾岐、爾碁、爾井牟など∼同言〃でり︶。さて又物の間隙の開法なるを放しと
云︵大間免租あら∼絵描などの類化り︶、遽放るを荒ぶと云︵溝薬にあらぶる君、あらぴなゆき
ムカヘ■つ7
ハタラキ
そなど云る是なり︶、分散むあらくと云⋮⋮・・右の種々を思ひわたして、和御魂、茄御魂てふ名
lタ†
の鶉を渡り知ペし。さて紳の御釜を此二l二封言は、たゞ其徳用を云名にこそあれ。公憤の御
竪は御室にして、必しもこの二に分れたる外無きにはあらす。暫に成人此二抑魂のことを問
ケJ一一コ
JOβ
†ノレ
モユ
キユ
へりしに、己火に甘へて答たりしことあり。基は先.つ一の火あらむに、基一ぎ分放て燭と薪と
リク
に着れば、輯にも薪にも移りて燃れども、本の火も亦洩ることへ仏くして、和しまヽ打てるが如
く、各位の御室ほ本の火にして、和抑魂、荒御魂は燭と薪とに移し取た乙火の如し︵然る針散
人此鶉を知らず、公憤の御審を此二に分て、基片っ方克魂なれば、今片つ方をばおして必和
魂と心得るは非行アり。たとへば伊勢の荒緊密は大御神の荒魂に坐せども、然すとて本営は和
トリ
魂と巾すものにはあらす。仝憬の御魂に坐せり。ヌ浄問の廣田紳軋も、天照大柳紳の荒塊な
ト′、如此間前の荒魂の一に限らぎろも、彼火をいくつも薪に介収たらむが如し。文夫和の大
三輪は大約ま紳の和魂なるに、狭井紳敢は基大三輪紳の克塊なるは、和魂紳に叉発魂あるな
ゝ﹁.1ソ
†入
り。此は彼分収たる柵の火一竺旦分取て、薪に移したらむが如し。さてかく大岡産紳は、大和
閣に和魂も荒魂も坐せども、出婁観杵築大社も亦同紳の御魂に坐ほ木の火もなほ本のま∼に
るが如L。是叉三輪の和魂なるに封へて、おして杵築を荒塊とせむは非行アリ。杵築は仝惜の
てス
ヽヽ
御荘に坐こと、上に引る紳賀詞の文のさまにても知べきなり。或入関、非紀に住嵩大紳の荒
んえ・
魂は並門閥に、和魂は椒津蜘に洞給ふとある、然らば基金概の御室は何の敢ぞや。答、軋を
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
建て配ると、しからざるとは此方の恥にて、彼方の御粟のうへにはめづからす。されば紳代
に竹き紳たちの中にも、基まとある祉は無きも多し。さりとて基軸は和宣無しとは云べから
我l¢族の兼魂概念
J∂3
花代族の荘観取念
す。且此度什請大神■冥界賜へるは、基和魂荒魂の和もはひによりて功成し故に、基を祭賜ふ
ぃTり。かくて和魂先魂とて別物にはあらす。即ち其紳の和姦なれば、北ハ外に別に金牌の榊鋸
の朴とては無きも何姉かあらむ。さて又何榊にもあれ、敵を経て和魂とも荒魂ともなくて、
此踵にも彼虚にも祭ろことある、基も同じ御小皿なり。必しも和魂荒魂と云に限れることには
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
ツケ
非す。根同軸といへども、基祭る軋に随ひて、基御魂もほど′1に食由大小けじめなどはあ
る。此彼火年分取るに燭薪にまれ、基幹何にまれ、来る物の大小多少に随ひて、うつ、れる火
も基けじめみるが如し。:⋮⋮︶。
CO
此等は常アラミクマのアラを字によつて荒の義と新し、之に封証するものとしてよギミクマ︵和
0
0
魂︶を説いたのでぁるが、アレ又はアラシ︵荒︶又はアラビ︵暴行︶の意を以てアラと川ひることば
吉富の例では小畑く、アラ:で技研した場合には免︵珪︶一望皿妹し、荒渥をアルミ、荒磯披をアリツナ
〇
ミというたのは︹筋張︺、寧ろアレクミ、アレイソナミの通約で、武徳を未現する満にはクケ︵武、
触︶又ほハヤ︵速、捷︶一ど用ひた。例へば速スナノヲの命は行状が先々しかったと伸へられて居るに
も拘はらす、同列の天照大柳紳及月讃命のやうに荒魂の存在一で説いたものほなく、軍紳武璧槌紳
にも此椰眈が輿へられたことを聞かぬから、こ∼のアラは上述の如く前の意の芙祁であらねばな
らぬ。本登と和荒二麗との脚係についての宜長説は極めて巧のやうであるが、紳と人とを閏はす
J∂4
妥魂は其々個性を宥するものであるから、四元の一なる火に況へることは倫を謀って居る。然る
重民族の用魂勘念
ないもの∼鋤鍋は紳も受けたまはす、軋何も之む認めなかったのでぁる。上代人の信念によれば
やうに﹁赦を建てヽ配ろと然らざイuとは此方のことLで、紳憲の聞興する桝ではなく、唯基資格の
或は神宮仰向慨ならば分配せらるペき賃がないといふものがあろかも知れぬが、琵淀も論じた
のである。
たものと解すべきであらう。紳名帳頂証にも硫川者天照大紳之荒魂也、可レ那紳宮御同健一とある
も聞かぬから、音伯の如く紳功真后が紳故によつて天照大御神の紳麗︵アラ1、、クこを本籍せられ
いのみならす、︹古語大師典︺大紳宮の荒魂を祭るといふ上記の荒祭営の祭紳一で向津姓なりとする改
照大帥が虫后に封って我之茄塊七廣田岡に祭れといはれたとあると同一紳蛋ならとすべき根披は
ワタラヒ
なく、紳胱の意義から考へても、戊逢の宜十鈴宮に坐すといふことの外、何等大御紳と桝係はな
排媛命なりとして居る︹伸雄紳名状︺。此紳は紳功真后の紳おろしの時に硯はれたとめるが︹妃︺、天
信じて居るものもみるやうで、上記構津1叩閉式揮郡−瑚燐〓醐融は現据基祭醐を揺史水位之和魂天疎向
之に反して一方に於ては荒魂を基本諒とほ全然別個の紳、若くは尊卑の差別があぇといふ説を
和魂荒魂は紳魂に限り、基徳用をいふものと解押して屠るの・は机鋸といはねばならね。
に宣長派の嘩従は勿論、基以外にも之ド冨岡するものが多く、反謹となるべき準例は猷殺して、
JO占
我氏族の整魂軌念
六二
剰前の祭祀は基嫡疏の後裔の任務で且碓利であるとしたものゝやうであるから、私に天用大柳紳
を奉斎するものがらつたとしても、決して公認せられなかったのであるが、紳功皇后は皇族とし
て、天皇の御母として垂簾の政を執られたのであるから、時宜に従うて大御神を原口に分配せら
れたのは決して不皆のことではなく、天奥の御子が一家を創設せられる場合に於ても同校であつ
たと思はれる。然るに近世祝った和魂克魂常邸に捉はれて、伊勢大所宮以外に烏頑l紳を奉番すろ
00 軋あるべき理なしといひ、或は其祭醐を荒魂といふ別個の紳格ならざ乙べからサとして、此大御
学芸毒する由紡ある華敢の埋没を顧みざるものがあ畠のは、祭前の本義を無親し、雅同比固有
の妥魂取念を疑爛するものといはねばならね。
Jα;
l
′1
たものであらうかと想像せらるる。従って北遺波では
眞諦三戒に関する二三の問題
眞評三絨に肌†ろ二三の聞知
∴ハ三
の揉恐らく如来絨線勉の二川を唯論説によつて解輝し あることになる。然らば此恵味の咄識で醸伽わ派一般
派が阿黎耶誠を鹿明妄誠とし之れと北ハに英識む認めたはないといはろんから、此酢椰は扶相崇疲特の新説で
するに至った結英ではなからうかと‖心はるるし、北道らぬが、法相小ポ以外にはかかる解椰を認めて㍍るもの
練赴であつたが偶に速に如来就と阿黎耶識とを同一刷 も.法相丹那の視でいへば、話法皆不姓誠の意味に外な
考へられ、これは恐らく両道派の諏が※として如来戚 いはれない。例へば唯識といふ語について考へて見て
阿黎耶の字義からいへば古い用例上証酢ではない如く あつて、決して喩伽行派の全輪を代表し得るものとは
㍍るが、其南道涯が阿黎耶誠を眞肺の渾識となすのは の諏は印度としては喩伽行波の仰の一部分のみの説で
牌提の中印度系統と端︰捉流支の北印度系統とを示してなすに至ったのであるといへるであらう。然し法相㌫
地給㌫は既に典故初から南道派と北追求とに分れ勒耶 再・ポにありては之を極端にまで進めて蓬に唯講説のみと
選考浴して居るガに一屏の意義があると考へらるる。 むしろ哺誠詭壱※となすむ柿色となすのである。法相
ける忠義よりもむしろ印度に於ける線伽行派の拳説教 が∵耀論宗になると如来戚縁起を根本となしながらも
仙給硫論法柑三宗の準説の相迎は支那彿教史上に於 必ずしも唯論説をよとする傾向ではなかつたであらう
∴
_r
JO占
のいふ唯誠を表はすことは〓兼ない理である。故に法
ついて
川︵支那版︶によると成伽論六十三怨の水浪鋭蝕の璧に
眞諦三蔵にこ閲†る二三の問題
相宗が濁り盛とたつて砧論宗たどの全く研究せられな
ヽ■■■∫′
一難如H水浪依一正暴粥或如■㍍像依i正明鈍一番如五十一
説一二鮮等。膵誼諦故八識一砕、加古浪不V緋.水。世俗甜故
八識各別、狼川殊故。加古描論二︵狛字撃舶載︰以ユ此文一璃
ねばならぬ。かかる動から見ても現今に於ても郁論㌫
られて居って、最論仰が膵韮細からいへば八識は一院、
というて居るが.此又は其橋醸伽倫記十七下に引用せ
︵
くなつた以後の支那白木の梯教務の川ふる唯識たる譜
は印鑑忙於ける砲伽行雄一般のいふ意味とは異つたも
のである。若し之を正賞な意味に於て理併せむとする
の研究の詭要なることが知られ得るが、それは決して
世俗諦からいへば八識股別と視いて㍍たことを示して
。
かかる斬からのみではない。烈し賦論宗については不
㍍る。又略麓谷二十六には碗伽論五十一怨の水浪鏡像
L
幸にして英資料が伴はつて居らぬから現今では軍に其
の埋りを鮮群して訪識り一とも異ともいふぺからざるこ
ならば、少くとも郁諭宗のいふ解締だけは之む知悉せ
畢説の断片を知り得るに過ぎない。串にして井伊依の
とを明し、そして
一節。此二義別。今此小依■中道一課、二儒根非、二家線取
批是。
少し下に
此中の有我が郁論師の此を指すことは界麓巻二十山ハの
といひ、これも瑞伽論記十三上に引朋せられて居るが、
︵
二如如▲構諭知新符節以六識弾歩別有り膵。又有義餌庭
︶
誠大乗論沼が現存して居るから、之を研究すれば、臨
論宗の成形の詑を知るよりも却って直ほに印度に於け
る凍伽行波の一系統の学説を偶にすることを得て非常
−こ便宜である。
〓
先づ塙論宗の諒として知られ得るものから見て問揖
となるべき鮎を運べて見ょう。慈恩の醸伽略装怨三十
JCβ
甚句若如丁郁諭異む無着畢従二戸八租砕赴一識、伐1根
︶ 三此中雑著仰従那、八酷挑ノ別、︼識流類伏線各別、随.依
成澤の構大兼論並に非棉に見るも請識掟一位の義分と
鱒法相宗と興って居ムととが明であり、又之を眞鱒二
︵
かして居ることが知らるる。捌ち抗論系統では誹識︼
備混む王とし.此上に講識各別む解し行ったのである。
別一枚速水入負基醗無心別、eP以乱文由一嘩
とあるによつて例であると考へらるる。此文も碗伽伶
醸伽倫記は前記欄伽雑纂の引用一の前に
を加へて居るが、この蟻哨論が大罪起い論を指すに外
︵
記十三上に存する。これを落川芯法相宗の基く成唯識
水浪喩者如由伽及帰鳴論箕鏡像喩希如ユ深密等”
︶
論で見ると、第七歩に於て上兼二由雄を説いた結論と
して八誠の自性は定むで一なるにもあらず又定むで晃
八識僚一の兼は起‖論籾伽据わ説と同一に解辞せらる
ならぬことはいふまでもないことであるから、つまり
如d前野北海差別相槌一面世俗︰非融醸崩遠藤義中心
ること吏ポして居るのである。二喩の意味については
なるにもあらずとなしー唆して
︰﹁︰稚故。
吹引三喩嘉云而喩一串倶赴無−逓亦.ィ一同私〓人耶り初
■l
槻永典弘浪ネ馳.撒水或成l波明−ネ酢糞喩丁七相識
璃伽倫㍊十三hこ
て居るのではないL√一はいひ得るが、烈し第一怨に唯識
博一細耶毎弛。後鈍両喩喩一不聖肇不無敵而一以成一影
というて居るから、必ずしも八識明腑別の諏のみを採り
の理に迷超する帯としての第二︰諏に請識は〓は別に催
像▲故。
L′一あつて、水沢の喩は水と渥狼との異らざることをい
は同なりと執するを貌げヱを‖て兆すべき異軌となす
は心言稚する中に入れて居るから油常は之と説くを得
うて居るのであつて、波浪扶多くあつてち膿酷は一の
から、m別冊岡説のみを準じて帰心のでもない。冊同課
ない理でかり、理泄硲に宜つ〓上に宗∴ゾヤ墨の申の不
水に外な・hぬL∴∵七霊軋り崩む試し.鏡像の喩は鏡面
六五
﹂で説いて行かわばたらぬ。従って此卦に於て郁論崇
汎神三成lニ闘守一り..∴り問餌
仰
眞謙二厳に瞞†ろ二三の問題
一
﹂ヽ
ノ﹂一
′ヽ
が影像と成って㍍るのではないから、これは不鋸の義 く.又次に引川する肝から見て、むしろ郁論宗の人と
を明すのであるとなして居るにょつて桝すべきであら 見るのがよいであらっと考へる。心苑如門心損滅門は
ら、これ釦ち郁論小ポの人が起信論によつて構論を雛形
う。此中で彷伽経机帰論と捕係せしめたのは醸伽愉記 いふまでもなく起倍論の説から由来したものであるか
の来者の考であろとm小はるるが、不離不如の茄を示す
とたすの吟共前後の文から見ると若人の帥将に非いて して居たことを示すものである。飢も心根絃門に於て
居ると考へらるるものであり、必ずしも確伽倫記の著 誹誠各別開なるかの如く仲川して居っても本来は互に
者又はそこに引用せられて居ろ北師の説のみではない 不離で識酔は一であI︶請誠は非分の柑迎に過ぎないと
と推定せらるる。此動からむに醸伽倫記二十下に成伽 し、その一閑たぃり仰は心苑如と不捌の刷併になつて居
の断片む緋介せられた中に次の如き文がある。
士が東洋隼報飴十巷第二駿に於て蝉螺新‖兢諭吉串疏
倫七十六容が雛茨密紺を引Ⅲした中の水浪鏡像の鱈に ると節したのであらう。又曾て大正九年五月に矢吹博
ついて
喩中略引三喩和与何差別市.高徳祝一鏡面僻野心苑如
烹忘平和義一肴丁加二紡一名と篤−霹∴1別不︸同帖有一
門求浪喩喩一心隼城門現今某法帥云、西方講師揮一二喩初一
というて㍍るのを随一りと巌た興味む湧かすものがあ
渾然敵硝輔依成藤身劫徳名鶉4無漫︰二就−誠泉如門一
覇者此方正捌名⇒霞誠︰此有三表こ諭症誠門、能受一
三種二名融耶離∵一名酷郷窮三名敢剋評言恕椰
イ㌔ここに“〓訟といぅて㍍るのは.恐らく前の北‖人と
終可︻鍬丁珪石就法身一名馬一無浬︰散光名草云世間不一嘩
俳説同根欲レ令︸聞ユ本義政、須∴喩両
同根に、賦論㌫の人を指すこた疑ないと思はるる。或
腐
‖冊−附不.華云々。
識見如門と詭生滅門とが起倍論から探別せられたもの
は鴫論宗の人を指すとも併せらるるかも知れぬが、地
論崇としては姉深衝経上の剛併が左程に別粧ではた
ても差支ないであらうし、かく配付⋮して見れば互に相
兢諒宗に鳩する人のもわと見て差支ないであらう。故
のか例解でないにしても.最論疏なる以上は先づ以て
縦めらる1であらう。此断片が何人の郁倫抗にあるも
耶識の異名を起稿論より取って雛げて居ることからも
断片の下文には二回も局嶋論と指羞して製耶識亜に陀
いし、三大に㌫つれば県評は位相に説り硲諦止桐に竹⋮
諦は随紘で、俗諦中の絨不滅は結局億不党に外ならな
存することが知られ得ると思ふ。鼻緒は不醍であり俗
が.茹洞の課を拘尭に見ても起借論の恵嫌が基板本に
これが剋借論に基いて居ることは一婦よく糾せらる1
補うて丁郁と明瞭たらしむる。かく雨肴を封課すれば
なることは此放でも殆ど疑ないと考へら︸︺∼が、佃此
に郁論宗の人が起信論た依用して痛論の解押をなした
って㍍るし、勝北は報身應身の異名でわ︼㌔勿論嘉刑
定するのである。更に総高僧博の”鼎潤樽の申に逓潤の
として又前の宮徳も描論小机の人−竺指すのであらうと推
って雛押して居たことを示す鮎は之を深川して斌論宗
前兼引川した文から倒すれば郁諭㌫の人が起倍論によ
の説は恒軌に異るといは一?1から注怠を婁†るも之を
一根の傾向を知ろ葦料となし得ると思、・か。
緒速成践應化酔︰如巣轍他作⋮北朝鮮い柁工於英件︼無蔽
へらるるが、然らば此傾向は痛論宗の末流の人々の問
ったことがり常足すぺからぎろ串拭であるLLいへると考
此の如くにして最論小ポと起抗論との闘梯は砺接であ
挙兵。俗諦〓性有点滅不滅︰11〆躍従一一能蛮骨燕滅、介J能
二い成の畔には由来だ無ったものであるといひ得るかど
に於てのみ起ったことで、決して非始糾といはる眞謙
というて㍍るが、こ1の梨耶識誓批評のカ両は鋸ち前
六七
うか。茹諦三就の署逃が鞘存しない璃に此鮎を明に†
県評三絨lこ附でろ二∴のmm
の識苑如〓に骨⋮り.俗諦のカ而は識批滅門に苦ると見
異一般躍如一不滅。
不.守二性適典︰譜肇柑依已後、典諦弐蓮如成丘法身︰情
苧兢論黎明義談4眞俗︰苑釦無念性押、訪伐木レ改、佑助
裁として
−一t
こと吏加す北淡な雛擾となナを得るのである。之を基
Jのけ
比れて㍍ろといへるでわl㌧う∩然らば基諦㍊とは何を
六八
ろ、√王止〓東経いが、m測の鮮深場腔疏の中に左の如
指すか。坑諦三痛膵の佃循紹には此二喩を説く部は存
乱謙二故に偶†ろ二∵︰り問題
き∴文があつて往意を惹く上川心ふ︵支那版十二雅羊∴
ろ揮に#すろ。故にこの種諦記圧苑諦三成の兢大乗論
し・㍍くて、却って郁論醐の初郡に鮒鞘腔む引川して屠
加東諦串水埴︸氾誓㌔識興永識向・小成一端い鏡坐レ影
兼路一了拍し、北ハ申から刷測が引用し来ったのであると
一−、 .﹂・︰−ノ、
イ
﹂﹂∵一イ㌧
誓H講識靴レ起非川本識肛柏作岩山ハ識︰
苑諦坦芯、鏡影燕縛レ紘、錯不軌作影∴ハ識鵡レ維押
推症
定せら一りる。同測の腑には此外にも苑諦㍊として最
常州即前古ハ識捕手︰生後一ハ識︰非毎井本識醗軌作
大宍
兼識
論り
北路が引用せられて居ろ邦例を尊兄し得る。こ
之を前わ捻伽伶記のみから引川した三文と酎照して考 の甚浦三成の情人兼論証疏は御調したがら溝裁して成
へて見一〇と、雛三文には典仰が西方堪昔の説では二晩
ったもので、井筏弟子の佃㌫が舶減したものではある
は哺木調を明丁たらしむろ偶に填げられたもので同一 が然し∴喩の存する部分には斡減は及ばなかつたので
時に既に起抗論の旨によつて鮮紺したと考へらる1の
意味むボナのみとなす圭㍊して居ろも、尻諦三越は各 ある。故に托諦ヨ祓は郁大乗論描む澤しっ1講義した
別の蕾昧む示して居るL﹂解したのであるし∵兆意味は
第二文と柵祁うて明瞭に理研せられ、第一文と第三文 である。後s郁諭宗の人々が起㍍論む依川したことも
囲測の鮮溌弼踏疏十∵なに托謙二痛が九識晶に説く
王にょつて水浪の誓は心情沌門を銅像の誓は心罵如‖ 恐らく由来すろ揮があんと見徹してもよいであらう。
を喩へたものとなして居らと併して差支たく−これが
第九阿樺錐識此云ヨ無垢識ご貼如∬レ鰐。於∴苑如一石ち英
L√“して九識のことーギ通べて
来る。故にたとひここの措諦記の断片に旭日葡の小の
二我二坪紘境名餌.咤如及捏隙箕二能組職名吐無窮
全く剋㍍論に基いて居るものなることも容易に推定〓
文字がなくとも、意味としては殆ど川燃する肝なくよ
JJ(フ
率亦多本堂冬事阿靡締誰反照自惟叫
以上拉近に郁論宗と起㍍
にも耶なる一端⋮に稔り郡きを赴き過ぎる如くぼぜらる
は之を起債論から得たのであらう。かく諭すると如何
外なら群lと推定せしめろ如くにm心ふ。然らば苑維三成
ひたのであり.従って県評二︰戒H身が此詔を〓ひたに
何にも肝珊九講和の中に川ひられて居たものむ非橋川
じて居ったのではあるが、右の引川文の木兜の語は如
諭として論文をも引川して㍍る程で、弛い論によく油
疏を非いたと考へらる1が、両班共に蟻鳴非薩の起揖
というて埠0。閃測は解溌補紹疏を作って後に仁王控
解云本兜反照自推姉九識、如督促論第一苅悉梢。
事叫
多如来準〓裾野法身両膵排識此云鮎垢識如二九識
眞諦ヨ滅相光点九識︰一阿揮排弼茄如本蛍野性扉糎
蔵が赴信論む川ひたとして考へて見れば、此賑は苑諦
みには終らないであらっといへると思ふ。吏に苑締三
川と兆酢紹主によつて必ずしも里なる推察曳は想像の
であらうと抑察せしめることになり、それが前記の引
繍三蔵と起爪論との間係は前者が後都を弼際にmひた
紘起説の代衣的のものに起山論であるから.‖然に苑
とせられて㍍たとも見得るものであり.そして如来癒
基礎の上に骨七.如来戚組起説の〓囲を説く馬のもの
咄識説のみでたく、むしろ非唯講説は如来絨鰍起説の
には多分に如来滅紘起の思想が含まれて居て、決して
から、此新は甚だ厚かましいが、苑絆三就の鐸昔の中
他の論文に於て鬱表したものを鉱に祁録したに過ぎぬ
こに抑めて非材料を‖して見たのである。既に何れも
の附に鮮接な㈱係の存することに考へ付いたから.こ
び弟許lニ耗と起信諒と
るであらうと指するのである。
るが、然し竹⋮時としては他紙は左柑に起〓論に特有の
三痛が起稿論の繹新でないと諭するには和<‖がょくな
といひ、また同人の仁王絆疏には
語の如くであるから.ヱむ前・l引川の水沢鈍他の喩と人〓
宍九
からうかと考へらるる。然しヤは起稿論の押肴につい
乱諦三蔵lこ抑†ろ二三の問規
せて虞紳三裁と起信諒との靭係を考へる材料となし錯
JノJ
七〇
許さたいから罵如龍然不作諸法七たし.苑は苑建、如
糀諦三成lニ椚守i二二一.り聞出
て論ぜむと企てたのではないから殊更論及ナウりを差招
ほ如常七膵膵†ろが、是信論のカで托苑如協錐作話法
で、苑は不要なるち如は障維の意眈と持すろのである。
へる。
三
従って熱帯各自の詭が※張せられて㍍るのである。此
ものでもたいから、何れにも論ぜられ得ろ新があり、
常について種々たろ鵠論が存†るが、由来だ決定しに
皿と見撤してもよいであらー㌧∪起信論に閲して撰者謂
れて㍍る拙からは、これも亦賞諦三城に崗棒する一問
上があると考へるが、従来起〓諭が揖諦三成藷丁せら
本に入つて推しっめていへげ仙結局罵如から礪注が生す
とが兢′、べからざろ拗けとなるのではあるが.然し根
のみから情法が隼ずとたすのではたJ\無明と吉城界
であるかどうかほ緑川であろとm小∴り旬′諦萌如の∵先
起すろと酢繹すろのが炎して起㍍論の軽け仙を得たもハ〃
制定の景∴帰因たソ/.H縞し√︰桂根し、これから鵜法が牛
て㍍ろとせらろ1︶烈し此再如く苑如−ヱ予1行里鹿又は
そして拭法牛赴ハ次箱比三細大脱によつて説明せられ
等についてはともかくとして人−は起信論の内容につい
るこL﹂にJ㍍るから、そこ−で罪刑紘起点といはる1ので
大燕赴代読のことをいふとまた少しく糊拙にたろこ
て少し考へて見むとするのであり〇.
一原因たる宰吊の裡砕で、之に本題上明牲七の二義が
ことむ説くものとせられて㍍る。尻、加圧部法損起の第
ょつて言詮はして㍍りり如くに擢如から閏法の隼起する
せられ得レりものであり.大兼用放め通論上してよく精
原動力と・たつたものであるっ論北ハものが一大傑作と耕
たる意光を右す︰んものであつて場景敬釦ゐ前席首府す
剋結論の庸は支那‖本の硝ぺ史に於ては非常に重大
あろ。
ある娼に、隋鍬のカヤ篤胤を情迦†る能櫨膿と詑かる
髄Jヤ裾めて㍍るものである偏に彿敬宮〓によつて盛に研
起信論の内容については従式守しを托如紅起論の名に
のである。法相宗の放でいへば鐸如に院線の義あるを
JJヱ
究せられたからであら。然し今既に論述せむとするの
は支那‖本に於ける斯論の法論あ”心弱ではなくして.
印度に於ける一のM小憩系統車ポして居るものとして之
を考へるに莞せむとするのであム。つまり印度に於け
る斯論の苑の意味が和湊の析究常によつて造には論ほ
が撮らる1に至ったのではなからうかと⋮心はるゝ鮎む
運べむとするのである。
先づ初めに起結論の苑如が弛して賢冊とせられて居
るか棄かむ考へて見る要がある。勿論か1ら場A=には
瑠位といふ語の意蛛を切にして置くべきであるが、托
に萬法を生起する第二帰因とたして㍍るとすれば、大
閑適常用ひらる∼意陳と兄撤して差支ないと思はろ
て.妄念む経るれば一切塊界の椚はたいから、諸法それ
卜−身としていへげ言説名字心扱の柵を経れて斡克隼等
であり攣異たく粧擁すべからごるもの.操って哺是一
心であり、北部で尿如とポづくとあるし、さればとて
輿如と呼ぶも決して柵があるのではたく言に因って言
を遣るル引に過ぎないが、而も亦躍如の描は遣るべきも
のヤたく∴切詰法坪即ち掲如であると盃かれて居る。
論文には此妊f!‖の備は川氾やへきれろこし﹂なし、一切の
はは悉く竹見たろをHての故に.亦証すべきもたし、
∴切の法は竹岡じく如なるむ〓ての故にとあり.苅記
丹二切詰拭注砦即ち蝿如なりというて居るのである。
故に揖如は芳念を離れた上に現はる1一切話法の金肥
甘指すのであつて、決して話法た坐すろ即股とは解せ
すべきかは曝首柊如む説く偶に遁るのが最も根元セあ
必ずしもさうではないと考へらろ1、苑如た如両定離
原川としての据醗とせられて〓︰匂かといへば、論文上
はたろ栗むれ†る鮎でい、て﹂丑山ばたらぬであらう。
いうて川る﹁こJにたりじであらうし、輯如なる囚申咋薄
ば、一切誹法は環如なりといふは某欄を囚伎に摩って
られないL﹂川心ふ。叶・〓し苑如が苗法を坐する根因なら
る。然らば超倍論の最知はか1る瑞浪を里起すろ椚二
らうと想ふが、そこには一川諸法が肥々別軋ハに差別の
七両
墨苑如に射して苓ぺh沌如をいふ邪を見ると粕これに擬
れ諦三故に開†る二三の問迅
刷を塁して居るのは凡てこれ妄念に依るものであつ
・
†
JJ3
意味は決してか1る意味ではないから、右の如き雛仰
を離れて㍍るとはいへないであらう。勿論不堪鼎如の
れば既にそこには妄念に依って㍍る研があつて差別川
して解繹せられ得るが如︿であるが、然ししか解滞す
り衆小心といはる1法を全粒として一方から見れば心
門は伴各組じて]切法を耕すというて㍍るから一つま
ない。殊に心英知門と心叛好門とに封して是の二種の
あつても決してそれが洪酷の滋味む含むで居るのでは
そのもの′︰もいふべき意味であらっ。故に扶門の脛と
七二
の容れられ狩る軋はない。然るにまた躍如が一見如何
苑如門で他力から見れげ心症誠門であるといふ意妹に
眞沖三成に脚†ろ二三の間組
にも怠らしく考へられる1射は、
とある文であり匂。此文は畔には一法外の大鵡川と訓離
ろ場<=にも門附とせられて㍍ることはたく.︼切新法
別に批起すべ汁−法はたい筈である.故に英如は如何な
なつて.衆小心が一切の仰関川常州の法を鵠し此外に
せらる1が、かく縛めば法界の非は差別の詭又は種族
を一全鰐として法軌む椎れ差別和む沢じて一心と見ら
心英如者抑止一法界大敗相法門鰐
の我と解したことになり.法界はいはゞ世非など一箱
るゝ場介をいうて居るのであるっ
此の如く席如は決して覧棺とは考へられて居らぬと
ど同一に見ることになるであらう。然し苑記の将に従
うてもか1る晰秤は考へられない。故にこれは、即ち
滅門の方面に於てゞあるから、果して此方而に其意味
すれば.之を以て字術前法の蛮起する第一断囲とはい
れが結合せられて心眞如の意味む示して居ると見ねば
が合食れて居るかを考へて見ねばならね。これは圭と
是れ一法界、大敵柑.洪〓の陥と訓諌すべきで.三句
ならぬと思はる1。また法門の膵の惟の字が賓陀の意
して三納六鵡む説く部に閥擁して㍍るから.先づ其鹿
へないと思・はる1が、然し批起の如きをいふのは心生
味なるかの如く見ゆるかも知れぬが、これは英知の陀
本の根本不党む見ると不魔の我とは訊く如資に最知の
は同じことむ輿つて言詮はして居る狐立のもので、こ
とか牌嗣桁の経とかあると同じで.現今の語でいへば
JJ4
法︼な−1と知らざるが故に不髄の心起って基念あわと
㍍る場<‖にも心情城門を恥れて㍍一わので托なく、又心
述べられて㍍る。局如に附して知るといふ詰む川ふれ 批滅門を説く畔にも心苑如門を経れて㍍るのではな
ぎないのである。故に心界知日が前にあつて心中城門
たる第一少が不党と仰せらる1のであつて、これに⊥
兜に扶るむ以て心刺するを説いて名づけて光となす、
て〓一りLLは考へ卜︶れない。例へば無明業柵を説いて不
札誹二︰蹴lニ闘†ろ二三の問規
離れざるが故に♪−あるが.耶に心刺すとあるのみで何
−
三L
粟たものに外たら直のであろから、心英如門恕いって り.第三の鴫≠仰でも罷見に伐るを11ての故に境界妄
のが既に分つべからざろものを仰宜上桐別していうて 刺ぜざれば州ち見たし㌧亡て能見ありといふのみであ
切法を拙郁して㍍るからである。元来苑姓〓門といふ 次の硝兄畑の下にも動に依るむ以ての故に能見あ少.
姓池門抹心展如〓に附して走の二扶机離れゃして各一 しといはれて居えから、削が非棲苫である即である。
で、この阿黎耶識が心生滅門の原理であり、そして心 等牝すと比運べ・hれて居らぬし、動囚晋共既に別畔な
捜想せられて㍍って、発と不兜との和合が阿黎耶識
何故に動的にたるかといへば、悔忙不党といへば聖が 発すれば州ち動ぜす、動すれば飢ち習ゎり、共は閃を
って何等新に串門的に損ぜらる1ものはたい。然らば
薄のでからう。故に郡山的の維念無抑の境界が動的と これも決して粥賀的に何かを損じて来ることを意味し
うから、無差別中等の︰心の分裂が不党の心といはる 附序づけて三釧六航として解耶し来ったのであつて、
なすのである。拭一なりの一は動的でない忠味であら ば、差別仰が和上小ることになるのであるから、それを
ない揮お指し、それを其念右わといひて妄念の耕しと ない。かくして根本不党の起動がいほる1ことになれ
ら、不兜の心はつまり苑如の紘一なりに成りきつて㍍ が北ハ後にある♪︰い声如き帖岡上の前線扉存する謂では
弛むで㍍るカでいへば成るといふ忠昧に外ならぬか
い。説明酢珊の晰序文は便宜上別々に述べて如くに過
ば、これ扶通常の描併封時に於て知る場合とは異つて、
JJ占
七四
に解帰せらる1であらうし、Hl二のみでも弦にいはむ
孔抒lニ蔵に粥†る二三の問題
に現す.見を経るれば則ち場外なしとあつて唯将に妄
とする悲昧は了解せらる1であらう。
有の如くに考へると起居論の内容壱以て、苑如から
に現すといはる1のみである。若しこれ等が邦押上拙
攻忙次のものを生する意唖と見るならば.兇すれば川
川ち境界なしとかいふのは僅に椰解せられ揮い文であ
棚厳密に論評的に説くことも‖氷るであらうから.今
るとはいふみ一得帆lと川心ふ。無論以上の如くでなく語群
ち動ゼナとか動ぜざれば則ち比なしとか見を経るれば 萬法が埴ずることを説くといふ意味の底如放題詮セあ
る。起帰途ではか1る退城を説く邪む往志するを要す
を説くのでないことが解せらる1と‖小ふ。勿論Ⅲ上の
にまた此り如くいふ揚人‖には既に放題といふ語の就昧
ば揖る惰擢で、必ずしも評絨を要しないと信する。更
るし、之と考へて見れば蒔法が串標的に生起すること の詮遇はⅢ雑に渦ぐるものであるが、要旨のみと取れ
如き韻人=に通例杏々は摂すと言詮はして居るし、論文
を以て襟腫たる帰因から精巣の窮することを指†とた
にも不能に依るが故に三種の柏を埴ずとか境界の橡あ が間庖になつて㍍るのであるが.全冊彿故に於て扱起
るを以ての故に復山ハ稀の柵を生すとかmひられて屠る
が、然しこれは決して時間的に革雀上一のものが他の す〓注が存するかどうか旋はしいと考へらる1。菜感
ものと生産する意味ではない。従って屁如々宵法創造 珠起といひ粕耶縁起といひ如来戎練起といひ法界級起
㍍るのであらうか。法界縁起の如きは武々無惑事件具
の第一節囚となしての庶起といふ生起とは同一志味で といひ又は古ハ大紋起といふ際.何れが其意味になつて
ない。三如が既に此の如くであるから.次の古ハ臨につ
いても亦は様に批起の意味でないことがいはれ得らと 足む赴くから、少くとも此切A=には純赴は革媒的埴起
らいうてもこれ等の社起は∵眞如放逸の通常の意味を
思ふ。然し措辞しくは教法審習の段について諭すべき を意味すとは許されないであらう。然らば此鮎のみか
であるが.殊更之と述べすとも根本に於ては右と周緩
JJG
子の種子瑚行種子が同ぃ剃耶に既に甚はつて屈ムとす
て居るものであ一也と考へら・心\秤子生現行報わ整梯
れて居るものでなく.説明上咋糊的の誠に移していう
同時であるから一基根本に於ては時間的牝起は認めら
て盾ると見られ得る如くであるが、黙し二︰は城吋因果
を生すと説くから.如何にも扱避をさ1i椚的生起となし
はないことにならう。輪耶組曲は弼耶の純子から和行
って㍍る如くで.︰は凡夫衆生から説き進めて相性眞
如来描線起申ポーで説く結論にはHら其説きカが二様にな
を車起の過程を指すとは仰せられないであらう。蓋し
刷宗ともいはれて㍍るから、此揖のみから見ても縁起
るものとはなすむ得ないであらう∵如来描線勉宗は宵
ば、躍如練起も亦躍如が邦法を埴適することを塩味す
戚維起を苑如推進と呼び代へたのでわるとするなら
峨であるとはいはれないであらうから、若しこの如来
る賢騒から拭法が症することを意味するのが本来の忠
れば、純芋から和行が生起せらる1細くに稗子が前に
如に入ろ方向む※とし.他は最知一心から迷界差別の
入れていへば.凡て全はの蕊味でmひられて居るので
あり現行が後に生する即はないと考へらる1。烈し此
縁起論といひなしそして其考に一致せしむるやうに論
上の粕耶級迦の説き方又は見方が起信諭の内幕む躍如
としてかくいふのは止むを得ぬが、恐らくこの移した
ることが〓氷るであらう。此小前者のカ向む拇れば常
ふ如きものはたいが、吊別すhUとすれば大腫上蹄別す
推論と雌雄際上︰カのみを説いて他力を説かないとい
へらる1.勿論両帝は概念上の幌別であつてl何れの
訟では移して説くことむ王とすろのであ・γガ、ら、説明 境となろ腑序を追うて説く方向む拇ろものがあると考
文を解することにならしめたものであらうと思ふ。
何れかといへげ経常のカ向を取ることが多い偶に、‖
超信給の所説は由祭打大師によつて如来点線赴︰パとも 扶牝起を説くL‘−仰せら一〇1鮎はなからうが、起信論は
塞柵宗とも名づけられて㍍ろから、ヱに従ってかく岬
L●▲J.
然に蒔法車起を成くかの如くギへらる1のであらう。
JI
むや居ればょいL′−川で小.如来戒経過も決して如来成な
孔評三成に脚†ろ二三の刷出
∫Jア
斬新金光明竹唯識論及捏㌍中日旬長姉脱十回春等.朝
■−/
然し赴い八州は流柏門を諒︿と川畔に直にそれと並びて
授晩仲、紀聞昆冊扉諺、捌瓶準里如十油状新旭と捕へら
卜し.∵、、
浦波門を説き、一帯の説明中にも耐力む含めて居る柑
れて居る。新光明頼は前年に既に謂〓して居らから、此
耽諦三蔵l二閑†ろ∴∴のm転
で.決して堪勘に考へしめる如︿には述べられて居ら
隙西澤したのではたいといはねばならぬから.馬齢と
って親しい鳳楯にあつたのであるが.天ム〓大師の法華
偶に往昔を惹くのである。弊瑠は天ム〓大師の先鞭であ
は副じて唯識論が如何なるものであつたかむ知りたい
果して筆記したかどうか判明しないが、此畔誠じた又
少くとも基北本に附する抗となつた即である。幣甜が
幣甜が之を叩記したとすれば、苑諦二︰絨の常例の如く.
かつて、従って一抑の馴謂ともいへるであらう。若し
ら、講・ザと附したにしても、梵本によつて講じたので
唯識論なリリものは是上り以前に鐸〓せられて㍍らぬか
次の畔識論もこむ講じた詰味に見るべきであらうが,
あるの掟購満たどの音吐上比言外はなからう。従って
蚊l。一般にいうても基軸紘赴論の如き一種の宇目論を
説くことは沸敦の趣意上〓的的のことではたくして.
たとひ仰幽かに於て説かれて㍍ろにしても、それは耶
にカ使手段た一心に過ぎたいL一日心性ら1。然し人附い⋮心
髄は、ホい畔代には殊に、宇目論に噸き易い枠択一甘も
って居るから、速には手段が目的の如︿にも兄枇さり匂
ることにもなり、此の如き仰向からも起信論が罵如紘
起論を説くとせら一わ1に至ったであらう。訳し起目論
を此の如くにの入鮒押するならば、拭身と眞如との闘
係を考へて、法身のカに於ても猶宜つ苗法牡鹿となさ
れ得るかを考察すべきであろ。
四
唯持論云、兼是〓−服韮.山ユ柁如桃仲山一t稲敷等行︰由血
玄茄八上に、
ふハ年目の水聖三隼︵五五川咋︶に挽輩に於て、恐らく費
行一‖㌔仰基申彿華栽三川衆損⋮
碇諦三蔵は大浦二年︵五囚人隼︶に金陵に若してから
目寺で、腎甜に逢うて吾追納多夫等伯新人と嘆じ、馬
JJβ
て㍍るものであるが、同時に畔寂は慧違の大栗飛燕招
滝除.惑、除−惑故得体来由。問、兼是何明答、披論耶云.
一切衆根打l−照如俗迷境一故成︸惑則失一乗理︰見−境故.
如レ此故題詩痛想∴わ冠融雄三行一故硝兢−∴切罪牝︰兢丘
十九に引川せらる\唯識論の文むも指摘してわる。然
釆是拗一瓶基山︻埴如棚性政吊㌔棚憲等行︰中編想等糾l
とある。これは普通が其莱成唯識論略疏の申に指摘し
し慧違の併誹唯識論は葦提流支の押したものを指し
故‖一柳異沸北堰‖米車︰
と引mせらる1小の欠︰目下の文と全く川一なる娼に、
唯誠二十論の異謂の申にあることが埋骨によつて親切
に教示せられたから今は問揖とけなlhなくなつた。
然るに大山〓大仙のポの引用は何れの諭からであるか之霜挿大師は天肯大仰のいふ哺識論から一櫛の長文を引
を知るを得ぬから博雅の士の示教を仰ぎたいと念じて 川したに外なら机LL知らろ1。故に二大師の畔代には
直まぬのである。弊甜と天山〓大師との閻係から見て或 一般に唯識論の〟〓で呼ばれてか1る文む有すろ論があ
は弊謂が婦諦三蔵から博へた唯識論から引用したのか ったことは樅でぁる。幣誠の∴・〓から考へると此論は苑
地せられない偶に、或は腎溜に敢へた晰詩論と同一で
そこで現存の罵諦三成の邦を通覧してもか1一山文が更
とも想像するのであるが、然し此引川又鱒薪踊大輔の 諦三城の謂評か又圧藩適かでぁつたことにたろから.
法準玄論塩川に、
唯識論酢.乗右㌔耶六詭︰三砕川㌦削、∵〓性、l房併捌
苑如、是旭ご閲沌陽一舶自性︼流∴縮悪十地等法道心は
、な
〓からうかと創作するに繁ったのである。勿論購な
冊.追加如埴〓一顧囲訝ご芳川、潤甜想﹂二昔弼用二切
ないが.弊甜と穴ハ人棚との糊係L﹂名椚の榊一とに上
ったかどうかも経でないから、何等肺門なこと圧いへ
至英、即閲浦併‖無上背振、及一切不共法旭。六溺新る
一懲像であつて、兆して弊瑠が聞いた峠それが井とな
朱墨四境非、丁苑硲−腫㌔誹︰正和、即皮肉心三祁∴ハ
って想伶セ㍑しうし左のであろっ然し悍胡の時に井と
lじトU
異潤無上菩提。此パ謂次第打正111︰屁如︼篤た根杢.1J−有.
乳頭三成に閻†ろ二三の問題
JJ〃
に川ハ〓の私意む附して運べた。そして右の論述の中に
七八
なつ太かどうか明暗でない以上掟、たとひ天ム〓大師掟
は殆ど決定したかの如くに論ぜられて居るとも見ゆる
汎諦三成に机†ろ二三の問超
幣詔から闘いて引川したと鮮持し得るとしても、訂紆
郡があるでわらうが、損諒として圧必・ずしも決定的に
何分り御諒恕′で希ふ次第でわろ。︵右ハ∴・一こ
巧rからご叫謂†るのも甚だ無音仰の=ヾしでわらうが、
のでわろ。仙、︼度舞lニ†る以上ほ、之ね忽巫の問に認
て充と,こ亡が出光互い粥lこ、托溝︶勅にこ詑†lこ至つ上
に誠lこ恐仰の至りてわろか、寄稿り請な新な論文lこよつ
ろLり、一〟てわろか・hノ、それむ鉦に締出Lて沌ぷl?言
附音、︰れ菩り鮎lニづ、ンしは凡て一比論及・しr=ごい∵わ
あ︰むJ
安正専−=︼科﹁常の.小敬を謂ひたいと︿心願して止まぬので
〓東経いから、か1るユニ︰ひ力む狙ったまで1あつて.
のエ;=詮托しや未決い此の述べカにの六なすことは祇際上
※張するとい、ふのではたい。文章として住何畔も問ひ
大師が一櫛の長文む引く揮以は雛粧せられたいから、
此想像は撤回するのが圭八〓であらうか。習らげ慧違の
錫合と同じく葦堤流支の澤井申に求むべきかといふ
に.そこには柑骨⋮文が顎見せられたい。従って畢抑三
蔵の昔を通常すると.拗試論十八空論の中に唯識論な
る名があり多少の内容も推定し和らる∼が、果して前
引用文が、存するかどうかは到底明にするを得ぬ。叉
唯誠二十論の輿繹もホくは唯識論と耶せられたのであl
るから、或は此申に存するかと考へても、此中にも告
隙上ない。然らば或はこの唯識論の許耀たろ唯識論詭
班の中共は唯識論一ぜ眞諦三助が講じて昔とたつた唯識
論詑紀の小に存するのではないかと想促するも、これ
も.目下としては椛め狩られたい。若し此引川文が来
して眞請三戎の押群又は兼評の小に存するものたるこ
とが判明し村ば.誠に望外の串副である。
以上苑甜三成に㈲する問題として二三列記し.それ
Ja)
乎じて一膳雛膵し糾るに至れるむ以て、弦にその梵蔵
l−一L,
l
世親造三位諭偶の梵戚本及びその註辟的研究
はしがき
押嵩並びにその折究を催恐せられしシルヴン・レギ教
法としての椛々なる施設が識轍建﹂なることむ説く三
はしたが沌邸の致すところ.その全般を訴み糾すに至
の唯誠舐は此三性説を中心とするものであるから、そ
れたることむ見ムであ・hう。螺中速盃や大乗推断経論
世勅些二性論侮り菅成木及びそり部将的研究
らす.蓮町.序妻以て捕びその柿戒む始めしところ、
られしその西戎本と封旧して、耐水町々手記本を閃無
ききむ論正する畔識‖二十類推隼の揮諒が閉演酢説せら
字非教授が苑紆評三位無樵論とは別本なるべしと抑十
せ現前隼に於け︰わ所説は略にして、識輔鯉‖外に我法
れ、コルデイエ目録︵第三琴一大五日︶叫にありて骨て
同年十二〃レギ軟投よりそれを逝射することを軌め哺
ら識三十頃とその傾向を比較するたらば、三十現の﹁我
と報岱せるものは、右レギ敢托の親局本吏苧ふ。私す
はるものであるから、本論桐は岬り一の唯識論であり.
協骨誌に此梵本を彿囲の梵語雄者と彼自身とが戒すろ三性の軟説は一両法蛋の宜場に於て唯識教を証せんと
=稲に附し請先進の批判一ポ教を乞ふものである。
したるものに由・り。テユチ氏が昨年七月朋英的亜る
細拙亜
と共に我見初編せられし教授のノートより、むに裡授
掲への感謝の後志を表すること、致し庇い。此苛めな
‖本より船体の途次ネ.ハールに於て耕申渡論安慰能否
先に摘ぐる梵木はシルヴン・レギ教授が一九二八前
年木を封附し、それが一腰の雛将を施し、以て此梵本を
J2J
世軋準二作論偶り梵成木及びそり証澤的研究
れら二論の許絹を作れ・U世親にか1る三性説を中心と
八〇
の緋群がなし得らる1と云ふことも亦此論促が世親に
する∵唯繊論わ適作ありしことは化しむべきことで鉦
なせられて㍍一り岬諜た一向に屁へない論躍ともなるで
成る比論掲を紳輔したのであろが、下の謂詫に示す如
ともかくも詳論邦の助けーで情りて一雄三十八侮より
からう。馬油謂三性三無性論が此小論偶の許符でなあらう。
く.西成々紹中にも此論偶に糾する許繹もない偶にー
此論偶の研究の持には他のm租の放課を右する請論帯
によりて、それを詐膵し理解すろ他ないのであるがく
、此晶偶は大冊十獅に分つことが川東ると⋮心ふ。
かく世親に閥係づけられろ他の詳論昔にJ∵りて此論侶
﹁︰梵・成木封闇
こごゝLこトのでわろ。
︶は北元版り月数、︹
︺ほナルタン順のそれわ申し・詫の一打・にナルタン存、㍗・ほ北京収りそ
輯批の下圧工几らろゝ如く梵磁束その形を同亡く†ろもりで互いからー封閤ごは去ひ靴いが便宜上二本りそれわ並べ
西成本叫の︵
れをホ†=ミ零ふ迄も光L。
北京収め葉政行コルデイエ‖坤邦三谷第三八嘉常用⋮の如く、井確聞郡紹鴎崩五三扁一て諒二わ−三下邦人ハ行。ナ
ルタンに一二下第二行よで。
光政㍍の一祁朗小楯寓ほ榊用土机謂名沌焦のそれ従にふ。
tr⋮箪Pb訂ノごk弓ニ︷㌢詳言・雪コ己−P已rukl・it封﹀
11つノ.音詩s誓已詳l︼i︷声.pr鼓−1⊃︷肯告已唱lt㌣
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世親嘩二性冶侮り梵蔵本及びその謹押的研究
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︵一︶
世親造三往診侃り発症ネ及び一てり詰柁佑相究
一ゴニー打cP k単苫一1え﹂・弓︷ll巴F;t−︼封t召コ︷己r
EPイ己苫t勺.
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り貞一㌢︶1訂11一1巳rノ・︼.二呂己i二J︸・弓叫・i言・#11ヨ㌻⋮造−︶㌻d㌻・
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こ肋邑惹ヨ⋮旨喜音i享をit什⋮−へ.宣︵.・
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快
龍
るが、その拾践は不明であり年代も推定的なものでは
流た一夕丑−北枕弥錐門漉の係系としての地位に北ちこれに
第やある。
考として余の所見を運べ大力前賢の是正む仰ぎたい次
ない。†この日和銅の年代に瞞して先進大家の舘を蓼
多大の影碑を輿へ.新婆騨門派たる排調印度敢の教理
二
軟論隼派は良い顎建坪逮を右し後には印度思想の本
内容の張碓となり、∵万非輩羅門思想たる沸教の如き
の内容上に於て糾捕堆然たる鮎で印度軒鍵文献中で白
︵︼︶
歌論蛸はい名軟論七十論︵拾をセ・眉已じとも云は
れて㍍ろ抑.樟大なる勢力壱れするものであるが、爪
mとも云はれ得る名港である研からその許郡部も現在
れ現存最ハの数兆差ムふ地化を右するのみでなく、そ
むべし古い口碑文献の欣快の偶め現今教諭の鉾説と云
からは揮謂外泊押隼の既婚として常に破邪の封象とさ
へば大牢は瑚作最パの文献たる自在黒ハi3、−・舌苔旦の
′−﹁ノ
し
‖駁されたものだけでも次ぎの六純あつて何れも巷考
狭諸企七十読ハ軋許諾︶
とすべきj辻許である。
作者声明
▼\
作軟論噴︵研削芳百?訂奏削りに依らなければたらないの
である。従って〓在黒の駁論隼派に於ける地位は商期
揮の吠桐多堺派に於けるそれと匹敵し得べきものであ
∩赤黒咋代王
J.■ぎJ
ヒl己・.㌃Eナり︺㍗㌢P∴k訂・G弓.3・︵ごュ︰二言⋮⋮Ⅰ㌢弓︰−打蔓lP
九C
ハ防止=辟の叫七一の▼∬り
自我晃年代考
坪Pt推考 摩時雄註︵ヒ蔓−Pr?ヱ・︷ti︶
圭一︼鱗滅絶九甘ヰ申︰有水氾︰名転用潮境尊べく⋮コ︵lhlつ弓笹†
UO00U
咄薮盤.り.沫帥惜ハ大正戌苅奉り蓉山一八九−九〇︶
亙る憂があるも必要なる部分を抄馳せん。
これ怖叶は綬の論謹にも桐聯†ろもの■であんから︰ル長に
ある歌論に闘する記ご−iを一腰考察すべき必婁がある。
苑諦謂の準薮異見法師膵と慈恩大師の成唯識論連記に
然らばそれ以前何畔頃の人か、この邪に就いて先づ
ることだけ圧縮賢に知られ得リリのであろ。
のであり、従って〓れ黒の最下年代は五五〇年頃であ
祁謂されたものでありゎかゝ.り徴入朝頃は五川∩−年以前のも
郡は西紀五川パ隼に支那に琉た托諦に依て賂来されて
遇の許膵巾で最もパいものは企七十詣でぁつて、この
の隼代は抑定‖粟ないLr∴Hはなければならぬ。但し前
ん
′
年代が不明であろ限り、この仲秋に依て托到底白布黒
れす、又糊舶迦批維がH在の人物であろ上してもその
下の博統は興り、各師弟糊がれ授而授であるとも見ら
これ軍け娯池戸討までは凡てが一致すらけれども以
ガウダパーダ茸 ダウグバーガ読 ︵G︰2・ご︸巴︰l±廠︶∴↑︶
プアーチャスパテイ⋮シュラ菅 飢論評月光 ︵詔▲芳一一り,
︳⊥乳す?FGmud−︺
両鵜鹿阿間梨著︵−︶ 肪語群︵Jpリeヨド宣ユヤ
これ等の誹聾の中.自在黒に親しては蛸七一に当弟
子次節用承に依て伴受されしものが、苑詭を完全に知
り璧智む有する自在黒に依て阿梨耶制に略説されりL
︵一一︶
︵M︶
とあり、企七十論の椚七〇の長打にはヨ軍資躍門姓殉
︵三︶
式︵内払巳且名自在黒“抄根〓も十桐−hとあり、膠上‖踊の
項七一の誠には遊行者ハp≒iT嬰一打も自在盟とあるの↓〃
で彼の冶枝はこれ以上知ることが川東ない。然し樽統
に拭ては他の拳派より退かに詳細で次ぎの如きものが
ある。
ソどコi︵日息−︰l∵′買i・P腎臥ik訂⋮⋮訳↓5打還竃︵梢七
〇1ふ二︶
平常封︵金七十論鞘七一の英行り
000
隠細裔−司帝堂−露ハ罷り勺笥−苗詩−演縞諦1矩瓶浬−
000
lp・PT巴?・⋮・叫㌢pヨkぷ雲︵樫咤羅譲り瑚七一の註︶
吊P箋P・巨21i・Pローehあkl︼?せh帥毒PY?q訂訂・↓仰ご巳ki⊥︼賢・
︵正︶
了Jβ
⋮口頭li5n旨で品兢も放脚綱払山名、矩汲澤鳩l化、此外
0000C
池住む此山小田以強ぃ名.宥畏龍事名r批黒津迦叩︵く抑膏gPヤ ︵七︶U〇っ
甘二岬衆︶桂幻居頼闇討l=下地中正親王キ併網状論︰此外
道知詩砲王有丁解、欲工耗受γ撃、龍繁噂■.力作■仙人状寧圧無
位望外法堆幻至龍王併l越l非欲レ単量龍王即許レ之・⋮・⋮兢
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郡革帯名︰.伐興津六イ︰賃り︰rU此嗣鈷レ雨、簡略批放印以購−名、
0
某∵鱒伸輔読だⅦ七+論、謂軒‖外道∵人あ菰
拍0
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⋮⋮・撃︰‡論
0000000り
000り
井出緋署名ユ由粟井担⋮⋮共箪り靴論一及隼ユ放論−多“政論
些求翫論歳小国レ調川一世昇朝宥往些誠一︼僧不1加一丸溺蓮造ち
000〇
令準指J一品遣為.有力十碍両論長和ぺ祝東商之腑造血、
七十︰付叫巾一昭論ハパ︰⊥点朋レ種山いな賜レ之.外苅欲レ野一J
OO0000
t−t親華苗場二祉昔砧、里人竹︰≠レ曾、共11枇論帥斡旋盃誠、
吊解第四末ハ封三㍑九、ト︶
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被立■二十五諦︼湖∵大地等醤†無念念匪賊由奴ホ彼㌫り此
併衰鴻−論▲ぎ飛王︰用土札工北ハ仲レ犯跡V本木紺融姉∵:
○ 夢非政明融偶解〃耽附伐論︼野外氾云、浄押レ論究暇勿一叫
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改炎親王撃共膵∇己坤:⋮:闊王珊論究共新通亦 溌、即以ド
我不レ速南野云回腸一斉、乞帥施■加盟︼我貞栄蟻頼令乱論
靴音、維新不レ減今加減放、加∴今時山等︰研削†畔菟不し能
円錐音、乍必有レ滅以・夜勤増等有γ成敗、准レ酌有レ滅、外道
00000
両独血、相対力投ハ誹い基評論−亦革山路壷七十論り以封一一彼
t及倒伏外道論叢肴等闊骨強拍レ草野人、撃破時衆議
加療ヱ正雄∴世親之帥ホ瑚認肋篤由、久野札所釈師︰
に代金七十論たで㌦刊名ほあろがその作者名は述べて
ふ菅件名はわるも僧伏品玉李⋮のみで井名なく.逓記
八1この両部を比較すろに世親仲には新聞調婆婆と云
0000
00U
送野世親此箪扇・元勇些正春印璽野人箪糞法些昔時
桝宜国中由一過細評今純⋮し誠敢縁亦無卜誠.⋮・;共時関東
論︰而鱒触外挙音、祇非l一能破簸川喩過、我椚並触故、叉汝
ncOり000
り000
00
u造㌫七十村蝋論︰主情■チ宰‖瑚り拐之﹂故今金七十論帥其
答、※は㍍違僧什外泊な辱鵬桁∵⋮⋮・然被外波野王沌
000000り
不一壌、師帥紆乏、外箪狸此箪薇心缶状慢、⋮:ll−昭揮油津
︰⋮・ヰ時賦窮罷他ハレー昌0邑訂じ法相、時政幻覚ハノ1望㌻・
l︶○り○
賎行誕生衆姓網此抹野火、我須巨破lナし、帥人︰山阿絶開聞︼
コdbu︶法師等、謂大法師悲祉・敵岬示レ堆、・︰⋮︰酢勲埠敷
型兄姉彿陀雑多挑︵2ddPmiき︶法帖寧⋮⋮︰法師紺構
0000
00
炎、⋮⋮・文以封三緒沖箪豊山外箪外叫甲⋮⋮・泣︰玩l闇討山人﹂
宥厨巾てー・!拾亡命卑帥成レ不⋮・・;軍蚊些丑後退糊︰扁レ此
寧欺快便肺、不レ柑レ坪之、氾.人祉品柄闇討川︼冤と此外重
秋和川侠共催他︼以㌘輯レ帥之叫外道均u軽石、大批判稚
00000
000
惜繊、帥泣出七十汎異論蔽‖外道併レ造僧伏論︰
︵八︶
成唯識論連記怨第一未︵大正戒仲里川三華貝二正二、
1.b︶
訓宥山︰外遭l名占知比擢1⋮其確弟イ上申⊥骨、如L十八潮中
山祇爪年︰耶考
J.フ.フ
教従々敬し.後に泄親が彼を船級したL∴TT小ことにな
摘記叫を地合すると搬㈲胡聾婆が企七十論を作って沸
て吸船価む敬したと云ふ鮎が同じいからこれに依って
わたい。然し世親が七十托れ論或は膵求七十論を作っ
ナルガ如シL﹁抑制調外道アリトハ蓄シ〓れ黒ノ澗ナ
企七十論ノ此トヲ比較スルニ収婆利卜花里抄トハ同人
る。従って井上博士の外道群雄には﹁唯踏越記ノ鮮卜
云扁衆夫親植約在些云一項㈲調婆撃並不和迎Lとあ
本論‖圭別名云自れ択唯縛攣彗了韮偉等、就加筆
九二
る。然るに企七十論或抜上十わ拍論を軟論頃と見れば
ランしと云ふ推定を輿へてゐる。然し世親の隼代の研
︹l井然隼代考
その茸昔は仁lれ黒であるから抑閲諷婆婆=〓れ黒で前
究からこの推測を齢極的に論謹し以て本邦のみならす
︵一一︶
新は椎骨のit‡となり、然も世親仲に従ふ限り被は
欧米の印度頬骨にも多大の五献を斬らしたものは恩師
︵∵∴︶
彿謂及び世親仰の基澗を公にした後.翌年王国亜細亜
︵一二︶
世親上川畔代の先鞭で、その師は枇製沙迦那であろL′↓
縞楠博士である。即ち博士は一九C四年に金七十論の
この抑測に射する噂ポを始めて興へたものは余の知
協仲野誌で﹁見浦の伸親膵及び世親の年代研究しと云
︵山川︶
一腰推定を下し得るのであ一U。
る限り華厳経協班演義抄であつて、餌ち同邦堀第十三
ふ論題のもとに世親の隼代を考紀して酉紀州二〇−正
七十論の比較研究から大鰐次の如旦異動を述べてわ
nc隼上し、頂いて世親倖、哺講述記・囲明大瑞・金
﹁1.∴ノ
∴正︶
に扶初勃に前の遇記の文を引いて次の如く去ってわ
る0
基経弟子之中上肯.加島十八部中ソし郡声名一代理沙︰
るけれども肛純がこれに対して七十展告諭を作ったと
世親樽には軌閥調婆婆は櫓仏論を作ったと去ってあ
る。
躁せ利一︵利丁︶允許不−同耳、
此削篤−雨、⋮︰経常名∴雨衆骨︰餌兼帯一自在黒屏.受
︵九︶
二nU
むに暁應の企七十論備考には一手被抑㈲卸此‖れ黒定
〓山川人山とあり、玄珠の校訂企七十論の問題にも﹁今抹 すればこれは恐らく歌論七十倫加ち白露量−1⋮の歌論妬む
ノ.7f
︵叫八り
須l剤調婆姿と比川一人L′見られ糾一り。すれげ−︰1在黒ば
る。然しウシテルニッツつ′ニ巳百コニNリ
も是政の如く現今までも一般に認められてわるのであ
友邦併樽に依ればと云ふ條仰のもとにこかに従ひ、恰
世親と同時代の先鞭となる謂で約四五〇年頃の人とな
︵l︺よ1−号りはこの説を疑ひ、ベルゲ′ルカーハB㌢崇Pr︶
反駁せんが鳩めの北︰であつたに川速ないから自在黒と
る。従って企七十論の棚練にあろ躁婆利はせは婆で然
は搾叱羅証の研究から大鰐次の如き要鮎で同一記に反
︵二∩︶
及びグスグ.フグ
も利L′痩倒したものに相違ない。⋮石しこの椙説にして
勤し同時に〓在黒の隼代みー推定してゐる。
ロ
し
ノ、蔓笥﹂p
︵二︶金七十諭が軟論七十諭︵歌論机︶の別名であると
ヽ
語はっ=∴こ︹であつてノ、蔓或は
予
ではな
︹︵
く一︶摩咤騨証で知られる如く〓れ黒の師媒婆利の析
ハ一九J
正しければ次ぎの如き比較酎放と推定が得られる。
︵歌論哨︶
︵七十苑賓論︶
枇製抄迦叩−頻閲調婆婆︵桐怯論︶
で品蔓Pし
︵苛大拭︶翫配′㌧鮎購敷金七十善
︵世親仲︶
世親
︵企七十論︶ 扶婆利︵躁利巧︶−‖在黒
云ふ精摘的謹指圧ない。同一人と見る凋めにはか
く考へたいと云ふだけである。即ち術通論法に過
∬つ匪粗相に従へげ1畔親は相川雄雌拙者†いノ.ニハヨ。7
邑官りと婆経机庇旭王ハ︼ちユキ.㌧に保護され轍聞制懲
ぎない。
九二.
価の云へるが如く拝肴が三溝抄の賞金を得たから
︵川︶恐らく金七卜論は歌論現とは別純なもので瓜法
半円を県=げてわろとは兄えぬ。
ない。≠つ基法師は博混的安東を交へない−I三麟な
︵三皇旦那の印度兢行常の㍊車は必しも正酢とは限ら
婆は前昔のみの恩恵をせけたか・り搬闇胡婆婆−1‖在Ⅵ刷
は川八〇より以前に兆んだ人に川造ない。
世親の年代は染も釣上してこの頻瞞朗礎=〓在黒推
定混は軟論東通史仲兄の全く暗黒な骨⋮畔に於て一大光
肌む典へたので歌論晰究のい燕斗イルべ∴Pユeりもこの
︵∵hJ
諏を抹川し、キースハ”㌢享ノソγ−・クツ1∴七.jニざr︰等も
∩在盈隼代考
J.●J.う
る。附し︵二︶︵三︶︵川︶の如きは吋とするも︵一︶の理山
ル関
かぐ云はれるのかー戎・にこの中㌫企︵ご㌢弓P︶或
は全く氏の謀りで揮叱雑読の相続ではヮT︰㌢と〓在黒
rj布汎年代考
は企胎ハtlir3り︰煎弓blレ︰1︶凱論の根本帰理の一︶と閥
との川に等︵p−︰1一︰−宣i︶があるから前新枕後窟の泥描の
師ではない。故に企七十論の抜婆利の択語はじ宮を
係がある禿めにか1る名た得たのかも知れぬl︶丁
皮世親の反駁邦膠義七十誼が伐救の好事一.官りぎ抑∵
に該賞するとは︰ムへぬ。企もこの別人ぶを⊥張するも
三
に閲しても氏の粧㌶諦を‖霊仰せぬのでれ︰匂。
のであるか氏と別な論柁に伏て†それィ霊軌明し、隼代
一訂︶と幽係ある如︿に.
︵た︶頻㈲調婆婆の企七十論は〓れ黒の放論七十論石
社用と見られ得る。
︵六︶ く㌶P−く還P吊︰−で、ノ、芳︰導−﹂.ノバ−と云ふ名前は僅咤
︵こ前引用の雨記事批判
余の別人読の描線扶次ぎの山ハ瑚に休ろのである。
樽統の申に県げられてわない。故忙親閲前庭痩や
叙述は必しち常に構成あえものでなく往々にして派名
躍維にあるが如き迦批輝から自在黒に到る史での
その師Yづづ或はペ意ぶぷり・ドは‖れ肌州の後銅希い
L.嬢説とに交錯があり∬つ畔に鐸希‖身の詮が混じて
伸扶澗彿兆小の外道に捌する
申に㍍なければたら・沿。緋闇討婆婆は世親七−!ll畔
ゐるものもあるが、この仰組付も一般には苑諦澤と云
二︰円︶
も本#は鐸非でなく寧ろ廣詰〓身の備忘録か或は披か
︵二二.︶
代の先鵜であり泄凱は恐らく西紀三〇〇年頃の人
はれるも謂柏閲紀明光録には潤過とあり.出稿楠博士
は前年と見られ祁る。
であるから白布鵠の年代ほ西紀∴世紀の最初か戒
︵二二︶
如く、全備として見れば決して忠邦な諦#ではなく、
ら聞き捕へた弟子等の手津★払方れ得るとさへ云ヘリ心
と復活の苔と見.前稟の着軟論頃の証揮#と考へその
又龍王が池申に往㍍するとか、身を捨て1ポと成ると
即ち氏は白布黒と損闇討輩準を別人となし企七十論
銭尭自在取の年代矛非常忙穴∑く見んとするのであ
JJヴ
云ふが如き小説的要寵をも含んでゐる。〓4些記も金
即ち教諭蛸を捜却せなければな・hぬが七十と云ふ歌は
轟を停へたものではない。故にこれ等は軟論研究の
から彿故にも︺にか、る殻へカがあつたのであり、﹁苑
に現存し、撲鐸十∴門論にも¶如も十論中諒Lとある
︵∴五じ
歌論持右のもので扶ない。龍研の薪七十群論が西就謬
七十論の品行を舵親菩薩の併眈揖となすが如きは決して
資料としては騨に第二義的のものに過ぎない±玉はた
ければならぬ。更に両記串を比較するに前には同人髄 机﹂もペルけ丁ルカーが云へろ如く彿敬語である。故に
に都合のトニ鮎だけを選んだのであるが、両帝は諒解 し十眞祁論を以て直ちに教諭煩を顔想するとは限ら
の場所と茸企の翫と囲‡及び抑弟閥係とを異にすり㌔ 揖。冬﹂?世親件抹澤井にしても甘苦にしても眞諦の
即ち状況伴では場軒は阿紹憫用であり、槻闇調婆登と 手になれ㌫こ上は明かであり、企七十論も亦搬の評で
世親に三溝沙金を輿へたもの扶同一閥モであり、抑闇 ぁるから苦し損闇財輩婆と〓在盟が吊︰人であれば彼
討姿姿が破した彿教徒は世親の恥たる彿陪審多排であ は必らずそれを知り経って雨宮わ何れかに精粗的に同
るのに∵運視で比企拝幽であり、僧仏外道に千金を興 一人たーん、Lと吏ボナ仰がたければならないのに、それ
更に遇記む見るに八州ずの内容山中歌論隼従の説L√■して
った王は状況に金を輿へた託に伏て死後加揺されて㍍ かない以上彼は同︰人と見てわなかったに和光ない。
0
り.叉﹃此非和親之坤hの此は紀義着で仲仕外道に破
せられた何と見なければならねから世親と師弟槻係は 完地坪準⋮:後必不レ減放しを準げてわるが、歌論頃
ない。南都を総合すればかくの如き親近があるから何 王は畳‖下に凡て無常であり〓性に遇没する︵現一C︶
く からこの堪祉の裁と抹輿つてわ︰心。故に−︺布黒
れか一カに伐てのみ同人課を純明せんとしても伏撚雅 ′−庸
‖准盈隼代匡リ
ノ/
し・L
諏名がないから世親の七十堀持論に依って軟論七十論 職に見りハも川人血“根本菅料・こ仇つ上付病苦申に艮にそ
斬が仲ふて米↓︺。何んたたれば胱軋件のみに依れば溝十両一人と考へそLと性‖死ぬ。従って組合しても加小
1
J∬
∩本県年代考
れと牙宿する婁英のあることが知られ得る。恐らく運
㍊にある﹁金七十諭﹂はこの外道の著芳名ではな′、て常
の撃読
取ふに㈲係あると‖小はれる
時已忙挿花してわた諸本金七十論から取って来た借物
に和迩ない。
︵こ︶ノ1i︻1d百誓㌢l
この人の言或は説‡して他の常に引用されてゐるもの
が余の知る限り五経柑ある。これ等と数論媚との比較
研究は被と自在黒土が同人か別人かを決する哨要な契
∴
︵七︶
機たり得るものであ・りから先づこの断片む左に準げて
次にその内零封究に人らん。
︵二人︶
誓PどP、 Tヒ訂rPF♪竃∴言︶蒜抑︶
呂tP訪♂FP■乳eb邑uコi≠己dbOユ〓旨T︰︻T賢㌻抑
▼
︶
︶
︵三こ
︵蒙d.と宣ia才芸−コ︶
W
ヨrウitP2一
︼一㌧丁∵抗
ノ・︸旨n2禦2﹃∈
Ⅵ粁号りPl已ti
〓仁1C︵⋮ノ・釦
道︰1−芳l≒CこikhitP∈ノ﹂已ざ誓・㌢nい∵︵i三d∴′=旨J㌣
〓づ〓■釘︼−e︷∫︼た︸︶
コ抑t句呂lりb己冒〇√訂tす
鼠巳抑〇りPヨe3川巴弘YEコ
t3p
︵二.てし
ニニ五︶
︵
力r呂ニーeエロdぎ呂ia蛋P写rぎt巾ノ†巴且っ=⋮︹.1日倉
mとlVは彼自身の言であり1︶以下は彼の意見であ
へ一∴Hノ、ノ
︵
る。mは碓に拭一〇かは不明であるが、余の知る限りれ
七1YはジーーコプハJきb︶に依り川は高輪将士に依って
︵
約めて指摘されたもので.川は余白ら焚見せるもので
︵二↓六︶
あるがあとでキースが已にこの内容をその華ゃ説明し
てわるのを知れり。
巾は稔りに阿耶で内容は不明であ一〇も菖首一.。と云
ふが如きは歌論現にはない術語であ†u。
†くに、
と自己に似れるものとな†、恰も眈鮫が水晶をな
紳我は非姥異111股のみにして接近より無知なる意
㈱は榊我と自性の凧係を述べたものでこれを拙濁す
t邑箆iT↓○
打P↓On乱P已db甘㌢p巴lli一︺旦−与k巳︺︼り臼︷bヱ六2で
pGヨ朝○−Tikまt2巳1P けT臼ロ㌻bl︼計声己≒丘tた室三l巨邑︺
告n旨占aムtT雪空︼︼bぎも口ふ﹂”蕊㍍
︵こ八︶
︼︺㌔iti︵]写且P計1ご︸ぷ︰3レ甘ざ一こPlノ.・l。に︶
︵こ六︶
1 エndbでa■i−邑己壱。皇tl︰巨p呈ど≡雪︰−pE・u川已ひP︰−1く︰1
l
l
︵.∴‖︶ 三〇訂ノ・抑ユikP、At≡P払︰㌻、詔︶
つロ日加古層EロP寧↓︼つ〓P■毒巳−−りはt持 ハ司u≡㌣ニ︰lい
乾廿琶ll∂臼ぎ乾乳bbぎ害旦uTつ≠聖pヨ≡勘・︶ま︰−エハ広い乙・
J.?.1
へ三八︶
るに拘らずこれ等を一つとして卯l勘胡婆婆のものとし
在黒或は迦毘錐の祉‖として歌論現を六回引目してわ
としてわることが知られ得る。然るに軟論蛸では三七
てゎない。故にこの註の作者クナウトナ
となるが、こ1で自性励中で紳我に最も近いものを意
に﹁螢は抑我に射して︼切の宰受壱成就せしむるが故
も自在黙上搬闇調婆姿とむ別人と見てねることが知ら
︵GuJP星口P︶
に又自性と紳我との細異を崗別す﹄とあり、又自性か
︵一二九︶
ら投初に柑埜するものむ兜とする︵項三二︶から抑我に
れる。従ってこのl︶のみでも内容形式何れからするも
︵
別人説が有利に開展するっ
投も似たものは螢であつて意の如きは箪に我慢から発
で耶くこともあり符ろが然しこの易倉白布盟の名では
明は阿梨耶調である。時には同一人でも色々異った調
︵三七︶ る。又この劃は㈲以下と同じく喩底迦調であるが軟論
方法としてはiTズ如し、媚二〇︺を用ゆるのみであ
し同人であれば垢でもmふペきなのに頃では躍に結合
腱々別ひられ二元の交渉む説映する油例であるから若
修利の戊影ハで邑il−i−−︼bP︶碍の把例であつて軟論維址にも
い。伶水瓜の例はこの噴の両ぐ前に引mされてゐる阿
一般のm心想である。故に苦し中和身が輪廻身む意味し
︵Mつ︶
詮を雛げ﹃見み始一申陰識⋮︰於耐性中一初批.螢、蒐郎
二一読A=の原因として居り、利位論巷第七十にも教諭
論頃六・六九に依ればサナンダナ阿関配はこの紬身左
柑苦し、須ではこれを輪廻の半開となしてわる。庸歌
を始めとし後納を終りとす虹と定義する細身ハーi身P︶に
要素は何んであるかは不例であるも欺倫塀川○に﹃大
してクマーリラの同点を運べたもので、中宥身の構成
Ⅷは披が中和身︵呂br賢bPT乱ebP︶を否定しそれに勤
阿製耶綱で摂㈲糾婆婆の名では醸成迦調となつてわる
彼がそれを評定したとすれば彼は異肘伽の人と見なけ
端して思惟作用むなすもの︵項二七︶としか見てゎな
からには寧ろ別けて二人に見た方が合印的である。更
ればならぬ。
〓正中除識kと云ってゐるから輪廻身を認めるのは数溢
にこの唄を聴げてゐる六見張址には或は軟論哨戒は自
‖末端隼代考
J.79
■ノ/
しlヽ
を比較すれば到底高∵人の作とは考へられぬ。自在黒
‖在晃年代考
川は彼が1i茸邑遅日を謎めたと︰ムふのであるが葉し
に相以外の帯のあつたこと性別遇のパ比集誰に自在黒
︶
て彼がこれを如何なる意味に粧してゐるかば不−牲jなる
と云ふ旬があり、これか軟論現にたいことから知られ
︵円.︶
ーで・
ハlti〓いレ・E巳ぎい一丁P一号与野○︷−・己isヒ望三−○ごご・P訂Pm。
〓として
に糾すろ特種
も文字泊りでは特柿の現址であり、引両の目的からす
れば比就中の中等比量︹耳邑茸・旨意丁り
比址と解さる。何れにしても軟論姐にはない考へで鞘
八州聖二種上して︵粕汁︶その一たる中等比荊の名を研げ
謹を川一人の莱とすろ偶にはこれ柑の類似を必要とせ
に=すl︰1とノせ学1む異に†ろたけでJ直る。勿論集った
糾るが、然しこれは項正の証と川小は.射る佐敷似し前隼
てぉるのみで︵餌六し他は訃膵宏に仇れば右前右倫であ
たければならぬ即はないが、上述の凡ては依りに鞘と
では八Jlしとしては現圧甘比井聖教此を認め︵現川︶その中比
る。
扶﹃翼b邑邑hi−已rぎの詰ぞ・ざ弓まこい㌻rP
りキースがS︼。k?ノ・い﹁1ik”↑にある損閲嗣婆婆を歌論に踊
ることは〓来ぬ。イーlし舞岡胡婆婆が阜ュ一打tである限
その内容を異にするから到底これを吊一人りものと見
︵乱2賢で︶は個物ハJ・賢i︶と集ったものに拘らす頻協
掃あるそれと別人と見る如く、余と靴も必しも以上の
川は桁諭に於けろ彼の説を引Ⅲしたものでりての大意
調婆姿は別のものと見てわない/て、出は串郎上期解さ
凡てが川一親閲綱要婆の説とは思ってわ上払いが、その
︶
れないと云ふ意味であ早か、佃物・種・賦の如き問題は
何れかゞ世親樽の頻閥初歩婆の説であるに相違ない。
に依ると〓
数諭媚には全然存れしない。これ等は捕吏躍・膵論・証
恐らく仙の如きであると川心はれ一心がそれとて引用射そ
頼偶潮婆婆た苧ふ名山ある文献は脾祀錐詫〃序文︵貞
、れ〓身が︺に臼在県のものとLてわたい。肯この外に
︵M二︶
理堪派の研究揖目である。
同人説を※猥すろもわはこれ等の何れかむ畢げて自
在黒が軟論現以外に昔のあつた謹接としてわろが内容
J・す′ノ
三︶及び膠#辟の序文︵頁七︺に挙げられてわるが然し
これ等は必しも放論榔であえとは川心はれ幻J現に歌論
川性能隼故
とあろのが数豪雨一五の
別類右レ量敬
け別故
国某差別故
混和無
に翫似してわるも全く川一でほない。むにその次に各
行パ
げ丁
ナシ
ヤス
ーは戚伽粍証の
諦月
光の兼
・−ミ
Jテソ
証たるが誉PTL賢2㌫︵川∴訂︶で染〓⋮に似て紳通力
抑の遅泥放び相継を説いて
十一根−圧大Ⅰ五唯端−我慢−剤
︵穂︶−〓性
〓性−智−我慢−乃裏五大−十一根
︵rl川U
+
∴に訟く次ぎの型の↓ハである。
としてゐる。然るに軟論現に於ける輔璧の順序は媚二
︵円二︰︶
︵世糊起畔︶
︵世川壌畔︶
を得た牟妃ソ訂一首月責をも観閲粛婆婆と耶してゐろ。
余は教諭に槻係ある搬l掲調婆婆の諏を更に多︿柑めて
股遮戸詞飯井の如︿頻調l滑婆婆断片の集成を企闘して
膜謬∴十七柿柑に及
ゐるものであるが、現存のものに似ては到底同一説は
成立せぬと云はたけれ紛らぬ。
︵三︶世親の著寄に放ける激論詮
ぶ世親の菊雄には隣地に教諭諏が運べられてゐるがりて
五哺−五人
故に∬大には決して陀隼粧を典へす哺鹿としてわる。
‖作1大︵讐−我慢Ll㌫
耶論と彿件論でかソリ。これ等と教諭舶とむ比較して火
附し笈多北ハわ炬等誹及び玄基経のM束にはかくの如き
の申比較的詳細に裁いてわるものは眞諦澤の情人兼論
して世親が媚−霊力−れりや斉やを検討して兄七に∵前非
博したものとも二唯考へられ得るが、それなら企七十
教諭記を述べてわないからこれは或は輿紡が膠手に加
− も㌫㌣本⋮
∴両
論も苑諦謂であろからこれ・﹁■辛く〓じものを加ふべき
し
■Iノ﹂ノ
し
である。然るに金七十論の昆帥に須差異つた
川、山一何基差別∴︰
、 山悪聖一に耶〓、桐畑引先端一節証〓性‖霊㍍里上L÷
︰紙⋮
∵小別必づ,
一▲.、⋮
丘、㌔∴︰
〓証取隼代考
ノり
‖れ葉年代考
自性⊥竿義慢
唯
五大
五
︵円丘︶ 根
へ門人︶
一〇〇
で駁論と駁してわるが、蛤では前週の如く三光を認め
るのみで誓喩弛は説かぬから、若し世親が項を見てわ
たならこの三溝で破さなければならぬ。更に若し同じ
苑謝辞加増諭を来元明宵の川本及び文軌の云へる如く
︵M九︶
世親の著とすればその中に﹃外日、布−我、何以故、来集
一︵M.ハ︶
大
鍔他故﹄とあるのが現一七の榊我存在純明の第一期由
自性−死−我慢し十一根
の如き酎をHjゐるも五大−十︰根とはせす又自性存在
︵正一︶
元来世親が大乗教典を製作したのは世親倖に依れば
定石−我Lとあるが如きに頃と異なる。
︵Kり︶
謹明の五端の解絹も最大兼論稲論のそれとは異ってゐ と全く同じいが次に ﹃他者我故知l石坂ふ雪不払一道理一
る。故忙この論に於ける軟論説は眞諦の加へたもので
なくて1−一別の搬た軟論説に相連なく然もそれは椚と異
なるものである。次に俳性論を見るに怨第一中の破外 舛群没後の晩年の頃であるから七十苑無論を薄いた以
すれば他説は大来秋兆製作常時は拍を必らず知り.駁
道品に膠論と並べて教諭の自性と固中石英論を敬して 後である。故に若しこの論が教諭研の反駁碁であると
わるが、その中に﹁自性生a五唯等Lとしゐる。これは
勿論自性から世接汀唯が山ると云ふ意味でなく其の代 論読む拳げる功今には何によりもこの現に依らなけれ
て鞘と反する説を運べてゐる研から刑期すれば彼は現
表として五唯を挙げたに相迎ないがその前に﹃汝潤隣 ばならないのにも拘らず須を級蝕する併が少くて反っ
収敬康常不吋峯故kと祝いて車唯を認めると同時に隣
与野があるにしてもそれは鞘以外のものから架たに和
描微塵を謎め然もそれむ常とするが如きは現の説では を知らなかつたと云揉なければならぬ。故に兢と合す
全然ない。仰急に閥して﹃証︵丑︶既不り成、比︵北︶懲
迩ない。何んとなれば明七∵七二に説く如く臼在黒
︵門七︶
︵喩︶架富澤北皆失Lとあつて∵正則撃次の認める川北
JJβ
︵正三︶
らである。従って仰別の搬た教諭誰が現に依るもので
いから推挽m時には現と似た教論説が存在してわたか
抄迦榔の作と作訝不別のものとあつて前者は有紳的歌
に要約して螢げたのに杓迎ない。故に山ハ十科論に批梨
れ等は何れも六十科諒と云ふ郡に於ける内容を頂〓的
証では山ハ十和論に於ける六十旬誠としてぉろから、こ
ないとすれば世親と自在黒とは全然踊係なしと云はな
論説を後新は無抑軟論説を述べたものであることが知
は従来伸はれる歌論課を異に鼎即組織した人に過ぎな
ければならぬ。
ナヾス.ハティ・ミシブが摘翔羅の状椚多趣淡の証浮ぎ賢
石釧約数論説であ一わことはその節片に似ても又ヴ丁−
那に山ハ十村論︵Ⅷ最i−邑rもと云ふ葦があり被の学説は
び字非博士の研究に依て明かにごれた如く、枇製抄迦
︵四︶咄梨沙迦郡と自在黒
く師捏を改易して大に仰の曜妬を受けたと云ふ記串は
鋸聞調婆婆=白布m諜に従ふもの1中には世親博に説
れは宇井博士も云はれる如く謀りに相違ない。こ1で
課で結句般池戸新訳一ハ十料論の件肴と兄らる得るがこ
此智有宍十干偶︼虹とあらから六十干仙は山ハ十村論の
られ狩る。金七十論の蛸七Cのに行には﹃般戸御願説,
シュラーダー︵芝−rPd且及
二∴∴二に彼を璃伽論の解説者︵↓㌧ま勺巴P︶喜︶と椰し
晩酌抄迦耶の宥糾的放論説に反して〓れ黒が無紳軟論
︵五二︶
てわることからも知られ得る。然るに瑚七二の説明に
を†張した串草加してぉると比えゐる。然一〇に明七二
あらゆ一︺忘我は飢ち全山ハ十村論の志鶉なり﹄と説き−
︵丘M︶
於て、摩叱推計正ぺ十旬義︵官棚音巳ぎrP︶として、駁
はqt説満と外論を省略すと腑、この七十論の申に含まる
の昔曾邑試nど苫
この六十村論の内好む前適の各証が“ハ十揖〓として準
︵五九︶
論踊月光に︸ぷa各こ㌃にあろとして、教諭月光に他
論で十端正十託として準げる仰のものは表現はい致せ
けたのであろから〓在黒はこの無曲数論の一ハ十科論に
に於け生ハ十旬裁として、企七十
山が何れも六十の魁〓であつてその内容は全く一致し
似て鞘む作ったこ♪−が知られる。かく非く併があると
一〇︰
然も歌論研とも<=ふから無紳論此である。然も作柁羅
‖林見隼代考
JJ.?
して引川してゐ・∵から、これは〓・据黒の軋∴∵∵比勿論
...
†れば何も好んで被は石油論的な枇梨沙迦耶七死後石
たく.叉頻㈲調整婆のれのでもあろまい。故に余はこ
︵=八り
に鯉じなけかばたらたい程深い師弟槻係を結ぷ必要は
れを煩㈲調輩婆の哨として前に研げなかったのであー
‖在釆隼化∵て
たい竹バである。故にこの動から姑ても川人諏圧成宜し
に〓在黒のものでない頂にか1中名ヤ附†ろことそれ
にこの〟〓を加へ∴ものと⋮心ほれろが何れにしても明か
る。恐らく金七十論の県木作者か或は滞脊托諦が膵手
戯本には鈍くが木元明
ないJ
︵五︶念七十論中の頻闇詞婆姿
ハ二︰本には媚七Cの長わに
自身が頻崗詞婆婆と彼L′壱晶∴人上見てゎない謹摘と
C〇一じ
次鍋融通−.一丈鍋翫㈲調お、是般漉いル損闇調広
企し十論力悼純申の比婆利は
云はなければた・hぬ。
︵六t﹂随相論の抜婆梨桶
が此論和.古ハ十†局∴⋮︰ぺ靖乃至泰雄−=−姓勅式
0 0 C︵在六︶
躁利婆の謀りであり従ってそれは附則停の枇根津迦那
名〓黒一
と説き明白に損闇胡n名を黎げ白布黒と別人と見てわ
に相常すると考へられ得るも余再肇兄した軒に依れば
輿︻闇暁︼
00
右畔講蔓棉
∴になけれげJ−しら出じ
れぬから利婆伐とムふ人は必・り一ナ存在したのであつて
一り。こ1でも亦川じ謂りが振返されたとは到底#へら
︵九九︶
有が常見右我見新の一人上して隋拙論に嘩げられてね
躁婆刺その人か或はその徒と意味する扶婆製材と云ふ
る。仲川木共に鞘∵一の長わわ申に﹃如a婆登仙人諏
侃Lとして次の明があ一り。
馬レ塑
昔粟馬上夏撃 憂憫輿㌦常雄
︵五七︶
この婆婆仙人は抑糊諷婆婆であると比なければなら
決して躁利婆の誹りではたい
従って躁婆利を〓れ黒わ直措の鞘し﹂しても枇梨沙迦耶
ぬ。然るにこの現に仙骨⋮する脱文は喩臓迦加セあゎ‖
僻叱緋証にはeヨづざ巴阜
扶bり得たい
はn在黒の帥で‘
LLしガ・リグパーゲ証に、h
とし∵1ぎづ窪膠古辟にはー巳︸−:・⊃k言︰てー壱ざ号−主
ム=
に鮎咄ヾ﹂いl帖代い∴へ〓り︰ヽ,、二∴\照−1t経り名んー呼
第三∴牛山一五七.h、・・リl二律陀経論帥言三云ミわ
汗、又描埋晋醗和雄伽膵中外氾小乗捏噂ぷ︵人証1ミ漂
‖圭ハ項の理由に頗闇胡婆婆が敬倫鞘を作った土工
ふ明〓た文献が存在せざる限り到底柑し得ぎろもので
J伊鋤けてゐろ︵鞘五詰︶︰ご㍗ら几ルけ︰揖詰の最古
陀拝読に塙佃緯・で引用Lハ机二三証︶閏明の三十二一過
′︰.に等ほ今の慄陀羅ビ別人でわろ。何んヾし在れけ捏
︵博
†ル士哲雄雄蕊第三八正価初山六六−七篭照ノ
一がり
ヤ∵∴⋮じ、余は頻闇討婆婆=阜慧曇豊去上し.従
︺て〓れ黒を世親と囲係あろ人と見たいのである。然
りは彬は果して何畔頃の八か、この鮎に槻して余控一
私考を右す一?も巳に後足の拭敬を超過せ∵リセ似て他‖
アルカ一に原形仰陀難読を㍊りてり京†年代か内0
年代ほ棟如犬ま以後で尤けれけ光ら拍。尤もベルゲ
詰の基瑚てあろ亡兄てゐろがハレコn︰﹂芸ご訂≡㌫︼7
0年宇し、現存便陀羅詰や金七十論やガウゲバーグ
り原形小詔lゎろ賂勅ヤにない。ガウゲバー〆l工釣七世
LP旨aこ記ユ宣仁ノ、つ〓1,つ呈−叫−ワ誓.00︺仲陀論証のみ
紀嗅ご〓りられ、ゲγ−ナヤ︰︵バキイ・ミシナソに八
一〇二
寸、往にト泳.へ′小川くノ、守男℃ウリ■Pほ諸所に引川さ
くヾJも靴論に闇係りぁろ北本でlェかゝろ人名に凡骨⋮
咄世帥ヾし諸†はに洗車汀を⋮⋮すご枇ら左∵し、叉紗
文章︰則りでl三ノ.膏gぷPてわtわが鱒しノ、Pi計乳kPむ
右−りう
ろ如く商用誹り抒で克−′、用心・h′、それH紘のむの、作
群、lJ.カケイラブ︵訂乙i・つし︺も‖省け文でハ︸八八︰二︶二
年代ほ不明なろも左程古い人・こほ考へられす、膵語
九〇咋l︰叫山人てわろ。小一ラーヤナ・一ソイールタの
︰い一冊以下比後匪り添加でわろこミ、及か如論瑚り
〓荘昔砧ワ︼た†・∽1月善一︶︼●Il︰PE穿i01一︶登脾ぐ
動論明七∴、悍陀緋訪米罵、路上=群姉貴求題、古ハ
の機曾に論適せん。
註
一︶
、・.ノ
/ ▼ ヽ
、L
鮎飢の択級ひに拙い一\に拙稿光l仁k丹木崎丹報第七
十八鑑賞八一−六拳照。
︵ノ.ノ 碓氷拍元豆二戸≒寮臼ごLてム一〇が︵高相用土悌謂金
七十協力一囲七等︶摩陀紬証封入二︰にku駐思打ニ⊃
i㌢日置打ぷ﹂買㌣仁笹ごわろ・から︻u芭Pを川ふ。
︵冊り 大正政策充用巻武一二∴ハ二、ト。企七十論ゆ鞘り哩
∵〃托Jl下梵赤¢前波に依ろ左正絨脚証券昭。
︵大正絨耶閏悲東面入関、ト︰
、にノ ‖止lJ賢に たでり用紙は、㍑ハ几促∬拍八人にこト右
イ〃0
︵∴一決謂無璧兢経巻苅七
〓≠盈咋代瞥
。
JJ.ウ
日経n﹁咋.代考
れ一\ゐろから頂㍍にこ〓∵ト二川泣互い。
、一●一一
⊂三、
一〇円
かく世親より#争く凡ろ坪山ざして氏ほ封一七七り
脚許五で糖化抑詰仁一王滝乱がわり且つ現み誤解L/し
ゐろ鮎がわろから与してゐろ。銅耐班誹六相戦の・北=
︰り祝わ支持Lてゐろ。
でL‖証取を一世紀が戎に二1世紀胡坐光らん与し.\
Ⅶ一乞っ宇
∴一
非朗
情豆印捜曹隼研究用高ハ、封九九1∴∵〓0考膵。
日本犬磁捏、企七十論点四、ト。
仲川‖日収什締、J懸H二.h。
及びベルゲ7
わろ呂でtr首r以下も相聞誹堰堤りんの与してゐ一わ
ノ1︵−︼・p.1コ︶に︰り次ざド
J2Ⅵ●−芳ひ、pぉーひ㍗
Aコ・叩Ⅷ二7崇●
が碗︰止仙てないから†ほ取ら泊。
ルカーハ≡︼2乙.COn昌r
ガルべ︵Ⅵ苫︼〓︼T?コ1才芸−︶こご?ブリ
大正絞節三〇懸封一六〇、こ・。
ハニ川 JカAS.−芸ひーワ∽S.
t
︵一元︶
︵二︰ハ′\
和代仲秋七十択七十一托﹁世親北=洗の咋代一巻照。
原本lニにノ1呂︵i︸−てまL−亨Lてゐろが︰れ圧明かにこ
誰りでわろから他の輩に従って訂正セリ。
T訂許ごJk︸二・P苧ユニニーp●りっい︺訂︼ハPrコキ
ンご⋮盲︼争りひごA H㌃;rリ・︵︶rS︰lnみr首︺Et︹已l与、
崇r︼﹂己EdE︵きp●;−∴問=の相にソ︻巳︻i仰e霊の
︵三︶
︵二︶
ワいG︰にも引川・Jれてゐろ。
C訂≠−−p.ヨ﹂●
ib芦ヤ諾P
一木にはけヨg一日三㌢エ︷冒︸雲・㌢nPミわろ。
ibiL●ワ買㌢TPtlイ︰空言Tヒ∴一二きこ琴照。
及び六見集
−︶.㌫S−ロ︸・雲一≒−ン=01己㌻わ 〇﹁ニーつー㌻吉子毒
の詰㍗ろソ一名詳b乳rPの㌻掌uゴ三︵Cl岩戸Hつノ、・
1羊dT己臼ヨP麒邑
EIP乙レr訂→、︹○︼昌一昌岩r註こ︼ノ.〇ど︸髪こ一●−↓のーS・
︵ヨ︶
︵⊇〇頁●十H−p﹂︼占
︸しぎrEul・つ︵−﹁㌻d㌻ニr︼nつ.
p.缶ドロ鴇習l舌−・′︼︼i≒︸・リ・︵﹀r㌻さトn コ邑○写巧−
ノノ、㌻一5︼ごN、︵㌃こ㌻三e㌢r︼︼乙首︼︼e ︸、ill∋ll雪−︼、
内;ざ︼
の訂be、ロieSぎーk音ヱ︶︼邑○岩pプie−uゝuP腐eち●¶u−。
丁訂■T■ぎーg・7へ√・三り∵で・・。り?ん芸・
d︸eHt−・γ臼l?Or㌻三
︼−P許β打アジ㌃l・〓ハ㌣ ︼三︼三㌻ ︵r ︼√つつ︼仁 ?呂、3i袷
封五二二、封五二㍍。
大正廠邦三六谷山九九、ぐ。
ー七︶。
︵八︶ 閉切人正理論蹄懇中巻冊ハ大中拭邦四川巷京二宮ハ
\_′ しノ ) し′ しノ
()霞 ご 吾〔ワ
ハ一九︶
︹.−0し
三清浄圧世親伴にわり班記には千などわろのみでわ
乍け一肌−コ∴い
ろ○
J一事6
( ′ ̄ヽ ′、ヽ ′ヽ ( 二
て 二:二 こ;:∼
′ヽ ′ ̄ヽ ′ ̄ヽ ′一ヽ ′▼、 −●■ = ▲ −1一一 ■■一一 一
︵冨︶ JコA′−害ダ︸︶.冥争1ネ
︵嘉︶⋮bid・p・︼かド
︵り︰穴︶ 舅eEごT訂六巳・巳−守ソ︻i日掛−つ阜7芝−p
兆山一六七−一七三琴泄。
ハ一竜︶ 二元り結介に鱒してl‡拙稿宜正人粗大鴫弊制七十二
一︰鼻−ついワー0ご=忠告
ワ︼声l︰潜P
︵二八︶ ibid.p.苫l︰哲郎慮芝電.冒ご︰虫㍑−ぷマー︵一C
ハ完︶=り摘む引川Lてゐろリオ≠亨や∵ち餓宍二、三、宜
九を割けてゐろ。
已d.p.−つS.
大正−正就郡二五世M五四人ハ、。
The︼ハ︰51年ソIi⋮宣さ.二rぎ・
大正敲第∴い怨高一六門、−、、ぐ。
相二四、∴∬、三八婁昭。
一。回文用材︰伊都典附加烏丸∴四−五。
ibilL︸−∴≡・
項山七りガウダバーゲ㍍l二も古ハ十村論/tI部ヾし札てゐ
ろO
ibiへ︼こ←∴∵
′J一\
S仁l︼r巳︵︼・︸
■、・㌧.ノ
ハ.1∴抽︶
大正躍邦五四春封一二六二、I.、及び脚詳。
︵九九︶
‖
大正絨邦三二怨烏山六川、t・。
・手首r旨Pも.−aハChつ弓・サ㌻・㍑薫︶に二もわろ。
封一二川八、㌔
ハ毛︶
︵喪︶
酌論評日光ヒ二さ、jLヾ﹂抑典りt煩がわり、琴首肯P
′リノ\
︵文︰
、、一ししノ
縞了控ゴ己ノ・ハ7ハこ.−雲一㌻り許︻已亡こ∵り申で類閃訓導毀
晰片言して吹ざり如き帳痛迦諷の叫む賢兄Ltから如へて
解く。
℃dcイドL︰乙r二Ek⋮︰1−て︸︰己をー・︰壱1︰LL︰乙Fごご・︰︻
糾三、八、︰〇.一円、四一計。
、〇証、
期二四三
∈d巳抑2dri︼昌Pぎrす萱l打ノ﹂ニ旨.ノ・Pノ・獣l抑Ⅷ
l
:り机の内容iI択論梢寸二欽ゼわ。軌論鞘もこり訃で十l‖∵
柁引川されてゐろ。従って=の託のけ文に於一\軍巨PC−︸√
︸でも研脚詞噂婆寸し‖宥県ミわ別人与してゐ一わ。へて・叫、巳︸︶
一〇五
JJ7
︵p・ほ︶
大江鵡邦三一服京七九⋮。
正珊抑一・∵三。
草井博士印膵哲畢研究釣五、封印八六参照。
大正辟邦二二一怨M∴四、往、ト。
M 弗五〇笹封一九一、㌔
S旨r巳er−0お湖ぷ盲Pl言トー︵ZロリーG.−巴ナC∝︼どL−
p・岩−−︼岩︶小十井岬十空相い邦読∴七九批封六九−八
‖堆黒咋状考
こ;亡)ごフ ぐ〉 亡う ごう ビラ r!し、 ̄ラ r C
■
( ( ′ ̄ヽ ′ヽ ′ ̄ヽ ′へ\ ′ ヽ r、. ′. ′ヽ ′、、 ごIL 7エ ー■ M M Ilリ Il叫 l・疇 l′叫 Ilり l●Ⅵ I′tl
′ ̄ヽ′ヽ
Jこ
古代‖本の統分地係ご彿敬の世界軌
−
J
一〇∴ハ
亀
凧大柳は良飼お上び農作と表現した抑であり.スサノ
城戸幡太郎教授の軒究に従へば.虚業紳詣として揉大
の如く、押詰忙はこれ忙閲する数多くの物語に接する。
に花りても農業は既に皆の進妙を蓮げてわたるもの
敢曾︵Ag弓打O日当nぎ首︶
しむるために特別な柳井が行はれねばならなくなるの
昭純に生束は恢祝されない。こ1に‖抑の死を鮪生せ
損耗されたのであるが.‖抑の死によつて托それほど
る。企保紳の死によつては匪ちにその屍抱から袋物が
納或は大奴郭比建染宰の釧詣として表現されたのであ
ては∵前者がこの天ポ甜隠の紳謂として・後者は保金
耐の離梅的な影響とが考へられるが.〓木の抑話に於
批禿が不作である功A〓には、太陽の油抽的た影輝と鼠
四大紳は‖胴を表現した‖紳である。農業紳話として
‖本音代沸教虹の一助
古代日本の融合閥係と沸教の世界搬
−
一帯代目本の経酒仙構造
‖水の古代針骨は、原始共売捌が拉高の戦腿を遂げ
ヽヽ■▼
ヲの令吟碗角地£よび不作を表現し窄副セある。そし
であるっ而してこの新前に表現されたmは、天冊大甜
たる・従ってまたその最後的帝展段椚たる虚‡共産制
てスサノブの命の性柿に閥係して荒‖および不仲の志
に偏するものとスサノノの命に加†るものし′一に蹄別す
であつたやうである。郁代
昧は.風雨にょつて良〓を荒し不仲にするといふ意味
ることが‖来、前者は良川であつて、記には館‖と非い
︵ご
に辞挿される。故忙スサノヲの命の風雨に封して、天
JJβ
骨良き田なり、宗単にも経ふと挑も、損傷はる1併な
あり、鶉つけて大安‖、天平H、天日井口−と〓ふ。此れ
には天垣〓とあり.更に他の一帯には町.‖甜の‖三庖
説は、骨⋮時土地私有制の在れせしことを噂がするもの
沃豊使なるむ妬みて、その〓に妨宰を加へたといふ伴
黒正展氏は曾て叫.かの粟登場骨が天照大和の御閏の肥
甚だしく失骨⋮であらうとい∴こ′−である。拝所隼博士
ヽヽ
ス≠′ノの命が土地を私有してわたと解†ることは.
し。其の棄登場今の‖亦三庖あり、耽つけて大将‖、
で扶ないかとの説もあらが一班はしい関根である、しと
てあり.紀の本文には天狭日長耐♪あり、一帯のう主
天川依田、天n銀‖と云ふ.此れ菅砥地左り、雨ふれ
て疑問を提〓されて居るが、併しおの抑誹はむしろ土
ハ二︶
ば則ち流れぬっ羊れば則ち撒けぬ。放れ素葦喝令姉み
地共有制の邦賢を節†ろものたろことは獅絶後に運ぶ
ろが如くである。
ヽヽヽ
て妨の田を寄るしとある。費mは﹁つくガトであつて、
一l
農作をなし得る〓の意味であり、狭〓長〓は文字通り
の切株などの捕って㍍る‖、天川依〓は川に招近した
作する靡大なⅢ−を詑昧し.これに射して天職〓は樹木
天平‖は牢桝な‖、天邑井田は邑を併<=して共同に耕
れたmといふ患昧であり、天安川は農郡に安全な‖−
更に天垣田といふのは〓が寄されないやうに垣で岡ま
とも
のが準げられてわろ。仰維は毀岬
描かれ畔を毀す
ゎI︶.また他の∵滞にほその軌に版渠糟、綿製といふ
し﹂あり、紀の一帯に扶穀すでに成るとき紡織を瓦す上
しヽ−1号
解される。㍊には畔緋、浦理、とあるが、紀には吏に
行によつて帯革の損傷が如何たろものであつたかゞ理
むに右の紳諸に引捌いて、スサノブの命のたした暴
〓.天‖鎗〓は川〓から水が批く落ち込んでくる‖で
こ七であり、溝理と扶溝む理めて水む通圧さぬやうに
の‖であつて、拉力形の整郡された‖のことであらう。
ある。これによつて‖の良市が即解されるが、弦に特
すろこL′■でぁり、亜捕縄丁圭ほ純子を︰.れに描くこと、
ひl▲かつくしぎし
︷■︼
れ播種子をなし、大の扶助を放ちて‖の中に伏さしむ
に∵言を要すろことは、上記の紳誹は恰も天照大和や
古代−1本の融合脚係寸し仰敬の1−t界軌
JJチタ
らたいやうである。浩畔にれりては一氏族に封する他
一〇八
俊郎糟は時ならぬに樋を放ちて水を入れることであ
民族の上伸犯糾闘軍は旭々繰返されたるものにして.
古代‖木の紳介ぬ倖羊彿放ゐ世界軌
る。 − 以上の紳謂は、吾が宮代に於ける農業が拓だ
天旧大所とスサノブの命との場A〓は凡らくか1る場A=
古代‖本に於ける土地共石制は弟†の反射学務を除
の諜例であらうと⋮小ふ。
しく進歩の紺に就いてわたことを物語るものである。
良基共産制洗骨に於ける犯邦には、大ツ罪と捕ツ非
との二つがあつた。天ツ邦とはホの神話に於けるスサ
麓成且の選韓にょつて共同酷の共同串雅を軌右ために
併有してわたとあるのは個人的併有ではなくて、共耗
謹するものである。耐のみならす、ポの如く各々土地む
拳紀むなすものではないのみならす、寧ろその反射を
が各々土地を有してゎたとあるのは棺に土地私有制の
この意味に於いて、紳諸に天椚大輔とスサノブの命と一
ふ如き・氏族の血液の純潔を濁すものへの刑罰であろ。
課される刑罰であり、用ツ井上は閻姦や骨肉相姦とい
苑圭端的酢曾根則に違犯する行凋むなすものに附して
象などの如き∴隼沌手段の共石と労働の共同といふ・共
以て、箪に大化の改新に八︰⋮り情側に倣ひ、従来の土地
黙し精細に討究し、輔弼に考察するときは、此の法む
したりと云ふことは、例椛に之を北近する陀はすとす。
は、一もこれあることなし。故に上古に排‖の制度存
排日苦くは之に擬似の情行存花したりとの両描の徴紀
の北諭であらう。内m博士は﹃大化以前の常に於て、
戚ある安乱なる説明は、凡らく故文準用士内円銀戒氏
∵∵
土によつても鋸訳されて㍍んが、中に就きても最も膝
てはゐるが︶、最近に至っては東北大草のポ〓文次郎博
定諜を‡張され︵尤も博士は北路この〓諒を掴来され
扁〓徳三氏は﹁円木紆消火論hに於いて掬ぃくこれが肯
き、多くの埋骨によつて肯定されてゐる。故法撃博士
揮ばれたる氏族または部族の酋長が、それぐl共同酷
制度に反して新に立てられたるものとしては、甚だ説
ノソの命のわ璃の如く、畔毀ちや溝理やれ描種子や錘
のために共同既に適する土地を保護する一行動に外な
Jうβ
共耗制札曾畔代の話形式を推測すろことが川東る。香、
農業北ハ苑制の話形式から、囲家成宜以前に於ける農業
先だち、既に我が閉に於て、之に類似の叩り存在し人
農業共弗制の執拗な畑作性から考へて、かくの如き制
明に苦む鮎なきに非ず。即ち骨⋮畔此の法C制定あるに
民頗る此の種の土地制度に習熟し㍍りしとするに非れ
及法こそ、洞読成光前の揖莞共務胴を知る最も正しい
∴圧
苗持さるべき最も宝前なる丸諭であると思ふ。一般人
れども今私の伍すると戸ろによれば、博士の諏は頗る
し今日この説に封し若干の反射説が無いではない。け
を穿ち細婿なる論祀を試みられてわるのであるが、併
由を指摘して居られる。かくて内‖叩士は後に入り紬
於いては、沸教はいこ1かもい仰されなければ、また
調しておきたいことほ、このやうな原始北ハ托制批何に
的損清であつたと思はれる。而して私のこ1に特に弧
等の批涌は.御々厳密な意味に於ける原姉共産※詭
るツングース族が日本へ渡来し来った骨⋮時に於ける彼
︶
■M一
ば、充分に鮮稀し粧きことあろなり﹄とて、九仰の即
民の控槽的利軍に匪接的な影糟む存する斯種の班‖収
弘通することも〓兼ないといふことである。優しき建
那先方法である。阿れ‖本人または択‖本人と謂はる
授法は、過去にか1る制煙が得はれてゎたればこそ.
の説話や、頂始的な丁ニミズムや、巾Ⅳに狐して〓山
展の放高の耗物として瑚はれ、㍍いあいだ酢曾的・緯
農業北ハ産制址曾は.原始別に於ける人問の軋曾的輩
原始共耗制が崩壊して私有財薦制が葦圧し、融曾の内
石ち得なかつたであらうことは一明かであ・る。彿救は、
の醐謂は、厭世剋を基調L√すろ彿敬に何での闘心をも
ヽヽヽヽヽヽヽヽ
大なる支陥なくして行ひ得たのであらう。それを叩な
なる而して中等なろ址曾に隼漬せしこ王を鰻せる彼等
折的および捕紳的弛少の抜上の保純物であつた。以上
部的分裂を導ける一にの時代に於いての・〃初めて弘通
lヽヽヽ︳ヽl▼ヽヽ▼ヽ
る楢制の模倣なりとなすは不骨⋮であろ。
に運ぶるが如く−大化改新に於けろ土地捕れ辛宗那は農
するこL√一が‖兼るのである。この点味に於て私は沸教
一〇九
業共産制の一姫形と見撤し得る。吾々は稚代に柁った
苗代‖本り鉦曾閲倖寸し仲放りい一升組
J.ウノ
音代‖本の社命㈱係亡彿軟の世界租
一一〇
が、粧し椚々たい′り土地私有化の膵進は潅に什て一切の
崩壊、従って蒙た私有財産成証の魁けをたしたもの
然れども、一切の機構がすべて脛史的なものであえ
共同醗成ハを牛昔に先ひ来った耕地そのものをも私右
と頂折共産酷との踊梯む十分に把捉してか1らねげな
やうに、古代‖本の附始共産制融曾も決して稚封的た
他に頼形せしむるに里ったり彼の〓貼と耶する土地の
は、凡らく豪君や宅地などであつたらうと思はれる
永久の存在たり符なかつた。北ハ同僚の一切の成魚に射
如きは∵∵※∴八紘・豪族・寺院等によつて領有これた
らぬと思ふ。
し〓山と平準とむ保睡し来ったこの酢曾の内部には、
一〇肌大た∵り私石地に外たら紅h、U申に就きても皇室の
巨∵とこ■り
蛮弗カの軍屁による私右肘売捌が拉萬しっ1あつ︺パ。
私有地は和めて兢大に︰几りたるもい1如く、皇妃また
・
は皇子の御名を花代に擢ふるために設けられたる御名
−卜し/
常時に於ける※要なろ損耗手招掟鍬と鋤とであろが.
鍬は土地を掘って耕作する道甚であり、鋤は土地をす
.
代・御子代たどは各泄代ににめられてMえ。而してこ
・l︼一
′りこしう
いて耕作する道典である。文撃博士島居親戚氏の人類
繊細は厨始的なものではない。地溝酢漑の如きも極め
蛾の尤をさし込んで㍍る。この顆に於いて≠りが上代の
にあつては甜にその形式は大いに吏超し、各々先端に
て成宜し得るものである。托酒単相土木虹菓治郎氏が
働を以て俺に二人以上を養ひ得るに圭れる時代忙始め
物托的隼推力が成ら一定の程度まー亡奪展し、一人の労
宜の物質的基礎となつた。そも′1奴隷制度は融曾の
畢的研究忙よれば、これ等二つの※粟農業粟乱ハは骨⋮畔 のヤうな土地私有制の撞離は、やがてまた奴隷制度成
て齢抽的に行はれ、かくて虚業が最も基本的な産業と
曾て奴隷蔑隼蹄因を運べて、征服・和略等古ハ何の理由
︵八
徴求封象とされ、下級の労耕民衆の地位に蛇つるにヤ
手段とを混同︺eれたものであつて、奴隷調度成丑の基
を雛げられたのは、頻裁の葦隼附囚と奴隷を作り‖す
︵しハ︶
なるに至るや、百姓は¶おほみたから虹として弧婁たり力
ったことが腱々︻l本部紀に見へて㍍る。土地共有制の
JJ2
▼ヽ
礎的析因む滋蘭せるものではない。奴隷菅生の原因は.
人仰の労働生走力が黎屁し、これを必要労働と利敵労
囚は一に係って生産力の囁展に在り、暴力の如きは耶
にその一手段たるに過きない。
簡昭にいへば、土地が私有財産となり、霹が薄硫JJ
れ.生産が棉加し特化するやうになり.滴業が起り、
金満が使用され、土新農業によつて瀞牧蛙研が一掃さ
た奴謝制度が豪速することも〓来なかつたのである。
奴謝は決して軍牝することも、柵加することも、更にま
愈的條仰が、融骨的池妙が、作つてわなかつたならば.
軍は急速に奴撥を仲った。だが苦しも、奴隷教生の酢
いふことはI#火の知らねばならぬところである。戦
びに一般に張力的行岱に上らすして奴凛が凝生したと
の次の立論は正常であらう。日く、﹃恥平にょらす、並
株伸そのものであ一ん。この意味に於いて、シコッティ
︵︰り︶
りe
でたして、紀ノ団勇之水門に到り左して、訓りたまは
︹やつこ︺が痛手をなも炎ひつる。︵小椅︶非地より廻り串
御子として、‖に向ひて戦ふことふさはす。かれ旭奴
一︺にあたり、﹃かれこ1に謂りたまはく、吾は■ロノ跡の
らざる事柄であえ。古郡記には紳武夫真の東征を越ぷ
人仙の道徳的感情を以てしては如何とも説明し得べか
し.〓己のために労働せしむるやうになつた。それは
たる抑併を直ちに殺さずして之れを己れが奴隷とな
非の土地を抑作し得ざるに至るや、戦軍によつて抑へ
すろ・、土地の私有者はn己の労働力のみを以てしては
J三し奴諒制度の尊展は私有財産制度の渡屁と正比例
′1.かくの如き離村的機構が批するに至って初めて奴
期には奴灘が牽根しっ1ありしもの1如くである。而
働とに分割し村るに至れる二足の酢曾的・経酒的・諸
隷制度が野避他に行はれ、奴隷‡はその梯力手段を以
して宜‖が上代の㍊蝕申㌧は断片的ではあるが、奴隷制
一一一
ましぬ虹とあるが、これにょつて見れば、既に紳代の末
く、賊炊が手を炎ひてや、命すぎなむと、男催して崩り
︵︶◎
って描を欝潰し.以て尖鋭なる勅令的射光構成するに
度が仔在したことを諏l糾せる史料が紗なからす存拝し
古代u木り勅命舶係ご俳歌の世升勅
︵九︺ 至ったのである﹄と。それ故に、奴融黎牝の基礎的蛤
J占J
手代‖本の紋付蘭孫豆彿奴あ1仲井親
†
てわる。例へば日本評紀には、隼人族の親先なる火酢
′りのふ・ゝと 芹命が、彦火々‖見守の兜備に降参して、
﹁ノヽJ
吾篤郎︸汝篤卓奴僕蘭垂穀涛
と云はれたとあり、また‖本武やは蝦夷を征伐して、
一一二
して自己の私有肘耗となし、他方、貧民は尺寸の地を
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
l■
ヽ
l
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
l
l
ヽ
l
ヽ
ヽ
−
l
ヽ
1
▲▼
、
ヽ
l
︳
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
し、厭世と忍従とを基調とする蛮活に≠んするに至つ
ヽ
︺﹁︰つ︺つ
Jつつつ
架け俳娯蒔頃‖戎新全無占容針少地一︹はりさすばかり
ヤ地︺及′華諏賦一畔⋮基揖連作造等。先〓収鉄郎後分進。
︵一二︶
梢,冶宮塀架五氾聞墜客攣己民−随串両雄hと。これに上
って見れば、臣・祉・作造・川辺などの肋八族豪族等が
とあるが、これ即ち謂はゆる天孫民放が隼人・蝦夷と
も右たすして窮乏のドン底に沈痛してわたことが明か
各々自己の私民を揖きて駈便し、廣大なる田野を掩有
取って、その作躍を奴隷としたことむ物班.⋮るものであ
である。
つ︺
作一基肯師側面令総身︼也。
る。また魂志の倭人伸には、
虹の尊損。融曾の粁折的構眈氾に於けるか1る本質的な
択始共托躍の崩埴・1・私有財産刑捜ならびに奴隷制
とあつて.吾が上代には、犯罪人の家族を浸して奴隷
柏形は、人翫酢曾初まつて以来の最も大きなる桐軸的
犯︸法曹漫l妻子沌キ成東〓妹、
とする帆門のあつたことを伴へてゐる。古代‖木の土
な鰻丼であつた。什ては北ハ同備の一成llとしてその頃
へ.一∴︶
地私有制および奴隷制度が如何なる程度までわはれて
存を保障せられ・‖山中群の拙利と地佗む擁し来った
されねばならなくなつた。それは全く彼符の意志から
大多数の彼等は、漸くにして不自由と不準等とを強要
わたかといふことは、石部によつては未だ十分に知る
ことが‖衆ないが、排しそれが大化改新匪前頃には如
何に眈き形態む採ってわたかば、孝徳天皇∵大化元年
の勅に上つてその一班を親ふことが川来る。即ちその
l
ヽ
燭光せる不吋避な串ばである。而してそのことは同時
ヽ
にまた、宮代日本人の世界賊と融曾机む根本的に娃輩
l
J,ウJ
◎9⑦J†Tt 〓即に日さく▼﹁其匡連呼仰批氾国造。各揖己民惑情
、ノう、▲う
離任。又割如搬出梅林野池〓︰以璃1d財ず職不−己。或者
′
ヽ
ヽ ヽ ヽ ︳ 、 、 − 、 、 、 − 、 、 − − 1 −
●
た。日本への沸教の渡来は措にこのやうな脛史的睦件
ヽヽlI、、、、I、、、、
のもとに行はれたのであつて∵拍捕的な厭l岬押挙を有
ヽヽ
ち.同時に慈悲む説法する沸教が、円木へ根を下すこ
とが‖兼た根本原因は、か1る物質的基礎を把握する
ことにょつてのみ、初めてその全的理解に到超し得る
かに思はれる。だが私はこれ更によりよく認識するた
めに、以上の如き撞滑的構造の必然的併売たる氏族制
度の成立・牽展ならびに汲落過程、及び共同純紳の相加
/
紳と明らかにし、然る後初めて沸教との交錯を究明せ
ねばならぬ。読者乞ふ、これを説かしめよ。
抹 ︵三 城戸肺火耶、音代=本人の理非軋、二三七火山下
︵ニU 黙正巌、見栄共宛剛史詣、二二〇封。
︵≡ 石田文次郎、⊥地線材柄史論、覆洞。
︵〇 内‖触感、‖本相済姐の研究、上世.二ハ五賀。
︵正︶ 佐野畢、=本恨虹研究︵希望閑版︶、三六封。
︵六︶ 鳥居縄兢、人相聖上上りみ上ろ辛が上代の文化、
上巻、三四六月。
︵心︶ 牧郎二、円荘の研究︵赦竹村や、邦二怨節七披︶、
巷描。
昔代‖本の就甘囲係ご沸教の世界糾
、
−
、
、
、
ハ〇
der芽︼P詔rei訂Aご写
鵜川政次郡、=本奴隷細折虹、三〇天。
波文雄本、四人貞︶。
古叫記、巧−笹、︵川虹大系、邦七懸、宍四賀。岩
言ヨ︶出erli〇−︼讐つーS.臼㌢
CicO阜D賃u已erg呂g
本庄魚沼郡、=本鉦曾押析出、七九封。
、
ハ九︶
︵ごし
︵二︶
︵三︶︰り本状紀、警手JL、ハ囲虹大系、苅一巻、四三
一日ソ。
二、八代‖木の氏族制度
血挫忙よつて結合する民放側度は、如何なる厨始赦
命に於いても見られる自然密昨南武両石ある。氏族は
共同の血裁といふ邦雄が小心となつてわる柳膿である
が、後には共同の血液に‖づといふぃ仰に基づく準血
族間肺となるのが常であ一わ。原始‖本に於ける就骨組
︵一︶
音楽は﹁内﹄﹁姓筋﹄﹁畑地hなどの予︰炎から〓てゐる。
純の粒犬非碓もやはり氏放制度セあつた。﹁氏Lといふ
このことは誹外川の原始民放に就いても同撲に云ひ得
︼
ト∴
らことであつて.・ルイス・骨ルガンがその胡剃的名著
.一一ニ
ー
ノ.ワーク
#代‖本の一献骨髄係ミ俳敬の■世界軋
nJ古代敵中し.に於いてイ=ク★イ人に就き研究せるとこ
?りにょれば、各氏拡には、次の如き風習が行はれてわ
たU
一一門
∬、氏族賞は拙亙に搾助・保護お⊥び特に族外常に
ょる侵宰に附する揖門の援助の義務があつた。偶人は
彼の安全のためには比族の保護を期待したし、また剃
たものとして⋮∬せられこ。族外骨が氏族貞一甘犯したと
待†㌫こL﹂が〓来た。桐人を㌍した肴は仝氏族を宜し
仲良はその隼︰放より選川せられることを饗し、且つ隼
キは、殺された者の全民族が血の配備打の北軍ビ弱った。
∵氏族は牛畔の仲山および吊司令甘た進撃するっ
位の畔には直ちに新たに任命せられねばならたかっ
鈍道徳的性門ぃもの∵あつた。彼は強制手段を持たな
に、彼がどの氏族に帰するかむも示すのである。氏族
の名摘、又は名の系列を持ってゐ一′U。従って個人の名
古ハ.氏族は、全種肱申その民放のみが用ひ得る〓吏
かつた。吊司令官はたゞ〓粧に於いてのみ多少の命令
名比較初から氏族抑を作ふ。
た。比肱内に於けろ伸長の椎力は、父としてのもの.
頼む持ってゐるに週ぎない。
に採入れろことが川東る。かくして殺されなかつた捕
し、氏旺は族外杵を養子とーはし、‖てそれを全抑故
せられた希は術稚他の常と川じく中浜士であり、一私
板は、一の民放への猫ナ鉾机によつてセネカ人の種族
∴、氏族は仲良や吊司令甘む〓山に催免する。開発
人である。
nとたり、以て完全たえ氏族紙を得た。イPク.イ人
の問では、儀式によつて養子をとるこ王は、柿族評議
二∵如何なる氏族賞も民放内で結椚してはなられ 。
これは氏族の根本規則であり、民放を結合する紐帯で
曾の公用曾識でなされ、かくしてそれは叫貴上一つの
八、特殊の︰ポ数的祭此ハは、インノ丁−アン氏族に於いて
ハパ数的儀式上なつた。
あり鳥。
川、死者の財躍伏他の氏鉱員に販励したっそれ杜氏
扶の申に柁、lノねばならなかつた。
ノ占「ノ
は殆んど全く見受けられない。然しィンノ∵ンの㌫数
て結ばれたノ・一
吊司令甘弘何≠の優越怖を右た山。彼等抹血紅によつ
日出・
牛耳・友愛杜少しも成文とはなつてゎないが.氏故山
二つの兄弟闘楯を・りくつて一?空︶
イ人の︰ハつの宗教的年㌍には、個々の氏樅の館長及び
根本頂理であつた。血Lて氏族扶余融解制度の冊叩伐で
的儀式は、おかれ少かれ氏族と踊怖があり∵イいク﹂
軍司令甘は、臓摘上告然に﹁い仰守護者虹.の十に加へら
あり、糾絨′せられたり烏インディ︺.ン批行の基礎であl
を選堺し、又は耀発した。又そかは殺されたる氏族貞
扶植を持ってわる。この評議脅は胡長および吊司令甘
成肌の民主的集脅であつて、すべてのものが同等の衣
制捜に於いて扶既に失ってゎたやうであ︰㌔トl木前代
すろイー・ク一イ人の期肱鋤蛙は、凡らく吾が前代氏族
に符<=すろものではない。舟構︵声音re旨︶を小心と
ぶるが如きイl・クーイ人の氏族制度と必らすしも厳密
八代〓木人の氏族制度が、その悉くに於いてポに運
説明するものである。
︵∴′
きLろの・毅然たる邦宜精細上想捜の偶人的構成とむ
った。これこそ.何人もインディソンの川で施受ける
れて椚偶の職務を直った。
九、氏族は共同の莱地を持ってゐ㌔死亡者の全氏
族は邪式にけき、来の.1け謂をしたり、車齢を述べたり
する。
∼
に附する賠償金または血の役印を決定し㌔父それは
のそれは胱に前鞘に於いて運べたろが如=く、最早やそ
十、氏族には評議曾がある。これは凡ゆる成年男女
振外抒む氏族に義手とすそLとを決定した。要するに
の最高の葦屁豪速げたろ、綻りてまたその最後的段階
にまで近してわたのでぁり鳥から、両者の伏在する物質
的張碓は苅†の開きがあつたのは笹ふこL﹂が日米ね。
五
ての氏族瓜は白山民であり、互ひに〓巾を守る義務Jで
一
けれどもそれにも堅して荊婁なこL﹂は、吾が八代の氏
#代‖本の批伊脚保守1仰赦の世界軌
員ふり人桃に於いては隼等にして、七−ナTム︵伶長︶も
これが典型的なインディ丁ン氏族の柿指である。すべ
それは氏族に於け一皇圭経であつたのである。
Jち㌻
#代‖本の批骨脚係ご仰軟の仲井勅
曾ふ
族調度もその純粋なる形題に於いてはイロクォイ人の
それと本質的に異るものではない。古i!Fには﹁公﹄また
化し
は﹃⊥﹂といふ言張が腿々現はれてゐる。これは各氏放
の酋長であつて、氏族冊の行政的∴示教的串明を取ぬ
ふものであるが、いまだ躯制的な支配者ではない。こ
の時代に民衆かハ良妻涜戻することが行はれてゎたや
一山六
て牢けしむ。然れども比の紳大己肌艮紳に伝り射び
つ、ン
て、三年に比及、冊報硯さす︵中略︶放れ高畠産室
分配に講紳む曾へて、まさに川根はすべき者を悶ひ
たまふ。愈Hく、天川玉の子天秤彦、足れ批士な
︵↓こ
り、試みたまへ。〓疋に高畠耗軍律大雅彦に天腹見
り及び天朋弱失を腸はりて以て追はす。
ると説く脈史家がある。頂始有本に威光した附石目本
あるが、これは村長を選離するといふ衝い意味を有す
糾が抑集ひに根ふ﹄とか、更にまた﹁紳謀りに謀るLと
せるものに外ならない。﹁八十訪紳虹とか﹃八育苗の
り、その揖司令甘を一堂に脅して選離せし状兼を描掲
ヽヽ
とあるのは∵問有‖本人が他の種族を推服するにあた
人の榊の部族同盟の苗長は最初は必ず選挙を以て選ま
いふ・∵=薬が撼々古都に見えて㍍るが、これは氏族また
うである。吾が切に於いて﹁君を光てる﹄といふ言柴が
れ、花代になつてから1け製に墟化したのであらう。例
は部族の糊のもろくの満作が、その成且の集骨に上
γ七上ろづりもちも.人たち
へば〓本澤紀紳代下に、
倍もイ
その無骨の場揮には高大原とか天安河原とか云ふ名が
一
って決定されることを指すものに柵迎ない
ろし’もり
◎∂㊤◎ヽヽl−ヽl
放れ高畠産道食八十諸紳を召し集へて、問はし
ロク.イ人に於ける抑放許諾什と同じやう忙。而して
◎
‖てくる。これは脱い原野とか、河梓とか、湖畔とか
たか暮がはら′Ilのヤ†がはら
てHく.寄れ葦原中細の邪鬼を揆ひ牢けしめんと
紳知らん併をな隠しましそ。企〓く、天機H命足
の朕々とした現肝で、その民※的な付合が行はれたの
Å左
れ仰の探れたるなり.試みたまはぎるべからめや。
であらう。八代のゲルマン・マルク共苑仰の成員が、
欲ふ、まさに誰を氾はさば宜けん、惟はくは爾訪
じ
=疋に衆言に腑し脈ひて∵即ち天機‖命を以て従い
J∂8
ヽト
首長が卑処したことむ意味するもの1如くである。古
の如きも、‖呉む中心とする部族間甜の付合に各地の
代史の構兼とその揆を一つにしてぉる。紳無月の紀綱
ら独物を携へて現はれて根付したといふヨーロッパパ
とに寓するが、然し決して不自由民ではない。彼等は
構成員の節二は氏人である。これは氏ノ上の統制のも
㌍甜天真の欄に至って初めてなされたのである。氏族
爪でもあつた。鳥居と紳宮の別が設けられたのは斑に
びに宗教的儀式を執わする公僕であり、また同時に偲
て抑制的支配者ではなく、氏族のわ改・治安維持なら
事記ヤ日本評紀などに現はれる細論は、それが具備的
共同耶の安寧秩序を保持するために兵士にもなれば、
ひとたび付合の兢角が輝けば彼方の森・此方の湖畔か
邪推なりしや否やは吾々の研かも舶するところではな
また氏ノ上乃至軍司令官を選離する構および罷免する
︵M︶
かん圧づ舌
い。坑要なことは、そのやうな緋謂を生むに至れる酢
構陀をも持ってゎた。但し彼等のこのやうな櫛利は家
昆む通じてわ伏されたともm小はれるが、たとえそれが
lぢぴと
骨的訪條伸そのものである。
古代‖本に於ける氏族の榔成を見るに.先づ節一に
崩する北ハ同酔の邪推をわひ、その初め
特することは川来なかつた。而して彼等を結合せる物
しての袖等の地位と排能は、他の肴によつて自由に輿
匪描的なるにせよ川招的なるにせよ、北ハ同醗の成且と
純粋なろ形悪11にありては選準によつて選虔れた。
択的基礎は土地共有制であり、その條件は血練机擁お
▲p′
氏上があつた。これは氏族の藍であつて.一氏族に
閲読成就以前に於ける大鳥氏は最も大なる氏族ではあ
上び共同献酬の崇邦とであつた。か1る純粋なる形態
氏族制度の
ったが、然し全開的に見れば全氏族の一部分に過ぎな
に於ける民放側度には奴隷的不自由民の存花しなかつ
ー
かつた。天真氏は和服の過柑を経ることによつての
たことに往点せねばならぬっ
一一七
然れどもこのやうな氏族翻眩も、土地共有制が崩壊
ヽヽヽ︳▼■︳▲▼ヽ
み、初めて他の講氏族む伊春しその弧∬つ大む加へる
ことが‖兼たのである。従って初期の氏ノ上は決し
古代=本の址命細係宰仲秋の他界軌
J5ク
古代‖本り祉骨個体ミ彿敬の仲界概
.
とあるが、邦冊の敷が摘に充ち∵■わたのは、濁り雄略
大連等民部族犬養詑於川︰
刷新の教に上ってわたであウリ。雄略人山王妃には、
して私有財産刑披が磯粧し、融脅の物質的生踵カの替 上り純嬰たろものがあつたJ故にその人教もおそらく
展による奴隷制度の成立の結果は.やがてまた離村の
内部的分裂を導びき、漸くにして崩壊せぎるを得ざる
に至った.而のみならす、人‖の桁加および地域の械
質より云へば、循役奴ぷ充たはバ賦奴隷であつて、そ
大は漸次その血紘親念を疎遠ならしめ、昔〓の如き同 大鳥の御代にのム限れろ現象でけたい。郡民はその増
一止族nを一的方にのみ作㍍せしめ得ぎー∼こと1な
の夜都ホ︵奴︶と異り∵⊥こ.7りに、ロを持して濁先の姓計
り・つこ
り、精紳助にも‖︰‖∫∵王の紬帯が断たれつ1あつた。
而して氏族制度の崩壊期に隼適した不自由民性別獅に む騎み、祀祁ハの如くt謀に起㍍して㍉肘物hとなり、
︵ト︶
述べたる奴詣であるが、また他方に於いては郡民と椚 その頑使に服すろ、′一となきに過ぎざるが如き和睦のも
する寧日再民が生れ〓でた。ホく郡民階級といへげ、 のも多かつたやうであろ。天皇止その他の大氏にあり
が故に、これを符理する職制を設けたのであつて.郡
すべての氏に隷鳩すろ郡曲の民を指すのであるが、公 ては部民の数が多く、また一併に喋刷せしめられたる
民と封正する郡民は、天真氏以外の氏に屈する部−〓、
及び天皇氏に崩する恥娘なる部曲の民より成ろものを 民は直接に氏ノ上の支配を受けなかつたとm小はれる。
潤ふ。彼等は蕾時の鞋禿労働も殆んど一手に引受けて この管即希は餌ち作造であつて、一定の氏族は作造と
ゎた。自由民たる氏人もまた常時の苅異なる労働階経 して一にの民を統率管理すり∵しとになつてゎた。従っ
坪有されてゎた。これと榊じく作眈mの氏族、その他の
であるが、その労働は原則として自己の椚政を〓的と て郡民は作造の肝れに崩すろものではなく、天皇氏に
し、郡民の消農はその労働を圭異なる‖的としたか
ら、配骨的労働に寄興する黙に於いては、部民は氏人 比放もそれト1‖dに屈する部血を示して㍍たのであ
J〝の
.へ
﹁∴∴ノ
般被治衷廊にょつて称呼を以て迎へられたのは決して
故たきこL′せほたい。而のムならす、八︰⋮時折く哉適し
る。大化改新にあたつては此椛の郡民の大多数は解放
J、hれて白山民となつたが、大化改新の匿前頃には仙骨⋮
つつあつた﹁天に∴‖たし、閲に二tたし﹂といふ王土
融曾的にも錐縛的にも不遇の地位に摘ち、原始共産備
遇和む持て﹃囲家kが成就するに至っては∵冗の氏人は
配者となり、加ふるに勘繁に捏返されたろ粧取串某の
等のもいは共同齢のた机の蛮僕より輯じて専制的た支
JJ一1t碁息。射場巧西独へ邪知ユ基増叫故詔氏姓人
不賢川⋮豆非五∫l其錯車。群臣議定奏乏。︵中略︶足
或故声高氏丹
明年衣レ上下拙草。百姓不一安。或誤失己姓り
たがはす
上山の拾。人民得レ併。姓名勿錯。今朕柁紳於レ弦
阜㌧ある。允基天皇・明年秋九〃の助に〓く.
れは治者腔たる肯肱に附すり?被治粁群の︰階級的反抗
ろ氏姓の混乱は果して何を〓的としてなされたか?そ
・・ぢかけね
ょって、最も有力たろ武器を輿へられた。浩畔に於け
彿放のM肛川心想と慈悲の説教との助けを灘りることに
常時既に獅莱なる勢力を占めた予治者群たる貴族は、
忠忍法、彿致によつて好一婦と影珊を典へられ、また
れ婁なりり芳蜘力給付者であつたことは∵前既に越べた
ろが如くである、
然れども吾々のこ、に忘るべからざるこL﹂は、〓山
艮たる良人の地化に就いてゞある。既に前脚に於いて
明かにしたやうに、折々たろ土地私有化の膵進の結果、
彼等は曾て射したる共有地耕作構を奪はれて貧民に堕
し√北ハ吊借成ムの公準中等なる選黎によつて選ばれた
の北〓とあこがれるに裏つた。けれどもそれは⋮里J与リレ
等。沈潜轡誠。各璃知和深場川於一︼昧稲正之酢
ろ氏ノ上および拒司令官の地位は漸次世星化され.之
動揖想に過ぎぎえが故に到城門瑚さる1吋嘩はたく
摘日和叫埜撫陽允∵而引1請人呑レ赴H。御飯刑余。
ゆ司呵′田つ
請人外洋d未納†紙用
而赴−釜操
非不.ヂ於治一着。霊由レ是哩朕靴一︼
¢杓旬9印西◎◎句◎◎@⑳
何等かの鵜柳的慰安を求めざ るー虹得ぎろに至った。押
鵬昔必昔。幹是ひ
へ七︶
上思想む誠映する彿教が、・硝に貴族而の一′.ならす.一
昔代‖ヰの祉骨阻係ゴ彿秋のー泄界叔
七
JげJ
昔代じ本の鉦骨閲係ミ彿牡の世界軌
︵八︶
湯。則御津春日全。不レ得レ据肴骨傷け‖足以故証者
愕然之。改進無−進。
︵一︶
一二〇
前田攣ニ、日本抑折虹論、︵新王攣二全姓、第一二
と思ふ。︵以下次雛︶
荘
姓第一笹、一六貫︶。佐野塑、=本躍如研究︵希
くが︼にl’のTゆ
H●ソ︻OrgPn:′1乙3t許cietソ参照。
d2r㌢−邑i∼、d現ワi・
ノまei明entどコー≡乙d筏ご邑♪Slut耳Prtこ呂柑、
ロE−棄lグD︹r已コpr弓g
L
こ1に謂ふ盟抑探渥は、熱おわ申へ手を差し入れて氏
︵二︶
望閣煤︶、三七京。
ヽl
S.りG持
‖本邦紀、笹二、紳代下、︵囲史大系、郡一懲、
六二封︶。
佐野隼、=本歴史研究、四二封。
四二貰。㍍波文雄本、六一−
︵M︶
北川路次郡、日本址付狙、二六
二七封。
︵五︶
本庄埜拾耶・黒正翫、=本押研虹、六九封。
−
︵六︶
−
二二三封︶。
‖本朝紀、怨十三、︵川丸大糸、邦一懸、二二二
張︶、蚤冊。
拙稿、H〓本圃家の成就過現︵思想、邦官立粥絹
︵八︶
︵七︶
︵パリ
姓を詐耶せるものを裁判する一方略であるがーか1る
氏姓の混乱は少くとも浩畔の沼者群の道徳を以てすれ
ヽヽ
ば、明かに非悪である。配抑探湯の裁判はそれが詳fl三
せる邦後に打ふものであつて朱前に防止する方策では
ない。氏姓の混乱は允恭天真の畔代のみならす爾来極
めて損緊に行はれたものであつて、常時の治者群にと
っては一大恐悦を来したに和光ない。さればこれを未
前に防止するがためには、氏姓を混乱することそれ自
折が罪悪であり、∬つ斯くするものは恐るべき冥冊を
蒙るといふ思想を杓え付けるに如くはない。而して彿
教は資にか1る時代に苦闘へ渡来したのであつて.治
者群も被治密群も各々その口的とこそ異にしてわたれ、
ヽヽヽヽヽ
彿軟を必要とするに至れる肥史的誹振作は十分に成偏
してわたのである。だが私は今少しく彿教渡来Ja前忙
於ける・苗代日本人の租先崇拝について若干述べたい
J♂2
し
悌陀の初期侍道生活と三軍言文
通
ハーブ丁スッに留意して
等
Ⅵ
この問題扶植道が︰加数乃至彿敢に於て緊要なる串象で
而して非等が沸教数理上に如何なる純嬰性を持つか。
る見粧乃至ハ几言が如何に史的に柑遷消長してゐろか。
上的理想化がわはれてゐるが∵彿陀のこの博道に封す
11特にマ
彿陀の初期侍遣生活に於ける三宣言文に就いて
﹁序言
伽陀の仰l艦たろ坪〓の∴は併調鞘位ハⅠ︶−P一l↓たkドbu已・
F︶として‖ら㍍れるを以てよしとして諜扶せざるも
他人に博識したこL,たあ一山。峠道は小ポ教亜活に於て兢
兜より兜他に彿陀の︰ポ数隼浦が移行した意味に於て成
殊に彿膵に於て、初期博識隼浦は求消より数化へ、〓
のでなく、門に進んで衆情を研度せんとして円内距あ
をる限り、和めて沌嬰な∬興味深き研究揖目である。
嬰なもの1︰であり.仲頂裡沼は如何なろ気組の膵記
博研究力針−彿陣中のれ異邦項に就いて各文献を比較
巾に於ても、最も姉川米な地代を占めろものである道
が・
、押黙と共に摘も叩粟なものである限り、自分の彿
之が彿陪及び沸教に於ては如何であつて、如何に取︵
り−︶
扱はれてわるか、彿陀の樽道に附する見解が如何な附
る則しその文献・仲裁の新市を糾明すると北ハに、仰階の
構曾に如何なろ形式・内容によつて現されてゐろか隼
。浦の史的串円上修飾化を和明す六丁−に於ては、各文
■
■
一二−
■
−
沸伸記述にほ史的邦雄に附して紳誹的修飾化乃至形献
而成宜ホ新王∵布陣説申のむHと佗椰化を岡明する上
彿陀の和則博通批清lこ於けろ三︰圧首琴卜紡い一ヽ
J〝3
に、掩めて役立つものである。而して之の記述にmひ
であろ。箱三はパ十の比丘む教化し終った折、自ら解
謹を右し、今や相法輪に赴くのであると詫言するもの
一∴二
られる純嬰譜の印度原語−梵語・俳教梵班⋮・巴別語非他
脱した紹は各自美々練に陥って迷へろ衆生・菅沼度せ
彿陀の軸鋤博適正活に於けろ三ル代官文に就いて
の印度中紀文譜・︵㌘賢ritリ間の言語壊的比較封昭は沸
大仰抽申の沌大串象であつて、凡その内に彿陀の面目
教梵語と巴別語との比較研究の葦料として柚めて役よ
立.と滋へて∵伴道忙凍道†るものである。之等は夫
つものである。
而して彿陀の初期博道生活に於ける博通忙閲すり思
匂潮
見の搾如たるものがある。而してこの外、初期伴道
鱒豆膏文の詑なるものは三つである。蜘ち第一は成小
道詭火な三Ii件は臆野l対に於ける初紬紘愉であつて、こ
悲した内心の思惟、節二は婆撒捺斯っ、言竃⋮︶への途
してぉるので、之はむしろ燭光の聞損として攻究すべ.
れる。然しながら、説法内容は殆んど沸教の要諦を課
直後一作伴道を持挿して後、衆姓を憐んで相法垢をの
決説法前後には彿陀の停道に脱する見解の片随が何は
次外道健波迦ハ︹甘kろに答へた初摘法輪汲此‖の冥.戸、
第三は彿の軟化した六十比丘を伴道に派遣する折のき
樽もの故、此幽には論究を避けることとする。
道師派追の宝勅であぇ。第一は成道庇後その自内〃の而して、本親日論究に常つて特に往蕊すべきは巴利
法の難解にして更に理解し難く、自らの努力の徒労文大‖⋮ハリl巳−賢腐gP︶と梵文大串璧喩沖︵ソ㌻b腎a含︶がこ
に終るのを慮って、伴道家一博捧持するのであるがの
、部分を中心としてょく思想的には勿論、言語的に一
本稿の研究揖〓む購読され、蕎寧ろ本論文が基礎と
究に苦って多大の使丑と意義と興味を捉供する。
更に流樽輸他の衆生を憐んで説法を決意する折のも致
のすることである。之は本間血中のM心想・彿伴・言語研
をなしに赴く途次、外道健波
である。第二は婆緋捺斯鹿野例ハソ一軍d賢ユへ初樽法輪
もげ弓ヨ喜好冨pr雪pユP日︶
迦にその師・教理を問はれ、無恥燭健にて、探奥のし
一て日
立内
脚し、炎ふ併多いのは、ノココdiを︰ロeぎヨp写
Jβf
る論常山でてより廿有飴年をも経過して佃、この骨れ冠
彿陀の日比︶の両着である.之守の紐解にして建姑あ
と恩師妨崎正治教授者﹃現身沸上法身体舞特に帯二輩
に骨叫つて、彿陀仏〓らの廉価銅盤の法の探抑にして、
はんと思ひ至るのほ極めて自然であろ.烈し、この畔
しむと共に.生老病死等の詰苦に備ゎ同胞・衆生を錐
も救消せん縞としてゐり匂。彿陀〓・・‖らの解脱の法楽を坐
の輩運彿仲は〓家〓的を〓ら解脱†る上岡畔に、他を
itiOコd籠試旨腎鼠u∵リー已︼野蒜莞 ︸・∵ヒinh ソ㌻訂丁注1︸
の論者のこれらの二者に丸脚しっ1も、ウ宕而づろ仰
泄串に幻惑し、利洩き茶畑に解し鉦く、紀惜し雅く、
自らの努力が徒労に終るを思ふて、弘法を碍挿したこ
たは、講彿挿文献を初め多くの抒仙ハが之を伸へてわ
て轍迷肺悟解脱して.彿陀となつた。之は巧に彿陀が郷
︵甥乱暴呂Pし にて囲諦八正道十二囲舘の苑紳を純情し
−1ぎ眉gP︶一・五∴︰−二∵巴刑地相耶州應部
れるものほ、U刑鍋紳戒申の∵ハーヅ丁ツガ︵大晶ソ㌻・
此の問の博道路躇の最も頂始的の根本的記蓮と思は
る。
団文王華子を捨てて、迦毘津城を〓け弥錆城した究摘の
リikギP︶栂‖⋮第hハ・U利佗榊耶中郡ハピコ誓iヨp誓打ざPリ時宜
ハけ︼︶
目的が蔑成したことであり、彿階自身はこ1に無−肘を
求経︵ArjリP甥弓i竃PロP蔓−叫−︶である。更に梵文であるが
大都幣喩挿︵ソ冒ぎ告・P邑賢り具・競⋮さへ逐字的に之
︵S量3t︷ド
去り、帯捉に到窪し.成遺したのである。然しながら
︵巾一︶
天勘蘭〓盟禦井二扶之に榊竹⋮してゐるり†ウし等の訪文の
等講推記運に一代し.大串彗喩評の異繹彿本行粟津梵
せんか蕎かの問題が起るのは.極めて竹⋮然の硯材であ
∵⋮三
言語的一致をも対照する焔に、大品と大Ⅵ﹂−の原文を弼
彿柁の初期侍道鉱油に於りる三宝首文に就いて
る。その史的串持たるか否かは疑問としても、大乗的
界に流噂愉廻する衆生を現在の自己と同じ丸顔に軟消
自らが解脱すると同時に、常てのnらと等しく菩の世
悉建多ハSPまユ訂監d−且比丘は摩討陀囲最謙抑河畔
l∼
第ニ、侍邁の躊躇の決意
殆んど雅浩は、働他に耐えざる仰である。
rげ占
げれば
体陀り初期博通鎮痛に於けろ三㍍言文一卜就い/し
︵り−︶
リーPb賢長gド1.ひー㍑−㍗
adhig芝○打t10︼uつヨリ・号い岩−dl−2ヒ巳C G㍗ロ巨li−・二dl︼と︰竪
r呂一計Od110空きpぢl言︰き打㌃↓案喜2つ=﹂○ち且i−当乱巳7
二い四
この法は我に通せられぬ。そは深奥にして見排く、
兜り椰く寂耶にして申越し、乾慧にて通せられす、
微妙にして賢帝にのみ知らるべきなり。
されど又仙術損は渠を求め、禦を射み、梨に音ぷ。故
L〓・
に渠を求め、渠む射み、架に謂ぶ衆牝にはこの囲基
因線蛮のこの見地札排からん。
更に一切の龍の抑止二切の取の粧脱滑愛の絨就・
ん。
食欲を経れたる滅押黙なるこの見地は更に見排から
A㌻一・買掛臼p E−O p書首一望 ︻鼠押巴︰ヨ︻r巳P ㌢ノ・a占ヨn≠l訂.
叫り〇・
と雪弓賢−ぎPElOワ5Pつ叫雲リ1⋮1
巴当胃已ギP㌢Fく琶12≡︼旨考P︵︼uとに㌍ゼi︵㌻︼づt訂︻︼点こ・已
id呂二︵㌻p勺ギβyドさp惹cGβn三つp己〇.
乙軒E pikどt己旨還:已udd岸虐∴鼓〓㌢−つ匹bb声mぎ賢?
かFく
賢・l芝訂Ⅵ♭b者乳b甘苦訂眉gOt呂F許kbP苫T︼rニgOni3d
〇て余はかれらの宿に寝れ、余はかれらの馬に
ヨ臼m屋P
納なる営倉に著し、闇の耽なりに破れたる熟生l
す。呵に反して微妙なる、深淵なる、見難き、後
食痴にて贋せられし希にはこの法は兜り易から
今説くは徒労なり。
努力に上り到述したる哲
りし咄、現前し来りぬ。
比丘上、此等の自然に.掲−前に未だ骨て聞かれざ
コibbぎP蔓A訂用語TPこ︰O P呂日学Pロ≒2づ d莞︸づ1﹂J−つar努
っせん。
CレmeロP とE一つ︸苫﹂︺㌦っ ≡弓一︰玩ド 打ニ≒琵こ≡−㌫
ユr佗抑︷i.
1.㌣印
A阜訂uせbP唱ヨnl眉二≡P
Pコ毒口F弓i芯g巴罫−召p与bF︼∵SG l㌧ur訂賢l旨p已旨中
田ice訂nPme巳已g巳烏J l︼已PJJ dぎi pr打訝itCぎ
rン恥巳〇誓p胃ユ什l−i n考”召d訂m202用Pローどd旨C・
諾ti芝○わ帥n−i Epuづ日月G呂−bhHr月l duddP旨ma卓u盲
r茸邑霹nPd旨kb呂t〓P︻ロ○罫巴乙b昌Pざuぶti
J66
︵1︶
四分律三二
は見純はす。
航此食言。我今已獲此法。此法甚探。雉雛雅知ご水液
体級。休息微妙。拉上聖者柁知。非曲者併封。衆生異
見異忍異欲輿命。依於異見粟於葉甜故。於組曲拭甚探
難解。社有甚探緋肺胞。披講欲愛誼捏翼。n追出亦雅兄
故。我今秋説法。蝕人不知。則於我庸労捉苦耳。
常食骨説此二偽。非兼併聞。亦米伊説。
Jtl
我成消極緋偶在娘茄説。令悪感鮎者
不純入此法 逆流回鍍死深妙祐郷解
︵じ︶
薯欲無所見 愈聞身肝覆
五分純一五
作是念。我併村法越探微妙。排雛雅兄。誠実無貧。轡
菅野知。野馳希肝及。衆生墾華二外箱宅。集此訪英。
何級能情十二囲組甚深微妙雅兄之法。共振忠一切行鵡
斯捕流。鶏恩愛湘無俺泥恒。徒甚椰。苦我諏骨。従‖
疲労。楢日精苦。
爾時世脅欲和明不可説裁。面舵根号=。
仰陀の和期仲通生活に於けろ∵⋮圧露文lニ拙い′\
放欲之併覆
那惰甜宅訟
深妙甚鄭解
不滝入此法
我肝成道錐
合志傲脱着
︵り一︶
逆流廻症死
黒闇無所見
ツーPb腎邑u声望山−聞遥や皐−小
nl苫づOSul
︻喜まp巳㌢汐コOp巳b甘ぇiコiゼ誓gO
Tig注PrおOnぎdFOniヨ晋P
H2rT︰巨召S許諾PヨPl訂・
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工.∽−ナリ
コ:・蒜P一昇︷沖dr熟考D三i︰−一︰ヱJ
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一二五
dぎ⋮勺rPkP告tGち
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g2七bb叫rOPリP召日昌pdb弓−−J旨Pbh訂1日b已dhO
ノ〝7
彿陀の初期停道生紡lニ於けろ三宣言文lニ洗いて
︹大事評文末定稿︺
今は説くは十分なり。
沸本わ集紹
▲一二﹂/ ▲
▲
▲ヽ
爾時世骨作如〓失心。我併描法。此法甚探。酢見推知。
?こ
愛欲lこ耽れる人々は晰統に運ばる、
て曳り妹く、乾怨にて澤せられず、発着にのみ知らる
如微塵等。不可兜察。無川心搬出り不日心講追。︹我無有
この法は我に兜知されたり。到嘲酪奥にして微妙にし
べく、一切世界に敵家なきものなり。
価。無巧利匠吋能致我謹於此法。=机朱子巨獣。饗阿錐耶
貫
研︶。架阿抑耶。往阿羅耶。”豪華璧心多食故。
通
出。疑道郷捨。い切邪道。︺減益無愴。愛之放幽。霹砦
此之適所。一切衆蛮。不摘昭見。︹唯沸沌知。又一切
此ぬ榔見。共起併郡十二回線り﹀十三囲扱。右脇相f巨.
︵珊
まこと又こは架を求め、無を架み、架に韮ぷ。而して
渠を求めー架を射み、架を
の因縁生なる一切取の離脱・前行の静止の法の依れ、汎
愛の滅韮・食欲を経れたる滅・氾粟なるこの見地は見排
し〇
生。朱緯此法。従令我分虚坦言説。︹爾時世せ。如是念
椎欲。寂滅澤弊。我今排粁知是等結向於他説。披講衆
ざるべし。かくて我に徒労あるぺし。
已。︺篤於此串。昔未曾M。未従他糾。未有人混。而心
面して我は他人に説かさるべし。他人は我を信ぜ
然れば、我は今一人林山にて沈軟に任せん。而し
探典にして兄妹き我が道を食愛に染れる肴は見得す
欝反する
唯旛逆流翻心智
話欲振嵯悪法継
我今年菩紆此法
侶彼無明憫和故
併可昭見如微塵
一切衆生右此榔
不可礪爾細胞元
白描。如説似∴・〓。
今は祉くは十分なり。
無欲食薯雅見知
てその時催告はこの侮を放けり。
この曽我に努力にょり建せられたり。
Jββ
以如是故。如来見是甚沈事己。其心欲楽阿甜若ぬ。不
決罪刑分律五分律は前掲の如くこの大品・大串と略
には殊に近く、人品と同一系統に励†る古体であろこ
ぽ一致し、同一系統と思はれる。この二接は巴利大晶
都道郷見過亀多
欲向他説於此法。而有偽証。
見甜衆生煩個韮
知故欲任阿腑若
砺時世隼作見合d。我祁甚探之法。錐見稲見推知能
解除法者甚深緩
之に上つて明瞭に知られる如く、大品と大事とは殆
知。不可思推称可思惟。其我欲妙。唯有御者能知此
とは、稚かである。之を簡畢にしたものに、同じ律戎
でこ
の根本説一切石部昆奈椰破何部怨純六がある。
ど内容古語共に逐字的に一致してぉる。大串の輿詳彿
愁欄。今我應燭於迫抑我併見法安東境界偲椎而往。
本行坐経も之の原本を忠賢に酷評してわる。この壊人‖ 法。弟鶴他説。彼不構酢。我法郁授徒自疲労。絵我
人品上り後年成就の梵文の大串は、明かに葦料を大品
︵リリ
より肺り、軍に之を梵語化したのであえと推定される。 更に簡描にしたものに、次の訪仰がある。
︵に︶ の紳誠に崩するとの自耶にょつても十分爪〓定される。
新。併発知能分別薬理。胃之不眠鋸得秋載。設吾興
甚搾ウん弥暁錐丁。瓢可蒐知不可偲椎。休息微妙斬
櫓一阿含勧請品。爾時世母御道米久。位娠〓足念。我今
而して両#の内容・言語は北ハに古色を帯び∵﹂れがハ
人証妙法者。人不信受亦不寒行新。糟石基努則有併
この推論は大串が臼ら大衆部説山枇部︵﹁﹁一ざt5T巴i。︰
件であることは健に餅かれる。勿論後年の併称作家は
用。我今宜可搬然何須説法。
昭一阿合商用晶。御時世母使作‖疋念。我今以糾此甚搾
史的串煤に多少の修飾を加へたに相連ないが、これら
へ川︶
之法。雅鮮椰丁雅幌知榔。極微粗妙利併発知。我今
の思想内容は常時の彿陀として鵠然あり得ることで、
彿階の心内の思惟も亦之の節句とさして泣くはたかつ
蕾先典誰諏拭。使鮮吾法祈是誹。
一∴七
たと思はれる。
休作の軸耕付近批活に於け一〇三宜音叉に拭いて
Jβ9
彿陀の和期棚道生活に於けろ三∬言文豆二組いて
合志渥邪見
︵‖︺
巴利佗村耶中郡誓米韓岡本でぁる溝滞申阿分抹摩維
はこの部分む放き、泥ちに説法に揮ってゐる。
欲令糾沼津
情鳴の沸併行讃はこの郡分は梵文を消失し、班謂は
沸服搬衆生 敬止哀悪心
捏情況法心︺︵戒鐸一明・
瓢流没非心 解脱上甚深妙何両沌得小皿捨緋動力保
へl=︶
安佳於猷然 ︹励椎木琴拙
︵〓︶
九山ハー八︶と記するのみで、榊めて間川叫である。
︷‖︶
へ15︶
現存沸併行絹梵本︵この部分は情帰作にあらす、後
人の附記︶及び仰木行紆降魔晶は彿陀の成追の務にこ
︵圧︶
の記述を放き、配ちに相法論の記週に入ってゐる。
過去現在因果珪三。而〓念∴..‖。我花此庖。誠一切
漏。肝作己光。本願成備。我肝糾法。甚探錐鮮。唯
沸輿彿。乃能知之。一切米車。於五濁世。岱食欲喋
心慮醗邪見.惰慢詔曲之親陣。紳輔鋪根。無宥和想。
云何碓解我所得法。今我れ猶相法輪新。彼必迷惑。
不純信愛。而生誹誹。骨⋮増悪道。受話苦痛。我軍部
然。入校浬娘。
閃扱辞へヨdぎlk已訂︶は埴に彿が説法を路頭し、梵天
二一八
の勧請により説法を決心したと記するのみである。
而して之等の講古樽に基いて、更に打l心想的に進展せ
コPl巳づ
p3tibbP邑l
しめたものは、雅文沖購経ナー一ぎユ告=︶二丘等であるっ
、■−一
P乙i︵ドまsFr仁HHぺ.
︻︶註㌫
p鼠与二ハ一づ︹訂膏
g2=b一−叫H・。︵︼ur㌢訃⋮弓さ
Pp12nle守旨巨呂n∴≡e管l訂−bEハ昌︰眉
rゴーJ︵−壱
t昼−−号TplP打払i言づ−
prPノ・巴ヒゴnte
今旨♪1呂tir青Jn旨笹已︰ぷ︼
p邑i㌢OtP普miロー臼rgO
PnuSrOtP召
コ蒜ノ・弓一SP蔓つ1菖t2召l︰⋮t窒已t・づ︰・Pk乳言づ
而してこの偶と繰返し説けり。
我が道は流に放き、深奥にして見粧し。
そを食欲のmに習見す。然らば説くは無駄
なり。
愛欲に落人りし衆生は舶流に運ばる。
我が法は努力により到通されたり。
普哺控商人挙世晶二二
然れば説くは無駄なり。
︵‖︺
J㌻0
計。非首能説不可聴聞。非可搬鬼無断雲擬。椎誹輝放
於是世‡随加暫俗。心自答∵い。〓疋紘甚沈。併人無限。 不吋丁知l。非併拗示。無璃無仲。逆酢六億。非心肝
成位正兇。寂然微妙。椰迎雅知。非心肝思。非音節悌。
甚探寂静椎塵窮
棄先発戚。窄無断符。寂滅捏粟。若以此法偶人演説。
我御甘煮無調法
迫故静戚欺然任
非是凡聖。併能逮及。一切訓詣不叫御調。存井本源至
響。無有教訓無有無果。寂滅諸共。至於無断無想之英。
一切衆姓無硝了
猶知慮察無併巣
披尊碑惑不純了知。庸絹其功無断利金。是故我應寂然
杏設燭改新癒本末。荷物無情有身骨苦。身非馬身。牢
此法速酢於詳説
若人能相甚稀有
滅渡英。一切肝過最知所掌。乃至浦涼撫生瀬糎。不相
無断有。衆人不解庸苫匪労。併有執城家魔悉非人併。
思椎心意冊不行
就能唐人北兼理
而任。対陣亜敵両説侮言。
正信似反。誰符信者。不知軟然耶。於時世耳餌漁福
此法性離於文字
成慧無併有。樹皮六界。無想不離無独無言無有音
富。
不如歎然
宜り己逃足
︵帥︶
され、更にこの似に緻いて俳法の深奥にして不可思識
梵文彿停として原始的の仰倖より大乗的の彿件に言語
なことむ訣別してゐる。之は明かに幣噸錐が凝蓮せる
之等は古称に基きつ1も大乗的の思想が多分に加味
深奥惜伯 噸明無垢
如吾今‖
猶如通察
甘露無馬
我今批之 衆人不解
如是自然
無念第一能知他人、
除去音節 無思無得
心思法意 抑挿以脱
的に思想的に進展したことを示してわる。
然らば.りし等の内に於けろ史的ホ聖は如何か。一度
カ東大肛鹸踵大梵天‡動諦晶二五
概察他州。作畔食言。我紀甚探微妙之法。拉掩叔那雅
彿陀がその‖再紆が難解の法たるが故に心内に樽柿し
︵即︶
兄錐悟。非分別偲兼之併能雛。堆石誹彿乃脂如之。伊
たことは平楽であらう。而してその嘩躇の折の思東内
一∴九
都超過五濾。入第一義。無鬼無打砕性締押。不取不捨
俳陀の初如博通姓浦に於けろ三宜首文に胱いて
J7J
るを決意した。多くの併称文献は沸陀に梵天が靡碗助
一∴0
容が自らの金口と博へる大霜等の句と略々新似のもの
の中に多くの邪道異見がありとし、戌ひは衆生は苦に
俳陀の初期博通生活l二於けろ三笹旨文lこ就いて
であることも倍ぜられる。蓋し紳誠に於ける彿伴は飾
悩み、彿は稀に〓づるものとして説法を勧めて、不死
︵盟︶
付文献申巴利佗和耶の彿伸記述と共に概して古きもの
沸舷わこの宣拭蟻躇に附して大船捏葵控は魔の併常
勧めて、その決意む讃嘆したとしてわる。之等の梵天
が衆生を憐んで相法輪に心動いた陣、梵天揉むに之を
甘露の門を開くのを望んでゐる。或ひは牽迅彿樽は彿
に〓でたと†るが、ヱ比史的事畏でたく入関性中にあ
勧請の説話は寧ろ彿陀心内の思考が説法に怖いたのむ
︵仰ご
る非沸教的燭華的仰向を象徴化して、魔が躊躇せしめ
其教化して、象徴したと糾す可きであらう。而して彿
、小∴− であ一わ。
たとしたのであらう。何れにするも沸陀が成道後棒道
陀の説法決意の串情は之等の樽説より推定すれば、内
︵封︶
に先光って一度論法を躊蕗したのは串出であらう。
に臼盤内容の難解にして、徒労に終ることに附してで
用歴細陀の邪法緋除も決志への大きな軌前になつたこ
L′人々に射する正法への指導であつたのであらう。小
的には沸法のハ几揚と衆批の憐悶、外的には邪法の排斥
あつた。この即由はその自傲内容の深淵と狐自性に射
とは、常時の宗教界思想界より押して十分似けること
而して彿−吃のこの易合の伴道路路の即由は組合する
する臼信の強ければ就い程自然であつて、それは彿陀
である。
初の宣言となつた。
んとした。その決心は彿陀が師王とtて泄に立向ふ故
俳はこ1に恵む決して、不死甘露の門を禁山忙開か
︵㍑︶
の立場として一腰架常のことであつた。深淵は平易化
することによつて、徒労を慮るのは戊大なる慈悲によ
って祁はるべきもの。
かくして彿陀は一口確道を指押したが、跳軸輪廻し
て死に沈む衆生を恍んで、翻然説法して衆蛮を渋皮す
J「ヱ
ソ㌻b帥昌明桐Pl・ひこu
Ap野島看巴⋮m已琶pd喜ご・︰Cざ⋮l=⋮uど旨苧
︵︼d訂督
puコ1巴づ・
我に不死の門托捌かれたり。
hリ0
若市於法探架聴
大梵我終不満課
石部律破冊串墾ハ
仰木行集揮に和結句なし。
︵盟︶
如共謀慢日揮人
︵叫∵
﹁巳iF↓㌃t害P
HMく.−∝−−け一
は之に就いて何呼記述してゎない。曹曜締系統は
之に反し因緑紳︵2い2訂1芭・彿揮わ諮十川・彿本わ繹
大品とよく一望,る。石部律破肘串一ハも大股翫似すろ
故に於て大品と大串は略々一致し、州介律・五分律は
我即借問甘露門
器の思ひあ亘不渾なる法は嘗て膵伽陀に於て説かれた
寄の思ひある信仰を捨てよ。
欲かんと欲する者は仰控に聞け。
TiEmsPS試豊pぢ一票1じnPbl−訂idbP21巨宰つぶぎち一−J呂占窒・
へ邪︶
彼等の誠に不死の門は閃かれたり。閃き得る人は信仰
を起せ。
・−1
い切常勝閲
詰問許借受
甘露今苫聞
軋矧宰蕊心れて人力の川に智多き中越せる法を説か
ざりき。
︻−し
川分紳三十二
︵即︶
先恐従徒労不離甚深義
雅大我鯖汝 †闘甘露門
牟J止併得法
五分律十五
不璃地政説 北大微妙法
リ㌻訂くだtu.中日−⊂−臼
−首腎亨点:已二巨亨烏盲トar巳︼︺︶
dぎノ■i㌻nti
㌢OtPT旨t阜−
㌻琵bい
一三一
さユbe官:ヱ説ざキち旨−i
drr≡P一∼−
ゴ邑l邑∵ロ訂gPT邑眉り巾3、吉宗=h抑ぎdヒ1号pりP巨騨PA
・甘ユ町有抑弓P2ユ薫Pdノ・い阜賢FE2ヒ邑旨セリ、の
コ一口エhetbPm臣pしE︰︺l
ノ・〓︼き旨⋮ヨにOp−ぢ︼七〇ド夢甘idl已2ド㌢巨岩ソIPgドdbけげコ
俳帽の朝別件道在清に於け・わ二一ハ圧首文に就いて
ノア3
彿鞘の初期博通批清にこ於けろ三先言文に就いて
リー童亡︼b領uSHきa一−・
へ31︶
天人弛紳等
絹に於ける米収は法を聞く。宰なきを思ふて信に入
彼等の偶不死の門は閃かれたり。聞き得る者は常に摩
る。
カ庚大証巌粍大梵天勧溝品第二十五
前石押宿昔 恐受如走法
我今篤汝前 借雨於甘露一切誹粧附
酔礪総 和常句なし。
や球体伴である甘喘経もこの部分では原始的な巴利
而して之等の詫言の思想内容は沸陀として極めてあ
古幡に一致してわる。
り村ぺき心理である。然しながら、串妹果してか1る
旬を軍訂したか膏かは、多大の疑問む残すと思ふ。成
ひは彿陀の心境を推測しての稚イドの棚樽作家の仲意で
あらうか。
J7」
彼等三人に按つて指標され㍗宗教鹿骨撃の構想l二就いて之
猫逸に於ける宗教敢曾轟あ一指向について
現代宗教蔽骨撃の梯障ね指向L、此撃陶的機蓮を醸成、し
の主流在開拓Lた同一の社食聾者等であつt。十九世紀か
的lこも亦決Lて無意義で克い事わ信C縛ろ。
私は且て本誌上に於て参ムメルの宗教社食撃の構想l二つ
いて其概要な稿L圭。︵拙稿﹁ジムメルの宗教社食撃 −
特
圭所謂宗教社食撃の開拓者ミも云ふべき学者ほ現代社食撃 な検討する事は、宗教赦骨撃ドミつては勿論の事、政令学
ら二十世紀に亘る約二十年間の尚lこ於て三人の偉大光社食
聾者の業積が胎されてゐる。一人l‡悌蘭西のエミール・デ
=ろの割期的な偉業な遂げ圭赦曾聾者でぁつ圭。ヾし同時に
について彼の構想の若干ね稿・して風塵いミ思ふァ而して私
張︶。今は掲逸の他の宗教祉倉螢ウヱーバァ氏の宗教社食撃
濁逸に於ける宗教社食撃のl指向lこついて
のぁろ問題ね論述J、.偽=れに就いて被に於けろ方法論的
バァのそれミが異逸すろ鮎申概述Lよう亡児ふ。
◇
今此虚でマンデギル氏の名著﹃蜂の寓話﹄を.宗教融
一三三
合拳上の問題提出に瀾聯して観る事は、一見して甚だ
斯や即く之詣没却すろ事が出来ない程重要であり、従つて
い。現代宗教赦骨撃の変速史上に於けろ彼等が持つ地位は
食草の影響の下に立つてゐそ三盲つても過言でlミあろま
に現代宗教社食撃の諸振も亦彼等三人が基礎付け七宗歌隷
紅曾学的源泉から鞠き出でてゐる事ね拒斥L静塞いミ同様
でもあつ㌣。現代杜骨挙が何等かの影響ゆ下に彼等三人り 問題の﹂ね吟醸L、合せてジムメルの宗教社食撃ミゥヱー
六軒謂現代宗教社骨撃の組ミ稀し待る偉大な宗教証骨学者
彼等は久地カに等しく現代宗教鹿骨撃の基礎的梯陣む築い は本論文によつて、ウヱーバァ氏が提出、し㌣宗教社骨挙止
撃の主流ね指向Lた現代祉骨撃の観ミいふ名lこ恥ぢ塞いヾ−
ュルケムでぁり、他の二人ほ環逸のゲオルク・ジムメルミ lニ氏の初細論文﹁宗教社食撃論﹂哲㌢−品ie der Re︼i乳On
†クス・ウエーバァミでぁろ。彼筆二人は何れし現代証曾 について−1⇒票数加究b、第五巷、第一兢、昭和三年一月
Jタ
威逸に於けろ宗教政令撃¢一指向について
一三四
奇異に思はれるであらう。併し乍ら本書は他面に現代本性に出費して融合の契約的構成諭を試論したものに
進んで生存競争.経済的競争、巧剃主義等の安永主義
署内には又経済人どn岩。CC。n。巨i簑の太性論を試み、
宗教癒合峯の一指向から遡つて鑑ると甚だ興味の深き方法的には類比せられる。のみならずマンデギルの本
ものがある。
マンデギルの﹃蜂の寓話﹄試買de墓−e︶宮言罵d・︵完苛?蔓
に克って又彼に比肩し得る資本主義の経臍拳を先鞭し
的経済畢論を論破してゐる。偽で彼はアダム・スミス
−諾β︰月h①か邑の0〓ぎbee♂Orp賢乳eま幕Sヨ乱Op各︼i〇
ben品ざーごP︼諾∽・は、一般的に知られてゐる如くに、
資本主義の鹿骨哲畢を先鞭し、従って又資本主義の経たものだと謂はれる。應ふした意味に於て彼の本書は
済畢論や軍本主義の融合拳諭を遺破した方面としてのたとへ雪喩の形式で表現せられてゐるけれども其内容
き、融合畢的には資本主義の鹿骨構成論を試みた懸に
貴重な文献資料である。披思へらく、人間の本性は自に就いて観ると経済拳的には資本主義の鮭靖拳論を説
然的・衝動甲意欲−所謂私窓と謂ひ得るーである。併
し斯る私書的意欲が赦曾的に展開するに留っては、此於て車間的には彼の著作は甚だ太い償植を含んでゐる
は私語を相互に中和し平衡して 題とする企図は直積には斯の如き彼の資本主義の経済
私悪的意欲は人間相互間に均衡を保持し、此所謂丁訂と思ふに妊くない。併し乍ら私が今マンデギル氏を問
芽F兎○ご旨1Hi壷
或に反つて政令的善が生れ赦曹秩序が浮出する。私悪畢論或は資本主義の敢曾畢論を諭適した事そのものに
ギルを今の場合に問題とするか。
は反って公衆の利益となり、完美なる敢含構成を迭げのみ重瓢を置くのではない。然らば何が褒めにマンデ
しめる動力であると。T訂W。議Cごl〓訂試算il已e琵
﹃合蜂の寓話﹄が揮って以って現はれ充たるマンデギル
琶m命旨in内管t訂9已mOn¢0。d∴句邑eG・︺・彼の此融
構成論の赦骨拳論は一面によくホップスが人間の利己氏の思想的背景を熱々考察すると其庭には宗教と経済
2ク
との閲係が甚だ容接なるを残ひ得る。ルプナ丁氏が昨年和蘭のカルギン敦の家庭に誕生し、カルギン敦の特
旨こ蛋訂鼠罫⊆気短諷意首−諾P誓∵翌■ⅠIeコ拍ご昌江血﹁Ⅵ
ぎ式↓9−已賀de墓訂諾昌g評訂︼・篭・蟄註e箋r昏邑叫各鶏
話﹄の祀曾畢的地歩﹂
殊な衝動カを展開してゐたのを彼はその英傲なる意識
ギンの観念がクロンウヱルの清数的嘗命に於てあの特
渡るや此虞で資本主義的精神を大に促しっ1あるカル
配してゐたストア哲挙の人性親を汲み込み.後英国に
年の諸口尊史並赦曾畢論叢﹄中に﹁マンデギル著﹁蜂有
のな
寓厳格なる恩寵宿命改に訓育され、又常時和蘭を支
崇申i繁華と超する諭文を発表してゐるが、之に掠ると
マンデギルの著に於ける宗教と経済、就中新教と近世に植えつけた。磨ふした彼の拳的生活過程が、新教に
資本主義との閲係を最も良く論破してゐる。彼は﹁マ於ける現寮生活の敦榛並文整復興期の哲轟がもたらし
ある。ルィフナ丁氏は詳にマンデギル氏の思想の背景に
ンデヰル氏の﹃蜂の寓話﹄l‡カルギン教並清敬によつて影響さ
たストア哲畢の人髄論、之等が経済的生活へ特融した
れ七菅本重義の社食哲撃を管喰の形式で以って表現︺る
圭時
。の
﹂赦果を、彼の畢的意識の奥底に敦へ込んだので
掲逸に於ける霧散泣曾轟ゐ一指向lこついて
ない。
斯の如くマンデギルの﹃蜂の寓話﹄には其裡に新教と
一三五
マンデギルの畢的背景を仔細に観ると彼は一六七〇近世資本主義との園係を洞察し得る、而して此新教と
静との捧接な閲係が注目を惹きつ1ある。
研究が途げられつ1ある、就中新教と近世安泰主義精
界の多方面から特に注目され、叉其鶴弥の下に諸々な的精細から導き出づれた畢論であるかを撰述して止ま
哲拳等の交錯的縁起を條件としてゐるといふ親方が畢本主義的畢諭の内容が如何に文語魔の侍所に特に清数
成的事情は宗教改革、文重役興期の曹畢、啓蒙期の懐疑
彩付けられてゐた事を説き.又従って﹃蜂の寓話﹄の資
い観鮎であると想はれる。概し近世資本玉露精神の費は清教の現質的世界観とス・トア涜の人位戟とが強く色
芝¢∽︶と論断してゐるが、毒し此断定こそ甚だ興味の控
βJ
燭逸に於けろ宗教赦骨撃の一指向にこついて
糞本主義との閲係なる一課題こそ現代燭逸宗教叙曾拳
一三六
戸︰Di相野N山覧e訂什de↓C訂i邑i︵F昌 苗ぎ訂︼︸
∽世d①●−琵缶\琵●
曽e巾済早
d監Wir官許訝訂ben.−讐
G袋e︼訂cFpP−浩声
昌ヒ許ト1iO訂g訂亡nd名臣pn諾訂uu・
Juden告d
出2各βC■寧︰訂lPm乳已ien.崗邑eり望.−悪声
仁已昏眉pePbせde﹂¢柏押
浮︼邑β声︰哲Fi欝n
許mbpき≦1.︰Uie
ゴgSleすe■甲Cbり賢entum亡nd
Wか昆C∫G∴崇のe召ngelise訂Wiユ篤訂葺邑已k﹂畏ヾ.
−警芦
野呂Ⅶ︼J・声︰哲どl邑i村−ぎきP已m∋已S弓d内名i邑i5日忌
之等の単著の内でサニーごハァ氏の﹃宗教融合畢﹄、トロ
レッチ氏の﹃基督致倉並故国の祀曾論﹄、ベッカヅ氏の﹃回
の一指向から観て重要開腹として提出されてゐるので
ある。
礪って観るに現代濁逸に於ける宗教赦禽畢の登蓮と
其傾向とは尋問的に尊重すべき成繚を奉げつ1ある、
而して就中宗教と他の政令諸文化との関係或ほ聯繋を
意味する事を着眼するところ?宗教融合壊が拳界に於
て特に日印功しっ1あえて今此浪の宗教融合畢の方法論
的問題は如何といふ事は今は暫く問題外として、現代
回教研究﹄の三者は宗教と経済とを攻明し開拓した重
猫逸に於ける宗教祉脅畢の一方を極鮎付けるところの
新教と資本主義精紳との関係に就いて之を宗教敢倉畢
鎮である。就中宗教と経臍との貴聯の問題の内で特に
試論として宗教と他文化との間を貰聯する相互の聯緊
を尋究する軒究が旺に葦達しっ1ある。就中斯る研究
上の肯要なテーマとなした粘に於て彼等には特筆すべ
の中で特に宗教と経密との聯賑は此宗教赦曾畢漉が専
きものがある。而してテンニィース氏が﹁新教散骨ミ新
念すろ首要訣放である。文献につ小てもウエーバァ、▲ト
教教派寸しが、之等の影響¢下に以前よりもより高く且つより
ロレヅチ、ベッカァ、ゾムバルト、セラてヴィンシュ、ク
Au賢訂O
ェ.
ーバァの非常にこ勝れ圭労作ほ此鮎に於て永久lこ前鱒写し
NG↓R㌫g⋮0︻窪0軋0︼品ウ
ie
町知る如く、近時重嬰写∂研究の財嚢ミ克つてゐろ。マクス・
力強∼・敬展・し㍗る資本主義的経済に封す為関係に、之を皆人
ラウス等の著作は何れも此方面に於ける構成ある力作
たるを失はない。
W¢be−・︼芦︰G付挙mE告e
βe
ビエライスムス
て残ろでわらう。﹂↓評nies−声︰同uぎ旨ed昌tG遥der出訂ぶ
方申針と研究材料の下にルッテル教曾や英国図♯教脅か
と
ら牽溝した併謂敬虔派をも研究したのである。かの特
別なる第二論輩﹁新教漉と資本主義精細L揉前論章に於
染旨まき蓋∴訂ざぎ已㌻怠J賢r甲−罵声払.−サー一戸
述懐してゐる如く、宗教敢禽畢者中に於てウエーバ7氏
けるところの新教倫理に関する主要労作の補足論文と
−
は新教と近世資本主義との園係を宗教敵曾畢の一の重
見得る。斯の細く彼は宗教改革によつてもたらされた
新教倫理と資本主義将帥との関係かT−彼に於ては特に
清数に着眼してゐるが!論破せんとしてゐる。
ウエーバ7氏の苫前教融合拳論叢集﹄、第一容︵一九二二
集注的に突進せしめ結束せしめるところの心理的衝動
虎世に或る方向を輿へ個人をして此奥へられた方向へ
ウェーバ7に在っては、近世人の現賓的生活、現宴的
年︶に於ける﹁新教倫理と貸本主義精紳﹂なる第一給
は如何なるところから由来し発たかを確定する事を間
短とする。而して斯る近世人の心理的衝動は新教の宗
的信仰観念の特性から轄融し来た事を彼は導き出さう
彼は此根本問短の挟究に於て、厳格なる﹁運命詭﹂或
は﹁恩寵改定詮﹂d誌日量巨d篤買d邑n邑○♪di。Gn?
1.肘d一S.
望ドと述ぶるところによつて明白に理解し得る。例で
︷訂∃竪琴re
一三七
む謂はれる教理に出費する。人間が救済
彼は磨ふした目的の悠めに清敦に勤して特別の注目を
せられると否とは紳の滝野意志によつて定められたる
猫逸に於けろ宗教社食撃¢一絹向について
梯ひ、叉カルギン教や、進んでは非常に詳細なる研究
祈すべきでぁつ㍗。﹂W各er−︼戸︰H訂︼igiO臼堅じ軋0︼●
とする鮎を重駄としてゐる。︵㌢監ウ
的要素が基督数的精紳の精紳から誕草したろ事を本論軍ほ諭
合理的虞世光ろもりでぁろ。而して管本主義精耐り斯ろ構成
の構成的嬰棄でもわつ上が.それほ職業理念の基礎に於ける
そl‡単にこ近聴菅本主義精紳を構成>し上のみ取らす、近世文化
費の主眼は、﹁近世資本主義構紳を梼成lしたる要素の一ほ、
◇
教と近世資本主義精神との関係を歓迎して置かう。
は次に旨としてウエーバ7氏の宗教融脅畢諭に於ける新
要視短として其基礎工事を労伸したのである。彷で私
iOP
β3
猫逸lこ於けろ宗教社食挙り一指向について
︼三八
改定であり蓮命であるとの信仰は新教に於て特にカル的に向つて突準する。而して政商の碇賓さを自己意讃
口許旨i︷
が要望されて迫り来る。これウエーバ丁氏が言
ヴン敦に於て談舞されて衆たが、此運命詭の信仰は惹する最膵道として﹁止むたき職業従業﹂欝r邑蒸謬r・
いて﹁確紆思惟﹂de↓計量ぎn讃ed邑訂を招致し一両し
L落e∽eを意圃に昂壊せしめ湧出せしめたと詭く。政府
に於ける内的精進カは略語思髄の要請によつて現寮生
の修道院に於ける滞紳性に類比せられるけれども新教
て礫茫思惟は必然的に﹁内的精進力﹂dieinn付議e言icど
ふ﹁内的精神力﹂であつて、此精進カの心理牲は敢禽外
戟に於ける.紳の恩寵に選ぼれる事は紳の紹封樺に在
るとの此厳粛な宿命観の信仰は、持薬の天福を熱烈に活へ韓赦し来る。カルギン敦に在っては特に綻詑を必
監e∽e訣諺M︼謬⊇P義罠n−胃e芋∵誌訂き已
求めて止まない新教徒にとつて彼等は雷然にも不安な然的に現葦の職業生活に結び付けた。︵職業謬邑に鯛
意識を醸し来った。斬る不安な配慮的意識の悶は惹い lニ召される効菜
て神聖なる生活に於て政務の曜詮を見出さんとする思C崇nOQ︶。敬鹿渡に於ても亦然少。敦鱒を熱望する人にと
惟をもたらした。彼岸へ入り込む門戸の鍵が紳の釣手っては宿命観の教義は精進に謝する躊極的衝動をもた
ぼれたる聖者の精神的貴族階級である.との彼等の自
に在るとの信仰は救酉の恩寵を求める人間をして不安らす。勿論彼は、多くの箇所に於て、新教徒は甜に選
な悶を起さしめるが.この不安な悶は、眞に熱望を以
って救済にあづからんとする人間を自乗や断念に好か覚を詭き、而して弦からして精進性を詮述するところ
しめるものではない、反つて、彼岸の門戸が己の薦めがある、が併し彼の考察の根本的眞意腋新教に於ける
に開かれるや否やの紳の改定を軽託せんとする意欲を宿命詭、それから湧出する曜詮思惟、斯くして昂窃す
起さしめ来り㍉これが馬めに溶剤として輝ける生活意る内的精進力等に在ると戟得るのである。彼の﹁内的
識を以って此土に静の発光を檜大せんとする過大な目精進カの宗教的基礎﹂なる節︵p﹂慧丁十E茄︶は之に菖る
β盛
のである。
して此寮菜従業に於ける方法的秩序・1萱此秩序こそ近
如き内的精進カが然らば如何にして資本主義精細を促
の合理主義である事をサニーバ丁は見誤らなかつた。又
徴が過去打数曾に於ける精進性と区域するところのあ
世資本主義拝辞の特性を創つたのであるがーー﹂なる特
し、如何にして人間む資本主義的へと教練したかを、
彼は新教の此精進的合理主義が純巧利主義に化鰹する
次にウエーバ丁氏が最も力を注いでゐる粘は一新くの
鍬ぐも亦出来る丈基礎付けようと企固したに在る。彼
事を屡々指示してゐる。
氏が回々教徒に於ける、﹁敬虔なる商人は極楽への途上
たと説く。宗教と経酉との理念的関係に就いてベッカァ
寮世界に於ける経漕生活に徒務するの遣を採るに至っ
案世界逃避を葦斥して、反って、積極的・精進的に現
詭くに苦って.新教に於ける救済の道程は、斯の如く現
之を綜合するに彼は新教と資本主義精紳との閲係を
の﹁精進カと資本主義精静﹂の節︵S﹂詔1芸︶が之が
鰯めに詭かれる。彼の結論を観ると、﹁龍野軍学して来
つr事な次の如くに概括すろ、新教徒の内的精進カに生動カ
な以って所有り自然的享受lこ逆ひ、消費を簸ゆ、特に渓調お
禁ずる。之lこ反・L一\此晴渡カほ、其心理的効果にこ就いて之わ
取るヾ\財の塵絡lニ関Jて束縛Lてぁた従来の俸統的倫理を
解縛J、獲得努力空琴鱒してゐ㍗ものを粉琴し、斯くて獲得
努力な存分lこ費挿すろ事が合法的でぁり、叉直接には紳意にこ
通ふもりだミ思は・しめた。﹂ハⅥ・−笠︶・と遊ぶる、又﹁斯くゝし
る如く、﹁カルギン教¢職業理念托i毒それほ全く西洋的概
興味あるものがある。たゞそれベッカ丁氏も明言してゐ
の戦士である。﹂、﹁極楽へ入る最初の入は雄々しき商人
て摘発を博しく諦め旦革ミ獲得努力な思ふ存分に殴挿する事
なり。﹂てふ笹言を理論的に基礎付けたものに類比して
ミが合流†るご、その外的顔現ほ、明瞭にも、精進的な貯蓄
禽、既述したところの、宗教的忙基礎付けられた内
念でぁるが﹂−革軍ざしての又世界観写してり貸本主義的笹
の強制によろ資本の構成lこ結集†る。﹂︵㌍−諾︶・と。
的精進カは其現寮生活に於ける黄葉従業の理念に方法
津形態を創つた。﹂g註e呵︸C.声こ計︸n賢dien・Ⅰ・監﹂¢芦
一三九
的秩序の意義付けを輿へる原流となつた事を設き、而
濁逸lニ於ける宗教社食拳の一指向にこついて
2∂
探めて、清教が安泰崖義に奥へた影響の理論を基礎付
との関係を綜合的に指摘し、特に清数に就いて静攻を
S・芦︶と。而してウヱーバブは新教と近世資太主義精神
教徒の経済的活動とカルギン教徒との新結合﹂との二
ン敦によつて促進せられたる事﹂と﹁ライン地域の新
計富罵声声望﹂窪を費表して、﹁資本主義がカルギ
J∴臣−まn訂mu∽und内患邑訂巨戻am出Fein・!哲計言寄d
一四〇
ける薦めに彼は英国と亜米利加を論証したのである。
節︵卯∴㌫−声︶に亘つて新研究を開拓してゐる。命ラウ
環逸lこ於ける宗教社食撃¢一稽向について
爾後彼の研究を継いで此方面に攻究の成績を奉ぐるも
P基幹nb仁義er−声︰Religi岩音dヨ碁c訂葺iE
フごブルガ丁氏は最近に﹁ヱルサス地域に於ける宗教
と経靖﹂
のが甚だしく現れて禿た。
例へばアルバックス氏が﹁資本主義の清数的起源﹂
詳細に継ぎ且つ之を禰全すると共に、ウェーバァに在つ
らう。他方にカルギン敦に就いてウェーバ丁氏の諭想を
についての栴想が傭蘭酉への影響と見られる特例であ
論じてゐる、がこれはウェーバァ氏の併設就中彼の渚敦
き扁ぎ争︰諷詠小変訂瑞賢∵邑督訂簸rヨ罠丁望畠−浣率:監
宮ビ邑・−⊥票訂こ家長ご?紆主ょ●Ja訂g●ぎ声声−¢芦
ゲン氏が﹁宗教と経埼﹂S辞n駕nも∴野︼山h甘口un斗弓i7
説述してゐる興味ある論文である。薗又最近忙ゼーン
地方に例託して特にカルギン教と資本主義との関係を
欧大陸に於ても彼の併設が贅静的に昔る事をヱルサス
芦を蟹表したが、之は、ウエーバァを禰全する意昧に、
旨邑ミ弓診註ぎ声哲各号慧=d﹂苧邑﹁鱒−¢
ては比較的に大陸に於て賛経す.る溺を敵いでゐた理由
を発表したがこれ亦カル串ン敦の碇詮思惟と職業精紳
ヨ已ぎ岸訂ハト貌Or喀ne功p象t2.罠流d∈C鼠邑訂罠.−b箪薫 日払罠.−
から大陸に就いてカルギン教と資本主義とを葦記し検
との関係に意義深く鱒れてゐる︵罰・︺票8のである?
ウエーバァ氏は資本主義精紳の概念に付きベンヂャミ
◇
討しょうとの試論があらはれた。これの例としてはハ
スハーゲン氏の論攻は特に注目すべきである、彼は﹁ラ
イン地域に於けるカルギン敦と賓本主義﹂謬s訂g苫、
ββ
︹慧○柏−由声︸如ちフランクリンに於て観念されてゐる
る論章の最後に到つて尊びフラン㌢リンに解れてゐる
た。︵S・琵e・而して彼は﹁新教倫理と資本主義措辞﹂な
班規則の精細の裡に資本主義精神の眞の倫理を観望し
の賓業者の魔世規制を出番鮎として採用し、之等の庭
人生観念並文化影響との開係、哲畢並科皐の経験主義
此精進的合理主義と人道主義的合理重義との閲係、其
織並機能の仕方に封して持った役割を指示する事、叉
造的合理重義が政禽政策倫理の内容、共同政令の組
について多大の努力を締ったのみならず.進んでは構
教的現資観が資本主義の蓉展に謝して及ぼした諸影響
ン・フランクリンの﹁時と金﹂、﹁信周﹂、﹁金と労働﹂る
等事を念願とし課題としてゎたのである。側で彼は新
資本主義精神の本質的要素は清故に於ける職業精進力
との関係、技術の常展との閲係、精細的文化財との関
てゐた。斯くして﹁斯ろ諸政究な遂げて後lこ始めて、輯進
る事、磨ふした諸々な研究課題を彼は念喪に問題とし
且つ精進的宗教性の個々の旗大範頓について攻究され
合理主義が捕粋巧利主義へと化赦する過程が歴史的に
の中世的附加物から歴史的に生成する過程.並構造的
係等を分弄する事、魯文精進的合理主義が内的精進性
の内容と一致するものであるのに、フランクワンに於
ては資本主義精細と清敦的職業精進力との鞄係が無頓
着成されてゐた、毒しり.ヨーバァに於けるところの、畢界
への貢献は斯く無噴着成され冷凍成されてゐた関係を
・ノー然れも両者の閲係は近世の文化を理解する上に甚
だ重要事たるがi詳細に瞼謝し、而して近世資本主
義精細が宗教的基礎付けに於て洗鎖されてゐた事を問
的新教が沢世文化の他¢彫塑的諸要素に野する顔聯l二於て英
文化的意義の度合が明瞭寸㌧なる。L︵仇一望ざと彼は述懐して
題としたのに在る。ウヱーバ丁氏は斬る根本問返の論攻
を重要課題として拳闘約に提出tたのであるが.併し
ゐる。
一因一
ウエーバ了は健へらく、優降せる資本主義が機械観的
乍ら彼は進んで新教が現葦世界の渚生活に勤して役を
演じた内的清遊性の日はゞ諸樽敵性をも仔細鱒尋究す
猫逸に於ける宗教鼓食草の一指向について
β7
環逸に於ける宗教放食草り一指向lこついて
一四二
ものを尊重してゐるものではなるまいか、しかく
基経をとるに及んで以来、それは最早宗教的支柱ゐ
をる必
に於ては彼は唯物史観に封立するところの立場に
要としない時代となつては、職業逸行の宗教的現戟
葦る戦
て、
彼の宗教社食畢は顕る精静史観の立場に立ってゐ
が最高の精神的文化債値との閲係へ直接転置かれ於ず
ではあるまいか。此疑問はウエーバァに封する根本
資本主義の意識が只だ単に王戟的に経済的張倒そる
ののも
批経
評であると考へられる。私はウエーバァに就いての
のにょつてのみ感ぜられる時代では、誰人も宗教的と
静が果して適切なりや否やを次に瞼謝して見度
薦との改明一般を今日では断念する、近代人にと此
つ批て
ウェーバ7は、其眞意に観ると、資本主義精紳が宗教
い。
持った意義がありしま1に於て如何に偉大であつたか
改革の特定影響から只管流出したとか.或は経臍組織
旺彼等比嘉数的意識内容が庭世、文化.国民性に勤して
を理解する事を最早不可能事とする、と。︵声望・琵︶・
併し乍ら宗教が政令の諸文化、精静的文化偲値へと
謝し
しての茸本主義が宗教改革の結果吻であるとかの只
て持つ臨係を理解して、始めて因果的に匿史・文だ化
その
れ丈のみを彼は極力主張してやまないかの如く誤
れる事に謝しては明瞭に抗議するのである。香彼
意明を遽げ得るものであ少、かくして始めて近代解
世さ界
の文化の理解を根本的に指標し得る一指向を完志はす
新る
教が資本主義精静に輿へる影響に閲しても﹁近世
ヽヽヽヽヽヽヽ
資本主義精細の構成的要素のごが新教の精進カから
事が出来るのである、と考へる。
と述べる程の拳助辞誘さを持ってゐる。いはん
然るに此虚に疑問が起り来たる。ウエーバァ氏生
がれ
新る教
の又直接の言に操れぽ﹁文化及び歴史の因果的意
倫理と萱本主義精静との園係を詭明せんと企だてや
、彼進
が想
一方的に精神史観に葬る事﹂已e㌢軋厨凰ri言宇
んでしかく宗教と敢曾文化との聯閲を意明せんと明構
訂て
訂訂壱甘内生与弓d穿各ic冨計き羞に理解される
する底には、従来の名辞に徒へば持紳史観と通解乳し
ββ
事を怖れてゐるのである謹佃で彼は次の如く述ぶる、
﹁国典閻係の軽質さl‡経済的︵唯物的︶意明によつてのみ安堵
ぜしめられるミいふ理論に野Lて私ほ一言注意一し度い。即ち
私ほ軽静的費展が宗教的思惟構成の違令lこ及ばす影響わ侍に二
要請すろ光らば、其lこ等Lく歴史の眞埋lこ奉仕すろ亨、ろ克
L。LS・誓ひ−誓ヱと断定して章未を終ってゐる。
斯の如くウエーバ丁氏の根本的構想には文化及び歴史
張する事な。﹂︵Ⅵ・忘桓Ann−﹂・︶と。壬し彼が表言する両
私の場合lこ於ては両者凱相互的順應進行ご相互的関係ごね主
関係を保持する事を恒に配慮して以って南戦が往々猫
してゐる。而して又両親の相互的順謄進行及び相互的
能を研究の出費に際して只窄汲備作業としてのみ許容
の凶果的意明に閲して唯物戟と唯措辞戦との両親の可
者の相互的順應進行、相互的関係てふ観念に彼の眞意
自的排他的に一方的にのみ歩みを誇る革む彼は挿んで
塁要だミ考へる、のみ挙bす、後ほざ敬遠すろであらうが、
が存する。かるが故に彼は極端にも、﹁伺進んでて万に
ゐるのである。磨ふした彼の折完上の方法は彼の第三
︼四三
の吟味に鬼づ出番して、知識階級、市民階級、農民等
勢の畢光ろ機能。L︵弾︼芯声︶ではある空いか、とのテーゼ
としてゐる。而して彼絃﹁宗教¢特性は階級の蔵骨的状
握なりとする理解を根本的な誤として己を梓逢しょう
れる事に注目を沸ってゐた、彼の立場が唯精静観的把
とか、階級とか、或は職業とかによつて共に規定せら
に如何に廉く、又如何に浅くあらうとも、鹿骨的状勢
表はされて凍てゐる。宗教の信仰性は之が如何に強烈
諭輩、﹁世界宗教の経済倫理﹂の﹁序文﹂に於て甚だ強く
に亦、新教的精進カそのも?,方固に競いても社食的文偲條
借り金優性により、特lこ経済的文化條件の全饉性により、新
教的簡磯カの生成量ハ特性が如何に影響牢フけイ、ゐるかの問
題をも論及すべきでぁろ。L︵S・㌍P︶と表言してゐるとこ
ろを注目すると、吾々はウエーバァに在っては彼は畢忙
所謂精神史親に穿ってゐるものと直ちに断定し難いの
である。彼は﹁新教倫理と資本主義精静﹂なる主要論
章を終らんとするに際して、﹁文化及び歴史の因果的意明
を一方的光る唯物観によつて試考†ろ代りlこ、之等の因果的
意関わ久一方的光る唯将帥親によつて遂げ与っ寸1了る事は、
いーれ又必然的に期L待ない。両税は共に可能である、但L両
ける宗教祀骨撃の一指向について
親に、んて﹂研究の改備作業にわらず・して研究り論題克ろ事を
燭逸に
2タ
進的にも現実生活に活躍せんとする遥に登更する、而
奪し、救済への道程を現賢世界の逃避から積極的・精
れた償植化である.人間は紳の恩寵から其神秘性を剥
の底世の合理化の方向たるや決定的に宗教的に規定さ
本低値によつて深く恒に規定せられるのであるが、こ
化の方向は、よつて以ってそれに基準するところの根
くして.薄いで再び反謝の親方に移って、鬼世の合理
の閲心性と宗教理とを詳らかに尋究したのである。斯
バ7亦ポアンカレ︵ロ冒訂罵やピアソン︵戸官等苔n︶
の根本重症から源流してゐる事を理解し得る。ウェー
して、締ら相互閲係的・決定論を支持してゐたところ
て彼は動力因的決定論たる一方的・国展決定論を排菓
可能なりとの思想は、之を惟ふに∵因果決定論に就い
観は、それさ・t−、祈究の﹁汲備作業﹂く宅胃be打 として
﹁相互的・関係﹂■die常習nSei茸en宮計どn笥n・或は両史
﹁相互的・順應進行﹂已の讐g昌軋tigeロAロpP望ng等Or思ngp
は彼の眞意に雷らないと思ふ。ウェーバ丁氏が眞意する
︼四四
して此事たるや西洋の精進的新教次の大なる宗教性に
パレト︵く・謬邑。︶・チエプラウ︵A・岩c訂琶○司︶▲と同様に
猫逸に於ける宗教放食草り一指向にこついて
於て起るところである、と。斯くして此一般的研究は
第一論章に於ける﹁新教倫理と資本主義精神﹂に再び回 画数的閲係を尊重する近代人であつた。かるが故に彼
ゐたのではない.従つて彼は唯精細史靭の戟鮎に立脚
往々彼が批評せられるが如き唯精細敗戦のみに産して
との閲係を中心として彼の方法論的一仕方を窺ふと、
以上の如くウェーバ7氏に於ける新教と資本主義精紳
眞理性と歴史の眞理性とを意明せんとする方法論的眞
の宗教軟骨拳の廣き範頓に亘って独り、又彼の文化の
るところの反動であり反旗であると断定する事は.彼
て又それは唯物史観・経済史親に立場するものへ射す
にのみ立脚する方法論的の立場に在りと観念し、従っ
の宗教敢曾畢は之を文化及び歴史の意明を唯精紳史観
した意味に於て唯物史観に封立して唯精神史範の復興
意を窺ふ時、新の如き断定は彼への酷評であると思ふ
節するのである。
を企劃した近代の聾者であると、制定する事は其億で
∂0
韮くない。勿論私は彼の宗教融禽畢的観想の背後には斯る立場を良く根本的に墨守し意識してゐた意味に於
シュ:ヘザカア.クラウス等に於ける現代宗教赦倉拳の穐
資本主義精紳﹂の論章に於て親られる如く、宗教が経
してゐる事を拒則し得るのである。勿論、﹁新教倫理と
◇
潜在してゐる事を見越してはならぬ。此意味にウ論
エ問
ー題に就いて之を吟味したが、最後に命彼の宗教敢
濁逸lこ於ける宗教癒合撃の二指向l二ついて
一四五
方法論的に力強く意識してゐた事を忘れてはならぬ。的に或は舟渡的に概観する事は、その研究上の方法論
謝しては両親方の相互的・騒應進行と相互的臓係とをのが甚だ多く存在してゐるのであるが、今之等を類別
の人では庖かつた。彼は文化及び歴史の因果的意明に向とも言ふべきものは拳界に於て特に注目に倍するも
する意識を昂壊する事のみによつて慰められる樽洗型 凝って概るに現代猫逸の宗教敢脅畢の蔓達或は其方
文化及び歴史の因果的意明を唯持前史観によつて克服就いて聯さか概述して見やうっ
バ丁も亦外れない。併し彼が唯物史観への反抗は常に脅拳そのものがジムメルの宗教敢骨畢と異逸する鮎に
′
背後に横はる拳的根本衝動に唯物史観への反抗意識が 文化の意明.歴史の意明に関するウェーバァ氏の方法
と経済との蹄係を主要課題とする現代宗教赦曾皐者の
つところのあの唯物史観への反抗的意識である、宗教てはならぬのである。
ってゐる、それは現代宗教融合畢の此淡が共通的に持に文化の意切に射する研究の汲備作業である事を忘れ
ランジュ氏の立場とは之を根本的に区域する意味を持研究過程は彼の方法論相克場に於ては他の場合と同様
都市論﹄にたとへ外形上類比せられるにしても、クーを彼は力説するのである、併し斯る場合に在っても此
てゐるかを攻明してゐるかのクーランジュ氏の﹃古代碑文化へ射して輿へ響の霊有力な特融性の過程
渡は.宗教が敢骨盤活の賓面の背後に意義洗く時人し
唯物史観への反旗を関白に認知する、香セーブてゲイて
ン彼は一方的決定論を極端に主張する唯物史観に反抗
∂J
猫逸に於けろ宗教鹿脊轟ぁー指向について
一四大
約諾相が相互に交錯し影響し合ってゐる関係上、甚だ得るとの方法に立つ。即ち諸宗教的者の構造上の北鮭
に構想しようと描模してゐる。ジムメルの此企ては一
しく困経とサるものがある。併し宗教敢官学の礎石的と好陛とを敢曾拳的敢曾性を中心とし之から方法論的
作業を企固tたもⅥに就いて之を観るならば大鰹に於
て二派があると思ふ。一はジムメルに於て開拓された八九八年の﹁宗教軟骨拳﹂盟巨me︼、P︰S乱。︼。的iedelH訂
宗教融合拳であ少、仙の一はウエーバァによつて建設茸
さ訂7−・慧焉b監邑m 担責訂乱筆−00夢 S﹂ニー︼鍔な
れた宗教政令拳とである。而して之等の南宗教敢曾畢る小論文によつて始めて宗教融合畢の方法論的一方向
は其方法論的道筋を異にしてゐる。概して観るとジムが踏石されたのである。融合畢的範疇或は赦曾畢的敢
メルの宗教赦曾単に在っては、静、神聖概念、信仰、曾性といはれるものの内容が如何なるものであるかは
僧侶、敦曾、教理等の宗教的なる概念、横国、規範を別問題として、宗教そのものを融曾轟的範噂或は敢曾
政曾拳的範疇から解醍するを目的とする。之等宗教的畢的融合性によつて解明しょうとする宗教鹿骨畢論は
ゲビルヂ 者をつまり融合轟的構成経と観想し、従っ方
て法
斯論
く的
観に
想盟示教赦倉畢に於ける一試考として重要な
せられる立場に於て、之等宗教的者の拳的構造が融合る地歩であり得よう。
拳的範噂或は政令畢約款合性によつてその年成と機能 然るに前述した宗教祀畢的構想の外に猫逸に於ては
とが分解せられ得る。諸宗教的者は、放てこれ融合的ウエーバ7氏によつて一の宗教敢骨壷が企だてられてゐ
已わ 冒i詔旨好?
現象軽からの構成であり就骨的現象性たる以上、敢曾る。彼の言ふ ﹁宗教主監写あ世界史的誇聯臨に就いての
的現象の普遍的根本性を着眼し把持する政令拳拇指向比較研究Ldie諾毒−e訂訂已e−こぎ邑en詳eh
N畠呂−b︶告げ許gゆ書m出註g㌃n害d寧寧邑乳訂奉
汚Eegic訂n
彼に在っては此赦曾畢的鹿骨性
如ち鹿骨畢的範疇
︵m・和宏しを目的とする意味に於て宗教敢曾畢を構案す
−
は心的相互作用であるー1に撃って畢的に鮮匪せられ
32
る。彼が
﹁清数の教骨思想が近世の資本主義構紳lこ野Lて
芳つ意義り叙述﹂︵∽・誓声︶を試孝したのはつまり斯る宗
なる宗教と他赦食文化との関係を意明するに在る、そ
は文化及び歴史に園する意明一般の攻究を熱望するの
教政曾撃の梅園の一作業に蓼興せしめる馬めである。下に。
即ちウエーバ丁に在っては宗教と爾他の敢曾文化との聯ウエーバァ氏の此宗教敢曾峯の立場堅剛越のジムメル
尉を研究するところに宗教就曾堅の野象的課題を採っに於て企陶された宗教融合畢の一指向とは自ら異るも
にLて、同時l二近世文他の構成要素の一が、基督数的構造カ
主要目的とするのであるが、ウエーバ丁に在っては彼は
は彼は諸宗傲的者を赦曾拳的融合軽から理解する事を
たのである。而して彼が﹁近世資本主義の構成要望誘の
二がある事を理解し得るであらう。ジムメルに在って
から誕草したる事L︵p∴望遠・︶・を検討する目的は彼の宗教
と政曾文化との聯繋を目標課題とする一大構想の下に宗教と他政食文化との聯繋を研究し、以って文化、歴史
於ける一課簸であつたのである。故忙彼の宗教放曾畢融曾を意明せんとするのである。佃でテンニィース氏
濁逸に於けろ宗教鹿骨挙り一指向について
律、政治形憩.峯術、思想、袋循−iに於て特に重要
の宗教赦曾畢は敢倉の具鰹的文化豊宗教、道徳、法
一四七
かり根本問題lこ閏Lてに之な他日に譲るJ
化ヾJの聯踊が如何なろ泣骨撃的方紘lこ墟つて攻明ぜられろ
︵ウエーバァの宗教薩骨撃に在づてに宗教ミ他¢統合諸文
Lてウエーバァに最もよく安富する事と私は思ふ。
目的とし之へと感激する。歴ふした意味から載ると彼
︵詳¢匪邑leit
る。斯くして彼の宗教敢禽聾は﹁文化費展の全鮭性﹂声望・−革P軍︼・と批翻し空言菓はジムメルに督らず
文北との聯繋が問題とな少課題となつてゐるのであ ロ︰内uぎ旨包茎︷u義d馬Re︼igi昌声音哲ぎ暴言熟字ぎぎ
のではない、廉く、孔子敦を包含する世界宗教と鹿骨繋、して、宗教が赦骨的生活に封Lて持つ意義の研究﹂岩2計s︼
の課題は新教と近世安泰主義経済との関係に止まるもが宗教敢曾畢に就小て、﹁人間歴史に闘†る山般公理寸﹂聯
33
宗教的改革ミrイッ観念論
宗教的改革とドイツ観念論
山
︼囲八
つでも、隈系の底を流れる奥の柏は蔵ひ隠され、外を
近代戦念諭のゲネシスをギヮシヤ思想の胎内に求め ことが出来ないやうに罰せられてゐる。そこでは.い
るといふ仕方は.これまで、世の大方の哲畢史家の慣
ほしであつた。その昔アテナイ入の俵に暗まれたあの飾る憤の衣裳が却ってその本魔の婆であるかに見せか
光輝ある精神が中世の意識を流れて次発に成長をとげける。こ1からして思想の一般化といふ企図が現れる
途に近代の観念論を形成するに至ったとゝふ見解は既のである。ところが、いまそれとはまさに正反射に、
にひとつの棟威であ少、親念論の歴史についてひとが思想の形腰をば、このものを潤色する鼠手によつてゞ
他の新しい戟鮎を把えることは最早不可能であるやうはなくして、寧ろ鮭系の核心をなすところのしかも自
にさへ見える。この歴史的無差別はなべての思想を同己の容貌をその時代の生に於て表現するところの日常
︵一︶
的な生活意識によつて時代的に特性づけることの課題
一の色彩に塗りつぶすものであるが、こゝにはまたこ
のものが然かあるぺ亀一定の理由がない霹ではない。が新しく生れ来った。近代の観念論は、そして、この
︵二︶
於て親られなけれぼならないであらう。
すべてのイデオローグがさうであるやうに、哲拳者もやうな観察に従へば、ひたすらに宗教改革との縁りに
亦一般に古典の教養忙富んでを少、その庖めに彼らは
率直に彼らの時代の意識から自己の醍系をぼ組織する ︵こ=れまで我々の心な支配Lて充た観念論的七意識形態
34
ほ、そこに於てこのもりが立つてゐろブ⋮ろり現賓の
地盤の崩壊ご共lこ、いよや魚法なる浅薄り過程に入り
込みはCめた。︰り機な時代の︰の硬ね時機に於て、
観念論は必然にこ、前時代の文化の支配者ミ︺て、その
系譜ご由緒ミについて閃はれなけれlで光らね。
︵二︺カトリック虫哉の母胎から紳撃的唯物論が生れ王様に
ツ観念論は新教的地盤なくしては理解されないであら
う。このものが次第にその隣造の精緻と形式の整合と
を獲得し、シュサンダやヘーゲルに於て包括的にして
′
論理的な醍系となり了つたときでさへも、また彼らが
自らの哲拳を醍系的に完成しやうと欲するところから
ときに飴りにもギリシャ的な衣裳を身にまとひギリシ
納車的観念論がプロテスタント主義の胎内lニ成長・し
㍗。こゝに於て二つのものに、漸く世界史的な封立を
へも、新教的精紳はまぎれもなくそのまことの組先の
ャ的な螢措を巧妙に模倣することに成功したときでさ
宗教改革と近代観念論とのえにしの釈放はドイツ観
血として彼の血管を流れてゐた。ひとはこれまで、ド
克すに至つ㌣ゅでぁろ。
念論が如何に正常にルックー主義の世子であるかとい
胚胎したキリス†教である。下イツ観念論の模糊とし
ドイツ観念論の母胎は新教とードイツ市民の懐中に
が何人も、そこにまとはれたギリシャ的装飾にょつて
如何にへラス的世界に憧れてゐたかを知ってゐる。だ
て充たであらう。そしてまた我々は、若きヘーゲルが
に於てアサストテレス的な要素を観ることに慣はされ
イツ観念論に於てギりシヤ的なものを、特にヘーゲル
て把え耗き核心、もしひとが長閑な暇をもつてこれを
ドイツ概念論を養ってゐるまことの血統を誤認しては
ふ問題の裡に解滑する。
,
噛むならばその芳醇な香が直ちに彼を陶酔せしむるで
一四九
つてギリシャ的で雪たのであ挙国模に差、如何
あらうところの、そしてまた一たび酵ふた後はその面
﹁一︶
紳拳である。ドイ
ならない。ヘーゲルは彼の生を培ふ血液によつてギワ
−
妖な魔力によつてひとが立ちどころに睡眠を餐ゆるに
新教的
シヤ的であるのではなく.寧ろその外貌と衣裳とによ
−
至るところの、いはゞドイツ概念論の中心は、だから
して、キリスト教的
宗教的改革ミドイツ観念論
お
宗教的改革ミドイツ叙念論
トト。
一五〇
紳学的唯物論ミ紳牽的観念論ミの封立が現れろに空つ
紳的本饉の屠性ミTろ前垂1iであつふトニミから一Lて
ツ観念論り支薄着が新教的紳撃−書矯紳的なるものな
紳的本鰹り展性羊†る紳撃−1でぁつたに反してドイ
る。だがこり支薄着が奮数的紳撃宝物的なろもり﹂げ
lニ、スビノ!ザの曹撃の最後の支持者も亦細筆であ
︵こノヴァーザスが﹁前にこ酪へろスピノーザ﹂ミいつ㍗憶
にひとがカントとプラトンとの顛似を見出すことに熱の批判として初めたことの理由はこ1に存する。
心であるにしても、そこには外形上の似通ひと概念的
類推の外の何ものもありはしない。ドイツ観念論がそ
の全く黎合した論理的陛系のうちに.暗い静静的な、
不用意な漑察者からはともすれば見失はれ膠ちな感情
の側面をもち、形式的な論理からは最早理解され能は
ぬこの非合理的キリスナ数的な新教の感情をもつて却
トテレスに聞耳る璧かな教養が倦頚の核心を冤す新教
︵二︶ヘーゲル¢健系がギリシャ的にこ見、ワ言のは彼のアリス
的意識ね蔽ふてゐる︰ミによる。恰もそれほトーマス
ってこのもの1汎論理主義とも呼ばれるにふさはしい
醍系のまことの血を養ふてゐたといふこと.のみなら
我々は先づ、デイツ観念論の黎明期、それが未だ壮
勝つかに見え㍗のヾし同Cでちろ。
の哲学に二於てギリシャがキワスト数的奮教主義に打ち
すそして普た、次第に高まりゆく整合さをもつてそれ
が鰹系として完成され1ばされるほど愈々益々新教的
な彼の系譜を薪はにするやうになつたこと、このこと
麗な姿と巨大な形式とをもつて自己を完成せすして単
は決して不思議ではあらぬ。かくて、ディルタイがヘー
なる情意︹㌘m彗︶として醸酵し津沌たる日常の生活
ゲルのあの偉大な思餅の建築の礎をば彼の新教的な静
の鰹験の裡に見出したことは全く正常であるであら 意識として胚胎してゐた時期の考察から始めやう。
う。フ★イエルバッハが彼の哲畢上の課題をドイツ概念新教の地盤は、ヘーゲルも述べてゐるやうに、市民
ッパの精静は、萬能なる紳の支配に歳威し、自我︵Icプ︶
︵︼︶
論に内在する紳畢的立場の人間畢的立場への解滑に見社食である。中世紀のダークエージを通して、ヨーロ
出し.マルクスが忠邦哲拳の批判を何よりも先づ宗教
∂β
は、そこでは、自我に封してあるものとして人々の外のから人格的なる良心への韓向であり、その目標は、
とりもどし、外に於て劇の法則に支配されてゐた自我
に君臨する紳の光の中に自らの要を見失ふてや莞こ 久しきにわたつて紳の手に奪はれてゐた個性の自由を
宗教的改革ミドイツ観念論
うちにもられた紳の言葉を如何に彼が近代的な生きた
このことの理解にさして苦しみはしないであらう。市
を個性の此岸へ持ち来ることに悪戦し、紳のもとに不
て自然である。かつては人々の外にまします紳が個人
一五一
チン・ルヴクーであつた。ルックーの改革はー聖なるの
も生活を支配してゐたに反して、こ1では各人の内に
著ある精細連動に輝ける指針を輿へたひとは葦にマル ︵二︶
生活力の解放への方向をとつて爆登ル恒心義\この名
自由∵貴族僧侶の政治的棲力の下で寒行に渇へてゐたればならなかつ冤自我の自律性、精細の自由の観念
ヽヽヽヽ
がドイツ市民の日常的な生活意識となつたことは極め
とに拘束されてゐた内面紆能動性と自我の創造力との従魔神が占めてゐたところの地位に置き代へられなけ
格をもつたドイツ周民の間で∵永い間数曾的勢力のもて解放された自我は、やがて、解放者の宇によつて、
歴史的な特性であつて、この自覚が、階級としての資苦闘した。そして、自律的法るもの自由なるものとし
る。人格と自由との自費が常時の市民に於ける存在の自由であつた人格を稚討の自由にまで解放することに
あたって封建貴族に反逆しっ1接頭し来った市民であ
だ自己の人格に於て立たしめたものは、近世の初頭に民としてのドイツ国民は、奪はれてゐた自我の自律性
このものを.自分自らのカで、自己自身のために、た
討まれて充た自我の生命をぼ閻魔の磨から敦ひ出し、個性を通じて読み代へてゐるかを知るならば、ひとは
ろで.幾多の世紀にわたつてこのやうに灼熱のもとに
にとつてはまさに地獄の鬼火に外ならなかつた。とこたのである。聖書のドイツ語への覇繹に於て、経典の
土にまで焼き轟くすところの皆として、自我そのものを内に育んでこれに自律の力を養蜂しめることに存し
のとき.紳の光は、そして、いはゞ個性をぼ一塊の焦
∂7
宗教的改革ごドイツ観念論
生きてゐる自我が漸く外界世界を自らの掌中に蔽ひは
じめた。ドイツ観念論の誕生の母胎は、まことに、こ
こに存するのである。﹁カント哲挙がもたらしたところ
一五二
それに、︵−ゲル流に云へlT、miO宕d呂kこF遠野it
汝的に存在†ろ日常的光恵哉であつて、各人−こミつて
ヽヽヽヽ
初めて観念形態寸Jなろこヾ﹂が出光ろ。新教的先生特恵
lニ外ならわ。形式lこよって救はれろ亡き、このものは
詑写しての自我の優位の観念lミカントによつてひミつ
へーグルも云ってゐるやうに﹁蕗
の主要なる結果はL
の観念形態ミなつ圭。ハデカルトの根本食塩、C品itO−
︵三︶
に、菌数的冒唯物論的なものと新教的筆戦念論的
てまたそれは彼らの日常の生活であつた。我々はこ1
新教徒にとつて、賓に厳かな洗顔の儀式であ少、やが
ってそこに精神的なるものを住まはせることこそは、
た。これに勤して、うちに向つて目を開き内面性に入
やパスカルに於て人間はいつでも外にあるものであつ
的に物化することは菌数の本質である。アサグスチス
︵一︶
静的なるものもしくは措辞的寧包ものを外面的感性
G−・und掛声冒−・軍■一汁邑ロコ︸S・∽﹂・
︵三︶P凸温Op監ie計へp宅02甘軒訂n尋i護コ汚訂箆enim
概念の形式を典へてゐろ。︺
e義02m.は、JかL、カントに尭立つてこり意識lこ
射的な内面性の意識を呼び魔ましたことである。﹂後年
カントが成しとげたあの偉大なる醍系に於て中心的な
地位を占めてゐる﹁人格の自律﹂の内容とこれに必然の
つらなりをもつてゐる﹁自由﹂の概念とが、既にドイツ
栽念論の暁ともいふべき宗教改革のイデーの裡に、粛
芽的に・けれどもその故にこそ却ってかくも全隈的夜
宴をとつて現れてゐるのを取るとき、我々は妊なく、
改革をもつて﹁近代の原理﹂と呼んだヘーゲルの言葉を
理解することが出来る。
︵一︶農奴写してのスラブ民族にミつて人格の白療や自由の
概念ほ想像だも及▲で拍ものでぁつ圭。従つて被らの問
l二はドイツ市民に於てのやう七宗数的改革は起り篠寵
番数的精前に謝する新教的精細の他の封抗を前面に押
なもぁとの明かな封書見ることがところでl
かつ圭。︵芦一gつ︼、く○ユ悪uロ讐n㌃beりdieヨ邑○答首訂der
¢e浮已e−1te−訂e㌻m−∽.冨∽わ見よ。︶
ヽヽヽヽ
︵二︶生括意識ピに生活そ¢もの写して人間の存在ミ共lこ槻
3β
し出したものはかの敬慶喜義︹増訂t訂白色である。宗教
的改革によつてなしとげられたドイツ国民の主観主義
的な意識は、其後、三十年戦役の荒覆せる焦土を潜っ
て、敬虔主義の泉として噴出した。キリスト教の市民
化は、そして、敬虔主義に至って完成され、新教はこ
のもの1裡で完全な市民的観念形腰となることが出来
︵三︶
たやうに見える。﹁単にキヮストを宿するのみならずキ
ワストの中に生きよ﹂といつたヨハン・アルソトの中
を信仰の唯一の
心思想を正常にうけついでゐる敬虔重義の租ヤコブ・
シュべーナーは、﹁人間の心情︵旬︷e忘じ
源泉とし、此庭から出ないものは凡て偽善であると宣
言した。ほかならぬこの軍冨は、知識に謝する情意の
︵四︶
於て鯛が制度的先安配棟、白然的克法則lこ立で客観化
︵l︶鯛的光ろもりゝ外化鯨締約互品も¢ゝ物牝に、音数に
L圭こ寸しにもヾ\ついてゐろ。=¢亡き客範の概念は始
めて主観の外与してギリシャ的な存在の概念かぺ分際
′
L主0
やうに、キリスト教の出現以来始めて現れ圭。
︵二︺唯物論寸し観念論ヾJの区別は、三木輯氏・も指摘Lてゐろ
られ兄い。
︵三︺シュトルム・ウント。ドランクに故産主義なLには考へ
︵四︺敬座主哉に於けろ主情怠納傾向は後lニー種¢感情惑溺
に隋り、ゲーテ李して﹁不健全な病的冤昂奮﹂三宕ほ︺
め㍗はごである。
︵五じ敏感なろ近代の子シー二フィエルマツヘルは、キリスト
ストミ相琴ずるいのちにまでミリ入れらろべき﹂︰亡
の心の裡lこ﹁彼に存すろ無限の紳﹂わ覿、人々が﹁キリ
の感情和キリストによぜて祝いてゐろ。=¢﹁閏励¢
な主張■し、そLて無限への所属わ憾験すべき人間主観
紳撃﹂?っちにl‡ドイツ観念論の全回的な相が、他¢
凱歌であらねばならぬ。こ1に我々は、カトリック的1
合理主義的なものに封するプロテスタソト的1浪漫
観念論者の儲系l二於てよりもー潜まざふ\ミ現れてゐ
一五三
畢的唯物論として自己を表現し他の時はまた紳拳的敬
キサスト敦の最初からの運命は、或る時はそれが辞
一わ。︵ロ3二さ︻′訂t芽訂空言訂な見よ。︶
主義的なものゝ抗争を乳首・室た戟すにはゐられ
ない。主観主立と浪漫主義、内面重義と主情意主審、
︵五︶
個人芸義と自由主義は、このやうにして、新教的観念
論の本質である。
宗教的改革寸しドイツ観念論
β9
宗教的改革寸Jドイツ観念論
−
念論として自らを形成することで雪ル奮敦は既に
一五四
長させることであらねぼならなかつた。宗教改革の裡
かの中世のスコラ哲学に於て外部的な紳を己の糧としに
、はかの背教的外在主義的精静の崩壊に勤するこの新
新教はカント哲畢に於て却って内面的な自我を自らの教的内在主義的精静の撞頭といふただひとつの事賢が
︵三︶
養ひ手としてゐる。キりスト敦の精細史は、このやう現れてゐる。近世精静史の内容は、かくて、客観化さ
にして、互に指事ふこの二つの傾向の葛藤の歴史であれ外化されてゐたところの紳を精静的なるものに主観
︵二︶
る。■トーマスの哲拳に於ては、思想や概念や草間や化
制し内化することであつて。紳畢的唯物論に勤して紳
度等の客観性が魂の主観性や内面性に謝して優勢を膠畢的観念論が宗教的改革にょつてはじめて封立的産地
ロゴスがエトスに、認諭が意志に、形式が生命に、P
とつのものが次第にその存在の足場を失ふたに勤して
との抗寧のうちに働きつゞけたといふこと.そしてひ
ち得たのであつて、そこでは、知識が良心に打ち膠ち位
、に立ち、其後この二つの世界勢力が夫々番数と新教
−マ世界帝国の思想の遺産の裡に蕾まれた敦曾が愛に
於て合一された個々の魂の目に見えざる共同敢曾に、他のものが益々彼の存在の鍵を固ふして行ったといふ
夫々打ち膠った。トーマス読の全構造は、それだからこ
、と、このことは毒し、中世的封建融合の浸落に射す
巻数徒が、葦在する紳に勤して彼が思案なる僕脾である近代的市民融合の草生といふ歴史的事案からして、
ることのあかしを立てるために築きあげたい蜂ゞひとまさに常然である。文整復興が中世措辞に打ち膠ち得
つの殿堂であつた。これに反して、最初の従って最後たのはギザシヤ都市の再生によつたのでなかったやう
の愛情と心づかいとを自己の裡に向けてゐる新教徒にに、宗教改革が番数精神を克服したことも亦決して原
とつて、紳への恭順の琵は、主観的なるものを外在的始数囲の薄衣によりはしなかつた。それは寧ろ近代的
な静から引き離し、このものをばその固有の方向に成有産者敢曾の成立にたすけられてゐる。新興の市民赦
40
倉は、奮い敢曾に醸成された観念形態をとることなし
に.却って自己の裡に藻々と湧出ずる生活意識の泉を
汲んでこれに固有の形式を輿へ、このものをぼ時代の
意識として自らの地盤に立たしめなけれぼならなかつ
つ圭やうに、アリストテレスの哲拳に於てもその中心
主観に対する客覿では克く、却ってそれ自らlこ於て自
概念に勿論琶q一也乍あつ㌔こ¢もりほ、けれども、
ミゆ閤係注、従つて、寄主の関係では克く,して
己ね顛寧してゐる存在でぁつ㌔琶q蒜寸J㌣晋e・
司記
た。このとき.そして、思想や概念や拳闘等の番数的
ら光い。ギリシャ的光琶q芸ミカトリック的光Cau,
葛鳶?乳qち馳ミ盲毛?乳q苫匂ミゆ闘係lこ外な
この
一五五
夫々膠利を得る。﹁私は信念に場所を獲得するために知
鳥が存在に、賢践理性が理論理性に、信念が知識に、
に於て初めて情意が直靭や悟性に、意志が表象に、行
信仰を教義の上に立たしむるものであつて、彼の哲拳
骨の上に、人格性を国家の上に、良心を畢開の上に、
度的な客観性の上に置き、個別的な魂を目に見える散
カントの雷撃は個別的自我をあらゆる意味に於て制
について我々はカントから語らう。
既に雷撃の醍系として完成されてゐる静畢的観念論
ミつの同C現象であろ。
︵三︶=の意味lニ於て宗教改革ミ文重複輿寸Jは租棍に於てひ
識の差異でぁる。
笹2iせり存在の仕方の相異に古代ミ中世ミの生活意
な客観性のために何らの威靂を蒙ることなくその内容
と形式とを新教的な主我のカによつて統一した哲挙が
恰もドイツ概念論であり、この仕事を大成し宗教改革
キリスト教の哲畢
の原理を初めて哲瑳の内部に於て生的直なものにした
いとは寅にカントである。
︹一︶他¢一切¢思想債系にこ於ける
も亦種々光る教養¢暇固を破ってゐろが故に、外面的
lこは決Lて千篇一律先見ぜかけJ㊥もつてゐ克い。
︵二︶クローナ一に古代ミ中世ざり区別わ挟撃し、菌数せ新
に観てゐろ。︵﹂、On内岩tbi∽昌e乳−華甲誓書
教ごの封立わばA已i打呈、Ch説話已umごの封立のうち
無差別ほ,しか・し、ギリシャ的存在論ミ紳堅的唯物論七
の混同から来ろものゝ様に思はれる。ミ、ろで茸際に
,してをら光かつ圭。他のギリシャ哲撃に於てそうでわ
t‡、ギリシャにあつて、主客の概念に未だ明かに分離
宗教的改革モアイツ観念鎗
4J
ントは語ってゐる。こめ言葉の意味は世界史的照明の
惑を限定しなけれぼならなかつた﹂と熱情をもつてカ
に徒へぼ、彼の督悠は、新教的観念論的なものが奮数
の正常さを失はないであらうにしても、世界史的考察
のそれの更生として理解され、しかもこの鮮群が一膳
一五六
もとで初めて人々の理解に欝されうるであらう。それ
的スコラ哲拳的なもの︵同時にギリシャ的なもの︶に封
宗教的改革亡ドイツ観念論
は、菌数主義に勤する新教主義の、中世精神に射する
して仕途ぐるところの抗争であつた。
てに、発づ形而上撃り批判写して現れ圭。︵ワ○︼盛0日?
︵三︶奮数的情調に射する新教的輯紳の闘争に、カントに於
ギーを普及すろ珪面でぁつ㍗。
ントの時代にぁつても亦、啓蒙連動は新興のイデオロ
︵二︶歴史的特向の時機にこ於て何時でもさうである模lこ、カ
㌣か﹂﹃思想二九三〇年六月耽﹄な参照︶
史性については、拙稿﹁唯物論ほ如何に,して観念化され
から歴史的に区別されなけれげならない。︵唯物論の歴
ひミつの形而上学でぁり、それほ現代の科撃的唯物論
上的なろものゝ観念であつ圭。従って紳学的唯物論ほ
︵一︺奮数的結締に於て客観的光ろものゝ観念liよさに形而
﹁⋮rい︶
近代精細の合理主義に謝する浪畳童義の、尭には紳拳
的唯吻論に謝する動拳的観念論の凱歌以外の何もので
﹁〓
もなかつたのである。カン下はまた、﹁汝自身の悟性を
用ふる勇気をもて﹂といふ﹁啓蒙主義の標語﹂をもつて、
ヽヽヽヽヽ
悟性そのもの1代りに却ってこれを用ふるもの1地位
を高めてゐる。ここでは、客戟的なイデーは悟性の感
ヽヽ
評点昌什蒜論的信仰的な人間の箕接の背
動の陰に隠れ、アリス下テレスが最も快きものと呼ぶ
ところの
後に蔽はれる。苦をるものがではなくして菩なる意志
が、カン一にとつて、最高の億植であつた。このやう
新教的精静は、更に、フィヒテの知識畢のうちに、カ
naを見よ︶
蒙主義のためになしとげたところのものは、新教的精
ントの理性批判に於てよりもー盾唆既に且つ無遠慮
にして、原話﹁フワードサワととの御代﹂に於て彼が啓
静を理論化することの仕事であつた。それだから、問
に、現れてゐる。自我ほ、そこでは、自分自らによつ
︵二︶
題史的閲聯に於てカントの醍系が如何に往々プラ下ン
4β
な血液を丸岡杓いつてゐないところでオユリンビヤの
かしながら、オサ悠ンビヤ人ペリクレスに於てのやう
シャ主義に類同する外貌の上の傾きを示してゐる。し
のものがアリストテレスを裳ふところから、夫々ギリ
撃とは、之に反して、前のものがプラトンを振舞ひ後
であつた。シェリングの同一哲撃とヘーゲルの海尉曹
穿t訂邑宕gは、従って、嘗践的な自我の自由なる活動
フィヒテに於ては、まさに、自我の自律の原理であり、
ヽヽlヽ
言−1を定立する。同一と矛眉との原理は、それ故に
つてゐないが故に.有限なるi客観が之に封立する
やヘーゲルに於て、自我は、自己の外に何ものをもも
我から分離された自我に外ならない。勿論、シ土ワンダ
テレスの司R℃○⊂㌘Rを彷彿させるけれども、究極自
導き出されてゐるところの具鰹的督適者は、アリスト
が自然であるとヘーゲルがいふとき、そこから外界が
離された主税に過ぎないし、また、精神のAnde叫盗in
ラトンのへ加賀を思はせるにしても.結局主観から滞
て主客が全く中和してゐるところの自主的な紳は、プ
内が紳の外であるとシェリングがいふとき、そこに於
於ける静的ならぬもの¶紳に於ける自然であゎ、紳の
ゼウスのイデーは寛現されない如く、シェリングやヘ
ところの!1主観ではないであらう。そこで掩射的な
−Ie打と呂e宇
ーゲルと絆、彼らの心情を養ふ情熱をもつてしてまこ
自己活動であるらしく見えてゐるところのものは.し
て、自分自身の裡に、なべての封象世界
とのギリシャ精細を現賓化することは出来なかつた。
は出来なかつた。普たヘーゲルが如何にアリストテレ
はアテナイ人の存在に培はれたへラス精神であること
る育にもかかはらず、それだからシェリングとへーグ
ー ⊥甜螢的には甜と呼ばれるーI主観である。如何な
いところの・そして最早主観とは呼ばれないところの
俗拳的考察からは、最早主観的水質であるとは見えな
ヘルダー・”リンを引きつけたシェリングのギリシャ主義かし、まぎれもなく自我から時化された自我であ少、
ス的である忙もせよ、畢尭古代のアリストテレスでは
ー五七
なくキリスト教のアリストテレスで彼はあつた。静に
宗教的改藩士ドイツ観食論
43
宗教的改革ミドイツ観念論
ルとの氏はルック一重義であつた。
ドイツ観念論は、それ自身、哲拳に静狩され特化さ
れた新教である。だからしてこのものは、はじめからー
自我の神性を澄明するといふただひとつのことをなし
とげたのである。自我の紳性が、そして、後年ドイツ
戟念諭の末裔の裡で自我の粍封性として次第に超越的
な地位にまで高められるやうになつたことは、有産者
赦曾の無塵にともなふて市民的新教的生活意識が漸く
栢紳界を濁占するに至ったといふ革質からして∵嘗然
ある。
4壷
_
00
00
一
浦
義
彦
千年生き繚けた、香人類と共に古く保たれた∵水蓮の
﹁死ぜろものゝ如く在れご而かも見よ我等生く﹂︵聖パウロ︶
吉
現代における﹁カナ∴ツックへの樽向﹂の意義
\1﹁
通じて紳をL︵ロ。ttdu邑Cb−■ぎiコ因i岩訂︶讃美し更生
†− 的苦闘の後永遠の﹁肯定﹂を以て﹁散骨に於ける基督を
を指摘する暇はない。只だプロテスタント的思想方面
る見解藍温憾に思ふ着である。私は弦に一々その誤解
一五九
における、乃至は反信仰的立場にぉける幾多の哲学的
現代にぁけろ﹁カトザックへの輯向﹂り意義
する時、老い朽ちて死せるもの1如き敦曾の内に、二
等心
の典接とする欧洲宗教史家乃至宗教哲学者の誤れ
るとも言へやう。幾多の偉大なる魂と天才とが良彼き
取るに足らない批評は弦に問題とせずとしても、
始めてカトサックの眞の生命の意識と認識が可能達
でのあ
或意味においては、眞に近代を生き貰いたものにで
しあ
てらうか。私は或る種の日本ブロテスタソト説教者
ヽヽヽ
以て却ってその自己矛盾を暴露せねばならないの
動成し時代錯誤呼ばはりをする事は誤って居る。判
否をな
痛くも苦しくもない、本質に解れない浅薄なる批
古きカーサヮクの眞理に辿り着いたればとて、之に
をは反
うとはしないで徒らに、眞実のカトリトクを知る者
眞効に戟ひ、求むる魂が数多、現代の月中においし
てや、
人々は自らの思想的乃至歴史的認識の偏見を訂正
魂のドラマは永遠に古くして而かも永遠に新らし何
い故。
︵一︶
宗教は永遠の問題であ少、融と魂との問題であ眞
る理
。の静の子の生命を見出し、永遠の道を見出す時に
O
現代における﹁カトリックヘ¢韓向﹂の意義
一六〇
究者に告げれぼ足る。信仰にぉいては論の膠敗は問題
臭味の偏見的批評は別として︺存する事を公平なる研
的批判乃至解明の︵畢に護数的にして誤れるカトリヅク
下には、時代の眼に入らぎる.埋もれたる安におい
の二つの源泉より出づる近代欧測文化の表面的流れの
題を提供すると錐も、ルネササンスとレフォルマシオン
省は奉賛現代精神史文化史における看過す可らざる問
乃至歴史的著述又はユ真鯛に対しては此れがカトーリ”ク ク致禽への信仰的齢正乃至カト∴リシスムへの思想的反
ではない、眞資に静の愛と還理に謝する熱心において
恩賞に研究さる可きである。併し﹁カトリックの信仰﹂又 て.昔乍らのイエスの宿昔の精紳が、寧ろ民衆的信仰
と血とにおいて、間断さる1事なく生き招けられた事
は﹁カトリシスムの本質﹂に閲する数理的信仰内容的問 葦践において、敦脅的信仰の把持と聖者殉教者の所り
題は弦に私の取扱−はんとするものではない。私は此の
おいてカトサックへの反省乃至韓向が何を意味するか
において又廉く思想界において、特にも宗教思想界に
が如何なる歴史的思想的必然性を有するか、今日塾界
に、敦禽の内には叉修院の内には、愚かなる者に輿へ
由信仰によつて、新攻原始信仰が分解されて行く時
し、その人生観と世界観を以て輝く陣、高等批評と自
的醍系を以て新らしき近代人の自我意識を誘導し啓馨
小論においては只だ今日の所謂﹁カト∴リリクへの韓向﹂を忘れてはならない。世の智者が吹き次ぎにその哲拳
を考察して、最後に現代の否な刻下の世界精紳の姿態
塚rit鼓it血
の歴史を思へば今自の﹁カトリック持向﹂は
︵三︶
の聖者の人格の内になされて禿たカトリック敦禽の
乃至問題が如何に探くカトリャク信仰・を意識せしめ、如られる信仰の慈みと紳の愛の示現とが、その奇蹟とそ
何に深淵に迄我等を導くかを反省して見やうと思ふ。
〓
人々は今日﹁カト∴リヅクへの韓向﹂と言ひ叉﹁近代思必
想 ずしもカト∴リックの償植づけになくてならぬもので
の破綻﹂を語るも、而して幾多の方面におけるカト∴リッはない。膏な今自においては寧ろ之等近代カトザック
尋6
j礫
であつた。苗代中世の思想に人格的自我の意識がない
リック思想の現代性を指摘しやうと思ふ。
ヽヽ■’ヽヽ
蓋し近代欧洲思想の根源をなすものは﹁自我の白魔﹂
とカトムリリクへの韓向の相関園係せ考察して寧ろカト
ゝにあるのである。併し私は今近代自身の思想的韓向
となつて居るのである。カトリックの生命も亦資にこ
諸結合より来たる一切の近代的思想鰹系も凡ては同一
観的個人主義的主意的方向も、又此の両者の諸傾向の
ラシオナリスムの方向もレフォルマシオンに於る主
しめる朗の濁のである。此の意味においてルネッサン
蹄する肝の.従って自然主義的不可知論的結論に至ら
在の秩序と、他者なる限りに於いての他者との否定に
中心主義に導き、自然湖秩序と区別された超自然的賛
と言ふのではない。寧ろ最深の意味における基督数的
︵円︶
人格的文化倍植の肯定と成果が中世文化の生命であつ
根源を有するものと言へやう。超自然的秩序の資在任
﹂’■▼ヽヽヽヽヽヽ
と客戟的賓在の眞理性への懐疑乃至此れが否定は、そ
聖者の輝く生活がカトリック信仰の生ける力強き引力
た。人櫓の償植が然かく明瞭に立てられ、人間の宇宙
の精紳主義的方向においても、その唯物主義的方向に
スに於けるへレエステックなる人文主義的自然主義的
に於ける地位が然かく償植づけられた時代とてはなか
intO︷P邑u声︵人格は全自然において最も尊貴なるも
義にも、人間中心的唯物主義的観念にも、主意的主情
である。人格中心的宗教観念にも、個人中心附自由主
おいても、近代の眞埋観念の根本に存する共通的要素
e諷p宅許t針孔巳≠巳
のを意味す︶は中世基督敦思想の最典型的表現なる聖
的浪慢的精紳方向にも.主知的唯理的精紳方向にも.
Signi夢二dqu。d
トーマスの言ではなかつたか。然し弦に近代思想の棍
観念論にも唯物論にも根本に存する思想的要素であ
つた。賛に吋突書p
源としての﹁自我の自覚﹂は、ジャワク.マⅥ二アンがいみ
る。変らに深く考察すれぼ、ルックーの︷善言巴訂in。
︵玉︶
じくも指摘する如く、案に個人と人格との混同より禿
もカント的去en罫訂山tこもニイチェの
一六一
毒bem︼穿Se弓
たる併の自我観念に基づくもので、自我中心及び自然
現代におけろ﹁カLrⅥワックへの糟向﹂¢意義
卓7
時代錯誤的自由主義・個人主義の主張と言ふのが現代
一六二
も.宗教改革的紳汎論︵穿宰p巨i旨⋮∽︶も人文主義的汎
人の婆である。弦に所謂近代の﹁韓向﹂Wendeなる現
現代におけろ﹁カトリックへの轄向﹂の意義
神論︵㌘已訂紆冒星︶も、一面的内在親︵Ⅰ昆gn邑訂巨2B
象が存する。此の﹁韓向﹂は、よしその本質において同
一近代精神の﹁旋過﹂に外ならぬものとしても、﹁韓向の
も.一面的超在観︵ゴ呂語nd邑帥旨u00︺も又此等南極の
間の封立綜合の活動的蓉展観
要求﹂として近代の否定せるもの、従って併設﹁中世
︹ゴ§S詔ndわ已已i冒一旦も
共に共に同一朝食の両様の欝現及びその緊合領p§n㌣
的なるもの﹂の新らしき僧侶蓉見への道向となり、機
エハ︶
n的︺である。かくして見れぼ近代思想の蕾展の様相と
しての、理想重義・唯物主義、イデアリスム・リアリス 曾となり、又其自身中世的思想の復活ともなつた。私
三方向において指摘して見やう。三方向とは即ち﹁形
ム、ロマンチスム・ナチュラリスム、偶人主義・集園芸 は今之を発様にも述べられ得るであらう申から次ぎの
義、等々の諸掛立は所詮同一人間自我内の已−呈宣長で
而上拳への静向﹂﹁客観への韓向﹂﹁赦曾への樽向﹂之
れである。
あり韓廻であるに過ぎない。
併し今日にぉいては近代思潮の歩みは或る意味にぉ
定へ蟄展せんとして居る。少く共その必然的費展の締
感じ、香な寧ろ自己の歩み出でた時の原理の根本的否
野心とに燃えて歩み出でた近代人は漸く自らの破綻を
を意味させ度いと思ふ。人々は必至的税制的自然主義
悶憧憤飛躍をも抱指した廿世紀の世界観人生観の戦ひ
に廉く﹁沌封なるもの﹂﹁賓在なるもの﹂への精紳的苦
味における拳的問返としての形而上拳に限らず、更ら
先づ﹁形而上畢への韓向﹂に於いて、私は厳密なる意
着する屏が何庭にあらうとも現代人の魂は根本迄震撼
的唯物論的人生観から逃れ出でんとして、如何にむが
いてその終局迄歩みよつた。朗らかな青少年の希望を
されて居る。斬らしきへロイズムに非ゃぼ、深き懐疑
いた尊か。進化論と資産主義と科挙萬詑主義と自然主
亜
乃至は放浪的不安、此の両者に非ずぼ.眞の反動的痙
義の世界に長く魂は堪へられなかつた。而かも人々は
菌のロマンチスムの夢を追ふ事は出来ない。現念論的
け
テイクを備へたものは何であつか。箕に新らしき措辞
主義的形而上畢の可能♪道警ルグソンが暗示するも
場合には魂の発狂ですらあつた。ドストエフスキー、
のを手掴みにしその生々なる息吹を感じたくなつた。
﹁かの如き哲拳﹂に長く満足し得なかつた。稚射たるも
て豊乳針成の蛋空相溝身姦し∵或ひ按
ぎない。人々
る。唯物論的機制的世界親より解放さるれば人は白か
虔の内に撃き生ける静的資在性に引き寄せるからであ
としても人々は怪しむに及ぼない。超自然的箕在への
′スタル
信頼と経信とを失つた近代人が時々に腰倒さる1懐郷
ヂア
病は毒し叉人々を中世的憧憬に誘ひ.カトリック的敬
﹂ぎst︶がカトリック信仰の畢者の間に見出し得られる
ンの精神に賢いで﹁精神の形而上拳﹂を説く者
となす者、ディルタイ、シエラーが開きし道をアウグステ
自我構造はブルジョア的自己膵保欝ge㌢l︼鼠ngに過 の1如く見えた時、此れを以て新時代のアポロデュチタ
ストリンドペルイ、キュルケゴール、ニイチェ、ラム
ら形而上的、超勤的存在への飛躍の巽を旗げざるを得
︵勺各r−
ボーの魂を思ひ、ディルタイ、オイケン、シュラー、ベ
此は寧ろ自然と必然に謝する精静の反抗であり又或る
ルグソン、ジェームスが精静的努力を思ひ見よ。人或ひ
でに老いたりと。而かも今日の哲畢界の主要問題なる
意味し、眞正の信仰の眞の敵となる論理的必然性を有
ンの︶反理性主義であり、従って理性のアナルシイを
は日はん﹁新理想主義﹂は既でに古し、﹁生命哲畢﹂は既 ない。よしその新らしき形而上挙が︵桝之、ベルグソ
﹁.形而上拳﹂の問題を備へたのは誰れであつたか。今自
の﹁存在哲拳﹂﹁人間拳的解繹轟﹂﹁低値倫理拳﹂、今日 すと指摘する正統信仰の曹聾者︵マリテンガリダウ、
一六三
は否定す可くもない。今日の新カント畢汲の諸費展に
の﹁ヘーゲル復興﹂掃i¢r首egぎ風雲君臣e︸・ediます玩今日の ラグラヂュ等の如き︶挙ワQも、そが輿へた信仰への横線
ドストエフスキー、ラムポー研究、今日のディアレク
現代にこおけろ﹁カトリックへの格向﹂¢意義
尋9
おける.又現象畢漉の諸展開における、﹁ヘーゲル、
なる限りにおいての他者の鰹系的否定﹂とも言ふ可き
って近代の韓向として﹁客観への轄向﹂を掲げた。﹁他者
一六因
ルネッサンス﹂における幾多の﹁形而上拳の問題﹂への哲
観念論はデカルトより始めてカント・ヘーゲルへの登
現代におけろ﹁カトリックへの轄向﹂の意義
畢の反省∵轄向が如何に又スコラ哲畢的併給と相應通
辟著に迄至るや否やに存する。峯しく事を挨ねて古人
にか1つて眞葦のカトリック哲畢カトムリ可ク信仰への
身超自然的葦在の永遠の肯定に導くや否やと同じく一
得るや香やは、やがて今日の精神的嘘短が果して其自
而上拳への韓向をして眞の形而上畢の確立に至らしめ
居る事を言はんと欲するのみである。而かも今日の形
方向への狙い努力が現代の樽向の一つとしてなされて
方向に謝する幾度びかの反抗の後又新たに形而上畢的
弦には只だ近代の自銭主義的方向ラチオナリスチクな
する問題に接解し来ったかは弦に詳述する暇がない。
の中に個人主観への内向的方向が強く印されては居な
に、カルゲインの﹁内的確定﹂占邑imOniu号:in︷ern曽㌔
而かも既でにルターの﹁自己感情﹂遠2−b茸efi彗。の中
の否定などではなく.寧ろ原始信仰の提唱である暦、
主観主義でもなく叉況んや前述の超自然的葦在の眞理
柴光﹂琶p冒。告㌢も信仰なる限りにおいては単なる
クー的﹁信仰のみ﹂琶p監eもカルゲイン的﹁紳にのみ
ント信仰はその根本精神にぉいて主観主義である。ルッ
主観主義的方向を汲み得るのである。箕にプロテスタ
リスムの堕落より生れたルター的思想の根本に近代の
展において指摘さる可しとしても.既でに中世ノミナ
︵七︶
の詭を奉ぜんとには非ず、カトリック的根本健全に蹄
る時には、正にその内在的鰹験において超越的客観的
畢﹂が.よし或時には主観内在的髄駿に重駄おき.或
る者に取っては、経験中心的意識本位的併謂﹁信仰紳
って永遠の哲拳冒1。容p詳per①nロi品緒帝︵若芽㌻貞︶ いか!而かもプロテスタソト宗教哲拳史の委展史を知
に努力せんとするのである。
■■︳■■ヽ︳ヽ
第二﹁客栽への轄向﹂。私は初めに近代の根本思想に
おいて自我の王朝的内戦的方向の存する事考言ひ、従
占0
醜Ⅴ
の両面に過ぎざる事は、命ほ今日の現象拳派其他の客
けると同じく﹁直観﹂を方法とし﹁生命﹂を内容とする
界の状態セある。而れ釘此れが現代形而上鼻二般にお
蓉展と相保つて客観への方向を取れるは正に現代哲拳
観主義的方向が畢寛する併﹁自己客観化﹂SicT&el已尋
新ロマンティズムに紆するとしても、此れが直接間接
要素に重粘をおいて、覆展さる1も所詮同一主観主義
音義に節著するカット、フリース、シュサン
にスコラ的起源を有し、且つカトリヤク的客観的眞理
而上畢への椅向の中に牢ぽ意味されて居る如くであ
述の客観的・賓在的・殖封者捕捉への要求としモの形
向に勤して﹁客観﹂への方向であり要求である事は、前
併し今日において、強張さる1鮎が従来の主観的方
ス・ベルグソンの清算トーマスシエラー清算、の限ざ
ある?新スコラ哲拳のトーマス・カント清算、トーマ
代哲拳の重大なる要素として傾聴せしめた事は事賛で
意識との横線となり、又スコラ哲拳の爵極的主張を現
主張とスコラ常襲的認識論的方向への新らしき反省と
︵八︺
グ的方向に属すると一般である事は明らかである。
る。賛にフッサールにおいて﹁意識﹂はその﹁志向性﹂
描捉への新らしき遺を開いた事、分けてもカント的壬
観の現象畢は語草の方法論に、鰹駿内容の客観的本質
○曹琶、によつて規定された。純粋現象の記述と本質直
の白魔と共に愈々深くして斬らしき研究と驚見とを拳
及し、傍ら中世哲畢の歴史的探究は、その現代的意義
リック的思想世界の白鍵と塘張と共に今や全世界に改
ルギー・ドイツにおける現代スコラ雷撃運動は、カト
まし邑き活動は弦に詳蓮する像裕がない。フランス・ベ
即ち﹁封象への方向﹂。担eぎ旨g
観的形式倫理畢に封する、シ言−の﹁純粋償値﹂の賛
界に選る。只だに認識論乃至鏑哲畢的方法においての
占ntent⋮On巴it弓
質的倫理拳における償値の客観主義、又ハイデヴガー
︼六五
済畢、法拳の世界におけるアサストテレス、トーマス
の存在の客観主義琵n?○昏ktiYism宏に於ける賛展が、 みならず、生物畢、心理昼の方法において、敢食草、経
此等と並行し叉此等に刺乾された新カント語草漉の諸
現代におけろ﹁カトサックへの轄向﹂の意義
∂J
現代lこおける﹁カL﹁吊リツクへの増向﹂¢意義
一六六
的乃至スコラ的カトリック的方法への現代的方向の存暦度忙如何に通ずるものあるかは思ひ牢ぼを過ぎるで
在も弦に指摘されぬぼならない。此等姑哲拳約諾讃諭あらう。かくてカトリック散骨内に於けるロマノ、グ
的客戟韓向と相閲的なる、戎ひは同一精細的韓向よりアルディニ其他の儀式遅動︵巳︷すgisc訂哲男g亡n胸︺ポ
ドミニコ腰骨を中心とする、聖テレジア、十字架の
出づる新教紳畢宗教哲畢鮒方向に怠ける客観主義は、イロン的宗教事術的連動、濁備におけるベネディクト、
オットー的﹁絶数他者﹂の静拳警minOSe謬乳nO警ヨの
聖ヨ
ハネ︵翠Je呂de㌻C︼・︵︶iH︶等の紳甜醍駿︹岸象粁︶
紳単にニハルー、ゴガルテン由﹁危機静畢﹂﹁終末観的
基
らう。弦に叉現代宗教曹畢批判力至研究が前述近代哲
督教﹂にハイム、ブルユンネル等の﹁宿昔主義基督致の
﹂研究熱と此等の併行踊係を指摘する事は容易であ
等に見ゆる如きー﹂u碧︰ed‡三通−C賢i。邑ままの中
に、ハイラー、ゼーデルプロムのカト∴リシスム評償学
にス
、コ
吏らにはシュラーが寧ろカトザック的方向に於ける﹁ー
宗スト、エワシュワイラー、プシュワラ等のドイツ・カト
教現象拳﹂等々に見出し得るであらう。此等の現代紳リック聾者によつて営まれ、ガリダラダランヂュ、マ
︵九︶
畢宗教哲拳運動に共通なるものはその節諭の明哲性論リテン等のフランス・カトワック尊者によつて街はれ
理性に拘らず、即ち﹁他なる稚封者への蹄係﹂、超麺て居る事が深く注目さる可き肝以も存する。而して此
眞、
の人
カ間
トリック的紳畢及び宗拳哲率と現代の
ヽヽヽ、、、 者への畏怖と揮脆、紳の客鶴的﹁言葉庭
﹂に
の賛
定に立
ヽヽ
所謂﹁新紳畢﹂﹁新宗教哲学﹂との根本的差異をも見得
努力と理解の彼岸なるもの1張張であり、目的への手
段ならぬ、目的自身としての宗教、﹁宗教自身のためる
のであらう。然かりかくして現代の﹁客観への轄向﹂
念に蹄する迄は眞の時向たり得ずして古き主我主義内
宗教﹂への要求である。それが紳の天啓の滝野眞理 は、そが眞にカーザック的認識論、宗教哲拳、紳拳戟
︵穿牽︳︶の主張と祓葬儀式︵内已t邑へのカトリック的
占β
に本来必然なりし敢曾の援見に及んで.人々はその人
ての菰曾の存在を意識した。人間文化並びに人間存在
た。而かも人々は今や漸く個人を超越した其自身とし
的資本主義的利己主義の怖る可き融合悪を醸すに至っ
と相勤王義を来たし、産業経済生括において自由主義
においても個人主義主観至義は遺徳親念のアナルシイ
り、やがて敦督戦念の分裂と、なり、一般人垂範遺徳朝
的にはプロテスタント的信仰の主観主義的親念とな
義、個人主義原理を意味するに至った。そが宗教思想
秩序と文化的借統とよりの盲目的解放の誤れる自由主
と言ひ﹁自律﹂と言ふも、併設個人と個性との全際性的
我の自覚﹂には個人と人格性との混同があり、﹁自由﹂
立を思ふのである。
ヽヽヽヽヽヽ
第三﹁政令へQ韓向﹂。既述の如く近代における′﹁自
否定せんとには非す、紳と案在との眞理の其自身の成
の施廻に過ぎざるを知るであらう。鰹験と内面性とを
﹁融合への樽向﹂は近代個人主義の紹動的相野主義乃至
封囲係性に齢せしめられるであらう。かくては今日の
去らんとする。やがては箕鰹と存在の観念も全鰹の相
た。人々は紳も魂も、理想も眞理も﹁赦脅性﹂に還元し
如く﹁集圃﹂と﹁大衆﹂と﹁敢曾﹂とを全能成するに迄至っ
人は寧ろ近代常初の意識の正に他の極を持するもの1
ルクス的階級意識における階級敢曾性の認識等、現代
食堂際性﹂の強張と特にも経済願係の認識に倖ふ、マ
を輿へた事か。香な文聾と融合思想一般における、﹁敢
曾生活との如何に従来とは巽つた授究方法と理解楼式
は英米の敢脅拳倫理聾者の努力と共に認識と遺徳と叙
メル・シモハン・テニィス・シエラー等々の鹿骨拳的認識
たものである。デュルケーム・レヴイ・ブルール・ジム
生活と畢約諾識の凡ゆる分野に敢曾聾的方法を等来し
識に齢著す可き蕃は肯けるも、コム下以来の近代にお
一
れ﹂より﹁汝﹂へ更らに﹁我等へ﹂、個人より﹁全鰹﹂への意
〓ハ七
ける政曾の襲見と敢督畢建設の努力こそは、資に政曾
生覇道徳観宗教観世界観をも一襲せざるを得なくなつ
は滝封成生的進化論的︵超絶的原因ミ超自然的秩序の賓春
ヽヽL’ヽ
た。﹁客戟への韓向Lに患いて他なるものへの韓向、﹁我
現代にぁける﹁カトサックへの椿向﹂の意義
現代lこおけろ﹁カトリックへの轄向﹂の意義
性の観念を放棄J右近代思想が到達﹂圭、創造ヾ﹂進化、永遠
〓ハ八
−の﹁カラマゾフの兄弟﹂に於けるS。監学資賢
の観念に
﹁教曾への韓向﹂︵Wen計N口内i邑e︺を輿へし所以も、
ミ時間性の浪岡、光るもの克さ成生等におけろ根本誤謬を深
︰ く影響されたりと言ふシュラーの思想が燭逸青年に
︰に見よ︶懐疑の併走ではないか、と疑はれる。而して
閲への愛に挺り、戦鵡の苦妊を経て新らしき精神性に
戦前の個人重尭的コスモポⅥ︰卜的精神より、具駿的親
舛。呂爵−i訃ヨuSと言ふ試転への
立蹄った時、フランス青年を必戯的に敦曾に取った所
こ1に又現代に於ける敢曾観念に於ける唯集国主義
は個経としてのみ考へられ人格の観念は抽象される︶
以のものも首肯される。
]謬n已ism︵こ1に人間
への反動的韓成と、組織や制度Org琶訂tiOnこ星ぎ︷の
而かもカトリック敦曾の敦督戦念は単に地上に於け
る共同融合性聯碍性乃至は構成と秩序との観念に限ら
じて、赦曾的現象としての道徳と宗教の眞葦性の認識
宗教理解と、敦曾の本質の偶然的二次的理解とより樽
は、人々を従来の狭き人為的アプリオりの道徳観念と
然し兎に角此の道徳と宗教と敢骨盤括の敢曾的捕捉
ブの梯子に象徴さる1ものに外ならない。かくて致曾
自然的文化の柏繋がる大ドラマである。げにそはヤコ
楽である。人間的敦曾理念のみならす超自然的聖寵と
と見えざる敦曾の、天上と地上との荘大なる愛の交響
を通する鹿大なる﹁聖徒の交はり﹂である。見ゆる数曾
へ向ふ併の浪漫的生命主義的動向とが指摘さ
客観的存在より有機醍、共同醍、○−・習nismus−Gemei・
−褒賢覧
と、塩個人的其白煙として孝へられる、或意味におけ
に於ける愛の統一と秩序の祀食性は人間本然に射する
れす、﹁膠利の敦曾﹂とr憎みの散骨﹂と﹁戟ひの敦曾﹂
る目的自鰹︵畢に信仰の畢枚としてのみならぬ、信者
もの・ながら、その根源は賛に静の聖籠による
れる。
の必然的にその内に生く可き統一性︶としての教倉の
lnstit象。︵静的設立︶に存するのである。散骨は﹁基督
望まnp
理解に向けた事は明白である。
古壷
︵一C︺
の神威的脛﹂の以外のものではない。現代の﹁政令へ
もの晶的概念となす至る誉ば、そは正に基督数
照主義︵而かも人間理性本来の能力を香足し或ひは
の形而上挙が単に第二の人間意識中心主義生命自我観
ざる事と一般である。若し乗れ今日の客観主義、今日
る︶輝く慶大無遽の基督教眞理の世界への備へに過ぎ
光耀の無逸豊溢量り発き推察し欺きもの1肯定であ
認識妄りとは言へそはIrr註昌子なる昆冥にはあらで、
貰いて︵而かも紳自身についてはぎmqu冒官○どm
紳の啓示の抱自然的眞理と自然的贅在一切の眞理とを
以て、今日の鹿骨的遺徳現象の諸認識と人格的目的的
する事となる。人々は聖トマスの道徳野草赦骨曹拳を
所謂敢脅畢的方法なるものは却って人格性の否定に節
合科挙︵賢en怠de㌻試○邑e︶に堕するならば、今日の
本然的人格根源的本質をも逸し、軍なる遺徳現象の融
アプリオウスムの遺徳形式の否定壱以て、道徳の理性
の 乳dニPSO㌢︼品ie︶が無思慮に詭かれ、短見なる人馬的
もは只だ門口迄である事は、現代の﹁客観への樽向﹂が
遺徳原理とを、総じて今日の道徳常襲と遺徳科挙との
て、若し﹁道徳と融合畢との国学﹂︵COn旨de訂試○邑
仰の世界においての外−遺徳と人格性との世界におい
の轄向﹂がよく﹁敦曾への轄向﹂の遣を開くとしても、 的神教念其物の香定でなくて何んであらう。吏らに信
之に過重の期待をかける事によつて︶に節するとせぼ
問題を解決し楼とは努めないだらうか。
紳と賛在との眞礫自鰹に勤して迄、相野主義的怒度を
だに文化償値葦現の時間的蓉展においてのみならず、
な更らにょり以上に、若し今日の赦曾性の張張が、只
紳要におけるカトサツク宗教本質の現代的使命と意味
義とを考察する事を措いて、直ちに次に刻下の世界精
ついて、カ下りヮク世界戟の現代文化に持つ使命と意
私は更らに文化と宗教、自然と超自然等の語間匝に
︵一こ
却ってカトJリヤクの眞理と相封放するに至る如く、香
取らしめ、政令的人性的償値によつて一切の眞理を測
とを簡単に考へて見やうと思ふ。
一六九
らしめるならば、況んや創造的進化の生命衝動の如き
現代におけろ﹁カトリックへの轄向﹂の意義
β5
現代におけろ﹁カトリックへの韓向﹂の意義
三
︼七〇
への新らしき爆費的テイクニスムの敵情である。而か
も探き眼に取っては、今日の此の精紳の﹁否定と動力﹂
のせ⋮ぎOn訂が如何に又深く眞葦の信仰の試盲山kと相
上述私は現代の時向における、﹁カトリックへの韓向
性﹂の意味を寧ろ静的に問題併行時に考察した。次ぎ
するかゞ知られるであらう。
通じて而かも畢ひに眞箕の封立賢才cd宰Ode︸・を形成
て弦においては問題震的に考察するであらう。
に私は現代の時向をその成生の宴において動的に而し
︵︼二︺
蓉展自身に於いても見らる1ものである。射ちフッサ
此は既でに今日の﹁客観への樽向﹂としての現象畢の
り来たり何魔へ行きつ1あるか。﹁主観より客観へ﹂﹁個
ールが客観主義の観念的動力主義︵id邑e茸n賀訂mu凸
上述数へ来った今日の肝謂﹁韓向﹂は果たして何畠よ
人より敢曾へ﹂﹁純粋思惟より生命自然へ﹂﹁文化より
り中世へ﹂の樽向を指示した。而かもそは賓際にはあ
ニルヴアナと西洋的テクニクの綜合﹂への問題蓉展に於
﹁純粋億檀﹂より﹁英雄甲動的人間性﹂と更らに﹁東洋的
宗教へ﹂、﹁内観性より敦曾へ﹂の諸緒向は即ち﹁近代よ に節する蓉展、シエラーが﹁生命﹂の客靭主義における
らゆる世界において所謂﹁現代の危機﹂︵司ri旦を粛ら
る﹁存在の自己自身・供奥﹂︵SieF邑b芋g各en
いて、更らにはハイデッガーが存在の客観主義におけ
の精紳型畜産み出すに終らんとする。即ち正に一切の
と﹁憂慮と死の有限界への英雄的非戦念化﹂の二義性に
して動反動の諸現象を起こしつ1屏詮は斬らしき時代
過去の根本的否定の内に爆賛する新らしき動的無限性
おいて示さる1ものである。箕にハイデッガーが客観
des設ロS︶
のへロイスムの=訂告忌−即ち賛在の最根砥に至る迄
主義は既に昔初より傾面をはがれた現箕−不安と罪と
間︵昌d︼icF急rdende.嶺e宣旨罫︶のディナミスムである。
り7レ
の掘り返へしと分析暴露のR註琶訂きSと穿g乳訂訂ギ
疑と死の−に画して、意識的に有限にならんとする人
の建造
宏を通じて正にその香定のカ自身による高潮の努力、
最深つi各︶の掘下げと破壊と、最高︵︼岩訂︶
∂β
Ⅶ肛篭蟹lF
事であり世界・内・在
の運動﹂
︵哲男gl点insqnend−ie訂︶
へと
は、之れをも貼っ
て﹁集園のディナミスム七︵茸n邑笥宏d宅已琵︶
園﹂の粍封運動の内に分解され終へる。
は或に全く解鰹され、個人と共に人格性なるものも﹁集
である。今日の宗教哲辱静畢運動の
薔展する。ルネッサンスと啓蒙主義の﹁自由なる個人L
る﹂︵Sicがbi莞iロh賢昌i昆崇彗且
ハイデッガーを駆るものは即ち﹁自らを無の内に持す
▲■−▼−tl
︵ln・dertW生乳n︶
童u−︼㌢。S¢。に於ける﹁直接
客観主義に於いても亦同じ事は言へないか。シごフー
が﹁宗教現象拳﹂オツー−ガ
の1無限動力性であるが又二には今日のディナミスム
此等一切に窺はる1ものは一には崇gnimcFなるも
的なるもの1情感的ヂーモン化と、更らに深くバルト
の根砥に存する寛に一切分解的、洗き否定の力である。
性﹂﹁非合理性﹂の∴切組織的思惟否定、一切精神的聖
に於ける一切人文的倫理的宗教観念の放掛と、静の構
静の発光の讃莫、−・そこに不可頑なるものへの英雄
的否定、紳と併走との汚封の分離、自我死滅における
ナミスムではないか。一切宗教的文化に謝する終末観
き﹁影像破壊L蓮動︹堅de邑∈ヨ︸︶の政情に騒られるディ
陥るカを見よ。葦に此のラヂカルな客観主義は正に古
るものを脅威する秘密がある。ロシア的イコンは﹁純
虚にソヴィニットの紳秘的魔力が眉言責が、西方的な
遠の山化﹂ヂneb崖邑2riOr窪・なるもの1支配がある。其
らに淡く﹁東方的なるもの﹂﹁神秘的魔的なるもの﹂﹁永
Ur撃軋㌫姿を見得るであらう。併し今日のそれには更
に新らしきロマンチークの復活を新らしきへ垂弓巨und
今日のデーモニッシュなるものへの衝動において、玄
的直接性の故の可成界の否定のティタニスムが存する。
粋葦質主義﹂︹邑n2仇ac冥註訂it︶
成︵せiくinp官尊旨且の席数他者への葬薩︵乳。r註○︶を
又今日の﹁政曾への樽向﹂においても然かり。人名的制
いか?ソヴィエット、映蓋の全映婁界にぉける優位は、近
︼七一
の整備の原型ではな
度結赴︵G㌢︼汚g︶を破壊して、人間と人間との生命
代劇にぉけるソヴィエツト・演劇・技術の優位は、廣告
現代におけま﹁カトサックヘの梅向﹂の意義
の相解る1共同鰹︵¢em㌻邑邑︶へ、而して﹁無限へ
∂7
現代l二おける﹁カトサックへの轄向﹂の意義
貰停法における.ソゲィニット宜停技術の優位は、而し
てロシア管楽の現代音楽界における優位は?今日の根
本目的建築のアメり.カ的純粋技術的ポジチビスムの賞
一七二
︵ヨc富︶を追跡し.一切の偽りの宴を破砕せんとする
ヽヽ
ものである︵GeざOe訂n訂i凸。此の ﹁梓記法Lは封立の
ヽヽヽヽ
ヽlヽヽ
指摘ではあるが.此等の封立の統一の姿を指示するも
業が存する、性欲理論巳bid〇・芦eO−・i巾と穿r乱玖訂m戻の
露﹂と﹁破壊﹂において今日のフロイドとハイデヅガーの
のではなく寧ろ分裂自身を衝くものである。此の﹁暴
賛主義の根砥には、﹁根本不可測性﹂への東方の﹁無限
定﹂静思苫nのパトスが存する。今日の映蓋今日の演劇
今日の音楽と今日の舞踏の凡てにおいて見らる1機械
性のマヂクの根抵にはロシア的デーモンが存するので轄倒︵l−1扁邑○邑、エロスと死の衝動の相互園係へ最入
ある。アメリカ的技術的及び東方的・終末的ディナミ婿
ス的なるものも最精静的なるものもりビドの自由疾走
る︶
ムの結合が寛に今日のデーモン的カである。今日の宗の購に過ぎない、此の椙の中に死灰として自己を沈め
教性と宗教哲畢的戟念における︵少く共ドイツにおけ
ゥガーの有限性形而上拳の﹁合理的静請﹂︵邑iO邑e眉号
T。dそと﹁無﹂︵穿富︶をその存在根接上し、不安と
とハイデ
る︶ドストエフスキー的エスカー・ロヂスムの影響を思
F。Bとが如何に相通すふ事か‖死に至る存在︵SeinN音
こ1に今日のディナミスムにぉける否定のデモニス
罪と疑をその存綬︵賢答邑巳︶即ちその根本規定の表
のフロイドの精細分析︵眉宣旨喜音色
ひても見よ。
ムの方法は﹁詳記法﹂︵崇a露ti粁︶なる語においてあらは
るハイヂヮガーが形而上草原理の螢見はフロイドの精
しの
、配慮︵S。蔓︶を以て此の根本規定の中核とす
される。此の辞記法は﹁然り﹂と﹁否﹂との﹁左と右現
﹂とと
分雄解明の術であり、欺かざる暴露︵D胃民謡邑ng︶の
れたるもの沈獣せるもの費見であつたのである。﹁分析
方法であ少官守警FmeFeiden︺、常忙自らと他との前に 紳介肝と同じく日常生活に於ける忘られたるもの、埋
あるものとして見えんとする﹁マスク﹂を奄ふ併のT無﹂
∂β
毒箋包茎忌洩和義箋ミ⇒
のへロイスせに至っては、ハイデッガーは吏らに一
歩を進めて、意趣的なるものを﹁無﹂なりとし、人間よ
叫び出でたので雲。√切のサタン的イデアザスト的
倣慢をその恐る可き内的嘘言において暴露せん事がケ
ヨcぎBを要求し、﹁有限性の無への冷き洞察﹂のへロイ
のデーモー11として分析し暴露した。−
已針︶
りは﹁無の内に於ける自己保持﹂︵欝h・巳莞in邑t昏ins ルケゴールの本義であつたのである。︵○巨nim訂mOロ?
スムに止らず更らに積極的に﹁有限化﹂−有限以外のも
けるC告ぎ円ie旨egp琶dr乱丁i∃弦
竿 に−
此等両者の
バルトにお
ケルケゴールはかくて一切を原罪の世界と人類
のたらんと欲せざるーのへロイスムに進む。
ク1が致曾に謝する告倣に通ずるニィチェが紳への魯倣
蔓生の地は正にルックー的紳拳の客気である。而もルッ
の基督敦の.ヘロイヅクな世俗化的紳話化的解繹とし
と、正にその封既鮎におけるケルケゴールが﹁ルックー
弦に於いてか此等の分析のへロイスムは原罪・購罪
てしか詮明出来ない事となる。それは沈み行く者の紳
改悔﹂におけるルック一掃算とにおいて、レフォルマチオ
獄とのへロイスムと、之れを動かすデーモニッシュな
ンの清算は提供されざるか!今日の、死と花と無と地
ヽヽヽヽ
への嘲笑、差出す宇を打振って沈まんと欲する反抗の
へロイスムには非るか!かくて知るフロイド、ハイデヅ
ガーが先駆は葦にニィチェの爆牽辞記法なりし事を。ラ
チオナリスムと進化論のーーィチェは既に去った。英雄的 ディナミスムは如何なる意味に於いて﹁カト∴リヅクへの
案忙現代の世界精神姿の探淵において人々は其庭に
許n︺とにおいて如何なる課題を有するか。
﹁偉力意志﹂︵ヨーle2ニ︷乳Ft︶の反基督のー﹁チェは更 遣向﹂となるか。カトサックは現代の問題と位置︵質up−
らに強く今日に生きて居る。而かも亦ニィチェが爆馨的
耕定法は正に彼の封踪粘に立つケルケゴールの尊家法
一七三
ニスムの結合における機械とテクテクの︺倉岳豆と而
に暴される。﹁デイオニブスの歌﹂において、ニィチェは 探き宗教的問挺を意識する。アメリカニスムとルシア
併設サタンの﹁汝静の如くならん﹂の自らを蝕む虞罰を
現代におけろ﹁カトザックへの轄向﹂¢意義
占9
現代における﹁カトサックへり特向﹂の意義
デヅガーニハルト.而して最後にブロレタワァ革命運
て、下ストエフスキー意識において、フロイド、ハイ
ルック一夜活、ニィチェ夜話、ケルケゴール復活にぉい
教思想における全世界的影響︶のデュ了一−において、
シアニスムの支配︵鹿骨思想における蛮舘、曹畢、宗
かもそれを通じてロシア的鷹野の夜の静秘、終末的メ
﹁信仰Lとの救ひが存する。今は聖金曜の花である!世
共なる創造﹂創造者の前にをける創造に眞の﹁文化﹂と
Stel−e三ns崇cぎ︶
紳の業である=︰︶に非ず、屏造の無の認識︵S富豪nの山n・
化Lの﹁紳としての創造﹂︵無よりのハe賢Fi言創造は
か併造かの封立における、﹁辞の肝造化﹂と﹁肝造の神
超自然との眞の類比衛係への救ひの叡智が輝く。静
一七四
動におけるマルクス、レニン支配にぉいて、今や世界
は我等に、我等ほ世に死す。而かも復活の朝の希望は
ヽ■︳ヽ
の魂は、一切の過去のイデオPギーの清算樽統約腐植
生く!此魔においてか﹁教禽の神秘の師﹂十字架の聖ヨ
て、宗教的深淵に臨んで屠る。一方一切のものを﹁無﹂
の洗き啓示が深夜に聞こえる。L′ullqued仲nOC11e!花忙
ハ、ネ︵StJ琵ロde︼pC岩音︶の﹁花の神秘﹂︵穿cどmy邑k︶
において、無よりの創造者なる﹁紳と
評償の懐疑的批判と否定の根本的掘り返へしにおい
の内に分解し、﹁無﹂に封面して無の中に自己を把持し
も拘らず︰⋮・生ける永遠の泉に繋がる一筋の生命の流
れ!
無よりの人間的創造に向つて爆資するオプチミスト、
へロイスムと他方宗教的終末的唇音主義の極端否定主
陰れたるが故に見出さす可く求め、大いなるが故に
冥e守
求む可く見出す。︵Qu琵e薫in忌ni苫d書こn諾nぎqロ琶?
義のペシミスト、ヘロイスム、再び﹁靡造のみ﹂の謬n苧
笥■
Eal=づ.警︸○品○巧“吋●C㌻乙eごJ・JOe義の迂eロ
近代におけろ偉大なろ改宗者蓮、J●
巾i冒岳と﹁紳のみ﹂の声20p邑sm亡Sの古き極的封立の
︵一︶
nd彗管主⊥準A点盲草⊇B︵一九三﹁二、七︶
琵
屏造内的爆蓉的辟琵法の世界において、古きトーマス
の叡智﹁類比﹂A邑鼠p星訂が、即ち併造の固有現葦、
固有低値と創造者の一切現賢、一切倍植との、自然と
60
嘗
葦
1
■■
J﹂戸数t巳ヱの・汽●9邑已芦∵g骨ihqn㌣
邑こ1e詩乳eい等の上げて数ふ可らざろ魂の記
銀をも想ひ見よ。
肯きルナン.やストラウス、サバチエ等の誤謬は
開成にぜず写して、ハルナツクに射すろ出註茸d
オットーやバル
︵七︶
C・ハ
出山n驚n
gsbur野−¢諾︶
d雪
¢ege亡妻ユご第二琴第二部
吋註0答pざ訂訂00Riロ鷲n第三編宅粛d宅︼音字
三野巴ユ︼紆已訂、︵−冨○︺
J●山芦鼠e訂l︰︵勺○山nt de
○∽0首ie第二令第四編、カント、トーマスの部、
d焉ど軋k、∴ヨ乱︻﹀已ぷー琵缶︶
へ貞ing苫d望¢董曽喜宅空軍よ霊
etc.毘e.
dem内Pmp許︼d
J・¢e箋笥表ぎ風儀−河。︵句邑buぷー岩加︶=A詫
¢歴史的研究ヘルマン、ハルナツク等に射すろ
内.Adpm
−勺罵i駈−黒岩−1ニおけろカント、トーマス埼算、
ハイラーに封する
d音prtde㌻試公竜︸レ嵐qロ¢曽臼甲 岩m● く・
︹八︺
前掲諸研究の外にJ.冒已t軋ⅠこG昌・i℃ulagr旨
駕蒜e註i㌻義¢”TOコq亡ed釆こ茫家uごGi︼岩n︰
トOu題目n∴白雪ue計憎邑OS㌧、竹竿i払ぃ
¢冒ど∈岩∴早㌻ndO呂箪いの諸作、−白雪宕Ng・岩
〇︼塗厨房七
AcごiendO粍︰
︷由e雲eづ訂misteミ↓○已つ日給∵■繁i臼menderN軋t。
試許c訂︼二こ句已訂.J旨rb貝毒J
究費未の諸機鯛。
A苫已e諾deヨ邑忌.憎寛ぎ其他中世哲学史研
ロト戸A計2。dp∽We諸口deこn已FO︼山Ni琶乳、
︵ロ諒e己○︸・b−諾8邦詩近刊。
芦Pp︼○督︷へhゐC呂旨de−臣民0邑eえde㌻
一七五
S&○︼Ogiq、︵冒r訂−琵βトerO﹃、由巴s昌pユ守
︵一一︶
︵岩︶
︹九︶
試買計ざのカトリック道徳¢解明、ハイムや
ト、レエラーに封する昏篭eりや∴冒鳶竜賀P¢
るもりの外に無数の聖書的教曾史的敦盛的研究
又、マリテンのルックー批判等の、pO竃larな
に閲すろカトリック撃者の穣機的力至解明的努
中世軟骨敬虎灸ね通じて宗教革命以後に引縫い
力は無数の機踊を通じて知り碍可L。
て連鵜写して生けろカトザック聖者や歴史カト
リック敬虔り蟹展史を見よ。
﹁小さき花テレジア﹂﹁アルスのキュレL﹁ルルド
の巡祀﹂﹁聖心の挿穏﹂等を思ひ見よ。
J.試篤訂山n一−︻曽Oi∽H訂冴r巨乳吉宗、−・P已訂ワOe符号
︵ニ︶
︵三︶
︵団︶
︵五︶
忘貸︶
TFeO−00qiのーー
C﹂︰声︰?還雲喜、爺Ott、−︵試u邑蒜n
ユe昌。n牒苧︵冒≡琵︶1セ・忘よP邦諾近刊、
ごH訂li乳OnSp岩CS〇pE¢R已FO︸i衿F望
︵呂incF−誓笥︶こ如ingen染¥Gegen尋ユ。︵A〒
現代にぉけろ﹁カトリックヘ¢轄向﹂¢意義
︵六︶
/7J
文、ニU邑
Ric芝目gen
der
等無数のカト
吋冨コ○巨enO︼Ogie。
此の節にこついてl‡E・ワ童∃喜の最近り諾論
リック倫軍学証曾畢的研究はそ︰にあり。
iti孔﹀其他9tFeiロ︶民望各peg
現代におけろ﹁カトリックへの轄向﹂の意義
︵三︶
R亡nd語訂岩−︸
已賢N
der吋3ble日註kdeH
評F司eiNeユ汚訂
附
Oeg・
de巧Neit。1−
A息嘗eぎdeut擢訂ロGegen弓
。WendO呂り訂ロmC訂ロ。、へ彗e已eNeit。ごEnd・Neit。
=Situ註On亡nd
胃t賢已どli㌫−︼岩S。等、=哲i︶nmen
in
d忠Re︼igiか給−こn
琵00−−冨○の諸教lニ親裁ぜるもりミ。せam弓2∽・
en
en司弓tこ
−竃0を参照ぜり、C−t■同氏へ︵封e厨iOコm訂官iヲ
Gel
d弓乳∴︵句reib弓g−昌∽︶・云ebeim2訂苧空keg・
ぎa乳−■︵呂許c訂n−¢哲︺▲及びごRiロgeロder
gen吉ミ第一笹第一編出e︼i軋ま.e皿R山nge冒︼弓eg
l二、アウグスチンの現代的意義、十字架の聖ヨ
昌GOt︷第二巷第五編同巳どli各日u∽偽ほ最後
、、ヽ
O
J−・.V
ハネのミスチークに就いて讃者の托意ね喚嘩し
託
一七六
現代新嘗撃、新紳単一破り文献は別豆=ゝに列挙し
克い。ルター的宗教観念力至一般.フロテスタント的
ミReligiOn雀荘OP
Rptど乱mc訂りT訂0
サク的宗教哲学の哲学的分析的記述子して論述Hす
紳撃宗教哲単軌念に閲すろ根本的哲学的検討ミカト
NⅥ司prp
こ宕訂i日日訂日馬灯egぎaS。を推L告い。特lこ最近り
ヽ0
同氏へ貞呂t訂まe。︵宰inc訂nこ篭8む荏目され圭
ト、ルソー︶岩下師詔及び邦語近刊カール、アダム﹁カ
邦語出版辣走りマザテン﹁三改革者L︵ルタ−、デカル
トリシスムの水質L及び岩下師著﹁カトリクの信仰﹂
研究書ミ>してすゝめろ。
︵カトリク研究祀︶戸塚師諾﹁カトリク思想史﹂な邦文
β2
琶
新
曾田亀冶菅
刊
紹
サ
垂徳太子憲法と法王奇説の研究
東京
山書房賛行
歴史上¢人物研究の場合、その研究費料ほ、その人白眉切
筆になるものミ、生写して後人の幣になろ儒託額望遠り−二
大饉分け得られやう。聖徳太子研究lこ於ても、前者に些二経
義疏、十七條憲法があり.後者では数ある内で、その積れろ
ものミしてlミ、帝読寸書柁が最も信頼すべ与も¢でぁる。本
署は全二部より焉り、聖徳太子憲法の研究を第一部ミJ、上
官法王帝読の詳謹わ第二部与し、前者lこ於て大子の思想を、
後者に於てその業績を求めんミすろものでぁる。
先憲法の研究を見るに、詳細にその出典わ求めてその思想
内容に立入らん写してゐるが、その骨子を烙すものは、大理
私li寧ろ第二部わ馬す帝読の研究を探り磨い。帝親な和文
先人諸家の研究の外に出でず、且やゝ冗長の嫌がなくl‡克い。
に書き下し、書紀、補閑記lこ参照ね求め、懇切な辞謹があ
紹
介
︵請β︶
る。太子業意¢研究写しては、︰れによつてその大串が角﹂
刊
遂げられてゐろ三石ひ待やヶ。
新
アンドゥウス背
痛永換詩
ガンデーの革命連動と宗教
東京
大風陽版
本年lニ人つて印度の政治事情ほ俄然まLて轄回ぜんミJて
明、圃卓骨髄の閉骨式は歓亭lこ満ち圭。﹁自治領印度﹂の誕生
をる。Jかも鮮緒。マクドナルド骨相の恵萄深き印度政宋蟹
は約束ぜられ圭。そして一月廿五日、昨年五月以沌エラウダ
㌣。今や世界の驚異ほガンヂ一に集事bんヂ丁してをろ。
の獄舎にあつ㌣聖塞がンヂーり無條伸解放の命令が費ぜられ
﹂か﹂ガンヂ一に閲†ろ著普請香ほ既lこ多い。その中にぁ
つて本薄青は如何光ろ特色を有するか。それは、アンドザユ
ース氏がガンヂーヾ勤して有すろ個人的饉験−。存すろ。賓−こ
ろガンデー物ミいふ鮎lこ存了わ。筆者その人が=の暑中lこお
十有飴年に亙るガンデーミの親交な背景ミLて描き出され㌣
の友人であつ㌣。印度人の解放ミ礪立¢㌣めlこ霞揮J㍗人で
ごつてゐろミいふ鮎に存する。即ち、著者はがンヂーの永年
あつ㌔ガンヂ一望還なる精紳の共鳴者でわつ㌔㌢して
その殉教者的生活の苦惨の分受着であつ㍗。
︵堵谷︶
薄着福永換氏が臨lこ十余年に宰わガンヂ一研究着でぁろこ
ミ法貰苗よく知られろミ=ろであらう。
︼七七
β9
新
教
江部鴨村菅
宗
刊
紹
概
介
静
東京
人生創造赦版
宗教の茸境は療鼓¢現に存すろ。ま㍗、小数の宗教撃徒を
除いて、一般人の宗教への憧燥ほ、瞭識ぜられる宗教へのそ
れでぁつて、決Lて知鼓弓しての宗教への憧憬では兄い。そ
の意政lこ於て、科挙的知識¢形に於けろ宗教を提示する亨、
ろの宗教撃概論ほ、一般り人々lこミつては、云はば単に指標
エミール・ポーマン著
戸 塚 文 卿 詩
垂 パ ウ ロ
東京
一七八
日本カトリック刊行合
原著は数年前フランスで刊行され圭時、一般¢歓迎な受
け、版を重ねる=ご数十、浮名は=り七十七版の原著を用ひ
圭ミいふ。
原著がかくも大きな歓迎ね以つて世lこ受入れられ㍗鮎ほ、
先づ著者が現代フランス文壇の著名花小訊家であつて、文章
が印象的花迫力な持つて居る︰ミ、著者ほパウロの遽跡わ箕
ミLて役立ちうろに†ぎ塞い。指標でもみり、衆道でもあり、
さてはよ告感激ミ慰寿ミをかわす同伴者でもありうる味識的
写し㌣こご、それは畢lこ概念的光パウロを描き出さずに、心理
地に踏査・し、=れlこ基づいて彼¢生涯を歴史的に叙述Jやう
て本書が受け入れられ上程由に、かうL圭停承の古手要のそ
ミ光ごに、その理由があらう。ルナンの﹁パウロ儒﹂lこもまL
リツクの博統的信仰に背かず、む、しろこれを助長こて居ろ︰
的解剖な試みて彼を人間的lこ措琴して居ろ=ミ、最后に二カノ
な宗教の書写しての宗教概論は、厳然ミLて宗教撃概論の外
かくて、本書ほ宗教華概論にあら†Lて宗教概論であろ=
に存在理由を主張ぜねばならね。
ミにその特色な有ぜねlでならね。その特色は充分に費揮され
宗教概論lこは二定の型や標準はいらない。そり成果の如何
てゐろや香や。
・し主所lこぁろ。
詳者戸塚氏は拳苑堅かで、カソーリツク的教養拭く、且つ文
て、従つて厳密な聖書批列¢清泉lこ基づい∴卜ものでにない。
本書はかう、し㍗音きパウロの要そのよま一ピ且㌣のでわつ
¢よまふ何等攣更する=ヾ﹂¥しlニ、近代的な考をもつて見渡
それも不満の鮎だけな一つのべ
は筆者尊者の昧線的秘奥の内において断ぜざスベきも¢で、
なくて感想¢みがある。−
撃的批列の標準は︰れに如はり得冤い。従つて故には批判で
︵檜谷︶
る。・−−むつミ遠慮のない鴨村氏白月の宗教観人生観の露骨
底が見えてもよかつ㍗ミ息ふ。
めて流麗でぁろ=ミ毎強調して置く。
︵三枝︶
撃的有能の士、本管の詳者写しては最適の人である、詩文極
3β
加藤朝鳥諾︵Ⅱ・ムメンケン著︶
宗教を裁く
東京
大
鳳
閣
本書は米国に於ろ有名な評論家写して知らろゝメンケン
て、常識的ながら一般宗教の本質を規定ぜんごすろわ上り、
前述すろが如く著者白月の宗教に射すろ多大の閲心lこよつて
デートルを充分認識する事が出光る。
招来L圭賜であらう。その意味に於て昔々に本書のレーブン・
泰
謡詰
共著
きものでわらうミ思ふ。
︵上野︶
他り批列は他日に譲ろミ︼Lて、本書¢功罪は正に両分さろべ
列lこ止らサ、今後り見通Lの問題ミL光けれげ光らわ。その
属すろ。更にその現代的意義の如き問題は単にその事箸の羅
内的批判によつて既に己に占ヒ日の下l二曝され王過去の残骸l二
ト数々現に蔽ぜら¢サい矛盾¢如きほ、既に二キザスト敬白貞の
力ね箆L圭ミ云ふ宗数々国力至僧職の批判は兎lこ角、キザス
が既に止揚ぜられ主観成宗教lこ掘蹄すろ鮎lこ於て。著者が主
スト教の教理の矛盾み指摘ぜろ鮎に二於て。端的に云へば著者
事は勿論出来ない。例へばそり宗教藤生理論に於て、又キリ
琴し昔々は本書lこ展開寧うれ上京教諭を全幅的lこ承認する
︵呂encken︶の′近著lこ童話ati蒜On︷訂G〇ds。こり日本謬で
三、その種々相、四、その基督敦形式、五、そり現状は、の
むろ。その内容lミ﹁宗教の本性及び起源、二、そり進化、
五つの論文からなってゐろ。
最初にこ断つて置かねば光らわ事ほ、本書ほ所謂左翼の宗教
批判ではない。それは右でも左でも光い評論家の﹁宗教批判﹂
でちろ。そり意味に於て本書l二展開ぜられ圭宗教曲列はメン
ケン白月り﹁虚無的﹂思想を背景写して極ゆて穏健であろ。叉
それに本書の内容の物語ろが如く、著者白月の宗教に封すろ
る事が出光やう。
多大の閲心ミその取扱へろ廣般な宗教的事葺によつても察す
著者が粗上にあげて、その正饅を暴露すろご云ふ宗教は、
生写してキリスト教でぁる。その中にもキリスト教の歴史的
費展上、最も重大な役割を草してきた救国、骨職に射する根
梵文傭博文畢の研究
本的批判.キリスト教信仰の中軸寸Jなれる聖書lこ射すろ文献
理の特質等、か光り廣般串範囲に亙る論陣lこ主力が注がれて
刊
紹
介
一七九
行読の研究﹂寸J後篇木村博士平等学士著﹁梵文大事讐喩薄の研
的検討ミ助列、キリスト教¢現代的意義、カ至キリスト教倫
新
すろに普り、諸種の宗敢壁書を参酌Lて、一應の理論ね打立
ゐろ。そり上宗教︼般¢上から宗教の起諏力至その進化な諭
定償五圃八十鎮 岩波書店
本署ほ前篇水村泰賢博士開平等学士著﹁馬鳴及び梵文併併
3J
新
刊
紹
介
究﹂より成り、菊舛入官四十頁より成ろ大著でぁろ。前篇は
発づ宗教ミ蓼術ミの関係な論じ、宗教蓼衛亨して併併行讃を
級ひ、著者馬鳴由摩感冒其の著作に於て、衣狐の深謀材料−ニ
西域駿見の新資料によつて、馬場の停詑ミ馬鳴の梵交替作み
解説L、従来馬鳴停ミ椅へろ渚論者の眞備ゎ考証Lてゐろ。
徒死大乗軽信給が馬鳴作か香かば畢界の長い静観ミなつてゐ
ろが、本香は撃界に多少の波紋ね投ずる=寸しであらう。原典
落、補遺を論琴してゐろ。併俸及び彿博文戯の研究の部では
批判の個所にこ於ては梵支度典漠成澤に就いて原典の遺漏脱
先づ併博研究の畢的研究方針を決定,し、=れに基づいて、併
博文麒教生、費蓮過程を史的に辿り、文学史的に系統立て、
追て併併行まゎ中心写して各併停の主要事項ドついて、諸併
博文戯ゆ記述一年比較J、詑途中の神話的文撃的修飾化、曹単
的確想化を区別し、そり史的事業ね探らんご努め、それより
一入〇
心写して大事の材料の因つて来ろ所な探り、何食教典、小乗
概観を誰準し、その研究方針に基き、併誕生侶、併出家を中
律にその類似文章わ求め、更に大事の異諸彿本行集控モアハ
この後篇l二於てはむLろ今後の研究年期辞すべきでぁつて、
ーグ7スッミの裾野花樹照な写し
紹介批判が抱裁されろ筈先ので、地産でに単に目次沼介l二止
大事研究の全容ほ未だ伺ひ待ない。本著書lこついてl‡次戟−こ
めるこミにすろ。
マ ツ ギ ブ ア ト著
栗原基・有賀鎖大部詩
近代基督致思想史
新生鞄≡慣行
宗教改革以后の基督敢思想が、近代文化に二輿へ圭影響仁つ
いては今更いふよでも塞い。而も近代文化の正笛な理解−‡、
かく常連L圭息的経過わ辿らう子こしてゐろ。傍男親l二於ては
主ごJて部嬢的立場を知らん亨し、按易を中心寸﹂する併易思
こミに在日する人に少い。主立へ注目−し主にこJても我々が基
近代基督歌思想む理解する=ヾ克Jには不可能であろ寸Jいふ
督敬の詳調冗内容な知悉すろ=軍ほ容易で冤い。我々が基督
想の淵源な求めてゐろ。悌所行讃¢表現lこ於てにダンディン
かろ印度文学の印度修領車lこよろ批評は本邦最初の読みでめ
からも、もつ寸J関心わ持つて見学しぜらるべ与であろ。
教思想な単に宗教思想写してりみ耽らず文化思想史的の領域
¢詩鑑lこ基いて、梵本の印度修討按な批評、し、観賞する。か
って、=り内にほ粗雑蔑見もわらうが、先錨的研究余ろを失
撃写して定評のあろ碩垂であろ。、あ著者の二つの著書冒?
アメリカのユニオン・セミナりり組長たる著者l‡、既lこ紳
はない。後篇の﹁梵文大事嘗喰繹の研究﹂ほ帝国聾士院研究費
研究の第一同報管主る敦篇の論篇より成ろ。大事研究の方針、
補助によろアハーグァスッの木村平等両氏の協同研究に基く
3β
R邑こ警−・碧¢
一
侍O
ld
二e
係岩
数の現代的意義であろ。その意味lこ於て慶大先供教
Ri肌ee叫試
の係数に封する大衆的見解ミ相琴しt展望の示され大事にそ
は、氏瑞自の見解によつて立論ぜられ、又それによつて徒死
岩s︷邑崇Oug≡be旨e
歌風想史な取扱つて居ろので、==によヾJめて輌課され全巻
の多く誼よれん=ミな希望すろ。
宮洋英心著
現代人を救ふ宗教
新
刊
紹
介
博
文
︵一二枚︶
舘
琴して贋く人心にこアピールぜん草すろ宗教思想ii悌教思想、
言ふ迄もなく本書の中心思想ミなり、且つ叉宮洋氏が本書を
中心ミすろ求道的精神が如賓に襲撃してゐろからでぁろ。
も富ふべき併数の現代的批判、乃至宮澤氏白眉の﹁求道囲しを
くヾJも宮澤氏が本書の緒言に断られt皇一日業、本書の骨子ミ
途も所詮、この新宗教樹立への宜富に外光ら克い。それほ砂
紳l二よつて物ぜられた宮洋英心氏の﹁現代人を救ふ宗致﹂の目
でなけれげならわ。厳正光批列の限ミ溢ろゝが如き求道的精
ほ望よれる。無量蕾経の言葉﹁開披智直眼﹂ほ人類永遠の燈明
の燈明ミ涌き担つる無意識り生命のカl二よつて新宗教の光明
先い。批如l二批判を如へ、吾等人類の汲めごもつきぜわ明智
批列ほ砂くミも宗教lこ心ぁろものゝ内心の叫で稚けれ止元ら
左翼の宗教批判を侠つまでも克く、既成宗教に封寸え除正
東京
ラードブルフ著
敢骨董養文化論
大琵 邑諾
︵上野︶
同文館教行
一八一
恐らく機械文明の蟹展によつtものを政令学的にみろヾJ■い
東京
その簡翠し主筆致ミ共lこ必ず讃著わ絶森守るでわらう。
11ない。琴し=の中lこ盛られt内容ミその堂々たろ論陣ミほ
の最も得意寸﹂すろ析であらう。
言ふ迄もなく兼題の物語ろが如く、本書ほ韻粋の宗教学菩で
代に於けろ耐観り嘩邁にこ多大の江意を擁ほれたものあり、氏
近代宗教思増紳観の取故に於て﹁制限綱﹂を提唱lし、所謂近
ぜLめんミすろ二重三重の努力が耕l‡れてゐろ。その中−こも
教lこよつて諸宗教り心筋み池野して宗教的信念の確立を償進
でにない。廉く東西諸宗教の事賓を辟く孝酌・し、所謂比較宗
勿論本書ほ﹁宗教﹂の名にこ於て畢lこ併数りみを取扱つ圭もの
らないのでわらう。
七官飴頁の魁大な書ミキつて摺ろ。本書のやう光すぐの
れ緒
た言
書にも断られ主知く、それに氏白月の信念の螢露に外光
Re︼任○已ニd凛−芸が内容的に合ぜて宗教改革以后の基督
∂3
新
刊
紹
介
ふ=軍に今世紀に於けろ特筆すべ与−思潮である。そ、してこの
思潮が膚義の社食主義思潮であるが最近lニ於てこの併謂杜倉
皇義思潮ほ菅撃写しての結成な、しかけて苑圭やうである。証
曾主義的イデオロギーlこ基く世界観文化髄系の菅撃的形成が
あろ場合lこは正常で、あろ場合にlミ外道であるかも知れ拍が
ミもかくも思潮写しての必然の連行だミみ克ければなら.冤
ヽ0
本書もやほり有りやう克傾向を高音∴好着である。ラード
ブルッフの名ほ我国にこ於て飴り知られてゐないが現にハイデ
ルベルヒ大草の教授で彼国政曾民主塵軍領袖であろ。燭逸ミ
、してはやゝ珍らLい型であろが、:れによつて亦彼圃の政義
の性質の片餌をもうかゞひ得るであら、つ・。
彼ほ免づ経画形態ミ観念形態の交流関係を論述Lて社食主
義的ゲマインシャフト思想の特質を事例lこもミサいて極ゆて
平明lこ遁.へその文化理念形成の論理を告ごり、民主々義の危
機を説く。
宗教に鼠Lても亦滑塵的肯定み匁Lて右のゲマインシャフ
其他政治上の事茸−トもふれて、近代文化社食形態り特質な
トに於けるその機能を説く。
︵石津︶
招撰するに極ゆて手頃の書である。詩文流麗、原著者のもつ
文畢的傾向をも手際よく未申してゐるミ思ふ。
支那彿敦史講話
境野茸洋著
共立社費行
一八二
東京
文郭牽¢研究ほ近来特に欧洲に於ても曹圃に於ても盛んに
なつて衆圭。支部文化の特轟すべきーbのゝ一つは沸教曹挙り
大成費達であろ。
けれごも従来支那係数通史に就いてよろべき著書は棲めて
を得tこざに堕罪lニヾ−つて志るべからざろ収獲でぁる。
直々上るものであろ。頃ろ境野氏の支部偶数皮詩話上下二巻
著者ほ支那偶数史を羅汁以前の首謀時代ミ隠居以前の奮詳
時代、障唐の新詩時代及び塩未以後の四期lこ分ける。今回の
上下二窃の内容は右の内前三期のもりで大鰭lニ時代的停承わ
ける資料的典墟ミ論断の嘗膏ドニ就いてはわれ仁批判の園外lこ
緒言して生写して教派的分頬がされてゐる。両署の内容にこ於
一篇に於て、僻敢の博衆、安息開放、月支係数、天竺及び
ぁろから未見者の圭めlこ今その内容の大綱をぁげてみる。
廉居の僧侶、干聞及び亀虫偶数、経線¢成立二篇に於て、鳩
摩羅汁の拳銃、産山ミ這堤寺、捏韓経の嗣停、南北朝の詩経、
源、成案宗、外讃ミ排併破併
地論宗、漣諭宗、小乗三瀬の諸博、大東成の儒諸、縛宗の起
三篇lこ於て、︵第二巷︶三論宗、天台宗、液相宗、華厳宗、
律宗を取扱ふ。
著者の畢殖工就いては甑lこ冗言を要L克い。件数史の造語
∂≠
lこ於ても亦われ等後車の=れをrゝへろlユ寧ろ虎を失すろ。
lこ博士の件数史研究lミ始よつてゐろ。明治四十年¢支那沸教
本書の巻頭り村上博士の序文が語る?フに既に明清二十年代
周知のやうに教理敦相の理解及び歴史上の停承は一般研究者
にミつてほ極めて園難な問超である。
㍗。数列や事ミ理に開すろ陣劣の議論から事相に於てはミく
ミ密教ヾJの教撃托ぎつLても通ってみなけれげ光ら拍開門で
虫網ほ今偽重罪に生命をもつ。
概括して本書の撃界に射すろ寄輿¢最大事ほ支釦併敢研究ぁろ。そlして=れ等¢教撃ほ単数上互に密接lニ相起L相関L
上の資料的究明lこあろ。専政者好学者にミつて賓に早天の藩
l二光り†ぎて八宗綱要ね評、しくL㍗やう先感があろミされ王
ミ了わものシして儒教皮及び教畢史上り地億ほ極めて重大で
謂像法併教の哲学わ倖承LてLかも=ゝから股脚−し更生ぜん
雨でぁろ。且って望月博士が本書な許されて飴りに教液中心
l二天台l‡密教のざれに移入L圭ミも考へられろ。ミもかく所
=ミを憩ひ出すが、=の=ざほ何人も感じろでわら、つ。支部
併L復元二般者lこミつてに密教ヾJいへば高野な想ひ弘法を
ある。
沸教の常連に於ける各時代の思想、文化事情の背景を照引す
想ひ、数撃的にに析象不可思議難解写して、倍仰的lこは極め
るミいふこざに本書に於てlミ軟けてゐる。且つ支那lこ於けろ
邁沸教史写して史脈史観の瞼討も欲Lいミーろであらう。け
て民間的一般非宗振的ド考へられてゐる。
撃界及び一般知識層ほ発きに鯛林隆辞氏り﹁密教撃﹂をそL
れどもこれ等わ本書り様な性質なもつもりゝ中lこ盛ろミいふ
こざは何人に於ても無理でわらう。本書に立脚Jてそのこミ
概
論
甲子証書原敬行
︵石津︶
紹
介
一八三
ぁろ。そこに:の難解の教理が入門者lこミつてサラツミ理解
感の仕組みが盲言;エご十ゃりミして思索的及鰻系的な昧ひが
ートだミ感ぜ、しむろ粘が多々あろやうに見受ける。同時1こ食
ぁろが本書に於いてトニ般思想上の理解ね背景与してモデレ
風格モ本書の饅系的傾向でぁる。曹考は勿論聾旨望ホ涯人で
ミはつてゐろが本書の特色写して殊に馨げ㍗い=軍は著者の
大尊から成り、亡くに併貞論成併論に恵む注いだ寸﹂著者もこ
本書lェ緒論ミミもに数列論、数理論、悌易論、成体論の四
て今ま㍗本署む繰上。慶賀lニ㌣へね=ゴでぁろ。
が可能ミ撃乙ろ。撃界にごつて何にも草してその資料的究明
が有難い。
致
高紳党昇着
京
東京
俳敢費蓮の全史からみて密教のもつ歴史上の地位及び教趣
刊
致相上¢内容は宗教思想上睡ゆて興味輝い問題でぁろ。併,し
新
3∂
癖
刊
紹
介
天
人
赦
出凍ろ動因があら、つ。好著写して世lニすゝめ失い。︵右津︶
田盛惜遺著
日蓮かマルクスか
東京
年々歳々、我国l二於て出版字bれろ日蓮に閲する文書は賓
lニ彩Jい。本書は撃術的に物ぜられ㍗ものではないが、日蓮
ー
マルクス、天
ヘーゲルミス台、マルクスミ日蓮。此の対照lこは興味接い
研究の一に数へろ事が出来る。
ものが含よれてゐろに達ひ克い。ヘーゲル
日蓮の思想的関係を思ふ時、それほ何人にも想起官れ
ろ封照でぁるからでぁろ。
台 −
著者ほ此等り野照から、マルクスの代りlこ、日蓮毎現代に
天理教教義及史料集成部編
おやさまのおもかげ
奈良
一入四
天理教本部
明治十九年に死草し㌣天理数々組の逸話ミ託敢を断片的に
集録lしたも¢。かかる教組¢逸話説教の集録は、光ろべく死
後速か光ろみ必要ミすろが、約四十余年み経て本書が成つ圭
集むろ併三十五、此等の多くは時日ミ場所ミの明記を軟い
こせは、他の宗教の場合ミ比撃して、さう遅い=寸しでlミ光い。
やうヾしする本書亨してli、=の=ミは止むみ待塞い=ミでほ
て居る。﹁教組の備を偲び、その聾な聞いて﹂信仰の﹁雛型﹂写し
の説話集のみLか招七光かつた基督敬が、後にその俸記な編
ぁろが、我等ほ既にかくの如き同じ特質な待つ㌣教組イエス
まんざLて如何に苦心L、薪局歴史のイエスな知ろ=ミ¢紹
であれげある程、教組の俸託に封すろ史料的正確克ものミ尤
その停へる説話が教組の直接経験者の稔閲を経圭廃寮な良貨
封不可能ビなつ圭重曹完、眠く経験Jて居ろから、本書も亦
マルクス主義も日蓮聖人lニ超克され光ければ光らない﹂日蓮
こざほ益々困難ミなろ。今のうちに完全先史料詣蒐集すろ=
り待ろ様に努力ぜん=ミね希望†る。時日が経過すればこの
見出L﹁ヘーゲルが天台に血抜きれねげなら兄いミ同じく、
=そ大衆的な具髄的先賢践的光政骨的票数を樹卑し圭ので、
ざほ我等の切に望む併でぁる。攻回の刊行ね待つ。︵三枚︶
日苺の宗教=そ新疎官軍設の原理ミして、現代に把握ぜらる
︵上野︶
べきものでぁるこミを大聴に論断ぜんミするのでぁろ。内容、
全篇五草、二宮五十一頁。
紳 の 手 引
天理教教義及史料集成部謁
ββ
奈良
ノ天
理
界租執閻活資料叢書第一輯。同輩署ほ允に中山管長lこよつ
教
義文献寸し教義内容、現数陶の組織、博道、事業等?全般に亙
眞に署げ>しい︰ミであろ。こ=で托天理教の起渡ミ蜜達、教
封象¢草しい認裁か持たなくては光らない。かういふ意味か
ら天曜教仝餞についての鳥撤的展望を輿へ王水書の出現ほ、
て同氏孝女理数博活着lこ閑†ろ調査﹂に収録され先かつ上底
者の瞥準し克けれげ光ら光い事貿り粉飾についてlミ、飴り細
っての最近の状況が記されて居ろ。敢園内部の出版写Lて記
て行はれ失敬阿倍邁調査り結果な布遺憾濫の参考にJ、併ぜ
法談を集録せん潟に造られ㌣もので、入信の動機、懐遭の動
︵三枯︶
天理教道友鮭
ミつて便利克蕃でぁる。
稔
諾
ウアーフィールⅤ著
岡、田
基密教の本質
︵三枚︶
岡田稔蟹行
ッバーミ㌧などによって論議されて、この間題ほ某督敢昇り
れ㌣問題が、ロアジーlこよつて反射され、更にトレルチャす
界の興味ある間塩¢随一であろ。ハルナツクによつて提出さ
基督敦め本質的開巌lェ、今世紀lニ人づて提起され㌣基督敬
紳β
心するの要ね認めない。天理教の現車孟大観ぜんざする者lこ
機、頚現の憩度lこ分け、本署托=り入信の動機官例詣収めた
ものでぁろ。
如何光ろ即機によつて入牢しtかに、その宗教のもつ太質
を明にL、併ぜて教囲の要尭を知るに有力克助けミ光り、同
時にこれは入信の宗教撃的研究に一つの有力先安料ね提供サ
奈良
るものであろ。==でほ病気平癒ら動機が大多数者の入倍の
動機写して示写れて摺る。
天珊歌道友紀露
天理数綱要︵昭利大牢版︶
新興宗教写しての天理教は、その驚異に俵†る勢ガの故
文碧e国語n︹eO﹃Cl−訃許n古賀:FeC岩mSO岩hr・芦︵﹃守
本管は=の開鮭を取故つ㌣カルダイン紳単著tろ著者の論
中心問短ミなつt。
︸・づ胃b声邑鼠ep︻Re各戸−芦8の由轟であろ。=こでほ原
刊
紹
介
一八五
論其の短日が草して居るやうに、基督敬の木質毎イエスの十
んご欲する肝¢ものでぁろ。根上の毀争はこれみめぐつて相
新
この興味あろ撃的閉校に封Lて、我々に兜づ霧二に、そ¢
中ばLて居ろりが現状でぁろ。
ろ。天理教ごlユ何ぞや。その水質如何草江我々の最も解明ぜ
lミ常に我々宗敵襲雀りみ挙bや世上一般の注目な引いて居
βア
新
刊
君
介
字架にぁる写し、該問題の泊革み吟味L光がら著者の見界を
ャ
く﹂
丁四〇
一八六
下
谷大
聖
風
且・も・メンケン著︵加藤朝鳥諾︶
郷文
町白
蓮
他 書
一〇・〇〇
神
神
田同
田山
雄司ケ谷建
有坂輿太郎
三・五〇
考﹂
小平随雄著
一・00
二・五〇
書﹂
閤
証
龍
紳
橋警
田天
醒
人
紋
社
翫 堂
設 政
洞 書 院
文
房
牛 長
込 崎 書 店
︵高倉徳太郎託歌集︶
麹
道雄著
本
藤田淳著
泉
二・〇〇
︵紀託論究・神代篇︶ 松岡静雄著
・七五
教﹂
二・五〇
話﹂
TOO
仰﹂
紳
祭
畢﹂ 井上固了著
細﹂
宗
信
裁
−新刊宗教開璧孟醐和琴二︰忘︶⋮
教
スの宗教思想lこよつて方向付けられ基督教の歴恵の申に蓉展
﹁歴史的宗教﹂写して考察さろ.へきであろ。徒つでそれlェイエ
な
﹁宗
断
示・して居ろ。
著者によろミ基督敢を理想的宗教ミ†ろ軌方から、そ¢
﹁決
リシ
本質ほ思病的lこ抽出ちれるものでl‡克くして、﹁賓薩宗致﹂
﹁ギ
雛
怪
ミ
的
こ主席lこ存在すろ亨し、==からイエス思想の歴虫的批判研
本
世
代
﹁創
究が要求され、著者はハルナツクが自らの理想なイエス¢申
﹁時
ろ腰罪思想の主潮流を遡ってパウロに至り、更lこパウロミイ
に求めt失敗垂琴鱒しセがら、基督教の歴史の中に箕ひて居
エスの思想の相国に論考し、=の贋罪思想ね又イエス白月に
よで遡り得る写し、=れなもつて基督致の本質でぁろ写し圭。
﹁妖
原罪思想ね本質ミする親方は、サツチル況のハルナツクが
道徳的愛竺翌日をもつて本質ミJ主に此Jて、止揚され㌣新
論な導き出す道程が、方法論に正Lいかごうかlニ問題があ
﹁結
日
しい親方であろミするこモーミ出来ろが、ここでは、かかる
約
﹁基督敦政曾思想史﹂
敷
京
﹁廣
日本調杜建築史﹂ 佐藤 佐
る。﹁疑も克くイエスほ、かく¢如く基督教を特別に一つの
四二山○
大 阪文
罪宗教写して琴平したのである﹂かごうかを決定すろには、
﹁日蓮かマルクスか﹂ 田追憶道春
より詳細寵批判研究が塵封に必要であら、㌔歴史におけろ原
やう写し主著着の不自然光努力があろやうに思ふ。︵三枚︶
罪思想ね前提与し、=れな無理lこもイエス思想の中lこ費見L
﹁鷲
∂β
﹁基 督
数
年
鑑﹂
紳
京
田
橋
米国聖書
田
新
新
禽
拓
田
生
ア
新
生
麟
寺
語﹂
一・八〇
芝
元
甲
萬
証
閣
子 証
子
旦
賞美之日本証
高島米噂菅
日本橋
∵三〇
京 椅
亀谷聖聾者
物
一・五〇
﹁彿門に 入り て﹂ 宮島蓬州著
創
﹁本
堂
﹁密 教
宇井伯蕎著
七・五〇 赤 坂 甲
︵第六︶
中央出版社
日下敵道
本 郷
青田稔弘
∵八〇
聖門研究倉
門﹂
七・00 京 都
東方悌敦協骨
京
芳壕校訂
一入七
生
三 芳
寺
社
座 視
都
泉
名古屋 破
︵原始期篇四︺赤沼智著者
牧野信之助編
三∴五〇 神 田
ス
﹁悟尼豆節すろ法制の研究﹂ 荒木良仙著
二・八〇 奈 良 室
﹁最盛上人御博寵集﹂
﹁印度沸教固有名詞新典﹂
一〇・00
﹁梵文金光明最勝王裡﹂
﹁堂
聖
封﹁加持新藤眞首藤密の解剖ミ其奥俸﹂
﹁鼓
印度哲撃研究﹂
概 論﹂ 高所億昇著
ニュー〇
赤 坂
﹁堂
撃農大経の研究﹂
口本基督致聯盟年鑑部
︹昭利六年度︶
五・〇〇
紳
紳
吉本一真
開
生
﹁近代基督教思想史﹂ヤク・ギファト︹栗原基有・有賀餓太郎謀︶
五・〇〇
丁五〇
﹁聖アランチェコ俸及完全り虜﹂
田
生
菅阿苦著
紳
新
生
田
田
新
細
神
佐竹直金諾
松本貞夫腐
一・〇〇
ケイス
二・00
薇﹂
︵ハロールr・ペグピー︺
田
ル
日曜世界社
寺尾純書詔
大
阪
︵パピニ︶
沖
金井楚一部
田
大水第夫諸
丁五〇
丁五〇
丁二〇
介
潮
︵パピニ︶
丁八〇
澄﹂
紹
堂﹁印 度 洩 談﹂ 泉 芳靖著
・五〇
神 田 救世軍出版部
︵エデブト詑︶ 馬場嘉市
人﹂
・五〇
﹁基督敢の噂向ごその原理﹂
の
﹁日本人の親王る基督﹂
﹁耶
﹁再 生
生
ン﹂
﹁奮約聖書ま解﹂
の
﹁聖オーガスチ
﹁基 督
刊
﹁聖アタナシウス倖及両手受肉論﹂
新
赦
39
新
﹁併 数
刊
年
紹
鮭﹂
論
介
二・三〇
集﹂
巽
京
蓼
京
町
都人
文
書
林
凡
造
行
刊
行
骨
大東出版社
改
同
同
大束出版赦
﹁高借名著全集﹂
︼八八
紳 田 東 方
︹宗典部十九︶
本
郷
書
院
凡 放
︵三枚・上野︶
大正一切経刊行曾
七二︵績帝京部三︶
麹 町 平
十四︵元政上人・日蓮上人篇︶
﹁昭和新纂国藤大歳霹﹂
院
寺
D各thCu巴0∋㌢Aコaコa一ytica一巴udyOf
burF−﹁i舟0∽.
どndOn、l¢隻.
オーストヲⅥソア、メラネシア、北シベリア、印度等を圭七
こての埋葬儀嘘な、スペンサーヤクイラーの背振に屠†る方
法ミ新傾向与しての文化的背景な殊に重税すろ一派の方法ミ
骨 昔々の看過L一冬稚いむのでぁる。
︵青野︶
この種の宅ノダヲクは宗教民族拳の動向な考察する圭ゆにも
鮎もーl=執られ㍗るかゝるカ法lこ負ふ。最近歴々見出さろゝ
概Lて極め七優秀でぁる。よ㍗本署¢内容の長所も恐らく軟
祀 な妥協写しゆ圭見地lこ立つて分析Lてゐろ。その短い序文は
社
Beコdaココ.︵声︶
鼻音興隆骨﹁大正新修大赦粧﹂
併数年鑑社
法
坂
込
都
赤
六︵浄土篇・中︶
芝
芝
十二︵書簡法番篇︶
︵註解二︶
芝
芝
七︵浄土篇・下︶
刊
後輯︼五︵世界艶典外纂︶
前輯一五︵コーラン押下︶
芝
平
前田是山岡和上古橋記念励
︵眞宗叢書︶
都
牛
︵昭和六年度︶
丁八〇
非
﹁親驚上人、蓮如上人染静賛典﹂
信
京
﹁了嘉集銀接然上人和静燈鐘﹂
﹁行
三・五〇
集﹂
︵十二、自隙繹師弟︶
著∵全
﹁高僧名
十三︵在家篇下︶
上﹂
﹁彿数信仰茸話全集﹂
﹁同
全
集﹂
上﹂
﹁世界聖典全集﹂
﹁同
宗
﹁新井石醒全集﹂
﹁曹 洞
﹁彿数倍仰箕話全集﹂
塵0
、
︵青野︶
一
Mar蒜aiコ∴Jgqロ牒︶
吋罵i肌−岩出¢.
すろ世界ほポヰこアイビスムの世界でほなくて、それ托形而上
死臭のみわ嗅ぐ。まさに凍らんミサる世界、来光に生ぜんミ
重義の経験ふ稟了L㌣。そこに、みオカトサックl‡㍗ゞ意Lい
現世界は既に賓定立哉、似非科撃的な懐疑主義、主親的理想
流れてぁる。それは云はばtFO邑sme≦.喜注の壷東である。
求むる言え亡兄らねばならねミの信念が=の審ね一貫Lて
なより㌻iq宕な時代にこ入ったからLて文化り有ゆろ問題の
に他り基督曹準ミ¢季閣¢時代に去つて、よりppO賢︼i雲e
ミスムの脱落マⅤこアンが、今日に於ては聖トマスり哲学に既
ベルグツン曹撃ね捨て㍗カト¶′ツク、マザテン、ネオ=ト
のFO盟∽aコdSp薫¢ぎ蛋ゆA邑彗−W? ﹁のDO已望rAコg欝膏・
功引町軋凱コ.︵声J・︶
ユd.
PO−−d三−−誓芦
嗅及、バビロニア、印度、支部、西蘇ヤギサシヤ、ロマ親心l
ゐる。古代文明み支配>した嘗○訝やspi乱打の宗教上の役割
に於けるスビⅤチェアリズムの要領よき解説が骨子を写して
らnミ思ふ。
が大でぁつ圭=ざを知ろ者にミつては本書は一茸されねばな
〓Orコ0﹁u︵Ⅰ・声︶
WOヨ彗uコd彗でユヨi誉¢ロuddh訂ヨ疇
ザスでのネオーーヘーグリアンの連動ヤプルーラリストのそれ、
畢の世界であろ。フランスでのベルグノン哲学の連動、イギ
併陀時代lこ於ける女性に閲すろ撃究的労作でぁろ。
のでl‡ぁるが、LかLそれらは偏見lこみちてゐろ瓢で送ひに
ドイツの現象撃振の連動等はかゝろ形而上撃の復活な示すも
トOnd昌、−諾〇.
併陀の女性観、併教園優に於けろ比丘尼の生活等に就ての
研究は、必すLも散草し稚いわけではないが、本書¢ように
ムの形而上撃に存すろ。ヘルマン・ヘッセが﹁永劫へ向つて紹
望を吼ゆろ張﹂ミ名付け圭る所謂現代人はカトリック哲単に
人類の救済桑㌣りうろものでない。正・しい救済の道l‡トミス
靂の受任をうろミ。
まミまつたものはなかつ㍗。魂に本書の有難さは、沸教悟国
究に多くの貢がさかれてなる=ミでぁる。
︵樽谷︶
ー八九
渕上る動きが東洋曹馨り急速克移入ヤプロテスタンチスムモ
専ら托=の撃せ通ごて西欧lこ於けろカトリック思想界の磯
毎めぐる女性のそれのみで克く、磨く昔時の女性の生括の研
紹
介
三七九克−見事なろ六薫り潟最版、巻鋭たこけTリス・デブイ
刊
ブ夫人の序文がある。
新
度J
新
刊
紹
介
唯物論等に謝する腰格なる批判ミ排撃ミlこあるこミも見逃ぜ
︵首野︶
一九〇
問題の取扱ひが生写して本質論、方法論或に規範論ミいつ主
−
立論が多かつ圭。
曹撃的倭系から¢もりにぜよ宗況的立場からのもの
−
−
尤も以
にライゼガングは既に他¢艮著もあり本書に於てもよく傾向
上の三書も=¢榛兄事情¢もミに出発否も¢でぁる。=ミ
考へられろ。
ッスラーのカント主義宗教菅撃の概観もやゝ=の傾向写して
静lこもショルツの宗教哲学や部分的ではあろかヘッセンやケ
=り=ゴーェ既に石橋博士も見嘗づけられてゐろが
場を吟味すろミいふ傾向が蘭芽的に出て凍た様である。−−
ミニろが最近の傾向亨して牽界の問題右間琴苦し諸家の立
にLろ
らの
ないミ息ふ。賓際の社食政治連動に封Lて最近益々カトサッ
力¢基感的克問題が一般的に論じられてゐろ。その後最近迄
ク教徒が乗り申して尭圭こさ元手ゝ関学して、フランス、イ
の文献は一般傾向に留意するミいふよりほ寧ろ自己の立場か
る注目を光さねlでならわ。
クリ、γイツlこ於けろ、ネオ・トミストの思想連動には深甚な
Re庭石n名hニ0筈Ph州ed彗の¢g望宅ar吾
﹁e訂Ogangu︵詳ns︶
出e︸t〓n︶−父岩一
R¢ニg︻On名hニ0∽OPh訂d望.穿Wg望Wa﹁汁
StraubぎgOr︵詳i焉i︵ヱ
つけられてゐろ。スッロービンガーの書は問題量元かもゝハ
イハンドでぁろがそ¢囲式的克わけ方持参者ミなる。ニーメ
︵石津︶
イヤーは個々の人に就いて=の内では︼番くわLい照介なし
てゐる。
uコd?undau項aの¢⊂コg内
彗容の照介ほ別に他日に岬づる。
宇軋bur讐−詰り.
E弐uh萱一隅ぎd訂R些g岬On∽習芽gph許
N訂ヨ軋er.︵≠G・︶
口許Me穿Oden
d①rRet噴0⊃¢PhHOgPh叫ederの品eコWaユ■
S巨tg弓t−−¢篭.
〓a¢R裟g6.コMadeUゆe宣の0コ笠bu昏コt
Ru¢¢堅−︵出・︶
宗教菅撃に関する文献をクロノロギツシュにみろなら誰も
気附く=ヾ−であらうが、ライシュレ、ゲーゼの書にわらほれ
る榛lこ十九世紀の最後から今世紀の早い頃迄の文献に於ては
4β
0‡HNat訂コ叫
両耳E珂pmigtiOn呂d
−
p
Cri已0訂m.
トOnd昌こ簑P
に野して鋭い批評ね
澄に﹁何故私にキリス・ト教徒にこ掌り甲ぎを公ヤし主著者が
今叉合理主義者出版協曾より本書中甲して、合理重義の立威
から、宗教−−葺ミLてキリスト教
宗教せは個人的信念の開腹でになく、軟骨を中心ミする紐
投げかけてゐる。
骨的現象でぁるミ前提L、この散骨が人類社食に遜はJた辞
書・罪惑を恩情克く指準してゐろ。性・琴警克死・迫苧意志
げ、此等凡てが知識り方面lこ於ても、道徳り方面lこ於ても党
の自由・正義の観念等キリスト教に於て主要な問項数項を馨
lこその向上費展ね阻止L、人類文化の驚蓮の障書を克すに過
ぎ克いミいふ。
本書は撃的先程論転生ミするも¢では克く、云はゞ常識的
︵請戸︶
克現物ではあるが、著者の紳撃へ¢態度も散見し.その宗教
栽も簡単冤がら明瞭に見ミろこミが出来ろ。
4∂
諸大草に於ける本年度宗教園係
草写して8本草生連盟鮪係讃撃¢もの ー
各科卒業論文題目
−
本門成壇の研究
佐賀山高澄
田立正大撃宗教単科の部
賞家成俳論¢研究
布
丸 山一郡
山 崎 教 生
竹 本 憲 進
谷 海 草
我組の啓治観について
三月常任論
本鰹風刺を牒して本宗の新帝ね論ず
検
鑑 清
海 定
高
論
石陶四郎冶
心
関目抄¢研究
彰
安
田東京帝大宗教単科之部
雄璧.成冶鑑
法妙統一論
河内山
志田原忠
田 藤 本
嘉健
第二イザヤ及び基督に於けろ魔界思想に就いて
敬慶主義に就いて
雛形の道
日蓮上人の事¢一念三千lこ就いて
罪様に就いて
上佐橋
4∂
僅絃沙門道元
菅生状態より見たる新の意味
平安朝に於ける阿弼陀悌信仰
田
柴
原
田
ロイス哲撃に於ける﹁意味﹂ゆ宗教的内観 田 淵
奮豹及び蕃約頻典に現れ圭ろ﹁紳の囲﹂思想lこ就いて
原
永
村
義
密教撃科
田高野山大挙之部
薬師如疲ら儀軌の研究
阿鰯如来の研究
密宗安心論
本費思想¢考察
経軌上より見吾ろ文殊嘗薩の研究
十一面観世音菩薩の研究
不動明王の研究
繹迦大日の同異
歓喜天の研究
印実の研究
弼勤信仰の菅生ミ蓉蓮
念諸法の研究
坂
水
井
率 夫
命 夫
浄土思想の研究
教諭註の研究
川
五十嵐智昭
一般係数耕
給
浮
絆城範 晃典仁 隆英 国 完歌碑
踏 照 遺
元 沫 彰
長 賢一
田 嘉
醇巨已r呂已Fぎ讐諸研究
弘
岩
長谷川行柴
高
阿育王の研究
阿輯耶識の研究
彿性の研究
十佳鬼婆染論り研究
朝
文
修
徽
雄
田
英
日本沸教彫刻馨達史上に現れ余る密教文化に就て
悌敬重衝科
林
倶舎論に於ける恩及五菜成立の研究
鹿
敵
好
村 上
智
三
坂
枚 浦
囲融三静の史的研究
脇
卯月成俳論
阿含lこ於けろ我り問題
照
高
伯 澤 田 澤 尾 富 村本 中 通 島 内
三論宗に於けろ空思想の研究
佐畏苫 藤島三 北藤 田 田 手 井
古代涯悌敦夫街の研究
秀砧有毒 義哉 堵智 信法 退 寮
桧
河
安
神道に於けろ一神教的思想傾向に就いて︵特l二日紳ね中心ミ
田東京帝大印度哲単科之部
.してし
唐朝善導の教義
十地経¢研究
唯哉撃に於けろ三性三無性試
親鸞に於けろ﹁撃﹂−念彿及念併者へり一考察
剛 範 街一螢
三卓限 賢
正 志健三監
節 眞 紀
Y昔邑す少在中心写した古ウバウニシャツドの哲撃思想
lノー
村藤野
−ユ
櫓昔時代の停優形別に拭て
本邦帰敬彫刻史上lこ於ける定朝ゆ地俊
平嚢時代の俳苛招致¢﹂考察
多望塔の研究
奈良庸瑚提苛Ⅵ観音の研究
衆迎塾術り展開にこ兢て
酒井芙智男
田同志痘大挙神輿科之部
幼妃宗教々育の研究
田儀谷大螢宗教単科之部
迷信の心理畢的研究
宗教的パッサージューニ就て
宗教歯術論序祝
ヘーゲルの宗教論
宗教性の水宜的考察
題駒津大聾帰敬単科之部
︼切の単間の意味的本質亡、しての人間現
同山渾師り研究
指月渾師の研究
軸
遇
鈴木花火郡
浅
晋
賀
義 元 不 昇
金 元
塗アウダスティヌスの三︼榊論lこ就いて
英国に於けるツーシァル・セットルメント¢歴史
寿
宜仁漏瑞浣大船
シュライエルマツヘルの教育論
村 藤 野 山 合 弁
連木 浦見川家野山
順 興晃 資 略譜率
英 嘩 誠 導蛮 隆囁 譜
田 佐 河滑 本蓮艮
高鳥小味冊達_
渡鈴
中論研究
天柱躍師の性行及其宗東
参天台五台山詑窄甲心写して¢日未開係
成唯識論lこ於ける諾八識の研究
津撃経lこ現ほれた凄絶思想¢研究
窒息想の関係
現象聾ご沸教
沸教心理学
世親の彿性思想lこ既て
鎌倉時代¢勤王思想
明恵上人の研究
五位たこ閲†る研究
高組渾ミ紳秘性
平安係数の鎌倉係数興起lこ盈lぎぜる影響
阿穏耶舐の研究
西有繹師中心写しての維新以後の宗教聾革免
鮮宗の教育思想
無明容揚の可能の租墟
儀式を中心ミぜる鬼真宗敢々育¢理論ま質際
十地経論の研究
併性鎗な中心ミL㍗世親の思想
松 近 久 岡本 阿 高∴坂阿 川 岩諒鎗角 紳 泉杉菅藤杉伊
添 藤 野 本 田 部 野 野部 内 田 木 田 田 脇 原 田 原本藤
勤源発 受知 諒送大勢良知隆廉支所審良率暁周高
成辣
慮β
椅
温
仙 田 大 覚
花 井 正 磯
加 藤 照 雄
松 永 徹 膵
革業写して骨旦名簿作成の串な穂・し散骨す。
第三の事項に就いてほ配す程¢革もなく、拳聯本年度最後の
れ、衆ろ廿一日研究骨常日たる革み決定する事に・した。第二
芭番校から奨学し圭。別lこ異蔑も冤く大正大拳蛮風も諒ミさ
山九圏
巌
禦
彰
正法眼蔵傭性の巷の研究
到
換
︵峯︶
題目み選挙し㌣る理由.材料等を紹介されて壊、琴冗の思想
劇
最後に帝大柴由君ほ﹁博法抄門濫元しミいふ論女たこつき先づ
子を話され、殊に績勒思想の起掠lこついて詳Lく説明された。
次に大正大草市川君ほ﹁鞠勒思想にこついてLぜいふ論文の骨
構成をも鴻べられ㍗。
いふ論文に就いての内容を簡単に沼介され、叉ロイス管螢の
発づ偉大田淵君ほ﹁ロイス哲畢lこ於ける﹁意味Lの宗教観﹂ま
に指導み受ける穏りであつお。
験談光り、内容なりを漁与、後輩の現生ほそれlこよつて大い
昔日の研究骨に生写して本年度串粟生¢諭文にづいての経
生等合ぜて約三十名であつた。
究曾を開催・L㌣。出席者は宇野、濱田悶艶聞ね始め、尭聾教
言品二日︵土︺午後二時より帝大山上御殿に於て第一回顧
研 究 食
−してほ徒死¢行掛り上、大正大挙わ最初から推す.へく、=れな
形式で決定すべ阜でわづ㍗が、未だ基礎の砲立Lない単嘲せ
︼日閑偽り研究曾の件で、特に第︼の曹番校は本務ほ互選¢
協議事項は、昭和大串度苗番攻の僻も同じぐ委員の伸、冊
渡
良
大 時 建
立十風太
如来戟の耕究
天台敢撃史上の博教大師思想大乱
平田篤胤の排併思想に放て
中
東 音
惧禽論の研究
大乗起信静り研究
田
松
最
併陀ビ感覚
法華の彿貞観に就て
笠
通
猫噺給の論理
龍
韻
取成の宗義挙的考鯨
佐 田 馨
川 村 交
倍伽経済の研究
膀嘗軽の研究
替 児 寛 十
大 屋 弟 膵
高 野 悦 道
尉な通じての宗教々育の瑚諭せ賓際
上代日本の票数思想ミ悌教ビの交渉
田
馬
中
凍
魚
家
薄
生
社食教化ご宗教
骨
着
儒教思想の原始的妾谷に紺する考察
静ミ心畢の関係
員
日本宗教畢々生聯盟報告
委
︼月廿四日︵土︶牛後一時より帝大宗教単研究室にこて開く。
㌣のは大正大挙、日本犬拳委員並びに帝大の重点であ?㌔
折柄祇園期の聾者校に委任されたミ=ス多く昔日参集され
優駿に就いて詳・しく述べられ㌣。
後で宇野先生がら論文についての種々の御感恕ね承り、後
輩に膵lこ書かんど†る卒巣論文について多大の教訓を待た。
赤松常長氏
︵竹男
五時串敬啓、︰れで草生聯盟誕生第一卑の串兼ね終つた。
周密単年度¢嘗番校は大正大畢草野琴丘㌔
火曜研究禽例脅
時 二月十日︵火︶自午後六時
所 紳田同文緒
研究費表、ギリシャに於ける琴覗観念にこ就いて
る迄、過去七ケ年の研究成果でわ・わ。前後常み含むこミ四十
三、菊判四十七草詰十凶行、堂々四千真に毎食必ず索引附け
の彪大なる大著である。誠に撃界の驚異でぁり、金字塔でわ
ろ。その論究は容な追うて益々精細み棲むろもので、博士¢
云はれる如く、﹁これだけの資料を以てすれば︰れだけの︰ミ
は云はれろ﹂の立場な終始離れず、御旗観尾正攻法的論究振
含等め=どにつけても迂潤な=ミは云l‡れ塞い﹂寸ヽ歎ご㍗ゐ
り三零は克ければならわ。或る人が﹁博士の論文ね見ろミ阿
も無理がないミ思ふ。第一瑞序にこ自ら語られる如く、元死﹁歴
史的考察並l二記録の軟けてゐる﹂印度工二於いて、諸思想の起練
於ける霞魂観念が如何lニ生起L費蓮Lて行つ圭かな観念内容
り二重冤現に=閲する匿b喜訂氏¢所説l二繚サギウシヤに
空でほみる。博士は先づ個々の問題わ論究整備﹂て、やがて
家の好都合にのみ扱つて充た三石ふ憾みろばヤむを鉾ないこ
について関心み持つべ与−怖牧草界に於いても.綺もすれば自
ほ極めて困難なろ︰ざは云ふ皇でも兄い。特に最も印度思想
費表者l王立ぎ丁してH訂昌ede巨i洛0机詔︰d辞re厨訂口忘望中
成形費遠年論じて印度哲撃皮り一般的序逃な光すミ云ふ︰電
lこ於けろ縫化写して祝甲し批判乙出席令息が未に問屋ヤ意見
︼九五
進むl=つれて従来¢備散華界の定祝も預多改められて叩くべ
串軍ピ誤ろ︰ごなき様細心の注意わ怠ら布い。博士の研究の♪
す、然も新奇の説を好んで破壊に傾き主観的の礪断に流れ互
Lてむ決・して博統にのみ因にれず、腰写して単的立場な失は
ではあるが、それに泥まず、従って彿数的菅料を取扱ふlこ襟
ものの反射謹明に全組織在韓†ものであろ。博士ほ怖門の′人
み物ぜんヾしされる︰ミほ寛一令の序にこ明であろ。勿論一つの
これ等を背景写して未だ何人も企て及ばなかつ圭印度雫撃史
わ麓示Lて盛倉だつ㍗。
出席骨員七名、九時散骨。
宇井侶葦博士帝箇畢士院寮費領
事井伯葛博士ほ其り有名なる大著印度哲恕研究にこ封Lて、
本年度帝問草+廃貨を受領されお。斯螢の圭めに慶賀昔べき
こごで、果それだけ印度哲撃研究の互ml二者Lい進歩がわづ
㍗こざを記するわけであろ。博士ほ大正十lニ年発づ﹁印度哲
畢研究﹂な世に間ふてより、昭和五年その完犬舎を公刊され
糞
紺
究
今回教授の壌土院賞受賞¢集わ陸軍してひろく江湖ミミも
きであらう。
縄
紀
行
︵稗美紀︶
に慶を同ごうする圭めト額酎み草し㌔教授に射する後車由
非感を謝す。
沖
!−宗教的雑感i
近世日本基督放免は沖縄から始喜㌔﹁予は啓年末、沖縄へ
一九六
ぺテルハイムが倖這に来り、時に弘化二年︵−監eでぁろ。彼
ほ、停道が園雛なる港.新約聖書の葡詩lこ努め、ルカ博は菅
汚にて印刷︺、他聖二福音書ミ使徒行倦ミ托後明治五年lこギ
︵比屋根安定︺
エンナから刊行L㍗。即ち、予が近世日本基督歓史が沖縄か
ら始まるビ科す所以である。﹂
日本に於ける同数の確立
古澤安二郎
ナ回教単校の落成式lこ招待されぺ見撃lニ行?㌔
ハ去る十二月研究室の儀磯節究脅でほ親ら7し′1日本に出奔
れろので、ビショップ代理写して鴎んだ弟でぁる。同島現存
から︰れわ戟ぜて皮相なる乱撃の記事を割愛すろJ
音渾氏の好意lこよつて日本に於ける回数事情の記事を特㌣
七年ぶりで持つ㌣。メソデスト散骨り献堂式が三箇所−こ催さ
り宗教lェ、原始的自然崇拝、支鮮系統の組先崇拝、沸教、基
的、政治的の意味のものであり。かつ軍機の秘密に魔すも㊤
カデイ
ちLい故、﹂ばらく欄き、回教の長老イプラヒム師の日本凍
=れを資見すろこまが出井ろやうでぁろが、それは単に軍事
日本人ご回数寸しり最初の持鯖鮎lミ、日清戦争常時に於て、
督敢でぁろ。予ほ.産にこ基督教の事だけみ記号㌔近世の日
本基督敢皮lミ、カトザックもプロテスタントも、共に沖縄か
訪の年、一九〇年を、回教の鮨めて日本に鞄入された年ミ認
ら費嫡すろ。カトリック神父フ甘ルカrが、併蘭画寄艦lニ発
遣り圭め額づ沖縄へ波づ㍗。彼は天久村り聖攻守︵眞言宗併
つて那覇lこ著L上のは、賢に弘枕元年ハ冨山鳶三月で、日本停
囁︶に留置されt。停遺ほ甚だ困難であつたが、撃乙て二年
めるのが礁竃であらう。
イプラヒム師は、ウーファ禰lこ生ろ、アジア露頭盈の同数
後、羅馬歌島グ∨.ヲリイ第十六世ほ、極東方面に博通6門β
が開かれた三石ふゅで、日本本島亡沖縄諸島ミな併ぜて教区
アル人であつ圭から、日露戦争にょつて別戟されたアジア土
耳首族の民族的筏興を、日本ヾJ提粍Lて欝現な計る=ミの
総本山の長老であり、彼自易、日本人草拳銃ね問うするタタ
能、不能毎観察するこヾ、も、彼り宛訪¢一つの目的でぁつ右卜
ビてL、フすルカドを司教にこ螢け・巾ト。彼の後lこ、ルチエルヂユ、
崎の公軟骨復括lこ功ぁるプチイジャンも.萬娃元年︵︼浣8
アドネ、望ファル蓮が渡琴し、アドネに沖縄にて卑しt。長
沖縄に辣㍗。∵万プロテスタントてほ、猫大系放り英琶利入
腰
ヒム帥に従って、各回数瞬ね巡遊L、彼=そは、明白−こ日本
ビ観察される1彼の掃園1こ際J、山岡光太郎なる人−ミイブ一っ
る。
=の二九l〓年には又、登別比並の皇族エリカジザほ、国
王アサイン一世の親書ね我が国¢今上陛下に奉草し、締結
人最初の回教徒ミ克つ主人ではあるが、彼の回教なるものは
アジア霹西亜艮族の研究を深め、あろひほ大連に回教寺院な
=の間、クルバンダサ氏‘ェ、東京ミ奉天、大連ね在韓L、
エサカジュリ王子はバグダッドに田圃こ圭。
骨議以上の民族連動l‡、之を中止するのやむ塞きにいたり、
ビア各民族の代表者を集め上が、不孝、ぁる事情の㍗めに一
奉天にこて、グルメンガザ氏盲相計り、﹁極東在任回教徒代表者
政治的野心以外の何物でもなかづ㍗。
骨議﹂な開催L、バシキイル、キルギス、トルコマン、アラ
アジア土耳甫族の盟主ミも仰ぐべき日本の職勝盲、イプラ
方面lこ多数の移民在うなか十、一九∵七年、尾西故に革
ヒム師の訪日ミーミ、シぺザア、中央ア汐アの回教碓をLて、
報
勃賛†るヤ、回教土耳音族り避難民lミ頗々満洲1こ入りこ
英語より反讃J
卑、現在では二千人以上−こ琴してゐろ。
九二七年lこlミ奉天の溝助附層地lこ回雛寺院を設立するご同時
琴草したり﹂てゐ上が、一九l〓ハ年十月より粛京に定住L−
−補
二令り出版ね見
一九二〇年九月、日本lこ於て坂本健
るlこい㌣つ圭。この年の十一月、極東露頭パシキイル民族、
㌣コ甘ラン痙が、聖典全集に収められ、
軍lこ封抗亡つゝウラル戦線を抜け、ザバイカル渕l二進出L、
背、回教徒相互の祝儀みlミかり、金曜り鴫拝ミ新帝寸しゎ勘希
l罵
こ、東京市外相殊にこ垂見回教撃校ね創立L、回教徒子弟の敵
及びパシキイル軍隊の代表者ム・ガ・グルメンガり氏は、赤
開L、翌年更にバシキイル軍園の青年将校十名を同伴Lて再
回教徒な統一する機陶写して、十月三日より五日まで、回数
L圭。彼ほ=の回教学校別立を横与し、日本各地に散在する
機を見て容認長ビクメェエフ少賂な伸び、始めて我が悶を廟
=り大骨に於ては﹁在日本回教徒聯盟骨Lの成立を見、倉
螢校lニ於て、在日本回教碓大倉桓開催・L㌣。
日本lこ最初の回教徒の移住こたのほ、︰由、クルバンダタ
蓮■しゎ。
¢他の決議事項写しては、日本
今上陛下御大絹奉覿にこ闘L
バイカル洲、痛洲方面に於ける回教礎商人は漸次日本lこ涙死
島ビLてクルバンダザ氏¢選げれ圭iミほ言を供㍗冤い。そ
氏¢再度の訪日、帥ち一九ニー年に始喜わ。この年以宛、ザ
するこま、日本ま回教諸国寸あ親尊か計そ言、東京1ニ阿歓
賀来及びコオランを捧皐L、東京御賛輩の際、御泊邁に拳法
寺院建立ゆ促魔なつミゆる︰ミ等、等であつ㌔
・し、あろびほ洋服商、ぁるひ‘ミ羅紗欝り、ぺエカサを巣ごL
の各地に散布Jて、宗教的泊菩塞き日本の生括み軍費Jてゐ
東京以下−名古顔、紳戸、九州.仙台、北海道、樺太、朝鮮
−九七
!鯵
梵
かくの如く日本の回数なるものほ.殆んざクルパンダザ氏
一九八
史上に特聾すべき=ヾJで、終盤=の活字の利用lこよりて、こ
一個人の献心的熱誠によつて殴立され圭ミ首つても過膏では
頻るであらう。彼注=の印刷所に於て、神田にぁる、被自責
億数十萬の世界国政徒吉日本ミの具憾的接鰻み計る=ミが出
の創設−こかかほろアラビヤ・トルコ撃倉の卒業枚数名を助碧
セく、=の問、犬義.嶺山、青島、床次諸氏も、彼の熱意に
掛かされ、相魔の掠助ね惜Lま布かつ圭やうである。
目的で、一九lニ○年九月、代々木富ヶ谷に僅かの土地を購入
日本在任回教徒ほ、亡命十年問の努力の結晶な賢現すろた
ゆ、各自零細た金額空曹準し、回教撃校新設及び寺院建立¢
ミこて、日土新興り綴碁に若手︹てゐろ。
裔写して生まれ㍗。バシキイル国は罪周二千萬な敷へる回教
L、翌年、帥ち今年一月、新たな東京回教撃校を琴平し㍗の
彼、クルメンガサ氏ほ、一八九〇年奮箆固バシキイル囲メ
徳の中心地であつて、住民は=ミごゼミウラル・アルタイ民
これの創立記念祭の奉行され圭昭和六年一月十日こそほ、鼓
デヤツタ村り、回教の長老クルパンダず家の第十三代目の後
ラアド回教管長に選l‡れ、ついで一八年バキイル民族り代表
あらう。=り日︰そは、日永在任回教徒の結成、日本回数ゐ
さに日本回教史上、膏、世界回数史上に永く記憶さるべきで
族lニ威すろ純粋蓑包人種でぁる。彼ほ一九一六年、ペトロダ
ざ花り、バシキイル自冶共和国の建設に努力こ、一九二〇年
クルバンダり借上司祭りもミに、団歌側¢出席者ほ、ハル
確立の質現ざれ上白であつ㍗。
極東蕗領バシキイル民族.及びバキシイル軍隊の代表ヾ1なつ
系各語草に造詣探きほ勿論、つミに尾西豊丘族な研究・して、
ビン、釜山、九州、岡山、紳戸、名古屋、仙台∵函館等の代
表者な始め、日本在住約六官¢アジア土考古族の梓をちつめ
㍗人物でぁる。回教の僧正ミこて、専門の宗教学、アラビア
ル・アルタイ民族り大食一の理想lこ向つて、一生を騰・Lてぁ
汎スラグイズムの労務を砲撃し、土耳首ミ日本ご毎貫くウラ
来賓側写して、かれて彼らな韓凛乙てゐ圭頗山浦翁な攣頭lニ
会名。その他、犬養、床次両氏の成解、親電りもヾ−1こ、感謝
井上哲次郎、鎌田桑蓄、内田良平、鳥居親裁氏等以下、四十
ろ隠れ㍗る、偉大な宗教家でぁり、かつ志士でぁる。
彼ll更に一九二八年八月、常時の市兼東京市長の好意によ
の新繕わ捧げるクルバンガザの蟹lこ、眼にこ盗れた熱誠ほ、脅
り、多摩基地の一刻lこ首坪の回教徒共同基地を謀りうけ、更
に一九二九年の殊にlミ、スタシアウルより鑑別比亜活字な購
衆に蒔い感激ね典へずにはぁなかつt。
の三つである。クルパンガザ氏ほ、寺院塵立許可を文部大臣 戯
凍る問題ほ、回数寺院の建立、完全なるコサテンり日本評
入Lて、東洋にこ於けろ唯一の印刷所な設け、極東回教徒ね始
め、世界回教徒の㍗め、教科書、及び宗教育な印刷・しはCめ
た1この、鑑刺比蕊活字が日本に到着・し告︰ビ托、日本文鶴
先に申綺L、近く、西山宗教局長の悉カlこより、正式の許可
かミいふわけでほ決Lてない。彼等ほ日本に於て、何等宗教
LかL勿論彼等が、我々日本人lこ封・して何物かみ零求Jてゐ
劾謬・し得る人は紹封に居ないのであろ。彿欝謬、喝路辞、英
Jてゐるのであるが、今、日本に於て原語のアラビア静から
う¢クルパンダサ氏も、一日も早く靭諾の計盗み建てやうミ
正Lいコサテンの詔諸、これもなかなか至難の菜であら
げてゐる。
的泊害を蒙らね。その⋮事に㌣い,して葛へ、多大の感謝を捧
を奥へられる=ミに克つてゐる。
讃外囲り例を参考草すろ光らlで、倫敦ではlニ官五十萬固の
寺院を市が回教徒lこ寄附Lてゐスてし、巴凰の回数寺院には、
併国政府ほ三有高朗の補助を典へてゐる。伯林でl‡l般猫乙
瑠本巻佳回教徒の僅か克寄附硬立金をもつてすれば、東京
語讃のいづれかからの童謡ならば、開腹ほたちどころに解決
人の寄附わ仰ぎ、五十萬胤の骨盤ね建立L㌣。
於て、数千圃の木造一棟食の寺院ならば直ちlこ茸現される
のを見るであら、㌔クルパンダザ氏の熱意に必ずや最後の=
我々は、近き賂死に於て、必ずや︰の至難の発の賓現される
的立場から解澤され王コオランに過ぎないのである。こかこ
Lい意味のコオランの轍鮒を倖へてゐ互い。いづれも基督敏
するのみでぁるが、前述の如く上陀三園語諸のいづれも、正
どであらう。︺か亡被らほ、東京の、いな、日本¢餞面¢
沌
\
\否めに、出発待べくんば酌由三大都市りそれlこ近いものを持
ち主いざ欲t々ゐる。
由来日本人ほ、彼等回教徒等が、我国ノ㊥厨族の盟主ミ仰ぎ
¢二つの問題!1寺院建立ミコオラン直接諸!な征服する
細大なる敬意ミ関心ミを示Lてゐるにも係ほらず、彼等につ
いて何物わも知ろミ=ろが互い。又、何物をも知らうミ︺な
であらう。
日本にこ於ける回教の確立冨培密に首ふならば、日本在住
い。我々の知ってゐる回教怒るものは、千有余年聞、回教徒i
られ圭回数である。我々の知つてゐる中世紀の席見なるもの
lこ正魔に=の開腹を親採こ㍗揚食、遺憾ながら、モもそも日
回教徒潜成の確立は、以上の如く貨現され圭のであるが、定
散財的位置l=あつた基骨敦の阻に、異端ミLて映つ圭、歪め
吏、特に十学軍のそれの如むほ、偏見ねもつて書かれた基世
本lこ回教の輪入され㌣どいふ革質なさへ、菅寧し塞ければ叱
故聴り、偲捕にみちた膵蔚でぁる。我々は回数の隆盛時代、
基督裁縫の文化が未だ野啓の域ぉ腹せなかつ六番賓さへ、看
︼九九
でぁる。然らば何故団歌ほ日本人lこ豊の影響も典へ七かつ圭
それほ回教の稔入でほ克く、鼻先る回教徒の移住であるから
ら克いやうでぁろ。回数が何等日本人に影響を典へない以上
=れが我々宅間系民族であり、かっ我々を師表ドぜん亡羊
過するやうに致へられて雄㍗。
を¢ば℃て禿てゐる民族に射する、邁普七待遇法であらうか。
牽
蟄
戦
か。原田ほ無数にあるだらうが、モ¢第llこ光るべ.きものけ
つて、回教叱るものlェ永遠の異端一し・して排斥されてゐろから
近代文明を痘んだものが基督教徒でぁり、そ¢基督教徒にミ
である。それミ同時lこ、近世、及び現代に於て、回教徒側か
ら一人の博大なろ単著も﹂英機も出現Lなかつた、ミいふ嘩
回教光るものは、誤解されてゐる如く、決Jて叙の宗教で
由にもミづくものでほ光いだらうか。
もなけれげ、過去の宗教でも克い。むLろ脛死の宗教亨して
最高億を嬰求すべき性質のものである。眞¢意味の日本国敢
の確立、それほ絡束ね慎つのみ。
一
夜
記−・
ミ和語りたい。特に識すべきこヾJlミ曹料爛傾
△常lこ本誌に於てほ充賓t柔内容を盛り得るこ
向・解説偶に極ゆて軍雪花論文をのぜ得る:
ミでわる。この意味で識者li既に本誌の=れ
性質を異に−してゐぁこミを熟知ぜられるでわ
琴の櫛の記事が一般雑靂の併藷二段物軍全然
らう。ある好撃宕は宗教研究lニは更科儲さへ
あればよいミ械雷Lたこミがあつ㌣。論説顧
lこ観音ては冗言わ要L布い。愚者の側に於て
も執筆者の側に於ても=のこミを知ってい圭
だき圭い。
劃l七た。留意か乞ふ。
△徒死生ぐJて零零新刊尚書の解説批評にあて
た第三磯か将来は更に︰り外lこ宗教踊係の研
究思潮¢傾向批判展望をものLた論文を載ぜ
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弘跡偶の梵蔵本及びを㈲話梓的研究kの印刷上
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昭利六年三月十五日印刷
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