松 岡 静 雄 - 日本宗教学会

卜
卜占lこ
占
つ
いく
に
つ
い
て
松
岡
静
雄
hツーこするのが通説であるが、卜占は必しも物の裏面を察する為に行はれるものではなく、寧ろ表
から、語幹はタラであらねばならぬ。タラには裏といふ意があるので、裏を察し表を澄
る研がないとしても、我上代信仰にも此見方が適合するかは、賓詮に待つの外はない。
言語畢上から考察を試みようと思ふ。
ボクセン
ト占はいふまでもなく漢語で、我々は曹遁タラナヒといふのであるが、ナヒは活用語尾
西洋の畢者の詭であるからというて、漫然之に附和することの出家ぬは勿論、促に理論
見なすものがあ㌻ク、此語が輿へる概念如何によつては、私も之に同意せんとするもの
占の本質と、之にノ関する上代入の観念とである。近時之をダイナマチズム︵物力信仰︶の一現象と
とも極めて必要ではぁるけれども、我々が第一に知りたいと思ふことは、宗教的行事と
説明が輿へられて居らぬので、甚物足らぬ心地がする。出典、滞義、嘉式、沿革等を研
我上代人の卜占徐については、倖信友の正卜考を始め、先導の考澄が少くはないが、
メ≠古
卜占lこぅ高■て
二
両に現はれた宰相によ㌔正嘗往列断を下さんとするものであるから、之を某と名づける
出狙ぬ。我々ほ出水る限♭、語原を我国語の範囲内に求めることに努めねばならぬが、
甘んじてまでも、国語の凋特を主張すべき理由がないから﹂之を求めて待ざる場合には
ほト兆をタラオクといひ、中央カⅤリシ語では人の鰯に占することをタラボエといふ。ガエ︵ブ
族語から類似語を物色して、其原義を考察する必要がある。私の知る限りに於ては、バ
0000
エ︶ほ乗務といふ意で、タラ︵イラ︶ほ謂の鶉であるから、国語のタラも恐らくは之と同原から出
たのであらう。若し然うとすれば原義は判断といふことで、之を行ふことをタラナヒと
にあはせる▼、とをタラヘ︵り二フ・アへの約︶といふのである。
タ占の如く用ひるのは顕著の義によるものであるが、之から出たカタ︵カはケの原語︶といふ語も
0
タラナヒ又はタラへ打点には其種即ち占断資料となるべき事物を必要とする。之をケ
ユフケ
象兆を意味する。ケ又はカタほ天痩地異其他の自然現象又は夢想の如き精細現象にも之
或は政令事由又は特定の品物を之にあて、其によつて檎占、造往古、辻占、足︵葦占︶、山菅占、
石占、肱︵準占︶、米︵飯︶占、琴占、次占、警、婁等と耕へ、或は駁撃亀の如く文字を以て
之を表示することがあるっ
占術の室田については、フトマエといふ語が之を暗示するのみで、次のやうに用ひら
劃貯
︹鱒占︰於是壷紳議云、今春節塾之手稲鮎、滑宜白兎紳之御所︰帥共重義矢神之
之命以、和恥肺紗爾卜相而詔之⋮享。
牟、如此螢時、布斗摩邁爾占相而、求−両軸之心︼⋮・・⋮。
†−丁ト
︹晋︺於是天皇忠勝而御藩之時、野手御夢白、修三理我宮知夫皇之御争者、御子
ヱ47
神代紀には太古といふ字をあて、此云海刀磨撃と訓証してある。日本紀私記に鹿
ノ †マニといふと詭き、繹紀師説に太占讃一恵町一竣工甲大鉢衰也としたのは、
物の寵に或はされたもので守るに足らぬが、マテを任︵隻︶又は訂肝︵守部︶与る読も、上文
資料、即ち占料であらねばならぬから、現用語以外に英語原を物色して見る必要がある。之と陶
○ の語艦上肯定し難く、7トマ
ウラシp
係があγりさうに思はれるのは左記三語である。
了アユ。−1蓼骨法則上:となる。†はマジ︵禁厭︶の作因たる細入以外の室物を意醸する廃
語で、アニは宴魂の意のミクワネシア語であるが、オニと樽呼して我観に於ても幽魂︵鬼︶の
義に用ひられた。−夜叉、羅別の如きものをオ⋮稀へるやうになつたのは後世の樽義で
つ
い
て
ある1されはマの塞といふ意を以て三と呼ばれるものが卜占を掌ると宿せられたことも
あり得る。
卜占に
▲
J ▲
つ
い
て
四
調和カを意晩するメラネシア語で、之を有する品物も亦マナと辟へられる。キーンに
下占lこ
マナ。−
ょれば美原義は﹁要具﹂﹁紳通力あるLといふこよで、フィジー、サ薫ア、マオブ人間にも用
ひられ、其用法から見ると、同語のマジと頗る趣を同うし、他人を益し若くは之を草する作
用をも併せてマナと稀へるから、或は上記と語尿を問うするものであるかも知れぬ。
マヌ。−1禽就中家弟を意唆す右ガタネジア語である。天岩屋β倦詭七常世長鴨島を集へ鳴か
/
しめたとあるのも、日出を促すかいふ憲政の外に、此鳥︵家弟︶の鳴饗によつて拳奥の可否を
卜したことを暗示するものゝやうで過るから、其大なるものといふ意を以て、フLrマニと耗
へたのかも知れぬ。
私は鱒−の解辞に徒はうとするものである。何となれば高天原の神々もフトマニに占ふことを
要し、夢枕め現はれわぃ潮境をも之に問はねばならなかったとせられた所を見ると、卜占の宴典は
いからで⑯針ゾ遮書式由時祭卜御燈の健下並に蓉宮新年祭大敵十七座中にト庭攣一座とめるのは
↓
醐以外のもの1カにかる/とせねぼならす、紳を除いて超人的窒カを有するものは、マの外にはな
ウラ、バ
祭紳は吼にもあれ、卜占嗟を鎮護する紳で、卜占の紳を意療するものではない。江次第は御捷御
J名9
占、紳戒宮人鼻朔日l籠義軍過去詔声明紳−とあり、碑名帳に左京二億坐紳敢二座として太詔月命
紳、久慈鼻密輸醐竜を並び端げて居る所を見ると、之をト庭癖と稀へ牒ものと思はれるが∵後紀
′〆
亀兆侍に太詔β紳を天櫛待︵久慈眞智︶紳ノ女島津比東命の一名であるといひ、新撰亀粕記に太詔
、1チ
声調敵を亀本敢、櫛問智醐を母鹿木調也、一云櫛玉命としたのは、俗歌取るに足らぬ。
卜占lこ つ い て
かった。然るに人智が進むに徒ひ、幽明の疎隔ほ金主大きくわアり、直接の啓義は勿論、耕夢轟
少くとも族長ほ自由に紳に接近⊥得るものと考へたので、紳慮を知る事はさしで困難とせられな
をも聞き得るものと信じ、・−盛らくは異常の興奮によつて幻親幻詭を逸したのであらう。
も萄敢の祭には多く其面影を止めて居る。禽衆は火光明滅の問に頑の姿を見、時としてほ紳の畢
れた。此は決して私一個の垂想ではなく、天岩屋βの記事は其光景を叙したもので、現在に於て
て和室の降臨を請ふと、随時に出現して所要の啓示を輿へ、禽集と軟欒を共にするものと宿せら
に於ては極めて密接なものとせられ、夜間燈火を焚いて蔵人が集合し、浮憐を備へ、歌舞を奏し
マニに問うたかといふことは大に研究を要する問鴇である。人間と紳、就中剋醐との交渉は太古
卜占ほ我国に於ては主として紳慮を聞くために行はれるのに、何故に直接軸に問はすしてフト
以て卜占の璽因が二醐にあるとすることは出水ぬ。
とすべきで、卜占の事を管掌した中臣氏の組紳が卜庭に鏡祭せられたことは有り得るが、其故を
の意︶、太ノブトの紳は紳代紀一書に天見屋命が解除之大詳解を掌ったとあるから、此紳の別戟
ハラヘフトノりトコト
の命は尊卑舟艇に藤原氏の遽剋紳魂命の子に櫛鼻孔魂命とろるに皆盲︵クシは婁奇、†チは御ま
ハハカ
∫4ク
ト占lこ
つ
いーて
六
を仰ぐことすら稀有になつたので、随時紳慮を問ひ得るやうに、フト了−を介したのであらう。
右の如く観察すると、我民族に謝する限り、卜占は第二次生の宗教行事で、ア⋮チズムに先
行するものと見ることは出凍ぬ。或は諾禍二尊侍詮に見えることの故を以て、原始宗教観念とす
るものがあるかも知れぬが、此苗は二紳に託して性交起原を叙べたもので、良貨と見ることが出
奔ぬのみならす、フトマニに占ふ程ならば、憩々高天原へ締らすとも、此国土に於て事を辞する
告であ㍗り、造物まと目せられた此偉大なる両軸が事の盲凶を判断する婁カを有しなかったとする
のも、理に合はぬことであるから、或は紆天、卜占を説かぬ紀の本文の方が虎侍に近く、記及紀
0
寧天見屋命、布刀玉命南、内敦天香山之眞男鹿之肩︼披而、取夷香山之天汲準大名而、争占
占断資料即ち占料に関する最初の記事は古事記天岩屋βの尊下の左め一節である。
︼書の所説は、卜占術が敬遠した後に於て附加せられた挿話でぁるかも知れぬ。
ユワラシp
00
令麻迦郵汲一而⋮⋮⋮⋮⋮。
卒爾に之を読むと、眞男鹿之肩と天汲々迦とが占合の材料であるかのやうに見えるので、亀卜術
橡入後之に引つけて、魔の肩は肝骨を意味し、之を灼く鰯に汲々迦といふ木を用ひたと解辞せら
J上砂
れ、秤日本紀によれば私記にも上古之時未知亀甲︰ト以鹿肩骨l両用也,謂乏フトマニ︼とあり、
亀兆侍といふ書物には高天原に於ては魔の肩骨を灼いて占うたが、不確賓であるので亀甲を用ひ
l
るやぅになつたといふことが、神格化せられセ白兵男鹿と、亀の精なる大詔月命との話に仮託し
フィガウ
天岩屋月の神事に虚を用ひたことは紀の一書︵一︶にも見えるが、螢効表名鹿之皮l以作夷羽撃
卜占lこ
つ
い
て
て紀の本文及一書のいづれにもない記事は、之ばからではないが、仔細に研究すると、其々理由
白であるから、之を棄てるについては細管に考慮が暑されたものとせねばならぬ。記のみに見え
者が古事記の存在を知らなかった筈はなく、記紀雨音を並び行はしめる方針でなかったこぅも明
あるのに、何故に紀に之を峻厳しなかったかといふことは一考を要する問題である。日本紀の編
附なく、汲汲迦についても他に所見がないから、記の記事は全然別個の一兵侍と見るべきもので
とある。羽韓は吹革のことであるから、之に虚皮を用ひたことは有ら得るが、勿論卜占には関係
0
を仰ぎたいと考へて居るーー此立場から私は上掲の一節に就いて研か検討を試みる。
しも虎詭ではなく、補綴の痕が嶽薯である。此事については私は近く一静文を蓉表して江湖の敦
にし、且鮮句を分析して其本旨を推究することを要する。−此見方によれば古事記.の侍承は必
就中郁代侍設を青むにほ、一書の東のみに拘泥せす、他の諸侍と比較して異同を生じた理由を明
なつたのは奇とするに足らぬことでぁるが、之を澄披として青侍を解辞することは出凍ぬ。古書、
行はれたのでぁるから、後世神政等に於て古式に法るものとして、賓際に鹿肝骨を用ひるやうに
て、舌言を交へ、青侍訣の辟旬を引いて叙述せられて居る。平安朝に於てすら右のやうな憶説が
∫∂J
卜占に
つ
い
て
のあることで、其感度の適否はともかくも、決して粗洞杜撰の結果ではないから、此一節も亦史
官ぉして首肯せしむる,しとの出凍ぬ黙があつたものと思はれる。恐らくは卜占の目的が判明せサ
ー▲内攻にした眞男鹿の用途も不明であるからであらう。内﹄故天香
ー1寒奥の可否を卜する虜ならば、最初に行はるべきで、常世の長鴨島が之に用ひられたと思は
○
れることは上述の通らである
0
0
0
山之典男虚之声紋而とあるから、天香山之天渡波迦と同一用途に充てられたものであらねばなら
0
ぬとま張するものがあぁかも知れぬが、﹁而﹂の字を以て次の事項と結びつけたのは此ばからでは
なく、以下にも争占合威迦都政︺而、取壷自丹寸享有丹寸事由、布斗詔β言藤白面、際立声紋繭
等の如く、必然句の切れる夙をも亜く此字を以て接薦して居るので、若し蓮績観念を表示するも
生じた誤解で、萬乗集第十四肇の﹁むさし野にうらへかたやき﹂といふ歌をも之によつて設かうと
のとせば、轟く裳鮨夢垂於番軍也にか∼らねばならぬ。私記以下の設は上下を儲けて讃んだ焉に
ヽヽヽ0000
カタヤキ
したものがあるが︵奥儀抄等︶、此カタヤキは肩焼ではなく兆灼の意である。
靡肩骨を卜占に用ひたと説くものは骨、貌志倭人樽に其俗拳レ事行凍有レ所芸多趣灼ゾ骨而卜、以
占壱凶発声炉卜、其鮮加こ令亀法り成東耕一占兆とあるを引覆するが、此書に謂ふ倭人は昔時九州
地方に古住した異民族︵恐らくは海人族であらう︶の事で、大和民族を意晩するものではないのみ
なちす、骨とあるからというて直に虎肩と断定することは出務まい。、親先の遺骨に重力があると
∫∂β
凡
して之を珍襲する習俗は今も南方人に於て之を見ることであるから、此骨は人骨であつたかも知 描
′
れぬ。蒙古では古家羊の肩骨を卜占に用ひるから︹薩藩政別記︺、夙に我国に侍ほつたこともあり得
ウヅヌキ
○
べく、伊勢貞女が横賞したのも︹正卜考︺英一片と思はれるが、血の穣を最も忌むペしとした上代の
○
細事に、内政にした鹿肩が用ひられたとは考へられす、肩は必しも肩骨を意簸せぬ。然るに新撰
之を要するに占合に用ひたのは汲々迦のみで、ハふカは謀の語幹♪カの塵頭語であるから、†
亀相記といふ書に鹿之肩骨内攻々出とし、不レ剣r皮而取也と註したのは思ひ切った憶断といはぬ
ばならぬ虻
ハカル
占用の木に此名辞を奥へたものと思はれる。其用法は不明であるが、狩谷統率説の如く白樺の古
ウラシp
名であるとすれば、其内皮は薄膚をなし、且斑鮎の多いものであるから、卜料とするに遺骨する。
延書式臨時祭に凡年中御卜料軍政加太皮、仰東和固有封敢−令痍準とあるのは、奥儀妙によれば
亀甲を灼く袋に用ひられたもの∼やうであるが、恐らくほ亀卜法藻用後之に特用せられたのであ
ら,フ0
.右の如く一定の材料を用ひるやうになつたのは、卜占術蓉蓮の︼階梯で、憂に進んでは人工を
つ
い
て
以てカタ︵兆︶を現缶するやうになり、カタヤキ︵兆灼︶といふことが符はれた。左の古歌が之を澄
明するb
卜占に
つ
い
て
武藤野にタラヘカタヤキまさでにものらぬ君が名うらに出にけ♭
丁†
⋮⋮ゆきの海人のほつてのタラへをカタヤキて行かむとするに⋮⋮・・
︹竺四︺
卜占lこ
ヽヽヽ
妄〓五︺
一Q
之を肩癖とすることの非なるは上述の通わで、兆灼の義とすれば灼かれるのはタラへであら
ならぬ。タラへはタラハ︵占糞︶の輯呼で、革質の潤尭を焦がすと色々の象が現はれるから、之に
よつて占師しセもの∼やうである。舌の歌のタラへに何の稟を用ひセか判明せぬが、冬青科のタ
ラエフ︵汲慮樹︶の葉は最も之に通するので、中園地方では今もガクッキ葉と稀へて見戯の用に供
する。亀卜も亦此種に属するものであるが、唐土侍凍の法なること明白であるのみならす、
の日常の卜占に供用せらるペきものではない。
私は目撃卯㌢等の上代占法ドも言及するつもちでぁつたが、輿へられた紙数が曹長から、
後日の横合に譲ることにする︵四月二十九且。
J∠撼
東
田
大
併緩行相の方面より見たる阿戯耶識概念の展開︵承前︶
唯歳三十額
童
今まで遽ペた所は、大健世琴二十項以前の経論の重要なるものに就いて、所縁行初の方面から
阿頗耶の概念を明にしたのであるが、進んで斯くの如き所説を背景として世親ほ、唯識三十頭の
中に如何に之を纏めたかを見ねばならね。三十頗に於いて、阿鰯耶識の所縁行相を同港とせる頭
句は、
監室戸まditpkOp到di邑l到n葛琶pptikp巨星t象、
といふのである。此の句は以前に見たる経論の中で何れの部分に基いて纏められたかと云ふに、
第一に此の頗句に於いて現はれて居る所の不可知︵藁乱瓦.di訂打p︶及び虞︵邑碧且等の句が、稔
伽五十一巻即ち決定蔵諭︵又は顕揚聖教論第十七巷︶の節線行相を問題とせる併に明に現軋れ、解
深密鮭の節婦引用文には明かに現はれて居ないといふことが注意せられる。そこで世親は1南東
断線行相の市野与り見辛ろ阿輯耶織機念¢展開
J∂き
席緩行相り方面より見玉島阿轍耶級概念の展観
芸
五十一番の内外に分ちて述べられたもの・に基づいて、此の頗旬に纏め克ものではある皇いかと推
沸せらるゝq
然らば此の頚句を如何に解辞すペきか。先つ之に対する玄英謬を示すと、﹁不可知執安藤T﹂の
七字で、梵文に嘗てはめると、不可知︵琶賢iditpkp︶執受︵首監i︶虜︵賢阿且了︵5.篭芹p︶
となる。さて此の一連の複合詞に食まる∼世親の眞意は如何といふ問題に移るのであるが、それ
を決定するためには、頗自身として覇立に考へることが非常に必要なことであるけれども、然し
目下の我々には困難であるから、上述の経論と此の頓に射する諸家の註繹を根墟として、其の最
澄を探求することにする。此の探求のために、その一助としてlニ十頚の異謬光る異諦繹の帝議論
の文を出すと、
問此紙何相村境、答相暮劃期不
開署腎云何知有、答由事故知有此汲、此戴能盆一切煩悩発見報事、嘗郊忽明云々。︵大正綬、三丁六一貫︶
となつて居る。此の文の中﹁相及墳不可分別Lの七字が、前の一連の旬に舶嘗する。此の句の意味
は﹁阿腰耶識の鵜及び境は了知し難し﹂と云ふことで、次の﹁一髄無轟﹂の句は梵文安志繹や成
論等に於いて現はれて居る所の﹁阿頗耶識は身健々掻給し安危を同じくするLと云ふのに相督する
と思はれる。そこで此の﹁粕及境不可分別Lの句を更に細別するに、此の﹁不可分別Lの四字が琵▲
梨好
診5▲ditp打pに梱督するとすれば、﹁相及壕﹂の三字は他の
ヽヽ
ヽヽヽヽ
併厳存相の方面より見余る阿柏耶哉概念の展開
尋賀・邑−ぎP黒ずp声の何れに該督す
ヽヽヽヽヽヽヽ
く解せられる。盛︵筆削毒︶は両者共に傍線として異論はないが、了別︵孟出馬ti︶に至っては、
ま要なる行粕で、執受︵月計訂阜︶はをの目的格に置かれて居た関係上、名鑑iは靡終に属する如
畠註︵占p劉d勘np︶はその行相に属する様に解せられる。廃し玄奨謬では、了別︵鼻音p叶i︶が其の
ヽヽ
叉ほ執着を以て阿超耶の重要なるはたらきとせられて居たから、それに細管すると思ほれる併の
ヽヽ
ヽ 簡略にして其の意味の把捉に苦しむが、之を前掲喩伽の文を根接にして考へると、畢諦謬では持
が行細に、何れが所縁に威するかを吟味せねばならぬ。此の三十頗論及び博識諭にあつては、文
斯く梵文の握監∵賢ぎp・孟許苫の三語が、所縁行初の二つに該恭されるとすれば、其の何れ
語でもなく、却ってそれ等を意凍上より紐帯Lて示したる註繹的謬出である。
る。斯く見て凍るj、此の﹁鶴及境Lは玄共謬の﹁行相及所縁﹂に皆るもので、土掲梵文の何れの評
に於いて、玄賛辞の所縁に相督する異講評の語が境になつて居ることからも推測はつくことであ
ヽ
︵欝mヴ巨エに該督するものでなければなちぬ。此の拳は已に見たる稔伽五十一巻の雨謬封照の文
を表して居る.。若し斯くの如く粕が許腎pであるとすれば、此の場合の境は、勿論玄焚謬の所縁
ヽ
焚譜の欝腎pに細管する。玄炎は此の註皆ず一軍諾するに巧にも行舶といふ琴ぞ用ひて其の意療
ヽヽ
る評語であらうか。思ふに此の粕といふのほ、此の場合、阿頗耶がはたらくすがたといふ意味で、
ヽ
ヽ
∫占ア
遍
節操行相の蓄より見吉阿驚鼓慧の普
玄警はま要なる行袖にされて居るが、異諦では一向其の意味が浮出の
然し博識諭の前掲の文の中に1阿麒耶識の存在は、恰も無明の如く、煩悩を生する単によ老知
らるLと云って居る所の事︵;ラキ︶が、前掲の一決定衆論に於けるが如くそれに細管するかとも ヽ
考へられるが、然し之も註梓的意霹で直接竜骨の慧とは考へられな
の竜宮は明かに行初の部類に威すべきもので、それは悪に於いても
ヽ 唯不可知︵琶旨旨kp︶だけが、前の喩伽の誉では虜のみにか∼る形容詞の如くであったが、 ヽ
警は博識諭の文の如く所管行警にか∼か隊に思はれる。此は多蛋親が唯零畢の根本命
塩雪1阿陀芸は深紳官﹂といふ警考慮して、その所縁行箕に分別し警警﹁不可知﹂
として苦して要のであらう。斯く考へ呈で此の壷の複合詞に含まれ
悪評に基づいて洗って見ると、1阿戯耶識は内には執受し外には警了別する、而して所縁行相
共に不可知で雪﹂といふことに雪が、玄莫謬を通じて考へると、1阿超耶識は内部の執受と外
部の盛上め二写別する、而して所縁も術細長に不可知である﹂とい
の中で世親の真意は、列警決定は出慧が、後者の方よりは、むしろ
と考へられる。此の雪間の相違は、魯iが巷ptlにか∼るか香かといふ鮎である。此祭 ヽ
監の焦鮎になる併で、此の息⋮︵阜旦の解禁何が雨着のま張の頼漕要す警ある
∫お
と思はれる。此の事は次に述べんとする梵文安慧滞と、成唯識論とに於いて詳細に考究すること
とする○
梵文安吾繹
最近シルダァン・レブヰ教授によトてネポールより馨見され、一九二五年にフランスより出版せら
れたる此の繹は、隷想外に小朋なもので、然も所論も成唯識論に於けるが如く煩雑を極めたもの
ではない。我国に於いても高柄、荻原両博士の謬も已に現はれ、今日で粛三十頗研究としての最
も根本的資料の一となつて居る。安慧は前掲の頗句を辞するに替って、先つ前述稔伽五十一に基
mp已n訂訂Eb嘗P卦nir裟㌣
づいて、殆んどそれを引用せるかの如き文が見受けられる。即ち梵文︵レブヰ教授出版本︶第十九
頁に、
断線行相り方面より見王る阿粗画趣無念め展薗
u官d野鼠j許ptぎb鼓rd訂︰げ胃ぎ鼓nn欝ぎb鼻呂雪苧
るのでl‡なくLて、節線も行相も、不明瞭なり三富ほれる。所以li如何。帥ち阿轍耶識は二更にこ略ずろかちでぁる。内部で
が就かるべ与−でぁる。何ミ光れば、無併線戎lミ無行相の戎ほ可能光らざろが故に。耳lこ彼の識は無折線或ほ無行相ミ云托れ
r著・し樗識︵安慧は前六識を意味す諸法の椅哉ごl工具る︺みほなれて阿頼耶識がぁるならば、然らば阿頼耶識の所縁叉ほ行相
評富t卦p、蛋賢d首禦2冒up毘ぎp許p罵ik弓Pitp等ag賢欝已niゴ臥p忌旨n打払dbi溝gn巨indr官皇宮巨象旨ニュ
冒盲早ご塵息d註竜凰登旨をd註訂p雲邑ate、乳首竺mam
r旨急呈欝np臣y且箋︷ミロ乱Y:呂ロi邑冒b琶p巨nir宗野p許↓段苫t三日払二乳首・pp
Y乳ip声量ti意群雲宣i乱打l巴n巴a苫鼻研ぎ巴守邑ごatOゼぎE訂n巴声欝琶.〇忌古村す童阜\
J戯l
所緩行相望苗より見上る阿租耶武概念の展開
=ハ
比熱受の了別から︵轄亡︶、外部では不明瞭な行相にょりて券の丁別から︵樽する︶、モり申で内部の執受芸ふのに邁計所働
の自性に、執着†る習嵐ミ、俵蕗ミ陽光る免租ミ名ミでああ。﹄
と述べ、次に本頗が出さ、れて居る。此の引用文のkil芸弓・蔓ヱ所以は如何︶以下は吾々が已に
見たる決定減論に其の位基づいたものと思はれるが、最後の名︵昆きこよ云ふ吐けが特に多い様
である。然し名ハn旨巨︶は色を除きたる心的方南即ち開港に怒号ると考へらる∼から、之が附
︶
加せられて居ても、其の考へ方に彼方的の相違を凍すほどのものではない。此の引用文は本
前に述べられて居るもので、安芸としては、此は本頗を解辞する根披として示Lて居ると思はれ
る。即ち彼は次に本頭の琵乳首1dlt賢琶ldi邑1詳ln豊富−1k邑⋮t乳を出し之を繹して日く、
置き賢賢愚dir−竃min琶賢d匡賢邑賢ゑ茸首s︸己nlを首鼠膏宣⋮覧鼓臣首註登ざ意音i打邑、
1不可知の執警虞の丁別孟有言L昆、かの阿頼耶鼓が不可知¢敬愛の俄雪光り、不可知中庭り了別り俄雪誉こ
ミでぁる。
即ち安悪では本頗を二つに分けて考へて居る、T阿藤耶識は不可知的に執受する根本的賓在であ √−11
︵
り、二不可知的に虚を了別する根本議であると云ふのであるQ変に進んで彼は此の二項七細かく
111111
説明して居る。先つ第一去嶺の怠diを説明して之はu嘗浮ln芸あるとして居る。此の昆d冒
ヽヽ
るもの即ち封墳の意味か判然としない、然し直接彼の説明叙述の上から見るに、むしろ此の
才β0
ヽヽヽヽヽヽヽヽ
を食ませて居るものと考へらる∼。此の事は印度﹂般の考へ万札習慣であつて一語に過程とその
ヽヽヽヽ
結果、又ははたらきとそのはたらかれるものとを含ませて表現せらる∼のが常である。故に亡や
監賢pには阿戯耶識り能執受の作用と席親愛の射場とが倉よせられて居る。此の後者即ち所執受
r甘藍id訂rnlp註已海象呂抑$、tH旨db試■巴賢叫邑j研ぎe︻致m註註首0
の封境は此の場合に於いては紋も亦二つに分けて智東と朗俵となして説明して居る。此の中、智
東︵象彗且より説明して日く、
。p監賢邑u芯di甘mp苫n急tm註註合筆凶音pt
でぁる、それ︵執受︶は復㌔我等の分別の習嵐ミ、色等の法り分別の習嵐ミでぁる。
首盲di寡言a㌻訂r宣毒さp芸ニ︷〓ptノ・野呂ぎー巴i隷葺ぎ賢品等l]iYik弓pぎp15.eつ芯寧i︷叫ue首e\
up巴ご﹂にl︼p㌫許p
に、阿岡部誠によりて、我等の分別ミ、色寄り分別ミが、具陳与して観せられる。是lこ由て我等の分別ミ色等の分別ミの習
鼻 筋縁者相¢カ村上り見㍗る阿観取鼓概念¢展訊
軒P⋮賢n邑=意di三乳r蔓苧︼賢賢㌔︰抑妻号⋮・1ニn鼓箋号︼il昏−⋮ミ1ぎ苫pu琶鼠u盲罫書11p宅n亭
次に、所依︵乳コ〆yエを阻にして日く。
する﹂となす瓢に似通って居る。
に開いて具憶的に説明して屠るものである。此の鮎は奥講評の﹁画展耶識は邪我見習勢力に執着
ことを示すもので、前に﹁偏計桝執の自性に執着せる智東﹂と云ったもめを疲では更に我法二執
即ち此の女を要約して云へば、我等色寄り妄執分別を起すの因、即ち習窺を阿頗耶識が執持せる
嵐が執受三雲はれるゅであろ。b
J6J
斯織布相の方面より見来る阿報耶哉概念の展開
︳日e訂叫◇加古儒m邑怠n:乳薫別di三
r申して執受昆、所管軌持するこ盲である。所儀ほ自慢にして、俄雪倶誉色警、警でぁる、更にそれが︵自憾を︶
軌受†る=ミ即ち待生する=モー1、空して安穏なるが故−こそれが執愛でぁる。b
?享㌔阿頼耶識の所依ほ一般的に云へば身髄である。此の身髄を執持することは即ち趣に生
することであつて安危を共にし一億主ろて居る、樽識諭に﹁一億無讐主雪て居るのが之
督すると思はれる。
以上の智東と所依とが阿頗耶識の執♯する射場である。
此の智東と併依とを阿頼耶が執持するについて、安慧は之室一界に約して述べて居る
を取って云へば、欲色二界に於ける阿鰯耶は此の二を執するが、無色界に於いては色が
から名と、智東としての色だけを執するとe此の革も解深密経、及び決定寂諭等に其の塩基つい
て居る。最後に、1虞の了別﹂といふことの説明は、単に1器世間任所の了別﹂︵s夢削n孟茸tir−b尋
琶lOk蔓ぎi泉豊雇−音︶と云ふて居るだけである。漸くして阿頗耶識の所縁及び共作用は不明
瞭であるから之を1不可知Lとすると説明して此の問題に射する大髄の滞を終って居る。
以上の此の安慧の将に就いて考へるに、執受︵息dぎp︶は、阿戯耶が自己の所依たる身健に対
する作用である。今、前掲の経論に就いて述べた所から、暫く阿腰耶と阿陀郊とを別っ
Jββ
ば、此の場合も表面上は阿頗耶の説明ではあるが、内賓はむしろ本務の阿陀耶︵削ぎ且といふ賓
在の併用と見るが適切である。阿頗耶︵巴蔓︶としての直接の説明は、梵本第十八頁に、
ざ言二琶言邑毘料−乳訂dh≡J賢j邑︼ぎ賢聖賢箋三巴py与旨腎琶itご登ま官u、
凡ての餓染沫の種子の任所㌣るが故lこ阿頼耶ごいふ巴寧苫ミ賢紗冒せー‡同義語でぁる。
或は叉、此のものゝ中lこ於いて、︼切の諸法が、奥の状態写して、簸ぜられ、執せられる。
at訂Y賢苫nteup冒ib乳首邑e寧日i−1Sprヨdb宅急一︸村腎苫b訂扁nミ
邑邑叫宣eup鼓b乱b宣e試rぶpb訂鳶np琶Y乳訂rmeマit句ふ︼蔓凰こ
或ほ、彼︵アラヤ︶は乱の状態ミLて、諸法の中に蔵ぜられ、執ぜらる、ミいふのが阿轍耶でぁる。
庸緩行相の方面より見㍗ろ阿積耶裁板念の展廟
然し乍ら、か∼る賓在的阿頗耶が丁別の識として立てられて凍る。安慧は、﹁了別することが識
此の方面にほ暫く観れすに進んで行く︶
阿穣耶讃が、善悪業の異熟として考へられてゐる鮎が、其の根底となるが、目下の問題としてほ
の賓在的の打我として輪廻樽生のま健たる考が食まれて居る。︵翰麹特生のま憶としての此の考は
憶を自己り併依として執受して居るものと詭明されることとなる。弦に従妹の経論と等しく有情
の根城を持つペきである。そこで、阿陀郵と同一成せられ光る阿頼耶は、智東を執持し、且っ身
直接、執裁の意味は示されて居らぬ。執務の意味め方は、むしろ前の阿陀郵の能執受の作用にそ
と説明して居るのが相管する。即ち、技では、簡裁と、所蔵との意味が述べられて居るが、然し
Jβ∂
新線存相の方面より見㍗る阿無耶裁概念の展開
二〇
であるL︵孟昌l鞋ti孟雷畠巨︶と詭画して、始めて此の賓在的なる阿頗耶に識を結び付けて居る。
此が丁別識として立てられた上から見れば、智東も身憾も、その折経と考へられるであらうが、
︵st訂np︶だけである。即ち、智東も身倦も、客観的意味の所縁としてほ説明さ
然し上述の説明では、了別議としでの阿腰耶の所縁として克てられるものほ、習気でもなく身俵
でもなく、見靂
れすむしろ形而上畢的意療の所依、︵乳rp箋︶としての精細な説明が施されて居るのである。
新の如き説明の粘から考へて凍れば、三十頗の所縁行軸に射する安慧の見解は、﹁阿願耶誠は内面
的には智東と身髄とを不可知的に執受せる賓在であり、外面的には、器世間を不可知駒に了別せ
る認識的の讃でJのるLと、いふことになるであらう。同じく阿頗耶識のはたらきであつても、此
の勒愛する作用と、丁別する作用とは、各々其の封象を異にし、性質を異にする所に、彼の一説明
の列間さが現はれて居る。故に彼の説明による阿戯耶識の概念構成には、形而上畢的の賓在概念
と認識論的の主観概念との混入、又は融合が存する。
ち問題は依然として執受︵ロp監ぎエに関する薪で、安芸が本項ぉ出す以前に稔伽諭に基づいて述
本薗を解辞する前に述べて居る鮎と、本項の解滞に際しての叙述とが幾分相違す′阜㌫である。即
以上で大髄安慧の考を纏めて見たのであるが、弦に一言邁べて置かねばならぬことは、安慧が
\
べたる文は、最後のー1p−日野を除けば殆んど重く玄炎謬と一致する。故にそこでは乳首賢日野mu官一
JβI
隷
d賢息曾p注ぎとなつて古賀旨は皇宮ptiにか∼ろ楼になつて居る。然るに本頚の解特に替って
は、卓詳岳と孟ぎptiとは、彼は之を断然囁別して無関係に
仮令それは賛意自身の立志とし
現はれて居る以上は、此の昔時一方にはか∼る解渾が存し
ー
如膚に考へらるべきか。吾々は安慧自身の主意は直接本領を細藤せる鮎にあ♭と考へて、上越の
ー
如く論じたのであ牒が、然し玄典謬と殆んど一致する梵文が
て引用したものではないとしても
て層化ものと見ねばならぬ。然も安芸と同時代にして少し後輩とせらる∼護法の考へ方が、重く
唯
識
静
それと一致することを考ふれば思竿ばに過ぎるであらう。
▲成
成唯識論は、舌凍十大諭師蔑の合挽と耕せられるが、此は意思の要求に依ら玄英が護法談を正
義として、他の詭を批評的に帯出した右のとせられて居る。故に此の書は護法政の唯識説を述べ
たる根本的書物である。此の諭に於ける目下の問題に関しての説明は、第二巷竿頃より翠末まで
及んで居る、非常に詳細にして煩雑な説明でぁるが、その大部分ほ四分詭に関する論議である¢
今煩萩を避けんために之を省略し、本頚に対する直接詑明の大綱を限りに掠め、之を一般的賂群
と名け、次にその一々の項目について説明を加へる庭を、仮に特長的細滞と名けて解説を試みる
折線行相の盈より見圭る阿綴耶裁概念の展覿
g6j
輝線行相の分有より見たる阿糧都議概念の展開
ことゝする。
何一′般的略辞
前鴻の三十頚の頗句を、玄葵は﹃不可知執安産了﹄と辞した。後世、之を訓粘して﹃不可知の執
受と、庭と、了となb﹄と凄まれて居る。それは、成唯識論の解説に基づける訓讃であつて、導
諭に於いては此の頚の構成語一々牽分類し、か∼る訓粘を導き出す様にこ説明せられて居るからで
ぁる。先つ本頗直接の説明とせらる∼部分だけを纏めて見よう。
此讃行柏餅級云何、講義凰刊
了l謂了別、郎是行相、識以丁別、馬行相故、
威謂慮屏、郎希世間、是諸有情併依鹿故.
軌効有二、謂諸種子、及有根身、
諸種子者、講話相名分別習気、
有根身者∵謂諸色根及根依虚、
此二曹是諒所執受、珪盛身醍、同安危故︵大正威、三一二〇東︶
粛矧射者、謂此行相、頼微細故、難可了知、
名、
可知、︹大正裁、三丁二束︶
或此所執、内執受境、亦微細故
外港世間、量難測故、
此度に掲げた文だけが、本項の﹁不可知執受虜了﹂に射する直接説明の骨子である。此文
Jβ¢
導諭の趣意に依れば、1了﹂が阿頼融識のはたらき︵行相︶で﹁虞﹂と﹁執受Lとは其の封境︵所練︶とせ
前述の解深密経及び稔伽諭の文と比較するに、大健其の意味に於いては相違はないと云ひ稗
、、
ヽヽヽヽ
られて居l乞此の中、1庭﹂と1不可知Lとは別に異論はないとしても、﹁了Lと﹁執受﹂とに於いて少
し考慮哲彿ふべき問題が存するのである。先つ1了﹂を阿輯耶識の行相とする鮎を、上述の解深密
鮭、漁伽諭等に於いて見た所と比較するに、解深密軽に於ける叙述は、技に引用せる﹁執受
■ノ
.1■
は川一
..ヽ
ヽヒJ.−■L︻乙●’一︻●ヽ
島r一人ヽレ
の項目に女け細管するもので、爾謬共に其の封境に射する阿頗耶識のはたらきは、了別では
ーーl一一
して、取︵又ほ執受︶でぁった、徹って導諭に於いて讃博さ釘ろ一方﹂よしj茄ト“謹虐力老ぃオ
て居らぬ。然るに稔伽諭に就いて見るに、眞諦謬の決定戎諭に於いては、持又は執着といふ
を用ひ、解深密経に近い意味を表はして居るが、玄共謬に於いては、﹁襲着﹂といふ語を用
もあるけれども、特に1了別﹂といふ語が重要成せられて居る。然もそこでは、上に見たるが如く、
此の1不可知執安藤了﹂に相督する文意が認められるから、導諭の此文は解深密終に基きて註辞せ
るものではなくして、全く稔伽五十一巻の文に基きて許したことは直に首肯せらるゝ所であ
更に1執受Lといふ粘に就いで見るに、此の項は速く解深密終に基いては居逐が、そこでは阿頼
耶のはたらきとなつて居る。ぬるに、伽政論に凍ると、兎も角、此のはたらきを受縫いで居
ヽヽヽヽヽヽヽ
腋存するが、特に玄莫謬に於いては、此の執受が執愛されるものの意疲に解せられ、了別作
二三
所義行相の方面より見来る何積恥裁概念の展開
断線行細め頂薗より見㍗る阿轍耶鼓概念の展開
二四
対象として連ペられて居る。此の鮎ほ特に吾々の注意を惹く。梵文安慧膵を顧みると、執受︵声7
監野鼠︶には、はたらきと其の封境との二つが食まれて、その場合﹁了別L︵孟ぎpt■山︶とは無関係に
取扱はれて居る。此事は解深密鮭、決定液諭、及び、掻大衆論等に於げると同じである。
然るに具玄鞋謬鎗伽五十一巻の所に鑑接塞ける導諭に於いてほ、執受は阿戯耶のほたらきと云
はんよりは、寧ろ其の封壇とせられ、了別が之に封するのはたらきとして説明せられる。故に執
受の中に食まるペき阿頼耶のはたらき方南は軽成せられて磨るのでぁる。
以上、導諭の趣旨に基づき、重要なる鮎の一二を既往の経論のそれ等に比較して略述したので
あるが、今導諭の趣意よら釈れて、直接前掲の文に接すれば、その執受の説明の文中、﹁頼子と有
ヽヽヽヽヽ
ヽヽヽ
根身との二は阿腰耶誠に親愛せらる﹂といふ熱が琵澄を惹く。種子と有枚身とが所執受であると
ヽヽヽ
すれば、阿願琳は、此等に対して髄執受の作用を有するものでなくてはならぬ。此の串は、・阿腰
耶識と同一識憶とせられて居る阿陀都議が、﹁種子及び諸の色根を執拝して鼓ざらしむ﹂︵導碧空一
巻.大正歳﹁ニ二・二室頁︶とせられて居る粘と同一成せらるべきものであつて、此の粘から考へると導
諭に於いても明かに、﹁執受Lに阿腰耶の作用と其の暫境とが含ませられて居ることが想像せられ
る。此の鮎に関して慈恩は連記︵三本、大正穀、讐三一一六東︶に於いて、詳細に安悪と護放とを比較し
て諭するけれども、暫くか∼る趣意を離れ文そのものを如賓に軌する時、大燈上述の経論の文意
j防ぎ
と︸致するを見る。故に吾々は之を仮に一般的終滞と名けた。そこで進んで此の中の各項目、印 畑
特異的細浮
ち執受︵種子、有級身︶と轟と了との各項の純粋を吟痩せねばならぬ。
勒
上記引用の導諭の文が大健前述経論のものと綴りに一致すると見ても、書々は此等の各項目の
.一、−ち﹂1川■
巨こ
無⋮叶碩ゼ新ほ
..∴こーー1.︰..一l一ヽ
山砂月八抒裏朋
rゝ.ン:−Ll■
目鯛胡釣β粧掬
封⋮列何︰鰯個所当イ
▲t▲−トトK▲−I一ヽ
混′到岸﹂厳
′.︰一.﹁■Lこヽ︳.†こL
山男〟甘蹄劇惑汚﹂l列鯛拙い相加
:、,..一ヽ−占﹁.−I:一tノ::一tT︳
一々の細説を吟癒するにつれて、轟々成唯識論の特異なる論述に目を惹かる∼であらう。先づ種
子の説明一軍見ると、
0 0
細別奄しコJ諸 曇郎鼻敬川逮酢月山弔一旬一重濾川討“羽
柏陽、如最知聴不達唯故。︵二巷.大正蔵、三丁一︼東︶
と述べて居る。即ち阿頗耶識の有する種子は希薄法種であつて、無頼法種は此の誠に依附して居る
といふことになる。従って所縁としての種子は有漏法種のみで無滞積は所縁ではない、而して有
滞種が所縁た♭うる理由を尋ぬれば、之を阿頗耶識が所持して居るからであると云ふに過ぎない。
恭し有滞種を抵簿して居るといふことは∵礪子が阿麒耶に射して依止としての関係にあると考へ
うるけれども、認識的丁別作用に対する客観的意娩の節操といふ関係にあるとは考へられ待ざる
ものでぁる。帥ち接待といふ事は所縁とせちる∼理由にはなり得ないと考へる。都って無瀦種の
方を見ると、阿頗耶に依附せるが故に新緑でないと云ふ。此ほ無滞積存立の依止を阿患部に托し
節線行相¢方面より見たる阿楓耶裁概念の展朋
断線行劇の方面より見tろ阿精耶識概念の展開
二六
て依附としたものであらうけれ共、依附といふことが非所縁を決定する理由と打アり得ないことも
なる無漏種が依附して居るといふ考へ方が賓に理解に苦しむものであつて、玄英謬の唯識経論は
能と同じである。困に此の阿腰耶誠と無漏種子との関係を考へて濁るに、元凍染なる阿頗耶に浮
ヽヽ
現はれて居るのが見受けらる∼。殊に世親揖諭の評に於いては、眞諦澤は無漏種の銀波を法身と
多くかゝる関係になつて居る。例へば、鎗伽五十二審の終り頃にも、又散大衆論群論等にも此が
︵円︶ヽヽ
して居るのに反し、玄英謬でほ﹃一阿戯耶に寄存す﹄となつて居るもので、此の寄在といふ語が成
唯識論では依附といふ語に鼻へられ、一骨外面的に排去せられて居る。是は護法唯識詭の常に問
、、
︵ポ︶ヽヽ
ヽヽ
有根易についてほ、導論︵二巷、大正蔵、三一・一一兵︶lミ
題となる虔で、つヰチ,ほ位相別諭の根本的考察に関係して居る鮎である。
000
有根易者謂具熟艶利共l樹種l成熟力塾側色租及根俵虔帥内犬種及廊達也。
有根身は内犬種と所造の色とで、平たく云へば個人的の身健を指したものに外なむぬ。これは皆
ヽヽ
阿頗耶識が有する特有の種子よサ壁似したものであるとh与す。技に舜似と云ふて居る鮎に就いて
は舌凍より問題解渾の一焦鮎となつて居るほどに註梓家間に色々論議されて居るが、此が吟味は
次にこ謀ること1する。以上の種子と有根身とが即ち執受と云はれて居るものである。
0
次に虔については、
∫7β
○
璧届者、謂鼻熟裁由共矧劇熟剥倒、襲似色等書世同相、部外大隠及併進色。︵維讃有情断壁各別而相相似昆術無異如来療
明各室似こ︵二巷大正蔵、三丁二〇東︶
前者の個人的身憶は個別的のものであるから不共和の種子より挺するのであるが、此の終世間の
ヽヽ
ヽヽ
方は有備共通のものであるから共舶の荏よ♭挺する。而して此等の種子は凡て阿頗耶識が有する
所の牒ので、それより凡て挺するといふのが特に大切なる桝である。
ヽヽ
以上で稲子、有根身、器世間の三に就て導諭の詭明を見たのであるが、碍子は阿藤耶の所持す
ヽヽ
るもの、宿根身と器世間とは阿頗耶が塵似するものとせられ、かくして第二巷︵大正鼓、三三妄︶
●−■よヽ
lヽ血■l
略乱此惑閲歴
ヽ
として辞められて居る。斯くの如く見ると、有蒋種、有根身及び器界は凡て、阿超耶識より襲す
ることになる。然らば此の欒するといふことは如何なる意簸であるか。進んで導論に求むるに、
斯♯希相の方面より見失る阿糧耶裁概念の展劇
種板器の三を挺するもので、・決して分別カによ♭て捷するものではない、′・而も燈せられた
の文がある。此が恐らく塵の有力なる解渾であら乙ノ。即ち第八異熟議は、因縁カによりて前述
凧︵弟二審、大正戴、三丁二真︶
二、
随分別勢力故塾、和必有用、後世条項、異熱誠墾、但確固繰、斯学色専必有‡
有漏鼓襲、略有二種、一隊困繰勢力敬愛
∫7f
断線行相の方面より見㌣る阿粗廊念触念り展開
二八
等のものほ、現貰の物健であち賞の作用を有するものである。以上が導諭の文面に現はれたる阿
鷹耶讃の特異の慶衰である。
さて斯くの如き作用を濁す阿頗邪論が果して了別件周の議としての説明であるか背かといふこ
とを考ふるに、何人と錐も重く一種特異なる認をなして居ることに束が付くであらう、即ち此は議
ヽヽヽヽ
としての訣明でなくて、全く形而上琴約賓在として萬物教生蒋慶の詭明である。然らば識として
の阿腰耶の説明は如何に現ほれて居るかと云ふに、導諭︵二審、大正戎、三一・一〇頁︶に
執受及塵、倶是㈲劇、
阿栂耶親、国旗力故、白魔生時、内壁各種、及有根貞.外車各港、郎盈、萄行相秩之両得起故。
ヽ と云ひ、更に本頻の了︵孟茸pti︶を解辞して、
到着謂異熟読、於白餅繰、有了別用、判別用、見分所溝。
と詭明して居る。即ち阿頗耶識は自己が因繰カによりて慶じたる種板器の三に封して、之を併放
として了別作用をなす。即ち此の三を、阿頗耶讃の細分とし、之に対する了別作用を見身となして
居る。弦に徒凍の形而上畢的賞在としての阿願耶は、一韓して全く概念を異にする認識静的の丁
ヽヽヽヽヽヽヽヽ
別識として現はれて凍る。而して盛を了別するのみならや執受をも了別する。此の場合の親愛は
ヽヽ
全く作用の意味でほなくて、執受せられるもの∼憲政である。斯くの如くして﹁所鼻を以て自の
J7月
所縁となす﹂といムー句が、形而上畢的貰在としての阿頗耶識と、認識論駒丁別識とLての阿嶺 都
耶識とを詰合せしむる楔句となつて居る。そこで導論に於ける三十頚の傍線行粕の偽句の解帝は
次の如ぐ撮められる。﹁阿頗、耶識は、内では執受を了別し外には藤を了別す、執受せられるもの
ほ智東と有根身とめるが故にそれは凡て所縁である。而Lて此の併続も能線の了別も不可知なる
るであらう。、然し之を玄弊謬出の玲伽五十一巻の文に照らせば、全く符節を合するが
が故に不可知と挿せらる﹂と。此の解浄は前に越べたる解帝と比較すれば、直に其の相違鮎は列
ヽヽヽヽ
然ん導論の主張は翠に此れ曳けに止まらず、更に一骨の飛躍を示して﹃斯くの如き阿頗耶識の併
ヽヽ 繰︵柚子、有根身、器界︶は、凡て阿腰耶白健から因縁カによ♭て襲名したものである﹄といふ特
別重要なる一句が加へられて居る。此の命題は賓に護法唯識の特異なぇ根本生命をなすものでめ
って、若し不幸にしてそれが省かれるが如きことあれば﹂護法の所謂萬法唯識の理論的根披の崩
壊を凍たすほどに蚤要なるものである。故に慈恩は越記︵大正或、四三・三一七頁︶に此の阿腰耶恕
ヽヽ
の麺焉を辞して生舜、妹麺、執舜の三義を以つで大いに解説に努めて居るが、此の説明は本文む
−
明瞭ならしむるものではへ仏くて却て不可解なる迷宮に導入し、樽凍の唯識論ぉして益々曲解せし
むるが如く威せらるゝ。
二九
青々は成唯識論に於ける説明の大健を見終った。同席すれば書々は導諭の改明を賂滞と細澤と
斯繰行相の方面より見余ろ阿頼耶就職念の展開
所縁行相り方面より見㌣る阿粗耶哉概念の展開
三〇
に分けて見た。一般的絡辞に於いては、已王安悪等の説明と大憶同じであつたが、特異的細帝に
於いては、導論特有の註粋が高調されて居る。此の略群と細辞とは慣らに便宜上分けたもので、
導諭の上では雨着は勿論入り組んで示されて居るのである。然らば導論の眞意は何れにあるかと
云へば、勿論特異的細辞の方にあるもので、導諭としては略滞の方もその趣意で解商すべきもの
である。そこで此の所縁行初の問題に対する安慧と謹法との解藤の相違鮎を明瞭にするために、
次ド比較表示をして見よう。
︵
︵折線︶
︵形而上拳的、宴在としての阿癖耶︶
認識論的、丁別諒としての阿超耶
㈲、執受する︷銅板摘〓∨︵震︶形而上畢拇、嘗謹としての阿超耶
︶
外、了別するー一塩
︵認諺静的.了別讃としての阿頼耶︶
此の南東比較上に現はる∼雨着共通鮎は、阿頗耶議が虞を所縁として了別するといふ認識論的
ヽ−.ノ 解帝位であらう。初速鮎としては、一安志が執受︵痘註計︶をば、阿頗耶の主なる作用と解する
J74
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
に射し、護法の細渾では執受される賓在的のものと解し之を所縁として扱って居る。故に前者が
′■lヽ
智東を執持し有根身を所依︵款rP竃︶として執拝するといふ形而上畢的説明をなすに射し、後者は
︶ 此等を所妹として了別するといふ認識論的の説明を高潮する。二種、枚、蕗の三を阿腰耶が自健
の因練カより挺するといふ導冷暗奥の形而上畢的重鎮は、安慧に於いては更に認められざる鮎で
ある。
斯iの如く導論に於ける護汲沢の主張は、他の噂識詭と非常なる相違を示して居るもので、十
大諭師詭の合経と解せらるゝも、飼ほそれ以外に偶数外の諸派の哲畢設、特に教諭況︵乱舞首a︶
の影響の甚大なることを想像せしむるほどである。それは兎も角、導諭に於ける阿戯耶識の概念
︵
見静li仝七十論に於いてE竃或は竹r当量み寄主琴して居る、例へば第十頓にこ
邑凰琶ロみ有事ミ宜して居るが如く
は、上述の経論を基礎として異常なる展開をなしたものであると解すべきであらう。
二
染汚阿栂耶、練炭如境、起四穏顔.即是法執、而非人執、俵安慧宗、作如是訊。
↓ 田淵、解深密経疏警六綺歳、第三十四奮・第四那、三六〇紙︶
■
︶ヽヽヽ
である。
密改研究︵弟二十六兢︶月給資隆氏﹁小乗典籍lこ於ける阿頼耶﹂
農評詩世親掻絵巻三︵大正蔵、三丁︼七四賀︶
併操行相の方固より見㍗る阿籍耶我概念の展駒
︵
滞日、出七種芋許、誠三種集諦故、名出鹿。謂三無性良知本無染汚、後撃二陣垢故、名最清浄。三乗邁往曲流生故、名舜界。
論日、出世最清浄法界流財政、
ノア茸
新線希相の方面より見tろ耐轍耶舐概念の展開
三二
足閉篭習徒最強浮法界流出故、不入本裁性掻、此崇弦月食間兼習因、聞瀬習田臭本誌、間諜習巣亦異本鼓。
封 玄弊辞世親擁静、撃二人大正歳、三一・三三四東︶
︵論日︶聞兼官者、即急長橋浮法界等流正閏箪習、随在蒜併俵梅屋者、謂随空相鏡特産、寄在異熟式中。
′■︳ヽ
︵繹日︶非阿轍耶弐、典阿輯耶裁雄同塵倶噂、而阿栂耶識患、非阿噂耶識衣、還如以前水乳和合、場所飲時乱造水在、留喩鋲
薪、叉如世間待離欲時、於這頼耶哉申、非等引地煩條薫習漸誠、其等引地善沃素習漸増而待噂依。
刃Ⅵ
開閉解語の構成と静々の追加
−
︵上︶
原
田
敏
明
昔事記及び日本書紀に現はれたる天地開国の説話に就いて見るに、もとく古事記並びに書紀
の諸説は、その内容に於いて夫々どれだけか相違してをるのであるが、殊に古事記及び書紀本文
の物語は、雨着相互に非常な蓮ひがあるのみならす、書紀一書の何れと対比して見ても、その構
造が一暦複雑なるものとなつてをろと云ふことが出水る。
今これを濁ら開陶の時に出現する赫々に就いて見ても、既に古事記の所侍と書紀の所侍とは具
合了,、書紀一書の諸侍も夫々どれだけか相違してをる場合が多い。即ち書紀本文に於いては閏常
立昔を最初の紳とするに対して、古事記の方では更にその以前に別天神五代を設けて、天御中ま
紳を以て第一の紳とする。而して此の天御中ま紳を最初の紳とする記銘は、古事記の外に書紀に
於いては唯だその第四の一書の第二項にあるのみである。但し古語拾遺の如きほ却ってこれに依
つてをるのでぁる。
開閉新艇の♯成ミ所々の追加
J77
開脚劇話の構成呈所々の追加
三四
此の囲常立食を以て始まる書紀本文その他の物語と、更にそれよりも古く天御中ま紳よち説き
起す古事記の物語とは、単に後者が前者よらも詳細に物語られたものとのみすることは出凍ない。
而して書紀第四の一書中の天御中ま紳に関する物語は、もとよりその記銘が極めて簡単であるた
めに明かにし難い鮎もあるが、その物語の外に既に陶常立紳系の物語が別にそれよ♭以前に述べ
られてあり、むしろ天御中主軸に関する物語は一説として併記されてをるのでぁる。これは﹁少
くとも日本紀の編者は此の侍を陶常立尊を圭座とする諸姉と封此して天地初教の時に生れし耕の
︵一︶
異なる樽であることを認めたものと解せられる﹂。
か1る考に基づいて、古事記に於いては既にその開閉物語の記事に於いても、此の二種の物語
が或ひは重複して食まれてをるのでほないかと云ふ疑問を抱くことが出凍るのである。此の考を
更に助けるものとしては、かの第闊の一書に於いて観常立食に初まる物語と並存してをる、天御
中ま紳に初まる物語に於いても、音聾記の脊索の物語と同じく、高天放と云ふことが示されて居
ることである。高天原主嵩ふことは、開聞説話に於いてほ此の二侍所の外に全く見雷らないこと
である。二Jれに依っても此の二の記騰がもとく同一起原に敬するものであると云ふことを裏書
きするものゝやうに思ほれる。
僻ほ又、舌簿記巻頭に於ける﹁天地初螢﹂といふ思想と、﹁葵閉経如浮脂而久羅下部洲多陀用解凍
Jア∂
之時﹂j云ふ考とには、明かにそこに並存することの出撃仏い矛盾がある。もとより此の場合の
1天地初野と云ふ思想は、必然的に天御中ま紳の物語に包含されてゐたものではない。而して恐
閏常立寄に就いては、古事記によると、﹁訓憩云垂許︰訓彗宇多知ことあるが、本居宣長は、
三五
叉六に、筑紫爾萱、山乃骨伎、野之衣寸鬼世常、伴廟乎、濱邁之とある骨伎も極みを
も云へら。高桑十五に安来都知乃骨許比簡宇艮爾とあるを以て、天にも云ふべきこと
1茸許は骨許に通ひて同じ。凡て底とは上にまれ、下にまれ、梼にまれ、至り極まる虞を何方にて
︵︼︶
ら、これが観察を試みることにする。
のでぁる。即ち爾紳の軸名に表はれたる夫々の紳の内容の差異、及びその働きの類同
もと別儀の物語として、各々淘立に存在したものであつたと云ふことを確かにするこ
〓
これらは物語の形式的方南からの理由であるが、僻ほその内容的方面から見ても、
組織を竪へたものであると云ってよからうと思ふ。
∽津田敬武氏﹁紳代史ミ宗教思想の螢蓮﹂七〇。
らくは古事記の物語の編者が、此の二つの物語を結び付けるに普って、一を他に
J79
′
三大
こと打でり。L﹁立は都知と通ひて同じ。その軋は書紀に圃狭樋尊を亦臼歯狭立食占ある是なり﹂と
︵二︶
阿閑静詩の構成ミ紳々の追加
︵三︶
云ってをる。併し津田左右富民は矢或、固常立といふ漢字の意味通らに解するがよいとしてをら
︵四︶ れる。
併しそれほ何れにして牒、観と云ひ、常と云ふのは地上に於ける現世的な内容を持ったもので
あら、即ち古代人の考としての世界、若くは宇宙と云ふやうなものは、むしろまとして此の地上
に於ける現賓の世界であつたので、それが紳格化されたものであると見ることが出凍よう。殊に
その食稀若てほ美稀である﹁立L即ち﹁都知Lも、畢なる柿餅に過ぎゃして、主宰すると云ふやうな
考は殆んど食まれて居ないのであつて、換言すればこれは畢なる大地の細評rtFG已であるよ云
ふことが出凍るも
た時、始めて生じたとしてをられる。もとより﹁天Lと云ふのに直接に天又は宇宙と云ふほどの意
これに対して天御中重油に於いては、既に津田左右富民はこれを以て天と云ふ支部思想に観れ
︵五︶アノ
味を、特に附輿するまでもないことではあるが、一の宮群又は美辞として添付したものと見るに
しても、一の宇宙又は世界の中心に位して居ると云ふ意味は充分に認められる。併しながら此の
/ 紳名のま要部分ほむしろ﹁きにあら、即ち主宰者としての紳格が最も強く衷はれて居るものゝや
うに思はれる。
Jと紗
若しこれだけの区別が、固常立食と天御中宝前との間に許されるものとしたら、それは思想の
形式としでも、明らかに後者の方が進んだ段階にあ♭、従って一骨後代に教生したものと見るこ
とが出凍よう。
国史大系、七ノ九。
古事記停三、埠補本居宣長全集一ノー五二−三。
ヱβJ
開閉押詰り構成ミ紳々の追加
紳であるやうに、囲常立食もまた一般に天地ま宰の紳としての活きを充分に持ってをるとされて
役目に於いては全く同じとすべき場合があり得る。此の意妹に於いて、天御中重油が天地ま宰の
かくして図常立食と云ひ、天御中主軸と云って、その意味する内容は異ってゐても、その働く
しても、その紳の内容に欒化が生することは、これを認めねばならない。
は頻らなくても、その表出の形式にほ欒化があると同時に、又その表出の形式には舜化がないに
れ故に記紀に現はれた場合にその螢生常時の内容を持ってをるものとはなし難い。凡そ前の内容
併し観常箕骨が、その教生に於いで天御中主調よ♭も古い形式のものであるにしても、直にそ
三
津田左右苫氏﹁前掲書﹂.四四。
津田左右薯氏﹁神代史の研究﹂、五〇。
古事記停三、前端書、︼ノー五三。
(5)(4)(3)(り(1)
開閉紳話の構成軍前々の追加
0000000
0000︵一︶
をる。即ち書紀本文には、﹁予時天地之中生一物、胱如葦牙、使化名跡、競闘常立食﹂とあ㌻り、倒
ほこれは籍一及び第六の一書などにも明かに見ることが出水るのである。
然るに此の二の物語が一の物語の内に編み込まれる場合にほ、少くともその一方は他方に射し
て従属的圃係に立つ。かくして古事記の物語では囲常琵令が天御中ま紳右対して従属の関係にな
ら、こゝに書紀本文などに見るやうな主宰紳としての観常立食の位置を失ひ、それを天御中ま紳
に譲ってをるのである。併しこれは物語公憤の構成上、固常立食本務の性感を障没したのであつ
で、これは更に膏に邁元して考察すると、僻ほ明かにその本務の性質を具備してをる鮎を見るこ
とが出水るのである。
これに就いては固常立食と天御中豊前との二の主宰紳に対して、更にその夫々に従属す争朗々
に於いても、これを見ることが出水えのであるが、そこには雨着が相投行してをると云ふ事賓を
螢見するのである。
固常立食に附属する紳としては、古事記では豊宴野癖の一紳であるが、書紀の方では固狭越冬、
豊掛停尊の二紳となつて努0。周狭槌と云ふことに就いては、滞日本紀によると、私記の設を引
食ごとぁるが、もとよら探るに足るものではなく、たゞ所用の文字に拘泥したものに過ぎない。
いで、﹁或事件三国狭土︰然別天地舟後、未毎幾旦故土地狭少、其時此紳初出、故謂乏陶之狭土
︵二︶
Jββ
、
ヌ飯田武郷は萄襲紀に﹁瀾常立食亦云観狭立食、亦云固狭縫合﹂と雪のを引いて、闘狭槌令を湖
囲常立食と同一であると言って誉○が、少くとも嘗事紀の此の部分は鎗り倍を置き井いところで、
︵三︶
へ円︶
殊に嘗事紀と古事記とに記載する細々を採って整理したやうな貌があるので、此の紳
の都合上、﹁亦云Lとして列馨したのではないかとも思ふ。
も終音に不易ぬ義を以て、稀へ奉れるにて、これも菜摘とすべきか﹂と云ってをる。これに対し
然るに飯田武郷は又一説を集じて、﹁狭は其の義にて、只何となき稗の美名か。さら
カハラ︵五︶
て津田敬武氏の如きは、前説を探って此の設を斥けてをられる鈍化書々はむしろ此の
嘗ではないかと思ふ。但し何れにして旦閲常立食と固狭槌食とが、同様の内容を待っ
ることになるが、かく同一のものに就いて二通り以上に呼び、それ至福以上に神格化
は古代人に於いてほ極めて多いことである。これに閲しては別の場合に諭することに
次に豊科洋食に就いては、本居宣長の考によると、﹁豊は物の多にして足ひ餞なる
僻な♭。雲野ほ字は借字にて、久毛は久卑、久美、久地許理など∼通ひて、物の集り凍る意と、
三九
のなればな♭。Lとある。若し此の説が骨足されるとすると、豊科好奇は畢克、生成と云ふことの
初芽す澄とを兼ねたる言にて、此の二の悪文おのづから相通へり。物集り遺すて物の
︵七︶
紳格化されたものと見ることが出家よう。
開聞紳許の樵成軍閥々の追加
開閉紳話の構成ミ紳々の追加
国史大系改訂版、︼ノ一。
囲史大系、七ノ五七五。
国史大系改訂版、一ノー七四。
日本書紀邁樺、一ノ五一。
甘木書紀遁膵、一ノ五て
津田敬武氏﹁前代灸七宗歌思想の蓉蓮﹂六八。
古事記倍三、樽柿本居宣長全集一ノ︼五七。
四
これに射して一方、天御中ま紳に従って生する痢は高柳産巣日紳と紳産農日紳とである。′而し
︵こ
て此の二紳はこれより後に於いては、常に共に現はれることはなく、必すその↓方のみが畢殉に
若くは天照大紳と共に現ほれて凍る。而かも高御慶巣日紳は多く男紳として、前座鼻白紳は多く
女神として表象される。飼ほ且つ、津田左右苛氏も言はれる通り、﹁高と紳とは紳の名に加.へられ
た美辞であり、さうしてかういム美辞を冠らせること1、一つの観念に異なつた美禰を冠らせて
︵二︶
二つの紳の名を作り、それを逮解することは、紳代史上の紳の名には殆んど一般の慣例である﹂
のである。従ってこれは同一事に就いて男女両性に紳格化したものと見ることが出水るのでぁ
る0
拗
(7)(6)(5)(4)(3)(2)(1)
而して高御慶農日、紳産農皇一紳の内容は、﹁産農臼﹂と云ふ語の中に食まれてをることになる
が∵Jれまで一般には、書紀記錬の﹁産室Lと云ふ漢字の意味一ぞ以て説かれてをるのであるが、必
ずしも首肯出凍るものではない。今これを本居宣長によると、﹁産屋盲は、字は常備字にて、鹿蛋
ムスコースノ
ムス、 は重なト。其は男子、女子、又苔の垂須などいふ牟須にて、物の成出るを云ふ。日は書紀に産藍
ピ
と書かれたる、宴の字よく曹れり。凡て物の室長なるを、兄上云ふ︵久志毘も是なり︶。比舌、比
︵三︶
賓などの比も、婁異なaよしの稀瀞なち。又鍋津日、鑑毘などの毘も此の意な♭。されば産婁と
は、凡て物を生成することの婁異なる御室を申す打了ワ。﹂と云ってをる。
若し夫れ、本居宣長の説くところを肯定すれば、産農8は生成の蜜でぁる主宕ふことになるが
併し此の﹁産寮しといふ語の解詳に関しては更に別な考方も有り得るやうに思ふ。
開聞押詰の構成ミ紳々の追加
そ土で青々はこゝに﹁むすぴLを1むす﹂と1びLとの複合語とせゃして、﹁むすぴLと云ふ一語とし
かは問題である。
とは認めねばならない。併しその場合に果して﹁産室﹂の﹁産﹂が﹁むす﹂に普り、﹁登﹂が﹁びLに嘗る
て怠学であるために、少くとも産農日二紳が、記厳される時代には産室即ち生成の窒とされたこ
のないもの主嵩ふべきであるが、これに反して書紀の文字の﹁産室﹂といふの宜、借字ではなくし
古事記に﹁産典日Lとみるのは、もとより借字であつて、その場合の﹁産﹂と云ふのは、重く意味
ム
ヱ8占
イ盃一
け
Ⅴ箋し
開閉訓話¢構成ミ耐々の追加
四二
てこれを浮くことが、最も怒普な考のやうに思ふのである。これに就いて本居宣長は、﹁さきに此
放とは生きむとす阜就を云ふならと思へりしは非す。Lとして、﹁むすび﹂を一語として輝くことを
の毘を紳佐備、荒備などの毘と同じくて、夫洗とも活用きて、米久と云ふに似たゎ。されば牟須
︵四︶
央洗の波夜尭流と同言﹂なるが如く、書々は﹁むすびLもこれを一語として輝くところに、却って
取り治してをるが﹁恰かも1連日Lの﹁日は夫託とも活きて其の妖を云ふ常にて、連日は即ち知政
︵五︶
その眞意があるのではないかと思ふのである。
天高給融とあか、経書式に火結締と云ふのがある。今暇♭に﹁結﹂と書くのが借字であるとしても、
﹁むすぴLと云ふ字は、建書式や姓氏餞などでは多く﹁魂﹂と云ふ字を雷て∼あゎ、三代賓厳には
︵六︶︵七︶
﹁魂﹂と書くのは﹁むすぴ﹂と云ふ語の金髄に魂︵クこ又は塞と同校な意晩を見るペきであらう。
書々は﹁むすぴLと云ふことに就いては別に詳しく論じたいが、要するに﹁むすぴ﹂と云ふことを
一語として解するときは、却ってさきの﹁結﹂と云ふ字も亦た単なる倍字ではなくして、むしろ﹁む
すびLの原義がこゝにあるのではないかとさへ思ふのである。﹁結ぶ﹂はもとより﹁むす﹂︵生︶と同
一の語尿であらうし、結び凝る神秘のカを醐格化したところに﹁むすび﹂の紳は生じたのであら
こノ0
︵八︶
これを一層裏書きするやうに思ふのは、古事記にも、﹁是高木神君高砂産農日紳之別名﹂とあり、
J併
此の高木沖に訊いでは本居宣長も既に、﹁木は具比の切りたるにて、即ち東泉日と申すと同意な玉∴
英故は彼の角糀紳を姓氏儀は角疑魂命と云ひ、清拭御車生産農日紳とも申すにて雷定むペ烏
と述べてをり、かくて﹁むすぴ﹂が﹁き﹂即ち﹁くひ﹂に瞥ると同時に、これは亦たさきの豊掛停の
﹁くむ﹂にも迫ふので、これら凡ては畢覚は生成のカを表はすものとなるのである。I
音事犯停三、前親書.︼ノー四〇−︼。
津田左右署氏﹁紳代皮の研究﹂.四二。
徴兵巣日紳亡夫用大所寸Jわ指すのが普通である。
暁紳、紳魯菜紳ね見る光らば、此の後にも併出すろ=ミが︼般であるが、併L所管岐、紳魯芙三富ふ時l‡、む・しろ高
∽但・し音語拾注に於いては、高御産巣日紳を紳魯岐食言し、紳尭集札耕を紳魯菜食ミ†ろが、此の意味
Jβ7
開聞紳話の構成ミ前々り迫加
かく見て凍ると、産蜜の二細も生成カの紳格化されたものであると云ふことが出奔、重く壁掛
五
古事記停十三、前掲書、二ノ六三一。
国史大系、七ノ四五。
国史大系、一三ノ二七〇。
国史大系改訂版、四ノ
青草記倦七、前掲音、一ノ三五〇。
古事記倖三、前親書、一ノ一四︼。
(9)(8)(7)(6)(5)ロ)(り(り
開綿紳話の構成ミ紳々の追加
四四
停徴とその性質を同じうするものとも云ふことが出凍る。即ち知る。固常立食と畳掛停尊との組.
合せと、叉天御中ま醐と産室二軸との組合せ、此の両者の問には全く舶拉行した類同性があるの
である。
これらに依っても知らる∼如く、もと′1此の二組の細々の系統は、同時に二種の物語として
存して居たものか、又は夫々その時代を異にして教生したものであるが、その何れかでなくては
ならない。而かも斯く相矛盾する二積の物語が、古事記に於いてほ︼つの物語の内に編入され統
一されてをると見るべきである。
然らば何故に古事記に於いてほ、かく天御中ま翻系の物語と、閲常立合系の物語とが重複して
をるか。此の鮎に関しては既に日本紀私記によると、﹁筆舌事記︰此五紳下注云、此五桂軸音別天
︵一︶
紳也。然別古事記者、惣別こ天地初分之後化生之紳−也。故撃高天成所短所︰狩戟乏也。今此書
者、褐初取払上之紳治−地下−者也。故不友矢神在高天魔衰迦。Lと言って、もとよトそこに物語
の重複でなく、地の紳に対して天の紳に騙する叙述であるとして居る。又これに射して津田左右
たといふのは﹂書紀にも探ってをる天先成両地後定︵推南子天文訓︶の思想を舷承したものらしく﹂
富民は、﹁此の天地初費の時に先づ高天成に紳が生ち出で、次にまた国主らない土地に紳が現ほれ
︵二︶
考へもをられる。固よりこれを否定しないまでも、又一方に書紀第由の一書の如き、この物語が
∫粛
併存して居たと見るならば、古事記の記者若くはそれ以前に於いて、この物語を統合して一の物
語にノ組み立てたと云ふことが、却って重要な鮎でぁつて、これを支那の天先成而地後足と云ふ思
想に促されて、この物語を綜合するに至ったとまで言はなくてもよいやうにも思へる。併し地と
それに対する天との物語に関する要求は、もとより充分にあつたものと認めねばならないであら
ちノ0
︵三︶
以上述べ凍ったやうな意味で、吾々は今暫く、古事記に於ける天御中重紳を圭座とする三紳の
物語は、特に或る事情のもとに添加されたものではへ仏いかと云云見嘗を附け、か1る仮説に基づ
いて、古事記本文中、特にむの最初の文句四十六字、即ち、
封好
﹁天地和談之時、於高夫原戊紳名、天之御中主紳、次高御慶巣日紳、吹紳産累日紳、此三桂紳者、並猫柳成虫而、隙
と云ふ箇所を、紳話の構成上から、別の取扱ひをして見たいと思ふのでぁる。
梓日本転、国史大系、七ノ五七五。
開間碑話の構成ミ紳々の追加
衆に又、日本書紀本文の構造に就いて見るに、此の場合はその最初の文章が支那の請書に見え
大
国史大系、七ノ九。
津田左右富氏﹁紳代史の研究﹂、三三。
(3)(2)(1)
開聞融話の縁戚革静々の追加
四大
る文章と殆んど類似してをり、もと/\それらのものを採って文章を成したものである主云ふこ
とに関してほ、既にこれまで一般に言はれてをるところである。
併し、﹁天地剖列のことを書いた書紀の文章が、推南子天文訓と三五暦託とから披きとつて、そ
れをつなぎ合せたものであることは、今夏いふまでもないが、これについては、天地剖列の思想
そのものがこれらの支那の書物から凍てゐるのか、叉さういふ思想は吾々に古くからあつた民間
詭話であつて、書紀の記載はたゞ文章を支那の書物から借りたに過ぎないものであるのか、そこ
︵こ
に問題がある﹂のでぁる。
これに就いては、既に本居宣長は、﹁まづ神代巷の首に青天地来剖、陰陽不分、渾沌如一藤子一云
々、然後紳聖隼一巽中︼焉といへる、是はみな漢籍どもの文を、これかれ取集めて書き加へられた
る、撰者の私設にして、決めて舌の侍訣には非ず。次に故白岡開之時、湘蟻浮環瀞魚之浮水上也
︵こ︶
﹂茶々とある、是ぞ賓の上代の樽詭には有りける。故日とめるにて、それよら上は新に加へられた
各潤色の文なること知られたゎ。若し然らゃば此の二字は何の意ぞや﹂と云ひ、これを以て撰者
の私設、新たに加へられたる潤色であると云ってをる。
これは又、飯田武郷も、﹁此の一段六十五字は既に先輩も云はれたる如く、わが皇観の青侍には
罪す。畠観には天地の混成りし傭はあれども、其時のさま、また英二つに剖分れし時のさまなど
J90
一−
語れる青侍詭はなくして、天地成立ちし後に、天神等の現はれ出で給ひしより語り侍へて、次に
国土の未だ成就はぎうし時にあたりて、虚峯中に、輩牙の如くなるもの粛え勝り、其物に歯すて
︵三︶
次々紳等の生出し事を語り侍へた♭。然れば今一盾上りて、天地の混沌たる原始を語り出でんと
で、漢籍の設を取出して螢端に記し、其に接けて我国の青侍を故日と語卜出でたるなト。L﹁皇国
の朴質なる青侍とは、こよなく、誠に木に竹を績ぎたらむ如く通ゆるな♭。されば此の教句は、
先輩も既に云はれたる如く、この紀の序文と見てありぬべし。蒋紀一に、日本書紀三十琴準痔。
但師設初文天先成両地後足。然後神聖撃其中︼焉。已上序文。とみゆれば、次の文に故目上める
︵四︶
より下は、射ち本文たる革も亦明らけし。Lと云ひ、これを青侍に非すしてむしろ書紀の序文とし
で後人の手になるものとする説を採ってをる。
辟ほ此の文に就いて、更にこれを後人の手によつて法例されたものであらう卜して、三中歴乾
象歴に引けるは、青天地未勤蔭陽不レ舟、揮沌如ユ厚子而食券、其清陽者薄靡焉レ天、其稟濁者据
嘩芦地、故天先成両地鎮定、然後軸聖坐喪中一焉とあ少、本文と大に異なり。熟考ふるに、此の
一牽は我が青侍を鐙さん焉に、漢籍に云へる説を、序文として引き玉へるなれば、かく大らかに
今の本文の如くなし∼なるべし。﹂と述べてをる。
こそものし玉ふべきを、後に粒々の博士が、三五暦記港南子等の文を引き、其ま∼に引き加へて
︵五︶
闊闊醇話の構成ご謝々の追加
.
J9J
痢鵬紳話の構成ミ神々の追加
酉八
然るに安藤正次氏の如きは、﹁然し飯田武郷も日本書紀通辞に論じてゐる如く、此の詭のやうに
書紀の潤飾の部分を、すべて撰者の私設であると考へるのはその曹を失してゐる。宣長の所謂さ
記事を鮎検し、比較すれば直にわかる。Lと言ってをられる。
がしらが撰者以前に、日本書紀以前に既に存してゐたことは、天地開踊や諸前出生の段の一番の
︵六︶
津田左右吉氏はこれに就いて更に明白に、﹁此の思想は書紀に於いて初めて採用せられたのでは
ない。書紀にご書﹄として載せてある奮鮮の異本六本の中、三本までには天地初列の語がある。
他の一本に天地混成之時とあるのも、此の割判詭を濠想しなくては解し難き文字であり、さうし
てそれは准南子などの思想の一淵源をなしてゐる老子の有物混成先天地主から噂じて凍てゐるら
しhβと逓ペてをられる。
又津田敬武氏も、﹁此の神話の文句が支那に起原を持つことに就いては何等の疑もない。けれど
もその思想が支部の典籍によつて初めて輿へられたもので、我が国古家の思想の現はれでないと
︵八︶
速断することは暫らくさし軽へなければならぬ。此よらも古く既に類似の神話が存在して居たや
ぅなことはあるまいか。Lと云ひ、そこに一應の疑を存して、各地方の民族に於ける此の種の事例
を指摘し、そこから結論して、﹁かくの如く諸民族の問に行はれてをる類例を見ると、世界の創造
される以前に混沌たる状態がめつたと想像するのほ、原始民族の間に廣︿考へられた思想でぁる
I
︵九︶
ことが容易に理解されるのであらう。Lとし、更に、﹁その要素は支部の古典によつて刺戟を受ける
以前から既に存在して居ったもの皇一日ひ現はすためにのみ支那官奥の字句を籍りたと見ることも
︵︼○︶
可能である。﹂と述べてをられる。
津田左右吉氏、︻耐代史¢研究﹂、三〇。
古事詑博一、棺桶本居宣長全集、︼ノ六。
日本書紀通秤、一ノ四一1四二。
J9∂
開脚紳請の構成ミ紳々の追加
することが出水るとの考のやうである。津田敬武氏の考としては、.もとよ♭文章は支那からの借
もこれを撰者の所鰯とすることは出奔す、むしろ書紀編纂以前に既に出水上ってゐたものと推定
津田左右富民並びに安藤正次氏の考としては、仮令支那の文章を借用したにしても、必らゃし
七
津田敬武氏、前楓香、六︼。
津田敬武氏、前端書、六〇。
津田敬武氏、﹁前代ぬま宗教思想の費蓬﹂、五四。
津田左右吉氏、前端蕃−三∵−三二。
安藤正次氏、﹁日本書紀解窺﹂︵世界聖典全集日本書紀紳代令併収︶、五〇。
日本書紀遁繹、一ノ四四−四五。
日本書紀通繹、︼ノ四二。
(10)(9)(8)(7)(6)(5)(4)(3)(2)(1)
開闊耕話の構成ミ前々の追加
五〇
用であつても、その衷はす思想に至っては既に未開人の間にも諸新王見ることであるから、もと
もとから存在してゐたものと考へても何等不思議はなく、昏然のことであるとされるのである。
もとより書々も、此の文章のみに就いて見るときは、それが果して撰者自身の構文であつたか、
その結果として単なる支部の思想に過ぎなかったかと去ふことに閲しては、何等その傍澄となる
ものを待合せないのであるが、叉その反卦に、此の文章が書紀以前に既に存在してゐたと云ふこ
と、若くは此の思想が既に早くから存在してゐたと考へぬばならないまでに必然的な根嫉も未だ
充分に見出さないやうに思ふ。
たゞ吾々は此の書紀巻頭六十五字より成る文章が、除りにも支那既存の文句を以て綴られてあ
るために、殊にこれに射して特別の疑問智抱くものである。今便宜のため、その本文を掲げてこ
れに対する支那の文句を並記して見ることゝする。
、
渾沌如雛彗深汚
渾沌如雄卯
ヽ
始和
ヽ
ヽ
︵五︶
製首生其中
盤古在英中
ヽ
ヽ
︵七︶
ヽ
ハ八︶
︵六︶
ヽ、r††
﹁青天地来朝陰陽遠ン渾沌如雅子、瞑持而合牙、及其清陽君津靡而焉天童濁者庵滞而莞精
清陽着帯靡両港天重濁者滞両港地清
天地来剖陰陽東邦
妙之合痺易重濁之衣湧弊政天先成而地後定、然後神聖生其中焉﹂
妙之合番易重濁之絞嶋難故天兜成而地後定
J94
/
即ち南尭の間にほ文字の差連ほ教学に過ぎす、而かもその意味は相似た場合が多い。
あるが、これに就いては或ひは後人の洩入なるべく疑ふものさへあるのである。
も思想であつたらう。L
開聞紳話の構成ミ前々の迫廟
と云って居られるが、併し次に述べるやうに、書紀第三の一書に見ゆる
起原でないことは云ふまでもないが、それに対して天地初列とか天地混成主云ふ考は
1閏推地稚Lと云ふ思想は、青草記に現はれる﹁図稚Lの考と全く一敦する考であつて、これが支部
︵︼一︶
之監と云ふ語であらほしてあることから考へると、これはやはり原本に存在した文字
然るに同氏は、﹁別の一書にr天地初羽石語が無くして、それとは重く違った観念名園稚地稚
︵一〇︶
になつたものとして解せられ﹂るのでぁる。
漢文であつて、奮鮮の原本とは文燈が違ってゐたらしいから、此等の文字もまた書紀
居られるが、もとよぅ﹁忘昌として載せてある多くの一番の文章は、書紀の編者が書
いて津田左右膏氏は、書紀が始めて採用した思想でなく、既にそれ以前からぁつたも
此の外、各一番の始めに、天地初列とか天地来生、天地混成などゝ云ふ文句がある
︵九︶
化所以成二此純男こと云ふのが、直接lこ支部の文句に依ら、支部の思想を蒐承したと思はれるので
かくの如く支部の文句を借用して文を成して居るに拘らや、これに掃く他の文章中に
の六十五字中、重く一敦しないものは僅かに五六にして、而かもそれは重要なる文字
J95
開閉紳話の棒成ミ前々の追加
五二
を措いでは、殆んど直接に支那文献に基づく文字も思想もないと云ふ粘から、か∼る天地剖列の
手その他の支部文献を漁想せゃしては有ら待ない部分であり、且つ此等の天地初列に閉する一句
︵一二︶
思想も支部思想の影響であつて、日本本務の思想を支那風に表現したものとは思はれないのであ
る0
かくして此の各一書の始の句が、書紀以前に書紀の依壊となつた本に既に存して居た.と考へら
れると同時に、又書紀の編者が一書を記すに替り、﹁閑雅Lと云ふ如く、或る特別の物語のない場
合、又は同一物語の重視を避けるために、随意に支那の文句を借りて書き始めたものとも考へる
ことが出凍る。殊に他の段の諸一書には、多くは本文の物語仝健に相督する筋書を持った物語で
なく、本文と若くは他の二晋と臭ってをる粘のみ奉げるに努めてをるのに対して、此の場合の一
書に限り、何回も重複した天地開閉の記事が見える。これらも、もとく各一書の始の文句がむ
しろ編者の作焉であつて、原本よらの商銀でないと思はせる鮎である。
かくして書々は今、諸一書の初旬が果して編者の作焉であるかと云ふことに就いては、暫く問
題を残して置いても、少くとも前に掲げた書紀巻頭の文が、撰者以前、書紀以前に既に成って居
ったとか、その思想は既に固有に有ったものを、表現に普って支部の文献に依ったと云ふやうに
考へることば、却って無理ではないかと思ふ。若し然うでないとすれば、何故に此一節のみ、か
∫≦蛤
くも支部文献に酷似して他にこれに類するところが殆んど無いのであらうか。この事賓は暇食油
嘗狗鮮魚之拝承上也﹂と云ふ思想と明かに矛盾し、而してそれらは夫々覇立に、一種の開閉の物
とが出凍るやうに思ふ。
語の形を成して居ると見ることが出奔るので、こ∼にも亦た物語の重複して居るのを費見するこ
︵一三︶
岡ほ且つ、書紀本文に於ける此の天地割判の物語は引結き現はれて凍る。﹁開閉之初、洲壊浮
とゝ思ふ。
極的ぢ語族ではあるが、少くとも積極的に支那文献の模倣たることを排することの反経となるこ
J97
かくして青々は此の書紀巻頭の文を、特に添加されたものではないかと云ふ仮設の下に、その
六十五字の句に対して、醐話の構成上から特別の取扱ひをして見たいと思ふのである。
推南子倣眞訓。
臍開所話の焼成草前々の温血
三五暦詑。
三五膚託。
堆福子天文訓。
徐老暦記。
惑記月令正義。
三五暦記、徐整暦託。
(7)(8)(5)(4)(3)(2)(1)
隅隋諦話の構成草餅々の追加
閉忠犬系改訂版、︼ノ︼。
津田左右苫氏、﹁紳代史¢研究﹂、三こ。
津田左右富民、前諷香、三三。
津田左右害氏によるミ、書紀夢二爪二番にぁろ﹁紳人﹂三富ふのも、支部起原でぁるモされてみる。︵同氏、前端香、
三二︶。
津田左右膏氏、前端香二ニ0−三−。
J5貯
日本書紀温繹、︼ノ五三参照。
(13)(1望)(11)(10)(9)(8)
詣抽に宗教経験の一研究
野
清
人
或ひはイスラムの大紳秘豪に勤し驚欺畏敬の念乗じ得
古
−所謂ヨeSCal鼓iOnSに就いて11
ー貞ご::訂=宍m昌旨dO−、宗賢昌籍0巳三〇m唱et宗ten・
しては、斬る成人及び大宗教者の宗教経験のみを偏重
d営琶邑p︼宏唱○訂nd払−ぇーの胃nlimentdのー、e払te口語im・ないものがある。しかし乍ら、批判的な拳的来場から
Cb●︰謬已e︼乳房
men諷Eent讐応m昌㌫●ミ
して、子供、未成年者或ひは未開人のそれの鑑賞と吟
味を看過してはならない。後者の場合に於ても驚くべ
き豊富な﹁宗教軽駿の諸相﹂が見出される。彼等も亦
i
従来の宗教心理拳では宗教経験の研究を飴りにも既
クな宗教的感鱒を有してゐるのである。ビニル・ポヴエ
不断の宗教的創造の生活をやめない。彼等は各々斗エ
者 −
は此貼を鬼童に於て注目した。マッヂはこれを﹁Ad?
成大宗教の大人−‡それも主として基数の偉大な宗教
を代表的な成年者、大人に於て、その精華を最も洗い
le焉nt経験の諸相﹂に於て特記した。彼等の宗教経験
︵一︶
脛験者、宗教的詮te宗教的天才に於て玩味しやうとす
をenmP鷲に観察するは今日では既に粗雑なる研究方
に限定して考察し過ぎた嫌ひがある。宗教経験
る畢徒の試みに掛して勿論われ等に果存はない。まこ
法たる讃りを免れないであらう。しからば殊に未開人
五五
︵二︶
とわれ等も深奥な宗教生活の賛現着である基数や彿教
未開人lこ於ける宗教経験の一研究
J上汐
東関人lこ於ける宗教経験の一研究
のそれに於ては問題はどうであるか。
五大
い。しかるに更に透徹した探求は未開人計曾の単なる
多くの宗教民腰畢者は恐らくこれまでトーイと共請
に負の間にも著しい経験内容の柏建と牽化が見られる
そ其れ既成宗教の大宗教者に比窟する一種の宗教的天
未開人の宗教経験には殆んど個人性が無いと看倣しこ
てとを示してくれる。彼等のうちにもその文化段梯こ
︵三︶ わた。彼等の宗教生活が凡て所属の集圏・結敢・共同融
m妥邑〓訃訂昆∵に上
合の制約を受けてゐると云ふ事案は、各人の宗教的才
創さえ見出されるのである。われ等はこれを、例へば
造力の鉄除又は皆無を意味するものではない。事章辟
、賓な資料を提供してくれる所謂
照。
拙稿﹃鬼童心理三邪教の超脱k宗教研究、五ノ四参
首iedニ√H−軒t二重挙=の書には英語もゃる。
り訂r一缶眉邑“訂ぎ駐日entreligi⋮HC二日竃eぎ
彼等は輿へられた同じ環境にあつて各自異つた反應っ
をて賓鐙的に研究することが出来る。
一︶
なす。この理由を各個人の本性に求めて、﹁原始宗教︵﹂
ヰの卓越し袴貢献である。彼は未開人の場合でも、各
に於けるindi註邑∃㌻bi書を襲調したのは軽かにP
︵四︶
声訂嘗試udgヱくari註e⋮?已。l¢罵nt P竃i?
nce︸−父器・、−くpri註邑igiO戻e烏3.昌C㌔やー琶−
−∽−.
C蒜司どd司○焉llぎコIntrOd邑i昌t。t訂欝∽tOr叫
○︻詳−藍○挙−¢−∽●p・金●
甘止
訂まe”空mitぎ∴謬︼igiへ︶nこ諾Pp・諾−−竣00・
︵ニ︶
人程度を異にして、祓・筋肉・琴轡嗅等の感覚上の講演
型が存し、現葦では多少ともこれらの混合型であるが、
しかも観衆型が腰倒的地位を占めてゐることを指摘し
︵三︶
てゐる。未開人も亦その嚢境から集固から同じ考へ感
じ・働きの様式を課せられても各自多少とも異つた反
應豪する。これは彼等の宗教経験に於ても亦眞茸であ︵〇
る。彼等のうちで最も宗教的なシャマンや呪者の特異
な心意に就いては既に記述してゐる聾者も砂くはな
J朗
ンは久しい以前にこれを記して云ふ。
ご屠OtOn−y
︵二︶
bul許己口恥−邑il已e−旨dintの邑賃竹男富iOP
宗教経験の深み.静的なものとの直接的な合一の経
t訂訝罵告d
near︼﹃q扁ヨ二寧遥gO︷ri訂蓋許d中村n?
reY色数8−訂it brOugぎint
験即ちわれ等の云ふ紳秘経験を、未開人は果して如何
re鼓音.b已in
ま乱gの○︻P誓Otie且呂t払まーi註慧re雪p10﹃乱tOiロdge
号冒gO芦d5.乱d訂llucF邑○巳宅dr∼買切・当訂neg3忠
○ご訂誓g袋∴訂乙tビ丸rさti診きt凰二訂Creみーndi昌弘
O︻ヨ○乱dptbeiて貞芳村dr㌻弓P↓t訂irpu竜0芦Ⅰロm冒叫
trib亀笥已lO宅乱t訂罵3tl andt訂BP打e
t訂崇Yine
pnd
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●
indG兎串tatiO■試On∽●
WF︸teYOりt訂mBnSe2且Oyedこ訂irpi巨竜岩男er﹃卓訂rO
e常nti覧yt?
は未開人に於ける夢︵殊に南北アメリカやポリネシア
Oft訂gO針、、
五七
を有してゐる。地上の如何なる民族でも自己陶酔をす
斯く多くの未開軟骨は特有な麻酔性の植物又は穀粒
〇n
萄a乙二訂r註giO宏のmOtiO己−t箋乾計彗−r訂gp諸色註・
pr−−旨→il句and
t訂担mタp乙雪琵dir毘ed
未開人に於ける宗教軽食の﹂研究
ち萎まロ屯、pl邑に注がれねばならない。先覚ブリ∴/ト
では寧ろ今まで多少とも未知な種々のn弓eOtiepl邑即
ゐる地位も飴りにも明白である。われ等の関心はこ1
ゐる。また恍惚的な宗教的舞踏m訂息d呂急の占めて
等︶の量安な宗教的役割については既に多くを知って
︵一︶
た激動た彼等の申々の形態を輿へるのである。われ等cOmm一︼nざnまtF
命令し規定するその宗教的信仰に上って、この混務しripF已ごundppO琶nO忌lO已st001∵琶dtObriロg旨○皇
の宗教的陶酔に遷する。そして彼等はこれらの行事を
pl邑こ訂tき認0﹃C已i冒nipandt訂許mOy乱○、Sib?
人は、これらの苫窄禁戒・数動及び葉物によつて一種t訂∴罫軋訂n
た。野牽又は未開の宗教的集囲の全鰹或ひは特殊な個p邑sO〓訂qni︷乳St巳e三11en註1¢芦○訂d賢岩Oniuき
中等︵intOH釘tiO且等の酒宴的興奮によつて求められ
錬等の禁欲的過程によ少、舞踏・陶酔感蒸ハPmig邑。且・
個人と存在との融合は断傘不嘩券械的又は精静的鍛
教生活の原初形態﹂に於ては内密にして直接的な合∵
entr乱On
なる方法によつて求めたか。このデュルケムの所謂﹁c宗
∫j妙
閑係を結んでゐるのである。葡萄酒はギリシャでは
間毘となるものが、未開人に於ては宗教現象と不離の
ゐる。われ等にとつては主として葉物拳殊に毒物拳の
べて紳路化され或ひは静的なカを有すると看徹されて
住み得ない程に貧困ではなかつた。そしてこれらはす
ードレエルの併讃﹁人工的な極柴L謬r邑¢騨邑Pci註に
るための何かの麻酔的植物を周遼に有しない程に、ボ
演じてゐる。これを食し又は飲むことによつて生ずる
仙人掌の一種ペヨト
ンド人に限られて、その他ではそれ程に危険でない、
コでは麻酔的茄科の植物は今白では寧ろ西部方面のイ
して大きな役割を演じてゐるのである。しかしメキシ
と、弧婁と開係した夢を翳す。これらは儀鐙の植物享
効力むもつてゐる。これの使用は人々に静々と、下界
これは全世界に耗多な形態で分布tてゐる ー 特種な
五八
ウiO童2払や甲毎払昆の静、印度の吠時の静聖な潜、ソ
幻想を普通にⅠ︼︼屠已訃iO戻と呼んでゐるのである。鎗
未開人に於ける宗教好晩¢一研究
マ︵写n−pはペルシャではl−呂mぎどm︶は哲mp静を作っ
この外にも﹁尊敬すべき毒物﹂的植物は数多いがこ1
なつた。インカ族はコカは所望な植物p弓eHeC︼︼呂Cゐな
がアルコール、阿片、モルヒネ、劫堺、煙草、茶等々
では仔細に捷求しない。また近代の高名な文士や詩人
︵憎e3詩pkt凰が儀盛上の主役を
︵韮︶
たやうに、メキシコやペルーでもこの種の植物は紳と
植物であると考へた。また東シべワァやカムチ†カ年
によつて、彼等の菜僻しい累感を克ち得たことは冗言
︵三︶
島のツングス族やコザ†ク族では一枝の薗がシ†マン
の要もあるまい。ヴォルテールやパルザゥクの加排.
ミクロネシアに亘るカワ酒︵円慧ぷ∵ロ葛且
そしてまたモオパワサンのコカイン等。そして、例へ
ポオやホフマンやミュセやベルレーヌのアルコール、
︵四︶
の人跡状潜を造るに役立つ。メラネシア、ポリネシア、
人の宗教的観念と内密な接解を有してゐることはよく
ばイギザスの阿片喫煙者として人口に腺失してゐる
︵六︶
知られてゐる。更に、主として未了ジアヤ地中海沿岸
辞旨農deQu琶.鳥句は阿片を﹁紳の憲めるもの﹂と考へ
の使用が土
或はメキシコに見出される麻酔的な茄科の植物は・!1
∫二田
は、薪拳の偉大なる構成レウインの好著を熟読するに
てぁた。これらの苫邑邑i参の詳細な研究について
件用が臭ってゐる。阿片は牢御嶽恵・無気力を翳す。
阿片とモルヒネは共に雷pぎrieを件ふが、意志に働く
特徴と看倣してぁるやうである。この二大典型である 斑
た嘗って耳にし得なかつた微妙なる調音を聴きうるか
通常の意識状思での知費は淡い陰影としか映ぜす.ま
そして、その幻惑は斯えす更新され、これに勤しては
してやまない魅惑的な亡峯を生ぜしめるからである。
性的幻魔を促し、人間の精細に恰も妖術の如く.憂化
化されたかと云ふに、それはこれらが有ゆる形相の感
宗教呪術的概念と通園して崇拝の封象となり或ひは静
さて何が故にこれらの麻酔性植物は未開融合に於て
発調を輿へて、人間を特異な気分や持前状憩に置くの
邑託しi&
る諸種のアルカロイド要素は或ひはわれ等の醍感ハ︵翠
剖である。とに角.これらの麻酔性植物に含まれてゐ
の理念に傾いてゐる。前者は鎮静剤であり後者は興奮
を欝す。それはニイチェの屏謂㌢りWilleNur試acぎ
してコカインの如きは活動的な悦び・動ける辛扁・激動
を特色とする阿片屑捏琴有毒の捏奏である。それに反
その理想的な境地は至脇の自己忘却、完全な欲求喪失
︵七ノ
越すことはない。
らである。日常凡俗の生活を追越した斬る不可思議な
である。しかるに、こ1で問題にしてゐるベヨトは寧
に或ひは脳髄や高等静経に未だ頗る不可解な
感覚の刺戟を未閑人が自己の集餅の静々と聯恋したの
ろ多くの茄科の植物や大鹿等と同じく脳髄を侵して幻
想や錯覚を壁ぜしめるレウインの云ふp訂ロt邑icpに属
及ぼす影響を研究するに豊富にして張番な喜藤的臨床
旨p訂りia−夢邑邑icpこロ旨邑iざⅠⅠ苫n邑iepす
、るもので、それは人間の高等な精柳生括への襲物の
P乱l賢許の五つに分類して細説してゐる。pグルは
五九
的資料を鍵供する最も注目すべきものである。これは
未開八に於ける宗教経験¢︼研究
弟︼の吉富0訃むち安易滴足の感情をもつて諸毒物の
る植物を
レウインは斯くの如くわれ等の心拍活動を菱化させ
は決して怪しむに足りない。
■
へ
未開人に於ける宗教経験の∵研究
︵八︶
最近では幾多の襲撃、拝辞病拳、心理拳上の斬らしい
研究封象となつて多事な貢献むなしつゝある。われ等
はまたこのペヨトをその故郷のメキシコ・インド人の
土俗・宗教信仰と牌連せしめて仔細なる観察をなすこ
とによつて、宗教の融合畢的及び心理拳的疲究に勤し
ても輝かし.い示唆と寄輿むなすことを軽信するのであ
所定の集園に於けろ各人の夢¢
Y乳鼓l首ついて
るが、今は範頗を崇敬経験としてのべヨト幻覚に限
/
る。
︵︼︶
︵五︶
︵六︶
六〇
詳rm冒n句詳ロer”せ㌻n罵ぎti邑β¢e2訟mぎd
︵FO繋ぎngen官=豆乳亘ざさ表穿こ邑・−ロ
ーーーP︶
訂︼○い甲tgti宅e−︼箆か●p・笠・
ぺヨトに擁する=の方固の最も主要光モノグヲフ
−eせr.ロGidOn−−¢翠p●P
︵ヤ︶−≧鼓こ首鼠n∵声e∽句彗]訂邑i詮亀、甲声p弓
︵〇
−RO各ieりや戸r5.g宅及び内耳電車ぎが鎮
︵諸論文ほ暫く除いて︶の功撞l‡今訂弓inは別ミL
て
げられねばなら兄い。
訂pl呂tO雲i監二袋旬望R hmeヨ?
呂ein乱臣内l牙雪”試e邑,↓訂−DiYin屯pl呂t芳一
teu已E詫訂inuロgS⇒e訂こ¢当・
率邑こざ計ger盲再試騒已in望−eご設nQ¢薄E争
i−1厨−¢彗●
幹巨ii訂m●︶●
AleH呂dre葬︶各ierいトe謬叫Otl︵内c已mO鷲t転Wi芋
lミ、殊にこ宇.出0曇C。n註b邑○巳tOtぎ望ぎ○︼品y
Oftどこ甲苫読まl−−¢芦Dr昏己︵巧○∽−−−詔︶−官・
柏−誤を参照。
︵ニ︶ U宮已e︼G.望ntOnこ紆︼i官員○巧守in−iti忠一首鼠em−
−父岩●p●雪●
︵立︶ JO訂試宅p首ちrim三雲=崇き一望笥・p・詑やこ才p・
i︷00p唱eぎ10g訂−色好厨−¢奴r
Ⅲ
宗教経験殊に紳泌的忘我・恍惚を誘出する方法とし
粁i畠る身inaロー聾﹁○︼象On O︻謬ligiOnこ箆∽・p・
芦等々。殊にこ後に掲げ㍗R。已計巧の著書、八六−
九二見参照。
︵河︶ どg詔”TLeニ0軋eO邑芦i亀こ¢翠p・声
ヱ3澄
′ニ
ー
彼はペヨトをも嘗って味つたことがある1
ての葉品に、恐らく最初に着日した宗教心理拳者はジェ
ームス
思ふ。
的でもまた徹底的でもないのは遺憾である。そのm寧
開人の既述の如き植物にょる神秘的忘我に閲して包括
に指を屈しなけれぼならない。けれどもその研究は未
何と云っても先づサユバのカ宗教的神秘主義の心理﹄
素描きに止ってゐる。この方面に最もカを注いだのは
園筒形をなした森の無いぼら色白色又は黄色の花を
地上に出てゐる幹は僅か教センチメートルの高さで、
ル、可成り根深く地中に入り込んだ棒根を有してゐる。
産地とする植物で、全長が十から二十サンチメート
る中央双び北部メキシコ、アメサカ合衆囲の梅南を原
してゐるべヨ、卜とは仙人掌科︵葛dp鼠盛、宮t訂︶に廓す
われ等がこ1でその幻覚を宗教心理的考察の封象に
邑−葛篭tlに席する叙述も余りに簡略である。また近
もつ小さな仙人掌である。これは牢ば沙漢の様な高原
−であらうが、彼に於てはその研究は極めて簡単なる
くフラワーがラディンにょってウィネバゴ族に於ける
或ひはテキサスのリオ・グランド峡谷に穿しく委見さ
︵一︶
ペヨト儀感に掬し、これに決定的な宗教的特色を輿へ
れる。それは殊に石灰質の地面を好み、土とすれ/\
二ニ︶
る心理畢的因子に頗る興味深く叙してゐるが、それは
に軍務又は小さな植民地を作って粛芽する。尊名は
︵二︶
幻魔を主として吟味したものではなく、又その説明の
出致nOe邑eWi−′ia胃臥i訂m・メキシコの北部では普通に
は罵苫−と呼ばれこれをスペイン語化して鷲3打と
方法に謝しても必ずしも心駁することは出来ない。そ
れで、われ等はルイエやクサユバー或ひはべサンガー
も記されてゐる。その上部を固く切って乾したものが
︵四︶
などの最近の棟威ある好暑が鍵供する資料によ少、他
六一
はdry弓詳yなど呼ばれて章票され、この名が殊にア
方唱8占−−邑eりのこの︼評dHndi邑に閲する民族畢的 商人蓮によつて罵yOすぎtO昆又は巨籍已b星○巳或ひ
記録を参照して、ペヨトに謝する考究盲新にしたいと
未開人lこ於ける宗教解放の一研究
∫お
六二
は可成少の発化むみせて各部族に見出される。全集囲
来開人に於ける宗教経験の一研究
yグロ・サクリン系の白人に囁俸されて
が宗教的雰風気に国儀されたペヨトの祭儀、断食と欝
欲との困苦にみちたペヨ一抹集への長途の巡感、繊細
のである。
このペヨトは云ふ迄もなくメキシコ土人には神聖な
的シンボリズム等、或ひはまたこれに伴ふ一般の文化
植物︵已ぎbOすnes︶で宗教的儀鰻や呪術的祭儀と深く閲 な儀橙の諸相、集囲的饗宴と舞埼,或ひは細嫁な宗教
l▼ヽ■▼
達し火や光明の紳とされた。殊に穿y弓itの山砲笥?
ある。
rrるに住んでゐるCO−・民族やHuicg払族のインド人で複合の諸問題は限りない宗教拳的興味をそ1るものが
は玉萄黍が肉醍の食事である様にペヨトは塞魂の食物
中でこの﹁悪魔的﹂な植物の祭儀は預けられてゐた。
人馨の藤井を禁通したが、それでも秘かに森や洞穴の
クの宣教師が婁的支配をなすに及んでこの紳成約恵仙
って、諸種のアルカロイド含有量が異るし、、またその
ょり、採集の時期により、或ひは部分を異にするに従
冒邑aminの等の︶からきてゐる。勿論.それは産砲に
く、含有してゐるアルカロイド成分︵pの苫tl訂こ品邑in♪
問題としてゐるベヨFの特性である幻覚は既述の如
㌧
そして、メキシコ土人とアメリカ牢原の土人とが牢和
生理拳的効果も喫する分量やその者の生理的條件i
であると考へられてゐた。しかるに征服の後カトムリサ
又は戦争にょつて交渉を深くするに伴って非常な勢ひ
殊に民族的相違、例へば白人とインド人との神経系統
びぎさぎm慧仇
を直ちにメキシコ土人の経験してゐるであらうと推定
がある。それで白人の賓駿的報告のみにょつて、これ
︵五︶
の精練された段梯の業異1等によつても著しい隔少
で各部族にべヨト儀鰻を旗大して行ったのである。
今日でもメキシコでは冒ui富○︼Ⅵ−CO諾、岩pe−−巨neS及
同i〇名望−nOmP邑−e初を始めとして四十に近い部族がペヨ
する宗教的経験そのものに蓮元し済絆するのは完全に
の語族、北アメリカのインド人では
†信者として存してゐる。そしてペヨトの紳話や儀虚
J3塵
正しーとは凰はれないが、言eロpr訂に眞賢を把捉し
うると信すべき理由があるのである。
活計性に富んせ舞踏しうるのは、ペヨl卜陶酔の少くと
も最初では運動紳経が過剰な活動をなすからである。
ペヨトを食し又は飲んだ者は徽供奉的に却然とした ザユバも指摘してゐる様にこれは疲弊に耐久せしめ
二形相を経過する。発づ最初は、度々快よい生命力の る。生理的威力の感情、筋肉や静経に封する信任、疲
旗充感を件ふ生理的及び心理的の興奮、次の形相は鎮 労の感魔の喪失、努力の忘却、こ1にeup訂r訂が降誕
静と怠構、心意的有機的清野の麻痺、従って幻魔の如 する好條件の源がある。また感魔の諸器官も稜々な程
きある感官の一種の激動からなる。メキシコ・インド人で欒化する。殊に目の受ける影響は甚大である。知覚
がペヨトを喫してその宗教的行事の問に現はす生理拳 された心象の色彩は言語道断で忘却され得ない。そし
的登化は先づ夜を徹して舞ひ唄はしめる強烈な刺戟、 て生理的心理的の自己旗充は自己の信任を誘ひ、屡々
そしてこれは悔孔を異常に域大して錯覚に捕はしめる 智カが優越したとの感情を抱いて凡ての難問でも解決
深い昏睡を倖ふのである。これが醒めてもその者は一 しうると感ずる。ハベロク・エリスもこの﹁精力と智カ
日二日腋多少の遅鈍な状態にある。非常に渾山の分量 とに溢れた感情﹂を記してゐる。要するに、ペヨト陶
む飲んだ彼のこの麿えつけられる様なメランコザクな 酔によつて凡俗の生活とは趣きを異にした新らしい心
感情はペヨト祭儀が一日も二日も掩いて、間断ない舞 的形相に入る。そして﹁この精力と智カとの感情は間
的倦怠・心的卒穏の状憩に菱形する﹂のである。而して
塔で筋肉的精力を滑糞し重し、殊に他に特有なアルコ もなく、魅力ある夢幻を誘ふ傾向ある紳経略鎮静塵理
ール飲料をも無茶に飲む彼等にとつては極めて著し
い。しかし、北米インド人ではアルコールと併用しな 後の象合は始んど全くc。l。r&鼓。n∽で溢れて偽る。
六三
いのでそれ程ではない。けれども、身は非常に軽快で この時の経験者の心境は、目を感嘆せしめる︵仇莞コ?
巷閑人に於ける宗教鍾翰¢︼研究
J∂∂
未開人lこ於ける宗政経鹸¢一研究
ill且奇異に美しい種々な事物に射する﹁忘我の状磨﹂
を阻ふ喜悦である。そしてこの陶酔親の最も特色ある
要素は知身の領域を侵す障害である。武力の極大な尖
鎗化は逸ひには外界は今や全く同一でないとの感銘を
輿へる。そしてこれは箕有の感筆の迷妄した知覚、戎
尭的幻想へと擦過してゆく。この期に於て、幻想と似
たも一つの特色ある現象は武力的な錯曳︵邑︼ue訂tiOn︶
である。これが昂進しては、既知の物鰹や存在を喚び
起す心象の継起、強烈な素晴らしい探爛たる色彩、豊
かにも放奔な峯想を旬んだ夢にも比すべき心意状態を
描き出す。また多くの場合には、ルイエのミm苫e邑鼓計
犬四
計m守口訂各pい謬y邑。giedum宣iei冒e rdigi・
であり稀である。
︵こ▼
e責−−¢挨●p●匝か−琵●
J・葺邑ヨ。慧r;nppprOaeFt:訂p琶bO首yO、
邑igiOnこ¢h芦p.芝−︼−や.
︵A.冒Obs一
仙人掌ほ九百から千二育種近もあるがその大部分ほ
アメサカ大陸に存†るミ苔ほれてゐる
e訂lte手袋e邑g訂白色i2.邑屡−悪声p.︼−1⊥旭.︶。
これの語欝原には今は吟味Lない。唯地方に=よつて
︵ニ︶
︵三︶
︵〇
異つ㌣命名詣されてゐる︰ミを心待てなく要があ
W‰。ま\試籍巴erO払でli FO\胃uie訂訂
る。合来園平原の日○句読族では設置COm旨e打法
放でほ
では巳kOri−Eku︼i︼各●、COr監でにぎu邑弓i等々。
RpヨnOnd・詳nか冒ぎチ冒pe苫tl d呂S le仏かt計
i
呂Hie宗こ琵加・p・望iぶⅠⅠ。b邑邑tヱ;p,きp−会
−上顎.
tr−
斯くの如く、ペヨト陶酔.殊にその幻覚から凍る王 描
︵五︶
pey皇宮屯、所謂e。l。邑罠d詳n−呂ditiOn≡○すか認なる現
象が生する。或ひはまたべ軋ンガーは、神威家の忘我
もジ.ネが寮顔した忘我者にみる様な、峯鹿又は倦怠
忘我状態を生ずることを指摘してゐる。けれど
状腰に似た完全な認識を件ふー一−意識は殆んど獲じな
い ー
丁ンー一ユイ
の感情状噂■かt邑dO乳c訂re乳、や紳との合︼が破綻した
との錯乱状腰ヘ音tdet旦弓屯、はべヨト耳敬者には軽彼
ある者は記してぁる。そして時にはベリンガーが報じ
れ得ないひそれはお伽の臨だ、それは生ける光線だと
ば﹂一種の神秘経験であることが容易に理解されうる
てゐる如く、光曜にも接する。その経験は全くジェム
脛の経験は多くの箕験者の厳軽な記録を鮎険してみれ
のである。ウイヮ7ム・ジェムスが宗教的紳秘家の共通
そしてまた斯る紳秘的状態は永演はしない。暫時で
ある。t⊇詫d昏e﹃であゎ′音警軋tOrF毯である。
辟、既に一言した如くこの紳秘的状態はそれを経験
映じ、灼きつく様な鮮明さ︵br嘗tn聾︶は恰も﹁電光﹂
青・黄・紫等の再挙鏡的色彩は千牽萬化して開いた目に
経験はさe苫ndt訂どrign、、にあつて﹁宇宙的﹂真理を
クサユバーによつてカ詮されてゐるこのpr巾眉−?⊇?の
t邑Fum甘mす軋b句tg
終少にべヨト紳秘経験に於ける受働性の問題も明白
d叫浮雲乳YゐiロSigぎである。殊に
﹁流星﹂或ひは﹁爆蓉﹂の様な目もくらむ感度を誘ひ、
郎ちdim苫S訂n註マをも
殆んど把握せりとの感銘を深からしめる。
一
からきた充たのでなくして彼等の崇拝する静々の恩寵
明杜に葦在に謝する異常な浸透︵邑弓已iOn︶が である。土人は斬る異常なる精神の快易と高揚は自身
感知される。それは言語に発し筆紙に措き難い生ける
大玉
であると感する。それはべⅥ′ンガーの云ふ時間喪失
未開人lこ於ける宗教経験の一、研究
が如き印象であつて、一度経験した者は永くそれを忘
って 一
造形的垂像﹂として現はれ
封象物の表面は或ひは﹁浮彫﹂の如く成ひは﹁極度な
t訂Y試○巳転.t訂iriロd襲ribablen乳、と云ってゐる。赤・線
る・
。ジェムスのT訂﹃罵e乳邑袋○〓臥gぎintOde呈訂ら
払超することである。エサスはー卓ee已乳c訂r邑eりOf する者には感情の状潜であると共に智讃の状態であ
ミi∃盛缶di訃屯、悪魔的陶酔の現象は先づ有ゆる記感を
多くの箕験者によつて強調されてゐるこの静的陶酔
亦棲めて明白に認められるのである。
t叫及びtra乱enc叫とp最詳iギの園條件はこの場合にむn巨訂昌gi葛nin司○已乳、の言と符合する。
した経験の特質として挙げたine夢bil首と冒象eq邑il スの蓬d払底貝pr盛i昌盲○乱βua︷er巾胃ユ○〓訂eO邑邑払
ヱ37
\、
六六
人々の長時の断食や楽欲・間断なき無塵や歌養成ひは
東関人に於けろ宗教経験の︼研究
Q監。尉好乱C電停った静誼にみちた心ゆくま1な載照
魔の強烈な玉萄黍酒の痛飲によつて轟々各人の宗教的
ら恍噂忘我の状悪への躍進である。殊に舞潜は紳秘
静秘展敬の度合を強める。それは単なる快適の心意か
の世界、主宰する静々の領域である。
Ⅴ
如き紳秘的状態に掬する記載を、尭存するペヨ・卜的宗
ぼ基数静秘家にみる如き個人的及び抒情的の忘我でな
敢骨には忘我を求める舞跨が見出される。それは例へ
経験のノための秀でた一■手段である。殆んど凡ての未陶
教・呪術的信仰と行事の下にあるアメリカ・インド人の
くて、集合的及び功利的の忘我である。そしてまた忘
われ等は今や云はば世俗的なべヨ一貫駿者の新ぺの
現暁に轄任して考察の歩を進めねばならない。
率静成約合一・憑格の諸現象はか1る宗教の原初形悪
て全集囲が今も溶剤たる生命を汲んでくる静々であ
に生ける静で﹂ある。それをもつて弧先が生き、そし
思はれやうとも、彼等土人にとつてはペヨトと閲達す
ヽヽヽヽ
︳
る聖火、光明、或ひは應の静々はパスカルの云ふ﹁心
信仰者は拓ぎない彼等の信念を汲むのである?腰威あ
い耐性なもので、この威容な内奥の忘我的宗教経験に
所の経験は彼等にとつてはまことに濁自重言説し待な
又は氏族の全員が相共に斬る恍惚的境地にあつての見
文化人艦とつて如何に低級凡庸に怪奇に非倫理的に
る。静々はペヨトを通して現示し、その故にまたこの
る二三の宗教心理拳者が最近に、忘我を以って宗教現
に近付くに従って複雑であり有堵陛的である。〓静族
仙人輩は紳聖性を帯びる。それは集囲の宗教的儀熔の
象の核心としやうと試みてゐるのは恐らくこれの理由
メサカ・インド人は彼等の静との悦ばしき交靂を湧け
からである。このm窯al鼓OnSに停ふ忘我によつてア
圏内にあるが故に∵屠紳聖である。
未開人敢曾の宗教的気温が上昇する祭儀の時期に於
て主役を司るこの神聖な植物は、その集固を構成する
J3∂
る。彼等は静を見、静を詑き、静に酔ふて、その生々
しい見紳のi莞夢b︼eな醍験によつて、宗教生活の至上
の殿堂に塗輿するとの感銘をうけるのである。
しかし乍ら∵斯くの如く忘我のうちに紳を観照し或
ひは紳を欝現するには、単に能町し断食し舞騰するだ
けでは充分ではない。この陶酔・断食森跨等から生れ
る混沌たる激轡興奮に、ある静の形憩を輿へなければ
ならぬ。而してこの静の形腰豪輿へるものこそは、フ
ランス敢曾拳渡の見解によれぼ﹁敢曾﹂であ少、F
ラタロアによれば入閣に固有な﹁樺静﹂である。しか
し何れの意味でも、宗教の封象物の貨現に克行するの
は宗教である。静秘経験はそれ自ら宗教経験ではない。
アメリカ・インド人に於て先存する一定の宗教親念が、
ペヨト幻螢をして宗教的紳秘経験としての倍値を有せ
しめたのである。伶また彼等の斬る静秘経験は多様な
個人差をもつた空かなる内容から成ることが以上のわ
れ等の粗雑恵デッサンによつても管見されうると思ふ。
未開人に於け皇訴教経験の一研究
J39
・
敦痙本輸伽論争託に就いて
輸伽論手記
諏
︵六︶
輸伽論分門記
訪
養
輸伽師地論分門紐帯五十二巷
輸伽師地論分門紀第四十巷
︵九︶
輸伽陣地論分門詑第五十三春
輸伽師地論第五十二番
︵一〇︶
︵三︶
輸伽師地論洩癒手記
輸伽師地論第三十九巷
︵三︶
︵一一︶
︵〇
︵七︶
敦鰹木稔伽諭手記に就いて
﹁稔伽諭に関する敦堤本
教授の研究に依って吐蕃の汐門法成の詳述若しくぼ謬
支那畢夢二巷第五壊に於ける石濱純太郎氏及び財田
︵一︶
述と考へらる1敦燥彿典は可成り多数に存在する事が
明瞭となつた。就中、塊伽論に関するもの多きは注意
すべき現象である。私はそれを便宜上一括して弦に再
伽 伽 伽
論 肺 肝
一 地 地
螢 静 論
繹 科
護
てゐセい。本手記の記載lこ依つても後ちに自ら証明さ
然かも大事を取られ告が古雅併家は何等の差別を設け
︵二︶
︵石尊氏l三輪伽論軍輸伽師地論ミ同一叱るな推しっ1
輸 鎗 輸
列してみる。
星〇.怜○餌P
彗9旧悪声
▲
+▲
 ̄
( ′■‘ヽ ′ ̄■\
︵一︶ 玲伽論策由十四巷
︵三︶ 輸伽師地闘将分門誰−巷
望〇.帽0︰品.
甥〇.柏−相場.
︵舛︶ 輸伽論第三十三巷
甥〇.愉0厨00.
︵ニ︶ 輸伽師地論 m訂−研−望
︵重︶ 痢伽論第三十匝巷
J卯
六 コi P■
\_′ ) )
は塊伽諭第四十開巻手記の一片、︵七︶は璃伽論第十九巻
大要ハ年五月の宗大展覧曾数行本に依る︶に徒へば︵介︶
是等の中︵一︶より︵五︶まではべサオ氏将来の彿典にし
の二片にして後者の巻物の終りに﹃塊伽論廿怒分門記
れるそ風ふ。徒つて私li以下輸伽静ミ略絡する。︶
て羽田教授は︵三︶︵四︶︵五︶に︵一︶︵ニ︶の如き﹃法成澤﹄の
屠〇.旭0ひP
成澤と認めたと言はれた。伶ほペワオ氏蒐集の漢籍日
輸伽師地論集三十
六九
著作目線︵古畢彙刊本︶に見ゆるとして石塔氏が出さ
︵一三︶︵一四︶︵芸︶は李嘲灼氏の敦燈石室経巻夫人蔵経論
て法成の繹出と考へられた様である。
氏将来目録には壌伽論が十開巻もあるが石濱氏は港べ
れば同じく法成の述作であらうと推定された。命ほ橘
るのみであるがその他にも法成の弟子智若山の署名あ
ものにして石濱氏は最初の︵入︶に法成述の記載を有す
︵入︶から︵一ニ︶までは橋氏搭乗日録に出づる主要なる
る。
その奥書より察して塊伽論の分門記でないかと想像す
︵円︶
地よりすれば法成繹と認めて黙ろべきだと思ふ。私は
と言ふのが紹介されてゐる。是れも石濱氏の如き見
︵入︶
年の奥書ある
文字なきもべヮオ氏と共に富木を開発した時すべて法 尭﹄の丸字あ少と言ふ。伶ほ同線の後部には大中十一
︵三︶
録を播けば旅伽論に閲するものとして
︵一︶ 輪伽師地論筆問地分門詑
輸伽師地論菩薩地分門散発三春
巧〇.柏○¢∽.
当〇.柑○00〇.
︵ニ︶
輸伽師地論決繹分分門記第二巷
甥〇.柑−¢P
︵三︶
輸伽師地諭菩薩地分門記第二巻
屠〇.柑匝−P
堵a.柏−監.
線伽師地論繹決分分門紀第一螢
甥〇.地相u功.
︵因︶ 輸伽論第二十六巷以下
輸伽師地論策一巻
敦鹿本璃伽鎗事故に就いて
博士の鎧封敦燈地方出盲葛飾典卯ラl”解読目線︵私は
って石濱氏が拾ひ出し述者を法成に擬せられた。矢吹
︵大︶︵セ︶はスタイン本にある由を矢吹博士の日蝕に依
法成の繹述に非ざるかと疑はれる。
附記してゐないが君田教授の詮を推して考ふればまた
の七粘がある。ペサオ氏は何等法成が関係した様に
( ( ′ ̄ヽ
一七i ブヾ 五
)
)
)
∫≠∫
敦鹿本檎伽番手故に巌いて
七〇
共七巷
が多く残存してゐる。而してその殆んど絶てが法成の
燈遺書目録を検出すれぼ意外にも壌伽論及びその論疏
かくの如く財田教授石濱氏の指摘に基いて各種の敦
倫伽師地番陸躊手記
共二容
辞述にか1るものばかりの様である。併し是等を概親
れた。事案上古拳彙刊本には
痢伽師地論科
共二螢
伽師地諭揮﹄なる彿興が現に大萩経中に存する事であ
たその可能なるを助言された。併し注意すべきは﹃腐
濱氏は是等三種も法成の著落と推定され、君田教授ま
給料記と記されてゐるのに相富すると思ふ。而して石
に注されたが︵三︶は撥伽御地論手記、︵遠︶は璃伽師鞄
を二ぜ乳︸
が法成の芋に成った事を表はすのに前者をへ・d㌔後者
伽論第囲十四番警●空夢及び︵二︶洩伽師地論警.㌍琵.
の浮出であらうか。ペワオ氏はその目録に於て︵こ癒
成の述なる事疑ひなきも、他の腐伽給そのものも法成
明記あるに依って伽稔諭分門記と碍する一群の疏は法
して、︵入︶の奥書には﹃団大徳三森法師法成蓮智慧山﹄と
翰伽師地論樺
︵五︶
る。只これは玄共謬の一巻本で直ちに前記認︵二審﹄
ない。若し是等が﹃法成澤﹄なる明記を有し、又それ
とある。氏は同日錬重文本陀︵一正︶しか出てゐない様
となつてゐるものと岡本であると定め狂いのみである。
と決定すれば、大赦経中に現存する玄英謬塊伽諭と全
︵六︶
李氏は是れを﹃亦散義﹄とか﹃可賓参考﹄と簡単に解
く異る一霹を檜す事になつて極めて注意すべき事案で
の接顔詞で示しご旨d已t、、の言葉を桐ひてゐ
改して何等玄柴本に言及してゐない虚より見れば或ひ
ある。私はか1る疑問と希望を以て昨年も暮れ頃、羽
︵七︶
は全然異本と考へた方が正しいかも知れぬ。も
田教授に教示を誘ふたのである。その時教授は串にも
ペリオ氏の下より来着してゎた寓眞版を取出して瞼出
最後には︵宗︶松本博士が﹃敦燈石室古海経の研究﹄
の中に紹介されたもので石浜氏が法成謬の一つに加へ
して下さつた。然るにその結果︵一︶凍伽諭第四十雀
︵入︶
られ財田教授も賛意を表された。
J4β
辞め得た。弦に於て羽田教授は、特に最後の一駄を患
の名もなくその上に塊伽論手記なる表題を有する事を
分門記にして︵豊漁伽論第三十三恕二若.望夢は法成
三十囲怨二号●皆野は﹃法成述﹄の記載あるも瑞伽諭
ぎ・空夢︵ニ︶壌伽師地論ぎ.誓詑.及び︵き洩伽諭第
改められてゐる。
ねばならぬ。勿田教授の下にある本疏寓典故は直ちに
連繚してゐる故に前者の番壊はぎ.誓芦の誤りと見
直ちに目録香城ぎ.g浣.を有する第三十三某以下に
芦㌦0寧
その中第一菓より第三十二兼までは目録番壊として
その第一真の最初には、
なる教学を有してゐるがその本文を見れば
興して、その調査を許された。私が今思して濾伽論手
記と節するは即ち是れである。石濱氏は前記支那拳に
なく璃伽諭分門記とするものの内容を究明せぎれぼ舟
来の調査を待たねぽならない﹄と言はれた。申す迄も
伽諭第何番﹄とのみ記載されるに至ったのは無理から
字を以て附記されてゐる。されば登埋を急ぐ目録に﹃塊
とある。戴に観取し得らるト如く題下記は小形の文
特典輸伽盛事託
ほ是等の摘係を充分明確にする事は出来ぬ。併し私は
ぬ事と思ふ。併しその結果は極めて重大にして、とも
輸伽論策冊三巷
未だその磯曾に到達してゐない故先づ此の二質料によ
すれぼ漁伽の本論の如く考へらる1様になつた。少く
於て﹃ともあれ法戌と塊伽論及び論疏の閲係は倍ほ藩
って経め得たる粘を好誼的に叙述してみたいと思ふ。
とも日録の記するところを以て諭すれば然かく解せね
らむと想像するに至るも亦許さるべき事であらう。沈
ぼならぬ。果して塊伽諭の本論とすれぼ法成の別辞な
ベワオ氏より君田教授に廻逢された本疏はペワオ氏
んやペウオ目録に蕗成の陶係せし他の壌伽論を記する
〓、本疏の名稀と内容
蒐集漢籍目録に。空夢cF㌶m旨塊伽諭3とあるの
に於ておや。然るに事案は相違してゐた。以下単調の
七﹂
粧相雷するものにして宵四十八乗の葛眞版より成る。
敷浪本嫡伽論争詑lニ就いて
∫塵3
教煙本線伽論手記にこ就いて
嫌ひはあるが内容をも察し得る関係上各巻首尾の題記
を轄載する。
︵冠旗の教学は本流馬眞版真数である。特に謹ぜざる限
特典輸伽見事託
り中問は本文を以て浦圭さろ.へきものミサる。︶
︵こ一輪伽論弟冊三巷
︵ニ︶⋮⋮⋮⋮⋮・・⋮︰⋮︷後年余白
輸伽論第サ転絹巷
手記
/
輪伽論茅竹入巷手記
手記蒐
七二
和解戒汲森蜜品
輸伽論集珊−巷手記党
輸伽論告第耕一手傷籠
輸伽論寛刑恕尭
輸伽論策鼎金手紀
輸伽論策冊九巷
輸伽論巷媚幣珊・箭九手記
︵至︶・謂奇策廿八克
︵否︶
︵発︶
︵菖︶
輸伽論集州二奇手記
輸伽論策鼎西藤手記
輸伽論策珊三春統覚
輸伽論策珊二巷手放
︵条︶・鳩ほ第珊二巷尭
︵丑︶
法度
︵一望︶⋮⋮:︵初部に本文の断綾な息ほしむろ凋き目ぁり︶・・
輸伽論集珊五春草認
︵萱一︶輸伽・相賀第珊己・帥詣か統覚
︵一〇∧︶輸伽論集珊五巷克
沃鏡
法餞
︵〓セ︶輸伽論茅州大懸寛
輸伽誇第刑六食事籠
落慶
苛薩地中勧学硝幣伽虞
己祝蟹及恋地党繹法鏡手盛説
乾
︵立︶ 勅部に少・し余白の織きあり︸⋮⋮⋮亨⋮
︵九︶
愉伽論第珊・箭四番
輸伽論策冊四巷手記
︵一∧︶
輸伽論巷革柑五手盛記
樺浅慮
︵羞︶⋮⋮⋮⋮⋮⋮︵後部余白
︵毒︶ 前面余白︶⋮⋮⋮⋮⋮⋮
︵ニ犬︶・⋮⋮⋮︵中央余白。巻末結題なL︶
痢伽諭廿琴志藍幣べ六巷
︵宕︶ 輸伽論第廿大審乾
輸伽論巷第冊七草籠
︵冨︶ 輸伽論集≠庵轟
∫44
●
碗伽論第珊七馨手記
︵三七︶輸伽論弁鼎七巷克
輸伽論第鼎入奇手餞詑
︵三七︶喩伽論螢第鼎八尭
碗伽師地論笹罪刑九手記
︵一望︶輸伽諭舎弟州九巷詑
輸伽論若芽五十亨鍼摘記
銘記﹄と耕すべきを知る。︵因みに巻末結塩に唯醸伽論
第何番と記さる1もの多き事賓と、第首lニ十七菓の一
例にて塊伽諭璃伽師他藩の略帝なる事とを記憶すべき
沙門法虜本
讃するとき愈々塀碇となる。今ペリオ氏がそⅦ目録に
而して壌伽諭そのものに非ざる事は本疏の内容を解
である︶。
法餞
﹃誉・空夢漁伽静第三十三巻﹄と記した箇所正正しく
封應する、本疏最初の︼部分を提示すれば次の如くで
本地分党
︵︼宍︶諭伽論東五十奇手舐
ある。
輸伽師地静穏第三十三
これに依って本疏は﹃漉伽論手記﹄又は﹃塊伽論手
輸伽論第単二螢
本地分中華聞地第十三
待奥輸伽魔手記
撃聞地第二巌解中
弟四輪伽虞之︼
立生起放論文言復次等也
復次此岨花両日
幕内済解典籍黒輸伽虞分二
︼略繹二廣解
︼
明項略梓分十一
勅文分四
二
︼、明丁相等七作意相放論文言七作意也
二、明詳欲四静慮相放論文言離欲也
三、明四覚奄痘相故鎗文言及諸定也
数億本埼伽論手寵に就いて
∫舶
敵性本碗伽詮手紙に就いて
匝、明光心二定相政論文官厨躊二定也調光栂滅
麓相定也
五﹂明五邁相放論文官五前週也謂辞意等入定鼻
也
六、明色男色二定盤差別相放論文言生差別也
七、明鹿欲等相放論文言諸相謂肢鉄色二界鉄也
・欄レ搾取地上七門倣世道立鼻血
八、明由諦十六行相政論文言観察於帯締也諸因
決持分修行人也
九、明視粗相政論文言如貨而通達也此則是其見
遣位也
十、明修道相放論文言腐分別於修也此則是習修
位也
明七作意等惣嬰養分四
先挙世也
三、明究克相集故静文言究蒐匁其後也此則長英
第三
て∵符標政論文言己綽作意等也言少分聖断普請
称賛心惨七作意聖断見修二湾入也
二l撃取相関
農耕二足
五耐湿
観察於講評
如茸而通達
幹分別於修
究真偽其後
己得作意諮輸伽師己人知最少分無断夜曲己後唯有二趣無断
飴
何等烙二
J‘好
三、列名可見
四、別辞分二
︼、宜国分二
一着世間二出世問
述であるが私は分段的に列挙した。而して一骨にて知
本文は申す迄もなく新府改行等を鰯さざる逐字的記
本の本地分各巻に照合するとき全く驚嘆に償する。さ
う。倍ほ遡って前出各巻首尾の題記及び題下記を玄柴
璃伽論に封比するときそれを何人も青首し得るであら
彼初修発話玲伽師由此作意或念我宮仕世間趣
り得る如く旅伽論の翻謬に非ずして段階的に院介しっ
れば本疏が法成謬の濠伽論に非ざるは勿論、その本姥
︼、俵世道立園故論文雷疲勅修巣等也
つ解繹を施したるものに他なちぬ。此鬼に於てペリオ
となれる璃伽諭も亦何等法成の新謬に非ざる事を知ら
或念我常在出世趣
氏が﹃洩伽論﹄とのみ停へ、遂に洩伽論の別澤の如く
ねばならぬ。
二、供出世道立国政治史言或念我嘗等也
考へられた本疏は決して然らぎること最早一新の旋ひ
の玄奨謬と異ってゐるかも知れない。従って法成謬の
を底本として疏越したものであらう。それは現存唯一
併し是れを塊伽諭の疏と認めて如何なる渾の魂伽諭
第育〇七菓の初部に本文の断埼を思はしむる紙の拙穿
の初部︵三︶第二十六菓の中央に峯魔の余白を有し︵豊
り第三菓の初部︵二︶第二十三菓の未部より第二十四真
に題記を列ねた時に任した如く、︵一︶第二菓の後部よ
倍ほ本疏は外戟上新顔する四倍虚をもつ。即ち発き
存在を推定せしめるのかも知れな㌧然るに期待は全
なる紹ぎ目を蓉見する。是等の中︵一︶は事賓上本文に
なきに至ったと思ふ。
く裏切って、本疏に引用する﹃故論文言﹄は轟く漢謬
可成少の断籍を禿たしてゐる。それを大正戒経の塊伽
七五
の玄柴本に一致する。前掲上段の論文を下僚玄英辞の
教典本輸伽論手記に就いて
∫塵7
敦鹿本喩伽論手紙に就いて
七六
﹃食離欲界欲﹄以下同聖ハ六貞0段後方第七行の﹃名加
に過ぎないであらう。最後に︵四︶は前三者に異つて峯
三十五番は完結してゎたもので巻末に結題を脱したの
論に封照すれば夢二十三春用六五黄五段後方琴二行諒
の恕第三十五番﹄に封抗して考察すれぼ恐らく本疏第
行究尭作意﹄に至る論文の疏蓮を過失してゐる。︵二︶
不自然なるやを感ぜしむるのみである。﹃惣第六明得陀
は﹃二例明大書法戒者謂世出密閉二穫戎也﹄の次に自
容を有するのでない。唯拙劣なる紙の継ぎ目が行文の
虚の余白を有して後.﹃第五夢心最勝分二。一明最膠分
論﹄とあつて継ぎ目を隔て1直ちに﹃第十川節度正廠
四ひ一標。二列名並細論﹄とあるが最れを同じく大轟
正尼正行分三。一惣棲。二後閑並細論。三別辞分四細
戒脛塊伽論弟三十五包囲八二貞A段後方第六行の﹃二
種無量大書法戒告知亦爾。最初牽心型園菩薩。由初塀
豪菩提分徳分銅﹂と言ふ次の行に連績してゐる。是の
心求菩提故。肝兢書法比余金一切肝琉書法。有二種後
膠節
。は明かに﹃云何菩薩肝修正麒﹄以下︵大正威鮭漁
前節は﹃岩窟菩薩具四徳云々﹄の一段に射する疏と見
一着因膠。二者果膠﹄に比較すれば何等行文に断帝伽を
論第四十五番五四三お段八行︶の文に相應するから
認めす何を意味する峯鬼なるや制定致し難い。︵三︶も亦
﹃二明應輿相。放論文言。若不生染等也。三結。放ね
論ばならぬ。而して簡畢に過ぐる疑ひはあるが﹃別辞
文言菩薩於此等也﹄とあつて峯白の後、突然﹃魂伽争巴とは四種功徳の各手堅説明したものと見れば弦
を存しないと見るのが正しい。従って本疏は腐伽諭第
論番肝六番手記﹄と吹巻の首題を見出すが大正戒鮭に疏文は轟きてゐる楼であるから、何等文脈に切れ目
漁伽論夢二十四巻末四八阿頁A段後方第五行の﹃若不
生染若性非染。無罪有盆是肝宜者。於諸衆生郎應授輿
。三巻より第五十巻に至る迄.唯一の文断を有する
三十
菩薩於此随自力能。亦應如是修行受拳。告知是名菩薩
のみにして殆んと連帝せる本地分後牢の手記である。
利金安楽種類自利利他。除此無有宕過若埠。濾伽師地而して思ふ北本疏は本地分を似て完了してゐ尭ので 誹
論詰二撞決揮分第三塙分番頭接異門分界五掻事分と緩
巻に至る鏡決揮分を持すものにして本手記が侍ほ塊伽
也﹄とあるが足れ明かに魂伽論第五十︼巻より第八十
なからう。本疏寄眞版第一葉芽九行に当決搾分修行人
大正戒揆塊伽論第三十三春闘六七頁A段如是
隊鹿等四法中也。﹄
加行先尭果作意。余六皆是肉位作意。放線入
如是六穣作意昔知根入四作意中。此中意誼除
一惣標。故藷文言如是其等也。若俵蕃本云。
︵二︶
第四菓後方東六行
其余四種作意。嘗知繰入六作意。﹄
いて存在せしを推察せしめる。
三、本疏の特徴と適者
ふ鮎である。巻本は時に﹃寄木﹄とも書かれてゐるが
有してゐる。それは寺本の壌伽諭を垂照してゐると言
三現存してゐる。併し本疏は是等と全く異つた特徴を
繹したものであるがか1る論疏は後にも遊ぶる様竺一
安住。﹄
何歳静内放心一趣故定盤青紫於第二静慮具足
湊本雄莞應如是説経云。首筋二静慮者。諸寄
青木。此四静慮二骨先標其経旬。然後解繹。
三。一立園放論文言。復次於有尋等也。若於
第二輝第二静慮経旬分八。一明尋何寂静等分
西戎本を意味する事は言ふ迄もない。私は未だ現存西
大軍二十三春四六七責0段
後攻於有毒有伺l二産地相⋮⋮:中略⋮⋮⋮如
七七
七明重義如静。若於手本。此中食有離愛及具
第五菜後方裔九行
掛校する横合を得てゐない故知何なる程度まで本疏Q
︷三︶
是一切如前歴知。﹄
本疏寄兵版弟lニ業界十八行
数鹿本揃伽論争敢lこ就いて
︵l︶
引用の僚併を拾ひ上げて見ようと思ふ。
手本霹出が信雄するに足るかは別問題として暫く春本
︵九︶ 戎本︵T。me軸舛rLI舛d乱封邑・盲3rSpすOd・︼風早留︶と
本疏は上兼明絶となつた如く玄其の湊渾濾伽論を注
J4タ
諾聖宣教謂俵於此日得安住。禰特伽辞。具足
大筋三十三巷囲六八東A鹿
者應知。﹄
風姿佳。第三静慮輝何義尚前。故謬者不出読
無色定時。其身楯状知慮虞容。雷知此中由着
復攻此中人辞鹿足時。其身相状知慮蔓中。入
大筋三十三春闘六八頁q段
沈於弛而維出故。﹄
中両難得出。世定亦余。故事本云。其身相状
七八
捨念及以正知。佳身安楽。第三辞慮具足安住。
言育英等者謂欲界欲也。言離欲者謂靡色界欲
一明色相出過義。故鎗客首復攻於虚垂等也。
大第三十三巻四大九A段
若依着水。莞其等字右脚事
廣解中大門禁断の明紳通笑。表棲如萄
第七菓後方第八街
岸地柏。安住上捨勤修加行。﹄
︵六︶
也。若於巻本亦應先機鮭旬。経云音容蒐遽虚
復攻俵止醇慮費五通等﹄
大第一二十三春讐ハ八東B段
修困之時。央輿衆離任修。故得果之時。或十
義。後宮部行喩者此鞍部普之義也?次寮濁度
一俵初道立名。中音麟角喩者此顛成一蒐侶之
第十八菓第九行
復攻於威容起膠解故。併有音義赤白等。相旛
︵セ︶
顔色相。由不顕現故。及厭離欲故。皆能超
化剰有構。故番本中名盛患部也。
或有力至千萬。一時出現於虚名中。魂十八牽
第七美希十行
犬第三十陶奄四七八東A段
越。是故孝吉色想出過故。﹄
峯発達於客先遽盛具足安住。﹄
着色相出過故有封柏波浸故種々相不作意故人
弟六業廃十四行
音譜聖者。謂勝也告及悌弟子。﹄
敦盛本椴伽論手取lニ儀いて
︵由︶
︵五︶
一明入固辞慮。中音如蟹中者。如蝿等庖於繁
J即
︵入︶
雷知此中。′由初習故。虎猫覚著名麟角噴。由
管鹿栂也。﹄
有病而強敵之。此亦如是。若請謁伏諸外道。
二明犯相。中音知草葉者。如世苦参等襲。若
大串四十一巻五一九東B段弟六行
第三塀法思膠解忍。若依巻本云決定法思膠解
J∂J
証惑り於他便不以身而施於彼倍併欲馬繋腐於
彼随順於彼。由請書薩寧於百反千反或宙千反
捨自身命施藷衆生。終不随砲教命碑悦彼情於
弟二男lニ習故。成猪勝者名部行喩。﹄
夢二十三東第十三行
衆生非理逼迫損書証感。﹄
大第三十五巷園八二頁A段
故襲習彼論者莞犯宕不知是。後者杢弓而習
第七十二兼第五行
一明接受恕。中音壌衆生等者。誼一切衆生皆
︵岩︶
一着璃諸衆生。骨儀容腐。﹄
近著等也。﹄
起妻子之相。故香木云ヤ抜藷衆生細岡妻子鰯
第五十四業界二行
﹂依非利損他明ネ應施棉。故論文言。謂請書
薩雑費心時誓捨金身渚有恰欲。若有盆着古度
忍。於申分元一惣間﹄
弟七十丸薬後方第八行
迎犯一.Ⅶ
非知手柴面習近之。是名有犯布原邁越。是染
輿上避退損偽証惑三文旬一々相合。言由請菩
薩等也。音非利者謂作十悪業也。言損他者。
︵二︶
千逼乃至多盲千適亦潜行施。若不利念下人仲
大帝四十二審五二四責0段第六行
薩等者。若於巻本云。雄藩菩薩等也。謂譜菩
井刹等帝乗乞者便不磨施。﹄
秀人十業後方希四行
云何等薩法思膠解忍﹄
︵三︶
七も
大第三十九金玉〇五責0段第九行
謂請書蔭若有衆求共悠倖色欲俸非耕逼迫損害
救幾本環触詮事故にlいて
︵九︶
▼
敦娃本痢伽論手籠lこ就いて
陶俵分位着別明乱。故論文書宕病等也。言非
︵芸︶
起者若依春本明衰盛等也。謂於盛衰分位之中
亦能引其三種故。﹄
大箱四十二審五二五貞A段後方第十三行苦痛
不病苦臥若起。常能修忍。﹄
第八十一葉第六行
第七明途求忍分五。]惣問。中書途求者。若俵
第八十五菓第九行
云何菩薩海求忍。﹄
大筋囲十二巻五二五貞A段後方第十行
八〇
上正等菩提。猛利欲戯随長養故。﹄
弟八十六菓第十六行
二依善得明白性。故論文言心正也?謂於他出
世道近分根本定中併有請書。能令行人心得正
直。故番本中名焉善得。﹄
大節用十三巻五二七責五段後方弟四行
心正。﹄
第八十七菓後方第八行
義縁者此約思悪也。故番本云練義静慮﹄
謂汝名静慮也。二明俵得修習節線静慮。中音
者謂依聞苦故能縁語法自共相名。故寺本云。
︼依未得修習明符節稼立初一静慮。中音名泳
︵一穴︶
巻本云。遮彼欲柴也。謂能障彼所求之心故也
。﹄
︵三︶
︵一望
一俵克典欲倶行。明一切種精進。故論文言。
一着名縁静應。二者義級静慮。﹄
一兵欲等也。若依寄木云。輿欲願倶行精進也。 大農園十三巻五二八貞A段第十囲行
謂修?甲等三精進棒先於売上菩提有柴欲心。
者宕依蕃本云明善思揮也。謂能思搾他身自身
︵一セ︶ 帝石〇二葉第三行
及庚大誓愚者方得名焉一切経過備精進也。言
猛利者。輿巌及欲三相合。言随長養者亦介。﹄ 十二俵能忍他局裾明善知世間。中音或善思揮
大筋囲十二審五二六頁C段第五行
l輿欲倶行精進。謂請書薩併有精遮。敦於無及局辱事本性客者名正思揮。亦名正法。音省
J5β
︵天︶
︵完︶
大帝四十六巻克明四責0段第八行
云不戦償有而修厳等也。h
大帝国十西金恵三八東0段第lニ行
文善男子或善女人。於一切時恒有寛物自性成
己過者謂以多生自業封治他局裾事。﹄
若役属地身語皆辱。或善思揮。或依正法。或
孜乃至無諸病苦。而奥書薩先侶親厚。菩薩於
若諸有情生於菩薩併。雄無断求亦無衆難。廣
大帝四十五番五四二貞A段第八行
奥彼先偲親厚也。﹄
情等也。音而奥菩薩者。若於巻本云。菩薩應
大箱五十巻五七四百官段第十五行
謂於蕃本究此等字列妙智差別也。﹄
智薫別義分三。一惣問。中言柏去等取身心也
中屏知障。﹄第三明安住到究尭地菩薩及如来二
骨髄之中微細習東名在賛也。故番本云任在心
四明樽依功徳。故論文言一切夜宴等也。謂在
第首四十五菜第六行
彼随宜勒導。断諸悪法。修議書法。所謂令彼
一切在宴席知障品併有鹿重無余新政。得膠培
︵ニ○︶
輿此相違是應道理。﹄
就。親展侶有。而能修厭離欲解脱。不磨道理
第百〇八業後方第八行
省己過而自問解。不語於他。﹄
▲
知父母恩恭敬供養。東証乃至於浮戸羅随胎受
俵。如是樽俵最虜無上。其余一切乃至最上成
四明鬼盛観厚異分意柴方便。放論文言若諸有
拳。﹄
滞任中菩薩樽依。普知有上。﹄
問一切安住到究発砲菩薩智等。如来智等。云
第百〇九菓第九行
第四顛別執生等四相過失。故論文言。又善男
何應知此二差別。﹄
八一
是等漠霹璃伽論に謝する蕃本Ⅵ参照は、他の漢評論
子等也。謂渚菩薩戟有席得償相有改修而能廠
肝。苦言別有安物不戦候相不應道理。故蕃本
数鹿本輸伽鎗手記に放いて
∫艮I
裁農本璃伽論事孤に裁いて
文を唯一の板紙とせる麿朝帝京の紛疏と興り、既に論
文そのものに批判が加へられてゐると言ふ、軽かに本
疏の著しき特徴であらねばならぬ。
し得、又その文意を明かにし得る。
八こ
︵六︶の湊萎繹の差異は重要でもないがそれだけ適
者の腋解なる任意を察する事が出来る。
︵セ︶支那の疏主は麟角喩部行唸の説明を充分してゎ
ないが此の解輝及び殊に寺本の澤語に依って愈上明瞭
私は教理の方面に至って門外漢なるゆえ、是等漢春
雨辞の充分なる瞼討は今後専門の率土に保ちたいと考
となつてゐる、。
︵三︶書評の方が意味をはつきり表してゐる。
に侯たねばならぬ。
謬でもない。何づれがより尿意に近いかは梵本の詮索
︵一二︶
バ士コ漠暮雨本の渾語上の相遵は必ずしも相通じない
︵二︶蕃本の繹出が思案なるを示してゐる。
って一層明かになるであらう。
不可近地。是此中意﹄と言ってゐるが蕃霹の参照に依
︵一一︶
巧。非如辛夷。而習蓮之者。此外静状同学業際廠背之。
︵一〇︶窟基は此鹿を﹃諭解菩薩應。於県道諭。研求善
出が正しい棟である。
︵九︶漠本より巻本のカが意味通じ易く、且後者の帯
︵八︶の巻本引相は文意を一厨補足してゐる。
へる者であるが、併し砂くとも前記各項に就きで次の
事は言ひ得ると思ふから敢へて述ぶる事とする。即ち
︵この漠霹は甚だ意味明瞭を放いて額基は﹃其余四
︵−○︶
作意是七作意外政名外﹄など1苦しく酵詳してゐるが
香木の如き論文とすれば短めて自然に食通し得る。
︵ニ︶は巻本の経旬を出し然る後に解稀を薦してゐる
と言ふ、漠本との詳述上の差異を知らしめる。
≡︶は巻本に匪愛等の文句が存する由を察せしめ
る。意味上は大した菱化も禿たさない楼である。
︵四︶巻本経旬の引用に依って論文の趣意を︼屠明瞭
に把握せしめる。
︵五︶大正裁経は﹃蔓中﹄を﹃峯中﹄とも校勘してゐる
が﹁賓中﹄の暴君なる事、寺本渾出の意味からも決定
J朗
︵苗︶巻本の浮出がより厳正である。
︵芸︶演繹の意味が蕃本の参照にょつて明かとなる。
︵一票漠澤の名搭は意味を認め乗ねるが老木に依って
容易に通じ得る。春本の正しきを思ふ。
︵石︶青木の思案なる讃し方が解る。
︵一入︶蕃本の引文に依って文意が一暦明絶となる。
︵完︶同じく論旨が徹底する。
なつてぁる傘
而してかゝる本疏の存在は彿敦祈究の豪速過程に於
て注意すべき事である。即ち漠蕃謝辞の比較折究は何
等近来西戎譜折究の結果蓉生したる方法には非ずして
古く唐代に於て既に採用されたものであつた事を知ら
ねばならぬ。
命ほ此の漠暮雨文の使用は本疏の連番を想定せしめ
る事案上は本疏の前後を通常するも述者と忍ばるゝ人
に何人かの随聴手記せるを筆寓したものであらう。而
鏡なる人がある適者の講義を手記したものか或ひは既
して本疏は橘氏が移乗したる分門記の如く筆者を異に
以上不完全なる考察乍ら︵一︶可成り決着繭評の鎗文
致塊本璃伽論手記lこ就いて
が筆者とすれぽ最早他の人名を記載してゎない。本疏
八三
はスタイン本の︵b︶塊伽詮手記.李氏本の︵B︶戒伽諭
文によつて練成づけられそれだけ貴重さを有する事と
出された本疏は極めて特色あるものであ少.それは蕃
鮎を補正し得る等の事を認め得る。従って此鹿に生せ
みすして終始潜鏡一人の手に成ってゐる。果して法鏡
木の論文が概して正しい様である︵三︶演繹の不備なる
の間に相違する粘がある︵二︶本疏引用の限りに於て香
にも正常だと思ふゥ
叉若木に﹃菩薩智等﹄に﹃等﹄の字がないと言ふが第
如更
何二十七菓に﹃沙門法鏡本﹄とある様に適者と考ふ
るより筆者と見る方が穏雷である。著し本疏は汐門法
正しき事は蕃本の清衡なる謬出に依って決定し得る法
。鏡手鏡記﹄又は﹃輝法鏡﹄と記する。併し是れは本疏
は﹃在蜜﹄と出づる由の校勘が加へられてゐる。後名
者を
の費見せぬ。前掲の如く各巻首尾を鮎検すれば﹃繹
︵二〇︶大正戎経には﹃一切在肉﹄と出で、宮本生木に
∫ガ
敦痩本槍伽論争馳lこ就ドて
債務手記と岡本と考へらる1が何づれにも何等の手懸
手記中の一部にして﹄と言はれ世のを根接として逆に
八四
として倖ふるに於てをやである。されば縦令﹃法成避﹄
とも法成に類した人であづたと推定する・のが正しいと
りを有しない。有漢氏は矢吹博士が壌伽分門記を﹃前 なる記載は本疏に有せすとも恐らく法成若しくぼ少く
︵一三︶
スタイン本総伽論手記を法成の述作と推定されれ垢灯 思ふ。
四、本疏の侶位と岡本
古来戒伽論の注疏として停はれるものに四種ある。
′ 吹博士の言が如何なる鮎まで正しいのか茸際の資料に
雷らねば解らない。然れば外面的には全く不明である。
併し本手記の内容を考察すれば必ずしも推定されぬ事
略纂十六巻.︵三︶同者の塊伽論劫章項一巻及び、︵四︶遁
もないと思ふ。即ち本疏の述者は演繹け竺一日ふ迄もな︵く
一︶最膠子音薩等の壌伽諭繹一巻.︵二︶窺基の塊伽諭
蕃本を充分利用し得た人である。また虞々に梵語の鮮
輝もしてゐる。勿論中庸以後に於て敦痩地方では是等 倫の癒伽論記四十八番である。論繹は最も古い疏にし
を点し得た人も随分あつたであらう。が今は是等を自 て苦から貴重成されて充たが要略に過ぎ、劫章項は魂
論記の二疏のみ塊伽論全般の江藤として残ってゐる。
由に解し得て裁かも講述を悠し得る程の澤譲の人でな 伽論第二巻の﹃劫﹄訣に封する額偏に過ぎなく、略審、
ければならぬ。而してか1る人は誰であったであらう。
私は時代と地方を考慮に入れて法成その人でなかつた か1る中に本疏を加ふるに至ったのは茸とに畢界の慶
かと推察する。彼れは吐蕃の人、梵漢に通じ、ペワオ 事と言はねぼならぬ。李嘲灼氏は本疏と岡本と発しき
︵三︶塊伽師地論魔癒手記の解詮に
嘲灼某日本頼蔵牧唐遁倫記二十四巻。栽基略纂十
旭㌍P及び大森四法
経論及廣滞開決記旨.ヨ箪一の蓮者として見ゆる如く
六番。戒伽師地論者作僅存此其。此容不知何人著
氏の目標に大乗栢竿経障聴疏苦●
畢解め沙門である。況んや漁伽論に閲し分門記の述者
∫占♂
作。其云随想手記。或亦賠葵師講演而記録之欺。
審爾則甚可貴。﹄
と言ってゐる。講述肴の憶測は別として箕とに肯肯
し得らる1。
︵一方︶
而して本疏はその講述に際し、略碁倫記の如く﹃測
決して劣らざ﹂る事を認むるに相連ない。
併し乍ら何と言っても本疏の出色したる債権は前述
の如き寺澤論文の参照にあらねぼならぬ。略塞は親基
が玄奨の別溝を受け論輝の六大部門を採って著し、倫
奨の浅薄塊伽論のみに接ってゐる。然るに本疏は根本
記は蓮倫が諭梓及び略碁を継承して作り、何づれも玄
日﹄﹃基日﹄と.その名を出してゐないが多く先師の拳
的なる本論に春本を封照してゐる。是れ塊伽諭研究の
︵一六︶
詭憂参見した様である。本疏寓眞版第首〇二薫第六行
疏として最も新しく蕾見されて最も貴重なるものと推
.
か1る本疏より得るところは必ずしも塊伽論研究の
賞して躊躇しない屏以である。
には
十四十五十六十七。此四門義。最勝明及路迦経未
倖束夏及著国中。但以先代酪師口決而設†定説者
いが恐らく蕃観のそれ等とも思はれす寧ろ玄葵門下を
と見ゆる。此先師とは何人を意味するか明かではな
在を認めてゐた事を暗示する。申す迄もなく最膠疏と
りし事案を物語ると共にその反面に於て適者がその存
及蕃国中﹄の一旬は最膠の疏が支那及び吐蕃に未俸な
茸のみに止らない。前出の﹃最勝疏及路迦経未停来夏
言ったのであらう。かく先師の口説を尊重したのは唯
は最膠手書蔭等造塊伽論繹を意味する。西域記第十一
應知。﹄
に此の掴門の義輝に止らす全疏に及んでゐた事と思
巻鉢伐多観の使に
城測有大伽藍。伶徒官僚人。並尊大乗数。如是昔
ふ。是れに依って適者の拳解をしのび本疏の腐植を想
ひ得る。事責上本疏の内容を吟味するとき何人もその
僕那蛾羅誓最論師。於此製壌伽師遥論﹄
八玉
詳細にして親切を轟せる鮎に於て略碁倫記に膠るとも
数農本輸伽論手艶に銑いて
Jき7
敦廃木痢伽論争籠lこ就いて
八六
れ印
な度
か。
つたまでゞ梵本としては寛在し叉それがロ俸さ
と出づる。塊伽師地群論とは所謂論滞にして北
野を旨の大伽藍にてJil−蔓trpがY。g劉・訣rr音声bれ
i てゐたと解すぺきであらう。後考に譲る。
壌伽諭の校勘を悠し得る。例へば壌伽論夢二十三垣︵大
命頃
ほ本疏引用の漢霹論文を瞼出する事に依って漢詩
狐賢卜言か荘梓藍苛しを言ふ。最膠子は彿滅千首年
の出世と停へ、w旨藍齢是れむ大隈壁ハ世紀後年に
尭現在屏云々﹄の文が空木にては﹃如是尋思云孟と
正唐
戒繹
成立したものと見てゐる。支那に謬出されたのは
の望ハ七貞A段終行︶に﹃叉正了知如是一切過法泉
高宗永徽五年︵A.声望・︶である。是れ現存の玄奨辞
あ子
る菩
由なるも本疏窟眞版、節三乗の引文に依って聖本
洩伽師地鎗輝一巻に外ならぬ。而して是れが最勝
常で
人なる串を定め得、洩伽論第五十巷︵大・五七岬虫︶
薩の故買る督初より一番のみなりしか香か甚だ疑の問
に相
コ應
切在肉屏知障品﹄とあるは本疏富眞版第百掴十
ある。佐伯定胤氏はその巷首に﹃本地身中五識身
五一
菜巻
の引文に依つて﹃在寮﹄とある宮本が正しい事を
之一﹄と細目を挙げてゐる鬼より察すれば現在の
へ二C︶ 辟め得る。是れは畢なる一例であるがその他、寄鰹略
本吉横谷なりしもの嗅影定されたが如何にも賛意
字て
の紘
考察と共に、得るところ決して少くない。
を表し得る。而して今本疏の記載を表見する忙於
一膚然るを想ふ。本疏富農版第八十一葉第八十九以
菓上
等に依って略ぼ本疏の頗痛が認容されたと思ふ。
最諭
後に
には﹃依最勝子義分云々﹄と見ゆるが是れは洩伽
第本疏の岡本に牌して附記したい。前述の如く本
目線には一瓢も記されなかつた。スタイン蒐集中に.
疏ひ
は疑
四十二番の下に相督し且つ現存塊伽諭滞の中に思
留ひもなく漁伽諭手記である。而してペワオ氏の
るべき文雄は吏らにない。か1る現存埼諭伽繹に見出
︵楼
六︶
し得ない最勝子の文義は略碁等にも往々存在する
に塊伽論手記として存在することは既に指摘したが
矢辞
吹さ
氏の解説目録には芸記は数十の巻物より成りシ 用
考へる。是れは支那及び吐蕃に廣巻なる諒解が停
り。乃ち本手記の全篇は大審にして是等散在宮本を線
本はペトロダラード市亜細亜舘内寄木部中に存在せ
タイン蒐集数千の支那寄木中に散在せり。其の一二分
るものと思ふ。併し是れは餞まで私の傾詭であつて是
の薄遇が如何にその時代を風靡し登重されたかを諾す
考ふる事は法成鐸連の功を損する所以でなく寧ろ被れ
記も亦本疏の異名岡本に非るかと推測する。強ちかく
二二︶
︵羽田教授つ−監T⊥芯︶
注成に就いて︵石済民憎●β1漂︶
括せざるべからぎるものと想像す﹄と書かれてゐる。本
︵一︶
れを明かにするのが来るべき欝作と感する。
妊
疏の発見に依って矢吹博士の想像は或る鮮度まで詮明
されたと思ふ。而して矢吹博士の賂来せられしスタイ
蕃後
︵一一︶
ン本手記のP−トグラフ綻攻伽論第何十四番手記の由
前記支那畢
吋声
︵三︺
︵︼こ︵三︶¢奥書lこ大中年間ミあるから。
前記支部撃
なれぼ全くこれと重複するものである。果して同本か
︵河︶
りか可−悪●
膏か私は決定さる1日の来るを只管に待つ。而して岡
本とすれば筆者の興る鮎より見て可成り常時流行した
支那準用誌
り雷●
塾文第二年寄十凍。
前者は爵文本後者li青草菜刊本。
究b中lこ入れられ圭。
夢文第二年第五、六波lこ蓉表され後﹃併典の研
9rdie︰■・日銀lこ出で谷大岡書館lこも岡山番東だ
出藍払領
e−出Odざis已tY守
民lこよつて蔵本封校ぜらる。
b訂mi●吋−地肌●参照。
八七
J.一針Fd巧⋮せp,∽乳︶が由mi村塾rp
及J●
て現存す。本地分菩薩品に相嘗†ろ梵本ほ荻原
′ ̄l ( ′‘ ̄ヽ (
ノゝ −b 水 玉
) ) ) \J
ものと知られる。叉李氏目録に︵三︶魂伽師地論庸恕手
記共七巷と見ゆるのも岡本と既に推定しておいた。何
づれにしても目録の名耕上より察すれぼかくの如くで
あるがベリオ氏の目録記名から大なる誤解を生じてゎ
たのを思へば命ほ原文の数枚を経なければ断定する事
は出来ない。次に戒伽諭分門記との関係であるが本疏
手記が分門的性質を帯びてゐること、法成の講述と推
定さる1こと、に依って彼の﹃法成迎﹄と樽ふる分門
数坦本線伽論事故に就いて
′ ̄\
九
)
∫タタ
︵岩︶
煽伽論略慕東十一撃一二〇丁右。
輸伽論略纂第九春宵九十二丁右。
終発のスタイン本寓眞版を閲覧した。充分調査をする
私は最近十一月二十三日京都大成合に於て矢吹博士
追記
八八
︵〓︶
哲d匡t毒謬ぎi・︵京大蔵︶ミ財政J得る。
敦建本稔伽番手記に就いて
︵三︶
便宜を得てゐなかった事は遺憾の極みであつたが併し
七九塊伽論手記
四三去○︵絹請渦咤五︶
廿一−蘭画
とあるのを認め得たから砂くも群書がその
特に七九、壌伽論手記に﹃塊伽論番井二番手記 談迅
れは明かに﹃稀憲﹄の誤りであ少、且つ此の三者の中
るか作者を乗ぬるか今之を詳にせす﹄と言はれたが是
五︵即ち此の八〇︶の解説に﹃談迅患稀は単に筆者な
ヽヽヽヽ
女字の存するを見得た。矢吹博士は暴きに宗大目録三
の三者は共に等しく題下記として﹃談迅、群書﹄虎る
八〇諌伽筆記
七八戒伽論分門記十九=○︵描錆讐六︶
啓明合同日専行目録の
矢吹氏解説目録。増野
前記支部畢。勺箪
︵三︶
二号
︵一書 有水邁倫の論認わ倫認ミ略督す。
︵一日 玄奥門下の圃測窺基。
︵一七︶ 此の本地分喜藤品︵裟−筈︶−こ相苗†る梵本
宮dF訂誉守bb鈴m﹁は京都帝大lこ戒草しJ・謬−・
E巧氏ほー¢慧年に単行Lてる。
︵一入︶ OnH苫anさヨnglI・憎・地声
︵一九︶ 岡澤大蔵経論部弗六笹痢伽脊解琴二十頁。
︵一一〇︶ 前述Lておい㌣。
︵三︶ 憎︼岩●
終幕随抵﹄
作者を兼ねたのではないと決定し得る。それ故私は手
記の連署に関する推定を依然として改むる必要を感じ
ない。尤も﹃迅≒構﹄の二字は筆致甚だ明縫を映き、弼
前者は﹃述﹄.後者は﹃痛﹄の如く看取も解し得らる1
が今姑く﹃迅、構﹄と致しておく。
次に私が八壌伽師地論第三十︵宗大目鉄筋国政蔀二
教蝮本倫伽論手記にこ就いて
である?
伶ほ同日の目録に﹃六、塊伽経疏巷第一酉祓文捜入﹄
と記さる1のがあつた。塊伽経文に関して西戎の原文
が鮮やかに参照されてゎた。その漢字の書軽は全く壌
論セあつたゆえ、前記私の八も改めて本論と決すべ見
き逃すべき事でないと推察㌢る。
記﹄と見えてゐた。而して後者は紛れもない癒伽の史
本上唖蕃の政治的勢力乃至は文化を考察するに際して
伽師地諭第廿八、大中十妄五月三晶照磨蒜の丁
壌伽師地論、大中十一年﹄と出で、事案上級文に﹃ば
癒常時敦燈の地方に於て漠蕃の封渾折究は決して珍し
からぬ事なりしを察すべきであらう。是れはまた東洋
く岡本の頼きと寛ゆるものが同日の目録にコ一三八伽
、諭手記等と同じく席代たる事は疑ない。果して然ら
八、大中十一年明照なる蹟あり︶として列したのと全
JβJ
マ
兄
山
九〇
敬
︼
されてイエス・キサストの使徒となれるパウロ.及び兄
れば、このふみの書き手は、﹁静のみこころによ・り、召
雲と海とによるバブテス
衰亡晦ミにょるバブテスマ
∴
も、何事をなすにも、ただ静の発光をのみ現はすやう
すべて肉に属する安けさを遠ざけ、くらふにも飲むに
昌⊥乱土邑訂乳︶、モオセにつけり。﹂としるされてゐる。
ブテスマを受けて︵︻巨tまeb毒ti笹n占eロl巴nぷ︶夏作i灯pi
のしたにあり、みな海をとほり、みな雲と海とにてバ
民権を持ってゐた︹使徒行停二一完︺からである。か
生れて︹使徒行停二三九、二二三︺甲マぴととしての市
行停二二二七−二八︺が、それはかれがキサキヤのクルソに
は生れながらのロマぴとである。と言ってゐる︹使徒
宮のなかに囚はれた時、千卒長の問ひに答へて、われ
。ハウロは、琴二同伴道のみちに、イエル
弟ソステネ﹂︹コザンーエ剛書一Jであるからである。
にすべきであると説くに患って、先づ荒野に於けるイ
れは、本来、アブラハムの裔ベニヤミンの族のイスラ
コザント前書一〇玉主に、﹁われらの先覿は、みな雲
スラエルぴとの先絶たちのことを引いた言葉の一節で
エルぴとで︹Pマ苔一一−︺はじめパワサイ凍に廃し、
い律法にしたがつて敦へられた。︹使徒行停二二三︺ソ
イエルサレムにゎた博士ガマリエルに就いて、きびし
ある。
ここに﹁われらの先租﹂とは、いふまでもなく、アブ
ラハムに始まるイスラエルぴどをさしてゐる。何とな
J朗
それは成ひはミとフ敦から影響されて起ったものでは
は無かづた。バブテスマはユダヤ教のものではない。
つかさであつた︹使徒行博一八忘︺としるされてある
ないかといはれる。ミトラ教は、ポムベイウスの戦︵紀
ス≠ネは−コⅤントに建てられたユダヤぴとの食堂の
から、おそらくイスラエルぴとであらう。
かけてきたエジプトのバロの軍勢は、海の永に溺れ
た。︹出エジプト記一四ニ†三OJイスラエルぴとを追ひ
じた。それによつて、イスラエルぴとは全部救はれ′
かしめ、海を陸とし給ひ、水分れて乾いたところを生
べたので、エホバよもすがら温い東風を吹き、海を退
ラニルぴとが紅海を渡る時、モオセ手を海のうへに伸
である。しかし、それに臓する番約聖の記事は、イス
く途中の、紅海越え︹出エジプト記一三一七−一五二J
プトの靂迫をのがれて、静の山元るシナイ山にぉもむ
番茶は、モオセに率ゐられたイスラエルぴとが、エジ
特に箕際儀式について一致する卦のあることは、すで
ひはあるが、思想の方向は同じであるといつてよい。
よつたところもある。もちろん浅い深いの償値のちが
の眞のみなもとであるとするなど.教義のうへに似か
それの死によつて人が救はれ、それの血が人のい欄ち
In■ぎu平民詳r監を最も高い紳と人とのなかだちとし、
る。本質的にキリスト教と相いれない熟も多いが、琶
善と悪、オルムズドとアアサマンとの頼えざる戦と見
でもなく.苗代ペルシャの二元論で、人生を光とやみ、
を持つやうになつた。ミトラ敦の板木思想は、いふま
費え窄紳劇的宗教で、紀元二世紀に至って世界的意味
元前六七年︶の頃、はやくコムマゲネとキりキヤとに
て、ひとりの残ったものも無かつた。︹出エジプト記一
に認められてゐる。十二月二十五日がミトラの誕生日
さて.このコザシト前審一〇玉−一に書かれたことの
国二八︺これだけの事案盲爆へるのみで、バブテスマが
であゎ、一週間の第一の日が、きよい日として太陽
九︼
︵琶︶にささげられ、ミ!フ教徒はバブテスマとコン
おこなはれたとは言はれてゐないのである。
もとより、モオセの時代に、バブテスマの宗教儀式
衰亡海ミlこよるバブテス†
JげJ
豊ミ藩ミlこよるバブテス▼
九二
これに閲して、最も常識的に考へられやすいのは、
をこの論文は説き明かさうとする。
フィルマティオとをおこなひ、最後の晩餐によつて救ひ
を待ち望む。これらの宗教儀式がミトラ敦からキリス
ト教に停へられたのであると、すでに断定してゐる畢 雲と海とによるバブテスマは、修辞法的な﹁かくれた
者もある。わたくしはなほ研究の鉄砲が残されてゐる たとへ﹂である、と解輝ナるととでぁる。思ふに、こ
と思ふが、宗教儀式に於いて、キりスト敦がユダヤ教 の見かたは、聖書の理解としてはなほ湧い。﹁たとへ﹂
よりも、むしろミトラ教に近いのではないかと孝へら は嚢術意識であつて、宗教意識ではない。聖書が一面
れる。少なくともバブテスマはユダヤ教からのもので に文革作品でもあり得る以上、修辞法的認識の立場か
ない。もちろん、宗教精神としてのバブテスマは、﹁事ら.それがたとへと見られることむ可能ではあるが、
教儀式的バブチスマでなくて、宗教精静的バブテスマ
わたくしは、この雲と海とによるバブテスマを、宗
から、その意味を理解されなければならぬはずである。
信仰のふみとtての聖書は、また宗教そのものの立凄
をもてせざる割惑﹂であり、﹁キサストの割鐙﹂である
︹コpサイ書二二︺けれども、宗教儀式としてのパブテ
スマがユダヤ教に見られないことは、その昔菓が嘗約
にかつて無いことによつても、明らかである。
は、生けるものの魂がキサストの十字架の血にょつて、
しかるに、番約に物語られたかやうな事箕を、コザ であると考へてゐる。ここに宗教儀式的バブテスマと
yト前書打書き手は、われらの先租はみな雲と海とで
バブテスマを受けた、と書いてゐる。これは、その方 罪から清められることを意味するところの、宗教統合
法についていへば、その事案を歴史的忙ではなく、組 的儀式である。その方法は、喪に水をそそぎ、或ひは
輸的に理解したのであること、疑ひない。それなら、 からだ全鰹を水に浸して、生けるもののからだを水で
その理解はどういふ意味のものであらうか。その意味 洗ふことである。静の敦曾にはひ少、王イエス・キサス
Jβ4
トに屈するものと、宗教敢曾時に認められるためのし に庸たされ、キリストの復活を信じ︵知り、かつ見︶て、
しるしである。﹁︵イエス、ヨハネのことを群衆にいひで
生活そのものである。必ずしも水によるバブテスマを
清められ、静の眞理に属する生活に深められるといふ
割線を受けたり。すなはち肉のからだをぬぎ去るもの
りよみがへらせ拾ひし紳のはたらきを信するにより
よみがへりにょりて.今汝らを救ふ。﹂︹ペテロ前撃ニ
には、まづ聖書に於ける﹁雪rと﹁海﹂との論理的及び宗
〓
教的意味を吟味しなければならぬ。
スマQ外面的生活形態に表現されるぺき意味としての
内面的将静生活である。静のみたまを輿へられ、それ
重さ海きにこよるパブテスマ
九三
ニJ京女締静的バブテスマとは、宗教儀式たるバブテ
教措辞勒バブテスマであるといふ考へを確かめるため
よき良心の紗に謝する求めにして、イエス・キサストの
かたどれるバブテスマは、肉のけがれを除くにあらず。 さて、雲と海とによるバブテスマが、この意味の宗
怒に、表現される宗教的意味を論いてゐる。﹁その水に二二⊥二︺
次の吾妻は、水によるバブテスマの儀式といふ生活形 て、かれとともによみがへらせられたり。﹂︹コロサイ啓
かかはる静のみむねをこばみたり。﹂︹ルカ停七八圭0︺
を受けたるによる。されど︰ハリサイぴと、教法師ら にして、キりストの割線なり。汝らバブテスマ.を受け
は、そのバブテスマを受けぎりしにより、おのおのに し時、かれとともに葬られ、またかれを死人のうちよ
取我人までも紳をただしとせり。ヨ︵ネのバブテスマ
者も、かれよりは大いな少。すべての民これを聞きて、﹁汝らまたかれ︵キリスト︶に在りて、手をもてせざる
必要としない。すなはち悔い改めの宗教経験である。
、ネより大いなる者はなし。されど、紳の団にて小さき
給ふJわれ汝らに告ぐ、女の産みたる者のうち、ヨハ
るしとしての意であり、キリストに合ふ政ひの約束の 生けるものの精静坐活が虚偽と矛盾と罪悪とから洗ひ
Jα;
雲ミ淳ミlこよるバブテス†
第一に、聖書に使はれた﹁雲﹂、−ぎ伊︵■畳賢き乳息虐︶−
九四
られてゐる。これと同様の言語現象は、日本語の雲ま
た豊泉㍍も︶フランス語のnl︼eにも見られる。雪が
雲のあるところ、即ち峯、天を意味するのである。
n増訂︼仰︵ne富0恥︶といふ言葉の意味を考へてみよう。
︵払︶﹁︵ヱホ.ハ︶そのまはりに闇をおき、生まれる水、
ユダよ。われなんぢに何をなさんや。なんぢのいつく
︵e︶﹁エフライムよ。われなんぢに何をなさんや。
と風おこ少、姿黒くなり
あつき雲︵㌢ぶ貰m︶を幕とし給ふ。﹂︹サムエル後書二
ニー二︺﹁にはかに雲︵疫gm︶
て、大雨ありき。﹂︹列王妃略一八円立札︺この雲は宇
し宙
み物
は、あしたの雲︵;冨nbOqer︶の如︿.またただち
理畢的現象である。すなはち、地球から賛歌する水蒸 に滑ゆる露の如し。﹂︹ホセア音六四︺この雲は、雲に瀕
気が、大泉のなかに冷えて、趣こまかい水の分子に凝 するもの、すなはち霧、霞などを意味する。また、イ
島々は立ちのぼるほこりの如し。﹂とある。その﹁ちり﹂
ひむしづくの如く、はかりのちりの如くに思ひ給ふ。
カ国まり、地坪の表面を離れたところに集ってなす集 ザヤ書四〇言に、﹁見よ、もろもろの観びとは、桶の
合物である。
︵b︶﹁おほぞらにて、誰かヱ牒バにたぐふ者あらん
が、ヘブライ語の原文では、雲をも意味する註風遥で
や。静の子のなかに、誰かエホバの如き者あらんや。﹂
詩篇八九七︺﹁また、月の如くとこしへに立てられん峯ある。ドイツ語にも、∽︷呂b弓○︼訂といふ言葉がある。
︵d︶﹁この故に、われらは、かく多くの記入に、雲
にあるあかし人は、まことなり。﹂︹詩篇八九三人︺これ
︵と
記富岳︶の如く固まれたれば、﹂︹ヘブル蕃一三Jこ
らの言葉は一日本譜繹を見れぽ、﹁料ほぞら﹂、﹁察﹂
あ少、イギザス語辞にも、訂呂enまたはt訂訂雪enと の雲は、数の多きを意味する。雲は多くのこまかい水
は集合といふ性質概念を表現することになるのであ
あるが、ヘブライ語の原文では、本来雲を意味し、こ の分子の集合物であるから、その同じ言葉が多数また
こに峯を意味するところの.畳ぶといふ言葉が用ひ
Jタざ
る。日本語の雲に相雷する言葉が、ギザシヤ語に
なは
蓬、
勒になずらへてゐる。﹁もろもろの囲は汝の光にゆ
の二つある。その区別は、雲から聯想
に限って使はれるといふことである。こ
き、もろもろの王は照りいづる汝が輝きにゆかん。シ
な汝に集まりきたり、.ネバヨテの牡羊は汝につかへ、
わが祭壇のうへに登りて、受けいれられん。かくてわ
鳩のそのすみかに飛び勝るが如くして、きたる者はた
よく知憲をもて雲︵警官q首︶を敦へんや。﹂︹ヨブ記
れらの金銀をともに載せきたりて、汝の紳エホバの名
はいやさきに汝の子らを速きより載せきたり、またか
雲モ海モによるバブテス†
一面にむらがりを意味するとともに、他面に大きい速
九五
そのユダヤ教曾に集まりきたることを、雲のすみ
力や
とか
熱心さとを意味してゐる。
︵こ預言者イザヤは、異教徒の改宗について語少、
るべき雲は、本兼数量的認識の封象にはなり得な
と民とは滅び、そのくに′ぐ1には全ぐ荒れすたる
るい
陶と
いふのである。
べし。﹂︹イザヤ書六〇三、六b⊥。a、一二︺この場合の雲は、
で、教へきれないといふ意味ではない。すなはち
雪給ひたればなり。ことくにぴとは汝の石垣をき
輝ー
かせ
が多数を聯想させるのではない。物質名詞であら
さかれらの重たちは汝につかへん、汝につかへざ
づは
き.
のであるから、雲を形づくるこまかい水の分子が
に多
さ数
さげ、イスラエルの聖者にささげん、エホバ汝を
三八三七a︺とあるのは.警官q仰1nが夜祭の物質名詞な
れも、むれ、むらがりの意味がある。ただし、﹁
れた
ぞれ
。か
もろもろの島はわれを待ち望み、クルシシの鰯
はれる。ドイツ語のW。lk♪イギりス語のe︼○阜いづ
n象¢である。n一蘇に限って、ロコゐnu飢ed♂訂eぎHなどい れわが発光の家を輝かすべし。雲︵さヱの如くに飛び、
れと同様の言語現象は、フランス語の、nueに射する
たゞ nepど∽
寮質的にではなく、たとへとして用ゐられる場合
ヱに
ホは
バ、
のほまれ藍且′べ俸へん。ケグルの羊のむれはみ
されるものを意味する場合、修辞法的にいへぼ、
バ雲
のが
もろもろの人、こがね乳香をたづさへきたりて、
nβ訂lヂぷ骨茄
∫6ア
寧孟誓ヱよるバブテス†
︵f︶ソロモンは老年のカなきを、雨ののちに返る雲
九六
して四つを挙げることができると思ふ。まづ、地上に
ひやすいもの、滑えゆくもの、はかないもの、償倍な
りLとたとへオ。︹ペテロ後撃一︼七︺この雲は、うつろ
を以て人を誘惑するものを.﹁はやてに逐はるる雲き
地を物なき併に懸け給ふ。水を浸き雲のなかに包み給
から毒せられる。﹁かれは北の天をおほぞらに張少、
はち、地上に於ける現茸の水は、静の意志にょり.雲
あり、元来紳のありかたる雲に貯へられてゐる。す奄
とたとへ︹倖道の書﹁二ニ︺、シメオン・ペテロは、虚偽 ふるところ抄雨、︼般に水は、紳のみむねによるので
いものを意味する。ドイツ語のw01訂にも.ユ司監d監
d昌G軋乳triibt巳年亡mロebeltといふ意味があるう
。し
てた
、そのしたの雲裂けず。みくらゐのおもてを際し
まりの時、地球全鰹をおほつてゐたカオスにつき.エ
扁r邑mmて
t 、雲をそのうへにのべ、﹂︹ヨプ記二六七よ︺世界の始
卓写計nの意味である。この意味の要は、聖書になほ多
ホバはヨブにかう語り給うた。﹁かの時︵地のもとゐ訪
急芹昌はtr詳正男r計nまたは
い。﹁恐ろしきことわが身に臨み、風の如くにわがほま
わが据ゑたりし時︶には、あけの星あひともに歌ひ、
がつて、軋eF
れを吹き沸ふ。わがさいはひは雲の如くに︵琵琶−︶滑
ルよ。われは汝を忘れじ。われ汝のとがを雲の如くに
れ︵ヱホバ︶汝を造れり。汝わがしもべなり。イスラエ
これらのことを心に留めよ。汝はわがしもべな少。わ
にわが法︵岬︶を定め、開及び門を設けて、いはく、こ
なしーくらやみをもてこれが襟裸︵細っ︶となし、これ
たりしや。かの時、われ雲︵密ぎ︶をもてこれが衣と
胎内より涌きいでし時、たが戸をもてこれを開ぢこめ
えうす。﹂︹ヨブ記三〇一義︺︹ヤコブ上。イスラエルよ。
紳の子たちみな喜びて呼ばはりぬ。海の水流れいで、
滑し.汝の罪を茅の如くに散らせ少。汝われに蘇れ。
こまではきたるべし、ここを越ゆべからず、汝の高浪
ここにとどまるべしと。﹂︹ヨブ記三人七1二一︺この雲は
われ汝をあがなひたれぼなり。﹂︹イザヤ書鱒嘩=主lJ
︵g︶以上のほかに、わたくしは、雲の宗教的意味と
Jβタ
宇宙物理轟的現象ではなくて、宗教的宇宙開園諭′内?
合の雲は、静の償値を想像し、讃美する宗教生畜の表
る。すなはち.雲は静のありか︵¢Ot︷e乳t且である。﹁か
︵血︶蕎約では、雪がエホバの蒙に清ちてゐるとされ
は何であるか。静はいかなるものの動き及び成立ちの
なものであると思ふ。しからば、紳の内在的超越性と
払松任である。これが雲の宗教的意味の最もたいせつ
現形腰である。その償値は、内容的には、静の内在的
くて祭司聖併jり由膏けるに、雲ヱホバの家︵罫FY守
うちにも、同一にかつ必然に賓在し、それらのものに
芦○雪駄0︶の概念の一つである。
ど昌一一︶に満ちたれば.祭司は雲のために、立ちてつか
ふること能はぎりき。そはエホバの受光、ヱホバの家 滝野に規定せられない故に、超越的である。しかし、
に満ちたれぼなり。ここに於いて、ソロモンいひける 紳はまたいかなるものの動き及び成立ちをも、それ自
は、エホバはあつき雲のうちに居らんといひ給へり。 身に産みだし、いかなる生活形麿にも自己形歴にも自
居るべき併を建てた少、と。﹂︹列王妃略上八岩−〓ニ︺
は、紳のあらゆる自己貨現は必ず静の茸在の本質に基
けれども、その見かたは貴は抽象的である。具鰹的に
われまことに汝のために、住むべき家、とこしなへに 己資現するが故に、内在的でもある。さういはれる。
要は天を意味する︵b︶。天薗︵b邑軋:呂・〇一lr旨8・︶は
内在的﹂であり、また静の茸在はその本質としてそれ
づいてなされるから、紳は動く静としては﹁超越的に
︵i︶﹁かれら︵イスラエルぴと︶勝野を望むに、ヱホ
自身静のあらゆる自己葦現の可能をいだくから、静は
紳の固︵b乳訂i三cut訂○与のシノニムである。
.ハの粂え雲︵、監且のうちに顛はる。﹂︹出エジプト記
一六lCb︺静の賓在的償植の賓在︵柴え、河谷F巴b︶が経 静かな紳としては﹁内在的に払趨的﹂であるといはなけ
験的に雲に自己寮現し、イスラエルぴとは雲に於いて れぽならぬ雪ここに於いて、民は速くに立ちしが、モ
九セ
これを経験したのである。心理畢的にいへば、この場 オセは紳のいますところのあつき雲︵蔓ぞ琶−d;許e7
箆ミ海ミによるバブテス†
J(汐
虔ま潜まによるバブテス†
軍eilm已且
九八
訂i訂n
は超抵的内在
が必要であるが、人が人をでなく、紳が人
診ぎ gヱ○已m︶
材二訂i訂nするといふには、その
に進みいたる。﹂︹出エジプト記二
〇1=︺この雲も紳の打在的超越性を意味する。すなは
ち、民は雲をへだてて、紳と速くに立つ。静は人を超 の関係でなけれぼならぬ。動く静︵紳の子︶キサスト
噛する。しかし、人間のイデアたる、紳の人モオセは、は、それゆゑ、生けるものに超越的に内在する。しか
静のいますあつい雲に進みいたる。モオセは紳に於い しながら、訂ilenするといふ紳の宗教的自己賓現の基
こゎ、かれら︵ペテロ、ヤコブ、ヨハネ︶を覆ふ。雲よ
粋に同一に茸在しなければならぬ。故に、静そのもの
根鹿としての辞そのもの︵動かす紳、静かな静︶が、純
てある。静はモオセに内在するのである。﹁かくて雲おには、その箕現の可能をうちに持つところの、賓在周
り賢いづ。これ︵イエス︶は、我がいつくしむ子な少。
、内在性をも持ちながら、本来亀越的である。すな
汝らこれに避け。﹂︹マルコ停九七︺この雲は、紳の内は在
的超越性がその内在位に於いてはたらくことを意味す はち、内在的に超越する。さてーあらゆる現寮︵賓現
︵生活的賞在︶として、生けるものの目的とな少、生活
る。かやうに考へると、雲は一つの信仰現象である。 されたものに抱越的なものこそ、眞に生きてあるもの
紳の内在的超越牲を信する宗教生活の表現形腰であ
静に於ける生かすカを媒介して.静を人のいのちには
に、支配し、みちぴくといふ性質概念の認めらるべき
る。ここに、紳の内在的抱越性を意味するところの雪
る。それは自然科挙的な、浸償楢崎なものではない。 の眞理とな少、よろづの物を支配し、みちぴくのであ
たらきかけさせる。︵そのはたらきは、箕は紳自身のも
らしめる冒ei紆m邑umが、すなはちキワス†︵昌邑呂d−1
てある。︶それには、紳の人へのはたらき㊥けを可能な
のである。︵媒介者すなはち紳の人は、紳のうちにあつ
かれら︵イスラエルぴと︶のさきにゆき給ひ、圭は雲の
き言葉は、﹁雲の桂﹂︵、昌邑旨ぎpロ︶である。﹁ヱホバ
根凌がある。雲にこの性質を特に明らかにいひ現はし
エア0
/
ノ
柱をもてかれらを導き、花は火の桂をもてかれらを照 るものの側から見たのである。この論文が問題にして
らして、ひるよるゆき進ましめ給ふ。﹂︹出エジプト記ゐる﹁雲と海とによる.ハブテスマ﹂の雲は、賓にこの意
一三三︺これは、いふまでもなく、エジプトをのがれ 味に理解されなければならぬ。この意味Q雲につい
に、雲の桂は本来紳の内在的超越性を意味するもので
でたイスラエルぴとのシナイゆきに閲する蕃約の記事 て、鳩たくしはなほ二つのことを書き添へたい。第一
である。また、かうもいはれてゐる。﹁︵エホバ︶また
婁は雲の桂をもてかれらを導き、花は火の桂をもてそ あるが、それでゐてしかも内在的にはたらく静を表現
のゆくべき路を照らし給ひき。﹂︹ネヘミヤ記九一二︺
す﹁
るま
場合がある。﹁エホバ雲の桂のうちにありてくだ
て.大いに怒りをひき起こすことをおこなひし時にす
は汝をエジプトより導きのぼりし汝の紳なりといひ
て集曾の茶屋に立ちけるに、ヱホバ幕屋に於いて、雲
︹民数妃略一二千六8︺﹁モオセとヨシュアすなはちゆき
ひしが、かれらふたり進みたれぼ、これにいひ給はく、﹂
た、かれらみづからひとつの小牛を疇つくりて、これ り、幕屋のかどに立ちて、アロンとミサアムを呼び給
ら.汝︵エホバ︶はかさねがさねも憐みを垂れて、かれ
らを荒野に棄て給はず、圭は雲の任そのうへを離れす の桂のうちに現はれ給へり。その雲の桂は幕屋のかど
して、これを遺にみちぴき、花は火の桂離れすして、 ぐちのうへにとどまれり。﹂︹申命記三一一円1妄︺これ
ミヤ記九一入1ニ九︺すなはち、雲の桂には、静のみちびき
容と形式とのそれぞれに、更に内容と形式とが考へら
あつて、概念にその内容と形式とが考へられ、その内
これを照らし、そのゆくべき路を示したりき。﹂︹ネヘは概念の段階系列的性質を知れぼ理解せられることで
が表現されてゐる。コⅥ∴/ト前書一〇−b︺に、﹁われら
れるやうに、静の内在的超越性について、虜に超越輯
の先敵は、みな雲のしたにあり。﹂とあるのも、同じ意
九九
ヽ
味である。﹁したにあり﹂とは、超越関係を、組抵されなそれと内在的なそれとが分ち考へられるのである。
車ミ藻ミによるバブテスヤ
J7∫
雪ご海ミによるバブテス†
一〇〇
があるといふことである?絆そのものは、内在的に超
﹁雲の桂そのまへを経れて、うしろに立ち、エジブぴと
はかれから保護して、これをめぐむといふ意味を持つ。
第二に、雲がキリストの内在的超越性を意味する場合 はなく、政はうとする愛のみちびきである。故に、雲
越する。キサストは本来超越的内在性を持つ紳であ
る。しかしながら、人の子にしてかつ静のひとり子で の陣営とイスラエルぴとの膵費とのあひだに至りける
には花を照らせり。ここをもて、かれとこれと、夜の
あるところのキサストが、一面に内在的超松任を持ち が、かれがためには雲とな少、閤とな少、これ駐ため
得ることは、雷然である。もつとも.厳密にいへぼ、
キリストは内在的に超越的であるのではなく、﹁超越的うちに相近づかざりき。﹂︹出エジプト記一四一九b土C︺
な超越的内在性﹂を持つ、といはるべきであらう。﹁そ﹁エジプトはかれら︵イスラエルぴと︶の出づるを喜べ
な少。ヱホバは雲をしきて、おほひとなし、夜は火を
の時、人の子のしるし天に現はれん。その時、地上の 少。かれらを恐るるの思ひ、そのうちに起こりたれば
諾族みな嘆き.かつ人の子のカと、大いなる祭えとを
えの暗から、雲の桂はイスラエルぴとを守り輯けた。
に乗りきたるを見ん。﹂︹マタ もて照らし給へり。﹂︹詩篇一〇五≡八去九︺この紅海越
イ停二囲三C︺﹁見よ。かれは雲のなかにありて、きた
夜のまは澄み輝いて。それは暗くならうとする時.か
もて、天の雲︵nep訂l凸
り給ふ。﹂︹ヨハネ教示政一七8︺これらはキリスト再び
きたり給ふことの記事である。人の子キりスト雲に粟 れらに光を奥へるためであつた。﹁ヱホバはわが光、わ
︵痘
;︸OgY賢覧−︶︹創世記三三ニ0︺の光を雲の柾に仰いで、
七一︺イスラエルぴとは、イスラエルの紳たる紳
ちのカなり。わが恐るべきものはたれじや。﹂︹詩篇二
り、荘殿な内在的超越性を以て、わたくしたち人間に が欽ひなり。われたれをか恐れん。エホバはわがいの
障み給ふのである。
︵j︶雲にもう一つの宗教的意味が考へられる。紳の
内在的超越牲に基づく萬物の支配は、濁裁的な脛潮で
ゴアき
なにものをも恐れるところなく.そのいのちを喜ぶこ
ササイぴとよ。汝らはひとりの改宗者を得んために、
とができた。喜のうちは厚く、暗く、それはアラビヤ 海︵tが墓r︶をかを経めぐり、すでに得れぼ.これを
の海﹂、yぎ粁訂nere旨︹民数紀略三国一一︺とか、﹁ヤゼル
の海﹂、箋m宣賢︹ヱレミヤ記四八三二︺とか、︹ガ!フ
ヤの海﹂、t邑p診諒¢已il巳監︹マタイ倦四一入、ヨハネ倖
が、名詞の性の規定は邁ふけれども、同じ言葉で
といふ言 六一︺とかが、その意味である。これは、ドイツ語の
芽の
海も湖も意味するといふことと、似た言語頬象である。
な少。﹁︹椿道の書一七︺﹁鍋なるかな偽善なる拳者、で
バある。
雲ミ海ミlこよるバブテスヤ
ー0︼
ること無し。河はそのいできたれる鬼にまた蘇りゆく 日本語のうみ︵宇美︶も、イギザス語の冨もまたさう
︵が︶﹁河はみな海︵訂y箋m︶に流れいる。海は葡つ
葉の意味を考へたい。
次に、聖書に使はれた﹁海﹂、yぎ、宗Pla望
三
もあⅥせ見られねばならぬ。
その教骨を守り給ふ。紳の発光のあらはるべきため まりを、また海といふ。す及はち、湖や内海である。﹁飽
に。﹁雲と海とによるバブテスマ﹂の雲には、この意味海﹂、笠㌢訂白mel与︹創世記一四三︺とか、﹁キンネレテ
花はほのほの光をつくり給はん。あまねく粂えのうへ 陸地をめぐらす水の大きい集ネでりである。
におほひあるべし。﹂︹イザヤ書四五︺静は雲をとほして
︵げ︶必ずしも陸地をめぐらさずとも、水の大きい集
ろもろの集まりとのうへに、喜は雲と煙とむつく少、 七三六︺この海は宇宙物理拳的現象である㍉すなはち、
ゐる。﹁ヱホバは、シオンの山のすべてのすまひと、もさal転p︶および四十年のあひだ荒野にても、﹂︹使徒行停
安んじて凝をゆくことができた。イザヤはかういつて 二三l五︺﹁エジプトの地にても.また紅海 ︵F腎已訂p
砂漠の焼きつく熱さからかれらを保護した。かれらは おのれに倍したるゲヘナの子となすな少。﹂︹マタイ停
J得
重き潅竜にこよるバブテス†
︵♂︶大きな河を海といふ。大きな河は小さい海と
イ語の
︼0こ
箋日は、本来海の意味であるが、かういふ場
も、湖とも見えるからであらう。アラビヤぴと及び一 合には、方角の一ったる酉を意味する。海すなはち地
︵㌘︶ソロモンが静殿のために造らせた眞餓の水盤
般に末の方の民族は、ナイル河エウフラテス河、チグ 中海がカナンの西にあるからである。
サス河などを海と呼んだ。聖書には、エウフラテス河
の流れるバビロンの地を、﹁うみべの荒野L、midgarY も、海︵訂yy冒︶の名で呼ばれてゐる。非常に大きな
ぎ︹イザヤ書二︼一︺といひ、また直接にエウフラテスもので、祭司たちがそれから水をくみ、芋や足や、そ
た。水をいくらくんでも、くみつくせないところから、
河む海といつたものもある。︹ヱレミヤ記五一三ハ︺﹁の
海ほか必要に應じていろいろの物を洗ふに用ゐられ
のわに﹂.1a邑mbp竃冒m冒︹ヱゼキエル書三二ニ︺の
海と名づけられたのであらう。﹁ネ是、海を餞なせり、
このふちよりかのふちまで十キュピーにして、そのま
海は、ナイル河をさしてゐる。
︵α︶﹁海︵首蔓ぎ︶バビロンにあふれかかり、その
はりまろく、その高さ五キュビトな少。そのまはりは三
多くの波これをおほふ。﹂︹ヱレミヤ記五︼竺︺この海
は、洪水のやうに大勢な敵であるから、畳の多きを意 十キュビトの縄をめぐらすべし、そのふちのしたには、
その砲瓜は海を鏡たる時にふたならびに億たるな少。
ち、一キュピーに十づつありて、海のまはりを固め少。
味する。日本語の﹁涙の海﹂などと、同様の用ゐかたでまはりに砲瓜︵mさ︶ぁりてこれをめぐれ少。す窪
ある。
︵♂︶﹁エホバはなはだ強き西風昔風箋m︶を吹きめ
そ一
の九
海︺
は十二の牛のうへに立て少。その三つは北に向
ぐらせて、蛙を吹き排はしめ、一﹂︹出エジプト記一〇
ふ。海そのうへにありて、牛のうしろは骨うちに向ふ。
﹁見よ。人人或ひは透きよりきたり、或ひは弛また西よひ、三つは西に向ひ、三つは南に向ひ、三つは束に向
少︵mi顎ぎ︶きたらん。﹂︹イザヤ書四九三a︺ヘブラ
プア4
海の厚さは手はばにして、そのふちは百合及川︶にて
り給ひし天の紳エホバを盈るる者な少。﹂︹ヨナ書一九︺
︵Ⅳ︶﹁水晶に似たる破囁の海。﹂︹ヨハネ琴前線四声︺
開園諭︵国宝mOg邑e︶の概念の一つである。
杯のふちの如くに作れ少。海は二千斗をいれたり。﹂ これらの海は宇宙物理拳的現象ではなく.宗教的宇宙
︹列王妃略上七二三主六︺
︵ピ︶以上のほかに、わたくしは、海の宗教的意味と
して三つを数へることが出来ると思ふ。まづ、すべて この潜は、それによつて人間の信仰が紳に受け喜ばれ.
のものがさうであるやうに、海もまた紳みづからの茸 人間のいのちが救はるべきものとされたところの、イ
﹁そはエホバ六日のうちに天と地と海︵す蔓ぎ︶と、そ
れる車琴富mm岬m︶と名づけ給へり。﹂︹創世記二〇芸︺
十字架の血は、罪に死んで静に生れる信仰生活のかた
澄んで、大きいからである。のみならす、キリストの
し給うた血による罪のあがなひは、海のやうに清く、
現形態である。﹁静、乾ける土を鞄と名づけ、永の集まエス・キりストの血を意味する。キヮストの十字架に流
れらのうちのすべての物を造りて.七日目に休みたれ
ばな少。﹂︹出エジプト記二〇二乱︺﹁汝はただ汝のみで
。あるとすれば、それが海といはれるのは、次に訣か
エホバにまします汝は、天と、諾天の天およぴその萬 れる海の香定的性質︵死、悔い改め︶もあはせ考へられ
︵㌢︶﹁︵静は︶かへりみてわれらを隣み、われらのと
象、地とそのうへのすべての物、ならびに海とそのな る故にである、といはねばならぬ。
かのすべての物を造少、これをことごとく保たせ給ふ
を踏みつけ、われらのもろもろの罪を海︵箋m︶の底
な少。天軍汝を拝す。﹂︹ネヘミヤ記九六︺﹁海は紳のがも
の、その造り給ふところ、かわける地も、またそのみ に投げ沈め給はん。﹂︹ミカ普七一九︺ミカ書のこの言葉
︼〇三
のである。紳の義のために、人の不義を滅ぼすのであ
よれば、紳は人を海に投げ沈めて.人の罪を滅ぼす
手にて造り給へ少。﹂︹詩篇九五五︺﹁ヨナかれらにいにひ
けるは、われはへブルぴとにして、海と陸︵輿﹀とを造
褒モ海ミによるバブテスマ
J7β
垂ミ海士によるバブテス†
︼〇四
宗教的には、矛盾の静︵滅癒す紳︶としての紳の遺徳牲
ら語り給うた。﹁また、われを宿するこの小さき者のひ
のは、海に投げいれらるべきであると、イエスみづか
る。償億湧い生活を否定するのである。故に、海は、
コ停五=ニ︺また、キサストを倍ずる人をつまづかすも
を意味すると考へられる。水︵司鼠er︶がすでに不浮を
に懸けられて、海に投げいれられんかたまされり。﹂
あらひ清めるといふ宗教的意味を持ち、静のただしと
いりをつまづかす者は.むしろ大いなるひきうすを琉
怒を現はすものである。﹁エホバ、水︵mギi阜︶の破り
長かd§Sunの巨erこPbO彗eニamerなどに於けるm㌢で、
﹁また、ヱホバ、イスラエルを撃で
ちきて
る、
。言語拳的には、例へぼ、フランス語の晋のpl?
いづる如く、わが敵をわが前に破り給へ少。﹂︹サ︹
ムマエ
ルコ停九讐︺これらの海も、同じ意味に見ることが
ル後事五ニ。︺
水に︵b買m鼠m︶ゆるぐ葦の如くになし給ひ、イスラ
否、
定的性質を意味する。けれども、ここに注意すべき
エル臥その免租に賜ひしこの書き地より炊き去りて
これを河のさきに散らし給はん。かれらそのアシラは
像、この海に現はされる滅ぼす静のはたらきが、紳の
的に見れば、はたらく紳は、この滅ぼす紳をその形式
を造りて、エホバの怒をおこしたればなり。﹂︹列は
王た
妃らきの抽象的一面であるといふことである。具陛
略上一用言︺しかし.・水が海︵讃ter且といふ特殊形腰
をとる時、紳の怒すなはち否定的性質は、それに於に
い於いて否定し、その内容に於いて保存するところの、
ては一厨明らかに現はされるものと思はれる。新約異
にに資在的な救ふ静、梶原の静、﹁生きて、生かす静﹂
は、けがれた蔓すなはち罪につけるものの、海に於で
いなければならない。﹁もし汝の手汝をつまづかせぼ、
て滅ぼされたことが書かれてゐる。﹁けがれし重いこ
でれを切少去れ。かたはにていのちにいるは、両手あ
︹マルコ停九望︺罪の芋を切り去れば、かたはであつて
て、豚にい少たれば﹂一千匹ばかゎのむれ海に向ひわ
てて
、、ゲヘナの滑えぬ火に往くよりもまさるなり。﹂
がけを駈けくだり、海︵tb已a夢︶に溺れたり。﹂︹マル
J指
も.いのちにいることができる。故に、海忙よる罪の
事寛が、いかにして、コリント前書に書かれたやうに.
滅癒しも、いのちを政ふがための滅ぼしである。海の 雲と海とによる宗教精静的.ハブテスマであり得るの
に必要な限りの簡単さで猫足したいと思ふ。バブテス
し、その詳しきは別の論文にゆづるとして、今はここ
スマの宗教哲畢的意味をきはめなけれぼならぬ。しか
れたが、この問題に答へるためには、更に一應バブテ
底に投げ沈めるのは、憐れみの故にである。静はすべ か。宗教措辞的バブテスマの何でをるかはすでに詮か
ての生けるものを眞理に於いて生かすために、償植な
き生活を否定するのである。人の身を海に沈め.水に
浸すは.罪に死んで静に生れるべき道。そこに海に上
るバブテスマといふことが、宗教精静的に成立ち得べ
マの宗教哲拳的意味を∵最もまとまつた形に説い潅聖
き根接がある。ミカ書には、またかうも書かれてある。
ければならない。しかし、およそ生けるものは、キサ
ことができよう。罪の生蒔は紳に波ぼされ、葬られな
て死ぬべき人の身は、どうしてその罪?なかに生きる
の意味は虚偽であ少、その償値は死である。罪につい
罪の身を生き.からだを不義の欲望にささげる生活
えノ0
くしの哲尊から組織すれぼ、おほよそ次のやうであら
書の言葉は、ロマ書六丁二一である。その要儀をわた
﹁紳はあはれみを喜ぶが故に、その怒を永くたもち給は
す。﹂︹ミカ書七完b︺これ、海に表現される紳の否定が
殖財的ではなく、いのちの眞理への政ひをそれの賓在
的根原として、始めて意味のあるものであることを示
してゐる。
四
まへの二つの飾に於いて、わたくしは、聖書に使
はれてゐる雲と海との意味を吟味した。しからぼ、出 ストを信じて、展理を生きなけれぼならぬ。キリスト
一〇五
エジプト記にしるされたイスラエルぴとの紅海越えの を宿するとは、キリストに合ふことである。われらは
棄ミ海ミによるバブチスY
J77
救ひなき滅びではない。いのちの柴えのために、われ
罪の身の死は、新しいいのちに歩まうがためである。
って生きるべきである。されば、バブテスマに於ける
に生きるべきことを宿する.紳につき、キりストに在
サストとともに死んだものとすればlまたかれととも
まづ葬られなければならぬ。けれども、われら濁しキ
キサストの死に合ふバブテスマを受け、かれとともに
る。われらキヮストを信じ、キサストを拳ぶものは、
その復活は静についてとこしへに活き給うたのであ
の十寧架の死は罪についてひとたび死に給うたので、
は死人のうちからよみがへって、また死に給はぬ。そ
ナでにキリストに合ふバブデスマを受けた。キサスト
ストのみわがうちにあつて生き給ふとの経験である。
必然的である。信仰とは、キリスト、そしてただキリ
的として生きなければなら幣キリスト信仰は人間に
間はすべてキサス†を、そ七てただキサストのみを目
の、すなはち紳のひとり子であつて、わたくしたち人
る。キリストは人間の最も具鰹督遍的な、賓在綺なも
間に賓現的に保証したものが、キりストの十字架であ
はち新約である。その静の茸在的な契約の寅在を、人
り得ぺきことの葦在的な保証は、静の数ひの契約すな
深く否定されて、眞理の生活となるべきこと、及びな
の特殊的箕現︵辞の子︶たる人間の本性である。生活が
てあるもの﹂たる紳の本性であり、したがつてまた紳
されて.﹁具に生けるもの﹂となるべきは、﹁具に塵き
︼〇六
らの奮い人がキリストとともに十字架につけられるの
人間が自己のうちにキリストの十字架を経験する。そ
垂ミ淳ミによるバブテスマ
である。清い、深い賓在的根厨の生活への邦記法的膏
れこそバブテスマの宗教将静なのである。
ー■
定。罪の身に死んで、紳のうちに生きる。これが.ハブ
と、さきに考へられた雲と海との宗教的意味とによつ
ここに論じたところのバブテスマあ宗教精前の意味
生きることの箕在的根源は静である。生きることの
て、次にわたくしは紅海越えの事賓の解滞に進まなけ
テスマの宗教緒紳である。
眞理は静である。﹁生けるもの﹂が深く拝辞法的に否定
J7∂
ればならない。
少。そは、かれらは誇少て、われらの失敵たちを攻め
エジプトの.ハロの軍勢は、海に溺れて、ひとりの生き
倍ない﹁生活の虚偽﹂を否定するのである。この揚合.
べてのものを﹁生括の眞理﹂に生かすた牒に、生きる償
イスラエルぴとの紅海越えの時、これを追ってきた しことを知り給へぼなり。﹂︹ネヘミヤ記九一C︺紳はす
残ったもQも無かつた。﹁モオセすなはち手を海のうへ
バロの軍勢が海に溺れたあと、キオセ及びイスラエ
に伸べけるに、夜あけに及びて海もとの勢にかへ少た 海は矛盾の原理に於ける静のみわざと信ぜられる。
れば、エジプトぴとこれにむかひて逃げたりしが、ヱ
ホバ、エジプトぴとを海のなかに投げうち姶へり。す ルの人人Q、エホバを讃美して歌った歌の一節にいふ、
なはち、水流れかへりて、いくさ車と騎兵をおほひ、 ﹁エホバよか汝の右の事は敢を砕く。汝の大いなる′東
イスラエルのあとに従ひて海にいりしバロの軍勢を、 光をもて、汝は汝にたちさからふ者を滅ぼし給ふ。.政
︹出エジプト記一五六b上︺﹁敵﹂とは、紳にたちさから
ことごとくおほへ少。ひとりも残れる者あらざりき。﹂
審を草すれば.かれらは藁の如くに盛きつくさる。L
︹出エジプト記一四二七−ニ八︺﹁かれらを追ふ者をば、右
﹁怒﹂とは、否定のみわざに現はされる紳の道徳性であ
をおほ水に投げいるる如くに、滞に投げいれ給ひ。﹂ う着であゎ、生活の眞理に矛盾する虚偽の生活である。
︹ネヘミヤ記九=b︺エジプトぴとは紳のみむねをなみ
し、生活の虚偽を誇少、理由なきにイスラエルぴとを る。﹁ヱホバのぉの手﹂とは、具醍綺な梶原的綜合の静
磨迫して、罪の身を反省なく生きてゐたが故に、静に の生活の、抽象特殊的一面たる矛盾の紳の生活、とは
ある矛盾の原理がはたらいて、かれらのいのちを香足 見られぬであらうか。およそ生活の絆記法的密度に於
︼〇七
面として、うちに必ず矛盾の生活を持つものである。
し去ったのである。﹁しるしと奇蹟とをあらはして、パける梶原の生活は、これを抽象的に見れば、特殊的一
ーとその諸臣とその団のもろもろの民とを攻め給へ
卓ミ海ミによるバブテス†
、
∫79
雲ミ海ミによるバブテス†
一〇八
敵を砕き、静の本質に従はぬものを否定する。これが、ジプト記︼開こ丁ニニ︺といふ。この誓、モオセは紳
る。救ひそのもの
︵d已︸訂ili笥︶
である。﹁モオセ氏にいひけ
ではなくて、赦ひ手
海といふ表現形腰に表現される﹁滅ぼす紳﹂である。しの人︹詩篇九〇︺であ少、救ひ事︹使徒行俸七芸︺であ
かも、その滅ぼす静は、すでに詭かれたやうに、茸在
約同一をなす﹁敦ふ紳﹂の基にあつてはたらいてのみ、︵目ei︼昏derll司e詳medium︶
意味がある。海によるエジプトびとの滅びは、必然に るは、汝ら恐るるなかれ。立ちてエホバがけふ汝らの
記一四一三a︺人のこころを静に停へ、静のみねむを人に
イスラエルぴとの救ひに願係づけて考へられねばなら ためになし給はんところの政ひを見よ。﹂︹出エジプト
ぬ。
モオセたひきゐられたイスラエルぴとは、海のなか 現はす宗教生活のなかだちである。﹁紳は海をかへて乾
虚にてわれらは紳む喜べり。﹂︹詩篇六六六︺﹁海のなか
にあつて、しかも乾いた併を歩いて、みな政はれたっ﹁
け汝
る地となし給へり。人人かちにて河を渡りき。その
︵ヱホバ︶はまたかれら︵イスラエルぴと︶の前に常りて
うちに持ざされた、深い綜合的肯定を意味する。海や
海を分ち、かれらをして乾ける地を踏みて海のなかを の乾いた屏﹂とは、宗教的には、生活の梓詮法的否定の
通らしめ。﹂︹ネヘミヤ記九二a︺﹁かくエホバこの日イ
ち﹂︹ネヘミヤ記九一一8︺とか、﹁水途に分れたり﹂︹出
スラエルをエジプトぴとの手より救ひ給へ少。﹂︹出エ
水がすでに否定的性質を現はすものとすれば、﹁海を分
ジプト記一喝ニO乱しそれは、海の香定的性質による罪の
身の否定をとほして、梶原の紳に救はれ、生かされた エジプト記一些=︺とかいふのは、すなはち否定の否
ことを意味してゐる。モオセ手を海のうへに伸べたの 定である。いのちの香定の否定。キリストにょる、人
で、エホバよもすがら強い東風む吹いて海を退かしめ、の静への否定。その虚でイスラエルぴとは静を喜ん
水分れて垣のやうにな少、乾いた屏ができた、︹出エ だ。︹諦念六六六。︺罪の身の滅びそのもののうちに∵紳
Jβ¢
は雲の桂の信仰があつた。︹出エジプト記二二三︺その
忙於ける限少ないいのちの襲えが措ざされてゐる。紅のみならす.紅海捻えに普って、イスラエルぴとに
海を越え得てのち.モオセ及びイスラエルぴとは、エ
要は一面に紳の内在的追越性を意味し、他面に紳の愛
こ雲
れに
ま表
さ現されてゐる。かやうにして、コザン土別書︼
ば、イスラエルぴとが雲に於ける紳のみむねに従ひ、
を歩み、宗教精静的バブテスマを施されたのであると、
といはれた、キサストに合ふ
ん。﹂︹マタイ停三=。︺
わたくしは見たいのである。
五
く重なる食ひ物を食し.みな同じく茎なる飲み物を飲
わたくしはかやうに尾別して理解したい。しかし、ノ水
第一に、このバブテスマに於ける雲と海との意味を.
最後になほ考へらるべき二つの問返が残ってゐる。
め少。これ.かれらに騰ひし重なる岩より飲みたるな
の如き、丈夢eヽ
に於いてこの二つを一つにしようとする聾者もある。
要せ藩ミにょaバブテス▼
︼一〇九
テスマを受け、紅海を槍え、紳に政はれたのであつ焉
た苫
。邑害h鴇t訂へ○已冒d竹篭dt訂0亡嘗t訂匿夢ト
書一〇三占︺イスラエルぴとは、かくて宗教精神的バ
ブかに例をとれば.Aき弓∽.憎昏訂
手近
少。■その岩はすなはちキサストなりき。﹂︹コⅥ∴/ト前
ても知られる。﹁しかして.︵われらの先組は︶みな同じ
そのふみの書き手が次のやうに書いてゐることによつ
のはじめに引かれたコザント前書一〇︼b上近津いて、
.ハブチスマ︹ロマ書六丁一一︺であることは、この論文
て、﹁かれは空室と火とにて汝らにパブテスマを施愛
さを受け∵海の水に浸ることを信じて、乾いたところ
宗教精紳助バブテスマが..ハブテスマのヨハネ忙よつ
しく宗教措辞釣バブテスマでなけれぼならない。こ0
の1㌣ニにしるされた、雲と海とによるバブテスマを
れこれを讃へん。﹂︹出エジプト記一五二芸︺
かれはわが救ひとなり給へ少。かれはわが紳な少。に
わよる保護を意味する。紳の支配と命令と保護とが、
ホバにかう歌ってゐる。﹁わがカ.わが歌はエホバなり。
J8l
苫か冨㌧、といつてゐる。水が清め沸ひの宗教的意味を
買dt−差こ凰皐鼓〓穿き軋蒜こ訂窟訂蛮㌻詩学悪者;ごぎd
ちの多くは紳のみこころにかなはず、荒野で滅ぼされ
ト覇者一〇∵l円︺と、次にしるされた、︵B︶かれらのう
な選の岩だるキサストから飲んだとい.ふこと︹コザソ
︼一〇
持つこと、宗教儀式的バブテスマのおもな道具が水で
たといふこと︹コリン上鋸書一〇守一︹︺との開係が、野
雲ミ潅ミによるバブテス†
あること、及び雪が自然科畢的に水であることは、もち
つの記述のあひだには、﹁されど﹂といふ接績詞が使は
草抑に何を意味するかである。コザン上糾番のこの二
dO邑
写d筆。も一つの辞繹ではあり得よう。けれども.原
れてゐる。︵B︶には﹁かれらのうち多くは﹂とあるが、
ろん認められる。その意味で、ごin夢仲要旨Of
文に明らかに二つを分け用ゐて、㌔nt乱nep訂置〓軋en
d巾日害籍㌔
べての人がパブテスマを受けて、キリストに政■はるべ
鰐であり、︵B︶は特稲命題である。思ふに、︵A︶はす
t乱−訂計致導︵ドイツ語謬には、ミmitde︵
↓んW
Oは︼
kなゐ
n
日
︶に
﹁み
﹂G
とい
ふd
言薬
が算
五つある。︵A︶は全郡命
昌d㌻l訂旨、、とある。︶といつてあり、かつすでに詭
きものであるといふ、イデア的生活の世界をいひ、︵B︶
とあす、イギリス語謬には、ニ㌻さ¢C訂已
かれたやうに、聖書に於ける雲と海との意味は区別す
はれないで滅ぼされるものもあるといふ、経験的教法
は紳のみこころにそむくために、静の試みにあひ、救
あたくしは思ふ。もつとも、ゴ邑訂も、まへに
の事賓をいふのであらう。イデア的にはすべて敦はる
ることができるのであるから、二つに見る方がよいと
−1蒜e訂lld−、といつてゐるところから察すると、水に於
べきであるが、経験事案として救はれないものもある
己lld馬
いて雲と落とむ一つに見るほかに、いくぶん雲の意味
のである。けれども、紳は人を滅ぼすために滅ぼすの
忍ぶこと能はぬほどの試みに遭はせ給はす。汝らが試
ではない。﹁紳はまこと︵W已−旨il︶なれば、汝をたへ
を陸別しでゐるとも考へられる。
もう一つの同定は、︵A︶モオセにひきゐられたイス
ラエルぴとが.みな雲と海とでバブテスマを受け、み
靂β2
4,,1
みをたへ忍ぶことを得んために、これと共に、のがる
べぎ遺をそなへ給はん。﹂︹コザソト前書一〇三︺試み
をたへ忍び、塵括の虚偽と矛盾とを否定するに忠賓な
ものには、同時に生層の眞理の遣が開かれ.とこしへ
のいのちにのがるべき遺がそなへられる。人はみなバ
ブテスマを受けて、紳の子となり、キリストに敦はる
︵︼九三〇年二盈
べきである。紳は人を赦ふことを目的として、人を滅
ぼL給ふのである。
ぎま海ごlこよるバブテス†
︼二
∫一拍
物語の追求
イエス物欝の追求
イエス
−−共観顧青書研究の最近の傾向1−
三
枝
↓一二
義
夫
得ると信ぜられた。固定された停承と未だ固定しない
共軟宿青書が新約批判研究中興味の中心と怒
る
の
採用記録した悠に、かかる現象が生じたと説
は、問題の複雑性にもあるが、むしろそれが倖
イ承
エと
スをの
明し
停の
承説Traditぎ首pOt訂e或は原本を使指した
物語文献であること、即ちイエスの歴史をいつ
もたそ
満と
すと
る原
本詮冒eY巳−ge一ぎ1首p〇1訂se この原本は多
背後に有する鮎にある。物語の背後にあるイエ
ス
密
数の
断の
片であるといふ断片説Diege箋︼−ヨ呈オ鳶一を他
接不離の閲係にあると考へられてこそ、共型聖
暑
が利用したといふ利用詮d宮u︷昌gS11弓t−藍等の解梓
研究が興味の掛象となり得るのである。ヨハネ
樽
が
共
る。これ等の解繹は部分的な説明であつて、
観音に比較して俸記としての膚植を間はれてが
か夫
らで
、あヨ
的な
鮮繹とはならない。歴史のイエスがその背後に
ハネ停に射する興味は若干遜減されたことは紛
否括め
騒然と君臨して居ること、従って観察が表面的局限的
い。
に止まり得たといふこととは、因となり果となつてこ
イエスの史的存在に竜未の暗影も投ぜられな
い
時
に
解繹に出でさせなかつた。然し福音書の歴史
は、共観革青書の問題は、共親書相互間の類れ
似以
と上
相の違
をし
疑ふ反動的打撃を受けると、観察は更に沈潜
の現象は、部分的表面的現象に立脚して容易的
に償
解値決
J84
スは無意識に詩化された静粛であるとしたシュトラウ
いて二つを算へ得る。一は戚青書は何れも辞で、イエ
的となる。かかる打撃の突静的なものとして過去にお
ものが確立したのである。十九世紀の批判研究の最大
批判界を席捲し.ここに現在の基経的畷諒と耕される
。n仇すp。t訂d
畷詮の妥雷な部分を踪合した併謂結合綴詭内Ombil邑・
他は特殊の歴史戦から福音書を敦園の寧闘産物と見た
本的資料としてマルコとQハQu亀e︶とを明示した共勧扁
の牧獲は、この共親琴青書の資料を明にし、最古の基
で最も合理的仮説として、その後の文献
ス声句●賢覧扇の﹁イエス樽﹂︵訂benJesu.−S∽ロー︶と.
バウル句.昏r.謬焉及びその流を汲むテゥビングン畢
青書の文献上の研究を大成したことである。この儀頓
︵訂訂b占CFde;istOr訂hlkrit軒b昌
に於てホルツマンH.J−H訂︼tNm呂nの研究﹁新約聖書
凍害biロg電Ⅶ註詳の王張とである。
此等の反動的主張に勤して.先づ文献自身を更に詳
の歴史的批判的概論﹂
かく最古の茸料が静明された時、これとイエスとの
l畠ip 高峰を示すものである。
C冒∴戸Wei護 出i已eぎngind援好悪丁巾賢me已.−0000P−賀ぎは、その最
細に戟察せねばならぬといふ気運が勃興した。シュト
ラウスの否定の後に三年を経てワイセ
は更に精密な文献研究の結果、マルコとPギア
とが共親戚青書の二大資料となつたことを明にして二
ン畢次の主張を反駁中にヱーゲルド∴翠∴苧芸︼dは、こ
へた。何となればマルコ停は使徒ペテロの同伴者たる
コの叙述の中にイエスの生涯を容易に見出し指名と考
資料詭晋ei=Q邑len穿付Orieの端を開き、テゥビンゲ閲係はどうなるか。多︿の人達は、この最古資料マル
の二資料誼の基礎を更に確固たるものにした︵J已ちb㌣
ふ信ずべきパピアス吋鼠asの高記録︵P邑iuP落雷軋1
¢百計rbibl軒訂nWi護岸ha芦−00金よ8。こ.の慣詭は内著者マルコが、ペテdの記憶を記したものであると小
容甚だ複建で従って細部において滋種く個難な問題を
邑i訂Fi乳○計−H︼省こ8を有するからである。前記のホ
︼〓ニ
提償したが、要するに根本においては従来のあらゆる
イ芯ス勒静の迫求
Jβ∂
倍仰によつて措かれたイエスであつて、ここには敦属
一︼四
ルツマンも共救表︵S竃○騒乱命ぎ蟹︶をマルコの順序
の静挙が含まれて居ることを明にし、かくして記され
イエス動静の迫求
に配列したが.これを年代的に大別し、恰もマルコの
巣してマルコは歴史のイエスを思策に
エスの最高の姿を見出さうとする新開短を提出した。
椒序をイエス生涯の経過と考へたかの感を輿へて居る たイエスの物語を、それ以前の時期に謝って追求し、イ
︵−等唱毘笥鴬
偉へて居るだらうか。この疑問は共戟南膏審の批判研 然しこの結論は同時に史的イエスの存在を膏恵する人
究をして新傾向に向はしめた。十九世紀の文献批判憶 達に謝して有力な論嫁を輿へる様にも思はれた。ドレ
二十世紀に至つて戚青書む組成せる材料の批判研究に フス A.冒e雲は、福音書の物語は紳の子イエスを人
推移したのである。ユーワッヘルAd.Jii宣le︸−按痴青間イエスの物語に形悪化したものである事を主張せん
書記録時期︵紀九六〇−⊥00︶以前に.第︼期として
とを置しやうとしたiに、その有力な論撼を得たと
たマルコの特質−iマルコはイエスが紳の子であるこ
書の材料の華北挙展を三期に分け、第二期の共勅革青 として、パウロの書翰と共にプレーデによつて示され
その個々の材料が口偉へに樽淫された時期︵紀元三〇
今やこの第二例の析究から第一期の軒
なれば、彼等はイエスの物語の各材料をそれ以前の時
極めて僅かの人達の間にしか維持されて屠ない。何と
向に伴った又別種聖職向を嘉すものであるが、これは
−六〇︶を基いたが︵崇nl賢un粥ind誌誉u¢労資琶ent・ 僻したハロ訂C111安u賀︰暑中︼箋β。かかる否定論も新傾
−¢琶彷●筐−マ
先にその封急が移ったのである。
この新研究は二十世紀の努頭一九〇一年プレーヂ
期に翻って追求吟味することをしないで、畢にマルコ
において、マルの特質自身に勤して別種の方法を以て想像的箱師的躯
W.Wraのにょつて初めて企てられた。彼は著書﹁メシ
ヤ秘密﹂ハ夢払拭乳P訂ge訂imn㌢−苦こ
コの俸へるイエスの生涯は、歴史的記述ではなく教囲 管下したに過ぎないからである。マルコがイエスの
J釘
め、彼が単にマルコ倖の材料を取扱ったのに加えて、
承された。ワイスは著書﹁最高の革青書﹂︵謬舐郎lt邑命
た閲題はヨハネス・ワイスJ〇h萱一語W乳竣によつて籍
のであることを明にし、他の二賃料Qはマルコに比し
而もかくして一且記述された棲も命穣て加工されたも
のを、マルコが初めてこれを組織し膳序立てて記述し、
∫∂7
紳の子たることを証しやうとしたことは.紳の子がイ
エスであることを託しやうとしたのとは、決して同一 此些二宿昔書の材料を吟味し、既にマルコ以前踵tの
苧pngelぎ声−害∽︶において、マルコの材料の基本とし
て更に著しい教困紳拳の影智ある事を指摘した。ウエ
ではあり得ないではないか。かぐじてプレーヂの輿へ 俸詭が個工別iに多穫多様な牽化蟹蓮をなして屠つた
てペテロの倖へた物語.外敵に射する論争、其他界二
義的な材料む含むことを主張した。彼はパピブスの古 ルハウゼンは更に最も重要な問題を指示し、問題はか
ヽヽ
記線を基礎としたものであるが、現在の材料から明野 かる物語の中から第二義的材料む見出すことであつ
まで重要ではないと挿した︵同i邑﹁︼b−−帽.払.怠︶。従って
に認められる教義的なもの、記者の潤色的な聾を除外 て、それが第二義的文献であるかどうかの問題は、さ
して、異に彼が資料として使用した素材を抽出しやう
に 式を追求し、その中からイエスの原本的姿を抽出しや
することではなくして、共戟福音書中の最古の物語様
としたのである。従って問題は、素材と潤色されたも 問題は最早資料文献の分析によつてイエス物語を追求
We夢呂汚n
のとを峻別することとなつて.更に茂雄化したが.こ
れはすぐれた沓約尊者ウニルハウゼン
大醍において初代使徒に節し得ると推定した。
ょって一膚詳論され、且つ一唐複雄な問題とされた。 うとすることである。かくしてガザラヤ活動の物語は
郎ちマタイ、マルコ.ルカの各註群書︵−望芯−定︶と、
一一五
拳界を大いに刺乾する屏あつた。擬革ハルナゥクAd.↓.
﹁皐初の三再青書漑詭﹂︵摂已eitぎ的indiedreier賢n彗・
ウニルハウゼyの廣範にして明瞭な問題の指示は、
−n琶i芦−箸eとにおいて.プレーデュり更に一歩を進
イエス物語¢追求
ヽ
意義は、ここでは述べらるべきではない﹂︵仏・霊○とい
一一六
出腎−−篤好は、Qの詳細なる吟味をなし.この失はれた
った。最早イエスの倖記は簡畢には述べられなくなり
イ土ス物静の追求
資料の範周1、内容、腐植を論じてウニルハウゼンに反
動し↓ウニルハウゼンの研究の重要な結果が私を誘ふ その偏には﹁廉範囲に亘る研究﹂が必要となつたのであ
てなさしめたこの反射に七って、彼の著述の高い評償 る。
︵晋r許訂und匿enJe芦Diの芸ei訂かくして明瞭に行くべき方向を指示されたこの問題
は、新たな研究方法を適用することによつて急速な草
は減少されない﹂
曾e−︼Od鎗匡邑b訝仁ロdF計翠−害ヾ●P︼︶と述べて好街
薙を途げた。即ち﹁様式歴史的方法﹂′どnlgeme詳言i註e
ぎ故
dの︶の適用が夫である。この方法は既に多くの宗
de∽C訂i乳占乳呂詳
bt
en
の論争を見せ.ブセク†辛苦u邑はその名著﹁主キ
サスト﹂︵舛当iOSnF訃tOm●G袋eE註te
史畢渡︵邑腎ns狗琶罫gic訂寧邑e︶の用ひた屏であ
老ndenAn訝扁en C冒賢苫百日Sbi∽号のぎ︹奉−¢−∽・︸琵−教
帽︶
において﹁マルコ停革青書の中忙イエス生涯の輪廓が って、彼等はキりスト教文献と他の停設、童話、紳話
如何にして出来上つたか、その背後の口停の停承は如 或はラビ文献或は東洋語文献等との間に存する文鰹.
何なる法則によつて動いたか、如何にして個くの断片 物語、鼓述方法の類似を詮明しやうとし、この方面に
が大きな統一醍に相集り文献となつて固定し、かくし 偉大なる功蹟を翳したが、今やこの研究方法吏楯青書
てイエス﹁俸﹂の輪廓と、ロギアの説教が生じたかーーの個上の材料の吟味に連用して予その材料を判定し、
これ等の凡ては詳細に探求さるべきであるが、この困 原本的物語、第二義的物語、編纂者の作悠の別を明に
難にして重要な問題の展には、廣範囲堅旦る研究が必 して、その委達歴史上の位置を決定しやうとしたので
既にヨハネス・ワイスは革青書の形式と苗代文献と
要となるだらう。逸に最初の三宿青書のイエスの姿が ある。
全勝としてキサスト敦の草薙に射して有した宗教史的
J∂β
︵S・且
ヨハネ物語を文献史的に取扱ったものであるI
R已岩完n¢e乱icF訂J額u. −﹁宿昔書の様式歴史﹂︵句○冒ge邑⋮cぎel訂苧賀gelどヨ㌍
の寮似を比較し、文一九−九年シュミサト戸P紆Fmidt
は﹁イエス物語の範囲﹂︵冒r
ばらばらな物語を骨組も輸廓もなく漫然と配列したも
っいて詳細な分析をし、最古の文献たるマルコは個も
−讐や︶
弓馬邑gm甲−と、奇蹟賓行者イエスを示す奇蹟物語1
初に人々の信仰を刺戟鼓舞する如きイエスの逸話−
代表的一成条里ホした。即ちディべサウスによると最
式に分類し、その根本特質を明にして斯拳研究方法の
巴す弓kri江沼訂qnl票gぎng2r巴1∼賢nJes象ibe註−
各讐
言n
石g
︶・ において、主としてマルコ俸の材料を紹丁の様
のであつて、年代的地理的に扱配したものではなく、
ぎ乱lのーとの二程の材料が少しつつまとまつて倖へら
において、宿昔香の物語を、特に時と場所とに
而もここには編纂者の作展のあることを明にしたが、
れ、又純粋の意味の﹁宿昔﹂であるイエスの言葉−謬・
たものとして倖へられたー眉;奉−のである。従って
に此等の言葉や行悠は人間よりではなく、紳より出で
一部−‡マルコからも、使徒の請書翰からも祝明される︶、途
Rud皇宮ltm昆
呂n
n金貨けtIが教徒の教訓材料として集められ︵=れlェQミ
かかる軒究方法において代表的成果を示したのはディ
べサウス試邑in崇be︼i転とブルトマン
とである。
ディベリウスは既に早くより指摘して居る様に、癌
︳
青書は文献としては各種材料の集合せるもの︵許mn︼eγ
−
この書は既然
にに費化螢達したものであつて、この個々の材料が未
号︶である粘より出費し︵Di⋮re訂覧ic訂詳r亡e諦2義個々の材料はキリス一致囲.の必要と習慣とに應じて自
■OnJ。訂nn袋de−βT旨野﹂芝−●S●駕︶
集されてマルコの如き革青書になつたのだといふ。
この研究の封象範固をマルコより更に共載宿昔書全
彼の研究傾向を示して居るものであつて、ここで彼は
宿昔音節究の目的を冒頭に示し、各章料を追求するこ
︼七
脛に旗め、これを同一方法を以って取扱ったのがブル
︼
とよりも、文献的蜜展過程を明にするに在少と辞して
イエス物蹄の追求
∫βタ
イエス物語の追求
トマンの﹁共割琴青書の偉訣の歴史﹂︵ロ訂︵訂乳夏冬倉d毛
︼︼入
は叉様式歴史的救貧の目的であるが、これに勤して叉
個々の停承の様式に勤しても、樟承の歴史に
勤してなしたと同じ方注が用ひられる。特に前者に射
︵ニ〇
馬三p−訂訂さ学監itiきG誓︶である。ブルトマンは初め 前記の観察方法は重要な結果を翳すものである。
に研究の手段︵賀t五︶として、文献批判的分析の外に
左の三鮎を拳げて、その大綱を示した。
レー︻ズムの物語も観察するの要があり、この掟式と歴
してはラビの畿言、物語の親祭が重要であるが.綺へ
にすることが出来る。マルコ資料がマタイ、ルカによ
史軒究の二つに謝しては格言、逸話、民間物語の俸詮
倖承の歴史は資料観察によつてその一部を明
って舞化させられた時、そこに成一定の襲化の法則を
を耽るべきである。竜諸文献も、叉或場合には民議も
︵一︶
塔足することが出来るし、叉Qが如何にしてマタイ、
示唆に富んで居る。
特に典外革青書に盛大することによつて、更に鑑賞な
ない。この概察方法は材料の範囲を更に後期の革青書、
として出て来るか、口俸として出て来るかは問題では
倖承の古い状悪を追求し得る。この際この倖承が文献
定されると、.此法則を更にマルコ、Q以前に漸らせて
比較から見出すことが出来る。従ってか1る法則が決
これをキリスト教以外の諸文献と詳細に比較して.個
て分填せる材料を分析して.第二次的附加物を判別し
歴史物語、俸詭ハ訂gellde︶の二項に分類し、次にかくし
眉〇pど訂g諾tpと、主の言葉とに、後者を奇椀物語と、
前者を更にディべザウスの竹篭註gmpの代りに用ひた
唇音曹の全材料をイエスの言菓と物語材料とに分類し
か1る大鰹において承認さるべき研究手段をもつて
′
ルカに発化して行ったか、その法則壱マタイ、ルカの
ものとなり.かくしてこれは原典歴史の研究にあつて
最後にか1る種々なる材料が集録編纂されて現在の各
々の材料の起源と影啓とを謬讃し、その歴史を明にし
物語材料、教詮、管の根原的楼式を知ること
は極めて本質的な方法である。
︵二︶
J三相
を甚だ腐植ある審たらしめて居る。
る比較、物語の蓉化替蓮の根本的動機の摘出等は永苔
示されたのである。材料の分類法、地文献との詳細な
に個々の材料の歴史が指示され、斯拳祈究の最高峰が
瀬音番に至った頼未を跡付けた。こ1に於て最も詳細
定的な反射理由を示したことである。.こ1では弟多の
的存在否定論には、有力な論繚を輿へすに、むしろ決
響が過大に見積られたにも拘らず、これはイエスの史
に此であつた。然しこ1で興味あることは、敦鮪の影
ては確かに問題は残る。ついで凍った問題の中心は常
を挙げ得たものといへやう。宿昔書の材料が各自の華
於て賓嘗な方法を以て鮮明にし、且つ眈ね優秀な成績
められねばならない、而も極めて困難な問題を大鰹に
繚じてディべサウス.ブルトマンの研究は、雷然究
か。といふことは間患である。
そのいふ如く極めて僅少な範囲に限らるべきである
したからである。然し認められた史的イエスの範囲は
イエスの滞刺たる影響を認め、そこにまで潮り得ると
療範囲に亘る発北壁展壱認めながら、その梶原に史的
既に同年にアルベルツ芦A山be旨は﹁兵戟革青書の
争論、原始キサスト敦の様式歴史への一等輿﹂︵D訂Sて
nOptise訂nぎeitge葛r賢才ヨn謬ilr品ド弓勺○音g簿己eごe
ある。然しその結論に於ては必ずし基皆ではない。
として教囲の護数的目的によつて愛化静展したとした
の有無によつて二分し、この様武の歴史を載、これは主
d袋ヨeざi誉nt音S・−違−︶において、イエスの論寧を誘惑
物語の菱化牽表の上に教団の影響を過大に藤め過ぎた
が、その歴史的棍掠はブルトマンに比して造かに廉範
︼九
嫌はなからうか。物語分類も、その詳細な内容につい
︼
囲に亘少、蓬かに基本的なものを承認しやうとし、著
イエス騰落の追求
て問籠とする鉄砲はないだらうか。これ等の鮎につい
鰹的に示されたことは軽かに裔青書研究の一大進歩で
早そのま1で歴史書でないことが最も明瞭に、最も具
たことが碇められ、従って最高の文献マルコ、Qは最
る材料を痴茶者は各自の信念と目的とに従って集線し
北貰の極めて複雑な歴史を有すること、この歴史あ
∫タJ
イエス物静¢逸事
しく保守的傾向を示した。
然しながらベルトラーム¢●謬吉岩は﹁イエスの受
難物語とキサスト帝揮﹂︵崇¢訂iden鷲邑訂富J葉音d
derC冒針tu許已t.︼¢柏輯︶において、既に古く、特に奮約拳
一二〇
あつて﹁小文献﹂︵空ei−11iter旨r︶
た。
これより斯畢折東方法は最新にして有効な方法とし
て、静拳折究上に有力なる位置を占むるに至った。一
︵日計
︼轡ぎgどng
フィーピサヒ]冒已彗ebi苅﹁宿昔書の物語文鰹﹂︵せeり
deり切苫っpti汚Fen国尋n乳iS︶
ブルトマン﹁共戦車青書の研究﹂
九一五年には次の教稜の著者が費表された。
の廣頓において著しい曹蓮をなした﹁文鰹﹂の研究、即
ち文脛︵賢︼︶は美的噂好ではなくして、融合的事賢で
あり、か1る文鰹は、その起源を一定の歴史的地位の
うちに有する意味において、ダンケル声Gun打e︼以来
de∽rabbini・
冒註E弓g邑i−d璧∴甲⊇ngelien
im巳cどO
呼びなされた
乳訂n軍法bざng邑il∽●Nugl軋cFein哲itrag昌mSt乱
誌訝im訂b乳︸を有し、原始キサスト
敦にあつては、このー嘗ニm訂訂n3はキりスト蕗挿
声m
ui¢丈Ch−を戻m笠訂こ
であるが故に、様式歴史的折究は崇拝史的掛究である
ブルン︼首d窯∴寧⊇n﹁原始キリスト教停故に於けるキ
冒cF乳賢iiOn︰誓udi昌=岳∴謬−igi冨弓d巳・ サストの復活﹂︵崇eAu諦邑eどn閃βr賢ind雪弓
と主張し、更にシュミットは再びダンケル誕生六十年
記念論文集
特にブルトマンの些二六真の小鮒であるが、こ1で
t電乱雲de∽A︼tenund穿莞n Test巳戻n︷∽.−琵∽第二巻の中 e訂覧i註en仁berlie狩2ng︶
で﹁一般文献史上に於ける福音書の位置﹂︵DieSt監21喝
文F
献t批
der皆呂gelieninder已官−鼓nen巳tぎtultge彼
邑は
ic
&判
を問
論 題に封立する三つの問題、イエスのメ
との脚係とを斯堅方法によつて吟味し.メシヤ自覚の
じ、革青書は個人の文拳的作品、倦記の如き所謂﹁高 シヤ自費、イエス生涯の経過、終末的説教と道徳説教
等文献﹂︵ぎc已it彗告ユではなくして敦囲の倖説本で
∫タβ
覆遵は明瞭には言ひ得ず.終末説教と道徳説教とは並
﹁福音書と欺読書﹂苧an乳ie5u乙ApO灯そpぎ︶、ブルト
立すると解し、フィーピサヒは特に事件として示され マンはイエス物語のうち根按の常宿・な疑はしいものは
メシヤ自発も、イエスにとつて本質なものでなく、本
識する事が出来るとし、このイエスの宣教はイスラエ
評i訂どi誇2rd蒜..n昌t邑冒enlli質
e的
訂なもの、即ちイエスが欲し敦へたものは明瞭に認
た材料を論じ.此は叉逸話としても示し得るとし、ブ
ルンはアルベルツが
奄i坦邑pP−琵柑誌上にて論じた﹁復活物語の様式歴史
について﹂︵旨1ぎrm昏g籍E各tのdeりA蕗−つぎngⅧberie−ル
舌︶
の宗教思想を背景とする三鮎、餌ち紳の団▼紳の意
︵もer野nのgd delnp訂
穿tlJの概念であるとし、こ1に一種のイエス俸とも
志及び速くして且つ近き紳
︼九二六年には
解すべきものを作り上げた。株式歴史の研究の結果か
を詳論して著書として公にした。
ディべサウス﹁原始キリスト教の文献歴史﹂︵Ggl−i・
まで構成され得るかは、極めて重要にして興味ある問
ら、イエスの思想生活が、如何にして.如何なる程度
イェレミヤJO芳己mJe蒜mip﹁ゴルガク﹂︵¢0︼g巴訂︶
題である。然しこの問題に謝して本書は根本的に不適
eぎe d宅亡乳どi邑ie訂n巳t電已uユ
プルトマン﹁イエス書﹂ぺJe望︼卦ueプ︶
の教書が公にされたが、この頃に至って漸く斯拳研究 常だといへる。この書は全脛としてかつての著者の如
の成果を一般理解に役立つ様に、或はそれによつてイ き新約聾者の事に成った著述ではなくして、むしろ組
エスの思想生儀を如何に裁述するかの試みが初められ 織紳冬着によつて作られた書である。こ1には歴史を
た。ディべサウスは新約文献は原始キサス†敦文献史 祖越し哲拳的御車的興味より出優し、最近大いに噴俸
l二︼
︵di已をi乱の芦e已鼠e︶の影響を多分に受けて屠るから
の範園内にあることを示し、従来新約概論の中で取扱 されて居る.ハルトー診きの唱導せる耕澄法的紳畢
はれた材料を新鮮究方法を以って取扱ひ︵同書第一巻
イエス物静¢姐求
婚3
イエス物静の追求
︼二二
判を下した様に、この新研究方法は可成りの難ずべき
おいて様式歴史的方法の畢的妥常性を就刊吟味し.用
粘を示し、従って必ずしも共親戚青書研究の唯一の方
である。イーレミヤはゴルゴタ、撃葺の歴史的研究を
法とはならなかつたが、然し寧青書研究領域の大部分
語の不常を拳げ、様式の歴史は物語が信ずるに足るか
私は以上共親肩書書の最近の研究傾向として模式監
を支配席捲した。辞典﹁歴史及び現在に於ける宗教﹂
なした最初の人やあるが、こ1で彼は様式歴史的研究
史吋方法の起源から、近時に至るまでの蓉蓮を単に歴
■
史的に鉢付けやうと試みた。この新傾向を拳んでから
︵り山e︼訂︼藍①−こコ哲多icぎetヨ︻︼G品穿き上の第二版︵−¢泣︶
香かに謝して邁普な標準を輿へないと嫌じ、辛辣な批
三十年、明瞭な歩調を潜み出してから僅かに十年にな
を適用した。
るに過ぎないけれどむ.その折究は誠に囁値ある歩み
は既に見たやうに漸次分額研究から総括的彼蓮へと移
cざ訂ぎeの各項が初めて挿入された。而してこの新研究
ーieざ︵守n義g霹ぎliさ︶とシュミットの執筆した宇rヨ竃
にはブルーマンの執筆Lた苧旨g乱i昌品註l︼コ領内e邑icぎ
は﹁共親
︵ぞn阜i邑l¢
W.冒㌘苫pnn
を啓け、共観編著音節究の領域を全部とはいひ得ない
けれども、例へばブースマン
戚青書の斬究﹂彩一、歴史質料について
において別種の
った。将来これが如何なる傾向と成果を蓼げるかは極
mludi⋮Ⅰ・ぎりGe汚霹ぎβu墓e﹂詣ひ︶
方法む以て共概肩書書の物語の基礎となつて居る歴史
めて興味ある問題であつて注目に模する。
はブルトマンの最初の痛憤ある著出で
資料uを摘出して有力なる−成果を示し、フ7ウシェ
ル 声﹃繋ぎr
て三年、一九l高年に﹁様式歴史的方法﹂︵崇三毛≡ge・
乳−E己i已1巾巳已さdP≡−1冒r告ご亡長und声rilik・ぎgl軋cF
乱日常ぎ還昌一芽邑−icぎのd象竃≠︶笠邑le︸l亨つ≡要一S.︶に
J身重
宗教的バディオロギ一に裁て
∼唯物史観の一党書1
■■■︳■■■
−1′
仁
夫
ンゲルス全集、七巷四一五東︶。而してこの上部族造の一
彼等の意識を決定するーーー﹂と︵改造鹿版、マルクスエ
の.唯物史観の公式とも看徹されてゐる言責丁人々は
である宗教的イディオPギーも勿論究極に於てその時
マルクスがその経済草枕判の序に於て述べたところ
その生活の坐骨的垂産において、特定の、必然的な、
代時代の経密牌係−−叉それに基く攻冶閻係、法律閲
を有し重き得るならば、﹁馬は馬の如く、牛は牛の如く﹂
彼等の意思に依存せぎる請願係を結び、この生産財係
的構造を形づく少、これが賓在的の基礎であつて、そ
その紳を形づくるであらう事を述べ、又エティオビア
係に制約され、決定されてゐる事は言ふまでもない。
の基礎の上に法律的及び政治的の上部描法が立ち、そ
人略その紳を色黒の鼻牢なものとし、、トラケア人はそ
は.彼等の物質的生産力の特定の費展段階に應常する
の基礎に相席じて特定の政令的意識語形憩がある。物
の紳を碧眼赤磐のものと考へてゐる事を指摘した。勿
既にギザシアの昔、クセノフ丁ネースは、動物が事
質的生活の生産方法は融合的、政治的、及び精辞栂の
論彼にあつては、それは俗間信仰への嘲笑、攻撃であ
ものである。これらの生産閥係の線鰹は、融骨の経済
生活過程一般を制約する。人々の意高が彼等の存在を
一二三
少、上り高い静観念を立てんが鰯ではあつたがき。
宗教的イデイオロギ一に放て
決定するのでなく、寧ろ反射に、彼等の鹿骨的存在が
;塔
宗敦的イデイォロギ一に放て
〓一四
れ以上ではない。彼もその﹁宗教の本質論﹂に於ては原
間のヘルツに邁元した。︵拳骨歌の本質︶そして決してそ
ります。つ.まり人間が自然に左右されてゐるといふこ
と超して、﹁第一の起源は人間の自然に射する関係であ
議に於てT宗教的見解の主な起源は如何なるものか﹂
タールハイマーはその﹁鐸記法的唯物論入門﹂の筋一
始宗教、低級宗教に於ける本質として自然を一應考慮
とと、人間が賓際には支配することの出来ない自然力
而して近世フォイエル.ハサハは静を全く人間に−人
に入れた。けれども結局最も本質的なるものは人間で
なかつた事は、エンゲルスの批判するところである。
史的唯物論への接近を示しながら、結局その箕を結ば
要な起源は、個々人の鹿骨に謝する願係、従って融合
教的見解、宗教的審想の覆する第二のこれに穿らず重
て審想の中で支配しやうとす渇意欲とであhヱます。宗
ある。︵深皿邑︼i仁訂Wer訂二繭.㌘彗etc︶彼の思想がや1 を.生蟄富捧げたり、新帝したり、儀式を行ったりし
︵フナイエルメッハ寸︶濁逸古典哲拳の終末、特に弟三草︶
礎となるものは生産棟式であります云々﹂とっ
︵鹿島定
渚閲係の線鰹であります。ところで敢曾的請願係の基
教的意識形態が如何にして決定され、如何にして宗教
苦詩、十七東︶
唯物史観は更に一歩を進めて、この人間に於ける宗
が起ったかを﹁人間の心情や宗教的欲求からでなく﹂他
マレ,トの搭へたブレアニミズムの設明、最も原始
的なる宗教の一形腰に関する彼の説明、如ちあるカに
のものから解明する。即ち﹁人間の日常生活を支配す
る外部的なカ﹂から
射する
歴史の初期に於ては、まず第
一に自然力が⋮⋮勝て間もなく此の自然力と並んで敢
ふ事、それは既に外部的支配力の人間に謝する反映を
ー
骨カが⋮⋮人間の頭偶に幻想的に反映し、こ1に宗教
示してはゎないか。コゞ∴リントンの述べたマナの栽念・
A竜㍍の感じ.それによつて践坐蕗挿するとい
が生れる、と︵エンゲルス、反デューサンダ論、全集十二馨
も、入閣以外の外部的勢力からの反應刺激を基本とし
押
四八二頁以下︶
てゎないか。一般の所謂自然崇挿は云ふまでもない。 ト宗教に於て﹁ナイル河の檜水や減水の時期を汲め舵
ゐる︵改造赦版、資本論、一ノ二、四九九夷︶が更にエヂブ
る伶侶階級の支配とが生ずるに至った﹂事を指摘して
又トーテミズムの如き如何にその敢曾的制約が明かに 定する必然から、エヂブトには天文拳と農業指導者た
されてゐる事か。
プレハーノフは宗教の起源に就て云ふ﹁吾々は既に
うが一つ以上であらうが.又粗宋なものであらうが掃
﹃信仰﹄になる事を知ってゐる。︵その措辞は一つであら
れは荒野の静であ少、絶てのものをぎ療養す灼熱と火
あつてもTヘブライ人の至上紳はエホ.ハであつた。そ
興隆衰退と反映してゐるかを示してゐる。ユダヤ人忙
宗教の﹃本質﹄が超然カとか不可思議なる精紳とかの トの長い歴史は.その静々の盛衰が如何に固家政曾の
へ難くてエーテルの如きものであらうが梼はない︶
争の紳であ少、内に謝しては種族結合の保護者であ少、
此﹃措辞転露魂﹄等の概念は、﹃療族の長老﹄又は後塔
にとの紳であ少.大電雨の紳であり、外に勤しては戦
なつては家父長の夢虫した時代︵之は父樺制の場合で
又厳粛にして道徳的な生活を螢むことを命令するとこ
赦昏的、経済的及び道椿的生存條件の象徴であった。
精紳.婁魂の草生があつたか香かは急に断定し欺いけ
ベーア、西雅雄謬、赦倉皇義盛史、十九東︶
との要に似せて彼等の紳を創造したのである。﹂︵エム、
素数的イデイオロギーlこ放て
一二五
戟念された事は一應認められやう。マルクスはエヂプ 歩入れぼ、背約史料よ乱乳等は、Jよn二Eへ、瓦より
而して更に一
れども、か1る時代か1る形式によつで措辞−霊魂が
とて以下その菅生過程を詑関する。この時代に初めて ヘブライ人は寮に彼等の物理的嚢塊と彼等の融合組総
して生じたのである。﹂︵滑時評、史的唯物静、二四六頁︶
導いた時代に、其赦曾の此特殊な経済的構造の反映と って、荒野の物理的性質、並に困難なる遊牧的集囲の
すれぼ、分業が組織する労働、行政的労働等の分離に ろの駿絡な立法者であつた。エホ.ハはヘブライ人に取
ある。母樺湖にあつても本質的には同様である︶、携言
77
宗貌的イデイすロギーlこ談て
ヤヘ.素朴なる眉無論から高い患接辞へのエホバの進
︼二六
ゐるのである。更に、地上の上司の間に於けるが如く、
人の考へでなく.融合的牽嬢を反映する静に就ての入
トムリサク敦曾では戦勝者ゲオルグ又はアルキストラス
あり︵ロマ入の問にあつてはマースの紳、ギリシャカ
展を如何に物語ってゐるか。それは決して客に浮いた 静々の間にも分業が起る。即ち或紳は軍事の専門家で
閣意識の進展である。
合轟き種族からな少、其等の各−が其長老及び昏長を
︵上端、二四七−入京︶我々はそれーrl・lの機能を有しそれ
ルクール︶であ少、更に又或静は農業の静である等等﹂
プレハーノフは音ふ。﹁例へば赦曾が二三の相互の結ティギウス即ちミカエル将軍︶叉或静は商事の紳︵メ
有するならば.その時は宗教は多群数の形式を採るの
である。叉若し例へば統一の過程を経て中央集横的君 ぞれの地位を有したギリシアの静々の組織にその時代
段階.制度に裁て.封建時代の中世キりスト敦が如何
主制が生ずるならば、其と同じ事が天上に於ても亦平 の融曾機構の反映を揺り得る。叉例へぼ天上の静々の
行拘に行はれ.天上では地上の支配者と同様に冷酷な
てゐる。タール︵イマーは云ふT封建的中世紀の宗教
唯︼静が勧盤に登るのである。苦し奴超豪有する商業 にそのよき例を有するかをダンテの前曲は明かに示し
共和観︵例へば紀元前五世紀に於ける7テネ︶を例に
ります。然し中世紀の政令由義歯係に焚動があつたや
採るならば、其慮では寝食多数の静々の中で戦勝都市 も、一見しただけでは太古の宗教と全然同じものであ
の女静。ハラス.アテネが薪然京角を現してゐるとは音
なる﹃端正なn宮家にも有司の等級組織とも云ふぺきも
一陛制であつた。近代ヨーロッパの民族観蒙への粛芽
いてロマ静観に代って現はれたものは封建的藩国家の
へ、静々も亦共和制的に組威されてゐる。而して如何 うに、基督教.も亦焚化したのであります。中世明にお
のが存すると全く同様に.天上に於ては聖者、天使.
静々等が其位階と其等親と其動等とに従って居並んで が次発に俸られて行ったのであ少ます。地方約な経済
アβ
の長たる最高位をなしてゐます。それと同じやうな封
藤礎薩狭臨音感じてきました。そこで直に菩々の厳に それそ逢った位を占めてぁて、三佐一腔の群が天使 柑
ウく事は、暮教なるものは元来は唯三偶の人播から
イヂィオPギーとしての宗教をも苗のそれとは轟かに
而して近世資本重義も亦采数制度に影響すると共に
二五東︶
鹿る唯一耕しか潜めなかつたのに、中世においてはそ 建的編制は冥府め歯如ち地獄忙もあも塵す云ヱ︵上端
の聖像は甚だしく多様多様なものとな少、種々ゐ静々
は封建的著そのものと困じやうに編制されてぁると
いふことであります。⋮:その封建的秩序はほゞ次の
やうな編制をとづてゐました。郎ち尭づ第一に単なる 異つたもゐとしてゐる。例へば、寄鬼は米歯糞喪主義
封建的地主がゎたが、これらの地主は或る伯欝や公欝 組織の靡カが如何に米国の敦禽制度盲、その宗教的載
の家臣だつたのです。これらの諸侯はさらに一緒に集 念を動かしてぁるかを、逆に云へば、米国に於ける宗
定されてぁるかを﹂アプトン・シンクレアの﹁宗教の
合して、彼等の上に一人の領主が立つてゐました。餞 教斡イヂィオPギーが如何に安泰主義組織忙よつて決
主﹂諸侯.団王、その他色々な耕或の人々は、最上位
以上二三の例によつてT人々の意識が彼等の存在を
に一人の鼻骨を戴いてゐました。中世紀の静々や聖者 利潤﹂より畢び得る用
もこれ鱒豚じて組み合されてゐるのを見る。そこでは
先づ弟︼に村落に村落甜があ少、次に個々の地方忙そ 決定するのでなく﹂彼等申社食的存在が彼等の意曹
オ瞳ギ一に就て、苗代より近世に捗って管見したので
れぞれ特殊な紳がぁるのを鬼ます。又ドイツやフラン 決定する﹂事を、蘇讃上部構造讐やある宗教的イディ
スやイギりス等の個々の民族にそれ・ル\の民族静のゐ
〓一七
宗教的イディ弁すギーは外部的支配勢力、或は自錦
るのを見ます。かういふ編潮娃段々に渡って行つて天 あるが、こゝで私は凰を止め、一度ふⅧ蓬つ七尾やう。
観そのものにまで及んでぁます、天歯では天使の群が
寮歌的イデイオロギ一に試て
一二八
票数的イデイオロギ一に就て
〇〇
カ、或は敢合力によつて決定され支配される。が然ら 素が唯一の決定的要素であるといふ風に曲解するなら
わどと1化し丁るものである。経済的事懸は土室であ
ば、そのイディオロギーは唯創り出され撒きかけられ ば、彼は尭の命題を無意味にして抽象的なる無稽のた
るのみで、それ自身内部の併用以外に、イディオpギ
態とその結果
−
戦勝の後で戦勝階級の規定する団恵
ー自ら他の、外部のカに働きかける事はないであらう る。併し上屠建築の種々の要素1階敢闘寧の政治形
か、又宗教的イディオpギーを決定するものは、初潮
諸理論、宗教的諾観照、次でそれらの、教義鰹系への
者の悩真に於ける反射、即ち政治的∵法律的、哲拳的
に自然カ、それから叙曾力及びその基本たる経済閣僚 その他11法律形悪、更に線て之等現茸的闘争の参加
のみであらうか?
展−無理解にも、又悪意にも追及されるやうなか1
その影響を及ぼす。薯﹂︵エンゲルスの唯物史観に閲す
蜃展といふが如きものも亦歴史的闘争の推移に謝して
﹁一定融骨の一定時期における個々のイディオPギー
る書簡、向坂誇.紅曾科挙、二巷八戟四七六頁︶又云ふ﹁政
る見解は捨てられなけれぼならない。
をば.専らその時代の軽潜的生活礫件並に閲係から直
ス的イディオロギー.戟の戯曲化である。﹂︰森戸、大原放
のもの1総ては相互の間にも.又経婚約土董の上にも
の豪族は.経線的蓉展の上に凍ってゐる。併し、之等
接的に規定せられてゐるものとのみ考へる事はマルク 治的、法律的、哲畢的、宗教的、文革的、峯術附等等
骨問組研究所燕港、六金一読、一四九真︶か1る曲解あれ
ばこそエンゲルスは屡土騨解し訟明する。﹁唯物史観に反作用を及す。而して.経済的事憩が原因で、唯濁り
上れぼ歴史に於ける最後の決定的要素は現葦的生命の 能動的であ少、他の線てのものは唯受動的の作用であ
生産及再生産である。それ以上はマルクスも私も普て るといふのでなくして.その交互作相紘一究隠に示て
王張した事はない。そこで若し人あつて之を経簡約要 常に自己を遂行する経済的必然の基礎の上に於て行は
財
出来ない侶象ではなく、他の生活部面に働きかけ得る
つも働きかけられてぼかりゐて自ら働きかけることの
︵森戸、上楓、︼七三東参照︶。如ち、﹁イデオロギーはい
に﹁唯物史戟創詭者の念頭に置かれてゐたものである﹂
は彼の後年に於ける唯物史載の修正ではなくして、既
政令基本構造である経済的土蓋への影響をも究めなけ
宗教史を一屠解明する焉には宗教的イディオPギーの、
親祭しなけれぼならぬ事は云ふまでもない。だが更に、
作用、その他.譜イディオPギーの交互作用をも充分
的イディオPギーそれ自身の次代のイディオロギーへの
しては宗教の歴史を明かにし得ない。然し同時に宗教
の鮎に於てこれらは正しい。宗教の物質的基礎を無祓
ところの、たとへ心的セあるとは云へ、一個の存在で
ればならぬのではないか。
る1といふのである。﹂︵前掲四八六京︶而してこの見解
ある﹂︵森戸、上端、一七三東︶。従って宗教的イデイオ
ることは、それの完全なる燭立位と自己法則性とを認
けれども﹁イディオロギーの反作用と交互作用とを認め
にもある影響を有ち得る事を認めなけれぼならない。
ディオロギ一に謝し、更に又究極原因たる経済的土産
響から生れたに過ぎぬ﹂とするが如き論を断然否定す
ある﹂とか、﹁貸本主義精神は単に宗教改革の決定的影
ない。﹁経済組諭としての資本主義は宗教改革の産物で
及ぼした影響を。然し彼は宗教史戟に立脚するのでは
を試みる。先づ第一の部分に宗教改革家の資本主義へ
マゥクスウェーベルはその﹁宗教融合螢﹂に於てこれ
める事と陶︼ではない﹂︵森戸、上端一七四賀︶。事には
る。︵毒八三東︶が叉他方で、﹁宗教改革﹂﹃濃化的必然
Pギーも、次の時代のそれに勤しては勿論叉他の譜イ
充分任意しなければならぬ。
的な﹄ものとして経備蘭推移かち演繹し得る﹂といふ
見靡かちの解放を掲要求する︵八三賞︶。そして宗教的
さて先に掲げた、宗教を唯物史観の立場で解辞した
二ニーの例は、その時代々々の敢食的基l礎を反映するlこ
影響がこの資本ま義満紳を如何に賓斡に割印七又如
一二九
とティピカルなもで或は一般論栂設塀であつた。そ
農救助イデイオpギーlこ就て
●
βJ
しで残ってぁるとしても、叉カルヴy主義が如何紅、
︼三〇
何紅塵的にその′蕾展に伴つたか、風発本文蕃的基礎忙
資東宝義を助けたにしても、究極的に宗教改革を決定
慕救助イデイオ申ギーlこ裁て
療法る文化の如何なる具鰹的方面が宗教些野せられる
して行ったものは経済磯樺ではなかつたか、例へばエ
裁て﹂の知音その陶の滑息を解卓関してはぁないか。
/
ンゲルスの﹁農民戦畢﹂の如き、叉その﹁史的唯物静忙
かを述べやうとする。
ナレルチはこれ旺賄しで、上からか、下からか、容
易に決定し難い陶鞋︵全集三等、卑し今こ¢昔が座右に寵
あ少、人のすべての毎展は唯紳のレゲエレーションによ
然し、人が紳を伴ったのでなく静が人を作ったQで
ベルのこの来場蛙結巌唯物史戟の申紅包括されるので
ってのみ遮り得ると飽くまで固執する人蜂暫く別であ
としてぁるが、然しマタス・ウ‡−
はないか。成程彼は、宗教改革を経済的推移から進化
る。
く、唯由億にょる。︶
約必然的として演繹する事は出凍ないと云ふ。然し先
に述べ東如く、唯物史載は決して宗教的イディオpギ
ーそれ自身の作用を否定しない。唯取離しての経済船
脚係のみの着目から宗教改革を諭やるの拉唯物史鞍Q
他の︼方への曲解である。そこに前代中世紀からの宗
教的イディオpギー、その他の作用のある事は否定す
べくもない。そしてその宗教改革の思想疫、茸木立義
精静に影響し、叉そQ上に硫はる文化を動かした。け
れどもたとへ.ルプチルの動横が良ぬ縄恵庭あつたと
しても、そしてそれは依然として最も純な精神問質よ
朗
宗教民族畢の資料と方法とについて
夏、秋葉、吉野藩氏が、夫々れ東日、東樹、宗教研究
方から次々に貴い批評むいたゞいた。中でも赤松、日
昨年のくれに小者﹃宗教民馨﹄を公にしてから、諸
また問題の解滞がどこ忙鮮著すべきかを.こ1に多少
れでこれらの熟忙ついて著者の旗揚はどうであつたか
私自身もできるだけこれに噂乾するやうに努めた。そ
たお小言や論妊の万が一そう尊重さるべきであつて、
てゐる。しかし拳的な意味では、その前後にもらされ
空
及び東洋草薮轟誌に寄せられた深切な論評は、いろん
でも答解輝明して於くことは、拳界への義務でもあ少、
固
な意味で著者への少からぬ教訓であつた。このほか新
評者に謝する鎧でもあると考へて、思ひついたま1忙
野
聞雑誌を見るのにいたつて不精な私には、自分で知ら
宇
ないでゐる紹介もあつたやうだし∵無名の短評までl
輩をとつて見る。
○
︼臭えてはゎないけれども、それらの好意に射しては.
いづれもこQ横倉に心からの感謝を表明しなくてはな
なものを指摘し、修正意見をのべられたのもー二あつ
書中に用ひた術語辞名について.評者がその不穏雷
前記の蘇氏の小菅に射する過分な質讃綻、正直にい
たやうに記憶する。未開民族がその特殊な風習や概念
らない。
ゃて個人的な友誼や同情のあらはれであつて、この駄
をいひあら放す土蕃や、またそれらを畢的に統括する
︼三−
蛙その昔育とは朋旺、私的旺はもちろん厚くお受けし
景教長篇争の資料ミ方法モについて
83
宗救民族拳の質料モカ法王lこついて
術語を多数に用ひてゐる民族拳の範囲に於て.これら
しかし
一三二
苫−k︼○富民停車としたのに謝する不審はもつ
を如何して取入れるかは慎重に考ふべき問題でもあら ともなことではあるが.これはいふまでもなく民間停
うし、また現に一般にみとめられてわる渾名は葦はあ 承畢の簡約で、自分では可なり以前から使ってゐた1
を土俗拳とか郷土拳とかいつた方が分りがよければ.
まり多くないやうである。それで私は土語や欧洲語の め、さのみ耳ざはゆにはならなかつたのである。これ
ま1で比較的に知られてゐるものは、無理に和讃しな
襲することにして.その他はむしろ語源的に直辞して
一般的にもなつてはゐるが、民族畢との普通のために、
は大分古くから用ひられたやうでもあ少、近年よほど
いで僻名書にし、用例の多く見られる評語はそれを踏 もちろんそれでもよい。それょりも民俗拳といふ喜美
原語と.の対照を容易ならしめる方針をとつた。たとへ
ば嘩邑iOmOに謝する共生感、A字句邑宅の全父などが 曾話の時には一々﹁俗﹂か﹁族﹂かを、鮭かめたり断った
それであるが、いづれにしても一方では意味が分らな りせざるを得ない煩はしさの種族は、決定的にこれを
用語の問題はしかし第二次的なものとして、題材の
○
くなつたり、その限定が曖昧になつたりすることは余 採るにや1躊躇させたのである。
儀ないものがある。それで私はすべてを便宜上の僻の
用語と心得て、漸次に一そう邁切な用語や浮名が提案
され、それがなるべく一般的に用ひられるやうになつ 選搾について、ことに口威停承や呪辞の類をもつとか
た時にト或る程度まで妥協してそれに追随してゆくべ へりみるがよいといふ注意は、紳語草者や文革着から
きだと思ってゐる。中でも文化複合とか蹄一説とかい の注文として、私にはもつとも適切な警告′であつた。
率直に白状しておくより外ないと同時に、嘗然これら 朗
ふのは、自分ながら菱なものだと思はないでもないの それでこの方面についてはまづ自分の知識の乏しさを
で.むしろ滴督な修正案の出されるのを望んでゐる。
の間短にまで展開すべきはすの呪術に閲する詮研が、
い。
者として甚だ意に滞たないのであるけれども、終極の
な折究として常を得なかつたにちがひない。これは著
かりになつてゐるのは、請書子の興味を穀ぎ、賛辞的
その他の問題でも、とかく巷談の紹介や理論的考察ば
の全篇がほとんど抽象論に終り、トーテミズムや禁忌
数を具さなくては不可能でもある。こんな意味で本吉
描き出すには、少からぬ組織的能力を要し、相常な紙
るのであつて、その全鰹を一方に偏しないやう周到に
軍縮なのに比して、非常に複錐多様な菱化を示してゐ
を考へる上、行動にしても音譜にしても、その理論の
術の鼻腔的な形式や、その他の儀橙の次第といふこと
とを、今さら口惜しく思ふのである。しかし茸際に呪
頑についても甚だ簡単な原理にしか解れ得なかつたこ
事例は、舌代のものについては歴史的な考察と疑問の
れは一つは文化民族としての日本人に於けるこの種の
差ひかえるやうな衝動を感じたことは事箕である。そ
れに思ひつきがなくもない事がらでも、むしろわざと
在の事案を紳合的に考へるだけの自信のない今は.ま
かはといふ念願にもえながら、まだ日本の過去及び現
質お恥かしい次第で居る。けれどもこの場合にも何日
ちの便ひ苗した資料にばかり引か1つてゐることは異
もあつて、徒らに欧米の尊者尤追擁したり、その人た
かりでなく、
ものであ少.比較的に鮭箕な知識が輿へられてゐるば
の事例は私たちにとつて一ばん手近かな、興味の多いー
本番にとつても重要な忠言であつたと思はれる。日本
倖承を取扱ったらい1だらうといふ批評は、おそらく
また引用の事例その他に、もつと日本の苗俗や残存
目的理論の方面に置いてゐる自分の立場と、なるべく
整理を要するものがあ少、現在に残存してゐるものに
あまりに概括的な理論と抽象的な分類に偏し、言語儀
廉い範囲の問題を、簡単に概改しやうとした本書の性
l三三
は、これを後代の文化的要素の交錯から分析せねばな
宗救民族畢の資料ミ方法ミlこついて
質から、今しばらくこれを容赦してもらふより外はな
β∂
としても、まづ狭義の意味で、現存未開民族に閲する
贈れたかつたのもこれが食めであつて、︼般の民族拳
て考ふべきだといひながら、賛際にはほとんどこれに
て.先史考古拳や民倖拳による宗教の事箕壱もふくめ
趣がちがふからである。私が宗教民族畢の帝国につい
墓に取扱ふのとは、たとひ程度問題としてもその
ないので、現存の未開民族に於け冴有のま1の事箕を
らず.それには夫々れの専門家の手を経なくてはなら
いはゆる持回もこの意味で全く無用なものではなかろ
の構造に根本的な修正も必要となるのであつて、私Q
反省しなくてはならす、そこに蕃束の宗教畢や宗教史
閑心があつてもなくても.擾徒としてはこれを冷静に
だ藩切なものがあるので.その主張の動様に宗派的な
ぎりでは、従来の菅生諭などの故障を指揺すること甚
などの反進化静的方法は、少くとも宗教拳に陶するか
びか扱かへして於いたはずである。もつともシュミット
れが民馨としてきだ︼つの試みであることは.幾托
〓ニ因
際限のない事賓を整理することが、分業あ上からいつ
う。しかしそれはどこまでも診つた進化論的構想の修
兼職艮族掌の‡科ミ方沫ミについて
ても善あたつての仕事でないかとも思はれる。
るもQであらう。シュミ,トに引づられすぎるといふ
惑は、おそらく宗教民族拳の貯系または方法論に綴す
しかしとの音忙加へられた根本的な批謹もしくは疑
を排斥しっ1、しかも個別的な曹澤や心理的類似をみ
詳説した通りであつて、この薪は現に認系的な進化就
が説明されるといふのでないことは、費坐論に閲して
な野澤を否定するものではなく、倖播のみでその菱化
正であつて、私が根本的に宗教の港北すなはち自費的
載測もあつたが、これは最初に宗教民族拳といふ名Q
とめるボアズその他の陸一散の立壌にもつとも近いわ
○
一般化について、臨師のはたらきをカ改したことの印
けである。
一醍相互忙対立する拳渡的な立場を一概忙取捨し、
象からであらう。またいはゆる新民族拳の方怯論的重
蔵は、むしろ紹介の意味で栂普辞誅したけれども、そ
∂β
こと忙奮旺兼務綺な筈することは、痛快で披
大よそあらはれてゐるのでないかと思ふ。
察の方法.資料の取扱ひについて述べたのも、仕事を
ることは今でも避けたいので、宗教童の範囲や靭
種の慄辞去発から、私は概念的に方法や醍系を決定す
ことやある。しかし方法論上りは発づ賛埼をといふ一
として捉へがたいといふ批難のあつたのも無理からぬ
いたのもこれがためであつて、著者自身の立場が模糊
たり、白身の競場として明白に左右を決定しないでお
法を詭きながら、いつも簡畢にそれらの可否を断定し
るqそれで静史的に︼つの紹介として種々な旗揚や方
‡は科串的異理に重な靡以であると私は思りてぁ
きるだけ包容し.蒋ついて各浪の長所を取入れた方が
策としては盤潤いやうでも、むしろ種々なる方法をで
哲拳者の考慮に任しておけぼい1ので.私にとつては
科として成立するや否やといふやうな問箆は、︼畜Q
たと同様である。宗教心理拳や宗教敢食草が覇立の畢
とれは一殻宗教皐と宗教民族拳との関係について語っ
射する宗教民族事の膵係如何といふことになつたら、
ものではない。もしこ丸が宗教心甥畢や宗教敢食畢に
敢食草的な考へ方を用ひすに、寮際の結果をあげ得る
已とが圭であらうが、もちろんそれは心理畢的または
と、宗教なら宗教を他の文化軍票との線合に於て見る
忙l音したやうに民族的系統による豪産や葬化の考察
法といふものを強ひして抽象して見たら、それは春初
の中に十分後者を入れてい1卓答へたい。民族拳釣方
関係をどうするかと問はれたのに勤しても、私は前者
一
すめるに必要な慧限度の約束であゎ、寮際上の心が
それは便宜上の一つの謎め方としてあつてもい1とい
それ故民族畢的方法と心埋草的及び敦骨畢方法との
けと用意といふ位のものであつて、いはゆる立場など
ふだけで、それが宗教拳に属するものか、心理拳や敢
あらうけれども.叢に蛙あま扮勢果脾ではない。論
は飽からの具陳的な問選の取扱に於て1それは茸際
食草の一部であるかも﹂どつちでもまた南方であつて
一三五
に於て白倉ながら失敗であり、不満な鮎も多かつたが
革徴艮娯挙の資料ミ頂津せについて
∼貯
宗教民族畢の資料ざ万活ミlこついて
一三六
も差支ないことである。同様に宗教民族畢に謝して少
も々さみしい気もするが、やがて手きびしい詰問や叱
私は決して一拳科としての濁立だの、明確な肝属だ正
のも奥へられることだらうと.むしろこの方を怖れか
いふことを要求するものでなく、これも未開民族のつ
宗望んでゐるものである。
見た便宜上の蔑め方もしくは僻の名であつてい1ので
ある。それの形式と方法とは.依然としてフォイエル
してT草薙を逸げたものは宗教拳の材料であり内容で
教の研究といふ意味で、主としてその封象や資料からついでに最近取部之漁民が宗教の民族畢研究を批評
ある。Lたがつてこれが宗教心理畢や宗教融合畢と、
排他的に封宜しなければならぬ必然性もなく、貰際バ
にッハを一歩も出でず、マルクスに一時代おくれたま
於ける相互の交錯はもちろんのことであつて、そのま
笹である。その詮撼を見ることは易しい。今日の日本
首寓語の人類畢的、民族拳的資料も、融合拳的整理も
噂づけにあらすんば、﹁人間性﹂のさ苧ぐ去壷語i
系などは結果のあがるにつれて適宜に整頓され磨らの
い宗教拳の方法がそれである。﹁聖﹂のカント主義的範
いと思ってゐる。
○
こんなわけで畢的形式の問題については、私は意究
識極に於てこれらの無内容な審語に奉仕させられてゐ
的に可なり放漫なかつ大股な態度をとつたのやあるる
がにとゞまる﹂云々と断じたこと。これは前に私たち
して算十九世後年の計数進化論や人類皐者の併設を採
貰際形式や方法の問題は第二義的である。それよりが
もマルクス主義者の宗教菅生論を許して、それは主と
私は婁魂や呪力の問題.トーテミズムや儀盛の起源の
説明には、さらに大勝な燭断を試み、多くの畢者の用
見し、軽率にそれを史的事案とする前提かち出立して
解虎反するやうな想定を加へて見たところもある。そ
この後の民族拳的研究の進歩を知らないでゐるといつ
れらに射する論難がまだあまり出て来ないのは、貰た
はのに射する反駁である。この形式といひ方法といふ
β∂
のは、それが耕澄法的セあるかどうかを意味し、そう これらの事箕の意味を採らんがための一つの立場にす 郎
でないものは何であれマルクスより後れたといふ一つ ぎないので、それはむしろ無形式に近い形式で、それ
での事寛が輿へられるのであらう。こんな意味で私は
の信仰各自であるから、今はもちろんこれに解れる必 らの事象の文化史的横緒を理解する時に、眞資の意味
要はない。
しかし宗教民族拳の覆濯が、畢にその材料や内容で 決して自分の書いたもの1みを、最後の眞茸であると
あ少、かの人々が今に依用してゐる奮時の宗教牽生論 は考へないと同時に、ともかく宗教民族畢がもたらし
が、マルクス拳漉の形式の下では、依然として拳的な た宗教の科拳的な見方と、その歴史的事箕の把握への
一三七
優越を保ってゐるといふ考へは、あまりにもこの穫の 進歩とはみとめてもらひたいのである。
研究に謝する認識の不足ではないか。畢系的な進化概
念を背景とした自然崇拝詭ヤアニミズム訣によつては
たとひいはゆる形式や方法が何であろうとも、歴史的
事資を説明することができない。宗波的な宣停の邪魔
になる事箕や拳詮は、猫断的に無用として片づけてお
くのならとにかく、いやしくも畢的な眞箕といふこと
を意隠し横棒するのなら、その後の民族拳的研究の進
展と成果とに勤して、目を蔽ふてすまされるものでは
ない。今の宗教民族拳は単なる事例の集蹟や資料の整
理が目的ではない。倖招説といひ蹄一読といふのも、
宗教民族挙り資料ミ方法ミにりいて
嘲性尊叢生義モ感情尊重真義¢連動
近世宗教思想史に現はれた
−
井
しく顛はれたものは英幽に於ける
〓ニ八
匡
冒i旨
の費蓮であ
に及んでは極力#性を尊重する楼にな少、その最も著
櫻
まとしてクェヌy−の運動を中心としてⅠ
理性尊重主義と感情尊重主義の運動
∴
第十七世紀の後車ふら第十八世紀に亘る時代は道る
理ロ
とを調和してその上に立てられてゐたのであつたが、
酢解放されて大いにその構成を振った時代である。所トーマス、アクイナス以来静拳の基礎は天啓と理性
謂啓蒙期の時代である。政治経済、遺徳.宗教の各方
面に一大発車が行はれた。民主的基礎の築かれたの﹁
も白頭﹂を卓見した近世思想家は此調和を破って理性に
とした。静は宇宙を創造するに方つて自蛮法を立て人
立志主義の渡歩もみな此の時代に始まつてゐる。宗濁
教立の地位を輿へ、理性を基礎として紳拳を建設せん
方面た放ける奨化また著しいものがある。
ルーテルの宗教改革によつて起こされた牽化は﹃間
法には理性と良心と自由とを附奥したのである。かく
王﹄と﹁ハイプル﹄の選き捜へに外ならない、ルーて
テ成
ルれる自然は完全なる紳の働きであつて別に特別の
自身猶鱒理性を排する態度に在った。然るに此の時啓
期示や奇跡を行ふの必要はないと云ふのである。此の 舶
として、︵一︶紳の存在、︵二︶感葬の義務、︵三︶徳と敬
占e毒﹂itp定e︸、︵眞理に就て︶に於て宗教に共連な戟念
初から紳静的分子は含まれてゎないのである
い凍なものは一つも存しない、。基督教にはその安生昔
約分子を含むものではない、理性によつて理解し得患
ー訂ぞnOtぞ賢riO旦む各にして、拳骨敦は何等醇掛
虔とが藤井の妻弟なる事.︵四︶罪の悔改と購罪の
ダヤ教の儀式、その他異教の嫁儀などが混入したもの
渡の創始者はエアワード、ハーバートである。後腹
必要なる事、︵五︶来世の裟罰、の五つを奉げ、これの
みが宗教の要素であつてこれ以外にはないと云ってゐ はある、これらを除けぽ基督敦には理性をもつて辞し
﹁崇望りOd講お0ヽ軍籍ヨ︼ぎ好日.gJ﹁せ紆昏官営○〓訂雪0亡ndp乱
る。若しこれ以外に有るとすればそれは僧侶や鰯吸着 得ないものは一つもないと論じた。またコザソズも
蓮が幹事に附加したもので、奥の宗教の蜜萎煮では
もこれを歴迫する事の出来ない事.及び基燈をメ,シ
ないと云ふのである。これらは理性によつて充分に理 謬琶訃○ご訂9掛野nR㌫gi昌﹂を著はして自由は何人
解し得るところのもQである。故に何も奇跡忙よらな
くとも、啓示なくとも充分明かに解し得るところのも ヤとする思想はキサスト自身から著したものでなく蕃
のである。要は只瑠性に基づくのである。かく彼は理 約聖書に基いたものである事などを診じた。彼はこの
この主張をなした者は弓富l
である。彼は一七三〇
年﹁9り訂許已t叫思註已C為邑昌﹂を著はし、静は正義で
〓ニれ
て完全、永久、不歴Qものであると論じ、更に啓示す
から立論してキサスト敦が天地創造の始めから存在し
ある事、静は蕃である事.静は完全である事等の見地
等の出づる凄になつて自
試a昏芸当已已−
性を食重し理性を基礎として紳拳を建設し榛としたの 改に於ては有力なる︼入であつたが、琶に一膚鮮明拡
である。
更にこの渡の犬立物とも云ふべき
A已ぎn﹃㌘llin♂JOぎぎ︼呂d
然紳畢波はその鹿辣期に入ったのである。
ト↓ランド絃ナイルランドの人、一六九六年﹁9謎丁
理性懲盛衰義ざ感情尊丑重義の運蜘
βJ
理性尊重重義ミ感情恵産室義毎連面
−払0
るものがこれにあるとしてもそれがために何ら附加さ る守併しこの静が行はれるやひと少一部の諒としてで
れるものでない単なる蛇足に過ぎない、香不必要、更 なく英阻思想界に多大の影鞍を奥へ批評、反射、辞静
忙不必要以上有事のものである。宗教の目的は道徳に 相継いゃ起す一時は甚だ坂はしい宗教論が閻はされた
なかつた。デイズムの思想はやがて大陸にもその影響
英国内に於けるか1る論争は只一国内にのみ止まら
ある。道徳に廃係のない信仰風習は宗教の名を冠する のである。
に相應しくないものである。宗教の目的が道徳に在る
事明かならばそれ以外の附加物を加ふるの必要はな
い。而かも道徳は確性を主としての人間の行動であゎ を輿へ、先づく○︼すireを通して彿団に入つたが、併用
宗教はこの理性が静から来ると見るところに存するの に於てデイズムはl原発化して感覚的唯物論となつ
である。故に奇蹟の如きものは不必要である。紳の意 た。常時彿固に在ってはユウゲノウに許されてゐた信
志に従って生活する事が人間の最高の着である。而か 仰の自由を奪ひ、ヂヤンセユズム、クツイチズムを迫
信仰は滑失し非キリスト教的傾向甚だしく勢を得てゎ
もそのために啓示を必要としない、吾々の理性によつ 害して健全なる宗教思想の棄遷を妨げ、そのため宗教
て充分明かに遷する事が出来るのであると論じた。
素よ少これらデイスト澤の諭するところはキリスト た時代であつたためデイズムの思想は忽ち彿団に於け
教反射の鎗と云ふべきものではない。ロックの彰智を る非キりスト数的思想と結合して一序数しき唯物論の
受け理性の尊重すべき事を知った結果、キりスト敦が 思想となつたのである。﹁人類一切の東の根源は宗教に
啓示を尊び天啓教である事を唯一の低値の慮に考へて 在る。紳の戟念は人の恐怖心と無智とから来る、静観
出来る﹂と云ったホイル.ハッハの如き人が現はれた、Q
ゐるのに勤し、天啓、奇躁以上に棟威ある理性の存在 念の代りに自然をとる時始めて人間は車両になる事が
を明かにし/理性によつてこれを解さうとしたのであ
甘β
\
もこの時朋である。
目的に向ひその間に調和と統一とがある。モナざの最 紺
この傾向はヴォルテールを通して彿固に入ったの高
でなるものが辞である。而かも紳は凡てのモナドの創
あるが、更旺同じくヴォルテールを超して潟逸にも造
入者である。静は完全なる活動をなし完全に宇宙を包
ったのである。ドイツのフザーザッヒ大帝は大いに括
彿してゐる。宇宙は最も完全な而かも最もよく調和せ
文拳を饗勤しヴォルテールを宮中に招樽したので、る
彼ものである、宗教は静に就いて正しく概念をもち、
﹁CFr訂ti邑t﹃宏Oldる
監知諭が完全に進むに従って宗教も亦完全に進むので
を通して唯物論的キサスト敦反封の思想がドイツにこ
入の概念に基づいて紳を愛する事である。故に紳を知
ったのである。尤もチングルの
守邑i。已が一七囲︼年ドイツ語に覇謬されたためこの
ある。この彼の思想は可成り強く常時の思想家を動か
種の著述が漸次紹介され理性尊重思想が大いに勢力し
をたのである。昏をi5WO弓亦この種の思想家であつ
得る楼になつたのであるが、此に哲拳的基礎を輿へた
た、彼は﹁物として相普の理由なきものなし﹂と云ふ
ものはかのどib已Nである。彼の曹拳の中心はモナド 語茫標語としてゐた程である。
論である。萬物は常宿動する、清動ある屏には活動す理性尊重の思想が英国に委して大陸托その影響を及
る丈のカがある。このカがモナドである。モナドはぼ
各しデイズムの努ひ盛んではあつたがヒュームの痛撃
類似があゎ.汲め定まれる調和がある。個々のモナド
はれる様に短命に終つたのであるが近世思想史上にそ
業には既に﹁デイズムは既に世より忘れられた﹂と云
々別々の世界をなして相通する窓がない。只その間に
に蓬ふて途にその来場を雑持し難くな少十八世紀の兼
は大宇宙の代表であ官財ち宇宙の鋳であるlこのカ
︼四l
に渡っては一暦徹底的反キサスト敦思想となり無評論
些鮮明不鮮明の善がある、心は鮮明で事物は不鮮明の
で演じた役割はあながち小さくはないのである。大陸
ある。モナドは費北極りなくその費展の費化は一つQ
理性寺宝主義ミ感情尊重主義¢連動
瑠性尊重主義ミ感情尊重主義り連動
︼四二
的傾向をさえ帯びたものとなつたが、却ってこれが刺 と施政する事となつた。更にエリサべスの時エリザヘ
戟となつて理性尊重主義とは反勤の感鯖尊重主義の思 ッは統︼命令を登布して自ら孟曾の首長となゎ官吏は
想を振起せしめた。ドイツに於ける敬虔派及び同胞敦 必ずエビスコパル渡に属すべき様に命じた、それ以恕
囲等はこれがために却ってカを得た様に感じられる。 エビスコパル渡は英国歯数となつたのである。併し昔
而かもその感情馨重重義の思想は更に逆に菜園におし 時は番数そのま1の儀式、教理を用ゐてゐたのでーそ
返して充た。このおし返して衆た感情尊重主義の思想 のセめ新香両派信徒でこれに駁しないものが多く、特
は理性尊重主義思想の枯芝の上に燃えひろがり英国人 に大陸にある新教徒の大部分は反封の状態であつた。
の生活中に潜んでゐた宗教感情む誘奪したのである。 侍ほカンターベリーの大監督パーカー氏の起草による
形式の整ふ時は二mに於ては進歩の完成であるが.
て英観議曾の基礎鰹湖は定まつたのである。
統︼令、新藤書、lニ十九ケ侯信煉等が出来て大胆に於
その一つの現れとしてウェスレーの宗教運動を見る事 三十九サ條の倍條が新たに制定され弦に議曾首長令、
が出来楼。
〓
第十七世紀に於ける英歯数曾の歴史は国教曾とピー 又︼面に於ては進歩の中経、香更艦は内面的堕落の時
定まつた常時は英国の衰教、遺徳、敢曾︼般の状態は
サタンとの拳闘のそれであつて、最後に因数曾淡の膠 である駿合が多い。諭挙止み関学静まり観教曾の鰹制
利となつてゐる。ヘンサー八世がカタサナ︷チャール
擬めて堕落した時代であつた。
デイズムの思想は短命に終ったもののその風潮は教
ス五世の叔母︶との離婚をするにカってこれを法王に
允許を求めた.然るに法王はごれを許さなかつたので
国王はこれむ怒り餌食に諮諭して離婚を断行して法王 骨内の客気を一燈せしめ、敬虔な宗教的熱心は失せ、 鋸
首好放緻となり、斎艶﹂は上政敵脅に於ける笑の級と 堅一、、九五押乱の結婚があり鑑る伶偶の如きは二人で 捗
なり、上流音数治家は多くキリスト教を去って行く有 一日に一七三弧の結婚を司つたと云ふ事である。かl
様であつた。従って不道徳行鰯は通常の事となり、選 る結婚はみな何れも正式の結婚でなく不正なる結婚で
告時代が時代であつて僧侶と揖も決して聖職に在る
挙の棄収、官等の責収等は綬々と行はれ、金が物云ふ あり、これを司る僧侶は只報酬を求めてなすものであ
有様となつた.或る娘の如き鱒富有なるが故に金で陸
軍少佐に任官し晦に官報を以て公表された程である。 との意識をもつて事に常ってゐるものではなく、只職
男女閲係の如きも乱れ、純潔とか貞操とか云ふ様な 業的に伶侶になつたものが多く、甚だしい者になると
儀式を司る方法丈けしか知らない者があつたと云ふ事
事は時代後れとしてむしろ冷笑されてゐた。或る公田 聖職に在り乍らキリスト教が何であるかを知らないで
は自分の息子に女を誘惑する方法をこ卓アぐ1教へたと
云ふ串甘ある。女子の側に於ても亦同様であり、常時 である。雀って騒時傭人れの牧師停電師があ少、内心
の婦人蓮の愛読書なるものは何れも卑狼なものぼかり に書取を著すに外面にのみ洛取をまとふ教師が多かつ
であるばかりせなく、それが婦人の寝室を飾る貴重品 たのである。彼らは精静的修養.拳術の研究の如き方
の一つであつたと云ふ事であるから常時の状漕が如何 面には意を止めないで御つとめのない限り毎日の様に
であつたかはこれによつても競ふ事が出来る。かく見 安逸をむさぼり、或は哉技見物に、狩猟に、尉鶴見物
るもの間くもの卑狼のものであつて性的放縦であると に、酒場にその日を過したのである。闘裁は一枚に行
ころから不正陪婚の行はれる事も極めて多い。結婚は はれその他動物の仕合が盛んに行はれ、教育者と云は
従来敦骨に於ける一つの重要なる儀式であるにも拘ら す宗教家と云はす紳士淑女が好んでこれをなしたので
﹂四三
ず不正に結婚が行はれ、フリートに於ては四ケ月の間 ある。また飲酒の食は最む盛んに行はれ、洒の飲用の
強健量主義ミ感情耳蜜ま義¢運動
し、地方性灸しく条民は檜加する︼方であつた。従っ
英観に︼つも新たに作られた教区がない、帯食は堕落
宗教も教育も度外成され鬱蓮なく、改善もない。常時
はれる着かくの如くして宗教の蜜展望むべくもない。
錬の︼つとしたのも無理のない串である。宗教家と云
る。ウェスレーが飲酒の嵐を悪くみ禁酒をその漉の信
最も多かつた時代はこの時代であつたと云はれてゐ
名なるは
いて静かに著作の壁活に入ったっ多くの著作中最も有
世に忠信審約を専んだため敦禽に発進の途を失ひ.退
就いたのであつたが、非因数禽主義をとりヂすーヂ一
ンブワッヂ大拳に拳び後そのフ手口ーとなり聖職にも
動の父と解せらるに
大なる感化をなせる一人がある。これぞメソデスト運
に身を詮かすさ少とて名巷ある地位にあらずして倍ほ
一国四
てバイブルの如きは一顧の倍だになきものとな少、或
に輿へ、宗教的書物としてパンヤンの末路贋森に比せ
穫低量虫哉モ感情富重主我の邁動
地方の教区には一冊のバイブルがある丈けであつた、
られてゐる。文豪ヂョソソンは﹁A哲㌢已C邑 を讃ん
てゎた。殊にピーりタンの気風は中流敢曾のどこかに
たが.伶ほ一晩の宗教的流れは其餞人のどこかに流れ
統合一般が以上の如く甚しき堕落の減に沈んではゎ
時に鵡床してワオの宅を訪ね、その敦を聴いたと云ふ
い。ウェスレーはオックスフォード大挙夜襲中毎朝四
ーが彼れ並に彼の薯伸から受けた感化は極めて大き
云ってゐる。特にメソヂスト運動の中心人物ウェスレ
や犬なる感化む常時の人員
残存しか1る状腰を歎じつ1も大勢に歴せられて如何
事である。以て如何に彼がロオを尊敬しその感化に沿
﹁A許計戻口菩﹂
である。後れはケ
而かもそのバイブルは花鉢の置墓としてあつたと云ふ
で始めて宗教に就いて鼻面目に考ふる按になつた﹂と
名i︼lぎヨ訂⇒
有様であつた。
とも虚し得す只静かに厳粛な宗教生活を樹けつ1あつ
粛
したかは明かである。このさ許riO喜田弓 は常時の
聖戦的唯理論的宗教裁と異なり非常に眞面目さに俊厳
た。
これら敬虔聖潔の壁畜たしてゐる者の中に何ら公職
′
労
れてゐる。敬虔たして才智に窟みよく夫を助け十九人
なネ宗教載とを看ち、何肝か前時代の宗教親らしい母
貼はSこ賢一n⋮・と云ひ常時まれ龍見る賢夫人として知ら
はあるがーその昏き振りは十八世紀的で.それが多く
の讃者をひきつけたのである。彼はまた文畢者としの
て子供を教育しヂョシやチャールスの如き大人物を出
も論文作家として封書であるが只人生に謝する批判し
はたのである。サウゼーはウェスレー停に於て彼女を
とした父サムエルは却って町からの反封を受け或時の
ースは工業地で風儀が悪かつた。この悪風を一掃せん
ーである。彼の坐れた土地即ち父の教区たるエプウォ
る両親の間に第二子として生れたのはヂョン・ウ‡スレ
極めて痛烈であり、俊酷であつた。宗教を諭するに解
方して﹁メソヂストの母﹂と云って讃美してゐる。かか
っても忍像的のところ少く.合理的論理的であつた。
三
弦にPオの感化を受け宗教的熱情を以て一大宗教連
動を起した偉人に就て述ぶる願序になつた。メソヂ如
スきその住宅に放火されたことさえあつた。lヂ謬ンが
ある。ヂョンが丁度六才の時であつた。他の兄弟は母
ト運動の中心人物であり英国が産んだ太宗教家ウェ斬
スり乍ら救はれたと経験を得たのは賛にこの時の事で
レー・に就て述べて見様。
︼ぎさ旨m箋W乳ey
は静拳と腎畢を修め精静の腎 た。明くなつたので目を開くと家が燃えてゐる.階
ウェスレーの父親は共に敬虔なる敏郎であつた。や
親女子に連れられて逃れたが自分一人残されて了つ
父
悟をきめて一心に静に斬ったのであるが、如何した評
着であると国縫に肉脛の晋着であつた。その子ヂョ下
ンに下りる事は不可能の様に思はれた。そこで彼は覚
の父㌘m邑宅乳童はヂョンの生れる七年前からりン
ゴルソシャイヤのエブウォース教麒の牧師であつてで
、あ
聾つたかその折りの中に救ひ出されたのである。こ
理性避寒立哉蜜感僻耳凄主義の転勤
︼鴨五
者であり詩人であり且つ大雄群家であつた。ヂヨンの
の事は幼いながら彼の記憶に残ってゐたものであつて
■■
理性尊重真義i感情尊重重義の運動
︼層六
生れたが、その生れた時は浸きもせず、目も開かず殆
チャールスに就ても不思議がある。彼は産月より早く
弟のチャールスはこの時僅か生後ニケ月であつた。
だ聞いた事がない﹄云ったのも決して過言ではないと
とマヮアとの家庭以外にか1る立派な家庭に就いて未
た。クラーク博士が﹃私はアブラハムとサラ、ヨセフ
聖書中からとり、歌は讃美歌を敦ふると云ふ風であつ
は全く宗教的であつた。魂に夕に斬りを敦へ∵物語薩
ど死んでゐる棲であつた。それが丁度産月になると始
思はれる。
鎗の宗教的熱情を養ふに九あつたものと思はれる。
めて聾を出して泣き、目も開いたと云ふ事である。こ
の人自身に自分は偲と異なる穿と云ふ考へを輿へたば
の中から斬りの間に政はれたと云ふ不思議な経験はそ
月隼なつて始めて啓む管し目を開いたと云ふ事、猛火
なりたい.と云ってその作家を讃美してゐる。かく産
凡ての名容を一身に集めんよりはこの讃美歌の作家に
へンサービーチヤーはこれまでに玉座を占めた王澤の
青菜歌は最も優れたものだと云はれる。有名な説教者
たましひを愛するイエスよ﹄と云ふ帝国官四十五番の
あるが、時に歌の名手で且つ有名な作家である童わか
ャールスであつたが年長者の故にヂョンはその長とな
宗教的小集合であつて、宣れを蓉起したものは弟のチ
れたのである。この費喘は只四人の畢生を合点とする
た。この大挙生活の焉にメリヂズムな
ある。、然し途に聖職に入る緩決心し専心に紳笹老優め
かと云ふ事も彼は可成り鼻面目に考へ煩悶もした康で
なければならなかつた。聖棟に就くべきであるかどう
時期であつた、彼は生涯の職業に就いても考へを定め
オックスフォード在拳の子は彼にとつて頼めて婁大な
ってロンドンに畢び更にオックスフォードに拷じた。
十三才にしてヂヨンはエクサォースの父母の許を去
かりでなく日夜その生長を目守ってゐる母に特別の注
つ潅のである。彼が長になる拡及んで加入するもの檜
のチャールス一は兄ヂョンと共に宗教運動に従ったので
意を沸はせたのであつ溌。彼女の子償を教育する方法
鱒
如し夢毒の.ヨli象eきJ旨二斉号−一等の人々も如つて
禿た。彼らの小圏駿の生活は規律正しき宗教的生活で
人と知る様になつた事は彼の運動が凍大し、永遠北し
た一大原動力lとも云ふべきである。
らをはげますものは父と母とであつた。彼はこの小囲
いに反射攻撃を受けたりした。併しこの間に在って彼
た。一従って彼らは他の
に父の後を受けてニプオースに牧師となつたとしても
メソヂスト運動は起らなかつたに相違ない、また畷り
事貰であるが、それ丈けにしては決して後忙来る様な
置展し大挙を中心として大いに感化を奥へてゐたのは
オックスフれードに於ける神聖クラブの運動も漸次
陳を紳聖クラブと呼んだのであるが様々の辞名を以で
それほどの感化を残し得たとも思はれない、只彼が比
あサて大多数の畢生は放逸な生活を績けるのであつ
呼ばれ就中メソヂ入トなる名は長く彼らの名辞とな少
教的訓練はあつた、併しそれは外部から被はれたもの
寮なき大運動を起し英図を堕眠より醒まし一世を感化
ヂヨンが米国に渡って博通に従事した期間は僅かに
に過ぎない、未だ内より辱し、自ら芽生したものは小
その名将の下に宗教運動が起き、今日に及んでゐるの
三年に過ぎない、而かもその三年の停道は決して成隠
さかつた。周囲の事情が宗教的に強く迫って禿てもそ
し得たその様は嘗に彼の回心の軽駿に在りと云はねば
したむのではない、失敗の連溝である。失敗に失敗を
の人自身の信念が乏しい限lり大きな活動は出来ない、
である。この小集合はヂヨンがヂヨルヂ7博通に出費
ノ重ね長く留まる事が出来なくなつて再び師団しなけれ
相昔の活動は出来康.併し大なる活動は望み得べくも
ならない。彼は敬虔なる両親の教養と感化によつて宗
ばならなくなつたのである。併し彼の一生、彼の事業
ない。ヂヨンウェスレ一にして若し只両親の感化、教
する事によつて一時中確する事となつた。
に於て大いなる意義を有するものはこの三年間に於け
育のみによるとしたらあれほどの大運動はなし得なか
一四七
る失敗の経験である。殊にその節路モレービアン演の
理性専密生萄ミ感情尊重主義の連動
タ9
理性耳東泉義ミ感倍音馬主轟の運動
ったに相藩ない。
−四八
く内省し自ら批判する様になり回心に向ふ道程を辿っ
彼は回心の動機となつたものは色々あるがモレービ てゐたのである。
アン次の信者の信仰はその一つ有力なるものであつた。 殊に彼の倖避は央放であつた、弟チャールスは宇・
彼がこの凍の信者と知る礎になつたのはヂオルヂアに 乱已cpに停遺してゐたがこれも僅かに六ケ月ばかりで
向つて出帆してからの事である。彼はこの次の信者と 師団するの余むなきに至り、彼自身また思はしからず
同船したが、この瀕の人々は大西洋を吹き荒した暴風 或婦人との柄愛閲係が知れて一膚信用を失ひ、いよい
雨に際しても一向平気で少しも騒ぐ様子のなくしてゐ よ窮地に終り倦遺に従事する事が出来なくなつて一七
た。彼はむしろその悪度の卒然たるに驚きかつあやし 三七年十二月二十二日逃げる様にして米囲の地を去っ
んでその一人に拘って怖しく感じないかと尋ねるとそ たのである。併しか1る状態に隋つた陣後を強く刺戟
の借着は﹃私は只静に感謝する事を知ってゐる﹄と答 したものはモレービアン次の信仰であつた。特にそQ
内心の託凍を得んが食め精進させたものであつた。彼
へて、静の兢理を疑って前の虜す菜を怖れる境な不信 次の長老の音素は痛く彼を刺乾しますく沈く内省し
何ではないと云ふ様な悪度なのにますく繋いたので
﹃私が色々に決心を競て上盾たにも拘らず紬が私を
ある。これが彼のモレビアン次の人々の堅固な信仰に の日記中にはその時の事を記して、
希いた最初であるが、それ以来彼は断えすモレビアン
浪の人々の信仰に注意し米国に上陸するや先づその次 光軸に渡らしめたに勤して性感謝すぺき多々の理由が
の長老を訪ねて種々新しき倖道開始に謝する助言を求 ある。紳は私の高ぶりをため私を試練し∵私のぬを明
かくてオツタスフォー下に於ける紳聖クラブ.を中心
めたのやあるが、この長老の信仰上に粛する出閥に勤 らか把見させて呉れた﹄と云ってぁる。
し彼は二言も答ふる事が出来なかつ窄。只それ以来深
Jαフ
とし允云はゞ第一次メソヂスト運動服その活動範囲を 私を襲ふ時私の魂はふるひおののく.⋮⋮暴風雨に建
撫壊して米国にまで及ぼさんとしたのであつたが、そ ふ時私は紳をも疑ふのだ⋮⋮、ああ誰か私履この死の
英国に紆って後ちも彼はモレゼアン次の人を訪ね信
らんとする信仰の侶みであつた。
れは全然失敗に終った。併し他方に於てかく第一次メ 恐痛から救って呉れるであらうか﹄と云ってゐる。軽
ソヂス十運動が愛顧しっ1ある間に第二次メソヂスト
運動とも云ふべき活動の精紳は発生しっ1あつた。第
一次運動の精細は英観国教曾の隋静を玉とし、新作聖 仰を語るを唯一の慰めとしてみた。ロンドンに於て改
蕃の中心精前の一部分のものに根按を置いたものであ はそレービアン次の野草官民と知り合になり互に往
ヱOJ
已eり氏は常に聖旬を引用して語少、更生の事に閲して
った。併し第二次運動はこれまでの停統的信仰∵飽か 復して大く敦へらるるところがあつた様である。︼紆母
ら奥へらる1ままを信じて安んずる信仰に満足せず.
キリストと僧に在りとの強い内心の信念を基礎として 熱心に詭き、救はキリストによつてのみ輿へられる、
焉されたものである。扱が宗教経験は正にその途上に 而かもキサストの死と軽りによるもので.欽を得る唯
たのである。かかる信仰を語る度毎彼は自身不信仰な
在ったのである。勝助の航海中彼は心の煩悶をその日 一つの條件は眞に悔えてキリストを信ずる事だと祝い
誌に記して.
﹃私はアメサカ土人を改心させ様として彼地に渡っ の訂白魔し如何にすれぼ眞の信仰を得る事が出凍るむ
た。併し私自身を改心させて呉れる者は誰だらう、⋮⋮考へてゐた。その頃彼の煩悶は只救の自覚を得る事に
私は発しい夏の衣の様な宗教をもつてゐるに過ぎない あつた。モレービアン次の長老の云ふ﹃内心の茫撼を
私は発しい信仰を語る、身に危険の迫らぎる問は不動 得る﹄と云ふ事もF救の自覚﹄と云ふ革も何れも彼の
一因九
の信仰を抱いてゐる楼であるが一度宛と云ふ暗い影が 未だ経験してわない事である。救とはどんな事は教へ
理性質室生義子感語怠垂壷義の連動
ヽ
理性寺宝主義ミ感情尊重重義鱒連動
られたままに知ってはゐた、併しそれを眞に打身の内
一五〇
彼は何時もの如く朝五時に起床例にょつて聾者む防
心の経験として鰹得してはゐなかつた。或時はロオの いて諌んで行く中に、﹃汝も亦彼の団を去る遠からず﹄
許を訪ねて故に就て教を乞ふた事もある、併しロオの と云ふ旬を見出し、この句が何か彼に暗示する横ぬ考
敦ふる青菜は充分理解する事が出来た。只自身の内心 へを抱いたのである。その日の午後ポーロ食費に出展
の経験として彼の心の何併にもこれを見出す事は出来 して祓拝したが、更にその夜モレービアン派の小集合
なかつた。以衆彼の心に鮮明に現はれるものは政の解 に出席して︼人の信者がロマ書の序文を讃むのを問い
に就いて記した箇所である。これを聞いて彼は不可思
居である。右を向けば﹃内心の救﹄と云ふ大旗を掲け た。キザスーを信するために静が人問の心に起す発化
て長老の信仰が迫り、左を向けば哲多−eり氏の﹃欽の
砥信﹄と云ふ族が迫って来る。彼は正に暗黒の中に左 譲を言ひ表し様のない感じを得て、キリストを信じ得
右から攻め寄せられてぁる有様であつた。併し彼の心 たと云ふ経信が出来た。これ彼が三十五才の時であつ
に希望は漸次涌いて凍てゐた。多くの聖者蓮さてはモ た。回心の経験は多く二十才前後に起り、それ以後は
レービアン渡の信者濯も背この暗黒を過ぎて光明の世 漸次減少するものである。併し大宗教家に就いて見る
界に遷したのである、自分も必ずこの暗黒を通過して と不思議にも二十才以後に回必の経験を得てゐる。勿
光明界に出づる事が出来ると云ふ希望は涌いて禿たの 論それは突費的の経験ではなく、漸進的に起るもQ、
であつた。而して茸に彼の希望の達せられて煩悶の花 ウェスレーの如きに見ても長い間の宗教生活を経て現
倍の下に平安なる生活をなす様になつた。戴把不思議
この経験あつて以来彼はキリストと備に在るとの礁
の明けて光明輝く朝を迎ふる時は禿たのである。而か はれて凍てゐる。
も彼を照したその光明挨堕落腐敗してゐる英国の敢曾
をまばゆきまでに照らしたのである。
JOβ
忽事は弟のチャールスも亦兄サースレーと殆ど同時に
る宗教連動を開始する事になつたのである。
賓釈を見ますく信仰に燃えて節回しいよく眞例な
昔時英固の配合状態は依然として堕落の有様であつ
陳横詞心の経験む属した事である。また友人ホイツト
ア√−ルドも同じぐ回心の経験を得共に今後は紳のた
としてゎた。ピーサタンの信仰は依然として残少、モ
たが他面に於ては静かに人の心の奥探きところを流れ
ケエスレーのとの回心の経験はひとり彼︼人のそれ
レービアン汲も漸次英国に擁ま少、その他敬虔次の信
め身も魂も捧げて働かんと誓ひ熱心.に燃えてゎたので
ではなく英国民香引いては世界の民の回心とも云ふべ
仰も英国観敦骨の或るものと結んで惑音主我の停道を
てゐる宗教的気分が漸次演をもたげて表面に現はれ煉
きものであつた。訂c首が次の様に云ってゐるのも誠
なすなど理性尊重主我のダイストの連動の滑失した後
あ首。
に鼻音と云ふべきである。
到来をまつものの虔であつた。・この期にウェスレー
Aldの
慧・
jt訂ぎ莞点r−紆a胃e︼︸旨eH養g︵邑i9ニ○夢句t﹃ニ訂ちの葵城には新たに宗教的気分が芽生せんとして時機
驚n¢竜ざ㌢Ft喜好plP諸賢t訂ぎmb訂旨毘i長iP
の運動は開始されたのであつて恰も春の来って草木新
f詳︷○↓y.T訂宇n・
up昌○完○ご訂−宝嵐pO司e芽
7を出す棟にこの運動に垂加するもの多ぐ大いなる成
雪旨二百eet訝r註巴1け琶eh i−1出品l註l
已象i2∵軋課旨t訂n払撼訂d
如何に熱心でも靡甜狂信ではか凍な活動を頓けかヽ
己買dm邑邑i諾in邑le象in苧鴨l呂d訂Thetコ冒功
宍道
を上
収める事が揖禿たのセある。
り籍○︻崗ng︼訂F︼萬et訂d訂m.;
る成果を得る事は出来ない、√曽時の人々は彼敬呼んで
狂信豪となした。併し決して狂信家ではなかつた。英
かくて彼は弟チャールス、友人ホイヴトフィルドら
之共にモレーピアン凍の本固を訪ねんと志し更に他の
国の融合状腰は棲めて堕落腐敗してゎたが、それが項
l■五一
友人数名と共にドイツに渡す親しくモレービアン浪の
糧性尊重重義ミ感情豆量産義毎漣鰯
才鱒
ヽ
理性寺宝主義ミ帝耳重主義の連動
︼五二
駐に遷して或一部に於ては何らかの横国を得て特捜を
−ムに味方するとせば宗教を非合理的のものとしてそ
されねぼならなくなつて凍た。カント以後の思想家は
求めてゐたのであつた。彼らの運動は茸にこの模に乗
の償値を認めなくなる。而かもヒA−ムの女湯は打彼
じたものでめる。英国敦曾の沈滞.固定した信仰に活
を入れ、生気あらしめたものである。その単純なるこ
革れ
育を破って宗教の席捲を認めたのである。とまれ、
云へ楼。また合理的であるか青かの問寓を外にして感
と野外に於ける説教等何れも常時の民心を引き、一′
新 デイストは近世思想史上に︼つの役割を果したものと
特磯を奥ふるに役立ったのである。
また一方薯時一勢力たらんと思はれたデイスト一情
波尊重主義の連動はどしくその歩を進めモレービア
は宗教的に淀き宗教経験を解輝する事が掲来す褒頭ン
し凍の復興、敬虔次の震となり、さてはウースレー
一度ヒユームの根本的なる反封に逮ふて遽にその立の
壊大運動となつたのである。
を維持し得なくなり短命にして終ったのであるが、こ
れに射し感情尊重主義の宗教運動は着々勢を荷造に理
性尊重主義に打ち膠ったのである。デイストは宗教の
合理的恵るを更正し合理的なるが故に償檀ありとなし
た。デイストに一大痛撃む加へたヒユームも亦合理的
なるものに償値を認めたのであるが、彼は宗教は合理
的のものでないと静じ従って宗教に償檀たしと云ふ結
希に澤したのであつた。宗教果して合理的であるか否
かヂイス一に位するか、ヒユームに味方するか、ヒユ
J∂凄
ル
ン
文
庫
を
観
る
西崎︼郎、文率土大島文娃の両教授の菓内にてヘルン
ヘ
他界的文豪の一人として、我日本の眞億を海外に紹
文庫を観ることが出来たのである。南日先生の文庫日
琴
介してくれた我等の大恩人としてのど訂d山○ヨ琶n餌
録の英語の序文に依ると、芽弓巨は普通ハーンと轡音
展
ち小泉八雲の吏擁が北陸道に滑ふ﹂小都禽岩瀬町に逝
されてゐるけれども、IH昏m氏の未亡人の話ではハー
井
き富山高等拳校の親書館に保存せらる1ことになつた
ンよりはヘルンの方が正しい、それで同氏が日本に辟
長
のは不可思議の因放といはねばならぬ。
して富山娠ぬ寄醸した岩瀬町の富豪馬場はる子︵馬場
師︶が陶校創設の癖金堂官立拾萬園也を御大典記念と
校長南日慎太郎苑盤︵余の第三高等畢校時代の英語の
は歴了之を配き、その逸話なども承ったものだ。叉彼
在畢時代には井上哲次郎尭生よりハーン小泉八雲の名
明治三十七年より囲十年に亘る東京帝国大草文科大串
︼箆3
化して小泉八雲と名乗り家の紋餐を蒼鷺に象ったのも
正治虎の親癒着として︶をして静射せしめ食もので洋
の名著含imp謹0、qnPmi詳r㌢勺邑などを興味を以て
泰文庫は大正十三年の春今は亡き富山高等畢校の前
書二千七十一冊和漢書三首七十六研から成るものであ
読んだこともあつた。母観を捨ててあちこちと異郷の
一五三
婆む流浪した果て姦首本に於て魂の安宅を見出し、鎖
の青に近いからであるといふことである。余の
る。
本年三月十八日初めて富山高等皐校を訪ひ.文率土
ヘルシ文庫か観る
新婦
と評債したと聞く、異にヘルン氏が唯一無上の形見と
一五凹
守の森の鳥居の姿にも紳秘を感得し、日本に蹄化して
なつてゐるのである。
ヘルy文庫を観る
筏は日本の食を競り、日本の衣を経ひ、日本の婦を要
ン氏の彿教に掬する知諦は此等の書から得られたこと
宗教尉係の書といつても蟄に沸教書であつて、ヘル
観日本﹂を遺して逝ったヘルン氏の奇しき生涯を偲ぶ
を思へぼ此等の中より重なるものの書名を記すことも
少、日本の団を褒めちぎつて晩年には彼が雷撃もで﹁静
毎に彼と日本とは速い宿縁があるやうに思はれてなら
無駄ビとでもなからう。
P入朝謬︶t︼︼eFgゐヨ0雲rSOへ㌘int増訂5C訂
○、A協i臥.
mpヨ計︼●苧Y守粥i●出已d旨ど穿○乙伽Oft訂宅邑苫n
︵西域記︶Wつ已●Tr呂訝tハdぎmt訂Cl−i・
tFe田uddt︸訂t
QトロOn.
n富0へ巨u昏一軒ng一︵重罪︶二筋
弓︵H甘POm
ての善行物語なり。
成るもの、揮尊の前生に於ける菩薩とし
︵註︶第一巷より第四番ませあり、全六扮よ少
−dllp√普rmer目許昏m.
CC司阜声声、︵朔霹︶当訂J芝⋮許;り哲0りi空○ご訂冒d・
夢邑−
貯ぇ訂−Or−J.︵膏渾︶ヨpちnS乱打0訂乱写C一宮n・
A︼g等A
ぬ。鳴呼これが小泉八雲の文庫であるか、二千三百有
飴射の書は、この文豪がこれに限を晴らし、少なくも
その措に鱒れたものであり、従ってかれが魂の柴養と
なつたものであることを考へつ1、特に宗教踊係の書
を扱き出し七は見た。どれを見ても少しも汚されてゎ
ない。則ち評鴇加へてなければ擬すらも施こしてない
ことが不審に思はれた。.最後に文庫中の寅として秘蔵
されてゐる﹁神域日本﹂の原稿を示された。ヘルγ氏は
著作を売ると.日本橋の榛原から取り寄せた鳥の手紙
に二邁の辞書した原稿を伸少一部を手許に置き一部を
印刷屏に渡してゐたといふことである。文庫保存のも
のは印刷併あ事を経たもの′である壱いふことである。
東大の市河教授はこの原稿だけでも全文厚の倍以上だ
壷㈲
■
せ軒乱d学声W・ヨ1笥Lぎdd罫m︰il仏⊇きry昌d巴t2邑・第三巻■
︵一︶
ure.
第軍容
]E舌乱才芸.声W.一ぺ邑霹
q芽㌫訂r乳∵pさ訂=ち﹂ロi声●訂友吉駕繹
︵校訂︶芦¢ぎ
ゼeS宣言ipざ︵パーサ軽集︶く●甥賢邑鼓︼l謬
試買宣iil−er評
声ゐ字書m苫p㌢︵パーり法旬鮭︶
b叫弱Gddl−istm.
第十怒
ヒ篭︷ici仏m監守ac︷i肖d
∴Pddbihi諷ぎ什Åパーサ阿含の一部︶
冒首s D雲i計詳
第十一怒
︵一︶
5npypTe監︵パーサ待戒の一部︶
叩㌘鰻慧ハ渾
蟹㌻舛︼萬堅l巧辞
ぎet官︼計訂dスウパユキウドの一部︶
︵二︶
TheS弓ed冒○訂○︻C一計声J昌宏一兵駕辞
︵二︶
弟十六番
へ三︶
野呂そ汐已轟
︼五五
閏が鮎共霹
≦卓pぎHtm︵パーサ梓戎の一部︶
行讃︶
■穿㌣㌘料?コing・2n・内耳.︵阻鳴造悌併
関がd紺踊共静
5naypぎHt∽︵パーⅤ待戒の一部︶
第二十巻
男十九巻
筋十七巻
第十五巻
第十二惑
StOりi窺いOH、
︵本生話即ち彿陀の前
せaまd仇−T■W.召ま六翻謬︶出u藍詳t出iユF
J賢kaぎ訂
生物譜︶
︵法旬鮭、パーサ原
望m焉d♂A・J・冒dd已乳琶dCFr竪呂G畠pe訂・
l首5己。ご訂勺註F
文英辞︶
崇td−きJ●月br籍F邑l−r℡○つ出亡ddF訂ロ︰
ITpロ︵†出00好乳CEn戌鱒︼どdd已訣m.
日計d¥R●弾A岩音u已○、せudd−1針声
E観tern試2−乳罫琶.
︵東方聖書︶
芦et官︼l詳各︵ウパニシ†ヅドの一部︶
巳高
買lぎ声茅如こh校訂︶Theぎ邑哲。訂。冒e.E邑
第一容
層已−乃r鐸
︵ルン文庫を叔る
J∂7
丁訂監dl−罵ma・冒nd邑打P.
ヘルン文庫む執る
第二十一審
︵梵本妙法選挙経︶H.内em謬
G■出詳−宅謬
TbOF葛仏○︻試岩戸︵マヌ法典︶
日野mpコJ胃Ob二謬
ヂヤィナ 第二十二審 J㌢p警t冨︵者邪教経典︶
第二十五番
︵三︶
︵田︶
.箔二十七巻−芦毘訂色白邑ざ写夢㌢.J買雷訂gge謬
一五六
Ed訂垂itp︵梵文彿併行讃、梵文舟無量薄巌、焚
那那覇洪等繹
文金剛鮭、演繹戦無象詩経等の英謬︶
第二巻
欝一巻
含経︶
冒篭D雪ぎ辞
崇旨gg玩○〓訂冒dd訂●︵パーサ長阿
J.弾∽.馬山r繹
]芽J釦t註am巴馴︵梵叉木生嚢軽︶
買i︼lき声ソ訂H.入校訂︶コP3d謬0訂0ご訂ぎdd︼安P
碧e00芳一乱哲○訂○岩EnPJ.1m誠訂謁m謬
︵一︶
第二十八巻
碧eQue邑On∽○、舞茸買︼ぎda.︵パーサ
買li2F・扇学則漠謬群発比丘経︶
︼宗篭日野Y⋮ds謬/
︵二︶
丁訂Q壷t曽.芸、冒ing呂l㌻dP・︵同上︶
対首仏せ雪id也霹
碧eⅥ器邑冒○打払○︻Clii声︵老子︶
JPヨのS訂gg㌣謹∵
丁訂評慧d宮○訂0へCEnP︵老子︶
Jpmり払P局笥繹
︼老害草苫l魯宮卑官嘗二大霧経典−−
二宗綱要︶
Cl己詔一1.
inゴ§乳邑0声
O、tざ柏SOま訂rn
要望二者ヨ品●A∵夢已dざぎC乳乳−i肖、芳B註ng︷O
n巴lOn
Wp胃en−包﹁凸﹁出udd已旨l
集︵三筋︶.親腰上人御一代記囁給︵一筋︶、普悪因果経
法念鬼経︵十潤滑︶.各宗必携彿単三音︵四甜︶、往生要
った和漢の書中彿敢闘係の書類では汐石集︵十骨︶、正
右の外ヘルン氏の助手たりし同氏の夫人の裳に役立
tb僧
冒缶bi山tⅦ邑の.︵南條文雄博士、日本十
宰凰官∴冒−鼠u●A警OrtI叫i替一句0ご訂q慧l扁Jp唱ロ∼需
鷹三十五番
第三十六番
弟三十九巷
第四十雀
筍潤十九怨
ヱ¢8
知談薗給︵六調︶、通俗彿教官科全書︵三冊︶等を拳げね
ぼならぬ。東方聖書中ではパーり律戒の英繹三巻が揃
ってゐることは珍らしい。南擦博士の英文十二宗綱要
は明治十九年の出版で今は珍本の仲間入をしてゐる。
何ものが含まれてゐようとも文豪ヘルンの文庫として
︵昭利五年四月四日︶
永遠に保存せらるべき偲値あるものであらう。
ヘルン文阜を観る
劇妙
新
刊
Aニ計﹁叫RaOu一▲
紹
サ
やう発こミは如何光る時代にも光く、そ︰にほ赦骨的純減の
があるこミか指摘Lてレビイブサエールlこ反射Lてゐろ。斯
制度からも、集合的心理によつても生じ光い機能的智的行珪
くLて第二章以下の呪術の理解に於ても行き過ぎ㍗彿騎西政
性の作用を強調t==にマナ等三富はれろ紳秘性り根源を見
Saくa駒⑳一
ゐる。
P訂c①Of
︵杉浦︶
JOのu¢Ohri¢tぎ MOd雫コ
婆箋﹂ぎ争−¢彗●
トニロリてト大草教授で、占FO−nt雪p邑註0ロ○り謬ligiOロ.、
Ohr落iaコity■
↓he
Bai−紆.
JOhコ一
出Lこれにより進んだ鹿骨の呪術的り心意性の跡な辿つて
令畢況¢短右補ふtゆに未開人の心意性に於ける規則的の智
OfthO
ー¢皆●
↓h¢∋3.d
FOndOヨー
ゴ■琶S−乳2d by句蒜d葬︶th慧−−・
最近の悌騎西に於ける原始心理¢研究ほ既にクラシックlこ
デュルケーム撃渡り尭電着写して集合性わ高潮するよ共に科
なつてにゐろが︸ビイブサエールの数種の名著がある。彼ほ
挙的の思考草原始人の紳秘的思考ミは論理的lこ差異があろ︰
ミみ明瞭に、し㌣所謂先論理重義で=れlこ封Lて辰野,し㌣のが
アサエーで一九二五年に﹁未開人り回心の心理﹂な著L一九
二七年本書の原本﹁未閑人ミ我等﹂を出したほな近く呪術に
占F①ぎOtmO︻Re−igiOnint訂Humpn許已;の著者の近
現代の基督歓は倫理ミ静観lこおいてイエス白月lこまで遡り
著、イエスの位置を近代基督教の中に求めやうミJ主もりで、
託ての著書が出版さrLるミ聞く。
本書に於てlェ先づ未開人ゆ見方帥ちその心意性は現代人ミ
綽、愛の詮lO考数p亨しての基督教わ主演し、種々なる教義
同じでぁるかミ云ふ間舷l二射する十八世紀似爽の諸説ね紹介
こて最後に=れ等lこ反射Lて両者の心意性托根本的lこ異史的
︼五九
単にこ慮理されて居ろのは物足り光い。
︵三枝︶
のものでぁるミ主張するレビイブサエールの試ね批如・して云 を吟味Lて居るが多くの問題を取救って居るに比Lて割に簡
ふレビイブヴェールが個人的客観性わ持つ上磯能の働きな認
め互いで集合的lこ賛生Lて社骨強制ミなる紳秘性叉に前論理
刊︰紹︰介
て云ふこモに畑来光いが然L箕際の未閑人の研究に於てこ¢
的の思考法な唯研究の仮定ミ†ろミ云ふ鮎でほ=れを猫断論
新
β∫
瀬
刊
月
介
B¢∽SOコ.Mauコ.C¢●
﹁¢↓0諒ヨ訂∋e.
竹篭i仇︸−悪声
=の音はトテミズムの諮問鼠lこ関・して鳥敏な試みるのにほ
一六O
ロaの〓註陶の−Abhaコdどコgご訂r
F倉草Fr叫乳﹁首h・
R亡dO−−
冒ぎユem−−¢隻.
OttOめg一軋c一﹂ua芦田玩h・
理間組の鋸域、即ち宗教心埋草から宗教哲撃の問超lこ導入さ
ダス・ハイタゲはオットーに於て宗教の本質の領域㍍ら温
れて居ろ。︰ゝドガツトーの根本的誤謬があるので塞いか盲
極めて良い書物である。殊に=り叢書¢特徴写して数多い挿
ストラザア及びアメサカの土人lこ於ける、マダガスカルに於
オットーに於ては前著宗教哲単に於て彼のフりースミカント
トレルチの宗教的アブりオジの問題が既に=の艶を含む。
苛者l‡いふ。
発を野してあるりも有益でめる。トテミズムミほ何か。ナー
ける、マレイリボサネシア人に於けるトテミズムlこ就いて、
な合理盲んミサる場合に=の雛鮎が見られる。
或ひけご′ジアに於けるトテミズム¢痕跡について概野しま主
に猫創的光ものは殆んざないが、︰の錯雑、し㌣開腹な簡単lこ
H致コr訂h−
︵石韓︶
in︰づbe010g訂lleカ巨d乳訂き︼無声
d訂R監直0コd讐苧岬∋i誉彗−
アタックliさきlこ﹁比駿宗教攣︼に於て人類学止¢類型情
Uコd
註彗d彗Ur¢P⊇ng計掛の0誓①∽綱訂ubeコ¢
¶r訂k.
らJく考へ直されねばならねのでは先からうか。
著者の見解に諭痩的lこ草しい宗教的アブⅤふニッの間絵ほ斬
音代世界にこ於ける1エアミズムについても言及Lてゐる。見解
吋琶−1m︶−黒岩.
Su咄¢迂e一Etu計d¢∽OC亘0臓ず
︵貴野︶
畢餞を得さぜて祝いたミ=ろに=の書の﹁存在の理由﹂があ
る。
﹁O
ロurkh軋ヨ.Eヨ芽■
甥○ロづかd.
久Lく裾版lこなつてゐ圭=のフランス蔽骨聾振の創始者¢
の帝展段階lニ於て慣借問超な別号して各宗教のもつ宗教的作
用か通じて宗教の根源的現象ミLてのモルフロギブシエ電報
念な歴史¢誇階程lこ於けろ硬纏的宗教にぁてはめて、諸宗教
辞を類型的に究めやうミLや。
傑申し㍗作品の一Y自殺り社食轡的研究が†ルセル・モスの争
pつ呂†prOち加が附ぜられ、若干の楯字上の訂正がある。伺近
によって新版が出㍗。初版の序東に除かれてモスの簡単な
くこの書に邦辞される昔でぁる。
ガ
り本質的に最も尉連の多いもの。著者は=の開港を究めやう
草、︰en﹂螢本であるが、発ず意識lこ於ける呪術的意味の相即閑
ミする。尤も本書ほアムステルダム出版の﹁W2g2n
=の替文に於てli本法一九一三毛†イヤー︵Ⅴ・C・W︶の
﹁宗教の起源﹂に就いて検討み究ゆ、
en野
源から宗教ミ轟術の統一な訊き、兇街的心理及び近代的心理
究卒論許・し光がら特にシュミットlこ就いて吹わ三項な論じる。
を交流写しめて宗教及び姦術の外的関連を述べろ。変らに宗
︵石津︶
宅e奄YOr打︶−浩声
本書ほクりスチャン・サイエンス¢一文猷ミも科すべきも
M裟5.g■
のでぁる。著者マッケンジー氏は氏の心理的研究の賓際的結
∽Ou一のぎ喜O
MackenNi∞.JOhコP
い問呟ミいはねげならね。
ようミする。彼の現象的立場を、理解するものドミつて興味報
教南街lニ於ける相反的形態わ究めてそ¢本質上の連絡な見極
一、=の方面に於けろ科挙的研究の費展
超
二、原始宗教及び宗教一般の理解lこ就いての方法論上の問
︵右津︶
三、近代に於ける票数現奴及び啓示の本質に謝すろ理論的
収蔑
〓琶kn認00uのeOrg︼al
OOコ芸0諒ぎRel喧0戻↓hOugh戸
著名ハークネス教授ほ有紳諭的観念論着であり本書の諾越
崇e⇒YOrk、−¢讐.
も観念諸を基礎写し㌣ものであるが燭餅の弊には隋つてゐな
異な本書の最近の一一章に説明Lてゐる。その諭する併は宗教
介
ロer
W賢註urg−−悪声
Burコe窟↓ytOrP
Se監彗b①griffi∋Aコぎ訂ヨu¢Ed亨
Pa買hOr.JO詔︻
︵R︶
い。本書は簡明光一宗教曹草書でぁる。著者は哲学の主要問
da¢Sch皆e・
福音書の位置等々。
信仰にこ於ろ冶療的カ、新府−こ暗示ミの闘係、信仰治療lこ於ろ
uコd
︵上野︶
題数多を奉げ来りその解答中野牢し、平明に問夜毎解決Lて
ゐる¢
Da¢日生好O
﹁籍uW.PくかコdO⋮、■
紹
〓二
且つて難読併載¢ものが単行され圭のでぁるが、メイラー
訂︰Nei︷諜FriJ21出eligiOnS扇誓ど︼Ogie、−箆や■ard
宗教ミ薮衝己の節係ヾJいふ=ミは哲撃的lこも心理撃的lこも
刊
宗教の対象を問題ミぜざろかぎり、機能を間藍ミぜざるかぎ
新
j好
新
刊
紹
介
ず六二
の考方にこ於ける根本津別写して茸澄的方法ミ進化¢概念を見
りari肋−−¢匝00.
︵三枝︶
いひ待ない。
︵石津︺
トの年代な明瞭にLて居互い鮎に未だ間遠ほ解決ぎれたミli
史的費蓮に就いて照骨批判するd
Schヨ吉−Oarr
R′0ヨaコ家ヨ¢PO≡茸uO・
の二版︵一九二六︶を彿諾L圭も¢。凍lこドイツ
ガン大草り公法撃の教授でぁる著者の好着上る=冒ぎ仙籍訂
MOdOrコWOr声
2e司YOrk、−¢哲.
the
究めタイラーの原始人の心慮概念の成立、及び心蛋概念の歴
Raコdaニ.
Re−仙gす一aコd
宗教の問題ほ最近アメサカに於ても火毎つ′、穣lこ燃え上つ
の病没渡の哲畢及び文襲連動ミ政治叉に政冶畢詫ミの交渉lこ
カ○望anti打
注目率沸ってゐろ。一七九六年からこの方の国家草貌の肇海
てきた。=の闘の出版界lこ於けろ宗教書の出版l三野しいも¢
言の
でぁろ。この書にそ、つ云ふ汗牛充棟も主ゞ光らざろ中でも傑
呂d
曹蓮やにに関する見識も有谷である。
︽詳︼igi昌
↓urヨanコ.Max.
出エネ∵もので、現代世界軍軍歌ミの関係な知るには甚だ便利
でぁる。著者によつて監修されてゐる
︵青野︶
1.≒耳︼浩芦
﹁eのyコd首a訝ヨeCh﹁笠彗eコFraコCe.
Kapi宣de¢R望ゴOrb﹁藍のぎ一フランスの社食連動の特徴の一つは何ミ云つてもサンヂカ
岩〇d望n A折畳払eri盛¢一でぁる。
ロaゆーetN︷e
Rαコ蒜CkO.E.
どip乱g−−謡ヾ・
れて最近でほ極めて分裂・してゐる。基督致サンヂカサズムは
﹁ich再edOrCh﹁誉■訂J彗Arch許10サ
gズ声
ムlこぁろ。この連動も圭ミLて地方主義の圭めに妨げら
華の拶韓人名ミ比較Lて、阻難光問題ヾJなつて居るローマ書
きは頗る趣きを異にLた、而も日本の宗教連動ふ何方へ誘は
れは現在の日本に於けるマルクス主義ミ宗教間嬉に於ける働
労働者の正賞なる利金の㍗めに聯今し得るミ倍Cてゐる。そ
ローこ二のカタコムブ、インシリフトの人名をローマ書十六 その中でも我等lこけ殊に興味がある。証倉カトリックの徒は
い方法。然ゝし爾者一致Lて居るのはありふれ主人名だけで、
んかざ集Cてゐろ教園内にみちt指導者に射する一つ¢力強 封
十六章の受信者をローマ教囲でぁるミ詮Lやうミ試み㌣新J
書中の稲光名ほインシサブトにも稚い=ま、このインシザフ
い示唆モも見られる。徒らlこ空理lこ走らすに統計的なものlこ
の﹁オルアナイス主義ミプラトン青草、
きW.訂まOnの﹁ガロロ†人り宗教﹂、﹁シュクスピーアに
は、G.W.g言ロ
於ける質的償値﹂、寧W●増賢be喜の﹁パスカルミ懐疑論﹂.
︵吉野︶
YOn串肯Lモモの著作﹂等¢
東京聖教符
A︼b包ユA.90貯の﹁ヲiedrieF
東京
輝ぜられる。=れが濱田氏年死の持論でぁる。=の持論に従
天地の間・海の内外わ低御する事の中にも、畢彼の温面目は塵
所取る可′\究む可き材料lミぁろ。故lこ方丈の書斎を離れて、
に調剤写して委ねわらは︺、田園古跡にlしのぴやかlこ。至る
草間は書賓の中にのみ見出されるものではない。都合衝兢
﹁人類は斬る﹂
濱田本悠氏著
九裟
論k
文・
から成つてゐる。
SchO︻a
よつて立論ふ虐平たらLめてゐるのは非常に良い。︵青野︶
Wぎ訂r.Erコ箆一
口訂SONia−∋象aphy乳kdOr
Wien−︼箆¢.
スり〓7の認識論、自然津及び鹿骨畢等の領域に於ける形而
ウイン周東草津律拳叢書申の第十六巻。
上拳的取扱びわ批判ぜんミ†る。就中紳畢及び社食畢の笥按
︵石津︶
勿論取扱ひが完全ミほ考へられないがその論調lこよつて現代
上の二重性な費かんご†る鹿に現代的意泉ご使命ミなもつ。
のカトサック・スコラ重義にこ闇親・してゐる。
A n乙−ecti≦∵≦10↓k.
P一aざざく0コ〓仁g軋−
ろ¢ほ云ふ迄もない。
蒋論を搾繚写して託され、氏の面目操如写してあらはれてゐ
てd
、撃破写しての氏の外遊が試みられ㌣。その外遊申見潤
SpgLl一u∋Reニgすコ河口eぎgm∽Say¢aっコ
るO
虞ヨ
の感想感慨が堆積Lて本書ざ冤つてあらほれ㍗。氏の
Stud川eゆぎR竪g仙0コaコd﹁訂ratur①fすr
○舛ぎ・d、−¢岨¢■
l訂br竃の︵宗b
憤b
り芝
に我々の知識の申から欧湘¢歴史ミ政治き流行品を除い
O︻H訂︼藍On綬i≡−
現S
代員の日本ほ決・して欧洲の事情に疎いモーェ云へない。併・し
〇、tbe呂dent
−金口lu諸肌On tb¢○愚ざ彗d G岩まh
卜負ぃl莞金︶−︼笥柏の著名ミ・して高名克ユダヤ教の噴草野まh守
trat已b句盲¢邑萱昌
いてゐる風連三宕ふ様なものには暗い。殊lニ、宗教的泉蓮に
て見る寸J、後には菓外lこ何も宛らぬ。我々は、欧洲に今日動
紹
介
〓ハ三
至つては、ほのかにⅨ問するのみである。霜田氏は拳雀亨し
mpt盲犬単線長C−芸dOG●巳昌t&毒?に同大畢幹部の諸学
刊
者が捧げ上京教史及び宗教哲畢に闊†る論文集である。内容
新
ββ
藩
刊
紹
介
〓ハ跨
彼が最初lこブレア一丁、、ズムの宗教ミ云ふ論文な出J㌣のが一
ブレアニミズムミゝしては先づ†レットをあげれlで克らん。
㌣。現代文明の申lこ璃込よれ、或はその憧に隠れてゐる宗教
て欧大陸な彿相中に、かゝる方面の観察に意を怠ら光かつ
理撃の申で宗教の越涼の併でマレットのブレアニミズムの仮
九〇〇年でその後=の祝をモるもの甚だ多くダントも民族心
設に就いて叉米国の宗教心理単著lェ多く今日皇で=れを認ゆ
的兎連り今白め動き一伊仔細に観客>した。そり報骨は、我々に
近代史明の能演にこ立つ欧大陸lニも、宗教的最速ほだ評言し
ごつて得難きものでぁる。
められ㌣今日ブレアニミズムの紹介ほ我々後進の超望†る併
ざ†る旨ふ言明されてゐるがベー†等によつて=の問題が深
澤者ほ短文¢申lこも呪術宗教の原本的¢も¢り紹介を目的
るものミ恩ふ。
よつても今日なほその慣倍のおミろへ光い=ざを証明Lてゐ
︵
岸眈
本︶
り
lこ二十年な経てゐろが︰れが昨年四版ね出版L圭=せこトニ
下八篇の論文なよ寸Jめて﹁宗教の試域﹂ヾJ毘,して出版Lてよ
て動く。﹁人類は祈る﹂︰れが濱田氏り結論でわら、つ。そて
のゐ戟
るやうでぁる。一九〇九年﹁ブレアlT、、ズムの宗教﹂以
軌
察の精疏、結論の雷管li、暫く預者の判断lニ委ねべき性質の ものであらう。
ト着
登
† レ ッ
野村了本諾
先
宗教の起源ね歴史的にも心理的にも盛観親念に基いて説明であろ。
名で起り=れに賛成†るもの従つてその形式も色々の形ざ守
こてゐる呪力の範念な明かにL=れ等lこ基いて呪文ミ新藤ヾJ
的宗教﹂現象わ明かlこL﹁マナの鶴念﹂に於てその根本な互
lしやうごするアニ、、︶ズムlこ反射L七草統がブレアニミ
諸ズ
藩ほ
ムブ
のレアニミズム序琴アニミズムの宗敬にこ於て﹁原本
ってあらほれ㍗。︰れに野L人格前の観念な根本的先も¢ミ
の萬璧姦史骨譲¢公味なよミめた論文﹁宗教の卦限度の
の好んで使ふ虎本的宗教の模式ね定義L㌣オックスフォード
考へる原始一約数祝や或ほ又質魂・鍔質軌念な基ごするデイの費生関係み明かに﹂圭呪文より斬戒へわ探びこの上に彼れ
タサズム・ダイナミズム等もあ・り特lこ最近はシそ、、ヅト紆を
裁ても﹁宗教の哉域﹂申の論文を取らす最もよくまミまつて ガ
露範¢紹介写して完壁ミ云ふべきであら・つ。﹁†ナ﹂の観念lこ
定義写しての﹃タブー・マナ﹄の公式﹂な加へられ主=軍に先
発頭lこウイン畢渡が蕾教¢人々で讃歌的熱情な以つてブレア
ブレア
ニミズムが畢昇の指導的地偲lニ立づてゐろヾJ見るべき
ユズム・アニマティズムに反封Jてゐるが今日まで光ほ大慶
でわらう。
ゐる宗教倫理甘秤辞典皐月潔ばれ王=寸−の如きも誇肴の用意
伺ほ巻末の索引lこほ事項故に人特等の篭方を五十音頗に紀 伊
者の便益に留意すろミ=ろがうかがばれる。
列L、濱カの困難寸1思はれものには畷名を附Lてある光ご譜
﹁日本寺院津論﹂
伊達光菜箸
四・五〇
本
圭もの併陀論ご兵lこ推奨すべき謹書。
郷
大
︵櫻井︶
雄
彿柁論ね以て有名な喝泡¢オルデンベルヒの好著な琴し
﹁サバニシャワーより僻教迄﹂高橋順次㍍・河合哲雄謬
Ⅰ新刊宗教関係書︵自昭朝五年三月廿日至四月廿日︶−
る。敢て江鞠に御すゝめする。
事の出凍る本音はまれ一般の座右lこ備へて然るべ車重でぁ
研究家ほ勿論1日本にゐて日本の歴史な簡単lニー魔Lて知ろ
の製本且つ内容充賓ぜる鮎から見て相嘗かも知れわ。席数¢
定償金三脚五十餞、滑高きの憾がぁるが、餞彗畢魔、上等
より我関原殆宗教の研究に貢献する=ミの多いのむ心から産
三省堂密行
︵杉浦︶
の周到さが窺はれるこれ寸し相称って諾筆の恩賞準明な︰ミlこ
ぷものである。
曹
長新日本歴史年表
束京
本年嚢ほ大森氏がさきにこ日本預史年まミ趨Lて刊行され㌣
も¢ね土嚢ミLて更に高椅氏の努力軍協力Lて増補訂正を如
本文にこは紀元、逆算、年波、天皇、尭盈、院政、執政、大
へ新主に出版せるものである。
臣、大連、内臣.棟政闊自、太政大臣−左大臣、右大臣、内
司代、内題親理大臣、碍密院、貴族院、衆議院各穣長、重要
大臣、征夷賂軍、執権、遽署、南北朝六波羅、大老、京都厨
我国の票数法、特lこ寺院注について研究せられ㍗もので
著者伊達氏は既lこ故人ミ叱られ告が本書に同氏が捉存申
紹
介
版
がある。
粛
﹁眞
宗
大
玉・00
谷
閻
書 院
新 田 巌 松
東 方
一大五
島地大等著
下
︵基督教腐︶
綱﹂
﹁日本宗教大藩座﹂
五八九真
ある。猪ほ本書には﹁社寺関係判例嬰旨相集﹂等の資料
車項﹂支那年代、西歴等の欄ね設けてそれ′\=れみ記載L
更に附藤ざして、濁代格系、皇室略系、歴代天皇一党、好
てある。
臣一発、帝国譲合開設一驚各時代研究並参考姐籍一発、天皇
軍一党、老中年表、内大臣
在位年月真南等、大臣大連在職年月異同等等の梱がありそれ
刊
記載†るミ=ろ一日瞭然権ゆて便利でぁる。
新
堂
新
刊
紹
介
三・〇〇
紳
人﹂ 熊田草城著
田
明
中
治
教
労
音
書
﹁梓
宗
溝
全
集﹂
蔀 法
一大六
京
平
凡
社
文 萬
町
証
麹
凡
山本勇夫痴
中
︵砦巌錬詩話・前編︶
T00
八六〇頁
四〇〇真
七・五〇
京
寺本慧達者
五〇
鹿
院
共 立 敢
田
桝
田 新 生 党
書 院
桝
白 光
東 方 書
小石川
二・00
堂
町
松
麹
二
帝室博物餞
田
有
長
望月信孝著
浄土教研究の構成者望月氏り単位論文である。近く本書
﹁浄土宗の起原及蓉轟﹂
四六版
基督教今井氏の宗教思想・嘘験・信仰ね一巻lニ▲し㍗もの。
今井三郎著
丁二〇
今岡達者著
都
に於て解説さるゝ筈になつてゐるが、本書の出版され主
版
事は撃界の一大収獲である。
菊
判﹂
二三〇頁
批
﹁紳宮大麻の二将討﹂
人
四六版
﹁親鸞聖
証
紐
三
寮
紳
︵大藩香称家亀鑑︶
﹁高贈名着金集﹂︵法然上人篇︶
版一六八東
成﹂
鼓 ﹁園資・華厳五十五庸﹂
粛
院 ﹁圃誇辞畢大
院
関宇 宙 内 証 藤﹂ 辻村 勝者
﹁
大阪西区
音
鼓
丙午出版社
造
造
﹁信仰・億験・請託﹂
凡
光
院
﹁眞育機耽﹂﹁正信偽請求﹂﹁歎異抄造讃﹂﹁河浦指揮講演﹂¢
版
聖
町
麹
二・〇〇
谷
中
放
宗
下
町
山本勇夫拡
麹
立花使道諾
芝
常盤大淀著
小石川
改
斉藤唯借着
改
︵世界聖典全集後輯︶
芝
束
都
阪
京
三・〇〇 大
田逸書知著
二・五〇
究﹂
典﹂
凡
四箭から成る。﹁思想革信仰﹂﹁天台秋草史﹂ミ共lこ放鳥地
粛
大
六〇〇頁
師の名著。
﹁日 蓮
四六版
﹁漢和封照・数行信託﹂
﹁一間浮堤第一の日蓮﹂
研
七八六東
六〇〇東
大束出版鹿
﹁昭和某 国誇大廠経﹂ ︵宗典部四︶︵嵐宗聖典︶
﹁高樹名著仝集﹂︵道元膵師欝︶
の
版
版
五・〇〇
﹁囲課一切鰐﹂︵阿含部・五︶
粛
﹁併 任
者
聖
﹁聖徳太子三野毒疏﹂︵上︶ ︵世界聖典全集前垂︶
﹁道 教
芝
﹁併敦に於ける給料お藍ミ解臆﹂
鷹
高検
二〇
箕諾
牛
陶山務・小野健人諸
アロイドの一躍蕃
﹁民族の起源及其の費蓮﹂
﹁宗教信ずべきか﹂
込
共
岡地変の宗教信仰を以て有名なアメリカのアプトンiシ
ンクレア¢著﹁宗教め利潤﹂の僻讃。
師の軟骨、女中の軟骨等。
内容、上流赦食あ数骨、奴隷わ軟骨、商人の教倉.香具
ミ
教
京
棟
山田貫之助著
二・〇〇
理﹂
数
生
文
中央数億圏肇聯骨身編
新
生
閣
五一二真
二・五〇
田 新
﹂不
桝
〓ハ七
生
永−サネス敢曾
堂
−・エートビヤみ史的l二鳥敬的
神
柏
田 文 川
阿部義宗諾
昔時彦一着
一・五〇
一・二〇 細
一宮政著者
ブース著
T00
ユダヤ民族の鹿骨的慢性
に論じ否もの。
四大版
﹁イエスは静か人か﹂
﹁モーゼの五書﹂
四六版
堂
β9
新 生 蛍
︵上野・三枝︶
田
でネ文畢草思想ミね拳的に而も敬慶に論述L圭もの。
ス ﹁使徒パウロの研究﹂の著者昔時氏の新著である。新約ヨ
﹁ヨハネ文筆り研究﹂
偽
四六版 四五〇京一・五〇 紳 田 ア
ル
﹁日 本 巫 女 史﹂ 中山太郎著
七・五〇 麻 布 大岡山書店
﹁信 仰
﹁紋分散化ミ宗教﹂
﹁赦食欲他ミ宗教﹂﹁紳革ま慧姦亮﹂﹁儒教ミ武村致庵﹂
町
今井三郎着
兜
田
監
ほ田中義能∴千野哲人の諸氏。四六版・三〇六頁・定借四〇
﹁彿教軍政命数牝﹂﹁基督数ミ社命教化﹂の六小論集、篇者
介
紳
基督教ゆ赦昏理想、原理ミわ以て宗教雪組合間過ごの囲
﹁逓督数社骨倫鱒撃﹂
紹
渡逸書大著
係を誤ご圭好着。
四六版
二・〇〇
刊
﹁沓約文畢のユーゝ・ビヤ思想﹂
新
ノ
▲
‘1一
♭すまき頂な慣代に別は合功の兢別特但く
昭和五年
五月五日印刷
編
妄〓現金啓〓讐
研1究
新築七巷・第三舵
教
教
崎
研
正
究 費
帝
都
冶
行 所
発題辞囲大鰐・諜敷革研究軍内
宗
城
宗
本
印
山
刷
所
宗教
研
究費
行
二
断山璽謂戎認諾一軸禰翻聖二 省 堂
翫昭謡確認完針鮒抽三省堂大阪支店
瞬
東京市紗m〓蝕雉子町ニ︼四番地
譲
要方l満痢田踵通辞慌町一棟式昏祀同文館
宮
森
背
五月十五日密行
併 著者
昭和五年
競輪著
印驚
別行
印
刷
東京絹神田区邁紳保町二詣地・棟式骨赴伺文鎗
螢露只朗
賛存併
巨..i__.毒】寧_】臣