認知症ケアにおける患者の尊厳と倫理上の課題

■ 日本看護倫理学会第7回年次大会 シンポジウム
認知症ケアにおける患者の尊厳と倫理上の課題
Patient dignity and ethical issues in the care of patients with dementia
會田 信子 大川 明子
◉名古屋大学大学院医学系研究科
認知症ケアを検討するにあたっては、高齢者本人の
Life(生命・生活・人生)のみでなく、家族介護者な
ど周囲の人々のLifeや、ケアにたずさわる専門職者の
Working Lifeを含めて考える必要がある。さらに高
齢者の健康レベルにおける諸相もかなり異なり、限ら
れた時間の中で拙速に結論づけることは、今後の継続
的な議論をストップさせてしまう懸念が考えられた。
そのためシンポジウムでは、【目的1】参加者が認知症
ケアに内在する倫理的課題に対して感受性を高められ
ること、【目的 2】実践に基づいた「認知症ケアにおけ
る倫理」をより発展的に創造していくために、倫理的
課題の実態を浮き彫りにしていくこと、【目的3】他の
職種や学問分野の人たちと連携の中で、看護職者とし
ての姿勢のあり方や役割、今後に求められる実践能力
などへの示唆を得ることの3 点を目的として進めた。
シンポジストは、愛知県内で認知症ケアに長年たず
さわってきた臨床家 3名であった。以下は【目的 2】に
ついて、講演の中で語られた倫理的課題の実態を整理
して羅列した。
1)認知症の人が、“人格の失われた人”“問題行動の
ある客体”として捉えられることによって、あた
かも手段や道具のようにモノ扱いされる脱人化
(non-person)の問題。
2)認知症の人のメッセージを自分のフィルターを通
してみている解釈上の課題。
3)本人が「これで良いのだ」と思える、本人の意向
にそったケアではなく、ケア提供者の先入観に
よって提供されてしまうケア上の課題。
4)病院における治療、告知、退院後の生活の方針決
定では、本人よりも家族の意向が尊重される自律
尊重原則上の課題。
5)せん妄などで不安定な急性期状態の高齢者が摂食
困難となった場合、本人の意思能力の評価基準を
厳格化することに伴う本人利益と不利益の問題。
6)医療依存度の程度によって、介護保険施設側の受
け入れ態勢が異なる公正原則の課題。
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7)認知症の人の意思能力レベルを、誰がどのように
評価するかの方法論上の課題。
8)治療を要する認知症高齢者の行動コントロール
(身体拘束など)に関する課題。
9)終末期とする医学的根拠、治療の無益性の評価お
よび意思決定プロセス上の課題。
10)本人から事前に指名された代理判断者と、事前に
指名されていないが、関係性の中で本人に代わっ
て判断する代理決定者、および医療ケア提供者と
の合意形成における課題。
11)事前に本人から指名された代理判断者がいない場
合、誰が代理決定者となるのか、家族内の利益相
反にかかる課題。
12)本人に意思能力がない状態での代行判断におい
て、本人の価値観や人生観を考慮し、それと矛盾
がない判断を代理判断者がするための支援上の課
題。
13)認知症高齢者の終末期医療における最善の利益判
断は、誰によって、何を根拠に検討される必要が
あるのか、話し合いメンバー間のパワーバランス
などの課題。
14)認知症ケアの組織内教育の施設間格差やマンパ
ワー不足などの公正性上の課題。
15)本人の意向を反映した終末期医療に関する事前指
示は、いつ、誰と、どこで、どのように把握して
いく必要があるのかなどの自律尊重原則上の課
題。
討論では、前述4)と 11)に関連して、本人の意向
を尊重した医療・ケアを実施していくために現場で配
慮・工夫していることや、組織体制などについて紹介
があった。また15)の事前指示に関連して、広く市販
されているエンディングノートを終末期医療の事前指
示に適用していくことの課題や、医療・施設で留意し
ている点などについて意見交換がなされた。具体的事
例をまじえての講演内容で、【目的 1】については、認
知症ケアに直接たずさわっていない参加者に対して
も、倫理的課題について様々な気づきが得られたと思
われる。残念ながら【目的3】については、時間の関
係上、十分な検討には至らなかった。
今回のシンポジウムを通して、認知症高齢者に関わ
る周囲の人達が、本人を“人格ある人(person)”とし
て認め接することが、高齢者をpersonたらしめると
のシンポジストの共通の実践知が確認できた。また、
“合理的思考や論理的存在である人”を前提として語
られてきた今までの倫理とは異なる、「相互作用性」
「関係性」の視点からの認知症ケアの倫理を発展させ
ていく必要性が考えられ、今後の認知症ケアにおける
患者の尊厳と倫理上の課題をさらに検討していくため
の示唆が大いに得られたシンポジウムであった。
関係性の中で変化する自己決定の意味:介護保険施設での日常から
山田 正己(ナーシングホーム気の里 副施設長)
1 .他者であることへの気づき
「自分自身は決して感じたことのない他人の感情の
ただなかへ自己を投入する能力を、これほど必要とす
る仕事はほかに存在しないのである 1(p.217)」とは看
護覚え書の有名な一節である。相手の立場に立つこと
は看護師として大変重要な能力であるが、相手は自分
と異なる人生を歩んでいる他者であることを忘れては
ならない。中島が看護実践は、基本的にワカラナイと
いう身の置き方に定位する活動でありたいと思う 2 と
述べているように、いつも当事者である相手の思いを
感じ、推し量り、確かめながら事を進める必要があ
る。特に言語的なコミュニケーションが図りにくい認
知症高齢者のケアにおいて、相手の真意に近づくため
の道筋は、その人との関わりの積み重ねの中に描かれ
ていく。
2 .ゆるぎない自己決定は存在するか
自分の真の意思を適切に表現して、自己決定をゆる
ぎなくすることが困難なのは認知症高齢者だけであろ
うか。我々の毎日のくらしの中にある大小の自己決定
は、周囲との関係性の中で、あるいは時間経過の中で
ゆるぎながら行われることが多い。
誤嚥性肺炎で入院していたある高齢者は退院期限が
迫り、胃ろうを造設して入院期間を延長するか、可能
な限り口から食べる訓練をして自宅へ戻るか、郊外の
介護施設へ移るかの選択を示された時、「自分の思い
はあるが言えば家族に迷惑をかけるので、言わない。
皆に任せる。」と語った。周囲の思いを汲み遠慮しな
がら人生の最期を過ごす高齢者、その家族もまた決定
したことにゆるぎながら別れの時を迎え、その後も
「あれでよかったのか」と自問自答を繰り返すのでは
ないか。物事の決定は高齢者を取り巻く環境、人間関
係、身体状況、精神状態、決定による影響などにより
相対的に選択され、変化する。
3 .ケアに内包される “おせっかい”
認知症高齢者の意思表示は概ね直球であるが関わり
により変化する。特に不安なこと・嫌なこと・いつも
と違うことには敏感に強く反応して自身を守ろうと
し、安心できること・嬉しいこと・役割を果たすこと
には笑顔がみられる。言葉で適切に表現できないこと
が自己決定できないことにはならない。自己決定でき
ないと決めつけて当事者の意思を無視すれば、それは
おせっかいとなる。
「わしが建てた家なのになぜ帰れんのだ!」という
認知症の人々の問いかけに看護学や倫理学はどう応え
ることができるのか。“わからない他者”と向き合い、
その意思を深いレベルで推し量りながら、生活行動を
支援し、必要な時に医療とつなぐケアとしての看護実
践が求められている。
文 献
1. Florence N. 1860/ 湯槇ます,薄井坦子,小玉香
津子,田村真,小南吉彦訳.1993.看護覚え書.
第5 版.東京:現代社.
2. 中島紀惠子.なぜ、認知症の当事者研究なのか 認 知 症 ケ ア の 歩 み と 未 来. 看 護 研 究.2013;
46(3):242‒253.
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認知症ケアにおける患者の尊厳と倫理上の課題:地域連携に携わる看護師の
立場から
伊藤裕基子(江南厚生病院 地域医療連携課)
認知症高齢者の増加に伴い、急性期病院において認
知症ケアに関する倫理的諸問題や終末期ケアに関する
倫理的問題は、避けて通ることができない状況にあ
る。
当病院においても認知症高齢者の入院は、増加傾向
にある。退院支援の関わりの中で ICに同席する機会
がある。病状説明や治療に関する情報提供は家族中心
に行われまた、患者と家族の意向の不一致における意
思決定では家族の意向が尊重される。急性期の医療現
場では、疾病や安静による長期臥床が続くことによっ
て起こる認知症の心理・行動障害の出現により治療の
継続と安全管理に苦慮している。やむなく身体拘束や
薬剤による行動をコントロールする対策がとられるこ
ともある。患者の尊厳を守る観点から倫理カンファレ
ンスが積極的に行われるようになり、抑制が必要な
ケースの場合、自律尊重原則(個人の自由・拘束から
の自由)と善行原則(危険性を防止し安全性を重んじ
る)の対立として、人間としての尊厳と患者の安全確
保の視点から認知症に対する理解やニーズに向き合う
ケアの対応策が検討された。言葉として伝えられない
苦痛を理解しようとする姿勢が大事であり、ニーズに
対し丁寧に提供される日常生活援助こそが、認知症高
齢者の尊厳を維持し価値あるケアであると言える。
認知症高齢者の終末期ケアにおける退院支援の関わ
りを通して、問題となることは本人の意思能力がなく
自己決定ができない状況の中、延命治療の選択に倫理
的ジレンマが生じる。本人にとって最善の利益を考え
家族に意思決定のための十分な情報提供を行い、決定
した選択を尊重し支援している。終末期においては、
本人の意思能力はなく自己決定することができない状
況にある。その人の価値観・人生観を尊重するために
は、意思表示できる早い段階から終末期医療について
話し合うことが重要である。当院では、患者の意思を
尊重した終末期医療を提供することを目的に、リビン
グウイルの運用が決まった。
これからの地域連携のあり方について、住み慣れた
地 域 で 生 き て い く こ と が 病 の 進 行 を 穏 や か に し、
QOLを高めることにつながる。認知症患者の在宅で
の看取りは、家で最期までというのではなく、地域の
施設を利用したり種々の専門職が関わり、その人が望
む地域で最期が迎えられるようにその人らしく生きる
ためのサポートが重要と考える。超高齢社会に突入
し、とくに多死社会の到来が伴うわが国において、高
齢者の尊厳と意思決定支援に関する法制化と老年現象
に伴った自然な看取りの検討が必要である。
病院における認知症ケアと医療の提供との融和について
髙道 香織(国立長寿医療研究センター)
急性期病院では、肺炎や骨折などの身体合併症の治
療目的で、認知症を有する人の入院が増えている。そ
の入院中には、安静が守れない、点滴の自己抜針、帰
宅要求などの場面に遭遇することがしばしばある。従
来は、認知症の人の“問題行動”とされていたが、そ
れはB P S D( B e h a v i o r a l a n d P s y c h o l o g i c a l
Symptoms of Dementia;認知症の行動・心理症状)
を呈しているのであり、行動に潜んでいるメッセージ
を読み取り、対応することが大切である。もし、問題
行動というアセスメントを続けているチームがあると
すれば、認知症を有する人に対し様々な感情を抱いて
対応に困っているのかもしれないが、その一方で認知
症という病いの理解を深める必要性や、認知症を有す
る人に対する倫理的配慮について考え直す必要性があ
ることを示しているとも考える。
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認知症を有する人が例えば肺炎に罹った場合、ほぼ
緊急入院のケースであることに留意しておきたい。解
熱し脱水傾向も補正され症状が和らいでくると、認知
症を有する人も周囲の環境に気が付く。だが、入院を
したエピソードの記憶がなく、ここはうちではない
と、環境から脅威を感じ、現状の理解に苦しみ混乱す
る。うちへ帰ろうという思いに従って起き上がり、歩
こうとし、その際の点滴は動きを妨げる障害物にて整
理をする。動くことは認知症を有する人にとって自然
なことだが、病院側にとっては危険なことで、ずれの
ある文脈や構造が生ずる。病院では動いてほしくな
い、今は帰れないと迫り、行動を鎮めるため同意を得
て身体拘束も時には行う。病院側の正当な判断は、認
知症を有する人にとっては不可解と苦痛でしかなく、
混乱が混乱を招き、ずれの構造が深化し悪循環な関わ
り合いに陥る。認知症を有する人の動きは封じても、
帰ろうとする意思の抑えは利かない。その人のその場
における思いにどう応じるのか、考えて接することが
認知症を有する人の尊厳を守ることに関わることだと
考える。認知症を有する人が表す行動の意味を、プロ
セスから丁寧に読み、その人の意思を把握し、意思を
叶えるアプローチ、主体を尊重する関わり合いが検討
され実施されれば、対応に苦慮する場面は落ち着く展
開をみせることもある。必要な医療の提供とともに、
認知症を有する人に認知症ケアを提供することを、病
院で多職種協働で、標準的なことにする戦略が必要で
ある。それが病状の軽快と回復を促進する医療の展開
となり、認知症を有する人も、病院で当然の利益を受
けることに通じていくと考える。
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