時事フランス語 和文仏訳の約束事 第 11 回 繰り返しを避ける (1) 彌永

時事フランス語 和文仏訳の約束事
第 11 回 繰り返しを避ける (1)
彌永康夫
日本語とフランス語では,繰り返しという問題に関する感受性が大きく異なる。日本語,なか
でも新聞では,用語の厳密さが何よりも重視されているようで,とくに公式な用語が決められて
いるものについては,何回繰り返そうとも,同じ語を用いることになっているようである。
一方フランス語では,学術論文とか法律関係の文書などでない限り,用語の厳密性よりも読み
やすさのほうを重視する。もちろん,繰り返しが常に悪いという積りはない。そればかりか,た
とえば 17 世紀の劇作家モリエールの有名な喜劇『才女気取り Les précieuses ridicules』に登場する
ような,あまりにも「人為的な」言い換えは,単なる文章技術にすぎず,書き手の誠意を疑わせ
かねない場合もあるだろう。また,誰の目から見ても明らかに正確さを必要とする文書には,繰
り返しを嫌うという原則は当てはまらないし,文学作品でも,繰り返しによって特別な効果を求
めることがあることは,いうまでもない。ただし,とくに新聞記事などにおいては,なるべく同
じ単語を登場させないよう書き換えの工夫がなされるのが普通である。
そのためには同義語辞典が大きな役割を果たすが,それだけに頼ってはならない。フランス語
で同義語や言い換えの可能性をさぐると同時に,あるいはそれより前に,まず日本語で同じこと
を別の言葉なり言い回しで言えないかも考えなくてはならない。
言い換えの具体例
1)「大統領」,「首相」,「大臣」
たとえば,「大統領」は,共和政下にある国における国家元首を指すことはいうまでもない。
それゆえ,同じ単語を繰り返さないために président を chef d’Etat と言い換えることがしばしばな
される。前後関係からフランスの大統領を指すことが明らかなときには président de la République,
あるいは chef de l’Etat と,République または Etat に定冠詞を付けるだけで,さらに国を示す形容
詞はつけない。また,フランスならば「大統領府」が置かれている場所 Palais de l’Elysée を取って
locataire (hôte) de l’Elysée(Palais は不要),アメリカの場合には同じく locataire de la Maison Blanche,
ロシアについては maître du Kremlin(locataire ではないことに注意)という言い換えもなされる。
「首相」も同じく premier ministre だけで済ませてはならない。もっとも頻繁に用いられる言い
換えは chef du gouvernement ないし chef de l’exécutif である。ただし,国によって,あるいは時代
によって,別の言い換えも可能であるばかりか,むしろその方が正式用語とみなされることもあ
る。たとえば,フランスの第 3,第 4 共和政時代の首相や,現代のイタリアの首相は,正式には
premier ministre ではなく président du Conseil と呼ばれる。それゆえ呼びかけも Monsieur le Premier
ministre ではなく Monsieur le Président となるのだが,このことを知らないと首相を大統領と訳す
ことになる(実際にそうした「誤訳」を見たことがある)。また,よく知られているように,ド
イツの首相の公式職名は chancelier(女性ならば chancelière)である。
閣僚についても,法務大臣は ministre de la justice と同時に garde des sceaux とも呼ばれるし,外
務大臣(ministre des affaires étrangères)は chef de diplomatie(フランスの外務大臣ならば chef de la
diplomatie française)と言い換えられる。大蔵大臣(現在の日本では財務大臣)は,正式職名が(2014
年現在)ministre des finances et des comptes publics だが,chancelier de l’échiquier という言い換えが
存在する。これはもともとはイギリスの大蔵大臣を指すものであったが,現在ではフランスのみ
でなく多くの国について用いられる。
2)「経済」
簡単に同義語や言い換えが見つけられない単語も数多い。その典型的な例が「経済」だろう。
まず次の例文と,それを課題とした際に提出された答案の一つを見てほしい。
-「厳しい経済情勢が続くなか,最大の焦点は,雇用増などの経済政策だ。」(『朝日新聞』)
これは,2012 年のアメリカ大統領選挙に関する解説の一節である。「経済」あるいは「経済に
関する」を訳すのに,économie,と économique 以外の語があるかを考えてみたい。Antidote で探し
てみても,「経済に関する」という意味での「同義語」は financier と monétaire, pécuniaire の 3 つ
しか掲載されていない。しかし,そのどれも意味がかなり限られるので,つねに言い換えとして
使えるわけではない。他方,Robert の Dictionnaire des synonymes にはそもそも「節約になる」,
「安い」という意味以外の「同義語」は載っていない。最後に,もっとも新しい Le Robert Correcteur
には,確かにかなりの数の synonymes が掲載されている。ただし,少し細かく見ると,やはり「節
約」とか「吝嗇」を別にすれば,économie という語の比喩的な用法に対応する「同義語」ばかり
で,この例文で利用できる選択肢はまったく示されていない。このようなケースでは「同義語」
を探すことをあきらめて,いわゆる「迂言法 périphrase」を試みるか,まったくの意訳をする以外
には,有効な解決策はなかなかないだろう。いくつかの可能性が考えられるが,たとえば,最近
のマスコミでは crise という言葉はそれだけで「不況」,つまり「厳しい経済状況」を意味するこ
とが多いことを利用して,たとえば「困難な経済状況」を訳す時に économique を省略するのも一
つの方法である。あるいは,「上記の困難に対処する政策」などの périphrase を用いるという手も
ある。試訳を挙げると次の通りである。
Sur fond de difficultés économiques persistantes, la politique que le gouvernement devra adopter pour y
porter remède, en particulier pour créer plus d’emplois, constitue le principal enjeu de la campagne.
いうまでもなく,いろいろな言い換えが考えられる。たとえば「厳しい経済状況が続く中」を
en cette période de crise qui n’en finit pas としてもよいだろう。そうすれば例文の後半に用いられて
いる「経済政策」はそのまま politique économique と訳しても,繰り返しは避けられる(c’est sur la
politique économique, destinée entre autres à favoriser l’emploi, que se focalise l’intérêt des électeurs
américains)。
3)「原子力」,「核」
もう一つ,繰り返しを避けることがきわめて難しい語の例を出そう。nucléaire である。nucléaire
のほかには atomique,さらには thermonucléaire ぐらいしかない。しかも,日本語でも同じことで
はあるが,atomique はもっぱら原子力の平和利用に当てはまる言葉である。もっとも,フランス
語ではそれほど厳密な区別はしない。この二つの言葉の使い分けはむしろ時代によるようで,1960
年代まではもっぱら atomique が用いられていたのに対して,その後は主に nucléaire が使われてい
る。たとえば,1945 年に設立されたフランスの「原子力庁 Commissariat à l’énergie atomique(2014
年現在の正式名称は「原子力・代替エネルギー庁 Commissariat à l’énergie atomique et aux énergies
alternatives」である)」は平和,軍事双方における原子力の利用を管轄しているが,公式名称には
énergie atomique しか入っていない。それに対して,「原子力発電所」はもっぱら centrale nucléaire
(électronucléaire)と言い,centrale atomique という言い方はまれである。文脈から言って「核」が問
題になっていることが明らかな時には,2 回目からはあえて省略することも選択肢に入れるべき
だろう。あるいは,核戦力を arme de destruction massive とか force de frappe など,いささか厳密性
に欠ける言い回しで置き換えることも排除できない。
以上を頭に入れたうえで,次の例文を見てほしい。
-「1958 年に原子力の統一市場形成を目指して設立された欧州原子力共同体(ユーラトム)は欧
州統合の原点でもある。しかし,各国が自国の安全保障に直結する原子力政策の決定権を手渡さ
ず,EU 全体の原子力政策の統合はタブー視されていった経緯がある。」(『読売新聞』)
3 行足らずの間に「原子力」が 4 回用いられている。これを訳すときに,どうすれば繰り返し
を避けられるか,試訳を示しておく。
Créé en 1958 en vue de mettre en place un marché unique de l’énergie atomique, l’Euratom marque l’un
des points de départ de l’intégration du Vieux Continent. Or, les Etats membres se refusaient à se
défaire au profit de Bruxelles de leur pouvoir de décision dans ce domaine directement lié à leur défense
nationale, si bien que l’unification à l’échelle régionale des politiques nucléaires était de plus en plus
considérée comme un tabou.
ここには「欧州」とか「統合」など,ほかにも繰り返されている単語が多いので,なおのこと
工夫が必要になる。試訳に明らかなように,atomique と nucléaire を完全な同義語とするのは,日
本のマスコミには受け入れられないだろうが,フランスの新聞ならば問題ないだろう。それに加
えて,「原子力」を「この分野」と言い換えたり,「ユーラトム」という固有名詞を利用したり
することで,繰り返しを避けてみた。
4)国名の言い換え
繰り返しを避けるという原則は,普通名詞だけでなく,人名や国名などの固有名詞にも当ては
まる。たとえば日本を pays du Soleil levant,ヨーロッパを Vieux Continent と言い換えるのはよく
知られている。
とくに国や地方などの言い換えについては,フランス語版『ウィキペディア』に「国名を示す
迂言法」という項目がある(http://fr.wikipedia.org/wiki/Liste_de_périphrases_désignant_des_pays)。
そこには 65 の国とヨーロッパ,アメリカ,アジアおよびアフリカの 4 大陸がリストアップされて
いるほか,現存しない 6 か国や,カナダ,中国,アメリカなどの地方名など,膨大な例が掲載さ
れている。その中からいくつか,もっとも頻繁に見かけるものや,きわめて珍しいものをピック
アップしてみよう。
Afrique du Sud : nation arc-en-ciel
Australie : le pays des kangourous, le Sixième Continent (confusion possible avec l’Antarctique),
Chine : l’Empire du Milieu, l’Empire Céleste (voir les articles correspondants) ; pour la République
populaire de Chine, la « Chine populaire », ou la « Chine communiste »
Corée : le pays du Matin calme (plus fréquent mais provenant d’une erreur de traduction)
Finlande : le pays des Mille Lacs
France : le pays aux trois cents fromages (d'après un mot de De Gaulle) ; le pays des droits de l'homme ; la
Douce France ; l'Hexagone (les limites de la France formant un hexagone irrégulier) ; la fille aînée de
l'Église, l'Outre-Rhin (pour l'Allemagne)
Israël : l'État hébreu ; État juif ; "la terre promise" (périphrases bibliques),
Italie : la Péninsule, la Botte (à cause de sa forme géographique : les Pouilles en forment le talon…) ;
l'adjectif transalpin (par rapport à la France) désigne une chose qui est italienne; il bel paese
Liban : le pays du Cèdre, le pays des Cèdres ou la Suisse de l'Orient (avec Beyrouth, la capitale, Paris de
l'Orient)
Russie : le pays des tsars, le Grand Ours, la Rus
Rwanda : le pays des Mille collines
Vatican : le Saint-Siège
繰返しの問題は一度取り上げると,きりがなくなる。次回も実例に基づいてこのテーマの検討
を続けたい。
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