フィルハーモニー5月号(PDF)

5 月定期公演 B・C プログラム
指揮者変更のお知らせ
5 月定期公演
B プログラム(5 月 20 日[水]
、21 日[木]サントリーホール)
C プログラム(5 月 15 日[金]
、16 日[土]NHK ホール)
に出演を予定しておりました指揮者のデーヴィッド・ジンマン氏は、
ニューヨークで股関節置換の緊急手術を受けるため、
来日が不可能となりました。
このため指揮者を下記のとおり変更させていただきます。
指揮:エド・デ・ワールト
Edo de Waart, conductor
尚、曲目・ソリストの変更はございません。
何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。
公益財団法人 NHK 交響楽団
Notice concerning the May subscription concerts
B and C programs
We regret to inform you that Maestro David Zinman, who was
scheduled to conduct the May 2015 subscription concerts, has
to cancel his engagement as he is having urgent hip replacement
surgery in New York. Edo de Waart will fill in for Maestro Zinman.
There will be no changes to the programs or soloists. We appreciate
your understanding.
NHK Symphony Orchestra, Tokyo
指揮:エド・デ・ワールト
Edo de Waart, conductor
©Edo de Waart
1941 年オランダ生まれ。現在、ロイヤル ・ フランダース ・ フィルハー
モニー管弦楽団首席指揮者、ミルウォーキー交響楽団音楽監督、オランダ
放送フィルハーモニー管弦楽団桂冠指揮者を務めている。
アムステルダム・スウェーリンク音楽院に学び、23 歳の時にニューヨー
クのミトロプロス国際指揮者コンクールで優勝。その後、ロッテルダム・
フィルハーモニー管弦楽団、サンフランシスコ交響楽団、ミネソタ管弦楽
団、シドニー交響楽団、香港フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督や首席
指揮者を歴任し、信頼篤きオーケストラ・ビルダーとしての評価を確立し
た。
これまでに、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やシカゴ交響楽団を
はじめとする世界各地の主要オーケストラに客演。オペラ指揮者としても
活躍し、首席指揮者を務めたネーデルランド・オペラのほか、バイロイト
音楽祭、英国ロイヤル・オペラ、ジュネーヴ大劇場、パリ ・ オペラ座、サ
ンタフェ・オペラ、メトロポリタン歌劇場などで大成功を収めている。
N 響には 2009 年 4 月定期で初登場。以降 2012 年 11 月定期、2013
年 12 月《第 9》で共演を重ねている。
Philharmony May 2015
©Felix Broede
e
t
s
a
r
a
S
a
k
k
e
P
a
今月のマエストロ
Jukk
ユッカ・ペッカ・サラステ
端正に整えられた、心地のよい音楽を築く指揮者
文
相場ひろ
クラシック音楽の世界でフィンラ
に過ぎないフィンランドから、なぜ
ンド出身の指揮者の活躍が目立つよ
これほど多くの優れた指揮者が輩出
うになったのは、1980 年代くらい
し得たのだろうか。
からだろうか。以来 30 年ほどを経
彼らはみな、フィンランドの首都
た現在、指揮者の世界でフィンラン
ヘルシンキにあるシベリウス音楽院
ド出身者の占める割合が、たいへん
で指揮を学んだという共通点を持っ
に大きくなっている。NHK交響楽
ている。同音楽院では 1970 年代か
団にも馴染みの深いエサ・ペッカ・サ
ら 1990 年代にかけて、名指導者と
ロネンに始まり、サカリ・オラモや
して知られたヨルマ・パヌラが指揮
オスモ・ヴァンスカのように国際的
科の教授を務め、その教育体制を整
な地位を確立した者もいれば、ピエ
備した。多くの若者が彼の指導を受
タリ・インキネンのように、これか
け、また彼の作り上げた教育システ
ら旬を迎えようかという気鋭もいる。
ムに則って指揮法を学ぶことで、そ
人口・版図からいえば北欧の一小国
の才能を開花させていったのである。
今月のマエストロ ユッカ・ペッカ・サラステ
チームワークで作り上げる音楽
性を押しつけるタイプではなかった
こともあって、彼ら教え子たちの音
シベリウス音楽院の指揮科の授業
楽的な個性は見事に異なり、それぞ
は、他の音楽院には見られない特徴
れに特色のある音楽を聴かせてくれ
を備えるという。ふつう指揮科の学
る。ユッカ・ペッカ・サラステの場合、
生に対するレッスンは、他の学生が
一聴して感じられるのはその音楽の
弾くピアノを相手に指揮棒を振らせ
熱さである。彼は流れるようなリズ
ることを通じて技術的な指導を行う
ム感覚をオーケストラに吹き込み、
のが一般的だが、同音楽院では早い
強い推進力と共に音楽を高揚させて
時期から、学生によって構成された
いって、大きなクライマックスを築
オーケストラを指揮科の受講生に実
き上げていく。それでいて、どこか
際に振らせつつ授業を行うのだ。こ
一部を誇張したり、大きな見得を切
うした実践的な学修方法をとること
って耳目を集めたりといったケレン
で、オーケストラの現場で起こる事
にはしることはなく、音楽の外観は
柄への対処法を具体的に学ばせ、技
あくまで端正に整えられ、清潔な美
術を高めさせていく。と同時に、数
感をまとう。そのために彼の音楽は、
十人を相手に積極的なコミュニケー
スケール大きく、熱く盛り上がりつ
ションをとって、彼らを掌握する術
つも、無駄のないコンパクトなもの
も会得させる。指揮者にとってこれ
として形を結ぶ。そのたたずまいの
らのスキルの習得に重きを置いた教
自然さ、心地よさが、彼の音楽の最
育法のおかげで、世界に通用する指
大の美点と言える。
揮者が生み出されていくのだ。
そのシベリウス音楽院でパヌラに
指導を受けた第 1 世代にあたるのが、
サロネンやヴァンスカであり、また
ユッカ・ペッカ・サラステであった。
実際、彼らの指揮には共通する特徴
がある。彼らは、オーケストラに対
して独裁者的に振る舞うことなく、
チームワークとして音楽を作り上げ
ていく。それでいて自らの意思は明
快にオーケストラに伝達する。その
指揮者の個性を味わう
絶好のプログラムに期待
このたびNHK交響楽団を指揮す
るにあたって、サラステはベーラ・
バルトークとジャン・シベリウスの
作品を選んだ。一点一画もおろそか
にすることを許さない厳しさを持ち
ながら、目まいのするような熱狂へ
と聴き手を導くバルトークの音楽は、
サラステの個性と抜群の相性を示す
伝達手段が効率よいために、音楽に
ことだろう。《ヴァイオリン協奏曲
あいまい
曖昧さを残さない。そうした美点を
第 2 番》を独奏するクリストフ・バ
備えているからこそ、彼らは世界の
ラーティは、バルトークの母国ハン
第一線で活動し続けているのだろう。
ガリー出身のヴァイオリニストであ
その一方で、パヌラが自らの音楽
る。サラステとバラーティは、今回
とに気づかされる。ことさらに神秘
ており、そこではラヴェルの《チガ
感を演出する訳でなく、また繊細さ
ーヌ》とサラサーテの《チゴイナー
を誇示するでもなく、骨太な音の流
ワイゼン》という、東欧の薫りをふ
れを作りながら、そこに温かいロマ
んだんに漂わせた楽曲を採り上げて
ンとこの作曲家らしい透明感を浮き
いた。おそらく彼らは、厳しくも熱
上がらせる彼のシベリウス像を、こ
いバルトークの音楽に東欧らしい民
の上ないものと感じる向きも多いこ
くゆ
俗的な味わいを濃く燻らせた演奏を
とだろうと思う。今回のプログラム
聴かせてくれるのではなかろうか。
では、
〈悲しいワルツ〉を含む劇音
フィンランドの巨匠ジャン・シベ
楽《クオレマ》よりの 3 曲と《交響
リウスは、今年生誕 150 年を迎えて、
曲第 2 番》という、シベリウスの中
日本でも多くの演奏会が開かれ、ま
でも最もポピュラーな人気を誇る作
た予定されている。サラステはこの
品を並べている。ロマンチックで雄
同郷の偉人の音楽を若い頃より熱心
渾な曲想のうちに静かな悲しみをた
に手がけていて、ディスクでは既に
2 度、交響曲全集を完成させている
ことをご存じの方も多いことだろう。
ゆう
こん
たえる《クオレマ》、交響曲中最も
壮麗で、叙事詩的なスケールを誇る
《第 2 番》と、いずれもサラステの
実際、彼のディスクを聴くと、シベ
個性を味わうには絶好の曲目といっ
リウスの音楽を振る時の彼はまさに
ていい。どのような演奏を聴かせて
水を得た魚のように活き活きとして、
くれるか、大いに期待したい。
(あいば・ひろ 音楽ライター)
伸び伸びとした音楽を作り上げるこ
プロフィール
1956 年フィンランドに生まれる。 り 2005 年までBBC交響楽団の首
シベリウス音楽院で名教師として知
席客演指揮者を歴任し、2010 年か
られるヨルマ・パヌラのもとで指揮
らはケルン放送交響楽団の首席指揮
法を学んだ。フィンランド放送交響
者の地位にある。また 1983 年には
楽団の第 2 ヴァイオリン奏者とし
同じパヌラ門下のエサ・ペッカ・サロ
て活動すると同時に、首席指揮者で
ネンと共に、現代音楽の演奏を活動
あったレイフ・セーゲルスタムの助
の軸とする「アヴァンティ!室内管
手となり、1987 年には彼の跡を継
弦楽団」を創設するなど、同時代の
いで同楽団の首席指揮者に就任して、 音楽に積極的な関心を持ち、マグヌ
2001 年までその座にあった。その
ス・リンドベルイやカイヤ・サーリア
他 1987 年 か ら 1991 年 ま で ス コ ッ
ホなど、現代を代表する作曲家たち
トランド室内管弦楽団の首席指揮
の新作の初演もたびたび手がけてい
者、1994 年から 2001 年までトロン
る。
ト交響楽団の音楽監督、2002 年よ
(相場ひろ)
Philharmony May 2015
の演奏会に先立ってケルンで共演し
©Priska Ketterer
n
a
m
n
i
David Z
今月のマエストロ
デーヴィッド・ジンマン
作品のあるべき姿を探求する再現芸術家
文
山崎浩太郎
今回ジンマンが取りあげる 2 つの
というのも、メンデルスゾーンの
プログラムは、1 つはドイツ・ロマ
《ヴァイオリン協奏曲》以外は、指
ン派 3 人。もう 1 つがフランス近代
揮者ピエール・モントゥー(1875 〜
3 人と傾向をそろえた、一貫性のあ
1964)が録音を遺 した作品ばかり
るプログラム。
なのだ。
いかにも几帳面なジンマンらしい
が、曲目を眺めていて、ふと頭に浮
のこ
恩師から得たものを現代に伝える
かんだことがある。
モントゥーはフランスが生んだ大
それは、「ひょっとしたら、どち
指揮者で、ストラヴィンスキーの
らもモントゥーに捧げる演奏会なの
《春の祭典》やラヴェルの《ダフニ
ではないか?」という印象である。
スとクロエ》の世界初演を指揮した
いや、捧げるというと大げさかも
ことで知られているが、ジンマンに
しれないが、少なくとも、恩師を意
とっては、世に出るきっかけを与え
識した選曲なのではないか?
てくれた恩師である。
がメイン州(アメリカ合衆国東北
端)ハンコックの自宅で開いていた
指揮者教室で学んだ。さらにモント
ゥーが 1961 年から亡くなるまでロ
ンドン交響楽団の首席指揮者をつと
めたさいには、そのアシスタントと
して、親しく薫陶を受けている。
具体的な指揮法だけでなく、オー
ケストラとの接し方、レパートリー
の準備、プロとしての心構えまで、
学んだもの、得たものは、はかり知
れぬほどに大きかったはずだ。
そしてモントゥーの計らいで、ロ
ンドン交響楽団を指揮したり、オラ
ンダ音楽祭への出演の機会を得るこ
とができ、プロの指揮者の第一歩を
記すことができたのである。
今年 7 月 9 日に 79 歳の誕生日を
迎えるジンマンは、モントゥーとの
日々をあらためて思い出し、かみし
め、そして半世紀後の聴衆とオーケ
ストラに、その意味と意義を伝えよ
うとしているのではないだろうか。
C プログラムの、モントゥーが同
じ時代の空気を吸ったフランスの作
曲家たちのことはいうまでもない。
B プログラムのメインとなるブラー
ムスの《交響曲第 2 番》も、モン
トゥーと縁の深い曲なのだ。モント
ゥーはブラームスを誰よりも敬愛し
たというが、どういうわけか商業録
音は4つの交響曲のうち、
《第2番》
しか遺さなかった。
しかもこの曲だけは 3 回も録音し
ている。愛着と同時に、自己の解釈
に対する自信があったからではない
かと思うが、最後の録音は 1962 年
のロンドン交響楽団を指揮したもの
で、まさにジンマンがアシスタント
をつとめていた時期なのだ。
その意味で今回のブラームス、モ
ントゥーの 1962 年盤をお持ちの方
くら
は、ぜひ聴き較べてみてほしい。
たえまない変化のなかで、
時代に合った様式を採用
ただし、ここで大急ぎでつけくわ
えなくてはならないことがある。
それは、もし今回の曲目がモント
ゥーの思い出を意識したものであっ
たとしても、けっして「昔はよかっ
た」
「おれが若い頃は」的な、単純
な自慢話や懐旧談にはならないだろ
う、ということである。
ジンマンは自身の思い出を美化す
ることなく、その向こうにある、自
分が生まれる前の歴史の広がりと豊
かさを、必ず意識するはずだからだ。
その根拠は、チューリヒ・トーン
ハレ管弦楽団を指揮した《春の祭
典》のディスクである。
これは 2013 年の初演 100 周年記
念演奏会のライヴ録音で、1913 年
の初稿と 1967 年の決定稿の 2 種を
収録、さらに両者の相違点からスト
ラヴィンスキーの創作の秘密にせま
るジンマン自身のトーク(一部演奏
も)も入った、とても凝ったものだ。
ここでジンマンは、自身がアシス
タントとして立ち会った、1963 年
のモントゥー指揮の初演 50 周年記
念演奏会の思い出を語っている。こ
の曲の世界初演者であるモントゥー
Philharmony May 2015
若き日のジンマンは、モントゥー
今月のマエストロ デーヴィッド・ジンマン
は、初演で用いた筆写譜を使ってい
て、それは前述の初稿とも決定稿と
も異なるものだったそうだ。
残念ながらその筆写譜は現在行方
不明で、初演の響きの真相もわから
出も、独善的に美化されることなく、
過去の歴史に生彩を与える、またと
ない素材として用いられるのだ。
ジンマンのこれまでの録音をふり
返ると、ベートーヴェンやシューベ
ないのだが、ジンマンはそのもとに
ルト、シューマンでは思いきったピ
なった初稿を演奏することで、スト
リオド奏法をとりいれたのに対し、
ラヴィンスキーが何を求め、何を修
ワーグナーやブラームスでは現代奏
正したかを探り、さらにその 54 年
法に近いスタイルとしている。教条
後の決定稿で何が変わったかを、合
わせ鏡のように音にしているのだ。
ここに、歴史主義的芸術家として
のジンマンの真骨頂がある。単なる
歴史家ではない。ひとりの再現芸術
主義的に二者択一を迫るのではなく、
たえまない変化のなかで、それぞれ
の時代にふさわしい様式を採用して
いるのだ。
今回のドイツ・ロマン派、そして
家として、さまざまな過去に目を配
意外にもいままで録音の少ないフラ
り、現在と比較しながら、作品のあ
ンス近代作品では、どのようなアプ
るべき姿を探求していくのだ(終わ
りがないという点で、目標はつねに
未来にある)。そこでは自己の思い
ローチをとるのか。楽しみである。
(やまざき・こうたろう 演奏史譚)
プロフィール
1936 年、ニューヨーク生まれ。
パリ管弦楽団など各地の一流オーケ
ミネソタ大学で作曲、タングルウッ
ストラにも客演している。
ド音楽センターで指揮を学ぶ。その
1995 年から 2014 年にかけてのス
後、名指揮者ピエール・モントゥー
イスのチューリヒ・トーンハレ管弦
の助手をつとめる。
楽団の音楽監督時代には、ベートー
1974 年から 2010 年の間に、アメ
ヴェンやマーラーなどの「交響曲全
リカのロチェスター・フィルハーモ
集」の録音でも高い評価を受けた。
ニー管弦楽団の音楽監督、オランダ
2015 年夏、札幌のパシフィック・
のロッテルダム・フィルハーモニー
ミュージック・フェスティバル(P
管弦楽団の首席指揮者、アメリカの
MF)に出演予定である。
ボルティモア交響楽団とアスペン音
NHK交響楽団とは 2009 年に初
楽祭の音楽監督を歴任。ニューヨ
めて共演し、4 年後の 2013 年に再
ーク・フィルハーモニック、ベルリ
共演。今回が 3 回目となる。
ン・フィルハーモニー管弦楽団、ロ
ンドン・フィルハーモニー管弦楽団、
(山崎浩太郎)
A
第 1808 回 NHKホール
5/9 [土]開演 6:00pm
5/10[日]開演 3:00pm
[指揮]
1808th Subscription Concert / NHK Hall
9th (Sat.) May, 6:00pm
10th (Sun.) May, 3:00pm
ユッカ・ペッカ・サラステ
Jukka-Pekka
[conductor]
Saraste
[ヴァイオリン]
[violin]
[コンサートマスター]
[concertmaster]
クリストフ・バラーティ
篠崎史紀
Kristóf Baráti
Fuminori Shinozaki
シベリウス
「クオレマ」
(15’)
44-2
―「鶴のいる情景」作品
「カンツォネッタ」作品 62a
「悲しいワルツ」作品 44-1
Jean Sibelius (1865-1957)
“Kuolema”, incidental music
–‘Scene with cranes’, op.44-2
‘Canzonetta’, op.62a
‘Valse triste’, op.44-1
バルトーク
ヴァイオリン協奏曲 第 2 番(35’)
Béla Bartók (1881-1945)
Violin Concerto No.2
Ⅰアレグロ・ノン・トロッポ
Ⅱアンダンテ・トランクイロ
Ⅲアレグロ・モルト
ⅠAllegro non troppo
ⅡAndante tranquillo
ⅢAllegro molto
休憩 Intermission
シベリウス
交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 43(42’)
Jean Sibelius
Symphony No.2 D major op.43
Ⅰアレグレット
Ⅱテンポ・アンダンテ、マ・ルバート
Ⅲヴィヴァチッシモ
Ⅳ終曲:アレグロ・モデラート
ⅠAllegretto
ⅡTempo andante, ma rubato
ⅢVivacissimo
ⅣFinale: Allegro moderato
Philharmony May 2015
Program
Soloist
Program
ヴァイオリン
クリストフ・バラーティ
A
Kristóf Baráti
1979 年、ブダペストでチェリス
トの父とヴァイオリニストの母のも
くのオーケストラ、ベルリン放送交
響楽団、フランス放送フィルハーモ
ターのエドワード・ウルフソンに見
出 さ れ 薫 陶 を 受 け る。2010 年 第 6
ィータ全曲」、「ベートーヴェン:ヴ
ァイオリン・ソナタ全曲」、「コルン
とに生まれる。幼少期をベネズエラ
で過ごし、その後フランツ・リスト
音楽院で研鑽を積む。1996 年ロン・
ティボー国際音楽コンクールの際に、
ストラディヴァリウス協会ディレク
回パガニーニ・モスクワ国際ヴァイ
オリン・コンクールで優勝、2011 年
にはハンガリー政府より「リスト
賞」を授与された。
これまでにシャルル・デュトワ、
ウラディーミル・スピヴァコフ、大
植英次らの指揮者、ハンガリーの多
ニー管弦楽団など多数の楽団と共演
を果たす。
CDは「パガニーニ:ヴァイオリ
ン協奏曲第 1 & 2 番」
、「バッハ:無
伴奏ヴァイオリン・ソナタ、パルテ
ゴルト:ヴァイオリン協奏曲、ヴァ
イオリン・ソナタ」などをリリース。
使用楽器はストラディヴァリウス協
会貸与による 1703 年製「レディ・
ハームズワース」。
今回、N響との初共演を飾る。
(飯田有抄/音楽ライター)
1865-1957
シベリウス
「クオレマ」
―「鶴のいる情景」
「カンツォネッタ」
「悲しいワルツ」
フィンランド語で「死」を意味す
る『クオレマ』という作品は、シベ
有 名 な〈 悲 し い ワ ル ツ 〉
(作品
44-1)は、
『クオレマ』第 1 場にもと
リウスの義兄アルヴィッド・ヤーネ
づく。少年パーヴァリの母親が病床
フェルトが 1903 年に発表した戯曲
に臥していると、やがて彼女は夢の
である。同年、シベリウスは『クオ
なかで踊り子たちと一緒にダンスを
レマ』上演のため、6 曲からなる付
はじめる。ふと目を覚ますと、部屋
ふ
随音楽を作曲。
〈鶴のいる情景〉と
中一杯になった踊り子たちは消えて
〈悲しいワルツ〉は、その付随音楽
しまう。母親がもう一度ダンスをは
から改編されたコンサートピースで
じめると踊り子たちも加わるが、亡
あり、とくに後者はシベリウスの人
夫の姿になりすました死神がドアを
気作として広く知られるところとな
3 回ノックするやいなや皆退散して
った。
しまい、母親に死が訪れるというも
なお、1911 年にヤーネフェルトは
の。その場面を綴ったワルツは、シ
同戯曲を改訂しているが、それに伴
ベリウス流の「死の舞踏曲」である。
いシベリウスも 2 つの付随音楽を追
凛とした調べが印象的な〈鶴のい
加で作曲している。そのうちの 1 曲
る情景〉
(作品 44-2)は、戯曲の第
が、
〈カンツォネッタ〉のタイトル
つづ
りん
3 場と第 4 場で用いられた付随音楽
で知られるチャーミングな佳品であ
をひとつに改編した曲である。ある
る。
時、老いた魔女を助けた青年パーヴ
『クオレマ』は、パーヴァリとい
つづ
う男の一生をたくましく綴ったもの
ァリは彼女から不思議な指輪をもら
い、その指輪に導かれて、森のなか
である。トルストイの人道的な文学
でエルザという乙女に出会う。ふた
思想から影響を受けたヤーネフェル
りが愛し合うようになると、その瞬
トの作品らしく、パーヴァリの理想
間、鶴の群れが頭上を通り過ぎよう
主義的な生き方が時に幻想的な筆致
とする。そのなかの一羽が群れを離
で、時に写実的な描写で見事に表現
れて、ふたりのもとに赤子を運んで
されている。シベリウスの付随音楽
くるというもの。シベリウスの音楽
は全編を通して控え目だが、各場面
は終始、凍てついた空気感に覆われ
の状況を巧みにとらえており、単独
ているが、中間部で鶴の鳴き声が描
で聴いてもまったく色あせない。
写されるなど興趣が尽きない。
い
Philharmony May 2015
Jean Sibelius
Program
A
1911 年にヤーネフェルトが施した
って編曲されている(本日の演奏
戯曲の改訂では、第 1 場以外が大幅
はシベリウスによるオリジナル版)
。
に書き換えられた。そのためシベリ
ストラヴィンスキーによると、
〈カ
ウスも、第 2 場以降の筋書きに合う
ンツォネッタ〉最大の魅力は何とい
よう付随音楽をあらためるのだった。
っても「チャイコフスキーを思わせ
ヤーネフェルトの改訂版では第 2 場
る北欧のイタリア的な旋律性にあ
に 2 つのダンス場面が新しく取り入
る」という。巨匠も指摘するように、
れられたが、そのうちの後者に付曲
シベリウスの美しい旋律には淡くも
されたのが〈カンツォネッタ〉
(作
切ない情感がにじみ出ており、その
品 62a)である。ちなみにこの愛ら
メランコリックな曲調は聴き手の心
しい小品は半世紀後の 1963 年、意
をとらえて離さない魅力にあふれて
外にも巨匠ストラヴィンスキーによ
いる。 (神部 智)
ツォネッタ〉は 1911 年 3 月 8 日、アレクセイ・
作曲年代:劇付随音楽は 1903 年秋。1911 年
アポストル指揮、アポストル管弦楽団。
〈悲し
改訂。〈鶴のいる情景〉
(作品 44-2)への改編
いワルツ〉は 1904 年 4 月 25 日、シベリウス
は 1906 年。
〈カンツォネッタ〉
(作品 62a)は
指揮、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団
1911 年。
〈悲しいワルツ〉(作品 44-1)への改
楽器編成:
〈鶴のいる情景〉クラリネット 2、
編は 1904 年
ティンパニ 1、弦楽。〈カンツォネッタ〉弦楽。
初演:劇付随音楽は 1903 年 12 月 2 日、シベリ
ウス指揮、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦 〈悲しいワルツ〉フルート 1、クラリネット 1、
楽団。
〈鶴のいる情景〉は 1906 年 12 月 14 日、 ホルン 2、ティンパニ 1、弦楽
シベリウス指揮、ヴァーサ管弦楽協会。
〈カン
1881-1945
バルトーク
ヴァイオリン協奏曲 第 2 番
「あの疫病神の国の周りから逃れ
なくてはならない。遠くへ行かなく
ては。だが、一体どこへ?」
親しい知人にあてた 1938 年 10 月
の手紙の中で、バルトークはナチ
ス・ドイツの勢力拡大についてこう
述べている。
彼が《ヴァイオリン協奏曲第 2 番》
を書いたのは、まさにこの時期のこ
と。ただし、同時代の社会の混乱ぶ
楽の語法が何度も使われる。
30,000 曲にも及ぶハンガリー民謡
の分類など、当時のバルトークは民
謡研究者として多くの仕事をかかえ
ていた。いかにナチスの脅威が祖国
に迫ってこようとも、彼としてはそ
れらの仕事をまとめるまで、ブダペ
ストをはなれるわけにはいかなかっ
たはずだ。そんな彼にとって、音楽
の世界はあるいはつかの間の、想像
りとは対照的に、この協奏曲の様式
上の亡命先ともなっていたのかもし
1920 年代の作品と比べれば調性は
第 1 楽章 アレグロ・ノン・トロッポ
めいせき
はとても明晰だ。同じバルトークの
れない。
聞き取りやすくなっているし、民俗
ロ調 4/4 拍子、ソナタ形式。民俗音
音楽との関連性もわかりやすい。第
楽風の第 1 主題に対し、第 2 主題は
1 楽章の冒頭主題はハンガリーのナ
十二音技法風のもの。
ショナリズムと歴史的に関連の深い、
第 2 楽章 アンダンテ・トランクイロ
ヴェルブンコシュ(18 世紀後半に生
ト調 9/8 拍子、変奏曲。主題の後に
まれた民俗舞踊)の様式の模倣であ
6 つの自由な変奏が続き、主題の回
り、第 2 楽章の変奏主題は、ハンガ
想とともに静かに終わる。
リー民謡とルーマニア民謡のかけあ
第 3 楽章 アレグロ・モルト ロ調 3/4
わせのように響く。あたかも慣れ親
しんだ世界に踏みとどまろうとする
かのように、ここでは東欧の民俗音
作曲年代:1937 年 8 月〜 1938 年 12 月 31 日
初演:1939 年 3 月 23 日、アムステルダム・コ
ンセルトヘボウにて、ウィレム・メンゲルベル
ク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦
楽団とゾルターン・セーケイにより初演
楽 器 編 成:フ ル ー ト 2( ピ ッ コ ロ 1)、 オ ー
ボエ 2(イングリッシュ・ホルン 1)
、クラリ
拍子、ソナタ形式。第 1 楽章の主題
群を変形して、用いている。
(太田峰夫)
ネット 2(バス・クラリネット 1)、ファゴッ
ト 2(コントラファゴット 1)、ホルン 4、ト
ランペット 2、トロンボーン 3、ティンパニ
1、小太鼓、小太鼓(響線なし)、大太鼓、シ
ンバル、サスペンデッド・シンバル、トライ
アングル、タムタム、チェレスタ 1、ハープ 1、
弦楽、ヴァイオリン・ソロ
Philharmony May 2015
Béla Bartók
Program
Jean Sibelius
1865-1957
シベリウス
交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 43
A
ジャン・シベリウスは、19 世紀末
から 20 世紀の初頭にかけて激しさ
を増したフィンランドの国民運動を
音楽において担ったが、同時に、自
分の音楽が国民の声を発するだけで
はなく、全人類の歌をうたうことを
望んでいた。ローカルな作曲家から
ユニバーサルな芸術家へと飛翔する
こと。この希求は、当時のフィンラ
ンドの情勢と密接に絡み合いながら、
シベリウスのなかで次第に強まって
いった。この過程で大きな意味をも
ったのが《交響曲第 2 番》の作曲で
あった。
《交響曲第 2 番》がイタリ
アと密接に結びついていることは興
味深い。イタリアこそは西洋芸術音
楽の精神的故郷であり、国民性を超
えた普遍性のアイコンとして機能す
るものだからである。
《交響曲第 2
番》は、その壮大さからシベリウス
の「英雄」と呼ばれることもあるが、
むしろ、シベリウスの「イタリア」
と呼びたいところだ。
19 世紀末までに、
《クレルヴォ交
響曲》あるいは《交響詩「四つの伝
説」
》など、一般に「カレリアニズ
ム」と言われる北欧の森の神秘主義
を題材とした音楽で、すでにフィン
ランド領内での名声を確立していた
シベリウス。その彼に、イタリアを
見てくるよう助言したのは、アクセ
ル・カルペラン男爵であった。以後、
シベリウスと深い友情で結ばれるこ
と に な る 男 爵 は、1900 年 3 月 の 手
紙でシベリウスに宛てて、こう述べ
る。
「イタリアは、カンタービレや
節度や調和、線の柔らかさやシンメ
トリーを教えてくれる国です。何も
かもが美しく、そして醜くもあるの
です」
。かくして、シベリウスは家
族とともにイタリアに旅立ち、途中、
ベルリンを経由して、1901 年 1 月の
終わりに北イタリア、ジェノヴァの
ラパッロに到着したのだった。
このときから 1901 年 5 月にフィ
ンランドに帰国するまでのあいだに、
後に《交響曲第 2 番》に結実する音
楽が、シベリウスのなかでどのよう
に育っていったのか、詳しいことは
わかっていない。しかし、1901 年
10 月のシベリウスの自邸で作曲家
と再会したカルペラン男爵の報告か
ら、このイタリア滞在が、シベリウ
スにとって実り豊かなものであった
ことがわかる。
「今度、シベリウス
が献呈してくれる作品は、イタリア
と地中海に触発された 5 楽章からな
る新しく大きな交響曲です。これは、
太陽の輝きと青い空、そして、歓喜
に満たされた交響曲なのです。いま
はスケッチの状態でしかありません
が、浄書は 5、6 日で完成しそうです。
絶対的な最高傑作とみなしています。
わたしは、この献呈を受けなければ
なりません!」
。完成した《交響曲
第 2 番》は、5 楽章ではなく 4 楽章
であるし、最終的な完成はあと 5、6
日どころか翌 1902 年まで持ち越さ
れることになった。しかし、この作
品のなかでは、たしかに西洋芸術の
源としてのイタリアが息づいている。
1902 年 3 月 8 日 の ヘ ル シ ン キ 大
学大ホールを初日として、
《交響曲
第 2 番 》 は 10 日、14 日、16 日 と
シベリウスの指揮で演奏され、大き
な感動を呼び起こした。当時のフィ
ンランドは圧政を強めるロシア帝国
との極度の緊張状態に置かれていた
から、この音楽のなかに《フィンラ
ンディア》と同じような政治的なメ
ッセージが読み取られたとしても不
思議はない。たとえば、シベリウス
の生前にシベリウス作品の指揮者と
して知られたロベルト・カヤヌスは、
第 2 楽章について「太陽から光を奪
い、我々を元気づける花からその香
りを奪おうとする、すべての不当行
為に対してなされる、断固たる抗議
である」と述べた。シベリウスの音
楽が、政治的圧力のもとに置かれた
フィンランドに希望を与えたとすれ
作曲年代:1901 〜 1902 年
初演:1902 年 3 月 8 日。ヘルシンキ。作曲家
自身の指揮による
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ
ば、それは間違いなく素晴らしいこ
とだ。それと同時に、この交響曲が、
初演当初から、フィンランド精神の
刻印を受けていながらも、これまで
になくユニバーサルな価値をもつ傑
作として評価されたことも、また事
実であった。
実際、シベリウスは《交響曲第 2
番》において、交響曲というヨー
ロッパ器楽の最高形式とみなされる、
きわめて伝統的なジャンルに取り組
みながら、これに新たなる生命を与
えている。もちろん《交響曲第 1 番》
にも同じことがいえるのだが、かな
り荒々しく民族的素材が割り込んで
来ていた《第 1 番》に比べて、
《第 2
番》は、オーケストレーションの手
腕という点でも、全体的なフォルム
の造形という面でも、ずっと洗練さ
れている。第 1 楽章をいわば長大な
導入として扱いながら、力を内に秘
めて進む第 2 楽章を挟んで、スケル
ツォ(第 3 楽章)から壮麗なフィナ
ーレ(第 4 楽章)へと休み無く運ば
れて行く《交響曲第 2 番》の全体の
なかには、まるで大きな上昇曲線が
働いているようである。それは、歴
史的な文脈を超えて、人間全体を勇
気づけるものであるのではなかろう
か。 (藤田 茂)
ット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペッ
ト 3、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパ
ニ 1、弦楽
Philharmony May 2015
[…]シベリウスは、この交響曲を
Program
Program
B
B
第 1810 回 サントリーホール
5/20[水]開演 7:00pm
5/21[木]開演 7:00pm
[指揮]
エド・デ・ワールト
Edo
[conductor]
1810th Subscription Concert / Suntory Hall
20th (Wed.) May, 7:00pm
21st (Thu.) May, 7:00pm
de Waart
※当初発表のデーヴィッド・ジンマン氏から変更になりました
[ヴァイオリン]
[violin]
[コンサートマスター]
[concertmaster]
ギル・シャハム
伊藤亮太郎
Gil Shaham
Ryotaro Ito
シューマン
「マンフレッド」序曲 作品 115(13’)
Robert Schumann (1810-1856)
“Manfred”, incidental music op.115
– Overture
メンデルスゾーン
Felix Mendelssohn Bartholdy (1809-1847)
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品 64
Violin Concerto e minor op.64
(31’)
Ⅰアレグロ・モルト・アパッショナート
Ⅱアンダンテ
Ⅲアレグレット・ノン・トロッポ
―アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
ⅠAllegro molto appassionato
ⅡAndante
ⅢA llegretto non troppo
– Allegro molto vivace
休憩 Intermission
ブラームス
交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 73(46’)
Johannes Brahms (1833-1897)
Symphony No.2 D major op.73
Ⅰアレグロ・ノン・トロッポ
Ⅱアダージョ・ノン・トロッポ
Ⅲアレグレット・グラチオーソ
(クワジ・アンダンティーノ)
Ⅳアレグロ・コン・スピーリト
ⅠAllegro non troppo
ⅡAdagio non troppo
ⅢAllegretto grazioso
(Quasi andantino)
Ⅳ A llegro con spirito
Soloist
ギル・シャハム
Gil Shaham
高度なテクニックとナチュラルな
音楽性をもつ国際的名手。1971 年
どの指揮者やロンドン交響楽団、バ
イエルン放送交響楽団などと演奏し
師事した。以後長年にわたって、リ
サイタル、室内楽、著名オーケスト
N響とは、1989 年以来 5 回共演
しているが、定期への登場は 15 年
アメリカ・イリノイ州生まれ。1981
年 10 歳でデビューし、翌年イスラ
エルのクレアモント・コンクールで
優勝後、ジュリアード音楽院でドロ
シー・ディレイおよびヒョー・カンに
ラや指揮者との共演を重ね続ける。
最近は自身による企画が注目され
ており、
「1930 年代のヴァイオリン
協奏曲」プロジェクトでは、35 の
名曲を、ドゥダメル、ヤンソンスな
た。録音も数多く、近年は自身のレ
ーベル「カナリー・クラシックス」
を創設。使用楽器は 1699 年製スト
ラディヴァリウス「ポリニャック伯
爵夫人」。
ぶり。10 代での初共演時と同じメ
ンデルスゾーンの協奏曲を、40 代
の今いかに聴かせるか、大いに注目
される。
(柴田克彦/音楽評論家)
Philharmony May 2015
©Christian Steiner
ヴァイオリン
Program
Robert Schumann
1810-1856
シューマン
「マンフレッド」序曲 作品 115
B
《マンフレッド》はバイロン
感動の涙とともに作曲の構想をえた。
(1788 〜 1824)の同名の劇詩(1817
その後も頻繁に朗読の会を重ね、完
年刊)に基づく “ 語りと音楽 ” によ
成後に序曲を指揮する姿はマンフレ
る 3 部構成の劇的な詩(Dramatisches
ッドその人のようだったと伝えられ
Gedicht)
。序曲は劇全体を高次に凝
るから、主人公への傾倒が特別だっ
縮し、シューマンの管弦楽のうち最
たことが推測されよう。だが作曲の
高傑作にあげられる。
要因はほかにもあった。ドイツ語版
物語はアルプス山地と古城が舞台。
へのシューマンの書き込みによれば、
不倫の恋人を死に至らしめたマンフ
彼はバイロンの詩法そのものに「言
レッドの自我意識と魂の放浪が語ら
葉とメロディーの合一」を感じ、こ
れていく。ゲーテの『ファウスト』
れに触発されて「誰も聴いたことの
に似通うが、ファウストが知を探求
ない音楽劇」
(リスト宛)の創出を
するのに対し、マンフレッドは反権
目指したのだった。詩と音楽の融合
威を貫いて「自己忘却と無」を渇望
こそは、シューマンの創作の理想だ
する。この点で極めて近代的である。
ったことがここでも思い出される。
シューマンの『マンフレッド』体
験は早い。少年時代に出版業の父が
刊行する文庫本で感動し、やがて 19
歳でバイロンにならってスイスから
イタリアに旅する時も直前にこれを
読んでいる。以後も読書記録に登場
するが創作面に姿を現すのは 38 歳
の年(1848 年)
。ヨーロッパが自由
主義革命の激動にあるなか、
《歌劇
「ゲノヴェーヴァ」
》を完成したシュ
ーマンは、ドイツ語訳『マンフレッ
ド』
(1839 年刊)を妻に朗読するや、
作曲年代:1848 年夏〜秋、ドレスデンで
初 演:序曲は 1852 年 3 月 14 日、シューマン
指揮、ライプツィヒのゲヴァントハウスにて。
劇全体は 1852 年 6 月 13 日、フランツ・リスト指
ち みつ
序曲は緻密で多層的な書法で書か
れ、強い緊張感に覆われている。冒
頭 3 回鳴らされる和音が心の衝動を
告知。ここから始まる音楽は主人公
の心理的プロセスを映すかのようだ。
緩やかな序奏が管楽器の啓示的ファ
ンファーレを合図に「激情的なテン
ポ」に入ると、複数の主題旋律が渦
巻き、中盤で切り込むような下行旋
律が聴き手を揺さぶる。だが渦は鎮
まり、魂の救いが暗示されて最後は
穏やかな響きで閉じる。
(藤本一子)
揮、演出付きでワイマール宮廷劇場にて
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ
ット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペッ
ト 3、トロンボーン 3、ティンパニ1、弦楽
メンデルスゾーン
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品 64
メンデルスゾーンの《ヴァイオリ
ゾーンは 1841 年から両都市間を列
ン協奏曲》は、彼の作品中、最も
車で往き来し、多忙な日々を送るよ
親しまれているもののひとつだろう。
うになる。1843 年にはライプツィ
ロマン的情熱と古典的優雅さ、輝か
ヒの住居を引き払い、ベルリンに本
しい名人芸と堅固な構築性が見事な
拠を移した。しかし、まもなくプロ
均整をとり、この作曲家の魅力を余
イセンの官僚や聖職者たちと対立し、
すことなく伝えている。
1844 年春、失意のうちに彼はベルリ
彼がこの作品を着想したのは 1838
ンを去る。そして、1845 年夏にライ
年夏、29 歳の時だった。1835 年から
プツィヒに戻るまでの 1 年余り、妻
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管
の実家のあるフランクフルトで静養
弦楽団の指揮者を務める一方、1837
しながら過ごしたのである。
年には結婚し、翌年には第一子をも
《ヴァイオリン協奏曲》の作曲が
うけ、公私ともに充実した時期であ
再開されたのは、まさしくこの静養
る。夏の休暇を妻子とともに故郷ベ
期間にあたる。この時期のメンデル
ルリンで過ごした彼は、作曲に集中
スゾーンは公の演奏活動から身をひ
し、
《ヴァイオリン協奏曲》にも取
き、ひとり創作に専念することによ
り組み始めた。当時、ゲヴァントハ
って音楽の本来的な喜びを取り戻し
ウスのコンサートマスターを務めて
ていた。
《ヴァイオリン協奏曲》の
いたフェルディナント・ダーヴィト
(1810 〜 1876)にあてて、
「来シー
ズンには初演したい」と記している
が、実際には作曲は進展しなかった。
本格的な作曲が始められたのは、
着想から 6 年を経た 1844 年夏のこ
とである。実はこの間、彼の身辺に
は大きな変化が起きていた。1840 年
にプロイセン王の強い要請を受け、
ライプツィヒの地位を保持したまま、
ベルリンの職務を兼任するようにな
ったのである。その頃ちょうど鉄道
が開通したこともあり、メンデルス
みずみず
全体に流れる瑞々しい感性と躍動感
は、新たな境地に達しようとする作
曲者の精神的な飛翔の表れにほかな
らないだろう。しかしそれはまた、
彼の早すぎる晩年をも予感させるも
のであった。
《ヴァイオリン協奏曲》
は、メンデルスゾーンが完成させた
最後の管弦楽曲となったのである。
ソナタ形式による第 1 楽章(アレ
グロ・モルト・アパッショナート ホ短
調 2/2 拍子)
、緩徐な第 2 楽章(ア
ンダンテ ハ長調 6/8 拍子)
、短い序
奏(アレグレット・ノン・トロッポ
Philharmony May 2015
Felix Mendelssohn Bartholdy 1809-1847
Program
ホ短調 4/4 拍子)をはさんで、ソナ
タ・ロンドによる第 3 楽章(アレグ
ロ・モルト・ヴィヴァーチェ ホ長調
4/4 拍子)と、作品全体は伝統的な 3
B
楽章制に従っている。楽章間を休み
なく続ける点、第 1 楽章のカデンツ
を(通常の楽章終結ではなく)展開
部終結に置いた点など、いくつもの
形式的な新機軸を打ち出しているが、
この作品の最大の革新性は開始部分
にある。弦楽器とティンパニによる
シンプルな伴奏に導かれ、独奏ヴァ
イオリンが高音域で旋律を弾き始め
る瞬間は、あまりにも美しく自然で
あるがゆえに気づかれないが、協奏
曲の開始として驚くべき大胆さであ
作曲年代:1844 年夏、フランクフルト近郊の
保養地ゾーデンにて
初演:1845 年 3 月 13 日、ニルス・ゲーゼ指揮、
フェルディナント・ダーヴィト独奏、ライプツ
ィヒ・ゲヴァントハウスにて
る。
なお、メンデルスゾーンは 1844
年 9 月 16 日に自筆総譜を脱稿した後、
ダーヴィトの助言を採り入れつつ、
独奏パートを中心に改変した。初演
は翌年 3 月、ダーヴィトの独奏によ
りゲヴァントハウスで行われた。メ
ンデルスゾーンは体調が優れないと
いう理由でフランクフルトを離れず、
指揮は代役のニルス・ゲーゼ(1817
〜 1890)に任せた。不調だったこと
は間違いないが、華々しい公の場を
避けずにはいられなかった、この時
期のメンデルスゾーンの精神面こそ
注目されるべきであろう。
(星野宏美)
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ
ット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペッ
ト 2、ティンパニ 1、弦楽、ヴァイオリン・ソ
ロ
1833-1897
ブラームス
交響曲 第 2 番 ニ長調 作品 73
19 世紀ヨーロッパの作曲家たち
の課題は「いかにしてベートーヴェ
ンを超えるか」であった。特に交響
曲の分野では、ベートーヴェンの 9
曲の交響曲の存在はあまりにも大き
かったのである。ベルリオーズの標
題交響曲やリストの交響詩は、ベー
トーヴェンが踏み込んだ「人生の表
現」という領域を、多彩な管弦楽法
を駆使して追究したものである。他
方においてブラームスは、彼らのよ
うに特定の内容表現は伴わず、あく
だよ」と書いているように、ブラー
ムスは美しい自然に抱かれて、解き
放たれたように美しい旋律を書き続
けることができたのである。しかし
完成は秋に持ち越された。場所は南
ドイツの保養地バーデンバーデン近
郊リヒテンタールである。この地
は、ブラームスとクララ・シューマ
ンが好んで滞在した所でもあり、こ
の時も出会いがあった。10 月 3 日付
のクララの日記には、次のような記
載がある。
「ヨハネスが今晩やって
まで純粋な音の構築によってベート
来て、彼の《第 2 交響曲ニ長調》の
りようが
ーヴェンを凌駕しようと考えたから、
第 1 楽章を弾いてくれた。それは私
その困難はさらに大きかった。こう
を大いにうっとりとさせてくれるも
して《交響曲第 1 番ハ短調》の完成
のだった。その楽章は、創造性にお
(1876 年 9 月)には、その構想から
いて《第 1 交響曲》の第 1 楽章より
は 20 年、具体的に最初のスケッチ
も意義深いと思う。終楽章の一部も
からは 14 年の歳月を要した。
聴いた。私は喜びでいっぱいである。
大仕事を終えたブラームスは、翌
この交響曲によって彼は、聴衆の前
1877 年の夏を、オーストリア南部
でも《第 1 番》以上の決定的な成功
ケルンテン地方、ヴェルター湖畔の
を得るだろう。音楽史もまた、その
保養地ペルチャッハで過ごした。そ
独創性と素晴らしい仕事によって魅
こでの彼は、
《交響曲第 1 番》を 4
了されるだろう」
。
手ピアノ用に編曲するかたわら、す
クララの予想通り、12 月 3 日、ウ
でにこの《交響曲第 2 番ニ長調》の
ィーンでの初演は大成功を収めた。
作曲に着手している。友人の批評家
ところが翌 1878 年 1 月 10 日、ブラ
ハンスリックに宛てて「ヴェルター
ームス自身の指揮によるライプツィ
湖は処女のような土壌だよ。そこで
ヒ、ゲヴァントハウスでの再演は失
はメロディーが飛び交い、踏みつけ
敗に終わった。落胆したブラームス
ないように用心する必要があるほど
は、1 月 13 日、出版社ジムロックへ
Philharmony May 2015
Johannes Brahms
Program
の手紙では、第 1 楽章を書き直そう
かと提案している。幸いにしてその
改作は行われず、私たちはこの美し
い第 1 楽章をそのままの形で楽しむ
B
ことができるのである。
第 1 楽章は序奏を持たず、いきな
り低弦による特徴的な基本動機(ニ
– 嬰ハ – ニ)と、ホルンによる牧歌
的な第 1 主題によって開始される。
第 1 ヴァイオリンによって紡ぎ出さ
れる優しい旋律も、基本動機と関係
している、ヴィオラとチェロが大ら
かに歌う第 2 主題はイ長調。第 2 主
題部は歯切れの良い付点音符による
新素材を得て盛り上がり、再び第 2
主題で締めくくられる。入念に構成
された展開部、楽器法に工夫を凝ら
された再現部を経て、徐々に消え入
るようなコーダが、ティンパニの弱
奏によるロールをもって印象的に楽
章を閉じる。
第 2 楽章のアダージョは、自由
な構成による美しい緩徐楽章である。
チェロが歌う主要主題は、アウフタ
クト(弱起)から始まり、拍節と有
機的なフレージングのずれが、微妙
な美しさを生んでいる。
作曲年代:1877 年 9 月、バーデンバーデン近
郊リヒテンタールで完成
初演:1877 年 12 月 30 日にウィーンにてハン
ス・リヒターの指揮で
第 3 楽章はロンド形式だが、2 つ
の中間部を持ったスケルツォとも考
えられる。ただしここでは主要部
がアレグレット・グラチオーソとゆ
ったりした動きなのに対して、2 つ
の中間部はどちらもプレスト・マ・ノ
ン・アッサイと、速い動きであると
ころが、常識の逆を行っている。
第 4 楽章は、アレグロ・コン・スピ
ーリトの軽快なフィナーレ。ソナタ
形式で構成され、第 1 主題は冒頭か
ら弦の斉奏で開始される。第 2 主題
は、第 1 ヴァイオリンとヴィオラに
よって開始される大らかな賛歌とし
て発展する。この主題は長いコーダ
においても中心素材として用いられ、
このブラームスの「田園交響曲」を、
喜びに満ちて締めくくっている。
ブラームスは、
《交響曲第 1 番》
においては、同じハ短調で書かれた
ベートーヴェンの《交響曲第 5 番
「運命」
》の超克を試みた。さらにこ
の《第 2 番》においては、ベートー
ヴェンの《第 6 番「田園」
》の世界を、
自分なりに発展させることを試みて、
かつ成功したのである。
(樋口隆一)
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ
ット 2、ファゴット 2、ホルン 4、トランペッ
ト 2、トロンボーン 3、テューバ 1、ティンパ
ニ 1、弦楽
C
第 1809 回 NHKホール
5/15[金]開演 7:00pm
5/16[土]開演 3:00pm
[指揮]
エド・デ・ワールト
[conductor] Edo
1809th Subscription Concert / NHK Hall
15th (Fri.) May, 7:00pm
16th (Sat.) May, 3:00pm
de Waart
※当初発表のデーヴィッド・ジンマン氏から変更になりました
[メゾ・ソプラノ]
[mezzo soprano]
[コンサートマスター]
[concertmaster]
マレーナ・エルンマン*
伊藤亮太郎
ラヴェル
組曲「マ・メール・ロワ」
(17’)
Ⅰ眠りの森の美女のパヴァーヌ
Ⅱ一寸法師
Ⅲパゴダの女王レドロネット
Ⅳ美女と野獣の対話
Ⅴ 妖精の園
ラヴェル
シェエラザード*(18’)
Ⅰアジア
Ⅱ魔法の笛
Ⅲつれない人
Malena Ernman*
Ryotaro Ito
Maurice Ravel (1875-1937)
“Ma mère l’oye”, suite
ⅠPavane de la belle au bois dormant
ⅡPetit poucet
ⅢLaideronnette, Impéatrice des Pagodes
ⅣLes entretiens de la belle et de la bête
ⅤLe jardin féerique
Maurice Ravel
Schéhérazade*
ⅠAsie
ⅡLa flûte enchantée
ⅢL’indifférent
休憩 Intermission
ショーソン
「愛と海の詩」作品 19 *(28’)
Ⅰ水の花
間奏曲
Ⅱ愛の死
Ernest Chausson (1855-1899)
“Poème de l’amour et de la mer”, op.19 *
ⅠLa fleur des eaux
Interlude
ⅡLa mort de l’amour
ドビュッシー
交響詩「海」
(25’)
Claude Debussy (1862-1918)
“La mer”, trois esquisses symphoniques
Ⅰ海の夜明けから真昼まで
たわむ
Ⅱ波の戯れ
Ⅲ風と海との対話
ⅠDe l’aube à midi sur la mer
ⅡJeux de vagues
ⅢDialogue du vent et de la mer
Philharmony May 2015
Program
Soloist
Program
メゾ・ソプラノ
マレーナ・エルンマン
C
Malena Ernman
スウェーデンのメゾ・ソプラノ。
スウェーデン王立音楽アカデミー、
2005 年にはフィリップ・ブスマンス
の新作オペラ《ジュリー》初演でタ
びパリで上演されたヘンデル《アグ
リッピーナ》ネローネ役が絶賛され
年にはユーロヴィジョン・ソング・コ
ンテストにスウェーデン代表として
フランスのオルレアン音楽院、スト
ックホルム国立オペラ学校で学ぶ。
1998 年、サンドストレムのオペラ
《町》カヤ役でオペラ・デビュー。
2000 年 5 月、ブリュッセルおよ
人気を決定付けた。ヘンデル、モー
ツァルト、ロッシーニのオペラで
活躍する一方、ビゼー《カルメン》
タイトル・ロールも得意としている。
イトル・ロールを歌い、同オペラを
大成功に導く。演奏会活動も盛んで、
特に近現代歌曲に定評がある。
エルンマンはジャズやポップス、
ミュージカルも好んで歌い、2009
参加しているほどで、ジャンルを超
えて幅広く活躍する多才な歌手であ
る。NHK交響楽団とは初共演。
(吉田光司/音楽評論家)
1875-1937
ラヴェル
組曲「マ・メール・ロワ」
《マ・メール・ロワ》は、ラヴェルが
信頼を寄せる大切な友人たちとの出
会いや交流から生まれた。ラヴェル
は 1904 年 6 月に、盟友であるピア
ニスト、リカルド・ビニェスの仲介で
ゴデブスキ夫妻に出会った。親しい
友人となった夫妻の子供たち、ミミ
とジャンのために、ラヴェルはシャ
ルル・ペローの童話集『マ・メール・ロ
ワ(マザー・グース)の物語』
(1697
年)にヒントを得たピアノ連弾のた
めの作品を作曲した。このピアノ連
弾版が初演されたのは、ラヴェルを
はじめとするフォーレの弟子たちが
中心となって立ち上げた独立音楽協
会の第 1 回コンサートである。また
バレエ用に管弦楽化するよう依頼し
たのは、テアトル・デ・ザールの支配
人、ジャック・ルーシェであった。こ
れがラヴェルのバレエ第 1 作となる
(ルーシェはその後 1914 年にオペラ
座の監督に就任し、ラヴェルに音楽
幻想劇《こどもと魔法》を依頼する
ことになる)
。
今回演奏される管弦楽組曲版は、
作曲年代:ピアノ連弾版は 1908 〜 1910 年。
管弦楽版およびバレエ版は 1911 年
初演:ピアノ連弾版は 1910 年 4 月 20 日、パリ、
サル・ガヴォー(独立音楽協会)
。バレエ版は
1912 年 1 月 29 日、パリ、テアトル・デ・ザール
楽器編成:フルート 2(ピッコロ 1)、オーボ
新しい曲を追加したバレエ版とは異
なり、ピアノ連弾版と同じ曲目構成
である。 第 1 曲〈 眠 り の 森 の 美 女
のパヴァーヌ〉は、ペローの童話集
の中の物語が、ラヴェルお気に入り
のパヴァーヌ(宮廷舞踏)風に仕立
てられている。フルート、クラリネ
ット、ヴァイオリンが交替で優雅な
旋 律 を 担 当 す る。 第 2 曲〈 一 寸 法
師〉もペローの童話集から。変拍子
が特徴的で途中に鳥の声が再現され
る。第 3 曲〈パゴダの女王レドロネ
ット〉は M.-C.ドルノワのおとぎ話
「緑の蛇」に基づく。機械的な動きが
木管楽器やチェレスタで楽しく表現
される。第 4 曲〈美女と野獣の対話〉
は J.-M.L.ド・ボーモンの物語集からと
られている。クラリネットの奏でる
美女とコントラファゴットの奏でる
野獣の対話が目に浮かぶようである。
そして第 5 曲〈妖精の園〉は眠りの
森の美女が夢から目覚めた場面であ
る。最後はハープとチェレスタのグ
リッサンドが加わり、きらめくよう
な華やかさで終わる。 (安川智子)
エ 2(イングリッシュ ・ ホルン 1)、クラリネ
ット 2、ファゴット 2(コントラファゴット
1)、ホルン 2、ティンパニ 1、トライアングル、
シンバル、サスペンデッド・シンバル、大太
鼓、タムタム、シロフォン、グロッケンシュ
ピール、ハープ 1、チェレスタ 1、弦楽
Philharmony May 2015
Maurice Ravel
Program
Maurice Ravel
1875-1937
ラヴェル
シェエラザード
C
異国趣味の芸術家には、実際にそ
の地に足を運ぶ者と、旅をせずに想
第 1 曲〈アジア〉の冒頭は、オー
ボエの旋法的な主題と、歌い手によ
像力で異国を喚起する者がいる。ス
る呪文のような「アジア」への呼び
ペイン人の母をもち、一度はモロ
かけで魔術的な雰囲気を帯びている。
ッコを訪れたモーリス・ラヴェルだ
繰 り 返 し 現 れ る「Je voudrais...( 私
が、少なくとも東洋については後者
は……したい)
」のフレーズは、作
のタイプといえよう。ラヴェルの想
品全体のテーマでもある未知への憧
像力にとって「未知」であることは
重要な意味をもつ。未知の国、おそ
らくは「ここ」より美しい夢の世界
を、ラヴェルは生涯にわたり愛した。
このメゾ・ソプラノと管弦楽のため
の《シェエラザード》は、ラヴェル
あこが
のそうした異国への憧れが生んだ最
あこが
れと官能を呼び覚ます。海の波を思
わせる「ゆれ」の動機を背景に、巧
みに変化する管弦楽の多彩な響きが、
花々の咲く島、ペルシャ、インド、
中国の想像的情景を喚起する。第 2
曲〈魔法の笛〉では管弦楽が一転し
て簡素になる。主人の午睡中、若者
初の大規模な声楽曲である。
の笛の音に耳をすませる付き人の少
《シェエラザード》の歌詞は、ラ
女の恋心と控えめな官能が、即興風
ヴェルが属していた芸術家グループ
の独奏フルートと絡み合う。第 3 曲
「アパッシュ」での友人、トリスタ
ン・クリングゾルによる同名の詩集
〈つれない人〉で管弦楽は最小限に
なり、弦によるオクターヴや 5 度の
から採られた。
『千一夜物語』を題
一貫した平行の響きが、非現実的な
材にした各詩は異なる長さと雰囲気
印象を強くする。女性の誘いにもす
をもつが、ラヴェルは朗唱風の節づ
げなく立ち去る美しい若者は、手の
けと豊饒かつデリケートな管弦楽法
届かぬラヴェルの「幻想の異国」そ
によってそれらを見事に描き分けて
のものであろうか。
ほうじよう
いる。
作曲年代:1903 年
初演:1904 年 5 月 17 日、アルフレッド・コル
トー指揮、独唱ジャンヌ・アット、国民音楽協
会、パリのサル・デュ・ヌーヴォー・テアトルにて
楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ
2、イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、
(関野さとみ)
ファゴット 2、ホルン 4、トランペット 2、ト
ロンボーン 3、テューバ 1、ティンパニ 1、ト
ライアングル、タンブリン、小太鼓、サスペ
ンデッド・シンバル、大太鼓、タムタム、グ
ロッケンシュピール、ハープ 2、チェレスタ 1、
弦楽、メゾ・ソプラノ・ソロ
Ravel
シェエラザード 歌詞対訳
Schéhérazade
対訳:博多かおる
Translation: Kaoru Hakata
I Asie
第 1 曲 アジア
Asie, Asie, Asie,
Vieux pays merveilleux des contes de nourrice
Où dort la fantaisie
Comme une impératrice
En sa forêt tout emplie de mystère.
アジア、アジア、アジア
Asie,
Je voudrais m’en aller avec la goëlette
Qui se berce ce soir dans le port,
Mystérieuse et solitaire
Et qui déploie enfin ses voiles violettes
Comme un immense oiseau de nuit dans le
ciel d’or.
アジアよ
Je voudrais m’en aller vers les îles de fleurs
En écoutant chanter la mer perverse
Sur un vieux rythme ensorceleur
わたしは花咲く島々へと向かいたい
Je voudrais voir Damas et les villes de Perse
Avec les minarets légers dans l’air;
Je voudrais voir de beaux turbans de soie
Sur des visages noirs aux dents claires;
Je voudrais voir des yeux sombres d’amour
Et des prunelles brillantes de joie
En des peaux jaunes comme des oranges;
Je voudrais voir des vêtements de velours
Et des habits à longues franges.
モスクの尖塔がすらりと空に突き出す
Je voudrais voir des calumets entre des bouches
Tout entourées de barbe blanche;
Je voudrais voir d’âpres marchands aux
regards louches,
Et des cadis, et des vizirs
おとぎ話に出てくる古い魔法の国々。
そこには幻想が眠っている
神秘がつまった森の
女王のように。
わたしは旅立ちたい
こ よい
今宵、港で波に優しく揺られ
ぽつねんといる謎めいた帆船に乗って
船はついに紫の帆を広げる
金色の空を飛ぶ大きな夜鳥のように
太古からの誘惑のリズムで
性悪な海が歌うのを聴きながら
ダマスカスやペルシャの町々を見たい
白い歯が光る黒い顔のまわりに巻かれた
美しい絹のターバンを見たい
オレンジに似た黄色い肌に宿る
かげ
愛に翳った目や
よろこ
歓びに輝く瞳を見たい
ビロードの衣や
長い縁飾りのついた衣装を見たい
わたしは見たい、白いひげが囲む
口にくわえられた長いパイプを
怪しげな目つきをした欲の深い
商人たちを
イスラムの裁判官たちや大臣たちを
Philharmony May 2015
ラヴェル
Program
C
Qui du seul mouvement de leur doigt qui se
penche
Accorde vie ou mort au gré de leur désir.
この人たちは、指をほんの少し
Je voudrais voir la Perse, et l’Inde et puis la
Chine,
Les mandarins ventrus sous les ombrelles,
Et les princesses aux mains fines,
Et les lettrés qui se querellent
Sur la poésie et sur la beauté;
わたしはペルシャ、インド、そして
Je voudrais m’attarder au palais enchanté
Et comme un voyageur étranger
Contempler à loisir des paysages peints
Sur des étoffes en des cadres de sapin
Avec un personnage au milieu d’un verger;
わたしは魔法の宮殿にいつまでもいたい
Je voudrais voir des assassins souriant
Du bourreau qui coupe un cou d’innocent
Avec son grand sabre courbé d’Orient.
わたしは見たい、オリエントの
Je voudrais voir des pauvres et des reines;
Je voudrais voir des roses et du sang;
Je voudrais voir mourir d’amour ou bien de
haine.
わたしは見たい、貧者と女王を
Et puis m’en revenir plus tard
Narrer mon aventure aux curieux de rêves
En élevant comme Sindbad ma vieille tasse
arabe
De temps en temps jusqu’à mes lèvres
Pour interrompre le conte avec art...
そしていつか戻ってきたい
II La flûte enchantée
第 2 曲 魔法の笛
L’ombre est douce et mon maître dort,
Coiffé d’un bonnet conique de soie
Et son long nez jaune en sa barbe blanche.
Mais moi, je suis éveillée encor
Et j’écoute au dehors
Une chanson de flûte où s’épanche
Tour à tour la tristesse ou la joie,
Un air tour à tour langoureux ou frivole
闇は心地よく、ご主人様は眠っています
傾けるだけで
人を生かすも殺すも、気のおもむくまま
中国を見たい
日傘をさした太鼓腹の高官たちを見たい
きゃしゃな手をしたお姫様たちや
詩と美について
議論を戦わす文人たちを見たい
そして異国の旅人のように
ゆったりと眺めていたい
モミの額が縁取る織物に描かれた
果樹園にひとり人物がたたずむ風景を
曲がった大刀で罪なき者の首を切る
執行人を見て微笑む殺人者たちを
ば ら
薔薇と血を
人が愛や憎しみで死ぬのを
夢想好きな人々にわたしの冒険を語りたい
シンドバッドのように、アラビアの
古い杯を
ときどき、唇に運び
物語に巧みに休止を入れながら……
先がとがった絹の帽子をかぶり
長く黄色い鼻を白いひげに埋めて
でもわたしはまだ目覚めています
家の外に耳を澄まし
悲しみを訴えたかと思えば喜びを歌う
笛の調べを聴いているのです
愛しい恋人が奏でる
もの う
時に物憂く、時に浮かれた歌です
窓に近づくと
一つ一つの音が
ほお
笛からわたしの頰に飛んで来るようです
不思議なキスのように
III L’indifférent
第 3 曲 つれない人
Tes yeux sont doux comme ceux d’une fille,
Jeune étranger,
Et la courbe fine
De ton beau visage de duvet ombragé
Est plus séduisante encore de ligne.
あなたの目は乙女の目のように優しい
Ta lèvre chante
Sur le pas de ma porte
Une langue inconnue et charmante
Comme une musique fausse...
Entre ! Et que mon vin te réconforte...
あなたの唇は歌う、
Mais non, tu passes
Et de mon seuil je te vois t’éloigner
Me faisant un dernier geste avec grâce
Et la hanche légèrement ployée
Par ta démarche féminine et lasse...
ああ、でもあなたは通り過ぎていく
若き異国の人よ
薄いひげに覆われた美しい顔の
きゃしゃな曲線は
乙女の顔の輪郭よりも魅力的
うちの戸口で
私の知らぬ美しい言葉を
調子の狂った音楽のように……
入って! この酒で力をつけて……
遠ざかって行く姿が戸口から見える
優美な別れの合図を私に送り
女のようなけだるい足取りで
腰を軽く振りながら去っていくあなたが
Philharmony May 2015
Que mon amoureux chéri joue,
Et quand je m’approche de la croisée,
Il me semble que chaque note s’envole
De la flûte vers ma joue
Comme un mystérieux baiser.
Program
Ernest Chausson
1855-1899
ショーソン
「愛と海の詩」作品 19
C
1882 年から 1890 年にかけて作曲
身の作品を並行して進めながら《愛
された《愛と海の詩》は、ショーソ
と海の詩》の最後の仕上げを行った。
ンがワーグナーとドビュッシーの架
け橋となったことを象徴する作品で
ある。詩人も音楽家も皆ワーグナ
作品は第 1 部〈水の花〉
、第 2 部
〈愛の死〉からなる。第 1 部と第 2
部はそれぞれショーソンの友人であ
ーに夢中になっていた 1880 年代の
る同年齢の詩人モーリス・ブショー
フランスにおいて、ショーソンは誰
ルの詩集『愛と海の詩』から 3 編ず
よりもワーグナーの響きをわが物と
つを取り上げ、管弦楽によって曲間
して自分の作品の中に取り込んだ。
をつないだ 3 曲ずつの歌曲となって
1879 年夏にミュンヘンでワーグナ
い る。 ま た 第 1 部 と 第 2 部 の 間 に
ーの作品を聴いた時から、ショーソ
は独立した〈間奏曲〉が奏でられ
ンのワーグナー詣では始まった。翌
る。第 1 部と第 2 部はリラの花、バ
年にミュンヘンで聴いた《トリスタ
ラ、愛、海という共通の単語で関連
ンとイゾルデ》からは衝撃を受けた。
づけられている。リラの花の香りが
その後 1882 年にはバイロイトで《パ
恋の希望を彩る第 1 部は、第 2 曲の
ルシファル》の初演を聴き、その年
終わりでバラの雨が降った後暗転す
に《愛と海の詩》に取りかかり始め
る。第 1 部第 1 曲と第 2 曲をつなぐ
ている。1883 年に結婚したショーソ
間奏部の憂いを含んだ旋律は〈間奏
ンは、妻のジャンヌとバイロイトへ
曲〉に引き継がれ、さらに失われた
出かけるようになった。そして 1889
愛を歌う第 2 部第 3 曲の「リラの花
年のバイロイトに同行したのがドビ
咲く季節」の歌唱旋律へと変容する。
ュッシーである。育ちがよく誰にで
も親切なショーソンをドビュッシー
は慕った。1893 年から《ペレアスと
メリザンド》に取り組み始めたドビ
ュッシーに目をかけつつ、ショーソ
ンはその楽譜を見ることを拒み、自
作曲年代:1882 〜 1890 年、1893 年改訂
初演:1893 年 4 月 8 日、パリ、ガブリエル・マ
リー指揮、独唱エレオノール・ブラン、国民音
楽協会
みずみず
第 1 部冒頭の瑞々しい「リラ」の響
きに、第 2 部の最後で「リラとバラ
の季節は二人の愛とともに永遠に死
に絶えた」と悲劇的に歌われる「リ
ラ」の音が美しく呼応している。
(安川智子)
楽器編成:フルート 2、オーボエ 2、クラリネ
ット 2、ファゴット 2、ホルン 2、トランペッ
ト 2、トロンボーン 3、ティンパニ 1、ハープ
1、弦楽、メゾ・ソプラノ・ソロ
Chausson
“Poème de l’amour et de la mer”, op.19
対訳:博多かおる
Translation: Kaoru Hakata
I La fleur des eaux
第 1 部 水の花
L’air est plein d’une odeur exquise de lilas
Qui, fleurissant du haut des murs jusques en
bas,
Embaument les cheveux des femmes.
La mer au grand soleil va toute s’embraser,
Et sur le sable fin qu’elles viennent baiser
Roulent d’éblouissantes lames.
空気はかぐわしいリラの香りに満ち
Ô ciel qui de ses yeux dois porter la couleur,
Brise qui vas chanter dans les lilas en fleur
Pour en sortir tout embaumée,
Ruisseaux, qui mouillerez sa robe, Ô verts
sentiers,
Vous qui tressaillirez sous ses chers petits
pieds,
Faites-moi voir ma bien aimée!
ああきっと 彼女の目の色を映す空よ
Et mon cœur s’est levé par ce matin d’été;
Car une belle enfant était sur le rivage,
Laissant errer sur moi des yeux pleins de
clarté,
Et qui me souriait d’un air tendre et sauvage.
Toi que transfiguraient la jeunesse et l’amour,
Tu m’apparus alors comme l’âme des choses;
Mon cœur vola vers toi, tu le pris sans retour,
Et du ciel entr’ouvert pleuvaient sur nous des
roses.
Quel son lamentable et sauvage
Va sonner l’heure de l’adieu!
La mer roule sur le rivage,
Moqueuse, et se souciant peu
石垣の上から下までいっぱいに
咲き誇る花々は
女たちの髪に香りをうつす。
輝く陽のもと海は今にも燃え上がりそう
細やかな砂の上に、まばゆい波たちが
口づけしに来ては引いていく。
花咲くリラの中を歌いながら吹き抜け
た
か
薫きしめられて駈け去るそよ風よ
すそ
あの人の衣の裾を濡らすかもしれない
小川よ
彼女の小さな足の下で震える緑の
こ みち
小径よ
愛しい人に会わせてほしい。
私の心はその夏の朝に目覚めた
たたず
美しい少女が浜辺に佇んでいたから
彼女は光に満ちた視線を私の上に
さまよわせ
優しく人慣れぬ様子で微笑んでいた。
青春と愛に光り輝いた君
その時、君は万物の魂のように現れた
かけ
とら
君へと翔った私の心は永遠に囚われ
開いた空から二人の上にバラの花が
降った。
今や何と哀れっぽく残酷な音色で
とき
別れの刻が鳴ろうとしているのか!
あざけ
海は嘲るように浜辺に寄せては返し
ほとんど気にかけてもくれない、
Philharmony May 2015
ショーソン 「愛と海の詩」作品 19 歌詞対訳
Program
C
Que ce soit l’heure de l’adieu.
別れの時が来たことなど。
Des oiseaux passent, l’aile ouverte,
Sur l’abîme presque joyeux;
Au grand soleil la mer est verte,
Et je saigne, silencieux,
En regardant briller les cieux.
鳥たちは翼を広げ、深淵の上を飛ぶ
Je saigne en regardant ma vie
Qui va s’éloigner sur les flots;
Mon âme unique m’est ravie
Et la sombre clameur des flots
Couvre le bruit de mes sanglots.
波間に遠ざかっていく私の命を見て
Qui sait si cette mer cruelle
La ramènera vers mon cœur?
Mes regards sont fixés sur elle;
La mer chante, et le vent moqueur
Raille l’angoisse de mon cœur.
このつれない海はいつかあの人を
II La mort de l’amour
第 2 部 愛の死
Bientôt l’île bleue et joyeuse
Parmi les rocs m’apparaîtra;
L’île sur l’eau silencieuse
Comme un nénuphar flottera.
もうすぐ青い陽気な島が
A travers la mer d’améthyste
Doucement glisse le bateau,
Et je serai joyeux et triste
De tant me souvenir ------- bientôt!
アメジスト色の海を分けて
Le vent roulait les feuilles mortes;
mes pensées
Roulaient comme des feuilles morte,
dans la nuit.
Jamais si doucement au ciel noir n’avaient lui
Les mille roses d’or d’où tombent les rosées!
枯れ葉は風に舞い散っていた、
Une danse effrayante, et les feuilles froissées,
Et qui rendaient un son métallique, valsaient,
Semblaient gémir sous les étoiles, et disaient
不気味な踊りだ、皺くちゃの木の葉は
その姿は楽しげなくらい。
輝く太陽に照らされて海は緑に光り
私は黙って心から血を流す
大空が輝くのを見つめながら。
心が裂けてしまいそうだ
無二の魂を取り上げられた
私のすすり泣きを
いんうつ
波の陰鬱な叫びがかき消す。
私の心へ連れ戻してくれるだろうか?
私の目は海に注がれたまま。
海は歌い、冷やかし好きな風は
私の心の不安をからかう。
岩間から姿を現すだろう
島は静まり返った海に
スイレンのように漂っているだろう。
船はゆったりと滑りゆき
私の心は浮き立ち、悲しみに曇るだろう
思い出があふれてくるから、もうすぐ!
私の想いは
枯れ葉のように舞い散っていった、
闇の中に。
露のしずくを降らせる無数の金のバラが
黒い空であんなに優しく輝いた例はない
しわ
金属的な音を立ててワルツを舞い
星々の下でうめくように語った
死に絶えた愛の言葉にならぬ苦しみを。
Les grands hêtres d’argent que la lune baisait
Etaient des spectres: moi, tout mon sang se
glaçait
En voyant mon aimée étrangement sourire.
月がキスする銀の大きなブナの樹々は
Comme des fronts de morts nos fronts avaient
pâli,
Et, muet, me penchant vers elle, je pus lire
Ce mot fatal écrit dans ses grands yeux:
l’oubli.
私たちの額は死者の額のように
Le temps des lilas et le temps des roses
Ne reviendra plus à ce printemps-ci;
Le temps des lilas et le temps des roses
Est passé, le temps des œillets aussi.
リラの花咲く季節もバラの花咲く時も
Le vent a changé, les cieux sont moroses,
Et nous n’irons plus courir, et cueillir
Les lilas en fleur et les belles roses;
Le printemps est triste et ne peut fleurir.
風向きが変わり、空は陰鬱だ
Oh! joyeux et doux printemps de l’année,
Qui vins, l’an passé, nous ensoleiller,
Notre fleur d’amour est si bien fanée,
Las! que ton baiser ne peut l’éveiller!
ああ、昨年私たちを明るく照らした
Et toi, que fais-tu? pas de fleurs écloses,
Point de gai soleil ni d’ombrages frais;
Le temps des lilas et le temps des roses
Avec notre amour est mort à jamais.
そして君はどうしている? 咲く花も
亡霊たちで、わたしは全身の血が凍る
思い
愛しい人が奇怪な笑いを浮かべるのを
見て。
青ざめていた
言葉もなく、あの人の方へ身を屈めると
大きな目の中に不吉な言葉が読めた、
「忘却」と。
この春はもう戻って来ない。
リラの季節とバラの季節は
過ぎ去ったのだ、ナデシコの季節も。
私たちはもう野を駆けに行って
花咲くリラや見事なバラを摘まない
春はわびしい、春はもう花開かない
陽気な優しい春よ、
二人の愛の花はしおれてしまった
何と! 君のキスでも目覚めないほどに。
楽しげな太陽も、さわやかな木陰もない
リラの季節とバラの季節は
二人の愛とともに永遠に死に絶えた。
Philharmony May 2015
L’inexprimable horreur des amours trépassés.
Program
Claude Debussy
1862-1918
ドビュッシー
交響詩「海」
C
《海》は、ドビュッシーの代表的
な管弦楽曲。幼い頃船乗りになる
1. 海の夜明けから真昼まで かすか
な音の層の中からチェロの逆付点の
夢を抱いたドビュッシーにとって、
動きとヴィオラの上行音列が立ち昇
「海」はとくに身近な存在だったに
り、ここから様々な要素が紡ぎださ
ちがいない。1902 年に念願の《ペ
れる。そしてあたかも音が自分の内
レアスとメリザンド》の上演を果た
部から推進力を得るかのように構成
し、一時脱力状態に陥った彼を再び
されていく。やがて一貫して聞か
奮起させるのにうってつけの題材だ
れる不変の循環主題がイングリッ
ったろう。しかし《海》の創作は、
シュ・ホルンとトランペットに現れ、
私生活上、感情の嵐ともいえる時期
音響空間を広げる。
と重なる。ドビュッシーは《海》を
2. 波の戯 れ トレモロ上の細かな分
たわむ
手がけた頃、作曲の弟子の母親エン
散和音、トリル、和音の細かな連打、
ひ
マ・バルダックに急速に惹 かれてい
走句などがたえず交代する。この不
く。ふたりのことを知った妻リリー
断の生成こそタイトルにふさわしい。
がピストル自殺を図り、一大スキャ
3. 風と海との対話 まず低音弦の一
ンダルとなる。この間彼は黙したま
陣の風のような楽句とオーボエの半
ま、ずっと抱えていた《海》の作曲
音の動きが対比されたあと、トラ
に没頭した。ようやく完成したのは、
ンペットで不動の循環主題が響き渡
伝統的形式の枠組みからあふれ出す
る。それから第 1 楽章の終わりに現
響きの想像力が音楽になったといえ
れたコラール風の楽句が遠くに聞こ
るような新しい作品であった。1905
え、再び凄まじい “ 対話 ” が行われ
年 7 月に出版されたオーケストラ譜
る。そしてほぼ全金管がコラールを
の表紙には、葛飾北斎の版画『富嶽
高らかに響かせるのを合図に、すべ
三十六景』の一枚「神奈川沖浪裏」
ての要素と縮小された循環主題がう
のデザインが使われた。
たい上げられる。 (松橋麻利)
作曲年代:1903 年 8 月〜 1905 年 3 月
初演:1905 年 10 月 15 日、ラムルー演奏会、
カミーユ・シュヴィヤール指揮
楽器編成:フルート 2、ピッコロ 1、オーボエ 2、
イングリッシュ・ホルン 1、クラリネット 2、フ
すさ
ァゴット 3、コントラファゴット 1、ホルン 4、
トランペット 3、コルネット 2、トロンボーン
3、テューバ 1、ティンパニ 1、大太鼓、トラ
イアングル、サスペンデッド・シンバル、タム
タム、グロッケンシュピール、ハープ 2、弦楽
バルトークの音楽の向こう側
《ヴァイオリン協奏曲第 2 番》と募兵の舞踊
文
伊東信宏
バルトークの音楽は、時としてあ
後の時代には、そのような野草を土
まりにも無機的で冷たい、という非
がついたまま皿に盛って、さあこれ
難をうけることがある。それは、彼
が新しい時代の料理だ、と居直ると
の音楽が特定の数的秩序の上に築か
いう手も出てきたし、料理店だのコ
れているというような学説が広まっ
ースだのという既成の制度自体を否
てしまった、というような事情の故
定してしまう、というやり方も出て
かもしれない。だが、より根本的な
くる。それと比べれば、バルトーク
問題は、バルトークの音楽が常に意
は既成のジャンルや制度自体は温存
識していた「野生」が、今日の聴衆
したわけだから、その意味では保守
に想像できなくなってしまっている、
的だった、とはいえるだろう。だが、
ということにあるのではないか、と
甘ったるいロマンチシズムを拒絶す
思われる。実際のところ、彼の音楽
るその激しさの点では、バルトーク
は、どれほど抽象的な作品であって
の音楽は後の時代のわかりやすい
も、彼がこだわり、熱心に探求し続
「前衛」よりもよほど徹底していた。
けた農村の音楽実践と、どこかでつ
ながっていた。あるいは少なくとも、
そのような「野生」の音楽実践と
きつこう
《ヴァイオリン協奏曲第 2 番》と
募兵の舞踊
拮抗できるように書かれていた。彼
今回演奏されるヴァイオリン協奏
がやろうとしていたことは、飼いな
曲の場合、重要な役割を果たす主
らされない「野生」の素材の、その
題は 3 つある。第 1 楽章冒頭の主題、
ごつごつとした風合いや珍しい風味
その次にあらわれる十二音技法的主
を矯めることなく、既成のジャンル
題、そして第 2 楽章の変奏の主題の
に活かすことだった。言ってみれば、
3 つである(第 3 楽章は、第 1 楽章
彼は野草を採ってきてその苦みを活
のヴァリアントと言える)
。すべて
かしながら、新しいコースにとけこ
について触れる紙数はないので、第
ませようとしている料理長のような
1 楽章冒頭の主題について見てみよ
ことをしていたわけだ。もちろん、
う。この主題は、やはり一見とっつ
た
Philharmony May 2015
シリーズ 名曲の深層を探る 第 26 回
名曲の深層を探る
図 1 募兵 の現場を描 いた絵。左手 に弦楽器 やツィンバロン、ズルナ風 の楽器 を演奏する音楽家達。そして右手 に
杯 を挙 げながら踊 る兵士達(所蔵:ブダペスト民族博物館)
きにくい抽象的な旋律に聞こえるが、
楽とともに、勇ましいダンスを踊っ
よく観察してみるとこれがハンガリ
て、さあこのように雄々しい立派
ーの農村で、村に住み着いたロマの
な兵隊に貴方もなりませんか、と若
ヴァイオリン弾きの奏する旋律をモ
。そんな情景
者たちを誘う(図 1)
デルとしていたことがわかってくる。
は、たとえばオペレッタなどでもお
それは 19 世紀にはよく知られて
馴染みのもので、ハンガリー国内よ
いた「ヴェルブンコシュ」というジ
りもむしろ外国で(たとえばすぐお
ャンルに近いものだった。もとも
隣のウィーンで)異国情緒を誘う音
と「ヴェルブンコシュ」とは、ドイ
楽(やダンス)として知られ、19 世
ツ語のヴェルブンク(募集する)に
紀の「ハンガリー風」音楽の定番と
由来するハンガリー語で、その名の
なっていった。
とおり、兵隊を募集するための音楽
である。村の広場などに、立派な軍
にぎ
な じ
野生のヴェルブンコシュ
服を着た、賑やかな一団がやってき
バルトークは、基本的にはそのよ
て、村人の注目を集め、人が集まっ
うなハンガリーに対する「異国趣
てくると「ヴェルブンコシュ」の音
味」的な関心を拒絶し、もっと「真
り農村の民謡を基盤として、ハンガ
リー音楽を立ち上げる、という立
場だったので、
「ヴェルブンコシュ」
に近づくことは、本来はバルトーク
にとって、タブーであった。
しかし、実際に農村に行って、ロ
マたちが弾く「ヴェルブンコシュ」
の原型(いわば「野生」のヴェルブ
ンコシュ)とも思われるものに接し
て以来、彼の考えは次第に変わって
ゆく。彼は後にその種の旋律を「英
雄的で、行進曲風の旋律」と評する
ことになるが、それを自分の作曲に
活かす最初の試みは、1928 年に作曲
された 2 つの《ラプソディー》だっ
た。もともとヴァイオリンとピアノ
のために書かれ、後にはオーケスト
ラ伴奏版も作られたこの 2 曲のラプ
ソディーは、ほぼ同じ時期に書かれ
た兄弟作品である。ここで彼は、自
分がかつて農村で集めた様々な器楽
旋律をコラージュのように配し、ア
レンジしている。それらの素材のな
かで、2 曲の《ラプソディー》両方
の冒頭に置かれた旋律は、まさしく
「ヴェルブンコシュ」の原型ともい
える民俗旋律だった。
両者とも 4 × 4 の 16 小節を基本
とする旋律である。4 つの部分はA
A′
BA″
とでも整理できる。比較的ゆ
ったりしたテンポで、最初に付点リ
ズムや複雑な装飾を特徴とする旋律
がでる(A)
。続いて、そのAの素
材を変奏した部分が来る(A′
)
。第
3 部分で旋律は一旦Aを離れ、別の
素材が現れる(B)が、これは音高
的には旋律全体の頂点となる。そし
て最後にAの素材の再帰(A″
)
。バ
ルトークはこれらの素材を、ほとん
ど手つかずで、音高も村で聴いたの
と同じ高さに保って用い、そこにか
なり控え目なピアノの和音を付けて
いる。
《ヴァイオリン協奏曲第 2 番》の
主題のスケッチ
《ヴァイオリン協奏曲第 2 番》の
冒頭楽章の旋律は、この 2 つの《ラ
プソディー》の冒頭部分の延長上に
書かれている。冒頭の主題は、1936
年頃に最初のスケッチが書かれたの
だが、バルトークは後にその最初の
スケッチを、この作品のアメリカ初
演で独奏を務めたトッシー・スピヴ
ァコフスキーにプレゼントした(こ
れは後に公刊されている)
。
譜例 1 は、その最初の一部だが、
これを見るだけでも、バルトークの
作曲の生理がよく伝わってくる。ま
譜例 1 バルトークが 着想した第 1 楽章冒頭の旋律の最初の 4 小節
Philharmony May 2015
正な」ハンガリー固有の音楽、つま
名曲の深層を探る
ず旋律は、後に協奏曲冒頭で用いら
れる主題とほぼ同じであり、彼が発
想の段階で、この旋律をかなり細部
まで(4 小節目最後の不思議な装飾
に至るまで)明確にイメージしてい
たことがわかる。それに対して、伴
奏の方は用いられる和音自体は決ま
っているが、それが具体的にどんな
リズムで、どんな楽器法とテクスチ
ュアで実現されるか、については未
定だった。つまり、バルトークの作
曲過程における位置づけとしては、
このスケッチと、彼が農村で聴いて
書き留めた器楽旋律の「採譜」とは、
全く同じ役割を果たした。
《ラプソ
ディー》の場合、バルトークはそれ
らの「採譜」をほぼ手つかずで用い、
そこに慎重に和音の伴奏を配しただ
けだったわけだが、
《ヴァイオリン
協奏曲第 2 番》の主題の場合は、自
分の中に「降りてきた」農村的旋律
を書き留めたスケッチは、ほぼその
まま協奏曲の主題として用いられ、
そこに慎重な和音が配されてオーケ
ストラに託されている。違いは、彼
が実際に農村で聴いたか、あるいは
まり前述の《ラプソディー》で用い
られた素材と同じ形式的特徴を備え
た(しかし、音楽的にはすこしだけ
大胆な)旋律がこのスケッチには書
き留められていて、それがほぼその
まま用いられることになった。
ちなみに、この主題にはもともと
「ヴェルブンコシュのテンポで」と
いう表記が添えられていたのだが、
最終的にはこの表現はより抽象的な
「アレグロ・ノン・トロッポ」に変え
られる。ほぼ同時期に書かれたヴァ
イオリンとクラリネットとピアノの
ための三重奏曲《コントラスツ》の
冒頭楽章が「ヴェルブンコシュ」と
名付けられたのが、その原因だろう、
と推測する研究者もいる。いずれに
せよ、バルトークはこの 1930 年代
の後半、ヴァイオリンのために「ヴ
ェルブンコシュ」的音楽を書く、と
いうアイディアから逃れられなかっ
たようだ。
音楽の背後に、このような「野
生」の文脈を想起することで、バル
トークの音楽の聞こえ方は全く変わ
ってくるはずである。
バルトーク自身がその旋律を脳内で
聴いたか、という点だけだった。
この譜例 1 の 4 小節が、Aの部分
で、ここでは付点のリズム、細かな
半音階的装飾が特徴だが、スケッチ
はこの後Aを 5 度上で変奏したA′の
4 小節に向かい、続いて音高的頂点
となるBの 4 小節、そして付点リズ
ムだが冒頭旋律を反転させたような
A″
の 4 小節が来て終わっている。つ
伊東信宏(いとう・のぶひろ)
大阪大学大学院文学研究科教授。専門 は東欧
の音楽史、民俗音楽研究。著書 に『 バルトーク
─民謡 を「発見」 した 辺境 の 作曲家』
『中東
欧音楽 の回路 ─ ロマ・クレズマー・20 世紀 の前
衛』等がある
6 月の定期公演は、ステファヌ・
ドゥネーヴ、尾高忠明、アンドリ
ス・ポーガの 3 人の指揮者が、それ
ぞれ個性的なプログラムを披露する。
ドゥネーヴはN響との初共演で、ポ
ーガはN響定期初登場。明日を担う
気鋭 2 人との新たな化学反応が楽し
みだ。いっぽう定期の常連たるN響
正指揮者の尾高は、意図が浸透した
名演が期待される。
またBプロとCプロでは、ラフマ
ニノフの生涯最初と最後の交響大作
を耳にすることができる。45 年を
隔てた大家の出発点と到達点を知る
のも興味深い体験となるに違いない。
気鋭ドゥネーヴのフランス・プロ
る。ラヴェルの《道化師の朝の歌》
と《ボレロ》は、シュトゥットガル
ト放送交響楽団の日本公演やCDで、
柔らかな肌触りの中にも芯のあるフ
ランスものを聴かせたドゥネーヴの
真骨頂。むろん《ボレロ》では、N
すごうで
響の名手たちの凄腕を堪能できる。
さらにはラロの《スペイン交響
曲》が多彩さを加える。ソロを弾く
フランスの人気ヴァイオリニスト、
あで
ルノー・カプソンの艶やかな音色は、
ラテンの香りあふれる同曲にふさわ
しく、これも全編耳を離せない。
尾高忠明と小山実稚恵の
息のあったロシア・プロに期待
Bプロは尾高忠明がダイナミック
Aプロを指揮する 1971 年フラン
で濃密なロシア作品を聴かせる。後
ス生まれのステファヌ・ドゥネーヴ
半のラフマニノフは、尾高がBBC
は、N響との「ベートーヴェン・シ
ウェールズ交響楽団(現・BBCウェ
リーズ」で鮮烈な印象を残したノリ
ールズ・ナショナル管弦楽団)との交
ントンの後任として、2011 年から
響曲全集の録音で高い評価を得た、
シュトゥットガルト放送交響楽団の
思い入れの強い作曲家。今回の《交
首席指揮者を務める期待株。今回は、
響曲第 1 番》も様々な楽団で演奏し
自国のフランス作品で勝負する。
ている。この曲は、初演の失敗によ
まずは、かつての手兵ロイヤル・
って 24 歳の作曲者をノイローゼに
スコットランド・ナショナル管弦楽
させた逸話で有名だが、実は若々し
団と交響曲全集を録音している十八
い叙情と感傷的な旋律満載の覇気み
番のルーセルに要注目。古典的な構
なぎる快作。理解者・尾高の深い解
成による迫力満点の代表作《交響曲
釈と豊麗なN響のサウンドで真の魅
第 3 番》の真価をいかに伝えてくれ
力を味わえる、稀少な機会となる。
るかが聴きものだ。また、同曲の生
前半は、チャイコフスキー《ピア
演奏に触れること自体が貴重でもあ
ノ協奏曲第 1 番》
。今年デビュー 30
Philharmony May 2015
*6 月定期公演の聴きどころ*
A
周年を迎えた、人気・実力ともに日
Program
本屈指のピアニスト、小山実稚恵が
ソロを務める。1982 年チャイコフ
スキー国際コンクールの第 3 位で注
目を集め、名匠フェドセーエフとの
再三の共演で絶賛を博すなど、ロシ
ア音楽には特にゆかりが深い。前回
くなる 35 歳時の作品、さらには近
代のロマンチスト 2 人の作品が対比
された示唆に富むプログラム。N響
の「最も心に残ったソリスト 2012」
で 1 位に輝いた驚異の名手ラデク・
バボラークが、代表的なホルン協奏
曲を 2 曲聴かせてくれる点も嬉しい。
2010 年の定期と同じ尾高忠明との
モーツァルト《ホルン協奏曲第 1
ノを満喫しよう。
完成版ではなく、作曲者の意図によ
きようじん
呼吸も合った、強靭かつ繊細なピア
新星ポーガと名手バボラーク
によるCプロ
番》は、一般的なジュスマイヤーの
り近いとされるレヴィン補筆完成版
での演奏に注目。雄大な R. シュト
ラウスの《ホルン協奏曲第 1 番》を、
Cプロは、ラトヴィアの新星アン
世界最高峰の独奏で聴けるのも、こ
ドリス・ポーガの指揮。1980 年生ま
の上ない喜びだ。そしてアメリカに
れの彼は、2010 年スヴェトラーノ
亡命したラフマニノフ最後の作品
フ国際指揮者コンクール優勝で脚光
《交響的舞曲》では、ロシアへの郷
を浴び、2013 年ラトヴィア国立管
愁漂う劇的でリズミカルな音楽にお
弦楽団の音楽監督に就任している。
ける、俊才指揮者の鮮烈な表現を期
今回は、モーツァルト8歳時と亡
待したい。(柴田克彦/音楽評論家)
*6 月の定期公演*
◉ 6/6(土)6:00pm、6/7(日)3:00pm (A プロ)NHK ホール
指揮:ステファヌ・ドゥネーヴ
ヴァイオリン:ルノー・カプソン*
ラヴェル/道化師の朝の歌
ラロ/スペイン交響曲 ニ短調 作品 21*
ルーセル/交響曲 第 3 番 ト短調 作品 42
ラヴェル/ボレロ
◉ 6/17(水)7:00pm、6/18(木)7:00pm (B プロ)サントリーホール
指揮:尾高忠明
ピアノ:小山実稚恵
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲 第 1 番 変ロ短調 作品 23
ラフマニノフ/交響曲 第 1 番 ニ短調 作品 13
◉ 6/12(金)7:00pm、6/13(土)3:00pm (C プロ)NHK ホール
指揮:アンドリス・ポーガ
ホルン:ラデク・バボラーク
モーツァルト/交響曲 第 1 番 変ホ長調 K.16
モーツァルト/ホルン協奏曲 第 1 番 ニ長調 K.412(レヴィン補筆完成版)
R. シュトラウス/ホルン協奏曲 第 1 番 変ホ長調 作品 11
ラフマニノフ/交響的舞曲 作品 45