理 事 長 所 信

理
事
長
所
信
2014 年度(第 64 年度)
公益社団法人
名古屋青年会議所
第 64 代
青 木
理事長
照 護
公益社団法人
名古屋青年会議所
理事長所信
第64代
理事長
青木照護
【「日本道」を極める】
「世のため人のためが自分のため」私はこの考え方を、日本の道と書いて「日本道」
と呼んでいる。日本には茶道や武道に代表されるように「道」というものがいくつも存
在しているが、その全ての根底には「日本道」が流れている。そして、「日本道」こそ
が、日本のみならず世界に安寧をもたらす唯一無二の考え方なのである。
私は、この「日本道」を極めるための最高の道具としてJCを捉えている。道具は使
うものであって、決して道具に使われてはならない。JCという道具を使いこなすため
に必要なことはただ一つ、目的意識を持つことである。ただし、その目的は「世のため
人のため」へと繋がっていなければならない。そこから逸脱しなければ、人脈を広げる
ことであろうと、まちづくりであろうと目的は一人ひとり千差万別で構わない。そして、
一人ひとりが目的に基づいて、JCという道具をいかに使うかということを、単年度制
という枠組みの中で毎年真剣に考えて欲しい。公益社団法人格とは関係なく、設立趣意
書を掲げたときから、名古屋青年会議所の目的は「世のため人のため」であり、その目
的の本質は64年目を迎える本年度に至っても全く色あせてはいない。なぜなら、「世
のため人のため」を目的とした会員が集い、会員の自立と共助によって継承されてきた
のが名古屋青年会議所であるからだ。そして、設立以来、多くの諸先輩方が背中で伝え
てきてくれたのは、「世のため人のため」に流した汗と涙の先には、必ず自己成長が待
っているということである。一生は限られている、つまり我々は一瞬一瞬命を削って生
きているわけである。自らの命を削って己を磨き上げるために、このJCという最高の
道具を大いに活用して欲しいと心から願っている。
【「究極の市民」たれ!】
人の集まりがまちであり、まちの集まりが国である。そして、世界は国が集まり形成
されているという考えに基づけば、設立趣意書に謳われている「世界平和の実現」を達
成するためには、国を変えていかなければならず、国を変えるためには、まちを変えて
いかなければならない。そして、まちを変えるためには、人を変えていかなければなら
ず、さらに突き詰めれば、己が変わらなければ何も変わらないということに辿り着く。
このように、JCは川下から社会を変革していくボトムアップの団体であり、まさに市
民意識変革の団体なのである。
そして、市民意識を変革しようというのであれば、我々こそが社会変革意識と社会貢
献意識を兼ね備えた「究極の市民」でなければならない。そのために不可欠なことは、
己を知るということである。己が何者であるのかを知らなければ、人の琴線に触れるこ
とはおろか、まちを変革することなど到底できない。しかし、己の信念に自力で辿り着
くことは非常に困難である。そこで、名古屋青年会議所では多くの仲間たちがその答え
を導き出す機会を無数に提供してくれている。与えられた機会をいくつ掴み取るかは、
常に自分の選択であるわけだが、幸いにも名古屋青年会議所にはその最高の機会が用意
されている。それが、理事候補者選出選挙である。自尊心や我欲を剥ぎ取り、己の信念
を一瞬でも垣間見た人間は、明確な夢や目標に向かって我武者羅に突き進む「自立」し
た人間となることができる。そして、「自立」した会員が互いに意見をぶつけ合い、認
め合い、助け合うことで「共助」が生まれる。この「自立」と「共助」の調和した名古
屋青年会議所こそが実行力を持った目指すべき団体なのである。「自立」した会員の声
が響き合い、机上の空論ではなく行動することで市民意識を変革する、真に実行力のあ
る名古屋青年会議所を、全会員による組織論と運動論を両輪とした熟議により描き出し、
実現していきたい。
【近代から卒近代へ】
私たちが生きていく上で、時代というものは非常に重要な要因となるため、時代観に
ついて把握する必要がある。そもそも近代という時代は、1776年のアメリカ独立宣
言、1789年のフランス革命、そしてイギリスの産業革命から始まり、日本では明治
維新以来140有余年続いてきた。しかし、既に近代という時代は終わりを告げ、私た
ちは近代を卒業した時代、いわば卒近代という新しい時代に突入している。時代が変わ
るということは優先される価値観が変わるということである。近代はモノを大切にする
物質至上主義であったため、大量生産・大量消費が善とされ、豊かさは国内総生産(G
DP)でのみ測られてきたわけであるが、大量生産は大量エネルギー消費からエネルギ
ー問題に繋がり、大量消費は大量廃棄から環境問題に繋がっていた。資源は無限だと考
えてきた近代人は、これらの問題に直面してはじめて己の未熟さに気が付いたのである。
では、卒近代という新たな時代において優先される価値観とは一体何なのか。
時代は直線的に移り変わっていくものではなく、螺旋階段状にスパイラルアップして
いくものである。つまり、上から見ると同じところを回っているが、横から見ると少し
ずつ昇っているわけである。そして、時代は繰り返すといわれるように、価値観も時代
を跨いで繰り返される。ゆえに、卒近代にとって優先される価値観は、近代の前の時代
である前近代に答えがあり、日本においては、明治維新以前にその答えがある。それは、
「目に見えるモノ」を大切にする価値観ではなく、惻隠の心に代表される日本の元徳や
地縁・血縁といった「目に見えないモノ」を大切にする価値観である。
【インターネットとボランティア】
時代は繰り返すが、スパイラルアップしているため、同じところには戻ってこない。
前近代に新しいエッセンスが加わり、卒近代が現れるのである。そのエッセンスとは、
インターネットとボランティアである。例えば、口コミサイトというのは、インターネ
ットを介した井戸端会議であり、投稿する人たちは自分にメリットがないとしてもボラ
ンティアで自分の知識を公表している。そのお陰で、私たちは家に居ながら、旅行先の
情報を瞬時に得ることができる。このように、前近代では日常茶飯事であった井戸端会
議に、インターネットとボランティアという新しいエッセンスが加わることにより、新
たなコミュニティが生まれている。また、思想面においてもこの流れは進んでいる。そ
れは「ネット右翼」いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる存在であり、その中核は30代後
半の我々世代である。そもそも彼らは、正しい国家観に基づいて報道を行わないマスコ
ミに対するフラストレーションの噴出先をインターネットに求めた人々であるが、その
明確な定義は未だなされていない。また、自覚していないだけで我々の中にも「ネトウ
ヨ」は多く存在しており、正しい国家観に基づいているのであれば、彼らは卒近代に生
きる実に健全な青年だと言える。しかしながら、近頃、徒党を組んでデモ行進というリ
アルな形で社会に出現している人々を「ネトウヨ」だと一括りにしてしまう風潮がある。
彼らのような右翼にも左翼にも分類されない「リアルウヨ」ともいうべき新たな勢力は、
ニート問題に起因しており、今後の国づくりにおいて非常に重要な問題となってくるこ
とは間違いない。善くも悪くも、このようなインターネットとボランティアを活用した
コミュニティの形成が1990年代中盤以降加速しているのは事実である。我々は、卒
近代を切り拓いていかなければならない日本の青年だからこそ、これらの新しいエッセ
ンスを率先して取り込み、問題の根源を検証した上で、様々な団体と連携を図りながら、
社会に好循環を生み出す運動を実行していかなければならない。
【和魂電才】
卒近代では「目に見えないモノ」を大切にする価値観を軸として、インターネットと
ボランティアという新しいエッセンスが加わった結果、今後さらに様々な分野でパラダ
イムシフトが起こっていくが、果たしてこの卒近代をリードしていくのはいずれの国な
のか。私は三つの理由から、それは日本しかないと考える。まず一つ目は、日本の悠久
の歴史である。日本は紀元前611年2月11日に橿原宮で神武天皇が即位されてから
皇紀2674年目を迎える歴史ある国家である。近代という高々240年余りの歴史を
失ったとしても、まだ2400年の歴史が残っている。まさに日本は悠久の歴史に裏打
ちされた「和魂」というぶれない縦の軸を持っているのである。それに引き替え、アメ
リカなどのように近代の歴史しか持ちえない国家にとっては、近代を否定することは自
国の歴史そのものを失うことになるため受け入れがたい土壌がある。二つ目は、神道と
いう多神教である。一神教ではなく八百万の神を崇める多神教である日本人は、あらゆ
ることをまずは受け入れ、相手とのコミュニケーションを図ることができる。様々な相
手とコミュニケートすることで、互いを知り、認め合い、助け合い、磨き合うこと、つ
まり共助することで絆を生むことができる。そして、コミュニティを形成することがで
きるのである。人種や宗教に限らず思想においても多様性に富んだこの時代において、
コミュニティを形成することはますます難しくなっているが、元来、多様性を受け入れ
てきた日本人にとっては容易いことであり、多様性を受け入れることこそが強い社会を
形成する要因に成り得るのである。そして三つ目は、日本語である。日本人は物心つい
たときから平仮名、カタカナ、漢字という三つの文字を使い分けている。平仮名とカタ
カナというのは、アルファベットに代表される表音文字であり、音やリズムとして相手
にものを伝えるのに非常に適している。そして、漢字は中国語に代表される表意文字で
あり、一文字に多くの情報を凝縮することができる。この表音文字と表意文字の両方を
幼い頃から使い分けている日本人は、未知の存在を受け入れることに非常に長けている。
例えば、パーソナルコンピューターと初めて出会ったとき、中国では「電脳」という文
字を当てはめるまでに相当の時間を要しているが、日本では即座に「パーソナルコンピ
ューター」というカタカナに置き換え、しかも「パソコン」と略すことで一気に拡散し
ていった。このように未知なる存在を瞬時に取り込み、日本スタイルで拡散していくた
めに日本語は素晴らしい言語であり、表音文字と表意文字を使い分ける日本人の脳はマ
ルチメディアなのである。これは一朝一夕で備わった能力ではなく、古くは源氏物語絵
巻から始まり、三十一文字に情報を凝縮する短歌、そして今ではクールジャパンに代表
されるマンガやアニメへと受け継がれているのである。悠久の歴史という「和魂」を軸
に、多神教と日本語を使って、玉石混合のサイバー空間から情報を抽出し、社会に創造
的破壊をもたらす「電才」を持った日本人が、「目に見えないモノ」を大切にする価値
観を取り戻したとき、この卒近代という時代をリードしていく世界の救世主となること
ができる。
【日本をリードする名古屋】
名古屋市は、人口227万人を誇る政令指定都市であり、日本だけでなく世界を代表
するモノづくり経済圏の中心を担っている。しかし、業種は自動車産業に偏っており、
大手自動車会社の動向により景気を左右されるのが実情である。そして、緑化など環境
面においては十分といえず、自然エネルギー自給率も全国平均を大きく下回っている。
さらに、南海トラフ巨大地震を抱えている地域でありながら、市民の防災意識には大き
な格差がある。また、名古屋は本年で開府404年という歴史を有しているにもかかわ
らず、誇りを持って名古屋の歴史を語ることのできる市民はほとんどいない。それどこ
ろか、目立たない、先んじて新しいことに手を出さない、郷土自慢をしないといった名
古屋人気質を免罪符として現実逃避しているようにすら感じられる。
名古屋は、大いなる田舎と呼ばれるほど可能性を秘めているにもかかわらず、このま
ま先進的な取り組みを行わず、世の中の動向をうかがっているようでは卒近代という新
しい時代を生き抜いていくことは到底できないだろう。江戸時代は幕府が世を治め、明
治維新以降の近代では政府に取って代わった。そして、近代も終わりを告げ卒近代に突
入していることを鑑みるに、旧態依然とした体制では未来を切り拓いていくことができ
ないのは明白である。そこで、これからは幕府でも政府でもない学府となるべきだと私
は考えている。それは、世界中のエリート層が日本人の精神性と価値観、そして最先端
技術を学びにやってくる「学びの府」である。長い歴史を持ち、交通の要所であり、航
空宇宙産業の振興を進める名古屋は学府の中心地となる可能性を秘めているのである。
つまり、名古屋はTPPにより移民を受け入れるのではなく、世界のエリートを呼び込
み、彼らを通して「学び」を輸出する学府の中心地を目指すべきである。そのためには、
名古屋が持つ歴史、文化や習俗を市民と共に卒近代にふさわしい形に磨き上げ、世界に
発信する必要がある。そして我々は、学府を見据えた名古屋のソーシャルデザインを明
確に描き出し、その実現に向けたロードマップを国家ビジョンとして全国に先んじて打
ち出すことが必要である。
日本の青年会議所運動をリードし、JCのネットワークという武器を最大限に活用し
て、日本にディープインパクトを与えることができるのは、全国大会を終え、各地会員
会議所から親近感を持って注目されている名古屋青年会議所をおいて他にはないと確
信している。
【新しい日本の仕組み】
東日本大震災発災当初、コンビニエンスストアに我慢強く整然と並ぶ被災者の姿を、
海外メディアは揃って賞賛した。もちろん、被災者の心境を鑑みれば、その行動はまさ
に日本人の模範であるといえる。しかし反面、あの危機的状況下でさえ、自ら考え行動
することができないという当事者意識の欠如が露わになったともいえるのではないだ
ろうか。もっとも、この当事者意識の欠如という問題は被災者だけでなく、今を生きる
全国民に共通した大きな病気である。復興がままならない根源的な問題としても、国民
の他人任せ、行政任せ、国任せという不都合な真実が横たわっていることは紛れもない
事実である。私は、この問題は国の仕組みそのものに原因があり、仕組みを変えない限
り解決できないと考えている。その最も大きな問題は、行き過ぎた中央集権体制により、
自治体が当事者意識を失い、コミュニティがなくなり、市民と自治体の間が空洞化して
しまったことにある。政府は、本気度は定かではないが財源と権限を地方に与えること
で地方分権を進める方針だ。その中で、JCがやるべきことは、財源と権限を受け入れ
る受け皿づくりである。つまり、市民と自治体の間にあるコミュニティを再構築し連携
していくことである。しかし、現状の市民にそれを訴えかけても暖簾に腕押しであるこ
とは明白だ。そこで、市民のニーズを捉えた上で運動を進めていかなければならないが、
そのニーズとは教育と防災である。
子供たちの未来に関わる教育に興味のない親はほとんどいないはずである。現在、小
学校区の住民で学校運営協議会を立ち上げ、地域住民が学校の運営を行っていくという
コミュニティスクールの運動が徐々に広がっている。この運動を名古屋でも展開し、新
しい学校運営の仕組みづくりに挑戦していきたい。コミュニティスクールは、100%
開かれた学校であり、地域で子供たちを教育する市民意識の醸成には非常に長けた存在
である。昨今、学校に不法侵入し器物を破損するなど、イタズラの一言で片づけられな
い犯罪が増えているが、それは学校が閉鎖的な場所であることに本当の原因があるので
はないだろうか。もしも、欧米の図書館のように、日本の小学校が地域住民の情報交換
やカルチャースクールの場としても活用できるオープンな場所になるとしたら、このよ
うな犯罪はまず起こらないだろうし、いじめについても未然に防ぐことができるかもし
れない。そして何より、子供の教育という旗印のもと、小学校区というコミュニティが
構築できる。次に、小学校区同士の連携を構築していくためにはどうすれば良いのか。
それには、自らの命を護るための防災という切り口が非常に有効である。先の大震災で
も分かる通り、防災は小さなコミュニティだけで成し得るものではない。ましてや22
0兆円の経済的被害と950万人の避難者が見込まれている南海トラフ巨大地震の当
該地である名古屋において、生き残った命を一つでも多く救うためには、小さなコミュ
ニティが連携し合い、そのネットワークが生命体のごとく機能しなければならない。そ
して、互いのリスクを補完し合うことのできるまで連携の広がったコミュニティこそが
自治体の理想の大きさなのである。つまり、教育と防災により出来上がったコミュニテ
ィが、その地域における最適の自治体規模であり、地方分権により財源と権限を受け取
って機能できるコミュニティなのである。このコミュニティは、市民が目標を持って、
自ら考え行動することで、世界の大都市とも渡り合っていくことのできる自立したまち
であり、自立したまちが互いに共助してできた国こそ、多くの人々が社会変革に参画す
る、世界をリードする独立自尊の日本なのである。一括交付金の実現と公務員制度改革
により、財源と権限を地方へ委譲する地方分権は政府が行う仕事であるが、その受け皿
となるコミュニティを川下から連携構築していくことは、JCにしかできない運動であ
り、これはいずれ必ずやってくる南海トラフ巨大地震という最大の脅威に対する名古屋
青年会議所の命を懸けた挑戦なのである。
【富国教育】
戦後学校教育の最も大きな間違いは、公よりも個を重んじてきたことにある。元来、
教育とは知育、体育、徳育の三つから成っているが、その本質は「全うな日本人」を育
成することにある。しかしながら、個を重んじるあまり、教えなければならない日本人
の精神性や価値観を軽んじた結果、日本人としての誇りを持った子供たちが育たなくな
ってしまった。そして、彼らが親世代となった今、その子供たちは、明確なロールモデ
ルを家庭や地域といった身近な存在に見出すことができず、精神的・社会的規範を学ぶ
機会がますます損なわれている。その弊害として、昨今いじめによる自殺問題が取り沙
汰されているが、過去を振り返る限りいじめを根絶することは非常に難しい。その前に
やるべきことは、親が子を愛し、子が親を尊敬するという、親子の健全な関係を再構築
することである。そして、いじめを跳ね除ける子供たちの強い精神力を育んでいくこと
である。そのためには、倫理と道徳を基盤とした教育を通して、日本人の精神性と価値
観を親と子に伝えていくことが必要不可欠である。
倫理とは、人を殺してはいけないなど、世界共通の「人の道」つまり大道であり、道
徳とはその大道の歩き方である。つまり、自分が何者を目指すのかという確固たる目標
が「道」であり、そこへ向けた歩みの中で「徳」を積んでいく。そして、「道」の間を
蛇行して歩くほど「徳」という脚力は増していく。では、実際に子供たちの道徳心をい
かに育んでいけばよいのだろうか。東日本大震災の被災地では、礼儀正しく思いやりを
持った子供たちが多い。なぜなら、発災以降、大人たちがボランティアとして子供たち
に触れ合い、その利他の精神溢れる行動を背中で子供たちに見せてきたからである。今、
言っていることとやっていることが合致しない大人が増えている中、子供たちにいくら
道徳を説いたところで伝わるはずがない。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
褒めてやらねば人は動かじ」という山本五十六の言葉通り、道徳は言葉ではなく、大人
たちが行動で示していかなければならない。そして、親世代である我々こそが、日常の
様々な機会を通して、子供たちに背中を示すことが必要である。また、政府も全国各地
に「教育再生をすすめる全国連絡協議会」を立ち上げ、学校教育の改革に取り組んでい
く方針であるが、そのためには親世代であるJCの活力とネットワークを欠かすことが
できない状況にある。この時流を活かして、名古屋青年会議所は、行政や市民団体との
議論を繰り返し、未来の名古屋を共に描き、健全な心を持った子供たちを育成できる仕
組みづくりを実行することで、まちのコーディネーターとしてのブランドを確立してい
かなければならない。そして、教育という未来への投資を全身に受けた子供たちが青年
となり、「目に見えないモノ」を大切にする価値観を持ってそれぞれの使命を果たすと
き、はじめて日本は明るい豊かな国を取り戻すことができるのだ。
【世界の中の名古屋】
青年会議所は、他の青年団体にはない世界中に広がるネットワークを有している。現
在、127の国と地域に青年会議所が存在しており、総会員数は約17万人である。我々
は、JCメンバーである限り、世界中のメンバーと握手で会話を始めることができるの
である。また、JCバッジに国連のマークが明記されていることからも分かる通り、J
CIは国連が掲げる国連ミレニアム開発目標(UN
MDGs)の一翼を担うグローバ
ル・パートナーである。
そして名古屋青年会議所には、マニラJC(フィリピン)
、九龍JC(香港)、台北女
子JC(台湾)という三つの姉妹JCが存在している。しかし残念ながら、彼らとの関
係を活用して十分な学びを得られていないのが実情である。かつて第3年度(1953
年)に、フィリピンのモンテンルパ戦犯収容所を慰問し、収容されていた日本人を釈放
に導いた実績を持っている我々は、JCIの国際的ネットワークを活用して、市民や会
員に国際交流の機会を提供することのできる団体である。また昨今、学生の留学離れが
進み、世界に羽ばたく若者が減少していることで日本のガラパゴス化に拍車がかかって
いるとも言われている。自国の長所や短所は、海外に出て初めて分かるものである。そ
れを見聞きするだけではなく、実際に体験することでグローバルな視野で大局的に物事
を判断できる若者を育成していくことが我々の責務である。そして、自国を誇れる歴史
観と正しい国家観を兼ね備えた若者が、名古屋のソーシャルストックを情報とアイデア
で磨き上げ、世界の都市と切磋琢磨していくことで、はじめて名古屋は自立することが
できるのである。
【会員増強】
青年会議所運動は紛れもなく市民意識変革運動であるが、その最も基本的な運動は会
員拡大運動である。ほとんどの会員は、まちにそれほど興味を持ってJCの門を叩くわ
けではない。それまでは「オレが、オレが」というように、常に自分を主語に考えてい
た人が、青年会議所運動に携わっているうちに、「仲間が」「名古屋青年会議所が」「名
古屋のまちが」というように、いつの間にか自分以外を主語に考えるようになる。この
単純な変化こそがJCが行っている市民意識変革運動であり、拡大運動がJCの基本運
動だといわれる由縁である。そして、人の集まりがまちであるということを鑑みれば、
まちを想う人を増やすということは、そのまま明るい豊かなまちづくりに繋がっていく
のである。
かつて、JCには豪傑と呼ばれる人たちが大勢存在していた。彼らは、JCの魅力を
大いに語り、豊富な人脈を活かして多くの会員を拡大していた。ところが、ここ数年で
豪傑と呼ばれる人たちが急激に減少した結果、全国の会員会議所は会員拡大に行き詰ま
り、拡大に関する有効な手法を必死に模索している。そもそも、拡大とは会員の「増」
と「強」が達成されてはじめて実現する。
「増」とは会員数の増員であり、
「強」とは会
員資質の強化、つまり主語が自分以外に置き換わるということであるが、この「増」と
「強」を両輪としなければ、持続的に会員を拡大することはできない。名古屋青年会議
所は、全国で2番目に多くの会員が所属しているLOMであり、その分、各地から注目
されているということを自覚し、会員増強について全国に手本を示していかなければな
らない。「増」に関しては、入会対象者の母数を底上げするなど、新たな会員拡大の取
り組みに挑戦すべきであり、「強」に関しては、理事候補者選出選挙という最高の機会
を利用するのはもちろんのこと、会員一人ひとりの才能を徹底的に伸ばすことで、豪傑
と呼ばれる人間力溢れる会員を育成していくことが重要である。
いずれにしても、日本をリードする名古屋を実現するために、現状の会員数では、名
古屋市民227万人の意識を変革するに至らないことを自覚し、我々は会員増強に真剣
に取り組まなければならないのである。
【經世濟民(けいせいさいみん)
】
経済とは「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」という「經世濟民」に由来する言
葉であるが、果たして今の経済は本来の目的に合致しているだろうか。貨幣という「目
に見える価値」を追究するあまり、リーマンショックという近代資本主義の終焉を迎え
たことは記憶に新しい。「目に見えない価値」をないがしろにした代償として、地球環
境問題や貧富格差による社会不安を背負っている私たちは、貨幣経済という固定概念を
外して、そろそろ新しい経済へと転換していかなければならない。では、新しい経済と
は何なのか。それは、日本人にとっては懐かしい経済ともいえる。
例えば、CSRつまり「企業の社会的責任」という言葉が浸透してきているが、社会
に対して悪いことをしなければ、善い企業かといえば決してそうではない。ましてや、
「働く」とは「傍(はた)」を「楽」にすることであると語り継がれてきた日本では、
社会的責任とは社会貢献と同義であり、世のため人のために働くことこそが職業観であ
ったはずである。今でも、
「あなたはどのように社会の役に立っていますか。」という質
問に対して、ほとんどの人が自分の仕事内容を話すことからも分かる通り、日本人は仕
事を通して社会貢献する意識をどこかに持っている。実際に、社会貢献を通して生計を
立てる社会起業家と呼ばれる人たちも現れている。そして私は、社会起業家を育成する
ことで、地域の活力を取り戻すことができると信じている。しかし、それは理想論であ
り、現実には、生きていくために必死で働く労働者が溢れていると反論されるかもしれ
ないが、だからこそ青く愚直にこの運動に取り組むことができるのはJCしかないので
ある。ましてや我々は、青年経済人の団体であり、名古屋のみならず、全国そして世界
中にネットワークを持っている団体である。我々こそが、これから社会に羽ばたこうと
する若者たちに、
「經世濟民」という経営の軸を再認識させ、
「目に見えない価値」を大
切にし、リアリティと理想を持って経営にあたる社会起業家育成のシンクタンクとなる
べきである。さらに、社会起業家の育成は、減少している事業主の増加に繋がり、会員
拡大にも直結してくるのである。
【一期一会】
日本社会は物質的に豊かになった反面、心の豊かさを失ってしまったとよく言われる
が、それは楽観的な意見であり、物事はもう少し現実的に捉えなければならない。日本
では、貧富の格差が拡大し、財政破綻する市町村も現れており、既に物質的にも精神的
にも豊かであるとは言い難いのである。あなたはこの現実に当事者意識を持って、全て
の社会問題と対峙していかなければならない。なぜなら、JCは社会の縮図であり、あ
なたはその一員であるからだ。
今、社会が抱えている大部分の問題は、コミュニケーションの不全と欠如に起因して
いる。戦後日本は、人と人の関係をことごとく断絶してきた。その関係とは、ヒエラル
キー社会における縦と横の関係ではなく、縁や絆といった「ナナメの関係」である。そ
して、社会の流れに逆行して、「ナナメの関係」を堅持してきたJCもそろそろ限界を
迎えようとしている。しかし、あなたは決して無力ではない。なぜなら「明るい豊かな
社会の創造」という目標のもとに集う多くの同志がいるからだ。目標に向かって突き進
む限り、あなたは決して一人ではない。明るい豊かな社会とは、誰もが夢を描ける社会
である。JCが社会の縮図だというのであれば、夢を描かなければならないのはあなた
自身だ。
そして、誰もが夢を描ける日本を創造するために、名古屋青年会議所は実行力をもっ
た団体へと進化し、日本の青年会議所運動をリードしていかなければならない。そのた
めに必要なのは「一期一会」の覚悟である。それは「今しかできないことがある、自分
にしかできないことがある、だから今自分がやるんだ」という青年としての「一期一会」
である。覚悟というものは頭で分かっていても、経験しなければ絶対に自分のものにす
ることはできない。なぜなら、覚悟をあなた一人で掴み取ることはできないからだ。J
Cにおいて、先輩からいただいてきた様々な経験は、数年後に振り返れば、全て自分の
財産になっていることに気が付くはずだ。しかし、お金も時間も労力も全て与えてくれ
た先輩たちへの感謝の念が込み上げたとき、先輩たちはもうここにはいない。では、こ
の感謝をいったい誰に返せばよいのだろう。それは紛れもなくこれからの未来そのもの
である後進たちしかいないのだ。だからこそ、我々は64年間の伝統を護り、覚悟を持
って名古屋青年会議所を愛し続けてきた。感謝の先には覚悟がある。恐れることは何も
ない、挑戦し続けることにJCの神髄がある。一人ひとりの「一期一会」が集まれば、
必ず実行力のある名古屋青年会議所へと進化することができる。共に日本をリードする
名古屋を創造していこう。
「日本を変えるのはオレたちだ!!」
2014
非木材紙(ケナフ)を使用しています