第一席 茶道 一期一会の美 蘇 暁娜

第一席
まずは「一期一会」について考えてみたい。国語事典によれば、
「一期一会」とは、「茶道で、客との出会いは一度限りのものである
と考え、心をこめてもてなすようにと教える心得」である。『井伊直
弼一期一会集』で井伊直弼は、「たとえ同じ顔ぶれで何回も茶会を開
いたとしても、今日ただ今のこの茶会は決して繰り返すことのない
平安時代から七〇〇年に及ぶ長い歴史を有する「芸術」である茶
道は、日本人の誇る伝統文化である。お茶は、
「日常茶飯事」という
体験することができたと感じている。
て、茶道の授業も取ることができ、少しではあるが、茶道の精神を
「和敬清寂」と「一期一会」に集約されると
お茶の精神と言えば、
いってよいのではないだろうか。日本への留学のチャンスに恵まれ
料理、お菓子を選び、茶席や庭を掃除し、塵一つにも気を配るだろ
床にかける掛軸、茶室に飾る茶花、道具の取り合わせや調和を考え、
と思う。どんなに努力しても、同じ雰囲気を作ることはできない。
じお茶であっても、雰囲気はきっと心の状態によって変わるだろう
確かに心や気持ちはいつも変わるものである。たとえ一度だけで
はなかったとしても、次の機会に同じ場所で同じ人と、さらには同
茶道─一期一会の美
京都外国語大学四年(京都府)
茶会だと思えば、それはわが一生に一度の会である。そう思うと互
いに粗略に扱うこともない。真剣な気持ちで、何事もなおざりにす
言葉が示すように、日本人の日常生活に欠くことができないほど大
うと思う。客もその思い入れや趣向を感じ、ともに楽しむように、
蘇 暁
娜
きな位置を占めている。そして、お茶は、最初は中国から伝わって
会話や立ち居振る舞いまで真剣に考えるのではないだろうか。
ることなく一服の茶をいただくことになる」と述べている。
きたそうだが、日本で独自の発展を遂げ、日本の風土や日本人の習
楽しいのではないかと思っていた。でも、授業が進むにつれて、考
ただみんなで一緒に静かな茶室でお菓子を食べながらお茶を飲めば、
なかった。なぜ複雑な作法でお茶をいただかなければならないのか、
えてくれた作法や礼儀などがこんなに多いとは、最初は考えも及ば
茶道はただ仲良しの仲間と一緒にお茶を飲んだり楽しく話し合っ
たりすることだと、私は思っていた。授業で先生がひとつひとつ教
ときを過ごさなければならない。人生は儚いものだからこそ、今を
思う。二度繰り返すことができないから、もっと真剣な態度でひと
一会」の精神を知ることで、私たちは心を少し癒すことができると
ずっと前に進んでいく。人間は時間を止められない。しかし、「一期
すことができない。私たちの生きる世界、時間、人間を考慮せずに
ることはできない」と言ったように、生命は一度のもので、繰り返
だからこそ、亭主は一所懸命心を込めて、客に応じて季節や趣向、
慣と気持ちが合わさって日本の茶道となった。
「一期一会」は茶道だけではなく、人生においてもそうではないか
と思う。ギリシャの哲学者ヘラクレイトスが「人は同じ川に二度入
えがだんだん変わってきた。
大事 に 過 ご す べ き だ。
「 一期一会」は 茶道 の 精神 で も あ り、人生 の
モットーでもあると思う。いつも前向きに、今周りにいる人や物を
大切にし、一秒をも浪費せずに幸せに人生を過ごすことは私たちの
あるべき態度だ。
クラスメートと一緒に先生の茶道の授業を受けることも、「一期一
会」と言えるだろう。その気持ちで、楽しく茶道の授業を受けてい
る。茶道は難しいと思っても、実は余計な働きがなく合理的で、所
作は流れるように美しいものであると、今はそう思える。そしてい
ろいろな人生の生き方までも教えてくれた。重要なのは今である。
これからは一生懸命頑張って、人生を後悔せずに過ごしたいと思う。