円安の日本経済への影響③ - EY総合研究所

EY Institute
November 2014
円安の日本経済への影響③
収益増の企業と成長を実感しにくい日本経済
円安の日本経済への影響③
収益増の企業と成長を実感しにくい日本経済
経済研究部 エコノミスト 鈴木 将之
<要旨>
為替レートが円安になっても輸出が伸び悩む一因として、生産拠点の海外移転があげられる。こ
の中で、海外事業からの収益増によって好調な企業と、輸出の伸び悩みなどから成長を実感し
にくい日本経済という対比がみられる。こうした状況の下での課題は、海外で稼いだ収益を国内
に還流させて、日本経済の成長を後押しすることである。このとき、(1)企業が海外で稼いだ収
益を国内に多く配分すること、(2)それを元手に、家計が消費を、企業が設備投資を増やすこ
と、の2点が重要となる。この点を踏まえると、特許・技術・ノウハウなどの無形資産を蓄積させる
研究開発(R&D)投資が注目される。その無形資産は、国内外の収益配分の決定に影響を及ぼ
し、消費や投資の前提条件となる将来の成長期待を底上げする可能性があるからだ。今後の企
業の海外展開や高齢化など国内経済の構造変化を踏まえれば、非製造業のR&D投資が重要
になっている。
1. 輸出を上回る現地法人の売上高
為替レートが円安になっても、輸出が伸び悩む一因として、製造業を中心とした生産拠点の海外
移転があげられる。例えば、海外現地法人の売上高は、2014年第2四半期に27.8兆円と、輸
出を10兆円も上回るまで増えており、日本からの輸入品が含まれることを踏まえても、海外現地
法人の売上高が堅調に増えている様子が確認できる(図表1)。
図表1 輸出と現地法人の売上高の推移
輸出
(兆円)
30
海外現地法人の売上高
25
20
15
10
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
5
資料:経済産業省『海外現地法人四半期調査』、財務省『貿易統計』よりEY総合研究所作成
収益増の企業と成長を実感しにくい日本経済
01
日本で生産して輸出するか、海外で生産するかという判断において、これまで高い収益性の海
外が選ばれてきた。その中で、海外事業が好調な企業と成長を実感しにくい日本経済という対
比がみられるようになった。こうした状況を踏まえると、企業と日本経済の成長の好循環を生み
出すために、何が必要なのだろうか。以下では、この点について考える。
2. 国内外の生産プロセスの変化
まず、企業と日本経済の成長を考える上で、国内外の生産拠点における生産プロセスの変化を
整理する。
一つ目のケースは、国際分業である(図表2左)。例えば、国内は競争力をもつ部品や資本財な
どの生産、海外が加工・組立などに専念することで、生産プロセスを国内外で分担するものであ
る。輸出のうち中間財のシェアが2012年に58.4%と、過半数を占めるまで増えていることから、
国際分業の深化が確認できる(経済産業研究所『RIETI-TID2012』)。
このケースでは、海外移転の分だけ、国内の生産能力は減るものの、中間財などの生産プロセ
スが国内に残っているため、生産全体のパイが拡大すれば、国内生産も増えるという関係があ
る。そのため、円安になった場合に、売上増を狙って現地価格を引き下げる戦略(図表2の①)
を、企業は選べる。そのとき、生産の拡大(同②)に伴って、企業収益や労働者の所得が増え
て、さらに消費などへの好循環が期待される。
二つ目のケースは、企業の海外展開がさらに進んで、海外が部品生産・組立など生産全般を、
国内が研究開発や管理などに特化する、代替関係である(図表2右)。海外現地法人の売上・仕
入先の割合をみると、販売先では日本のシェアが低いながらも安定した関係が保たれているの
に対して、仕入先では日本のシェアが90年代末から約10%ポイントも低下しており、海外現地
法人の日本離れがうかがわれる(図表3)。
このケースでは、生産の主力が海外であるので、円安でも日本からの輸出は増えにくい。その代
わりに、円安の恩恵は、主にロイヤリティーなど海外から企業が受け取る収益の円建て評価額
を膨らませる形であらわれる(図表2の③)。それが労働者の賃金や企業の内部留保などを増や
すことで(同④)、消費や投資などを通じて国内生産を刺激する(同⑤)
。
図表2 生産プロセスの変化による国内経済への影響の相違
<ケース1:国際分業>
<ケース2:代替分業>
海外現地法人
(加工・組立)
(部品生産から組立まで生産全般)
海外現地法人
③ロイヤリティー
など
①輸出
国内
(部品・資本財生産)
生産
国内
(研究開発・管理など)
②生産
所得
家計
生産
④配分
収益
企業
⑤消費
所得
収益
家計
企業
資料:EY総合研究所作成
収益増の企業と成長を実感しにくい日本経済
02
図表3 輸出と現地法人の売上高の推移
<売上高内訳(製造業)>
現地販売
日本向け輸出
(%)
第三国輸出
80
<仕入高内訳(製造業)>
現地調達
日本からの輸入
(%)
第三国からの輸入
60
70
50
60
50
40
40
30
30
20
20
10
10
2012
2010
2008
2006
2004
2002
2000
0
1998
2012
2010
2008
2006
2004
2002
2000
1998
0
資料:経済産業省『海外事業活動基本調査』よりEY総合研究所作成
このように国内外での代替関係を重視した生産プロセスへの変化が、海外展開する企業と日本
経済の成長との間にみられる対比の一因と考えられる。ここでの課題は、海外で稼いだ収益を
国内に還流させて、それを日本経済の成長につなげることだ。そのために、海外から国内への
波及経路の途中にある以下の2つの意思に好影響を与える必要がある。
▶ (1)企業の国内外の利益配分
▶ (2)家計の消費や企業の投資
結論を先取りすると、この意思決定を好転させるときに重要になるのは、研究開発(R&D)投資
だと考えられる。なぜなら、R&D投資は特許・技術・ノウハウなどの無形資産を蓄積させ、その無
形資産は、以下でみるように、海外で稼いだ収益の国内親会社への帰属を決定する際(上記
(1))に重要な役割を果たす上、家計の消費や企業の投資を左右する将来の成長期待(上記
(2))にとっても欠かせないものであるからだ。
3. 企業におけるR&D投資の意義
まず、前述の1点目の「企業の国内外の利益配分」、すなわち、企業が海外で稼いだ利益を日本
にどれだけ多く配分するかという意思決定に注目する。
R&D投資を蓄積させた無形資産を生かして、企業は次のような収益の機会を得る。
▶ ①国内の親会社は、無形資産を元手に、海外子会社にライセンスを提供した見返りとして、ロ
イヤリティー収入を得る
▶ ②国内の親会社は、無形資産を海外子会社に売却することでその対価を得る一方で、無形
資産からの今後の利益を海外子会社に帰属させる
収益増の企業と成長を実感しにくい日本経済
03
一つ目のケースは、国内の親会社が、海外子会社に無形資産を元にライセンスを提供し、ロイ
ヤリティー収入を得る方法だ。また、ライセンスを活用した海外子会社の収益が同等の機能・リ
スクを持つ第三者企業の平均的な利益率レンジを上回った場合に、その上回った部分(超過収
益)が本邦の移転価格税制上、国内の親会社の無形資産に帰属する利益と認識され、親会社
へ還流する。このため、日本の親会社に利益を多く配分させたいのならば、国内に多くの無形資
産、すなわちR&D投資が必要となる。
二つ目のケースでの、子会社への無形資産の売却価格は、将来にわたって得られるロイヤリ
ティー収入を金利などで調整して現在の価格に評価したものに等しくなるため、一つ目のケース
と収入額は理論上同じものになる。しかし、海外子会社がある国の法人税率が日本よりも低け
れば、連結での納税額を抑えられるメリットがありうる。日本の法人税率は海外に比べて高いの
で、無形資産を海外に移転させるインセンティブを企業は持ちやすい。
これらを比べると、納税額を節約できるため、企業は二つ目のケースを選ぶようにみえる。しか
し、親会社(本社)の配当政策上、前者を選ぶインセンティブもある。なぜなら、生命保険協会
(2014)によると、75.8%の企業が安定した配当が望ましいと回答しており、また、田近・布袋
(2009)によると、配当の原資が不足するときに親会社は海外子会社からの利益送金をあてる
傾向があるからだ。
実際、企業にとってのロイヤリティー収入が大きくなっている。日本全体でみると、2013年の直
接投資の配当は4.8兆円、証券投資の配当は5.3兆円だった一方で、知的財産等使用料は3.1
兆円まで増えており、ロイヤリティー収入が第3の柱として育っていることが確認できる(財務省・
日本銀行『国際収支統計』)。
4. 日本経済におけるR&D投資の意義
次に、前述の2点目の「家計の消費や企業の投資」、すなわち、国内に配分された所得を元手に
消費や投資を増やすか否かの意思決定に焦点をあてる。
このとき、将来の見通しの改善など、成長期待が前提となる。なぜなら、将来不安があれば、家
計はいざというときの貯蓄のために消費を抑え、企業も設備投資に二の足を踏むからだ。
成長期待を高めるためには、足もとの経済成長とともに、将来の経済成長を高めるR&D投資が
重要となる。これを確かめるために、R&D投資が技術進歩を含む生産性を高める効果を想定し
て、経済成長率を、①労働投入、②機械設備などの稼働を表す資本投入と、技術進歩を表す生
産性の向上に分ける。R&D投資の役割に注目するために、さらに生産性の向上を、③R&D投資
の蓄積分(以下、「R&D資本投入」)と、④その他の生産性の向上の二つに分類した。この結果、
経済成長率は、上記の四つに分解されることになる。
この計算によると、R&D資本投入は、1990年度から2009年度までの間、労働投入のマイナス
影響を打ち消すように、経済成長にプラスに寄与したことがわかる(図表4)。また、経済成長に
対するR&D投資の寄与は次第に小さくなっており、足もとの成長率を押し上げる力が弱まってい
る。この理由として、リーマンショック後の業績不振によって、企業がここ数年R&D投資を増やし
ていないことがある。このようにR&D投資が蓄積していない状況は、将来の成長率を減速させる
恐れがある。
収益増の企業と成長を実感しにくい日本経済
04
このように、足もとと将来という二つの経済成長への影響を経由して、R&D投資が成長期待の向
上に十分に寄与できていない現状が確認できる。そのため、今後、より一層R&D投資が必要に
なるといえる。
図表4 技術知識ストックを考慮した場合の実質GDP増減率の要因分解
(%)
5
労働投入①
資本投入②
R&D資本投入③
4
その他の生産性の向上④
生産性の
向上
経済成長率
3
2
1
0
-1
81-89年度
90-99年度
00-09年度
10-12年度
全期間
資料:経済産業省『鉱工業生産指数』、総務省『科学技術研究調査』、内閣府『国民経済計算』『民間企業資本ストック』、
文部科学省『科学技術要覧』よりEY総合研究所作成
(注)R&D資本投入は内閣府(2002)に倣って、研究費(基礎研究、応用研究、開発研究)と技術輸入額の合計とした。
ストックは深尾等(2014)を参考に、償却率を2010年の研究費をウエートにした加重平均を用いて恒久棚卸法で
積み上げた。その初期値は投資の増減率と償却率から求めた(研究費デフレータによって実質化)。資本投入は民
間企業資本ストックに稼働率を、労働投入は就業者数に労働時間を乗じた。労働・資本投入に1次同次のCobbDouglas型生産関数をOLS推計した(各変数は対数階差)。一般的なTFP部分をR&D資本投入とその他の生産性
向上に分けた。また、F検定から1989年、1999年前後での構造変化が示唆された。自由度を確保するために
1981-2000年と1990-2012年で推計し、80年代は前者、00年代以降は後者、90年代はその平均値を用いた。
5. 非製造業のR&D投資の拡充を
このように、国内外の企業の利益配分や、家計消費や企業投資の意思決定を好転させる上で、
特許・技術・ノウハウなど無形資産を蓄積させるR&D投資の重要性が確認できる。
まず、政府によるR&D投資の支援策をみると、必ずしも十分とはいえないだろう。民間研究開発
投資に対する政府支援の割合は3.8%と、中国(7.2%)、韓国(12.6%)や米国(16.9%)など
を下回っており、各国と比べて見劣りしている(OECD Science, Technology and Industry
Scoreboard 2013)。R&D投資は中長期な影響を企業に及ぼすので、その支援策は「量」と「期
間」の双方に配慮していかなければならない。
それでは、今後、R&D投資は増えるのだろうか。まず、投資の費用面からみると、採算性を確保
しやすい環境になっている。長期金利が低位で安定している一方で、物価が上昇に転じ、企業
が投資コストとみなす実質金利がマイナスになっているからだ。また、先行きについては、財政
が深刻な状況にならない限り、金融緩和政策によって、当面金利は低いままと見込まれ、投資コ
ストは中長期的に良好な状況がつづくと想定される。
次に、企業の投資余力をみると、業績改善に伴ってキャッシュフローに厚みが増すなど、回復傾
向がみられる。しかし、上野・馬場(2005)によると、有望な投資案件がなければ、株主利益のた
収益増の企業と成長を実感しにくい日本経済
05
めに配当の増加や自社株買いが選ばれる傾向があるという。そこで、足もとの状況を確認する
と、日本銀行『短観』などから、企業は前年から設備投資を増やす計画を立てており、投資に対
して前向きな姿勢がみられている。
さらに注目を集めるのは、成長戦略の一つに位置づけられたコーポレートガバナンス改革であ
る。自己資本利益率(ROE)の引き上げが中長期的な目標に掲げられ、投資家の関心が集まり
つつあり、将来の成長源となるR&D投資に、企業の目も向かいやすくなっている。
それでは、今後、どの分野へのR&D投資を重視すべきなのだろうか。輸出が伸び悩むといって
も、輸出には70兆円という規模があるので(財務省『貿易統計』)、製造業は依然として重要な投
資分野である。それに加えて、重要性が高まっているのは非製造業のR&D投資である。
一つ目の理由として、非製造業であっても、今後の海外展開を視野に入れる必要性があること
があげられる。前述の1点目の「企業の国内外の利益配分」でふれたように、海外展開によっ
て、日本流のノウハウや流通システムなどの無形資産を活用し、そこから得た収益を国内親会
社へ還流させることが、今後の経営戦略の一つになるからだ。この収益源を確保するために、継
続的なR&D投資が欠かせない。
二つ目の理由として、非製造業の成長力を高めておくことである。なぜなら、前述の2点目の「家
計の消費や企業の投資」の意思決定が好転して、消費や投資が増えた場合に、その恩恵を受
ける非製造業の生産力が弱ければ、日本経済全体への好循環が生まれにくいからだ。
三つ目として、日本国内には少子・高齢化など課題が山積しており、非製造業を取り巻く環境が
厳しさを増していることもあげられる。例えば、女性に加えて男性も、さらに高齢者も働きやすく、
安心して生活を送れるような環境の整備が遅れている。しかし、そこに満たされていない消費者
ニーズがあり、ビジネスチャンスがあるともいえる。こうした状況では、例えば、顧客・販売データ
の整備や独自性のあるマーケティング活動の強化によって、消費者ニーズを掘り起こし、非製造
業の売上を増やせる可能性がある。そのとき、技術や商品の研究開発などに限らず、企業内の
人材を多様化させるノウハウや、その状況を新たな商品・サービス化に生かすことなど、必要と
されるR&D投資の幅は広がっていると考えられる。
<参考文献>
上野陽一・馬場直彦(2005)「わが国企業による株主還元策の決定要因:配当・自社株消却のインセンティブを巡る実証
分析」日本銀行ワーキングペーパーシリーズNo.05-J-6.
生命保険協会(2014)『株式価値向上に向けた取り組みに関するアンケート(平成25年度版)』
(http://www.seiho.or.jp/info/news/2012/0316.html).
田近栄治・布袋正樹(2009)「日本企業の海外子会社からの利益送金-本社の配当政策からみた分析-」『経済分析』
第182号、pp.1-24.
内閣府(2002)『経済財政白書』(平成14年版).
深尾京司・池内健太・米谷悠・権赫旭・金榮愨(2014)「研究開発・イノベーション・生産性(RDIP)データベース」科学技
術・学術政策研究所.
収益増の企業と成長を実感しにくい日本経済
06
EY | Assurance | Tax | Transactions | Advisory
EYについて
EYは、アシュアランス、税務、トランザクションおよびアドバイザリー
などの分野における世界的なリーダーです。私たちの深い洞察と高
品質なサービスは、世界中の資本市場や経済活動に信頼をもたら
します。私たちはさまざまなステークホルダーの期待に応えるチー
ムを率いるリーダーを生み出していきます。そうすることで、構成員、
クライアント、そして地域社会のために、より良い社会の構築に貢
献します。
EYとは、アーンスト・アンド・ヤング・グローバル・リミテッドのグロー
バル・ネットワークであり、単体、もしくは複数のメンバーファームを
指し、各メンバーファームは法的に独立した組織です。アーンスト・
アンド・ヤング・グローバル・リミテッドは、英国の保証
有限責任会社であり、顧客サービスは提供していません。詳しくは、
ey.com をご覧ください。
EY総合研究所株式会社について
EY総合研究所株式会社は、EYグローバル・ネットワークを通じ、さ
まざまな業界で実務経験を積んだプロフェッショナルが、多様な視
点から先進的なナレッジの発信と経済・産業・ビジネス・パブリック
に関する調査及び提言をしています。常に変化する社会・ビジネス
環境に応じ、時代の要請するテーマを取り上げ、イノベーションを促
す社会の実現に貢献します。詳しくは、eyi.eyjapan.jp をご覧くださ
い。
© 2014 Ernst & Young Institute Co., Ltd.
All Rights Reserved.
ED None
本書は一般的な参考情報の提供のみを目的に作成されており、会計、税務及びその他の
専門的なアドバイスを行うものではありません。意見にわたる部分は個人的見解です。EY
総合研究所株式会社及び他のEYメンバーファームは、皆様が本書を利用したことにより
被ったいかなる損害についても、一切の責任を負いません。具体的なアドバイスが必要な
場合は、個別に専門家にご相談ください。
Contact
EY総合研究所株式会社
100-6031
東京都千代田区霞が関3-2-5 霞が関ビル31F
03 3503 2512
[email protected]