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日本フィボナッチ協会研究集会準備ノート
Achilles and the tortoise against Cantor’s intersection theorem (nested interval property).
http://www.zg.em-net.ne.jp/~aurues/triage/room1/TortoiseAgainstCantor.pdf
アキレスと亀とカントール
カントールの対角線論法も区間縮小法も論理的に怪しい
2015.05.25, 06.17 尾立貴志
概要
数学者のカントール(Cantor, 1845-1918)は、最初に実数の連続性の公理を用いた証
明法(区間縮小法)で、また後に対角線論法を用いた証明法で、実数全体の要素数として
の無限は、自然数全体の要素数としての無限よりも大きいということを示しました。カン
トールの証明が論理的に間違っていると考えている人間は、筆者の知る範囲でも少なくな
いのですが、残念ながらそこに現代日本の数学者は含まれていません。そこで、数学者が
どのように考えてカントールの証明が論理的に正しいと受け容れているのか、あるいは正
しくないと考えている人もいるのかを知りたいと思います。
1.はじめに
このような問いかけを行う経緯を説明します。今から 25 年ほど前、私は初めて無限につ
いての数学啓蒙書を読みました。自然数全体の集合が、整数全体の集合や有理数全体の集
合と同じ濃度の無限(ℵ0 アレフゼロ、可算無限)であることなどを感心しながら読みました。
実数全体の集合が ℵ0 よりも濃い無限( ℵ アレフ)であることを証明する対角線論法も、
1 回目はナルホドと納得したのですが、2 回、3 回と読むうちにオカシイと感じるようにな
りました。対角線論法は「卑怯な後出しジャンケン」であることに気づいたのです。
大学の数学教授に相談しましたが、彼の説明は、自分も若い頃はオカシイと思ったが、
よく数学を学んで、こういう背理法もあるのだと納得できるようになった、という不思議
なものでした。
数学啓蒙書には、カントールが最初は対角線論法でない証明法で実数全体の集合が可算
無限より濃い無限であることを証明していたとあり、私は、対角線論法(1891)は間違っ
ているが別の証明は正しいのだろうと、ずっと思っていました。
数年前に、志賀浩二の『大人のための数学③無限への飛翔
1
』が、カントールによる最
初の証明(1873)を紹介していることに気づきました。それは実数の連続性の公理を用い
た証明法(区間縮小法)であり、ようやく長年のモヤモヤした不満が解消するだろうと期
待して証明を読んだのですが、すぐに、こちらの証明もオカシイことに気づきました。
また、同じころに、哲学者である野矢茂樹の『無限論の教室
2
』を読み、少なくない数
学者や哲学者により、対角線論法の間違いはほぼ言い尽くされていることを知りました。
しかし、区間縮小法については言及が少ないようなので、ここでは対角線論法に対する反
論をサラリと流し、その後、区間縮小法に対する反論を試みます。
1
まず、対角線論法の非論理的な部分を、格さん・助さんの対談スタイルで紹介します。
2.対角線論法
助:よう、格さん。自然数も実数も無限にあるんだけれどさー、実数の無限は自然数の
無限よりはるかに大きい無限だって知ってるかい?
格:なんだい、助さん。この前、自然数の無限も、偶数の無限も、整数や有理数の無限
も、全部同じ大きさの無限だって証明していたじゃないかい。実数は違う無限なのかい?
助:そうさ、無理数が半端なく多いのさ。
格:そうかい?
どんなに差の小さな有理数を2つ取り出しても、その間には無限に有
理数と無理数がある。また、どんなに差の小さな無理数を2つ取り出しても、その間には
無限に有理数と無理数がある。大した違いはないように見えるけどねえ。
助:いや、無理数の無限は別格なんだ。
格:じゃあ、証明してみろよ。どのようにしても自然数と1対1で対応できないと証明
できたら、実数の無限は自然数の無限より大きい無限だと認めようじゃないか。
助:よーし。それは実数のごく一部を使って示すことができるよ。格さん、0 から 1 まで
の実数を並べてみてくれ。ここでは 0 以上、1 以下としよう。
格:簡単だな。2進数を使うぜ。次のように順番に書いていけば、0 と 1 の間の全実数を
書き並べることが可能だ。その規則の具体例を表に示すぜ。
格:規則性は簡単だ。0 から出発しよう。小数点以下を一桁ずつ増やす。増やした位に数
字の 0 と 1 を交互に加えていく。
格:まず「0.□」の□に 0 か 1 を書く。すると「0.0、0.1」ができる。それをコピー&ペ
ーストして「0.0□、0.1□」を作り、その□に 0 か 1 を書く。すると「0.00、0.01、0.10、
0.11」ができる。それをコピー&ペーストして「0.00□、0.01□、0.10□、0.11□」を作り、
□に 0 か 1 を書く。
格:この規則で表を作り続ければ、0 から 1 までの間にある全実数が出現するはずだ。も
ちろん、1 以外は無限回重複して出現することになるけれど。ここでは1対1対応できるこ
とを言えばいいので、重複分の除外作業は省略しよう。表を見れば、0 から 1 までの間にあ
る全実数が自然数と1対1で対応可能であることがわかるよ(コレヲ 仮 定 1トスル)
。
2
N.1
0
N.9
0.000
N.17
0.0000
N.25
0.1000
N.2
1
N.10
0.001
N.18
0.0001
N.26
0.1001
N.3
0.0
N.11
0.010
N.19
0.0010
N.27
0.1010
N.4
0.1
N.12
0.011
N.20
0.0011
N.28
0.1011
N.5
0.00
N.13
0.100
N.21
0.0100
N.29
0.1100
N.6
0.01
N.14
0.101
N.22
0.0101
N.30
0.1101
N.7
0.10
N.15
0.110
N.23
0.0110
N.31
0.1110
N.8
0.11
N.16
0.111
N.24
0.0111
N.32
0.1111
N.32
0.00000
N.33
0.00001
・・・
助:格さん、0 から 1 までの全実数を書き終わったかい?
格:全部書き終えるなんて無理だよ。なにしろ無限だからね。でも、この方法で延々と
続ければ、0 から 1 までの間にある全ての実数が表の中に現れるはずだぜ。
助:じゃあ、書き終わったんだな。
格:助さん、おかしなこと言うじゃないか・・・・・だから無理だって。終わってはい
ないよ。書き終えるなんて不可能だよ。でも、どんな実数でも示してくれ。この表を作る
規則で作りだせるから。
助:困るなあ、書き終わってくれないと次に進めないんだよ。
格:?・・・・・規則を示すだけじゃあダメなのかい?
助:ああ、ちゃんと書き終えてくれ。書き終えてくれたら対角線論法を教えてあげるよ。
3
格:・・・対格戦論法?・・・・俺をやっつけるのか。まあいいや、仮に、書き終えた
として次に進もうか(コレヲ 仮 定 2トスル)。
助:ありがとう、格さん。では、表に出現する全実数を一列に並べることができるよね。
なぜなら、0 から 1 までの全実数に自然数の番号が付いているからね。じゃあ、できた実数
を縦に並べるよ。別に重複があっても良いし、順番もどうでもいいんだ。どんな並び方で
もよいのだけれど、一列に並べて 1 番から無限番まで番号を打つぞ。
1番
0. 𝑎11 𝑎12 𝑎13 𝑎14 𝑎15 𝑎16 ∙∙∙∙∙∙
2番
0. 𝑎12 𝑎22 𝑎32 𝑎42 𝑎52 𝑎62 ∙∙∙∙∙∙
3番
0. 𝑎13 𝑎23 𝑎33 𝑎43 𝑎53 𝑎63 ∙∙∙∙∙∙
4番
0. 𝑎14 𝑎24 𝑎34 𝑎44 𝑎54 𝑎64 ∙∙∙∙∙∙
・・・・・・・・・・
k 番 0. 𝑎1𝑘 𝑎2𝑘 𝑎3𝑘 𝑎4𝑘 𝑎5𝑘 𝑎6𝑘 ∙∙∙∙∙∙ 𝑎𝑘𝑘 ∙∙∙∙∙∙
・・・・・・・・・・
助:たとえば 2 番が「0.101」だとすると、𝑎12 = 1、𝑎22 = 0、𝑎32 = 1、𝑎42 = " "(数字無し=
0)
、ということになる。上の添え字は何番かを示し、下の添え字は小数点下第何位かを示し
ている。
助:いいかい、格さん。0 から 1 までの実数は無限個ある。自然数も無限個ある。0 から
1 までの実数を自然数と1対1で対応づけることが可能だ。そこで今、0 から 1 までの全実
数を一列に並べた。ここまではいいね、格さん。
格:ああ、いいよ。
助:じゃあ、ここで、次のような数を考えてみよう。
4
𝜑 𝜑 𝜑 𝜑 𝜑 𝜑
𝜑
𝜑 番 0. 𝑎1 𝑎2 𝑎3 𝑎4 𝑎5 𝑎6 ∙∙∙∙∙∙ 𝑎𝑘 ∙∙∙∙∙∙
𝜑
𝜑
𝜑
𝜑
𝑎1 ≠ 𝑎11 、𝑎2 ≠ 𝑎22 、𝑎3 ≠ 𝑎33 、・・・・、𝑎𝑘 ≠ 𝑎𝑘𝑘 、・・・・
たとえば
0.
1 番 0.11010 ∙∙∙∙∙∙
⇒ 0. 𝟏1010 ∙∙∙∙∙∙
⇒ 0
2 番 0.10111 ∙∙∙∙∙∙
⇒ 0.1𝟎111 ∙∙∙∙∙∙
⇒ 1
3 番 0.01101 ∙∙∙∙∙∙
⇒ 0.01𝟏01 ∙∙∙∙∙∙
⇒ 0
4 番 0.01100 ∙∙∙∙∙∙
⇒ 0.011𝟎0 ∙∙∙∙∙∙
⇒ 1
・・・・・・・・
𝜑 番 𝟎. 𝟎𝟏𝟎𝟏 ∙∙∙∙∙∙
助:こうして作った 𝜑 番は、先ほど格さんが作った実数表の中には無いはずだよね。格
さんがどんな方法で実数を並べても、その中には無い実数を作り出せるんだよ。だから、
背理法により、自然数の無限と実数の無限を1対1に対応できるという仮定が間違ってい
たことになる。実数の無限は自然数の無限より大きい無限なんだ。濃度が濃いって言うん
だけどね。
助:わかったかい、格さん。対角線上の数字を変えて 𝜑 番を作るので、これを対角線論
法って言うんだよ。対角線を少しずつずらして無限種類の 𝜑 番を作れるんだ。
格:助さん、ちょっと待ってくれよ。
格:𝜑 番は、実数を並び終えることができたときに初めて作れる数だよね。俺は 0 から 1
までの実数を並び終えることができるなんてことは本心から認めていないぜ。無限だから
不可能だ。実数を作り並べるという無限に続く作業を途中でやめない限り 𝜑 番を作ること
はできない。
(仮 定 1ハ認メタガ、仮 定 2ハ認メテイナイ。対角線論法デ否定スベキハ、マズ 仮 定 2
デアッテ、仮 定 1デハナイ。
)
5
格:並び終えることができるのは有限集合の性質だ。自然数は無限だから、並び終える
ことはできないんだよ。勝手に、並べ終えたことにして、後から 𝜑 番を出してくるなんて
卑怯な後出しジャンケンだぜ。もし表の中に全ての実数があるのならば、そもそも 𝜑 番は、
すでに表の中にあるはずであって作り出せないはずだ。どんな実数を持ってきても、最初
の表の中にあるはずだと俺は主張するね。
格:それでも無いって助さんがいうなら、俺だって後出しジャンケンさせてもらうぜ。
𝜑 番を表の中に追加することにする。そうそう、𝜑 番のこと忘れていたかもしれない。自然
数は無限だから、幾らでも追加するぜ。助さん、表の中にない実数を全部言ってくれ。言
い終わったら教えてくれ。まとめて表の中に入れるから。
助:それは無限にあるから不可能だ。
格:それ見ろ。自然数だって無限にあるから表を完成させることなど不可能なのさ。だ
から俺は規則を述べたに過ぎない。
格:無限の数を並べ終えるという作業を完了しない限り 𝜑 番を作ることはできない。自
然数は実数の無限にも1対1で対応し続けるのだよ。
格:対角線論法は、相手が並べ終えたことを強引に仮定する卑怯な後出しジャンケンだ。
そもそも、無限を対象とする時に、背理法を使えるという論理的保証はあるのかい、助さ
ん。
助:・・・・俺は数学者じゃないから、カントールの原著を読む能力も気力も無いんだ
けど、日本人数学者の紹介する対角線論法はすべて、そこのところは明確に説明していな
いんだよね。不思議なことに、数学者で対角線論法に異を唱えている人はいないみたいだ。
3.区間縮小法
カントールは対角線論法(1891)の前に、区間縮小法を用いて最初の証明(1873)を行
ったとされています。区間縮小法では、直線を利用することで実数も自然数も一列に並び
終えていることが自明の仮定となっています。この仮定が本当に自明なのかは問わず、別
のアプローチでカントールの区間縮小法の論理的間違いを指摘します。
カントールのオリジナルのチェックは数学者に任せるとして、ここでは志賀浩二による
紹介をチェックします。
【カントルの定理】 実 数 の 集 合 は 可 算 集 合 で は な い 。
カントルはこの結果を 1873 年に見出した。公表されたのは 1874 年である。その証明には数直線の連続
性が用いられた。以下でこの証明を述べてみることにする。なお有名な対角線論法を使うもう1つの証明
は,この 17 年後,1891 年になって見出された。この証明は次章で述べることにする。
6
[証明] 実 数 の 集 合 R が 可 算 集 合 と す る と 矛 盾 が で る こ と を 示 す 。
実数が可算集合とすると,実数は自然数と1対1に対応する。したがって1つ1つの実数にナンバーが
つけられて,このナンバーにしたがって,3 番目の実数とか,532 番目の実数など,実数を番号によって名
指しできることになる。
いま 1 番目の実数を 𝛼,2 番目の実数を 𝛽 とし,𝛼 < 𝛽
とする。
次に 𝛼 と 𝛽 のあいだにある実数で番号が最も小さい実数を 𝛼1 とし,次に 𝛼1 と 𝛽 のあいだにある
実数で番号が最も小さい実数を 𝛽1 とする。 𝛼1 の番号が 10 で,𝛽1 の番号が 100 であるときの状況を図
で示すと下のようになる。
𝛼
α1
𝛽1
𝛽
1
10
100
2
実数
番号
この間にある実数は 100 番以上
次に 𝛼1 と 𝛽1 のあいだにある実数で一番番号の小さい実数を 𝛼2 として, 𝛼2 と 𝛽1 のあいだにある
一番番号の小さい実数を 𝛽2 とする。たとえば 𝛼2 の番号を 200 とし,𝛽2 の番号を 500 とすると,図の
ようになっている。
𝛼
α1
α2
𝛽2
𝛽1
𝛽
1
10
200
500
100
2
実数
番号
この間にある実数は 500 番以上
こうして
𝛼 < 𝛼1 < 𝛼2 < ⋯ ⋯ < 𝛽2 < 𝛽1 < 𝛽
という実数列ができる。𝛼𝑛 と 𝛽𝑛 のあいだにある実数は,𝑛 が大きくなるにつれ,番号がどんどん大
きくなっていく。
7
さてここで「実数の連続性」
(大人のための数学 第 1 巻,4 章,5 節)を使うと
lim α𝑛 = 𝐴,
𝑛→∞
lim 𝛽𝑛 = 𝐵
𝑛→∞
となる実数 𝐴, 𝐵 が存在する。しかし,この 2 つの実数は,すべての 𝛼𝑛 と,すべての 𝛽𝑛 のあいだには
さまれているので,この 𝐴, 𝐵 は番号がつけられていない。
これはすべての実数にナンバーがつけられていると仮定したことに反している。したがって実数は可算
集合ではないことが示された。
(証明終わり)
これは衝撃的な結果であった。
・・・・・・
(以上,引用終わり)
なお【実数の連続性の公理】を志賀は次のように紹介しています
3
。
実数列 𝑎1 , 𝑎2 , ∙∙∙, 𝑎𝑛 , ∙∙∙ があって,次の 2 つの性質をみたしているとする。
1) 𝑎1 ≤ 𝑎2 ≤ ⋯ ≤ 𝑎𝑛 ≤ ⋯
2) ある数 𝑀 があって,すべての 𝑎𝑛 は 𝑀 より小さい。
このときある実数 α があって
lim 𝑎𝑛 = α
𝑛→∞
となる。
さて、カントールの区間縮小法による証明を検討するために、ここでは「アキレスと亀」
に基づき、実数の連続性について2種類の立場:アキレスは絶対に亀に追いつけないとい
う立場と、アキレスは必ず亀に追いつくという立場の2種類を用意します。
「アキレスと亀」は次のような話です。
アキレスと亀が競争をすることになりました。アキレスは足が速いのでハンディーが与
えられました。亀が少し早く出発し、それをアキレスが追いかけるような形で競争するこ
とになりました。アキレスが出発したとき亀は 𝛼1 のところにいました。アキレスが亀の
いたところ(𝛼1 )に到達したとき、亀はもっと先に前進していて 𝛼2 にいました。次にア
8
キレスが 𝛼2 に到達したとき、亀はさらに先に前進していて 𝛼3 にいました。これを延々
と繰り返すので、アキレスは亀に追いつくことはできないという主張です。
ここで、少し脱線しますが、
「アキレスと亀」は、次のような背理法(の前半部分)であ
るとも考えられます。
「万物は静止しているか、動いているかのどちらかとする(二者択一しかないという)」とい
う前提の下で
→「仮定:万物は静止していて、運動は無限小の時間で区分できる(運動は準静的変化
が蓄積したもの、つまり静止が無限小の変化を無限回連続して加えるものである)」
→「アキレスは追い抜きを無限回試みても亀に追いつけない」
→「しかし、現実の世界では、アキレスは亀に追いつき、そして追い抜くので仮定が間
違っている」
(アキレスが亀よりはやく疲れて遅くなる場合、追い抜けないことも起こり得ますが)
→「結論:現実の世界では、万物は動いていて、無限小の時間などない(準静的変化な
ど無い)
」
背理法として捉えた「アキレスと亀」は、エントロピーというものをどのように解釈す
るかという課題とも深く関係しています
4,5
。無限小など無いというのが背理法の結論です
が、ここでは、ゼノン(ツェノン)に、無限小を認める立場、つまりアキレスは亀に追い
つけないという立場をとってもらいます。
そして、アルキメデスには、無限小を認めない立場、つまりアキレスは亀に追いつくと
いう立場をとってもらいます。
(1)
実数の連続性についてのゼノン(ツェノン)の立場
無限大が存在し、無限小も存在する。正の無限小 𝜀 について、
(無限大を除く)どんなに
大きな自然数 𝑛 に対しても 𝑛𝜀 > 1 を満たすことはない。このとき、もし 𝑛 が無限大に
なるならば、
1
= 𝜀,
𝑛→∞ 𝑛
lim
(2)
𝜀≠0
実数の連続性についてのアルキメデスの立場
無限大は存在するが、無限小は存在しない。したがって任意の正数 𝛼 と 𝛽 について、
𝑛𝛼 > 𝛽 を満たすような自然数 𝑛 が必ず存在する。また、どんなに小さな正数 𝜀 について
も、𝑛𝜀 > 1 を満たすような自然数 𝑛 が必ず存在する。この 𝑛 は無限大ではない。つま
り、有限回 ε を足し合わせると必ず 1 を超える。 ε + ε + ⋯ + ε > 1 (⋯ は有限回)であ
9
る。このとき、もし 𝑛 が無限大になるならば、
lim
1
𝑛→∞ 𝑛
=0
1
形式的に、 1 = 3 × 3 = 3 × (0.333 ⋯ ) = 0.999 ⋯ , ∴ 0.999 ⋯ = 1 としてしまうこと
がありますが、これはアルキメデスの立場です。
ゼノンの立場では 1 = 0.999 ⋯ + ε,
1
3
= 0.333 ⋯ + 𝜀 と計算し、0.999 ⋯ ≠ 1 です。
では、ゼノンの立場と、アルキメデスの立場の違いを図で示してみましょう。
1
縦軸下向きに自然数の 𝑛 を、横軸右向きに実数 𝛼𝑛 = 0 − 𝑛 をプロットすると次図のよ
うになります。
自然数 𝑛 が大きくなるにつれて、プロットされる点は無限の深淵に向かって沈み込んで
いきますが、ゼノンの立場の場合は、𝑛 → ∞ と、自然数が無限大に向かうと、そのまま深
淵のさらに奥深くに吸い込まれて行きます。無限の深みに lim𝑛→∞ 𝛼𝑛 = 0 − ε, ε > 0 なる究
極点が見えます。その究極点に一番近い実数が「0」だということになります。究極点と「0」
の間に他の実数は存在しません。究極点は、 𝛼𝑛 を生み出す 𝑛 によってナンバー付けられ
ますが、究極点に一番近い実数「0」は、 𝛼𝑛 を生み出す 𝑛 によってはナンバー付けられ
ないと考えます。「0」は亀であり、 𝛼𝑛 はアキレスということになります。ゼノンの立場
では、亀には決して追いつけないと考えます。
-1.2
-1
-0.8
-0.6
-0.4
-0.2
0
0
2
4
6
8
10
12
14
16
10
それに対して、アルキメデスの立場の場合、自然数 𝑛 が大きくなるにつれて、プロット
される点は、ゼノンの場合と同じように、無限の深淵に向かって沈み込んでいきますが、
𝑛 → ∞ と、自然数が無限に向かった途端、その深淵から弾かれるようにして、対岸の「0」
に跳ばされてしまいます。 この「0」 が、 𝛼𝑛 を生み出す 𝑛 によってナンバー付けられ
ているか否かが大きな問題です。
-1.2
-1
-0.8
-0.6
-0.4
-0.2
0
0
2
4
6
8
10
12
14
16
アルキメデスの立場では、この「0」 は、 𝛼𝑛 を生み出す 𝑛 によってナンバー付けられ
ていると考えます。なぜなら、ナンバー付けられていないと考えると、ゼノンの立場と同
じになってしまうからです。実に消極的な理由ですが、アキレスが亀に追いつくと考える
アルキメデスの立場では、ゼノンの立場と差別化するために、この「0」がナンバー付けら
れていると考えるしか選択肢が残されていないのです。0 = 𝛼∞ ですが、この 𝑛 = ∞ が何
ものなのかは、ここでは問いません。
重要なことなので繰り返しておきます。アルキメデスの立場では、数列 𝛼𝑛 が収束する
とき、その極限値は、 𝛼𝑛 を生み出す 𝑛 によってナンバー付けられていると考えることに
します。これは極限に対する深い哲学的考察によって得た仮定ではなく、単に、そう決め
ないとゼノンの立場と同じになってしまうからです。
なお、
「任意の二つの実数 𝛼 > 0 と 𝛽 > 0 について、𝑛𝛼 > 𝛽 を満たすような自然数 𝑛
が存在する」ことをアルキメデスの原理と呼ぶそうです。実数が有限(無限大や無限小で
ない)のとき、アルキメデスの原理が成立するのは自明ですが、実数が無限であるとき、
原理の成立は保証されません。しかし、実数が無限でもこの原理が成立すると主張してい
るのが、ここでのアルキメデスの立場です。それに対してゼノンが反発しています。
11
では、本題に戻ります。
志賀浩二は、アルキメデスの立場から、実数の連続性から得られる帰結として次のよう
なこと(区間縮小法)を示しています
6
。
𝑎1 ≤ 𝑎2 ≤ 𝑎3 ≤ ⋯ ≤ 𝑎𝑛 ≤ ⋯ ≤ 𝑏𝑛 ≤ ⋯ ≤ 𝑏3 ≤ 𝑏2 ≤ 𝑏1 で,𝑎𝑛 − 𝑏𝑛 → 0 ならば,ただ1つの実数 𝑐 が存
在して
lim 𝑎𝑛 = lim 𝑏𝑛 = 𝑐
𝑛→∞
𝑛→∞
が成り立つ.
これは,見方を変えると,閉区間の減少列
[𝑎1 , 𝑏1 ] ⊃ [𝑎2 , 𝑏2 ] ⊃ ⋯ ⊃ [𝑎𝑛 , 𝑏𝑛 ] ⊃ ⋯
が,𝑎𝑛 − 𝑏𝑛 → 0 をみたしていると,ある実数 𝑐 が存在して
∞
⋂
[𝑎𝑛 , 𝑏𝑛 ] = {𝑐}
𝑛=1
となることを示している.この意味でこれを区間縮小法という.
志賀の説明において、 𝑎𝑛 − 𝑏𝑛 → 0 の部分は、
アルキメデスの立場での、𝑛 → ∞, 𝑎𝑛 − 𝑏𝑛 = 0 を意味します。
ここで、ゼノンの立場とアルキメデスの立場の比較表を掲げておきます。
実数の連続性についての
実数の連続性についての
ゼノンの立場
アルキメデスの立場
無限小は存在する
無限小は存在しない
1
= 𝜀,
𝑛→∞ 𝑛
lim
lim α𝑛 = 𝐴 − 𝜀 ,
𝑛→∞
1
=0
𝑛→∞ 𝑛
𝜀≠0
lim 𝛽𝑛 = 𝐵 + 𝜀
𝑛→∞
lim
lim α𝑛 = lim 𝛽𝑛 = 𝐶
𝑛→∞
𝑛→∞
実数 𝐴 は,すべての 𝛼𝑛 より大きく,
実数 𝐶 は,
実数 𝐵 は,すべての 𝛽𝑛 より小さく,
すべての 𝛼𝑛 と,すべての 𝛽𝑛 のあいだに
𝐴+𝜀 =𝐵
はさまれている
𝑛 → ∞ によっても,実数 𝐴, 𝐵 に到達しない。
𝑛 → ∞ によって,対岸(実数 𝐶 )に跳ばされる。
究極点である実数 𝐴 − 𝜀, 𝐵 + 𝜀 には
実数 𝐶 は
𝛼𝑛 , 𝛽𝑛 のナンバー 𝑛 = ∞ が付いているが,
𝛼𝑛 , 𝛽𝑛 の両方に共通の実数であり,
実数 𝐴, 𝐵 には
実数 𝐶 には
𝛼𝑛 , 𝛽𝑛 のナンバー 𝑛 が付いていない
𝛼𝑛 , 𝛽𝑛 のナンバー
𝑛 = ∞ が付いている
註:𝛼, 𝛽, 𝐴, 𝐵 はカントールの区間縮小法の説明時のものに合わせています。
では、比較表を参考にしながらカントールの区間縮小法を見直してみましょう。
12
カントールは「lim𝑛→∞ α𝑛 = 𝐴 , lim𝑛→∞ 𝛽𝑛 = 𝐵 となる実数 𝐴, 𝐵 が存在する」と結論しています。
ゼノンの立場なら lim𝑛→∞ α𝑛 = 𝐴 − 𝜀 , lim𝑛→∞ 𝛽𝑛 = 𝐵 + 𝜀となり、アルキメデスの立場なら
lim𝑛→∞ α𝑛 = lim𝑛→∞ 𝛽𝑛 = 𝐶 となりますから、カントールの結論は、ゼノンの立場ともアル
キメデスの立場とも異なっています。
また、カントールは「しかし,この 2 つの実数は,すべての 𝛼𝑛 と,すべての 𝛽𝑛 のあいだにはさ
まれているので,この 𝐴, 𝐵 は番号がつけられていない。
」と結論しています。カントールが、どの
ような根拠で番号が付けられていないと考えたのか、志賀の説明には記述が無いので不明
です。
ここで、カントールの区間縮小法を、一貫してアルキメデスの立場を保った証明に書き
替えると、結論部分は次のようになるはずです。
さてここで「実数の連続性(アルキメデス)
」を使うと
lim α𝑛 = lim 𝛽𝑛 = 𝐶
𝑛→∞
𝑛→∞
となる実数 𝐶 が存在する。実数 𝐶 は,すべての 𝛼𝑛 と,すべての 𝛽𝑛 のあいだにはさまれている。実数
𝐶 には 𝛼𝑛 と 𝛽𝑛 のナンバー 𝑛 が付いている。それは最初に全ての実数に振った番号(𝑛 = ∞)である。
また、カントールの区間縮小法を、一貫してゼノンの立場を保った証明に書き替えると、
結論部分は次のようになるはずです。
さてここで「実数の連続性(ゼノン)
」を使うと
lim α𝑛 = 𝐴 − 𝜀,
𝑛→∞
lim 𝛽𝑛 = 𝐵 + 𝜀,
𝑛→∞
𝐴 + 𝜀 = 𝐵,
𝜀≥0
となる実数 𝐴, 𝐵 が存在する。実数 𝐴 は,すべての 𝛼𝑛 より大きく,実数 𝐵 は,すべての 𝛽𝑛 より小さ
く,両者は,すべての 𝛼𝑛 と,すべての 𝛽𝑛 のあいだにはさまれている。実数 𝐴 − 𝜀, 𝐵 + 𝜀 には 𝛼𝑛 と 𝛽𝑛
のナンバー 𝑛 = ∞ が付いているが,実数 𝐴, 𝐵 には 𝛼𝑛 と 𝛽𝑛 のナンバー 𝑛 が付いていない。しかし,
だからといってこの 𝐴, 𝐵 に,最初にすべての実数に振った番号がつけられていないと考える根拠はない。
なぜならば,無限はひとつに定まらず無限にある(すでに 𝛼𝑛 と 𝛽𝑛 に 𝑛 = ∞ を2つ使っているのだか
ら,更に別の2つを 𝐴, 𝐵 に使っても差し支えない)からである。
4.おわりに
カントールの対角線論法は、「対象とする集合の要素を並べきった」ことを前提として、その
並べきった要素の中に存在しない数を(後出しジャンケンで)作って示すという論法を用いてい
ます。
しかし、そもそも「並べきることができる」というのは有限集合の特徴であり、無限集合とい
うものは(可算無限であっても無限である以上)並べきることはできないという性質を持ってい
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ます。
そうであればこそカントールは「1対1対応」という道具を使って、自然数全体の集合も、偶
数全体の集合も、整数全体の集合も、無限としては同等の大きさ(濃度)を持つ可算無限(アレ
フゼロ)であることを示しました。
ところが実数全体を対象とした対角線論法では、対象の無限集合の要素を「並べきる」という
間違った前提をしています。
カントールは可算無限(アレフゼロ)より大きい無限(アレフ)を示した後も、対角線論法を
繰り返し用いることで、アレフより大きな無限が、無限の段階存在することを示したことになっ
ているようですが、対角線論法という考え方は対象の集合を有限化するので、対角線論法を無限
回繰り返すことで、無限の大きさを無限段階考えることができるのはアタリマエのことです。
しかし、カントールは対角線論法(1891)以前に別の方法で実数全体の集合が可算無限より
大きな無限であることを証明していたという説明もあったので、私は、対角線論法は間違ってい
るが別の証明は正しいのだろうと、ずっと思っていました。私は数学者ではないので、カントー
ルの最初の証明(1873)を探す努力は怠っていましたが
7
、偶然、志賀浩二による紹介を見つ
けました。それは、実数の連続性の公理を用いた証明でした。すぐに、こちらの証明もおかしい
ことに気づきましたが、対角線論法と異なり、数が直線上に並んでいることが自明のこととして
利用されていて、間違いを指摘するのは簡単ではありませんでした。それに、私は実数の連続性
そのものをよく理解していないからです。
ここでは「アキレスと亀」を出発点としてカントールの間違いを指摘しました。
「アキレスと
亀」もいろいろな解釈が可能であり、ここで示したゼノンの立場やアルキメデスの立場以外の立
場(たとえばカントールの立場)で考えることも可能だと思われますが、ここで私が行いたかっ
たことは、カントールの論理的間違いを指摘することだけであり、無限を扱う方法についてカン
トールの代替案を示すという無謀な試みではないので、 𝑛 = ∞ とは何かを、論理的整合性を保
ちながら深く追求するといったことは避けました。
1
志賀浩二『大人のための数学③ 無限への飛翔 集合論の誕生』紀伊國屋書店 2008 年 37-39 頁
野矢茂樹『無限論の教室』講談社現代新書 1998 年 私は 2009 年の第 20 刷を入手して読みました。対
角線論法に対する反論の歴史が紹介されています。区間縮小法には触れていません。
3 志賀浩二『大人のための数学① 数と量の出会い 数学入門』紀伊國屋書店 2007 年 94 頁
4 尾立貴志『勝手にしやがれ!エントロピー』
http://www.zg.em-net.ne.jp/~aurues/triage/room1/Fibonacci_entropy.pdf 準静的変化など無いという立
場からエントロピーを論じています。
5 尾立貴志『
「勝手にしやがれ!エントロピー 文系高校数学でも理解できる確率的世界像」を高校2年生が読
むための準備説明』http://www.zg.em-net.ne.jp/~aurues/triage/room1/GuideForFibonacciEntropy.pdf
6 志賀浩二『位相への 30 講』朝倉書店 1988 年 31 頁
7 WIKIPEDIA: Cantor's first uncountability proof, Cantors erster Überabzählbarkeitsbeweis
[ https://en.wikipedia.org/wiki/Cantor%27s_first_uncountability_proof ]
[ https://de.wikipedia.org/wiki/Cantors_erster_%C3%9Cberabz%C3%A4hlbarkeitsbeweis ]
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