要 畑 健 釆、ヤ滞の陳列ほもとより、特別展覧会にも出品され、また図録な 府立博物館の旧蔵品一〇七六件が贈られたその内の一つである。従 表現ながら峻厳な岩栢をしめす岩盤を三段にせり出すように生じ、 らわす。下方に様式化した水波を重ね、水中よりこれも様式化した 暗褐色の絵絹を用い、両面中央やや下寄り右によせて観音像をあ 江7 どにも収録されたことがあり、そのあらましはすでに知られてい 岩上に観音の坐像を見せる。高々と装飾のきわだつ宝冠をいただ 汁6 概 ノ\より大切にされて来たことがうかがわれるのである。 なおこの一幅は用いられている穣装の裂地もきわめて優秀で、早 5 切 元貞元年賛刺繍楊柳観音像︵離郷関配︶について はじめに 1 この刺繍楊柳観音像︵図版2参照︶ほ京都国立博物館︵当時は帝国京都 の開設にあたって、明治二十四咋、京都府知やより、京都 る。後述のように巾国中世の作品と考えられるのであるが、ほぼ同 き、右肘によりかかるようにして、左卿を立てた安楽な姿勢で、重 博物館︶ 代の通例中でも、緻密な刺繍技術はいうまでもなノ\、画像としても 厚な着衣を揮っている。右手の卓状の岩に一本の楊柳枝を挿した水 注2 特色ある作行きをうかがわせる。また両中には賛文が見られるが、 瓶を置き、本像が楊柳観音であることをうかがわせる。また画面左 注4 賛者愚極智恵は迫墨少なノ\、しかもここでは咋紀があきらかであ 下隅の海上には、浮かぶ蓮弁に乗る合掌形の善財童子を配してい 注3 る。さらに年紀をともなう賛文の存在によって、一般にこのような る。 また、画面の上方には九行におよぶ著賛があり、それにほ末尾二 緻密な処理をしめしている。 図様はいずれも、はなはだ特色ゆたかな緋技による刺繍で、精巧 作品の作期がきわめて不確実であるのに、木像が繍仏の展開を考え るうえで基本的な作例の一つになるものといえよう。このようにこ の刺繍楊柳観音像は各面においてはなはだ注目すべきものといえこ こにあらためて そ の あ ら ま し を 述 べ よ う と す る 。 89 る。 行に元貞元年︵〓一九五︶正月元日の年記と愚極習慧の署名が見られ ど剥落しているので、細部は不明に等しいが、わずかに伏目がちの ととしよう。ふくよかな下ぶくれの豊蠣で、顔面を繍う糸がほとん られる。三条に分かれた垂髪が耳にかかってさらに肩に流れてい 日差しがうかがわれ、ふくよかながら引き締まった顎や口元が察せ は有力な手がかりになると考え、さらに一見して鋭/∼引き締まった る。覿部にははとんど覆さるような形式で、しかも、化仏の後方に ところで本作品を検討するのに、特に作期を考える上でこの著賛 像容、密度の高い特殊な繍技などの特色から、一応、元代の作品と を消除するのを本誓にするとされ、また﹃千手下限観世音菩薩大悲 ている。草推のひろがる岩を小心に、下の一段はあたかも曲景など 述のようにわずかに右肘に上体の重みをかけて微妙な動きをしめし ふりかえり伏目がちの日差しが画面左下隅の童子を見る。そして前 いている︹−左脚を立てたやや左方へ向く体躯とは逆に、顔は右方を え、複雑な壁醸しめす袴をはく。胸もとには首にかけた理堵がのぞ かるかなり重々しく長い感じの上着に、袈裟をつけているかと見 うわぎ かな宝冠をいただく。耳飾りは華麗に玉を連ねる。着衣は両肩にか 留をつつむように盛りあがり、前面には蓮花を飾った、人きく華や あたかも障卵のような飾りがあり、さらに後方に骨⋮く仙がりながら 様 して以下に考察 を 進 め よ う と す る 。 図 注S 楊柳観音は二十三観音の一つで、また薬王観音ともよばれる。 心陀羅尼﹄にも記されることがうかがわれる。絵画にあらわされる ﹃千光眼観自在 菩 薩 秘 密 法 経 し ︻ の〓衣徹宵をはじめとし 感じさせるが、さらに観音と童子ほ視線をたがいに呼応させ裾ひろ によれば右手に楊柳技を執り、衆病 場合は著名な牧 糸 筆 観 晋 猿 鶴 図 ︵ 大 徳 寺 蔵 ︶ の足置きを思わせる表現であり、右後上方にせり上った卓状岩には 9 て、岩上に坐す観音の傍に楊柳技を挿した水瓶を置いてあらわされ 水瓶を置く。環境をうかがわせるような景物は、岩と水披をのぞい さてこの刺繍観音像の場合は先にも記したように海中よりさし出 がりの三角形を構成し、それはまた観音 像と相似形の重なりでもあ 注10 ることが多く、特に禅宗と関係のある作品の場合は、ほとんどが同 て一切あらわされないっ 全休の構図は下方に海波を重ねて安定感を た岩上に坐すが、これは観章の浄土である、南方海上の祁恒洛迦山 り、いっそう確かな安定感を与えている。空間と像の調和のとれた 拝n 和の図様をとるの で あ る 。 をあらわすと考えられる。また添えられた善財童子との組合せは 関係、さらに引き締まった像の表現や後述の色彩などから、画趣は 注12 ﹃大方広仏撃厳経﹄入 法界〓mに見るところの善財童子の南諭求法を まことに密度高く、これが刺繍による画像であることを忘れさせる 注13 あらわす善知識五十二参の一、すなわち第二十八、詣補但洛迦山を のである。 検討においては特にその環境表現などに、限界があることは充分考 次に本図は刺繍によった表現で特殊な性格をしめし、以下の比較 しめすと目され、同類の観音を描いた数多い絵画の中でも特色があ 、H.1二.4− ︸tl る。 繰り返えすようであるが、像容などをいま少し詳細に観察するこ 90 し、本図の位置や特色をとらえることとしよう。別表1は、従来の 慮されなければならないが、本図と前後する頃の他の観音図と比較 いのとはなはだ対照的であるといえよう。 そう不確であるが、10以下の各例がはとんど斬らしいものを見せな 配列したものである。円相の有無、独尊であるかないか、坐像か立 説に従がいつつ、宋代から明代に及ぶ観音図を抄出し、時代の順に 場合は大いに凝った装飾をしめしているが、10以下はそれほど日を 密接な関係があることに気づくのである。すなわち1から9までの 次に各像の宝冠の表現に注目すると、暫の高低の変化ときわめて 江15 像か、頭髪は高暫か石か、宝冠の有無、楊柳枝を添えているか、郁 引くものではない。例えば2は大手な筆致で楽に描いているが化 あり、宝冠はまた蓮華、正面の宝玉、左右へ連なる造形など骨格の 恒洛迦山中を表現するような背景や環境描写があるか、岩座の表現 以下のように本図を中心に比較を試みようとするのであるが、ま しっかりした無駄のない美しさをしめしている。ただし6は白衣が 仏、蓮台、宝玉類の装飾が立体感ある的確さでとらえられている。 ず我が国平安時代の東大寺木一善財童子絵﹂︵別表1の1参照、以下同 すっかり頭部にかぶさり、宝冠の存在さえ不明である。10は円相を の状態、蓄財童子を併せて描いているかなど、主として図像的な観 様︶が﹃大方広仏華厳経﹄入法界品の所説を図絵して巌を背に無冠 小心に雲状の連なりに宝玉を配したものが特殊で、後頭部にほ垂理 っいでにいえば耳飾りや胸に下げられた礫堵なども、略画的表現な の苦蔭が囲適する表現左しめすのをのぞくと、例示の全作口⋮が独尊 の鈎が見られる特色あるもので、衣文の描写などもはなはだ個性的 点から検討したものである。とくに顕著と考えられるものには●印 像で共通している︹﹀像容は大徳寺蔵︵2︶をはじめとして末代、ある である。11以下の諸作では宝冠の表現はむしろ消極的であるといえ がら、また実在感がある。3はきわめて高く結いあげた斬に特色が いは元代のものでもそれぞれに特色をしめしつつはなはだ厳格な坐 よう。このような諸例の中にあって、先に触れたように木像の冠は を附し、またき わ め て 特 殊 な 表 現 に は ㊨ を 付 し た 。 像にあらわされている。しかし木図を含んで9−14︵ただし10は立像︶ 特色がある。衣で覆わないので特にその全容をよくうかがわせる 注16 の観音は、坐像ではあるが立膝︵9︶胡座風︵11︶肘つき︵12︶類杖︵14︶ が、大きくとらえた化仏、左右の蓮華、装飾的な後舜、後頭部に盛 されている。このように高々と表現された宝冠はすでに普悦筆の 7 1 つきなど動勢を見せる特殊な姿で表現されている。また本図はわず りあがるふくらみ、飾られた宝玉や蓮花などまことに装飾的に処理 草柔軟 −観音図﹂︵清浄華院蔵︶に見られ、また伝武宗元撃とする﹁朝元仙杖 8 1 かに瑞を見せて草座であることをうかがわせ、入法界品に見る﹁香 四例に見られ、本囲もその範囲にあることをしめしている。次にそ 図巻一に南極天帝君や束華天帝君の冠に宝石を飾りさらに後方へふ 9 1 の頭髪の様子であるが、白衣観音の場合では、白衣が馨を覆って具 くらんで頂に宝玉を飾る形式が見られる。こうした例から、本図の 右旋布地﹂とあるのを伝えているが、草座ほ2!8までの 体的な様相は不明ながら、その盛りあがる状態から想像すると、1 冠にはむしろ末代的な性格がみとめられるといえよう。 それらに関連して、三条の垂髪や特殊な壁取りをしめす袴など 注20 から本間までの各例は高々と結いあげた留であることがうかがわれ る。もっとも本図は特殊な宝冠を若けているわけで、繋の様子は一 91 挿図2 刺繍楊柳親告俊雄分)衣(変り輸違い丈)3/1倍 挿図4 刺繍楊柳観音像席分)袈裟櫻繋ぎ文)3/1楷 挿図6 刺繍楊柳観眉像(那†)岩座:∋//1倍 挿図1刺繍傷跡範者像(都万)肉身習と瑠璃 3.′‘1倍 挿図3 刺繍楊柳鶴首像(部釧 衣縁取塘単文)と斜のつめ繍 4ノ1倍 挿図5 別納楊柳観古像撒分)衣縁(亀甲繋ぜ文)3/1倍 92 挿図8 刺繍楊柳観音像部分閲し文字)京都国せ博物館臓 挿図7 刺抑揚柳観音像(部分)水波 4/1倍 挿図10 馬裡儲層土間答図(部分)愚樺智慧賛 天寧寺蔵 挿図9 刺繍楊柳観苗像耳飾要領凶 挿図11雪峰玄沙問答図(部分)愚極智慧費 93 も、白衣︵もしくは衣︶で覆ってしまう像容とは異なり、伝統的仏像 にふさわしい表現ながら、またほぼ同代の絵画に関連がある。 れば、この楊柳観音図は伝統的な性格を多分にひそめ、さらに宋か このように繍像としての限界を意識しながらも図様の比収からす また例えば観音浄土については先述のように入法界品に記載があ ら元へと観音図の表現がある時点で変化しようとする、ちょうど曲 表現をしめすかと 考 え ら れ る の で あ る 。 り、この人菩薩は巌谷の中に在り、あたりに泉が流れ、樹林は薔欝 り角に位置する持色をしめすとい−つことができよう。 ﹁蓄財 繍 うな表現で、御物本﹁十六羅漢像﹂申に見られる岩相に通じ、いわ ︵以下同様のヤ金糸を用いる︶ 糸を効果的に扱った刺し繍の下地をつくり、後述の特殊な平金糸 に叢︵火炎・蓮花・蓮台など︶と藍︵光背・後厨・後方盛り上がり部分など︶ 黒冠︵図版1112︶は化仏︵仏身・光北〓・火炎・蓮ム〓に分れる︶、など る藍で、肉身都岡様の糸貫をしめす刺し甜で処理する。 髪は下地に焦室をぬり込み、垂髪もともにわずかに責を感じさせ 緋いとする。也は英で金色を意図すると考えられる。 肉身部︵挿図1︶は無撚りのきわめて細い糸を用いて、繊細な刺し れる︹− のある繍技をしめし、またはなはだ優れた手練によるらのと考えら この楊柳観音像はすべて刺繍で処理−されている。その刺繍は特色 刺 と繁り、観音は金剛宝石上に結蜘鉄坐するとある。さらに無量の背 薩が恭敬してこれ を 囲 透 す る と い う 。 そ の あ り さ ま ほ 前 述 の 童子絵﹂に描かれているが、別表にも見られるように、宋・元代の 2は幽遠な巌窟申で、水に臨 諸例では描かれた時期によって環境表現の有無についていちじるし い差異があると考 え ら れ る の で あ る ︹ ﹀ んだ岩石上に結蜘政坐する観晋の、まことに崇高な姿をとらえてい るが、3から川の各例では、そのような観音浄土の表現は見られな い。ただ8と本図が海中から突出する岩をあらわし、補恒洛迦山の 表現を意図するかと考えられる。そしてH以ドほまた渥甜ようの表 現、岩座、流水のほかに落漫や松樹、竹叢などを楕極的に加え、む しろ山水画中に観音が描かれているとさえいえる様相をしめすので ある。 また本図の岩の表現は特殊である。平行線を経の方向に並べるよ ゆる大潮石的なあらわし方であるが、後に明の綴鋪や刺繍官服など 糸の繍い詰めをあしらう。色糸はいずれも細く針足は短いがきわめ 注21 に見る蓬莱山の、様式化された表現に先行するものといえよう。ま て鋭い感じを与える。 で描き起こし風の割りを加え、さらに金 たこれは刺繍での処理にはふさわしい形態ともいえよう。水波は我 曲線が左右へ連なる気持を見せ、波の動きをとらえながら、様式化 の文様を異にし、着衣は一種の桁違い風のつめ文様︵挿図2︶、左肩 際なノ\駒繍糸の綴じあげによって繍いつめている。各部で繍いつめ 特に注目されるのほその着衣の刺繍で、特殊な金糸を用いて、間 されたものと考えられ、青海波の全く図案化した種田とは異なるも から胸前に垂下する部分は斜のつめ繍︵挿図3︶、左手にかかり腹前 国近世文様の青海波を想起させる表現であるが、しかし波一単相の のといえよう。この波は8や11や14などにもうかがわれ、刺繍処理 94 にひだをつくるのは袈裟であろうか、俗にいう麻の葉を感じさせる 菱繋ぎのつめ文様︵挿図4︶。袴は左肩と同じく斜のつめ繍︵ただし∬ てた左足は竪の平行繍︶、表着の綾部には小亀甲を繍いつめる︵挿図5︶。 また右肩ほ袈裟部と同じ菱形のつめ文様とし、その縁や左手、左卿 にそって垂下する部分の縁取は金糸を平行に綴じ、さらにその上に 金糸一本どりの肘草を綴じっけあらわした部分がある︵挿図3︶。 胸元に見える埋堵は金糸を平行につめ、さらに金糸一本で縁括り とする︵挿図1︶。 長大な耳飾りは迎ねた宝玉を叢と藍交互に肉身部などと同様の刺 し細いとし、やは り 金 一 本 の 縁 捕 り を 加 え る ︵ 挿 図 9 ︶ 。 致光は現状では、おそらく金泥と見える線で描かれているが、こ れは本来下抑であり、善財童子の東光によればもとは同じく金糸 の放じあげであらわされたものが、すっかり剥落した状態と知ら れる。 楊柳は茎︵剥落︶・葉ともに色糸の刺し繍いで、柴は黄と萌葱で 向いあう一双づつを北ハ色とし、交互に色を違え、いずれも金糸一 本で縁括りを加える。 水瓶は主として輪違いのつめ文様︵挿図3と同じ︶︹﹀ 単座はすべて苗糸の則し繍いとし、金糸一木の稼括りと繍い起 しを加える。 岩は天板状の平らな上面は黄糸による刺し繍いで、糸を平行に 用いたもので平繍的刺し繍とでもいえようか。針足は短かく、堅 密な鋭さを感じさせる。また平行伏の線によって立ちあがる側面 部︵挿図6︶は、萌葱の刺し繍いで、穀にそって隈取り様に藍を刺 し、さらにきわだてる部分には苗糸を加えている。薮は金糸一本 の綴じあげとする。 燕丁も触吾に準じて肉身部分ほ蛮糸の刺し糾い、着衣や天衣など は金糸のつめであるが、観音のように割り付け文様はなく、すべて 平行線のつめで処理されている。 波は線を重ねて表現するが、金糸一本の綴じあげと藍糸の割り刺 しの線あげを間隙をおいて交互とする︵挿図7︶。 各部分を通じて金糸の綴じ繍いが多量に駆使されている。この繍 いはほとんど他例を管見に見出せない特殊なものである。金糸は実 は平金糸で、幾枚も下地紙を重ねてかなり厚くしたものを、綴じ糸 を駒緋い、ふうにあつかって一本づつ締めるが、あたかも巾に糸の入 った通例の金糸のような丸味が見られる。綴じ糸は黄色で細勤な光 95 挿図12 刺繍楊柳搬帯像着衣部分文様分布要領図 れ、いささかの乱れなく息苦しいまでに繍いつめている。甜手はよ 沢あるもの。金糸ほいずれの部分でもきわめて厳格、緻密に扱わ 架もはなはだ厳しノ1、格調高い。 な光輝を見せ、限られた色彩がわずかに添えられる。この色彩の効 に繍い結めた部分で、録し糸の間隙を所々で替え、その連続が一本 かと考えられるほどである。なおさらに注目されるのは、平行線状 は遠近の趣がはっきりとあらわれ、楼閣は深遠の気にみち、人物の いものをもちい、設色彩妙、糸のつやは目を射るようであり、山水 は細密にして、その揃いの裸は一二糸にすぎず、針は髪のごとき細 ︸l二八ソ︼ の線となり、あたかもそのF地には別の糸が繍い込まれている風の 眉目には轄動の憎があり、花鳥のすがたは腕言である。それにひき 、rlこり一 ﹃糸静筆記﹄には﹃埼軒清秘録﹄を引いて﹁宋人の繍い ふくらみを見せて衣文を表現しているのであるっ金糸は、通例の駒 かえ元人の緋いは針目は粗く、糸ならびも密ならず、まま墨描きを ところで 甜の場合はいわゆる引きおろしによって文様の端で金糸を畠耐の袋 したところあり、眉目も宋人ほどの精妙さはない㌔ ほどの上手に違いないが、また想像を超えた視力の持ち主ではない けフ\ぐらせて処琴するのであるが、ここではいずれも裏面にまわら 録トlには﹁宋の閲紬の山水、人物、楼ム〓、花鳥の図は紺いが細密 えると、むしろこれは宋繍の持色に合致するといえよう。とくに糾 また﹁薫薗九 ず、その媚〓はまるで並べた丸太などを鋭利な刃物で切り揃えたよ で、針目をあらわさない﹂とあるという︵−宋繍の細密さにひきかえ のが見られる﹁し い色糸は﹁繍いの緑は一二糸にすぎず、針は髪のごとき細いものを 注23 うに、表面に斉一に並んでいる。また金糸繍いつめの上には任⋮室に て元の繍か粗荒である旨を述べているのであるが、本図にあてて考 の上に引ノ\ことの無理によるというよりも、衣文そのものの形の拙 もちい﹂とあるのに思い合わすことができるのである。しかし一方 、︶∴り一 よる衣文線を描きおこし、わずかに寒がかすれたようについている 劣とともに、何故かことさら劣等によったと考えられる。またそれ 前述のように ︸﹂の描線ほたどたどしく稚拙セあるが、それは緋糸 は下両きで刺繍でかくれるはずであったかもしれないが、現状では に、金糸繍つめの上に墨嫁が引かれているのをも見る︹︸ ﹁まま墨描きをしたところもあり﹂ に<〓致するよう 繍い起しは一切み と め ら れ な い ︵ 挿 図 2 ・ 4 ︶ 。 なお海巾よりさし出た巌が分れて、水波との間にできた小空洞の 申に、小墨出目︵挿図8・ほ︶がある。一椰の隠落款風のものと考えられ 随所に効果的に用いられる刺し繍は、いずれも細勤な乎糸によっ ており、繰り返えすようであるが、小刻みにきわめて鋭く、密度高 雲外雲他の賛がある白衣観音図︵京都国立博物館蔵︶が、海中よりさし 本図にはその上方空間に贅文︵図版11−1︶が書かれている。 出た巌の部分に﹁正悟﹂とする隠落款をもつのが想いあわされる。 い施工をしめし て い る 。 紺手はまことに練達の技を持ち、しかも一柁透きとおるような洗 練された感党をしめし、芸術的にも優れた作品としている。しかし なお童子のひるがえる天衣の表現▼などは、職人芸の興型をうかがわ せ胸のすくよう な 技 を 見 せ て 魅 了 す る の で あ る 。 観音・童子ともに黄の肉身は金色を意図し、金糸があふれるよう 96 無声五色線善 口面己入三摩地 □這些児回兎 を通じてその筆跡に注目すると、大徳二年の墨跡は蒼枯の中にも洗 る﹁雪峰玄沙問答図﹂︵挿図11︶にそれぞれ画賛が見られる。それら ﹁馬祖鶴居士問答図﹂︵挿図10︶、および個人蔵のやはり牧彩筆と伝え なければならない。他には京都、天寧寺伝来の牧鉛筆と伝承のある 曹陀 噴 出 現 閲 であるというような条件の退い、あるいは用筆の差によるものであ は、いささか異なるものを感じさせる。それは画質がいずれも絹本 注28 注27 財童見便見月 練された趣があり、骨格確かに攣っが、本繍像もふくめて三幅の資 ︵児︶ 明風定江如練 彩両 ろうか。とにかくその筆跡は往来の能無口というのではないが、咋齢 おそらく 以上のようにこの楊柳観音像一帖は注目されるいノ1つかの特色を O 躍したという。その数少ない墨跡の一に大徳戊戌︵二咋−一二九八︶夏 しめすのであるが、まず図様はほぼ同代の作=⋮と比較すると、元代 ヽJ し するわずらわしさをあえて避けた配慮によるものと考えてお主こ.ル 感じるのであるが、それは通例のように一ル年と記せば、元字が三重 えようか。なおその末尾の ﹁元貞一咋元日﹂の記法にいぶかしさを るにふさわしく、また贅中の一児﹂を﹁見﹂と誤るのも老咋放とい の贅はかなりの老筆であるのを感じさせ、まさに齢八十一歳と考え きわだてるようにした筆法かと想像させるのである。特にこの繍仏 かなり柔らかなしかも比較的長峯の、筆腹を用い、あるいは筆峯を ねばりある線質をしめし、はなはだ桐件的なものであるっ とともに深みを増した魅力あるもので、血糊な意志力を感じさせる 紬像 命 賢 元 日 〃、心 一作 元 〓 浄 慈 ‖ 彗 心 ぷ紬 末尾二行によって、この贅が元貞元年正目元日に愚極智蜃が書い たと知られる。 賛者愚極智慧は諸僧伝にも見出せず、その伝はほとんど明らかで 注25 一括拙正澄 ないが、仏鑑と同門の石田法責の法嗣にあたり、次の法流にある。 披庵祖先 ー 如州準師範 Ⅰ 竺田悟心 − 石田法燕1J愚極腎慧− −樵陪情逸 − 五山の育十両及び浄慈に任した人物で、南宋から元におよんで活 六月、時年八十有四とあるのがきわめて山只重と考えられたのであ 観苫図の特色である、いささか騒々しくてわずらわしさを感じさせ ﹀lり・︼ る。ところが、本図にも前記の年次が見られ、愚極八十一歳の撃と る動きは本図に見られない。深遠にして静誰な趣をしめして、むし l:L仁U 知られその伝にいま一つ新しい資料が加わったわけで、特に蚕祝し 97 ろ宋代の観音図に感じる透きとおるような繊細な格調に近いと思わ れるのである。 注29 また刺繍の面からも、別表2について見られるように、唐代の釈 迦説法図を除くと、宋から明に及ぶ各作品が多様な繍技を駆使する 申にあって、本図は限られた技法により、しかも半金糸を用いた駒 緋系の特殊な紬技を多n現に川いている。また刺し緋の糸が細く針足 短かノ\繍うこと、乎金糸部分も同様に一分の隙なき様相で、まこと に厳しく処理している点などはむしろ宋繍の特色と考えてもよい。 また平金糸の使用は、あるいは元代に通例の絹糸に平金糸をまきつ 0 3 けた撚金糸が川いられることとなる以前のパ様をしめすかとも考え られ、図様、繍技の双方からこの作期を推定することができるので ある。すなわち、賛文の元貞元年よりもなお潮る、おそらく宋末元 初に位置づける繍 像 と 考 え ら れ る の で あ る 。 ︵注︶ 4︰﹁世界美術全集﹄16︵昭和40年3月 角川書店刊︶奈良国立博物館編 上下は茶褐色の紬、中廻しは紫耕地牡川唐草文様印金、一文字風滞は ﹃緋仏﹄︵昭和39咋7月 奈良国立博物館刊︶ 5 現状では暗褐色を呈しているが、注4の﹃縮仏﹄解説︵西村兵都民︶ 萌葱地学花暦単文様竹屋町の各裂。 6 では﹁濃緑の細掃﹂とある。 本圃が絵絹を川いているのは朋らかで、それは綿に二つ入りの歳目−の 楊柳観音については、﹃仏教大辞典﹄によった。 ある平組織で、経は∴mの間に約35本、緯は同じく約32越である。 7 8 若欲消除身上衆病者。当修楊柳技薬法。其薬王観自在像。相好荘厳如 98 9 前所説。畔右手執楊柳枝。左手当左乳上顕撃。画像LL。印相右手屈哲。 10 別表1の諸例でも、2、5、7、8、9、10、11、14が楊柳枝をあら 薪為身上踵種病難者。当於楊柳技手。︵﹃大正新修大蔵経﹄第二十巻︶ 諸指敬重。︵﹃大正新修大蔵経h第二十巻︶ 11 わしている。 12・し大方広仏華厳経﹄巻第六十八 ・於 ︰此南方。有山。名補但精迦。⋮⋮漸次遊行。至於彼山。処処求寛此 大菩薩。見巽西面巌谷之申。泉流祭政。樹林看欝。香草柔軟。右旋布 地。観自在菩薩。於金剛宝石上。結蜘既坐。無量菩薩。皆坐宝石。恭敬 ﹁善財童丁絵﹂︵藤出美術館蔵︶に観青浄土参詣の場が見られ、その讃 王振鵬筆﹁観音図﹂︵根津美術館蔵︶に童子が描か、れているのは、善財 東京国立博物館刊︶ 東京岡立博物館編︵海老般総郎解説︶﹃栄二几の通釈人物画﹄︵昭和50 咋1月 15 童子と考えられる。 14 とある。﹃藤田美術館名品図録し二昭和47年3月 藤田美術館刊︶。 所曹現衆庄一切前補但洛迦山険絶宝林香草聞流泉 第七随順等観一切衆生廻向知識 補但洛迦山観自在菩薩讃観音常在如来 こ 13 本紙法員、 縦 5 9 ・ 8 0 0 、 械 3 7 ・ 7 Ⅷ 磁極贅 国道。︵㍉大正新修蔵経b第十巻︶ 支那製 京都国立博 物 館 台 帳 に 如意輪観世音 菩 薩 像 絹 地 刺 繍 掛 幅 明治二十四年 二 月 二 十 一 日 京 都 府 寄 附 横壱尺弐寸五分 大正十三年九 月 二 十 六 日 東 京 荷 室 博 物 館 引 継 桐箱 中風紫印金一文字椙金 漬壱尺参寸弐分 本地竪壱尺九 寸 八 分 ︵紬︶ 総竪四川七寸 五 分 附属品 表装上下茶地 把 軸木 特別展覧会 ﹁ 紬 仏 ﹂ 奈 良 国 正 博 物 館 ︵ 昭 和 3 8 年 4 5 月 ︶ とある。 3 戸田禎佑﹃牧 糸 ・ 玉 潤 ﹄ 水 墨 美 術 大 系 第 三 巻 刊︶ 講談社刊︶ ︵昭和50年2月 ﹁﹁禅林撃野b 朝日新聞社刊︶ ︵田山方南 階哉 講談社 大江 一 大祐 昭和30年1 川上挫二戸田禎佑・海老根聴郎﹃梁楷・因陀羅﹄水墨美術大系第四巻 ︵昭和50年 2 月 注13参照 注12参照 ︵昭和53年5〃 各図は注1 5 の 謂 古 参 照 。 注15参照 注15参昭州 ﹃御物集成 卜 絵 画 u 解説参照 ︵江4↓﹁緋仏﹄解説︶。 ︵注25参照︶ 踵語﹂ 抜語﹂ 禅林墨跡 刊 行 会 刊 ︶ ﹁愚越智慧 裏 跡 両引用は西 村 兵 部 氏 に よ る 董其呂作 月 ﹁愚転智慧 墨 跡 療絶猥準二老 人 得 時 行 過 雷 亮 一 世 無 憾 突 捜 翁 石 其 才 無 其 位 才渉思﹂惟 戌戌夏六月浄悪智慧題時年八十有印﹁愚極﹂万印﹂銅価﹂鼎印↑仏 心﹂方印 伝牧新筆 ︵侮老根総郎氏による︶ 惰祖塵属 ⊥ 問 答 岡 ﹂ 伝 牧 鉛 筆 ︵ 大 軍 寺 蔵 ︶ l 昆甚 磨 人 不 万 法 . 個 我 足 馬 簸 究 、 跡 L 是 鵬 居 士 東去浄慈愚 極 細 慧 ふヨ嘩玄沙 刑 答 図 上 玄沙宗旨別無道理工郁コ礼拝〓倒〓∵起因我得礼祢﹂浄慈仏心㈲慧 ︵軸老眼総郎氏による︶ 奈良岡ユ≠博物館蔵。ただし注2の図録では円木製と考え作期は奈良時 代とされた。 別表2の第2、知恩院蔵袈裟は宋−元の作品とされたが、これには平 銀糸が用いられている。また節4の智積院蔵法華経には通例の金糸が見 られる。 ︵なお小稿執筆にあたり、貿の釈文については林屋唇二郎館長に、また特 に愚極智慧の墨跡の所在については、金沢弘普及室長の教示を得た。記し て謝意を表する。︶ 99 16 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 27 28 29 30 別表1 代 童 子 絵 図 ○ ○ 0 ● 0 ● 0 〇 〇 〇 備 0 備 中峯明本質 牧鉛筆 大徳寺蔵 無準質 平石如砥贅 絶際永中筆 .バ 雲外車姉貴 植 京都国立 ‡振鵬筆 根津美術館蔵 正爪筆 揖極刑慧賀 高桐院蔵 伝牧糸筆 清遠文相賀 伝牧鉛筆 円覚寺蔵 伝教輝筆 ネルソン美術館蔵 わたし繍伯、撚・平金糸−両用J 大手・な締技、わたし繍泊。 比較的大手な締、撚金糸を用いる。 各甜技はきわめて細緻精巧。糸も細く、 いる。 平銀糸を川いているU 半金糸をふんだんに用 文様はパ碩であるが、比較的糸太くゆるやかな繍技をしめす。 地金直に繍いつめるり 0 称円相独旦坐俊惰俊髄痙草座宮言冠楊柳首鼠憮景岩座諾調度 宋・元観音図像対照表 名 財 昔 背 ● ● 駒村良糀鋸鎖乎糸撚糸 ● ● ● ● 安善 観 0 時 平 衣 0 0 1 ﹂ :\ 2 自 図 〃 背 図 3 観 苫 図 衣 観 音 ・目 衣 観 元 白 図 図 ︵一 音 図 司 ● ○ ○ ○ ︵︺ 0 0 0 0 0 0 0 ■ケ 5 〃 音 観 音 ○ 。 ● ● ● ● ● @ 0 0 0 0 ● ● ● 0 0 0 0 0 右 平繍返し耗割り 壊)(峯・拳@㌔皐● 。〇○ 0 0 0 C・0 0 0 〇・0 0 4 6 観 観 月 観 . 判 〃 〃. 7 S 〃 水 衣 図 1明繍仏繍技比較表 称 ○…●0 ○ = ● ○ ● ● ● ● ○ 0 0 = ● 元剥か玩︶ 刺 繍 楊 柳 徹 宵 図 0 1 ・ク 観 唐 名 ● ○ ● 0 〇 0 0 CI 0 9 1 1 観 ′イー 〓 〃 士寸 やヽ 日日H 別表2 〃 元−明 2 1 3 1 4 1 1 釈迦説法図︵奈博蔵︶ 袈裟︵ 楊柳観音図︵京樽蔵︶ − 〃 法華経︵智積院蔵︶ 2 3 元 辞仏帖︵東福寺蔵︶● 舛風貼 知恩院 4 〃 招浬∵像︵久遠寺蔵︶ こJ 明 6 ○ 100
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