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農
イチゴの花をパックにのせる心遣い
ねりま人
♯76
ねりまベリー交流会について伺うと、
「いろんな
業界の人と出会えるので、勉強になります。イチ
ゴを作る張り合いになっていますね」と実直さを
覗かせる和雄さん。
「イチゴはとてもデリケート。
夏暑くて冬急に寒くなると、色がつきにくい。暖
房も日照も欠かせません」
イチゴの話では、真摯な想いがこもります。照
できるだけ農薬を使わないよう心がけていま
す。ミツバチの巣箱もあって自然受粉させて
います
れ屋で寡黙なご主人をフォローするのは、お話上
手な喜代子さん。
イチゴ農家
(ねりまベリー交流会 会員)
加藤和雄 さん
喜代子 さん
■プロフィール 加藤和雄(かとう かずお)
昭和 21 年、3 人兄弟の長男として、大泉に生まれる。32 歳のとき父
親が他界、農家の5 代目を継ぐ。以来、農業一筋。現在は妻の喜代子さん、次男の淳(あつし)
さんと一緒に、年
間50~60品種もの野菜や果物、
貴重な練馬産イチゴを栽培。ねりまベリー交流会会員、
練馬区農業委員会副会長。
喜代子(きよこ)
朝霞の農家出身。25 歳で結婚。3 人の男の子に恵まれる。「作らないとない」という休みには、
夫婦そろって旅行を楽しんでいる。
イチゴ はとてもデリケート
毎年 試行錯誤しているんですよ
品種もいろいろ試した末、今はとちおとめ1種類
加藤家では昔、麦を中心に、大根類、お茶、菜
に落ち着きました。それにハウス栽培は 1 年中や
種油を作ったり、藍染めなども行ったりしていま
ることがあるんですよ。冬は 6 時からで、
夏はもっ
した。
と早い。昔は農閑期に余裕があったけど、今は寝
「麦畑はチクチクしてかゆかったけど、ヒバリ
るのも仕事のうち、というくらい」
がさえずって、のどかだったなあ。1 メートル近
2 棟 120 坪のハウス内には、大きな粒をそろ
く雪が降って、竹でスキーを作って、坂を滑り降
えたイチゴ畑が広がっていました。中央にはミツ
りたこともあったね」
バチの巣箱が置かれ、飛び回って受粉します。収
子ども時代を伺うと、そう懐かしむ和雄さん。
穫はもちろん、パック詰めもすべて手作業。詰め
木登り、竹馬など、近所の友達と遊びまわってい
る作業は、大きさを揃えながらまるでパズルのよ
たそうです。先輩が面倒を見てくれる、年齢を越
う。ちなみに、イチゴの花を知らない人もいるの
えた子どもたちの“コミュニティ”が、自然とでき
で、花を一つ、パックにのせておくそうです。買っ
ていた時代でした。
た人がうれしくなる心遣いですね!
和雄さんが農家を継いだのは 32 歳のとき。
「『留守番でいいから』と言われて嫁いだはずな
のに…。気づけば 1 歳半の子どもをトラックに
った!」の
「おいしか に
め
ひと言のた 婦です
夫
頑張るご
練馬の春の名物となったベリーフェスティバルでは、
主催は、区内の農家、和洋菓子店などによる
「ねりまベリー交流会」。その会員で、大泉で 150 年
続く農家の 5 代目が加藤さん。ご夫妻での登場です!
26 ねりま大好き! 〜ねりま人〜
乗せて、神田の市場に 100 ケース届けてました
(笑)」と言う喜代子さんに、
「留守番なんて、今となってはギャグになっ
ちゃったね(笑)」と和雄さんは笑いで返します。
ほのぼのした掛け合いに、仲のよさが伝わって
瑞々しい甘さが口いっぱい広がる、練馬産のイチゴ!
採れたての直売品や新商品のお披露目が大人気です。
イチゴ植えは、今も一家総出で
「味を良くしようと、毎年試行錯誤しています。
練馬で
一番好きな場所は?
照れ屋なご主人と、
お話上手な奥さん。
相性ピッタリ!
きます。今も、農繁期には一家総出。イチゴ植え
では全員集合します。孫の小学校の社会科授業に
呼ばれて、キャベツの話をしたことも。また、農
作業ヘルパー・援農ボランティアの指導など、全
学園通りの桜並木
力投球の日々が続きます。農業がつなげる、家族
桜並木の先に畑があるので、毎年
ドライブをして楽しんでます。
と地域のつながりを感じる、
お二人のお話でした。
(平成25年2月掲載)
〜ねりま人〜
ねりま大好き! 27
農
酪農体験を通じて生の感動を
ねりま人
♯70
小泉牧場を地域に浸透させるべく、様々な取り
組みに前向きの勝さん。酪農体験で親子連れを受
け入れたり、練馬のちなんだ商品「ねりコレ」に自
上/牛舎の向こうには高層のマンションが見えます
家製アイスを出品したりしています。
「小泉牧場」
練馬区大泉学園町 2-1-24 TEL.03-3922-0087
営業時間 10 時〜 20 時/不定休
「牛乳は工場に納品すると、各地域のものと混
ぜて加工し、販売されます。でもアイスクリーム
左/
「ねりコレ」
認定の自家製アイス。小泉牧場の向
かい側の建物で販売しています
なら、小泉牧場だけの牛乳で作れるんです。僕に
※「ねりコレ」
とは、練馬区にちなんだ商品のこと
(P.2 参照)
とって牛乳は、朝から晩まで働いてできる命の一
スイスで学んだ、帰る場所の大切さ
滴であり、魂の一滴ですから」
アイス作りのきっかけは、6 年前にはじめた親
小泉牧場 3代目
小泉 勝 さん
■プロフィール 小泉 勝(こいずみ まさる)
昭和 10 年創業の小泉牧場の長男として、昭和 45 年に生まれる。
少年時代の父親との思い出は、「キャッチボールくらい」。高校卒業後、農業大学校に進学。さらにスイス留学で
酪農を好きになり、平成 4 年より小泉牧場で働き始める。現在は45 頭の牛の世話をしている。小学生の長男は
「私
より搾乳が上手」
という。
●フェイスブック https://www.facebook.com/masarusan1970
子酪農体験でした。せっかくのつながりが一回で
酪農一筋の人生かと思いきや…高校まで、「動
終わったらもったいないと、対面式の直売所を設
物も虫も子どもも嫌い、我ながら嫌な野郎 ( 笑 )」
置。そこから、アイスを通してひと声かけ合うふ
だったそう!
れあいが生まれました。
「高校 2 年の時、親父がふと『お前がサラリーマ
「酪農体験では、子どもたちに命の大切さやチー
ンになったら、税金も払えないなあ』とつぶやい
ムワークを学んでもらっています。牛乳は子牛が
て。
現実的に
『自分しかいない』
と気づいたんです」
飲む分を私たちが分けてもらっていると理解して
突如目覚めた勝さんは、農業系の大学へ入学。
ほしい。今の子どもたちは、喜怒哀楽が少ない印
さらに、スイスへの酪農留学で出会ったホスト
象がありますが、嬉しいときは喜び、悔しいとき
ファミリーから大きな影響を受けました。
は悔しがる、生の感動も体験してほしいですね」
「『家族を守るために働きなさい』というスイス
の父の一言が、心の底に響いて。どんなに仕事が
うまくいっても、帰る家がないと生きていけな
い。家族あっての自分、だから頑張れるんだと学
僕にとって牛乳は、
命の一滴であり、魂の一滴
びました」
ぷりの
ーモアたっ
ユ
で
顔
に
笑
アツい語り
勝さん。 ました!
引き込まれ
帰国後、小泉牧場で働き始め、結婚、長男誕生
と順風満帆。「この牧場をなんとかしなくては」と
いう熱意と、仕事=男のステータスという思いか
ら、365 日働きました。
「そんな様子を見て、仲間からは『化石みたいな
やつだ』と言われました。酪農ヘルパー制度に登
大泉学園駅から徒歩10 分。車通りも多い住宅街のなか、
録はしていたものの、一度も利用したことがな
酪農家の小泉牧場があります。
一本気な職人気質の 2 代目・與七さんと一緒に働く3 代目の
勝さんは、
「 23 区唯一の牧場なんて、あだ名がついちゃって
ますけど、僕は後を継いだだけ」と屈託なく笑います。
家族想い、地域想いの情熱家です!
28 ねりま大好き! 〜ねりま人〜
かったんです。数年前から月 2 回、利用していま
練馬で
上/サイロは牧場のランドマーク。
乳牛の飼料が入っています
すが、『パパ、休んでくれてありがとう』と息子に
言われ、父親として情けないなと思いました」
大泉中央公園
右/平成15 年に酪農教育ファーム
に加入。仲間と共に教え方の勉強
にも励んでいます
一番好きな場所は?
噴水もあって水遊びができるし、
家族でよく行きます。
今も 6 時から 22 時半まで働きづめの勝さんで
すが、家族でドライブしたり些細なことにも幸せ
を感じるとのことでした。
〜ねりま人〜
(平成24年8月掲載)
ねりま大好き! 29
農
左/「たち編み」と呼ばれる
練馬特有の大根の干し方
(写真提供 : 渡戸さん)
石神井川で川しじみを採った少年時代
ねりま人
♯62
下/大樽に積まれた練 馬大
根たくあん漬
生まれ育った平和台、渡戸さんにとっての原風
景からお聞きしました。
「子どもの頃、この畑から富士山や東武練馬の
駅が見えたんだ。石神井川では水泳の授業で泳い
だり、川しじみを採って食べたり…。懐かしい思
い出だね。正久保橋あたりまでボート屋も出てて
ね、10 銭くらいだったかな?」
そう懐かしむ渡戸さんが農家を継いだのは、戦
た肌は、
日に焼け ならず。
に
一朝一夕 信念さえも、
る
農にかけ るようです
物語ってい
後のこと。日本社会が自由経済に変わった、まさ
に激動の時代でした。
練馬大根は低地では栽培できないので、昔はこ
辛みが強くて沢庵にぴったりの練馬大根!
こ平和台や春日町、高松、豊玉の一部などで作っ
練馬大根 農家
渡戸 章 さん
ていたそうです。
一時期は途絶えてしまった練馬大根の栽培に、
「昭和 26 年に野菜の統制経済がはずれ、農家は
渡戸さんは積極的に取り組んでいます。
“自由”業になりました。練馬の農家はどこも作っ
「練馬大根は、長いもので1メートル以上にもな
ていた米をやめ、一気に野菜に切り替えたんで
るので、男でもなかなか抜けずにまいっちゃうよ
す。米より野菜のほうが割に合うから。工夫をし
■プロフィール 渡戸 章
(わたど あきら)
昭和 9 年、練馬区平和台の渡戸家に7 人兄弟の長男として生まれる。
小中学校の6・3制の第一期生。6代目として農業を継ぐ。平成2年から区と提携して、練馬大根の栽培に携わる。
「みんなと同じことをするだけじゃやっていけない」という信条のもと、精力的に畑に出る日々。サラリーマンから転身
した次男が、後継ぎとして修行中。
●よみがえれ練馬大根 http://www.city.nerima.tokyo.jp/annai/fukei/daikon/index.html
練馬大根で、日本人の
原点 を伝えたいんです!
(笑)
。腰を痛める人も多かったね」
ないと資本主義では生きていけない。だから練馬
と、明るく笑い、歳を感じさせない屈強な体で、
大根にも、沢庵という付加価値をつけているんで
ぐいぐい練馬大根を引き抜いていきます。洗って
す。やればやっただけのことはあるのが、自由業
吊るして干して潰けて…、沢庵に加工して出荷し
ですから」
ます。
常に経済も視野に入れ、
「先を見据える」のが渡
「味は繊維質で辛みが強く、身が締まってるので
戸流の生き抜く術でした。
沢庵にぴったりなんだ」
と、練馬大根の特長を語る
渡戸さん。
「明治 19 年生まれの祖母は、赤ナス(トマト)や
レイシ
(ゴーヤ)
も作ったそうです。
パン食に変わっ
た日本人の食生活合わせて、パセリやレタスを作
るようになりました」
この時代の変化には、強く感じるところがあり
ました。
一時期は途絶えた練馬大根の栽培に、積極的に取り組む
「よくも悪くも、
“かぶれやすい”
のが日本人。もっ
渡戸さん。平和台で代々続く農家の 6 代目です。
昔ながらの人力で大根を抜き、吊るして干して沢庵に加工。
毎年 1、2月ころ開催の「ねりま漬物物産展」では、
練馬大根たくあん漬が一番人気です。そしてそこには、
練馬の今昔を見守ってきた農家としての想いがありました。
30 ねりま大好き! 〜ねりま人〜
と行動にも食にも誇りを持たなくちゃ。だから私
練馬で
一番好きな場所は?
石神井公園ふるさと文化館
練馬の歴史などの調べものに、良
く出かけます。
平和台駅からほど近い渡戸さんの畑。
住宅街の中にあります。エコ農薬を使
うなど、農薬にも細心の注意を払いま
す。単純に
「無農薬がいい」と言ってほ
しくない、と渡戸さん
は練馬大根で、
『昔はこんなことをやっていた』と
アピールしたいんです」
気さくな話ぶりの中に、熱い思いが伝わってき
ました! 今日も農業を通して練馬の、そして日
本の行方を見守っています。 (平成23年12月掲載)
〜ねりま人〜
ねりま大好き! 31