くろん坊

くろん坊
岡本綺堂
3
た話で、年を経るままに忘れていたのであるが、
﹁享和雑
つて私に話してくれたことがある。若いときに聞かされ
があるらしく、わたしの叔父もこの黒ん坊について、か
でもないらしく思われる。元来ここらには黒ん坊の伝説
わしく調べて書いてあるのを見ると、全然架空の作り事
伝えたのか知らないが、その附近の地理なども相当にく
州 徳山くろん坊の事という一項がある。 濃
何人 から聞き
このごろ未刊随筆百種のうちの﹁ 享和 雑記﹂を読むと、
一
るのであるから、叔父は早々に身を隠して、その危難を
捕るか、殺すか、二つに一つの手段をとるに決まってい
して、どこの藩でも隠密が入り込んだと 覚 れば、彼を召
いに警戒しなければならなくなった。その時代の習いと
ないということを 睨 まれたらしいので、叔父の方でも大
が厳重であったのか、いずれにしても彼が普通の商人で
ていたのであるが、叔父の不注意か、但しは藩中の警戒
近在を 徘徊 して、商
売 のかたわらに職務上の探索に努め
八月から九月にかけてひと月あまりは、無事に城下や
叔父は小間物を売る 旅商人 に化けて城下へはいった。
あるから、もちろん武士の姿で入り込むことは出来ない。
にら
あきない
たびあきんど
記﹂を読むにつけて、古い記憶が図らずもよみがえった
逃がれるのほかはなかった。
きょうわ
ので、それを機会に私もすこしく﹁黒ん坊﹂の怪談を語
しかし本街道をゆく時は、敵に追跡されるおそれがあ
はいかい
りたい。
るので、叔父は反対の方角にむかって、山越しに越前の
なんぴと
国へ出ようと企てた。その途中の 嶮 しいのはもちろん覚
のうしゅう
江戸末期の文久二年の秋︱︱︱わたしの叔父はその当時
悟の上である。およそ十里ほども北へたどると、 外山 村
さと
二十六歳であったが、江戸幕府の命令をうけて 美濃 の大
に着く。そこまでは牛馬も通うのであるが、それからは
けわ
垣へ出張することになった。大垣は戸田氏十万石の城下
山路がいよいよ嶮しくなって、糸貫川︱︱︱土地ではイツ
とやま
で、叔父は隠密の役目をうけたまわって 幕末における
ヌキという。古歌にもいつぬき川と詠まれている。享和
み の
大垣藩の情勢を探るために遣わされたのである。隠密で
4
が、路の一方には底知れぬほどの深い大きい谷がつづい
にしみて来た。糸貫川とは遠く離れてしまったのである
ころに、九月の十七日は暮れかかって奥山のゆう風が身
にはかどらない。もう一里ばかりで下大須へたどり着く
育ちであるから、毎日の山道に疲れ切って、道中は一向
叔父は足の達者な方であったが、なんといっても江戸
上り下りの難所の多いことは言うまでもない。
越えて、はじめて越前へ出るのであるが、そのあいだに
鹿、松田、下
大須 、上大須を過ぎ、明神山から 屏風 山を
をかけて、大きい鮎を捕るのである。根尾から 簗 大字 小
が名物で、外山から西根尾まで三里のあいだに七ヵ所の
の山川の流れにさかのぼって根尾村に着く。ここらは 鮎 雑記には 泉除 川として一種の伝説を添えてある。︱︱︱そ
かかった柴の火が弱く燃えていた。
人の若い僧が仏前で経を読んでいるらしく、炉には消え
間 からのぞくと、まだ三十を越えまいかと思われる一
隙
は一軒の人家で表の板戸はもう閉めてある。その板戸の
すすきをかき分けて踏み込んでみると、果たしてそれ
﹁ともかくも行ってみよう。﹂
囲まれた小屋のようなものが低くみえた。
茂っているすすきの奥に五、六本の 橡 や栗の大木に取り
ので、何ごころなく透かしてみると、そこの一面に生い
その枯れすすきのなかに何だか細い路らしいものがある
霜が早いとみえて、路ばたのすすきも半分は枯れていた。
足をひきずりながら、心細くも進んでゆくと、ここらは
さりとて元へ引っ返すわけにも行かないので、疲れた
た方がましであったかなどとも考えるようになった。
いずのき
ていて、 夕靄 の奥に水の音がかすかに聞える。あたりは
戸をたたいて案内を乞うと、僧は出て来た。叔父は行
ゆうもや
びょうぶ
おおあざ
あゆ
だんだんに暗くなる、路はいよいよ迫って来る。誤って
き暮らした旅商人であることを告げて、ちっとの間ここ
やな
ひと足踏み損じたら、この絶壁から真っ逆さまに投げ込
に休ませてくれまいかと頼むと、僧はこころよく承知し
しもおおす
まれなければならないことを思うと、かねて覚悟はして
て内へ招じ入れた。彼は炉の火を焚きそえて、湯を沸か
とち
いながらも、叔父はこんな難儀の道をえらんだことを今
して飲ませてくれた。
すきま
更に後悔して、いっそ運を天にまかせて本街道をたどっ
5
頃だからいいが、冬にむかって 迂濶 にこんな山奥へ踏み
﹁一丈⋮⋮。﹂と、叔父もすこし驚かされた。まったく今
﹁年によると、一 丈 も積もることがあります。﹂
﹁雪はどのくらい積もります。﹂
になります。
﹂
なか深くなって、土地なれぬ人にはとても歩かれぬよう
もまだこの頃はよろしいが、十一月十二月には雪がなか
﹁この通りの山奥で、朝夕はずいぶん冷えます。それで
に繁昌の地でござりますな。﹂
﹁わたしもお江戸へは三度出たことがありましたが、実
﹁さようでございます。﹂
﹁おまえはお江戸でござりますか。﹂と、僧は訊 いた。
ように眺めていた。
むさぼり食っているのを、僧はやさしい眼をして 興 ある
のであったので、これは結構と褒めた上で、遠慮なしに
口に入れると、その味は甘く軽く、案外に風味のよいも
と説明した。空腹の叔父はこころみに一つ二つを取って
きょう
込んだらば、飛んだ目に逢うところであったと、いよい
﹁三度も江戸へお下りになったのでございますか。﹂
き
よ自分の無謀を悔むような気になった。
﹁はい。しばらく鎌倉におりましたので⋮⋮。﹂と、僧は
じょう
﹁お前、ひもじゅうはござらぬか。﹂と、僧は言った。
﹁な
むかしを 偲 び顔に答えた。
うかつ
にしろ五穀の乏 しい土地で、ここらでは麦を少しばかり
﹁道理で、あなたのお言葉の様子がここらの人たちとは
しの
食い、 そのほかには 蕎麦 や木の実を食っておりますが、
違っていると思いました。﹂と、叔父はうなずいた。
とぼ
わたしの家には麦のたくわえはありませぬ。村の人に 貰 ﹁そうかも知れませぬ。しかし、わたしはこの土地の生
ば
うた蕎麦もあいにくに尽きてしまいました。木の実でよ
れでござります。しかもここの家で生れたのでござりま
そ
ろしくば進ぜましょう。﹂
す。﹂
もろ
彼は木の実を盆に盛って出した。それは 橡 の実で、そ
彼はうつむいて、そのやさしい眼を薄くとじた。その
とち
のままで食ってはすこぶるにがいが、 灰汁 にしばらく漬
顔には一種の暗い影を宿しているようにも見られた。叔
あ く
けておいて、さらにそれを清水にさらして食うのである
6
やった方が当人の行く末のためでもあろう。たとい 氏素姓 たこんな山奥に一生を送らせるよりも、京鎌倉へ出して
出家に連れて行ってもらうことにしました。親たちもま
を聞いている鎌倉というところへ行ってみたさに、その
わたしはまだ子供で世間の恋しい時でもあり、かねて名
仏門の修業をやる気はないかと言われたのでござります。
運命があらわれている。 わたしと一緒に鎌倉へ行って、
がある。いや、どうしても出家にならなければならぬ
相 がわたしの顔をつくづく見て、おまえも出家になるべき
ゆくという旅の出家が一夜の宿をかりました。その出家
﹁わたしが十一のときに、やはり大垣から越前を越えて
すか。
﹂
﹁では、鎌倉へは御修業にお出でなされたのでございま
父は又訊いた。
﹁それで、唯今ではここにお住居でございますか。再び
の 子細 がなくてはならないと叔父は想像した。
いえ、若い身空でこんな山奥に引籠っているのは、何か
倉の 名刹 で十六年の修業を積みながら、たとい故郷とは
振りといい、決して愚かな人物とはみえない。しかも鎌
生来鈍根と卑下しているが、彼の人柄といい物の言い
の出家になり済ましたのでござります。﹂
年まで修業を積みまして、生来 鈍根 の人間もまず一人並
た。それからその寺で足掛け十六年、わたしが二十六の
物しまして、七日あまり逗留の後に鎌倉へ帰り着きまし
までもありませぬ。わたしはその時に初めてお江戸を見
まして⋮⋮。いや、こんなことはくだくだしく申上げる
加賀、能登、越中、越後を経て、上州路からお江戸へ出
からお弟子になったのです︱︱︱は私をつれて、越前から
であったのです。お師匠さま︱︱︱わたしはそのあくる日
そう
のない者でも、修業次第であっぱれな名僧智識にならぬ
鎌倉へお戻りにならないのでございますか。﹂
しさい
どんこん
とも限らぬと、そんな心から承知してわたしを手離すこ
﹁当 分 は 戻 ら れ ま す ま い。﹂ と、 僧 は 答 え た。﹁こ こ へ
めいさつ
とになったのでした。あとで知ったのですが、その出家
帰って来て丸三年になります。これから三年、五年、十
うじすじょう
は鎌倉でも五
山 の一つという名高い寺のお住持で、京登
年⋮⋮。あるいは一生⋮⋮。鎌倉はおろか、他国の土を
ござん
りをした帰り路に、山越えをして北陸道を下らるる途中
7
時には村の人々から知らせてくれましたので、おどろい
しはちっとも知らずにおりました。それでも父の死んだ
は何の便りもありませんので、妹のことも母の事もわた
鎌倉への交通などは容易に出来るものではなく、父から
でござります。 なにしろこんな 辺鄙 なところですから、
﹁はい、三年のうちに両親と妹がつづいて世を去ったの
﹁三年つづいて⋮⋮。﹂と、叔父も思わず眉をよせた。
くなりました。又その翌年に父が死にました。﹂
はわたしの二十四の年に歿しました。その翌年に母が亡
﹁そうでござります。﹂と、僧は低い溜息をついた。﹁妹
ございますか。
﹂
﹁どなたもお留守のあいだに、お亡くなりになったので
と、僧は暗然として仏壇をみかえった。
りましたが、これも世を去りました。﹂
﹁父も母もこの世にはおりませぬ。ほかに一人の妹があ
﹁御両親は⋮⋮。﹂と、叔父は訊いた。
踏むことも出来ぬかも知れませぬ。﹂
二
いていると、僧もその以上の説明をつけ加えなかった。
三年五年などという 筈 もあるまい。寂父はただ黙って聞
という事かとも思ったが、それならば当分といい、又は
が叔父には判らなかった。あるいは両親や妹の墓を守る
ある物に引留められて︱︱︱その謎のような言葉の意味
動くことが出来なくなったのでござります。﹂
いは一生でも⋮⋮。その役目を果たさぬうちは、ここを
ました。唯今も申す通り、三年、五年、十年⋮⋮。ある
められて、どうしてもここを立去ることが出来なくなり
行っても惜しいことはないのですが⋮⋮。ある物に引留
﹁両親はなし、妹はなし、こんなあばら家一軒、捨てて
いでになるのでございますか。﹂
するようにうなずいた。
﹁それから引きつづいてここにお
﹁ごもっともで⋮⋮。お察し申します。﹂と、叔父も同情
驚きました。﹂
へんぴ
で早々に帰ってみますと、母も妹も、もうとうに死んで
叔父はその晩、そこに泊めてもらうことになった。初
はず
いるということが初めて判りました。わたしはいよいよ
8
深い谷底︱︱︱その一句をきいたときに、僧の顔色は又
うぞ今夜だけは⋮⋮。﹂と、叔父は繰返して言った。
も知れません。わたくしをお助け下さると 思召 して、ど
踏みはずしたら、深い谷底へ真っ逆さまに 転 げ落ちるか
﹁何分にも土地不案内の夜道でございますから、ひと足
てくれと頼んだ。
どんな隅でもいいから今夜だけはここの家根の下におい
るのは全く難儀であるので、 叔父はその事情を訴えて、
か、この嶮しい山坂をこれから一里あまりも登り降りす
しかし叔父は疲れ切っていた。殊に平地でもあること
ござります。
﹂
ろうが、辛抱してそこまでお出でなされたがよろしゅう
めてくれるに不自由のない家もあります。お疲れでもあ
五、六軒の人家もあります。旅の人のひとりや二人を泊
﹁これから下大須までは一里余りで、そこまで行けば十
断わった。
めにそれを言い出したときに、僧は迷惑そうな顔をして
﹁おまえはお疲れであろう、早くお休みなさい。﹂
れて、霜をおびたような夜の寒さが身にしみて来た。
啼き叫ぶ声が木
霊 してひびくのみであった。更けるにつ
底に遠くむせぶ水の音と、名も知れない夜の鳥の怪しく
えもきこえない夜で、ただ折りおりにきこえるのは、谷
えないと言った。こうした山奥にはありがちの風の音さ
戸をあけて表をうかがった。今夜は真っ暗で星ひとつ見
叔父は承知して泊ることになった。寝るときに僧は雨
御心配なく⋮⋮。﹂
襲って来るようなことはありませぬから、それは決して
ぬように⋮⋮。しかし熊や狼のたぐいはめったに人家へ
とい夜なかに何事があっても、かならずお気にかけられ
﹁それからもう一つ御承知をねがっておきたいのは、た
げた。
﹁ありがとうございます。﹂と、叔父は ほ っとして頭を下
ませぬが、それさえ御承知ならばお泊め申しましょう。﹂
には参りますまい。勿論、夜の物も満足に整うてはおり
﹁それほどに言われるものを無慈悲にお断わり申すわけ
おぼしめ
ころ
曇った。彼はうつむいて少し思案しているようであった
叔父には寝道具を出してくれて、僧はふたたび仏壇の
こだま
が、やがてしずかに言い出した。
、
、
9
た。その﹁何事﹂の意味も彼は又かんがえた。 所詮 はこ
れた。僧は又たとい何事があっても気にかけるなと言っ
れないと言った。その﹁ある物﹂の意味を彼は考えさせら
僧はある物に引留められて、ここに一生を送るかも知
あった。
も叔父の胸の奥には言い知れない不安が忍んでいるので
に、熊や狼の 獣 もめったに襲って来ないという。それで
れなかった。あるじの僧に 悪気 のないのは判っている上
どく疲れているのであるが、なんだか眼がさえて寝つか
た。叔父はふだんでもよく眠る方である。殊に今夜はひ
前に向き直った。彼は低い声で経を読んでいるらしかっ
時の鐘など聞えないので、今が何どきであるか判らな
仏前の 燈火 ばかりである。
だんに消えて、暗い家のなかにかすかに揺れているのは
て、一心に読経を続けているらしかった。炉の火はだん
がうと、僧はほとんど身動きもしないように正しく坐っ
は眠った振りをしながら、時どきに薄く眼をあいてうか
をみせた。それにも何かの子細がありそうである。叔父
も、彼は初めの親切にひきかえてすこぶる迷惑そうな顔
びているようにも見られる。自分が 一宿 を頼んだときに
あるが、その青ざめた顔になんとなく一種の暗い影をお
そう思えば、あるじの僧は見るところ 柔和 で賢 しげで
んな秘密がひそんでいるのではあるまいか。
いっしゅく
わらぞうり
さか
の二つが彼に一種の不安をあたえ、また一種の好奇心を
いが、もう真夜中であろうかと思われる頃に、僧はにわ
にゅうわ
そそって、今夜を安々と眠らせないのである。
かに立上がって、叔父の寝息を 窺 うようにちょっと 覗 い
わるぎ
前者は僧の一身上に関することで、自分に係合いはな
て、やがて音のせぬように雨戸をそっと開けたらしい。叔
けもの
いのであるが、後者は自分にも何かの係合いがあるらし
父は表をうしろにして寝ていたので、その挙動を確かに
あかし
い。それなればこそ僧も一応は念を押して、自分に注意
見届けることは出来なかったが、彼は 藁草履 の音を忍ば
しょせん
をあたえてくれたのであろう。山奥や野中の一軒家など
せて、表へぬけ出して行くように思われた。風のない夜
さんき
のぞ
に宿りを求めて、種々の怪異に出逢ったというような話
ではあるが、彼が雨戸をあけて又しめるあいだに、 山気 うかが
は、昔からしばしば伝えられているが、ここにも何かそ
10
生きた人間の声ではない。さりとて猿などの声でもない
いると、それはどうしても笑うような声である。しかも
何とはなしに ぞ っとして、叔父はなおも耳をすまして
である。
異様の声が叔父の耳にひびいた。何物かが笑うような声
音が時どきにかさかさと聞えた。と思う時、さらに一種
分けて行くらしく、そのからだに触れるような葉摺れの
包まれたような一面の深い闇である。僧はすすきをかき
探りながらに雨戸をほそ目にあけて窺うと、表は山霧に
掛け蒲団を押しのけて、叔父もそっと 這 い起きた。手
たように暗くなってしまった。
でて行ったかと思う間もなく、仏前の燈火は吹き消され
のように流れ込んで、叔父の掛け蒲団の上をひやりと 撫 というか、夜気というか、一種の寒い空気がたちまち水
そらく想像はつくまいと思われた。そんなことを考えて
易に想像がつかなかった。自分ばかりでなく、誰にもお
いだにどういう関係がつながっているのか、叔父には容
出て行ったらしく思われるが、この声と、かの僧とのあ
の声は一体なんであるか。僧はこの声に誘われて、表へ
聞かせたくなかったのであろうと、叔父は推量した。こ
僧が注意したのはこれであろう。僧はこの声を他人に
た。
寒くなって来たので、叔父は引っ返して蒲団の上に坐っ
肉も血もおのずと凍るように感じられて、骨の髄までが
か らと聞えるのである。それをじっと聞いているうちに、
いほど 寂寞 としているので、その声が耳に近づいて か ら
のみ高くもないのであるが、深夜の山中、あたりが物凄
たいような、うす気味の悪い笑い声である。その声はさ
か嘲笑とかいうたぐいの 忌 な笑い声である。いかにも冷
いや
らしい。何か乾いた物と堅い物とが打合っているように、
いる間にも、怪しい声はあるいは止み、あるいは聞えた。
、
、
な
あるいは か ち か ちと響き、あるいは か ら か らとも響くら
﹁おれも武士だ。なにが怖い。﹂
、
、
せきばく
しいが、又あるときには何物かが笑っているようにも聞
いっそ思い切ってその正体を突き留めようと、叔父は
は
えるのである。その笑い声︱︱︱もしそれが笑い声である
蒲団の下に入れてある護身用の 匕首 をさぐり出して、身
あいくち
とすれば、決して愉快や満足の笑い声ではない。冷笑と
、
、
、
、
、
、
、
、
、
、
11
また坐った。
に報いるゆえんではあるまいか。こう思い直して叔父は
も驚かさず、何事も知らぬ顔をして過すのが、一夜の恩
分に注意したらしいのであるから、自分も騒がず、人を
でも気の毒である。僧もそれを 懸念 して、あらかじめ自
び出して行ったがために、僧が何かの迷惑を感じるよう
以上、みだりに邪魔に出てよいか悪いか。自分が突然飛
いう通り、この声と、かの僧との関係がはっきりしない
づくろいして立ちかけたが、又すこし 躇躊 した。前にも
父は挨拶した。
﹁お早うございます。つい寝すごしまして⋮⋮。﹂と、叔
度などをしていた。炉にも赤い火が燃えていた。
知れない。いつの間にか水を汲んで来て、湯を沸かす支
僧は起きていた。あるいは朝まで眠らなかったのかも
が薄白く洩れていた。
の長い夜ももう明けかかって、戸の隙間から暁のひかり
が出て、いつかうとうとと眠ったかと思うと、このごろ
聞かないように寝ころんでいると、さすがに一日の疲れ
右の耳の上まで蒲団を引っかぶって、なるべくその声を
ちゅうちょ
僧はどこへ行って何をしているのか、いつまでも戻ら
﹁いや、まだ早うございます。ゆるゆるとおやすみなさ
けねん
なかった。怪しい声も時どきに聞えた。どう考えても、何
い。﹂と、僧は笑いながら 会釈 した。気のせいか、その顔
えしゃく
かの怪物が歯をむき出して 嘲 り笑っているような、気味
色はゆうべよりも更に蒼ざめて、やさしい目の底に鋭い
そらみみ
あざけ
の悪い声である。もしや 空耳 ではないかと、叔父は自分
ような光りがみえた。
かけい
の臆病を叱りながら幾たびか耳を引っ立てたが、聞けば
家のうしろに 筧 があると教えられて、叔父は顔を洗い
き
聞くほど一種の 鬼気 が人を襲うように感じられて、しま
に出た。 ゆうべの声は表の方角にきこえたらしいので、
き
いには聞くに堪えられないように恐ろしくなって来た。
すすきのあいだから伸びあがると、狭い山道のむこうは
もや
﹁ええ、どうでも勝手にしろ。﹂
深い谷で、その谷を隔てた山々はまだ消えやらない 靄 の
け
叔父は自
棄 半分に度胸を据えて、ふたたび横になった。
うちに隠されていた。教えられた通りに裏手へまわって、
や
以前のように表をうしろにして、 左の耳を木枕に当て、
12
笑い声などはどこからも聞えなかった。
そのあいだにも叔父は絶えず注意していたが、怪しい
笑っていた。
﹁それはよろしゅうござりました。﹂ と、 僧も何げなく
父は何げなく笑いながら答えた。
朝までなんにも知らずに寝入ってしまいました。﹂と、叔
﹁疲れ切っておりましたので、 枕に頭をつけたが最後、
がら訊いた。
べはよく眠られましたか。﹂と、僧は炉の火を焚き添えな
﹁この通りの始末で、なんにもお構い申しませぬ。ゆう
﹁いろいろ御厄介になりました。﹂
さも橡の実を食って湯を飲んだ。
て、炉のそばに客の座を設けて置いてくれた。叔父はけ
顔を洗って戻って来ると、僧は寝道具のたぐいを片付け
家内 らしい住居も見えた。時刻がまだ早いとは思った
大
て十五、六軒の人家が一部落をなしていて、中には相当の
幾たびか過ぎて、ようようにそこまで行き着くと、果たし
一里半を越えているように思われた。登り降りの難所を
下大須まで一里あまりということであったが、実際は
あろうと叔父は想像した。
いるらしかった。怪しい笑い声は谷の方から聞えたので
乾かない土の上にひざまずいて、谷にむかって合掌して
別れて十間ばかり行き過ぎて振り返ると、僧は朝霜の
せていた。
が斜めに突き出して、底の見えないように枝や葉を繁ら
がかりもないが、その絶壁の中途からはいろいろの大木
かった。岸は文字通りの断崖絶壁で、とても 降 るべき足
いている谷は、きのうの夕方に見たよりも更に大きく深
父は再び注意してあたりを見まわすと、道の一方につづ
た。そのころには夜もすっかり明け放れていたので、叔
くだ
三
が、上大須まで一気にたどるわけにはいかないので、叔
おおやない
父はそのうちの大きそうな家に立寄って休ませてもらう
わらじ
一宿 の礼をあつく述べて叔父は 草鞋 の緒をむすぶと、
と、ここらの純朴な人たちは見識らない旅人をいたわっ
いっしゅく
僧はすすきを掻きわけて、道のあるところまで送って来
13
﹁ゆうべはどこにお泊りなされた。松田からでは少し早
しそうに寄り集まって来た。
て、 隔意 なしにもてなしてくれた。近所の人々もめずら
た嘆息した。
﹁ああ、おまえもそれを聞きなすったか。﹂と、老人はま
い声が夜通しきこえるので⋮⋮。﹂
してくださいましたが、ただ困ったことには、気味の悪
かくい
いようだが⋮⋮。﹂と、そのうちの老人が訊いた。
﹁あの声は、⋮⋮。あの 忌 な声はいったいなんですね。﹂
因縁というのだろうな。﹂
人は心から同情するように溜息をついた。
﹁これも何かの
でしまって⋮⋮。考えれば、お気の毒なことだ。﹂と、老
の住職にもなられるほどの人が、こんな山奥に引っ込ん
﹁鎌倉の大きいお寺で十六年も修業して、相当の一ヵ寺
と、叔父も人々の顔を見まわしながら訊いた。
修業したというお話でしたが⋮⋮。﹂
﹁あの御出家はどういう人ですね。以前は鎌倉のお寺で
人々は顔をみあわせた。
﹁さあ。そんなことをむやみに言っていいか悪いか。ど
て訊いた。
﹁そこで、その訳というのは⋮⋮。﹂と、叔父は畳みかけ
﹁まあ、まあ、そうだ。﹂
してみると、あの声には何か深い訳があるのですね。﹂
﹁いいえ、 ほかにはなんにも話しませんでしたが⋮⋮。
かも話したかな。﹂
﹁妹のことも知っていなさるのか。では、坊さまは何も
叔父は思わず目をかがやかした。
﹁では、両親も妹もあの声のために死んだのですか。﹂と、
いや
﹁ここから一里半ほども手前に一軒家がありまして、そ
﹁まったく 忌 な声だ。あの声のために親子三人が命を取
ゆうべの疑いが叔父の胸にわだかまっていたので、彼
うしたものだろうな。﹂
いや
こに泊めてもらいました。﹂
られたのだからな。﹂
は探るように言い出した。
老人は相談するように周囲の人々をみかえった。
うち
﹁坊さまひとりで住んでいる 家 か。﹂
﹁御出家はまことにいい人で、いろいろ御親切に世話を
14
ここらの山奥には昔から黒ん坊というものが棲んでい
老人はしずかに話し始めた。
﹁その黒ん坊が話の種だ。﹂
﹁知りません。
﹂
ているかな。
﹂と、老人は言った。
﹁お前はここらに黒ん坊という物の棲んでいることを知っ
しまって、男ばかりがあとに残った。
縁に腰をかけると、女たちは聞くを 厭 うように立去って
かせてもよかろうということになって、老人は南向きの
を聞いたのであるから、その疑いを解くために話して聞
叔父が繰返してせがむので、結局この人はすでにあの声
人々も目を見合せて返答に躊躇しているらしかったが、
せれば、大抵のことは呑み込んで指図通りに働くのであ
は出来ないのであるが、こちらが手真似をして言い聞か
彼は素直によく働く。もちろん、人間の言葉を話すこと
ものを与えて、何かの運搬の手伝いをさせるのであるが、
ばせるには最も適当であるので、土地の人々は彼に食い
のは平気である。身も軽く、力も強く、重い物などを運
黒ん坊は 深山 に生長しているので、 嶮岨 の道を越える
相当の仕事をさせるのであった。
とにしている。ただし食い物をあたえる代りに、彼にも
黒ん坊が来たぞ。﹂と言って、なにかの食い物を与えるこ
しまず、彼がのそりとはいって来る姿をみれば、﹁それ、
いうわけでもないので、ここらの 山家 の人々は馴れて怪
食いものを貰って行くこともある。別に悪い事をすると
やまが
る。それは人でもなく、猿でもなく、からだに薄黒い毛
る。ある地方では山男といい、ある地方では山猿という、
いと
が一面に生えているので、俗に黒ん坊と呼び慣わしてい
いずれも同じたぐいであろう。
けんそ
るのであって、まずは人間と猿との合の子ともいうべき
その黒ん坊と特別に 親 しくしていたのは、 杣 の源兵衛
みやま
怪物である。しかもこの怪物は人間に対して危害を加え
という男であった。源兵衛は女房お兼とのあいだに、源
そま
たという噂を聞かない。ただ時どきに山中の 杣 小屋など
蔵とお杉という子供を持っていて、松田から下大須へ通
した
へ姿をあらわして、弁当の食い残りなどを貰って行くの
う途中のやや平らなところに一つ家を構えていた。それ
そま
である。時には人家のあるところへも出て来て、何かの
15
の小娘であった。その以来、黒ん坊は毎日かかさずに杣
女房も娘も一緒になって笑った。お杉はそのとき十四
やるから、そのつもりで働いてくれ。﹂
ないだろう。娘が年頃になったらば、おまえを婿にして
﹁源蔵は鎌倉へ行ってしまって、もうここへは戻って来
あるとき彼にむかって、冗談半分に言った。
こうして幾年かを無事に送っているうちに、源兵衛は
いた。黒ん坊も馴れてよく働いた。
坊を 重宝 がって、ほとんど普通の人間のように取扱って
てしまったので、男手の少ない源兵衛の家ではこの黒ん
の人々とも親しくなった。総領の源蔵は鎌倉へ修業に出
時には源兵衛の家へもたずねて来ることもあって、家内
をあらわして、食いものをもらい、仕事の手伝いをする
にも 杣 小屋を作っていると、その小屋へかの黒ん坊が姿
は叔父がゆうべの宿である。源兵衛は仕事の都合で山奥
の水を汲んでいると、 突然にかの黒ん坊があらわれた。
ている。その寒い夕風に吹かれながら、お杉は裏手の 筧 の夕暮れである。春といっても、ここらにはまだ雪が残っ
こうして、結納の取交しも済んだ三月なかばの或る日
源兵衛夫婦は喜んで承知した。お杉にも異存はなかった。
ん相当の金や畑地も持参するという条件付きであるから、
お杉の 容貌 を望んで婿に来たいというのである。もちろ
る家の次男で、家柄も身代も格外に相違するのであるが、
婿をもらうことになった。婿はここらでも旧家と呼ばれ
が十七の春に縁談を持ち込む者があって、松田の村から
の注意をひいた。親たちもそれを自慢していると、お杉
うな雪の肌を持っているのが、年頃になるにつれて諸人
人が色白で 肌目 が美しい。そのなかでもお杉は目立つよ
ここらは山国で水の清らかなせいであろう、すべての
も、彼はかならず尋ねて来て何かの仕事を手伝っていた。
せないのであったが、その後はどんな烈しい吹雪の日で
ちょうほう
そま
小屋へも来る。源兵衛の家へも来る。小屋へ来れば材木
彼は無言でお杉の手をひいて行こうとするのであった。
き め
の運搬を手伝い、家に来れば水汲みや柴刈りや掃除の手
﹁あれ、 なにをするんだよ。﹂ と、 お杉はその手を振り
きりょう
伝いをするというふうで、彼は実によく働くのであった。
払った。
かけい
ここらは雪が深いので、今まで冬期にはめったに姿を見
16
ままに自分の仕事をつづけようとすると、黒ん坊は猛然
れでもお杉はまだ深く彼を恐れようともしないで、その
は野獣の本性を露出したように凄まじく輝いていた。そ
のに気がついた。彼は一種兇暴の 相 をあらわして、その目
いなかったが、きょうはその様子がふだんと変っている
多年馴れているので、 彼女 は別にこの怪物を恐れても
おうとするので、源兵衛も 焦 れてあせって滅
多 打ちに打
う振り放して逃げかかると、彼は這いまわりながら又追
怪物の左の手は二の腕から斬り落された。お杉はようよ
を放そうとはしないので、源兵衛は踏み込んで又打つと、
あげながら娘をかかえたままで倒れた。それでもまだ娘
けて斜めにざくりと打ち割ったので、彼は奇怪な悲鳴を
て撃ちおろした斧は 外 れて、相手の左の 頸 筋から胸へか
くび
として飛びかかった。彼はお杉の腰を引っかかえて、ど
ちつづけると、かれは更に腕を斬られ、足を打落されて、
そ
こへか 攫 って行こうとするらしいので、かれも初めて驚
ただものすごい 末期 の 唸 り声を上げるばかりであった。
れ
いて叫んだ。
﹁これだから畜生は油断がならねえ。﹂と、源兵衛は息を
か
﹁あれ、お父 さん、おっ母さん⋮⋮。早く来てください。﹂
はずませながら 罵 った。
そう
その声を聞きつけて、源兵衛夫婦は内から飛んで出た。
﹁お杉をさらって行って、どうするつもりなんだろうね
ののし
めった
見るとこの始末で、黒ん坊はほの暗い夕闇のうちに火の
え。﹂と、お兼は不思議そうに言った。
じ
ような目をひからせながら、無理無体に娘を引っかかえ
その一 刹那 に謎は解けた。
さら
て行こうとする。お杉は栗の大木にしがみ付いて離れま
黒ん坊が娘を奪って行こうとするのは、あながちに不
うな
いとする。たがいに必死となって争っているのであった。
思議とはいえないのである。夫婦はだまって顔をみあわ
まつご
﹁こん畜生⋮⋮。﹂
せた。
とっ
源兵衛はすぐに内へ引っ返して、土間にある大きい 斧 ﹁おっ母さん。怖いねえ。﹂と、お杉は母に取りすがって
おど
せつな
を持ち出して来たかと思うと、これも野獣のように 跳 り
ふるえ出した。
おの
狂って、黒ん坊の前に立ちふさがった。まっこうを狙っ
17
四
源兵衛はなんにも答えなかった。
﹁おまえさんがつまらない冗談をいったから悪いんだよ。﹂
言った。
込まれてしまった。二人が帰ったあとで、女房は小声で
前には何十丈の深い谷があるので、死骸はそこへ投げ
﹁谷へほうり込んでしまえ。﹂
の死骸を表へ引摺り出した。
した。こうして息の絶えたのを見とどけて、三人は怪物
すました山刀を持って来てその喉笛を刺し、胸を突き透
彼はまだ死に切れずに唸っているので、源兵衛は 研 ぎ
になった。
はかれらに手伝ってもらって、黒ん坊の始末をすること
あたかもそこへ杣仲間が二人来あわせたので、源兵衛
の同類に付け狙われて、どんな仕返しをされないとも限
た。その執念がどんな 祟 りをなさないとも限らない。又そ
坊のような怪物に 魅 まれた女と同棲するのは不安であっ
したことなどは誰も知らないのであるが、なにしろ黒ん
ようになった。源兵衛が黒ん坊にむかって冗談の約束を
間の口から世間にひろまると、婿の方では二の足を 蹈 む
たのは、かの縁談の一条であった。黒ん坊のことが杣仲
それはまずそれとして、さらにこの一家の心を暗くし
きに来て、互いにいやな顔をしていた。
﹁畜生⋮⋮。﹂と、源兵衛は舌打ちした。お兼もお杉も覗
を着けることが出来なかった。
は目もくらむほどの深い谷であるから、その死骸には手
丈あまりではあるが、そこは足がかりもない断崖で、下
かかっていることを今朝になって発見したのである。二
あったが、ゆう闇のために見当がちがって、死骸は中途に
投げ落されたのである。勿論、谷底へ投げ込むつもりで
と
らない。婿自身ばかりでなく、その両親や親類たちも同
ふ
あくる朝、源兵衛は谷のほとりへ行ってみると、黒ん
じような不安にとらわれて、結納までも済ませた婚礼を
みこ
坊の死骸は目の下にかかっていた。二丈余りの下には松
何のかのと言い延ばしているうちに、黒ん坊の噂はそれ
たた
の大木が枝を突き出していた。死骸はあたかもその上に
18
るところに貫かれたので、そればかりは骨となっても元
落されたときに、その片目を大きい枝の折れて尖ってい
思議といおうか、偶然といおうか、さきに木の上に投げ
たが、ただひとつ残っているのはその首の骨である。不
おられ、雨に打たれて、ばらばらにくずれ落ちてしまっ
て、今はほとんど骨ばかりとなった。その骸骨も風にあ
て、 鴉 や他の鳥類についばまれた跡が次第に破れて腐れ
毛の生えている皮膚も他の 獣 の皮とは違っているとみえ
ん日を経るにしたがって、その肉は腐れただれて行った。
さてその黒ん坊の死骸はどうなったかというと、むろ
てしまった。
さして、その年の 盂蘭盆 前に断然破談ということになっ
からそれへと伝わったので、婿の家でもいよいよ 忌気 が
か らと笑うのである。笑うのではない、乾いた髑髏が山
その以来、木の枝にかかっている髑髏は夜ごとに か ら
るすべさえもないのであった。
娘は深い谷底へ飛び込んでしまって、その 亡骸 を引揚げ
そのうしろ姿を見つけて母が追って出る間もなく、若い
その夜、髑髏が笑い出すと共に、お杉も家をぬけ出した。
の失望はいうまでもなかった。 お杉は一日泣いていた。
あるが、その縁談がいよいよ破裂と定まって源兵衛夫婦
今までは不安ながらも一
縷 の望みをつないでいたので
はさながら嘲り笑うように か ら か らと鳴った。
からいよいよ正式に破談の通知があった夜に、その髑髏
いので、とうとう 根 負けがしてやめてしまった。婿の家
を投げたり枝を投げたりしたが、不思議に一度も当らな
何とかしてそれを打落そうとして、源兵衛は幾たびか石
いやき
のところにかかっているのであった。
風に煽 られて木の枝を打つのであると源兵衛は説明した
うらぼん
自分の家の前であるから、その死骸の成行きは源兵衛
が、女房は承知しなかった。髑髏が我れわれの不幸を嘲
あお
はや
いちず
いちる
、
、
、
、
こん
も朝晩にながめていた。女房や娘は毎日のぞきに行った。
り笑うのであると、かれは 一途 に信じていた。黒ん坊の
どくろ
けもの
そうして、死骸のだんだん消えてゆくのを安心したよう
髑髏が何かの祟りでもするかのように、土地の人たちも
からす
に眺めていたが、最後の 髑髏 のみはどうしても消え失せ
言い囃 した。
、
、
なきがら
そうもないのを見て、 またなんだか忌な心持になった。
、
、
19
その隙をみて、かれは斧をかかえたままで、身を逆さ
もうろたえて逃げまわった。
大きい斧を真っこうに振りかざして来たので、源兵衛
﹁この黒ん坊め。﹂
のように 哮 って、自分の夫に打ってかかった。
源兵衛はおどろいて引留めようとすると、お兼は鬼女
﹁まあ、待て。どこへ行く。﹂
に源兵衛が黒ん坊を虐殺した斧であった。
お兼は大きい斧を持って表へ飛び出した。それはさき
﹁黒ん坊。娘のかたきを取ってやるから、覚えていろ。﹂
く狂い出した。
盂蘭盆前、あたかもお杉が一周忌の当日に、かれは激し
てしまったので、源兵衛も内々注意していると、七月の
と不安とが長くつづいて、かれは半気違いのようになっ
それに悩まされて、お兼はおちおち眠られなかった。不眠
かち夏にかけて、夜ごとに怪しい笑い声をつづけていた。
実際、髑髏はその秋から冬にかけて、さらに来年の春
くれ。﹂
﹁おお、いいところで逢った。おれの家までみんな来て
間と一人の村人に出会った。
一軒の寺へ墓参にゆくと、その帰り道で彼は三人の杣仲
房の一周忌に相当するので、源兵衛は下大須にあるただ
その翌年の盂蘭盆前である。きょうは娘の三回忌、女
う相手にもならなかった。
﹁ええ、泣くとも笑うとも勝手にしろ。﹂と、源兵衛はも
らという音を立てていた。
兵衛一家のほろび行く運命を嘲るように、夜毎に か ら か
形見は木の枝にかかる髑髏一つとなった。その髑髏は源
られて以来、すべてその影を見せなくなって、かれらの
たわけでもないのであるが、その一匹が源兵衛の斧に 屠 づけていた。この山奥に住む黒ん坊はただ一匹に限られ
れでも表面は変ることもなしに、今まで通りの仕事をつ
く不幸は彼に対する大打撃であったには相違ないが、そ
しかし源兵衛は生れ付き剛気の男であった。打ちつづ
こうして、この一つ家には父ひとりが取残された。
、
、
、
ほふ
まに谷底へ跳り込んだ。半狂乱の母は哀れなる娘のあと
源兵衛は四人を連れて帰って、かねて用意してあった
たけ
を追ったのである。
、
20
れない谷の上であるだけに、どの人もみな危ぶまずには
わざには、みな相当に馴れているのではあるが、底の知
髑髏を叩き落そうというのである。こうした危険な離れ
の幹に吊りおろされ、それから枝を伝って行って、かの
からだを藤蔓でくくり付けて、二丈ほどの下にある大木
下にみえながら降りることが出来ない。源兵衛は自分の
何分にも屏風のように切っ立ての崖であるから、目の
をあのままにして置く事はならねえ。﹂
﹁なに、大丈夫だ。女房の仇、娘のかたきだ。あの骸骨
﹁あぶないから止せよ。木の枝が折れたら大変だぞ。﹂
﹁谷へ降りて、あの骸骨めを叩き落してしまうのだ。﹂
﹁どこへ降りるのだ。﹂
ら吊りおろしてくれ。﹂
﹁おれはこの蔓を腰に巻き付けるから、お前たちは上か
らしい太い藤
蔓 を取出した。
かった。この場合、 畚 をおろすよりほかに方法はなさそ
しかし、どうして彼を救いあげようという手だてもな
口々に叫んだ。
﹁源兵衛、しっかりしろ。その手を放すな。﹂と、四人は
強くたわんで、そのからだは宙にぶら下がってしまった。
それが比較的に細い枝であったので、彼が取付く途端に
は落ちると同時に一つの枝に取付いたのである。しかも
落ちかかった。上の人々は あ っと叫んで見おろすと、彼
太い蔓はたちまちにぶつりと切れて、木の上にどさりと
兵衛のからだは、もう四、五尺で幹に届くかと思うとき、
その髑髏のかかっている大木の上へ吊りおろされた源
ているのである。
る風はもう初秋の涼しさを送っていた。髑髏も昼は黙っ
薄く曇った日の 午 過ぎで、そこらの草の葉を吹き分け
とを確かめた上で、岸から彼を吊り降ろすことになった。
四人は太い蔓の端から端まで吟味して、間違いのないこ
ふじづる
いられなかった。
うであったが、その畚も近所には見当らないので、四人
ひる
源兵衛も今まではさすがに躊躇していたのであるが、
はいたずらに上から声をかけて彼に力を添えるにすぎな
ふご
きょうはなんと思ったか、 遮二無二 その冒険を実行しよ
かった。
しゃに む に
うと主張して、 とうとう自分のからだに藤蔓を巻いた。
、
、
21
かかっているので、源兵衛の枝がゆれるに誘われて、その
ゆらめいているのである。その隣りの枝にはかの髑髏が
源兵衛は両手を枝にかけたままで、 奴凧 のように宙に
まった以上、無沙汰にして置くのはよろしくあるまいと
してやらなかったらしいが、こうして一家が全滅してし
だとき、女房の死んだとき、源兵衛はそれを鎌倉へ通知
源兵衛の一家はこうして全く亡び尽くした。娘の死ん
やっこだこ
枝もおのずと揺れると、黄いろい髑髏は か ら か らと笑っ
そのうちに枝は中途から折れた。残った枝の強くはね
れに取りすがることも出来ないのであった。
かはない。上からは 無益 に藤蔓を投げてみたが、彼はそ
折れるか、彼の力が尽きるか、自然の運命に任せるのほ
とも声を出すことも出来なかった。こうなっては、枝が
いしばって、一生懸命にぶら下がっているばかりで、何
た。源兵衛の額にも脂汗が流れた。彼は目をとじ歯を食
うにたわんでゆくので、上で見ている人々は手に汗を握っ
細い枝は源兵衛の体量をささえかねて、次第に折れそ
た。
ある。
まるにも及ばないが、悲しむべく怖るべきはかの髑髏で
両親や妹の 菩提 を弔うだけならば、必ずしもここに留
を離れませぬ。﹂と、彼は誓った。
﹁あの髑髏がおのずと朽ちて落ちるまでは、決してここ
とを深く悔んだ。
修業にのみ魂を打込んで、一度も故郷へ帰らなかったこ
であった。 棄恩入無為 といいながら、源光はおのが身の
源蔵も今は 源光 といって、立派な僧侶となっているの
せがれの源蔵は早々に戻って来た。
いうので、 村の人々から初めて鎌倉へ知らせてやると、
にょぜ ち く しょう ほ つ ぼ だ い し ん
ぼだい
き お ん じゅむ い
げんこう
かえる勢いで、となりの枝も強く揺れて、髑髏は か ら か
如是畜生発菩提心 の善果をみるまでは、自分はここを
、
、
、
むやく
ら か ら か らと続けて高く笑った。源兵衛のすがたは谷底
のであるが、髑髏はまだ朽ちない、髑髏はまだ落ちない、
にした。そうして、丸三年の今日まで 読経 に余念もない
どきょう
去るまいと決心して、彼はこの空家に蹈みとどまること
、
、
、
、
の靄にかくれて見えなくなった。上の四人は息を呑んで
突っ立っていた。
、
、
、
、
、
22
髑髏はまだ笑っているのである。
彼が三年、五年、十年、あるいは一生ここにとどまる
かも知れないと覚悟しているのも、それがためであろう。
この長物語を終って、老人はまた嘆息した。
﹁あまりお気の毒だから、いっそ畚をおろして何とか骸
骨を取りのけてしまおうと言い出した者もあるのだが、
息子の坊さまは承知しないで、まあ自分にまかせて置い
てくれというので、そのままにしてあるのだ。﹂
叔父も溜息をついて別れた。
その晩は上大須の村に泊ると、夜中から山も震うよう
な大あらしになった。
この風雨がかの枝を吹き折るか、かの髑髏を吹き落す
か。かの僧は風雨にむかって読経をつづけているか。︱
︱︱叔父は寝もやらずに考え明かしたそうである。
後註
﹁うけたまわって ﹂はママ
底本:
「鷲」光文社文庫、光文社
1990(平成 2)年 8 月 20 日初版 1 刷発行
初出:
「文藝倶楽部」
1925(大正 14)年 7 月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006 年 10 月 31 日作成
青空文庫作成ファイル:
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入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
お断り:この PDF ファイルは、青空パッケージ(http://psitau.kitunebi.com/aozora.html)を使っ
て自動的に作成されたものです。従って、著作の底本通りではなく、制作者は、WYSIWYG(見たとおりの形)
を保証するものではありません。不具合は、http://www.aozora.jp/blog2/2008/06/16/62.html
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