支援者の支援を考える - 子どもと保育研究所・ぷろほ

独立行政法人福祉医療機構助成事業 震災支援プロジェクト
支援者の支援を考える ~震災後2年半経った被災地で~ 子どもと保育研究所ぷろほ 山田眞理子
東日本大震災から2年半、被災地での支援は様々な曲がり角にさしかかっているように
思える。現地ではまだまだ支援が必要な人はたくさんいるにもかかわらず、そのニーズと
繋ぐために何が必要なのか、どのような支援が求められているのか見えにくくなっている。 私たちは現地の NPO と連携して、支援者の支援をテーマに2013年8月に多賀城師と
石巻師で講座やワークショップを実施した。 それは、子どものことばのつまずきを支援する「言語保育セラピスト養成講座」であり、
仮設での「ことばを紡ぐワーク」であり、「たったひとつのいのちだから」にそれぞれの
思いを繋げてもらう「ワンライフプロジェクト」であった。 そこには、被災地だからこそ感じ取れるたくさんの思いが溢れ、体験があった。 「言語保育セラピスト養成講座」は幼児期の言葉の発達を日常の関わりでサポートし、
言語保育発達検査を通して子どもの言語発達の状態を適切に把握して必要な専門機関に繋
げ、また日常の保育的関わりの中で出来る専門的支援計画を立てられる保育者の育成を目
的とする。
「言語保育セラピスト養成講座」を被災地で実施するに際し、我々は「被災者のことば
の復活とことばを紡ぐことでの癒し」を願った。受講生の中に東日本大震災で被災者した
保育者もおり、また様々な育児や心の課題を抱えての参加であったことが講座の間に分か
ってきた。
また、さらに受講生と共に石巻の仮設集会所において朗読のミニ公演とワークショップ
を行うことによって、声に出す・ことばにすることで気持ちを支える助けになればと願っ
て実施した。
また、被災した子どもが多い地区の中学校で、震災後俳句を通したことば表現に取り組
んできた国語の先生を講師に迎え、中学生たちがことばにすることで歩んできたものをお
話し頂く時間を設けた。先生は私たちの希望に応えて、中学生たちに「たったひとつのい
のちだから」(他 2 種)のことばに自分なりの言葉を繋げて文にするワンライフプロジェ
クトを実施してくださった。また今回の講座に参加した方たちにも講座の昼休みを使って
「たったひとつのいのちだから・・あなたはどんな言葉を繋げますか?」を実施し、「た
ったひとつの命だから~被災地編~」を紡げればと思った。
- 1 - 1,「言語保育セラピスト養成講座」
2013 年 8 月 10・11 日に「言語保育セラピスト養成講座」を多賀城市市民活動サポート
センターにて実施。朝 9 時から準備。丁度、改築工事中で大きな工事の音の中、そのため
か利用者が少なく親切に対応して頂いた。 参加者
受講生24名。講師4名。受付2名。
カリキュラム
講座科目 開講時間 8月10日 ①9:30~11:00 担当 場所 言語保育 山田眞理子 多賀城市市 ②11:10~12:40 言語保育発達検査 山田 民活動サポ
③13:30~15:00 発達障害とことば① 佐藤秀明 ートセンター ④15:10~16:40 発達障害とことば② 佐藤 ⑤16:50~18:20 言語表現 岩橋由梨 (022-368- 7745) 発達検査 佐藤 同上 ②11:10~12:40 言語表現遊び 岩橋 ③13:30~15:00 表現遊び 岩橋 ④15:10~16:40 言葉と教育 佐藤敏郎 8月11日 ①9:30~11:00 8月11日 ミニ朗読公演 (移動:仙台→石巻) 「のはらうた」
受講生によ 石巻開成
19:00~20:00 「たった一つの命だから」
るミニ公演 第2団地 集会所 カリキュラムは資格認定に必要な科目の範囲内で、その地にふさわしいプログラムとし
ての工夫を取り入れた。上記では震災後一貫して現地の直接的支援を行っている NPO 法人
ここねっと緊急子どもサポートチーム代表の佐藤秀明先生の講座3コマと表現教育家岩橋
ゆりさんによる「表現」「声に出す・ことばにする」のワークが特徴的であった。東日本
大震災に関係した地域だからこそ、いま声に出すことやことばにすることが必要だとの思
いを、最大限に入れ込んだプログラムだった。
- 2 - レクチャーだけでなく、声を出し、動き、表現するワーク。心の中には様々な炎が燃
えているにもかかわらず、なかなか見えないし、安易に引き出すこともできない空気のな
か、受講生(昨年秋期にぷろほに来ていた方)の提案によりぷろほのタッチケアの講師で
もある参加者の吉柳先生がわらべ歌を歌いながらのタッチケアを紹介し、みんなで体験す
る。すこし、空気が解れた瞬間だった
2 日目の朗読に使う本(のはらうた、おはようどうわ、ひとくちどうわ、たったひとつ
のいのちだからから 1 冊)を持ち帰って頂き、どれか一つを練習してくる宿題。
翌日の午後に読んでもらったが、「どれを選ぶか」がすでに表現であることを実感した。
その講座の中で書いてもらったワンライフプロジェクト(「たったひとつの命だから・
・あなたはどんな言葉を繋げますか?)では、皆さん心が動いていたのか、あっという間
に書いて下さり、しかも深いものがあった。
2 日目の 4 限。最後の講座は女川中学
校の佐藤敏郎先生の特別講義。生徒たち
の作った俳句を紹介していただきなが
ら、向き合うこと、ことばにすること、
ことばが変わってゆくプロセスをお話し
いただいた。「逢いたくて でも会えな
くて 逢いたくて」・・・母親をなくし
た中学生の俳句に涙が止まらなかった。
涙があっていい、笑いがあっていい、声にならなくてもいい、ことばがたどたどしくて
もいい。ここに集ったみんなが共有した時間は、とても濃厚に心の奥に沈んでいった。 2 , 「 こ と ば で 遊 ぶ ・ こ と ば を 紡 ぐ ワ ー ク シ ョ ッ プ 」 (1)ミニ公演 8 月 11 日(日)の講座終了後、受講生の1/3ほどのメンバーは、「ことばあそびミニ
公演」のため、石巻の仮設に向かう。 1 日目の講座修了後に場所の確認のために来て、仮設の郵便受けに「ことばあそびミニ公
演」のチラシを 200 枚ポスティングしておいた。
石巻の開成仮設第 2 団地集会所に 18 時半に到着。集会所の管理人の阿部さんに集会所を
開けて頂いて、早速リハーサル。しかし、
時間になって観客は2人。それもずっと
石巻の避難所当時から支援をし続けてい
る、今回の企画の協力者でもある「圏域
創生NPOセンター」の代表と事務局長。
私たちが自己紹介したあとは、お二人
- 3 - の被災してから避難所・そして仮設と、これまでのお話を聞く会となり、とても濃い時間
を頂いた。
代表の高橋さんは、「待つことと、一緒に考える場を提供することが支援です」とおっ
しゃり、私たちの目指す保育や障害児との関わりとの深い共通点を感じた。
お二人とも、支援活動の真ん中で活動しておられるので、たくさんの人のお話を聞くこ
とはあっても自分のことを語る機会はないという。私たちが 1 時間余り聞かせていただい
たことも、「ことばにする、ことばを紡ぐ」という事だったのだろうと思った。
最後に私たちから、30 分ほどのミニ公演。10 人ほどで、群読・「のはらうた」・「おは
ようどうわ」「たったひとつの命だから」の朗読を行う。震災のことを語らなくても、こ
とばにする・読むことが心に風を通してくれることを体験して頂いた。
(2)被災地訪問とワークショップ
12 日は午前中に石巻市の圏域創生センターを訪ねて、昨日のお礼。子どもたちが作る「未
来の石巻」のジオラマとボランティアの手によって徐々に作り上げられている被災直後の
石巻のジオラマを見せていただく。
「未来を担う子どもたちと、今を支えるボランティアとでこの 2 つのジオラマを作り
上げることが、次に繋がると思う」と高橋さんの目は常に目の前の人の心と丁寧に向き
合いながら未来に向いていた。 それから大川小学校へ。「ひまわりのおか」は亡くなった子どもたちが一番多く見つか
った山の麓に、今を盛りに咲いていた。
- 4 - そのあと昨日講義いただいた敏郎先生のお宅に伺い、大川小学校でなくなったみずほち
ゃんの仏前にお参りさせて頂き、敏郎先生が国語の授業の中で取り組んで下さった女川中
学校の 3 年生が綴った「たったひとつの命だから(他2題)」のコピーを受け取り、九州
の尼僧から預かった54枚の雑巾をお渡しする。美味しいスイカとお祖母ちゃんが作った
しそ巻きをいただき、石巻に戻る。
それからは、石巻の仮設での「ことばであそぶ・ことばを紡ぐワーク」の予定だったが、
参加者1人に講師2人。
仮設に来るまでのお話しをじっくり伺いながら、時々「おはようどうわ」や「のはらう
た」を数編読んではまたお話しをする・・という時間を過ごし、仮設で娘さんが手作りし
ている靴下人形の猿のうち、この方がはじめて仕上げたばかりだという人形を頂く。
玄関で「どこから来た?」などと立ち話をしていると、この方が講師の岩橋さん住んで
いる和歌山に数年住んだことがあるという奇遇!この広い仮設にいる 1000 世帯近い方々
の一体何人が和歌山に住んだことがあるだろう?そんなわずかな可能性の出会いがあるこ
とに驚き、「きっとまた和歌山に来てください」と挨拶をして別れた。 - 5 - 石 巻 圏 域 創 生 NPO セ ン タ ー の 方 の お 話 し
最近、仮設や支援者の中に怪我や事故、死亡者や病気、健忘などが増えてどうしてなん
だと思っていたが、プレイセラピー協会の説明がとても理解を助けてくれた。 つまり、震災直後は、パニック状況で右脳が働きをストップしてフリーズしていた。脳
梁部分で通行止めのため、左脳に蓄積された情報も処理されなかった。 1 年以上経って、やっと右脳が動き出して、脳梁の通行止めが解除されたが、左脳に蓄
積されていた膨大な情報が流れ込んで、いま混乱や恐怖、不安が生じている。この状態が
PTSD で、それが出始める時期に事故などが多発するという。 大変なときは大変だとも感じず、いまになって「あのとき大変だったんだ・・」と身体
がやっと悲鳴を上げ始めた状態といえる。 海外では「災害心身症状」という概念は以前からあったが、日本ではこれまで語られてこ
なかったので、今回 1 年以上経ってのこの事態に戸惑っているのが実情。 災害心身症であることに気づいていれば何とかなるが、気づかないと自分が混乱するし、
大人から叱責されたりして傷つく。 災害から日時は経ったが、今の不登校や引きこもりは災害から起こってることと認識され
ないと、子どもをしつけようとして怒ってしまう。 100 人いたら 100 通りの回復の道がある。 親が混乱している間は子どもが親を支えていた。「怒りたいなら殴っていいよ」と親に
言う子どもさえいた。親が落ち着いてきたから逆に子どもが本当の姿を見せられるように
なった。 「寺子屋(圏域創生がやっている学童)」は、しつけの場ではなく、暴言や乱暴も含め
て、子ども自身が出せる場になろうとしてきた。 ある小 4 の子どもが、とても暴力的で元気がよく、いつもむちゃくちゃなことをしては
笑っているような子どもだった。津波にも遭っていて、震災のことをインタビューされる
と「面白かった!」と話して問題になった子どもだった。この子が心を開いていないこと
はとても伝わってきたので、「この子の心の中を開くためにどうしたらいいか」とスタッ
フは悩んでいて、あるとき段ボール 100 個を寺子屋(学童の場所)に積み上げた。入口を
ふさいでみて、子どもがドアを開けて入ってくると壁が壊れるようにしたり、みんなでそ
れを崩したり積み上げたりして遊んでいたときに、その子の上にたくさんの段ボールが崩
れ落ちた状態になったとき、突然泣き出した。そして始めて「ホントは怖かったんだー」
と言った。それからみるみる落ち着いて、スタッフと将棋をして、途中でキレずに最後ま
で頑張り、習っていた武道も復活して夢もできた。この子を通じて、子どもたちは抑えて
いるということ、それをどこかで出せないと一生引きずって、引きずらせてしまったらそ
れが PTSD だということを感じる。 年長の子どもは年下の子どもたちが出せていないのを分かっているから、わざと刺激す
るようなことばをかけて爆発させるようなこともする。大人ではできない、子ども同士の
- 6 - 助け合う力が育っている。 ある引きこもりの子どもがいて、同年齢の中学生(この子もおとなしい自己主張しない
子)が大人に対して「セルフケアとかカウンセリングとかしないでください。待っててく
れればいいんですから!」と言い切ったので、そう言い切れるのもすごいなと思って「大
人はしないから、あなたが誘いたいと思ったら自分で誘ってくださいね」と言っておいた
ら、引きこもりの子どもがその子の家を訪ねるようになって、徐々に家から出るようにし
てくれている。その引きこもりの子どものおかげで、その子も今変わってきているように
思う。 ここには小学生から中学生まで(今は少なくなって)10 人くらいが学校から帰りに寄っ
ている。でも、まだここが必要な子どもはいるのに、親も教師も気づいていない。子ども
たちがやっと出し始めている混乱を、震災後の PTSD によるものであるとの認識がない。
障害とか思われて、メンタルなものであることに、どんどん気づかなくなっている。 メンタルケア・・というと出てこない人が多い。「私は大丈夫」という人の方が危ない
ものを抱えているので、「井戸端会議やります」「お茶のみ会します」と言う程度の来て
もらいやすさを工夫する必要がある。 支援してきた人も疲れが出て、心が折れそうになるときに、話せることが大事。 被災後 1 年目は必死で「心ここにあらず」だった。それは「私ここにあらず」ということ
で、記憶さえ飛んでいることがあって愕然とする。それがあちこちでおきていて、認知症
が始まったのではないかと不安になっている。それが脳の機能不全(認知症ではなくフリ
ーズ)として理解できると落ち着く。
特に高学年や思春期の子はなかなか出せないので、2012 年の夏になって始めて泣けた子
もいる。でもそれより、乱暴や不登校などの行動に出る。 子どもの内面的な喪の作業はこれから。全体セレモニーではなく、内面的な回復の途上。
回復のためには、守られた場と理解者が必要。
子どもたちは自立してほしいので、ここでは基本的には自治。「自分たちで考えて行動
して下さい」と言ってある。でも、困ったことをしたときには「これは困るので話し合っ
てください」と言っておくと、ちゃんと話し合って大人に言ってくる。
支援したいと思っている人は、「自分は何ができますよ~」と発信してほしい。現地が
「これがほしい」と出たときに、こちらがマッチングできる。いまは、ニーズの動きが速
く、現地のニーズが出てからでは、募集かけて集まったときには、もう要らない・・とな
りかねない。
遠方のボランティアもタイミングが肝心なので、現地のボランティアコーディネイター
と連携をとっておくことがありがたい。
もう2年経って、支援金もなくなり、自立・自立と言われるが、働く場所がなかったり、
社会性がなかったりすると仕事がなく、心がついて行かないからくじける。仕事がないの
に、元に戻そうとする。
- 7 - 学校の先生や園の先生は、「元に戻ろう」「何もなかったときのように」と考えるが、
それは被災者自身の気持ちとずれる。「震災をなかったことにするのか?」と思う。
いっぱい頑張った子どもなのに、「もう大丈夫なんだからちゃんとやってよ、もうできる
はず・・」的な反応をして、傷つける。子どもたちは、「自分が頑張って来たことを、な
かったことにはしないでほしい」と思っているのに。今不登校の子どもも、震災の後頑張
りすぎて今でているのに、震災と無関係の対応を学校がしている。
集会所などの企画に行く人はいい。行かない人の中に、危機を抱えている人がいる。で
も、よそから来たカウンセラーに「さあ」と言われても話せない。知っている人、親しく
なった人にしか話せないが、継続して来てくれるボランティアは減った。
先日、群読を聞いてとてもよかった。仮設の人たちにこれから必要なのは「声に出す
こと」「声を響かせあうこと」「ことばにすること」「ことばを紡ぐこと」「ことばの
表現を伝えること」だとおもうので、群読のワークをしてくれる人がほしい。ことばが
響き合うときのすばらしさは、ほかの集会所で上演しても感動を呼ぶだろうし、それが
拡がることがいま必要だと思う。 どう自分たちを表現するのか・・のときに来ていると思う。 ことばと出会い、体験をことばに紡げる子どもになることが、これからは必要だと感
じている。 - 8 - 私の中で何かが始まってしまった 表現ワーク担当講師 岩橋ゆり 宮城レポート1 今年、年が明けてしばらくたった 3 月ころ、山田真理子先生からメールが一本入った 「8 月に宮城で言葉のワークショップを行ってもらいたいのですが・・・」 きた!と思った!!すぐさま返事をした。 「やらせてください!」 3.11 は熊野だった。飛び地嶋津で第一報を知った。どうやら大きな地震があったらしいと、
嶋津の平野さんの奥さんが携帯を見ながら言った。その後、熊野川町開発センターの区長
室で、テレビにくぎ付けになった。 ホテルに帰ってからも夜中中、テレビを見ていた。繰り返される映像とアナウンサーの話
が信じられなくて心底怖くなった。眠れなかった。 東北はまったくもってなじみがない。この震災で陸前高田、南三陸、女川などなどの名前
を知った。 何かできることはないのだろうか、とじりじりしながらも、垂れ流しで報道される内容に
自分がやられないようにするので精いっぱいだった その年の 9 月熊野川が大雨のため、氾濫する。幸いにも知っている方たちは無事だったが、
森林組合も母ちゃんの店もあとかたもなく流されてしまった。嶋津もしばらく孤立した。 その土地でやれることは、非力なわたしにはやはり限られていて、直後は、何もかも亡く
なった熊野に行って立ち尽くすだけだった。 その後父の介護の問題が出て、私の中ではそれが一番になった そうして 3 年がたった 今年に入って、父の様子もひと段落し、熊野も少しずつステップアップして新たな活動を
始めた そして山田先生のメール。 このタイミングで声をかけていただけたことに本当に感謝する それでもまだ宮城は私の中でリアルなものではなかった 宮城レポート2 - 9 - ワークショップの内容は、ことばに関することだったため、私のできることははっきりし
ていた いくつかのものを準備し、あとは午前午後の他の先生方の講義を拝聴しながら考えようと
思っていた 受講生の方々の三分の二が宮城や福島の方だと伺った 子どもたちのサポートをしておられる佐藤秀明先生の授業や受講生の方たちの話がまるで
ささくれのように私の中に刺さってくる これは、今日は、私からは何もできない まずは、みなさんの話を伺おう!と思い立つ 山田先生にも了解を得、私のワークショップのしょっぱなは、みなさんから出てくる言葉
を伺う時間に切り替えた その場は、西成の雰囲気とも違う 静かだけど、そこに流れているものが、青白い炎のように感じる 短い時間だったが、お一人お一人の身体からあふれる言葉に身動きできないくらいひきつ
けられる 最後は受講生の吉柳さんからの提案でタッチケアを皆で体験する 冷たい冷たい炎が少し変化した 夕方、石巻の仮設団地まで山田さんが運転してくださる 次の日、そこでことばのワークショップをすることになっているので 近くの仮設にチラシをポストに入れようとなったのだ 高速で 1 時間近く 初めて踏み入れた石巻 仮設団地はとてつもなく広大で、我々がさせてもらう第 2 団地にたどり着くのに一苦労を
する 200 枚用意してくださった山田先生のチラシは 3 人でポストに入れて行ってあっという間
になくなってしまった 途中、出逢ったおばあさんは明日のことを少し話すと「いつもいつもいろいろとありがと
うございます。助けていただいてます」と頭を下げられた 私の中では明日の授業や仮設団地で何をやればいいのか、まったくわからないまま 1 日は終わった - 10 - 宮城レポート3 多賀城市にて講座を行っていた 車で移動するたびに街を観察する ここは、水が来たのか?来なかったのか? そんな目で街をずっと見ている みんなどんな 3 年間だったのだろうか? 街の方お 1 人お1人違う言葉が出てくるに違いない 前日のお昼に秀明先生のお子さん二人と別所先生のお話を伺ったことが鮮明にうかんだ 11日の夜、どんなふうに過ごしたか そう、私はニュースを見ていたのだ 授業では、あれこれと行うことをやめてしまう とにかく、お1人お1人に力が感じられるので、それをみなが実感できるワークをその場
で模索していく 専門的な知識を得ることではなく、今自分に備わっているものを確認することに没頭する 午後からは、山田先生からの課題図書を皆で読むことに それぞれの声から出てくるエネルギーの違いが興味深い 自分の声を恥じている声、何かをあきらめている声、ちゃんとしようとする声、身体の下
からくる声、頭からの声、いろいろだなあ・・・ 最後の10分で何かをしてくれと言われ、声で旅行するワークをする 即興なので、皆の戸惑いも十分感じられたが、そのまま信じて行う その後特別講師の佐藤敏郎先生のお話を伺う 先生は女川中学校の国語の先生で 3.11からの子どもたちの状態や、ある企画で持ち上がった生徒に俳句を書いてもらう
授業でできた俳句を紹介していただく 何度もこみ上げるものがある 先生も「これを声に出して読むことはできません」とおっしゃり生徒の俳句とそれにまつ
わるお話をしていただく これからなんだな・・・ と実感する二日間だった あんな出来事から日常を取り戻したかのようにみえるけれど、これからなんだ - 11 - これから言葉になっていくんだ そう実感した ワークが終わった後、多賀城市の NPO のお二人に声をかけられる そこでもうれしい出会いがいくつかあり・・・ ご縁を感じた ああ、これはもうここだけでは終わらない 私の中で何かが始まってしまった そして石巻仮設団地集会所のミニ発表会
来てくださったお客様お二人は石巻
で子どもたちのサポートされている
側の方たちだった
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