第82号

(2)第82号 名古屋第二日赤ニュース
看護部教育委員会では、卒後教育の一環として経年教育を行っている。今年は、卒後1年の55
名を対象に「1年をふりかえって=看護婦としての私を見つめたとき=」と題して全員1,000字以
内の作文を提出、3月15日7班に分れてグループワークを行った。専門職としての責任の重さ、
病人の立場と看護婦の立場、患者中心の看護とは、失敗は許されない等々=・・日、この1年の体験
は彼女たちにとってとても厳しい現実であった。しかし、幾多の困難にもめげず常に真剣に業務
にとり〈み、自分を見つめつつ一つひとつ答を見出し、人間的に成長していく姿がつづられてお
り深い感動を受けた。紙面の都合で次の4点と講師のまとめを掲載した。
難しい顔から明るい顔へ
私はまだ人生経験も浅く、先輩の方々に教えられる
就職当初は、今まで学校で何を習ってきたのか7
事が沢山あります。人生の先輩としては、患者にも
同じ事が言え、こちらが相手を簡単に理解できると
という位に、何もできない自分にガックリきてしま
は思っていませんが、そうなろうと努力していこう
いました。というよりも、病棟というチームの中に
と思います。 2−3 玉木美種子
入ってみると、学生時代にやってきた事そのまま、
という訳にいかないのは、今思うと当然の事なので
すが。やはり落ち込みました。「こんな頼りない私
でも、患者の目には一人の看護婦として映ってしま
う。」と思うと、白衣を着る事、キャップをつける
病める人から健康の尊さ教わる
初めて、日赤のユニホームに身をつつみ、“今日
からナースとして働ける〟 と、希望と不安に満ち、
≠看護婦さん〝 と呼ばれることのうれしさと恥しさ
事が、もうそれだけで“プロである〟 というプレッ
シャーとなっていました。確かに、資格をもつから
には、それに伴う責任が要求される事にはなります。
しかし現在では、それとは又違った顔で、患者を看
る事ができるようになったように思います。
学生時代の実習をふり返ると、何か患者不在のま
を感じながら、就職してからもう一年が過ぎようと
しています。
この一年間で、忙しい仕事に追われながらも多く
のことを学ぶことかできたように思います。技術的
な面では、頭では理解していても上手にできず、患
ころがあったのではないかと思います。それは、看
者さんに迷惑をかけたこともありました。しかし、
何度も行っているうちに自分に合ったやり方、応用
などが、少しずつですが理解できるようになりまし
護婦としての自分が患者であるという面しか見られ
た。知識的な面では、患者さんに接すれば接する程、
ずに、人間としての患者を見失いがちになっていた
のだろう、という事です。個別性をもった看護を、と
いろいろなことを覚えていけばいく程、疑問点が多
ま、自分だけが必死に難しい顔をしていたようなと
言いながらも、まだまだ自分の理論中心に患者とい
う人を、片づけようとしていたところがあったと思
います。
私の所属する病棟は、神経・腎臓内科であり、慢
性疾患で比較的長期入院となり、日常生活を送る場
所としての病棟、という意味が強くなると思われま
す。今まで自宅で暮らしてきた人が病気になったた
め、入院する事になり、突然環境が変わり、家族と
も離れる事になるのですから、ただでさえストレス
があるのに、そこへもってさて や私は緊張していま
く、自分の勉強不足が痛感されました。そして、
家へ帰り教科書を開いてみると、学生の時には気づ
かなかったことが実践と伴いよく理解でき、教科書
の大切さを知りました。又、人間的な面では、患者
さんや先輩方と接する時の言葉遣いのむずかしき、
例えば初対面の方との敬語の使い方、電話での応対、
人に依頼するときの言葉遣いなど常識的なことです
が、もっと自分で勉強していかなければいけないと
思いました。又、あいさつの大切さ、思いやり、気
くぼりの必安さ、そして、笑顔の大切さなどつくづ
く感じました。私たちの職業は、ある程度、人間の
す〟顔の看護婦がこれからいっしょでは、先が思い
やられます。看護婦として患者と接するようになっ
背景に立ち入り、“病む〝 という大きな壁にぶつか
った人間を対象としているため、そういったコミュ
ニケーションの大切さは、欠かせないことであると
てから、私は徐々に自分の頑固さが抜けて、心を開
思います。そして、“健康〟 ということの尊さ、自
けるようになってきたように思います。自分がある
程度楽しく仕事出来るようになり、患者とも笑い合
える余裕のようなものが出たのではないでしょうか。
分が健康で働けることの幸せがとてもありがたいこ
とだと感じています。
1−5 北河栄利子
名古屋第二日赤ニュース 第82号(3)
人生経験の乏しさを痛感
「本当に、あっという間にすぎてしまった。」とい
うのか実感です。婦長をはじめ、緒先輩の御指導の
もとで勤務するようになったかと思えば、4月には
同じように不安と期待を胸にした人達が来るんだ、
と考えるだけで不思議な気分です。
この一年間を振り返ると、何事に対してもただ無
我無中だったとしかいいようがありません。忙しい
毎日の業務の中で、一歩下がって見る余裕がなかな
かありませんでした。病棟に勤務していれば、人間
にとって見られたくない、知られたくない部分まで、
りました。“慣れると涙は出なくなる。それとも、
処置に追われて泣く暇もない、感情無知になる。そ
れとも、感情を自ら隠している〟 これらの感情が、
看護婦としての自覚につながるだろうかと、納得の
いく答えが見つからないまま、時が過ぎています。
未熟な新人が泣く姿は、何もできないもどかしさ
や、単なるかわいそうなど、感情的に写りがちです
が、この1年の細かな感情経験を土台として、自分
に納得のいく答えをみつけたいと思います。そして、
看護婦としての言葉上の優しさだけでなく、ひとり
の女性として“優しさ〟 というものを見つめた時、
そっと手をさしのべられる、素直な姿でありたいと
看護婦としての私は知ることになります。人生経験
の乏しい私にとって、いつも「看護婦」という立場
思います。 手術室 鈴木教子
を忘れがちになってしまいます。お世話する相手が
病んだ人間であれば、看護婦としての私もやはり人
講師加藤恵美子婦長のまとめより
間であるからでしょうか。
これからも、就職した頃の新鮮さを忘れずに、新
たな気持ちで頑張らねば、と思います。
3−3 安藤不0美
反省のポイントを整理すると、とにかく看護姿勢
をさびしく追求し、自分自身に対してもするどくふ
r)返って、しっかりと前向きに歩む姿が感じられ、
人間としての心と心のふれ合いの看護を考えている
二度の≠死〝からうけた感情経験
看護婦と認定され、手術室に勤務して早1年、私
が最も戸惑った事は、2度の“死〝との出会いです。
去年の6月、家族の一員として躾け、我が子の様
に育てた犬を失ないました。1週間程前から具合い
が惑いと感じていたにもかかわらず、職場に早く慣
ことが一番うれしく恩いました。
私は、看護は単なる技術や技能の実践ではなく、
人間として生きることを可能にする、生きることに手
を貸す行為であると思います。医療の対象は人間の
生命であり、看護は親の心に科学の目を兼ね備えた
れようと、精一杯で、近くにいることすらできませ
ものであろうと思います。支えるもの、支えられるも
の互いの心の影響しあう営みではないでしょうか。
んでした。あの時私にもう少し優しさがあれば、も
いわゆる看護するものと、看護を受ける人との直接
う少し心の余裕があれば、声はかけられなくても、
の触れ合いの中から反応をつかみとり、相手の心に
近くにいて、からだをさすってあげることは、可能
であったろうと、悔やまれてなりません。
響いていき、生きるためのバランスを保つ働きであ
ると思います。このような人間関係をつく りだす最
それから、ポケットベルの音にもようやく慣れた
12月の明け方、9ヶ月になる女児が、突如の吐血の
も重要な鍵は何か………コミュニケーションです。
為、入室しました。麻酔科Drによる麻酔導入、小児
科、外科Drによる手術操作、医療チームのスタッフ
として、私たちNsの直接介助、及び外回りの介助も、
や目によって相手に接触しながら、相互の心にプラ
スの影響を与える対人関係ではないかと思います。
マザーテレサの「看とりの手」では、ライ患者さ
息がつまる思いで続き、1時間も満たない時間が、
んは、最後は人間らしく永眠できるようにと死を迎
とても長く感じられました。しかし、10人近くのス
える人への思いがこめられている手、まさに手あて
である。手はものを造り出す一つの道具ですが看護
の場合、人間の皮膚と皮膚をふれる看護の行動が特
タッフの努力も空しく、小さな生命は途絶え、手術
終了となりました。
この時、私は1度目の死と2度目の死を混同し、
涙があふれてくるのを感じながら、看護処置を続け
ていました。先輩から「看護婦としての自覚を持ち
なさい。」と、そっと助言され、私の心の葛藤が始ま
看護でのコミュニケーションは話す言葉より、手
徴ではないかと書かれているように。
看護の心は、人間の心であり、親の心である。こ
の心が二つの手を通って患者さんの心に伝わるので
す。私自身この気持で毎日を勤務しております。
(4)第82号 名古屋第二日赤ニュース
昭和59年9月17日に着工した、第1病棟増改築工
この建物の計画に当たっては、各診療科の関係者と
事が約6ヵ月の工期で、この5月末日で無事完了し、
綿密な打合せ検討を行い、夫々の診療科の特色を十
6月1日より使用する運びとなった。
分に取り入れ、各科関係者が自分達の病棟を造るの
だという企画参加意識を高め、今後の病棟運営に大
この病棟は、鉄骨、軽量コンクリート造りで、地
下1階、地上3階建、延1,536平方米で第1病棟とし
て建てられている。
いに役立ってゆくものと思われる。
病棟の特記すべき設備としては
この建築の主な目的は、結核患者が減少する反面
一般患者の増加という医療需要の変化に対応するた
なった病棟の管理をし易すくした(2、3階)
めと、将来計画の工事の際ベッドの減床をできるだ
○扉は引き戸とし軽く静かに動くよう配慮した。
け少なくするために配慮し計画されたものである。
○北側窓は、防音、水滴防止をはかるため、二重ガ
地下1階は機械室と倉庫かあり、機械室には揚水
○ナースコールにポケットベル装置を設置し、長く
ラスとした。
ポンプ、空調器、医療用コンプレッサー等が設置さ
01病棟の上階に避難用として、スベリ台付屋外避
れている。倉庫は4室に分れており、1階専用倉庫
難階段(ステンレス製)を東側に設置し、火災発生
は患者用ロッカーが置かれ長期療養のための身の回
時の避難、救援に備えた。
り品を整理できるよう配慮されている。他の倉庫に
○屋上に人工芝とフェンスを設置し、4階小児病棟
は2階、3階の廊下に置いてあるベッドや、大きな
のプレイ・スペースを設け環境改善をはかった。
医療機器を整理するために使用し、又カルテ倉庫と
○医師、看護婦カンファレンスルームを設置し、空
して外来カルテの整理にも利用する。
調もヒートポンプ方式とし、いつでも使用できるよ
1階は呼吸器系(結核)病棟30床として、独立し
う配慮されている。
た病棟として使用され、この病棟専用の玄関を建物
西側に設置し他病棟を通ることなく外部との通路を
確保できるよう配慮してある。
2階及び3階は、1病棟の廊下と直線的に連絡さ
れ、整形外科病棟及び一般外科病棟として夫々使用
され、不足していた病棟か緩和されることとなった。
2階は個室3室、6床室(通常は4床室)2室が
設置され、主として重症者を対象としている。
3階は5人室3室が設置され、主として軽症者を
対象としている。
5月22日、名誉総裁、名誉副総裁ご臨席の下、昭
和60年度全国赤十字大会か明治神宮会館において挙
行された。
大会は、釆寅を始め理事、代議員、評議員、有功
章受章者、奉仕団月、青少年赤十字等赤十字関係者
約2,000人が全国から参加し、当院からも庸瀬副院長
森田事務部長、鈴木看護部長が出席した。
大会終了後、本社において本年度の日本赤十字社
か受章し、6月3日院長室において、その伝達式か
行われた。受章者は次のとおり。
勤続30年以上 鹿瀬庸俊(副院長)竹内茂輔(薬
剤副部長兼管理課長)上田和裕(臨床検査第一課長)
勤続25年以上 川辺博(第一外科部長)杉山みつ子
(労務貞)
勤続20年以上 江場臼道子、石黒きく江、伊東照
子、藤原吉江(以上看護婦長)鶴田七ツ子(看護係
職員功労表彰が行われた。この表彰は、永年勤続し
長)後藤実夫(第一外来係長)北岡昇(設備係長)
功労顕著な職員に贈られるもので、当院からも14人
桑山菊枝(看護助手)西森さだ子(労務貝)
名古屋第二日赤ニュース 第82号(5)
昭和60年度の互助会定期総会は、6月12日(火)午
やクリスマスパーティの中止、病院旅行の中止、夏
後3時から桑山記念研修所において会員236名が出席
しておこなわれた。
期借り上げ海の家の廃止、同好会、クラブ活動助成
総会は、成立確認のあと会長あいさつで始まり、
診療費取扱い規定の改正については、準会員につ
いては本人のみ診療費補助とするなど一部適用範囲
議長に薬剤部小林一信氏、書記に事務部鈴木幹子氏
検査部住田恵子氏を選出し議事にはいった。
まず、昭和59年度事業報告、会計報告が事務局か
ら総会資料にそってなされた。会員数も増加し、多
くの行事も活発におこなわれて互助会は順調に発展
してきたが、年度途中で健康保険法が改正され、健
保本人に診療費の一割負担が課せられるようになっ
たため、互助会がおこなっている会員への診療費補
金の大幅カットなど大きな変更となった。
が縮少された。
以上により今回は、会費および病院補助金の値上
げについては見送られ、今後の情勢を見守ることで
事業計画、予算案が承認され閉会となった。
助が大きな負担となってきたことが詳しく説明され
た。会計監査委員から監査報告のあと万場一致で事
業報告、会計報告は承認された。
つづいて、本年度の事業計画、予算案が審議され
診療費補助の増大に伴う財源逼迫の折、思いきった
対策として各種行事の一部中止もしくは縮少と診療
費取扱い規定の適用範囲の見直しにより財源を確保
することが発表された。
各種行事については、総会終了後の親睦パーティ
赤十字幹部石蕗如研修を終えて二重婦長福一筆美音 j
イ彗監卜、 桜の花も満開の4月、全国から50
\\施設、62名か日本赤十字社幹部看護
…婦研修所の26回生として入学し、研
修が開始されました。前期は、ジュ
\∼ ネーブ条約や赤十字事業などの赤十
字科目、教育学や哲学、社会学などの一般教育科目、
教育評価や看護管理についての講義、後期は大阪赤
十字病院での看護管理実習やビデオ作成、看護研究
や災害看護などのグループワークが行われました。
これらのカリキュラムの中から倫理学で学んだ「看
護とユーモア」について興味を持ち、考えさせられ
たのでお伝えしたいと思います。
ユーモアとは、元来、歴史的概念で、ラテン語で
「液体」を表わすラモール(humor)から由来して
います。ユーモアというと、生まれつきのオ能、根
アを言う。このようにユーモアとは「にもかかわら
ず笑うこと」であり、穀も美しい具体的な愛の表現
で、その原点は相手に対する思いやりです。安っぽ
い冗談やひにく、風刺ではなく、相手に愛と思いや
りを示そうとする態度のひとつです。多くの患者は
孤独や疎外感に苦しんでおり、人間的なふれあいを
求めています。患者とのふれあいの中で、ほほえむ
ことで近さを感じ、緊張や不安を和らげることがで
きます。また、多大の集中力と細心の配慮を要する
病院に勤務する私達にとって、リラックスした雰囲
気を作り出し、ストレスの緩和にも継がります。日
本人は、勤勉、生まじめで、ユーモアのセンスに欠
けると言われ、このような文化の中では、病院内に
おいてユーモアを言うことは不謹慎と思われがちで
悩みや苦しみの中で発揮されるものです。人間は誰
でも失敗や悩みがあり、くよくよ考えたり、悲観的
になりますが、自分だけでなく、相手に対しても決
すが、私はユーモアを看護に取り入れて、よりよい
人間関係を保ち、ゆとりある看護を行いたいと思い
ます。この研修を通して、今までの看護に対し、自
分自身に対し疑問を持ち、葛藤の毎日でしたが、自
分自身を振り返り見つめ直すことができたように思
います。この研修での学びを今後の看言削こ生かし、
して良い影響は与えません。このようなときユーモ
がんばって行きたいと思います。
っからの楽天主義者、あるいは幸福に恵まれた人々
の反応であると考えがちですが、真のユーモアは、
(6)第82号 名古屋第二日赤ニュース
◇医療情報システム(AMS)設置さる
今日の医療はその領域を大きく広げながら急速に
発展しており、医療に関する情報は益々多くなって
いる。この最新医療情報を電話回線を利用して、
病院等にサービスする。AMSが発足した。
当院はそのモニター病院として指名され端末器が
とりあえず院長室に設置された。
新しい医療に約立つシステムとして発展してゆく
◇当院に救急車寄贈さる
このたび当院の救急医療に役立たせて下さいと、
皆さんよくご存知の、「キ7、ユ隼這1羊土」の近藤
産輿株式会社より、救急自動車が寄贈された。
他の医療施設等からの重症救急患者の搬送に大い
に役立せたいと関係者でその運用方法等について、
検討されている。又この救急車に自動車用電話を設
置し緊急時の連絡もできるよう考慮している。
ものと思われる。
◇非常災害用テレビ2台寄贈
この度、以前にも外来診療棟1階患者待合ホール
にテレビを寄贈して頂いた烏鈴本店社長岩瀬一若氏
から、非常災害用として東芝製14型カラーテレビ2
台の寄贈を受けた。当主旨を汲み有効的に使用、活
用するため、院長室及び、外来診療棟2階呼吸器科
前患者待合ホールに夫々設置した。
◇薬剤部長会議当院で開催
中部ブロック日赤病院薬剤部長会議は、去る5月
16、17日の両日当院の担当にて2−1ホールに於て、
7小ロック内13施設よりの出席のもとに開催された。
16の議題の中で、特に薬価慨川下げ対策、コンピュ
ータ導入問題と偽薬事件が最大の焦点となって熱心
に意見の交換が行われた。
◇全日空から≠愛のスズラン〝
ことしで30回目を迎えた“全日空スズランのお見
寄 贈 さ れ た 救 急 車
◇有功会旅行に看護婦派遣
赤十字有功会の国内研修旅行に、救護看護婦とし
て1病棟6階の岡田直子看護婦が、5月8日から3日間
仙台方面に派遣された。この会が発足して以来9年
になるがその間国内、国外の研修旅行に当院の看護
婦が多数派遣されており有功会から喜ばれている。
◇「赤十字健康教室」5月の講座
舞〟 が、6月5日、日赤を中心に全国56病院で行わ
赤十字健康教室の5月講座は、29日、耳鼻咽喉科
れた。同日当院にはスチュワーデス、矢澤佐織さん
と島田久美さんが、スズラン300束を持って訪れ、病
部長、本堂 潤氏による ≠耳と鼻の病気∼そのおつ
院長、看護部長の案内で、救急病棟に入院している
い急性中耳炎、鼓膜の中(中耳)に液のたまる港出
患者さんに“早く元気になってくださいね〟 と声を
性中耳炎、そしてめまいやメニエル氏病、原因不明
かけながらおくった。スズランの香りが病棟いっぱ
このスズランは北海道、余市町や仁木町近辺で栽培
(ウィルス7)で耳がやられる突発性難聴、鼻の病
気では昔、畜膿症と言っていた副鼻腔炎や鼻茸(は
なたけ)の話、のどの病気では扁桃腺、そしてアレ
されたもので、早朝空輸されたもの。
ルギー疾患である花粉症と日常気になる病気につい
いにただよい、“これで早く治りそう/〟と大喜び。
き合い法∼〟 であった。夏に多い外耳炎、子供に多
て、スライドを中心としてお話しされた。
◇6月の巡回相談
昭和60年度、第二回足助地区巡回相談は下記のと
おり実施されました。
○ 巡回相談会場
東加茂郡足助町並びに旭町
○ 相談日 6月5日∼6月7日
○ 派遣された方 医師 千田義博氏
Ⅹ線技師瀬口紫信氏看護婦清水i告美氏
名古屋第二日赤ニュース 第82号(7)
1宰十十十字宜十十十十+十+十字十十五+十王辛宣下三十十十字十字丁字与
日本赤十字社愛知支部看護婦卒業生で構成されて
いる桐風合、簡単に言えば同窓会が5月19日、第二
事療養所がこんなに立派になって=…・これからは第
一日赤と第二日赤と交互に、桐風合を望む人達の声
日赤で開催された。明治から大正、昭和20年までは
を多くきき非′削こ嬉しく思った。
救護看護婦養成所と称して、3年養成でクラス20名
前後であったが、本社養成と三重の山田養成、終戦
後は名古屋養成となり新制度になって、名古屋赤十
字看護専門学校と呼称が変り卒業生も次々と誕生し
ている。言いかえれば赤十字卒業の看護婦、明治、
(看護婦長石黒きく江)
大正、昭和の三代に亘る同窓会である。明治は遠く
なりにけりの言葉も立派に生きでいる社会にあって
≠高齢社会に思うこと〝 と題して上坂冬子先生の講
演会があり、続いて昼食は懇談会となってこの日ば
かりは私服の看護婦さんで埋めつくされた。午後か
らは「赤十字の動き」の映画が上映され、午後2時
閉会、三々五々級会へ急ぐ人、家路につく人とそれ
ぞれ別れを惜しんでいる姿が印象的であったが、八
F〉 ̄ ̄〉〉 ̄ ̄〉〉 ̄ ̄〉〉 ̄ ̄〉〉 ̄ ̄〉〉 〉 ̄ 〉〉  ̄ ̄ YY 〉〉 〉〉 〉
糊 、
___新撃の禦騨路へ●放射線科・
梅雨まえの少しはっきりしない天気の中、私達放
射線科一同は、初夏の飛騨へと出発しました。行き
の列車の中では、同乗した別の団体のにぎやかさも
相まって、赤い顔の、、さるほほ′′みたいな陽気一団
と化していました。
下呂至り着。さつそくタオルを腰にまいて、陽もま
だ高いというのに鼻唄まじりで露天風呂にひたり山
衣ル\に陽か沈むと、もう気分は\、宴会こ〟。例年より
£薫 豆長岡 へ・医局・薬局萎:ぎ
今年の医局・薬局旅行は、伊豆長岡温泉に出掛けた。
6月1日、天候は8看。総勢57名。4時間余のハスの
旅は音・々久方振りの解放感に浸り、長岡の=呂門\\石
亭′ノ に着く頃には、既に\、出来あかつている〝御仁
も多々。未だ酔いか醒めないうちに宴会か始まり、
慣例に従って新人の自己紹介やかくし芸、カラオケ
と続いた。飲む程に酔う程に旅荘の格式とは裏腹に
コニカタも脱ぎすて裸で痛飲。ある者はそのまま朝を
参加者か少ないので、ちょっぴりもり上りは欠いた
迎え、又ある者は夜中迄露天風呂でフ十フケていたり、
ものの\\一気′′あり、カラオケあり、しまいには\\プ
別の若者達は、巷にうば桜の観賞に出掛けたそうな。
レイノフタ二ノス〟 まで飛び出し、楽しみの中で温棄て
翌2日。御土産に買い込入ノだ某先生御推奨の温泉
の夜を過ごしました。翌日、照り返す新緑の中を列
声量頭と、アジのヒモノでノてスは満杯。三保の海岸博
車は高山へ、向い風は肌に快ち良い刺激で、日本の
屋根といオつれるアルプス山貫を背に、古都高山の散
物館を国り、そのあと何故か次郎長の墓参りをして
丁子屋にてトロロの昼めし、帰りは物憂いパスの旅
策を楽し九ノた。
短かかったけれと、いそかしい名古屋から抜け出
して、自然をいっぱい“充電′′ し帰還についノた。
で≦フ刻5時には病院に到着。何はともあれ二呂門\\石
亭′′に5白ったのだ。家て会へた温泉饅頭か意外にう
まかった。来年は何処に出掛けるのかなあ?
昼畠は丁子屋でとううめし
(8)第82号 名古屋第二日赤ニュース
07.12 管理会議(於:2−1ホール)
07.24 係長以上連絡会議(於:桑山研修所)
07.31赤十字健康教室(於:桑山研修所)
○……趣味
人事往来
④……抱負など
医師(腎内)小林正樹 6.1付
研究発表
○ラジコン、パソコン
㊥腎内の若手医師として恵まれ
●宗宮信賢 ルーフ0ス腎炎の経時的腎生検における
定 た病院に赴任でき、診療勉学
組織病型の移行と臨床像についての検討(日本リ
ウマチ学会総会 60.5.9∼5,10 於:福岡市)
● ……に励みたいと思います。
6
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付付付付付
●赤座達也 コンピュータによるタイピングセルのH
LA抗原の決走法の検討(日本輸血学会総会及び
日本組織適合性研究会60.5.9−畠.11於:東京)
●山田宣夫、加納忠行、冨永芳博、河合真干天 腎
性上皮小体機能冗進症における上皮小体自家移植
1
6
CU):田中信之
CU):安藤 浩
CU):田中明美
CU):野村和生
l
嘱託医師(I
嘱託医師(I
嘱託医師(I
嘱託医師(I
6
嘱託医師(I CU):春原啓一
◇退職
腺機能測定の意義(日本内分泌学会学術総会60.
医師:後藤泉、嘱託医師:佐竹司、間渕則子、看
護婦:近藤由美子、千草真値代、安藤す▼ま子、准
5.14∼5.16 於:名古屋市)
●安藤恒三郎 新生児けいれんの臨床(日本集中治
看護婦:山田智恵子、織田順子、主事補:余語な
つ美(5.31付)
◇結婚おめでとう
療医学会総会 60.5.17∼5.18 於:仙台)
●彦坂博 発症後10年で僧帽弁閉鎖不全をきたした
MCLSの弁置換例(日本心臓血管外科学会60.
看護婦 長谷川重美さん(旧姓細川)5月4日
准看護婦 永井計子さん(旧姓後藤) 5月16日
薬剤師 青山智彦氏 5月19日
5.17∼5.18 於:金沢)
●古川博通、原田徹 特殊なウィルムス腫瘍の治療
主事補 青山英美さん(旧姓岡本) 5月19日
◇誕生おめでとう
経験(日本小児外科学会60.5.22∼5.24於:東京)
●願操博、青木光治 呼吸器スクリーニングにおける
主事補 榊原美代子さん長女圭奈子ちゃん 5月12日
准看護婦 津崎道代さん長女浪緒ちゃん 5月16日
調理師 渡辺正二氏長女真弓ちゃん 5月26日
再検判定不能をめぐって(日本臨床細胞学会60.
5.30−6.1於:東京)
●大森和夫 Aclinicalexperience of the custom一
医療技師 森下幸男氏長男博昭君 5月27日
お悔み申し上げます
made ceramic lamlna Of vertebral arch for
the reconstriction一myelopathyafterlaminectomy
看護婦 谷口美音さん実母りる子殿 5月11日
医事課長 中井英男氏実母近藤はる殿 5月12日
●石田義博 DifferentiatlOnOfpyogerlicspondylitis
from spinal tuberculosis and their therapeutic
看護婦 伊藤さだを殿 5月13日
看護係長 井嶋唐子さん実母フミ子殿 5月28日
consideration
●鈴木和広 Cervical spondylitisin hemodialyslS
5月の行事
patientsit’s cllnical aspects and therapeutic
consideration.(以上中部日本整形外科災害外科
05.8
院内報やまのて委員会
05.8
カルテ整理委員会(外来カルテについて)
05.7−9
研修医オリエンテーション
㌣加増創立70周年記念書鎮配布さる血←ザ
05.10
管理会議(健保改正による影響等の報告)
愛知県赤十字親善野球大会
互助会役員会(予算決算事業計画他)
係長以上連絡会議(院長会議資料分析他)
赤十字健康教室
宅
05.12
05.20
0 5.22
05.29
学会 60.5.30∼6.1於:名古屋)
7月の行事予定
07.5 院内報やまのて委員会(於:2−1ホール)
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