地域に根ざした 観光戦略の実践

特集
観 光 戦 略 の 実 践 と 地 域 活 性 化
観光戦略の実践と
地域活性化
Tae Yamane
CASE STUDY ③
地域に根ざした
観光戦略の実践
∼若手経営者の視点から∼
山根 多恵
根県・温泉津温泉 旅館「吉田屋」女将
島
響を受け、大阪の起業支援施設で責任者を務める。その後、島根県の
雇用創出プロジェクトに参加。平成18年、24歳で温泉津(ゆのつ)温
泉「吉田屋」の4代目女将となる。週休4日制と地域の問題解決を担う
人材育成拠点としてのユニークな旅館経営が話題となる。平成18年
度女性起業家大賞特別賞受賞。
は
じめに…「新たな公を実現する
インキュベーション」
2006年3月、東京での「おかみさん、old and new」
と
を訪れ、学び、真似られて広がっていけば良い。旅館はい
わば「公器」であり、新たな公を実現するインキュベーショ
ン(孵化施設)だ。
そう思って経営を続けてきたら、この3
年で売上は5倍強になった。
タイトルされたシンポジウムで石川県の和倉温泉・加
テーマも、地域も、人材も、広がりを見せている。
そして私
賀屋の女将さんと対談する機会があった。加賀屋さん
自身も今年24歳の若女将に経営を譲り、全国を飛び回る
の おもてなしの精神 こそが旅館だ! という話と、私の 地
仕事にシフトした。
域の問題解決の拠点 が旅館の使命だ! という議論は
終始交わることなく2時間が終わった。加賀屋さんの経営
は立派だと思ったが、私の努力目標はそこに置かないこと
を確信する機会となった。
1素人だからできた旅館経営―
新たな公を目指して週休4日制に
女将として後継者のいない旅館に請われて来たの
私が事業に情熱を燃やす理由は、社会貢献を一番に
は、24歳の時だった。全くの素人だったし、縁もゆかりも
考える
「社会企業」を目指すこと、
そして、
その担い手を育て
なかった。
しかし私の代となって半年間で去年並みの
ることにある。利益はその実現のためだ。私のところで働く若
売上を実現してしまった。
そこで最初の大きな決断をす
者は、都市で働く人々に比べて給料は決して高くない。
し
る。週休4日制だ。旅館営業は金土日のみとし、平日は
かし、明るく元気だ。
それは宿泊代を気にせず過ごせ、近く
各々が地域貢献に汗を流す。
に地域のばあちゃん達が作るおいしい野菜があって食べ
世界遺産に登録された石見銀山を竹の繁茂が壊
物は心配要らず、
そして各自の個性で自己実現を図ってい
していると聞けば「竹やぶSOS基金」を創設。竹は通
く場所があるからだと思う。スタッフに売上ノルマを課すこと
常、地主が伐採代を払ってまでして切ってもらうのだが、
もしない。彼らが勝手に目標を決める。出た利益は「社会、
私たちはその逆で、竹を買い取った。伐採活動を行い、
研修、
先行投資」
に使うと決めた「利益配分3分の1ルー
Uターン技術者から炭にする方法を習い、炭を畑に蒔
ル」のうち、先行投資として何に使うかを決めるのは私の役
いたり旅館の湿気取りに使ったり、付加価値をつけた。
割で、あとは働く人たちで勝手に決めれば良い。
活動は山口県や広島県にも広がり、今はお年寄りの生
事業のもう一つの理由は、社会の先進モデルを創ること。
地域の問題解決の新たな担い手希望者が私たちの旅館
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▷山口県下松市出身。山口大学在学中に、市民バンク・片岡勝代表の影
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きがいと仕事作りに結び付いている。
後継者のいない畑を借り、ブルーベリーも植えた。島根
特集
地域に根ざした観光戦略の実践
県東出雲町の当時の町長に頼まれ、将来障害者の仕事
作りになればと始めた。去年は鳥の餌になって散々だった
が、3年目の今年、地域のお年寄りの知恵も頂き工夫を
重ね、感動の初出荷となった。今では苗木も育ち、島根・
山口の私たちの農園に合計2,000本も植わっている。
私のところにはサラリーマンは要らない。学歴など世
間で語られる評価とも無縁だ。事業は毎日工夫の連続
であり、ビジネスは人を育てる。
「困った」という声や地
若女将三原さん
(右)
と山根さん(左)
域問題が持ち込まれた時、解決する人が必要とされ
るのだ。以前は行政が税金でやったことがビジネスと
して成り立ち、問題が解決される。だから無駄がない。
そんな市民のリスクと自発性で問題解決する新たな公
(ニューパブリック)がささやかに実現していることは嬉
これも小さな経営判断だった。
従来の経営と、情報化社会の経営とは流れが全く異な
る。旅館でいえば「お金持ち ➡ 立派な施設 ➡ 人が集
まる ➡ 口コミで泊まった旅館のグレードを自慢する」とは、
しい。税金で行われる事業を“効率・効果・経済性”
逆になる。
「旅館からピンポイントで情報発信 ➡ 地域の
の視点で見直したり、我々のコミュニティビジネスと比
問題解決に全国の知恵が集まる ➡ そういう人はお金に
較・競争させて公共セクターの無駄をなくすことは、社
余裕がある人が多い ➡ さらに、無駄なことにお金を使わ
会のあり方を変える近道ではないだろうか。
ないが必要なことにはドンと出してくれる」
という図だ。
2発信のチャンスをどうとらえるか、
が情報化社会
温泉津で旅館の経営を始めた時、ちょうど石見銀山
金に人が集まり、情報もそこに集まった時代には、中央
政府のある東京に金も人も情報も集まった。しかし情報
化社会では、田舎からでも発信すれば注目され、面白い
人と知恵や技術が集まり、
お金もついてくるという循環を創
が世界遺産に登録する前年だった。
この動き・機会を
ることができる。設備投資をしたらその償却に苦労するが、
同時にどう活用するかを考えた。地域には、旅館や食堂
ちょっとくらい古いほうが価値ある時代だし、そもそも世界
を開店したり改装したりする動きが出始めた。
しかし、私
遺産に新しい施設は似合わない。そんな経営判断も結
はハードに先行投資をすることは一切やめた。代わりに、
果として正しかった。
世界遺産登録で世間の耳目が集まるチャンスなのだか
ら、情報発信しようと考えた。
無名旅館は、努力しなければ全くニュースにならない。
そ
週休4日制は食材や人を集中投下できるので、これも
無駄がなくなった。結果、
売上上昇より利益率はさらに高
くなった。
のため、まず地域紙に情報提供した。
イベントなどの切り口
無駄をなくして楽しく。
そんな経営方針が働く
ことを厭わ
の面白さも評判で、若者が過疎地で行動する姿は小さな
ない人々を吸引している。田舎街で全国から年間で受
記事として紹介されるようになった。ある程度認知されるよう
け入れるインターン生は毎年延100人を超える。
この若
になった時、
「全国紙戦略」に切り替えた。世界遺産登録
者たちを、自立させたい。
への注目時期とも重なり全国放送でもいくつか取り上げられ
たが、マスコミへの情報の伝え方は全国発信だからといっ
て臆せず、妥協せず、正確に、
を徹底した。
結果、新たな公に共感し、地域活性や社会問題解決
3「ただで泊め、食べてもらって、
働いて返す」ネットワーク
そこで始めたのが「ただで泊め、食べてもらって、働い
などに興味・関心ある人々が宿泊層の軸になった。私の
て返す」ネットワークだ。衣食住の食と住まいがあれば、
旅館が土産をいただく事が多いのは、お客様が持参され
思い切ってチャレンジできる。若いうちはいろいろやってみ
る商品や試作品で若者と議論ができるかららしい。ちなみ
よう。代わりに働いて、貢献し、地域にお返ししてね。
こん
に、大手旅行代理店を通じると自分の問題意識で旅館を
な受け入れ先を47都道府県に作る。旅館に限らず、お
選択してくれる訳ではないので、契約はこちらからお断りした。
寺もあれば、牧場も畑も、そして漁師の現場もある。田舎
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特集 観光戦略の実践と
地域活性化
程度を預金してみてはどうだろう。政府が個別補償に移
行した時に心配される土地の暴落と担保としての価値の
喪失。
それに対し社会企業は北海道の土地を買い、耕
して、日本の自給率を維持する。市民が自己防衛すると
きが来ているように思う。私たち社会企業群は、それを呼
びかけ実践を始めているが、沢山の人が来てくれた時に
は宿泊が大きな条件となる。
それが47都道府県の「ただ
竹を活用して地域貢献
で泊め、食べてもらって、働いて返す」受入ネットワークだ。
力を入れている北海道には何箇所か作りたい。
だからこそ、いろいろ体験できるのだ。
日本の農業は後継者不足で壊滅寸前にある。
自給率
おもてなしをウリにする旅館があってもいい。私たちのよ
も41%、特に都市は1%と、
「何かあったら食べられなくな
うな 地域の問題解決拠点 をミッションにする所があって
る」ことが本当にあり得る時代状況になった。
そんな時の
もいい。みんな違って、みんないい。だけど今、みんな同じ
ためにセーフティネットを田舎に作っておく必要を強く感じ
で、みんな駄目、に日本がなっているように思えてならない。
ている。エネルギーに依存した大型農業にそれを託せる
旅館ばかりではない。教育も、行政もだ。最近はさすがに
だろうかと疑問に思うなら、自分の米は自分で確保しよう。
それには耕作放棄地を公有地にして、新規就農者に安
「前例がないから駄目だ」と言う人はいなくなったと思って
いたら、本省の地方局で久しぶりにその言葉を聞いた。
く貸し出そう。利益主義で年に1回しか使わない農機具
私たち社会企業群では、新たな先行投資で行う実
を農家ごとに買わせていては農家は潰れてしまうから、地
験性の高いもので、損益分岐点に持っていく
までにかなり
域で安く
リースする仕組みを地域に作ろう。
時間も要しそうな実践については助成金を申請することも
私が卒業した山口大学に、ベンチャービジネス論とい
ある。社会企業として持出半分・政府の税金半分で社
う講座があった。社会企業家の片岡勝先生が教鞭をと
会に広がるモデルをつくる気分なのだが、そこで「前例
られており、いくつもの社会企業が生まれた。私もその一
がないから」と言われると、意欲を失う。行政は末端にい
人だが、他に「学生耕作隊」
というNPO法人がある。毎
くほどイノベーションの意識が薄れ、チェックと管理が仕
年延2,000人を超える援農支援の活動は全国へも広がり、
事だと思っている節があると思えてならない。基準も省庁、
今、テーマも広がりを見せている。北海道では企業耕作
もっと言えば担当者によってバラバラで振り回されることも
隊が始まった。企業が自社商品のために作物を植える
多い。
そんな幻滅な対応の時には、私たち社会企業は
例は既にあるが、今後、農と食の破綻が起きたとき、企業
自前の資金だけを使いスモールスケールで行う。政府
が社員のために自給自足し作物を作る体制を整える想
の補助金で行った事例との「コストパフォーマンス」
と
「政
定だ。土地を投機対象とするのではなく、有効活用しても
策効果」の競争だ。
らうのだ。
それには技術研修が必要になるから、北海道
税金を上げず様々な施策を行おうと公約すれば、行政
に都会から毎月社員が飛び、交代しながら農作業を行
機構を大胆に変革し、
「無駄をなくす」という明治政府以
う。農家から学び、代わりに米を買わせてもらう。田舎と
来の課題に死に物狂いで取り組むことが絶対的な条件だ。
関係性をもって生産者の気持ちを知れば、消費者の一
国民への裏切りは許されないが、
コンペティターがいないと
方的な要求は出てこなくなる。無農薬で作ってカビや虫
どうしても腐る。
それには社会企業と競争するしかない。
での被害を体験すれば、手間のかかる有機栽培の作
物は倍の値段で買って当たり前になってほしい。
社会企業なら、それをCSRの一環としてやるのも良いと
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4 人材を育成するのは旅館自体の進化向上
工業化時代の「金 ➡ 人 ➡ 情報」論理では動
かない情報化社会になり、金というカンフル剤がなくなれ
ば、
その論理で動いていた組織、社会はいずれ消滅する。
思う。北海道はお金が回っていないので、10人なら1,000
代わりに、面白い試みを発信し、人が集まるのは、NPO
万、100人規模の会社なら余剰もあるだろうから1億円
セクターや社会企業というミッション性の高いセクターに
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地域に根ざした観光戦略の実践
ブルーベリーの栽培
なろう。
この時代のチェンジをうまく演出できるかが、日本
得てきた。それを改良し工夫することで日本の製造業は
の将来を決める。既得権益に媚びていては国に信頼は
進歩した。
それに感謝し、
お返しするプロジェクトだ。世界
なくなり、沈む。
そしてやる気のある若者は、借金ヅケの日
とこの精神で付き合うと世界の問題に一緒に取り組むこと
本を捨てる。
そうならないためにも、社会企業群が、
「新た
になる。飢餓も、環境も。日本を世界に開くだけでなく、日
な公」を既存の行政と協力・競争しながら作り出すこと
本人の目を世界に開かせることが結果として観光に繋が
が今の時代のテーマだと思う。
る。物見遊山で出かける観光から、世界の問題を直視
5
国や地域を開くことで観光は活性化する
イギリスは何年か前に中国からの旅行者のビザ不要
を打ち出したが、日本は今年になってやっとだった。国境
を開く
ことに臆病である一方、観光には来てお金を落として、
のご都合主義が世界で通るとも思えない。観光業は、地
しその解決に努力する日本人が世界に飛び出し活躍し、
その人を育てた日本で学びたいと言って来てもらう観光
政策こそが必要だ。
6 学んでもらえるものを提供できるか?
自分も、企業も、地域も
域が、国が、
どこまで開かれているかに関わる部分が多い
モビリティの高い現代において、一生ここで働くか、と
と思う。例えば地域に世界遺産があることは地域が世界
若者に問えば尻込みするだろう。農家では必ずこの問い
の財産になることだ。郷に入っては郷に従えでは通用しな
を発するから若者が逃げる。何も無責任で良いと言って
い。私の旅館では少なく
とも英語でのコミュニケーションは
いるのではない。社会のしくみとして、流動性を高めなが
できるよう努力しているし、食べ物も宗教的な配慮はする。
ら自分の個性に合った地域が見つかるか、持続可能な
さらにいえば、観光ビザで「客」としては海外から迎え
事業を展開できるか、
という問題意識だ。
入れられるが、
「労働力」として働く
となると事実上鎖国に
私は若女将を24歳の三原綾子という若者に譲った。
近い。
これだけ情報と交通が発達し、モビリティが高まっ
私たちが形成する社会企業群では、所有の概念は薄い。
た時代に、どうやって海外からの良質な人を招き入れる
経営がうまく回るようになれば、その人は次の課題に取り
か、という問題意識を感じない。入管と観光の方針をど
組む。地位にしがみ付くことなく、世代交代するのが当た
う設定するかは本来は政府が決める役割なのだろうが、
り前になっている。私から学んでもらえるものがあるなら、そ
縦割りの中で、それぞれが主張し、真面目に実行するだ
れが求心力になる。地位や権限ではない。
そして私は私
けでは、国としてのパフォーマンスは上がらない。
で、自分を試す機会がどんどん増えている。現場から意
私たちは、
「感謝とお返し」で世界と繋がるプロジェクト
を進めている。島根県は江戸時代、鉄の生産量が全国
見を言い、情報面、政策面で社会貢献できるかが問わ
れているのだと思う。
の90%あったという。
この鉄の技術や由来はどこから? 毎日が真剣勝負で、次のテーマでどんどん勝負する
との疑問から、たたらの語源が「タタール人」ではない
私たちの仕組みは厳しい。
しかしだからこそ、若者が育つ。
かという仮説に行き当たった。
そこから地域とシルクロード
それが励みになっている。
これからも 世界に、地域に、感
を結びつけ、タタール人を招いて文献の整理を試みた。
謝とお返し の精神で、時代の選択を間違わないよう社
縄文時代から日本はほとんどの文化と技術を大陸から
会に貢献していきたい。
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