64.『経済審「高失業率・所得格差」是認 個トラ制起業家精神で喝!』

経済審「高失業率・所得格差」是認
個トラ制起業家精神で喝!
物流 LOGISTICS 誌 平成 1 1 (1999 )年 8 月号
株式会社ロジタント 代表取締役 吉田祐起 著
先月号の末尾に「リーマン化」という新語をあしらいました。読者の中から、あれ
は一体何だ!? ってお問い合わせがありました。本稿を借りてお答えします。6 月 12
日付の日本経済新聞「春秋」で初めて知ったことですが、サラリーマンの「短縮型」
らしい、とのことです。同コラムによりますと、若者の口ぶりには、多分に侮蔑(ぶ
べつ)的なニュアンスが含まれている、とあります。
「組織の枠組みに安住し、組織の
論理に頼る安易さをサラリーマン化したと表現した」とあります。さらに、
「こうした
サラリーマン的気質や行動への批判と、最近のリーマン呼ばわりは、本質的に違う。
(中略)大げさにいえば、精神の退廃と荒廃がこの言葉の背後に見え隠れする」と。
同コラムニストは「人間を瀬踏みするいやらしさと、人を見下す勘違いの思い上がり
がぷんぷんにおう。リストラで元気がないサラリーマンだが、いわれのない侮辱には、
気骨をもって反撃したい」と結んでいます。かく言う私は、個トラ論者の立場で「サ
ラリーマン化」という言葉をよく引き合いにします。それに替わる言葉が見当たらな
いからやむを得ずってことが心情ですが、多少の誤解はあっても避けて通る気は毛頭
ありません。
「リーマン化」の方がソフトで何がしかのユーモアがあってイイだろうと
思って利用しました。失礼の段はお許しいただくとして、願わくば、このコラムニス
トの弁通り、
「気骨をもって反撃」して欲しいと願っています。現在の日本(人)にと
って必要なことは起業家精神という名の「脱リーマン化」であって、その気骨を個ト
ラへの起業家精神発揮に結び付けるってことが、本稿の狙いではあるのです。
あえて言う
高失業率肯定
到々、やっと!? 日本の失業率が欧米先進国に近づきました! これでホンモノの時
代が訪れる。経営者も、サラリーマンも、商品も、サービスも、すべてにおいてホン
モノの価値が問われる時代になる、と言いたいのデス。拙論の「欧米後追い」の現実
をここでも適用したら皮肉でしょうか?
ここ数年来わたしは、クライアンツ会社での社員研修や各種の講演機会や人々と語
る場を得る度にこんなことを言ってます。「10 年間はこうした高失業時代が続く、そ
うしないと日本(人)は堕落してしまう。立ち直れなくなる。日本(人)古来の良さ
を取り戻す絶好の、しかも最期の機会だ!ある程度の失業率があってはじめて、日本
人はまともな国民性を回復するんだ…」と。どうやらこんな主張を明文化するのが本
誌で最初の機会になりそうです。
と、こんなことをもし日本の政治家が、学者先生が、はた叉、なりふり構わずにリ
ストラで社員の首を切っている大企業経営者たちが公言したらどうなるでしょう。現
下史上空の深刻な経済不況と高失業率をみて「これでヨシ!」って大胆な発言をした
らどうなるでしょう。著名な方であればあるほど、そんな物騒な考えは持っていらし
ても口には出さない(せない)と思います。袋叩きにあうこと必定だからです。かの
池田勇人元総理の弁「貧乏人は麦飯を食って当たり前」が総理の座を失わしたのはそ
の典型です。
かく言う私は無名の減価償却済み人間ですので、そんなキワドイ発言をしても世論
をかき回すほどのインパクトなんてありっこないですから、笑いながらこの活字を追
ってください。民放テレビ番組「報道2001」の竹村健一さんの「いっぺん言うて
みたかった!」ではありませんが、未曾有の経済不況と失業者問題に関する私のかねて
の想いの一端を勇気をもって本誌にぶっつけてみます。
緊張感ない
日本社会
右肩上がりの経済社会に安住してきたわれら日本人は、職場というものは何処にも
あるって考えでした。より良い会社へ就職するためにより良い大学を志向しました。
事実、ネコも杓子も高学歴を目指しました。勉強嫌いの、はた又それに相応しくない
IQの持ち主でさえも、遮二無二の大学進学を親子で目指しました。しかも、その大
学は入学は難しいが、卒業はトコロテンってな状態も否定できないシステムです(し
た)。しかも、在学中にさしたる学力(実力)も身につけていない卒業生でも企業は競
って採用したものです。
入学試験パスを最大の目的に頑張った若者が、入学した途端に人生の方向を見失っ
てヘンな道に入ってしまった例もあるのはご存知の通りです。大学入学をあたかも人
生の「目的」と考え、学問を人生の「手段」とまったく考えない風情です。テレビで
偶然みたことですが、肝心の学長さんでさえ、入学式での訓示でこんなことを言った
のにはオドロキました。
「諸君は難関を突破して本学に入学された。これからは学生生
活を大いにエンジョイして欲しい…」といった趣旨でした。まさか勉強そちのけのエ
ンジョイではないでしょうが、それにしてもイヤハヤです。
一方、そうした実力を学び取っていない学卒新入社員を抱えた企業は、彼らの即戦
力が期待できないからか、何ヶ月間も何十万、何百万円もの費用をかけて「新入社員
研修」で再教育を心掛けました。しかも、その後はかの「終身雇用制」と「年功序列
給」に支えられた日本的労使慣行への安住でした。その結果が現在の企業リストラの
実態です。いま問題になっている「労働ミスマッチ」を招来した原因でもあると思う
のです。雇用側が求める欲しい人材ポストに応える人材がいない。求職側が求める職
種(条件)はない、といったすれ違いです。その最大原因は終身雇用制を前提にした
ために転職できる労働市場の整備を怠ったためと、あたかも政府や企業側にその責を
問う識者も見られますが、とんでもないと言いたいです。労働者側がそこに安住して、
自らの能力向上(エンプロイアビリティー=就業能力)やリスクへのチャレンジ精神
を失ったことに大きな原因があるのです。言うなれば日本企業労使双方の責任です。
一説では日本人を骨抜きにしようと企んだ第二次大戦後の米国の占領政策があります
が、それに嵌まったわれら日本人がだらしない、と言われても仕方がないでしょう。
いま、政府の「中小企業雇用創出人材確保助成金制度」や「緊急雇用・産業競争力
強化策」など盛り沢山の政策が打ち出されています。労働省は「第9次雇用対策基本
計画」の骨子をまとめ、雇用審議会に提示し、これからの 10 年間で「雇用の安定を
図ることで意欲と能力が生かされる社会の実現を目指す」としています。このような
政策も大事ですが、肝心の労働者側により一層の意識革新が求められていると思いま
す。そうした意味ではこれからの慢性的な高失業率が彼らに緊張感を呼び起こすこと
になることは間違いありません。
「サボったら失業する!!」といった素朴な危機感を持
つ(たす)ことが何にも勝る良薬です。学生も本気で勉強しはじめているのがその証
拠です。同じことが現役のサラリーマン諸氏についても言えます。リストラ旋風で脅
える分、今までよりホンキにならざるを得ないからです。
高学歴から
高学力社会
先日、米国人の友人を自宅に招いて庭でバーベキューを楽しみました。広島市内で
英語を教えているのですが、近々米国の大学へ戻って勉強し直して日本へ帰ってくる
というのです。米国では大学卒は確実にそうでない者よりも実力があるし、それを評
価する企業はそれに応じた給料を払うから、というのです。学歴=学力の社会である
ことを目の当たりに知らされました。
米国の大学は日本と逆で、入学は易しいが、卒業は難しいシステムです。実力が身
につくハズです。日本人の大学生は勉強していない、とも皮肉ってました。オーナー・
オ ペ レ タ ー の こ と に 話 が 及 ん だ の で す が 、 よ く 知 っ て ま し た 。“その原点は
entrepreneurship(起業家精神)だ!”と言ったら、
“That's it!"(そうだ!)と即座
に反応した彼でした。ネイティヴスピーカー並みだとわたしの英語を絶賛してくれた
彼が言うには、TOEIC[Test of English for international communication/トー
イック:国際コミュニケーション英語能力テスト)では日本人は東南アジアで最低水
準だとも言ってました。
さて、高失業率は若者たちに危機感とハングリー精神を与えます。社会人になって
失業しないために一生懸命に勉強して学力・知力・知識など身につける努力をします。
勉強の嫌いな者は大学進学を志向しないようになることも想像されます。第一に「大
学を出たけれど(就職出来ない)」って時代がこれから始まるのですから、これからの
若者たちは自身が高等学問に適さないと自覚したら、案外と未練なく進学を諦めて実
社会へ飛び出す者も増えると思います。
先日、NHKテレビで昨今の就職難を反映した大学卒業の若者のトレンドを報道し
てました。就職を断念してバイクによる宅配業を始めた男性。同じく就職口がないた
めに、美容専門学校へ入学して美容師を目指す女性でした。彼(女)らは明らかに入
学当時はこんなにまで就職難時代が来るとは思っていなかったに違いありません。人
生の回り道を余儀なくしたとも思える光景です。これからこんな失業状態がず∼と続
くと思ったら若者たちはどうするだろうか?が興味です。もともと勉強が嫌いで、何
か手に職をつけたいとか商売をやりたいと考える若者たちは義務教育を修了したら、
さっさと自分の好きな道に入るようになるのではないだろうか、と思うのですがどう
でしょう?ついでに言いますと、少子化現象の一つの原因である「高額教育費負担」
もこうしたトレンドで若干緩和されて、子どもを産む傾向が増えてくればシメタもの
です。早くから実社会で稼いでくれる子どもがいれば親も当人もヨカッタ!というこ
とになるかもしれません。
社会の変化で
人心の革新
一方、若者たちに教育の場を提供する大学側にも変化が生じます。本当に学力のあ
る学生を輩出しませんと大学自体が企業側からも学生からも見放されます。大学経営
にも大きな革新が求められます。知名度の低かった大学でもそれを実現すれば企業か
ら歓迎され、優秀な学生も集まります。現在問題視されている学校教育のあり方も意
外や、高失業率慢性化時代がある程度解決してくれるかもしれません。世の中が変わ
れば人の心も変わり、その受け皿すべても変わる、という図式です。システムや手法
を下手に改革するより、そうせねば生き残れない社会環境を誘導した方が確実のよう
です。経営者にそんな放漫経営をしてたら倒産するよ、と忠告するよりも、放任して
不渡り手形一歩前の瀬戸際に立たされてはじめて気付くみたいなものです。ドクター
ストップが出てはじめて禁煙、禁酒する人間の性(さが)も同じです。高失業率大歓
迎(?) と言うのはこの辺りのことからです。
こんな生意気なことを言ってのけるわたしですが、それなりの体験をしています。
前職のトラック運送事業なかんずく、労働組合も抱えた中堅規模(と自負)の経営者
の立場にあって、高度成長時代から終始一貫労組に語り続けた言葉の一つに、
「完全雇
用の時代なんて永続するハズはない。失業時代は必ず到来する。それへの自覚と備え
が企業労使にとって大事だ」ということでした。その理念ゆえに、超高度経済成長、
超完全雇用時代でも厳しい社員教育を貫き通しました。事故を起こしたドライバーに
対して「バカもん!」とばかりテーブルを叩いて叱り飛ばしたこともありました。た
とえ彼がそのために退社して会社も当面困ることが解っていても、でした。その反面、
不景気の波が襲った時代は「今こそ職場を、雇用を守っていこうぜ!」とゲキを飛ば
したものでした。
高度成長の人手不足時代には社員に諂い、苦言を呈すべき時でもみてみぬ振りをし、
辞められたら困る、ここは一番経営者の我慢のしどころとばかりの温情主義を策す一
方、不景気風で人手に余裕が出てくると一転態度を変えて、辞めていけとばかり厳し
く当たるって経営者が見かけられました。こんな経営者をみてわたしは「資本主義経
済の原則を弁えない無節操な経営者」と内心思ったものでした。何故って、資本主義
経済では何たって「お金を出す(払う)
」側が顧客であるべきだからです。給料(お金)
を払う側の経営者として毅然とした姿勢があって当然だからです。需要と供給のイン
バランスが価格を決定することは事実ですが、所詮、
「毎度有り難うございます」とい
う側はお金を受け取る側にあるからです。英語の語学力のおかげで外国の経済情勢に
直接ふれる機会のあったわたしは、経営者の社会的評価である「雇用の場の創出」と
いうことを早くから学びとっていました。超完全雇用の経済下で日本人経営者が忘れ
(させられ)ていたことです。労働者側の売り手市場ゆえに、雇用の場の創出という
経営者側の尊い社会的評価が無視され、転じて逆に経営者側に対する「より高い労働
条件の提供義務」にすり替えられたって感じでした。失業者が慢性化している経済社
会で、働く場を提供していると自負する欧米諸国の経営者と、人手不足に悩む日本人
経営者の自他に及ぶ認識の差異です。日本人経営者にとってはまことに割りの合わな
い環境ではあったと思います。現下の高失業時代が日本人経営者にそうした自意識を
回復さしたと言うのも皮肉です。
話は戻りますが、かの第一次オイルショックの時がイイ例です。燃料不足を武器に
荷主に対して「運んでやる」ってな、不心得な業者姿勢が台頭したものでした。回わ
りまわってガソリンスタンド経営者は、運送業者に燃料を「売ってやる」ってなのも、
日常茶飯事でした。当時わたしはトラック協会の重要なポストにありましたので、そ
んな光景を目の当たりにした時はよく忠告したものでした。ある同業者社長が、何年
か後にわたしに述懐して言った言葉が印象的でした。
「ヨシダさん、わたしはあなたの
忠告を守ったおかげでより強い荷主信用を得ました」と。反対に「売り手市場」に流
されて荷主を失った業者の多かったこと。数えればキリがありません。第二次オイル
ショックの時は、さすが二の轍を踏むことはありませんでした。過去の教訓が活かさ
れたのです。
ところで、こうしたお金を払う側と受け取る側の論理は、こと労使関係においては
行き過ぎること禁物です。生身の労働を提供する対価である賃金であるから、それだ
けにキメ細かい配慮や想いやりが労使間の信頼関係樹立に不可欠だからです。しかし、
ここで強調したいことは、完全雇用時代とはいささか異なる意味での自信が経営者側
にあって然るべき、と思います。
「他産業並み」といった横並び意識からの脱却を勇気
と自信を持って社員に語り掛けるべきです。
これでいいのだ
千差万別
わたし自身が高額所得者ではありませんので、あえてこんなことを言っても差し障
りがないと思います。非高額所得者の立場で、率直かつ、正直でホンネの弁を述べて
みます。かねてより本誌で主張していますが、ドライバー(トラックもタクシーも)
の賃金を「他産業並み」に期待すべきではないということです。労使共に、です。余
談ですが、バスのドライバーはあえて除外します。彼らは補助金という名の恩恵に浴
している例外だからです。同じドライバーでもトラックやタクシーのそれに比べてバ
スドライバーの賃金がかなり高額であることを不労所得と断じて憚りません。彼ら(労
使)もまた、規制緩和時代を迎えて漫然とは出来ないと思うのですが、これは別の問
題です。
同業種間でも格差があるのに、ましてや職種別の賃金水準や格差があるのは当たり
前です。どうしたことか、やたらと「他産業並みの賃金を!」というのがトラックや
タクシー業界の労使の弁であることに警鐘を発してきております。
「生産性に見合う賃
金制度 労使でコンセンサスつくれ」を構築した企業労使が生き残り組だとわたしは
常々喝破しています。
当然のことですが、賃金格差は「貧富の差」を意味します。差別用語へのアレルギ
ーが多い現代ですが、事実はジジツとして所得格差は当たり障りの有無を問わず貧富
の差でしかあり得ません。人間の能力は千差万別、とすれば所得も千差万別、暮しぶ
りも千差万別であって当ったり前です。貧富の差がもっとあって当然だ、とするのが
かねてからのわたしの意見です。こんなことを言いますと、多くの方がチョットばか
り不快感を露にされます。無理もないでしょう。誰だって貧者の部類にはなりたくあ
りませんから。かく言うわたしは自己の分際をわきまえてますから平気で言えること
ではあるのです。
社会主義国ではその貧富の差は日本のそれとは比較にならないと認識しています。
中産階級化した日本は「超社会主義国」であったとさえ言えるでしょう。こんな物騒
な発言を公の場でするわたしですが、してやったり(?)って変な心境に出くわしました。
7月5日、経済企画庁に事務局を置く経済審議会(首相の諮問機関、豊田章一郎会
長)が 2010 年ごろを目標とした新しい経済計画「経済社会のあるべき姿と経済新生
の政策方針」を小渕首相に答申されました。
所得格差
ついに是認へ
経済企画庁と言えば、去る平成6年 10 月にその「楽市楽座研究会」が、さらに8
年 12 月には同じその経済審議会がそれぞれ、
「最低保有車両台数規制の撤廃」を提言
されたことがありました。後者の時は経済審議会事務局である経済企画庁に乗り込ん
でアピールしたり、担当者の訪問も受けたものでした。
7月6日の日本経済新聞トップ記事をみて、早速インターネットで経済企画庁ホー
ムページを立ち上げ、全文をプリントアウトしました。数時間を要したA4版で 50
枚もの量です。かの堺屋太一経済企画庁長官が自ら執筆された個所が随所に、という
のがマスコミ評ですが、さすがに官僚臭さい思想(?)は排除された印象を受けます。嬉
しいことは、随所にわたしの持論が裏付けされた言葉が目に付くことです。持論の最
たるものは何と言っても「個トラ」に通じる概念です。個トラ持論と重ねて同答申の
ことを稿を改めて書く価値がありそうです。本誌平成 10 年 10 月号「従業員オーナ
ー制復活を∼オーナー・オペレター・システムとの整合性∼」で引用した日本経済新
聞「経済教室」
(従業員オーナー制復活を:米人経営コンサルタント・ジェイムス・ア
ベグレン氏著)の時と同じ調子で展開してみたいと思っています。
今回は、経済審答申が取り上げた多くの問題の中から「所得格差と失業問題」に限
ってその関連言葉を引用しつつ論をすすめます。
その一つは、
「所得格差」が是認されたことです。第1章「多様な知恵の社会」の第
2節「個々人が『夢』に挑戦できる社会」で、曰く「…個人が自己責任のもとに自立
した存在であるとの認識が高まっている。
“そうした社会においては、創造的価値の生
産やリスクをとることによって大きな所得格差が拡大する可能性となる。成功者と失
敗者の間で所得格差が拡大する可能性があるが、挑戦とそれに伴うリスクに相応する
報酬は正当な評価であり、それによる格差は是認される”…」がそれです。
(文中“ ”
内は筆者挿入)
所得格差と言えばソフトな表現ですが、前述した通り貧富の差を是認することに他
ありません。戦後一貫して近代思想における正義として重視されてきた「平等」が、
ここにきて「…生産手段の国有化や官僚統制によって、事前的に『結果の平等』を図
る社会構造が 20 世紀には世界の多くの国で試みられたが、結果は失敗に終わった」
(第5節経済選択の基準としての価値観[新しい効率、平等、安全と自由]2.平等)
と断じています。
「平等とは、まず、すべての人々が自らの意思で何事にも参加し得る機会を持つこ
とである」とすら定義付けています。
「差別なき平等は悪平等であり、平等でない差別
は悪差別である」なる仏典の言葉が頭に浮かびます。
世のトラック運送事業経営者に勇気を持って社員に訴えて欲しいことは、賃金に関
する限り、今や日本は欧米諸国と並んで、「業種(異業種)間格差」「企業(同業種)
間格差」
「職種別(含企業内)格差」への認識を労使が受けとめることが肝要です。よ
り良い、より高い労働条件を確保することは企業労使の正常な願望ではありますが、
そのターゲットは「同業種企業間格差」であるべきだと認識します。個トラ時代への
プロローグ的認識の一つでもある、というのがこの経済審答申から得た拙論確証その
1です。
まだ序の口?
高失業率
さて、同じように企業労使が目覚めるべきことは「失業率」の実態です。経済審の
答申「(参考)2010 年の経済社会」第1章 経済の展望・第3節 失業率」の言葉
を引用します。
「内外での競争激化の下で産業構造の変化が速まり、産業・職業のミス
マッチが拡大するとみられるなど、完全失業率を高める要因は多い。こうした中、
2010 年頃の完全失業率は3%台後半∼4%台前半と見込まれるが、適切な経済運営
に努めるとともに、新規雇用機会の創出、職業能力の開発や職業能力評価の充実、労
働力需給の調整機能の強化を図ること等により、出来る限り低くするよう努める必要
がある・」
わたしは数年前から「4∼5%の失業率が 10 年間は続くだろうし、それでイイの
だ」と大胆な発言をしてきました。答申をみてヘンな気分になりました。
「所得格差是
認」と同様、ヤッパリ!とわが意を得たり(?)って心境でした。失業者やリストラに直
面して悩んでおられる多くの人たちにとっては大変な時代ですが、企業労使にとって
これからの産業社会で生き残っていく上で避けて通るべきでない重要な問題ですので
あえて直言します。
答申が示唆するものは、これから 10 年後の、言わば現実的かつ、政策的な見通し
としての、わが国経済の展望の一端です。見落としてはならないことは、これからの
10 年間を、あらゆる努力を果たした上での結果予測がそれである、ということです。
すなわち、2010 年頃の失業率、3%台後半∼4%台前半は、これからの 10 年間の努
力の結果の「期待数値」であることです。期待(理想)は往々にして実現しないこと
があります。まして、そこに至るまでの環境は想像に難くないでしょう。
国民的感情を配慮して、パニックに陥らない政策の発表が必要です。日銀企業短期
経済観測調査(短観)や、企画庁が発信する「月例経済報告/景気の現状判断」がそ
れです。微妙なニュアンスで現状を混乱なく表現することが避けられないのと同様で
す。ちなみに、同月例経済報告は 98 年 12 月の「変化の胎動」、99 年 3 月の「下げ
止まりつつある」から、6 月の「下げ止まり、おおむね横ばい」と変化し、今 7 月の
「底ばい状態。底を打って反騰してきたとみるには尚早」と、今回も「底打ち」 には
踏み込んでいません。
ということからですが、慎重な表現を使いながら一方では楽観に過ぎるとも思える
ような景気予測の中、巧くいって 10 年後でそれだとすれば、悪くいったらそれ以上
になる、ってことの覚悟も必要です。それまでのプロセスに至っては何をか況やです。
ちなみに、現在の失業者は 320 万人ですが、日本企業が抱える過剰雇用は昨年末
時点で6百万人強という不気味な試算が日本総合研究所でされています。悲観的材料
が目白押しの中でのかかる経済審答申の予測であることをシカと自覚する必要がある
と言いたいのです。10 年後の失業率をあのように予測計画すること自体は、それを
良しとする政府のホンネとわたしは解釈します。あらゆる雇用対策を講じる反面での
こうした失業率長期計画には矛盾があると言えそうです。
ついでですが、OECDによる 2000 年の失業率の予測表では、EU=10% 直前、
米国=4%台前半、OECD 全体=7%台前半、日本=5%台後半と読み取れます。経済
審が示す 2010 年の失業率 3%台後半∼4%台前半も、所詮、そこに至るまでの産み
の苦しみとして、それ以上の失業率が発生することは避けられないということです。
このことを裏返せば、わが国の失業率は3∼4%(あるいはそれ以上)が適正値であ
るというのがホンネと考えます。
事態を認め
日本再生へ
経済審がいみじくも是認した「失業率と所得格差」ですが、これは大きな意義があ
ると考えます。
「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」と銘打って、正面切っ
てのこれら一連の答申は今までになかった内容です。
適正失業率の維持は働く人たちにハングリー精神をもたらします。所得格差を是認
する経済社会では、やる気ある人たちにより大きなインセンティヴ(刺激・誘因・動
機)を与えます。かくして日本経済は活性化するのではあるのですが、それには何と
いっても我ら日本人がそれに目覚めなければだめです。いくら政策面でインフラを整
備しても肝心の人間がその気にならねば、実現出来っこありません。
そこでですが、そうした日本人の心の革命の突破口に手短なところから着手できる
ものがトラック運送業界にあると言いたいのです。申すまでもなくそれはリーマン化
したドライバーに起業家精神を期待する個トラ制度です。日本人に現在最も必要とさ
れ、しかもそれなくしては日本の再生は覚束ないとされる「自立した『個』を基盤と
した経済社会」の構築に直接手を貸す役割を果たすことにもつながるのです。
トライしてみませんか、が本稿のオチではるのですが、本稿の締め括りの弁は来月
号の経済審答申の内容を改めて個トラ精神にオーバーラップしたものと一緒に述べる
ことにします。
どうした!
若者たちよ
ほかでもありません、
「このままでは日本は駄目になる!」と先に言ったわたしの言
葉がいみじくも証明されるような新聞記事に接したものですから、それを優先さした
いのです。
電子メール寄稿のおかげで、本誌への寄稿締め切り延長の恩恵に浴しているわたし
ですが、その期限ギリギリの7月 11 日(日)の日本経済新聞をみてギクッとしまし
た。読者の多くは読まれたのではと思いますが、そうでない方は是非ともお読み下さ
い。本稿の締め括りの弁は来月号に回してでもその一部を紹介する必要を感じます。
日本青少年研究所理事長の千石 保さんの寄稿文がそれです。同研究所が日本、米
国、中国、韓国の中・高校生が 21 世紀にどのような夢を抱いているかを尋ねた「 21
世紀の夢に関する調査」の結果です。「(日本の中・高校生は)現状に満足、向上心欠
く」とした中見出しのショッキングな内容です。調査対象の中・高校生数は、日本=
1,996 人、米国=2,019 人、中国=2,018 人、韓国=2,022 人です。ぞっとする
ような回答結果の説明が詳細に記されているのですが、二つの図表を拝借して読者の
想像に委ねます。
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│ 将来就きたい職業(高校生) │
│ 21世紀の夢や希望
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│(別紙新聞記事の図表を使用) │
│ (別紙新聞記事の図表を使用)│
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(参考資料)
平成 11 年7月 11 日付 日本経済新聞記事「日本の若者 未来に無関心」
「日米中韓の中・高校生比較」より抜粋
日本青少年研究所理事長 千石 保氏 著
この際ですので、同著者の弁を幾つか列記します。
“全般を通して読みとれる日本の中高生の特徴は「現状満足」にある。現状満足は、
未来に希望を抱かないで、未来に無関心。日本の中高生は「いかにも、あなた任せで
元気がない、若さがない」とみられる。追いつき追い越した豊かさにどっぷり浸かり
自由をおう歌している。多い「公務員」志望。平穏・無事がいいのだ。チャレンジ精
神がとても低いことがわかった……と散々です。
極めて印象的な著者のコメントは最後の「…これは異様な事態だと認識すべきだろ
う。”と。願わくば、将来を背負うべき現代の若者たちが、これから 10 年間は続くと
想像される高失業率や所得格差是認の時代に正面から向き合って目覚めて欲しいもの
です。21 世紀がわれら日本(人)にとって栄えある時代であるために……。
(平成 11 年7月 12 日記)