本文は - 化学と生物

巻頭言
Top Column
非論理的化学としての「物取り」の快感
河岸洋和
静岡大学グリーン科学技術研究所
化学と生物 ●
日本農芸化学会
私は 1985 年に静岡大学に助手として赴
任して以来,主にキノコからの「物取り」
(生物活性物質を精製し構造を決めること)
を続けている.博士課程では天然物の全合
成を行い,学位取得後は米国へのポスドク
も決まり,合成化学者として生きていくつ
もりだった.しかし突然,合成化学とは無
縁な助手のポストの話が舞い込み,悩んだ
末に,すでに結婚し妻が生計を立てていた
(所謂ヒモであった)こともあり安定な職
業を選び静岡に赴任した.いずれは海外に
行ってみたいと思い続けていたが,1998
年に文部省長期在外研究員としてやっと海
外に赴く機会が与えられた.当時,静岡大
学理学部におられた上村大輔先生(現神奈
川大学特別招聘教授)に「超一流を見てお
け!」と背中を押され,ハーバード大学の
岸 義人先生(合成化学)にお世話になる
ことになった.40 歳を過ぎてからの,小
中学生の子どもたち 3 人を連れての家族大
移動となった.研究室では「昔取った杵
柄」と多少の反応も行ったが,
「これはダ
メだ」と降参し,岸研のメンバーが合成し
た化合物の NMR 測定や構造解析を主に担
当した.そのうちムラムラと物取りをやり
たくなり,岸先生の了解を得て,自宅から
ミキサーを持参しスーパーマーケットで
買ったキノコの破砕,抽出を始めた.天然
素材からの化合物の抽出,分画,精製など
見たこともない学生やポスドクたちは私の
周りに集まり,ある博士課程の女子学生は
「New Chemistry !」と騒いでいた.当時
も今も米国ではアカデミアに属する「物取
り屋」は日本に比べて極めて少ない.こん
な経験もあり,ある機会に岸先生に「どう
してアメリカの大学には物取り屋は少ない
のですか?」という質問をぶつけてみた.
「そりゃ河岸さん,アメリカ人はロジック
が好きなんだよ.物取りにロジックがある
かい?」と岸先生,
「そうだよな,合成ス
キームをまず考える合成と違って,僕の仕
事は「何が取れるかわからない」から始ま
るからな.
」と思った.しかし,岸先生ご
自身は,先生の代表的研究であるパリトキ
シンやハリコンドリンの仕事は物取り屋の
上村先生との二人三脚で成し遂げられてお
り,物取り屋に大きな敬意を示されてい
た.そのときの会話でも「でもね,下村さ
ん(2008 年ノーベル化学賞)はすごいん
だよ.まだ,何が取れるかわからないのに
硝酸を入れてしまうんだから,そして,そ
れが当たるんだ.
」とおっしゃった.硝酸
の添加など目的の物質の安定性がわからな
い段階でするようなことではない.昨年,
ノーベル生理学・医学賞を受賞された大村 智先生も歴史に残る化合物を山のように発
見されている.
上記の物取り屋の泰斗は,私のような凡
人には理解できない論理があるのだろう.し
たがって,この小文のタイトルの「非論理
的」はあくまでも私レベルの物取りのこと
である.私の研究は,主にキノコ抽出物に
対してバイオアッセイを行い,その結果を
指標にクロマトグラフィーを繰り返し活性
物質の精製を行う,という単純作業であ
る.しかし,掲げる目標は「生命現象を分
子で説明する」ということである.ゲノム
全盛時代に物取りは分が悪いが,「生命現
象を直に動かしているのは小さな分子であ
る」と日々学生を叱咤激励している.時折,
私の研究室では「面白い化合物が見つかる」
と研究者仲間に言われることがあるが,そ
れは,研究対象を選ぶちょっとした「
(非
論理的)勘」と学生たちの精進のおかげか
もしれない.体力任せで見つけた化合物に
よって,ゲノム(設計図)の意味が明らか
になっていく過程は,正に「快感」である.
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会
DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.529
Top Column
化学と生物 Vol. 54, No. 8, 2016
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化学と生物 ●
日本農芸化学会
プロフィール
河岸 洋和(Hirokazu KAWAGISHI)
<略歴>1979 年北海道大学農学部農芸化
学科卒業/1985 年同大学大学院農学研究
科博士課程修了/同年静岡大学農学部助
手/1989 年同大学農学部助教授/1999 年
同大学農学部教授/2006 年同大学創造科
学技術大学院教授/2013 年同大学グリー
ン科学技術研究所教授/2016 年同大学研
究フェロー(兼任),現在に至る<研究テー
マと抱負>キノコとほかの生物(特に植
物)との共生・共存の分子レベルでの解
明,キノコの生活環を制御する分子(キノ
コにおけるホルモン?)の探索など<趣
味>2 月末から 5 月上旬までのタケノコ掘
り,家庭菜園,読書<所属研究室ホーム
ペ ー ジ>http://www.agr.shizuoka.ac.jp/c/
biochem/index.html