政策を見る眼 政策議論の落とし穴 No.20 < 2016. 5. 25 > 宮脇 淳 政策議論は、さまざまな価値観が錯綜する中で、 北海道大学大学院法学研究科・公共政策大学院教授 いわば、木の枝を飛び移るムササビ型の議論であるが、 「100 点」とはなり得ない政策内容をより良いものとす 過度に細部にこだわる「ダメ出し議論」も同類に属す。 るために、相互に考え方と根拠になるデータや情報を また、ゴールポストの移動は、議論の根拠となる情報 提供・共有しながら、意見、疑問をぶつけ合うプロセス や証拠を節約的に活用する、つまり不十分であるにも であり、民主主義の基本として位置づけられる。しかし、 関わらず強引に結論づける場合に行われることが多く、 現実の政策議論では、より良い内容に結び付ける上で そこでは不十分な根拠による「希望的観測」の議論を 落とし穴があり、それに陥らないように議会のみならず 積み重ねる結果となりやすい。ゴールポストを移動し、 住民参加や行政機関内の議論においても留意してい ダメ出しを繰り返す中で、時間が経過したことを理由に、 く必要がある。 「かなり時間を費やした」、あるいは「機は熟した」などと、 ≪シャットダウン議論≫ 結論へと導く流れがつくられることがよくある。しかし、 政策議論において、もっとも避けなければならないの その実態は、実質的な議論がほとんど行われない中 は「シャットダウン議論」である。これは、価値観の違い で、時間経過を理由に結論だけを求める「悩んでいる」 を理由に議論を終結させる姿勢である。「価値判断の 構図の繰り返しとなる。こうした議論で生み出された結 問題」、「価値観の違い」などといって議論を終わらせ 論が多くのリスクを抱えることはいうまでもない。 てしまう光景をよく目にする。価値観が異なる他者との ≪みんなの罠≫ 協力関係を形成する公共性の観点から、また特定の さらに、政策議論では、「国民は…」、「住民は…」、 価値観や視点を当初から排除してはならない政策の 「皆は…」といった表現がよく使われる。しかし、国民全 倫理の面からも、避けるべき姿勢である。議論を打ち 員、住民全員がその議論に賛成あるいは反対している 切り、あるいは当初から排除するのではなく、議論を重 わけではない。こうしたことばで全員が同様の考えや行 ねる中で、相互の異なる価値観の矛盾点や整合点な 動を選択しているかのように表現することを、「みんな どを確認していく必要がある。しかし、実際には国会や の罠」という。「みんなの罠」の表現がとられる背景にも、 地方議会の議論でも、相互の価値観の違いを前提と 希望的観測が潜んでいる。「同罪の仲間」と呼ばれる して、一方的な批判型の議論が繰り返される場面が 現象であり、「みんな」ではなく、せいぜい「多数」あるい 少なくない。こうした状況は、政策議論ではなく政策主 は「何人か」を意味するに過ぎないにもかかわらず、安 張の繰り返しであり、実質的にはシャットダウン議論と 易に全員を意味することばを使用してしまうのである。 大差のない実態となっている。 みんなの罠は、短期的に生じている現象の軽重、ある ≪ゴールポストの移動≫ いは普遍性を判断せず、「みんな」ということばで正当 続いて避けなければならないのは「ゴールポストの 化する手段であり、出来事の本質を把握せずに結論 移動」である。これは、政策の論点を議論し解決に向 を出す悪いポピュリズム体質を深めることになる。これ けた筋道を積み上げるのではなく、論点をどんどん変 は政策議論に限らず、さまざまなコミュニケーションに えて行き、結論を得ることを避けようとする姿勢である。 おいて留意すべき課題となる。 「政策を見る眼」No.20 <2016.5.25> *バックナンバーは http://www.trc.co.jp/soken/ にてご覧いただけます。 発行:株式会社図書館総合研究所 (担当:TRC セミナー「まちの課題を解決する図書館」事務局 島泰幸) 〒112-8632 東京都文京区大塚 3-1-1 Tel.03-3943-2221 E-mail: [email protected]
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