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論文要旨
学位論文題目
フィリピンにおける幼児への心理臨床的支援に関する研究―就学前教育
支援プログラムの構築を通して―
所属
東京都ひきこもりサポートネット・お茶の水女子大学
氏名
杉浦貴代子
国 際 的 な 潮 流 で あ る 幼 児 期 へ の 支 援 と し て ,途 上 国 で は 近 年 ,就 学 前 教 育 が 推 進 さ れ て
き た 。し か し そ の 就 学 前 教 育 は ,認 知 発 達 に 強 く 焦 点 づ け ら れ て お り ,社 会 的 情 緒 の 促 進
が 視 野 に 入 っ て お ら ず ,幼 児 の 発 達 に 即 し た も の で は な い( OECD,2011)。ま た 財 源 上 の
問 題 か ら ,国 内 の 貧 困 層 に ,国 家 に よ る 就 学 前 教 育 サ ー ビ ス は 十 分 届 い て い な い 上 ,就 学
前 教 育 は ,そ の 国 や 地 域 の 教 育 観 や 養 育 観 に か か わ る 領 域 で あ り ,大 規 模 な 国 際 協 力 は 不
適 切 と 考 え ら れ て い る 。そ の た め ,草 の 根 の 支 援 へ の 期 待 が 高 く ,そ の 知 見 の 積 み 重 な り
が期待されている。
こ う い っ た 背 景 を 踏 ま え , 筆 者 は , お 茶 の 水 女 子 大 学 青 木 研 究 室 が NGO と 協 働 し て
行う,フィリピンの貧困地区において幼児期の社会的情緒の発達促進を重視した支援プ
ロジェクトに参加してきた。
本研究はそのプロジェクトの一部を検討したものであり,途上国の貧困地区における
就学前教育への草の根の支援のあり方と,その持続可能性について検討することを目的
とする実践研究である。本研究では,この目的遂行のため 3 つの課題を設定した。具体
的 に は ,「 支 援 プ ロ グ ラ ム の 構 築 」,「 効 果 の 検 証 」,「 持 続 可 能 性 に つ い て の 検 討 」 で あ
る。
第 一 に ,子 ど も の 発 達 や 現 地 の 状 況 に 適 合 し た 支 援 プ ロ グ ラ ム の 構 築 を 行 う た め ,地 域
の ニ ー ズ ア セ ス メ ン ト 調 査 を 実 施 し た 。子 ど も の 発 達 の 実 態 を 把 握 す る た め ,発 達 検 査 お
よ び 家 庭 訪 問 を 行 っ た 。ま た 家 庭 の 状 況 や 就 学 前 教 育 へ の ニ ー ズ の 把 握 を 目 的 に ,質 問 紙
調 査 を 行 っ た 。そ の 結 果 ,子 ど も の 発 達 に つ い て は ,物 資 お よ び 環 境 的 不 足 か ら ,微 細 運
動については十分な発達とはいえない状況であったが,他に大きな遅れはみられなかっ
た 。心 理 的 側 面 と し て は ,貧 困 地 域 で 生 活 す る 子 ど も へ の 社 会 的 情 緒 へ の ケ ア の 必 要 性 が
認 識 さ れ た 。ま た 就 学 前 教 育 参 加 へ の ニ ー ズ は 高 く て も 経 済 的 な 問 題 か ら ,既 存 の サ ー ビ
スが利用できていないこと,子どもの学習習慣や生活習慣への養育者のサポート不足が
課 題 と し て 考 え ら れ た 。結 果 を 反 映 し ,就 学 前 教 育 に 遊 び や 自 己 表 現 の 要 素 を 重 視 し た 支
援 プ ロ グ ラ ム ,家 庭 の サ ポ ー ト 機 能 を 強 化 す る 支 援 プ ロ グ ラ ム を ,既 存 の 就 学 前 教 育 プ
ログラムに付加し,就学前教育実践が行われた。
第 二 に ,作 成 さ れ た プ ロ グ ラ ム の 効 果 を ,卒 園 後 の 小 学 校 の 適 応 状 況 か ら 検 討 し た 。他
の 幼 稚 園 卒 園 群 ( 他 幼 稚 園 群 ), お よ び 就 学 前 教 育 未 経 験 群 ( 未 経 験 群 ) と い う 対 照 群 を
設 け , 小 学 1・ 2 年 時 に , 成 績 表 か ら 学 業 成 績 お よ び 生 活 態 度 の 情 報 を 収 集 し , 比 較 検 討
を 行 っ た 。結 果 ,小 学 2 年 時 点 で 介 入 群 が 未 経 験 群 よ り も 有 意 に 良 好 な 結 果 で あ る こ と が
示 さ れ た 。 次 い で , 小 学 4 年 時 に 担 任 教 師 回 答 の CBCL-TRF を 用 い た 調 査 を 行 っ た 。 結
果 ,介 入 群 は 未 経 験 群 よ り も 引 き こ も り や 社 会 性 の 問 題 ,内 在 化 尺 度 に て 有 意 に 得 点 が 低
く ,ま た 他 幼 稚 園 群 と の 比 較 で は ,引 き こ も り ,身 体 的 訴 え ,総 得 点 で 有 意 に 低 い 得 点 が
認 め ら れ た 。内 在 化 尺 度 ,外 在 化 尺 度 ,総 得 点 に つ い て ,健 常 群 ,境 界 群 ,臨 床( ハ イ リ
1
ス ク )群 に お け る 人 数 比 率 の 差 を 検 討 し た と こ ろ ,内 在 化 尺 度 で 有 意 差 が 認 め ら れ ,介 入
群では健常域にいる子どもが比較対照群よりも有意に多かった。
第三に,持続可能性についての検討として,プログラムの継続的実施が実現するため
のポイントを,人的キャパシティの側面から抽出した。まず,現地の人的キャパシティ
の特徴を把握するため,在職した教師 5 人の成育史,業務上のやりがいや困難,キャリ
アの展望という観点で,フィールドノート等の一次資料の内容分析を行った 。次に,在
職歴が長い教師の成長過程を検討し,教師の成長に資すると考えられる点を抽出した。
これらの検討を通じ,現地の人的キャパシティには,貧困地区ならではのリスクがある
こ と が 見 出 さ れ た 。 ま た , 教 師 が 成 長 に 向 か う 動 機 づ け に , 教 師 -子 ど も 間 も し く は 教 師
-親 間 に 互 恵 的 関 係 が 築 か れ る こ と が 重 要 で あ る と 理 解 さ れ た 。
総合的考察として,支援プログラムの構築に関しては,広範で丁寧な調査を行い,結
果を軸に実態を観察していくことは,草の根のレベルで実行可能であり,かつ現地に適
合 し た 支 援 を 構 築 し う る 手 法 で あ る と 考 え た 。 ま た , 途 上 国 の 貧 困 地 区 で は ,「 発 達 に 適
切な刺激」だけではなく,社会的情緒へのケアを視野に入れる必要があり,双方に資す
るものとして,遊びや自己表現を支援の軸とすることが有効だと理解された。
効果の検証からは,社会的情緒の促進やケアを重視した幼児期の支援は,中長期的に
社会的情緒へ肯定的な効果を持つことが確認された。長期的な効果をもつ就学前教育
は , 十 分 に 投 資 さ れ た 質 の 高 い プ ロ グ ラ ム に 限 ら れ る と さ れ て き た が ( Weikart,2000),
比較的小さな支援でも,幼児期の発達課題を踏まえた支援は,その後の発達段階におけ
る社会適応を向上させる予防策となりうるといえる。
持続可能性についての検討からは,途上国ならではの世代間葛藤の問題,すなわち教
師と子どもの関係性のリスクが見出された。教師と子どもの関係性は,就学前教育の質
に 大 き く 関 わ る ( OECD, 2011)。 教 師 へ 心 理 的 側 面 か ら 支 援 を 行 い , 教 師 ― 子 ど も 間 の
良好かつ互恵的な関係性を促進することは,実践の持続可能性を高め,かつ幼児期の社
会的情緒の促進の効果を高めると考えられる。これは,対人的なかかわりや長期間に渡
る丁寧なかかわりをその特性をする草の根の支援のあり方に貢献する知見であると考え
る。
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