これまでの私 これからの福島大学

これまでの私
これからの福島大学
福島大学人文社会学群人間発達文化学類
緑川
英将
昨年の夏、私は OECD 東北スクールに出会った。参加のきっかけは何も難しいものでは
なく「パリに行ける」それだけだった。なぜパリに行けるのかというと東日本大震災で被
災した岩手・宮城・福島中高生たちと映像や IT 関連のスペシャリスト、奈良や東京の高
校生がパリで東北の復興を世界に向けてアピールするイベントを行うからである。そのイ
ベントをつくっていく中で、生徒たちは普段の学校ではなかなか学べないスキルや PISA
型学力などを身につけ、これからの世の中を担っていくイノベーターとして成長すること
を目的としていた。
そんなことも知らずにパリに行くことだけを考えていた私は 2013 年 8 月に東京で行わ
れた集中スクールと呼ばれる全体でのミーティングに参加した。 そこで私は生徒と大人た
ちの本気の議論、夜通し続く会議、そして何よりも高校生 たちの能力の高さに度肝を抜か
れ、このプロジェクトに事務局員として深く関わることを決意した。
このプロジェクトは私に多くの学びを与えてくれた。その中でも参加していた人たちと
の関わりは私に多くの学びを与えてくれた。生徒たちは皆が世間一般に言われる真面目で
優秀な生徒というわけではないと思う。もちろんそういった生徒たちも沢山いたが、それ
以上に(言い方は失礼だが)あまり目立たなく消極的に見えてしまう生徒たちから のほう
が多くのことを学ばせてもらった。女川の一人の女の子と関わる中で様々な感情が生まれ、
私の中のなかの考え方を変えてくれた。彼女と初めてであったのは女川で行われた地域で
の話し合いに参加したときである。女川はもう一人の女子生徒と彼女、助言者として大人
が一人というグループだった。その話し合いはとても建設的かつ深いところまで考えを掘
り下げていくもので私は聞き応えがあったしなかなかここまで考えられる高校生はいない
だろうなと思って参加していた。しかしどこか違和感を感じていた。その違和感の正体は
先ほどから取り上げている女子生徒から生まれるものだった。彼女はどこか自信なさげで、
意見を求められるともう一人の生徒の考え方に同調するような性格だった。私はその子の
ことが気になるようになり少しでも力になれる方法を考えた。そして私は彼女のことをサ
ポートして女川チームをさらに活性化してほしいと考えるようになった。それからは女川
に行くたびに彼女に話しかけ意見を聞いたり、東北スクール全体で集まる機会があれば積
極的にほかのチームの人とも話したりできるように支援を続けた。少しずつではあるが彼
女が意見を臆せず言えるようになっていく様を私は見続けることができた。パリでのイベ
ントが近くなると彼女は周りの顔色をうかがうことなく自分の意見を言えるようになり、
さらに事務局の私たちに依頼をするようになった。「さんま de サンバ」という女川のダン
スをパリで多くの人と踊るためにできることを考え提案してきたときにはその気持ちに答
えられるようにと多くの準備をした。その結果パリのイベントではたくさんの人が彼女た
ちと踊ってくれた。ダンスだけでなく自分たちの出展したブースに話を聞きに来てくれた
人には慣れないながらも英語で説明をしていた。その姿には自信だけでなく自分たちの地
域を知ってほしい、自分たちの気持ちが伝わってほしいという強い願いが感じられた。そ
んな彼女を見て私は「人はこんなにも変わることができるのか」と感じざるを得なかった。
イベントが終わってから彼女は私のところに駆け寄ってきて「緑川さんのおかげで何とか
なりました。ありがとうございました。」と話してくれた。その言葉の真意は私には分から
ないがここまでサポートをしてきて本当によかったと思わせてくれる一瞬だった 。
大人の方との関わりも刺激をたくさんもらった。特に生徒の分析をするアンケートを一緒
に作った方との話は常に新鮮味にあふれていて、私の視野をどんどん広げてくれた。アン
ケートの分析をしている際には私たちの考え方を尊重しつつ、違った 視点からの分析の方
法を教えてくれたり、そもそもアンケートをなぜやるのかという素朴な疑問にも丁寧に対
応してくれたりした。こういった人たちのサポートを受けて、ともに作ってきたパリでの
イベントの本番が近づくとともに自分のこれからのことも考えるようになってきた。
「 私が
やりたいのはどういうことだろう」
「このまま教師になってそれでいいのだろうか」と 誰か
と話すたびに考えた。その結果一つの答えとして出てきたのは、これまで女川の女子生徒
に私がしてきたことや、東北スクールで関わった大人たちがしてきたことを私もしたいと
いうことだ。それは何かというと「サポートすること」だ。サポートというと日陰者と思
われるかもしれないし、以前は私もそう考えていた。しかしサポートをするという仕事は
縁の下の力持ちという感じがして誇らしいし、何よりもサポートしてい た人やことがいい
方向に進み始めるととてもうれしい。もともとは教師志望だった私は子どもたちだけで な
く、より多くの人やことをサポートしてみたいと考えている。特に福島の人やことに携わ
りたい。このプロジェクトを通して福島のことを学び私なりに考えた。大熊では原発の話
をしていた、相馬では相馬野馬追いの話をしていた、伊達、安達、いわきではどうだった
だろうか、と頭の中を整理してみるとどこにも支援を求める人々の姿があるように感じた。
そんな人々全体のサポートをしていきたいと思い私は教師の道から県庁で働く公務員にな
りたいと思った。公務員なら様々な分野に携わることができる、つまり 様々な人やことの
サポートができるという風に考えたからである。実際に働いてみないと自分のしたいこと
ができるのかも分からないし、私が考えていることはきれい事なのかもしれない。それで
も自分が選んだ道でもがき苦しみながらも、信念を曲げることなくサポートに徹すること
ができればと考えている。
少し落ち着いてみると、最初は教師になりたくて大学に入ったのに今では教育の仕事 と
いうよりも総合的な仕事をしたいと考えているなんて不思議なものだなと思う。そういっ
た変化が起きたのはきっと私自身が多くのことを経験したからだと思う。このOECD東
北スクールもその一つだし、1 年生の時に参加した自然体験実習、2 年生の時には只見に
学習ボランティアに行かせてもらい教育委員会の方ともお話をさせていただいた。 3 年生
では教育実習があったし、企業が行っている小学生向けのワークショップにも参加した。
そのワークショップ後に企業の方々との座談会を設けていただいたのだが、そのときの話
がとても印象に残っているので書いておきたいと思う。 5 人の大人たちと 5 人の学生とい
う 10 人での座談会だった。彼らは皆が自分の考え方を持っていた。その考え方の共通点
があった。
「自分の力が伸びなくなるのが怖い」ということだ。今の職場 では自分の力は伸
びなくなると恐怖を感じ転職をしているような人たちでその言葉の一つ一つが刺激的だっ
た。彼らは仕事を金を稼ぐための手段や、他人のためにするものだという以外にも「自分
のスキルアップの場」だと考えていた。自分の中にはそんな考え方は全くなかったので、
なるほどと感じると同時に、今までの自分の考え方は他人を不幸にするものだったのでは
ないかと考えた。他人を幸せにするためには自分に力がなければならない、他人が幸せに
なろうとしているのにそれをサポートしようとする自分に力がなければ相手は不幸になる。
そんなことを考えていたら自分は大学生活を有意義に過ごせたのだろうかという疑問が湧
いてきた。結論的に言えばかなり有意義だった。
その根拠となるのは多くの人との出会いをしてきたことにある。是非とも在学中の福大
生やこれから入学してくる人たちにもこういった経験をして欲しいと思う。具体的に言え
ば大きく 2 つのことは経験すべきだ。1 つは積極的に行動を起こすこと。私は OECD 東北
スクールではパリに行けるという程度の考えで参加したし、座談会があったワークショッ
プに関しては誘われたから行ってみたという軽い考えで参加した。しかし、その程度 のき
っかけだったのにも関わらず私は自分自身でも驚くほどに視野が 広がり、考え方にも変化
が起きた。その変化は間違いなく良いものだ。 一昔前までならこんな考え方をしなかった
けど今ではこんなことも考えられるのかと悦に浸ったりすることも時々ある。こうなれた
のも積極的に行動を起こしてきたからだ。きっかけはどんなことでも良い。行動を起こす
ことで何かが変わるはずだ。その何かは考え方の変化であるかもしれないし、自分のスキ
ルに関連することかもしれない。また行動を起こすことで成功や失敗も経験できる。その
中からも私たちは成長のヒントを得ることができる。しかし、それも行動を起こさないと
何かは分からないのだ。これからも行動を積極的に起こしていくことで自分の中に変化を
起こしていきたいと思う。それと関連して、大学生のうちにすべきもう一つのことは出会
いの中からどんなに小さなことでも良いから何かを得るということだ 。出会いは人や、地
域のようなコミュニティ、書籍などから得られる情報などとにかくいくらでもある。それ
らの中には自分に必要なものだと感じないものもあるかもしれない。しかし、視点を変え
て見てみると反面教師的に何かを私たちに教えてくれているのでは ないだろうか。もちろ
ん素晴らしい出会いというものもある。私は大学に入ってから良い出会いも悪い出会いも
してきた。初めの頃は出会ったらそれで終わり、それ以降は関わらないという状態だった
が今ではもったいないことをしてきたと後悔することもたまにある。
私は後輩たちには、自分よりもよい経験・出会いをして 欲しいと思っている。しかし、
私には偶然運があったためこのようなことができたのかもしれない。そこで、今後福島大
学の生徒がさらに素晴らしい人材になっていくために大学側にお願いをしてみたい。まず
は話にたびたびあがっている OECD 東北スクールのようなプロジェクト学習にさらに力
を注いでいくことだ。プロジェクト学習は 21 世紀型学力や PISA 型学力などを身につけ
るのに適した学習方法であることは明らかだ。さらに大学生という多くのことを身につけ
社会に出て行く準備をする期間にこのような学習をするというのは、自分の将来について
考えるのにも有効だろう。また、東北スクールのような形態であれば、社会に出て実際に
活躍している人のスキルを近くで見て学ぶことができる。 2 つめは国際的な交流に関して
の取り組みをさらに発展していくことだ。私自身がなかなか手を 出せないでいたからかも
知れないが、福島大学の国際交流関係の取り組みは門が狭かったように感じる。 もちろん
留学をしている人がいたり、学食に外国人がいるのを見たりして何かしらの取り組みをし
ているのは知っていたが「外国人と話してみたいけれど英語ができないからあきらめよう」
という学生の一人になってしまっている。しかし、外国人の視点を借りることで新しいも
のが見えてきたり、考えが深まったりするということは分かっている 。これからの時代は
日本を発展させるためにグローバル化を進めていかなければならないとも言われている。
そんな時代に生きているのに日本という狭いコミュニティでしか生活していないのはもっ
たいないし、取り残されてしまう。先程も書いたが、私は福島県で働きたいと思っている。
その福島をよく知るために外国からの視点を取り入れたい。もしも国際交流に関しての取
り組みの門が広まり、気軽に参加できるようになったなら私も是非参加したい。
文章を作るのが苦手な私なりにここまで書いてきたが、最後に 1 つだけ言いたいことは
福島大学に入学してよかったということだ。ここに入らなかったら今頃私は何をしていた
のだろうかと考えることもある。どうイメージを しても今の自分以上になっていたとは思
えない。ここでの学びはそれほど私にとって大きなものになっている。言い表せない程の
感謝をすると同時に、さらなる発展を遂げ今まで以上に素晴らしい人材育成ができる環境
を作り挙げて欲しい。そしてこれからの日本・世界を担っていくことができれば何も言う
ことはないだろう。