表紙の人 私の座右銘 第432回

表紙の人
は大したことではないと思っていた。しかし駅の
つに薄気味悪いが、床が歪んで見えるという錯視
で、複数の人の姿が部屋に現れるという幻視はじ
苦労をそこで知った。例えばレビー小体型認知症
いる。それまで私が知らなかった当事者の多くの
ごとを共有し、どのような工夫ができるか考えて
認知症を持つ人や家族の間で生活上の不便や困り
すようになった。
呼びかけた。それ以来、
﹁前へ﹂とみなで声に出
なで〝前へ〟と声にしてみませんか﹂と参加者に
と話を結んだら、それに続けて水谷さんが﹁みん
力を合わせれば、きっと前に進んでいけるはず﹂
なことばかりだと思いますが、みなさんと一緒に
つようになった。初めて話をしたとき﹁たいへん
ひとことお願いします﹂と指名されてマイクを持
えてもら っ て い る 。
い事態だ。毎回、多くのことを認知症の人から教
ラムでボールをゴールに押し込むと得点になるが、
た。ボールを持ってゴールに駆け込んだり、スク
ちらに行ったらよいか分からなくなるのは恐ろし
私はラグビーのルールを知らないが、子供の頃、
も分からなくなると知った。混雑するホームでど
正月によく父の傍らで大学ラグビーを観させられ
ホームで階段が歪んで見えるとき、昇りか降りか
その会の最後に進行役の水谷佳子さん︵日本認
私が非常勤で診療しているクリニックで﹁暮ら 知症ワーキンググループ事務局︶に﹁繁田先生、
しの教室﹂という当事者の会が開催されている。
私の座右銘 第432回
しかし相手チームが待ち構えているので、ついつ
い選手は外側へ走ってしまう。世界一といわれる
ニュージーランドチームの試合を観ていたら、ボ
ールを持った選手が人の集まる中央部分に向かっ
て走りこんでいて驚いた。外に逃げてもサイドラ
イン以上には逃げられずタックルされてしまうか
らか。一見して一番難しく見える真ん中に向かっ
て駆け込み、しばしばトライを決めた。
て観ていたことを思いだした。と同時に、すでに
ボールを前に投げられないという制約が気に入っ
る。認知症があっても遠慮したり引き込もったり
なことをあきらめてほしくないといつも願ってい
支援ができていないが、認知症を理由にいろいろ
表紙の人 繁田 雅弘 シゲタ マサヒロ
認知症の人も家族も、周囲の偏見だけでなく、
自分自身の病気に対する偏見とも闘わなければな
亡くなった父がよく﹁前へ﹂とつぶやいていたこ
せず、ふつうに暮らすことができる社会であって
らない。困難な道であり、私たち専門職も十分な
とも思いだした。それは、重戦車といわれた明治
ほしい。そのために専門職としての役割を果たし
いが﹁前へ﹂という言葉に重なっている。
きることをあきらめてほしくない、そんな私の思
たいと思う。認知症の人も家族も、自分らしく生
大学ラグビー部を 年以上も指導した北島忠治監
ラグビーではボールを前の選手にパスすること
ができず、抱えて走ることでしか前に進めない。
になって知った。
督が、いつも口にしていた言葉であることを後年
60
私の座右銘は、認知症を持つ人やご家族とのこ
の合言葉 と し た 。
︵首都大学東京大学院人間健康科学研究科
教授︶
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CLINICIAN Ê16 NO. 648
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