表紙の人 私の座右銘 第431回

表紙の人
と、年間わずか500人と四分の一以下に激減し
990年代より減少しはじめ、2000年に入る
0人もの医師が、日本外科学会に入会したが、1
ベストを尽くしたのである。どちらが良いのかは、
った。そして思い込みで入った医局で、個々人が
れ、数年経つと何となくその医局の人になって行
もわからぬうちにその医局の〝常識〟を叩き込ま
なかなか判定できないだろうが、楽だから入った
医局では生活は楽だが、臨床医学での真の満足は、
なかなか得られないのではないだろうか?
決め、楽な生活に溺れてしまうのである。
喜び、と言った経験をしないうちに、専門科目を
臨床医学の達成感、世界の外科学に対する貢献の
文字熟語を色々漁って﹁忘己利他﹂にしたのであ
を考えなければならない羽目に陥った。そして四
とか言われることが多くなり、にわかに座右の銘
は、自ずと明らかになる。そこで、多くの若い医 自 分 で は 座 右 の 銘 な ど と 言 う も の は 考 え も し
師は、診療の楽しさ、手術の道を極める事の喜び、 なかったが、教授になると﹁色紙を書いてくれ﹂
で広く多くの科を回ると、どの科が楽で儲かるか
この現象の背景には、若い人が﹁楽をして、儲
かる職場﹂を志向することによる。特に初期研修
た。
私供が大学を卒業した頃は卒業直後にどこかの
外科を志す学生は、1980年代以降、減少の 医局に入局したものである。多くの友人は右も左
一途をたどっている。1980 年代には2、10
私の座右銘 第431回
る。﹁ 忘 己 利 他 ﹂ は 西 暦 8 1 8 年 最 澄 が 記 し た
﹁山家学生式﹂の一節にある。当時の文章は現代
で言う漢文の書で、その一節は﹁悪事を己れに向
︵日本赤十字社医療センター
院長︶
せているのである。
のは﹁もうコリゴリ﹂と言う意味も、言外に匂わ
懲りた﹂とも読める。嫌いな色紙を書かせられる
きたい。蛇足だが、﹁忘己利他﹂の発音は﹁もう
ターの文字であった。今回もこれで許していただ
ていただいたが、その時の座右の銘もコンピュー
こでだいぶ前に、クリニシアンの教授紹介に出し
ジックペンで書いてみても凡そ様にならない。そ
座右の銘は通常毛筆で美しく書くのが、日本の
習いであろうが、私は習字が下手くそである。マ
へ、好事を他に与へ、己れを忘れて他を利するは、
慈悲の極みなり﹂とある。手術を翌朝まで行い、
体力の極限を極めて、人の命を助ける。この様な
手術は﹁忘己利他﹂の四文字がピッタリした表現
だと感じる。楽な医療をやっていたのでは、
﹁忘
己利他﹂の境地には到達することはないであろう。
表紙の人 幕内 雅敏 マクウチ マサトシ