表紙の人 と、年間わずか500人と四分の一以下に激減し 990年代より減少しはじめ、2000年に入る 0人もの医師が、日本外科学会に入会したが、1 ベストを尽くしたのである。どちらが良いのかは、 った。そして思い込みで入った医局で、個々人が れ、数年経つと何となくその医局の人になって行 もわからぬうちにその医局の〝常識〟を叩き込ま なかなか判定できないだろうが、楽だから入った 医局では生活は楽だが、臨床医学での真の満足は、 なかなか得られないのではないだろうか? 決め、楽な生活に溺れてしまうのである。 喜び、と言った経験をしないうちに、専門科目を 臨床医学の達成感、世界の外科学に対する貢献の 文字熟語を色々漁って﹁忘己利他﹂にしたのであ を考えなければならない羽目に陥った。そして四 とか言われることが多くなり、にわかに座右の銘 は、自ずと明らかになる。そこで、多くの若い医 自 分 で は 座 右 の 銘 な ど と 言 う も の は 考 え も し 師は、診療の楽しさ、手術の道を極める事の喜び、 なかったが、教授になると﹁色紙を書いてくれ﹂ で広く多くの科を回ると、どの科が楽で儲かるか この現象の背景には、若い人が﹁楽をして、儲 かる職場﹂を志向することによる。特に初期研修 た。 私供が大学を卒業した頃は卒業直後にどこかの 外科を志す学生は、1980年代以降、減少の 医局に入局したものである。多くの友人は右も左 一途をたどっている。1980 年代には2、10 私の座右銘 第431回 る。﹁ 忘 己 利 他 ﹂ は 西 暦 8 1 8 年 最 澄 が 記 し た ﹁山家学生式﹂の一節にある。当時の文章は現代 で言う漢文の書で、その一節は﹁悪事を己れに向 ︵日本赤十字社医療センター 院長︶ せているのである。 のは﹁もうコリゴリ﹂と言う意味も、言外に匂わ 懲りた﹂とも読める。嫌いな色紙を書かせられる きたい。蛇足だが、﹁忘己利他﹂の発音は﹁もう ターの文字であった。今回もこれで許していただ ていただいたが、その時の座右の銘もコンピュー こでだいぶ前に、クリニシアンの教授紹介に出し ジックペンで書いてみても凡そ様にならない。そ 座右の銘は通常毛筆で美しく書くのが、日本の 習いであろうが、私は習字が下手くそである。マ へ、好事を他に与へ、己れを忘れて他を利するは、 慈悲の極みなり﹂とある。手術を翌朝まで行い、 体力の極限を極めて、人の命を助ける。この様な 手術は﹁忘己利他﹂の四文字がピッタリした表現 だと感じる。楽な医療をやっていたのでは、 ﹁忘 己利他﹂の境地には到達することはないであろう。 表紙の人 幕内 雅敏 マクウチ マサトシ
© Copyright 2024 ExpyDoc