表紙の人 私の座右銘 第437回

表紙の人
話だから、ちゃんと応えなくてはね﹂という返事
不動で2時間以上も穏やかに応対し、決して自分
た。父は食事を中断し、受話器を持ったまま直立
ら、自宅で夕食中の父に相談の電話がかかってき
が小学生の時、遠方に転居した術後の患者さんか
ば1週間以上病院に泊まり込むこともあった。私
午後になった。患者さんの容態が思わしくなけれ
け替えをするので、家族揃って雑煮を食べるのは
番に病院に行って患者さんに新年の挨拶と傷の付
柄で、仕事一途の人生であった。元旦は毎年朝一
るが、父の思い出と重なって、私にとっては一生
仏心﹂は古くから知られた外科医の座右の銘であ
ればならない﹂という意味だと教わった。
﹁鬼手
な決断力を持って患者さんの体にメスをいれなけ
ればならないが、手術に際して、時には鬼のよう
仏のような心を持って、優しく誠心誠意接しなけ
聞 か さ れ た 言 葉 で あ る。
﹁外科医は、患者さんに
仏心﹂は、私の小学生時代、湯船のなかで父から
かせてくれた。今回座右の銘として挙げた﹁鬼手
てくると私と一緒に風呂に入り、いろんな話を聞
遅く帰宅することが多かったが、たまに早く帰っ
が返ってきた。父はきわめて多忙だったので、夜
から電話を切ろうとはしなかった。疲れている父
忘れられない言葉となった。
私の父は胸部外科医で、結核外科を専門にして
いた。約 年前に亡くなったが、優しく誠実な人
の こ と が 気 が か り で、
﹁そこまでしなくても﹂と
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言 う 家 族 に、
﹁患者さんが悩み抜いたうえでの電
私の座右銘 第437回
外科と整形外科という分野の違いこそあれ、生前
の父も私と同様に、幾多の困難な手術に意を決し
て望んだのであろう。
手術結果の是非を術者の技量に委ねるしかない
患者さんにとって、
﹁鬼の手﹂ともいうべき困難
な手術を受ける決断は、不安に満ちたものである
に違いない。藁をもすがる思いの患者さんに、外
科医はまず﹁仏の心﹂をもって優しく接し、患者
さんの手術に対する不安を払拭しなければならな
い。また患者さんは、当然のことながら、たとえ
危険を伴う難しい手術であっても、安全・確実に
整形外科のなかで骨・軟部腫瘍の治療を専門とし
後年、私は父と同じ医師という職業を選択し、
整形外科医としてメスを持つ立場となった。私は
あらゆる不慮の事態を想定し、綿密な術前準備を
くだけでなく、これから立ち向かう手術について、
ために、外科医は日頃から手術の技量を磨いてお
遂行されることを願っている。この期待に応える
てきたが、患者さんの救命のために、幾度となく
ストドクターと思う外科医に患者さんを紹介すべ
行わなければならない。もしも自分の技量に確信
きであろう。難しく危険を伴う手術への挑戦は、
が持てない場合は、患者さんのために、自分がベ
を損傷すれば大出血の危険がある場合、進行例の
十分なトレーニングを積んだ外科医にのみ許され
手術が不可避ではあるが、悪性腫瘍に接した血管
ため患肢温存手術ではなく、患者さんの意に沿わ
﹁鬼の手﹂ともいうべき困難な手術を経験した。
ない切断を余儀なくされる場合などである。胸部
表紙の人 岩本 幸英 イワモト ユキヒデ
るのであ る 。
私は、今春、永年にわたる大学病院での勤務を
終え、定年退職の日を迎えた。これからは、蓄積
してきた知識や技術と共に、大切にしてきた﹁仏
の心、鬼の手﹂という座右の銘を若い世代に引き
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CLINICIAN Ê16 NO. 653
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継いでいきたいと思っている。
︵公益財 団 法 人
運動器の 年・日本協会
理事長︶
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