合気道小話「 合気道小話「出会い 出会い」 群馬杉武館代表 杉本 久 (挿絵 ハシナ・ハナコ) 合気道を始めるキッカケは、さまざまである。 高尚なのは「精神力を高めたい」あたりだが、その他「運動不足だから」 「なに か新しいことを始めたい」・・・などが、よく言われるが、「強くなりたい!」 というのが、本音としては多いのではないか? もともとは「いじめられっ子」だった私は、この口である。 キッカケはどうであれ、稽古に励んでいるうちに、だんだんと高邁な精神を意 識するようになることは確かだ。 若い時に、悩んだり苦しんだりした事が、年齢を重ねてゆくと「なんだ、こん なことで悩んでいたのか」という、ある種の悟りを拓いたりするからだ。 私が合気道に接して、一年後、いつものように東京深川の「B&Gスポーツセ ンター」の受付カウンターで、ロッカーキイを受け取っていると、ひとりの若 者が颯爽と現れ、「合気道教室にきたのですが・・・」と尋ねている。 これは新しい入会者かと思い、 「私の後について来て下さい」と、先輩ずらして、 その若者を案内した。確か昭和55年の夏頃だった。 「このロッカーを、こうして使って・・・」などと、気分良く教えていたら、 やがて道衣を取り出して、上半身、裸になった。 それを見て、驚いてしまった。ムダな肉はなにひとつなく、引き締まった筋肉 を見せ、道衣の襟はすれている。出した帯は黒帯。その黒帯もすれている。 動作がさわやかで普通人とは違う。フム、これは只者じゃないぞ。 なにしろ私は、まだ白帯で、審査というものを、見たことも受けたことがない 未経験者だ。黒帯を見せられただけで「ははーっ」と恐れ入ってしまう。 「道場はこちらです」私は、言葉を改めたかもしれない。 その人が、私の師範「千田務」先生との最初の出会いである。 それまでは合気道の「あ」の字も知らない私たちに、手取り足取り、指導して 下さっていたのは「大西忠男」先生で、日本のドンと呼ばれたあの笹川良一先 生の側近である。 道場に正座すると、大西先生は「千田さん、こちらへ」とご自分の隣に座らせ、 「今度から、皆さんを指導してくださる千田先生です」と、紹介した。 「げっ!そうだったのか・・・」 私が39歳、千田先生はまだ二十代後半であった。 あれからずっと、今日まで27年間、指導を受け続けている。 思えば長いお付き合いだ。
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