現代の農政課題と農村経済更生運動

現代の農政課題 と農村経済更生運動
中
江
淳
一
1
昭 和 農 業 恐 慌 は 、 単 な る恐 慌 と して 片 付 け る わ け に は い か な い。 それ は 、 日本 資 本 主 義 の 基
本 構 造 に 由 来 す る矛 盾 の 発 展 ・発 現 に 外 な らず 、 そ の な か で わ が 農 村 は 、 特 殊 日本 的 か つ 深 刻
な 経 過 を た ど る こ と に な る。 農 村 経 済 更 生 運 動 は 、 日本 資 本 主 義 の こ の危 機 へ の 官 民 あ げ て の
対 応 の 姿 で あ り 、 ま た 同 時 に 、 明 治 以 降 常 に 日本 資 本 主 義 の 矛 盾 を 補 完 して き た 軍 事 的 ・対 外
侵 略 的 解 決 の 途 の な か に 自滅 して い く命 運 を も っ て い た。 と は いえ 、 経 済 更 生 運 動 と い う政 策
の 採 用 は 、 わ が 国 農 政 の 流 れ に お け る1つ の 画 期 を な して お り、 そ の 手 法 な り思 想 は 現 在 ま で
尾 を ひ いて い る こ と は 否 定 で き な い で あ ろ う。
表1に
ら1町8反
、 昭 和 恐 慌 前 後 の 年 次 に お け る農 家 労 働 の 価 値 実 現 の 指 標 を 掲 げ た 。 平 均1町2反
か
程 度 の 農 家 経 済 調 査 対 象 農 家 は 、 ほ ぼ 当 時 の 中 堅 農 家 の 実 態 を 示 して い る と思 わ れ
る 。自作 ・自 小 作 ・小 作 の 夫 々 の 生 産 力 に 大 差 は 認 め ら れ な い が 、小 作 料 及 び 諸 負 担(租 税 等)
支 払 後 の 所 得 は 、 自 作 と小 作 に 決 定 的 な差 を 生 み 、 昭 和6∼7年
働1時
間 当 り5銭(10時
間 労 働 で1日50銭)と
の 恐 慌 時 に は小 作 農 の 農 業 労
い う破 格 の 低 水 準(兼
業 労 働 の 半 分 以 下)に
落
ち こ む 。 自 作 農 も好 況 時 の 小 作 農 水 準 に ま で 低 下 す る が 、 小 作 料 の 収 奪 が な くて も 、 そ の 労 働
力 の 実 現 水 準 じた い 、 そ もそ も他 産 業 と は 比 較 に な らな い も の で あ り、 そ の 根 底 に は 、 高 額 現
物 小 作 料 と な らぶ 貧 農 の 低 賃 金 労 働 が 存 在 して い た 。
経 済 更 生 運 動 が 直 面 した の は 、 地 主 制 の 発 展 が 停 滞 期 に入 っ た 大 正 時 代 を 通 して 育 っ て きて
い た 中 農 層 の 、 恐 慌 に よ る 決 定 的 な 破 滅 で あ っ た 。 表1に
債 の 平 均 額 は 、 家 計 費 総 額(昭
和6∼9年
は掲 げて いな いが、 自作 農の農 家 負
平 均660円)の1.2年
分 に 達 し、0.5年 分 以 下 に 回 復
す る の は 昭 和12年 か らで あ る 。 農 政 は 、 この 困 難 な 時 代 を 乗 り切 る た め の 、 依 拠 す べ き新 し い
生 産 力 の 担 い手 を 見 出 し、 育 て て い こ う とす る。 そ れ は 成 功 した で あ ろ う か 。
2
昭 和 恐 慌 を は さん で の この 時 期 につ い て 、 わ が 国 農 業 の 基 本 動 向 を 、 主 と して 農 地 問 題 の 側
面 か ら検 討 して み た い 。 統 計 の 選 択 につ い て 、 地 域 差 を 考 慮 して 、 地 主 制 地 域 の 代 表 と して 新
潟 県 を 、 養 蚕 及 び製 糸 業 の面 で 手 痛 い恐 慌 の 打 撃 を 受 け た 地 域 と し て長 野 県 を 、 西 日本 で 経 済
更生 運 動 発 祥 の 地 た る 兵 庫 県 を と っ た。
昭 和3年
頃 か ら12年 頃 ま で の 農 事 統 計 を 掲 げ る こ と は 省 略 す る が 、 この 時 期 は 、 経 営 耕 地 規
411
表1農
家経済調査による家族労働報酬の年次別比較
412
模 別戸 数 は い わ ゆ る中 農 肥 大 で あ って 、2町
な い し3町 以 上 の 大 き な経 営 は減 少 して い る。 こ
の こ と に あ わ せ た よ う に 、 耕 地 所 有 者 戸 数 も、3町
以 上 所 有 者 層 は い っせ い 減 で 、1町
以下 の
小 所 有 者 層 が 増 大 して い る。 不 況 の せ い で あ ろ うが 、 兼 業 農 家 の 数 も減 少 して い る。 小 作 地 面
積 率 は 微 減 な い し停 滞 で 、 自小 作 別 農 家 構 成 も大 きな 変 化 を見 出 す こ と は で き な い 。 総 じて い
え ば 、 統 計 数 値 に お け る農 民 層 の 分解 は 停 滞 の 一 語 に つ き る。 た だ 、総 農 家 数 が 、 新 潟 と長 野
で は増 加 して い るの に 対 し、 兵 庫 は 昭 和 初 期 か ら減 少 傾 向 を 見 せ て い る 。
静 態 統 計 の 比 較 か ら は停 滞 した 農 村 と い う 印 象 を 受 け る が 、 そ の 背 後 に は実 は 激 しい農 地 売
買 と小 作 争 議 が 展 開 して い た。 表2は
、 昭 和8∼10年3ヵ
年 間 の 農 地 売 買 と小 作 争 議 関 係 反 別
の 合 計 値 で あ る。 農 地 売 買 の面 積 移 動 率 は か な り高 い 。 と くに 長 野 県 の 年 率 田6%と
い うの は
今 で は 考 え ら れ な い 水 準 で あ る 。 相 対 的 に小 作 地 の 売 却 率 は 自作 地 の そ れ を 上 回 って い るが 、
購 入 後 に明 ら か に 自 作 地 の 方 が 優 位 に 立 つ の は 新 潟 で あ る。 小 作 争 議 関 係 反 別 は、 意 外 と兵 庫
に 高 い。3年
表3に
延 計 で あ るが 、 新 潟 と兵 庫 は売 買 面 積 を上 回 って い る 。
よ って 、 自作 地 ・小 作 地 別 の 売 買 内 容 が も っ と明 らか にな る。 売 り に 出 る 自作 地 の 供
給 者 が 主 と して 自 作 農 ・自小 作 農 で あ る の は 当 然 で あ る が 、 そ の 割 合 は長 野 、 兵 庫 に 高 く、 新
潟 に 低 い 。 新 潟 で は地 主 の 自作 地 売 却 が14%を
占 め て い る。 小 作 地(貸
主 の 供 給 に よ る もの で あ るが 、 新 潟 で は82%を
占 め る。
付 地)売
却の 過半 は地
業者 別 に 、 購 入 面 積 か ら売 却 面 積 を 差 し引 い た 購 入 超 過 面 積 を 算 出 して お い た 。 地 主 の 売 却
超 が 明 らか で あ るが 、 購 入 小 作 地 の 筆 頭 の シ ェ ア は や は り地 主 で あ る。 自作 農 も新 潟 の 若 干 の
購 入 超 以 外 は 一 般 に売 却 の 方 が 上 回 る。 地 主 の 小 作 地 処 分 とな らん で 、 自作 農 が 所 有 権 を 失 っ
て 小 作 に 転 落 した 場 合 も か な り あ った の で あ ろ う。 金 融 業 者 以 下 の 非 農 業 者 の 貸 付 地 と して の
購 入 超 過 が 目 立 つ 。 多 くの 地 主 の 経 済 的 破 綻 が 発 生 した と は い え 、 地 主 制 の 根 強 い 貫 徹 を 感 じ
ざ るを え な い。
表4は
、 同 じ時 期 に お け る 小 作 争 議 の 要 求 事 項 を 整 理 した もの で あ る。 こ の 段 階 は、 小 作 料
の 永 久 減 免 を め ぐ って の 集 団 的 闘 争 か ら、 地 主 の 土 地 取 上 げ に 起 因 す る 小 作 継 続 関 連 に 重 点 が
移 って い った 時 期 で あ る。 そ れ だ け に紛 争 は 個 別 的 性 格 が 強 く、 特 定 地 片 を め ぐ って の 中 小 零
細 地 主 と小 作 農 との 対 抗 と い う深 刻 さ を 加 え て い た 。
3
農 村 経 済 更 生 運 動 を 通 して 、 農 政 は 、 旧 来 の 伝 統 的 な 地 主 制 村 落 秩 序-そ
よ つて 崩 れ 始 め て お り、 昭 和 恐 慌 に よ っ て 破 綻 して し ま った-に
れ は小作 争 議 に
代 る集落組 織 の論理 を打 ち
立 て よ う とす る 。 ま た そ う い う再 編 成 こ そ が 、 開 明 地 主 な り指 導 的 上 層 農 家 を 中 心 と して い る
農 会 の 求 め る こ とで あ った 。 い う ま で もな い が 、 こ の 場 合 に 、 地 主 的土 地 所 有 との 対 決 な り否
定 と い う こ と は あ り え な い 。農 家 間 で は 「隣 保 共 助 ノ精 神 」(昭和8年
413
・農 家 負 債 整 理 組 合 法)、
表2昭
和8∼10年
にお け る農 地 売 買 と小作 争議
414
表3昭
和8∼10年
・農 地 売 買 に お け る業 者 別 売却 ・購 入 面 積
415
表4昭
和8∼10年
に お け る小 作 争 議 の要 求 事 項 別 件 数
416
地 主 ・小 作 間 は 「互 譲 相 助 ノ精 神 」(昭和13年
・農 地 調 整 法)で
あ って 、 自力 更 生 と い うス ロ-
ガ ンが 全 国 に 流 布 さ れ 、 精 神 作 興 の 名 の 下 に 、 リー ダ ー の 養 成 と 組 織 化 に 乗 りだ す こ と に な る。
「運 動 」 た る所 以 で あ る。 そ して この よ う な行 政 に よ る集 落 の 把 握 と組 織 化 な らび に産 業 組 合
に よ る農 家 経 済 の 把 握 と組 織 化 の 方 向 が 、 こ こに ス タ ー トを切 る こ と に な る。
農 村 経 済 更 生 運 動 に よ る市 町 村 の 経 済 更 生 計 画 の策 定 及 び 同 運 動 の 一 環 と して 行 わ れ た簿 記
普 及 活 動 並 び に 農 家 経 済 調 査 ・農 産 物 生 産 費 調 査 等 の 実 施 は 、 経 済 的 合理 性 の 追 求 、 収 益 性 概
念 の 成 立 を 助 長 させ る こ と に な る 。 そ して この 合 理 性 追 求 の 前 に立 ち は だ か る の が 、 ま さ に こ
れ 地 主 制 だ った の で あ る 。 そ して 、 そ の 克 服 の 彼 方 に 見 出 して い た の が 、 農 家 に お け る 経 営 概
念 の 成 立 と、 経 営 規 模 拡 大 の 理 念 で あ っ た 。
こ の 小 論 を 終 る に 当 た って 、 経 済 更 生 計 画 の1つ
の 実 施 実 例 を 紹 介 して お く こ と と し た い 。
そ れ は 、 経 済 更 生 運 動 の 末 期 に 、 関 心 の 重 点 が 満 州 分 村 に 移 行 して い った こ と の 検 討 も兼 ね る
と思 うか らで あ る。 表5以
下 は 、 広 島 県 山 県 郡 新 庄 村 が 昭 和13年 に 樹 立 した経 済 更 生 計 画 に 基
づ い て 浜 江 省 五 常 県 に 分 村 を 実 施 した 際 の 入 植 者 の 構 成 と、 そ の 財 産 処 分 の 実 情 で あ る(現
地
調 査 は 、 昭 和18年 、 筆 者 と 山 村 弥 五 郎 氏 と の共 同 で 行 わ れ た)。
新 庄 村 経 済 更 生 計 画 の 冒 頭 の 文 章 に よ る と、 「耕 地 面 積346町4反
、1戸
当 り8反8畝
にし
て 裏 作 利 用 可 能 地 は 僅 少 な り。 この 土 地 と人 口 と の不 調 和 を 打 開 す る た め440戸 の 内101戸 、 次
三 男42戸 、 村 外 居 住 者77戸 、 合 計220戸 を 分 村 し、1戸
当 り耕 作 面 積1町2反
を 目標 と し元 村
更 生 を 図 らん と す 。 」 とあ る。
実 績 を 見 る と 、 分 村 た る芭 蓮 村 開 拓 団 長 ・武 田 収 三 氏(当
時65歳 、 村 長 、 元 小 学 校 長)を
は
じめ とす る幹 部 リ― ダ ― を 除 き 、 移 住 入 植 者 の ほ とん ど は5反 未 満 の 耕 地 所 有 者 世 帯 か 、 既 に
離 村 し又 は いず れ は 離 村 必 至 と み られ る 次 三 男 の 無 所 有 グ ル ー プ で あった 。 不 動 産 所 有 者27人
の 所 有 農 地10町 余 の う ち 、 自 作 地 化 に 寄 与 した の は2町
余 で 、 約8町
歩 は 延52件 の 賃 貸 借 と
な っ て お り、 離 作 地 約10町 歩 も、 約1.5町 歩 の 売 却 の ほ か 地 主 自 作2戸
、 賃 貸 借 延44件 と い う
分 散 を 示 して い る 。 経 済 更 生 計 画 で は 、 離 村 者 の 土 地 は 農 地 委 員 会 が 管 理 し、 売 却 分 に つ い て
は 産 業 組 合 が 一 時 買 上 げ て 後 処 分 す る こ と に な つて い た が 、 ど う も そ の 実 績 は な か っ た よ うで
あ る 。 農 地 を買 っ た 人16人 の 内 訳 は 、 無 所 有 者8人
、5反
未 満 所 有 者7人
、1町
以 上 所 有 者1
人 と い う こ と に なって お り、 「5反 未 満 農 家 で は 大 面 積 を 買 収 す る 能 力 が な い の で あ る 。 従 っ
て 零 細 に 分 割 して 平 均1反
余 の 土 地 を 購 入 し、 自作 地 の 増 加 を み た の で あ ろ う」 と い う調 査 者
の 報 告 が 残 って い る。
417
表5芭
蓮 村 開 拓 団 ・団 員 名 簿 の 集 計(昭
B新
庄 村 出 身 者52名 の 年 齢 別 構 成
C同
上、 入植 世帯形 態別 の構 成
D入
植 前職 業 区分の 構成
和18年)
418
表6新
庄 村 か ら入 植 した23団 員 の 家 族 内 の 地 位
419
表7広
B分
島 県新 庄 村 ・満 州 分 村 入植 者 の 所 有 ・耕 作 農地 と その 処 分
村 入 植 者 の 所 有 ・耕 作 農 地 の処 分 形 態
420