見学者への対応、雑感

技術者が見たあの頃(と今) 31
見学者への対応、雑感
稲村技術士事務所
稲村 光郎
(1)日常生活では、相対性理論などとは全く無縁だから、質量保存則は依然として基本的な
法則であり、中学校の理科では今でも必ず教えている(と聞く)。したがって、誰でも習って知
っている筈なのだが、清掃工場へ来られる見学者の反応からすると、これがなかなかそうで
はない。
言うまでもなく、焼却炉で燃やしたごみの大半は煙突から燃焼ガスとして排出されるわけだ
が、排ガス量をトン表現でいうと驚かれる方が意外と多い。マスバランスという発想がなく、本
当には質量保存則を理解できていないのである。折角、ごみ処理に関心を持たれているのに、
ディスポーザーでごみを流せば、下水道の途中で水に溶解し、そのまま処理場から放流され
るとでも思っておられるのか、それが処理場で沈殿物や汚泥となること、それらの処理が問題
となることが想像できないらしい方がおられる。中学校では成績優秀であったであろう方々の
そうした反応からみると、学校教育での知識が答案用紙に書くためだけで終わり、残念ながら、
その後の人生にはあまり活かせていないのではと思う。
そうした皮肉を時には言いたくなることもあるのだが、見学者から多くのことをお教えいただ
くのも確かである。とりわけ想像もしなかった質問には、啓発され、改めて勉強させられること
も多い。中でも、全くごみ問題に知識のない方の極めて基本的な質問や、外国人の方からの、
わが国の衛生問題や風俗の歴史など社会背景から説明しなければならない質問などには、
当方の教養が試されてしまい、十分に答えられないことも少なくなかった。
というわけで、わざわざ見学に来られた方々のご期待に十分に応えられたとは思えないが、
そのような刺激をいただける点からも見学者自体は大歓迎であった。また職員も「見られてい
る」との意識は、自らを律する強い動機となるし、また見学者が多いほど関心が持たれている
と、自身の仕事の社会的役割に意義を感じていたのではないだろうか。
ちなみに、筆者が最初に応対した見学者は、配属された清掃工場で、試運転もまだ終わら
ぬうちに飛び込みでやってきた放課後の小学生で、印象が深いのは、この時の二人が、カセ
ットレコーダーを持参でやってきたからである。昭和40年代前半は、まだカセットレコーダー
は普及し始めたばかりで、小学生が持つようなものではなく、いきなりマイクを向けられたこち
らの方がびっくりさせられたが、職員はみな喜んでいた。
なお、そのころは、団体への場合は予約が当然だが、個人については飛び込みで来られて
も受けるというのが普通だった。現在では、小学生などの見学者対応のため非常勤職員を雇
用している例も多いようだが、当時は、見学者へは比較的手のすいている者が対応してい
た。
(2)昭和40年代はじめまでの清掃工場では、見学者を意識した施設は「見学者控室」と称す
る、その名も役所風の大部屋と、そこに設置した施設の説明装置ぐらいであって、炉設備を
見学するための通路も特になく、初期には小学生の団体を引率し、炉室内の急な階段や機
器まわりを歩かせ、また TV モニターなどない時代だから、ごみが燃えている炉内を見せるた
め、炉前の監視用窓まで連れていくなど、今から考えると随分、危ないことをしたものである。
案内する方も、特にマニュアルはなく、見学コースだけは定まっていたものの、各自バラバラ
な説明をしていた。
さすがに、昭和 40 年代後半に完成した清掃工場からは、見学者通路と称する区画した通
路を造り、炉室内のほこりや悪臭と隔離し、また施設設計に当たっても見学者動線を重視し
た施設となった。見学箇所は、基本的に、ごみ処理の流れに沿い、収集車からのごみダンピ
ング室、ごみクレーン操作室からごみ貯留槽と炉投入口を眺め、中央制御室、炉前、灰貯留
槽をめぐり、途中で分析室と蒸気タービン室を見てもらうというのが基本的なコースで、いか
に通路から窓越しの見学とはいえ、これらすべてを網羅するコースを、しかも一筆書きの一方
通行で案内することとしていたから、レイアウトは難しかった。またバリアフリーを考慮して、例
えば、見学者通路途中には段差を設けず、またエレベータの停止階フロアと見学者通路の高
さ、また一方通行の前後二つのエレベータ停止階の高さをほぼフラットに揃えるのは当然の
ようだが、この同じエレベータを炉室内への機器資材搬出入にも利用するとなると、炉室の機
器設置階のフロア高さとの関係も出てくるので、これがなかなか難しいプランニングとなった。
その頃は、炉室内の機器まわりのフロアを広くとる発想が乏しかったから、各メーカーとも最
初はかなり苦労したのではないだろうか。
一方、公害除去設備などは、全体の機器配置から各設備を見せることは困難であり、また
外側から見てもケーシングだけでガスの流れが判るものでもないから、見学者動線から外し、
それに代えた説明設備が必要となる。今では、その名も知らぬ人が多いだろうが、「テクナメ
ーション」と称する、アクリル板の説明図に背後から回転する複数の偏光板を通じた光を当て、
流体の動きなどを表現する装置が使われた。スライドや8ミリ映写機によって工場や事業概
要を説明するのは今と変わらない。工場によっては16ミリ映写機もあったのかも知れないが、
資格が必要であったから、それほど使用されなかったのではないだろうか。それらに代わり、
専用の大型プロジェクターやさらにパソコンと連動させたディスプレイ装置が登場したのは90
年代であろう。特に後者によって、炉の各種データを見学者にリアルタイムで見せられるよう
になったのである。
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各主要設備の前の説明板も、当初は手書きで、比較的早い時期からだったが、音声を録
音した説明装置を置くようになったのは、やはり90年代ではないだろうか。数カ国語に対応さ
せたが、これによって外国人向けの説明負担が軽くなったかは不詳である。
筆者の関与した事例で、見学者対応にもっとも関心の払われたのは有明工場である。同工
場は、世界都市博覧会の会場に位置する清掃工場として位置づけられ、現在でいう「お台場
地区」に、先行的に、球体展望室で知られるフジテレビ本社ビルや、逆三角形の目立つ東京
ビッグサイトなどともに建設された。博覧会の会期中に、何時でも誰でも見学できる施設とし
て、施設内を案内者なしでも自由に見学できるよう、また一時に沢山の見学者が来ても対応
できるように計画された。実際には、周知のように同博覧会は中止されてしまった。
そこまではいかないが、東京都の多くの清掃工場では、年に一回程度のイベントを行い、
市民に自由に見学へ参加してもらう日を設けていた。どこの工場でも、支障なく、多くの見学
者が円滑に流れていたのは、こうした配慮の成果であったろう。現在では、定例的に毎月の
見学会を開催していると聞く。見学の本来の目的からすれば、大人数ではなかなか説明も形
式的なものになりがちだから、毎月で大変でも小規模の方がよいのであろう。
(3)極めて個人的な感想だが、多くの見学者の中には、あたかも当該工場が公害発生源で
あるかのように確信ありげな質問をしたりして、こちらの言質を引き出そうとする方もおり、あ
いまいな返事をしないように注意するなど、油断がならないところもある。残念ながら、説明者
の片言隻句から真意を曲解する方もおられ、他都市の紛争の経緯をみると、そうした誤解が
あったのではと想像される場合があり、正確にお話することが難しいところではある。
清掃工場ではないが、ある溶融スラグ設備を見学した外国人から「わが国では、砂利は十
分にあり、スラグ化の必要はない」と言われ、絶句したという話を聞いたことがある。説明が不
十分といえるが、外国語で当方の意思を伝えるのは難しい。筆者が3年ほど勤務した下水処
理場には、なぜか外国人の見学者が多かった。少人数で来られるのは、大体が専門家ある
いは議員などの関係者であり、技術的な説明は通じるのだが、先にも挙げた背景説明が難し
かった。例えば、わが国の明治時代からの低い下水道普及率の理由を、伝染病対策から説
明するのだが、具体的な話となると当方に知識が乏しいのである。
一般の、専門家ではない外国人の場合は団体が多く、同伴の通訳は専門用語を知らぬ者
がほとんどで、あらかじめ説明要旨と専門用語の英語による簡単な解説を作成し、渡しておく
ようにはしていたが、どこまで伝わったか、おぼつかない。ちなみに、放流先の水面に浮かん
だ「くらげ」を英語で何と呼ぶのか、さしもの当局の英語エキスパート達にも、とっさに出てこな
かったのは、身内のことながら面白かった。
外国人でいえば、筆者が東京都在職中の清掃工場でもっともビッグな見学者はヒラリー・ク
リントンで、1993年に東京でサミットが開かれた時、同伴のご夫人方を目黒清掃工場に案内
したのである。当日の内容は一般の見学と大差がなかったように覚えているが、警視庁は警
備のため、マンホールの蓋を封鎖するなど準備に追われたのが大変だったようである。この
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時に、印象的だったのは、ヒラリーが玄関で出迎えた都側の職員一人一人とアイコンタクトを
取ったことで、さすがアメリカの政治家という感じで、他の夫人たちとは明らかに違った。
一方、筆者自身が見学者となったことも数知れず、メーカーの工場から国や自治体の各種
施設まで、様々な方のお世話になってきた。大変、勉強になり感謝している。中には、随分と
失礼な質問もし、多分不愉快な思いをさせたであろうこともあり、反省している。と言いながら、
あえて言うのだが、市町村の中には自らの職員で対応されず、見学者への対応を委託メーカ
ー等に任せきりという自治体がある。技術的なことは判らぬということかも知れないが、疑問
を感じたところである。事務分掌上はともかく、見学者から受ける質問、疑問には、かなりの
運営上、技術上のヒントがあるのではないだろうか、そうした刺激を受けるという折角の機会
を逃しているように思う。中には「写真撮影禁止」までしている自治体もある。メーカーとのどう
いう関係によるのか判らぬが、メーカー管理下の工場のようで印象が悪い。自治体の施設で
ありながら、見学者を案内する設備まで、撮らせない理由は何なのであろう。
そうした某市の施設を見学させていただいた折、不必要で過剰と思えた機器仕様について
質問を呈したところ、メーカー担当者から「一度、やってみたかったから」と回答され、仰天した
ことがある。今でも本当の理由は別にあったのではと疑っているほど信じがたいのだが、この
回答通りなら、一事が万事、当該市はメーカーのいいなりになっているのであろうと思わざる
を得ない。
見学者は施設だけを見ているわけではない。職員の規律から市の姿勢まで、感じるところ
は多々あり、その怖さを知っていたい。
(完)
これまでの記事のバックナンバーはこちらから
38 号 1.稲村 光郎「良いごみ、悪いごみ」
(筆者プロフィール付き)
39 号 2.小林正自郎「物質収支」
(筆者プロフィール付き)
40 号 3.稲村 光郎「性能発注」
41 号 4.小林正自郎「空気比の変遷」
42 号 5.稲村 光郎「清掃工場の公害小史」
43 号 6.小林正自郎「ごみ性状分析」
44 号 7.稲村 光郎「焼却能力の有無」
45 号 8.小林正自郎「清掃工場での外部保温煙突の誕生」
46 号 9.稲村 光郎「煙突のデザイン」
47 号 10.小林正自郎「電気設備あれこれ」
48 号 11.稲村 光郎「完全燃焼と火炉負荷」
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49 号 12.小林正自郎「化学薬品」
50 号 13.稲村 光郎「排ガスの拡散シミュレーション」
51 号 14.小林正自郎「化学薬品(その2)
」
52 号 15.稲村 光郎「ごみ発電 -大阪市・旧西淀工場のこと-」
53 号 16.小林正自郎「ごみ埋立地発生ガスの利用」
54 号 17.稲村 光郎「測定数値」
55 号 18.小林正自郎「電気設備あれこれ(その2)」
56 号 19.稲村 光郎「自動化のはじまり」
57 号 20.小林正自郎「排水処理(その1)
」
58 号 21.稲村 光郎「笹子トンネル事故報告書を読んで」
59 号 22.小林正自郎「排水処理(その2)-排水処理への液体キレートの活用-」
60 号 23.稲村 光郎「水槽の話」
61 号 24.小林正自郎「ごみ焼却熱の利用(その1)」
62 号 25.稲村 光郎「東京都におけるごみ性状の推移」
63 号 26.小林正自郎「ごみ焼却熱の利用(その2)」
64 号 27.稲村 光郎「清掃工場の集じん器」
65 号 28.小林正自郎「ごみ焼却熱の利用(その3)」
66 号 29.稲村 光郎「とかく単位は難しい」
67 号 30.小林正自郎「焼却処理能力」
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