Ⅰ-7:GCIBエッチングを用いた XPS分析

●Ⅰ-7:GCIBエッチングを用いたXPS分析
表面解析研究部 吉川 和宏
1.はじめに
100
C
80
Atomic Concentration (%)
Ⅰ-7:GCIBエッチングを用いた
XPS分析
(b) GCIBエッチング
(a) Ar+エッチング
100
Atomic Concentration (%)
[特集]TRCポスターセッション2014
60
40
ON
20
0
20
40
Depth (nm)[SiO2換算値]
Photoelectron Spectroscopy:XPS)は表面~数nmの元
素組成と化学状態を分析する手法である。イオンエッチ
60
40
O
20
N
0
0
表面分析手法の1つであるX線光電子分光法(X-ray
C
80
60
0
20
40
Depth (nm)[ポリイミド換算値]
60
図2 ポリイミドのデプスプロファイル
(a) Ar+エッチング,(b) GCIBエッチング
破線:ポリイミドの化学構造から予想される値
ングの併用により深さ方向分析も可能であるが、従来の
Ar+イオンエッチングを有機物に適用した場合、試料損
の組成分析が可能であることが示された。
傷が著しく正しい結果が得られない1︶。一方、近年開発さ
れたArガスクラスターイオンビーム(GCIB:Ar1000+ ~
Ar3000+)によるエッチングでは、有機物に対してダメー
3.フッ素コーティングしたPETの深さ方向分析
ジを低減して分析することが可能である。GCIBでなぜ、
ダメージを低減してエッチングが可能かについては、厳
フッ素コーティングしたポリエチレンテレフタレート
密に解明されていないが、1原子あたりに換算したエネ
(Polyethylene Terephthalate:PET) の 深 さ 方 向 の 組
ルギーが数eV程度と非常に小さく、有機物の内部にま
成および化学状態を調べるため、従来のAr+エッチング
でイオンが侵入せず、ダメージ層が非常に薄くなるため
を用いてXPS深さ方向分析を行った場合、ダメージが大
と定性的に理解されている 。なお、GCIBは無機物に対
きすぎて正しい結果を得ることができなかった。GCIB
してのエッチングレートが極めて遅く、条件によっては
エッチングを用いたXPS深さ方向分析により、フッ素
エッチングされない。そのため、無機物上の有機物汚染
コーティング層の深さ方向の組成や化学状態を評価する
のクリーニングのためにGCIBを活用することも期待で
ことが可能となった。その評価例を紹介する。
2︶
きる。弊社では、GCIBを搭載したTOF-SIMS(Time-ofFlight Secondary Ion Mass Spectrometry)をすでに導入
しており、有機材料の深さ方向分析に広く適用している
2,3︶
。今回、GCIBエッチングを用いたXPS分析が可能と
なったため、その分析事例について紹介する。
図3 PETの化学構造
GCIBエッチングを用いて得られたXPSデプスプロ
2.ポリイミドの深さ方向分析
ファイルを図4に示す。フッ素の深さ方向分布より、フッ
素が表面近傍(赤矢印部)に偏析していることが分かる。
図1に示すポリイミドに対するXPS深さ方向分析の結
また、最表面、深さ約5nm[PET換算値]、深さ約100
果を紹介する。
nm[PET換算値]におけるC1sスペクトルを図5に示す。
Ar+ エッチングおよびGCIBエッチングを用いて得ら
最表面のC1sスペクトルより、最表面ではCF2, CF3成分
れたXPSデプスプロファイル結果を図2に示す。
(CF3成分にはO-CF2成分が、CF2成分にはO-CF成分も
エッチング後の組成値(実線)
Ar+エッチングの場合、
含まれる)の炭素が存在していることが分かる(黒矢印
は化学構造から予想される値(破線)から大きく外れて
部参照)
。CF2, CF3成分の割合は、最表面と比べて、深
いた。一方、GCIBエッチングの場合、エッチング後の
さ約5nm[PET換算値]で大きく減少していることから、
組成値(実線)は化学構造から予想される値(破線)に
CF2, CF3の官能基成分は最表面近傍に多く存在している
近い値を示した。この結果より、ポリイミドではGCIB
ことが分かる。
エッチングによって、ダメージを抑えた形で、深さ方向
4.表面クリーニング法としてのGCIBエッチングの活用
ここでは、表面分析の前処理として、有機汚染除去の
図1 分析に用いたポリイミドの化学構造
18・東レリサーチセンター The TRC News No.120(Feb. 2015)
目的でGCIBエッチングを行った例を紹介する。
●Ⅰ-7:GCIBエッチングを用いたXPS分析
Ag 3d
Intensity (a.u.)
Atomic Concentration (%)
100
C
80
60
40
20
Si
0
O
F
0
Ag MNN
F 1s
未処理
1100
900
700
500
Binding Energy (eV)
50
100
150
C-C, C=C, CHx
Intensity (counts/s)
深さ約100 nm
CF3
40000
最表面
[PET換算値]
O=C-O
C-O
CF2
20000
深さ
約5 nm
[PET
換算値]
0
295
100
Ag0
290
285
Binding Energy (eV)
140000
Intensity (counts/s)
図4 フッ素コーティングしたPETのデプスプロファイル
(GCIBエッチング)
60000
300
図6 変色した銀の未処理(赤)、GCIBクリーニング後(青)
のワイドスキャンスペクトル
Depth (nm)[PET換算値]
80000
S 2p
C 1s
GCIB
クリーニング後
Ag+
120000
100000
GCIB
クリーニング後
80000
未処理
60000
40000
1140
1135
1130
1125
Binding Energy (eV)
1120
図7 変色した銀の未処理(赤)、GCIBクリーニング後(青)
のAg MNNスペクトル
280
図5 フ ッ素コーティングしたPETの最表面(赤)、深さ約
5nm[PET換算値]
(青)、深さ約100nm[PET換算値]
(緑)におけるC1sスペクトル
5.おわりに
銀の変色原因調査のため、XPS分析を行った。得ら
より、有機材料の深さ方向における組成や化学状態の評
れたワイドスキャンスペクトルを図6に、Ag MNNスペ
価の幅を広げるとともに、有機汚染のクリーニングとし
クトルを図7に示す。そのままの状態(未処理)では、
ても有効である。今後、この機能を最大限に活用し、よ
Ag3dピークは認められるものの、フッ素系有機汚染物の
り一層の技術向上に努めていく所存である。
GCIBエッチングは、XPS分析と組み合わせることに
存在により、フッ素が強く検出され、価数分析に用いる
Ag MNNオージェピークが検出されなかった。そこで、
銀の価数を判断できるようにGCIBエッチングを用いて
6.参考文献
銀をエッチングせずに有機汚染のみを除去した。GCIB
クリーニング後のAg MNNピーク位置より、銀の価数に
1)吉川和宏,加連明也,The TRC News, 102, 16(2008).
ついて、Ag0(金属)成分に加えてAg+成分も存在してい
2)松田和大,The TRC News, 116, 17(2013).
ることが分かる。また、GCIBクリーニング後のワイド
3)萬尚樹,松田和大,The TRC News, 118, 14(2014).
スキャンスペクトルにおいて硫黄(S2p)が検出されて
おり、Ag+成分として、硫化銀(Ag2S)などが考えられ
る。この硫化銀の存在により、銀の変色が起こっている
可能性が高い。このようにGCIBエッチングは、無機物
■吉川 和宏(よしかわ かずひろ)
表面解析研究部 表面解析第₁研究室 研究員
趣味:ランニング
表面の有機汚染のクリーニング法としても有効である。
・19
東レリサーチセンター The TRC News No.120(Feb. 2015)