コラム:医療と法 「災害救援と法」

コラム:医療と法
「災害救援と法」
種子田 護
りんくう総合医療センター市立泉佐野病院・総長
東北関東地方を国内観測史上最大のマグニチュード 9.0 の大震災が襲った。去る 3 月 11 日午後 2 時 46
分ごろに三陸沖を震源に発生したものである。
「平成 23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震」と命名、そ
の影響は「東北関東大震災」として 1900 年以降、世界でも 4 番目の規模のものとなった。大津波や火災が
発生して多数の被災者が生じ、海岸縁の町は壊滅状態にある。12 日の東京電力福島原発爆発発生で避難指
示も発令された。先の大戦後の日本が直面する最大の国家危機である。被災された地域の皆様に対して心
からお見舞い申しあげます。
自衛官、消防士や警察官などは、業務の遂行に生命の危険を伴う人たちだ。期待に違わず、被災地にお
いて懸命な仕事を行ってくれている。地方の行政機関は全く機能せず、結局、自衛隊や警察などに依存せ
ざるを得ないという事態が生じた。爆発事故や放射能漏れを引き起こした福島原子力発電所の現場で職員
らは大量の放射線を浴びる恐怖と闘いながら、原子炉を冷やすための注水作業を続けており、陸上自衛隊
は大型ヘリコプターや散水車による散水などの過酷な任務に加わった。自衛隊を暴力装置と表現した現政
権の前官房長官はどう感じているのだろうか。
地震発生の翌日、テレビ画像で泉佐野市救急車が走っている場面を市民が見て、どうやって短時間で現
場に到着できたのかと思いながらも大層誇り高く感じて嬉しさを隠そうとしなかった。りんくう総合医療
センターからも、震災当日に検討会を開催、直後に医師 2 人、看護師2人、事務職員1人の計 5 人でつく
る医療チームを結成して、災害派遣医療チーム(DMAT:Disaster Medical Assistance Team)の構成組織
として被災地に派遣した。
医療は国の重要な安全保障であり、国民の健康・生命を守るため不可欠な社会的基盤である。従って医
師は、自衛官、消防士や警察官と同様に社会セーフティーネットワーク作りに深く関わっており、それゆ
えに国民は安心して経済活動、社会活動に専念できるのである。医師は、自衛官、消防士や警察官に較べ
て業務が地味であるため、テレビ向きではない。それどころか、マスコミの扇動もあってか、むしろ悪役
の印象が最近しないでもない。今度の大震災でも福島県担当部署からの「患者を見捨てて病院職員が逃げ
ていた」との第一報に、各メディアは真相を確認することもなく待ち構えていたかのように飛びつき、衆
議院議員の災害対策副本部長までもが「けしからん医師発言」を行った。正確な情報確認なしに現場で働
く医療者をおとしめた発言や偏向報道は後に一部訂正されたが、自らも被災して絶望の極みにあっても懸
命に患者を守ろうと努力した病院と院長の名誉を著しく傷つけた。
このような事態の発端は 1999 年に発覚した横浜市立大学の患者取り違え事件以後である。1983 年の厚
生省保険局長が発表した医療費亡国論は、その後始まった政府の医療費削減政策の契機となったが、国民
の反応は鈍かった。しかし、この患者取り違え事件は国民の医療に対する信頼を決定的に失墜させ、以後、
医療に対するマスコミの根拠に乏しいネガティブキャンペーンが一斉に始まった。これが信頼関係で成り
立っている医療を崩壊させた決定的な原因であり、同時に患者の不幸も増大させた。医療訴訟が急増し、
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Medical-Legal Network Newsletter Vol.3, 2011, Mar. Kyoto Comparative Law Center
2004 年から周到な準備もなく強行された新医師臨床研修制度や 2006 年の産科医逮捕事件などを契機とし
て、勤務医が公立病院から離れて行くようになった。この傾向は今なお進行中であり、抜本的な対策を立
てなければ日本の医療は必ずや崩壊するであろう。
「世界一」と WHO(世界保健機構)から評価された国民
皆保険制度下の医療が無残になくなるのである。
全世界から暖かい励ましと援助が一斉に始まった。ドイツの古い友人からは年金生活で決して豊かでは
ない家計に比しては多額の寄付金を託され、
「日本の窮状への心ばかりの気持ち」とあった。それにしても、
今回の有事への現政権の対応は極めて鈍い。災害現場では押し寄せる多くの救急患者や重症の入院患者を
抱えた被災地の病院からは薬品を含む各種医療材料、ガソリン、食糧などの払底に悲鳴にも似た要請がネ
ットで伝えられてくる。ネットが利用できない地域は一層悲惨な状態と推察される。現地では物品輸送に
関して地震発生から 2 週間経過しても全く行政は機能していない。民間人である医師らがこれらの確保を
試みても、ガソリンがなければ車は動かせず、緊急車両指定の許可がないので高速道路も通れないという。
最小不幸社会を標榜した菅内閣が被災地での最低限の素朴な願いにすら応えないのは、患者にとって不幸
なことである。災害救助法の第二十三条には、国が地方公共団体等の協力の下に応急的に行う救助の種類
として「医療及び助産」も対象に含まれているが、実効性に乏しいのは何故だろうか。実行できない法律
には存在の意味がない。医療は分単位の時間の遅れが患者の運命に大きく作用する分野である。実効性を
持つ法律や仕組みの確立を望む。
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