コチラ - キド看板工芸

「素晴らしい技術を生かすアイデアが勝負」と木戸さん
ヽ
シリーズ︱ヽ
よ 2つ有 く
0
iこ
店 ﹂ も 仕 事 に追 い
まく ら れ る日 々。
だ。 あ れ に は 苦 労 し た さ。
ネ オ カ ラ ー に な つた 今 は、
そ んな話 も す つかり 昔 話 に
な ってしま つた け ど ⋮﹂ と
遠く を見 る日 で話 した。
特 に思 い出 深 い仕 事 の 一
つが、 旭 川電 気 軌 道 の ﹁
花
輩
□一 幅 れ い 欠 r 難 酬報 い
つ
任 さ れ る よ う に な って き
た。
た の です が、 朝 6
電車 ﹂の制作。 ﹁
電灯 が い っ
ぱ い つ いてパ ツパ光 る アレ
が 一番 の 楽 し み
だ った な あ ﹂ と 懐
た。 休 み は 月 に 2
日 だ け。 そ の休 み
し た り、 そ ん な 雑
′
用 が ほと んど だ つ
盛 んな 頃 で、 酒 樽 づ く り や
酒 店 に掲 げ る看 板 の注 文 も
楽 しか つたなあ ﹂と いう 。
当 時 は、旭 川 の酒 造 り も
は、市 民 の皆 さ んも オ ー ッ
と 言 ってく れ るし 、 あ れ は
に 使 った キ ャ ラ コ
を 洗 って ウ エ ス に
除 に 始 ま って、 自 です が、線 路 を 走 る勇 姿 は
転 車 磨 き、 花 見 の 見 事 でし た。 自 分 た ち で い
雪 洞 ︵ぼ ん ぼ り ︶ ろ いろ アイ デ アを 出 し合 っ
て作 る ん です が、 ィ﹂れ はク
と いう も の が 出 来 た 時 に
0時
時 半 か ら夜 は 1
す ぎ ま で、 拭 き 掃
﹁いう と こ ろ の
﹃
住 み込 教﹄ で入 っ
だも のを使 った時 代 で、﹁
黒
と赤 は特 に混 ざ り にく いん
わ れ た のが、 そも そも の始
しむ。
か
5、 6歳 の何 に
ま りo ま だ ︲
当 時 の水 性 ベ ンキ は、 棒
︲
も 判 ら な い子 供 で し た し、 状 の膠 ︵
に かわ ︶ を 水 で薄
仕 事 で 絵 を 描 け る ん な ら め、 そ れ に顔 料 を 混 ぜ込 ん
と、 最 初 は多 分 、 た だ そ ん
な こと ではな か った かと 思
。
ヽ
つ﹂
当 時 は、 や つと 戦 後 の混
乱 期 を 脱 し、 経 済 活 動 も 活
現在、旭川広告美術業協 同組合理事長、北
発 にな り 始 め た時 期 で、 店
主 の山 本敏 之 氏 を 含 め総勢
5人 ほど の ﹁ヤ マモト看 板
海道 屋 外 広 告 業 団体 連 合会 副 会 長 な ど を務 め る。 (有 )キ ド
看板 工 芸取 締 役 社 長。
選 親 る 男 子
警 嘔 量 主 ず 冨
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今 日本 屋 外 広 告 業 団体
団体 連
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業貢献賞 を受賞。
63年 に
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広 告 美 術 の イ ロハ を学 ん だ あ と、 24歳 で独
立。昭和
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屋外広告士
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16回
第
88
だけで進んだ看板業界
﹁
絵が好き﹂
月々の小遣いを元手に4
2歳で独立
回
膨
勿
き た が、 平 成 に入 ると 、 広
告美 術 を 取 り 巻 く 環 境 は激
変 し た。 コンピ ュー タ技 術
の急 速 な進 展 が こ の業 界 に
も 及 ん でき た のだ 。
当 然 、将 来 に対 す る不安
一
がな いわ け ではな いが、
方 で広 告 美 術 のプ ロと し て
自 負 も あ る。 例 え ば 、 パ ー
テ イ ー会 場 な ど に 掲 げ る
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向 が根 強く あ り ︱
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屋外広告士 は、広告板、 旭 川高等 技 術専 門学 院 で ま れ る傾
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ン、ディ も 広 告美 術 に必要 な色 彩 ま す し 一つの看 板 を ア ︲
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デ ア段 階 から仕 上 がり ︲
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ど、 大 き な様 変 わ けだからです。
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︲般に携わる専門家 です 旭 な るな
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、
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長 い間、師匠と奥様 のお ︱
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︲川市内 には 一時期、朽社以 りが進 み そ の意味 で 確 ︲
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な気 多く の客様 に ︲
も し 世話 に,
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に斜 陽業種 な のか,
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上 の看 板 業 者 があ り ま し ,か,
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助けられ、 こんな素晴らし ︲
、 に 済活動 の落ち れません。
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︲たが 主 経
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近
や
、
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年
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屋
は
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が
続
き
に
業
理
由
廃
を
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み
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者だと思 っ ︱
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今 旭 川広 告 美 術 業 協 同組 て の技 術 を発 揮 でき る場 られ 心底幸せ
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木戸 政文︶ ︲
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、 社 に 所 はま だ ま だ あ ると 思 っ ています。 ︵
︲
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Ⅲ合 の加 入業 者 は 8
1
、
られ、私 の書 いた何 パター ﹁人 が暮 ら す 以 上 これ
ンか の字体を コンピ ュータ からも看 板はなくならな い
。
に入力 し、 それを拡大 し て と 思う 看板 屋は素晴 らし
。 い技術を持 って いるんだ か
使う やり方をと って いる﹂
、
まさ に職人 の技と現代技 ら あと はそ の技術を生 か
。
新時代 の看 す アイ デ ア勝負 な ん です
術を融合 した ″
板 屋 ク と いう ゎ け で、﹁そ 私は つね にそれを考え て い
。
れ に私たち の仕事 は、看 板 る﹂ 一人 立 し て今 年 で 慇
看 板 は かま ぼ こ状 も書 いて練 習 し た﹂ と いう ﹁一文 字 ﹂ の字 体 に対 す る
多 く、﹁
、
板 屋 の親 方
こだ わ り で、﹁コンピ ュー の企画 乳藤計 に始まり デ 年 目 と いう 看
旭正 のも そ の頃 だ。
の桂板を彫り込 ん で ﹃
、 さ ら に施 工、 は、 2
、
7歳と いう年齢を感 じ
そ う し た 修 業 時 代 は 結 夕にはな い 手書き文字な ザ イ ン制 作
大雪山﹄ と
旭 の花﹄ ﹃
を
と ﹃
、
、
、
認 め てく れ 管 理ま でを や って はじめ させな い若 々し い声 で力 強
いう文字を浮き立たせ、金 局 8年 3 ヶ月 に及 び 以 ら では の良 さを
。
。
。
が だ数多 く お て認められる﹂と胸を張 る く言 い切 った
箔 を 貼 った り す る の です 歳 の年 に独 立 ﹁独 立 資 金 るお客 さま ま
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〓肝
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が、
一つの樽 型 の彫刻を 一 は最 初 10 0 0円 ぐ ら いか
、
日で仕上げ たら 一人前だと ら始 ま った 親 方 が毎 月 く
いわれ、必死 にな って完成 れ る小 遣 いを こ つこ つ貯 め
山 たも の﹂ と いう。 これ が今
親方 ︵
させた。それでも、
本敏 之氏︶はなかなか 一人 あ る キ ド看 板 工芸 の スタ ー
。
前 とし て認め てく れなか っ トだ った
。
たなあ﹂
⑬ 耗 輝
旭 川駅 の地 下通路 が でき
た時 に1屑 ×2属 のガ ラス
セ ロ ハン
にセ ロ ハン加 工 ︵
を重ね て色を出す︶ の広告
看板を制作、木枠とガ ラス
で酒屋 の行灯看板を つく っ
た り、﹁親 方 が楷 書 の達 人
と いわ れ た 人 だ った の で、
仕事 が終わ ったあと、作業
所 の床 に夜 遅くま で親方 の
字を真似 て水 で何度も何度
89