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鞭ン襲
教授神社」
意見裁判」口「
宗教的人格権と「
一―
首相 の靖国参拝問題 に触発 されて
小泉前首相 は靖国参拝 について個人の心 の問題 で
は祭 神 と して祀 られ な い 消 極 的
あ り、他者 か ら干渉 される問題ではない と弁明す る。
自由 を認 め るか ど うかであ り、
人が享受する信教 の 自由の主張 である。 し
それは4 回
一
か し 国の首相 の靖国参拝 は、戦死 した特攻隊の若
亡 き夫 の 追 悼 の 仕 方 を 決 め
き戦士 へ の思 い を語 ることだけでは済 まされない。
す る ( 星野 英 一 「自衛 官 合
その思 い を表明 した行為が外面上 首相 の行為 として
lFB訴
訟の民法上の諮問題」法
教9 6 号ム( 1 9 8 8 ) 1 2 頁) 。一方、
受け取 られる場合、それは憲法2 0 条1 項の信教 の 自
池端 忠司
るの は まず 妻 で あ る と主 張
由の問題 ではな く、同条3 項の政教分問[ 原則 にかか
わる。 日本社会は戦前 ・戦中の祭政一致 の弊害 を体
尾吹善人は 「
私 は、特 に日本で増
験 し、敗戦後、明 らかに政教分離原則 を採用 し再出
正 しさ』 につい ての
判』 と呼 んでいる。各人 の 「『
発 したはずである。
意見」 に反す るとい うだけの 『
不快 な末J激』 は、人
意見裁
政治運動 的』青L訴を 『
加 しているこのTIFの『
だが 、追憲 の疑 いのある靖 国参洋が誰の どんな権
によりさまざまで際限が ない。裁判所 は、お よそ人
利 ・利益 ( 宗教的人格権や信教 の 自由な ど) を 侵告
の 『
立腹』 の正 当性 を判定す る国家機関
不快感』 『
する ことになるかは別問題 で あ る。福 岡地裁平成 1 6
ではない」 と述べ 、果教 の宗教活動 が 自 らの信仰 に
年4 月7 日判 決 ( 判時 1 8 5 9 号1 2 5 頁) は 原告 の国家賠
一
償法 上の請求 を認めなか ったが 、在任 中は年 に 度
とつてナ ンセ ンスである ことを前提 とすれ ば、宗教
的人格権 を認 める余地 はな く、本件 の訴 えに対 して
は必ず靖国に参拝す る と公 言す る小泉前首相 の コメ
「なかなか 『
訴訟好 き』 (contenticusc)な人 もい るも
ン トを重大視 し、傍論で首相 の靖国参坪 を達憲 と宜
のだ」 とい う感想 をもらす (尾吹善人 「
殉職 自衛官
言 した。
合祀訴訟大法廷判決 をめ ぐって」千葉大学法学論集
宗教的人格権 についてはその法的権利性 を否認 し
4巻 1号 (1989)173更 )。
た 自衛官合祀拒否事件大法廷判決 ( 民集4 2 巻5 号2 7 7
思 うに宗教的人格権 の根拠 となるプライバ シー権
頁) が ある。 自衛隊退職者 の親睦団体 が 自衛隊員 と
は現在 もなお論争的であ り、 さらに司法審査制 を前
意見裁判」 も想定外 とは一概 に言
提 とす る とき、「
協力 して行 った山口県護国神社へ の合祀 申請 の過程
で、その 自衛隊員の 協力行為が政教分離原則 にも反
せず、宗教的人格権 なる もの も存在 しない と判示 し
た最高裁大法廷判決 を、横 田耕 一 は 「『
寛容』 な き
社会 の 『
覚容』論」 だ と評 し、少数者 に寛容でない
日本社会においてその少数者 に多数者 に対す る寛容
を要求す る もの と理 解す る ( 横田耕 一 「『
寛容』 な
き社会 の 『
寛容』論」法 セ ミ4 0 4 号 ( 1 9 8 8 ) 1 4 頁) 。
また民法学者の星野英 一 は本件 の真 の争点 は宗教的
人格権 一般 ではな く、元 自衛隊員 の妻 の 同意 な しに
えず、司法の政策形成機能が憲法訴訟 を意見表明の
場 に換 えて しまうの も当然であろう。 また、一定の
職業 に属す る故人 (国立大学教授や高官や最高裁裁
判官)を 祭神 として祀 る教授神社、○○省神社 など
を考 えた場合 (星野 ・
前掲論文 ・22頁 の注 (7))、そ
れを宗教的人格権 と呼バかは ともか く、遺族 (第一
に妻 )の 同意 な しにその ような宗教活動 は不可能で
あろう。
(法学部教授 )