EDISON せんげん じっさい しっぱい れんぞく させられると宣言していましたが,実際につくり始めてみると,失敗の連続でした。しかし そ ざい つづ しょく ぶ つ エジソンはあきらめずに,さまざまな素材を使って実験を続け,そしてついに, 植 物のせん すみ ●本名は ? トーマス・アルバ・エジソン いを炭にしたものをフィラメントにした電球をつくり上げました。 ●どこの人 ? アメリカ そしてついに日本の竹,なかでも 京 都の八幡村の竹で,秋から冬にとったものが一番フィラ てんとう せ か い じゅう エジソンは,さらに長い時間点灯するフィラメントを世界 中 の植物から探し続けました。 きょう と や わたむら メントに適しているということを発見しました。この竹を炭にしたフィラメントは 200 時 ●いつごろの人 ? 生まれた年− 1847 年 亡くなった年− 1931 年 間もの間点灯することができました。 その他,エジソンは ど りょく ■ □1のひらめきと 99 の努 力 でん わ き 多くの発明や改良を じっ さい つか グラハム・ベルが発明した電話機を,実際に使えるような形に あい て したのもエジソンです。ベルの電話機は,音が小さくて相手の声 と こな しています。 たとえば… でん が聞き取りにくいものでした。そこでエジソンは,炭の粉に電 りゅう でん きゅう 電 球 や蓄 音 機 などをはじめとす はつ めい じつ よう る数多くの発明をし,実用にならな い かったものもふくめると 3000 以 じょう なが たん そ かい はつ 流 を流すことで音を大きくする炭素マイクを開発しました。小 ちく おん き かい りょう 上 もの発明や改 良 をした人です。 さな声でもよく聞こえるこの炭素マイクは,つい最近まで電話機 のマイクとして使われていました。 こと ば ゆうめい エジソンの言葉として有名なものに「天才とは1パーセントの ひらめきと,99 パーセントの努力である」という言葉がありま どお せいこう まんぞく す。その言葉通りにエジソンはひとつの成功だけに満足すること ねっしん なく,年を取っても熱心にさまざまな実験や発明に取り組んでい しょうねん じ だい な おん き ました。そして,1931 年に 84 才で亡くなりました。 ■ □ 少 年時代のエジソン き ろく ・蓄音機(音を記録す き かい しゅう エジソンが亡くなったとき,アメリカじゅうの人たちはすべて エジソンは 1847 年にアメリカのオハイオ 州 のミランでうまれました。 なっとく でんとう しつもん 少年時代のエジソンは, 「なぜ ?」と思ったことは,納得いくまで大人に質問したり,自分 じっ けん はつ めい で実験したりする子どもでした。そして大人になると,さまざまな発明をし, 「発明王」と け い だい もくとう の電灯を1分間消し,偉大な発明家であるエジソンを思い,黙祷 をささげました。 で ん きゅう でんきゅう ・ガムテープ えい が … 電 球 は,ガラスの中にあるフィラメン ■ □電 球 の発明 る機械) ・映画のフィルムなど エジソンの電球 よばれるようになりました。 エジソンがつくった 電球のつくり フィラメント トが光ることで,明るくなっています。 かいはつ ゆうめい エジソンは電球を開発するにあたって, エジソンの発明の中でも特に有名なものに,電球があります。 とう ほのお しょく ぶ つ つか 当時の人たちは,ランプやガス灯など 炎 を明かりとして使っていました。そこでエジソン なが も け ん きゅう こう か きんぞく みじか も すみ ため はつめい つか ぶ ぶん 当時,白金という高価な金属をフィラメント(電球の明るく光る部分)にした電球が研究 ね だん フィラメントにさまざまな植 物のせんい の炭を試しました。エジソンが発明した はじ は,電気で光り,しかも長持ちする明かりをつくり出そうと研 究 を始めました。 はっきん ・アイロン じつよう されていましたが,値段が高く, 短 い時間でフィラメントが燃えてしまい,実用にはなりま 炭でできたフィラメントは 30 年あまり使 われました。 きんぞく その後,タングステンという金属のフィ ガラス どうせん せんでした。 てき さが はじ はじ しゅう か ん かんせい そこでエジソンは,電球に適したフィラメントを探し始めました。初めは,6 週 間で完成 ラメントが発明され,今のような電球が つくられました。 導線 ※ガラスの中は しんくう 真空(空気が じょう た い ない状 態)
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