復活節 第4主日 礼拝 2015年5月3日 飯川雅孝 牧師 1.主 題: 『真理に

復活節 第4主日
礼拝 2015年5月3日
飯川雅孝 牧師
1.主 題:
『真理にある友』
2.聖 書:
使徒言行録17章1-15節、 テサロニケの信徒への手紙一3章1-3節
(説教)パウロがひとつひとつの都市を訪れて、主イエス・キリストが救い主である
ことを伝える様子を見ていますと、ユダヤ教の会堂に入ります。イスラエルから全世
界(ローマ帝国全体)に散らばったユダヤ人が各地域で集まり、毎週礼拝していた場
所でした。少数の人がパウロの語る言葉に耳を傾けて心を開かれます。それを妬むユ
ダヤ人が悪巧みと迫害をもってパウロを潰そうとします。信じた人たちは、たとえパ
ウロと共に行動することが自分に犠牲を負うことになってもそれを引き受け、共に戦
っています。今日のヤソンがそうであります。ヤソンはパウロに協力したがために酷
い目に遭ったことで、その後のことは書いてありません。つまり、使徒言行録では、
編集者がパウロの足跡を福音伝搬の視点から紹介していますが、パウロ自身の気持ち
やパウロの兄弟になった人の気持ちまでは書いてありません。
さて、パウロはテサロニケにやって来ます。パウロには弟子のテモテとシラスも同
行していた。今日の箇所では3週間いたと書いてあります。パウロの話を聞いてその
教えに心を開いてイエスを信じた人の中に、ユダヤ人や、神の教えに敬意を抱くギリ
シャ人、そして裕福な婦人たちがいました。小アジアではイスラエルに比較して、女
性たちの地位は高かったようです。つまり自主的に信仰を持ち、パウロに協力したと
言うことです。このように、キリスト者となる人は、初めは少数のユダヤ人、次にユ
ダヤ教の神を礼拝するギリシャ人、そして異邦人であるギリシャ人の順でした。キリ
ストの兄弟が増えることはユダヤ人にとって彼らが信用を失い、組織の存亡の危機に
遭う。だから、悪巧みを考えて、パウロを失脚させようと企てます。パウロを匿った
ヤソンは皇帝に逆らったから有罪と認められ罰金を払います。また、そこでは、ロー
マ帝国の迫害が昂じて処刑されるほどにはキリスト教徒へ帝国の迫害が徹底的では
なかったともいえます。兄弟たちは伝道のため迫害に遭うパウロと運命を共にしよう
します。パウロは、ベレア、アテネと移動します。シラスとテモテを一旦自分のとこ
ろに呼び寄せますが、テサロニケの兄弟たち、ヤソンたちのことがどうなった心配に
なって、アテネからテモテをテサロニケに送り出します。
次にテサロニケ信徒への手紙では、イエスを信じるようになった兄弟たちを案じてパ
ウロは書いています。「このような苦難に遭っていても、だれ一人動揺することのない
ようにするためでした。」とは、イエスを信じ生きることは、間違った世を正そうとす
ることですから、この世の悪に染まった人たちからは迫害を受ける。だから、「わたし
たち、パウロやシラスやテモテが苦難を受けるように定められている。」それを「あな
たがた自身がよく知っています。」わたしたちに倣う、あなたがたも身を持ってそれが
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分かっている。それに打ち勝って信仰をもって戦っているあなたがたのことをテモテか
ら聞かされて、わたしはどんなに励まされ、神に感謝しているか。それを聞くことは、
今、わたしたちは生きていると言える。・・神の御前で、あなたがたのことで喜びにあ
ふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょ
うか。」と言っています。
神に結ばれた信仰の友の喜びとはこのようなものかと驚かされます。わたしは、使
徒言行録を読んでいて、なぜ、パウロがどこに行っても酷い迫害に遭うのに、転んで
は起き、また励まされて進む。この不屈の気力はどこから来るか。その訳は、彼は神
に捉えられた。神に従う時、聖霊は必ずその人を励ますという真理と共に、パウロは
困難を共にしてくれる兄弟たちと共に大きな喜びの中にあったことを教えられます。
そして、救世軍というキリスト教団体があります。12月の歳末の頃になると、軍
隊服を着込んで、銀座で社会の鍋を前に置き、募金を求めている人たちがいます。ウイ
リアム・ブースというイギリスの牧師が、ロンドンの東部の貧民街で伝道していました。
そこは酒びたり、犯罪、不道徳のほか、貧困、失業、人口密集、その他の数々の社会悪
が蔓延していました。1878年に突然霊感を受け、「われわれはボランティア アー
ミーではなく、サルベーション アーミー(救いの軍隊)である」という言葉を造り出
し、この運動のリーダーになりました。1904 年に「救世軍」として創立されまし
た。日本にもウイリアム・ブースは来ました。彼の説教の通訳をした山室軍平はブース
の霊感を伝えたとして語り伝えられております。生涯を通じて社会福祉事業、公娼廃止
運動(廃娼運動)、純潔運動に身を捧げます。宮澤賢治の『雨ニモマケズ』の詩の中に
「・・・ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ」とあります。
昔、東北地方では土地のない小作農が、凶作だとお金が入らず、娘さんたちを東京に売
りに出さざるを得なかったという悲劇を歌っております。遊郭に売られた娘さんたちか
らは、救世軍に救いを求める手紙が来ました。山室軍平と彼の率いる兵士たちは、旗を
押し立て、隊列を組んで遊郭のある吉原の門に押しかけます。まずは楽隊で人の耳目を
ひきつけ、集まった人々に「ときのこえ」という機関紙を配って売春婦諸姉に廃業を呼
びかけた。業者側は怒ります。暴力団を雇って襲撃させた。救世軍は「軍」という呼び
かたではありますが武器はもたず、無抵抗主義。血まみれとなります。山室軍平とイギ
リス人のデニース少佐という人物は、吉原と並ぶ州崎(すさき)という遊郭での活動で
負傷した。という事実を伝えております。この記事を読むとわが身が恥ずかしい思いを
します。
わたしたちは、自分の身の周りにあることに、神が喜ばれることとは何か。それをき
ちんと掴む。そのために、お互いに心を一つにして協力し合う。そこには共にある喜び
がある。キリストにある友となるためにお互いに励んで行きたい。そう思うのでありま
す。
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