神様が私たちに望んでいるのは

「香ばしい供え物」
A Sweet-Smelling Offering
ピリピ人への手紙4章10~20節
~オープンドアへの神のビジョンを
再認識(発見)するシリーズの最終回~
神様が私たちに望んでいるのは・・
自分たちの足でしっかり立ち、自立して積極的に福
音を伝えることができ、キリストの御名によって仕え
る教会
しかし現実には・・
日本の多くの教会は経済力がなく、小さな集団
教会成長の1つのターニングポイントはフルタイムの
牧師に給与が払える経済力を持つこと
たとえ建物を所有し負債がなくても、教会はスタッフへ
の給与か教会の活動に常に支払いが生じてくる
今の日本で、安定した状態を保つには、年間600万
円ほどの予算は必要と言えるのではないか
(北海道バプテスト連合の岩波牧師:ゴールデン
ウィークに行われた連合の会議にて)
オープンドア
25年の苦労を経て、直近の5年間は500万の水準を超え、今
年は初めて600万を超え、ほぼ700万に到達しています。
神様をほめたたえます!
感謝なことに建物の負債はありません。これは1999年にこの建
物を購入した時に受け取ったB-Type Support と我々のメンバーに
よる献金のおかげです。これにより教会設備の半分が支払われ
ました。
言い換えると、私たちは、最初に礼拝をスタートした宣教師たちを
送り出してくださった教会に大きく頼る形で始まりました。
オープンドア
それからゆっくりと、頼ることから自立へと成長してきました。
受けることだけでなく、同時にゆっくりですが与えることを学んで
きました。そして今も学び続けています。
この世にあって、神の手足となって、平和を作り、真理を語り愛
の働きを行うようにとの神様の召しに、より応えられるようにな
ります。
たとえば、「オープンドアチャペル宣教方針」の中に・・
『オープンドアチャペル宣教方針』から
私たちは、牧師も、信徒も、宣教への意識を持って、
主体的で自発的な宣教の取り組みにできるかぎり協
力します。現実的には、健全でバランスの取れた、負
担になりすぎることなく、教会の体力に見合う宣教活
動をしていくことが重要だと考えます。それが継続的な
宣教活動を行うための指針であると考えます。
最善の方法で、キリストのメッセージを私たちの地域そして世界
へと伝えていくにはお金も必要であるという理解が、この宣教方
針の下にあります。
札幌やもっと広い地域に福音を伝えていくことは、教会の増加
により可能になります。そのためには、より多くの人が必要です。
神様の教えを広めていくという召しに、一人ひとりが従っていく
とき、当然ながら経済的により安定してくるでしょう。(だからと
いって教会のお金のために、福音を伝えるべきだと言っている
のではありません!)
神様のオープンドアに対する最大の理想は、現在の教会員と
経済力に甘んじ、楽な状態に落ち着いてしまっていることだとは
思えません。
未来のオープンドアを築いていくために神様が立ち上げようとし
ている兄弟、姉妹たちを探し出す神の働きに、私たちが参加す
る必要があります。
パウロが手紙を書き送った時にも、ピリピにいる兄弟姉妹たち
には困難と勝利がありました。
そのいくつかはお金に関することでした。とても日常的(現実的
な)問題ですが、大切な霊的な意味もあります。
イエス様が言っているように、お金だけの問題ではありません。
お金の使い方が、あなたが何を大切にしているかを現します。
“あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです”
(マタイ6:21)
乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっ
ても満ち足りることを学びました。
私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も
知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも
乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるの
です。
(ピリピ4:11-13)
パウロは、自分の必要が与えられることを心配していたのでは
ありません。(それは神様が面倒をみてくださいます)
パウロの関心は、ピリピの人たちの中に育っている、積極的な
信仰の素晴らしさにありました。
それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれま
した。 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福
音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、
私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがた
のほかには一つもありませんでした。 テサロニケにいたときで
さえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏し
さを補ってくれました。
(ピリピ4:14-16)
主の働きを経済的にサポートすることは、心にある信仰が形に
なること、信仰に焦点を合わせることになります。
信仰によって、彼らが信頼する時に神様は必要に応じてくださ
ると受け入れました。
信仰によって生きることを実際に経験することは、キリストに従
う者としての生活において最も重要なことです。
それはパウロを助けただけではなく、お金を保持しているより、
はるかに彼ら自身を助けました。
“ 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あ
なたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです”
(ピリピ4:17)
これは“神は神の教えに従う民に、必ず報いてくださる”ということ
でも、パウロは “name-it-claim-it”という“繁栄の神学”を教えている
わけではありません。
神様は、神様に喜んで従う子供たちに、神様の時と方法で、あふれ
んばかりの祝福を注いでくださいます。
神様はご自分の民に、神の働きのために、捧(ささげ)もの
をする習慣について教えています。
聖書の伝統的な教えは、収入の10%です。
多くの人は、今も、少なくてもその割合は必要であると考え
ていますが、実際に個人的なお金の管理となると、全く別
のアプローチとなることが多いようです。
ある牧師はこのように説明しています(ビデオ)
・収入の10%を捧げている人の考え方
“神様の祝福がある私の90%の収入”は、“神様の祝福
なしの私の100%の収入”より良い
神様がいくら私たちに与えてくださるかということよりも重要
なのは、神様がどのような思いを持って見てくださっている
かです。
私たちの父なる神は与えることが大好きです。なぜなら神
様の心は愛であふれているから。
私たちが、どれほど沢山を神様に捧げたとしても、神は
もっと豊かに報いを与えてくださり、祝福をしてくださいます。
“人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるま
でにして、ふところに入れてくれるでしょう”
(ルカ6:38)
“また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富
をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます”
(ピリピ4:19)
これはピリピの人々のように、神様が私たちの必要を備えて
くださると信じ、自力でニーズを満たそうとしない人たちへの
約束です。 パウロは、身をもってそのことを沢山経験した
ので、このような大胆な約束をすることができました。
パウロは永遠という視点で、ピリピの人たちの捧げものの
恩恵について捉えていました。
お金を握りしめている短い間の利得より、寛大であふれる
愛に満ちた神様が最終的に与えてくださる、はるかに大き
な報酬を知っていました。
私たちは、長くても数十年間お金や物を所有できるに過ぎ
ず、死ぬ時には、次の世界に何も持っていくことができま
せん。でも(永遠の)命はこの地上での短い時間より、はる
かにはるかに長いのです。
天国へ持っていけるもの
・個性を含む自分自身
・神様の変わることのない愛(神の民に報いてくださるとい
う約束を含む)
パウロはピリピの人々が天に注意を払い、神の国の価値
観を心に留めて生活しているのを見て、喜びました。
“エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち
足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜ん
で受けてくださる供え物です”
(ピリピ4:18)
あなたについても同じであることを知っていましたか?
あなたが献金箱にお金を入れる時、誰か必要を持っている
方のために時間を取って耳を傾ける時、日曜学校のため
に教えるスキルを用いる時など、神様を一番にしてあなた
の最善を捧げる時、神様は喜んでくださいます。
これも礼拝のひとつの形です。霊的な意味を持っています。
“ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、
心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛して
くださいます”
(Ⅱコリント9:7)
“ あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、す
べて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい”
(コロサイ3:17)
私たちの命そのもの、そして持っているもの全てを与えてくださる神様、
どのようにお金を使いまた蓄えるかは私たちが行うことの一つですが、
イエス様の御名によって行うことができるように助けてください。もしイ
エス様がジムアリソン(自分)だったらするように、お金を使うことがで
きますように。一人ひとりが、お金の作り方、蓄え方、与え方において
キリストの方法を選んでいくことができますように。あなたが示してくだ
さる良きことに多くの感謝を捧げることができますように。あなたに対
する信頼を持って行動し、あなたが私たちの必要の源であり、供給者
であり愛する父であることをもっと知ることができますように。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン