伝道における出会い

霊降臨後 第4主日
礼拝説教 (2015年7月5日) 飯川雅孝 牧師
聖書
使徒言行録18章1-17
主題
『伝道における出会い-祝福と反抗』
説
教
パウロは第二伝道旅行でキリストの福音を伝えながら教会を造り、忠実な信徒が
生まれます。パウロが伝道した紀元1世紀の半ばの頃は、皇帝を神としないという
キリスト者への迫害というより、パウロが古代イスラエルの律法からの自由の教え
を説くことに対する迫害でした。今日の箇所は都市コリントです。商業都市コリン
トの人は「ふしだらな人」というあだ名を付けられました。パウロはその前の都市
アテネでの伝道が自分の知恵を頼りに論争をしたので伝道に失敗し、心から悔いて
いました。今度は自分の弱さをキリストに投げ出します。コリントに行った時、そ
こにユダヤ人でキリストを信ずるアキラとプリスキラ夫妻が、ローマから来てい
た。時のローマ皇帝クラウディウス帝は、紀元49年、一説にはローマに来たユダ
ヤ人たちはスラム化するからという理由でユダヤ人(キリスト教徒も含めて)たち
を追い出したからです。夫妻はパウロがキリストを伝えるにふさわしい人物である
のを見て、自分の家を提供してユダヤ人中心に伝道した。しかし、そこのユダヤ人
はパウロの伝えるイエスの復活を嘲笑い、「反抗し、口汚くののしったので、パウ
ロは服の塵を振り払って言った。」これは聞く耳を持たない人に対する絶縁です。
その後、パウロがコリントに根をおろしてユダヤ人以外に伝道しますが、「(彼ら
は)一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、「この男は、律法に違
反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と訴えま
す。このことの背後には長い歴史的な問題がある。当時はキリスト教はまだ、ユダ
ヤ教の中の一つのグループと考えられていた。ユダヤ人は一千年に渡る弱小国とし
ての痛みの裏腹に、聖なる神に選ばれたのは自分たちだけだという偏ったエリート
意識を持っていた。その証拠が自分たちだけに神の律法が与えられている。だか
ら、彼らはパウロの律法からの自由、イエスを神の子として信ずる新しい神の国の
到来など考えられませんでした。そのように凝り固まった特権意識を盾にした。そ
れで、パウロを迫害し、次の町に追いかけて彼を抹殺しようとした。
次に、パウロの伝道は、ティティオ・ユストという異邦人の家で行われます。ア
キラとプリスキラやテモテたちも当然一緒です。異邦人もユダヤ人も、キリストを
信じて洗礼を受けたことが伝えられております。しかし、 ある夜、主は幻の中でパ
ウロに会って「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。」と言いますから、ここで
もパウロはユダヤ人の危害を受けながらも伝道をしたのであります。パウロはその
後、一年六か月の間もコリントに留まって伝道できたのは人々との交流が出来たこ
とを伝えております。退廃的な商業の都市コリントで様々な種類の人と交流したと
言うのは、自分を隠す意図なく地でパウロと付き合った人たちでした。しかし、高
潔なパウロと道徳的問題の多いコリント人との間には、当然、溝もあれば争いもあ
った。それでも泥まみれになって本音で付き合ったから長く続いた。その効果があ
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ったわけです。
さて、古い権威を盾にしてパウロを迫害したユダヤ人たちと比較して、パウロは
自分をどう考え、またパウロに耳を傾けた人たちはどのように違っていたか。キリ
ストに出会う前、パウロ自身もキリスト者を迫害するユダヤ人の最たるものでし
た。その最中、復活の主イエス・キリストに出会って回心します。「突然、天から
の光が彼の周りを照らした。 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたし
を迫害するのか」という声を聞きます。「わたしは、あなたが迫害しているイエス
である。」彼は自分の命までも支配する復活のイエスの声を聞いたとあります。彼
はこれ以後自分の過ちを認め、キリストに従い異邦人世界への伝道に励みます。神
の前に立った時、人は自分の無力さを知らされます。しかし、自分を神に譲った
時、人は神の力を与えられる。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かな
ものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」
パウロの苦難に満ちた伝道旅行を見ると、キリストを信じ祝福に与る人たちと、
反抗し迫害する人たちの両極端を見ます。しかし、その権威は神の前に崩されま
す。神の力を与えられた者には試練の中にあっても希望を抱くことができます。わ
たしたちはその証を時として身の回りにも知らされます。この5月に、わたしたち
の教会は明治の教会と同じ流れを汲むアメリカの教会のバーバラ・ブルークスさん
はキリストの香りを称えたレデイという感じを与えてくれる方でした。ドイツのベ
ルリンにいた17歳の時、戦争で家を失いアメリカの知人を頼ってカリフォルニア
のサンチャゴに移住した。戦火の中で左頬の筋肉を失ったため、その後何回も手術
して皮膚をそこに張り付けた。おそらく希望をもってその辛い手術に絶えたのでし
ょう。さらに、30歳を越した頃、夫が交通事故で天に召されます。その後再婚し
て幸せな生活を送ったと言っておりましたが、その夫も数年前に天に召されまし
た。ご自身は整体関係の技能職として、長年生活を支え、今は孫もいて、娘婿が日
系3世のため、自分も日本語を勉強していると言うことでした。170人余りのサ
ンチャゴの教会からゆかりのある私たちの教会の親善大使として訪問しました。幾
多の試練にも負けずに立ち上がった彼女の人生を支えて来たものに、自分の力に頼
らずキリスト・イエスに支えられた信仰を見た思いを感じました。そして、彼女が
日本を訪問するに当たって心に突き刺さっていたものは、広島・長崎の原爆でし
た。わたしに「I apology for Hiroshima and Nagasaki.」これはご自身に痛みを覚
えるからこそ、その思いを伝える謝罪でありました。礼拝を理解してもらえるよう
に原稿を翻訳しておきました。その中で「イエスを死から救い出す神の救いは神の
王国を齎す。」という言葉の意味について、神が人に示される「いつか開かれる宝
石箱」の発見という趣旨のことを話しました。彼女は眼を輝かせて“ finding the
jewel”と答えてくれました。二度と会うことがないと思われる外国からの来客とお
互いにキリストを信ずる信仰を共感できたことは大きな喜びになりました。
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