APAST Essay_011A

APAST Essay 011A
2015 年 6 月 27 日
NPO 法人 APAST
筒井哲郎
福島第一と忠臣蔵
1. 福島第一からの撤退
2011年3月14日の夜から15日の朝にかけて、 福島第一原発では2号機の水位が下がって冷
却不能に陥り、 免震重要棟の中での放射線量も上がり、 プラント近傍に留まることは生命の危険
に直結する事態に立ち至った。 東京電力本店内ではバスの手配をするなどして撤退の準備を始
め、 深夜に清水社長が撤退の了解を取り付けようと海江田経産大臣にたびたび電話連絡を試み
ていた。
現場責任者の吉田所長は、 免震重要棟にいた720名のうち650名に対して、 一時福島第一の
近傍で待機するように指示した。 しかし、 650名は10km余り離れた福島第二原発へ行ってしまっ
た。 15日の午前中に2号機格納容器はサプレッションチャンバー付近で大きな音を発して、 圧
力が抜けてしまった。 つまり、 人間が手も足も出せない状況の中で、 格納容器の弱い部分が勝
手に破れてひとりでにベントした訳である。 15日の昼ごろには圧力もぬけ、 放射線量も落ち着い
て、 危険な状態から脱することができた。
そこで吉田所長は福島第二へ連絡し、 グループマネージャークラスから順番に福島第一へ戻る
ように指示した。 けれども戻った人たちの数は112人にすぎなかった。 つまり、 8割の人たちは
戻らなかったのである (注1)。
2. 播州赤穂の城明け渡し
元禄14年3月14日、 浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかり、 切腹、 お家取りつぶしとなった。
翌日脇坂淡路守が3500の兵を率いて城受け取りに来るという日、 城内の評定で、 筆頭家老大
石内蔵助は、 城明け渡しの際に門前で切腹して抗議の意思を示すことを提案した。 それに従わ
ない者は退出しても良いと表明したところ、 切腹に同意する旨起請文を提出したのは60名余りで
あった。 忠臣蔵47士の始まりである。 浅野家中の士分は約300名であったから、 およそ8割の
人たちは退出した訳である (注2)。 その割合が福島第一での比率とあまりに似ているのは、 単
なる偶然であろうか。
3. 原発の過酷事故と労働者の人権
朝日新聞の記者が政府事故調のヒアリング記録のうちの吉田調書をスクープし、 昨年5月に福
島第一の撤退の事実を報じてから、 東電や政府の人びとは、 懸命に働いた現場の労働者たち
を侮辱するものだという一大キャンペーンを行い、 朝日新聞社がそれを誤報として謝らなければ
産業界は広告を差し止めて兵糧攻めにすると脅かした。 それに対して朝日新聞社は社長以下経
営陣が謝罪会見をして産業界に恭順の意を示した (注3)。
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ここで言いたいことは、 東電社員たちの気概とか名誉とかではない。 人間の生物学的な限界と
いうもっと単純なことである。 原発が過酷事故を起こしたときには強い放射線が作業環境を支配す
る。 その中に留まって作業することはできない。 にもかかわらず、 現在再稼働のための新規制
基準適合性審査書に記されている重大事故対策シナリオは、 生命の危険を賭して働くという前提
の労働契約を結ばなければ実現不可能だという事実である。
工業労働者が現場において身の危険にさらされた時は退避して危険を避けることは、 憲法およ
び労働法に規定された当然の権利である。 労働法は危険が迫っている時は退避せよ、 と具体的
に規定している (注4)。 したがって、 既存の法律体系に何らかの変更を加えなければ、 原発再
稼働の条件は整わない。 けれども、 現在進行中の原子力規制委員会の審査はその矛盾に蓋を
して進めている (注5)。 この日本の現状を指摘することが本稿の目的である。
4. 欧米の対策
欧米諸国は福島第一事故を注視し、 そこに教訓があれば自国の原子力規制行政に反映させよ
うとしている。
フランスは、 日本で 「総員退避」 を巡る議論があったのを知り、 実際にそのような場合に対処
するための特別チームを立ち上げました。 当事国の日本が、あれは一メディアの良からぬデマだっ
たと封じ込めてしまったのに対し、 フランスは、 あれは確かに起こり得ることと受け入れたということ
なのでしょう。 西部、北部、中部、南東部の4地区にある原子力発電所の敷地内に基地を設置し、
国内のどの原子力発電でも24時間以内に事故対応が展開できるよう訓練を積み、 必要な資機材
を備えています (中略)。 総員300人が配置されています。
同じような支援チームは、米国でも4億ドルが投じられ、フェニックス (アリゾナ州) とメンフィス (テ
ネシー州) に2個が編成され、 それぞれ2014年5月と7月からスタンバイしています (注6)。
現在の原子力規制委員会の新規制基準適合性審査には、 各電力会社が、 ほとんど実効性の
ない答案を書いて、 規制委員会が無理を承知で丸をつけるという儀式に堕してしまった行為が少
なからず見受けられる (注7)。 客観的事実を直視することは、 本来原発推進側にも必要なこと
である。
注 1. 海渡雄一、 ほか 『吉田調書報道は誤報ではない』 彩流社、 2015年
注 2. 「元禄赤穂事件」 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/ 赤穂事件
注 3. 鎌田慧、 ほか 『いいがかり』 七つ森書館、 2015年 海渡雄一、 ほか、 前掲書
注 4. 「過酷事故時に働く人はいない」 『筒井新聞』 第281号 http://bit.ly/1Cv6Ioo
注 5. 井野博光 ・ 滝谷紘一 「不確実さに満ちた過酷事故対策」 『科学』 2014年3月号
http://www.ccnejapan.com/archive/2014/201403_CCNE_kagaku201403_ino_takitani.pdf
注 6. 佐藤暁 「アキレスを追いかけるカメ」 『科学』 2015年7月号、p.717
注 7. 筒井哲郎 「水鉄砲で火の粉を落とす : 形骸化する規制審査」 『科学』 2015年5月号、p.506
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