APAST Essay_015A

APAST Essay 015A
2015 年 8 月 6 日
NPO 法人 APAST
筒井哲郎
既往最大とばらつき予測
1. 自然災害に対する既往最大への執着
原子力施設は一般の建造物に比べて特別に堅牢に作らなければならない。 もし、 地震や津波
で事故が発生したら、 放射性物質を飛散して、 周辺何百kmの地域を居住不能にするリスクがあ
るからだ。
したがって、 地震や津波といった自然災害に対しては、 リスクが10の-4乗または-5乗/炉 ・
年に相当するリスクに備えることが IAEA によって勧告されている。 これは一般に、 1万年に一度
とか10万年に一度のリスクと言い換えられている。 自然現象は、 自然の構造 ・ 運動によるので、
災害発生頻度も結局は歴史上に現れた頻度と大きさをもとに推定することになる。 したがって、
災害予想の手法は既往のデータを探求することによってなされるが、 目的はあくまで将来に発生
する災害の推定にある。 けれども、 福島事故に至ってしまった災害推定とそれに基づく規制基準
は、 高だか数百年の 「既往最大」 を採用したに過ぎなかった。 もっとも分かりやすい例は福島
第一原発で、 400年前 (1611年の慶長三陸地震) の津波を参照して O.P.+5.4 ~ 5.7m の地
震に備えたが、 1000年前 (869年の貞観津波) の O.P.+15.7m を排除したために、 世界的規
模の大惨事に至った。 2002年に土木学会がこの想定を決めたとき、 海水ポンプのかさ上げを
実施したが、 その高さは O.P.+5.7mで、 まったく余裕を設けていない (注1)。
同様の例を地震の規制基準について見てみよう。 高浜原発の基準地震動を地震が起こるたび
に後追いで小刻みに上方修正している例である。
1968 年 プレートテクトニクス理論を初めて学会で議論。
1980 年 高浜3 ・ 4号設置許可。 基準地震動370ガル
1995 年 阪神淡路大震災。
1996 年 全国の強震動観測網運用開始。 2006 年 新指針。 基準地震動550ガル 2007 年 中越沖地震。
2011 年 東日本大震災。
2014 年 震源特定700ガル、 震源不特定620ガル
これらの例を見れば、 だれしも疑問視するであろう。 十万年に一度の確率で起こり得る津波や
地震が高だか千年の既往最大値を超えないと判断した人たちは、 本当に真面目に地震 ・ 津波
の危険を考えていたのだろうか。 そして、 本質的にどの程度のばらつきを考慮すればその規模
の上限といえるのであろうか。
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2. 内山弁護士の著書
そんな疑問を抱いていたところに、 今年3月に弁護士の内山成樹さんが 『原発 地震動想定の
問題点』 という本を出版された (注2)。 同氏はもともと東京大学理学部を卒業された方で、 地
震問題に詳しい。 この本のハイライトは、 規制が本来行うべき将来のばらつき予測である。 結論
だけを切り取って紹介すれば、 「ばらつきの分布を対数正規分布と仮定した場合には、 標準偏
差のはみ出しを 2.3%にするには4倍しなければならない」
ということである。
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つまり、 自然現象は確率統計的に理解するのがもっとも正しいと思われる。 しかし、 近代的な
測定の歴史が浅いためにデータの数はきわめて限られている。 たとえば、 日本全国に強震動計
の設置が行われてから、 わずかに 20 年程度しか経っていない。 測定値やそれをもとにした何ら
かの推定データを起点として考えざるを得ないが、 それらのばらつきが対数正規分布になると考
えるのが自然である。 そのように考えると、 はみ出しの割合を 2.3/100 にしても 4 倍の大きさを想
定しなければならないし、 1.4/1000 とすると 8 倍の大きさを想定しなければならない。
3. 首藤教授の意見
津波についても同様の想定を提唱していた人がいるということを、 最近友人が教えてくれた (注
3)。 彼は気象庁が1997年に設けた 「量的津波予報検討会」 の議事録を探し当てて、 ブログ
上に公開している。 この気象庁の検討会は1993年の北海道南西沖地震による津波が従来の想
定を大幅に超えたことを反省して、 適正な予測をするために学識経験者5名と関係行政機関の課
長 ・ 室長といった管理職13名を組織したものである。 座長は東北大学工学部教授首藤伸夫氏
である。
その議事録の中に、 首藤教授が提供した 「津波数値計算の信頼性」 という文書がある (以下
に引用)。 そこで述べていることは、 測定データ (検潮記録) そのものに誤差があること、 再現
計算をしてもその計算値に誤差やばらつきが含まれることを述べている。 なるほど、 津波は海底
および海岸の地形に大きく左右されるから誤差の入り込む要素が多いことが想像できる。 その誤
差のばらつきについて、 同氏は前項と同様の対数正規分布のはみ出し確率を述べている (前項
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では大きい方へのばらつきを考えたが、 この計算は小さい方のばらつきも含めているので、 はみ
出し割合は2倍になっている)。 そして、 つぎのように計算値の誤差が大きなものであることを解
説している。 いわく 「仮に K=1、κ=1.2、 計算遡上高が 5mとするとき、 現実には 4.2m~ 6mの
範囲である確率が 68%なのである」
気象庁は自庁の津波予報を検討すると同時期に、 他の省庁とも津波防災対策を検討していた。
その結果が翌98年の 「地域防災計画における津波防災対策の手引き」 (通称、「七省庁手引き」)
に反映され、 全国の各自治体に通知された (注4)。
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この気象庁の検討会の座長を務めた首藤氏は、 1998年から2001年まで、 土木学会の調査
研究委員会のひとつである、 原子力土木委員会の津波評価部会の主査になった (注5)。 ちな
みにこの部会では電力会社社員が幹事団を占めている。 首藤氏はもともと津波予測の精度は「倍
半分」 (2 倍の誤差があり得る) と発言していた。 しかし、 この部会において、 同氏は結論を決
める会合で 「補正係数 (安全率) の値としては議論もあるかと思うが、 現段階では、 とりあえず
1.0 としておき、将来的に見直す余地を残しておきたい」 と、電事連の希望通りにまとめてしまった。
4. 業界と学者たちの言い訳
事故が起こってから、 事業者たちは 「既往最大が科学的根拠だ」 と言い張り、 それを超えた
津波は 「想定外だ」 といっている。
一連の津波想定の過誤を追求した添田孝史氏は、 本をまとめるに当たって東北大学へ首藤氏
にインタビューをしに行った結果を記している (注6)。 そこでは想定を超える津波が来たことに対
しても「まったく驚かなかった」と開き直っていて、反省の弁が聞かれない。 事業者や行政官庁が、
こういう人たちを仮面にして、 不合理を強行しているのが今の日本社会である。
5. 本当の課題
こう見てくると、 本当に必要なばらつきを含む将来予測について、 学問的な研究が何もなされ
てこなかったという事実に驚かされる。 首藤教授のメモにばらつきが触れられているが、 それは
津波高さの測定データから再現計算をした時のばらつきについて述べたものにすぎない。 そうい
う意味で、 規制基準決定過程について、 自然現象そのもののばらつきを正面から問題提起した
のは、 内山弁護士の今年になって出版された書籍が初めてのようである。 もちろん、 その種のこ
とは当事者たちも常識としてそれぞれに考えていたであろうし、 首藤教授や同じく気象庁の検討
会の委員であった阿部勝征教授も上記の通り 「倍半分」 と発言していた。 けれども、 業界人や
その分野の専門家だけの議論の場では、 そのように大きくて手がかりの少ない問題は、 議題の
外に追いやられ、 個別の測定データの精度のような局限された分野の議論だけが議題に取り上
げられるのが常である。 そのことを当局者は 「科学的」 といい、 茫漠として、 データの少ない千
年前の津波すら科学の対象外として、 議題から外してしまう。
ここに、 社会総体の利益と専門家集団 (規制基準を切り下げたい業界代表も含めて) の関心
事との乖離がある。 社会総体の利益を議題の中に設定するには、 市民の参加が必要である。 ド
イツの倫理委員会が議論して有意義な結論を提示したのはまさにこの意味である。 また、 情報公
開が必要条件である。 添田孝史氏の著書は非常に重要な資料を明るみに出してわれわれを助け
てくれた。 しかし、 本来、 このような情報が市民に届けられ、 規制基準の決定過程が明らかになっ
たのが大惨事の後だというのは、 民主主義が機能していないとしか言いようがない。
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注1. 日本原子力学会 『学会事故調最終報告書』 丸善出版、 2014年、p.51
注2. 七つ森書館、 2015年、p.48
注3. 岩見浩造 「貞観再現 : 先行研究を取り入れ明治三陸津波を南に移設した宮城県の津波調査
(1986~88年) : 東電動かず」 2015年7月30日
http://iwamin12.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/198688-ea74.html
注4. 添田孝史 『原発と大津波 警告を葬った人々』 岩波新書、p.23
注5. 添田、 前掲書、p.34
注6. 添田、 前掲書、p.41
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