APAST Essay_009A

APAST Essay 009A
2015 年 6 月 22 日
NPO 法人 APAST
筒井哲郎
科学的 ・ 専門技術的知見の危うさ
1. 高浜原発差止仮処分への異議審
4月14日に福井地裁で、 関西電力高浜原発運転差止仮処分が決定された。 それに対して関
西電力は異議を唱え、 5月15日付で 「異議審主張書面 (1)」 を提出した。
その書面の冒頭に述べられている主張を要約すると、 第1点は 「原子力発電所の安全性の判
断にあたっては、 高度の科学的、 専門技術的知見を踏まえるべきである。 原子力規制委員会
の各専門分野の学識経験者等による科学的、 専門技術的知見に基づく見解も十分尊重されるべ
きである」。 第2点は、「科学技術を利用した各種の機械、装置等は、絶対安全というものではなく、
その危険性の程度と科学技術の利用により得られる利益の大きさとの比較考量の上で、 これを一
応安全なものとして利用しているのであり、 このような相対的安全性の考え方が一般的である」 (p.
10)。
関西電力の立場に立ってみれば、 政府が原子力規制員会を設立し、 同委員会が2013年7月
に新規制基準を策定 ・ 公布し、 それに適合すれば再稼働を許すというシステムになったのでは
ないか。 その規制基準に適合していると規制委員会が認めているではないか。 今さら文句を言
われても困る、 という気分であろう。 だが、 日本の新規制基準は安倍首相や田中規制委員長が
言うような 「世界一厳しい基準」 ではない (注1)。 また、 「新規制基準」 とは言いながら、 具
体的な基準地震動などは、 福島事故以後も改訂しないで、 各電力会社にそれぞれ見繕って策
定せよというあなた任せの態度をとっている。 これらの組織的なひずみが集約して法廷で激突し
ているというのが、 現在の局面である。
2. 基準値策定に際して科学者の意見を聞いたか
1) 津波の基準
1993年7月に発生した北海道南西沖地震では、 死者 ・ 行方不明者200人を超えた。 遡上高
は 30mを超えて国内では20世紀でもっとも高く、 死者はその時点で戦後最大だった。 津波防災
に関連する七省庁 (国土庁 ・ 農水省構造改善局 ・ 農水省水産庁 ・ 運輸省 ・ 気象庁 ・ 建設省 ・
消防庁) は、 1998年3月に 「地域防災計画における津波防災対策の手引き」 (七省庁手引き)
を各自治体に通知した。 このとき、 津波高さの想定方法に画期的な改善を行った。 というのは、
被害がもっとも大きかった北海道奥尻町では、 既往最大の津波をもとに、 高さ 4.5mの防潮堤を
築いていた。 ところが、 実際に襲来した津波は防潮堤の高さを 4m以上上回っていた。 それで、
七省庁手引きでは既往最大に一定の安全率を掛けるということを行った。
この考え方が、 電事連の原発を襲う津波高さ基準を決める総合部会でも議論された。 七省庁
手引きの作成にもかかわった首藤信夫 ・ 東北大教授と阿部勝征 ・ 東大教授のふたりが 「精度は
倍半分」 (2倍の誤差があり得る) と発言していた。 これに対して、 2000年の土木学会評価部
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会幹事団 (10人中6人が電力会社関係者) が、 安全率1倍 (余裕を見ない) に決めた。 部会
主査の首藤教授は 「補正係数 (安全率) の議論もあるかと思うが段階では、 とりあえず 1.0 とし
ておき、 将来的に見直す余地を残しておきたい」 と述べた (注2)。 評価部会の委員だった今
村文彦 ・ 東北大教授は政府事故調のヒアリングに対して次のように述べている (注3)。
「Q: 第6回の部会で、 補正係数を 1.0 として良いか議論してくれとコメントしたのは誰か」
「A: 首藤先生。 安全率は危機管理上重要。 1以上必要との意識はあったが、 具体的に例え
ば 1.5 にするのか、 従来の土木構造物並びで3まで上げるのか、 決められなかった。 本当は議
論しないといけなかったのだが、 最後の時点での課題だったので、 それぞれ持ち帰ったというこ
とだと思う」
この決定のあり方は、 科学者の議論を虚心に傾聴し、 基準に反映したと言えるのか。
2) 基準地震動の基準
基準地震動についても、 科学者たちは既往最大で良いと考えていなかった。
「原発の耐震審査が行政の裁量任せになってしまった部分を問われた」。 (高浜と川内の) 二
つの決定を受け、 原子力規制委員会で耐震ルール作りに関わった藤原広行 ・ 防災科学技術研
究所社会防災システム研究領域長は残念がる。
素朴な疑問は 「なぜ平均より少し強い」 だけの基準地震動が審査を通ってしまうのか、 である。
藤原さんは明かす。 「基準地震動の具体的な算出ルールは時間切れで作れず、 どこまで厳しく
規制するのかは裁量次第になった。 揺れの計算は専門性が高いので、 規制側は対等に議論で
きず、 甘くなりがちだ」 (注4)
基準地震動は、 福島事故以前は曲がりなりにも政府の有識者会議が作っていたが、 福島事故
以後、 規制委員会は電力会社に決めさせている。
上のいきさつを見ると、 津波の基準も地震動の基準も、 科学者の意見に耳を貸さずに、 科学
者の意見を封じて行政当局と電力会社の裁量で決めているというのが実態である。 すなわち、
関西電力の 「原子力規制委員会の各専門分野の学識経験者等による科学的、 専門技術的知
見に基づく見解も十分尊重されるべきである」 という言葉には実態が伴っていない。
3. 科学的認識の限界
上記の手続き上の無視とは別に、 科学がもつ本来的な性格が、 技術的構築物建設に伴う割り
切りと相容れないものであるという問題がある。 たとえば、 断層の断面積やアスペリティなどのパ
ラメータを推計して地震動の強さを計算する 「入倉レシピ」 においても、 過去のデータを挿入し
ながらじょじょに計算精度を上げる努力をしている。 しかし、それは「既往最大」を物語るものであっ
て、 将来の最大を予測するものではない。 科学は実証されたことを記述し提出することだけが使
命である。 技術はそうではない。 作られた設備が供用期間中に危険を及ぼさないように建設する
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ことが使命である。 それゆえ、 鋼材の強度計算に使う応力の安全率を3倍ないし4倍に設定する
ことが、 過去100年余りの工業上のスタンダードとして行われてきた。 鋼材の新品の破断応力が
400N/mm2 であっても、 計算誤差、 素材の欠陥、 施工誤差、 腐食などの経年劣化によって、
実際の余裕はだんだん食いつぶされていく。 原子力発電所も例外ではなく、 腐食や放射性脆化
による材料欠陥などが生じて、数十年間使用しているうちに余裕が減少していく。 にもかかわらず、
耐震バックチェックやストレステストなどの計算では、 新品の時の応力や断面形状が保たれている
として計算している。
設備側の劣化はさておき、 自然現象による荷重の想定に話を戻そう。 前節で津波学者や地震
学者が 「安全率=1でとりあえず決めた」 といっているのは、 下図の 「余裕なし」 の状態である。
そして、 科学者はこれ以上のことを言わないことが本来の使命である。 他方、 技術者や行政官
の使命は、 下図の 「適切な余裕」 を設定することである。
適切な余裕(安全率=A)
余裕なし(安全率=1)
しかし、 現実に行われてきたことは、 科学者が 「A が必要なのに」 とつぶやき、 事業者の利
益に目がくらんだ技術者と行政官が、 密室で 「安全率=1」 を選んだのである。 そして、 事業
者は 「これが科学的真実だ」 と法廷で主張している。
基準地震動を決める要素は、「入倉レシピ」 で検証されている地震形態だけではない。 従来 (と
いっても強震動地震観測網が設置されて以後の20年間だが) は視野に無かった様々なタイプの
地震が新たに分かりつつあり、 そのこと自体が上記の安全率Aを何倍にするのが適当かという問
題を悩ましくしている。
去る5月30日に小笠原沖の深さ 682km を震源とする 「深発地震」 が発生し、 半径 1000km の
範囲 (ほとんど日本全国) を揺らした。 2008 年の岩手・宮城内陸地震で 4022 ガルを記録したが、
それは 「トランポリン効果があって測定自体が不正確だ」 と関西電力は主張していたが、 このタ
イプの地震はこの時初めて認識されたのであって、 現状ですべてのタイプの地震を知り尽くして
いるわけではない。
また、「入倉レシピ」 で計算できる条件であっても、地中深い状態を調べて把握する入力パラメー
タには大きな誤差がある。 その誤差によって、 発生する地震動のばらつきは、 5 倍とか 10 倍の
規模になる可能性がある (1万年とか 10 万年に一度の確率を想定した場合)。
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4. 品質保証の単一責任
地震や津波は天災であるが、 それによって人工物が破壊されて周辺の人びとに危害を与えた
場合は人災である。 なぜなら、 そのような危険な人工物を作らないという選択もありえたし、 その
規模の自然災害に耐える強度や構造をもつように設計 ・ 建設することも可能だからである。
そうすると、 論理の帰結は、 どうしても設備を作る意志を実現するには、 自然災害の最大値に
耐える設備を作るということに尽きる。 原子力規制委員会が作った新規制基準はそのレベルの安
全率を要求していない。 基準地震動については、 旧い基準を改定することなく、 各電力会社の
裁量に任せて、 自分は審査するだけという責任逃れをしている。 そして、 将来起こるであろう最
大値を決めようとする意志はなく、 「新しい知見が現れれば、 その時に改定すればよい」 という
成り行き任せである。
こうした時に、 どういう手続きが必要だろうか。 もちろん、 あらゆるステークホルダー、 とりわけ、
事故が発生した時に被害を受ける周辺住民の合意がもっとも必要である。 それでも、 決定する主
体は技術者 ・ 専門家である。 意見の集約をして最終決定する責任主体がなければならない。 現
在の田中原子力規制委員長のように、 「わたしは絶対安全とは申しません」 という言葉を吐いて、
責任が宙に浮くような組織では、 できることにも手をつけない無責任体制になってしまう。
分からないことも決定して一定方向に進むという必要があるとき、 この世のシステムでは、 否応
なくステークホルダーたちが合議し、 合意形成した上で決定しなければならない。 かつ、 事柄が
専門家でなければ判断できないときには、 特定の信頼できる専門家を選任して、 その人物に全
権を委任する。 これは、 たとえば首相を選任して、 その人物に開戦の決断も含めて判断を委任
するのと同様である。 ただし、 職権を委任したからといって、 監視も意見も言わない白紙委任で
はない。 どの程度の監視ができるかはその社会の成熟度によって異なる。 もし、 委任された人
物がその職責を果たすことができないと判明したら、 更迭することになる。
技術的な事柄において単一責任主義を明示するのは品質保証体制である。 その手続きは徹底
した文書主義である。 文書には、 作成者 ・ 検討者 ・ 承認者がサインをし、 その日付も明示して、
どういう過程で意思決定がなされたか、 承認が正しくなされたかを跡付けることができるようにしな
ければならない (注5)。 現在、 原子力規制委員会に提出されている各電力会社の 「設置変更
許可申請書」 「工事認可申請書」 「保安規定」 などの図面 ・ 仕様書 ・ 計算書などにその種の書
類管理上のデータが記載されていないのは驚きである。 これは、 欧米では考えられないことで、
たとえば、 スリーマイル島の事故処理経過を記述した報告書でも、 電力会社のみならず協力会
社 (コントラクタ) の実際個別業務を担当した人たちがそれぞれ記名入りの報告書を提出してい
る (注6)。
原子力規制委員長の田中俊一氏も、 原子力安全委員会の専門委員として基準地震動を決める
立場にあった入倉孝次郎氏も、 その職務を果たしていない。 かれらの職務に求められたのは、
過去の科学的事実の記述ではない。 将来の災害を防止するための予防原則を決めることである。
それに対して、 不可知論や科学的知見の限界論を唱えて、 今わかることを努力し、 将来自然が
量がすればその時に基準を上げればよい、 という成り行き任せの態度を決め込んで、 科学的忠
実性をアピールすることは、 国民が求めている職務から逃避していると言わねばならない。
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注1. 「世界三流の規制基準」 『筒井新聞』 第 284 号
https://sites.google.com/site/tsutsuishinbun/2015/284/sekai-sanryu-no-kisei-kijun
注2. 磯田孝史 『原発と大津波 警告を葬った人びと』 岩波新書、 2014 年、 p.21-35
注3. 海渡雄一、 ほか 『朝日新聞 「吉田調書報道」 は誤報ではない』 彩流社、 2015 年、p.174
注4. 『毎日新聞』 2015 年 5 月 7 日
注5. これを 「Traceability」 といい、 ISO9000 の基本である。
注6. JAERI-M 93-111 「TMI-2 の事故調査 ・ 復旧に関する成果と教訓」 日本原子力研究所 (翻
訳)、 1993 年
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