<震災時の状況をお話しください> 当日は、栃木県の佐倉市っていう所にいたんです。内陸ですね。しかも電車の中だったんです。 ちょうど、宝積寺駅っていう所の駅につく寸前で、揺れを感じまして、なので、駅には着いてた んですけど。電車の中では、だいたい30分程度待ちまして。そして、電車は止まってしまった からっていうので、みんな外に出て、外で迎えを待ったりとかしてたので、駅の外にはだいたい 100人くらい、いましたね。 駅の手前で揺れを感じて、200メートルくらい手前だったんですけど、揺れててもちょっとま だ動いてて。そして、動いて駅の本当ホームギリギリまで来て、止まった感じです。ホームに本 当に2~30メートルかかったくらいで止まった。ホームにいたときは揺れはおさまっていまし た。「留まって下さい。」ってなって、30分程度待ちましたね。 <周囲の様子はどうでしたか> 様子は、やっぱり女性がすごく「きゃー!」とか動揺してたりして。そして、男性は全然何とも びっくりした様子は無かったんですけど。地震があって、5分後くらいに車内アナウンスが流れ て、「ただいま震度7の地震がありました。」ってなりまして、びっくりしました。止まる寸前だ ったんですけど、ガーッと揺れて。減速してる時に、ガーッと揺れて。すごい怖かったですね。 なんだろうと思って。これ止まるために揺れてんのかなと思って、ですけど、そのようでもない な。外見たら、バチバチバチバチって外の電線がショートしてて。 「これは地震だ」って思いまし た。横(揺れ)だったと思います。 <ホームに降りてからは何をしましたか> ホームに降りて、みんなの後について行くように、外に。ホームの階段を降りて、すぐ隣に交番 があったので、敷地内にいて待ってました。久慈駅よりも大きくないです。 電車の中に30分待って、外で3時間くらい待ちました。友達も仕事してたったので、ちょうど その時、友達に会う約束をしてて。そして、予想外のハプニングで、なので、その人が仕事終わ るまで。特に、その人以外知ってる人いなかったので待ってて。で、5時半くらいに迎えに来て もらって、やっと友達の家に行きました。 <家族に連絡を取りましたか> したんですけど、繋がらなかったんですよ。だから、繋がらなくて、メールをして、大丈夫みた いな感じで。でも返ってこなくてっていう感じでしたね。 <津波が来ると思いましたか> 全然なかったですね。実家は津波が500メートルくらい先まで来てだった。野田との境なんで すよ。■■■から500メートルくらい宇部寄りなだけで、ほぼ野田。来てもおかしくなかった ですね。 <当日、自宅には帰りましたか> もう戻れなくて。電車もない、車でも帰れない、飛行機しかない、ってなって、飛行機も満席だ ったので、もう友達に頼んで飛行機すぐ取ってもらったんですけど、取ってもらったのも5日後 とかだったんで。 1週間、栃木にいましたね。1週間いたうちの2日間は友達の家。あと5日間は専門学校の先生 の家にお邪魔しました。本当に1人ぼっちでしたね。なんでこのタイミングなんだろうっていう。 震災が終わって、4月から採用だったんですけど。4月から消防学校に行くんだったんですけど まだ何もしていない。 <震災があったことによって、意識に変化はありましたか> 違いますね。全然。やっぱり、ここも津波が来る場所なので、津波に関してもっと勉強しようと か、対策はどうしたらいいんだろうっていうのは、考えますね。その津波によって。 <家族に会えたとき、どのように感じましたか> 無事でよかったなって思いましたね。 <震災後、野田を最初に見たとき、どう思いましたか> 「何だこれ」って思って。のんちゃんまでは、大丈夫でした。はじめ十府ヶ浦の方を通って行っ たんですけど、よく本とかテレビで見る、太平洋戦争とかで焼けた野原みたいな感じになってて。 これは本当に津波来たんだなと思って。びっくりしましたね。衝撃的ですね、本当に。
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