<震災時の状況をお話しください> <震災時はどちらにいましたか> 福島県の二本松市ですね。 福島の中通り、ちょうど真ん中ですね。浜通り、中通り、山の方に分かれるので。(震源地から は)近かったですね。 当日は、ちょうど私は買い物に出ていて、二本松市の隣に本宮ってあるんですけど、そちらの方 に買い物に出て。ちょうど買い物終わって、(車に)子供たち後ろに2人乗せて、信号待ちをし てる時に携帯が鳴ったんですよね。で、携帯鳴るのも初めてだったので。地震速報と言うかそう いう「地震が来ますよ 。」 っていう。見た瞬間ぐらいから揺れ始めて。で、揺れが、乗ってたん ですけど、隣にトラックが停まってました。道路が波打ってたんですよ。今までに見た事の無い ような状態で、凄い横揺れ。なんかアトラクションに乗ってるような状態。掴まってないとその まま座ってられないようなぐらいの揺れを感じて。子供たちまぁ、後ろでビックリして泣いてた んですけど。信号ももう、凄い揺れ方をしてて。隣に大きいトラックがまず停まってたんですけ ど、それがほんとに倒れて来るんじゃないかなと思うぐらいの揺れだったんで。それで只事じゃ ないなっていうのは思いましたね。 結構長かったですね。「止まってくれー」っていう。とりあえずもうトラックが倒れてきて潰さ れるとか、車が横になるとか、車が倒れてしまうんじゃないかとか。だから、そのままとりあえ ず終わってくれっていうような状態で。子供達が怖がってるので「大丈夫だよー 。」 って言いな がら、体験した事ないぐらいの揺れだったんで、大丈夫かな?と思いながら、終わるのをただじ っと停まって待っているような状態でしたね。 (車は)走ってないです。ちょうど停まってたので、赤信号で停まってて。で、その携帯鳴るの を見て。で、その見た瞬間ぐらいからだったので、もう動けなくなったんですよね。もう、揺れ が道路のこの波打ちが凄い今でも頭に残ってますけど。道路がこんなにグネグネ波打つんだなっ ていうのを初めて見たので。怖かったですね、やっぱりね。 (信号は)その時点で消えましたね。信号も。走り出そうと思った時には信号が消えていて。一 回とりあえず家に帰ろうと思って。で、そのまま。4号だったんですけど、その道路が。もう信 号消えちゃってたんですけど、流れに沿ってそのまま自宅の方に向かいましたね。 (交差点)横から入る人は、流れが止まらないじゃないですか。真っ直ぐ行く人たちがいるので。 ちょっと譲って入れてあげてっていうような感じで進んでましたね。 その時、旦那が仕事してて、帰ってくる時間だったので、家に居たら「荷物とかで潰されてたり しないかな?」とか、そういうのでまず心配で戻りましたね。子供たちは私が乗せてたので、大 丈夫かなとは思ったんですけど。 <自宅の被害はどうでしたか> もう中ぐちゃぐちゃでしたね。うちの冷蔵庫の中の物とかも全部出てましたし、電子レンジが吹 っ飛んでと言うか、落ちてましたし。タンスも、二段で木でくっついてる。それが上下離れて落 ちてて、中も全部引き出しも出てるような状態。とにかくもうぐちゃぐちゃで。で、ガラスとか 割れたりもしてたので。屋根は瓦だったんですよ。戸建ての市営住宅で、屋根が瓦屋根だったん ですけど、その瓦とかも落ちたりとか。酷いとこだと、団地の中でも田んぼ寄りの方は地盤が緩 く、もう崩れてしまったりとかもしてたので、お家が。なので、うちも瓦が落ちたり、物置の方 の戸が外れてしまってたり。とにかく家の中はぐじゃぐじゃになってましたね。 とりあえず、(自宅を)片付けようと思いましたね、最初。 実際その時は、私福島に住んでたんですけど、もちろん原発とかも知りませんでしたし。津波が 来るような場所じゃなかったので、その時はもうその「危ない」って言うよりかは、とりあえず そこ片付けようと思いました。家に結局、居る事考えると、その場をどうにかしなきゃないなと 思って。うちの旦那も帰って来てたんで、一緒に片付けしようってなった時に、ただ電気とかも ちろん水道とかも全部止まってしまってたんで、その時初めてに電気とか止まってる事に気づい て、食べる物ってなったんですよ。まずそこで、すぐ買い物にそれこそ出ましたね。何か食べ物、 蓄えておけばいいんですけど。まぁ電気がまず使えない、ガスも使えないってなると、やっぱも う買って食べれるパンとかそういう物になるじゃないですか。とりあえず食料をなんとかしよう って言うので、すぐ買い物に一緒に出ましたね。 <買い物はできましたか> 買えなかったんですよね。もう、行った時には、コンビニとか、とりあえず思い当たるスーパー とか全部回ったんですけど。結局あの時はレジも動いて無かったのもあるのかな?買えなくて。 買えないで結局色々回って。ただ、ガソリンだけは、ガソリンもあんまり無かったんですけど、 ちょうど二本松の市内は電気が通ってたんですよね。市内だけは電気が点いていて、スタンドも たまたまその時はやってたんですよね。で、その時は満タンにその時点で入れて。後、もうとり あえず買い物回ったり、電気が点かないって事はストーブが使えないじゃないですか。なので、 簡易の反射ストーブを探して歩いたりとかもしましたけど。 買えなかったですね。ストーブも買えませんでしたね。ストーブも無かったです。 そうですね。ガソリンだけでしたね。あとはもう、家にある物でその日は食べてましたから。 <情報は何から得ましたか> 団地だったので、避難する場所とかは、小学校が避難場所になってるので、「そっちに行けば食 べ物だったり毛布だったり全部ありますよ」っていう事は聞いて。行ってみました。行ってみた んですよ。ただ、子供たちがちっちゃかったのもあって、どうしても人が凄いいっぱい居たので。 で、真っ暗じゃないですか。で、入りたくないって。子供はちょっと人見知りがあって。で、 「怖いからやだ。家がいい 。」 って、「お家に帰る」って言われて、結局家に戻りましたね。避 難場所はわかってはいたんですけど。 <困ったことは何でしたか> 朝からまた、買い物に回ってたと思いますね。 もう休みになってましたね。旦那の会社も休みで。一緒に。連絡が来てたと思いますね。 そして、食べる物ちょっと困ってるじゃないですか。その間に、ちょうど団地の向かいに住んで るお家が福島の方だったんですけど、その方の実家の方が「電気も全部使えるよ」と。農家とか やってたんで蓄えもあると。「だから来ませんか?」って言ってくれて。で、そっちの方に泊め て貰いましたね。震災の次の日ですね。ちょうど電話が来て。「大丈夫ですか?」って声を掛け てもらって。うちの実家が岩手だったので、頼る所も無いだろうって言うので、声を掛けてくれ て。私たち夫婦の実家は2人共岩手なので。 (お世話になったのは)もうその1日だけですね。その日だけで。その後に「一回また団地の方 に戻ってみよう」って言って、戻ったらもう電気とかは通ってたので、とりあえず「じゃあ片付 けしよう」って言って、その日からはうちに戻って片付けしたりしてましたね。 (食糧については)その辺の記憶があんまり。買い物は行ってたと思いますね。なんとかこう、 どこかで見つけて探して。 避難場所には結局あんまり頼らなかったですね。
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