黒 駒 古 墳 の 発 掘 調 査 五條市の文化財① Ⅰ.はじめに 黒駒古墳は、五條市西部の黒駒町375番地に所在します。阪合部地域では数少ない古墳として昔からよく知られ、 横穴式石室が開口していましたが、1998(平成10)年9月の台風7号により墳丘上の椎の木が根こそぎ倒れ、石室の 天井石が動かされて崩落寸前となりました。そこで五條市教育委員会では、石室の修復と保存を行うために、古墳の 範囲と石室内部の状況を明らかにする発掘調査を1999年11月から2000年3月にかけて実施しました。 Ⅱ.調査の概要 黒 駒 古 墳 【立地と墳丘】 黒駒古墳は吉野川の南岸に位置し、落杣神社・御霊神社が鎮座する丘陵の東斜面の標高約120m 付近に造られています。古墳の北から西にかけて試掘溝を掘った結果、古墳の築造前に、背後の斜面を岩盤が露出 するまで削っていたことがわかりました。古墳を造営する場所を整えるとともに、削った土を盛り上げて墳丘を造ったもの とみられます。しかし盛土の大半は、調査前に既に流失していました。 墳丘の規模は、直径約10m、高さ約3mと推定されます。 【埋葬施設】 南むきに開口する全長6.4mの横穴式石室で、付近で採れる結晶片岩を積み上げています。中心部の 玄室は長さ2.9~3.0m、幅1.6~1.7m、高さ2.0mの規模があり、通路にあたる羨道は長さ3.1m、幅1.2m、高さ1.1m です。玄室の奥と左右の壁は、上へ行くほど石を石室の内側へずらして積んでいく「持ち送り」構造となっています。 また天井には巨石を2個架けていましたが、南側のものは割れて崩落の危険があったため除去しました。 注目されるのは、玄室の入口部分の構造です。黒駒古墳では高さ1.0~1.1mの石を柱状に立てて玄室の両袖を形 成し、その石を羨道の壁よりも石室の内側に突出させています。そのため玄室と羨道の間に、長さ0.3m幅0.9mの狭 い空間ができます。このような柱石は和歌山県(紀伊)の古墳によく見られますが、奈良県(大和)では吉野川流域 で2例が知られるだけです。おそらく紀伊の岩橋型石室に特有の「玄室前道」を意識したものと思われます。 その一方で石室の平面プランや、紀伊と比べて大きな結晶片岩を積む手法などは大和の影響とみられ、両地域の 石室構築技術が巧みに取りいれられたことがわかります。 なお石室の床面は、暗灰色砂礫土の上層に黄色粘土を全面に貼って整えていました。 【遺物とその出土状況】 石室内は荒らされていましたが、主に玄室床面で須恵器(坏・高坏・台付長頸壺)4点、 鉄鏃3点、鉄刀片、須恵質板状製品1点、須恵質脚形製品1点が出土しました。板状製品と脚形製品は須恵質陶棺 の一部とみられ、このうち板状製品には長さ約10cmの線刻画が描かれています。線刻画は棺を焼成する前に細いヘ ラ状のもので刻んでおり、馬を表現したようにも見えます。 この床面よりも約20cm高い面で、12世紀中葉~13世紀前葉の瓦器椀・土師器皿などが羨道を中心に出土しました。 また玄室では炭と焼け土が床のほぼ全面に広がり、壁と天井の石材が変色していました。これは玄室の中で火を焚い たためとみられ、瓦器・土師器もその行為に伴う品と思われます。石室が中世初期に再利用されたことがわかりました。 【築造時期】 出土した須恵器の型式から、古墳は6世紀後葉に築造され、7世紀前葉に追葬が行われたものとみら れます。玄室には初めに木棺が納められ、後に陶棺が追葬されたようです。 Ⅲ.まとめ 五條市内には約150基の古墳がありますが、大半は市北部の北宇智と東部の阿太の両地域に集中しており、西部 の阪合部地域は分布のまばらなところです。また6世紀代に全国的に造られる横穴式石室も、市内では他に4基が知ら れるだけです。その点で、黒駒古墳が6世紀後葉に築かれ、大和と紀伊の要素を併せ持つ石室を有していたことは、 五條とりわけ阪合部地域の古墳時代を知るうえで貴重な成果といえます。また古墳時代の線刻画は大和では出土例が 少なく、とくに線刻画を描いた陶棺の出土は全国的にも初めてと思われます。黒駒古墳の被葬者はこの地域を治め、 紀伊の文化にも接していた有力な首長であったようです。 五條市教育委員会では、今回の調査結果をもとに古墳の保存策を講じ、地域の文化遺産として将来に長く伝えて いきたいと思っています。 1.羨道から見た横穴式石室 五條市の文化財① 黒駒古墳 2000(平成12)年3月18日発行 この資料の企画・作成は五條市教育委員会が行い、編集は石部正志(市立五條文化博物館長)の指導のもと前坂尚志(同館 学芸員)が行った。 発掘調査は、御霊神社の藤井治宮司及び氏子総代、前川藤吾氏、峯林宏政氏、阪合部地区自治会の協力を得て五條市教育 委員会が実施し、前坂が担当した。調査には久留野信一・森本道雄・吉田重信・吉﨑文子・宮﨑ちえみ・吉村邦子の諸氏の参加 があった。また奈良県立橿原考古学研究所をはじめ、多くの機関・研究者のご指導を得た。 五條市教育委員会 犬飼大師塚古墳 犬飼明神塚古墳 3.横穴式石室の天井石(南西から) 黒駒古墳 9.須恵質脚形製品(左)と須恵器・台付長頸壺(右) 他戸親王墓 10. 須恵質板状製品と鉄鏃(手前) 井上内親王陵 2.黒駒古墳位置図(縮尺1/25,000) 4.調査前の横穴式石室(南から) 11.須恵器・高坏(上) と坏身(下) 12.須恵質脚形 製品 8.玄室床面の遺物出土状況 (玄門上から) 5.調査後の横穴式石室(南から) 6.玄室の奥壁と副葬品 7.玄室入口の柱石 13. 中世初期の玄室床面 (玄門上から) 14.羨道に置かれた瓦器椀・土師器皿
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