大手町遺跡第13地点《PDFファイル》

1. 大手町遺跡第 13 地点
1. はじめに
大手町遺跡第 13 地点は小倉北区大手町 13 番 28 号に
位置します。平成 26 年度の 7 月から 2 月末までに 2 区
に分けた調査を行い、面積は合わせて約 3,317㎡です。
2. 遺跡の概要
遺跡は北九州市役所の南西約 0.9㎞にある福岡県地方
検察庁小倉支部の北隣に位置します。ここは、慶長 7
年 (1602) に細川忠興により築城の始まる小倉城三ノ丸
を囲う堀の南側にあたり、かつて小倉藩の重臣たちの住
む屋敷が建ち並んでいました ( 以下、篠崎屋敷 )。
幕末の『小倉藩士屋敷絵図』の中でみると、調査区は
第 1 図 大手町遺跡第 13 地点の位置 (1/25,000)
第 2 図に示した場所に当たります。この図を見ると、1
区は町屋敷で構成された蟹喰町を、2 区は中央を南北に
通る馬場町の道を挟んで、郡方御用屋敷や郡方作事等の
役所跡を、この道の東側では蟹喰町から坂上門へと続く
道沿いを中心に調査をしたことが分かります。
3. 調査の概要
篠崎屋敷の周辺は、昭和 3 年に着手し同 5 年に竣工
した小倉造兵廠の第一期工事により、台地上が大きく削
平を受けており、これまでに当時の道や屋敷の区画を示
す痕跡は見つかっていませんでした。
今回は上で述べた 2 つの役所の角と馬場町の道筋、
第 2 図 『小倉藩士屋敷絵図』から関係箇所を抜粋
そしてその南端に設けられた馬場の跡を検出しており、
これまで絵図以外不明であった篠崎屋敷の町割りを考え
る上で、貴重な成果となりました。
成果の一端として、馬場跡は道より 0.5 m程掘り下
げ整地を行い、その北端に少なくとも桁行 9 間、梁間
2 間の長大な南北棟を建てていたこと、篠崎屋敷より 5
m程下位に立地する蟹喰町では、谷の斜面を削って形を
整えた中に町があり、斜面の下半部に石垣を積み上げて
いること、町の中央を通る道幅は 5 mで、その表面に
砂利をたたき締めていたことなど、絵図では知ることの
できなかった事が次々と明らかになりました。
第 3 図 馬場の建物跡
4. おわりに
今回は、紫川西岸に開かれた小倉城篠崎屋敷の調査を
行い、数多くの成果を得ることができました。調査の中
心は江戸時代の遺構ですが、小倉城西曲輪の置かれた標
高 10 m程の舌状台地はそれ以前の人々にとっても生活
に適した地形をしています。このことを物語るように調
査区の南側に江戸時代より古い時代の遺構や堆積層が確
認されました。小倉城の調査を通じて、より古い小倉の
歴史資料を手にしたことになります。
第 4 図 蟹喰町の石垣と道 ( 南から )