これ まで も これか ら も 干拓を持ち出すわけでもありません 秋田は農業県です。今更、八郎潟の した。 の 間、と に か く お 米 に 特 化 し 続 け ま うに思います。おかげさまで、来年度 な る 安 全・安 心 を 印 象 付 け ら れ た よ し た。消 費 者 の 皆 さ ま に は 商 品 の 更 くのお客さまにご好評をいただきま ト ン も の 秋田 め、 JA新あきた産もち米も 県産もち米を消費することになるた 秋までには粢菓子で けたダメージがかなりあると思いま ︵ が、国の猫の目行政により、農業が受 す。そ も そ も、日 本 農 業 の 苦 境 は、 %増量 P L 48 0 法 な ど に よ り 米 国 の 余 剰 55 トン︶を見込んでおります。 20 視 し、新 た な 視 点 で 多 く の 市 民、県 ん。今こそ、お米を含めた農業を重要 果をあまり挙げられたとは言えませ 数 々 の 施 策 を 試 み て き ま し た が、成 業県からの脱却を図ろうと過去に に源があろうかと思います。県は、農 国の輸入穀物の関税を撤廃したこと 農 産 物 を 無 制 限 に 導 入 し、か つ 我 が 全・安心をアピールして参りましょう。 クラムを組み秋田の食のおいしさと安 世界最小なのです。 だからこそ、 共にス す。 そんな中で、 日本の自国農業支援は 主 独 立 性 を 弱 体 化 す る と考えていま 農業と食料自給率の衰退が国家の自 えられていると思います。諸 外 国 は、 落・TPP交渉などで厳しい局面を迎 JAグループ秋田の皆さま、 米価下 12 民、企 業 が 秋 田 県 農 業 を 考 え て い く べきと思います。 移転してしまった日本赤十字病院が 小 路 へ の 往 来 は に ぎ や か で、現 在 は 人 口 は 1 3 0 万 人 も あ り、駅 か ら 仲 えていただきました。当時、秋田県の んに説明し﹁粢﹂という漢字を付け加 る際や電報を打ったときは、 NTTさ 珍しい漢字でしたので、 電話帳に載せ お 米 と い う 意 味 で す。一 般 的 で な い ました。 粢と書いて﹁しとぎ﹂と読み、 ンド秋田粢菓子﹁一乃穂﹂を創業致し 平成5 年4月1日に当社の新ブラ で 早 速、プ ロ ジ ェ ク ト チ ー ム を 立 ち に使えるのは﹁お米だ!﹂ということ 米・美人と言われ、その中からお菓子 人、知人から秋田県のイメージは酒・ ントを探しました。そして、県外の友 菓 子 始 め、全 国 の 商 品 か ら 多 く の ヒ と な り ま し た。県 内 で 売 れ て い る お の こ と が、﹁一 乃 穂﹂誕 生 の き っ か け え て し ま う 事 態 に な っ た の で す。こ 突 然 廃 止 に な り、売 り 上 げ が 全 て 消 一番でした。しかし、食料品売り場が 年 間 6 千 万 円 を 売 り 上 げ、坪 効 率 は 売 に 至 り ま し た。1 カ 月 で のロゴが入った﹁しとぎ豆がき﹂の発 れ る よ う に な り、今 般 J A 新 あ き た により良いコミュニケーション が と 商工会議所にご入会いただいたご縁 JA新あきたの船木組合長が秋田 りました。 ら幅広いご支持をいただくようにな 秋 田 県 産 も ち 米 を 使 用 し、県 内 外 か から に 孤 軍 奮 闘 で し た が、粢 菓 子 は 発 売 り ま し た。米 菓 部 門 に お い て は ま さ んごのおいしさをアピールしてまい に こ だ わ り、全 国 に 秋 田 米 や 秋 田 り 当 社 は、今 ま で 秋 田 県 産 の 農 産 物 多くの人を集めていました。 上 げ ま し た。コ ン セ プ ト づ く り に 始 ︵JA新あきた産もち米 トンの 病 院 の 近 く に は、秋 田 県 を 代 表 す ま り、商 品 開 発 や ネ ー ミ ン グ に つ い 万枚 トン分︶が 年が経ち、現在、年間 る 木 内 百 貨 店 が あ り、店 内 に 出 店 し ∼秋田県産にこだわり、 全国へ発信するお菓子づくり を∼ 藤井 明 て 3 年 も 費 や し て し ま い ま し た。そ 43 64 あ っ と い う 間 に 売 り 切 れ る ほ ど、多 左上) 昨年11月に発売開始した 「さくらだより」 右上) 「秋田県産りんごを、使ったパイ。」 左下) JA新あきたロゴ入りの「しとぎ豆がき」 株式会社かおる堂 代表取締役社長 て い た 当 社 の 2 坪 ば か り の 売 店 は、 10 22 JAグループへの シリーズ 第 96 回 ●ふじい・あきら 1949年生まれ。秋田市大町出身。早稲田大学文学部卒業。 イオン㈱を経て 1976年㈱かおる堂入社。秋田青年会議所理事長、秋田大学工学資源学 部非常勤講師、秋田県公安委員会委員長、秋田まちづくり㈱代表取締役社 長を歴任。現職は㈱かおる堂代表取締役社長、㈱杉山壽山堂代表取締役 社長、秋田いなふく米菓㈱取締役、秋田商工会議所副会頭、暴力団壊滅秋 田県民会議理事長、秋田市シルバー人材センター副理事長、表千家同門会 秋田県支部長。趣味は読書、旅行、 ゴルフ。 14 kakehashi
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