家族の長野駅物語東山 佳代

家族の長野駅物語
東山 佳代(長野市)
ご縁あって、私達4人家族が長野に転居したのが17年前の秋でした。なので残念な
がらその年の2月に行われた、冬季オリンピックの華やかな祭典は終わっていました。
駅前に静かに並ぶ数件のホテルを眺めながら、この辺りは、さぞかし国内外からのオリ
ンピック観戦者でにぎわったことだろうと、想像するしかありませんでした。
長野市内に住み始めた頃は、子どもの通う幼稚園に据えられただるまストーブの大き
さにも、おやきの具や焼き方に種類があるのも、雪は黙って降る事にも、いちいち驚い
ていました。
しばらくして、子どもの進学の都合で、主人が名古屋に単身赴任となり、小学校の冬
休み、当時10歳だった息子を往路は帰省した主人と2人、帰路だけ長野行き特急しな
のに乗せ、主人の元から一人旅をさせました。心配で小雪が舞う中、列車到着時刻の
数十分前からホームで待ちわびていた私に、降り立った彼はからりと笑い、隣の席のお
兄さんが名古屋からずっと話し相手をしてくれたと聞いた時は、安堵で涙ぐみそうにな
りました。
これまでに、ディズニーランドや京都旅行等、遠出の数だけ長野駅を利用させて頂い
ています。そして今、子ども達も大きくなり、さらに静岡に転勤となった主人に会いに、
私が一人長野新幹線、東海道新幹線を乗り継いでいます。転勤族として、長野在住が
一番長くなりました。何処の旅からでも、見慣れた長野周辺の景色が近づき、ホームに
着いた時が一番ほっとし、コンコースを歩く間にどんどん長野県人に帰っていく自分を
実感します。この前など、駅前で買い物帰りに信号待ちをしていると、観光客らしきお年
を召したご夫婦に、おずおずと善光寺への行き方を尋ねられ、ハキハキと答える自分に
びっくりしました。
核家族化が進む中、私達のような家族にとって、駅と駅は家族を繋ぐ動線です。3月の
北陸新幹線開業に向け、駅ビルが輝きを増し、急ピッチでその周辺もおめかしされてい
ます。私はかつて見られなかった、冬季オリンピックの頃の賑わいの再来を期待せずに
はいられません。