【震災当日】 家の中に一人でいるときに地震発生 家の中に一人でいるとき

【震災当日】
●家の中に一人でいるときに地震発生
2 階でパソコンに向かって仕事をしているときでした。その時、家にいたのは私ひとり。主
人はたまたま長野の別荘に行っている最中でした。大きな揺れが続くなか、机の上に置い
てあった小さなテレビが落ちないようにと、必死に押さえていたのを覚えています。
揺れが収まったので 1 階へ下りてみると、幸い額に入れた写真が 1 点落ちていただけで、
ほかは無事でした。浦安には平成 3 年から住んでいるのですが、当時から液状化のことは
言われていました。家を建てるとき、かなり基礎をしっかりとしてもらったのが幸いだっ
たのかもしれません。
●液状化現象を目の当たりに
地震が収まってから庭に出てみたのですが、水と泥がドボドボとあふれ出てきていて、こ
れは大変なことになったなぁ……と思いました。もちろん液状化という言葉は知っていま
したが、実際に見たのはそのときが初めてでした。それまでにも液状化によって地面が泥
だらけになってしまっている光景をニュースや写真で見たことはありましたが、それは発
生後の光景ですよね。実際に目の前で、地面の所々から湧き水のようにものすごい勢いで
噴き出しているのを見て、唖然としてしまいました。
家の目の前が公園になっているのですが、そちらはもっとひどいことになっていました。
いつ止まるのかと思うほどの勢いで、泥水がどんどんあふれ出てきています。その後、周
囲の様子がとても気になったので歩いてみたのですが、液状化現象によって、道路のいた
るところに穴が空いていました。
●家族との連絡について
娘が 3 人いまして、
当時 2 人はひとり暮らしをしており、1 人は一緒に住んでいたのですが、
娘たちとはすぐに連絡が取れたと記憶しています。長女は当時、市川で働いていたのです
が、自分のアパートには戻らず、その日は歩いて私たちの家のほうに帰ってきました。2 番
目の娘は一緒に住んでいたのですが、当日は勤務先から帰って来られず、帰宅したのは翌
日だったと思います。
夫と連絡が取れたのは、夜になってからでした。開口一番、
「どうしてメールに返信しない
のだ」と怒鳴られましたが、そんなことを言われましてもね……。当時、携帯はずっと不
通になってしまっていましたから。長野で浦安の状況をニュースで知り、ひどく心配にな
ったのでしょうね。こちらの様子を伝えるとちょっとは安心したようでしたが、翌日急き
ょ戻って来ることになりました。家に戻ったのは翌日の夕方ぐらいだったかと思いますが、
多くの道が通行止めになってしまっていて、かなり大変だったようです。