重要語句 それに関わる人物 内容 邪馬台国 卑弥呼(女王) この国の女王

重要語句
それに関わる人物
内容
邪馬台国
卑弥呼(女王)
この国の女王が中国の魏に使いを送り、「親魏倭王」の金印を贈られた。
十七条の憲法
聖徳太子
推古天皇のころに出された、朝廷の役人の心得を記した法令。同じころ冠位十二階
が制定された。
大化の改新
中大兄皇子
中臣鎌足
力を伸ばしてきた蘇我氏を倒し、天皇中心の国家づくりを目指した。中大兄皇子は
その後天智天皇となった。中臣鎌足はその後藤原鎌足と名前を変え、藤原氏の先祖
となった。
平安京
桓武天皇
奈良にあった平城京から、政治を立て直すために移転された都。794 年に今の京都に
作られた。
摂関政治
藤原道長(父)
藤原頼通(子)
藤原氏が摂政(幼い天皇や女性天皇の補佐)や関白(成人した天皇の補佐)の地位を独
占して行った政治。藤原氏は娘を天皇の后にし、生まれた子どもを天皇にたてた。
院政
白河上皇
天皇をやめた上皇や法皇が行った政治。左の人物が最初に始めた。これにより摂関
政治が衰えた。
鎌倉幕府
源頼朝
平氏との戦いに勝ち、1192 年に征夷大将軍になった左の人物が開いた幕府。全国に
守護と地頭がおかれた。
承久の乱
後鳥羽上皇
左の人物が鎌倉幕府を倒そうとして起こした反乱。北条政子が源頼朝の御恩と奉公
を訴えて御家人をまとめ、幕府側が勝った。
御成敗式目
(貞永式目)
北条泰時
御家人に対して出された、今までの先例や武士の慣習・道徳を元に作られた基本法。
裁判の基準を示した。
元寇
北条時宗
フビライ・ハン
元が日本に攻めてきた、文永の役と弘安の役の 2 つの戦いのこと。暴風雨などによ
り元が敗退した。御家人は恩賞(ほうび)を求めたが幕府は与えられなかった。
建武の新政
後醍醐天皇
鎌倉幕府を倒した後に左の人物が始めた政治。武士を軽く扱ったため反発が大きく 2
年で失敗した。
室町幕府
足利尊氏
建武の新政が失敗した後、左の人物が開いた幕府。
応仁の乱
足利義政
京都を中心に 11 年間続いた、室町幕府の跡継ぎ争い。この結果幕府に力がないこと
が明らかになり戦国時代に入った。
楽市・楽座
織田信長
左の人物が安土城の周りで始めた、誰もが自由に商売できるようにした政策。安土
城以外の場所でも開かれた。
太閤検地
豊臣秀吉
織田信長の後に天下統一を果たした左の人物が、コメなどの収穫量を予測するため
に、全国規模で田畑の面積・土地の良し悪しを調査したもの。土地と農民の調査結
果を検地帳に記入した。
江戸幕府
徳川家康
今の東京都に 1603 年に開かれた幕府。左の人物が初代将軍。士農工商の身分制度が
確立した。
参勤交代
徳川家光
大名に義務付けられた、1 年おきに領地と江戸を往復する制度。左の人物が将軍のこ
ろに定められた。費用がかかるため、大名の経済負担が大きくなった。
享保の改革
徳川吉宗
左の人物が進めた政治改革。質素倹約をすすめ、新田開発を盛んに行った。
寛政の改革
松平定信(老中)
左の人物がすすめた、江戸時代 2 度めの政治改革。旗本などの借金を帳消しにし、
朱子学以外の学問を禁止した。この改革の前、田沼意次が株仲間の結成を進める政
策をしていた。
天保の改革
水野忠邦(老中)
左の人物がすすめた、江戸時代 3 度めの政治改革。武士や庶民に倹約をすすめ、ぜ
いたく品を禁止した。改革は 2 年余りで失敗に終わった。
日米和親条約
ペリー
江戸幕府がアメリカの使節である左の人物との間に結んだ条約。下田と函館の 2 港
を開き、アメリカ船に食料・水・燃料などの供給を決めた。これにより鎖国政策が
終わった。
日米修好通商条約
井伊直弼(大老)
江戸幕府の大老であった左の人物が、朝廷の許しを得ないままアメリカとの間に結
んだ条約。函館、横浜、長崎、新潟、神戸の 5 港を開いたが、領事裁判権(治外法
権)を認め、関税自主権がない不平等条約であった。
大政奉還
徳川慶喜
江戸幕府最後の将軍だった左の人物が、政権を朝廷に返すと宣言したこと。それを
うけて新政府は王政復古の大号令を出し、天皇中心の政治を行うことを宣言した。
大日本帝国憲法
伊藤博文
左の人物らがドイツ憲法を参考に作り、天皇が国民に与えるという形で 1889 年に発
布された日本初の憲法。国の最高の権力者は天皇であると定めた。