吉 原 向 遺 跡(よしわらむかいいせき)

5 D区の主な遺構 平成 27 年8月 22 日(土)
発掘調査遺跡現地説明会資料
竪穴建物跡6棟(縄文1・古墳中期5),その
阿見吉原土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査
他 ( 土坑 18 基,溝跡3条,ピット群1か所 )
吉 原 向 遺 跡(よしわらむかいいせき)
第 13 号竪穴建物跡
所 在 地:稲敷郡阿見町吉原 2850 番地ほか
調査期間:平成 27 年5月1日∼ 10 月 31 日
調査面積:6,015㎡(9・10 月の調査面積を除く)
委 託 者:茨城県竜ケ崎工事事務所
調査機関:公益財団法人茨城県教育財団(阿見吉原事務所)
TEL:080-3405-8268 http://www.ibaraki-maibun.org
第 13 号竪穴建物跡の遺物出土状況
第 10 号竪穴建物跡
(古墳時代中期)
1 はじめに
吉原向遺跡は,阿見町の南部,桂川右岸の標高約
1辺約4mの小形の建物跡で,完全
19 mの台地上に位置しています。茨城県竜ケ崎工
な形の土師器の甕などが,西南壁側
事事務所から委託を受け,土地区画整理事業に伴う
を中心にまとまって出土しました。
埋蔵文化財の発掘調査を,平成 27 年5月から 10 月
篠崎A遺跡
中には意図的に2つの甕を逆さに置
までの6か月間の予定で実施しています。
いたような状態も認められました。
桂川の対岸には,弥生時代から古墳時代中期を中
A区
(H23・25)
心とする薬師入遺跡,古墳時代前期を中心とする篠
篠崎遺跡
B区
薬師入遺跡
第 13 号竪穴建物跡の土師器甕
↑
C区
崎遺跡,平安時代を中心とする篠崎A遺跡などがあ
あみプレミアム・アウトレット
遺構確認面から床面までの深さが約
D区
吉原向遺跡
り,同じ台地上には,江戸時代の塚などが確認され
牛頭座遺跡
た牛頭座遺跡があります。
120cm もありました。床面付近からは,
ナギ山遺跡
完全な形の土師器がまとまって出土しま
当遺跡は,平成 23・25 年度の調査(A区)で,
した。鉄斧形土製品は床面から 10cm ほ
古墳時代中期の竪穴建物跡3棟などが確認されてい
ます。
D区 遺構全体図
ど上の覆土下層から刃部を下にした状態
吉原向遺跡位置図(茨城県遺跡地図より作成)
で出土しました。
第 10 号竪穴建物跡の遺物出土状況
2 遺跡の概要
第 10 号竪穴建物跡の出土土器
(古墳時代中期)
今回は,桂川に面する台地上から緩斜面部の東西約 400 m,南北約 200 mの範囲の中の3か所(B~D区)について調
査を実施しました。確認した遺構は,縄文時代の竪穴建物跡1棟,古墳時代中期の竪穴建物跡8棟,古墳時代後期の竪穴
6 調査の成果
建物跡1棟,平安時代の竪穴建物跡3棟,室町~江戸時代の地下式坑1基,江戸時代の掘立柱建物跡1棟,江戸時代の井
今回の調査によって,当遺跡は旧石器時代から江戸時代までの間,断続的に集落が営まれてきたことが明らかになりま
戸跡2基のほか,各時代の土坑 123 基,溝跡9条,土塁1条,
した。特に中心となる古墳時代中期の集落跡では,複数の竪穴建物跡からほぼ完全な形の土師器などが数多く出土し,当
炭窯跡2基,ピット群5か所などです。主な出土遺物は,縄
時の器種組成を考える上で良好な資料を得ることができました。また,竪穴建物跡の覆土や床面から焼土や炭化材が出土
文土器(深鉢)
,土師器(坏・高坏・椀・甕・小形甕・壺・
する焼失建物跡を多く確認しました。一般的に古墳時代中期の集落跡では,焼失建物跡が集落の半数近くの建物跡に確認
小形壺・炉器台)
,須恵器(坏・蓋),陶磁器(碗・皿・鉢・
されることが多く,不意の火事なのか,意図的な放火なのか,火事後の片付け行為や,建物廃棄に伴う祭祀行為の有無な
擂鉢・甕・水瓶・香炉),土師質土器(皿・焙烙),土製品(土玉・
ど,集落研究上の様々な問題点が指摘されています。今回の調査では,床面に少量の炭化材と焼土が見られ,完全な形の
管玉・鉄斧形土製品),石器(ナイフ形石器・尖頭器・砥石),
土師器などが出土した例(第 10 号竪穴建物跡),床面に多量の炭化材と焼土が見られ,ローム土で埋め戻されていた例(第
石製品(滑石製模造品)
,金属製品(鏃・釘)などです。中
12 号竪穴建物跡)など,炭化材や焼土の遺存状況や覆土の埋没過程に,いくつかのパターンが認められました。第 10 号
でも,古墳時代中期の第 10 号竪穴建物跡から出土した鉄斧
竪穴建物跡から出土した鉄斧形土製品は,柄を差し込む袋状部分や裏面の鉄の折り返しの表現など,当時の鉄斧を忠実に
形土製品は,当時の鉄斧を忠実に模しており,全国的に類例
模倣しています。斧形の土製模造品は,県内では初めての出土例になります。平安時代の集落跡は,存続時間の短い小規
の少ない貴重な資料です。
鉄斧形土製品(長さ 7.5 ㎝ 最大幅 3.5 ㎝ 重さ 51 g)
模な集落の可能性が高く,桂川対岸の篠崎A遺跡のあり方と類似し,両者の関係が伺われます。
4 C区の主な遺構
3 B区の主な遺構
竪穴建物跡3棟 ( 古墳中期 ),その他(土坑7基,溝跡3条,ピット群1か所)
竪穴建物跡4棟
(古墳後期1・平安3),
地下式坑1基(室町~江戸),掘立柱建
物跡1棟(江戸)
,井戸跡2基(江戸)
,
第9号竪穴建物跡
その他(土坑 98 基,溝跡3条,土塁1条,
第 12 号
竪穴建物跡
炭窯跡2基,ピット群3か所)
第4号竪穴建物跡(古墳時代後期)
第4号竪穴建物跡の竈
第8号
竪穴建物跡
北西壁の竈からは土師器の甕が掛け
られた状態で出土しました。
第9号竪穴建物跡の遺物出土状況
第9号竪穴建物跡の貯蔵穴
(古墳時代中期)
竪穴建物跡の覆土から多くの土師器片が出土しました。また,北東コー
第2号井戸跡
ナー部の貯蔵穴からは,土師器の壺や3つ重なった椀が出土しました。
第4号竪穴建物跡
C区 遺構全体図
第1号地下式坑
第1号地下式坑(室町~江戸時代)
竪坑部と主室底面の土坑を連結した
炉・柱穴・貯蔵穴などが設けられてい
溝の一部には,板石の蓋が被せられ
ました。貯蔵穴からは,完全な形の土
ていました。
師器の椀が出土しました。
第1号掘立柱建物跡
第8号竪穴建物跡(古墳時代中期)
第8号竪穴建物跡の貯蔵穴
で,内側から炉の痕跡を2か所確認
第 12 号竪穴建物跡(古墳時代中期)
第 12 号竪穴建物跡の遺物出土状況
しました。
竪穴建物跡の覆土下層から床面にかけて,多量の焼土や炭化材が出土しました。建物を廃絶する際に上屋などを焼却し
第6号竪穴建物跡
B区 遺構全体図
第1号掘立柱建物跡(江戸時代)
桁行4間,梁行1間の掘立柱建物跡
第2号井戸跡(江戸時代)
第 12 号竪穴建物跡の炉器台出土状況
たと考えられます。また,竪穴を埋め戻したことが土層の観察から判明しました。床面からは,土師器の炉器台が2つ
並んで出土しました。類例の少ない特殊な土器で,炉で使用されたと推測されます。
古墳時代中・後期の竪穴建物跡など
から,石製模造品が出土しています。
金属製の鏡や剣などを滑石で模倣し
第6号竪穴建物跡(平安時代)
たもので,集落内での祭祀具と考え
陶磁器類がまとまって出土しました。使われなく
1辺が3mほどの竪穴建物跡で,北
られています。
なった井戸に投棄したものと考えれられます。
壁に竈を付設しています。
第2号井戸跡の出土遺物
出土した石製模造品