シングルショット超高速分光法による光誘起相転移初期過程の解明 片山郁文 (横浜国立大学工学研究院) 励起状態間の強い相関によって引き起こされる光誘起相転移は、光を用いて物質のマクロな性質 を大きく変化させることができる非常に興味深い現象の一つである。この時、相転移は励起状態間 の協力的な相互作用を介して誘起されるため、そのダイナミクスは非線型であり、また、光励起状 態という非平衡条件下の相転移であることから、熱的な変化では到達し得ないような新しい物質相 に転移させることができるものと期待される。また、光励起された物質相は準安定な相であること から長い寿命を持ち、光スイッチや光メモリーと言った、さまざまなデバイスへの応用も期待され る。そこで本研究ではこのような光誘起相転移のダイナミクスに着目し、電子または格子励起によ って誘起される相転移のメカニズムを分光学的に明らかにすることを目指している。 このような光誘起相転移のダイナミクスを明らかにするためには、超短パルスレーザーを用いた 時間分解の検出手法が適している。しかしながら、通常の時間分解分光法では、励起光とプローブ 光の間の時間間隔をスキャンすることで試料の過渡応答を測定するために、原理的に繰り返しの測 定が必要となる。したがって、試料の励起状態は、次の励起光が当たるまでの間に基底状態へと緩 和していることが必要となる。ところが、光誘起相転移のような準安定相への転移を考える場合は 光誘起相の寿命が非常に長いために、時間分解の測定をするためには長時間待つか、新しい試料を 用意するかしなければならない。また、通常光誘起相転移を示すような先端的な物質では、多くの 試料が得られることが少なく、励起状態の寿命も非常に長い場合が多いので、これまでに行われて きた超高速分光研究は繰り返し測定の可能な光誘起相転移にほぼ限られていた。そこで本研究では、 可視領域のポンププローブ分光法をシングルショットで実行可能な系を開発し、光誘起相転移の初 期過程を検出することを目的とした。本稿では、このようなシングルショット分光法を用いて白金 錯体における高密度励起下での光誘起相転移現象のダイナミクスを明らかにした研究と、高強度の テラヘルツ波励起によって誘電体のフォノンを強誘電相転移における変位量に匹敵する変位まで 励振した研究について報告する。 白金錯体は白金イオンとハロゲンイオンが一次元状に並んだ擬一次元物質であり、非常に強い電 子格子相互作用を持つために、室温では二価、四価のイオンが交互に並んだ電荷密度波状態にある ことが知られている。これを光励起すると、白金イオン間で電荷移動を起こし、三価のイオンが並 んだモット・ハバード絶縁体になる[1]。また、Ni 錯体などではモット・ハバード相からをさらに 光励起することで、金属相への転移が報告されているが[2]、白金錯体でもそのような転移が可能で あるかは基底状態にない相を光誘起するという意味でも非常に興味深い。そこで、我々は、シング ルショットの超高速分光法を用いて、これまでよりもさらに高い励起密度における光励起状態の超 高速分光を行い、これらの点を明らかにすることを試みた。測定ではシングルショットの計測を多 数回行い、それらの平均を取ったが、その繰り返しは 1~2 秒おきであり、通常よりも非常に低い 繰り返しで測定が行える。この為に、通常よりも高い励起密度まで損傷なしに超高速応答を測定す ることができる。 図 1 は、プローブ波長 700 nm における、反射率の時 間変化を示している。幾つか励起密度を変化させ、得 られた信号をプロットした。これを見るとまず、過渡 反射率は励起密度によって大きく異なっており、非線 形的に非常に大きな変化が起こっていることが分かる。 プローブ光の波長を変化させると、長波長側で非線形 応答が大きくなるために、低周波に重みを持った金属 的な応答であることが予想される。また、通常負の成 分と共に現れる振動が、正成分が現れる励起密度では 消失することも分かった。このことは、格子の対称性 が変化している可能性を示唆している。これらのこと から、白金錯体が高密度励起下で新しい相(金属相?) 図 1:室温において白金錯体 PtI を強励起した 際の過渡反射率変化。幾つかの励起密度につい てプロットした。試料上の集光径は直径約 400 µm である。 へ転移する可能性があることが分かった。このことは、 シングルショットの分光法が、これまでに測定できな かったような高密度での現象を探索するのに、非常に 有用なツールであることを示している。 次に我々は、光誘起相転移と同様の現象が、高強度 テラヘルツ励起によって起こせるかどうかを調べるた めに、量子常誘電体 SrTiO3 薄膜におけるテラヘルツ非 線形性を研究した。その結果、強誘電ソフトモードが 相転移における変位量に匹敵するくらいまで励振され ており、フォノンの非調和性が観測できることがわか 図 2 : サ ン プ ル (SrTiO3 薄膜 ) 及 び 参 照 試料 った[3]。その結果を図 2 に示す。図 2 は、テラヘルツ (MgO 基板)を透過したテラヘルツ電場の波 形。10 kV/cm と 80 kV/cm の二つの電場強度 での結果を示している。 電場の振幅を変化させた時の透過テラヘルツ波形の変 化を示したものである。参照信号である基板(MgO)の 透過波形は、電場強度を変えてもほとんど変化しないにもかかわらず、SrTiO3 薄膜を透過したテ ラヘルツ波の電場波形は大きく変化していることが見て取れる。これは、ソフトモードの非調和性 に起因するもので、振幅が大きくなるほど、ポテンシャルの傾きが大きくなる、四次の非調和性を 考えることによって説明できる。また、この解析から、非調和ポテンシャルを求めることも可能で ある。これは赤外活性な振動モードを非調和な領域まで励振した例として重要であり、高強度テラ ヘルツ波が物質の状態を大きく揺さぶることができることを示している。 参考文献 [1] K. Kimura et al., Phys. Rev. B79, 075116, 2009. [2] S. Iwai et al., Phys. Rev. Lett. 91, 057401, 2003. [3] I. Katayama et al., Phys. Rev. Lett. 108, 097401, 2012.
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